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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
永青文庫蔵『いはや物語』の挿絵と本文について
Author(s)
勝俣, 隆
Citation
長崎大学教育学部人文科学研究報告. vol.56, p.1_a-15_a; 1998
Issue Date
1998-03-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/5748
Right
This document is downloaded at: 2017-03-31T01:24:44Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第 真号
∼
一
三
(一九九七)
永青 文庫 蔵 ﹃いはや物語﹄ の挿 絵 と本文 に ついて
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描かれ ている。 紙背 は金 の切箔が散らし てあ る。本 文の字高 は、約
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熊本大学附属図 書館 に寄託され ている永青文庫蔵 ﹃いはや物語﹄
二十七糎。 〓付は'十 二から十七字程。挿絵 は、上 巻が六図㌧中巻
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は、挿絵 に特徴を持 つ華麗な絵巻 である。文部省科学研究費基盤研
が七図、下巻が六図 の計十九図あり、 どれも美麗な大和絵 である。
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究 (
C) の調査 ・研究 の 一環とし て、同絵巻を調査 した結果'中世
寛永 ・寛文頃と推定され ている無刊記本と本文が同 一な ので'寛文
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小説 の本文と挿絵 の関係を検討す る に際し て'十分 に考慮 に値す る
頃 の作 だろうと ﹃
室町時代物語大成﹄ の解説 は指 摘
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興味深 い例 を有す ることが判明 した ので、貝体例を示しながら'考
図書館 や臼田甚 五郎氏 の所蔵 される寛永 ・寛文頃 の無刊記本 と比 べ
挿絵第 一園 について
次 に、挿絵と本文 の関係 に ついて検 討し てみた い。
二、挿絵と本文 の関係 に ついて
次節 で、挿絵 と本文 の関係 に ついて考察したい。
その指摘 は、恐 ら-正しいであろう。(
2)
ると、漢字 ・仮 名 の違 いを除 けば'確 か に本文 は 一致しているので、
(
1)
す る。 国会
察し てみた いと考 える。
「 永青文庫蔵 Fいはや物 語J に ついて
まず、本書 の書 誌 に ついて述 べる。
大型絵巻 三軸 で'黒漆 の塗られた箱 に、黄 の絹布 に包まれ て納め
られ ている。紙高 は約三十 二糎。鷺色地 の錦繍 の表紙 で'見返しは
金紙。題篭 は、表 紙左肩 にあり'「いはや物語 上 (
中 ・下)
」と墨
書 され ている。料 紙は鳥 の子紙 で、金泥 で、草花 や庭 の植込み等 が
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と北 の方 と思われ る人物 が乗 った舟 の二隻が平走 し て瀬戸内海を筑
紫 に向け て航海 す る様 子を措 いたも の である。 舟 の大 き さが、瀬戸
内海を航海する船 とし ては、乗船 の人数から言 ってもあまり にも小
さ いが、人物 の描 写 に力点を置 いた結 果とし て、止 むを得な いも の
があ ろう。船 の方向が左向きな のは、物語が右 から左 へと展開 され
る物語 の時 間 の向 きと 一致させるため であるとす る黒 田氏 の指摘 の
通 り であ ろう。該当本文 は、次 の通 り である。
す でにとも つなとき て、御 ふねとも、 いたしけれ は、少将 み
を-り給 ひ て、なく/1
1都 へか へられけ り。 (
挿 絵 ) さ て、 そ
つ殿-たり給 へは、 ゑ-ち ・か んさき の遊 君とも ま いりける。
そ つ殿、御 ら んし て、我を恩 は ∼、 たい のや の舟 をも てなせと
ありけれは、 ゆうく んとも、 た いのやの御 ふね にま いり、 いま
やうおもし ろく、 うたひす ましけれは、 れうらき んしうを' か
すをしらす、 たひにけり。
絵 とし ては、港 で泣きながら見送 る少将 の姿 を描 -か、江 口 ・神
崎 の遊君 が舞 っている姿 を含 め て図案 化した方 が面白 いが、 ただ舟
と中納言 一行しか描かれ ていな いの で、 やや物 足 りな い 。絵師 の描
き方 は、物 語 の文脈 に沿 うよりも'機 械的な解釈 によ った面 があ る
のではな いかと思 わせ る構図 であ る。
挿絵第 三図 に つい て
挿絵第 三図は、 不思議 な内容 とな っている。 この構 図を理解す る
ため には'先 に該当場面 の本文を見 た方が良 いであ ろう。
舟 にめ し ぬ。 さるはと に、夜 ふけぬれ は、佐藤 さゑも ん は
七 日 にも な りぬれ は' あか つき御 ふね いたす へしと て、 を の
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小舟 にのり、 たい のや の御 ふね に こき つき、 のりう つり、を の
れかふねを、 せか いに つなき てt やかた のうちを みれば、 三月
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十 八 日の夜 の事 な る に、母宮 の御 め い日と て、 ら いか うのあ み
た のゑさう 一ふ-かけた てま つり、 せうかうのにはひくんし て、
姫君 は、御本尊 の御 ま へに、 うら山 ふき の十 三、も え きのうち
き、 こきくれな い のはかまめし て'御手 には' こん て いのはけ
き ゃう、 みなす いL やう のしゆすとりそ へ、も たせ給 へるとお
はしきか'御 ゆ にくたひれ させ給 ひて' つくえ により かかり、
ねふりましますか、御き ゃう ・しゆす' つくえ におち てそあ り
け る。 (
挿絵)
本文 から伺 われる場面 は、姫君が'母君 の命 日だと いう こと で、
阿弥陀 の絵像 に向か って法華経 を読 み、冥福 を祈 る法要 を していた
が、乗船前 に'継母 から熱 い湯を懸 けられ、 湯疲 れし てし ま った の
で、机 に荒れかかり、 居眠りし ていると ころを'継 母か ら姫君を盗
み出す よう に説得 され た家臣 の佐藤左衛門が、様子を伺 っていると
ころ であ る。挿絵を見 ると、姫 君 は'絵像 の前 で経典 らし さも のを
る。 しかし、 問題 は、 それ以上 に大 き い。本文 では' 「を の/\ 舟
読 ん でいる最中 であり、居眠 りをし ていると作 る本文と は髄酷があ
実際、 「
佐藤 さゑも んは、小舟 にのり、 た いのや の御 ふ ね にこき つ
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臼 田氏所蔵 の 「いはや のさうし」 の挿絵 では、姫君 は、 ほ ぼ同じ構
れは、先行 の該当部分 の挿絵を見 ると、理解 でき る。国会 図書館 や
に大きな敵甑 がある. 絵師が本文 の読 みを誤 った のであ ろ うか。 こ
る のは、立派 な松 が生 えた土 の庭な のである。明らか に挿 絵と本文
きな屋敷 の 一室 に座 って読経 し、 それを伺 う佐藤左衛門 が 立 ってい
あ る こと は明白 である。 と ころが、挿絵 では、姫君 は、寝 殿造 の大
ちを みれは'」 とあ る のだから、佐藤左衛門 も姫 君 も舟 の上 の人 で
き、 のりう つり'を のれかふねを、 せか いに つなき てt や かた のう
にめし ぬ。」とあ って' 一行 の全員 は既 に乗船し ているはず であ る.
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永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 に ついて
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ひ'き ぬのそ てひきむす ひ て、かた にかけ、舟 はたにたちより、
勝
図 で、佐藤左 衛門 は、舟 に乗 って姫君を盗 もうと や ってき ている。
念 併百 へん はかり申 て、 いまや /\ とまち給 ふ。 おはしめしき
即ち'本文 でも、姫君 は、丹端 に立 って、 念仏を 唱 え て最期 の時
しかし' この 「いはやさうし」 では、 室内 ま で海 が入 り込 ん でいる
を基 にし て、 その不自然 さを解消す るため に、佐藤左衛 門を舟 から
を待 っているの であり、挿絵と本文 は、 この舟 の上 の様子だけ に限
りたる てい、 みる になみたもと ∼まらす。 (
挿絵 )
降 ろし て、庭 に立 たせ てしま った のではな か ろうか。物 語を全 く離
定すれば、 ほと んど正確 に画像化 したと言 え そう に見 える。 しかし
と は明 らか に異 な る。 これは、挿絵第 三図と係 わる のであ るが、絵
れ てしまえば ' この挿絵第 三図 のみは不自然 でな い。 しかし、 その
また、本文 の読解 を誤 ったとも解釈 でき る。絵 師 は、 「佐 藤 さ ゑ
師 は、 佐藤左衛 門 が'陸上 の屋敷 の中 から姫 君を盗 み出し、小舟 に
挿絵 では'舟 の後 ろにも、舟 の槙 にも'岸 が迫 ってお り、樹木 ま で
も んは、小舟 にのり、 た いのや の御 ふ ね に こき つき、 のりう つり、
乗 せ て運 ん で運 ん でい-と誤解 したため に'当該 の絵 も'陸地 から
結果、挿絵 の内容と物語 の本文 と は大 きな垂離が生 じ てしま った の
を のれか ふねを、 せか いに つなき て、 やかた のうちをみれ は」 の部
舟を漕 ぎだした場面を描 いたと思 われる のである。 本来不要な陸地
生 え て、本文 のよう に'瀬戸内海 の直中 で、 周 りは海ばかり の場所
分を、小舟 に乗 った佐藤左衛門 が、 一度自分 の舟を降りているので、
が描か れ ている のはう 一度 の誤解 が次 から次 へと誤解 を生 ん で行 っ
また、 さら に言 えば、姫君 は盗 み出 された当初 は、 眠 ったまま で
姫君 の舟 に乗 り移 ったと は思 わず'陸 に揚 が ったと誤解 し、 さら に
陸上 の通常 の 「
館」 すな はち、 「
屋敷」 と誤解 し てし ま った の でな
あり、 沖 へ漕ぎ だし てから、起 こされ て、事情を察 した後 で、自 ら
た結果 と考 える こと によ って、納得 できよう。
か ろうか。 こ の絵巻 を読 んだ姫君が何 を考 えたか知 りた いと ころで
丹端 に立 ち上が り、最期 の時を待 つわけだから、 こ の絵 のよう に、
からし ても、本 文 とは擦 れがあ る こと にな ろう。ま た、舟 の進む方
あ る。
挿絵 は、佐 藤左衛門 が、小舟 に姫君 を乗 せ て運 ん で行 き、姫君も
向 が物 語 の展開 と逆方向 である こと は、黒 田氏 が言 われるよう に、
陸地か ら漕ぎだ し てすぐ立 っているよう に見 えるのは、時間 の経過
地先 で立 ち上 が って'念仏 を申 し て' 佐藤左衛門 の刃 に掛 か る のを
通常と は異なる事態を表現 し ているわけ で、 姫君が危機 にあ る こと
第 四図 は、佐藤左衛門 が、姫君を陸地 へ置き去 り にし て、舟を漕
を物語 っていよう。
んと いふとも、 よも みせし。 よし それと ても'弥陀 のら いかう
いで、 屋形舟 に戻 って行 く場面 であ る。本文 は'次 のよう にな って
ひめ君、 ・・・さ てt の給 ひけ るは' な に事 も思 ひを-事 は
にあ っか ら は' いとをしき人 J
Vにそひた てま つる へしと' つい
いる。
挿絵第 五図 に ついて
たちあか り、 はかま のそはたかくとり、 Lやう そく ひき つくろ
な けれとも、今 一た ひ父御前とめ のとを みたき はか りな り、 み
待 っている場 面 であ る。該当本文 は、 次 のよう であ る。
挿絵第 四図 に ついて
「やかた のうち をみれ は」 の 「やかた」 を 「
船屋 形 」 と は読 ま ず に
でなか ろうか。
よう で、此自 体不可解な絵 であ る。本書 の絵師 は' 「いはやさうし」
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とかく、 こかれ ゆく はと に、あ はち のゑしまか磯 へそゆられ
行。佐藤左衛門、 うみ のお も てを みわたせは、大な る いははあ
り。 うれし-思 ひ て、此岩 あな のう へに、 いたきあけた てま つ
り、是 にて、 ともか-も み つから御 はから ひ候 へ。御 な こりお
しく は候 へとも'心 つよ- も てな し、な みたととも に、 こき て
そか へりける。 ひめ君 は、 いはは のう へにす てられ て' てん に
あふき、地 にふし、 りう て いこかれたま ひけり。 はるか のな み
を へた て∼、御 こゑはかり 聞 こえ て、 さとうさゑも んも' な /\ ふねさしもとりけり。 (
挿絵)
本文 では、 「うみ のおも てを みわたせ ば、大 な る いは はあ り。 う
れしく恩 ひて、此岩あな のう へに、 いたきあけた てま つり」とあり、
佐藤左衛門が姫君を置 いた場所 は、海 の中 の 「
大きな巌」 であ る こ
と が明示 され ている。 と ころが、挿絵 では、 「
大 き な巌 」 では な て'陸地 そ のも のと思 われる場 所 であ る。 そ こには、松 の木 や草花
ま で生 え ていて、 と ても巌 と い った描 写 ではな い。 これも、 この絵
師 の発明と いうよりは、先行作 品 の影響 とみなす べきだ ろう。 何故
な ら、国会図書館 や臼 田氏所蔵 の 「いはやのさうし」 でも、 はば同
様 な陸地 が描かれ ているから である。 それを、も っと本文 に忠実 な
天 理図書館蔵 「いはやも のがた り 」 や スペ ンサー ・コレク シ ョンの
。 (4)
「いはや」等 では、実際 に 「
大 き な巌」 とし て措 か れ ている のと比
べると、両者 の違 いは大 き い
挿絵第六図 に ついて
この挿絵 は'実 に奇想天外 と言 える内容を有 し ている。絵 では、
姫君 が、浜辺 の波打 ち際 におり、 そこに向か って'小舟 に墨染 め の
衣 を着 た尼を乗 せ て'船頭 が舟 を近づ け て- る場面が描かれている。
何故、舟 に乗 っている のが、 尼 な のか。本文 は、次 の通 り であ る。
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 に ついて
FBI
くなる上 らうみえ給 ふ。 あま、 思 ふやう' こはいか に' た ゝ人
あ さりL にいてけるか、岩 の上を みけれは、 ゑにか け るか こと
さるはと に、 あかし のあま、 L は のみち ひるをう か ゝひ て、
だけが舟を漕 いでいる図 が 一般的 であ る のに、国会 図書館蔵本等 で
性 もあ る。天 理図書館蔵 「いはやも のがたり」等 では、男性 の海人
近づ い てくる場面 が措 かれ ている ので' そ の女性 を尼と誤 った可能
臼 田氏 所蔵 「いはやのさうし」 で、舟 に男女 の海人 が乗 って姫君 に
隆
にはあ らし。天人 のやうかうか、りうによのあそひ給 ふか、か ∼
女性も描かれ た ことが間違 いの始 まりかも知れな い。 だが、最終的
俣
る人を は いまた見すとおもふ て' ふねさしと ゝめ、 つ-/\ と
には、 絵師 による本文 の誤読 が最大 の要因と言 え よう。
勝
ま はりけり。 ひめ君 は、 またか ∼るも のを は、 みな ら はせ給 は
語をさ せ ている場面 であ る。本文 は次 のよう にな っている。
挿絵 は、行者が数珠 を押し操 ん で、北 の方 に付 いた邪気 から'物
挿絵第 七図 に つい て
となきたま へは、 あまふねを こき よせ中 やう' いかな る
あさりL にいてけるか」 とあ るのだから、潮 の干満を伺 って漁をす
本文中 の 「あかし のあま」 とは、 「L は のみち ひるを うか ∼ひ て、
さめく
と せめけ れは、き た の御 かたは つかしけ にて'衣 ひき か つき、
L やけ はも のかたり にそき たるら ん' な にも のそ'な のれ/\
さるはと に、 そ つと の、 たさ いふ に つかせ給 ひて、北 の方 の
る漁師 であ る こと は明 らか である。 と ころが'絵師 は' 何を誤解 し
る。我 は是 み やこのも のな り。 ち んせ いのき ゃうしや にみゆ へ
人 にてまします そ。 か ゝる岩 のう へにた ゝ 一人、 お はしまし候
たか、 この 「あま」を 「
海人」 ではな-、 「
尼」 と思 い込 んだ の で
か らす。 されとも、あまり の- るし さ にた ゝ今 ま いりたり。大
風 の心地 と て、し やけ有 て、物 く るはし-お はしませ は、 さ る
あ る。確か に、「あさり」 の部分を読 み過 ごせば、「
尼」 と誤解す る
田 の御門 の二 の宮 な り。 た いのや のは ゝにてさ ふらふ。 をんあ
そと申 せ は、 (
挿絵)是 は'都 のも のな るか 、 か よ ひふ ね よ り
余地もな いわけ ではな いが' 尼が舟 に乗 って近づ いて来 る必然性 は
ひ のみち こそかな しけれ。 た いのや十歳 にて、 むしやう の風 に
へききやうし やを Lやうし て、 いのらせ給 へは、 よりまL に つ
全 くと言 って良 いはどな い訳 だから、 や はり、 「尼 」 と 捉 え る の不
さ そほれ て、 はかな-成 て候。姫をす てをき、 め いと のた ひ に
す てられたりと の給 へは' さも候 か や、御 いたはし- こそ候 へ。
自然 である。﹃
岩屋物語﹄ の伝本 は多数 あ り、 挿 絵 の付 いたも のも
おもむく こと のかなしさよと'思 ひしまうね ん に、 はた ひのみ
かすし て、北 の御方身 つから' きち ゃう のうち よりと ひいて、
少 な-な い。今 ま で種 々の挿絵を見 てき たが、海人を尼 に誤解 した
ち にいらすし て、 けうやうすれともわうL やう せす、 また' つ
さらは'我らかすむ所 へいり給 へと、申 けれ は、 うれし- こそ
挿絵 は'他 に見 た ことがな い。本書 の挿絵 の特異性と言 っても過言
く る つみなけれは' ち こ- にもおちす、六 たう にた ∼よ ひぬ。
き ゃうし や のま へ∼おはしけれ は、 き ゃうしやしゆすをしもみt
ではな い。本文 の読 み間違 いが、挿絵 を変形 させ てしま う典型的な
あ さ夕 まも るかひもなく、 な にのとか により、 たいのやを は、
となき給 ふ。 ややしはらくあ り て、 か -そ のたま ひけ
例 とし て、興味深 い 一例 であ る。 なお、 この場合 も、国会図書館 や
さふらふ へけれと、 のたま へは、 ・・・
めく
ら んと、 おそろし- て、 よく/LI
み給 へは、人なり。 ひめ君 さ
ね は'人 にてはあらし、 われをうしな はんと てそ、 き たりたる
′ヽ
したるも のもなし。 然とも、 し や けかくあら ほれ てのち、 よく
く色を みせ て、衝けうやうさま/-トし給 へは、 さる事と'す い
名 のり給 へとも、北 の御 か た、 た いのや の御 ことを ふか-なけ
のたま ひてさめ /\ と そなき給 ひける。 (
挿絵) か やう には、
あかし のうみ へし っめ給 ふ そ。 あ ら はいな や、うらめLや、 と
の高 い 一枚と言 えよう。
ち 「みせ はた」 は' 画面中 に描 かれ ていな い.全体的 には' 1致度
か し、帥 殿が少将 と面会す るき っか け とな った 「
大 きな る はた」 即
た ると見 れば'挿絵 と本文 はt T応' 1致し ている こと にな る. し
少 将と思 われる。残 り の五人 の僧が、 「
ちかき里 の上 人 た ち」 に当
挿絵 で、画面左下 の帥殿 の近 - に立 っている僧 が剃髪 し た四位 の
挿絵 は中将と左近 の丞が、姫君 のいる部屋 の前 に立 っている場 面
挿 絵第九 図 に ついて
成給 ひけり。
この挿絵 が、 「
北 の御方身 つから' き ちゃう のうちよりと ひいて、
き ゃうしや のま へ∼おはしけれ は' き ゃうしやしゆすを しも み、 し
面 と言える。特殊 なも のが多 い本書 の挿絵 の中 で、むし ろ珍し い 一
けれ は、
」 とある部分を画像化 した の であれば、 全 -問 題 のな い場
き給 へは、 おも ひもよら ぬ' さも ゆふな りし姫君、御 とし十 五
六位 のしんは、 はやか へりぬ。 さ こん のせうと た ∼二人、 のそ
さ りなから、上 のいはやみんと て、 ひそか にあか りたま へは
である。 これも'本文と の敵酷 が大 き い。本文を掲げ る。
枚 である。
六と みえ つるか、 かみ のか ∼りよ りはしめ て、 すかたありさま
\とせめ
やけ はも のかたり にそき たるら ん、 な にものそ' な のれ /_
挿絵第八図 につい て
あれはな にはたそとへと ひ給 へは、 四位 のせうL やう、 ちかき
高砂 のをさを とをら せ給 へは、海 中 に大 きなるはたそみえける。
も、あかし のうら に てと て' いそさ のはら せ給 ひけり。尾上 ・
さ て' そ つと のは、 三と せ にも な りぬれ は、姫君 の第 三年を
西と は いはやなり。 みな み の方 にさほを つり、 うらやまふき の
たき事 かきりなし。 いはや のうち をよ- ′\ みたま へは、北 と
させ拾 ひて、 みま はし給 ふ御目 のうち、 あくま てけたかくらう
す へしとは、 とうちなかめ給 ひ て、御な みた、 はら はらとなか
け て、思 ひさや身 をあま ひと にな しは て ∼もくす火 ひとりあ か
みめ い つ-しき' あ ひか ゝやくけ しき にて、 ひとり火 をあかし
里 の上人たちをLやうし て、 Lやう こんたうちゃうを こしら へ
十 三 に、 うはかさね、 -れな ゐ のはかま そ へてかけられたり。
挿 絵は、僧が六人集ま り、海 に向 か って、亡 き姫君 の法要を し て
て、八ちく のはけさ やうを か ゝれ け るみせ はたと そ申 ける。 た
岩 の上 にはら いかう のあ みた の三尊、す みゑ にか ∼れ たり。御
て、 おはしけり。 こは いか にとお はしめし て' まちかくより て
いのや この へん こそし っませ給 ふら んと て'海 の中 へ御 はうら
前 には、あさ のいと にて四季 の花 をむす ひてた てられ たり。 こ
ると ころに'姫君 の父 であ る師殿 が立 ち寄り'僧 の 一人 とな ってい
くし給 へりけ る。 そ つ殿、 さ てはと て、 は つかしなから、御 た
ん ていのはけきゃう、 みなす いL やう のしゆすも、をき給 へり。
み給 へ共へ姫君 はしらせ給 は て、 御 こゑいとやさしさ をうちあ
いめん有けれ は、少将、 みるよりな みたはら / トとなかし、恋
あるかなきか のうす ゝみ にて'ようもん ・ほうもん ・経 ろんか ∼
る少将と会話をし ている場面 であ る。 本文は次 の通り である。
しき人 のかたみとおも ひ、 つ-/\ となかめ てお はします。
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵 と本文 に ついて
i芦
司
勝
俣
隆
で
あ
る
。
挿
絵
第
図
十
つ
て
に
い
ん
や
恩
の
ふ
ひ
か
れ
う
も
と
た
く
り
ら
し
、
。
絵
挿
将
左
丞
近
中
君
姫
盗
が
面
場
は
す
を
出
み
と
で
れ
あ
る
こ
も
、
。
、
海
人
屋
岩
遠
程
例
豪
の
奪
御
殿
盗
面
は
場
か
な
い
す
と
み
明
出
で
ら
、
見
ず
子
障
隙
な
間
審
不
の
で
思
き
は
が
る
に
て
な
が
た
い
っ
、
、
題
庭
松
で
が
あ
お
な
言
黒
氏
る
の
に
田
は
の
ろ
と
う
こ
。
、
、
、
身
変
「
遂
面
場
を
げ
の
る
コ
効
松
果
て
」
描
が
的
か
れ
に
と
い
る
し
ド
ー
、課
コ
レ
・
ー
実
事
天
書
図
蔵
館
「
」
る
や
い
が
の
た
は
サ
ペ
ス
も
り
ン
。書
、
絵
挿
丁
寧
が
で
よ
あ
の
書
本
照
参
が
し
る
り
は
い
た
の
に
し
、
、書
来
見
間
が
分
出
得
納
か
て
挿
絵
る
と
こ
た
師
の
は
こ
し
っ
。
、「
系
本
別
同
性
能
可
の
で
示
あ
た
す
知
を
か
の
後
今
れ
な
い
そ
は
も
っ
。
、」
絵
が
岩
屋
遠
派
立
殿
御
描
は
い
な
が
れ
か
ほ
と
て
で
ど
の
あ
る
、
'
。塞
子
障
変
を
て
え
絵
挿
に
解
た
理
ま
め
を
で
な
に
の
た
し
っ
し
っ
、垣
貧
が
家
れ
描
に
た
い
ば
あ
て
か
で
の
い
ろ
し
と
ら
る
こ
、
。」
題
名
」
語
「
が
物
や
の
で
動
い
は
か
あ
せ
る
で
な
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こ
い
ろ
ら
も本
」
や
将
簾
の
で
前
は
い
中
立
姫
さ
君
姿
て
お
は
に
う
の
を
し
り
っ
'
、
か
本
絵
挿
あ
方
等
会
国
無
る
の
が
記
刊
本
「
や
し
の
い
は
さ
う
。
、簾
文
姫
君
で
居
(
が
岩
」
)
「
屋
は
の
や
で
い
本
る
れ
あ
そ
は
り
、
'
が
来
そ
か
推
測
あ
絵
挿
将
れ
君
覗
た
姫
中
が
こ
り
で
さ
と
ら
る
は
を
、
。会
書
国
図
館
れ
蔵
氏
や
臼
「
」
田
様
絵
こ
い
の
挿
同
も
ぼ
は
な
に
さ
ほ
う
し挿
「
姫
君
住
処
や
岩
い
で
上
万
ク
は
の
立
二
シ
が
に
ち
ン
ョ
'
、理
海
人
子
養
華
い
の
か
将
や
中
方
奥
変
な
の
へ
身
し
す
か
ら
ま
に
さ
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る
ら
、典
型
例
的
言
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姫
な
後
え
将
よ
盗
委
と
中
か
の
は
出
み
れ
う
こ
さ
ら
。
、
、
れ
せ
の
た
み
す
な
か
ゑ
お
き
り
る
こ
い
に
ろ
け
も
L
し
ゝ
。
ふ
せ
れ
殿
た
ん
て
の
る
い
せ
そ
か
れ
や
こ
は
き
う
い
し
う
り
ゝ
、
、か
′1
\
に' か ねく ろな る に、 うす けL やうふと まゆ っく り て' あ てや
は、姫 君うちおと ろき給 ひ て、 み給 へは、 おりも の ゝかりき ぬ
拐' ちうLやうと の、 さしより て、 おき させ給 へと のたま へ
我家 をはゆ つりま いらせけり。次 日、 ち うLやうと の'天下 の
と有 けれは' せんL は、 ゑも ん のかみと いふ侍 の家 にう つり て、
むか へをき ましませ は、 ひた のせんしか家 に入 た てま つる へさ
いれ たてま つる へけれとも、 それ には大 臣殿 のひめ君へ此 三年
しゆ し給ふ。人 ∼あ やし-そおはえけ るOさ て、天下 の御所 へ
かな る人なれ は、 みや この御 こと、き つとおほしめし出 させた
御 し よ へま いり給 ひ て'御母 のまんと ころにけんさん有けれは、
に物語 の構 想 に反す るも のであ る。本文 は' 次 のよう にあ る。
ま ひ て、夢 かやと衣 ひさか つき ふし給 ふ。 さはな る御小袖うち
り。 挟、ち うLやうと の ∼、北 の御 か た へま いり、 ち うL やう
人J
V申けるは'ちうLやう殿 はそ ゝろ にうれしけ にわ たらせ給
本文 では、竿 に掛 か っていた小袖 を披 -形 で、姫君を覆 って、慌
殿 こそ、た ∼いま これ へ、 わたらせたま ひ候 へと て' みな / \
か つけま いらせ て' さ こん のせうかき いたき、お ひたてま つる。
てて出 て行 く様 である のに、挿 絵 では、姫君 が裏山蕗 の十 三を着 た
みす きちゃうをあ け、 まうけし てひしめきける。 ち うLやうと
ふは、 いかな る事 にかと い へは、 あ る女 はうたち の申 けるは、
姿 で運ば れ て行 く のも、敵酷と言 えば敵酷 であ る。 いずれ にし ても
のは、北 の御 かた へはめも やり給 は て、 いそき ひた のせんし の
こか ね つくり の御 はかせ、 身 つからもた せ給 ひ て、か へらせた
挿絵 では、 海人 の岩屋と いう設定 が崩 れ'尼 が住む立派なお寺から
やか た へいらせ給 ふ。 みな人、 ふしさ にそ、思 ひけ る。 (
挿絵)
はや く衝か ひな、 なをらせ給 へは' さ こそはあらめと申あ ひけ
盗 み出 すと いう構図 であ る点、 本文 と の敵酷 は大き い。なお'盗 み
さる はと に、次 日、内裏 へま いりたま ひ て、 みかと に御け んさ
ま ふ。 (
挿絵)
出す方向 が、右 から左 へと進 ん でいる のは、 物語 の進行と合 い、 こ
んし給 ひてのちは' ・・・
本文 に依れば、牛車 が出 て- る場面 は' 三度あ る。 一つは'姫君
れから の姫 君 の幸福を象徴す るも のであ ろう。
挿絵第十 一図に ついて
到着 した場面とな ろう。 二 つ目 は、中将が次 の日、 父親 の 一の人 と
を淀 から都 へ連 れ てい-際 に、途中 で、馬 か ら牛車 に乗換 えさせ て
人 ∼、我も / トと御むか ひにま いる。 田舎女 ほうは、 -るま
母親 の政 所 に面会 に行 -場面 で'牛車 の中 は、中将 とな る。 三 つめ
挿絵 は'大勢 の従者 や女房を付 き従 えた牛 車 が、 あ る御殿 の前 に
にはな らはしと て'御馬 に のせ給 ふ。御 とも には、左京大夫 ・
は、翌 々 日、中将 が内裏 へ行 -場面 で、牛車 の中 は中将 である。 三
連れ て行 った場面 で、牛車 の中 は、姫君とな る。飛騨 の前 司 の家 に
六位 のしん ・左近 のせう' せんち ん にそま いりけ る。御馬 には
つめ の可 能性 は乏 し い。物語 の内容 から言 えば' 一つめ の可能性 が
到着し、家 から向 か いの者 が出 て来 た場面 であ る。本文 は、次 のよ
す こLもたまり給 はねは、 こかと いふと ころにて、御 - るま に
高 い。但 し、挿絵 の位置 からは二 の場合 の方 が適切 な ので、 やや疑
姫君を入 れようとす る ので' この邸宅 は飛騨 の前司 の家 で、姫 君が
のせ奉 り て' つくり みちを らせ いも ん へと はやめける。ひめ君、
問 は残 る。また、 二の場合 であれば、女房 が牛車 に連 れ添 う必要 は
う にあ る。
いな りをふしおかみ'御前 にて、 -るま の物見をあけ て、 ねん
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 について
ll
_
隆
いたしさ のし た にいり て、 あ そひのやうをき ∼給 ふ。 姫君 の御
俣
な いわけだから、内容から言 えば、 やはり、 一の飛騨 の前司 の屋敷
と も には、 さ こん のせうな り。衡 - るま よせ て、 はるか にのき
勝
の入 口 での場 面と見なす べきだ ろう。 そ の点 にお い ては、特 に本文
て' かし こま る。 く るま よせ の つまと のま へには、 たかとう た
た れ は、 き うか さ んふく の夏 の日'草 も ゆるかす' てる ひより
と の敵酷 は見 られな い。
挿絵 は、大覚 のすけと申す女房 が、中将 の四人 の姉妹 の遣 いとし
も なをあき らか に、 - まな し。 女 はう、 さし より て、 し たす た
い に火を か ゝけ て'女 房 三人、手 こと にしそく ふとく し ても ち
て、中将 のと ころ へ身を寄 せ ている姫君 のもとを訪 れ、 装束 を渡 し
れを かきあけ' は や-\・
お りさせ給 へと申 せとも、 へんLを も
の/\ さ ∼やき申 け る は、 くう てんろうかく ・たま のう てな'
て、天下 殿 の御殿 へ呼び出 そうとし ている場面 であ る。 本文 は'次
大覚か へり て、 このよしを申 せは、 こと葉 の つ∼さ はおも し
夢 にも みし さうな く、 を りかねたるも ことはりとそ申 ける。や ∼
し給 はす。 いか にもす たれをおさ へて、 かきあ け給 はね は' を
ろし。 されとも' こゑはなまり ておかしか るら ん。 た ∼よ ひよ
し はら-あ り て、 今 は人 J
V思 ひわす れた りと思 ふお りふし、 お
て、小袖 のう へにゆりなか し、 あふき か さし給 はすt をした ∼
せ てわら はんと て、 かさね ての御 つか ひには、 し ろきし やう そ
本文 では' 「し ろきしやうそく に、 からあ や のは か ま そ へて」 と
み てそも たせ給 ふ。 も や のみす のま へを、上 殿 はるか にあ ゆみ
り させ給 ひ て、 たれか いL や-も申 さね は、 み つか ら、き ぬ の
あり、挿絵も それらしきも のを'折敷 に載 せ て出 し ている の で、 そ
給 ふ、御 す か たは、 五月雨 に水 まさるむ つた の淀 の川柳 の、 あ
- にt からあや のはかまそ へて'御 ち の人 にも たせ' ま た大覚
の点 は問題な い。姫君と大覚と思 われる人物もす ぐ に分 か り'珍 し
や め ・ま こも の上 を こす より、 なを たを やかな り。 ひす いのか
つま ひきあ はせ、 はか ま のき ∼は ひき つくろ ひ、 御 -しかき な
く、本文 とよく T致 した挿絵 であ るO
んさし は、 き ぬ のす そ にあ まり て' 八 し ゃく ゆ たか に、 ゑん の
う へを そ ひかれけ る。 柳 の糸を春風 のふきみ たれた るよりなを
はそ-、 たを やかなり。 あ はれ、卸す か たを ゑ にかき て、 あ ま
ね-人 にみせ はやな。 いか なる ゑLも、 ふ てにう つしかたく そ
ましくそおはえける。 (
挿絵) さるはと に、 中 将 殿 は' こ の人
の子 みんと て、 ひしめきけるよそは ひ'中将 の御 ため、 はち か
られ たり。老若をさら はす、上 らう女 はう'我 も/\ と、 あ ま
われ る。本文 では、 「あ ふき か さし給 はす、 をし た ∼み てそも た せ
挿絵 は、姫君 が母 屋 の中 で立 っている場 面 な ので、 中途 の様 子と思
座 に座 るま での様 子 の気高 さ' 美 し さが、 詳 し-描 写 され ている。
本 文 では、 姫 君 が、 牛車 から降 り て、母 屋 の御 簾 の前 を歩 み' 御
お はえけ る。
いか ∼あらむとお ほ っかなくお ほしめし て、御 さまを や つし、
みす のま へを、 しゆ てん へ上殿 はるか にねらす へしと' さため
御 - るまちか-成 ぬると申 せは、中 門 へよせ させ よ。 も や の
越 し に窺 っている場面 であ る。本文 は'次 の通 り であ る。
姫君 が、 一の人 の御所 にや って来 た のを'中将 の四人 の姉妹 が簾
挿絵第 十 三図 に ついて
を つか はさる。 (
挿絵)
のよう に作 る。
挿絵第十 二図 に つい て
⊂
⊃
しさ に人 々が驚 -場面 であるから'姫君 の顔 は見え な- てはならな
ここは、通常 であれば、扇 で顔 を隠すと ころ ではあ るが'姫君 の美
挿絵 では、扇を射 し て'顔を半分程隠 し ているので、敵酷 があ る。
給 ふ。」 とあ って、扇 は繋 さず に'押 し畳 ん で持 っていると作 るが、
しさかき りなし。 されは'世 には、 か ∼る人 も有け るよと、 ち
り。 わか 四人 のき んたちを、 あま の子 にみあ はせぬれ は、 けす
御 らんし て、しろきしやう そ-は、中/\ け たかく侍 るも のな
しきたと へんかたなくらうたけな り。 (
挿絵 ) 北 のま んと ころ
み、 か そふ る柚 にあまれ るを、 さら ぬていにも てなし給 ふ御 け
確 か に'挿絵 では' 北 の政所 が、姫君を 「めかれせすまはり給ふ」
い。 つまり' 扇 で顔を磐 し てはならな いのであ って、 その点、本文
と ころ であ ろう。本文中 には' 「
老若をさら はす' 上 らう女 はう'
状態 で'見 つめ ており、本文 と 一致し ている。挿絵 でも姫君は、 な
うLやう の つれ てのはりLも こと はりなりと、 わら ひにくむ へ
我も/∼と、 あ ま の子 みんと て、 ひしめきけ る」 と あるが'挿絵 で
かなか品良 -描 かれ ていると言 えよう。蓬莱 の作 り物も描 かれ てな
のよう でな いと物 語が進行しな い。挿絵が扇 で顔を隠す絵 を描 いた
は、中将 の姉妹達 だけが姫君を覗-場面が措 かれ ており'大分描写
いから、 そ の直 前 の様 子と思 われ、 そ の点 でも特 に問題 はな い。本
き事 はわす れ て、 めかれせすまはり給 ふ。
が簡略化 され ていると言 えよう。
文 と の敵酷 が ほとんど感 じられな い 一枚 であ る。
のは、 扇 の 一般的 な用法 に囚 われ過ぎ た結果 であ って、問 題とな る
挿絵第 十 四図 に ついて
挿絵第十 五図 に ついて
姫君が琴 や茸 琶 の名 手 であ る ことが分 かり'中 将 の姉妹達が'姫
挿絵 は'姫君 が居並 ぶ中将 の姉妹達 の中 に着座 し た場面 であ る。
姫君 のすぐ隣 にいるのが姉妹 の 一人 で長女 かt l番 奥 に座 し ている
さ て' あ か つき にもな りぬれは、御むか ひ のくるま'ま いり
君と合奏をし ている場 面 で、麻 には'中将から の迎 えの人 々が居並
であ ろうが'座 っている のは、 やはり姫君 かも知 れず、 そ の場合 は
ぬ。 いとま申し てと のたま へは、今 しばらくと ひき と ゝめ て、
のが、北 の政所 かと思 われる。残 り の三人 は、姉妹 のうち、次女 以
異時同図法 で描 かれ ている こと にな ろう。天 理図書 館蔵 「いはやも
そ の時' れ いけん てんは こと のや-' みやす所 はひわ のやく、
ん でいる。本文 は次 の通 り であ る。
のがたり」 でも、 ひめざ みは部 屋 の中 と廟 のどちら にもいるよう で、
そ のはか、 ほうけう ・ひち りき、 とりとり に て、姫君 は' わ こ
下 であ ろう。麻 にも、 二人 の女性が見 える。立 って いるのほ、女房
異時同図法 で措 かれ ているから' そ の可能性 は高 い。本文 は次 の通
んをま いら せたま ひて、 か-を そほしめ拾 ひけ る。 ま こと にこ
くらくLやうと に て、廿 五 のはさ つたち のあ そばす かくも、 か
り であ る。
さ て、御座 のう へになを り、 うちそはみ てそおはします。 さ
ん のゆか ・たまのす たれ、 一の人 の御 し よなれ は心 に- ∼おも
等を、姫君 は和 琴を弾 いたと作 る。 ただ、挿絵 では、琴 は 1つしか
本文 では、麗 貴殿が琴'御息所 は琵琶、他 のも のは'方響 や等藁
-やとおも ひしられたり。 (
挿絵)
ひし に、我父 のにし のた いを こしら へ給 ひし に、 まさりたりと
な-'弦 の数 は分からな いが'恐らく六弦 の和琴 で、姫君 の演奏 と
て' みま はし給 へはt にしき のしとね ・あや のきちやう ・さ こ
も おはえす。 むかしを こふるな みた、 つ∼む にたえぬみたれか
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 に ついて
勝
隆
何
楽
定
思
器
良
ず
て
で
か
れ
の
な
た
い
に
は
と
も
ら
し
っ
、
。
」
詳
器
知
「
か
て
の
を
あ
い
た
な
に
る
は
と
り
ら
く
し
っ
、姫
思
描
撃
方
葉
筆
良
所
息
御
演
琶
奏
れ
て
か
や
で
わ
の
い
は
も
'
策
君
姿
代
吹
絵
ず
楽
師
見
わ
が
お
の
え
れ
を
に
は
る
こ
り
ら
く
'
、
。琵
十
定
方
三
絵
挿
否
図
四
で
か
お
が
な
た
い
は
に
き
こ
も
っ
、
。絵
疑
足
数
敵
文
挿
器
楽
琴
本
酷
が
問
ず
で
の
あ
る
と
こ
り
も
ら
、
祝
並
物
反
央
変
席
確
置
か
明
べ
れ
中
が
わ
の
お
た
に
い
と
こ
も
ら
っ
、無
御ふ み御ら んし て、今 はす こし のたよりもありと、御 よろ こひ
ましノ
.
して、世 にすくれたる御手跡 にて御返事 をそあ そはしけ
る。
挿絵 で'左下 に三人控 え ている のは'本文 から判断し て、北 の政
所 から、 姫君 の世話 をす るため に遣 わ された、衛門督 ・兵衛介 ・衛
門 局 の三人 であ ろう。 しかし、 そうす ると、姫君 の正面 に座 ってい
る のが誰 であるかわからな-なるから、 やや不審 である。服装 や年
齢 からし て、「
小女 はう三人 ・はし たも の三人 ・上 わ ら は三人 」 の
いずれかとは考 え難 い。「
十 二人 のも のともを、 - るま 三 り や う に
のせ て、 つかはし給 ふけり。」とあ って、姫君 のと ころ に派 遣 し た
きと り、是 へわたす へしと有 けり。 はとな-、月日かさなり て、
のは、合 計十二名だから、 やはり 一人人物 が多く て不審 である。 他
御 さ んた いらか にせさせ給 ふ。 あ たりもか ∼やくはと のt Lか
子 にす へし。生 れたら んとき、 は ゝか ひさ にを かす し て' いた
あらす。生 れたらん子、 な んL に ても、女子 に ても、 それを我
そ の ∼ち天下 の仰 には、中将 は、 あま の子 に具 しぬれは我子 に
か、 はや五月 にな らせ絵 ふ、 そ のいのり のためとそ聞 えけ る。
に事 の御 い のりそとき- に、 ひめ君た ゝならす わたらせたま ふ
あ るとき、中将殿' かも ・八幡 へ、神 馬をま いらせらる。 な
て いる場面。本文 は'次 の通 り であ る。
挿絵 は'姫君 が御子を産 み、乳 母 に継母 の娘 がな り'御子を抱 い
挿 絵第十七図に ついて
あ ろう。
にある。 いずれ にせよ、遣 わされ た人物と絵 の女房 の数 とは齢酷 が
他 の挿絵 のことを考 えれば、単な る絵師 の誤 り であ る可能性も十分
の伝本と の関係 を詳 しく考察す る必要 があるかも知 れな い。 また、
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ろ こひまし / \ て、 御うふゆ、 てんか の御所にてせさせたまふ。
れ て、 ま いりけり。 けたかく そおはえける。天下、大 き に御 よ
のせ給 ふ。御太 刀 はき には、 よき諸太夫、百よ人、 さ ∼めき つ
れ てけり。御- るま には'大納言 の つはね、 いたきま いらせ て
み、 とりま いらす る。 二条西洞院 の中納言殿を御め のと にめさ
もわか君 にてそまし ましけ る。大納言 のすけ、きぬの柚 に つ∼
になをらせ給 はて、公卿 の中、八番目 にまします堀川 の大納言
の給 ひけるは、刑 部卿、衝 はかま のこしゆ ひ給 ひてのち、御座
言 に、な にとし てもしらせ奉 りたくおはしめし、 二人 の公達 に
おはしめしけるはtか ∼るめ てたき我身 のしき、父 そ つの大納
は'大臣 ・公卿 ・殿上人、 1人 も のこらすま いり給 ふ。 ひめ君
ちさうゐん の刑部 卿ま いりたまふ。天下 の御子 のはか まきなれ
即ち、本文 では、若 君と姫君 の二人 が'堀川 の大納言を 拝んだ こ
殿を三と つゝおかませ給 へとをL へ給 ふ。籾、刑部卿 の宮'御
本文 では'乳母が 「二条西洞院 の中納言殿」 で'乳 の人 が 「
ま∼
と にな っているが、挿 絵 では、若君 のみで、姫君 の姿が見 えな い。
去程 に、御 ち の人 には' ま ∼母 のむすめ そま いられける。あま
母 のむすめ」 とな っている。 この場合 の乳母 は世話役 で、実 際 に乳
これは、明らか に、本 文と挿絵 で敵酷がある こと にな る。 「公卿 の
はかまめさせ給 へは、くさ やう の中 へ' はるか におり させ給 ひ
を飲 ませる の乳 の人 とし ているよう である。随分皮肉な設定 である
中、八番目 にまします 堀川 の大納言」とあ るから、実際 に は、も っ
り にあしきと の ∼所 へ、母 やり給 へは、子なからもあしきふる
が、仮 に挿絵 が乳 の人 である 「ま ∼母 のむすめ」 であれば、 十 一年
と沢山 の公卿が居並 ん でいるわけだが、 それは、省略し ても止むを
て' そ つと のを三度 つゝはいし給 へは、 そ つ殿おと ろさ、 こは
前と は言 え'顔を知 っているわけだから'姫 と向き合 っているのは
得な いであろう。 しか し、姫君 は、欠かす ことが出来な い はずだか
ま ひさかなしと て、 大納言 ふけうしたま へとも'天下 の御子 の
不自然 であ る。 も っとも是は、挿絵 の不備と いうより、本文 の内容
ら' やはり問題 である。もし、大納言を拝 んだ のが若君だ けだと作
いかなる事 そと、 かふり のこちを地 に付け てこそまし/トけれ。
に無理があ ると考 えた方 が良 い であろう。右側 の男性 三人 は、天下
る本文があれば、話 は別 であ る。しかし'現在諸本 では' どの本文
御 ち にま いり給 ふ、 め てたしと て、御ふけうゆるされ てまいり
と中将、左近 の丞と思 わ れるが'明確 ではな い。若君 の誕生 を喜 ん
も、若君と姫君 の二人 に拝ませ ていて、例外 はな い。 それ故、やは
みな人、 ふしき におほしめしけり。
でいる場面 で' 三方 の持 ち込まれる情景が描 かれ、 その三方 のコー
り、絵師 の省略 と見 る べきだ ろうと考 える。
けり。 (
挿絵)
ド によ って'祝儀 の場 面 である ことが'明確 に表現 され ている。
挿絵第十九図に ついて
挿絵 は、姫君と中将 殿が'若君 ・姫君を間 にお いて、幸 せそう に
挿絵第十 八図 に ついて
挿絵 は、若君 が、師 殿大納言 に対し てお辞儀をし ている場 面 であ
天下、あかし のあま人 を'めし のはせ給 ふ。 むくわ んにては
座 し ている図 であ る。本文 は'次 の通り である。
つなか ぬ月 日 のはとなさ は、わか君七歳、 ひめ君五さ いの八
内裏 へま いらぬ事 なれは' かもんのすけ になされ て参 る。あか
る。本文 は'次 の通 り である。
月十 日に、衝 はかまき の御 よういなり。卸 はかまき のお やには
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 について
隆 一
髪 の老女 であるが、天 理本 では、海人 の女性 は実際 に出家 し て尼と
俣
し のうらを、 し ∼そん/LI
ま て給 はりけり。女を は、大床 ま て
な っている ので、 忠実 に老 いた尼 の姿 で登場 し ている。 ま た、 「姫
勝
めされ て、姫君け んさんな され、 むら さき のうすき ぬ ・十 二か
実際 に、 姫君 の前 に数 々の宝 が置かれ てあ って、本文を反映 し てい
君 け んさ んなされ、むらさき のうすき ぬ ・十 二かさね ・くれな ゐ の
この本文 に依 れば' 明石 の海人 の夫妻 が登場 し ている こと にな ろ
るが、肝心 の薄衣 ・十 二襲 ・紅袴など は見当 たらな い。 さら に、海
さね ・くれな ゐのはかま そ へて、是 はみ つから にそふと恩 へと
う。挿絵 では、廟 に控 え ている男性 が明石 の海人 で、息子を従 え て
女 の周 り に控え ている女房達が、どう いう性格 の人達 か は不明 であ
はかまそ へて、是 はみ つから にそふと恩 へと て下 さ る ゝ。其外、 か
来 ており'姫 君と対し て廟 から母屋 のうち へ少 し入 ったと ころ へ座
る。 いず れ にし ても、海人 の描 き方を中心 とし て、 本文 と の敵糖 が
て下 さる ゝ。其外、 か んか本朝 のたから物、 かすを つ-し てた
し ている のが、明石 の海人 の女房 だ ろう。 この女房 は、先 に 「さる
見 られる ことは、 否定 できな いであ ろう。
んか本朝 のたから物、かすを つ-し てた ひにけり。」 とあ る部分 は、
はと に、 あかし のあま は、出家 の心 さしふか- て、 と ころ のも-た
論 による人物 の位 置関係、すなわち、男性 が右、女性 が左、身分 の
に見 た通 り であ る。尼 であ っても、髪 が長 いのはやはり奇怪 し いの
と いう発想を' この絵師 は持 たず、尼と思 い込 ん でいた こと は、先
とし て措 いている こと は、恐 ら-間違 いあ るま い。 そも そも、海女
明 した。 この挿絵 の変化 が何故生 じた のか は、難し い問題 であるがt
本文 は 一致 しているのに、挿絵 が変化 し ているも のが多 いことが判
てき た。 その結 果、本書 の挿絵 は、寛永 ・寛文頃 の無刊記絵入本 と
以上、 当該 の十 九図す べてに ついて、挿絵 と本文 の関係を 一瞥 し
なお、 黒 田氏 の コー ド
いゆるさねは、ちからな くし て、女 のあま はかり、か みそり、衝 け
高 いも のが部屋 の奥など の関係 は忠実 に守 られ ていると言 える。
絵 のよう に、丈と等しき黒髪 があ る こと は本当 はあり得な いこと で
であ るが、 どうも' そ の辺 り は'厳密 に考 え ていな いよう であ る。
Tつの可能性とし て、中世小説 の挿絵 にお い ては、絵師 の本文 の解
あ る。しかし、本文と の関係 から は'絵師 は、 この女性 を女 の海女
男 の海人 にし ても、息子 が急 に出 て- る のも変 だし、 またあまり に
釈 による揺 れ、 あ るいは'絵 の構図 や内容 に選択 におけ る絵師 の裁
挿絵 と本文 の関係 に ついては'前後関係 ・影響関係を初 めとし て
も貴族的 な色彩 が強-描 かれ ている のも' 不釣 り合 いであ る。 しか
これを例えば'天理図書館蔵 「いはやも のがたり」 や スペンサー
種 々の問題 が山積 し ている。黒 田日出男氏 の提唱 された挿絵 コー ド
量権 が想 像 以上 に大きか った ことを物語 っている のではな いかとも
・コレク シ ョン- 「いはや」 の挿絵 と比 べると' そ の差異が明 らか
論 は、本 書 の挿絵 と本文 の関係 を考察す る には、 一つの方法 とし て
し、 この二人 の男性も、内容 から判断 し て、姫君を養 った海人 であ
であ る。 天理本 や スペ ンサー本 では、海人夫婦 は、年 も姿 も それら
かな り有 効 と思 うが、紙幅 の関係もあり、十分 には触 れられなか っ
思 われ る のであ る。
し い様子 で描 かれ ているから であ る。但 し、 スペ ンサ ー本 では、白
る可能性 が高 い。
結び
うやうさま-LIいたす。」 とあ って、剃髪 し ていた はず な の で、 挿
ひにけり。 ゑ ひく わ にほ こりけるとか や。 (
挿絵)
t
T
l
j
た。今後 の課題とし たい。
注
(
-)﹃
室町時代物語大成 補遺 一﹄昭和六十 二年 一月 の 「いは や
物語﹄ の解説 に拠 る。
(
2)国会図書館 の 「いはや のさうし」 は複写したも のに'臼 田氏
「いはや のさうし」 は、 ﹃
続 御伽草子﹄ (
桜楓 社、 昭和 四十 九
年) に所載 の写真複製 に拠る。
(
3)黒田日出男氏 ﹃歴史 とし ての御伽草子﹄ (ぺりか ん社、 平 成
八年十月)「
御伽草子 の絵画 コード論入門」 に拠 る。
(
4)﹃
天理図書館善本叢書 古奈良絵本集 二﹄ 所収 「いはやも
のがたり」
、並び に ﹃
在外奈良絵本﹄ (
角川書店、昭和五十六年
五月)所収、 スペンサー ・コレク シ ョン 「いはや」 に拠 る。
(
付記。本稿 の作成 に当 たり、貴重書とし ての ﹃いは や物 語﹄
の閲覧 ・利用を御許可-だ さ った財団法人永青文庫'並び に、
熊本大学附属図書館 に対 し て、衷心 の謝意を口
王します。
)
永青文庫蔵﹃いはや物語﹄の挿絵と本文 に ついて
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