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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL <資料・研究ノート>ビルマの壁画 : パガン時代を中心と して 大野, 徹 東南アジア研究 (1973), 11(3): 360-381 1973-12 http://hdl.handle.net/2433/55742 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 東 南 ア ジア研究 11巻 3号 1 9 7 3 年1 2 月 ビ ル マ の 壁 画 - パ ガ ン時 代 を 中 心 と して - 大 徹* 野 Wal lPa i nt i n皇si nBur maoft hePa皇a nPe r i od by Tor u OHNO は じ め に 1 9 7 2年 1 1月 か ら7 3 年 3月 まで, 鹿児 島大学 の ビル マ学 術 調 査隊 ( 隊 長荻 原 弘 明教 授)の隊 員 の一 人 と して, ビル マ史 跡 の実地 調 査 に従事 した 。1) 調 査 旅 行 の全 期 間 を通 じて私 が もっぱ ら 力 を注 いだ の は, ( 1) ビル マ語碑 文 の拓 本 採取 , ( 2) 良案 お よび折 り畳 み手 写 本 ( パ ラバ イ) の複 写 , ( 3) 壁 画 の 撮 影 の 3点 で あ る。 た い 本稿 で は そ の 内 の 壁 画 につ いて 報 告 す る ことに し 。 ビル マ の壁画 は彩 色画 で, その大 部 分 が ビル マ語 で グー ・パ ヤ ー とよばれ る内部 に回廊 ( 緯 道)を もった レ ンガ造 り窟 院 の 内部 の 壁画 や天 井 に描 か れて い る。 僧 院 の 廊下 ( パ ヤー ・ダ ザ ウ ン)に描 か れて い る こと もあ る。 画 題 は大 半 が仏 伝 図 や本 生 図 で ,2) 一 種 の 宗 教画 とい って * 大阪外国語大学 ビルマ語学科 1 ) 調査の概要はアジア ・レビュー誌上 に 座談会記事 として掲載 されているo 「ビルマ文化の予備調査を 終えて」 『 朝 日アジア ・レビュー』第 1 4号,1 97 3年 6月,pp・32 -4 3・ なお私達の今回の調査旅行につい .NyiNyi以下のビルマ政府文部省,宿舎 と交通機関の便宜 ては,全般的なお世話を していただいた Dr を図って くれた各地の治安行政委員会 ( S. A. C. )および教育委員会,U AungTha w,U The 主 nHam,tJ ThanHt ut といった文化省の 3局長,および鈴木大使,鈴木文化担当理事官,奥平書記官,池谷副理事 官といった在 ビルマ日本大使館関係者, 資金的に協力 して下さった関係企業, その他数多 くの邦人な ら びにビルマの人々か ら終始緩かい御支援 と衡協力をいただいた。 私達の調査旅行はこうした方々の御協 0度を越す炎熱の下,舞い上 力があって初めて実現 したものである事を記 し謝意を表 したい。 特に日中3 がる土壌を私達 と一緒に吸いなが らパガンの仏塔寺院 を 一過間近い休暇をとってまで熱心に案内して く れた美術家 U AyeMyi nt( Waz iFac t or y) ,および 私達の L ia i s on of hc e rを務めて くれた U Yaz a の協 力を忘れる事ができない。 2 ) パガ ン時代のビルマ語碑文には 「寺院の内部に 5 5 0の本生図を描いた」 という記述が しば しばみ られ る。例えば, U PeMaungTi na ndG・H・Luc e . h∫ - it i o nso fBur ma. Por t f ol i oI -Ⅴ. pl ・mos .7 3, 1 0 5a,1 94,2 4 8 など。 3 6 0 大野 :ビ ル マ の 壁 画 よいo その点 ビルマの壁画 は, 同 じぐ寺院 内で よ く見 か ける各種 の浮彫 りと同 じ性格 の もの と 考 え ることがで きる。 画題 は,後世 にな る と宮廷生 活や庶民 の 日常生活 を描 いた現 実 的,世俗 的 な もの も現 われて くる。 ) 9世紀 までの 8 0 0年 間 にわ た って い るが,パ ガ ン時代 に描 か れた 描 かれた時期 は11世紀 か ら1 壁 画の L 恒こは色 が槌 せ た り, 変色 した り, あるいは壁面が磨損,剥 落 した りして原形 を失 いか けて い る もの も少 な くない。 また, 篤 信 の檀家 の手 に よ って壁 面が貢 白に塗 りつぶ されて い る こと もあ る. こう した 人為 的 な破壊 によ って,せ っか くの貴 重 な壁 画が完全 に姿 を消 して しま うことが ない よ うその完壁 な保存対策 が 切に望 まれ る。 9 0 3 年 のマ ンダ レ-支局開設以 来代 表 的 な壁画 の模写作業 ビルマ政府 文 化省 の考 古 局で は,1 に取 り組 んで きて お り,今 まで にパ トウダー ミャ-, アベ-ヤ ダナ-, クー ピャウデー, チ ャ ンシ ック-オ ウ ン ミン,パ ヤー トンズ ー, ナ ンダ ミンシャとい ったパ ガ ンの壁画 や, サガ イ ン にあ るテ ィロー カブール窟 院 の壁画 な どの模写が完了 して いる。私達 がマ ンダ レ-支局 ( 主任 研究 官 U S° i nMa ungOo)を 訪れた昨年 1 2 月 には, モ ンユ ワ一県 ア ミン村 にあ るイ ンワ時 代 の壁 画の模写 に従 事 して いた。 ビ ル マの壁画全体 に関す る最 もす ぐれた概説書 と も言 うべ き ビル マ政府 文化省考古局 編纂 の 1)パ ガ ン時代, ( 2) イ ンワ時代 , 「 古代 ビルマ の壁画 」3) は, ビルマ壁画 の 時代 区分 を, ( ( 3) コウバ ウン時代初期, ( 4) アマ ラプー ラ時代 , ( 5) ヤダ ナ- ボ ン時代 の 5期 に分 けて い る。 こう した区分 の仕方 に はなお検討 の余地 が あ る と思 われ るが,本稿 で は とりあえず上記 の 時代 区分 に従 って,今 回私達 が諏査 し得 た壁画 の うちパ ガ ン時代 の ものを取 り上 げて整理 し, その画 題,構 図,画法,特徴 などにつ いて記述 して い くことに したい。 1 パ ガ ン時代 の壁 画の特徴 パ ガ ン時代 の壁画 とは, 11世紀 中葉 か ら1 3 世紀 後半 までのお よそ 2 0 0年 の間 に描か れた壁画 を指 す。画題 の大部分 は仏 伝か本生譜 で あ る。仏 伝 図 には,触地 印 の降魔 成道像 を中心 と しそ の周 囲に降兜 率, 出胎 , 初 転法輪, ナ- ラーギー リ象 の調 伏, ナ ン ドーパ ナ ンダ龍 王液 頂, ア - ラー ワカ犀利 の調伏,入浸磐 などを配 した釈迦 八相図が多 い。 出胎 図, 降兜率 図 な ど,八相 図 の中 の 一 場面だ けを取 り出 して描 いた もの も少 な くないC 過 去 2 8仏 が措かれて い る ことも あ る。 釈尊 図 には立 像 と坐 像 とが あ るが,坐 像 の場合 には降魔 成道像 が圧 倒的 に多 い。印契 は通常 触地 印か法説 印で あ る。釈尊 の顔 は一般 に丸顔 か丸味 を帯 びた角顔 で あ るo 耳 たぶが長 くま さ に両 肩 に触 れん ばか りに垂 下 して い る。頭部 は剃 って あ るが螺 髪 にはな って いない。頂上 の 肉 3 ) Py i da ungT J uYi nky c hmuHt a na. Sha J yO eMyammaBa gγ i ・ Ra ngo o n,1 9 6 6,p・3 0+ⅩⅩI V・ 3 6 1 11巻 3弓・ 東南 アジア研究 撃 にはまん じゅう型,つぼみ型,吃立型 の 3種がみ られ る。そのほかの "相好 'は さほ ど明確 ではない。身 にま とった袈裟 は偏担 右肩が普通で ある。一方,過去28仏 は通肩が一般的で釈尊 像 とは対照 を成 してい る 過去仏 の印契 は説法印か禅定 印 である 。 。 仏伝図 は一般 に画像が大 きい. これに対 して本生図 は描 くべ き場面が多いせ い もあ って画像 が小 さい。 たいてい縦横数 十 に 仕切 られた四角 い枠 ( パ ネル)の中 に 一場面ずつ描かれ ( -図 -景), その下 にパー リ語, モ ン語, または ビルマ語 による本生識番号 とその名称 あるいは説 明文 な どが記 されてい る。 本生帯 は, ビルマで は 550の 物語 と して知 られている4 )が, 実際に壁面 に描かれてい るの はタウンビー西 のモ ン寺 290パ ネル, ミンピャグー寺院 498パ ネル, ナガ ヨン寺 院 284パ ネル, アベ-ヤダ ナ-寺 院の北壁面 150パ ネル, クー ピャウデー (ミンカバ ー)寺 院の 496パ ネル, クー ピャウデー (ウェ ッチ-イ ン)寺 院 の 544パ ネル, ローカティパ ン寺院 40パ ネル とい う よ うに不統一で ある。 壁画 の構成 として は, 一般 に両堂 ( 奥室)の天井に仏足跡 または星 宿図が描かれ, 壁面 は 上 層 に島部, 中部な どの経蔵 に叙述 されてい る場面,場合 によ っては過去28仏が描かれ,その下 層 に仏伝 あ るいは本生図が描かれ る。 壁面が上, 中,下 と三層 に分かれている場合 には最下層 に地獄図 が 描かれてい ることもあ る。 一方, 前室 ( 入 口を入 ってす ぐの広間)に壁画 が措かれ てい る場合 , その画題 は例外 な く本生図で, 左右の壁面 を 数十のパ ネルに仕切 って描 いてい る。嗣堂 と前室 の境 の三角壁 に も措かれ るが, ここの画題 は八相図の中の一場面で あることが 多い。 画法 の面では,パ ガ ン時代 の壁画すべてに共通 した特徴 がみ られ る 。 その第 1は透視法が用 い られていないため,人物像 に しろ建物 に しろ,遠近感が表現 されないままにな ってい る事 で ある。同時 に,陰影法 が採 られていない ことか ら絵全体が平板で立体感を欠 くうらみが ある。 第 2は,表現 の中心 とな る部分 を大 き く誇張 して措 き, その他 の部分 を対照的に小 さ く描 くと い う技法が しば しば採 られてい る ことで ある。 その結果絵全体が不 自然で著 しく写実性 に欠 け る。 第 3は,人物像を描 く場合輪郭の線 が強調 されている ことで ある。 その場合, は じめに輪 郭 を線で描 き, その後で彩色 を施 す とい う手順が踏 まれて いる。 パヤー トンズー寺院 の 壁面 には,輪郭だ けが描かれ彩色 は施 されないままの人物画 がみ られ る 。 第 4は,人物 の体つ き,顔 の表情である。 これには地域差 と時代差 とがある。 その一つは, 身体全体 に動 きが少 な く人物が静 的な もので あ る 。 このタイプの像では顔 が丸顔,一 重険,男 性 の場合 は 口髭,頬髭,頃髭 な どを黒 々と生 や している点 が特徴 であ る 。 こうした人物像 は, 4) 例えば, ボウドーパヤー王 の治世当時 ニヤウ ンガ ン僧正 によって ビルマ語訳 され た小部経典 ( Khud, 1 akaNi kaya)の中の本生経 ( J豆t aka)には 「 五百五十のジャ-タカ物語」という題 がつけられて いる。NyaunggonHs ayadaw. Nga yaNga , ? eZat t a叩 ′ lWut z hu. Vol .I,I I ,Rangoon1968. 3 6 2 大 野 :ビ ル マ の 壁 画 パ トウダー ミャ-, クー ピャウデー, アベ-ヤダ ナ-, ロー カティパ ンな ど, 1 1 世紀後半か ら 12 世紀前半 にか けて建立 された寺 院 ( 地域的 には パガ ン と ミンカバー村 の 周辺 に集 中 して い る)の壁画 に多い。 もう一 つのタイプは動的 な像である。 全 体 と して体つ きが優腕 , ことに女 性 の場合 は腰 および下半身が しなやか な轡 曲を示 す。男女 と も顔が長 く,鼻 も鳥 の嘆 のよ うに 鋭 く長 く尖 って いる。 瞳 は-重で眼 つ きが鋭 い。 鼻が尖 って い る点 は ェ ロー ラ窟 院 の人物画 杏,眼つ きが鋭 い点 はアジャンダ窟院 の人物画 を,それぞれ連想 させ る。 こうした特徴 を もつ 顔 は少 な くともビルマ族 の ものではない。 この非 ビルマ的な人物像は, ナ ンダ ミンニ ャ,パ ヤ ー ・トンズー など1 3世紀 に建立 された寺 院 ( 地域的 には ミンナ ン トゥ-村 の周辺 に多 い)の壁面 にみ られ る 。 特徴 の第 5は色彩であ る。 パ ガ ン時代の壁画 には,黒,赤,茶,薄黄 な ど全体的に暗 い くす んだ感 じの色が多 く使 われている 膏 や緑 をふんだんに用 い,華麗 で鮮か な色彩 を特徴 とす る 。 コ ンパ ウン時代 の壁画 とはきわめて対照 的である。パ ガ ン時代 の壁画 に も, もともと青色や緑 色が用 い られていた と考え られ るが, 長い年月 の間に変色 した結果,膏や緑色が用 い られてい ないよ うな印象 を与えるのであろう。 第 6は, ビルマ語で カノウパ ンとよばれ る装飾文様が随所 に描かれてい ることであ る。 カノ ウパ ンとい うのは蓮華 または蓮 の菅 ,蓮 の茎,蓮 の葉 な どを素 材 にそれ らを装飾的に描 いた も ので,一種 の唐草模様 の ことで ある。描かれてい る場所は,壁面の四隅,天井 と壁面 との境, 嗣 堂 と前堂 の境 の三角小 間 など付随的 な ところが多いO天人像や各種 の動物図 は,一般 に この カノウパ ンの隙 間に描かれている。 ∬ 壁 画の所在地点 とその内容 今 回私が実 際に調査 し得 たパガ ン時代 の壁画 の所在地 とその内容 とを具体的に述べ ると次 の よ うになる 。 1 . パ トウダー ミャー ( Pat ot ha mya )寺院 1 1世紀 の後半 ソール-王 によ って建立 された基壊一層 の寺 院で, タ ッピンニ ュ寺 院の真西, ヒンズー 教寺 院 と して名高 いナ ッフラウン ・チ ャウンの さ らに西 にある。 寺 院 の 内部 は東西 に分かれ, 東側が前室, 西側 は耐堂 にな っている。 壁画 は伺堂 の回廊南北両壁 にあ り, すべ て仏伝図で あ る。 壁面 は剥 落が ひど く不鮮明な図が多い。 壁面 の 最上層 にはモ ン語 によ り律 0 パネ 蔵 が,二層 目には経蔵 ( 島部, 中部)が描かれ, その下 の層 ( 眼 の高 さの位 置)には仏伝 が6 ル描かれてい る 。 ここの絵 で 有 名なのは, 浄飯王が両手 で抱 き上 げてい る悉達多太子 をカー ラデー ビラ( 黒執天)が 礼拝 してい る図 ( 阿私陀仙 の予言)であ る( 南回廊外 壁)。 左手 で 髪の先 端 を握 り右手 に持 った剣を髪の撃 にあてた落飾図 ( 北回廊 の 外壁, 写真 1), 王舎城での布施 3 6 3 東 南 ア ジア研 究 11 巻 3号 ( 北 回廊外 壁), 牧 女 献 乳 ( 東 回 廊 外 壁), 双神通 ( 南 窓 の 東 壁), 出胎 (南 壁), 説 法 印 を結 んだ通肩 の仏 陀坐 像 な ど もあ る 。 い ず れ も画 面 の下 にはモ ン語 に よ る 墨又 の説 明が み られ る。 画 中の人物 は丸顔 で鼻 が 高 い。 眉毛 は細 く険 は一 重 で眼 つ きが鋭 い。 圭や し 男性 は例外 な く口髭 , 頗 髭,顕 髭 を! て い る。 男女 と も耳 たぶ には丸 い人 きな耳 環 をは め込 んで い る。 仏 陀 像 は丸 味 の あ る 顔 容 を して お り,耳 たぶ が長 い。 頭 部は剃 髪 して い るが螺 髪 で はな い。 肉撃 は陀立 型 で あ る。 出胎 図 には摩 那夫 人 の右脇 下 か ら 生 れ 出た悉達 多太子 の像 は捕か れず, す で に衣服 をま とい冠 を頭 に いただ いた 太 子の 立像 が描 か れて い る 。 写真 1 パ トウダー ミャー寺院の落飾図 2 . 7ペ ーヤ ダナ ー ( Abe y a da na )寺 院 1 1世紀 の後半 チ ャンシ ック-王 に よ って建 立 された基壇一 層 の寺 院で,北 側 の前 室 とその南 側 の両 堂 とか ら成 って い る。位 置 は ミンガバ ー村 の南 端 , ナ ンバ ヤー寺 院 の さ らに南 , ナガ ヨ ン寺 院 の西 北西 に あ る 。 壁画 は あま り鮮 明 とは言 い難 いが,前室 の北 壁 に本生 図 が 8列 1 5 0パ ネル残 って お り,各図 の下 にパ ー リ語 に よ る墨文 の説 明 とニパ ー タ番 号 とが み られ る。かつ て は東西 両 壁 に も本生 図 が描 か れて いた と報告 されて い る。嗣 堂 の回廊外 壁 の壁画 に は説 明文 が ないので 詳細 は不 明だが,措 か れて い るの は大 乗系 の菩薩 像 だ と考 え られて い る。 それ は床上 80セ ンチ くらいの と ころか ら天 井 と壁 との 境 まで五 層 にわた って描 か れて お り, 菩薩 か ら仏陀 に到 るまで を 段階 的 に描 いた もの と考 え られ る。 まず最下層 の唐 草模様 の上 に描 か れて い る菩 薩像 で あ るが, 右足 を立 て膝 に し,左手 には剣 また は槍 を, 右手 に は法輪 を持 って い る。 頭には宝冠 を いただ き,丸 い大 きな耳飾 りや二 重 の首飾 り, 腕 写真 2 アベーヤダナー寺院の菩薩像 3 6 4 環 な どの装身 具 を身 につ けて い る。 眉毛 は 大野 :ビ ル マ の 壁 画 細 く眼 は菱型で眼 つ きが鋭 い。 その舞 上,す なわ ち仏轟 と仏轟 の中間壁面 のやや上方 に描かれ て いる菩薩像 ( 写真 2)ち, 宝冠 をいただ き丸 い大 きな耳環をつけ, 首 には首飾 りを, 上勝 部 や手首 には腕 環をはめて い る。蓮華の上 に坐 して はいる ものの結蜘扶坐 で はな く,右足 を斜 め に垂下 した遊戯坐 である.右手 は与願 の印,す なわ ち膝 の上 にのせ指先 を下 に して掌 を外側 に 向 けてい る。一方左手 は,肘 を曲げ胸 の前で親指 と中指 とを接 して輪を作 っている。 その堤 の 中を蓮 の茎が下か ら上- と通 り抜 けて左肩 の上で花を一輪咲 かせている。菩薩 の頭 の背後 には 円形 の光背 が ある。 顔 は丸顔 だが細 い眉 が 釣 り上が り, 半眼 ( 菱塑)のせ いか眼つ きが鋭 い。 宝冠 の下か らはみ 出 した黒髪が両肩 を覆 って いるのが は っき り認 め られ る。左右 に一人ずつの 爽侍がお り,菩薩 に向か って合掌 して いる.二段 ある仏轟 の上段 の仏晶 と仏轟 の間に描かれて い る菩薩像 は立像で,蓮華の上 に左右 の足先 を と もに外側 に向けて立 って いる。左手 は肘 を上 に曲げて環 を持 ち,右手 は胸 の前で槍 の柄を担 っている。 この菩薩 の頭上か ら蓮 の茎 が真直 ぐ 上 に伸 びてい るが, その頂上 の蓮華 の上 に説法印の仏陀坐 像がみ られ る。以上が回廊南側外壁 の壁面 にみ られ る代表的 な絵で ある。下か ら上 に向か って 5段階 にな って いる絵 の うち,-, 二, 四層 の 菩 薩像 と最上層 の仏陀像 とは相 当大 きいのです ぐそれ と分か るが, 三層 目だ けは 図が きわめて細か いので 注意 してみ る必要 がある。 なお回廊 内壁 の 仏轟 と仏晶 の中間壁面 に も壁画 があ るが, これはブ ラフマ一, シバ, ビシュヌなどのバ ラモ ン系神像だ と考 え られて い る。 3. ナ ガ ヨン ( Na ga y o n )寺院 1 1世紀 の後半 チ ャンシ ック-王 によ って建立 された寺 院で, ミンガバー村 か ら南 に向か う道 路 の東側 にあ る。 アベ-ヤダナ-寺 院 とは道路 をはさんで東南東 の位置にあ る。 この寺 院は耐 堂 とその北側 にある前室 とか ら成 って い るが,嗣 堂の奥 には文隣陀龍三 に保護 された施舞昂, 与願印 の巨大 な仏陀立像が安 置 されて いる。 壁画 は回廊 の内壁 と外壁の双方 に描かれて いる。 内壁 の上層 には島部, 中 部, 相応部経典 の場面が, 下層 の仏轟 と仏轟 の中間壁面 には本生譜 ( 南 壁中央に始 ま り西, 北 ,東壁へ と続 く) 8 4パ ネル措かれ, 各図の下 にモ ン語 の が2 墨文説 明がみ られ る 。 回廊外壁 の絵 は相応 部経典 の場面 を表わ した ものであ る。 仏伝 図,本生図 ともにあま り鮮 明 とは言 い難 い。 この寺 院 の 代 表的 な 壁 画 は, 回廊東側 の Di paakar a 外 壁 に 描 か れ て い る燃燈仏 ( Sume da )で あ る。 Buddha )足 下 の 書聖 ( この図 の人物像にはみな 口髭 や頃髭が黒 々 写真 3 ナガヨン寺院の踊り子 365 東南 アジア研究 11 巻 3号 と描かれてお り, いずれ も身長 の割 には顔 が大 きい。 仏伝図 には 初転法輪 ( 東回廊 内壁), 王 舎城での布施 ( 南 回廊 内壁), ナ- ラーギ リ像の調伏 ( 西 回廊 内壁), 双神通 ( 南 回廊外壁) 皮 どが ある。仏轟 と仏轟 の中間壁面 に描かれている仏陀像 は,結蜘扶坐 し説法印を結んでいる。 パ トウダー ミャ-寺院の仏陀像同様,丸顔で耳が長 く, 肉撃 が真上に向か って高 く吃立 してい る,頭部 は剃 ってい るが螺髪ではない。左右 に爽侍 が 1体ずつお り,仏陀 に向か って合掌 して いる。 この寺 院にある壁画 の中で最 も興味をひ くのは,回廊 内壁 の下層 に描かれた一群 の楽士 と踊 り子 の画 ( 写真 3)で あろ う。 踊 り子 は首 を右 に曲げ, 白い布 を もった左手 を 頭 の上か ら 右 に廻 し,右手 は胸 の前か ら左脇下 - と伸 ば して い る。両脚 は膝 を外側 に向け菱型 に曲げてい る。楽士 は踊 り子の左右 に 3人ずつ お り, それぞれ小太鼓やに ょうはちなどの楽器 を演 じて い る。上半身 に衣 をま とい,耳 に丸い耳環をはめ髪を後 に長 く伸 ば してい るのは女性,上半身が 裸 なのは男性 と患われ る 。 この画 はかな り低 い位置に描かれてい るので,注意 して見 ない と見 落 とす慣 れが ある。 4 . クー ピャウデー (ミンガバー) ( Kuby a ukgy i My i nka ba )寺院 1 2 世紀 の初頭 チ ャンシ ック-王 の 子ヤザ クマール によ って 建立 された基壇一層 の 方形寺 院 で,位置は ミンガバ ー村 の北端, 四面石柱 の ミャゼ-デ ィー碑文で名高 い ミャゼ-デ ィー ・パ ゴダ の西隣 りにある。東 側 に前室,西側 に シカ- ラをのせた弼堂が ある。壁画 は嗣堂 とその周 囲の回廊 および前室 それぞれの壁面 に描かれて い る。壁面 は相 当剥落 してお り,各図 ともあま り鮮明 とは言 い難 い。 まず回廊外壁 の最上層で あるが, ここには仏伝 ( 東壁東北隅 の受胎図か ら始 ま る)が43図描かれている 。 その下 の層す なわ ち第 2列 目には 島部経典 の宇宙創造 の模様 ( 入 口南 の 東 壁中央か ら始 ま り入 口北 の東壁で終 わ る)が 描かれている。 3列 目( 入 口南 の 東 壁か ら南,西,北 の順)か ら 9列 目( 北壁中央の窓)までは本生図で, 全 部 で 496パ ネル ある 。 各図の下 にはパー リ語 による題名 とモ ン語の説 明文 とがみ られ る。1 0列 目は小パ ネル群で,飢 倭,餓死 の図やセイ ロン島史 が描かれている。 最下層 の 1 1列 冒( 床上約 2 0セ ンチの位置)は入 口南 の東壁か ら始 ま り, 象,馬,午,獅子 などの動物図がみ られ る。 一方 回廊 内壁に 描かれてい る画 は, 上層が仏陀 の説法像, 悪魔 の襲来 ( 西壁 中央) な どで あ り, 下層 1 9図 は論蔵 に基づ く八相図 ( 東壁北東隅の 成道図か ら始 ま る) や, 第 一 回 ( 王舎城) か ら第 三 回( 波托梨子城)までの 結 集 の 模 様 などで ある。 人物像 はパ トウダー ミャ写真 4 ク-ピャウデー (ミンガバー) 寺院の人物像 366 寺 院やナガ ヨン寺 院 のそれに 類似 して いる 大野 :ビ ル マ の 壁 画 ( 写真 4)。す なわ ち男女 とも丸顔 で,男性 の場合 には口髭 や頃髭 が描かれてい る。女性 はいず れ も髪が長 く耳 に丸 い大 きな耳環 をはめている。 この寺院の代表的な画 は回廊西側 内壁 の宝階 三遷下洲 の図で ある。 これは悌利天で,母后摩耶 に法を説 いた後安居明 けに黄金,白銀,紅玉 3種製 の階梯 を通 って僧伽合へ と降下す る釈尊像 を描 いた もので,仏陀 は袈裟 を偏担 右肩 にま とい,右手 を与願 の印 に結 び左手 は掌 を胸 に当てて立 ってい る。仏陀 の前 には合掌 した帝釈天 が,仏陀 の後 には傘 をさ しか けた 3両 の究 天が随行 してい る。 5. ローカティパ ン ( Lo ka ht e i kpa n )寺院 1 2 世紀前半 に建立 された と考 え られている基壇一層 の中型寺 院で, アーナ ンダ寺 院 の真南, タ ッピンニ ュ寺 院の南東, シュエサ ン ド一 ・パ ゴダか らは約 15 0メー トル北 の位置にあ る 北 。 1世紀 に面 した入 口を入 るとす ぐ前室があ り, その奥に触地 印の仏像 を安置 した弼堂が ある。 1 後半 に建て られた寺 院 とは異 な りこの寺 院には回廊 がない。壁画 は天井 と嗣堂,前室両方 の壁 面 に描かれてい る。 どれ もまだかな り鮮明である。 画題 は仏伝 と本 庄 符で, 各パ ネル の下 に モ ン語 ( 上層図)または ビルマ語 ( 下層図)の墨文説 明がみ られ る。 天井 の 画 は仏足跡で, 角パ ネル の中に左右両方が描かれている。 伺堂 の壁画 は南面が釈迦八相図, 東 面 が 悌利天 での説 8仏,西 面が本生譜で,南面 を除 きいずれの画 に もモ ン語 の墨文 がつ け られて 法 , 北面が過去 2 い る。 前室 の壁画 は東,西,北面すべて本生図で あ る。本生図 は縦横数十 に区切 られた小 さな パ ネル群 の中に描かれてい るのではな く,他 の寺 院 とは異 な り上下 に区切 られた横長の帯 の中 に絵 模様のよ うな形で描かれてい る( 写真 5)。 画 の下 の説 明文 は ビルマ語 であ る。 人物図 は 写真 5 ローカティパ ン寺院の本生図 写真 6 ロ-カティパ ン寺院の出胎図 3 67 東南 アジア研 究 11巻 3号 パ トウダー ミャ-, ナガ ヨン, クー ピャウデー寺院のそれ と同様丸顔 で,男は例外 な く頃髭 を 生 や してい る。額 の髪 の生 えぎわは中央部で下が ってお り,頭髪 も中央 で左右に分 け られてい る。衣服 は下半身にのみま とい上半身 は裸で あ る。背景の樹木 は扇型 に円 く描かれてい る。 こ の寺 院 の本生図 にはマハ-ニパー クが多い。弼 堂南壁 にある釈迦八相図 の位 置は, 中央頂上が 入浸薬図, その下 が悪魔 の襲来, 向か って右側 は上か ら下 に降兜率,双柿通, 出胎,右側 はナ - ラーギ 1 )象 の調伏,初転法輪, パ ー リレーヤ カの退却の順 とな って いる 。 出胎 図 ( 写真 6) は, パ ネル 中央に立 った摩耶夫人 が 右手 を上 げ, 左手を 白分の左側 に立 ってい る妹披閣披提 ( Pa j a pa t i )の肩 にまわ しだ らりと前 に垂 らしてい る。頭上 には先端 の尖 った冠 の如 きものをか ぶ り,耳 には丸い大 きな耳飾 りをはめて いる。眼 は切れ長だが上険が分厚 くややはれぽ ったい 感 じで ある。眉毛 は細 く短 い。顔 は うりざね顔 で幾分右 に傾 けてはい るが, まなざ しは正面 を 向いている。 鼻 は ナ ンダ ミンニ ャ寺 院 の 出胎図 のよ うに長 く鋭 く尖 ってい るとい うことはな い。乳房 は両方共左側 に向か って丸 く大 き く描 かれてい る。右側 にひね った夫人の腰 の上 ( 右 脇下) には,結釦妖坐 して合掌 した悉達多太子 の小 さな像がの っか って い る。披閣披投 は顔 を 正面 に向け, 自分 の首 にか け られた摩耶夫人 の左腕 を左手 で支 えてい る。眼 はややつ り上が り 気 味で眉が細 く短 い。顔 は摩耶夫人 よ りもず っと丸顔で あ る。下半身 には横縞 模様の腰布 をつ けてい る。 その点,蓮華模様入 りの腰布 をま とってい る摩耶夫人 とは対照的である。披閣波提 の左側 に も人が 1人 い るが従者で あろう。摩耶夫人の右下 に も悉達 多太子 の像があ る。それは "7歩 の歩 み" を示す と考 え られ る "7重の蓮 華' 'の 上 に左右 の 手 を胸 の前 に上 げた立像で あ る。太子 の左横 には傘蓋 を持 った人 と,鉢 を手 に した人が 1人ずつ描かれているが, それはお そ らく究 天 と帝釈天で あろう 。 その下 には, 両手で鉢 を捧 げた人が 9人 ( 上, 中,下各層 に 3 人ずつ)描 かれて いる。 太子 の頭上 の樹の上 ( 画 の左上隅)には 長 い笛 を口にあてた天人 と,義 を逆 さに して水 を注 いでい る帝釈天 とが描かれ,右上隅 には両手を差 し伸べた天人 2人が描か れてい る。摩耶夫人の頭上か ら右横 にか けてバ ナナの房 のよ うな形で葉 を茂 らせて いる樹 は沙 羅樹で あろ う。 6 . E 3一カオ ウシ ャウン ( Lo kaOks ha ung )寺 院 パ ガ ンか らミンガバ ー村-向か う道路を途 中かな り束側 へ入 った ところにある角型 の レンガ 2 世 造 り寺 院で あるO前室 と岡堂 とか ら成 るが弼堂 の上 の シカー ラを欠 く 建築様式か らみて1 。 紀 の前半 に建立 された もの と考 え られているO ここの伺 堂 の壁面 には,八腎 の金剛手菩薩像が 描かれてい る。菩薩 の顔 は丸顔 で眉 は細 い。頭上 には冠を いただいて い る。右手 の側 の壁面が 著 しく磨損剥落 してい るので 判然 と しないが, 左側 に 手 が 4本 あることはは っき り確認で き る。持物 は弓,宝珠,三叉 などで ある。 ここにはまた先の尖 った冠 を頭 にいただ き,縞模樵 の 腰布 を下半身 につ け,右向 きに坐 った天人 の画 もある。坐 り方 は結伽扶坐 ではない。膝 をやや 左右 に開 いてはいる ものの正坐 で ある。顔を右斜 めに向 けているため鼻を隔てて右眼 と左眼 と 368 大野 :ビ ル マ の 壁 画 の間隔が相 当開 いてみえ る。 眼 は洩分つ り上が り気 味で,視線 も斜 め上 に向け られて いる。手 は左右 とも肘 の ところで曲げて掌 を上 向けに拡げている。 7 . ティ ンマズ ィー ( Th e i n ma z i )寺院 ローカオ ウシャウンの西北西 にある基壇一層 の寺院で , 伺 堂 の上 にテ ィー ロ ミンロ寺 のよ う 3 世紀 に建立 された寺 院 の一つであ る。 ここ な ど っしりと した角型の シカ- ラをのせてい る01 の天井 にはローカティパ ンの もの とよ く似 た仏足跡が描かれて いる。壁面 には右 向 きに行列 し た人物群像が描かれている。 いずれ も右手を肘 の ところか ら前方 に伸 ば して手首 を下 に折 り曲 げ,左手 は ち ょうど力病を見せ る時の よ うに肘 か ら先 を上 に曲 げて拳 を握 りしめてい る. この ポーズが何 を意味 して い るのか明 らかでない。群像 の中には乗馬姿 もみ られ る。馬 には手綱 は あ るが鞍 や鐙 はみ られない。人物 の顔 は例外 な く丸顔 で ある。耳たぶに丸 い大 きな耳飾 りをは め,黒髪を後 に長 く垂 らしているのは女性像 だ と思われ る.頭を剃 り,丸首長袖 の黒 い衣 をま とった僧侶 とおぼ しき人物 の画 もある。髪の生 え ぎわが報 の中央で下が ってお り,耳 たぶが異 常 に長 い。 いず れ も顔 を左 に向け,左 手は胸 の前 で挙 げ掌 を外 に見せてい る。中指,薬指,小 指 の三本 はほぼま っす ぐに伸 ば してい るが,人差 し指だ けは折 り曲げて親 指 と接触 させ環を形 作 ってい る0-万右手 は,腕 をま っす ぐ下 ろ し指先 を揃 えて伸 ば してい る。前室 と岡 堂 との境 の壁面に も,冠 をかぶ り右手 を肘 の ところか ら前 に伸 ば して手首 を下 に折 り曲げ,左手 は肘か ら上 に曲げ掌 を 上向けに拡 げた上半身裸 の 天人像 ( 写裏 7)が見 られ る。 坐像だが両足 は共 に 膝 の ところか らきちん と後 に折 り曲げた形, すなわ ち正坐 で あることを 示 して い る 。 身に つ けて いるのは 腰 のまわ りの 半 パ ンツの 様 な もの だ けであるO 顔 が真横 ではな く斜 め前 を 向いて い るため, つ り上が り気味 の 両眼 と尖 った鼻 とが 目 立つ 。 この寺院 の代表的な画 は四眼二鼻 の究 天 (?) 像で あろ う 。 頭 に 先 の尖 った冠 をかぶ り,顔 を着 に向けた坐像で ある。 坐 り方は, 左右 の股 を少 し 開 き気 味 に してはいるが 膝 の ところか ら後 に 折 り曲げた正坐 で ある。 左手 は 肘 の ところか ら前 に 伸 ば して手首 を 下 に折 り曲げ掌 を拡げてい る。 右 手 は肘 か ら先を上に曲げ掌 を上向 けに 拡 げている。 ただ し親指 と 薬指 とを ち ょうど くっつ けるよ うに 内側 に曲げてい る。 顔 は 正面ではな く斜 め前 に向 けて い るため両眼 とも見え るが, その眼 が 左右 と 写真 7 ティンマズィ-寺院の天人 3 6 9 束南 アジア研究 11 巻 3号 も上下二つずつ計 四つ描 かれてい る。5) 眼 は切 れ長 で大 きい。 眉毛 は細 くて長 く,左右がつ な が って一本 にな って い る。 口 も相 当大 きい。 8 . ペ ーナ タ ・グー ( Pe na t ha 一 gu)寺院 ティ ンマズ ィ-の東北, ロー カテ ィパ ンの西北西 に位 置す る三基 の小仏塔群 の ことで あ る。 1 3世紀後半 の建立だが風化 が激 しく外側 の レンガ は崩壊 しか けて い る。三基 の内一番右側 の寺 院 には, 説法印を結 び袈裟 を通肩 にま と った過去 2 8 仏 の坐 像が描かれて い る。 28仏 とも丸顔 で 肉撃 が吃 立 して い る。 その2 8仏 の横 に ビル マの土着神ナ ッの 像が多数描 かれて い る。 ナ ッ神 ( 写頁 8)は頭 に冠 を いただ き, 両手 を肘 の ところか ら上 に挙 げて掌 を拡 げて い る。 腕 の 後 に は 肩 か ら伸 びた翼 が見 え る。 腰 の後 に も折 り畳 んだ翼が見 え る。 脚 は 太 股 だ け が太 く, 足先 に向か うにつれて 烏の虻 の よ うに急激 に細 くな って い る。 顔 は どれ も丸顔 で あ る。 眼 は切 れ長で両端 がややつ り上 が り気 味。 眉毛 は細 い。 首 の左右 に髪が垂 れ下 が って い る。 この人面烏身 のナ ッ神 (あるいは緊 郡羅 ?)像 の 真 下 に は, 狐 の よ う な動物 の首 を左右 の腕 で 一頭ずつ 締 めつ けて い る蛙 写真 8 ペ-ナタ ・グ-寺院の緊那雁 の よ うな醜悪 な形相 の怪物 や, 象 の よ うな動物 の首 を左右 の腕 で一 頭ずつ締 めつ けて い る出歯 の怪物 の姿 な どが描か れて い る。 その隣 (中央)の寺 院 には, 蓮 華 を 執 った り三叉 を持 った り して い る三面二腎 の充 天坐像 や, 鎌首 を もたげた龍 を 頭上 にいただ き合掌 した菩薩 (あ るいは嚢 虞梨 童女 ?)な ど が 描 かれて い る。 究 天 像 は 女 性 的 な優 しい表情 を して い るが, 菩 薩像 は鼻が 高 く眼 や 眉毛 がつ り上 が り男性 的 な 表情 を示 す。 さ らにその隣 ( 左 端)の寺 院 に は, 二層 の パ ネル 内 に 本生 図 が描 か れて い る。 人物 はみ な上半身が裸 で髪 を後 に垂 らして い る。 背 景 の 樹 に は, ロー カテ ィパ ン の 壁画 同様 円の中 に葉 を描 いた もの もあ るが, 薬 を海星 状 に描 き分 けた もの もある。 二層 の パ ネル の上 には過 去 28仏 が描 か れて い るが, その うちの12仏 は倒立, す なわ ち頭 を 下 げ足 を上 向 きに描かれて い る。 5) 文化省編纂の概説書 「 古代ビルマの壁画」(ビルマ文)ではこれを " 四つ眼の先天像"だと記述 してい るが, 文化省パガン支局の主任研究室ウ一 ・ボウケ-は, " 一旦描いた人物の顔を石灰で消 し, その上 に新 しい顔を描き直 したところ, 消 した筈の下の画が再び浮き出てきて 四つ眼に見えるにすぎない"と ga7 1Sh a yh , a un t Tj Wga un g. i a ya タ り′ a .1 9 71( unいう独白の見解を明らかにしている。 U Bo Kay・ Pa pu b l i s he dl . 37 0 大野 :ビ ル 9 . クー ピャウデー マ の 壁 画 (ウェ ッチーイ ン) ( Kuby a ukg y i We t k y i i n )寺院 ニ ヤウ ンウ- の市街地 か ら パ ガ ン- 向か う道 路 の左側, チ ャンシ ック一 ・オ ン ミン 窟 院 の貢南 , ウ ェ ッチ- イ ン村 の南東 にあ る一 重構造 の寺 院で, 上ぎ 榊 こマ-- ボーデ ィー に似 た シカ- ラをのせ てい る. 1 3世 紀 前半 に 建立 された 寺 院 で 東 側 に 入 口が あ る。 壁画 は前室 の天井 と南北 両 壁 而 とに描 かれて い る。 いず れ も きわ めて 鮮 明 で あ る。 天井 の中央部 には角型 の大 きなパ ネル が あ り, 内側 の各辺 に1 5体ずつ計 6 0体 の仏 写真 9 クーピャウヂ- (ウェッチーイン) 寺院の天井の仏足跡 陀坐 像 ( すべて通肩)が配 置 され, その 内部 の中央 に 仏足跡が二 つ描 かれて い る。 この角型 大 パ ネル の周 囲に は四 円 と四角 とを組 み合 わせ た蓮華模様 が多数描 かれ, その中に も通肩 の仏陀 . 壁面 の最上層 には- 面に 1 4体ず つ計 2 8体 の過去仏 坐 像 が一体 ずつ配 置 されて い る( 写真 9) が描 かれて い る。 いずれ も悟 りを開 いた樹 6) の下 で結伽鉄坐 し, 左手 を与願 の印, 右手 を触 地 印 に した偏担 右肩 の仏陀坐像 で あ る。顔 は丸顔 で 耳 たぶが長 い。頑 は剃 って い るが螺 髪状 は して いな い。 肉撃 は円錐状 を呈 して い る。 その下 の層 には各 仏 の予言 図 が描かれ, さ らにその下 には ビル マ語 に よる説 明文がみ られ る。北 壁 面の両 端 には縦 長 のパ ネルが上下 に 2組 ず つ計 8枚 あ り,偏祖 右肩 の釈尊 坐 像 また は 立像が措か れて い る( 写真 1 0) 。 いず れ も仏伝図 で,各 画の下には ビルマ語の説明文 がつ け られて い るO釈 尊の顔 は過去仏 の顔 とま った く同 じ で両者 の間には違 いがない。北側 壁 面の中央部,す なわ ち過 去2 8仏 の真下 で,仏 伝図 と仏伝図 とに囲ま れた中間壁面 には本生図 が あ る。 本生図 は,縦横 お よそ 1 5セ ンチ ずつ に区切 られた小パ ネル (上下 に 6 写真10 クーピャウヂ- (ウェッチ-イン) 寺院の北壁の東端上層の画 層 あ る)の 中 に -図- 景ずつ描か れ, その下 に ビル マ語 の説 明文 とジ ャー タカ番 T , I Jとが記 されて い る。 6) 過去28仏はすべて特定の樹下で悟りを開いており,その具体的な樹木名については『 南伝大蔵経』第28 巻小郡経典 6の因縁物語 ( Ni danaKat h豆)に記されているが, そのビルマ名はルースが取り上げている Luc eG. H.HF . c o no i CLi m f eoft heEar l yBur man, "JBRS,Vol .XXX pt .i ,pp・31 58・Luc e ,G・ H."Ol d Bur maEar l vPagdn, "Vol .I ,pp.3 9 2 -3 9 71 371 東南 アジア研究 11 巻 3号 南側 の壁面 には上層 の28仏 のパ ネル はみ られ るが, その下 の本生図 の部分 は大 き く剥 ぎ取 られ て残 っていない。前室 と伺堂 との境 の三角小間 には "悪魔 の襲来" 図 と天人像 とが描かれてい る。悪魔 の襲来図には様 々な姿 の怪獣 や人間の姿 を したた くさんの悪魔 が うよ うよ描かれてい る。天人像 は頭 に冠を いただ き,右足 は折 り曲げ,左足 は後方 に跳 ね上 げた形 を してい る。片 手 は肘 か ら先を上に曲げ薬指 と親 指 とで環 を作 り, もう一方 の手 は前方 に伸 ば して いる。眉毛 は細 く眼 は切 れ長でつ り上が り気 味。まなざ しは鋭 い。鼻先 は尖が り下 あ ごも尖 っている。全 体 と してティ ンマズ ィ-寺 院の天人像 に酷似 して いる。 1 0 . レー ミェンナー ( Le my e t hna )寺院 1 3 世紀前半に宰相 アーナ ンダ ・トゥ- リヤによ っ て建立 された基壇一層 の寺 院で, ミンナ ン トゥ-村 の東北 にあ る。 シカ- ラの上 には, アーナ ンダ, シ ュェグーヂ一, ナガ ヨンなどの寺院に見 られ るよ う な鋭 く尖 った塔 がの ってい る 。 その奥が嗣堂 にな って い る 。 内部 は東側 が前室, ここには通肩,説法印 の仏陀坐像 が天井か ら床 まで 8列 にわた って描かれ ている( 写 哀 11)。 いずれ も扇型 を した樹下 に 結伽 扶坐 して お り過去仏 と考 え られ る。頁 円の中に給餌 扶坐 し正面 を向いて合掌 した像 も数十描かれている。 頭 には王冠 をいただいてい ることや縞模様の腰布 を ま とって いること, 両肩 の 後 に小型 の翼 が 見 え る ことなどの特徴か ら考 え ると, これ らは仏陀像で も 写真1 1 レ-ミェンナ-寺院の仏陀坐像 菩薩像で もな く,天人 (またはナ ッ神)像だ と思われ る。 このほか出胎 な ど八相図を描 いた大型パ ネルを中心にた くさんの小パ ネル群 があるが, そ の中には本生図が描か れている 。 これ ら各図 の下 には ビルマ語で墨文 が記 されて いる。 ここの 出胎図は ローカティパ ンほ ど鮮明ではない。構図 は原則 と して ローカティパ ンと同 じだが,磨 耶夫人 は首をか しげて お らず正面 を向いてい る。冠 の上 に も釈尊 の小坐像がみ られ る。波間波 提 の腰布 がかす り模様 にな ってい るなどの違 いがみ られ る。 l l . パ ヤー ・トンズー ( Pa yaTho nz u)寺院 1 3世紀 の後半 に建立 された と考 え られて いる三基 の寺院群で, レ- ミェンナ-の東北, ミン ナ ン トゥ-村か ら北へ 向か う道路 の右側にあ る。 シカ- ラをのせた三基 の寺 院は,外か ら見 る と別 々の寺 院だが内部 は回廊でつ なが ってい る。壁画 は東側 と中央 の寺院 とにみ られ る。西側 の寺院 内には何 も描かれていない。東側 の寺 院では,四方 の壁面 に赤茶色の袈裟 を通肩 にま と 372 大野 :ビ ル マ の 壁 画 い, 説法印を結 んだ仏陀坐 像が小型の角 パ ネル や 四弁 の 花 の中 に 数十体 描かれてい る。 仏陀 の顔 は丸顔 で下 あ ごが短 い。頭部 は剃 髪 して いるが螺髪ではない。 肉撃 は吃 立 してい る。 爽侍や背景 の樹木 はい っさい 描か れていない 。 この寺院の代表的な壁画 は, 各壁面の両端 ( 四隅) に描かれてい る 男女像で ある 。 従来 これ らの画が密教系 だ とか タン トラ系 だ とか言われて きたのは, 写真1 2 パヤー ・トンズー寺院の男女図 描か れてい る人物が どれ も腰 をなまめか しくくね らせていた り,男が女の首 や腰 に手 をまわ し て抱 きかかえた りしてい るか らであろ う( 写真 1 2). クマ- ラス ワ- ミは, これ を "ェ ロテ ィ ック' 'と言 って い る。7) 顔 は男女 とも面長で,額 の上 に冠 または-ア一 ・バ ン ドのよ うな飾 り をつ けてい る。眼 は切れ長だが両端がややつ り上が ってい る。鼻 は鼻先が異様 に尖 ってお り, 下 あ ごも長 ければ耳たぶ も長 いO パ トウダー ミャ-, ローカティパ ン, クー ピャウデー (ミン ガバ ー)など1 1 -1 2 世紀 頃の壁画 にみ られ る丸顔 とは きわめて対照的な顔 で ある。 腰布 は, 男 女 ともくるぶ しの上 まで達す る長 い ものをま とって い る。女性 は耳 に丸 い大 きな耳環をはめて お り,男性 に比べ るとは るか に小柄で あ る。 しなやかな姿態が強調 されて い るこれ らの男女像 と仏陀坐 像 との中間壁面には,獅子 や孔雀 などの背 に乗 った り,牛や邪鬼 を踏 まえた りしてい る,人面馬身 の緊那雁,象,皮,蛇 などが描かれて いる 菩薩 の姿 はティ ンマズ ィ-の天人像 。 に似 ている。 なお この天井 にはカノウパ ン( 植物 を 紋様化 した装飾)が 一面 に 描 か れ て い る が, ところど ころに四角 または八角のわ くが設 け られ, その中にはクー ピャウデー (ウェ ッチ -イ ン)のよ うな通肩,説法印の仏陀坐像が一体ずつ配 されてい る。 1 2 . タン プー ラ ( Tha mbul a )寺院 1 3世紀 の中頃 ウザ ナ王の妃 タ ンプー ラによ って建立 された基櫨一層 の小寺 院で,パヤー ・ト ンズーの東北 にある.耐堂 の上の ど っしりと した角型 の シカ- ラは, テ ィー ロ ミンロやティ ン マズ ィ-のそれ と同型で ある。 ここの壁画は,壁面上層 の仏陀坐 像 とその下層 の人物行列図, さ らにその下層 の本生図 ( 四層 の小パ ネル群か ら成 る), および仏 像左右の壁面両端 に描かれて い る様 々な人物像 などである。本生図にはその下 に ビ ルマ語の説 明文が記されてい る。仏像左 7) Co o ma r a s wamy,Ana ndaK. Hi ∫ l o r yo fIndi anandIndo ne ∫ i a7 2Ar t s .Lo ndo n,1 9 27,p・1 70. 立花俊 道はこれを " 男神がサクチすなわち女神を抱擁せる姿"を示していると解釈 しているが, はたしてその とおりかどうか今後の解明が必要であろうO 飯本信之 ・佐藤弘編 「卑洋地理大系 4 ・マレー ・ビルマ」 1 94 2,p.3 8 6. 3 7 3 東南 アジア研究 11巻 3号 右 の上層壁面 には, 左右か ら仏像 に向か って合掌 し た女性 の姿 1 1人ずつ計2 2 人 が み られ る。 いず れ も足 を正坐 または 横坐 りに し, 両手 は胸 の前で合 わせて いる 。 頭 には冠 を いただ いてい るが その下か らは黒 髪が はみ 出て い る 。 全 員丸 い大 きな 耳堤を はめて い る。 鼻が鋭 く尖 が り下 あ ごが 出て い る点 はパ ヤー ・ト ンズーの女性像 と吊 じで あ る。 下 半身 には 様 々な柄 模様 の腰 布 をま とって い るO それ ら女性群像 の下 に は, 頭 上 に 小 さな化仏 をいただいた宝冠 の 昏薩 ( 鶴 音像)らしき ものが 描 かれて い る。 菩薩 の 顔 は丸顔 で眼 はつ り上が り気 味。 ] 釧 ま細 い。 耳 たぶ は肩 に触 れんばか りに長 い。 ここには 冠 をかぶ り丸 い大 きな 写真1 3 タンブ-ラ寺院の緊那羅像 耳環 をつ け, 両手 を錫杖か何かを持つ よ うな 格好 を した 巨大 な緊 都雁 の 姿 も描 かれてい る ( 写真1 3)。 緊那雁 は背 に翼 が生 えてお り,脚部 は鷲 の爪 先 の よ うに鋭 く尖 ってい るが,顔 はま るで女性 の よ うな優 しい表情を して い る。 1 3 . ナ ン ダ ミンニ ヤ ( Nandamannya)寺院 13 世紀 中頃の建立 と考 え られて い る小寺 院 の一 つで, タ ンプー ラの北 に あ る。上部 の シカラは角型 ではな く,パ トウダ ー ミャ-やペ ッレイ, セ イ ンニ ェ ッ ・ニーマなどの よ うな螺旋状 円筒形 を して い る 。 入 口は東側 に一 つ しか ない。 ここの壁 画は,仏伝 図 とその周 囲または下方 に描かれてい る様 々な菩 薩像,天 人像 とか ら成 る。仏伝図 には出胎図,偏担 右肩 で左手与願, 右手触地 印の成道像,通肩 で結蜘 扶坐 の説法像, 同 じ く通肩 で左手 は与願,右手 は腕 の前 に挙 げ掌 を内側 に向 けた遊行像 な どが あ る。 こ この出胎 図 は ロー カティパ ン, レ- ミェ ン ナ一両寺 院の構図 と基本 的 には 同 じで あ る が,摩耶夫 人 は顔 がパ ヤー ・トンズ ー寺院 の 男性像 に似 て鼻先 が尖 が り 目つ きが鋭 い。 顔 は右 を向 きまなざ しはやや 下方 に向 け ら れて い る。 ローカティパ ンとは異 な り乳房 の丸味 は全 く描か れて いない。 また レ- ミ ェ ンナ-寺 院 のよ うな 冠上 の仏陀小像 も描 かれて はいない。 披 閣波提 の顔 も両寺 院 の 37 4 写真 1 4 ナンダミンニヤ寺院の成道像と タントラ的人物群像 大野 :ビ ル マ の 壁 画 とは異 な り面長であ る。 悉達多の像 は, 摩耶夫人 の 右腰 の上 と右の足元 とに 一体ずつ描か れてい る 。 腰 上 の像 は坐 像だが, 足 元 の像 は立像で両手を胸 の前 に挙 げ顔 を右側 に向けてい る。 摩耶夫人 の うな じか ら右肩 にか けて垂 れ 下が っている数本 のほつれ毛 が 一種生 々 しい印象 を与え るO 偏担 右肩 の成道坐像 は 南 窓の内側壁面に描かれて いるが, その 左右で釈尊 に向か い膝 まづ いて合掌 してい る 出家像 は仏弟子 で あ ろう。 おそ らく左側が 目健連, 右側 は舎利弗 と思 われ る。 仏陀 は丸顔 で耳たぶが長 い。 内宮 は円錐形 を して いるが先端 はあま り尖 って いない。 この 成道 2人 の行列図が ある( 写真 1 4) 。 いず れ 像 の下 に女性 1 この図がナ ンダ ミンニ ャ寺 院 の 代表的 な壁画で タ ン 繁 の 写真 1 5 絹'',竹f ヤトの ニ・ ン一 ミヤ ・ ダパタ o ン oナる ナ像 Lい も下半身のみを覆 った 上半身裸 の 女人像で あるが, 那羅 ンズ-よりもペ グー ナッ神像に似て トラ的だ と称 されて いるものである。 これは Pr i ma e Noc t i sを行使す るため花嫁 をア リ僧 の寺院-連れて行 く図であ るとか, 菩提樹下 の 悉達多を 誘惑せん と して い る魔雁 の娘達 ( 魔女 の誘惑) で あ るとか,パ ゴダ-お参 りに出か ける途 中の 村人 の姿であるとか様 々に解釈 されて い る。説法印 の仏陀像 は壁面 の最上層 に描かれてい る。 仏陀 の顔 は丸 く耳が長 い。 肉馨 は蓮管 状を して いる。その下 の層 には,右手で髪の端 を支 え左 手 に担 った剣 を髪の根元 に押 し当てた落飾図が描か れている。パ トウダー ミャ-寺 院の落飾 図 とは左右 の手が逆 にな って いる。 さ らにその下 の 層 には, 横坐 りにな った大 きな菩薩 (?)倭 や人面馬身 の緊郡雁 (?)像 な どが描かれている。 菩薩 は先端 の 尖 った冠 をかぶ り, 耳たぶに 丸 い大 きな耳環 をはめ,右手 は肘 の ところで上 に曲げて人差 し指 と小指 とを伸 ば し, 中指 と薬 指 とは内側 に曲 げて親指 との間で環 を作 って い る。左手 は前 に伸 ば し掌 を拡げて下 に向 けてい る。 目 も口も大 き く,眉毛 は長 く鼻 は極端 に尖 って い る。 こう した顔つ きはパヤー ・トンズー 寺 院 の男性像 とそ っくりで ある。緊那雁像 は頭上 に冠 をいただ き,右手 は肘 を曲げて胸 の前 に 挙 げ,左手 はゆ るやかに下 げて腹部 にあててい る( 写真 15)。背 中には翼,腰 には尾翼 が ある。 脚 には猛禽類 の足 のよ うな鋭 い爪 がつ いて いる。眼 はば っち りと見開かれてお り顔 の表情 も柔 和で女性的であ る. こう した姿 は,パ ヤー ・トンズー よ りもペ-ナタ ・グー寺 のナ ッ神像に似 て いる。 そのはか この寺 院 には, 中央 が黒色 を した特殊 な冠 ( 編上 げに した髪 ?)をかぶ った菩 薩立像や,蓮華 の茎 を手 に執 った菩薩坐 像 など も描かれてい る 。 これ らの菩薩像 は冠 の頂上 に 小 さな化仏 をいただいてい るので観音菩薩 だ と考 え られ る。 いず れ も耳たぶが長 く,眉毛 は細 37 5 東南 アジア研 究 」1巻 3号 く,眼 はつ り上が り気 味で鋭 い。なお仏伝図の周囲には虎,孔雀,水牛, ヒンダーな どの背 に またが った天人 (あるいはナ ッ神 ?)像が描かれてい る 。 1 4 . ウィニー ドー ( Wi ni dho )寺院 1 3 世紀初頭 に建立 された寺院で, 東 側 の前室 と西 側 の両堂 とか ら成 る。 嗣堂の上 には 四面体 の どっし りと した シカ- ラがの っている。 寺 院の位置は ナ ン ダ ミンシャの北北西, タ ヨウ ピェ-寺 院の北北東 で, ミンナ ン トゥ-村か らは北約 1マ イルの地点にある。 壁画 は, 壁面 中央の仏陀坐 像 とその 周 囲の角型小 パ ネル群, およびそれ以外 の場所の天人 (ま た は ナ ッ 神)群像 とか ら成 る。 壁面中央 の 仏陀坐像は袈裟 を 偏担右肩 に し, 三重の支提 の中で結蜘鉄坐 して 説法 印を結 んで い る 。 曹 型で ある 。 顔 は丸顔で耳たぶが長い。 肉撃 は 螺 髪はない。 仏陀 の左右に一体ずつ見 られ る爽侍 は冒健連 と舎 利 弗だ と考 え られ る 。 この 大型パ ネル の周 囲にあ る 角型小 パ ネル 群 の中に も大 写真 1 6 ウィニー ド-寺院の天人像 型パ ネル と同 じ画題, す なわ ち両側 に爽侍 を一人ず つ配 した支投 の中の仏陀坐像が数十描かれてい る。 そのほか小パ ネル群 の中には仏 陀 と弟子 と の交流を描 いた ものが少 な くない。パ ネル下 の説 明文 (ビル マ語)によると,仏弟子 は舎利弗で あ った り迦葉で あ った りす る。天人 ( ナ ッ神)像 は天井や壁面 の両端,前室 と岡堂 との境界壁面 6) 。 頭 に先の尖 った冠 をかぶ り, 大 きな耳飾 りをつ け, パ ンツ状 などに描かれてい る( 写真 1 の短 い腰布をつ けてい る。 左足 を折 り曲げ右足 は 後方 に跳 ね上 げて両手 を 前 に突 き出 した姿 は, クー ピャウヂ- (ウェ ッチ- イ ン)寺 院の天人像 に似 てい る O もっともウィニー ド-寺 院 の天人像 は,左手で燭 台を支 えていた り,両手 を左右 に拡 げて掌 に蓮 の菅 や茎 をのせていた り す るなど持物 に特徴 がみ られ る。 もう一つの特徴 は, 蓮華 の上 に坐 しているのではな く,杏 妙 な顔 を した怪獣 の頭部を足下 に敷 いてい る点 である。 1 5. イ ッザ ゴーナ ( I z agona )寺院 ウィニー ド-の東 にある基壇一層の小寺 院で ある。詞堂 の上 には角型の シカ- ラと, さ らに その上 にナガ ヨンや ゴー ドーパ リン寺院のよ うな尖塔 をのせている。壁画 の中心は袈裟 を通肩 にま とった説法印の仏陀坐像であ る。背景 には支提 も爽侍 も樹木 もい っさい描かれていない。 壁画 は壁面 の上か ら下 に十一層 あるが,各層 に こうした仏陀坐像が1 2 体ずつ描かれている。 こ の寺 院には三面六菅 の党天立像 も措かれてい る0 37 6 大野 :ビ ル マ の 壁 画 1 6 . パ ヤー ・ンガ-ズー ( PayaNgaz u)寺院 ニ ャウンウ-町か らパガ ンへ向か う道路 の左側, テ ィー ロ ミンロ寺院の南西, ウパ ー リティ ン戒壇 の南南西 にあ る五基 の小寺院群で ある。螺旋状 円錐型の シカ- ラをのせてい る。五基 と も独立 した別 々の寺院で , パ ヤー ・トンズー寺 院の よ うに内部 が回廊 でつ なが ってい るわ けで はない。壁画 は各寺院によ って画題が異 な る。第 1は 天井の装飾画で あるO 天井一 面に八角形 と 四角形 の わ くが交互 に描 かれ, それ らのわ くの 中 にぜんまい 状 の葉が 8枚, さ らにその内側 に 円が あ りその中に 6弁の花が描かれてい るO 第2は仏伝図で ある。 仏 伝 図は縦長 の大型パ ネルで, 文提 の 中の仏陀坐像 と その両側か ら仏陀 に向か って合掌 して いる 三 人 ずつ の在家信者 とを描いている。 大型パ ネル の 左右に も 通肩 で禅定印や説法印を結んだ仏陀坐 像 が 描 かれて ) 肉撃 はパ ト い るO 仏陀 の顔 は丸顔 で耳 たぶが良い。 ウダ ー ミャ- や ナガ ヨン のよ うな吃立型ではな く, まん じゅうのよ うに 丸 くふ くらんだ 形 を している。 璃部 は螺髪 にはな っていない。 坐 り方 は足裏 を 上 向 けに した正確 な結蜘扶坐 で あ る。 第 3も仏伝図で あ 写 実1 7 パ1 7- ・ンガ-ズー寺院 の緊郵雁,ナッ神像 るが, この仏陀 は立像で袈裟 を 偏担右肩 にま とって いる.左右 に一人ずつ弟子 を従 え,右下か ら長 い鼻 を もち挙 げて見上 げて いる一頭の象 を じっ と見 お ろ してい る。 ナ- ラーギ リ象調伏 の場面であろ う。第 4は壁面四隅 に描かれた人物,菩 薩, 緊都雁 , ナ ッ神 などの像である( 写真 17)。 人物図 は男性 が小柄 な 女性 の肩 に腕 をまわ し 互 いに顔 を見合 ってい る図で あるが,姿 態 しなやかでパ ヤー ・トンズー寺院の男女図に よ く似 て いる。その上層 には先 の尖 った冠をかぶ り,丸 い大 きな耳環 をはめ,両手 を胸 の前 に挙 げて 掌 を前方 に向けて い る天人 ( 菩薩 ?)の像が描かれて いる。両足共膝 を曲げ爪先 を立てて坐 って いるが,左右の太股 とふ くらはぎとの問に鹿 を一頭 ずつはさんで締 めつ けた奇妙 な格好 を して い る。緊那雁 は冠 をかぶ り,女性的で柔 和な顔 を してい るが背 中には翼 を具えて いる。脚 は鳥 の虻 のよ うにな ってお り,鎌首を もたげた蛇を爪先でわ しづかみに してい る。鼻先が鳥 の境 の よ うに鋭 く尖 り,眼つ きが鋭 く,層 をひ き しめた男性的な顔 つ きの緊那雁 もみ られ る。羽毛 は ま るでいそぎん ちゃ くの触手 のよ うに揺 らめき,短 くて太 い両脚 の爪で水牛 のよ うな動物 の頭 を押 さえつ けて い る。 1 7 . ケ- ミンガ ( Hke mi nga )寺院 パ ヤー ・ンガ-ズー群 の北東 にある基壇二層 の寺 院で,上に角型 の シカ- ラをのせて い る。 3 7 7 東 南 ア ジア研 究 11巻 3号 壁 画は等身大 の女性像 ( 写貢 1 8 )で, 前室 と両堂 との 境界壁面 に描かれて い る。 この画 は冠, 持物,衣装 な どパ ガ ン時代 の 風俗 を うかが うことので きる貴 重 l -12世紀 頃 の人物画 とは異 な り上 な資料で あ る。 l 半身 に も衣をつ けて い る。 上衣 はか ろ うじて鳩尾 ま で届 くくらいの短 い もので半袖 で あ る 全体 に 方形 。 の細か い模様 が入 ってい る。 縁 ど りのあ る丸 い襟 章 の よ うな飾 りを両肩 につ け, 背 中には肩 か ら背 部 ま で揖 う長いゆ った りと した 外衣を はお って い る。 下 表 は PY = 身全体 をす っぽ りと覆 うぐらいの良 さが あ る, 斜 交に縞 模様 が入 って い る。 幅広 の帯 の よ うな ものを-そのあた りか ら前 に 垂 らしてい る。 頭には 写真1 8 ケ-ミンガ寺院の女性像 先の尖 った冠 をいただ き, 耳蔓, 腕 環 な どの装飾 品 を身 につ け, 柄 の長 い傘 ( または 先端 に 飾 りのつ い た錫杖 ?)を両手 で もって い る 。 顔 は うりざね顔。 眼 は切 れ長 だが半眼 にな って い る 。 わ めて細 く長 い。髪 の生 え際が額 の中央 部で 下が って い るの も特徴 の一 つで ある 。 眉はき パ ヤー ・ト ンズー寺 院 の人物画 に見 られ るよ うな良い尖 った鼻 は して いない。す らりと均整 の とれた体格 を してお り, 7等 身 くらいはあ ると思 われ る。 1 8 . テ ィー ロ ミン ロ ( Ht i l omi nl o)寺 院 1 3 世紀前 半にナダ ウ ン ミャ-王 に よ って建立 された基壇二層 の大型寺 院で, ニ ヤウンウ-町 か らパ ガ ン- 向か う道路 の左側, ウパ ー リテ ィン戒道 の南東 の位 置に あ る。 壁面 の画 はか な り 不鮮 明にな って い るが,天井 に描 かれて い る装飾 文様 だ けは今で も鮮 かで あ る。 これは円の周 囲を四つ の 円で取 り巻 き, さ らにその外側 を大 きな円で囲んだ もので蓮 華 を象徴 して い ると思 われ る。 1 9 . チ ッチ ャムニ ( The t kyamuni )寺 院 1 3世紀初 頭 に建立 された基壇-属 の寺 院で, ニ ャウンウ-町 の東 1マ イル の地 点, イ ラワジ 川 の左岸 に位 置 して い る。壁画 はテ ッチ ャムニ寺院 よ りも隣接 の小窟 院の内部に描 か れて い る もののほ うが豊 富で しか も鮮 明で あ る。 画 題 は支提 内の仏 陀坐 像 を中心 と した釈迦 八相図,本 生 評,天人像 な どで あ る 。 支提 内の仏陀坐 像 は降魔成遣像 で,袈裟 を偏担 右肩 にま とってい る。 頭 部は螺 髪 にはな って いないO 肉撃 は陀立型で はな く,パ ヤー ・ンガ-ズー寺院 の壁画 の よ う なまん じゅう型を して い る。 左右 には一人ずつ仏弟 子がお り仏陀 に向か って合掌 して い る。 八 相図 の配 置状況 は他 の寺院 と同 じで,上層 中央 が入浸架 図 にな って い る。 各画 の下 にはそれぞ 3 7 8 入 野 :ビ ル マ の 壁 画 れ ビル マ語 の説 明 文がつ け られて い るぐ ,入 監 磐 像 は身体 の右側 を 卜に し, 向か って左 側 に頭 を向 けて構 たわ って い るO 右手は頭 の 1 -̀に敷 き左 手は貞 直 ぐ伸 ば して い るO 釈 尊の背 後 ( 画面で は上 部)には小 さな交提 が 見 え, 頭 の後 に は円形 に 葉 を 茂 らせ た 沙 羅 樹 が 2本描 か れて い る( , そ して釈尊 の 前 画 面で は 下 部)に は 8人の 人 物 が 膝 ま づ ( いて お り, 釈 尊に 向か って 合掌 して い る。 写真 1 9 テッチャムニ寺院の本生図 本姓 図 は数十 の小 パ ネル郡 の 中 に描 か れて い る( 写真 1 9)L Lか ら 6段 目まで は 鮮 明 だが, 7 段 目にな る と幾 分不 鮮 明 に な って い る( 、なお各図 の 下には ビル マ語 の説 明文 がみ られ る 。 天人 像 は三角小 間 の壁 面に描 か れて お り, クー ピャウデ ー (ウェ ッチ- イ ン)や ウ ィニー ド- 寺 院 の天 人像 と同 じよ うに右足 を膝 の と ころで折 り曲 げ,左足 は後方 へ跳 ね上 げた形 を して い る。 頭 には先 の 尖 った冠 をかぶ り, 耳 に は丸 い大 きな耳環 を はめ, 腰 には短 いパ ンツを はいて い る。眼 は半眼 で はな くば っち りと大 き く見 開か れて い る 。 左 手 は肘 か ら先 を 前方 に伸 ば し掌 を 下 に 向 けて い る。 右 手 は肘 か ら先 を上 に曲 げ,人差 し指 と小 指 を 伸 ば し,親 指, 中指, 薬 指 の 3本 は折 り曲 げて蓮 の茎 を振 り しめて い る 足下 に あ るの は蓮 の葉状 を呈 して は い るが,飛 期 。 中の天人像 か ら考 え ると雲 で あ ろ う 。 20. コ ン ドー デー ( Kondawgyi )寺 院 13世紀 前半 に建 立 された基檀-・ 層 の寺院 で, テ ッチ ャムこ の 裏 南 の 丘 の上 に あ る。 ここの シカ- ラは 円錐 型で あ るO 壁 画は天井 の装飾 模様, 壁画 の仏伝 聞, 本庄図, 天人像 な どか ら 成 る。 天 井 の 中央には蓮 華 を象徴 した 四弁 の 大 輪 が あ り, 四 方 に向か って放射 状 に直線 が伸 びて い る o その線 との 間 に は クー ピャウデー (ウ ェ ッチ- イ ン)寺 院 の 天 井 にみ られ る四角 と四 円 とを組 み合 わせ た花 弁模様が数十 あ り, その 中に触地 , 禅 定, 説法 , 施 無貫, 与願 な ど様 々な印 を結 ん だ通肩 の仏陀坐 像 が 描 か れて い るo 天 井 と接 した壁面 の 最上層 部 に は蓮 の 葉 の下層 が仏 伝 図で, 立像 ,坐 像,臥 像 の仏陀 像 が描か れて い る。 いず れ も丸顔 で耳 が長 い。 肉撃 は円錐 形 で あ る . その仏伝 図 の 下 層 に は数 + の小パ ネル群 が あ り, その中に本生 狩が描 8仏 が描 か れて い る。 耐 堂 と前 室 の境 の壁 面に は, 最 上層 の蓮 の葉 の 下に適肩 説法 印 の過 去 2 か れ, さ らに その下 層 に阿 督王 の業績 が図示 されて い る。 2 8仏 に も阿 哲 王 の業績 図 に もビル マ語 の説 明文 が つ け られて い る。 その 下にはカノ ウパ ンとよば れ る植物 の 装飾 文様 で, と こ ろ ど ころにナ ンダ ミンニ ヤやパ ヤー ・ンガ-ズー 寺院 の菩 薩像 と同 じ黒色 の 特殊 な冠 (また は 3 7 9 11 巻 3号 東南 アジア研 究 編 み 上 げに した髪 ?)を か ぶ った 上 半 身 裸 の 天 人 (またはナ ッ神)像 や三面 の究 天像な どが描かれてい る( 写貢 2 0)。 いず れ も右または左足を折 り曲げ, も 手 にはそれぞ う一方 の足を後方 に跳 ね上 げている 。 れ傘 を持 った り蓮 の茎 を 執 った りしてい る。 合掌 し ている姿 も見 られ るo 植物 の 装飾文様の隙 間にはた くさんのF I J が描か れ, その中に鳥, 孔雀, 鹿,猿 , 午, 蟻 , 虎などの動物や, それ らの動物 の背 にまた が った人間 ( 菩薩 ?)の姿が描かれている。 壁面の仏 伝図 は偏担 右肩の大 きな成道像で ある 。 顔 は 丸顔で 耳たぶが長 い。 観の生 え際 が 波型 にな っているのは 螺 髪を示そ うと した もので あろうか。 肉撃 は病状で 写真2 0 コソド-チ-寺院の過去 28仏と天人像 尖 って はいない。 21 . ヤ ッサ ウ ( Yat s auk)寺院 チ ャウクー ・オ ン ミン ( Kya ukku Umi n) 窟院の上の台地 に建 って い る小寺院。 内部 には 数十 の小パ ネル群 があ り,一因一意 の本生図が描かれて い る 壁面が ところどころ剥落 して い 。 るだ けでな く,画 も下層 のパ ネルにな ると不鮮 明で ある 各図 の下 には ビルマ語の説 明文がつ 。 け られてい る 。 22. チ ャンシ ッタ一 ・オ ンミン ( Kya nz i t t haUmi n)寺院 ニ ヤウンウ-町の西端, シュエズ イゴン ・パ ゴダの真南 にあるレンガ造 りの窟院で ある。壁 画 は仏教 的 な もの と世俗的な ものの双方が窟院 内部の回廊壁面 に描かれてい る。仏教的な もの とは言 って も仏伝図や本生図ではない。 あるのは菩提樹下 の支提で あ り, その支提 に向か って 花 を手 に合掌 した 比丘 や優姿窓 の姿で ある 1 ) 。 比丘 は袈裟 を偏担 右肩 または偏 ( 写 裏2 担 左肩 にま とい, 地面 にひざまづ いて合掌 してい る。 眼 は大 き く耳 たぶが肩 に触 れん ばか りに長 い。 髪の生 え際が軸 の中央で下 が ってい るのは 他 の寺 院の人物像 と同 じで ある 。 優姿塞 の姿 も比丘 と大差 はない。眼 が大 き く眉毛長 く, 鼻筋が通 っていて層 は 固 く結 ばれている 。 3 8 0 頭部が身体全 体 に対 し 写真2 1 チャンシック- ・オンミン内の礼拝図 大野 :ビ ル マ の 壁 画 て不釣合 なほど大 きいO支提の上層には瞬 目合掌 した菩薩像が描かれてい る。菩薩 は先の尖 っ た冠 をかぶ り,耳 に丸い大 きな耳環をはめ,左右 の手を胸の前で合 わせている。足 は左足を内 側,右足を外側 に した半釦 である。腕 と脇の間を蓮 の茎が通 り抜 け上 に伸 びている。世俗的な 画 には,義 を両手で支 えた女 の立 ち姿,左手を真横 に右手は左斜 め下 に伸 ば し足 を開 いて腰を やや落 と し気 味に した舞踊姿,左足を もちあげ角笛を口に当てている男,後か ら比丘 に傘 をさ しか けている白装束の男,弓に矢 をつがえている兵士の姿などがある。兵士 は日除 けのついた 編笠 のよ うな帽子 をかぶ り,長袖の上衣に長ズボ ンを着用 している。 こうした服装 はほかの壁 画 には見 あた らない。 ビルマ兵 ではな く元軍の兵士だ と言われている。 ここの壁画 は, ほかの 寺 院の壁画 に比べ ると全般的に画法が幼稚である。 参 考 文 献 BaShi n,Bohmu.1 964. 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