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テヘランは,モスクの数より花屋の数のほうが多い

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テヘランは,モスクの数より花屋の数のほうが多い
現地駐在員だより テヘランは,モスクの数より花屋の数のほうが多い
イラン住友商事会社 総務経理部長 万徳 秀樹
イランがイスラム共和制になったのは1979年の革命以降のことである。ヴェラヤテ・フ
ァギーと呼ばれる,イスラム法学者による統治概念を重要な要素とし,共和制の最高指導
者は三権すべてのうえに立つ。体制移行から35年あまりが経過した現在,イスラムはイラ
ン人の生活一般に深く浸透している。
ところが,同国に暮らしていると,ほどなく,イラン人の生活基盤が必ずしもイスラム
の宗教実践ばかりではないことに気づくことになる。たとえばイラン新年。イラン暦の元
旦(西暦では3月21日に相当)から13日間,イラン人は新年を祝う。日本の師走にあたる
前月からは,ハフト・シーン(7つの S)と呼ばれる縁起物を飾る。緑から豊穣を意味す
るサブズ(Sabz)を軸に,セッケ(Sekke,コイン),シーブ(Sib,りんご)など。Sabz
については,13日間が明けると邪気払いと
してこれを川に流してしまう。日本人が正
月前に鏡餅を供え,1月11日には割って食
べてしまう鏡開きの風習と,よく似たもの
を感じる。このハフト・シーンの様子が筆
者には,イスラムの禁忌とされる偶像崇拝
と映ったため,あるイラン人にそう言った
ところ,
「何を言っているの,イラン新年は
イスラムとは何の関係もないんだよ」と笑
って返されてしまった。確かに言われてみ
れば,イラン暦そのものが,イスラム・ス
ンニ派諸国の多くで採用されているイスラ
ム暦(ヒジュラ暦)とは異なる。因みに,
筆者が本稿をまとめている西暦2016年12
月は,イラン暦では1395年,イスラム暦で
は1438年にあたる。
イラン新年の縁起物ハフト・シーン,
左下の緑の草がサブズ(筆者撮影)
豊穣を祝うことからもわかるように,同
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国は農産物が豊かで,季節の野菜や果物がとてもおいしい。果物のなかでは,ハルボゼを
紹介せぬわけにはいくまい。これにいちばん近い果物はおそらくメロンであろうが,メロ
ンよりしゃきしゃきした食感があり,甘さが絶妙である。おそらく傷みが早いためであろ
うか,国外には輸出されておらぬようなので,これをご賞味いただくには当地をご訪問い
ただくしかない。しかも夏季限定で。木の実の類も言うに及ばず,イラン産ピスタチオは,
かの米国が2016年の経済制裁解除にあたり,貿易解禁アイテムとして,絨毯やキャビアと
ともに含めたほど。街なかのナッツ販売店をのぞいてみると,ピスタチオだけで何種類も,
大きな樽に盛られ量り売りされている。これらを試食しながら好みのものを選ぶことがで
きる。他方,ナッツ店ではなく八百屋で売られているのが,写真の生ピスタチオ。これま
た夏の終わりから秋にかけての季節限定である。これも傷みが早いので,ハルボゼ同様
「ご
当地もの」である。最初はやや生臭い印象だが,病みつきになるのにさして時間はかから
ない。くるみもおいしい。日本で普通に売られているものとは異なりくるみの原型をとど
めているので,見た目にも美しい。そして花。花の種類もさまざまあり,町をそぞろ歩き
していると花屋の1軒や2軒を容易に見つけることができる。イラン人家庭にお呼ばれし
たときの手土産は,花束とケーキが定番である。街なかには公園も多く,週末ともなれば
思い思いにくつろぐイラン人の姿を見ることができる。散歩する人,ござを敷いてお茶す
る人,バドミントンに興じる親子やカップル。ほとんどの公園にはばら園がある。花屋と
公園の多い町が平和でないはずがないとの実感がわいてくる。
おいしい物ついでに,イラン人の典型的な朝食を紹介しよう。筆者も毎朝これである。
イラン人はパンも米も主食としているが,朝はパン。ナーンと呼ばれ,粉を練って薄く延
ばしたものを窯で焼く。街かどのベーカリーで焼きあがる頃合いには焼きたてを求める
人々の行列ができる。ナーンと一緒に食べるのは,トマト,きゅうり,そしてチーズ。チー
季節限定の生ピスタチオ(筆者撮影)
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テヘラン晩秋のある一日。
筆者が手にしているのはケーキの折詰(筆者撮影)
ズの種類も豊富で,マガゼと呼ばれるイラン流コンビニエンスストアで,小さなマガゼで
も数種類からチーズを選ぶことができる。基本はトマト,きゅうり,チーズだが,これら
に卵料理が加わるとなお良い。一緒に飲むフルーツジュースには,ざくろを選ぼう。ざく
ろもイラン名産である。ざくろの紫,トマトの赤,きゅうりの緑,チーズの白,卵の黄。
いろどりだけで朝から豊かな気持ちになれる。また,筆者のようなせっかちで早食いの手
合いには,ナーンのほど良いぱりぱり感が食べるペースをスローダウンさせてくれる。食
後にはヨーグルトにはちみつを添えて。これで20分から30分くらいの朝食になる。本当は
この後,イラン式の煮だした紅茶(チャーイ)を二杯くらいいきたいところなのだが,こ
れをやると会社に遅刻するので叶わない。
閑話休題。2016年1月,核開発問題に課されていたイランへの経済制裁は解除された。
経済制裁中の同国はどんな様子だったのか。われわれ外国人は,イランを制裁対象国と想
定して同国入りするわけだが,入国してみると,制裁で疲弊している印象がほとんど持て
ず驚くことになる。なぜなのだろうか。シルクロードの地図を紐解くまでもなく,イラン
国土のほとんどが交易路網のなかに組み込まれており,同国を孤立させることが地理的に
そもそも難しいのであろう。ただ,経済をじりじりと圧迫する側面は明らかにあり,であ
るからこそ一連の交渉のなかでイラン側も一定の譲歩をし,経済制裁解除に漕ぎ着ける流
れとなったのであろう。
経済制裁解除でイランは沸いているのだろうか。これの解は微妙である。モサデック首
相失脚事件は遠い過去(1953年)のことであり,「搾取する西側」を実体験として記憶す
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るイラン人の数はかなり少ないに違いない。しかし,保守強硬派勢力が「核合意に益なし」
の主張を続けるなか,現実に米国による一次制裁がいきており米ドル取引は禁止のままで
あるなど,現状への不満がくすぶっているとみられる。去る11月の米国大統領選挙結果が
どう影響するのかを語るのは尚早だが,少なくとも政治面・外交面の不透明感が増してい
る。他方,あるイラン人はこう言い切った。「国際社会から途絶されることを是とするイラ
ン人はひとりもいない,だから途絶を是とするような政府はもう誰にも支持されない」と。
筆者はこの一言に,大国に翻弄される歴史を経てきたイラン人のタフさと底力の強さを感
じた。
平和な生活基盤に静かな熱望。そして生まれるものは何か,期待は尽きない。
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