...

Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

by user

on
Category: Documents
19

views

Report

Comments

Transcript

Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title
彙報 : 一九九三年一月より一九九三年十二月まで
Author(s)
Citation
Issue Date
URL
東方學報 (1994), 66: 531-541
1994-01-31
https://doi.org/10.14989/66747
Right
Type
Textversion
Article
publisher
Kyoto University
班
秦
研
究
良
辛
な理解 を めざそうとす るも のであ る。見渡的な方
法と しては出土文物、石窟寺院など の沸教美術'
代 を扱 い' この時代 の美術全般 に ついてより精確
究鼓 は、 六朝を中心 に後藻、隅唐時代 を含 めた時
一九九三年 l 月 より
一九九三年 二 一
月ま で
班長 高 田 時雄
i九九〇年 四月 から三力率 の激変 で始 ま った本
中国語史 の資料 と方法
告 諭 や豊 漁など の嚢術論を三本 の柱 に取 り上げ る
こと にす るO今年 は班員 及び招請研究者 紅よる各
々専門分野 におけ る以下 のような研究費麦 を行 っ
たO また併 せて造像記と薮術諭 の合議 を行 い、造
に基づ いて報昔され、討論 された三年間 の共 同 研
像記として甘粛省南石窟寺務、崇顧寺碑 (
香木泰生
研究班 は'本年三月を以て終了した。標記 のテー マ
資料と方法﹄ と して刊行 の濠定 であ る。
究 の成果 は 1九九 四年 三月 の論文集 ﹃
申園語兜 の
いて
藤岡
松 田誠 一郎
フィールド美衝館併威
凍
絶景
塘鷺)
、寒 山賓泉等石窟 造像記 (
大内文雄捧僚)
へ
垂 衝論 と し て薬草 源 ﹃
貞 敬公私董史﹄ (
木島史 雄
糖蜜)、﹃
梁武帝輿陶隠居添書啓﹄ (
下野健兎塘禽)
つ
・
ク メール併教美術調査報告
シカゴ
彫刻 に
五月 1七日 アジ ャンク-第十七嚢 の五趣生
死輪園 に ついて
定金 計攻
・.
[月 -四 日 六朝金銅俳 の何箱 に ついて
四月 二六日 六朝書蔓 におけ る萄術 の成立
骨布川 寛
四月 一九 日 イ ンド美術 調査報告
積木 寮生 ・山名 伸生
二月 二二日
二月 一五日
を取 り上げ た。
一月 二五日 北響堂山石窟 の源流
鄭
中国語音韻史 の研究
班養 高 田 時雄
今 年 度 よ り 五 カ年 の計 霊 で始 ま った本 研究 班
は、 1敗 の番 目 には著錬 され ること の稀 な明酒 の
韻撃関係 の書物 を取 り上げ、序錠 や凡例 の合議 を
通じて、明清 の虫
垂 を辿 ろうとす るも のである。
最 終的 には、 ﹃小学 考﹄ の裾 綿とも いう べき明清
の音韻筆書 の提要 の作成を目的とす る。今年度 は、
﹃
教武正哉﹄ (
佐 々木猛擦嘗)、﹃
玉音通俗義﹄ (
岩
田憲 章捨嘗) の序抜、凡例を議 了 した。以後 の合
議濠定資料 および緒像潜 は以下 のと おりO
西儒耳 目資 (
高 田時雄)、五万 元音 (
木津筋子)'
尊 顔 一得 八
東放 昭文)、寒波音義便考私 編 (
平田
昌 司)
、切童聾原 (
佐藤晴彦)へ山門新語 (
木 田孝
義)p音韻 日月燈 (
岡島 昭浩)
'轟寧集成 (
漆原達
那)
'
李氏音鑑 (
森賀 i恵)、潮聾 十五音 (
着用雅之)
O
丑長 骨布川 寛
一九九〇年 四月 から 五年 の計童 で始 怒 った本研
六朝美術 の研究
昔
南
秀雄 ・永島 曙臣慎
中野
徹
六月 二六日 北朝鮮 の高旬欝壁蓬古墳 調査報
蕪
古 田 威 1g
藤岡
松 折紙 .i郎 ・山名 伸生
四日 訪中 調査報告
六月 二八日 河北磁隣地匠 の北賛陵墓壁書
一〇月
一日 北賛校書園 に ついて
河野
追屠
一
〇月 一八日 歴代名書記 から歯茎見開誌 へ
大野 修作
二 月
11月 1五日 六朝蛮衝諭 におけ る束 の位置
宇佐美文理
二 月 二九日 高旬葉音城壁憲 の構成とそ の意
味
南
秀雄
法務侍研究
班農 薬山 正進
法厨 の行歴記 は、昔時 の中央 アジ ア' イ ンド の
燐教事情 を活寓 して いる三 九世紀 の併浮注 一例r
は葦巽 ﹃法顧俸校 注﹄ 上
( 海舌
籍出版赦、 ti九 八
二〇世紀初 め の英謬注三例' 日本語語注 二例があ
fda
t
e であ るO首班
るけれども、 いず れも outo
五) をテキ ス-にとりあげ、そ の注を讃 み つつ、
これら の諸謬な紫合 し、 また ﹃水練注﹄ の記事 を
てそ の内容 であ る五位紀 の中央 アジアとイ ンドを
参 照して 捻 るべき現代語諸を作成す るoあ わせ
班員 の専門分野 であ る歴史、言語'宗教、考古へ
の合議分接 は以下 のとおり。高 田時雄 (
序 から校
美術など の多角線鮎 をも って検討す る。班員とそ
注詮明ま で)'森安孝夫 (
干関 ま で)'青 田豊 (
渇
で)
'小野浩 (
那渇 から沙紀大園ま で)'入浮崇 (
拷
叉 から陀慶 ま で)、春 田稀郎 八
島義 から弗榛抄 ま
薩 羅食衛 園 から勝敗泥短慮 ま で)、中 谷英 明 (
枇
5
31
方 撃 報
東
舎灘 から軒沙 王者城 まで)、武内露人 (
倣耶奴 か
ら多摩梨帝まで)
、井狩帝介 (
師子園)
'翁葉構 (
拷
海東渡)
、舶 山徹 (
高僧俸中 の決断、智厳、資 質
の簿記)
'榎本文雄 (
経線等)
。本年 は入薄分捨箇
餅を終了し、中谷分櫓 の途中まで検討 したO
前近代中国の法制
丑長 梅原
郁
前近代中国 の歴史 の中 で 「
法律」がど のよう に
形成され展開 してい ったか、また他 の歴史世界と
比較 してど んな特性を持 っていたかと い った関 心
のもと に、先泰時代 から稀代 に至るまで幅鹿-多
様な問題を追及しているo共通 のテクストと して
は、新出 の教燥漠衛と、本所が蒋統的 に研究を進
めている敦短文厳 の法律軸係 の資料を使用してい
る。
「五経異義」 に見える周縫紋 に
ついて
田中麻紗 巳
中歯古代惑制研究
班長 小南 一郎
最終年麦を迎えた本研究 は'従来 に引き蹄き、
「
周磯」春宵鹿を唐 の賓公慶 の魂 で磯 み、経文 お
よび鄭玄 の注 に語注を附けた。本年度 は'音楽 に
関係す る部分を蔑 み終わり、占 いを つかさどる太
卜 の職まで蔑 み進 んだ. こうした詳注 の食事と並
行 して、班員 による次 のような研究報潜が行われ
た。
1月 二六日
二月 二三日 発給 について
末永 高康
五月 二五日 周蔵 のブラソス語評をめぐ って
森賀 l恵
六月 二二日 甲骨文第 五期 の友紀周条経絡 を
めぐ って
凍原 達郎
九月 二八日 度 日休 の 「
禰周鰻九夏糸文」 に
ついて
愛甲 弘志
1一月三〇 日 藻 二 ハ朝 の塞座を めぐ る墓葬形
訴訟と裁判 の賓際 美馬
途
二日 寓暦捜朝 に関する諸問題
相野 昌子
制
骨布川 寛
今回 の研究 では'「
周痘」春宮篇後 年 の、占 い
や衣祝 に踊わる部分な蔑 み残す こと にな ったが、
そ の部分 の詳注作業を、清爽も漁讃 した いと考え
ている。 濠た、教員 の研究報潜 に基づき、中園 の
憩潮、鎧撃'祭妃儀薩などをめぐ る論文集を'釆
年度中 に出版す る濠定 であ るo
明末清初 の祉膏と文化
班長 小野 和子
四 カ年計憲 で始 ま った研究 渡も第 三年度 に入
り、折り返し鮎 に適 したので、今年度 は研究報告
を中心 に研究合 を運営 したO王朝交替と いうド ラ
ステ ィ ックな展開 の中 で、梯力構造 ・政治過程 ・
国家財政 ・地域鹿骨 ・民衆 の意識など'様 々な角
度 から給藩が深 められたo報潜 のテー マは以下 の
如く であ るQ
l月 1九 日 明末清衡 の出版業界
井上
造
1月 二六日 園合圏書館痕太湖廉原案 に見 る
二月
二月 九 日 明末囲家財政 の 一面
谷 n規矩嫌
四月 二〇 日 天啓初年 の政局
小野 和子
四月 二七日 崇 繭七年 ・安慶府桐妓解 の荘園
華 ・黄変鼎 の乳 について
寛
吉尾
五月 二 日 閑千明末農民戦争的繭僚問題
南
柄支
五月 3八日 明代後半期 の上秦文鹿渡機構
横井 俊 郎
五月 二五日 明代後期贋州市的樽 型輿珠 江 三
一
日
日
角洲 致合奨蓮
薫
顕恩
」(
巧 1日
明
菜
清
初
江
南
之
常
盤
輿
牡
合
元玲
趨
六月
八
「
衝」考
大洋 轟浩
」(
目 dL五
十五倣紀中期 「
欧亜大不況」 の
なかの中国と東 アジア
W .S.At
we
L
l
六月 二二日 清代 の地方衝と政 書
谷井 陽子
六月 二九 日 酒代前年期的商品流通
許
檀
九月 二八日 順治時代政治史試論
谷井 俊 仁
〇月 五日 絡役と財政 のあ いだ
岩井 茂樹
1
0月 二 一日 崇鋲十七年 の 「従辿」問題と江
南敵脅
岸本 三緒
〇月 1九日 十 二- 十六世紀東 アジアにおけ
t
る銅鏡 の流布
大 田由紀夫
0月 二六日 都市虞州と カ ソト ン ・システ ム
1
相馬
進
二 月 九 日 晴代江南民衆 の水路舟 蓮
松浦
牽
一一月 一六日 中 日文化交流史 から見 た読本と
中園明清小溌
李
樹果
批評 ﹃
梯如是別席﹄林
紅
二 月三〇 日 明清江南 の絶管信仰
渡島 敦 俊
中国技鯨史 の研究
文長 田申
渡
本研究淡 は、 1九九 一年 四月 から向 こう五億年
の濠定 で、中園 の博銃的技術 の特質 について'と
く に生活科挙 ・技術 の関連分野を主たる対象とし
5
t
'
)
'
3
報
嚢
てと りあげ なが ら、検討 を加え てゆ こうとす るも
のであ る。鷺 簡'研究歯 は技術史 全般 に関 わる分
の構成 を と り'前 者 は元 ・重 税 の ﹃
農書﹄'後者
野 を主と し、関連 の特定分野を副とす る 二本だ て
に梁 啓雄輯 ﹃
哲匠簸﹄亀山簾 をそれぞれ テキ スト
に選び、合意 ・詳 注作成 をすす めてゆく藻定 であ
る。 またへそれと並行 して、技術史 の諸分野 にわ
九月 二八日
Chi
nese
村上 嘉葦
Pal?
e As
t
r
onomi
cat
h
eStudy ofVari・
Recordsand t
a
笹本
t
i
o
noft
heEa
r
t
h'sRotat
n
i
o
斡
武
1二月 l四日 東 アジ アにおけ る甘薯栽培技術
番 の成立と流布 紅 ついて
渡部
吉川 忠夫
いて
愛宕
元
九月 二九 日 終制 に見 る喪葬 の儀鰻- 「
金墳
子」絡御簾 を中 心 に
紅 ついて
八日 生 七蘭と十王経
船山
小南
徹
1郎
10日 一三日 高麗 事 富者
矢木
毅
〇日 劉宋時代 にお汁 る菩薩戒 の受容
二 月一
一二月
秦 蔑降唐 の文物資料
班長 砺波
素
木研究 では昨年 に引き寮き'備選水曜 日 の研究
歯 で出 土文 物 に関 す る班員 の研究 渡 来が 行 われ
た〇九三年 の吏表題 日 は以下 の通り。
1月 二〇 日 西域交易 ・銀貨溌通 への河 西地
方 の闘輿
井上 徳子
年間 の陶弘景
褒谷 邦夫
二月 三日 梁天監十 八年紀年銘墓薄と天監
二月 一七 日 三老趨寛碑と藻代 の三老
鷹取 鮪司
四月 二 一日 唐代 の適所関係葉巻と勾検制
鱒
」をめ
T .Bar
r
et
t
砺波
護
中村 重商
五月 丁九 日 六朝墓出土鏡幣
六月 二日
従
劉
綾
動
向
看
士
族
遷
移
田
飴慶
イギ リ スの中国寧
ぐ って
荒牧 典俊
「
新出」 の開 閉三寒知墓誌 につ
磯教初
六月 〓 ハ日 率園 におけ る 「
六月 三〇 日
二月 山九日
健
川井
清
一九 二〇 年代 の 「闘粋 」 ハ
その
食か
ら登園経済素魚食 へ-
二月 五日 O.Tod
dを めぐ って∼華洋義賑
として林原 文子
一月 二九 日 五四青年群像-新 潮グ ループを
中 心 に小野 借爾
一月 二二日 民国初年、商 工業者 の産金反封
連動丁津浦織渚産 金反撃
例
あ た っており'近く考 の研究成果 を費表す ること
にな ろうO
年 の嘗該時期 には、以下 の研究報告を行 ったO 五
年間 の番額 をもと k
ir 目下各班農 が論文 の執筆 に
なおそうと したも のであ る。最轟年度 にあ たる本
I九 二〇年代 の中国
班長 狭間 直樹
本研究食 は'研究す る時期を 「二
〇年代」 にし
ぼ ること によ って、時代史的 視角、および世界史
の共時的 鋭角 から鼠民革命期中 国 の諸相 をとらえ
班長 荒井
中国文人 の生活
班長 香川 忠夫
大朝道教 の研究 ∬
たる班員 の研究費表 を随時行 ってゆ-。標記 の期
間 に、﹃
農畜﹄農賂豊 岬・采兼門、頗濁門、鏡絡門、
﹃
異論﹄七篇 全 二十巻 の合議 をひき績 いて行 い、
第十 三番 ・第十 四奄稽両極第 三 ・四 の評 注を完成
1九九 7年度 より 二年間、幸中国 の文人 の生活
全般 についてへ練合的 に検討してきた本姓 は'今期
各分 野 の研究報薯および討議 を行 いへ九三年 三月
に研究終了した.成果 は論文集 「
中華文人 の生活」
と して、「
長物志し評注ととも に公刊濠定。
- スライド併映- 坂出 群伸
藻代塞像 石 の建築 ・生活表現 に
骨布 川 寛
武
した。稽 紳梅篇 は茅 山 の宗教地理 に関す る葦 であ
るO
杵白門、倉庫門t の評注を自移悦雄 ・葺東湖 ・福
田美穂 ・中 島長文 ・大 平桂 l ・橋 本敬 造、 ﹃哲匠
録﹄象山 の校補 ・語注を外村中 ・森村謙 一・小林清
市が それぞれ塘営 した。 また、左記 の研究費表が
行 われたO
二月 二日 詩注 のな か の動物観 -虎豹 を食
小林 清市
う怪樹∼
二月 一六日 比較造園史上 における い- つか
の源似 の事象 に ついて
横山
正
二月 二三日 江南園林蓉術原 理 揚
場新
11日
三月 二日 日本庭園 にみる挙国趣味 の影響
龍居竹之介
〇 日 南朝 の建康 に ついて
四月 二
外村
中
四月 二七 日 塞澱客家民奄風水 の調査 の報 嘗
六月
ついて
六日 廃園と簸力者 たち (
演)
渡部
六月 二九日 巽南少数民俗 の暮 らしと生 産用
具- スライド僻娩-
七月
I
,
;
3
L
'
)
1
方 寧 報
東
三)∼ 「
唯情哲学」 の形成 に於
ける ﹃
革命哲学﹄ の位置森
紀子
梁啓超 の研究1 その日本を媒介 とした西洋近代認
誰に ついて班長 純開 直樹
梁啓超 の
本年度 より三カ年 の濠定 で開始 した 「
研究」は'中国 の近代世界認識形成、および近代西
洋寧術文化 の藩取 に多大な貢献 をした梁啓超 の役
割 に主眼をおいて研究しようとするも のである。そ
のさ い、 かれが近代 西洋認識 の過程で主 たる媒介
として依接 した同時代 の日本 からうけた影響 に意
をはら い、倦銃的敵歯 に育 ったかれ の教諭が いか
に展開 した のかを、多面的 か つ世界的鼠座 にた っ
て検討 してい- ことが必要となるだ ろう.本年度
はかれとそ の軽挙論'法政論、経済論'宗教論'
文明論'挙術給等 の襲蓬に関して'各班員 の研究報
告を検討することを中心として研究茨をすす めたO
本年 の報告者'およびそ の題目は以下 のとおりで
あ る。
四月 二三日 「
梁啓超 の研究」共同研究班を
始 める紅あた って 狭間 直樹
五月 七日 梁啓超と三園維
井波 陵 一
五月 二 !日 新儒家としての梁啓超
竹内 弘行
六月
四日 「
黒血革命家」梁啓超と日本法
政思想
山室 信 一
六月 1八日 梁啓超と近代 の超克
中村 常夫
七月 二日 梁啓超と附合蔑
村尾
進
九月 叫七日 染啓庵と法制
小野 和子
一〇月 一日 敦軟心影録 を めぐ って-梁啓超
と 「
文明LI
石川 醸漕
「
中開近代 の都市と農村」研究
班を スタートするにあた って
森
時顔
中国文学 にみられ る都市と農村
萩野 備 二
「
都市」 の政鴬 から 「
農村」 の
改案 へ
江 田 憲治
大都市知散人政鷹としての初期
中国共産薫
石川 繭浩
1九 1九年 の コレラ流行をめぐ
1
0月 l五日 襲法渡と西洋科学 ︹序論︺
伊藤 秀 1
〇月 二九日 梁啓超と生計琴 森 時彦
一
二 月 二 言H 梁啓超 の経寧 (一)-今文古文
を中心として末岡
安
二 月 1九日 梁啓超と宗教問題 M.Ba
s
t
i
d
〓1
月 10 日 東塔超と朝鮮
森
俊子
中国近代 の都市と農村
法長 森
時彦
本年度 から五年計蓮 で スタートした本研究 は、
都市と農村 の関係を主軸 にすえて、中図改代史を長
いタイ ムスパ ンで縦断的 にとらえなおLP前近代
から現在 にいたる中国敵倉 の轡動を宜魂的 に分析
す る視座 の確立をめざ しているo 目下 は助走 の段
階として、各班農 の個人研究を併輿 のテー マに姉
して整理しなおした報告が比較的多 いも のの'中
原から の四人 のゲ スト スピ ーカーがそれぞれ の寮
門 の立場から、明酒 から近代 にいたる都市化 の問
題を論じて有益な示唆を輿えられたのを はじめ、
す でに課題 の核 心 にせまる問題授起 (
中国 の近代
化を泊海地域 の都市化と内陸地域 の 「
農村化」と
の並進過後ととらえ てみてはと の授案)をも- こ
んだ報告も出現 しているO
四月 1六日
四月 三〇日
五月 一四日
五月 二八日
六月 H 日
1
陳
昧 青
る諸問題
飯島
渉
六月 二五日 長江下赦城市近代化的軌跡
茅
家埼
張著研究的再認識 愚
挙照
七月 九 日
l
九
二
〇
年
代
に
お
け
る根税務司
の位置
岡本 隆司
九円 二四日 孫文 の 「
賓菜計喜」と中闘近代
の都市と農村
狭間 直樹
0月 八日
明
清
時
期
江
南
市
銀
経
済
的
華
厳
陳
撃文
国民政府期 の都市建設
西川 馬子
1
0月 二二日 園民業集園 における軍 ・政 の分
離
松雄 洋 二
11月 五日 日本人 から見 た上海
二 月 二六日 書奉天省城 におけ る 地 域 有 力 者
骨 の動向
添谷 由星
二一
月 三日
一
七
l
八
世
紀
的
中
国
競
市
民
巌
中国 の近代化と 〟
農村化 ″
中村 哲夫
近世前期 における政治的主要人物 の居所と行動
茨長 藤弁 護治
近世前期 の政治過程 は、機構 ・組織 よりも政治
的主要入物 の人間関係 に印して展開す るも のであ
り、それゆえ にこの時期 の政治史、さら には文化
史を考えてい-ためには'彼等 のそれぞれ の時期で
の居所と行動を解明す る作業が 不可敏 であ る。本
研究では、まず政治史上磯値 の高 い墓 であるにも
かかわらず'年紀がな いゆえ に十分 に利用され て
こなか った中井家文革、永井家交番 の年代を可能
5
3
4
な限 り確定す るととも に、主 に上方支配 に重要な
役勲を果たした人物を中心 に二〇人 について、そ
の居所と行動 の解明 にあた った。報含蓄 は i九九
三年度中 に蒙刊 の濠定 であ る。
近代東 アジア世界の構造聯開 放最 古最 哲夫
概 してこれまでの 「
東 アオア」研究 は'東 アジ
ア諸地域 におけるナシ ョナジズ ムの華厳を背景と
して、それぞれ の敦脅 ・国家 の自立化を対象とす
る i開史的研究とそ の比較と いう形 で展開してき
たOそ のために、この地域 の諸民族が 「
東 アジア」
世界 における多面的な相関関係を規定Lか つ規定
されながら費展すると いう側面 には十分な関心が
梯 われ てこな か ったと いえる。われわれ は、近代
「
東 アジア」 にお いて取り結ばれたこうした諸問
題 を練膿としてとらえ、そ の起源と展開をあきち
か にした いo
とりあえず は日本部全鱒 の研究合として蒙足 し
山年を経過したが、関心 のあ る併内外 おお- の方
々の参加を呼びかけた いO
文撃 からなにが見え てくるか 班長 飛鳥井雅道
研究班 は最終年度 に入 つたが、班員 の研究報貴
を行-本報告都合と並行 して、 日本最初 の 「
研讃
小説」 であ る ﹃
滞荒紀寮﹄ の禽 磯部食も引き締き
進 められて いるO
両部歯 に共通しているのは、とも に日常性 から
の「
異境」「
異界」 を意識 して いる こと であ り、
本報償も、脅漬部歯も' いわゆる 「
近代」文学論
には立 っていな いO またあえて、意識的 に' 日常
から の脱出がど のよう に文筆 のテ∼ マとなってゆ
- か'そしてそれが いかに表現されてゆく かに、
力鮎をおいた報告が積 み重ねられている0 日本 の
近倣 ・近代が封象 の中心にな っていることは事寮だ
が、東 アジア'さら に ロシア ・フランス ・ドイ ツ
など の地域 における文革 の韓換 ・襲貌も報昔 の主
要 のテー マの 1つとな っている。
また、本報昔と舎講 でそれぞれ の報告書を作成
する預定 で、 1九九 四年 三月 の淡終了 に向け てす
でに準備 にとりかか っておりへ ひとまず本報告 の
成果が先 に刊行されるが、禽磯部食 はさら に廉釣
的な検討が盛宴であり、若干の日時を要することと
なろう。
「大東亜共栄園」 の経済
班長 山本 有造
「
満州閑」 の研究﹄ の終了を-け、
発 の山本班 ﹃
封象を 「
大東亜共桑園」 に贋げ ようとしたも ので
あ るが'普面 は経済史 に分析封象 をしぼ りti
nt
e
ns
i
ve な共同研究を行 いた い。 できれば'いず
れ濠定す る ﹃「大東亜共薬園」 の研究﹄ のための
準備歯的性格殻も持たせた いと考 えているO
現在'
水曜 日隔週 に研究合を開 いているO
韓換期における個人と組織
班長 佐 々木 克
歴史 の韓換期 において、個人がど のよう に生活
し、 いかに生き'あるいは生きざ るをえなか った
のか、有名へ無名 の群像 の、 ライ フスタイ ルを明
らかにす ることを、 この研究 は第 一の課題として
いる。班員各自が、 山人あ るいは複数 の入物な塘
普す ること にしたが、嘗面封象とする人物 は'政
治家、志 士、公家、大名'幕臣、学者、豪農'老
農、村役人、そして侠客、女性等 々、多様 ・多彩
な群像が選ばれ たo この研究 は'限られた史料と
時間的制約があ るため、 かならず Lも対象とす る
個人 の侍記的研究をめざすも のではな いOむしろ
鱒換期 におけ る敵禽ならび に組織と個人と の関わ
り、と いう問題 に比重を置 いている。さら にもう
1つの問題 は、澄とめの段階 での課題 でもあ るが、
個 々人 の生活史を桑合 し、検討を加えること によ
って'そ の時代 の数台 のイ メージと断面を、浮 か
び上がらせる事が できると考えており、 この課薯
をもう常 に心 に留 めて、研究を進 めて行く こと に
した い。なお輪換期をある時期と特定 していな い
が、班員 の研究額域と問題関心 の関係 から、主 に
明治維新期が中心となるO
記寮 ・意味 ・文筆
班長 大浦 康介
この研究班 は、文字 一般 に関す る理論的探究を
置
そ の目的とす る。「
文字と は何 か」と いう舌- か
つ新しい問題を中心 に据 え、構造主義以降 の言語
学 ・記戟諭的成果を批判的 に踏 まえ つつ、文学理
論 の新 たな地平を美学、心理学'敵合筆など他 の
学問 の領域とも関連づけながら模索しょうとす る
も のであ るO三年目 にあたる今年 は'報告書作成
に向け て以下 のような スケジ 且-ルで研究額衆 お
よび原稿検討合 をも った。
儀纏的暴力 の研究
班長 田車 雅 一
本研究班 では過去三年間 の討論を踏 まえ、暴力
現象を'河敵合、宇宙 の再生 に積極的 に鍾輿する
暴力 (
供機、宗教的苦行、火渡 り)
へ回 数禽統制
に関わる箕態的暴力'伺俸銃的暴力装 の近代 に
おける襲化、吊暴力 の理論、 の四領域 に分け て、
理解を深 めたo報告では練合人間学部 の福井勝義
r
r
y教授'民
氏、 ロンド ン大学 (
LSE)の J.P .Pa
.S im one
s 博士に 特別幕演を依頼
博客員研究員 のS
す ることが できた。
コr
r
tユニケーシ ョンの自然誌 放長 谷
泰
身鰹、音、言語など コミ ュニケーシ ョテルな行
為表象 のレフ ごフントの階瀞性、自己言及を含 め
た指示作用、意味連関性、牡合行為としての力な
ど の問題がT基本的作業前線としての協粥性 の問
.
I
;
3
:
;
報
嚢
東 方 撃 報
題ととも に追及す べき論鮎として提出された。本
研究班は、おも に配合的インタエ フクシ ョソの現場
資料をもと に分析を行 い、より適切な記速 の言語を
チ ェックす ることを目的と しているが'今年 はそ
のよ-な鼻髄資料 の検討 のほか、理翰嘗語単、文
革など の分野から のゲ ストをも招 いて討論を行 っ
たo来年 から は'上記 の問題鮎をよ-徹底 して追
及すべ-同種 の研究合を漬ける預走 であるが' l癒
三年 目 のまと めとして' これまで収集 した現場資
料をまとめた資料集を刊行する濠定 であ る。
象徴主義 の研究
鼓長 宇佐美 賛
四年間 の隷定 で 1九九三年 四月より凍足した こ
の研究班 の目標と活動内容 の概署 は、以下 の通り
である。
フランスを中心とする ヨー ロッパの文学 テクス
-を主な封象としてr象徴主義が授起した問題と
は何 かを問う ことから始 める。そ の際'音響 ・美
術 ・演劇など の諸薬術との関わり'政治や赴合 の襲
動が及ぼ し影響、思想史的な コンテク スト、 およ
び中図 ・日本など非 ヨー ロッパ諸園と の比較対照
の貌鮎をも養親す るO ついでそれら の諮問額がそ
の後ど のような展開を逸げ たかを問うO特 に二十
世紀初頭 のアヴ ァソ ・ギ ャルド泰衡を、象徴主義
のひと つの展開、結賓あるいは襲象として見とど
けた いo Lたが って時代区分としては、十九世紀
工業化以前 の緒敢食 での 「
職業」がも っていた
中葉 から 一九 二〇年代 までを観野 に収 めるO
なお本年度 は初年度 でもあり、共同研究 の準簾
と基礎がためとを めざ して、各班負 の個人研究と
象散主義と の接鮎を模索す ること に重鮎を置 いた
目深登嚢がなされたO
ステイタ スと職業
班長 前期 和也
意味をさぐ って いる。 二年目 の今年度 は、「
職業」
がど のような敵食的威信を保持 していたか、身分
制度 の揺 らぎ と職業、さまざまな分野で の 「
審門」
磯 の成立が、中心課題として'報告 ・討論されたO
知誰 と秩序 Ⅱ
班長 阪上
草
1九九〇年 に貴足した本研究班 は、近代社台 の
敗禽技術」的な知識と'そ
教生ととも に登場する 「
れが作動す るさまざまな空間 (
家族、学校、国民
敵合など)と の細係 について'大革命期 のフランス
をはじ めとす る西洋諸国と日本とを封象 に研究合
を積 みかさね てきた。
最終年度をむかえた本年 は、
研究報告賓 におけ る論文執筆 をめざ して、各班農
紅よる研究牽表を鰭績 Ltさら にこれまでの研究
食 で得 られた給鮎、知見を稚括す る作業を進 めて
いる.
古 典イ ンドの法と杜禽
淡長 井狩 肇介
「
法 (
ダ ル マ)
」 は' イ ンド文 明 の構造 を理解
す るためにも っとも重要な鍵となる概念 であ るO
「
ダ ル マ」 の観念 は、古典イ ンド はもとより現代
に至るまで、 イ ソド文明 の赴合秩序と文化規範 の
施行 の枠組 みの基調低温をなすも のとして機能 し
漬け てき たO このような 「
ダ ル マ」を中心主題と
して編纂 された文献秤が 「
法典」 であ る。本研究
班 は' ヒンド ゥー赴合 の行為準則集として成立し
た古典 イ ンド法典 の形成期 に焦鋸 をあ ててき た
が'
法典を狭義 の法律集成として扱う のでほなく'
いわば ヒンド ゥー教文化を映す鏡として扱う立場
を打 ち出 して いるO異教的 には'「ヤ ージ ュニャ
ヴ ァルキア法典」を取り上げへ イ ンド寧各分野 の
専門家 の協力をもと に、そ の文健と内容 の分析を
行 いつつ、本法典 の成立過程と内容 の歴史的位置
づげを検討す る寮を作業課題としている0本年 は
回
第 三年度 に嘗たり' これまでに本法典 の約四分 の
三 に相普す る部分 の検討を終え ているO
正義 システムの諸相
班長 山下 正男
本共同研究班 は義務論理学を協力な武券として
援用しながら攻 の三 つの順序 で正義諭 の諸髄系を研
究す るも のであ るO; 正義 の観念論的諸鮭系、河
正義 の法的緒鮭第、 正義 の法的緒健系 のサバイ
バ ル ニアス-。
本研究班 は以上三項目 のうち、 回 を中心テー マ
とす るも のであ る。すなわち各種 賓定法が いかな
る正義をど の程度表現 しているのか、また現行 の
賓定法 から こぼ れ落 ちて いる正義が あ るとす れ
ば'ど のような賓定法を新 たに追加すべき かが.
3
3
:
のテー マであ る。 しかしそう した賓定法 の背後
には'宗教的、哲学的、 ユートピ ア的と い ったさ
まざ ま の観念 的正義鰹系が潜 んで いる はず であ
り'; では思 いき り摸大された鹿野 によ って正義
の問 題を考察 した い。最後 に回 にお いては、過去
の'あ る いは現存 のいろいろな法鰻系が'そ の弦
巻系を受け入れた集囲あ る いは集圏 のメンバ ーを
無事 に存蹄させえたかさ せえなか つたか、またさ
せうる のか'さ せえな いのかに関す るテ ストの可
能性を論ず るも のであ るO
人文学 のアナトミー
班長 山 田 慶晃
グ ランド ・セオ-Iの有数性が疑わしくなり、
人文諸文学 の専門化と細分化が進 んだ現在 は、人
文学 は 一つの韓機 に立 っている。 この研究合 はへ こ
の知的な好機を ふまえながら、人文学 の方法論 を
中心とす る新 し いパラダイ ムの構築を めざ してい
るOそ のための基礎的 な作業 として、人文学 の諸
豪域 にお いてこれま で蓄積されてきた様 々の古典
的テキストを新たな鋭匙から磯み渡す 山方 で、人文
5
:
)
7
t
)
1
報
る。 相 互 の討 論 をさら に敦 ね たう え で、 三年 間 の
たO 最 終年 慶 にあ た る本年 の後 半 から は、報 貴書
ハ-ド ウ ェア の南 面 を見 据 え なが ら 検 琵 し てき
撃 の フ ロンテ ィア に立 つ諸問題 を ソ 7-ウ ェアと
六靭時代 の轡 術史 の研究
軍清時 代 の官僚制度
窯 元道教 研究
唐宋 時代 の士人
中 国共産主義 運動 の歴史 と思想
臼本部
高麗 及び朝鮮官僚制 の研究
率 園俳 教美術 の研究
中 園 の俸銃的 品詞観
作 成 にむけ、 班員各自 の論文 要旨蒙表 を始 めて い
共同 研究 の成果 を論文集 と し て近く刊行す る濠走
.4
'JJ
f
.r
・_
る。
個 人 研 究
六靭晴 唐積 紳史
末代 の官僚制 度
砺波
吉川
梅原
東方 部
晴 庸政 治 敵魯 史 研究
狭間
日本 フ ァシズ ムの研究
古暴 哲夫
日本近代 文化 史 の研究
飛鳥井雅 遣
腰薄霞 餅 の研究
佐 々木 蒐
山本 有 造
植 民 地経済 の研究
文化史 および文 明史 と して の鯛 民隣家 の形 成
横 山 俊夫
日本近世 敵歯 におけ る政 治権 力
藤井 簾治
山室 信 1
水野 直樹
五四時期中 国 社舎 主義 の研究
桑山
*#
イ ンド 登大陸北 西地方 の歴史考古 学 研究
古代 中 国 におけ る祝話偉 承 の研究
原始俳 教 起源論
東 林業 の研究
申 開中 世 土地所有 制 の研究
士族 の研究
日本近世 の地域 敢歯 の研究
落合
塚本
政治文 化 の中 の敦合 理論
近代 朝鮮 の政治 と 赴昏
小南
文 学 と近代
安富
西洋部
西洋 論 理思想史
鮭合的 相 互行 為 の解 漬
思想 と制 度
シ ュメ- ル行政 経済 文書 の研究
イ ンド像界 の儀感 の研究
フラ ンス散文詩 の研究
群衆現象 の敵愈 琴
南 アジ ア におけ る宗 教 と敢魯
文轡 理論 の研究
田中 雅 一
大浦 庸 介
前川 和也
I
井狩 儲/
宇佐美 雫
演永 茂樹
正男
春
草
療 弘
歩 兜 樹
明
貨幣 の研究
泰 - 東 陽
明 頼
家 生 泰 雄 子 裕 徳 治
正
連
矢 栖 森 木 谷 棟 中 石
木 本 賀 島 井 手 砂州
一
都
阪 谷 山
上
卜
六朝 道教 思想研究
中 園兼 術 の様式 と意味
近代 中 観 の綿紡織 業
中 国建 築 の様式 ・技法 ・空 間
敦燈 文書 の言語史 的 研究
発秦時 代 の金文
中 園古 代中 世 の法制
漠 居間 におけ る天文学 と文化
イ スラ ー ム勢 力 蓬出期 のア フガ ニ
ソド
唯 識思想 研究
から ウパ ニシ ャ ッド へ-
藤井
啓司
正人
後 期 ヴ ェ-ダ文献 の成立史 研究- ブ ラ- フ マナ
鈴木
デ カダ ンス文琴 におけ る自 己矛盾 の研究
藤 田 隆則
上野
雅明
成利
佐 々木 博 光
光永
ハリ ソ ンと イギリ ス賓 護 主義
音饗形 式 の記述と分析
フレデ リ ック
ドイ ツ中世 の ニト ノス
濃 代 の組感観念- 班
東方 学報執筆 者濠備発表
フラ ンク フルト学 派 の政 治思想
東 方部 研究 禽
二月 二四 日 小南 ii都
桑 山論文
横手 裕
矢木
毅
骨 布 川論文
暦本泰 平
スr
L
-クーパ の車 輪 淡
構造 とそ の意 義
ナに ついて
土文物 を中 心と して
車砂明徳
ガズ ナ朝 の主都 ガズ
劉後村 と南宋 士人敷
合
宿業
榛
〇日
三月 一
桑 山正造
東方学 報第 六五筋合 許舎
八日
二 月 二四日 小南 論文
一二月
事 業 概 要
夏期 公開講 座- 鎗 と うた 三文化 の現場 を讃 む七月九 日
づ け-
藤 田 隆則
歌 い手 たち の襲貌- 能 の 「コnス」 とそ の意味
正人
聖歌 から聖音 へ-1古代 イ ンド宗教歌詠 の思想性-
藤井
5
:
)
7
/
-
直
忠
樹 護 美
夫 都
哲 典 和
也 俊 子
勝 荒 小
村 牧 野
ス
船 宿 夕 新 洩 富 高 森 田 骨 褒
山 菓 ン井 原 谷 田
中 布 谷
川
北 晋 適
時 時
邦
郵 至 雄 鹿 渡 寛 夫
微 積 イ 司 郎
方 学 報
東
曾布川
寛
詩 のこと''gI リ ュートから イ メージ へ
宇佐美 津
藻代書像石基 の世界
七月 l
O日
佐 々木
荒牧
克
典夜
併像 の出苧 それは大乗経典 にかかわらな いか-
-
天塵 の解像 療 給 から御濃影 へ開所記念公開講演禽
安富
歩
貨幣 の自生と自壊
富谷
至
山下 正男
二 月 11日
木札 に書 かれ た中国古代
論理学 と私
星野
聴
一九九 三年度漢籍籍嘗職員講演曹 (
漢籍電算虚 埋)
人文科学とデ ータベ ー ス (
講演)
第 1日 (10 月 四日)
大型計算機 センター教授
都築
河野
典
澄子
東洋学文献 潮目 の綿某 と フォ∼ マッ- (
講義)
大型計算機 センター技官
大西
哲也
淳
EX による東洋学文教朔日 の出力 (
沸義)
T
AIと簡報検索 (
構義)
大型計算機 センター助教授
第 二日 二 〇月 五日)
勝村
彰
IO646UCS
電 子 フォソト作成法 (
為義)
漢字 コード の問題鮎と ISO
へ
講義)
学術情報 センター教授 宮津
隈元
栄子
計算機 虚 理入門∼ 情報化 の- レンド∼ (
沸義)
大型計算機 セソクー技官
デ ータベー スに ついて (
鮪義)
久保
石橋
大型計算機 センター助手 川 原
デ ータベー ス検索 〓 ) (
賓 習)
知識情報虞 理 (
講義)
第 三日 (一〇月 六日)
大型計算機 センター助 手
園立民族学 博物館助教授
マルチ メデ ィアと言語虚 理 (
幕義)
デ ータベー ス検索 (二) (
箕 習)
第 四日 二 〇月七 日)
UN IXと情報検索 (
講義)
稔
勇人
正敏
夢 1
大型計 算機 センター助教授 金 準 正寮
大型計算機 センター助手 安 岡
情報 ネ ット ワーク (
薄義)
第 四日 (二 月 二 日)
千 ・集部 (
溝蕃)
滋賀大学教育学部助教授
薫 習 (二)
新学部 (
講義)
第 五日 二 一月 一二日)
薯習 (
≡)
森
井波
時彦
陵 一
健 (
東方部)教授 は'停年 退官 (
三月三
所 員 動 静
。荒井
i日附)、京 都大挙 名著教 授 の稀魂 を授輿 (
四
月 1日附)
属東洋学文献 センター長 に解任 (
四月 1日∼ 一
・阪上 拳 ハ
西洋部)教授を常 研究所務長及び附
O山 田慶兄園際 日本文化研究 センター教授 は' 併
茂
康
護 ハ
東方部)教授 は、文学部教授 に敢置
斉 (
西洋部)助教授 は'教授 に昇任O
毅氏を助手 (
東方部) に採用O
・水野直
樹
助教授 八
日本部) は、 山九九 二年 八月
1日附)
Q
。上野成利氏を助手 (
西洋部) 紅採用 (
以上 四月
o矢木
。藤井 正人大阪大単文畢都助手 は、嘗研究併助教
授 (
西洋部) に昇任o
.宇佐美
九 四年 三日三 一R)
換 (
四月 一日附 )、 併任 教授 (
四月 1日- 1九
。砺波
年 三月三 t日)
部)
0(
比較文化研究部門、 四月 l日∼ 一九九 四
O岸本莫緒東京大学助教授 は'解任助教授 (
東方
九九 五年 三月 三 一日)
漢字 コード の革 -漢字と外字 の虚 理- (
勝義)
大型計算機 センター技官 小帯 義 明
任教授 (
西洋部)
。(
比較文化研究部門、 四月 一
日∼ 一九九 四年 三月 三 一日)
デ ータベ ー ス検索 (
三) (
賓 習)
第 五日 (一〇月 八日)
大学間 ネ ッ-ワークの状況 に ついて (
清轟)
大型計算機 センター技官 楼井 僅 正
f九九 三年度漢籍菅 敬鼻講習禽 (
初級)
第 一日 (二 月 八日)
漢籍 の話 (
沸演)
教授 尾崎
慶慮義塾大挙附属研究所斯道文庫
四部分類等 (
菩義)京大名著教授 清 水
第 二日 (二 月九 日)
軽部書 (
講義)
目録法 (
講義)
〇 日)
第 三日 二 一月 一
史部書 (
講義)
寮 習 (こ
L
7
3
S
報
嚢
1
0日伊丹蒙、 スタンフォード大学、 ハーバ ー
ド=-エンテ ソ研究所 に於 いて朝鮮 近代史、東 ア
ジ ア関係史 に関す る研究及び研究資料蒐集を行
い'九月七日蹄園。
繁藤希史助手 (
日本部) は、 qE九九 二年 八月 二
八日伊丹蒙、北京大学 に於 いて中国文学理論史
紅関す る研修 及び研兜資料蒐集を行 い、 八月 一
l日帝国。
谷
泰教授 (
西洋都) は、 一九九 二年 一二月
二三日成 田登へ ,
I
,ラノ大挙 に於 いてイタリア ・
サンドリオ周遠 での民族学的調査及び研究資料
蒐集、 マンチ ェスター大挙 に於 いて研究論文発
表 のための打ち合わせを行 い二 月 10 日帝国。
田中 挽助教授 (
東方部)は、 i月 八日伊丹教、
客家土壌、姑鯉塔、開元寺等 に於 いて中国 の古
建築網査及び研究資料蒐集を行 い' 1月 1七日
欝園。
小野和子教授 (
東方部)は'三月 l九日伊丹襲r
寧波大学、上海囲書館 に於 いて 1九九三年漸東
学術国際研究討論合出席及び東林鴬 に関す る研
究資料蒐集を行 い、三月三 一日緑園。
佐 々木博光助手 (
西洋部) は、文部省在外研究
農旅費 紅より、 三月 二五日成田登f マック スブ ランク研究餅 に於 いてドイ ツにおける種族 意
識 の形成過程 に関す る研究を行 い、 1九九四年
1月 二四日蹄園。
田中雅 一助教授 (
西洋都) は'国際協力事業圏
点槍 によりへ四月八日伊丹登へゴール、 コロンボ
永産省 に於 いて漁村 の調査 及び調査報 告 を行
いへ四月 二九 日帝国。
横山俊夫助教授 (
日本部) は、 五月三〇日伊丹
登、 チ ふ:i
jソゲ ン大挙 日本文化研究餅 に於 い
て 「日本 の穫法」 に関す る講義を行 いへ七月四
m蹄囲。
前川和也教授 (
西洋部) は'文部省国際研究集
U
合派遣研究員旅費及び人文科学研究協脅負捨 に
より、 六月三〇 日伊丹蒙、 ライデ ソ大学 に於 い
農業
研究 グ ループ集合 出席 ・報
て シ ュメー ル
薯r大英 博物 館に於 いてシ よメール学 に関する研
究調査及び研究資料蒐集を行 い、七月 二四日野
際。
D桑山正進教授 (
東方部) は、七月四日伊丹費'
ヘルシンキ大学ボ ルタ ニア校舎 に於 いて南 アジ
ア考古学者 ヨー Pッパ協禽第 二 一
回国際集魯出
斎'ヴ ィク-リ ア ・アルバ ート博物館 に於 いて
ガソダ ーラ彫刻 に関す る研究資料鴬巣を行 い、
七月 l四日貯園。
O谷
泰教授 (
西洋部)は、七月 li八日伊丹襲p
フラ ン ス敵合 科 挙 高 等 研 究 院 歴 史 研 究 セ ン
ター' パリ高等研究院、 ミラノ大挙 に於 いて人
・家畜間関係 についての文献資料蒐集及び調査
を行 いr八月 1九日帝国。
O田中 淡助教授 (
東方部) は、委任経理金 によ
り、 八月 二二日伊丹蒙、香港大学 に於 いて第三
四同 アジア北 アブ-カ威際魯議出席及び食物史
に関す る研究資料蒐集を行 い、八月 二八日蹄濁。
o小南 一郎教授 (
東方部) は、九月 二日伊丹牽、
中国赴舎科学院文学研究所 に於 いて 一九九三年
中国古代小改新討合 にて論文学蓑を行 い、九月
二一
日線図。
。曹布川 寛助教程 (
東方部) は、九月四日伊丹
登、龍門石窟研究所、醗西省歴史博物館、兵馬
橘坑博物館等 に於 いて蔑門石窟 1五〇〇周年国
際軍術討論薗出席及び中開柔術 に関する研究資
料蒐集を行 いへ九月 二四日蹄 図 0
横手 裕助手 (
東方部) は、文 部省科挙研究費
補助金 紅より、九月九 日成 田牽、上海自業観'
杭州抱新道院'金華山等 に於 いて道教 に関す る
調査及び研究資料蒐集 を行 い、 11月 〓 目線
露。
荒牧興俊教授 (
東方部)は、九月 二九日伊丹渡、
イ ンド国際 センターに於 いて 「
環境問題 及び傍
教 の貴殿」 シンポジウムに出席し、 10月八日蹄
筒。
〇月 二二日成 田
桑山正造教授 (
東方部) は' 一
登、 パキ スタン北部、 スヮート地方 における沸
教寺院出土のガソダーラ遣物 及びガソダエ フ沸教
に関す る資料蒐集な行 い、 一一月 1九 日簡閲。
宿業 壊助手 (
東方部)は' 二 月五日 成田蒙、
スワ-ト、 ペシャーワル大挙' タキ シラ遁跡等
に於 いて、係数寺 院遺跡調査ならび に初期イ ス
ラム時代 に関する寓本訴査を行 いt ll月 二
日蹄園。
田中雅 一助教授 (
西洋部) は、委任経理金 によ
り、 二 月六日伊丹登、 マドラスi
g轡、 タ、
、
、ル
大挙へデ リー大挙 に於 いて寺院儀薩と家庭禁絶
月 〓ハ日蹄
の供物 の人 類率的研究を行 い、 〓 山
園。
棟山俊夫助教授 (
日本部) は、 二 月 一四日伊
丹薬、ウィーン大挙へ国立工垂美術館、プ-ギ ッ
テナウ国民大学校等 に於 いて 1八七三年 ウ ィー
ン寓博 に関する資料調査及び撃術情報交換な行
いへ 二 月 二三日蹄園。
狭間直樹教授 (
東方部) は、 二i月 二二日伊丹
蒙'虞東大厘 ホテ ル、新合筆解合議場、南海学
術禽藻場に於 いて「
戊成后廉有為梁啓遊興維新藩」
:
;
3
.
(
)
報
寧
方
東
国際学術研討合 に参加 し' 二 月 二七日帝国。
凄、鹿東大虜 ホテ ル、新骨学 解合議場へ南海学
O斎藤希史助手 (
日本部) は' 二 月 二 1日伊丹
術合議場 に於 いて「
戊戊后康有為梁啓超輿維新渡」
国際撃 衝研討合 に参 加r香港車文大学 に於 いて
中園近代文学 に関す る研究資料蒐集 を行 いへ 一
二月 1日蹄園。
ヱ高田時雄助教授 (
東方部) は' 二 月 二四日伊
いて新 責 出 土窟 本 に関 す る研究 資 料蒐 集 を行
丹嚢、北京大挙、新藤ウ ィグ ル自治区文物虞 にお
い、 1二月 二四日蹄 園。
外国人共同研究員
パ-第
八 大
学教授
。le
anAnt
oineBe
n
e
m in=
Noe
t
棉紳分析批評 の諸問題 (
文革 テ グ ス-と無意識 )
受 入教官 大浦助教授
の研究 (
比較 赴合客員部門)
期間 二月 1日∼七月三 一日
。Kt
a
usKr
ac
ht
チ ュ-ピ ソゲ ン大挙教授へ 日本文化 研究所所長
横山助教授
7九世紀 日本 の漁法 の敷脅史的研究 (
日本軍客
受 入教官
八月 一七 日∼ l九九 四年 四月 〓 ハ日
員部門)
期間
.Mar
i
anneBast
i
d=
Brugul
e
r
e
ブラソス闘立科寧 センター研究主任、 パ-高等
師範学校 副学長
九月 1
日- 一九九 四年 二月 二八日
受 入教官 狭間教授
近代申開変化 の諸相 の研究 (
比較 配合客員部門)
期間
招碑外囲入学者
映芳 準東政法学院大挙溝師
四月 7
日∼ 7九九 四年 三月三 一日
受 入教官 狭間教授
中国近代文化交流史 の研究
。陳
期間
oTi
mot
hyBa
r
r
e
t
t ロンド ン大学教授
砺波教授
二世紀 - 一〇世紀中鰐 におけ る宗教 ・園家と 敢
合
福建省中馨学院溝師
受 入教官
四月 1
日- 八月七 日
書紹
期間
o願
受 入教官 秦谷助教授
中国疫病流行とそ の致脅 的文化的連絢
受 入教官 吉川教授
四月 1六日∼ 七月 !四日
期間 四月 一日∼ 一九九四年 三月 三 山口
。田 飴慶 北京大学歴史系教授
六朝食 族翻 敢禽
期間
oJ
amineA.Sa
wada グジネ ルカ レ ッジ助教授
接山助教授
桑山教授
六月 1五 日∼ 一九九 四年 六月 一四日
受入教官
l九世紀 日本 におけ る宗教生活 に関す る研究今北洪 州を中 心 に期間
受 入教官
七月 1日-九月 三〇 日
庸宋燐教典種皮研究
.S
i
L
i
voVi
t
a ナポリ東洋大学助教授
期間
oJos
h
uaFogetカリ フォル ニア大学教授
清末の マスメデ ィアに ついて の研究
受 入教官 狭間教授
〇月 八日
七月九 日- 一
期間
0)oanJudgle ユ・T大挙助軟持
受 入教官
〇月 八 日
七月九 日∼ 一
︽時報︾ の研究
期開
狭間教授
oGo
t
e
h dMg e
r ・
,
,
訪ソ へソ大草東方 研究餅研
究員
中国、 日本 におけ る アナーキズ ム
受 入教官 藤谷助教授
一
〇月 四日- 1九九 四年 六月 三〇 日
受 入教官 狭間教授
期間 九月 l七 日- 一九九 四年 三月 二 日
。陳 輝庭 上海敵食 料単 院宗教 研究餅副研究農
神道儀護 と中国道教鶴薩 の比較 研究
期間
香港中文大挙助手
秦谷助教授
受 入教官 膏川教授
日∼ T九九 四年 六月 三〇 日
二月 一
外国人修
研良
o
Fabri
o
z
i
P
regadio イ タリア東洋学研究所研究
員
易同契」の文教的教義的 俸統
「周参
期間
o繁 志添
受 入教官
九月 一四日∼ i九九 四年 八月 三 l日
初期 道教 の錬丹賓修
期間
外国人研究生
程 畢生
oLo
we
l
lDe
anSkar ペ ンシルバ ニア大学博 士課
田中淡助教授
ウ ィー ン大学博 士課
受入数嘗
四月 一
日∼九 月 三〇 日
中国科学 と宗教 の関係
期間
oSa
bineMa
riaF
ruhstuck
程畢生
5
4
0
日本人 の身髄理解と身準管理
受入教官 富永助教授
期間 四月 t日- 1九九四年 三月 三 一日
林 紅 福建師範 大牢蕪師
明清 婦 女問題 へ
受 入教官 小野教授
切開 四
Ll J R∼.九九凹年三Cr.三 JnU
m
s
G
e
orgeRobson カリ フォル ーア 大挙博
l
ae
士課税畢生
中園思想史 におけ る南最衡山 の研究
受入教官 荒牧 教授
四月 一
日- 一九九四年 三月 三 i口H
期間
oMon
k
ia Et
i
s
a
b
e
t
h Kure チ ュ:,i
Jソゲ ソ大学
博 士課程 畢 生
受 入数官 横山助教授
期間 四月 一日- 一九九 四年 三月 三 !白
oFr
a
n
co Gat
t
i ナポ-東洋大学 研究 プ nジ 畏ク
受 入教官 褒谷助教授
日∼ l九九四年 四月三〇 日
五月 l
ト員
道教文学
期間
oAbi
ga
i
lSc
hwe
b
e
r ハ/'
ハード大挙博士課税畢
生
物
l
O月 iR- 1九九 四年 三月三 一日
受 入教官 山室助教授
政治的敢禽化 に鍾す る研究
版
親閲
出
紀要
人文学報 第七 二親 (
紀寮第 1二〇射W
l九九三年 三月三 一m刊
紀 要第 1二 1射)
東方学報 第 六五親 (
1九九三年 三月三 1日刊
欧文紀要 ZtNBVN 第 二七親
一九九 三年 三月三 1日刊
東洋学文献類目 7九九〇年
l九九三年 三月 三 一m刊
研究報告その他
法的思考 の研究
一九九三年三月 三 l日刊
「
満州腐」 の研究
一九九三年三月三 1日刊
中国近世 の法制 と社台
1九九三年三月三 1 日 利
率園中世 の文物
一九九三年 三月三 1日刑
餅報 「
人文」第 三九銑
一九九三年 三月三 1日刊
山下
正男 満
梅原
護編
都編
山本 石 造 凝
砺波
5
4
1
報
桑
Fly UP