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竹取物語 言命
明治大学大学院紀要 第27集 1990.2 『竹取物語』論 一求婚難題諺を通じて一 ASTUDY OF“THE TALE OF TAKETORI” ON THE BASIS OF THE“FIVE NOBLEMEN”, PART一皿 博士前期課程 日本文学専攻63年度入学 西 本 香 子 Kyoko Nishimoto 次〉 <目 ● ● ● 序121H皿WV 五貴人の分類 求婚難題謳本文を通じて 色このみからの出発 求婚諺からの離脱 物語世界の拡大 人間把握の深化 社会的視野の獲得 ・結語 序 『竹取物語』が創られた契機については、先行漢文作品の焼き直しを計ったとか、不遇をかこつ下 級貴族が貴族社会を訊刺しようとしたとか、様々にいわれている。(注1)そこに共通するのは、才 能は有るが世に用いられない下級貴族という作者の資質が作品の大きな背景となっているという見方 である。 確かに、r竹取物語』には、外国あるいは仏教に関する最先端の知識や言語遊戯など、作者が自分 の知識や機知を誇示しているような部分が非常に多い。このような部分には、今までにない目新しい ことをやって見せようとする、自らの才への自負がありありと窺えるようである。そのような作者の 性格をもっと重く考えれば、物語そこかしこに見られる言語遊戯以前に、この「物語を創る」という 一229一 試み自体が壮大な知的遊戯として手掛けられたのだと考え得よう。説話や神話を素材として、今まで になかった虚構の話を創る一この発想に、知的自負心旺盛な作者は、大いに意欲を燃やしたことだ ろう。 私は、この大胆な発想と作者の自負心が結び付いたところに、『竹取物語』の生まれる契機があっ たのだろうと考える。 周到に用意された話型や洒落、人物名と難題物の結びつきなどからは、この物語が、しっかりとし た計画が立てられた後に、それに沿って忠実に書かれたものだということが窺われる。決して、ただ 漫然と書き綴られたというものではない。最初期の物語であるにもかかわらず、例えば、同じ初期物 語であるr宇津保物語』やr落窪物語』などと比べて、(短編という利点はあったが、)堅固な構成に 支えられた完成度の高い作品となっている理由はここにあろう。 伝承話型を利用した物語を創ることそのものが創作目的だったのではないか、という私の立場から みてみると、構成面でいかに周到な計画がなされていようと、この物語を執筆する物語の「興味」自 体には、あらかじめの目的・計画などさしてなかったのかもしれないと思われる。つまり、作者の「興 味」には、「主題」を志向して結末へと向かっていく方向性が与えられていなかっただろうというこ とである。それはまた、別の見方からすれば、事前に準備された文章構造や話型の枠は自由な変化が 難しかったのに比べ、作者の興味にだけは自在な変化が許され、成長の余地が大きく残されていたこ とを意味する。そして、『竹取物語』の可能性はここに在った。『源氏物語』の作者をしてこの物語を 「物語の出できはじめの祖」と言わしめたのはまさに、作者がこの唯一の可能性を我がものとし、そ れによって、規定されていた文体や話型の構成をも変化させるに至ったからだと言える。(注2) 作者の興味は初めは散漫であるが、物語を書き進めるにつれて次第に集中していく。そして、一応 興味が一点に絞られてからも、作者の視点はそこここに動いていく。 『竹取物語』の研究史において最大の論点であった、「求婚難題諺の現実性」と「天人女房課の伝 奇性」もあるいは、計画を持たぬままに動いていった作者の興味の現れだったのではないかと思われ る。これら二つの性格が同時に一つの場面に現われることがないことを考えると、伝奇性から現実性 への移行は、場面の変化に応じて自然に生じたものと思われるのである。つまり、天人女房潭前半部 では伝奇性へと向けられていた作者の興味が、物語の場面が求婚難題調に移ることによって、現実性 へと向けられたということである。(注3・4) そして、天人女房諺後半部で再び伝奇性が優越してきたとき、、そこに描き出された世界は、天人 女房課前半とは明らかに異なる、人間存在と対比される理想郷が放つ光に照らし出された世界であり、 あくまでも人間存在の「現実」を踏まえたうえで描き出された浪漫的世界であった。『竹取物語』の 主題性は、言うまでもなく、この部分に、さらに言えば「天の羽衣」段に現れている。ここに描かれ るのは、理想の天上界と地上の現実との隔絶であり、生老病死の四苦に満ちる現実世界に生きるしか ない、人間存在の哀しい宿命である。しかしまた、光り耀い月へと昇天していくかくや姫の姿は、’ 一230一 { 作品はおろか、他の文学作品と比べても、最も美しい夢誘う情景である。この段に至って、それまで 明確に分かれて存在していた現実性と伝奇性は融合し、読者を永遠の夢へと誘うとともに、生きると いう現実をも思い起こさせずにはいない。ここに、『竹取物語」は文学作品へと見事な昇華を遂げた のである。美しいけれども哀しい、しかしまた哀しいがゆえに、いいようもなく美しい一それが『竹 取物語』の世界であった。 そして、この達成こそが、『竹取物語」を「物語の出で来はじめの祖」たらしめているのである。 ならば我々は、r竹取物語』の達成を真に理解するために、昇天段に見られる現実性(それは、より 高次な伝奇性の土台となっている)が、いかなる経緯から作者に獲得されたものかを知らなくてはな らない。そしてそのためには、作者が初めて現実を意識した部分、即ち求婚難題諦を再検討し、そこ において作者の興味がいかに推移し、昇天場面へと流れ込んでいったかを見ていかねばならないので ある。 1 五貴人の分類 『竹取物語』の求婚難題課部分は、五つの小話からなる。これを全体として「求婚難題諌」と呼ぶ のは、五つの話が、いつれもかくや姫への求婚と、結婚の条件として提示された難題を前提とするた めである。各々の話は、五人の求婚者一人ひとりの求婚の失敗を様々に語っている。 この求婚難題謳部分は『竹取物語』全体の約半分を占める。その分量の大きさと、そこに当時の貴 族社会の実態が暴かれているという見方とがあいまって、『竹取物語』研究史上、この部分に主題を 求めようと、様々な分析がなされた時期があった。そしてそのとき、五人の求婚難題諌の構成につい ても多くの収穫がもたらされたのであった。 求婚難題課部分を見るとき、誰しも感じるのが、「五」人という求婚者の数に対する違和感であった。 なぜなら、古伝承や説話の世界では、「語り」の長い歴史の中から獲得された「三」度の繰り返しが 支配的な力をもっており、「五」度の繰り返しというのは他に例を見ないからである。(注5)『今昔 物語集』の「竹取の翁見つけし女の児を養へること」は、冒頭部に『竹取物語』からの強い影響が見 られるものの、求婚難題謳部分は極めて簡略化され、与えられた難題物から見ても、説話から採られ た可能性が強く、ここでも求婚者は三人である。『竹取物語』に利用された説話も原初形態では三人 の求婚者であった可能性が強いのである。 ということになれば、「五」人という設定は作者の独創なのだろう。では、作者が付加した二者 (それが五人のうちの誰かは分からない) この二人の人物にこそ、作者の意図する主題がい かんなく表現されているのではないか・説話から採られた三者と付加された二者との問には、作者の 扱いの違いが表れてしかるべきではないか一そう考えた研究者たちは、その断層を見つけようとし、 そこからどんな創作意識が読み取れるかを追求しようとした。そこで見つけ出されたのが、冒頭の語 り出し方の違いである。 この視点の先駆けとなったのは、三谷栄一氏の考察であった。氏は『物語文学史論』(注6)にお 一231一 いて、五人の求婚難題諜の構成が非常に整然となされていることを様々な方向から指摘し、五人は、 三人目の阿部御主人を挟んで二人ずつの組に分けられると考えたのである。氏の考えを簡略化して表 にすれば次のようになる。 求婚者名 身分 性 格 冒 頭 舞諜知らず}翻 皇 子 2.庫持皇子 皇 子 3.阿部御主人 右大臣 家柄から語り始める ○ 4.大伴御行 (大)納言 行動から語り始める 5.石上麻呂足 (中)納言 羅 }翻 人柄から語り始める 〃 〃 難題物 ○ 持参 ○ 〃 ○ 〃 1.石作皇子 家 来 狡滑 ナシ 忠実実直 ナシ ※「○」は三谷氏が言及していない部分である。 この中でも特に、各話の冒頭語り出しの違いについての指摘は、原形説話から採った三者と、作為 的に付加したと考え得る二者との作者の扱いの違いを表すものとして、後の研究者に受け継がれて いった。この際、三谷氏は中立とした阿部御主人の「家柄」も、前二者と同じく、人物の性格をあら かじめ規定したものと考えられた。 以後、五人の求婚者について述べるとき、多くの研究者は、冒頭の性格規定によって、前三者が原 型説話から採られた人物、後二者が作者が付加した人物、というように分け、それを基底に置いたう えで、当然見られるべき前の三人と後の二人との違いについて考察する、という形をとっている。し かし我々は、この前三者・後二者という呪縛から離れ、本当にこのような明確な区別を作者が意識し ていると言えるか否か、そしてもし言えないとなったら、真に作者の扱いの違いとしてこの五人の上 に見られるものは何なのかについて、改めて考えねばならないのである。 まず、前三者・後二者説について、単純にこのように分けられるかということを、反証的事実の有 無から考察してみよう。 求婚難題課の五つの話は、各々次のような冒頭から語り出されている。 ・石作の皇子は、心の支度ある人にて、 ・庫持の皇子は、心たばかりある人にて、 ・右大臣阿部御主人は、財ゆたかに、家ひろき人にておはしけり。 ・大伴御行の大納言は、わが家にありとある人、召し集めて、のたまはく、 ’・中納言石上麻呂足の、家に使はるる男どものもとに、(注7) 野口元大氏は、この部分について次のように述べている。「石作の皇子、庫持の皇子、阿部の右大臣 の話が、冒頭まず登場人物の性格規定で始められ、彼らの性格は終始そこから逃れるものではなかっ 一232− . た。その点、求婚説話の自己否定にもつながるような話の展開をもつ、大伴の大納言の話と、石上の 中納言の話が、そういう性格規定をもたず、いきなり彼らの行動から語り始められていることは、こ の二つの話が作者によって原説話に付け加えられたものであろうと推定されることと思い合わせると き、十分意味のあることであったと考えられるのである。」(注8) 型による認識は、伝承・説話における人間理解の特徴である。だからこそ、原形説話から直接採用 されたと思われる前三者が冒頭に性格規定を持ち、その人間の型からはずれぬ形で物語が進行してい くことは、非常に辻褄の合うことであった。そして、作者が付加した後二者が行動から語り始められ るのは、この説話的人間把握からの離脱を意味する、と評価されたのである。 確かに、作者は物語の執筆を通じて、説話的人間把握を越えた視点を獲得している。しかし、求婚 難題諌第四話を見ると、実は、大伴御行もまた、型による人間把握から完全に自由であったとは言い 難いと思われる。 確かに、第四話は大伴御行の行動そのものから語り始められてはいる。しかし、求婚者の名が「大 伴御行」であること自体が実は、暗黙のうちに、求婚者の性格を規定しているのだとは考えられない だろうか。というのは、「大伴氏」は昔から武勇の家柄として知られていたからである。 武門としての大伴氏については、古くは『古事記』に既に触れられている。天孫降臨の際に、天孫 の前衛の役目を負った二柱の神のうち、天忍日命は「大伴連等之祀」とされているし、神武天皇の東 征の条でも、乖申倭伊波禮毘古命(二神武天皇)に刃向かおうとした宇陀の宇迦斯を滅ぼしたのは、 「大伴連等之祀」である道臣命であった。(注9) また『万葉集』では大伴家持が、「(前略)…大君に 奉仕ふものと 言い継げる 言の職そ 梓弓 手に取り持ちて 劒太刀 腰に取り侃き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守護 われをおきて 人はあらじと…(後略)」(注10)と、朝廷を護る武門の一族としての大伴氏についてうたっている。 このような背景から、当時の読者は、「大伴御行」ときいて、ごく自然に、彼の武人としての性格 を連想し得たのであった。だからこそ、物語の中の彼は何の前置きもなく、武人としての行動を起こ し、読者もそれを受け容れたのである。つまり、この段の冒頭の文は内容的には、「大伴の大納言は 武勇の人にて」という性格規定が働いているはずなのである。(ただし、この性格規定がこの段全体 には及ばないことについては後述する。) この段の冒頭は、語らずして性格規定を成している。よって、冒頭の性格規定の有無という点から は、前三者・後二者と分けることは適切ではなかろうと思われる。 また、冒頭文からはなれて、五貴人のモデルを考えるときにも、前三者・後二者に分けることには 疑問を覚えるのである。 五貴人のモデルについては一般に、壬申の乱の功臣で、・まとめて史料に登場することの多い五人、 多治北真人島・藤原不比等・阿部御主人・大伴御行・石上麻呂足があてられ、ほぼ認められる形と なっている。(注11)「五人」がいつも共に記載され、しかも内三人までがほぼ同名となれば、竹取の 五貴人と何らかの関係を考えるのが当然であろう。およそ掛け離れていると思われる、石作皇子・庫 一233一 持皇子が、残る多治北真島と藤原不比等のことではないかと考えたくなるのも無理はない。そしてそ の結果、相当に苦しい憶測を積み重ね、実在人物の五人と竹取の五貴人の帳尻を合わせることになっ た。しかしやはり、多治比真人島・藤原不比等については、かなり言牙しいものがあろう。 この実在五人組をモデルとし、後三者までを実名のまま物語に登場させたのなら、何故、最初の二 人も分かり易いようにそのままの名で登場させなかったのだろう。あるいは、不比等らの皇子とも言 い得る身分を揮ってあからさまな実名使用を控えたか、ともいわれているが、むしろ、早く田中大秀 が指摘したように、難題物や人物の性格から人物名が連想された、と見る方がしっくりいく気もする。 (注12) 作者がいかなる人物に興味をもち、作品に取り込んでいったかを知ることは、作品理解のうえで大 きな手掛かりとなり得る。しかしここでは、行き詰まった感のあるモデル論よりも、明瞭に現れてい る事実に着目してみよう。すなわち、なぜ前二者に実名を用いていないのか、それは言い換えれば、 なぜ後三者には実名を使用したのかということである。モデル論から考えるとき、五人の問に見られ る断層は、難題と密接に結び付いた名をもつ前二者と、実在人物名を使用した後三者との間にある。 つまりここでも、前三者・後二者説の成立は危ぶまれるのである。 以上、従来当然のことのように行なわれてきた、前三者・後二者という区別が、必ずしも穏当では ないことを見てきた。ここに至って私達は、定説とも考えられるこの立場から離れて、改めて五貴人 の求婚難題諺全体を見渡し、そこに現れている事実を抽出し、作者の興味の変化の節々がどこに現れ ているかを明らかにしなければならない。また、その変化が示す、作者の興味の推移を追い、天人女 房謹後半へと流れ込んで行くものを見付け出すことを要請される。さもなければ、「物語の出で来は じめの祖」たる『竹取物語』の達成の真価を知ることは出来ないのである。 2 求婚難題諏本文を通じて 1 色このみからの出発 ここで改めて、本文に立ち戻り、五貴人の求婚難題潭部分に何が描かれているのかを問い直さねば ならない。 竹の中から見付けられた小さ児は三月ばかりですっかり大人になり、髪上げ・裳着にひき続いて命 名式が行なわれ、「なよ竹のかくや姫」と名付けられた。三日の間、盛大な酒宴も催された。かくや 姫の美しさはたちまち世に鳴り響き、「世界の男、貴なるも賎しきも、このかくや姫を、得てしがな、 見てしがなと、音に聞きめでて惑ふ。」という有り様で、求婚者が殺到したのだった。しかし、かく や姫は屋敷の奥深く引きこもっている。翁の家の者を求婚の手づると頼もうとしても、相手にもして くれない。所詮は高望みであったと諦める者が相次ぎ、最後に残ったのは、「色このみ」として世に も名高い五人の貴公子達であった。「色このみ」は、『伊勢物語』の「昔男」に見られるように、これ と狙った女性は、何が何でも手に入れようとする情熱を本旨とする。この五人はその色このみの世評 一 234 一 どおり、冬の寒さ、夏の暑さもものともせずに、翁の屋敷のまわりを俳徊したのである。 相手は、皇子・大臣・納言という当代一流の貴族たちである。翁は、あてもないのに通い詰める五 貴人が気の毒でならない。それに、かくや姫もどうせいずれは結婚しなければならないのだ。五貴人 の誰をとっても申し分のない良縁であるし、いっそ早くお相手を決めてしまうほうが、他の人々も諦 めがつくというもの。翁は巧みにかくや姫にもちかけ、かくや姫も翁の親心にほだされて、つい結婚 を承知してしまう。しかし、それには条件が付いていた。「五人の中に、ゆかしき物を見せ給へらむに、 御心ざし優りたりとて、仕うまつらむ。」と。そして、いよいよ求婚難題謳の幕開けとなるのである。 「日暮るるほど、例の集まりぬ。あるは笛を吹き、あるは歌をうたひ、あるは唱歌をし、あるはう そぶき、扇鳴らしなどするに…」夕暮れ時、五人の貴公子が一堂に会している場面から話は始まる。 天下の美女かくや姫を求め、翁の家を訪問するようになって随分と経つ。ただ、今回はちょっと場 合が違う。いつ訪れても何の手応えもなかったのに、今日は何か話があるというではないか。少しは 希望をもって良いかもしれぬ。一五人の胸の内は様々であろうが、各人とも、多くの女を口説き落 としてきた手練である。その道にかけては自信がある、といわんばかりに、笛を吹いたり歌をうたっ たり…それぞれが女の心を和ますような雅びやかな風情を演出しながら、翁の用件を待つのである。 当時の貴族の求婚の有り様が窺われる部分と言えよう。 そもそも、求婚難題潭は、求婚課の一つのバリエーションと考えられる。大前提となるのはあくま でも求婚であり、その求婚の条件として難題の解決が課せられる型が、求婚難題謳であるといえよう。 よって『竹取物語』も、まず求婚に赴いた五人の求婚者の「色このみ」ぶりが描かれ、次にかくや姫 .から五つの難題が与えられて、本筋たる五人それぞれの話が語られることになるのである。 かくのごとく、期待を抱く求婚者たちであったが、かくや姫がもってくるようにと要求した品は、 いつれもとても手に入れられそうもない品物だった。言わば、求婚を拒否されたも同然だったのであ る。求婚者たちは、「おいらかに、『あたりよりだに、な歩きそ』とやはのたまはぬ。」と、がっかり して帰った。しかし、そこは色このみたちのこと、「なほ、この女見では世にあるまじき心地」は抑 え難い。結局、「天竺にある物も、持て来ぬものかは。」との思いを新たにし、それぞれに手を尽くし て、何とかかく1や姫を手に入れようとするのである。 このような求婚難題諺の発端は、当代きっての色このみたちがいかに手を尽くしてかくや姫を得る かという、「色このみ、お手並み拝見」といった物語の趣向を感じさせるものである。今後の物語の 展開を予期させる。そしてそれはまた、作者の興味の方向を示すものでもあった。作者はまず、「色 このみ」に視点を据えて五人の話を語り始める。 五つの求婚難題謳の内の第一話、「仏の石の鉢」は、説話の原初形態が露呈したものと考えられて いる。先の五つの難題提出の部分と分ち難く結びついていて独立性が曖昧である.し、語り口が簡略で、 話自体も他の四話と比べて極端に短く、ほとんど潤色されていないと考えられる。また、他の四話と 一235一 違って、問題の解決はかくや姫の超人的な力による。つまりは、興趣に乏しく、.最高潮とされる第二 話と比べると格段の差があるのだ。 しかし、見方を変えてみよう。基本的な構造を考えたとき、第一話と第二話は非常に似ていないだ ろうか。 まず第一に、本物の難題物など見つけられるはずがないと考え、はなから難題物を探そうともせず、 偽物をでっちあげてかくや姫のもとへやって来る。しかし結局は偽物であることがばれて、結婚は叶 わなかった という話の骨子が両話とも同じであることに注意したい。原形説話の露呈と見られる 第一話と、求婚難題諦中の最高潮とされる第二話との違いは、語り口や潤色の巧拙にこそあるのであ り、第二話は、原形説話を殆どそのまま取り入れた第一話が拡大進化し、一層の奥行き・幅を得たも のと考えられるのである。 また、この二つの話で語られているのが、いずれも求婚そのものであることにも注意しなければな らない。前置き的に、偽の難題物を用意する求婚者の様子が語られはするが、話が本筋に入るのは両 話ともに、偽の難題物を携えての求婚者の訪問からである。持参した難題物には、かくや姫への求婚 の和歌が添えてあり、してもいない苦労を、難題辛苦の末に難題物を手に入れました、と姫に訴えか け、言い寄る男の様が描かれる。この部分を検討してみよう。 第一話=石作皇子は、石の鉢に「海山の道に心をつくしはてないしのはちの涙流れき」と歌を添え る。しかし、かくや姫はその超人的な力に因ってか、「置く露の光をだにも宿さましをぐら山にてな にもとめけむ」と、一目で偽物と見破り、出所までずばりと言い当てた。ところが皇子はそれに対し て少しもひるむことなく、「白山にあへば光の失するかとはちを捨てても頼まるるかな」と重ねて言 い寄るという、主に和歌の贈答で構成されている。 第二話=かくや姫は「われは、この皇子にまけぬべし」と一度は観念し、庫持皇子が珠の枝に付け てきた、「いたづらに身はなしつとも珠の枝を手折らでただに帰らざまし」という歌も沈痛な面持ち で見るだけである。皇子は、御簾の内の姫の耳に入るのを計算のうえで.’翁に自分の苦労話を語って 聞かせ、自分のアッピールにはさすがに抜目がない。それどころか、堂にいった騙しぶりで、翁は感 に堪えず歌まで詠む。一方、答えるとすれば承諾の和歌しか言い得ないかくや姫は、落胆して黙った ままである。しかし、急転直下、工匠たちの申し出で珠の枝が造りものだと知って、かくや姫は「心 ゆきはてて」歌を詠む。「まことかと聞きて見つれば言の葉を飾れる珠の枝にぞありける」この歌によっ て和歌が承応し、求婚シーンの枠が閉じる。 ともに、求婚者とかくや姫の和歌の贈答を求婚の柱としている。ここに描かれているのは、手を尽 くして言い寄る男と、なんとかしてこれを退けようとする女とが織り成す恋の場面、貴族社会におけ る丁々擾止の男女の恋のやりとりと同質のものだといえるのではないだろうか。当時、求婚の成否を 大きく左右したのは男女間の和歌のやりとりであり、さらにいえば、そのやりとりを中心として、男 がいかに風流かつ雅やかに自分の恋情を演出するか、片や女がいかに巧みに男をいなすか、であった。 ここに描かれているのも正にそういった世界なのである。 一 236 一 一 こう考えてみるとr竹取物語』の五貴人の話は、五つまとめて求婚難題潭と呼ばれてはいるが、そ の内容を見るとき、前二者で描かれるのは、難題潭を持たない、単なる求婚謳に近いものであると考 えて差し支えあるまい。なぜなら、求婚者は初めから難題物を手に入れる気はなく、偽物で済まそう としている為に、難題物を手に入れる経緯は一切語られず、話の中心となるのはあくまでも求婚者と かくや姫とのやりとりだからである。何よりも、偽物露見の後にも言い寄る石作皇子、という話の運 びが、この時点における難題の扱いの軽さを示している。求婚難題諺という話型の本来からすれば、 難題を果して初めて、求婚の資格が与えられるはずである。石作皇子や庫持皇子が偽物を用意したの は、何としても求婚の機会を手にしたいが為であった。とすると、石作皇子は難題物が偽物とばれた 時点で、求婚の資格を失うはずである。それなのに再度求婚の和歌を詠むということは、石作皇子の 厚かましさを表したという以前に、この時点では、物語にとって難題解決はなくても良い、というよ うな書き振りといえる。求婚難題謳では絶対的な条件である難題の達成だが、r竹取物語』では初め から絶対的支配力を持っている訳ではないのである。だから難題物に関して語られることはほとんど なく、あの庫持皇子の嘘の苦労話も、求婚場面の一端として語られたのであった。つまり、第一話・ 第二話で語られたのは内容的に言えば求婚謳だったのである。いいかえれば、色このみを描こうとし た作者の興味は、まず最初に貴族社会の求婚の現実を描くことに注がれた、ということである。しか し、形の上では難題を課せられた五つの求婚難題謳の内に含まれるのであるから、この二つは、「求 婚潭的求婚難題潭」と呼ぶことができよう。 亙 求婚諒からの離脱 「蓬莱の珠の枝」の段は、庫持皇子の嘘の苦労謳部分と、絶体絶命の窮地に追い込まれたかくや姫 の起死回生の結末、という起伏に富んだ筋だてによって、求婚難題謹の最高潮であると見なされてい る。しかしここで、求婚難題謹全体を見渡したときに、なぜ五つの話のクライマックスが第二話に位 置しているのか、という大きな疑問が生じる。全体の興味の効果から考えれば、五人目の石上麻呂足 か、あるいは原形説話で最後の求婚者と考えられる阿部御主人の話がクライマックスに相当すべきで ある。五つもある話の中で、二つ目が山場というのであれば、後の三話はあまりにも大きな蛇足とな りかねず、全体の均衡が損なわれること甚だしい。 私はこの、最高潮が第二話にあることを、求婚難題課に現れた第一の断層であると考える。説話的 伝統から見ればあるべきでない所にあるもの。これの意味するところを、第三話との比較において考 えてみよう。 三人目の求婚者阿部御主人と、前出の二人の皇子の違いは、この右大臣が難題物を手に入れるため に実際に力を尽くすという点にある。右大臣は、信頼できる部下小野房守を唐土に遣って、唐の商人 王慶に大金を渡し、火鼠の皮衣を探させた。やがて王慶の元より、世にも美しい皮衣が送られてきた。 王慶は、重ねて大金を請求してきたが、右大臣はかくや姫と結婚できる嬉しさに、求められるままに 支払って、早速翁の家を訪れる。かくや姫の提出した難題に正面から取り組み、ついに皮衣を入手す 一 237一 ることに成功した右大臣こそ、真の求婚者たる資格を手に入れたのである。心になんらやましい所の ない右大臣は、「やがて泊まりなむものぞ」と信じて、「御身の化粧いといたくして」やって来た。迎 えるほうの堰も、「この度はかならず婚はせむ」という意気込みである。求婚難題潭成就のお膳立て は総て整っている。 ところが。「なほ、これを焼きて試みむ」というかくや姫の言葉に従って火を点けて見ると、絶対 焼けないはずの皮衣は、めらめらと焼けてしまう。偽物だったのである。驚いたのは右大臣の方で、 こうなっては黙って帰るより仕方がない。こうして、正当な手段を講じた右大臣の求婚も失敗に終わっ てしまう。 この第三話は、前半に難題物入手の経緯が語られ、後半にかくや姫と右大臣とのやりとりが語られ るという点から、真に求婚難題謂といえる形を備えている。難題部分と求婚部分の分量もほぼ等しく、 均衡を保っている。しかしまた、第三話が第二話に比べて興趣に劣ると言われる原因はここにある、 とも言えよう。すなわち、第一・二話では作者の興味が一点に絞られていたのに対し、ここでは一つ の話の中に二種の趣向が同じウエートで取り入れられているが故に、作者の興味の焦点が分散し、作 品としても、二つの趣向のいつれにおいても盛り上がりの頂点を極めるに至らなかったのだろうと考 えられる。言い換えれば、前二者でほぼ求婚課だけに限られていた作者の興味が求婚調から離れつつ ある、ということになる。だからこそ、「火鼠の皮衣」段の求婚部分の男女のやりとりは、いかにも 精彩を欠くものとなってしまっているのである。「蓬莱の珠の枝」段で、「庫持皇子は、優雲華の花持 ちて、上り給へり。」という世間の噂を耳にしただけで、「『われは、この皇子に負けぬべし』と、胸 つぶれて思ひけり。」という窮境にまで追い込まれたかくや姫は、この段では、当の右大臣でさえ本 物と信じて自信満々で持参した皮衣を目の前にしても、何ら狼狽することもない。「うるはしき皮な んめり。わきて真の皮ならむとも知らず。」と、あっさりと言い、試みに火を点けて皮衣が燃えると、 「さればこそ。異物の皮なりけり。」といって喜ぶという描かれ方である。まるで偽物と知っていたか のようなかくや姫のこの描かれ方は、人間的情感に乏しく、第一話の仏の御石の鉢に退行してしまっ たも同然である。これまで求婚部分の山場となってきた、男女のやりとりの妙味というものを全く描 いていない。それはつまり、作者に求婚潭的なものを描く意向が失われたということであろう。五人 の求婚者が雅な演出を凝らして集う場面から始まった求婚難題護は、それに直接続く路線をとって、 第一・二話と男女のやりとりを中心として語られた。しかし、第二話において求婚場面を見事に描き 切った作者は、第三話では求婚を描くことに対する興味を急速に失ったと考えられよう。そこで新た な趣向として難題物入手の経緯を描いてみたが、これもこの段階では成功したとは言いがたい。この、 行き詰まって、興味の絞り所を失い、筆がたゆとうている状態を、第三話に見ることができるのでは ないだろうか。 ひいては、最高潮とされる第二話と第三話との間に見られる断層は、求婚を描くことに対する作者 の興味が失われ、他へと移行しようとする、作者の興味の動きによって現れたものだということがで きるだろう。そこで次に問題となるのは、求婚から離れた作者の興味はどこへ向かったかということ 一 238一 である。 皿 物語世界の拡大 これまでと同様の見方をすれば、第四話「龍の頸の珠」を特徴づけるのは、求婚諌を語らずして難 題謹のみを語っていることであろう。そして更に特筆すべきは、この段は、五つの求婚難題課の中で 唯一、かくや姫の登場していない段だということである。女主人公の不在は求婚の場面の消失を意味 するばかりでなく、この小話が、物語全編の主人公たるかくや姫から全く離れたところで語られるこ とを意味する。勿論、このようなことは『竹取物語』中初めてのことである。強力な女主人公かくや 姫は物語全編にわたって、常に中心にいるべき存在である。この主人公を失って、「龍の頸の珠」は尚、 「蓬莱の珠の枝」に匹敵し得る興趣豊かな段であり得ている。では、そこまで読者を引き付けている のは一体何なのだろう。 この段全体で語られている難題物入手の経緯は、前段「火鼠の皮衣」前半部分の路線を拡大延長し たものと考えられよう。よってまず、第三話の難題謳的部分には何が見られるか押えてみよう。第三 話のこの部分を第一・二話の求婚謹的求婚難題謹と比較するとき、まず目につくのは脇役たちの活発 な働きである。「仏の石の鉢」の登場人物は、かくや姫・求婚者石作皇子・仲介役の翁の三人きりで あるし、「蓬莱の珠の枝」でも、最後のどんでん返しに漢部内麻呂をはじめとする六人の工匠が登場 する以外は、この三人を中心として物語が展開していく。とはいえ、このどんでん返しに登場する工 匠の代表に、端役でもあるにも拘らず「漢部内麻呂」という名が用意されているのには注目してもよ かろう。『竹取物語」には端役に至るまで尤もらしい名が付けられているという特色があり、一般に これは、「これがかつてr昔』の世に実際起こった事実を語る話なのだ、という建前をとっているため」 (注13)と考えられている。 この端役の命名は、漢部内麻呂以前にはかくや姫の名付け親「御室戸斎部の秋田」の一例があるが、 特に漢部内麻呂以降において端役の活躍の場の拡大とともに、目立って様々な人物が登場してくる。 例えば第三話前半では、小野房守と王慶が重要な役割を担う、というように。そして、初めて求婚者 に実在人物名が用いられるのも、これとほぼ期を同じくしていることを忘れてはならない。 先に私は、五人の求婚者の内の前二者にはいかにも難題物と関連深い名を付けて、後三者には明ら かな歴史上の実在人物名を用いているのは何故か、という疑問を提出した。これは、求婚難題謂にお ける第二の断層である。そしてこの第二の断層が第一の断層と同じく、第二話と第三話の間に現れて いることには、非常に興味をそそられる。この二つの断層は、実は同じ原因に端を発しているのでは ないだろうか。つまり、三人目以降の求婚者に実名が用いられるようになった原因も、作者の興味が 求婚を描くことから、難題謂的部分を描くことへと動いて行ったところにあるのではないかと考えら れるからである。それでは、難題謹的部分において実名が使用され、名前をもつ端役たちが活躍する ことは一体何を意味するのか。 第四話『龍の頸の珠』において、脇役たちの活動はますます活発になる。しかしそれにもまして活 一 239一 躍が目立つのは、当の求婚者大伴御行である。右大臣阿部御主人が、自分は動かず家来を使って難題 物入手を計ったのに比べて、大伴御行は、初めこそ家来を使おうとしたが、成果が無さそうなのを見 て取って、もはや人に任せてはおれないとばかりに、自ら龍を求めて海に漕ぎ出すのである。 この大伴御行の独断的で行動的な人物像。これこそが、第四話の推進力となっている。かくや姫と いう女主人公を失った小話は、求婚者大伴御行の強力なパーソナリティーによってまとめ上げられて いく。その際、大納言を取り巻いてその行動を更に際立たせているのが、日和見主義の家来たちであ り、舵取りであり、「ほほ笑みたる」国の司であり、あるいは前夫の失敗に「腹を切りて笑」う「離 れ給ひしもとの上」なのである。「求婚」から離れ、「難題謳」へと移ることによって、物語世界は格 段の広がりを見せている。「龍の頸の珠」に現れた脇役たちは、もはや貴族世界に属する者に限られ ない。元来、変化の人かくや姫の求婚に相応しい男性は当代一流の貴族でなくてはならず、その求婚 を描いている限り、物語は貴族社会から抜け出ることは出来なかった。作者の興味が難題課へと動い たからこその、物語世界の拡大なのである。それは同時に、作者の現実認識が、限られた貴族社会か ら、一般社会までをその視野におさめるほどに成長して来たことを示す。求婚者の実名使用や脇役の 命名は、この、作者の現実認識の発達に伴って現れたものと考えられよう。そして、この拡大した世 界「龍の頸の珠」で現実を見据える作者の目が把えたのはまさしく、一場面的な主人公大伴御行の人 格であり、行動であり、生き方であった。強烈なパーソナリティーを持つ個人が描かれ、追究された のだと言っても良いだろう。 N 人間把握の深化 この大伴御行が「大伴氏=武勇の人」という性格規定を持って語られていることには既に触れたが、 彼は、ついにはこの規定された性格から脱却する。いや、パーソナリティーの深化と言ったほうがふ さわしい。 大伴氏が、武勇の一門であることは、だれよりも大伴御行自身が堅く信じていた。だからこそ、龍 の頸についている五色に光る珠、と聞いても自信満々、「わが弓の力は、龍あらば、ふと射殺して、 頸の珠は取りてむ。」と、舟に乗り込むのである。ところが海に漕ぎ出すと、大嵐に見舞われた。大風・ 大浪、あまつさえ雷まで鳴り閃く。「龍殺さむと求め給へば、あるなり。(中略)…はや神に祈り給へ。」 という舵取の言葉に、大納言は一も二も無く従って、「寿詞をはなちて、立ち居、泣くなく呼ばひ給 ふこと、千度ばかり」であった。その甲斐あってか嵐は止み、順風に乗って舟は明石の浜に漂着した のである。しかし大納言は先の狼狽未だ冷めやらず、恐ろしい野蛮人の住む南海に流されたと思い込 んで寝込んだきり、という醜態であった。 大納言の「武勇の人」としての性格規定は、たった一度の試練によって脆くも崩れ去ったのである。 しかし、大納言のパーソナリティーを追う作者は、これで終わらせることはしない。 大納言が散々な目に遭って帰って来た、という噂を聞き付けて、龍探しをするでもなく、金だけを 山分けして姿をくらましていた家来たちも戻って来る。 −240一 「龍の頸の珠をえ取らざりしかばなむ、殿へもえ参らざりし。珠の取り難かりしことを知り 給へればなむ、勘当あらじとて、参りつる」と申す。大納言、起き居てのたまはく、「汝ら、 よく持て来ずなりぬ。龍は鳴る雷の類にこそありけれ。それが珠取らむとて、そこらの人々、 害せられなむとしけり。まして龍を捕へましかば、またこともなく、われは害せられなまし。 よく捕へずなりにけり。かくや姫てふ大盗人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家のあたり だに、今は通らじ。男どももな歩きそ。」とて、家に少し残りたる物どもは、龍の珠を取らぬ 者どもに賜びつ。 何もしなかった家来たちに褒美を与えたというのだから、大納言も随分椰楡して描かれたものであ る。しかし、重要なのは、ここで作者が大納言に、「かくや姫てふ大盗人の奴が、人を殺さむとする なりけり。」と、初めてかくや姫の価値を否定する言葉を言わせていることだろう。変化の人たるか くや姫は本来ならば、物語において絶対的な最高の価値を置かれるべき存在である。大納言のこの言 葉は、かくや姫を思い切ろうとする武人らしいきっぱりとした態度ともいわれており、「己れの弱さ に居直ってみせる人間の姿を描いたもの」(注14)とも解されている。しかしむしろ、大伴御行の武 人的な外面の把握から、更にその内実にある臆病な人間性までを透かし見るに至ったのだと考えたい。 それはまた、説話的な「型による人間把握」の流れを汲む「冒頭の性格規定」から離れ、「人間のパー ソナリティー」を肯定したことも意味しよう。このパーソナリティーとは「武勇の人の中にある怯儒」 という複雑かつ深遠な人間性であり、「絶世の美女かくや姫よりも、自分を取り巻き、消極的にでは あるが結果としては自分を救ってくれた家来たちに重きを置く。」という価値観の変化をもその範囲 に含んでいる。作者は、難題諏的部分を通し、現実の社会に生きる一人の人間の行動を追うごとによっ て、人間とは、体験を通じてこのように広い範囲で変化成長し、また、一身の内に幾多の相反し或い は錯綜する性格を有する存在であり、決して説話的人間把握に見られるような一面的な存在ではない ことを知るのである。 V 社会的視野の獲得 もし、「大伴御行の大納言は…」という第四話の冒頭部分に、私の考えるように性格規定を含むと 見るとしたら、五つの話の内、冒頭で性格規定を与えられていないのは、最後の石上中納言だけであ る。そこで、この中納言の人物像を考えるとき、我々ばどのような印象を受けるだろう。 結論から言ってしまえば、この中納言はあまりにも没個性的だということになる。主体性が無い性 格と言えば言えないこともないが、どう考えても、この小話全体の主人公として物語を引っ張って行 くだけのパーソナリティーはこの中納言には見られない。この段は、難題謬的部分が中心となってい る。かくや姫との交渉は話型の枠外に付加されたものとして慮外に置くと、話型としては、第四話と 同じく難題謳的求婚難題諏といえる。しかし、前段には一場面的主人公として大伴御行が置かれ、作 者の目はそこに注がれていたのだった。この一場面的主人公すらいなくなってしまったとなると、作 者の視点は一体どこに据えられているというのだろう。 −241一 この最終話も一応は、求婚者石上麻呂足を中心として話が運ばれていく。しかし麻呂足は、「大炊 ・寮の飯炊く屋の棟に、つくのあるごとに、燕は巣をくひ侍る。」と聞いては、そこに人を遣って見張 らせ、それでも一向に効果が無いとなると、今度は倉津麻呂という翁の案を採用するという人物であ る。見方によっては、部下の忠告を良く取り入れる心の寛い人物、と把えることも出来よう。しかし、 自分で考え、忠言の良悪を採択することなく、ただ言われるがままに取り計らっては喜んでいる、と いうのでは、全く凡愚に過ぎよう。五貴人潭は全体に貴族を謁刺する傾向を持つとはいえ、ただ人の 言いなりになる人物というのでは、誠刺としての効果も薄い。よって、話の中心に居るのは中納言で あっても、前段とは違って、作者の筆は求婚者を描こうとしているのだとは言い難い。むしろ、作者 は事の成り行き自体を描こうとしているように思えるのだ。この小話の求婚者は、話をひっぱってい くだけの強いパーソナリティーを持たない。かといって、他の誰かが代わって話の推進者となるわけ でもない。ここで描かれるのはもはや明確なパーソナリティーを持つ個人の行動では無く、難題に取 り組む人々の在り方であり、社会的な視野から見た、ある事態に対する人間の行動の有り様だといえ よう。石上麻呂足は、ただその場面を纒めるための、いわばアクセントに過ぎない。 倉津麻呂の進言に従ったのはよいが、子安貝はなかなか見付からない。痺れを切らした中納言は、 自ら籠に乗って燕の巣を探り、子安貝らしきものを握った。しかしその途端、綱が切れて真っ逆さま に落ち、腰の骨を折ってしまう。しかも子安貝かと思ったものは、貝ではなくてただの燕の古糞だっ た。そこで、意に反することを「かひなし」というのだよ、とお得意の語源諜で話は締めくくられる。 しかし問題なのは、このすぐ後に瀕死の中納言とかくや姫との和歌の贈答が語られていることである。 これまでのように考えてくれば、これは一見、第三話と同じく難題謬の次に求婚課が語られる形であ る。しかし、ここでの和歌贈答は、女の側からの贈歌で始まっている点、一般の求婚の形式からはは ずれ、もはや求婚諌として語られているとは言い難い。また何よりも、中納言は子安貝を入手出来な かったのだから、求婚者としての資格を持たないのである。多くの研究者がこの部分を、主題に関わっ てくる部分と考えて重視しているが、共通しているのは、この部分が話型外におかれた付加的部分で あるという見解である。よって、この部分については後に稿を改めて、物語の後半部分と関連させた 上で考えることとし、求婚難題謹としての扱いは、「かひなし」の語源諺までとしたい。 結 語 以上に述べてきたことを総括するために、求婚難題諺五話を「求婚謳的」・「難題諺的」という二 つの内容傾向から分類してみると、次のようになる。 。第一話 求婚潭的求婚難題潭 ・第二話 求婚潭的求婚難題潭 ・第三話 求婚難題課 ・第四話 難題謳的求婚難題潭 一242一 ・第五話 難題謳的求婚難題課 これに明らかなように、今まで求婚難題謳という一塊のものとして捉えられてきた五つの話は、内 容的には求婚諌的なものから難題謳的なものへと推移を示している。今まで原話の最後の求婚者とし て捉えられていた右大臣阿部御主人が、前二者から後二者への橋渡しの役を担うこととなり、位置的 には両者の過渡的状況を示すことになっていたのだった。そして、求婚護的なものから難題謳的なも のへという話型的推移は、色このみ貴族たちの求婚のやり取りを描き出そうという作者の筆を、その 話型の動きに乗せて、まず個人としての人間を追う方向へと導き、更に、人間社会そのものを高所か ら見渡す視点を獲得させていった。そしてまた、その推移の根底には、次第に深められて行く作者の 現実認識があった。難題物入手をめぐってそれぞれに活躍する人間 そこでは中納言も、ぐっと身 分の低い倉津麻呂も、ただ子安貝を求めて右往左往している。この広い視野から世界を見渡したとき、 作者の目が捉えたのは、個人ではなく「人間」であった。社会の中で様々にうごめき生きる「人間」。 果してそれはどのような存在なのか 。ここに至って、作者の目は、天人女房諌後半部からクライ マックスに現れてくる本作品の主題へと開かれていくと考えられる。 求婚難題諦部分はこれまでに、ただ物語の分量を適当なものにするために挟み込まれたものだとす る乱暴な見解を持たれたこともあれば、この部分こそが『竹取物語』の主題を担っているのだと高く 評価された時もあった。現在では、『竹取物語』の主題を担うのはやはりクライマックス部分の「天 の羽衣」段であるとされる。そして、この結末部に現れる主題性は、物語の発端から、相当な分量を 占めている求婚難題諌を経て育まれたもののはずである。しかし、今まで、求婚難題課部の主題性へ の関わりが論じられることはあまり無かったようである。本稿では、求婚難題諏内部にも話型的な変 遷があることを指摘し、その話型の変化に従って作者の興味の焦点・描こうとするものも刻々と移り 変わり、最終的に、作品全体の主題へ直接結び付く視点を獲得したことを明らかにしたつもりである。 『竹取物語』は、求婚難題謳を通じてこそ初めて、天人女房課前半よりも格段に深化した、人間存 在の「現実」を踏まえた上に立つ浪漫的世界を描き出し得たのであった。 註 1) 例えば西郷信綱氏は、r竹取物語』の「世態小説」的一面を承認し、その作者は「身分的下級貴族」 であるとする。西郷氏は更に、「作り物語なるものは、古代貴族が自己の階級的没落を代償とし、その 没落の中でもつに至った文学形式」といっている。「竹取物語の文学史的位置」r日本文学』S24・7月 日本文学研究資料叢書『平安朝物語1』所収。 2) 『竹取物語』の話型の構成や文体、及びそれらの崩壊については、阪倉篤義氏が述べている。「竹 取物語における『文体』の研究」『国語国文』S31・11月 日本文学研究資料叢書『平安朝物語1』所収。 3) ただし、天人女房謹前半部における作者の伝奇性への興味は、この話型自体が持つ強い伝奇性にひ かれたものに他ならない。 −243一 4) 柳田国男は、求婚難題課部が他の説話には見られぬことから、ここを作者の創作部分とした。(「竹 取翁考」r国語国文』S9・1月 日本文学研究資料叢書『平安朝物語1』所収)しかし、求婚難題諌 の各小話を見ると、難題と求婚という型は、いわゆる「難題i卑」の話型として古くは『古事記』にも見 られるし、第一話などは、歌物語ともいえそうな求婚場面である。やはり、先行の素材を生かした創作 という意味では、天人女房諌も求婚難題諌も同じ位相にあるといえよう。 5) チベットの説話「斑竹姑娘」も、五人の求婚者という構成をもつが、この説話は『竹取物語』との ︶ 6︶ 7︶8 Qゾ ︶ 影響関係が明らかではないので、ここでは敢えて触れないことにする。 三谷栄一r物語文学史論』S40・10月、有精堂。第四章物語と民間文藝 一、竹取翁の文学。 以下、本文は全て 新潮日本古典集成『竹取物語』による。 野口元大 新潮日本古典集成『竹取物語』Pl39。新潮社S54。 日本古典文学大系r古事記・祝詞』岩波害店S25。 「天孫降臨」 故爾詔天津日子番能魍魍藝命而、離天之石位、押一分天之八重多那虹字以音。雲而、伊都能知和岐知和 岐旦、自伊以下十字鵬。於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯ヨ、自宇以下十一1跡以音。天一降坐干竺紫日向之高千 穗之久士布流多氣。自鰐下熔賠。故爾天忍日命、天津久米命、二人、取一負天之石靱、取一偲頭椎之大 刀、取一持天之波士弓、手一1爽天之眞鹿兜矢、立御前而仕奉。故、其天忍日命、賭大髄等調。天津久米 命、此轍米欝之馳。 「神武天皇 東征」 爾大伴連等之耐、道臣命、久米直等之祖、大久米命二人、召兄宇迦斯罵署云、伊賀此二字1焙。所作仕 奉於大殿内者、意禮此二字以音。矢刺而、追入之時、乃己所作押見打而死。爾即控出斬散。故、其地謂 宇陀之血原也。 10) 『新編国歌大観』No 4116、日本古典文学大系 『万葉集』第4巻(巻第18)4094 ・右の一一・一首は、大伴宿禰家持作れり。 陸奥國より金を出せる詔害を賀く歌一首。 (前略)…大伴の 遠つ紳租の その名をば大來目主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水 浸く屍 山行かば草生す屍 大鱈の 邊にこそ死なめ 顧みは せじと言立て 大夫の 清きそ の名を 古よ 今の現に 流さへる 租の子等そ 大伴と 佐伯の氏は 人の耐の 立つる言立 人の子は 租の名絶たず大右に 奉仕ふものと 言ひ纏げる 言の職そ 梓弓 手に取り持ちて 劒大刀 腰に取り楓き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守護 われをおきて 人はあらじ と 彌立て 思ひし埆る 大君の 御言の幸の 聞けば貴み 11) 日本古典文学大系 『日本香紀』下巻 ・「持統天皇十年」 庚寅に、假に、正廣蓼位右大臣丹比眞人に、資人百二十人賜ふ。正廣騨大納言阿倍朝臣御主人・大 伴宿禰御行には、並に八十人。直廣壼石上朝臣麻呂・直廣試藤原朝臣不比等には、並に五十人。 12) 田中大秀 『竹取翁物語解』巻一 国文注釈叢書本P109。 13) 8) と1司書Pl87。 14) 8)と1司書Pl44。 一244 一