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人権教育の実践プログラム推進事業研究実践報告

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人権教育の実践プログラム推進事業研究実践報告
人権教育の実践プログラム推進事業研究実践報告
《7》 北淡町立富島小学校
人権教育指導プログラム開発推進委員会
研究主題
[ 研究テーマ
多文化共生・命と環境 ]
−「違いを豊かさに」ふれあいで育む人権教育の推進−
北淡町立富島小学校
1
外部講師、ゲストティ−チャ−の充実を図り
研究のポイント
(1)ねらい
地域と密着した活動を行う。
「人権教育基本方針」に基づき、新教育課程及
び新たな教育課題に対応しながら、自他の生命
2
を大切にし、互いを認め合い、思いやりの心を
(1)組織
もった児童を育成するための教育プログラムを
研究推進体制・実践
名称
北淡町立富島小学校人権教育プログラム開発推進委員会
開発、研究する。
知識だけでなく道徳的実践力を伴った児童を
育成するため、家庭や地域と連携し、体験的な
北淡町教育委員会
プログラム開発校
連携校園
学習や交流も取り入れ、新しい出会い、発見を
大切にした教育を進める。
校内研究組織
(2)研究の重点
ア
人権教育推進における共通理解
校内推進委員会
校長・教頭
豊かな人権意識と共生の心を育てるために、
開発推進委員
各学年の児童の発達段階及び実態をふまえ、す
人権教育3部会
(研究、人権教育学級、啓発)
学年担当
べての教育活動の中で人権教育を進めていく。
児童一人一人の課題を把握し、児童が将来へ
の夢を持って自己実現がはかれるように支援す
職員会議
る。
「人権教育基本方針」に基づき、指導体制の
充実を図る。
(2)協議内容
イ
4月23日
プログラム作成における共通理解
・校内研究組織の整備
各教科、道徳、特活、総合的な学習の時間に
取り組んできた内容を、各学年の児童の発達段
人権教育プログラム開発推進委員会開催
5月20日
人権教育プログラム開発推進委員会開催
階及び実態を踏まえて系統的に見直し、「多文化
・研究組織の進め方及び課題について
共生」「命と環境」についてプログラムを開発し
・展開例の作成について
ていく。
6月18日
・「韓国について学ぼう」の学習計画について
プログラム作成と共に 、「多文化共生 」「命と
環境」をテーマとした人権意識を高める指導実
7月15日
10月15日
と環境」のプログラム開発推進校と連絡を取り
合う。
人権教育プログラム開発推進委員会開催
・人権講演会に向けて
連携の取り方、実施上の留意点
プログラム作成においては、
「多文化共生」
「命
人権教育プログラム開発推進委員会開催
・課題別ねらいの検討
践事例を研究する。
ウ
人権教育プログラム開発推進委員会開催
1月14日
人権教育プログラム開発推進委員会開催
・研究成果のまとめ作成
3
研究の概要
ことに気づいてほしい。」という子ども達へのメッ
《多文化共生》(研究テーマ1)
セージも残していただいた。
(1)ねらい
申さんの話を受けて3年生では、申さんが悩み
外国の文化を調べ、互いの文化の良さに気づ
かせ、「違い」を尊重できるようにする。
在日韓国・朝鮮人の方が抱える問題を知り、
差別を許さず、共に生きていこうとする姿勢を
を友だちに言えなかったのはなぜか考え、仲間と
のつながりについて話し合った。正直に自分の思
いを言える仲間づくりの大切さを学んだ。
5年生ではこの学習以前に、日本の生活様式や
育てる。
民族衣装など自分たちの国の文化について話し合
(2)実践内容
っており、今回、韓国・朝鮮の文化を体験したこ
7/14
とによって、それぞれの国に大切にしていきたい
韓国・朝鮮の文化を知ろう
∼申
点粉さんのお話を聞こう∼
在日韓国人2世の申
文化があるということを改めて確信した。
点粉さんを講師に招き、
2年生は事前に「パクさんといっしょに」(ほ
韓国・朝鮮の文化について話をしていただいた。
ほえみ)を学習した。韓国の遊びや衣装を本で見
朝鮮半島の地形がうさぎに似ていることや韓国・
たり韓国・朝鮮の歌「アリラン」を歌ったりした。
朝鮮のあいさつの仕方、指遊びを交えたハングル
これらの学習をふまえ、実際にチョゴリを見たり
語の歌などを教えていただき韓国・朝鮮の文化を
申さんと交流したりすることによって、韓国・朝
楽しく学ぶことができた。また、韓国・朝鮮の民
鮮の文化について理解を深めることができた。
族衣装であるチマ・チョゴリやパヂ・チョゴリの
説明を受け、実際に試着した。児童は色鮮やかな
10/23
∼谷川
衣装を見てとても喜んでいた。
人生の先輩に学ぼう
裕己男さん、
張本
勲さんのお話を聞こう∼
富島小学校の卒業生である谷川
裕己男(本名
鄭
幸男)さんとその友人である、張本
名
張
勲(本
勲)さんを講師に招き、それぞれの人生
について話をしていただいた。
谷川さんは、昭和52年から毎年欠かさず、本
校に図書基金を贈り続けている。贈っていただい
3年生以上は、申さんの生い立ちや在日韓国人
たお金で購入した本は、谷川文庫とし図書室に一
であるがために差別を受けてきた話を聞き、在日
角を設けている。そのため、子ども達には谷川文
韓国・朝鮮人の方が抱える問題について学んだ。
庫の谷川さんと親しまれている。今回初めて、実
際に会うことができ、子ども達、職員、また保護
中学時代には韓国人であるということを友だち
者から谷川さんにいろいろな質問をした。谷川さ
にかくしていたため、もっと仲良くなりたかった
んには、その質問に一つ一つ答えていただき、ま
のに浅い付き合いしかできなかったことや就職活
た、幼少時代から今日に至るまでの体験をありの
動で韓国名をつかうとどこにも雇ってもらえなく
ままに語っていただいた。
日本名で就職したこと、また就職後も選挙の話題
【谷川さんへの質問】
になると逃げるようにその場を後にしたことなど
①小学生の時、友だちとの関係でつらかったこと
在日韓国人であるがためのくやしい思いを話して
はどんなことですか。
いただいた。また、そのような差別に屈すること
なく、人として誇りを持って生きていくことの大
切さも教えられた。そして「違いを縦にならべる
集団でいじめに会った時。いじめに負けてはだ
め。負けずに、克服していかねばならない。
と差別になるが、違いを横に並べると個性豊かに
なる。いろんな違いがあるからおもしろいという
②どうして、富島小へずっと寄付していただける
のですか。
った人々と、母校に本を贈り続けている谷川さん
の生き方を重ね合わせて学習した。
私は義理人情を強く感じる人間。中学校は家が
谷川さんの歩んできた道を、自叙伝『私が生き
貧しくて働かなければならなかったため、ほとん
てきた40年』から学び、母校に本を贈り続けて
ど行っていない。だから、私に読むことや書くこ
くれる理由や谷川さんの「願い」について話し合
とを教えてくれたのは富島小学校である。そのた
った。また、願いを実現させるために私たちに何
め、感謝の気持ちでお礼をしているだけ。
ができるか考えることによって、心の国際化への
第一歩を踏み出せた。
③韓国の人ということで差別されたことはありま
すか。
(児童の作文より)
ないと言えば嘘になる。自由の国アメリカとい
私は、谷川さんの話を聞いて谷川さんのように
えども差別はある。私が韓国へ行っても差別はあ
何度も挑戦して頑張れる人になりたいと思います。
る 。「韓国語ができないから、韓国人じゃない 。」
それに、もっとたくさんのことを知って、差別を
と言われる。私は、韓国人でも日本人でもなく、
なくしたいと思いました。そのために、もっとも
その狭間に生きる在日韓国人である。そしてその
っと谷川文庫を利用していきたいです。わたしの
ことが生きていく上で大きな原動力になった。
場合、中学校1,2年生ぐらいから家族と分かれ
④差別に立ち向かえた訳を教えてください。
て丁稚奉公やちがう所に行く事なんてできません。
でも、谷川さんはすごいと思います。それから、
32歳で「淡路総業」という会社の社長になるこ
韓国人・貧困、そのことがバネとなりパワーと
なった。
⑤富島小を卒業した先輩とし、子ども達へのアド
バイスをお願いします。
健康を保ち、一生懸命に生きてほしい。後悔し
ない生き方を。
とがすごいです。32歳という年は、私のお父さ
んが36,7歳なので、わたしのお父さんより若
いです。それなのに、社長というのがすごいです。
もう一つ、今ではもう11社も経営していてすご
い社長さんだなあと思いました。その谷川さんも
子どもの頃には、韓国人と言われて集団でいじめ
られていたそうです。わたしは、いじめられてい
る人がいたら止められる人になりたいです。
張本さんには、「私の野球人生」というテーマで
話をしていただいた。プロとしての華々しい活躍
の裏には、人並みはずれた努力があったことや、
在日韓国人である事と貧しかった事がその頑張り
の原動力になっていたという話は、谷川さんとも
相通じるものがあった。話の中から、幼い頃大や
けどをしたが、韓国人であるという理由で医者に
きちんと診てもらえなっかたことへの怒り、悔し
さが伝わってきた。また、その怪我が原因で右手
が思うように動かず、野球をする上で大きな爆弾
を抱えていた。しかし、そのマイナス面をカバー
するため、練習に練習を重ね頑張ってこられたこ
とから、張本さんの強さを感じた。
4年生では、半日村(ほほえみ)の学習の中で、
谷川さんの生き方について考えた。半日村の中の
願いを実現させるために諦めずに立ち向かってい
2/20
尹さんのお話を聞こう
本校の卒業生である尹
博光さんを講師に招き
尹さんの在日韓国人としての思いを聞く。
8/4
セントメリース市との交流
北淡町の姉妹都市であるセントメリース市の中
・高生5名とその保護者2名が本校を訪れた。3
・4年生がはっぴを着て出迎え、キッズソーラン
を披露する。その後、グループに分かれてけん玉
や折り紙をしながら交流を図った。
とを学び、そのことについて話し合った。
(3)成果
・在日韓国・朝鮮人の方との出会いを通して、
異なる文化の良さ、差別や偏見の愚かさ、違
いを認め合うことの大切さを伝えることがで
きた。
・差別や偏見に負けずにそれをバネにしてたく
ましく生きる姿に共感させることができた。
人権文化創造支援事業「青葉学級」での活動
・日本の文化について学ぼう
(4)課題
・在日韓国・朝鮮人の方が抱える問題や願いに
外国の文化と日本の文化のそれぞれの良さを認
ついて学習したことを、自分たちの生活に結
められるように、日本の文化についても学習する
びつけ、共により良く生きていくにはどうす
ことにした。近頃では、日本の文化を体験する機
ればよいのか考え実践していける力をつけて
会が減ってきたため、自分たちの国の良さにも気
いく。
づきにくい。着物を着てみたり、琴を演奏したり
・社会においても、学校やクラスの中において
することを通して、また写真や本等の資料から、
も、弱い者の立場に立って考え行動すること
改めて自分の国の文化に触れた。
の大切さに気づかせる。
・ 韓国・朝鮮のことを調べよう
韓国・朝鮮の食べ物、遊び、言葉、日本にいる
外国人の困ったことなどを調べた後に、近所に住
む在日韓国人の方に来ていただき、その生い立ち
・それぞれの国にはそれぞれの文化があり、文
化の違いを認め合うと共に、自分たちの国の
文化にも誇りをもち大切にしていこうとする
姿勢を育てる。
や韓国人であるために苦労したことなどの話をし
《命と環境》(研究テーマ2)
ていただいた。
(1)ねらい
・韓国・朝鮮の文化を体験しよう
チャンゴ・チン・プク・ケンガリなど、韓国の
楽器について学習した。それぞれの楽器が、雨・
風・雲・雷の音を表していることや日本の太鼓と
同じように祭りの時に演奏されることを学んだ。
阪神淡路大震災や戦争についての学習を通し
て、生命の尊さや平和の大切さについて考えさ
せる。
一人一人がかけがえのない存在であることに
気づかせ、自尊感情を高める。
(2)実践内容
8/6
平和集会(全校生)
第2次世界大戦終結から半世紀以上が経過した
今日、世界に目を向けると紛争が絶えず、多くの
人が生命の危機に脅かされている。そのような中
で、戦争の恐ろしさや平和の大切さを伝えていく
必要がある。この集会では、被爆したために白血
病にかかり12歳でその生涯をとじた佐々木禎子
・名前について話し合おう
これまでの学習で出会った在日韓国人の方が、
韓国名と日本名の二つの名前をもっていることに
ついて考えた。本名を名乗ると、いじめられたり
差別されたりするので、日本名を名乗っているこ
さんの一生を追いながら、平和な世界をつくるた
めに何をすることが必要なのかを考えていった。
①今から58年前に、原子爆弾によってたくさん
の人が亡くなったことを知る。
②ビデオ鑑賞「つるにのってーとも子の冒険」
戦争のない世界をつくるためには、いじめをなく
③ビデオを見終えて、ポスターの紹介
すこと、仲良くすることが大切。みんなにも友だ
ちと仲良くしてほしい。
児童は、被爆して丸焼けになった広島市内の様
子やぼろぼろの衣服、真っ黒になったお弁当箱の
また、1・2年生は、生活科において、食べ物
写真に大きな衝撃を受けていた。戦争の恐ろしさ
が貧しかった時代には、身の回りにある物を使っ
を知り、平和な世界の大切さを感じ取ることがで
て命をつないでいたことを学習した。実際によも
きたのではないかと思う。また、今年度は子ども
ぎや七草を摘みに行き、よもぎ団子やびわ茶、七
会発足50周年事業で「21世紀の平和な世界の
草がゆを作った。人々の生きていくための工夫や、
実現」に向け、3年生以上が平和を祈って折り鶴
食べ物のありがたさを知ることができた。
を折った。なぜ折り鶴なのか。この学習を通して、
折り鶴に託された思いや願いを、自分たちの折っ
た折り鶴と重ね合わせて考えることができた。
3年生「語り継ぐ戦争体験」
戦争のころを舞台にした物語である「ちいちゃ
んのかげおくり」を学習し、戦争についてもっと
詳しく知るために、戦争を体験しているおじいさ
んやおばあさんに手紙を書いた。そして、戦争の
ころの生活や学校の様子、空襲があった時のこと
などを教えてもらった。自分たちの住んでいる淡
路島にも B29 が飛んできて爆弾を落としていった
ことや必死に逃げ回ったこと、食べ物や着る物が
少なかったためにいろんなことを我慢し、みんな
で助け合っていたことなどを学んだ。戦争は恐ろ
1年生「せんそうのころのおはなしをきこう」
しいもので、人が死に食べ物がなくなり多くの人
児童の曾祖母をゲストティーチャーに招き、戦
が困るということを改めて確認できた。そして、
争の頃の話を聞いた。戦争中は物がなくなってい
現在の豊かな生活に甘えることなく辛抱ができる
ったことや空襲の時の様子を当時の服装や防空ず
子、人を思いやる心をもった子になってほしいと
きんを実際に見せながら話をしていただいた。子
いうおじいさんやおばあさんの願いも受け止める
ども達は、おばあさんの話を一生懸命聞いていた。
ことができた。
おばあさんの話を通して、戦争のこわさ、当時の
人々の苦しみ、争いをせずに人々が助け合うこと
1/16「あの日を忘れないための集会」
(全校生)
の大切さをつかむことができたのではないだろう
本校では、震災以降毎年「あの日を忘れないた
かと思う。
めの集会」を開いている。本年度は、藤本晃美さ
【松岡さんの話より】
んと斉藤よし子さんを講師に招き「わたしの震災
おばあちゃんが1年生の時から戦争が始まり、
太平洋戦争が始まってからは物がなくなっていっ
体験」というテーマで当時の思いを語っていただ
いた。
た。お父さんは戦争に行き、お母さんは鉄砲の弾
耳に障がいがあるため、情報が分かりづらかっ
を作っていた。さつまいもや草を食べていた。空
たり自分の思いが伝わらなかったりして不自由な
襲を知らせるサイレンが鳴ると、すぐに逃げた。
思いをしたことなどを中心に話をしていただいた。
災害の時などは、自分勝手な行動をせずに、言う
【藤本さんの話より】
ことをよく聞くことが大切である。神戸や大阪の
耳が聞こえないので、水の配給などの情報がわ
子どもは、田舎に疎開してきて家の人と離れて暮
からず、もらいに行くのが遅れた。主人が配給の
らしていた。家の人が恋しくて泣くこともあった
おにぎり(一人一つという制限がある)をもらい
が、強く明るく暮らしていた。昭和20年8月6
に行った時、足の不自由なおじいさんの分と自分
日に広島、9日には長崎に原子爆弾が落とされた。
たち夫婦の分をもらおうとしたが、主人は耳が不
これからは、戦争のない世界をつくってほしい。
自由で話すことができないので、配っている人に
なかなかわかってもらえなかった。多くの人が一
している。出来あがったマップを校舎内に掲示し、
緒に生活する避難所では、手話をしていると、め
全校生の防災意識を高めていきたい。
ずらしさもあってか、じろじろ見られているよう
自尊感情の向上を図るために
で嫌だった。
耳の聞こえる人で手話ができる人がいたら、安
友だちや自分を思いやれるやさしい心をもった
心して生活できる。仮設住宅に入ってからも、手
児童を育成するために、日々の活動の中で、一人
話のできるボランティアの人に助けてもらった。
一人の個性を大切にし、それぞれの良さがいかせ
【斉藤さんの話より】
るように励まし見守っている。各学級においても、
地震があった時は、三原に住んでおり被害が少
友だちや自分の良さを見つけ合ったり、自分の成
なかったが、母親が富島に住んでいたため急いで
長を振りかえったりして自尊感情が高められるよ
かけつけた。母親は家の下敷きになっていたが、
うに取り組んでいる。
近所の人に助け出されており、周りの人に感謝し
た。 避難所にいる母親と連絡をとるために、親戚
の家にFaxを送り、届けてもらっていた。
(3)成果
・世界で紛争が起きている今だからこそ、戦争
知り合いの聴覚障がい者の人で家の下敷きにな
は決して昔のことではなく、平和な世界を自
った人がいるが、その方は、助けを呼ぼうにも声
分たちでつくっていかなければならないとい
が出せないために側にあったハタキをたたいて音
う意識を持たせることができた。
・戦争によって多くの犠牲者がでたことや今も
を出し助けを呼んだ。
尚多くの人が亡くなっていること、そして命
お二人の話を通して、障がい者の立場に立って
震災を考え、今まで気づかなかった問題点を見つ
けることができた。そして、いざという時や苦し
い時に助け合える人と人とのつながりの大切さを
の尊さについて考えさせることができた。
・災害の恐ろしさや災害に対する備えの必要性
を伝えることができた。
・震災時の人々の活動を通して、人は互いに支
え合って生きているということに気づかせる
知った。
各学級では、震災当時の映像や『あすに生きる』
(防災教育副読本)、また当時の富島小学校の文集
を通して命の尊さや助け合いの大切さ、災害への
備えについて学習を深めた。
ことができた。
(4)課題
・助け合いや思いやりの気持ちの大切さについ
て学んだことを、クラスの仲間づくりにいか
していく。
3・4年生「さがそう。ひとのためにできること」
(総合的な学習の時間)
福祉学習での障がい者理解とからめ、大震災当
・震災を風化させることなく、災害について学
んだことを生かしながら、防災の必要性を発
信していけるような学習を進める。
時のボランティア活動や町の人々の助け合いにつ
いて学習していた。当時の富島小学校にいた児童
4プログラム活用に向けて
の作文を読んだり、家の人から聞き取りをしたり
・人権教育の実践プログラム推進事業において、
した。また、震災公園を見学し語り部の方の話も
人権教育のねらいやそのねらいを達成するた
聞いた。これらの学習を通して、よりよい社会を
めに、系統性をもった指導が大切であること
つくっていくために自分たちにできることは何か
を再認識した。
ということについて考えていった。
5・6年生「共に生きる社会を考える」
(総合的な学習の時間)
・このプログラムを有効に活用するためには、
全職員の人権プログラム活用に向けての共通
理解が不可欠である。
震災以後、災害に強い住みよい町づくりが進み、
・このプログラムをもとに全教職員で学習内容
校区内の町の様子が日々変わってきている。そこ
を吟味し年間計画を作成することで、よりよ
で富島の町を歩き、消火栓が設置されている所や
い人権教育を行うことができるのではないか
危険な所を調べて、富島の町の防災マップを作成
と思う。
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