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集客に成功した栃木県の2都市 ~その要因と地域

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集客に成功した栃木県の2都市 ~その要因と地域
2007 年 4 月 25 日発行
集客に成功した栃木県の2都市
~その要因と地域の変化~
①餃子でまちおこし-「宇都宮餃子」
②大型商業施設の効果と影響-佐野新都市
要
旨
1.東京から 100 ㎞圏に位置する栃木県は、製造業の工場が多く立地し、近郊農業が
盛んであるなど、農工のバランスの取れた県であり、地方圏の中では相対的に恵ま
れた状況にある。本稿では、この栃木県の地域振興事例として、短期間に地域の食
としてのブランドを確立した「宇都宮餃子」と、郊外型大規模商業施設として近県
からも多くの客を集める佐野新都市を取り上げる。
2.栃木県の県都宇都宮市は、同県における政治・経済の中心都市であるが、ここ数年
同市を有名にしているのは「宇都宮餃子」の存在である。市内には多くの餃子店が
あり、週末には東京や埼玉など県外から餃子を食べに多くの客が訪れる。近年は餃
子店の共同店舗が営業され、駅前に餃子像が設置されたほか、秋には「餃子祭り」
も開催されている。餃子は庶民的な食べ物であるが、宇都宮の餃子は、業界の取り
組みや行政の後押しにより、地域のブランド食品としての地位と知名度を獲得した。
同時に、その集客力で町の活性化にも大きく貢献している。短期間でブランドを確
立できた背景には、発想のユニークさや商圏の広さに加え、キーパーソンの存在、
地域の協力などがあった。宇都宮餃子は、長い歴史をもつような特産品ではなくて
も、創意工夫と関係者の熱意によって、地域の個性を打ち出せることを示した好例
といえよう。
3.栃木県南西部にある佐野市は、人口 13 万人ほどの中堅都市である。同市の郊外に
は近年、大型の商業施設が集積する佐野新都市が形成された。アウトレットモール
と大型ショッピングセンターを中心にシネマコンプレックスやビジネスホテルが立
ち並ぶ佐野新都市は、東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジに隣接し、交通至
便であることから、東京や埼玉などからも多くの来店者を集めている。このような
集客力のある施設の誘致は、雇用の創出など地域経済の振興に大きく寄与している
が、一方で、佐野市中心部における古くからの商店街の活力低下を招来している面
もある。中心市街の再活性化の試みや、新都市から旧市街に客足を還流させる交通
手段の整備が行われているが、劇的な成果が現われるまでには至っていない。各地
の地方都市と同様に、佐野市においても、郊外型商業施設と中心市街地の共存が模
索されている。
本誌に関する問い合わせ先
みずほ総合研究所株式会社 調査本部 政策調査部
上席主任研究員 内藤啓介
研究員 富永玲子
Tel:03-3201-0572 Email:[email protected]
本レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたも
のではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに基づき作成されて
おりますが、その正確性、確実性を保証しているものではありません。また、本資料に記載
された内容は予告なしに変更されることもあります。
はじめに
栃木県は、関東地方の北部、東京から 100 ㎞圏に位置している。東北自動車道や東北新幹
線などの交通幹線が走り、南関東の大都市からのアクセスが良いため、工場が多く立地して
おり、県内産業に占める第二次産業の構成比が高い(約4割)工業県となっている。また、
同じく大消費地へのアクセスの良さを生かした農業も盛んで、農業出荷額は全国第9位につ
けており、農工のバランスの取れた県である。近年の景気回復を受けて県内製造業が好調で
あり、それに牽引され、県内の経済状況も概ね堅調である。中山間地の過疎化対策や、都市
部の中心市街地の活性化、温泉街の再生といった課題も抱えてはいるが、県全体で見れば地
方圏の中では相対的に恵まれた状況にあるといえるだろう。
本稿では、この栃木県から二つの地域振興事例を紹介する。一つは「宇都宮餃子」である。
県都宇都宮市の餃子は、ここ 15 年ほどの間に、地元のごく一般的な食べ物から、大勢の観光
客に認知される特産品にまでなったもので、いわば地域ブランド確立の先行事例といえる。
もう一つは県南の佐野市郊外に立地する大型商業施設群である。ここには、アウトレットモ
ールを中心に、大型ショッピングセンターや専門店などが立ち並ぶ一大商業エリアが形成さ
れており、車でのアクセスのよさを生かして広域的な集客に成功している。中心市街地空洞
化の要因と捉えられがちな郊外型の大型商業施設だが、ここでは、明暗双方の側面を把握し、
大型商業施設と地域との関わりについて考えてみたい。
1. 餃子でまちおこし
-「宇都宮餃子」
(1) 餃子の町・宇都宮
栃木県の中央部に位置する宇都宮市は、県庁が置かれ、政治・経済両面で県の中心都市と
なっている。また北関東地方で唯一、中核市1の指定を受けており、北関東を代表する都市で
もある。しかし観光の面では、市内に集客力のある有名スポットに恵まれず、日光や那須と
いった県内の有力観光地への通過点にされてしまいがちである。また近年は、市の中心部か
らいくつかの大型店が撤退し、中心市街地の空洞化が懸念されるなどの悩みも抱えている。
さて、近年、この宇都宮市を有名にしているのが餃子である。「餃子の町」としての宇都
宮市の知名度はこのところ急速に高まっており、首都圏では8割以上の人が宇都宮市を餃子
の町と認知しているという調査結果もある2。市内にある餃子を扱う店の数は約 150 軒。市内
各所では、餃子店の協同組織である宇都宮餃子会が作成した「宇都宮餃子公式マップ」(次
ページ写真1)が配られており、宇都宮駅前には地元で産出する大谷石3を彫って作られた餃
子像(次ページ写真2)がある。
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地域の中核的都市機能を備えた人口 30 万人以上の都市で、地方自治法に基づいて政令で指定される。2006
年 10 月 1 日現在、全国で 37 都市が指定されている。
宇都宮市に対するイメージ調査(2002 年に宇都宮市が実施)。
宇都宮市北西部の大谷町付近で採れる凝灰岩(ぎょうかいがん)の石材。古くから土台や石塀などに広く利
用されてきた。
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宇都宮市には、週末ともなれば、東京や埼玉、茨城など近隣の都県から多数が餃子を食べ
に訪れ、有名餃子店には開店前から長蛇の列ができる。1日で 1,000 人ほどの客が来店する
店もあり、中心市街地の賑わい創出にも一役買っている。1999 年からは毎年秋に、市内の大
通りなどを会場として餃子専門店の屋台が並ぶ「宇都宮餃子まつり」が開催されているが、
こちらも順調に集客数を伸ばしており、8 回目を迎えた 2006 年には2日間で約9万人の人出
を記録した。このように餃子を目的として宇都宮市を訪れる客が増えた結果、宇都宮市への
来訪客数は、日帰り客で見れば年間 1,300 万人以上と、世界遺産の日光東照宮などを擁する
日光市を抜いて栃木県下でトップとなっている4。
(写真1
宇都宮餃子会公式マップ)
(写真2
(出所)筆者撮影
宇都宮駅前の餃子像)
(出所)筆者撮影
このように多くの来訪者を集めている宇都宮の餃子だが、宇都宮はいつから餃子の町にな
ったのかと疑問に思っている人も多いのではなかろうか。実は宇都宮の餃子は、ここ 15 年ほ
どの間に、全国的な知名度を誇る現在の地位にまで上りつめたのである。このように短期間
で地位を確立した「宇都宮餃子」は、既に商標5としても登録されている。2006 年 4 月に地域
団体登録商標制度が導入され、地域名を冠した商標の登録が行いやすくなってから6、各地で
地域ブランドの確立により地域振興を図ろうとする動きが活発化しているが、「宇都宮餃子」
はこの制度が導入される以前の厳しい条件の下で、「西陣織」や「夕張メロン」などと並ん
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平成 17 年栃木県観光客入込数・宿泊数推定調査。
商標とは商品やサービスの出所を消費者に伝えるための標識である。商標は商標法で保護されており、特許
庁に商標の登録が認められると、登録者はその商標を独占的に利用することができ、商標には業務上の信頼
(いわゆるブランド価値)が備わることになる。
地域名と製品(やサービス)の名称を組み合わせた商標を文字で登録するためには、以前は、全国的な知名
度などの厳しい要件が課されていた。しかし商標法の改正によってこの制度が導入され、複数の都道府県内
で知名度があればよいなど、条件が緩和された。現在、地域団体登録商標は約 190 件に上っている。
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で商標登録が認められている。そのため、「宇都宮餃子」は地域ブランドの先行事例として、
全国的には無名の特産物などを地域ブランドに育て上げようと取り組む地域から、参考にさ
れているのである。
そこで以下では、宇都宮の餃子が現在の地位を得るまでの経緯や現状などを紹介し、各地で
盛り上がる地域ブランド戦略への示唆を得ることとする。
(2) 宇都宮の餃子が「宇都宮餃子」になるまで
全国的に有名になる以前から、宇都宮市では、餃子は安くて手軽な食べ物として、広く市
民に親しまれていた。戦後、餃子の本場である旧満州(現在の中国東北部)から引き揚げて
きた人々が餃子店を開いたことが端緒とされている。地域に根ざした食べ物であった証拠に、
総務省の家計調査で、宇都宮市は長年全国の県庁所在地の中で最も餃子の消費量が多い都市
の地位を保っていた。1990 年に宇都宮市の職員がこのデータに着目し、市役所の研究会で餃
子によるまちおこしを提案したのが「宇都宮餃子」のストーリーの始まりである。
市の提案を受けて、宇都宮市観光協会が餃子マップの作成などに乗り出したが、当初は餃
子店の側はどちらかといえば否定的な反応だった。餃子は庶民的な食べ物であまり良いイメ
ージがなく、餃子でまちおこしなど小恥ずかしいという感覚であったという。しかし、餃子
によるまちおこしの取組みがテレビ番組で紹介されたところ、その翌日に県外からの来店客
が増えるなどの大きな反響があり、店側も次第に餃子の可能性を感じるようになる。そして
1993 年には、38 軒の餃子店によって宇都宮餃子会(以下では「餃子会」とする)が組織され、
餃子店同士の協力体制が作られた。
一方、宇都宮市の職員は、従来のイメージを変えて餃子を「かっこいい」食品として広め
たいと考え、テレビ局に売り込んだ。これにテレビ東京の「おまかせ!山田商会」というバ
ラエティ番組が乗り、1993 年の秋から 1994 年にかけて、宇都宮の餃子を有名にするという
企画で計7回、番組を放映することになった。番組制作者は、餃子の像を造る、駅弁を作る、
餃子ソングを作るなど、突飛にも思える提案を持ち込んできたが、餃子店側はこれを面白い
と捉え、周囲の協力を取りつけて実現していった。この番組の放映は確実に集客の増加に結
び付き、宇都宮の餃子の知名度も上昇していった。なお現在、餃子を目的に県外から宇都宮
を訪れる客は、若年層、特に女性が多いという。餃子を「かっこいい」食品として売り出す
というイメージ戦略は成功していると言ってよいだろう。
餃子を目的に訪れる観光客が増えるにつれ、餃子店が市内に点在していて探しにくいとい
う声が上がるようになった。これを受けて宇都宮商工会議所は、複数の店の餃子を一度に味
わえる店舗を作って観光客を呼び込み、これを宇都宮の中心市街地活性化にもつなげたいと
餃子会に提案した。餃子会の中心メンバーは賛同したものの、大半の餃子店は、餃子の冷凍
はしない、自店の人間以外には焼かせないと商品の提供に反対した。しかし餃子会会長らの
説得により、13 軒が商品を出すことになった。こうして 1998 年秋、中心市街地の空き店舗
を利用して商工会議所が運営する共同店舗「来らっせ」がオープンした。
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共同店舗は開店直後から評判を呼び、予想を大きく上回る大勢の客を集め、それにつれて
商品を提供する餃子店も増えていった。複数の店の餃子が比較され、客の評価が売上に反映
するため、結果として餃子の味が向上するという副次的効果もあったという。
こうして宇都宮の餃子の人気が高まってくると、近県で「宇都宮餃子」をかたり人気に便
乗する業者が現れ始めた。そこで餃子会では、自分達の権利を守るために商標の登録を目指
すこととし、そのために「宇都宮餃子会」を事業協同組合7に改組した。協同組合となった餃
子会は、2002 年 2 月に「宇都宮餃子」という商標の登録に成功するとともに、商工会議所か
ら「来らっせ」の営業を引き継いだ。組合業務に専従する理事も置かれ、会の活動の充実が
図られた。
「来らっせ」は 2003 年に中心市街地の商業ビル内に移転し(写真3)、現在では 26 軒の
餃子店の餃子が日替わりで楽しめる。連日多くの客で賑わっており、来店者の約9割は県外
から来ているとのことである。また 2002 年には東京に、2005 年には宇都宮の駅ビル内にも
「来らっせ」が出店され、現在餃子会の直営店舗は3軒となっている8。
(写真3
共同店舗「来らっせ」)
(出所)筆者撮影
(3) 商標「宇都宮餃子」のメリット
各地で地域ブランドの商標登録が目指されているが、宇都宮の餃子店は、商標「宇都宮餃
子」をどのように利用し、いかなるメリットを得ているのだろうか。
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中小企業などが相互扶助の精神に基づき協同して事業を行うことによって、取引条件の改善や経営の合理化
などを図るもの。中小企業等協同組合法に基づいて設立される。
東京店は、アミューズメント事業会社である株式会社ナムコの誘致を受け、池袋のサンシャインシティ内に
あるテーマパーク「ナンジャタウン」で営業している。宇都宮駅ビル店は、土産用の冷凍餃子の販売を専門
にしている。
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まず商標「宇都宮餃子」の利用であるが、「宇都宮餃子」の名称は、原則として餃子会の
組合員が宇都宮市内で作った餃子にのみ付けることができる。餃子会の組合員となるには、
最低2年間は宇都宮で営業するなどのルールがあり、餃子会が入会資格審査を行っている。
また商標の侵害に対しては、訴訟も含めた厳しい対応を取っている。しかし、餃子の味や販
路などは各店の独自性を尊重しており、これらの点においては各店はむしろ競争関係にある。
したがって「宇都宮餃子」に共通するレシピがあるわけではなく、また、通信販売や東京の
デパートなど、宇都宮以外の場所で「宇都宮餃子」を販売するのも、各店の自由である。
そして、商標「宇都宮餃子」は各餃子店にお墨付きを与え、観光客などが餃子店を選ぶ際
の一定の基準となっている。公式マップに掲載されているのは「宇都宮餃子」を名乗れる餃
子会の加盟店のみであり、このことにより各店の利益を確保している。また「宇都宮餃子」
は、こうした無形のブランド価値だけではなく、実際に収益を生み出している。餃子会は、
宇都宮市の隣の真岡(もおか)市に工場を構える食品会社の申し出を受けて、この会社の生
産する冷凍餃子に商標「宇都宮餃子」を使用させる代わりにロイヤルティーを得ているので
ある。この収益は宇都宮餃子祭りなどの餃子会の活動資金となっており、「宇都宮餃子」ブ
ランドの発展のために使われている。
(4) 「宇都宮餃子」が地域ブランドとして成功した要因
ここで、宇都宮の餃子が地域ブランドとして確立するに至った要因をまとめておこう。
第一に、餃子でまちおこしというアイディアを餃子店に持ち込んだ市の職員と、それに応
えた餃子会の中心人物というキーパーソンの存在である。第二に、ライバルでもある餃子店
同士が、キーパーソンを中心として結束したことである。協働によるメリットがデメリット
を上回れば店の意識も変わり、協力が得やすくなるため、この段階まで到達できるかどうか
が活動の正否を分けるといえよう。第三に、観光協会や商工会議所、マスメディアなど、周
囲の幅広い協力が得られたことである。これによってキーパーソンの取り組みが強力にバッ
クアップされた。第四に、首都圏に近接し、商圏人口が大きかったことである。最近では通
信販売の取扱量も増えて全国から注文が届くが、特に知名度を浸透させる初期段階において、
商圏人口の多さはやはり有利であったといえる。
そして最後に、宇都宮の餃子自体の魅力と特性である。何年もの間客足が衰えないのは、
実際に多くの人が宇都宮の餃子を美味しいと感じているからに他ならない。餃子会の会長も、
地域ブランドというと売り方に焦点が当てられるが、一番大事なのは商品そのものであると
語っている。周囲の協力が得られたのも、餃子が宇都宮の市民に愛されており、餃子による
まちおこしが市民の共感を得やすかったためと思われる。また餃子は、店で出来立てを食べ
ることが魅力の食品であるため、来店する訪問者を増やしやすく、観光振興や市街地活性化
につながる商品であったことも、まちおこしという観点には大いにプラスであったといえる
だろう。
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(5) 今後の課題
最後に「宇都宮餃子」の今後の課題について俯瞰しておく。
第一の課題は、地域ブランド価値の維持と向上である。(3)で見たようにブランド価値を維
持する取り組みは行われているが、近年新たな問題も表れてきた。まず商標の管理の問題で
ある。宇都宮の餃子店の中には、餃子会に加盟せずに「宇都宮」と「餃子」を含む別の商標
を登録し、利用している店もある。また、餃子会の中でも、宇都宮市以外の工場で同じレシ
ピで作った餃子にも商標を付したいとの申し出があるなど、商標の使用範囲の再定義を迫ら
れる場面が出てきている。
次に、餃子会加盟店の水準の維持である。餃子の味を評価し、店を選ぶのは客であるが、
共同で「宇都宮餃子」を名乗る以上、レベルの低い店が含まれれば「宇都宮餃子」のイメー
ジ低下につながりかねない。また、地域ブランドとして統一的に発展させていくためには、
なるべく多くの店がメリットを享受できるようにする必要がある。そのため餃子会では、加
盟店に継続的な努力を促すような仕組みの導入を検討しているところである。また、共同店
舗「来らっせ」の拡充により、客をできるだけ多くの店に分散させることが計画されている。
団体客や、初めて餃子を食べに訪れた観光客には、まず「来らっせ」で好みの餃子を探して
もらい、ここから気に入った店舗に向かってもらう形にしたいとのことである。
第二の課題は、宇都宮のまちづくりに関わる他の活動との連携である。宇都宮市は現在、
餃子に続いて、ジャズ9やカクテル10などのPRに力を入れており、また、空洞化が進む中心
市街地の再生策も幅広く検討されているところである。これらを繋ぎ、例えば観光客に昼は
餃子を食べてジャズを聴いてもらい、夜はカクテルを楽しみ、中心地のホテルに宿泊しても
らうための方策を考えることが求められているのである。
餃子会は今までにも、各種のまちづくり活動に積極的に協力してきており、餃子祭りやジ
ャズフェスティバル、商業祭の共同開催などで成果を挙げている。しかし餃子会によると、
まちづくりに取り組むためには、やはり行政の大局的なコーディネートが必要とのことであ
った。行政組織は、観光と都市開発、商業振興に担当部署が分かれているため、連携不足に
陥りがちとのことであるが、餃子による集客効果をさらに宇都宮のまちづくりの中に位置づ
けて活用するためには、行政のバックアップによる各団体の一層の連携強化が求められてい
るといえるだろう。
これらは、地域ブランドの確立期にある各地域にとっても、将来的に直面することが予想
される課題である。各地の地域ブランド間の競争も激しくなりつつある今、「宇都宮餃子」
は、これらの課題をクリアし、新たな展開を見せる段階に至って、今まで以上に先行する地
域ブランドとしての存在感を示すことになるだろう。「宇都宮餃子」の今後が期待される。
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日本を代表するジャズミュージシャン、渡辺貞夫氏(1933 年-)の出身地であることによる。
宇都宮には、コンテストでの優勝経験があるなど腕の良いバーテンダーが多いことによる。
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2. 大型商業施設は地域を活性化するか
-佐野新都市
(1) 車社会・北関東の大型商業施設
栃木県を含む北関東地方は、全国で最もモータリゼーション(車社会化)の進んだ地域の
一つである11。そのため、車での移動を前提として社会が組み立てられている面があり、例え
ば、道路交通の便が良い場所に大型の商業施設が立地し、広い範囲から買い物客を集める姿
が見られる。特に、群馬県、栃木県南部を東西に貫く国道 50 号線や北関東自動車道沿いには、
このようなロードサイド型の大型商業施設が多い。
栃木県佐野市は、近年、このような郊外型の大型商業施設の集まる場所として知られるよ
うになった。佐野市は、栃木県南西部に位置する人口 13 万人弱の都市である12。市の南東部
において、南北に走る東北自動車道と、東西に走る国道 50 号線が交差しており、両者の結節
点が東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジ(IC)となっている。このICから西へ 500m
ほどの場所に、外資系のアウトレットモール13「佐野プレミアム・アウトレット」(写真4)
とモール型の大型ショッピングセンター(SC)「イオン佐野新都市ショッピングセンター」
(写真5)が立ち並ぶ。その周辺には、シネマコンプレックス(複合映画施設)、家電品店
や洋品店、結婚式場、ビジネスホテルなどが集まっており、地元名物である佐野ラーメン14の
店も見られる。
(写真4
佐野プレミアム・アウトレット)
(写真5
(出所)筆者撮影
イオン佐野新都市SC)
(出所)筆者撮影
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総務省の全国消費実態調査(2004 年)によると、自動車の普及率(自動車を持つ世帯の割合)が全国で最
も高いのは群馬県(97.3%)であり、次いで栃木県(96.8%)、長野県(96.7%)、茨城県(96.5%)となっ
ている。
12 2005 年 2 月に旧田沼町、旧葛生(くずう)町と合併した。合併前の人口は約 85,000 人。
13 アウトレットとは、ブランド品の在庫などを割引価格で販売することである。アウトレットモールは、多
数のアウトレット店が集まったものであり、1980 年代にアメリカで発達した業態である。アウトレット店
の中で、メーカーやブランドが直営するアウトレット店をファクトリーアウトレットといい、佐野プレミア
ム・アウトレットはファクトリーアウトレットが集まったアウトレットモールである。
14 青竹打ちによる製麺などを特徴とするラーメンで、佐野の名物となっており、地域ブランド登録を目指す
動きもある。
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これらの商業施設には、連日多くの買い物客が訪れる。特にアウトレットモールは栃木県
内のみならず、東京や埼玉、茨城などからも広く客を集めており、今や佐野市の中で最も知
名度と集客力の高い施設と言っても過言ではない。実際、この買い物客の多さが佐野市への
観光客数を押し上げており、その数は宇都宮市、日光市に次いで県下第三位となっている。
この商業施設の集まるエリア一帯は「佐野新都市」と呼ばれている。佐野市の中心市街地
はJR両毛線の佐野駅や東武鉄道佐野線の佐野市駅を中心に広がっており、この新都市から
は3㎞ほど離れている。つまり佐野新都市は、いわば佐野市の外れに、鉄道ではなく車での
アクセスを前提として、文字通り新しく造り出された都市であり、そこに買い物客が流れ込
んでいるのである。
このように郊外の大型商業施設に買い物客が流れた結果、中心市街地が空洞化する現象が
各地で発生している。このため、郊外型大型店は既存の市街地衰退の原因とみなされること
も多い。車の利用が進んでいる北関東ではこの傾向は顕著で、実際に佐野市でも、中心市街
地の停滞がしばしば問題視されてきた。しかし、佐野新都市のように、集客力のある大型商
業施設が周辺地域に活力と賑わいをもたらしている面もあり、その側面を無視しては、商業
立地と地域経済の関係性を的確に把握することはできない。そこで本稿では、佐野新都市の
紹介を通じて、大型商業施設の進出が地域経済に与える影響について多面的に考えてみたい。
(2) 佐野新都市が商業エリアになるまで
まず、この地区が商業地区へと変貌した経緯を確認しておこう。佐野新都市は、独立行政
法人都市再生機構15によって開発された。東北自動車道と国道 50 号線の交点という交通アク
セスの良さ16を生かして、産・学・住・遊を備えた複合的な新都市を造ることを目的とし、
1993 年に栃木県と佐野市からの要請を受けて、旧地域振興整備公団により整備が開始された。
整備対象地域は、事業開始前はほとんどが農地で、人口も少ない場所であったという。1997
年に始まった工事は、商業施設等がオープンした後も継続中であり、2007 年度中の全面完成
を予定している。なお、整備地域の総面積は約 150 ヘクタール、総事業費は約 450 億円で、
同機構が手がける都市開発事業の中では小規模な方である。
佐野新都市は3つの地区に分かれている(次ページ図表1)。(1)で紹介した商業施設群は
高萩・越名(たかはぎ・こえな)地区にあり、この地区には他に、80 戸ほどの住宅や、短期
大学などがある。北部に位置する西浦・黒袴地区、町谷地区はいずれも産業団地である。造
成の終了した合計 20 区画は概ね分譲済みで、製造業の工場などが建てられている。また同機
構によれば、分譲中の1区画についても問い合わせや引き合いが来ており、事業終了時まで
に完売できると見込んでいるとのことであった。
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都市基盤整備公団と地域振興整備公団の地方都市開発整備部門が合併して、2004 年 7 月に誕生した。
群馬県高崎市と茨城県ひたちなか市を結ぶ北関東自動車道(北関道)が、2011 年度の全線開通を目指して
建設中である。佐野市北部には北関道の IC が建設される予定であるため、北関道が全線開通すれば群馬県
や茨城県との結びつきが更に強まると期待されている。
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(図表1
佐野新都市の周辺図)
(出所)都市再生機構 佐野新都市 佐野都市開発事務所
(1)で紹介したとおり、この佐野新都市の中で、最も人と耳目を集めているのが、高萩・越
名地区の商業施設群、特にアウトレットモールである。この地区に大型商業施設が集中する
契機となったのも、このアウトレットモールの出店計画であった。元来アウトレット店は、
正規の価格で商品を販売する都心の百貨店などとの競合を避けるため、郊外に建設されるこ
とが多い。そして、多くのアウトレット店が集まるアウトレットモールは、広域から大勢の
集客が見込めるため、地域経済活性化や観光振興に寄与すると期待され、誘致に動く地方も
多い17。
佐野の場合、アウトレットモールが立地している場所は、当初は物流倉庫などの建設を想
定して整備された土地であった。しかし、交通アクセスの良さと商圏人口の多さを見込んだ
アウトレットモールより出店要望があり、県や市が検討した結果、地域経済へのプラス効果
が見込めると認められ、89 店舗から成る大型のアウトレットモールの出店が決まった。これ
を受けて、この地の北側に既に出店を決めていたSCも、アウトレットモールとの相乗効果
を期待して計画を拡充し、総敷地面積約 85,000 ㎡、食品スーパーと 96 の専門店という大型
のショッピングモールを建設することになった。こうして 2003 年 3 月にアウトレットモール
が、続いて 4 月にSCが開業した。
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佐野プレミアム・アウトレットを手がけるチェルシージャパン株式会社は、現在、佐野、御殿場(静岡)、
りんくう(大阪)、鳥栖(佐賀)、土岐(岐阜)の5か所のアウトレットモールを運営し、2007 年には6
か所目となる神戸三田(兵庫)を出店予定だが、御殿場とりんくう以外はいずれも、都市再生機構が開発を
手がける郊外型の新都市に出店している。
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両施設の開店初年度の集客数はいずれも予想を上回り、合計で延べ 1,000 万人を越えた。
この集客力を見て、他の商業施設も集まってくるようになった。2005 年夏には 10 個のスク
リーンをもつシネマコンプレックスがオープンし、佐野市内では 15 年ぶりの映画館の復活と
なった。同年の秋には家電品店が、2006 年には買い物客や産業団地への商用の客を見込んで
2軒のビジネスホテルが誕生した。またアウトレットモールは、その後2回の拡張を経て、
現在は計 150 店舗規模になっている。
(3) 新都市効果
結果として、これらの大型商業施設は佐野新都市の顔となり、新都市周辺の活性化に大き
く貢献することとなった。
まず集客面であるが、アウトレットモールには年間 500 万人ほどの買い物客が訪れている。
その内訳は、栃木県内からの客が約3割、東京都、埼玉県からが約4割、残りが群馬県、茨
城県その他であり、商圏の広さがうかがえる18。またSCの集客は年間約 700 万人、シネコ
ンは同約 150 万人である。アウトレットモールだけでなく、周辺の商業施設でも栃木県外か
らの来客が見られるのは、商業施設の集積による相乗効果であるといえる。
もちろん佐野の住民もこれらの商業施設を利用しており、1990 年代を通じて下降し続けて
いた地元購買率(市内で買い物をする市民の割合)が 2004 年に上昇したのは19、新都市の商
業施設の影響と推測される。またこれらの商業施設の売上は、合計で年間 400 億円は下らな
いと見られている。
次に雇用面であるが、アウトレットモールとSCで働く従業員数はそれぞれ約 1,300 人、
産業団地の雇用者数が合計 800 人ほどであり、佐野新都市全体では、パートも含めて 3,400
人以上が働いている。佐野市の雇用者総数は約 48,000 人であるから20、佐野新都市の雇用者
数はかなりの規模であるといえよう。
また佐野新都市は、交通の新たな拠点ともなりつつある。2007 年 1 月には高萩・越名地区
内のバス発着所が拡充され、佐野新都市バスターミナルとして整備された。ここは高速バス
の発着所ともなっており、バスターミナルの整備にあわせ、東京と佐野を結ぶ高速バスは1
日 16 往復から 25 往復へ増便された。羽田空港や成田空港、京都や大阪方面へのバスも発着
しており、現在乗り入れている高速バスは7社6路線に上る。待合室は 24 時間利用が可能で、
窓口でバスから乗り継ぐ鉄道の切符を販売することなども検討されている21。
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このため、休日には佐野藤岡 IC 付近の渋滞が常態化しており、大きな問題になっている。
2004 年度栃木県地域購買動向調査による。
20 2005 年国勢調査による。なお、48,000 人のうち、製造業が約 16,000 人、卸・小売が約 7,800 人、飲食・
宿泊が約 1,700 人であるから、特に卸・小売や飲食業における雇用創出効果が大きいといえる。
21 2007 年 1 月 17 日下野新聞。
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またパーク・アンド・バスライドを行う市民や観光客の利用に供するために、200 台を収
容できる駐車場も整備されている。さらに、このバスターミナルは、新都市と佐野駅や中心
市街地を廻る循環バスの停留所ともなっており、他の都市と佐野市内を結ぶ接続点となって
いる。
(1)で述べたとおり、佐野新都市は市の縁辺部に位置するため、特に中高年齢層の佐野市民
の間には、新都市にあまり関心を持たない人もいた。しかし活況を呈する新都市は次第に求
心力を増し、新都市に地域の牽引役を期待する動きも表れている。前述の市内循環バスは、
2003 年の商業施設のオープンに合わせて開通したもので、当初は利用者の少なさに苦しんだ
が、現在は採算が取れるだけの利用者が確保できている。この循環バスには、中心市街地か
ら新都市への客だけではなく、地域外から新都市を訪れる客を市内にも回遊させる役割が大
いに期待されている。また、アウトレットモールを訪れる客に佐野市内の他の観光スポット
をアピールしようと、モール内のフードコートには佐野市観光協会の案内所が設けられてい
る。
(4) 中心市街地の停滞と交通弱者の問題
しかし、佐野新都市の誕生は、このようなプラスの側面ばかりではない。大型商業施設は、
市内の人の流れを一変させたといわれているが、これによって生じた問題が、中心市街地の
停滞と、交通弱者の問題である。
佐野新都市の大型商業施設の中で、中心市街地の商店等に特に大きな影響を与えたのは、
アウトレットモールよりはSCであろう。もっとも、新都市のSCが出来る以前から、佐野
市の中心市街地の空洞化は始まっていた。1996 年にはデパートが撤退して5階建てのビルが
空き家となり、中心部の商店街の空き店舗も次第に増加してきた。新都市の誕生は、こうし
た流れに拍車をかけたとみられ、実際に 2004 年 9 月には、新都市のSCと同系列の中型スー
パーマーケットが中心市街地から撤退した。
もちろん、中心市街地の活気を取り戻す努力はなされており、デパート跡地のビルは、1999
年に地元の医療法人によって丸ごとコンバージョン22され、介護施設と診療所を備えた高齢者
向けのマンションに生まれ変わった。また中型スーパーの跡地には、2007 年 2 月に再びスー
パーがオープンして賑わいを見せている。このスーパーは新都市のSCとは客層の棲み分け
を図り、地元の主婦や高齢者に日常的に来てもらえる店を目指しているとのことである。こ
のほか、商店に家紋入りの揃いののれんをかけて景観の統一を図る試みや、佐野駅を橋上化
して自由通路を設け、駅周辺地域の一体化を図る駅前整備事業などが行われている。また、
市内循環バスやアウトレット内の観光案内所など、新都市の賑わいを中心市街地に波及させ
ようとする試みが行われているのは(3)で見たとおりである。
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建物の用途を転換するために、改築や設備の更新などを行うこと。
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このように中心市街地の停滞感を払拭する試みは行われているものの、残念ながら、以前
の中心市街地の姿を取り戻すまでには至っていない。特に商店街の状況は厳しく、前述の新
設スーパーも、中心部に客を呼び戻す材料になると期待される一方で、商店街の衰退に追い
討ちをかけると懸念する声もある。既存の商店街が賑わいを取り戻すためには、商店街自体
により一層の工夫が求められているといえるだろう。
また、車や運転免許を持たない高齢者や子ども、つまり交通弱者への配慮も強く望まれて
おり、市議会などでもたびたび議論されている。佐野市内の公共交通には、(3)で紹介した新
都市と佐野市街を結ぶ循環バスのほか、旧田沼町地区と旧葛生町地区を中心に廻る市営バス
や、福祉施設をつなぐバスなどがあるが、本数は多くなく、市民の足となるには不十分であ
るとの声が上がっている。車での移動を前提にした都市を是とするとしても、交通弱者に対
するより一層の配慮は必須であろう。
(5) 佐野新都市が示唆するもの
以上では、佐野市における、車でのアクセスの良さを生かした郊外型の大型商業地域の活
況と、町の活気を取り戻すために苦心を続ける中心市街地や交通弱者の問題を見てきた。佐
野市においては、アウトレットモールという、商圏が非常に広い施設が核となっている点が
特徴的であるが、郊外型大規模店の進出と、その旧市街への影響という事象は、多くの地方
都市に共通する姿でもあろう。
どこの地方においてもほとんど変わらない大型商業施設の風景に、ある種の違和感を抱く
人はいるかもしれない。また、アウトレットもSCも、大型であるが故にその影響は大きく、
これらの商業施設に依存した地域づくりを進めてしまった後で、仮にこれらが撤退した場合、
地域へ及ぼす影響が甚大なものとなることも容易に推測できる。しかしながら、佐野の例に
みるように、大型商業施設がもたらす雇用や集客面でのプラス効果は否定できない。また、
郊外型の大型商業施設は、車社会に慣れた地域住民にとっては非常に利便性が高く、それゆ
えに住民によく利用されている施設であることも確かである。
旧来からの商店街や中心市街地に対しては厳しい見方かもしれないが、佐野市の場合、商
業機能の重心は既に新都市に移っていると言える。こうなると、佐野市が取り得る方法は、
中心市街地と新都市の共存をいかに図っていくかということになろう。これまでのところ佐
野市の取組みは、新都市の大型商業施設に地域の牽引役を期待する方向で、中心市街地の将
来像に関する明確なビジョンは不足しているように思われる。この状態のまま新都市と中心
市街地の結び付きが強められるとすれば、新都市の活況を中心市街地に波及させる効果より、
市街地の人やモノが新都市に流れる傾向が強く現れてしまい、共存関係の実現は容易ではな
いかもしれない。商業エリアとして成功を収めつつある佐野新都市の経済浮揚効果を、いか
に佐野市全体の活性化につなげられるか。郊外に大型商業施設を有する都市の典型例として、
佐野市の今後の方向性が注目されるところである。
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おわりに
以上で紹介した栃木県における2つの事例は、いずれも高い集客力が成功の一つの要因とな
っており、大消費地である東京から 100 ㎞圏内という恵まれた地理的条件に負うところも大
きい。しかし、東京圏に隣接するということは、人やモノが東京へと流出するベクトルも常
に働いているということである。実際に大都市近郊の地域では、大都市の強い影響下にあっ
て、ベッドタウン化や地域性の希薄化が問題となっている場所が多い。
そのような中で、これらの事例では、大都市に向かう人の流れを逆転させるだけの魅力を地
域に作り出すことによって、大都市圏の近郊という条件をプラスに転じ、集客に結びつける
ことに成功している。歴史遺産や観光資源が豊富ではない地域においても、個性を育てて発
信し、消費者にアピールする強みを打ち出すことで、地域の活性化を図っていくことは可能
である。地域内の住民よりも地域外の消費者を意識した取り組みという側面はあるかもしれ
ないが、需要を創出していく地域振興の好例として、多くの示唆を読み取ることが出来るの
ではなかろうか。
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