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か き く
ペンネーム 抜粋内容 か ガズのお父さん、お みんな会社やようじがあって出かける時は、車か長い時間をかけて歩きました。これが、じしん 母さん の日から1ヶ月ぐらいの生活の様子です。このお話しの続きはまたらいねん君に伝えます。 和也の母 私達多くの大人は小さなあなた達を守ろうと一生けんめいだったのです。 私達がしてきたようにあなた達も又、小さな命を一生けんめい守って下さい。生きてゆくことの 喜びと生命の大切さを忘れないでね。 角谷 義秋 天が驚き、地が動くのたとえどおり、この世のものとは思われない地獄が現れたのです。 今はただ「自然よ。永遠に温和になれ!」と祈らずにいられません。われわれではなく皆さんのた めに!! 鎌田 隆史 震災にあわれた方も、震災を知らない子ども達も、生きることの大切さを忘れないで下さい。震 災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。 鎌谷 和子 私などアンタがしっかりするのよと言われたら胸が苦しいけど、そんなに頑張らなくて良いよ。 自然にと言われた方が気持ちが楽になります。皆さん優しい心で生きているのを感謝してくださ い。 川口 繁雄 私は常々亡父から「無いと思うような不時と災難。あると思うな親と金」とよく言われておりま した。 家の中で忘れかけたときに誰かが忘れないように災害の備えを云って家族に注意を呼びかけねば なりません。(子どもの皆さんが) き 木津 よしみ kick−off 木戸 孝 木下 三千子 木之下 麻紀 命があれば何とかなる、何でもできる。 命があることがとても有難いと思う毎日だった。 11年たった今、どんどん贅沢な気持ちが大きくなっている。 前を向いて希望をもって歩く事は良いけれど、あの時の感謝の気持ち。 当たり前になってきてはないかと、今、反省する。 人それぞれ色んな思いを抱えて神戸の街は今こうしてあなたたちと共にあります。 あの時失った尊い命を思い、神戸に住む者として、風化させてはならないのです。 そして、ここに住む我々だからこそ、皆に守られているたった一つの命を大切に生きる事、 神戸に住んでいるからこそ、いじめや自殺者を出してはならないのです。 いつ自分の身に降りかかって来るか判らないが、とても一人の力では拂い落されるものでは無い 事をつくづく教えて呉れた、朝だった。 ゆれが大きくて飛び起きたが立てなくて、布団にもぐりこんでいました。地震が終わって見ると 枕の上に書棚が倒れていたので、ぞっとしました。 岩岡町と言えば西区の一番西の端ですが、水道も出てなくて半月程は寒い中稲美町や色々なとこ ろで水をもらい、これが仕事でした。又電話もかからなくて困りました。 震災を通して、私達は、励ましの大切さ、心のやさしさのありがたさ、命の尊さを学びました。 「ありがとう」の言葉も増えました。感謝の思いも深くなりました。 賢人はやすきに居て危うきを憂(うれ)う ということわざがあります。 桂木ひふみ会 京 人生にはいろんなことがあります。どんな時にも冷静に判断し、落ち着いて行動することが大切 家 一太 より であります。 何事にも負けず、困難をも乗り越えてゆく力を養っていきましょう。 く 熊野 弘美 久美 蔵本 美恵子 栗田 啓吾 黒谷 静佳 たくさんの人達の善意や思いやりに支えられて生かされている声が本当に分かった時期でもあり ました。だから私はあの時受けた親切は生涯忘れる事はないでしょう。私達家族に向けられたこ の親切と思いやりのお返しは、私達がこれから出会うであろう困っている人達、手助けを必要と している人達にお返ししてゆきたいと考えています。 たくさんの人に支えられて大きくなりました。その方々に心から「ありがとう」と言えるように 温かな、まっすぐな気持ちをもって生きていって下さいね。うまれてきてくれてありがとう。 普段からいざという時のために大事なものをまとめておき非常用品をある程度揃えて毛布を持っ て避難することを心がけておく事が必要です。 1995年1月17日5時46分、すべてが変わった。 私たちは、話していきます、震災のことを。 だから、聞いて下さい、震災のことを。 「命が一番」「自分の命は自分で守る」「命さえあれば、何でも出来る」 愛するもの、大切な物を亡くしたりする災害 日頃から生きぬく力を養っておかないと、困った 時生きてやろうという力がわいてきません。 いつどこでどんな形でくるか解からないけれど災害に対する思いは家族全員で持ってほしい! ペンネーム 桑野 照次 抜粋内容 将来予想されている南海大地震、又それによっての大津波や火災等の被害を如何に最小限に防げ るか、さぁそれはあなた方子どもが大人になってからの宿題です。 しっかりと阪神大震災の教訓を生かし全ての事に前を向いて頑張って下さい。 お願いします。未来の大人の皆さんへ。 け K.H 近隣とのつき合いがないと、一婦人が住んでいたことさえわからず、又勇気ある青年が助けてく れなければ、この人の命はなかったと思います。 普段から、地域との交流、毎日のあいさつは大切ですね。 「命」それは、パパとママからもらった1番大切なもの! K.H.Y.Rの4人のママ どんなに苦しいことがあってもそれを乗り越える勇気と強い心をもった子供達になってもらいた い。 K.S K.N KEEN 自然の恐ろしさを実感しました。すぐには、何が起こったのか分からずに…。時間がたつにつれ て、今まで豊かで、贅沢な世の中になっていたと思った。何もできない自分に腹が立った上、何 か出来ることはないか考えた。 これ等の経験から重い大きなものは動かない様に止める工夫をする、万一の場合、家の中では机 の下か冷蔵庫などを利用して身体を守るように心掛けることです。 大地震があるたびに、思い出すのだろう。その時もしも僕に子供がいたら、話したいと思う。阪 神大震災について知ってる限りのコトを。それが1995年を生きた者としての使命だと僕は信じて いる。 こ 悲しい事件の多い今、震災産まれの子供達にも当時の親の気持ちや、周りの方の優しい気持ちを 感じ取ってもらい優しい人に育ってもらいたいと祈る毎日です。 じしんがきたら でんきがありません じしんがきたら ガスもありません こうち きょうこ じしんがきたら おみずもありません じしんがきたら たべものもありません こうじ&まりママ 人間というのはいろいろな気付かなかった事に知恵を働かせて、また人の温かさを実感できて、 神戸生まれ神戸育ち 協力し合える、支えあえる喜びを味わう事が出来るものだと気付きました。 の神戸大好きな母 また当たり前の事の1つ1つが、とても有難いと気付かされました。 小谷 孝子 突然起こる地震は本当に恐ろしく悲しいものですが、戦争のない平和な世の中で起きた阪神淡路 地震によって、人々の思いやりのある心に感動することができましたし、報道機関の大切さを身 をもって知ることができました。 地震が神戸でおきた事はテレビでしりましたが、「人ごとだ。又、テレビ情報も遅かったため、 子供達がスキなお父 大丈夫だろう」と思っておりました。JR工事事務所に夕方帰ると「大変だ、神戸が」と街は火のあ さんより らし、道路、桁は落下横転、テレビを見るたび被害は拡大していました。当初は人ごとだと思っ ていましたが、テレビを見るたび身がふるえる思いでした。 ひとりひとりのいのちはかけがえのないもの、そして、ひととひとがたすけあうことでよりおお こどもたちがだいす きなちからがうまれるのだということをあのしんさいからまなびました。 きなおかあさん これから、おとなへとせいちょうしていくこどもたちにも、じぶんもじぶんいがいのひともおな じようにたいせつにしていきていってほしいとおもいます。 「命のバトン」を渡された君達は、きっと幸せになれるだろうし、それ以上に幸せにならねばならな 5年生の息子をもつ いと思うのです。 おとうさん 「命の尊さ」を礎に明るく楽しく育ってほしいと願ってやみません。 私たちは皆綺麗な心を持っている筈です。せめて人に迷惑をかけないようにすることが大切だと 小林 雄郎 私は思います。「おはよう、こんにちは、ありがとう」が素直に云えて、思いやりと感謝の気持 ちで毎日を過ごせたらと、心から願っています。 子供達に対し、あの大震災が一瞬にして6434名もの尊い命を奪い去った事を忘れてはなりませ にしさん白楽会 小 ん。 林和子 又普段から人々が協力し合う気持ちを育てて貰いたいのです。 小屋 幹夫 あの阪神淡路大震災より、早や10年がたちました。 私は、あなたたち青少年たちと、かかわりを持つようになってから50年になります。 今では、それが私の生活そのものになり、それなくしては私自身の生活がありえないともいえる ほどです。