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bulletin No.19 (2005/03/25)
HOKURIKU UNIVERSITY LIBRARY CENTER 北陸大学ライブラリーセンター報 Bulletin NO.19 ⇒をクリックすると本文がご覧になれます。 ⇒ 第4回北陸大学読書感想文コンクール <入賞者10名を表彰> ⇒ 表彰式挨拶 ⇒ 最優秀賞 「雪国」を読んで ⇒ 優秀賞 人生の本当の価値とは ⇒ 優秀賞 現実を納得して、 人生に再出発する ⇒ 優秀賞 「戦争の加害」から平和へ〜『悪魔の飽食』を読んで ⇒ 優秀賞 『性的人間』を読んで ⇒ 人生の意味を教えてくれた10冊の本 ⇒ 薬学キャンパスの紹介 ⇒ 編集後記 北野 与一 (ライブラリーセンター長) 玉野 祐加 (法学部 法律学科 2年次生) 李 鵬 (外国語学部 中国語学科 3年次生) 禹 静菲 (法学部 政治学科 3年次生) 北西 恵 (法学部法律学科 3年次生) 村田 智史 (法学部 政治学科 2年次生) 姜 英之 (未来創造学部教授) ⇒ 目次 ISSN 1342 - 3827 北陸大学ライブラリーセンター報 1st-Half 2005 Bulletin NO.19 昨年、北陸大学学生を対象にした第4回「北陸大学読書感想文コンクール」を実施しました。締め切りの1 0 月末日までに6 2編の応募があり、3回にわたる厳正な審査を行いました。審査には、櫻田芳樹教育能力開発 センター教授(審査委員長) 、叶秋男教育能力開発センター教授、竹内弘名未来創造学部教授、指田春喜薬学 部助教授の4氏が当たりました。審査の結果、次のとおり最優秀賞1点・優秀賞4点・佳作5点を入賞と決定 し、1月1 8日 (火) 1 2時4 5分からライブラリーセンターで表彰式を開催しました。北野ライブラリーセンター長の 挨拶、審査委員長の講評に続いて、入賞者全員に賞状及び副賞の図書券がライブラリーセンター長から贈ら れました。なお、北元理事長のご配慮により、最優秀賞及び優秀賞受賞者には、併せて記念品(腕時計) も贈 られました。 また、入賞者以外の応募者には、後日、 参加賞(図書券)が贈られました。 入賞作品 最優秀賞 『雪国』を読んで 玉野 祐加(法学部 法律学科 2年次生) 優秀賞 リ 人生の本当の価値とは 李 ウ 現実を納得して、人生を出発する 禹 ホウ 鵬(外国語学部 中国語学科 3年次生) セイヒ 静菲(法学部 政治学科 3年次生) 「戦争の加害」から平和へ∼『悪魔の飽食』を読んで 北西 恵(法学部 法律学科 3年次生) 『性的人間』を読んで 村田 智史(法学部 政治学科 2年次生) 佳作 ウ 『活きる』を読んで 「生と死」について―志賀直哉の『城の崎にて』を読む 于 カンテキ 銭 閑適(外国語学部 中国学科 4年次生) 雍正帝―中国の独裁君主― ビン 周 チョウ 「負け犬」というのはなんでしょう 坤(外国語学部 中国学科 4年次生) セン シュウ 『殉死』を読んで コン 趙 (外国語学部 中国学科 3年次生) リ ナ 莉娜(法学部 法律学科 4年次生) 鷲田 祐太(未来創造学部 未来文化創造学科 1年次生) 1 表彰式挨拶 ライブラリーセンター長 北野 与一 第4回北陸大学読書感想文コンクールで入賞された最優秀賞の玉野祐加さんを初め、優秀賞の4人の方 及び佳作の5人の方、おめでとうございます。 今回のコンクールには、62人の方(内留学生25人)が応募していただきました。その中から選ばれて栄 冠を手にされた諸君は、それを誇りに思い、一層読書欲を高め、知力や思考力、表現力や作文力、ひいて は人間力を豊かにしていくよう「夢と希望」をもって努力してもらいたい。 「学ぶに如かず」 、私たちは一 生学び続け、人間形成を目指して研さんを積まなければなりません。この人間形成に最も必要な知力や思 考力、判断力や実行力等のトレーニングには、「読書」が最適なのであります。そのためには、先ずもっ て書物の宝庫であるライブラリーを活用することが肝要であります。 入賞された諸君に対し、主催者を代表して敬意を表しますとともに、卒業される方以外の諸君には、再 度申し上げますが、「夢と希望」をもって来年もまたこのコンクールに参加してくれることを切に希望致し ます。 なお、応募作品の選考には、櫻田審査委員長を初め、叶、竹内及び指田の各審査委員の方々にお忙しい 時にご苦労をおかけ致しました。ここに厚く御礼を申し上げる次第であります。 終わりに、最優秀賞と優秀賞に輝いた作品は、本学の『ライブラリーセンター報』に掲載させていただ き、全学に公開したいと思っておりますので、ご了承のほどお願い致します。 簡単ではありますが、お祝いとお礼のことばと致します。 北野ライブラリーセンター長 挨拶 櫻田審査委員長 講評 2 最優秀賞 『雪国』を読んで 玉野 祐加 著 者 川端 康成 出版社 講談社 (法学部法律学科 2年次生) 「國境の長いトンネルを拔けると雪國であつた。夜の底が白くなつた。 」 そのあまりに有名な書き出しで始まる、日本文学不朽の名作。それが『雪国』である。この作品の筋書 きとしては「島村が雪国の温泉町で芸者の駒子と出会い、愛し合うようになるが、やがて駒子を通して知 り合った葉子にも心を惹かれるようになる。」というものが一般的に知られているところであるが、その 実、この作品で描かれるのは、島村という存在が映し出す駒子の純粋な激情である。美しく、そして悲し く。駒子の鮮烈な姿が、読む者を幻想の世界へと落としていくのだ。 今回、読書感想文を書くにあたり久しぶりにこの作品を手に取ったのだが、初めて読んだ時と変わらぬ 新鮮さを感じ、夢中になった。そして、その気持ちとは裏腹に肝心の感想文を書くことの出来ないでいる とら 自分に驚いた。作品自体を論じるにしても、どの視点から捉えても二番煎じとなるのが否めないし、登場 人物の人間像に視点を絞った構成、という苦し紛れの策すら意味のないことだと感じた。何故なら、この 作品において登場人物の生い立ちや現状などは殆どどうでもよく、必要なのは美の抽出を可能にさせる存 在であるからだ。例えば、「美人といふよりもなによりも、清潔」で、師匠の家の屋根裏に「蠶のやうに 透明な體で」住んでいるのかと思われるような、 「徒勞」とも言えるほど「精いつぱいに生きてゐる」駒 子。 「悲しいほど美しい聲」と「刺すやうに美しい目」を持つ、 「氣ちがひ」じみた葉子。そして、その二 すべ 人を映す鏡である島村。作者が作中で書き出した美しさこそが彼等の全てであり、至高の価値なのだ。私 にとって、落とされた幻想の淵で感じる美や、その鮮烈さ以外のものをこの作品に求めることは、それこ そ「徒勞」のように感じられてしまう。 『雪国』はそれだけ崇高な美をもって、私の前に立ちはだかるの だ。 幻想の傾斜を滑り落ちる私を、せつないほど真剣な駒子のいじらしい姿が終局へと導いていく。そして 私は「蝶はもつれ合ひながら、やがて國境の山より高く、黄色が白くなつてゆくにつれて、遙かだつた。 」 その一文に、島村と駒子の結末が予見されていたと知る。 「目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるやうであつた。 」 その文をもって『雪国』は終わる。読み終えた私を占めるのは、最後まで「夢のからくり」に囚われた ままだった島村の冷たい鏡に流れ込む、幾筋もの光の余韻だ。その中で私は、これ以上の美がこの世に存 すべ 在しないような、これまで美としていたもの全てが否定されてしまうような、そんな不安感に襲われる。 美しい情景を浮かび上がらせる文章。その絹糸の繊細さを己の手の上で丁寧に紡いでいたつもりだった私 は、いつしか自身がその繭の中に取り込まれてしまっていたことを知るのだ。私の中で、 『雪国』だけが 美の価値観を構成し、それまでのものとすり替わってしまう感覚。恐ろしいことに、何度作品を読み返し 3 ても、その感覚は同じ新しさで私を支配する。 事実、『雪国』、いや、川端康成という作家は、私にと っての「美」を包む繭なのかも知れない。そこから私は 永遠に逃れられない気がする。川端康成の小説に触れて 以来、谷崎潤一郎、三島由紀夫といった作家によって抽 出された美をもってしても、私はその純白にきらめくし がらみを破ることは出来なかった。それはとても恐ろし く、そして悲しいことのように思われる。しかし同時に、 「透明のはかなさ」で紡がれた繭に囚われた自分に、私は日本人としての幸せを感じずにはいられないの である。 今回は4氏の審査員が62編の応募作を読み、3回の審査を経て受賞作を決定した。 審査委員長 櫻田芳樹 優秀作とされた5作の対象のうち、 『雪国』、 『性的人間』、 『砂の女』は私にとって40年以 上も前の読書だったため、学生諸君の読み取りを確認すべく久しぶりに再読した。 たしかに『雪国』は、トンネル(山の小口) を抜けた先にぽっかり浮かんだ別世界のこと であり、そこに描かれた幻想の美こそこの小説の価値だという玉野さんの感性的読み取りもうなづける。 ただその幻想美なるものが、芸者遊びという生なものの上に成り立っていることも事実である。このこと をも語りうる文体を獲得してほしい。 『性的人間』を取り上げた村田君は、作品の論理的側面を丁寧に辿っている。大江の作品が文学であ る所以はその論理を現実として肉化するところにある。例えば J の別荘を取り巻く漁村の村人の呪力の こもった眼を、シュールレアリズムの絵にかかれた眼の群のように登場させているところなど、こういう面 を書き込めれば、感想文が評論へと一歩踏み出せるであろう。 禹さんの『砂の女』は自分に引きつけた読み方で、積極的に前向きに生きようという教訓を読み取って か か あり いる。シジフォスの神話のように、掻き出しても掻き出しても落ちてくる砂やその蟻地獄のような砂の穴 に自分を引きずり込む女とは、日常性の逆らい難さを表しているように感じるのだが、文学作品には『誤 解する権利』 も裏目読みの権利も許されていると思う。 北西さんの取り上げた『悪魔の飽食』は、日中戦争時代の7 3 1部隊の行なった人体実験を調べたノンフ ィクションである。日中関係などを考える人、中国語を学ぶ人には、一度は目を通してほしい本である。 これには、アメリカの記録を調べた続編と、中国の現地調査をおこなった三編とがある。靖国問題など、 もういい加減にしてくれという論調が強くなってきているが、事実を知る上にしか未来は築けない。北西 さんはその一歩を踏み出したものと思う。 とら 李鵬君の読んだ『人生の価値』は表題の通り人生論である。ごく全うな捉え方を、乱れのない日本語で 展開させている。外国語でここまで自然な心情が記せるのは、それだけで評価に値する。 以上、私が優秀作に寄せる無くもがなの「ひとこと」である。 4 優秀賞 人生の本当の価値とは 李 鵬 著 者 武田 修志 出版社 講談社 (外国語学部中国語学科 3年次生) 『人生の価値を考える』というタイトルに引かれて、この本を読み始めた。そこには、不治の病や戦争 などで生と死の境目に立たされた人々が描かれていた。病魔に蝕まれた者は皆、最初は死に対して恐怖を 感じ、生きることが絶望的であることに悩む。しかし、最終的には信仰によって自分達が歩んできた人生 の意義を悟って死を恐れなくなるのだ。例えば、かつての体操選手の星野富弘は、深い怪我によって「完 全な身体的機能の停止を宣告され」、まるで天国から地獄に落ちてしまったように感じながらも信仰によ って救われる。また、癌の宣告を受けたその瞬間言葉さえも失ってしまった岸本英夫は、病魔との苦闘の 中で、宗教に目覚め、残された生命を精一杯生きようとする。 日頃宗教の世界とは無縁な生活を送っている僕は、当初どうしてもこの本に溶け込むことが出来なかっ た。なにか別世界のことのように思われたのである。だが、次第に心を動かされることになった。 「二時 間の激しい戦闘の果て、不沈を誇る戦艦大和も、今や無数の爆弾を浴びて、十余本の魚雷をこうむって大 きく傾き、もはや傾斜復旧の見込みはまったく無い」 。この危機一髪の時、二十二歳の吉田満少尉が「自 分自身の疲労の極限にありながら、数名の兵を救うほど目を見張るような働きが出来た」 。最後に力がす っかり抜けてしまい、 「自分の命を救う段に立至ると」 、もう何も出来なくなったという。この極限の状況 において、吉田が思ったのはただ「自分が士官であること」 、そして、 「士官には士官としての『責任』が ある」ということである。いかに大変な状況においても、自分より人のことを先に思う吉田満の中には、 一筋の「責任感」が強く存在しているのだ。それは自分を最後まで戦い抜くように支えてきたものだと思 う。こういうひたむきな吉田の姿に敬意を払わざるを得ないのだ。このような極端な状況で、吉田の「己 を捨てたる者の強さ」がまざまざと表われてきたからだ。 そこで思うのは、非極限の状況にいる我々がとる行動のことである。極限状況とは程遠いのんびりした 暮らしをしている我々は誰かに「責任」を持つとか、何か「任務」を果たすなどは、恐らく考えてもいな いだろう。まして、人の命の為、自分を犠牲にするようなことは、想像もつかないことだろう。だが、誰 や でも、自分の人生の価値を実現させるには、どうしても欠かせないものとして、人への思い遣りの心が必 や 要だと思う。極端な状況に置かれた吉田満の「責任」は普通の生活において、言い換えれば、思い遣りの 心である。困難にぶつかる時、 「責任感」を失うと、人間は自分に執着すること以外に眼が向かず、完全 に「エゴイズム」の世界に入ってしまう。それで、エゴイズムがむき出しの形で出てきてしまうのである。 これは、普段の生活でも同じように考えられる。それに対して、こういう「責任感」は、そのエゴイズム に陥る危険を防ぎ、極端な時も普通の状況でも、 「エゴ」にはならないように押しとどめる役割を果たす や と考えられる。そのような思い遣りの心と、吉田満の責任感が結びつき、極限に置かれた彼の行動が、 5 徐々に私の日常感覚との繋がりで理解されてきた。 や 我々はいずれも、人との世話の遣り取りの中で、人生を送るものだ。この世に生まれてきて、人の世話 をしながら、また人の世話にもなる。かつて僕は人に何か与えるよりことより、人から何かを得ようとい うことに関心が傾きがちであった。また親友から「人間は人の為にしたことを忘れて、他人からしてもら ったことのほうを覚えておくべきだ。そんなふうに生きていれば、きっと何かに恵まれる」ということを 言われたことがある。目から鱗が落ちたような気がした。今、この吉田満のことを読んで、そう思うよう になった。私がこの本を通じてえたのは、吉田満のような責任感こそ、真の人生の価値の実現に大事なも のだということである。 今回感想文コンクールの審査委員をしてみて、学生たちがどんな図書を選び、どのよ 審査委員 叶 秋男 うな読み方をするかがよくわかりました。全般的にいえることは、これまでの学校教育の 中で直接関わりがあった図書、あるいは話題性の高い図書を選ぶ傾向が強く、自分が趣 味・関心を感じた特定の分野にこだわって読み進めているものの中から一冊を選んだ 学生は少ないようです。大学教育は専門に特化する学習過程に入る段階ですから、教養上も、多少系統 だって踏み込む読書「探検」の習慣をつけたいところです。 それでも、このたびはこのコンクールが、普段の授業では気づきにくい、学生の多面的な才能のうちの 文学的感性及び「文才」について発見するとてもいい機会であることを実感しました。教師として、学生 に対する担当科目の学習支援をするばかりでなく、こうして知ることのできた才能をさらに伸ばせるよう に支援できたらと思います。 今後ともこの感想文コンクールがますます学生諸君の才能の発露の場になっていくことを期待してい ます。 作品に接することで「擬似体験ができる素晴らしさ」をあげることができると思い 審査委員 竹内弘名 ます。しかし、疑似体験にもとづく価値観の表明は、「意思伝達手段たる言葉」に頼 らなければなりません。改めて言葉の難しさを認識させられました。 あふ 評価の難しさを痛感しながら若き血潮溢れる皆さんが、なぜ当該作品を選択したのか。 いかなるイマジネーションを働かせ、なにを思い・なにを見つめ・なにを語りかけたかったのかを汲 み取れればと、感想文を拝読させて頂きました。知らない世界を教えて頂きました。今後、より多く の北陸大学生が「擬似体験ができる素晴らしさ」を味わって頂けることを願っています。 6 優秀賞 現実を納得して、人生に再出発する 禹 静菲 著 者 安部 公房 出版社 新潮社 (法学部政治学科 3年次生) 最近、安部公房の『砂の女』という本を読んで、とても感動しました。 仁木は村人に強制的に砂の穴に埋められてしまいました。その砂の穴の中はどんなに汚いことでしょう。 柱はゆがみ、畳は腐りかけていて異臭が漂っています。そして砂は容赦なく家に降りかかり、夜になると、 砂をかきだす仕事を繰り返さなければなりません。その代償として食料と水が配給されます。最初のうち 仁木はなんとかして逃げ出そうと思いました。その怖い砂の穴から逃れ、その汚い色白の女から離れるた めに、彼はいろいろな方法を考えて一生懸命努力したのに、やはり無駄でした。でも、砂の穴の中の生活 を送るにつれて、仁木はだんだんそのつまらない生活に慣れてきました。そんなある日、逃げ出すチャン スが来ました。彼の手の中の往復切符には、行く先も、戻る場所も、自由に書き込める余白があるのです。 だが結局、仁木は砂の穴の中に戻るのを選びました。 この結果を、はじめはすごく不思議な感じがしましたが、真剣に考えて見れば、現実の生活にもこんな ことがよくあります。ある人は今の生活にはどうしても満足できなくて、文句ばかりです。でもそういう 人は新しい生活がやってきた時も、また文句ばかりになって、 「以前のあの時の生活はいいな。 」と言うよ うになるかもしれません。実は、われわれの生活はいつも同じです。幸せなこともあり、不幸なこともあ ります。幸福ばかりの生活はありません。それこそ人生です。文句を絶えず言っても、嘆きに沈んでも現 実は変わらないのです。必要なのは現実に満足して、前向きに生きることです。だれでも不幸に遭ったこ とがあるでしょう。ある人は現実を嘆きっぱなしで、毎日想像の中のいい生活を現実と比べて、自分の作 った苦痛の罠に沈んでいて、平凡な一生を送ることになってしまいます。ある人は現実を出発点として、 不幸を納得し、すでにある条件を有効に活用して、さらに身を立て、素晴らしい人生を作り出すようにな ります。前者は生活の弱者で、どんなにいい境遇にあっても満足できなくて、想像と現実の差を嘆き、苦 しい精神生活に悩むしかありません。後者は生活の強者で、どんな厳しい状況にあっても、現実を把握し て、不利を有利に変えて新たな身を立てることができます。 人生は人に同じ不幸を与えるのに、チャンスは生活の強者だけに与えられます。強者は新たな出発のた めに準備を整え、新しいチャンスを待っています。いったんチャンスが来たら見逃さないで出発ができる のではないでしょうか。 優れた人間が他と違うのは適応性です。 「適者生存」という自然選択法則のように、適応できる人だけ が生きていけるのです。それも社会法則です。今がどんな社会であれ、それに慣れていこうとする人が生 存することができます。でもそれは社会の悪い面にも口を出さないで我慢すると言うのではなく、積極的 に何らかの解決方法を考えて実行した方がもっと有効的だということです。だから、適応性とは、言い換 7 えれば、不幸なことに出遭った時でも、心持ちを調整して新発展を追及する能力のことです。一方、大喜 びの時にも適応性は必要で、喜びに慣れて、冷静に物事を考えていく能力を身に付けなければなりません。 今の若者たちは現実生活に対する不満や文句が多すぎるのです。それは別によくないことばかりではあ りませんが、問題なのは多くの人が文句のままにとどまることです。行動力に欠けることは今の青年の普 通の現象です。物事に対してあれこれ言うのに、実際にやらせたら、だれも現実的行動をとらないという ことがよくあります。 『砂の女』を読んで、明らかになったことは、現実はいつも大体同じで、どこにい ても利点と欠点の両方があり、必要なのは今ある条件を把握して、自分の居場所を見つけそこで自分を強 くし、自分の能力を最大限に発揮することです。 時間は砂のように流れていきます。不満と抗争するより、むしろ現実を見つめ、新たな人生に向けて再 出発したほうがもっと賢明なのです。 本年度の応募総数は,62編と昨年度(89編)よりやや少なかったが,そのレベルは全 審査委員 指田春喜 体的に昨年度より上がったように思われた。ややもすれば,その筋書きを追ってしまい とら がちである読書感想文が多い中にあり, 「美」という視点で捉えた,最優秀賞の玉野祐加 さん(法学部2年次生)の“『雪国』を読んで”の切り口は見事であり,川端以外の作品を も読み込んでいることを伺わせる力量は,やや群を抜いていた。優秀賞と佳作との差はほとんどなく, このほかにもそれらに値する作品もいくつかあったようにも思う。 留学生からの応募数が25編と全体の4割を越え,彼らの日本語の読解力と文章力は十分に高く、日本 そん 人学部生のそれと比較しても何ら遜色無く,改めて感心させられた。多くの日本人が時間(とお金も) を かけているほどには外国語は上達せず,私なども一向に外国語(英語)ができるようにならない(もっとも うらや 努力が足りないのであるが) 。外国語(日本語)がこれほど上手な彼ら留学生を羨ましく思うと同時に,そ の習得に払われた日々の努力対し,敬意を表したい。 8 優秀賞 「戦争の加害」から平和へ∼『悪魔の飽食』を読んで 北西 恵 著 者 森村 誠一 出版社 角川書店 (法学部法律学科 3年次生) 日本軍の行った細菌戦と人体実験は、ナチスドイツの行った大量虐殺と並ぶ人類史上最悪の愚行であり、 凶悪な戦争犯罪である。非人道的な戦争においても、ジュネーブ条約により細菌戦は禁止されている。生 物・化学兵器の使用は、一度に大量の人間を、それも兵士だけでなく非戦闘員も殺してしまう上、必要以 上の障害や苦痛をもたらしてしまうからだ。戦争における戦闘行為の目的は、本来戦力を削いで戦意を喪 失させて、自分の主張を相手に認めさせることにある。殺人はその手段にすぎない。負傷者を出せば、け が人は勿論、その看病をする兵士も戦闘から外れる。さらに重傷を負った仲間を見て戦意が削がれる。多 数の死者を出せば、怨恨感情を植え付けてしまい、戦後の国交が非常に困難になる。 戦争という無法状態の下では、集団虐殺、略奪、暴行、強姦等、あらゆる悪逆非道が行われる。侵略戦 争において行われるそれらは、やらなければ自分がやられるというものとは違う。侵略戦争はいつも、 「お国の為」とか、「世界的に危険を及ぼすから」とかいった、大義名分が掲げられる。最初の被害者は、 そんな風潮に流された兵士たちである。戦地に赴き非道の限りを尽くすのは、殺人鬼でも狂人でもなく、 普段は平穏に暮らしている市民なのだ。戦争と言う狂気の中へ投入された彼らは、しだいに残虐な行為も 平然と行う、いわば集団発狂状態に陥る。戦争が終わった後、我に返った彼らの罪悪の念は計り知れない。 ましてや一生それを背負って生きねばならない苦悩たるや。 七三一部隊では、捕虜や政治犯等をマルタ(丸太)と称し、番号を付けて管理した。彼らにペスト菌、 コレラ菌、チフス菌、など病原菌を感染させ、生体解剖を行った。研究者たちにとってマルタは、より毒 性の高い細菌や特効薬を開発する為のラットにすぎなかった。時には正確なデータを得るため、より普通 に近い状態が望ましいということで、手足を解剖台に縛り付けて、意識のはっきりしているマルタにメス をいれることもあった。幼い子供も、容赦なく解剖された。 しかし日本は現在でも七三一部隊によって行われた細菌戦や人体実験の事実を認めず、徹底的に証拠を 隠蔽してきた。世界で唯一原爆投下の被害にあい、戦争の惨たらしさが骨身に沁みているはずの日本は、 いかなる理由があろうと、真っ先にこれから起こる戦争を止める立場にあるはずだ。それができないのは、 自らの犯した罪から目をそむけ、逃げているからだ。 都合のいい被害者感情ばかり強調しても、例えば9.11のテロをきっかけにアメリカがアルカイダを 攻撃したように、報復と言うかたちで新たな戦争を招くだけだ。戦争で一番問題にしなければならないの は、戦争によって引き起こされた被害ではなく、どんな人間も簡単に悪魔に変貌しうるということだ。自 分たちがどんなに残虐なことをしたのか、加害の事実を受け止めなければならない。戦争から何が生まれ るかを学んだなら、世界から戦争は消えるはずだ。 9 太平洋戦争は侵略戦争だった。私はそれを正当化して主張する人の気が知れない。日本は自分たちの犯 した過ちを全面的に認め、もっと反省の色を示すべきだ。日本はドイツより個人補償の額が多い上、驚く ほど多額な国家賠償をし、国際法上の賠償は終えているにもにかかわらず、未だに殆ど戦後補償をしてい ないと勘違いされがちだ。一方ドイツは国家賠償を殆どしていないが、ユダヤ人の大量虐殺を全面的に認 め、今もナチの残党を追っていることで世界的評価は高い。七三一部隊の主要な人物がのうのうと大学病 院の院長をやっていたことからも分かるように、日本は自国の犯した加害に対する反省の姿勢がみられな いのだ。日本が加害に対する謝罪の意と反省を世界に示す為にも、国際貢献は資金援助ばかりでなくPK O活動のような、行動で示すことにもっと力をいれなければならない。しかし、アメリカのいいなりにな っている現状のままでは、いつまでも世界からの評価は変わらないだろう。私は、はっきりした謝罪もな しに、まるで罪滅ぼしをしているかのごとく他国に資金援助ばかりしている日本のやり方が、日本人とし て恥ずかしい。特に中国の人と接する時に強く思う。日本が胸を張って他国から干渉されずに国際貢献を する為にも、まずは日本の行った細菌戦を初めとする加害の事実を認め、多くの日本人に知ってもらいた い。そして政府にもっと反省の姿勢を見せて欲しい。本当の国際貢献は、そこから始まるだろう。 クレバーハウスでの読書風景 アルベスを利用して学習している学生たち 10 優秀賞 『性的人間』を読んで 村田 智史 著 者 大江 健三郎 出版社 新潮社 (法学部政治学科 2年次生) あ 本作品は1963年という今から41年も前の作品である。しかしこの作品は色褪せていない。むしろ、この 『性的人間』が今の時代に書かれても不自然ではない程の内容である。その理由として、ふたつ挙げられ る。 ひとつはこの作品の内容自体である。この作品はタイトルから分かるように「性」を扱っている。この 場合の「性」は、性別を意味するものであり、肉体的交わりを一方ではあらわす。「性」的なものをこの 作品から探せば、主人公Jの前妻が自殺をした原因となったJの行動が挙げられる。その行動とはJが青 年と「肉体関係」を持った事である。前妻は、Jのそのような行動に衝撃を受け自殺をした。要するに前 妻は一方の「性」に価値観を置き過ぎた故にもう一方の「性」を許すことが出来なかったのである。 この前妻の価値観は今でも不変である。この価値観が支持できるか否かは読者が同性愛者を肯定できる か否かとイコールの関係であると私は考える。 ふたつ目は我々の価値観が形成された社会である。その社会とは「民主主義」であり「自由」であり、 または「進歩的」といわれる言葉の名の下で「保守的」なものを破壊された新しい価値観の日本社会のこ とである。「今」を生きている国民はこの価値観の上で生きている。しかしこの価値観は質的にも量的に も変化している。その原因としてこの価値観が浸透しすぎたためか、または自由や民主主義が欧州のよう な市民革命を成し遂げられた上で獲得されたのではなく、既成の「お上」からこの価値観が与えられたた めかもしれない。自らの手で「自由」「民主主義」になった過程が存在していないからその裏にある「責 任」が存在せず、 「進歩的」になるどころか、逆に「無秩序」へと進んでいるのではないかと私は考える。 しかしこの無秩序は政府が存在する中での無秩序であるため、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』 で述べているように、自由という無秩序に暮らす人間は、一人では生きられないため結局は「支配しても らうこと」を願うマゾヒストになるという逆説へ回帰していくのである。 しかし、このように回帰する人間をJは「順応主義者に成り下がった人間」として軽蔑した。ある時、 「順応主義者」である父親がJを会社に呼び出し「もうおまえも30歳なら、世間並みの生活に戻る潮時じ ゃないか?」と父の会社の秘書になることを勧めた。その提案にJは承諾した。 だが会社の廊下を歩いている時、Jは40年後の自分のイメージとして父親を思い描く。そしてJはあ る事を決心し実行する。それは「順応主義者」のひとりに自分が成り下がらないために、捕らえられた時 決定的に辱められ最大の危険を味わうことのできる痴漢行為をすることであった。そしてJは実行した。 Jのしたことは、痴漢という行為により社会に背くことであった。この作品の結末は、曲がったアプロ ーチで描いた青春小説である。私は痴漢という行為は別として、この作品に性的なものと同時に権力に抵 11 抗する精神を、Jを通してみた。この「性」という本能と「反権力」という自我は時代に関係なくある 年齢になると発生する。 以上、このふたつの理由によりこの「性的人間」は今の時代においても不自然ではないと考える。 次にこの作品の内容について述べたいと思う。 この作品は2部構成で出来ている。1部は、Jの所有するジャガーにJの妻やカメラマンや俳優らを 乗せてJの別荘で映画の撮影をする場面である。1部での性的な事は純粋的に「性的」な事として述べ ていない。むしろ、別荘に職種や性格、年齢が異なる男女が暮らすことが「性的」であり「卑猥」なの である。読者の行き過ぎた空想により読者自身がこの1部を「性的」な場面へ導くように1部は構成さ れているのだと考える。 2部は「痴漢」という行為を「英雄的」な行為へと導く。著者は「痴漢」をすぐさま「性的」なもの へと導かず「痴漢」を上で述べたことへの方法として用いている。当初のJは痴漢とはなったが、それ は面白半分の行為でしかなかった。自分は面白半分に痴漢をしているんだと気づいたのには、ある少年 との出会いがあった。彼は<厳粛な綱渡り>という詩を書くために一番羞恥が得られる「痴漢」を利用 した。少年はJの生ぬるい行為をいつも嘲笑していた。しかし、その少年の最後は、ホームから落ちた 少女を救助するために線路に飛び降り電車にひかれて死ぬのである。少年は本当の「英雄」になったの であった。その後のJの行為は上の通りなのであるが、ここは私の推測だがJの「痴漢」の行為は彼自 身のため以外にもあったのかもしれない。それは、 「痴漢」を少年への鎮魂として行なったのかもしれな いということである。この時、Jは「痴漢」という目的以上の「痴漢」を少年に教えられ、それを実行 した。それによりJにとっての「痴漢の意味」が誕生し、少年に代わって「痴漢」により「英雄」にな ったのである。 最後にJの「痴漢行為」は、「順応主義者」が渦巻く社会に埋没しないための自己防衛の行為であり、 逆説的に述べれば社会の道徳や常識がまだ統一されているから際立つのであると考える。 12 人生の意味を教えてくれた 10冊の本 未来創造学部教授 姜 英之 KANG YOUNG JI 鮮烈な記憶として蘇ってくる 人生というのは何だろう、人が生きるというのはどういう意味があるのだろうか、果たして生きる価値 があるのだろうか。17∼18歳ごろの青春時代に持ったこの疑問は、まもなく還暦を迎えようとする今でも、 時々私の脳裏を駆け巡る。「40にして惑わず」という孔子の教えには及ばず、悟りの境地に達するのはまだ まだと言えるが、当時の寿命から考えると、もうそろそろひとつの答えを持ってもよさそうな年齢だと考 える。 まい これだ、とは確信を持って言えないにしても、大学を卒業して社会に飛び出てこの30数年間、仕事に邁 進してきた情熱の源泉が何かといえば、「世の中のために役立ちたい、特に貧しい人、困っている人々が よくなるようにしたい」という一念であり、それだけは今も変わらないことからすれば、 「人生とは己のち っぽけな力でも社会の発展のために尽くす」ということなのではないかと思う今日この頃である。そのプ う かっとう ロセスは紆余曲折の困難な道であり、また喜怒哀楽に満ちたものであり、人との葛藤・対立と強調の織り なすところであるが、生きる誇り、やさしく言えば、「生きがい」を感じることができるという点が大事で あり、そういう仕事を持てることが人間にとってもっとも幸せなことではないかと思うのである。 振り返ってみれば、私にとって生きる意味を教えられたのは少年時代、青年時代に読んだ本からであっ た。もちろん両親、家族、友人、学校の先生からも多くのことを学んだが、私の心に深く刻み込まれ、私 の生き方に決定的とも言える影響を及ぼしたのは何冊かの本である。ジャーナリスト、研究者、学者とい う職業経歴上、社会に出てからも読書量は一般の人より少しは多いのではないかと思うが、その中で若い ときに読んで深い感動を受け、それが今でもすぐに鮮烈な記憶として蘇ってくる10冊の本がある。 もっとも厄介な異性問題と金銭問題 まず、小学校3∼4年ごろに読んだ『伝記・金原明善(きんばら・めいぜん)』だ。私は、小学校時代 は、静岡に住んでいたが、そのとき天竜川の治水工事に携わり郷土の名士であった金原明善(明治・大正 時代の実業家)の伝記を図書館から借りて偶然読んだのだが、農民、百姓の困難を救うため、私財をなげ うって奮闘する彼のひたむきな献身性に言い知れぬほど心が打たれ、子供心に「大きくなったら、金原明 善みたいな人間になりたい」と思った。 次に、中学時代に下村湖人の『次郎物語』を読んだ。私自身、早く父に死なれた寂しさもあって、やは り早く母に死なれた主人公への同情心が募った。彼は大きくなって学校の先生になるが、教師としての職 業にひたむきな情熱を持って取り組む姿にひかれ、自分も将来は先生になりたいという希望が心の中に芽 13 生え、大学を卒業して社会に出たあともその気持ちはずっと消えなかった。 高校生になって、ロシア作家のドストエフスキーの小説『罪と罰』を読んで、人間というのは複雑で、 不思議な存在であることについて、深く考えさせられるようになった。たとえ主人公ラスコ−リニコフの ように根っからの悪人でなくとも「殺人」を犯すことのできる存在であり、身は汚れていても純粋な心を持 ゆが つか弱い少女ソーニャが、ひどく歪められた心を持つ人を改心させることのできる「愛の力」を持っている ことに勇気付けられながら、どんなに矛盾に満ちた世の中でもまっとうに生きていかなければいけないと いうことを教えられた。 次いで読んだ夏目漱石の『こころ』からは、私の基本的な社会観と人生観を確立する上で、計り知れな うつ い影響を受けた。陰鬱な主人公の藤野先生の回想は衝撃的であった。かつて学生時代での恋人争いの中で ざんき 友人を自殺に追い込んだことへの慙愧と、親戚にだまされて遺産を失うことで金をめぐる人間の心の醜さ えん に嫌気がさし厭世観に浸る姿を見て、この人生において異性問題と金銭問題がもっとも厄介な問題であり、 これをクリアしていくことができるかどうかで、その人の一生が決まるという考えを持つようになった。 理想と信念を持った人間像に感動 大学浪人時代にロシア作家、トルストイの『戦争と平和』を読んだ。友人が皆試験に合格して晴れの大 学生になったのをねたましく思いながら、この書は、いまどきの大学生でもなかなか読めない大長編小説 うた であり、世界文学の中でも最高峰の文学と謳われていたので、大学の友人たちを見返す気持ちもあって読 破に挑戦した。ナポレオンのロシア遠征を舞台にした戦争状況の中での人間模様を描いた大スペクタク ル・ストーリーであり、正直言って、その歴史的背景についての知識不足と外国の地名と人名に慣れず、 最後まで読了するのに大変骨が折れたことを思い出す。この小説からはいろいろ考えさせられたが、今で も印象的なのは、ナポレオンの侵攻を打ち破ったクトゥーゾフ将軍の透徹した歴史観と戦争観、人間観、 失恋から立ち直る主人公の女性、ナターシャのひたむきな愛とたくましい生活力、その夫、ピエールの朴 とつ 訥とした人間味あふれる無上の優しさなどであり、残酷無比の戦争状況においてすら人間は希望を持って 生きてゆくという存在であることを知った。 同じく大学浪人時代に『マルクス伝』(向坂逸郎著)を読んだ。中学時代に同級生からマルクスという西 洋の人物がいて、 『資本論』という本を書いたが、これを読むと人間の人生観が180度変わってしまうらし いと聞いたことがあり、頭の隅に一体マルクスというのはどういう人間だろうと思っていたところ、偶然 本屋さんでこの本を見つけ、早速買って読んだ訳である。父の死後、生活保護を受けなければならなかっ た少年時代の貧しい生活経験もあって、私はこの世にはなぜ金持ちと貧乏人に分かれているのだろうかと いう疑問をいつも持っていた。そのからくりがこの本には書かれてあり、同時に資本主義の経済法則を解 き明かすだけでなく、皆が平等に暮らせる社会建設の展望が示され、そのために実践する経済学者マルク スの生き様にひかれ、大学に入ったらマルクス経済学を専攻しようと心に決めた。 二年間の大学浪人時代にすでに100冊を超える乱読を積み重ねたが、大学に入っても授業より自分で本 を読む生活が好きで、多読を続けたが、その中でも中国の小説『紅岩』はとりわけ私に衝撃を与えた。か つての中国革命時代における共産党員の闘争物語である。社会主義のイデオロギーそのものについては、 自分自身はまだ確信を持って評価することはできなかったが、長い間敵の洞窟にとらわれる中で、 「おし」 14 であるかのように擬装しながら秘密を守り通し、最後は危機一髪のところを無事脱獄に成功し、闘争勝利 を収めるのであるが、理想と信念を持った人間というのは、これほどまでに強く生きられるものなのかと いう驚きと感動を抑えきれなかった。 苦労を共にし助け合うことの大切さ 大学卒業後、社会に出て『竜馬がいく』(司馬遼太郎著)と『徳川家康』(山岡荘八著)を読んだ。両著と も大ベストセラーで、日本人ならみんな読んでいる本だ。前者の主人公、坂本竜馬は幕末の英雄であり、 維新転回の大立役者。古い身分制社会と狭い幕藩体制をぶっ壊し、新しい近代社会を打ち立てるため、ほ とばしる情熱と破天荒の行動力を発揮し、惜しくも大政奉還直後の新政府樹立の前に暗殺される。徳川家 康は、戦国時代に終止符を打ち、天下泰平の江戸時代300年間の礎を築いた大将軍。短命に終わった織田 信長や豊臣秀吉と比較され、その戦略戦術と統治術は稀有のものとされる。この2人の英傑の生き方、思 考と行動スタイルから、自らもそれにあやかりたいという気持ちがふつふつと沸いてきて、自然と心の中 で「俺もやるぞー」という意欲のみなぎってきた日のことがまるで昨日のことのように思い出される。 最後の10冊目は、やはり社会に出て読んだ小説『恩讐の彼方に』(菊池寛著)である。父を殺された青年 が親の仇を討つため殺人者を追いかけ、ついに出会って果たし合いを申し込む。が、かなり歳をとった相 手は山のトンネル工事に孤軍奮闘していたことから、「もはや命は惜しくない。武士の情けだ。せめて工 事が終了するまで待ってくれ」と、頼む。青年は了解し、一日も早く工事が終了するよう一緒に手伝う。 工事は毎日続けられ、数年後ついに完成する。その瞬間、2人は固く抱きしめ合い、しばし無言のまま心 地よい充実感を共に味わう。体を離し互いの顔を見合わせて、微笑んだ瞬間、両者間にこびりついていた 恐れ、恨みの観念は消滅していた。この物語から、私は苦労を共にし、仕事で協力、助け合うことが人間 にとってどれほど深い信頼関係を築き上げるものかを悟らされた。 現在、私はアジアに住むすべての人々が国籍、民族、宗教、社会風習、政治経済体制の違いを乗り越え、 共生できる「東アジア共同体」の構築のための研究を専門とし、その実現に向けて少しでも実践的に役立て ることを目指しているが、このような夢みたいな大事業に今もなお熱い情熱を持って取り組めているのは、 少年時代、青年時代の読書のおかげだと思っている。 15 薬学キャンパスの紹介 薬学キャンパスには、薬学別館(アネックスファーム)及び薬学本館食堂(マイカフェ)にも アメージング空間を演出するための一環として、雑誌や図書を配架してあります。勉学の合 い間のひとときにでも、気軽に手にとって読んでいただければと思います。なお、貸し出し することも出来ます。手続きは、ライブラリーセンター薬学部分館で行っています。 t 薬学本館食堂 (マイカフェ) 薬学別館 s (アネックスファーム) 編 集 後 記 皆様のご協力のもと、第4回読書感想文コンクールを滞りなく終えることができました。 今回は、留学生の健闘が目立ちました。 ライブラリーセンターでは、学生諸君の勉学支援の場として、様々な企画を考えています。 諸君の積極的な参加を期待します。 CONTENTS ○第4回北陸大学読書感想文コンクール 北陸大学ライブラリーセンター報 NO.19 1st-Half 2005 頁 入賞者を表彰 …………………………………… 1 ○表彰式挨拶…………………………………………… 2 ○最優秀賞感想文……………………………………… 3 ○優秀賞感想文………………………………………… 5 平成17年 3月25日発行 編集・発行: 北陸大学ライブラリーセンター 〒920-1180 金沢市太陽が丘1-1 TEL.076-229-3021 FAX 076-229-4850 ライブラリーセンターEメール:tlib@hokuriku-u.ac.jp 北陸大学ホームページ:http://www.hokuriku-u.ac.jp/ ○寄贈図書……………………………………………… 12 ○人生の意味を教えてくれた10冊の本……………… 13 ○平成16年度中ライブラリーセンター図書 印 刷: カンダ印刷株式会社 利用の多かった学生の皆さんを発表・公示………… 15 ○薬学キャンパスの紹介……………………………… 16 16