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斎藤 廣志 地名余録(4)
地 名 余 録 (4) 斎 藤 廣 志 (16) 昭和四十年代中頃、住居表示に関する法律 秋田中学校時代の恩師鎌田喜市郎先生が歴 に疑問を抱き始めた当初から、この法律が敗 代天皇陵巡拝記を昭和四十七年の春刊行され 戦後の占領軍が企図した日本人洗脳計画に端 た折の出版祝賀会でのことである。先生はご を発するような気がしてならなかった。勿論、 挨拶で、国民が自国の歴史を忘れ去れば、そ 昭和二十七年で占領軍は去っているのであり、 の国は滅亡するという趣旨を枕にして巡拝の 住居表示制度は昭和三十七年以来の施行であ 思い出や苦労話をされたのを、二十年以上経 るから直接的ではありえないけれども、掛け った今でも記憶している。 替えない貴重な伝統地名や町名を寸毫のため ところで、先頃たまたま読んだ著書の中に らいもなく、まさに弊履を捨てるが如く捨て ミラン・クンデラ著「笑いと忘却の書」から 去ってゆく惨状は、そのように憶測しても決 下記の一文を引用しているのをみつけた。 して理不尽ではあるまいと思っている。 『一国の人々を抹殺するための最初の段階 は、その記憶を失わせることである。その国 (17) 民の図書、その文化、その歴史を消し去った 「秋田県内630峰登頂達成」と題する10ペ うえで、誰かに新しい本を書かせ、新しい文 ージほどの資料をK氏から頂戴した。 化を作らせて新しい歴史を発明させることだ。 秋田県内に於ける二万五千分の一の地図記 そうすれば間もなく、その国民は、国の現状 載の山名が並べられているが、山頂は県外に についてもその過去についても忘れ始めるこ あるが、本県に親しまれている山も含んでい ととなるだろう。』 る由で、これと県境にある山の調整を要する まさに鎌田先生が話された趣旨とぴたりと が、それは後日のことにして、全数630の内、 一致するのである。 森と森山のついた山名は212、従って33.7% (表1)二+万分の一地図より 秋田県内の山名の全数 A B C % 1000m以上の山名数 A’ B’ C’ % 27 32.3 森・森山 163 32 147 37.7 34 14 山 186 12 180 46.2 27 8 23 27.5 岳 61 19 51.5 13.2 35 11 29.5 35.3 その他 11 0 11 2.8 計 421 63 389.5 4 0 100 33 4 4.8 83.5 という数値になる。 秋田県の山名についてやってみたように、 二十万分の一の地図に記載された山名全数 二十万分の一の地図について調べてみると次 をA、そのなかで県境の山名数をB、Aから の(表3)のようになる。 Bの二分の一を差し引いた数をCとして(表 「森・森山」の山名が三割とみてもよかろ Dに示した。 うが、地図の方が全数で二倍以上なのに1000 山名は「森・森山」「山」「岳」「その他」 m以上の全数では二+以上の山名が省略され のように分類した。「その他」とは高毛戸、 ている勘定になろう。山名を書き込むかどう 一方高、大台、唐吹長嶺などである。 以上の山名数についてはA’ 1000m B’C’で示した。 かは、ひとえに編集者の裁量にまかされてい るのだからやむをえないのである。 この表から秋田県内では「森・森山」の山 次に青森については青森放送が発行した 名は四割に近く、1000m以上になっても三割 「青森県地名辞典」の付録に五万分の一の地 以上であることがわかる。「岳」の山名は山 図から500m以上の山名を拾い集めた「主要 が高くなると急増する傾向もわかるであろう。 山岳名」に200ほどの山名が列記されている それでは隣接する岩手や青森ではどうなっ ので、これを資料にすれば(表4)のように ているかを瞥見してみよう。 なる。 岩手放送が刊行した岩手百科事典の巻木に 標高1000mを越すと「岳」の山名が激増し 「県内の主な山岳」と題した3ページがある。 て絶対多数的な様相を呈しているのが、秋田、 標高1000m以上の山に観光で知られている 岩手には見られぬ現象で、奇異にさえ思われ 山を加えた資料だが、県境の山も識別でき、 る。 全数212から(表2)のような結果を得た。 (表2)岩手百科事典より山名の全数 森・森山 A B C % A’ B’ C’ % 56 12 50 25.6 49 12 43 32.2 61 7 57.5 43.0 34 12 28 21.0 山 107 6 岳 43 14 その他 計 1000m以上の山名数 6 1 212 33 104 53.2 36 18.4 5.5 2.8 195.5 5 0 149 31 5 3.7 133.5 (表3)二十万分一地図より 岩手県内の山名の全胞 A B C % A’ B’ C’ % 38 9 33.5 30.3 52 6 49 44.3 31 13 24.5 22.2 森・森山 138 17 129.5 31.1 山 251 17 242.5 58.2 岳 その他 計 44 16 9 1 442 51 1000m以上の山名数 36 8.6 8.5 2.0 416.5 4 1 125 29 3.5 3.2 110.5 前例にならって地図から拾ってみると(表 縮尺のさらに小さな、例えば二万五千分の 5)に示すような数値になる。 一のような地図で求めたら、数値は多少変動 (表4)と(表5)のC’のパーセントの相違 するであろうが、傾向の大勢は上記の数値で は地図に櫛ケ蜂(1517m、黒石市と平賀市の 判断して十分であろうと思っている。 境界)や駒ケ峰(1416m、青森市と十和田湖 町の境界)の記載がなかったり、前記の辞典 (18) の逆川岳(1183m、青森市)が地図では逆川 一見地名とは縁がなさそうな文献から思わ 山になっていたりが響いているようである。 ぬ収穫を得ることがある。 (三省堂の山名辞典は逆川山で、角川の地名 古事記に登場する天之闇戸神(あめのくら 辞典は逆川岳となっている。) どのかみ)闇於加美神(くらおがみのかみ) ではここで二+万の一の地図による(表D 闇御津羽神(くらみつはのかみ)闇山津見神 (表3)および(表5)から三県の平均値を求 (くらやまつみのかみ)などは、いずれも渓 めてみよう。 谷をつかさどる神であり、どの神の名にも 全数のAやA’では県境上にある山が重複 「くら」の音を含んでいる。この「くら」は して数えられてしまうので省略する。Cおよ 鋭角から鈍角までの広範囲なV字型を指す言 びC’におけるパーセントは合計した比率で 葉であろうと推論し、鋭角の典型的V字型の ある。 クラは谷・渓谷であり、鈍角の代表が高御座 本州北端の三県に関しては山岳全般につい や岩座(いわくら)、中間の角度が馬の鞍で ては「森・森山」の山名はちょうど三分の一 あるとする。 を占めていることがわかるであろう。 この記述は吉野裕子著「扇・性と古代信仰」 (表4)育森県地名辞典より山名の全数 1000m以上の山名数 A’ B’ A B C % 森・森山 54 12 48 24.4 2 1 山 78 5 75.5 38.3 3 0 岳 66 5 63.5 32.2 その他 10 0 10 5.0 計 208 22 197 30 3 2 0 37 4 C’ % 1.5 4.3 3 8.6 28.5 81.4 2 5.7 35 (表5)二十万分一地図より 青森県内の山名の全数 森・森山 山 A’ B’ A B C % 75 13 68.5 28.6 2 1 113 47.2 4 0 116 6 岳 55 6 その他 6 0 計 1000m以上の山名数 252 25 52 21.7 6 2.5 239.5 26 3 0 0 32 4 C’ % 1.5 5.0 4 13.3 24.5 81.了 0 0 30 の動で 4 tJ にあって、胸グラ、股グラ、さらに (表6)C 4fS 胡座(あぐら、呉座とも書く)にも 秋田 わ らヽJ神渓 及び、穀物の収納所の倉も深い凹み 森・森山 147 であり、枕はアタマクラの意だとい 山 180 うのである。 岳 51.5 余談だが、胸グラといえば、楠本 その他 11 憲吉の句につぎのようなのがある。 計 389.5 岩手 129.5 242.5 36 8.5 416.5 青森 68.5 % 計 345 33.0 113 535.5 51.2 52 139.5 13.3 25.5 2.4 6 239.5 1045.5 汝が胸の谷間の汗や巴里祭 胸の谷間すなわち胸グラであり、 C’(1,000m以上) この句からもクラが谷であることが 秋田 岩手 青森 計 % 察知されよう。 森・森山 27 33.5 1.5 62 27.7 また、枕については諸説があって、 山 23 49 4 76 33.9 どれが定説なのか決しかねるが、魂 岳 29.5 24.5 24.5 78.5 35.0 のクラで、タマクラがマクラになっ その他 たという説をとりたい。(小川光陽 計 4 83.5 3.5 0 110.5 30 了.5 3.3 224 著「寝所と寝具の文化史」) まあ胸グラや枕を別にしても、ク ラが谷であることが理解できるし、V字型の 令布達が出されたようで、「県名の義、従来 縦半分すなわち崖、絶壁などもクラの範躊に 朽之字相用ヒ来り候処以後栃之字ヲ相用ヒ候 入ると考えてもよかろうし、光の及ばぬ谷間 條此旨布達候事」という文面の写真が載せら から「暗い」が生じたのも納得しえよう。 れている。 県内にはクラ地名の小字が150以上ある。 しかしながら、これは栃木県における出米 秋田市内では太平寺庭の土倉、川尻の石倉向 事であり、その栃の字が本米の朽を圧倒して がそれだが、後者は昭和四十年の住居表示で 日本国中栃に統一されたが如き様相になって 一部が川尻上野町、一部が川元小川町に変更 しまったのは何とも不思議である。 されている。 角川の地名辞典別巻、日本地名総覧にはト チに関する地名が151記載されているが、橡 (19) の字が5、析が2で、栃が138であって、なん 十が千集まると万になるということで、木 と91.4%が栃なのである。なお変わった例だ 偏に万を書いてトチと読む析という国字を創 が本荘市鳥田目の別称として按田目(トチタ った。それが栃に変化した経緯については昭 メ)村が記載されている。 和五十一年刊の「日本語の現場第二集」(読 布達を出して栃に統一しようとしたのは栃 売新聞社社会部)に詳述されている。 木県であり、それが析を駆逐して全国制覇 明治五年十月に書かれた栃木県庶務課記録 (?)をしたのはどんな事情によるものであ 掛の「県名の義、橡、栃の両字を混交して使 ろうか。 ってきたが、一定せず、不体裁につき、太政 ただし、上記の総覧は小字名には及んでい 官お渡しの御印の字にならい、栃の字を用い ないので、小字名についてみれば状況は全く るよう…(略)案を添えて、うかがいます」 変化するかもしれない。例えば県内にあるト という趣旨の文書があるそうだし、それが励 チ地名の小字名は49あり、内訳は朽が東由利 行されなかったらしく、明治十二年四月に県 町老方の朽木台一例のみで、栃が4例、残り の44は梱という漢字である。なお、東由利町 阻止され、このたび青島は東京都知事に選出 杉森に梱木沢とかいてコバキサワと読む一例 された。あの鼻もちならない軽薄さが今の世 がある。 にうけるのであろう。 (20) (22) 二字の言葉で、二字目がマである言葉は地 公式な席上で、この地区には残しておかね 形をあらわすと言う。その実例としてヤマ・ ばならない地名は一つもないという発言を二 シマ・ハマ・ヌマ・クマなどが挙げられてい 度聞いたことがある。一度目はだいぶ前のこ る。 とだが県の役人で、二度目は市の役人であっ 最後のクマは正しい表記は隈であって「こ た。 の道の八十隈ごとに」などと万葉集中にたび 私は我々周辺の地名群を人間社会と同様に たび用いられている道や川の曲がり角を意味 受け取っている。 する言葉である。 家系を誇る者もいれば大学者もいる。抜群 日本海軍の軽巡には阿武隈や三隅という艦 のスポーツマンもいれば著名な技能者もいる。 名があったが、特に前者は私が小学四年の頃 このような選ばれた人々のまわりには、その 以来おなじみ、5、500屯級、3本煙突の艦形も 数十倍、数百倍の一般庶民がいる。 なつかしい。 その選ばれた人々は生きる権利があるが、 この阿武隈は茨城、福島県境に源を発し、 常凡無名の庶民はサリンで死のうとどうなろ 福島県中通りを北上して宮城県に入って太平 うと知ったことかというのと、残すべき由緒 洋に注ぐ大河の河川名に由来するのは申すま ある地名は一つもないと言うのとは全く同様 でもない。古くは大隈、大熊などとも書かれ に聞こえるのである。 たそうで、昔の表記でアフがアウに変化した。 佐藤春夫の「秋刀魚の歌」に「愛うすき父 それが更にアムになったのは、ウマがムマ を持ちし女の児は」という一行があるが、 に「むべ山風を…」のムベがウベになったり 「愛うすき役人も持ちし地名達は」である。 は融通無碍、そのムに神武の武を宛て、それ このようなYAKUNINはYをはぶいてAKIJNINと がブと読まれてアブクマの読みが生まれたら 呼ぶべきである。 しいのである。よって、阿武隈は大曲りを言 地名と対するにも民主主義的思考を捨てて うのと同じであると考えてよいらしい。 もらいたくないものである。 ちなみに山口県の阿武川は大川と同意語で あり、大阪府茨木市の阿武山は大山というこ とになるそうである。 (2D 一昨年のことだが、福島県西白河郡大信村 の田園調布問題が話題になっていた頃、テレ ビで対談していた青島幸男が、面倒なことを 言わずに認めてやればいいのに、という趣旨 の発言を捨て台詞的に吐いて番組が終わった ときの印象を忘れることは出米ない。その後、 大信村の国井村長は買収で逮捕され、五選を