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すばる23号

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すばる23号
発行
日本適応指導教育研究所
勁草学舎
親子マンボウの会
宇都宮スクールの一年
「勁草学舎宇都宮スクール」開校から一年
「個(子供、親、教師)が輝く」学び舎を栃木にも創りたい、との苅草理事長の希いで開校し
た「勁草学舎宇都宮スクール」が、間もなく一周年を迎えます。
現在「宇都宮スクール」には、生徒二十余名が、授業を受けるためや計画学習のために通って
来ています。この一年間については、大学・高校受験生の授業は、東京からスタッフが出張し、
東京校と同じ授業を行ってきました。
不登校だったからかどうかはわかりませんが、生徒たちは、授業で教えられただけで内容が定
着すると思っているのか、
「授業=勉強の全て」と捉えている生徒が多く――このことは栃木だけ
ではなく東京校も同じ――、何か対策を講じなければと、授業と自学自習を結ぶ学習スタイルを
工夫しました。
繰り返し練習したり、勉強することなしに、運動能力や学力が定着し向上していくことはあり
ません。
「繰り返し」の規則だけを大切なこととして、自分の脳が判断し記憶していくのですから、
「繰り返し」の習慣が身に付くまで、スタッフの計画・指示のもと、授業の内容が次の授業まで
に定着するのに必要なだけの課題を与え、繰り返し復習する時間として「計画学習」を設けたの
です。
結果としては、栃木関係の大学合格者 5 名、高校合格者 5 名であり、全員合格でした。合格が
全てであるとは言いませんが、受験はその子にとって精神発達課題を乗り越えるハードルの一つ
であると考えれば、志望校合格の意味は大きく、そこまでコーチングできたという意味で、
「宇都
宮スクール」の存在価値は充分にあったと言えるだろう、と思っています。
ただ物事は「光」と「影」、つまりプラスとマイナスがいつも抱き合わせになっているものであ
り、大学受験生にとって、宇都宮に通えばよかったということは楽だったかもしれないけれど、
東京校まで通ってさまざまな種類の刺激を受ける機会は少なくなったことになります。これは彼
らの意識野の広がりに幾ばくかのマイナスの影響を及ぼしたと考えるべきです。しかしそのこと
は、大学生になってからでも充分補えることであり、本人や親御さんが自覚しておかれればいい
ことです。
また現在、S さんを中心に、ご支援、ご協力くださる親御さんが二十名近く居てくださり、栃
木で合宿行事などを行った際には、ボランティアで炊き出しを引き受けてくださいました。また
毎年十二月には I さんのご協力で、フリーマーケットを開催するなど、子どもをバックアップす
る役割を引き受けてくださっています。
井澤が宇都宮に通うようになって数年、そして鹿沼にも足を伸ばすようになって三年くらいが
経過したでしょうか。この間に出会った親御さんは百名を越えます。当初は、地域の公民館を拝
借しての月一回のグループ・カウンセリングからの細々としたスタートでした。途中、親御さん
の意識改革をしていただかないことには、子どもの問題は解決しないと判断し、親向けの講座を
開催するためや、子どもの居場所とするために、
「親子マンボウ」でマンションを一時借りたこと
もありました。
しかし、それだけで子どもが元気になるはずはなく、精神発達途上の子どもには、発達するた
めのプログラムが必須です。子どもは育つものではなく、育てるものだからです。だから、たと
え子どもが学校に行かなくなったとしても、学校に行っているのと同じように、勉強ができる場
所と、教科を教え信頼を寄せてくれる大人の存在が必要なのです。
“どんな子どもにも、その子の
日常性を維持してやりたい”との思いが、「勁草学舎」の根幹であり、
「宇都宮スクール」開校の
理由でもあります。
学校の役割は、
① 子どもに言葉を通して知識を定着させ、その知識を使って考える力を養っていく。
② 身体を動かすことによって、感覚を統合させ、身体能力・運動能力をアップさせる。
③ ①で学んだ知識や考える力を駆使し、他者とコミュニケーションする力を養う。
ことだと思いますから、これらが学校外で子どもに提供できるのであれば、親や子の、登校でき
ない不安は軽減されることになり、その子どもの自己否定感を和らげてやることに繋がります。
もうひとつは、
“人間について学ぶ”場所としての「勁草学舎」です。子育てや教育は、その親
に根づいた価値観の影響を大きく受けます。
「勁草学舎」は、その価値観の背景を客観的に見極め、
子どもへの対応を適切なものに切り替えていくための、親御さんの学びの場所でもあります。
その地域の持つ独自性は、背景の大きな一つになるのだと思いますが、
「宇都宮スクール」を開
校し、頻繁に足を運ぶようになって、親御さん方との接触が密になるにつれ、栃木の独自性が子
育てに影響しているであろう事柄も少し観えてくるようになりました。井澤にとっては大きな収
穫であり、今後の課題でもあると捉えています。
そこで最近非常に気になっている(栃木でも)影響の一つをここに紹介したいと思います。レ
インの著書『自己と他者』の中に出てくる挿話ですが、学校から駆け出してくる幼い男の子を、
母親が腕を広げて待っているという場面です。レインはこの出会い方に四つのタイプがあると言
います。
① 彼は母親に駆け寄り、彼女にしっかりと抱きつく。彼女は彼を抱き返して言う。
「お前はお
母さんが好き?」。そして彼は彼女をもう一度抱きしめる。
② 彼は学校を駆け出す。お母さんは彼を抱きしめようと腕をひらくが、彼は少し離れて立っ
ている。彼女は言う「お前はお母さんが好きでないの?」
。彼は言う「うん」。
「そう、いい
わ、おうちへ帰りましょう」。
③ 彼が学校を駆け出す。母親は彼を抱きしめようと腕をひらく。が、彼は近寄らない。彼女
は言う「お前はお母さんが好きでないの?」。彼は言う「うん」。彼女は彼に平手打ちを一
発くわせて言う「生意気言うんじゃないよ」。
④ 彼は学校を駆け出す。母親は彼を抱きしめようと腕をひらく。が、彼は少し離れて近寄ら
ない。彼女は言う「お前はお母さんが好きでないの?」。彼は言う「うん」。彼女は言う「だ
けどお母さんはお前がお母さんを好きなんだってこと、わかっているわ」。そして、彼をし
っかり抱きしめる。
レインは、
『①においては、母と子のふたりが互いに相手の内に自己を確認する融合の関係が成
り立っている。②では、今後この関係がどのように展開するかは別として、男の子は母親によっ
て、別の存在、分離した存在として承認されている。③では、男の子の拒絶が母親をひどく苛立
たせ、母親のさらなる対抗行為を引きずり出す。つまり、男の子と母親とは、明確に分離した存
在として互いにより強い対立関係に入り込む。男の子は、自分の存在がはっきり母親という他者
に影響を及ぼしている事実を確認できている。④では、母親は、彼が自分はこう感じているとい
うことに対して聞く耳を持たず、彼自身の感情は違うものと無効化された感情を彼のものだと巻
き返している。男の子が、母とは別の存在としておそるおそる首をもたげたとたん、
「それは本当
のお前ではない」というふうに、彼の存在が母親の解釈体系に呑み込まれ、分離した存在として
の彼の位置が消去され、二人の間に自他の関係が発生しようはない』と述べています。
上記④で長期間育てられただろうと推測される子どもの存在に、大いなる不安を感じるように
なりました。親と子が、
「自己」と「他者」として分離されていないのです。その状態だと、子ど
もが親から離れ、自分で判断し行動しなければならなくなった時、温室から外に出された植物の
ように、全てを厳しい環境だと感じ、寒々とした孤立感に苛まされることになると思いますし、
自ら外界と接してこなかったのですから、物事に向き合う時も非常な緊張を強いられることにな
るでしょう。そして自問自答の習慣もないでしょうから、自分は本当に何をやりたいのか自覚で
きていないはずです。これは「アイデンティティー拡散」状態であり、子どもは自己愛的立場に
自分を置くことでしか回避できないだろうと思うと、不安を覚えてしまうのです。
勁草学舎主任カウンセラー・親子マンボウの会代表
井澤
真智子
春と秋 2 度の学習合宿が宇都宮で催
されました。
この教室で一年間、たくさんの思い出
が作られました。
一年を振り返って
昨年の 3 月に宇都宮スクールが開校し、一年が経とうとしています。開校に際し、
“東京校”と
いう雛形はありましたが、生徒さんの人数、子供や親の様子、スタッフの数など“宇都宮”は宇
都宮の状況にあった“場”にしていく必要がありました。
“どういうものがあれば親も子も成長し
ていけるのか”
“宇都宮では何ができるのか”ということを念頭にやってきました。そして、あれ
か、これか?
これでいいのだろうか?
といつも試行錯誤しながら走ってきた、という感じが
しています。
スクールができた事によって、子どもたちは東京のスタッフによる授業、計画学習の他、春と
秋の「学び浸る合宿」を経験する事ができました。中学受験生対象の夏と冬の特別計画学習や冬
特訓は宇都宮独自のものでした。多くの親が井澤先生や篠崎先生の「講座」をスクールで受講す
る事ができ、親の不安が軽くなったり、自分に気づいたりしていく中での成長もありました。
このように距離、時間等の問題で東京まで通えなかった親、子に学びの場ができたことは、意
義のあることだと思います。スクールでの学びを基盤に次のステップに進む子供たちがたくさん
います。また大人数が苦手な子には、一人だけの静かな環境を提供することもできたし、逆に一
人になりがちな子どもたちの友達作りの場になったりもしました。学校を辞めた子どもにとって
は、家以外の「居られる場所、行く場所」でした(自分の家自体が、心地よく安心できる場所で
はないのだなぁ、と感じる子どももいます。)通学していても、その行き帰りに立ち寄って、好き
な事をやったり、サポーターと話をしたりして帰る子どももいます。そういう様子を見ると、ス
クールは、なんとなくホッとする「おばあちゃんの家」的な役割もあるのかなぁと思ったりしま
す。スペースが狭いので、スタッフとの距離が近いせいか、スクールの雰囲気のせいか、自分の
こと、学校のこと、家のことをしゃべる生徒も多く見うけられます。どのように聴き、向き合う
かは大変難しいのですが、話をすることによって自分を客観視できるようになれば、それもスク
ール、スタッフの役割なのだろうと思います。
このように、宇都宮スクールはもろもろの要素を含んだ“スクール独自の存在”であるような
気がします。それなので“宇都宮”という条件下でそれらをこれからもひとつのものとして運営
していく困難さも強く感じています。また、スクールができたことについても、この機会に見直
す事が大切だと思います。子どもにとって宇都宮スクールの存在はどうなのだろうか?
親にとっての宇都宮スクールとは?
そして、
などを検討し、これからの方向性を探っていく必要がある
と思います。
スクールで生徒さんたちとやりとりをする中で、周りの大人たちの言動がどんなに子どもの足
を引っぱっているか、やる気をなくさせているかをつくづく感じました。また先生方が、授業な
どを通してどのように子どもたちと向き合っていらっしゃるかを見聞きできたことは、私自身大
変勉強になりました。ありがとうございました。
宇都宮スクール計画学習サポーター
S.Y
よりよく生きる
歴史とは国家間の、或いは国内の時代の移り変わる大きなうねりを指し、また個人の現在に至
るまでの記録も意味する。歴史に「もしも」はない。当然国家であろうと、個人であろうとであ
る。過去に起きた事実は変えようがないからだ。しかし、現在からある地点を振り返ってみたと
きに「もしもあの時こうしていれば」と思うことはないだろうか。その時点で、そうせざるを得
ないと判断したことであれば尚更のこと、悔やんでしまうことはないだろうか。だが「もしも」
を思い続けたところで、過去は変えられず、残るは現在の自身へのマイナス視線である。つまり
が非生産的行為である。この非生産的行為を脱却するにはどうするか。それは「よりよく生きる」
ことである。
「よりよく生きる」とは、過去よりも現在の自分がいきいきと生活する状態である。
「いきいきと」とは、新鮮な心の持ちようのことである。まさに次の言葉が思い浮かぶ。
「君子の学は、必ず日に新たなり。日に新たなる者は、日に進むなり。日に新たならざる者は、
必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者はあらざるなり。まことに
して
日に新たに
日々新たに
また日に新たなり」(司馬温公)
「よりよく生きる」とは学び続けることで可能となる。学ぶとは自分自身を見つめ、できる限
り多くの他者の視点を持つことである。
「これまでいろんなことを、わかってると思って過ごしてきたけれど、今回受験勉強を通して、
自分には知らないことがたくさんあることがわかった。そう認識した以後から、話を聴くにも、
文章を読むにも
以前とはまったく違って、自分の中に入ってくる。
」とは受験生の発言。これは
一生懸命に学び始めた者の感想である。学びは知らないことがこの世の中にはたくさんあること
に気づかせてくれる。
大切な人に手紙を書く。心を込めて書く。相手に伝わるようにと願いながら、相手の情報を総
動員して、自分の気持ちが先走らないように自身を律しながら丁寧な字でペンを走らせる。そし
て返事が来る。そこで初めて相手がどのように受け取ったかがわかる。そして、相手の反応と自
分が想像したものの差異を探る作業をする。これが新たな視点を持ち、そして感性をも養う。
人や書物との出逢いやふれあいは学びの場であり、日常が学びの場なのだ。
坂口安吾が「あちらこちら命がけ」と言っている。
「今」を学びながら生きるとは、まさにこの
ような姿勢になるのだろう。
昨日までの私自身を振り返ると「ところどころ命がけ」程度だろうと後悔する毎日である。来
年の今頃は「あちらこちら命がけ」の姿勢で過ごせた自分でいたいと思う。
勁草学舎スタッフ
篠崎
諭子
自己実現
アメリカの心理学者 A.H.マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」
と仮定し、自己実現理論を唱えました。勁草学舎で講座を受講したことがある方にはおなじみの、あ
のピラミッド型の欲求段階図です。人間の欲求を 5 段階:ピラミッドの最底辺から「生理的満足の欲
求」
「安全と安定の欲求」
「所属と愛情の欲求」
「承認と自尊心の欲求」
「自己実現の欲求」に分け、下
位の欲求が満足すれば、上位の階層へ移行すると考えました。自己実現(self-actualization ,
self-realization)という言葉を初めて用いたのは、マズローの師である K.ゴールドシュタインのよう
ですが、その際は食欲などの根源的な欲望を解消することにもこの言葉が用いられていたようです。
その考えを拡大して、マズローは自己実現を「自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成
長を図りたいと思う欲求」と定義しました。
マズローが活躍したのは 20 世紀中ごろですが、現代でも人々は自己実現に関心を向けています。
いや、現代だからこそなのかもしれません。2007 年のベネッセ教育開発センターによる父母を対象
とした調査(『お子さまの進路や将来に対して、どのような期待をしていますか』
)によると、第 1 位
「経済的、人間的に自立してほしい」に次いで、「やりたいことを見つけて、自己実現のできる仕事
。私が学生として過ごしていた期間、十数年
をしてほしい」が第 2 位にランクインしています(※1)
前のことですが、「自己実現」という言葉ではなかったにせよ、周囲の大人たちからは「自分のやり
たいこと、可能性を見つけて生きていきなさい」という姿勢で育てられました。「自分探し」という
言葉も流行っていましたし、ゆとり教育が導入され始めた時期でもあります。一方で社会経済的には、
バブルが崩壊し、日本列島を不況の嵐が吹きすさんでいました。ちょうど私が大学を卒業する年が、
就職氷河期のピークの年でした。今振り返ると、なんと夢と現実が解離した時代だったのだろうと思
います。そして今も、社会的・経済的自立と自己実現が親世代が子どもに求めるものであり、子ども
たちはそのプレッシャー(「自分のやりたいことを見つけ、実現し、自立する」)の中で生きなければ
ならないのです。
しかしながら、自己実現と簡単には言えますが、その本当の意味と過酷さを知りながら言っている
人はどのぐらいいるのだろうかと疑問に思います。そして、どれぐらいの人が、自己実現に向かって
自分と闘っているのでしょうか。私自身、自己実現という言葉を安易に使ってきましたが、子どもに
投げかける前に、その言葉の重さを自分に問いかけなければと思います。
最後に、河合隼雄氏の言葉を紹介します(『なるほどの対話』河合隼雄・吉本ばなな)。
『(自己実現とは、素晴らしいことを実現するかのように)みんな思ってるわけ。ところが、自己
なんて実現しようと思ったら、途方もないことがいっぱい起こる。それをぜんぜんわかってない。だ
からぼくは、「『自己実現』は『他己実現』や」言うてるんです。「他人が素晴らしい思うことをやっ
てるだけや」って。(中略)
自分と向き合う作業は、人間にとって必要なんです。必要というか、せっかく生まれてきたんだか
ら、自分は他のどこにもいないし、おそらくまあ世界に一人でしょう。しかも、どうせ死ぬわけだか
ら、その間ぐらい自分を大事にしないと。』
勁草学舎スタッフ
※
URL:http://benesse.jp/blog/20071129/p2_2.html
佐藤
勇弥
大学受験生
A君
国際基督教大学
T君
東京電機大学
明治学院大学
芝浦工業大学
A さん
栃木県立衛生福祉大学校
工学院大学
I さん
跡見女子大学
Y君
実践女子大学
O さん
昭和音楽大学
K さん
白百合女子大学
東京理科大学
芝浦工業大学
フェリス女子大学
二松学舎大学
大妻女子大学
高校受験生
A さん
作新学院高校
文星女子高校
R君
獨協大学
S君
成城大学
K さん
北豊島高校
D君
亜細亜大学
S君
日々輝学園
T さん
立教大学
T さん
作新学院高校
関西学院大学
Y君
作新学院高校
桜美林大学
編集部より
●この会報は勁草学舎のホームページに掲載しておりますので、文章等投稿していただく際、ご希望があればお名前をイニシャ
ルで記入させていただきます。お申し出ください。
●発送を郵便からメール便に切り替えたため、転居、部屋番号不明などで返送されるケースが出てきました。未着、お引越しの
際にはご一報いただけると助かります。
●受験期が終盤に差し掛かってきましたが、すでに多くの合格の嬉しい知らせが届けられ、この一年の労がこの上なく労われる
思いにさせてもらえたこの 2 月でした。志望校合格まで 3 年がかりでがんばった生徒、直前に悩んでしまったけれど戦い抜
けた生徒、短期間でも必死に追い込めて合格に辿り着けた生徒など、一人一人がそれぞれの思いを抱えながら、それぞれの課
題に懸命に取り組めたこの期間は、本当に尊いものだったと思います。みんなのがんばりが報われる知らせが届くたびに、ス
タッフ一同飛び上がって喜びました。受験がこれから本番、という子もいるのでまだまだ気は抜けませんが、最後まであきら
めずがんばり抜いて、3 月 16 日、喜びに満ちた卒業式に出来ることを願っております。
編集部
発行人:苅草 国光
〒110-0004
発行:日本適応指導教育研究所
したや
東京都台東区下谷1-11-15
電話:03-5806-2737
ソレイユ入谷 2 階
FAX:03-5806-2738
この冊子は日本適応指導教育研究所の活動に賛同していただける方、
また子どもの問題で悩んでおられる方々に無料でお届けしています。
ご希望の方は上記にご連絡ください。
勁草学舎(けいそうがくしゃ)
根岸1
● 東京校舎
※2009 年 7 月に東上野の新校舎に移転しました。
東京都台東区下谷1-11-5
URL:http://www.keisou.jp/
ソレイユ入谷 3 階
2番出口
JR
鶯
言問
通り
メールアドレス:[email protected]
首都高速1号
上野線出口
昭和
通り
勁草学舎仮校舎
ソレイユ入谷3階
宇都宮スクール
サンチェリービル403号室
鶯谷駅からの経路
上野
駅
(図の通りにお越しください)
R
J
勁草学舎
日比谷線入谷駅
入谷
谷
駅
歩
道
橋
〒110-0015
したや
至日光
N
足利銀行
● 宇都宮スクール
本店
交番
至大谷
※2009 年 3 月に閉校しました。
至JR宇都 宮駅
合同庁舎
至栃木市
〒320-0043
栃木県宇都宮市桜 4-1-36-403
親子マンボウの会
〒110-0015
したや
東京都台東区下谷1-11-5
親子マンボウの会
ソレイユ入谷 3 階
代表 井澤真智子
※親子マンボウの会は 2008 年 11 月に活動を終了しました。
長い間ご支援いただきありがとうございました。
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