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先輩受領者からのメッセージ 目次 - 公益財団法人 内藤記念科学振興財団

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先輩受領者からのメッセージ 目次 - 公益財団法人 内藤記念科学振興財団
先輩受領者からのメッセージ 目次
常にオリジナリティを求めて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今井 浩孝 ・・・ 35
複合領域の老化学 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 遠藤 玉夫 ・・・ 36
これまでの道 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 富永 真琴 ・・・ 37
遺伝子操作マウスとの 10 年間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 饗場 篤 ・・・ 38
研究人生と研究テーマの選択 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 安藤 敏夫 ・・・ 39
研究室立ち上げの頃 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 和泉 孝志 ・・・ 40
原爆と白血病 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 稲葉 俊哉 ・・・ 41
原点にもどるということ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大和田智彦 ・・・ 42
さあ、これからだ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 加藤 晃一 ・・・ 43
便利な時代になったのだが ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 亀下 勇 ・・・ 44
10 年経って見えてきた課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久世 雅樹 ・・・ 45
近況報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐藤 準一 ・・・ 46
ショウジョウバエは役に立つのか? ・・・・・・・・・・・・・・・ 齊藤 実 ・・・ 47
奨励金(研究助成)申請書 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹島 浩 ・・・ 48
研究立ち上げに走った 10 年間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東原 和成 ・・・ 49
この 10 年を振り返って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中村 浩之 ・・・ 50
発想を変えてみると ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 原田 守 ・・・ 51
カメはウサギに追いつけるか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 広瀬 進 ・・・ 52
10 年間を振り返り今後に向けて・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮地 栄一 ・・・ 53
予想外の展開 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山梨 裕司 ・・・ 54
7つの信条 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若林 孝一 ・・・ 55
新分野へ後押ししてもらった ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 渡辺 裕 ・・・ 56
34
先輩受領者からのメッセージ
常にオリジナリティを求めて
北里大学大学院薬学研究科
准教授
今井 浩孝
2001 年度に当時北里大学で講師の時に内藤
記念科学奨励金を「アポトーシス誘導シグナル
分子カルジオリピンヒドロペルオキシドの実行
因子の細胞死実行経路の解明」というテーマで
いただきました。ミトコンドリアに存在する脂
質酸化抑制酵素 PHGPx(リン脂質ヒドロペル
オキシドグルタチオンペルオキシダーゼ)が細
胞死形態のひとつであるアポトーシスを抑制す
ることをはじめて見いだし、その解析の中から、
ミトコンドリアに特異的に存在する膜脂質カル
ジオリピンの酸化がチトクロームCに放出や
ANT(ATP / ADP トランスポーター)によ
る放出ポアの制御に関わることを、一流論文に
投稿したのですが、その当時、カルジオリピン
というワードもほとんどでていなかったため、
なかなか受け入れて頂けないもどかしさを味わ
いました。しかし、2005 年にチトクロームC
自身がカルジオリピンの酸化を引きおこすこと
が報告されてから(残念ながら自身でこれを報
告することはできませんでしたが)、現在、誰
もがアポトーシスの指標としてカルジオリピン
の酸化を検討するようになってきています。本
研究助成ではいち早く評価をいただけたものと
して当時本当に喜んだものです。これからも是
非内藤記念科学振興財団には、若手研究者のモ
チベーションを高める上でも、業績だけでなく
オリジナリティの高い研究に助成をして頂けた
らと期待するところであります。
現在、私はさらに PHGPx の個体レベルでの
機能解析を進め、幸いにも 2006 年から JST さ
きがけ研究領域「代謝と機能制御」に参加する
ことができて、自分のアイデアで独立して研究
を進められる機会をいただくことができ、生体
膜脂質の酸化とその制御(すなわち生体膜の膜
の環境変化)による細胞シグナル系と疾患との
関連について、現在さらに解析を進めています。
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活性酸素という言葉は聞かれたことがあると思
いますが、これまで最も解析が進んでいる過酸
化水素などの水溶性の活性酸素シグナルとは違
い、私は生体膜脂質内の疎水性領域における酸
化ホメオスタシスの制御を感知するシステムが
あるのではないかと考えて、さらにその分子メ
カニズムの解明に取り組んでいます。
研究は失敗したり、成功したりの連続で、ま
たその結果が1番だったのか、そうでなかった
のかはその時の運不運もありますが、常にオリ
ジナリティの高い考えや研究方法にトライして
いけば、また次に新しい発見に辿り着けるもの
と確信し、一喜一憂することなく(とはいって
もうまくいけばうれしいものですが)、常にチャ
レンジ精神で現在研究に取り組んでいます。
最後に、この様な研究ができるようになった
のも、まだ駆け出しのころの私にチャンスをく
ださった貴財団のご支援をいただけたからであ
り、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
(2001 年度 科学奨励金)
後列中央が筆者
先輩受領者からのメッセージ
複合領域の老化学
東京都健康長寿医療センター研究所
研究部長
遠藤 玉夫
2001 年度内藤記念科学奨励金を「中枢神経
系症状を伴う先天性筋ジストロフィーと糖転移
酵素変異に関する研究」という課題名で頂いて
から早いもので 10 年経過しました。その間こ
の関連研究課題を継続的に行ない幾つかの新し
いことを発見することが出来ました。また、
2010 年7月 27 日から 30 日まで葉山の国際湘南
村で開催された第 28 回内藤コンファレンス:
糖鎖の発現と制御[Ⅰ]−機能から病態まで−
の組織委員として携わりました。国際シンポジ
ウムの開催は経費や諸手続きなど大変ですが、
財団のご厚意により煩雑な作業をすべて行なっ
て頂きました。その結果、世界の著名な研究者
を多数招聘することができ、最先端の研究情報
を国内の研究者に紹介できました。ここに改め
て感謝申し上げます。
さて、現在日本は急速な高齢化社会になり、
人口構成比の変化に伴い生じた様々な社会的な
諸課題の早急な解決が求められています。現在
所属している研究機関は、このような高齢化社
会の到来を 30 年以上前にすでに予測し設立さ
れました。自然科学系ばかりでなく社会科学系
に関する研究も実践しており、私が上記科学奨
励金を頂いた頃は、東京都老人総合研究所とい
う名称でした。老化に関連する諸問題を総合的
に科学するという位置づけを意味しています。
老化という複雑な生理現象については、古代ギ
リシャの頃から始まり様々な考えがあります。
前世紀に分子生物学や遺伝学が進歩したことに
よりこれまでの老年学は一転し、老化について
も分子レベルで語ることがやっと可能になりつ
つあります。またヒトのゲノムがほぼ解明され
ました。そしてゲノムが明らかになったことよ
り、ゲノムの産物がどのような働きをしている
かを理解しようとする、いわゆるポストゲノム
研究が益々重要になってきました。老化という
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36
現象もゲノムの素因と環境の素因が複雑に絡み
合っていると考えられます。私が主に行なって
いる糖鎖研究は、ポストゲノム研究の一分野で
す。細胞環境に応答する分子である糖鎖は、老
化メカニズムの理解を一段と進める「カギ」に
なると期待されています。
ところで、前述したように私が所属している
研究所は、様々な学部の出身者で構成されてい
ます。他学部出身者と話をしていると皆どこか
昔受けたそれぞれの教育の特色を思考回路のな
かに感じ、それを基に皆さん自分の領域を形成
されているように感じます。三つ子の魂的なも
のがあるのでしょうか。老化という事象につい
ても様々な考え、アプローチがあることに驚く
ことが多々あり、こうした複合領域の研究の進
展がこれから益々求められると感じています。
現在我々は筋ジストロフィーという難病の病態
解明に取り組み、老化のメカニズムやアルツハ
イマー病などの老化に伴う疾患についても研究
を進めています。得られた研究成果が将来医療
や福祉に少しでも役に立てば、それこそ研究者
冥利に尽きるというものです。少子高齢化社会
を迎えて我々の研究は益々重要であると確信
し、もう一歩前進したいと思っています。
(2001 年度 科学奨励金)
先輩受領者からのメッセージ
これまでの道
自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター
教授
富永 真琴
2001 年に「温度受容の分子機構の解明」で
第 33 回内藤記念科学奨励金を頂戴してからも
う9年になります。2000 年に縁あって三重大
学に赴任することができ、2004 年に現所属で
ある岡崎統合バイオサイエンスセンターに異動
しました。2000 年に三重大学で自身の研究室
を立ち上げたときには、頂戴した助成金が大き
く役に立ちました。あらためて感謝したいと思
います。
自分の研究室を持ってから 10 年、振り返る
余裕すらなく、ただただ走り続けてきた 10 年
だったように思います。申請書では、「VR1
(現 TRPV1)と VRL-1(現 TRPV2)の遺伝子
クローニング以降、温度受容体遺伝子のクロー
ニングの報告はない。冷刺激受容体については、
申請者も含めて電気生理学的に VR1 に似てい
るという結果が出ているが、分子実体は明らか
でない。日本を含めて世界中の研究者がクロー
ニングを目指しているものと思われ、その達成
は急務である。」と書きました。今では、9つ
の温度感受性 TRP チャネルが明らかになり、
そのうち4つの遺伝子クローニングと温度受容
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てから、しばらくは痛みの研究を中心に進めて
きましたが、現所属に移ってからは、9つの温
度受容体のうち5つが温かい温度によって活性
化することに興味を持ち、体温近傍で活性化す
ることの生理学的意義の解析を精力的に進めて
きました。素晴らしい学生やポスドク、スタッ
フと一緒に、TRPV4 が脳神経細胞に発現して
脳の温度を感知して神経の活動性を制御してい
ること、TRPV4 が皮膚に発現して皮膚のバリ
ア機能を制御していること、TRPV3 は皮膚で
環境温度を感知してその温度情報を ATP を介
して感覚神経に伝えていること、膀胱上皮の
TRPV4 が体温下で膀胱壁伸展の機械刺激を感
知して尿がたまったという情報を ATP を介し
て感覚神経に伝えていること、TRPM2 が膵臓
に発現して体温下でグルコース等の刺激に応じ
て活性化してインスリン分泌をもたらしている
こと、等を論文発表することができました。最
近は、生物が進化の過程でどのように温度感受
性を変化させてきたのかも研究しています。
これからも、初心を忘れることなく、多くの共
同研究者と一緒に温度受容のメカニズム解明を
目指して研究を進めていきたいと思っています。
内藤記念科学振興財団のますますの発展をお祈
りしています。
(2001 年度 科学奨励金)
機能の発見に関わってこられたこと
は幸せであったと思います。文部科
学省特定領域研究「細胞感覚」の領
域代表もつとめさせていただいてい
ます。
「今、何を研究していますか?」
と聞かれたら、やはり、助成金を申
請したときと同じ「温度受容の分子
機構の解明」と答えると思います。
自身の研究が進んでいないように聞
こえるかもしれませんが、そうでは
なく、この研究領域が新しく、分か
らないことがとても多いからです。
カプサイシン受容体 TRPV1 が熱の
受容体であることを 1997 年に発見し
最前列右端が筆者
37
先輩受領者からのメッセージ
遺伝子操作マウスとの 10 年間
東京大学大学院医学系研究科
教授
饗場 篤
私は2001 年度に内藤記念科学奨励金(研究助
成)をいただきました。2001 年に神戸大学医学
部で初めて自分の研究室をたちあげた時にとて
もこの助成が有難かったことを覚えています。
神戸大での採用が決まった後にいただいた辞令
には当時学長であった西塚泰美先生の名前が記
されており、非常に感動しました。西塚先生は
細胞内で大事な役割をしているタンパク質リン
酸化酵素プロテインキナーゼ C の発見者として
高名で、私達が大学院生の頃には西塚先生とそ
の弟子である高井義美先生を擁していた神戸大
医学部は生化学の分野で世界トップクラスで
あったと思います。さて神戸大では、ヒトを含
む哺乳類で最も遺伝子を操作する技術が進んで
いたマウスを研究対象としました。具体的には
マウスの遺伝子を欠損させたり、逆に遺伝子を
外から導入したりして、それらの遺伝子操作が
マウスの行動・発生等に与える影響を調べまし
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めた頃と比べ、現在では特定の領域のみで遺伝
子を欠損したマウス等を作製することが多く、
マウス作製にも以前より長く時間がかかるよう
になってきています。また解析にかける時間も
多くなっていることから遺伝子操作マウスを自
分の手で樹立して仕事をまとめるのは多くの労
力と時間を費やす状況になってきています。あ
る意味コストパフォーマンスが良くないこのよ
うな手法については短期間で業績を上げる必要
のある研究者にとっては選択しにくいものと
なっているのも事実です。一方で、個体レベル
で再現性のある結果を得るためにはやはり遺伝
子操作マウス系統の樹立が重要で今後もこの技
術を基盤とした研究を続けていきたいと考えて
います。私自身学生時代と比較し、研究につい
て考える時間も減少していますし、志も低く
なっているような気もしますが、もう一度ネジを
巻きなおして若い研究者・学生と共に頑張りた
いと考えているところです。
(2001 年度 科学奨励金)
た。対象とした遺伝子
は、脳の中で記憶や学
習に関与しているグル
タミン酸の受容体や細
胞の形や運動に関与す
る GTP 結合タンパク質
の遺伝子で、それらの
個体レベルでの機能を
研究してきました。
2009 年に現在の所属
である東京大学に異動
しましたが、引き続き
遺伝子操作マウスの作
製・解析に従事すると
共に動物実験施設の管
理・運営に携わること
になりました。私がマ
ウスを用いた研究を始
左端が筆者
38
先輩受領者からのメッセージ
研究人生と研究テーマの選択
金沢大学理工研究域数物科学系
教授
安藤 敏夫
カリフォルニア大学サンフランシスコで6年
半の研究を終えて、金沢大学理学部物理学科に
講師として赴任したのは 1986 年である。35 歳で
あった。36 歳で研究室を主催する幸運に恵まれ
た。しかし、実験机さえないゼロからの出発で
あった。それまで、骨格筋ミオシンや蛍光技術に
関する研究を行ってきたが、脳海馬の長期増強
を新たにテーマの一つに選んだ。これは大失敗で
あった。面白いテーマだが、特にアメリカで次々
と成果が上がり、弱小研究室では従いていくこと
さえ難しい。結局、ミオシンや蛍光技術の研究を
継続しつつ、1986 年に誕生した原子間力顕微鏡
(AFM)を自作して蛍光顕微鏡と組み合わせる
研究をテーマに選んだ。1991 年のことである。そ
の開発経験をもとに、1993 年にAFM の高速化に
着手した。しかし、その後数年間は可もなく不可
もなしという状況であった。周りの研究者仲間は
素晴らしい成果を出していた。
私は 2001 年に内藤記念科学奨励金を頂いた。
2000 年に、ミオシンV のアクチンフィラメントに
沿った1分子運動の蛍光顕微鏡観察に成功した
ことが評 価 されたためであろう。一 方 、高 速
AFM の開発に関する最初の論文を 2001 年に
PNAS に出した。今から振り返れば、この時期は
それより数年以上前に着手した研究の成果がよ
うやく出てきた時期であった。だが、上記の蛍光
顕微鏡観察手法を基に、米国の複数の研究グ
ループによって、ミオシンV がハンドオーバーハ
ンド運動することが見出され、先を越されてし
まったと悔しい思いをした。
2001 年の高速 AFM の開発成果から、この新
しい顕微鏡の実現可能性が見えてきたと感じ、
この装置開発に研究室のパワーをかなり集中さ
せることにした。最終目標を、高速 AFM 装置
を完成させてミオシン V の歩行運動を映像とし
て捉えることに設定した。この目標を達成する
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39
のにどのくらいの年数がかかるかは全く見当が
つかなかったが、科学者としての人生をかける
に値するテーマであるという強い思いを抱いて
いた。この私の思いが研究室の学生さんや若手
研究者にどのくらい伝わっていたのか定かでは
ないが、何人かはこの私の研究方針に付いて来
てくれたのはありがたい。また、研究者仲間や
研究助成機関の理解も得られ、思う存分研究す
ることができた。
上記の最終目標に今年(2010 年)ようやくた
どり着くことができ、英国科学誌 Nature の11 月
4 日号に Article として論文が掲載された。高速
AFM の装置開発に着手してから既に 18 年の歳
月が経っていた。私の最初(でおそらく最後)の
Nature 論文であり、研究室のメンバーと喜びを
分かち合った。
研究者として私に残された時間はあと5年で
ある。1から新しい研究テーマに飛びつく歳でも
ないし、成功した研究を更に伸ばすことに専念す
る覚悟である。研究者寿命は短いものである。自
らテーマを設定し実行できるのは約 30 年、ひと
つのテーマをやり遂げるのに10 年以上とすれば、
研究テーマの選択は最も重要であるに違いない。
人生をかけるに値すると思い込めるオリジナリ
ティーの高い研究テーマを、周りの研究の進歩を
横目で睨みつつも見出すこと、それが基礎研究者
にとって最も重要なことである。研究者としての
人生を振り返るこの歳になった今、このことを意
気盛んな若い研究者に最も伝えたい。
(2001 年度 科学奨励金)
先輩受領者からのメッセージ
研究室立ち上げの頃
群馬大学大学院医学系研究科
教授
和泉 孝志
2001 年度内藤記念科学奨学金を頂いてから、
はや9年が経とうとしています。私はその前年
の2000 年に、東京大学医学部生化学教室から群
馬大学医学部生化学の教授に転任したばかり
で、研究室の立ち上げに奨学金を使わせて頂き
ました。大変有り難かった記憶があります。
それまでは、大きな教室の助教授として学部
学生や大学院生の教育や研究、さらに研究室の
運営、教授の雑事のお手伝いなど、かなり多忙
でした。地方国立大学で研究室を運営する立場
になり、少しじっくり自分の研究ができるかな
と思っていましたが、そうではなかったので最
初は戸惑いました。その理由の1つは、所謂落
下傘教授だったことにあります。スタッフには
以前の教授時代からの教員がいて、それぞれ自
分のテーマをもって研究を行っていました。幸
い、以前からのスタッフの研究テーマはリン脂
質代謝で、それまでの私の研究テーマであるア
ラキドン酸代謝物(炎症や免疫反応の化学伝達
物質)と関連付けることができました。しかし
実際に自分の研究テーマによる研究を開始でき
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新しく始めた研究テーマは、生理活性脂質と
その細胞膜受容体の新しい組み合わせを見つけ
ることでした。幸運にも、G2A と呼ばれている
オーファン受容体(孤児受容体:リガンド不明
の受容体の意)のリガンドがリノール酸の酸化
物であることを証明することができ、現在もそ
の生理学的意義について解明を続けています。
また、脂質の酸化はリン脂質の状態でおこるた
め、リン脂質分解酵素との関連もあり、その意
味でも幸運でした。この発見によって、1つの
大きな研究の柱を見いだすことができたと思っ
ています。
群馬大学に赴任してからの10 年で、国立大学
医学部をとりまく環境は大きく変わりました。
運営費交付金や教員数の削減が、基盤的な研究
環境を圧迫しています。また、医師の臨床指向
が強まり、医学研究(特に基礎医学)に目を向
ける医学部卒業生の数が減少しています。現在、
医師確保のために医学部定員の増員が行われて
いますが、学生が一人前の医師になるには10 年
近くかかります。基礎医学は現代医学の基盤と
なる学問です。これらの学生が医学部を卒業す
るころに、基礎医学をとりまく環境が少しでも
改善していることを心から望んでいます。
(2001 年度 科学奨励金)
たのは、自分が教えた大学院生を
助手として呼び寄せ、臨床教室か
らの大学院生を受け入れることが
できて後のことですので、数年か
かりました。もう1つの戸惑いの
理由は、教授は思っていた以上に
多忙だったことでした。少しゆっ
くりできたのは赴任した年度だけ
で、その翌年度からは各種の委員
会に名を連ね、会議や書類作りに
追われる毎日が始まりました。丁
度、群馬大学医学部の大学院部局
化(2003 年)や国立大学の法人化
(2004 年)の準備と重なる時期
だったことも関係しています。
左から4人目が筆者
40
先輩受領者からのメッセージ
原爆と白血病
広島大学原爆放射線医科学研究所
教授
稲葉 俊哉
2001 年 1 月 1 日付で、私は広島に赴き、「原
爆放射能医学研究所」(当時の名称)という重
い名前を持った研究所の、白血病をテーマとす
る研究室を引継ぎました。この年に内藤記念科
学振興財団より科学奨励金をいただき、研究室
の立ち上げに使わせていただけたことは、志は
大きいが使える研究費は少ない新米教授にとっ
て、誠に幸いなことでした。この場をお借りし
て厚く御礼申し上げます。
広島といえば原爆であり、放射線といえば白
血病です。とは言え、私の出自は小児科医なの
でした。臨床医として白血病の子供たちと「格
闘」した年月のあと、研究が大切だと思い直し
て血液学を志し、縁あって広島に来た時には原
爆のことも放射線のこともろくに知らず、いま
考えると汗顔の至りです。それから 10 年を経
て、原爆投下後 65 年間にわたる大勢の医師や
研究者の奮闘により、実に多くのことが解明さ
れてきたことを理解しました。それらは「原
爆・放射線」や「白血病・がん」の枠を越えて、
人類の福祉に大いに役立っていますが、大変重
い事実も明らかになりました。被爆者のがんの
増加は被爆後 65 年を経た今日も続いているの
です。
半世紀以上前に浴びた放射線の悪影響がいつ
までたっても抜けない(困ったことに、おそら
くは一生消えない)のは、放射線がゲノム
DNA という、われわれの体を構成する細胞の
「運営マニュアル」を傷つけ、落丁・乱丁など
読めないところを作ってしまうことが主な原因
です。一度傷んだマニュアルはそのままなので、
被爆者のがん発病頻度は高止まりしたままなの
です。
ところが最近、どうもそれだけではないこと
が分かってきました。「マニュアルの読み方」
にも問題が生じているようなのです。ゲノム
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41
DNA は分厚い電話帳に匹敵する膨大な情報量
ですので、よく使うところやあまり使わないと
ころ、まず絶対に使わないところなどを区別す
るために、細胞は栞やら、赤鉛筆やマーカーペ
ンやらで目印をつけます。実際のところ、出来
の悪い学生のように目印を付け過ぎる傾向があ
り、そこら中、色とりどりでかえって大事なと
ころとそうでないところの区別がつかないので
はないかと心配になるほどです。こうした目印
のことエピゲノムとよんでいますが、年齢に
よっても大きく変化していくことから、目印の
つけ損ないが老化現象の一因であるとも考えら
れています。
放射線による発がんも、このエピゲノムの異
常が関与していることが次第に明らかとなって
きました。まだまだ、ほんの少しわかったとい
う段階ですが、この方面の研究が大きく期待さ
れているのは、エピゲノムを調節する薬剤が登
場したこと、これが白血病に有効であることが
わかってきたことです。特に、白血病の治療に
つきものの厳しい副作用が少ない薬剤があり、
大きな期待がかかっています。
10 年前に赴任したときには想像もしなかった
方向へと研究室の興味が向かいつつあります。
こうしたところが、研究の醍醐味であり、難し
さなのだと痛感しています。
(2001 年度 科学奨励金)
後列左端が筆者
先輩受領者からのメッセージ
原点にもどるということ
東京大学大学院薬学系研究科 教授
大和田智彦
10 年前に名古屋市立大学から現職の東京大
学に縁あって移籍した 2001 年に、内藤記念科
学奨学金のご支援を頂きました。最近、名古屋
で学会があり、名古屋の街に降り立つと、名古
屋の街も大きく様変わりし月日の長さを実感し
ました。この10 年間で思い起されることに雑務
での苦労が多く含まれるというのは自分ながら
も不甲斐ないことです。様々な雑用が舞い込み
それに効率よく対応することはできるように
なった反面、実験室から遠のいてしまった喪失
感を持ち続けていました。ところが、数年前に
院生の研究を手助けすることにして、自分で有
機合成化学の実験を再開しました。そのときは
1つの化合物が合成でき短期に終わってしまっ
たのですが、その後、体調の関係で研究室を変
更しなければならなくなった院生の研究テーマ
を論文にまとめるために、時間を見つけては実
験を行うようになりました。その大学院生の残
したデータと合わせて論文を書き、論文が海外
の雑誌に出版された時には、移籍した院生から
大いに喜ばれました。これが契機の一つになり、
今では寸時を見つけては実験室に確保した自分
の実験台に張り付き、おまけに実験室に自分の
デスクも確保し、複数の研究テーマの一部を担
当して実験し始めました。要するに、昔の助手
(今の助教)時代に戻ったということです。実験
を再開した際、もっとも障害になったのはNMR
をはじめとする測定装置の使い方が分からない
という点でした。私が助手をしていた時分、あ
る別の研究室の教授の先生が「自分の研究室に
ある装置のほとんどすべて自分は使い方(操作
法)を知らないのだ、腹立たしいことに。」とぼ
やいておいでで、その当時はそんなものかと
思っていましたが、実際自分も教授職というも
のになって以来、初めて同様の焦燥感を自覚し
ました。今の学生はとても器用で、いろいろな
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42
装置の操作法を直ぐ覚えてしまうのですが、い
わゆる自家製の操作マニュアルのような文章化
は苦手なようで、いろいろなことが口承の形で
伝わり、文章として残っていないということに
気がつきました。そこで助手時代にさんざん
行ったマニュアルづくりを始めました。このマ
ニュアル作成は、いろいろな場面を想定する想
像力を必要とする作業で、操作法がわかるだけ
ではなく、装置の理解も進み、きれいなスペク
トルを得るための工夫を学生に教えるようにな
り、さらに装置のいろいろなトラブルにも積極
的に係われる様になりました。実験室に自分の
居場所があるとすごいメリットがあります。毎
日学生と話ができ、しかも実験の様子がよく分
かります。一方周りの人に自分が何の実験をし
ているか、どういう困難に悩んでいるかを積極
的に話し、時には実験を手助けしてもらってい
ます。また自分では当たり前の実験手法が伝わ
らず消滅していくという事実を痛感しました。
再結晶のやり方など細々した実験手法を学生に
教えるようにしました。もちろん自分が行って
いる実験の進みは遅く、一進一退を繰り返すの
ですが、化学現象の意外性に魅了され、またメ
ンバーが行っている実験の方向性を毎日の立ち
話から確認し、時に微調整していけるようにな
りつつあります。何が重要かを再認識するため
の10 年だったとも言えます。
(2001 年度 科学奨励金)
左端が筆者
先輩受領者からのメッセージ
さあ、これからだ!
自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター
教授
加藤 晃一
恐らくは多くの PI が通る道かと思いますが、
10 年前に名古屋市立大学薬学部に単身赴任し
た私も “死の谷”の淵をもがきながら走って
いました。新天地に NMR 構造生物学の研究室
を立ち上げようという理想とは裏腹に目の前に
立ちはだかる様々な現実。人的にも物的・資金
的にもゼロから(実質的にはマイナスから)の立
ち上 げのなか、山 のように押 し寄 せる雑 用 と
ディーラーからの請求書。黙っていても消費され
ていく高額の液体ヘリウム。眠れぬ夜が続く中
で、研究助成金の申請書を書いては応募する
日々。その多くは「残念ながら貴意に沿うことは」
という一文とともに落胆の嘆息へと帰結するの
ですが、決して立ち止まることはできません。先
輩研究者から決して焦らぬようにと、温かい励ま
しのお言葉をいただくものの、これがどうして焦
らずにいられましょうか。
そうした状況の中でいただいた内藤記念科学
奨励金のありがたさ。何よりも自分の書いた申請
書を認めていただいた喜び。私にとってどれだけ
励みになりましたことか。実際にそれ以来、研究
室は加速度的に良い方向に進みはじめました。志
の高い若者たちが、類は友をよぶとばかりに次々
と研究室のメンバーに加わってくれるようにな
りました。国内・海外の多くの共同研究者にも
恵まれ、自分たち自身が驚くような研究室の成
長ぶりを“同志”ともいえる学生たちとともに実
感することができました。助成対象としていただ
いた研究課題は、その後大きく進展し、現在では
「糖タンパク質の細胞内運命(フォールディング・
輸送・分解)の決定機構」という私たちの研究室
の中心テーマへと発展しています。
その間にも、大学の法人化、薬学部の6年制導
入をはじめ、私たちを取り巻く環境も大きく変わ
りました。2008 年から自然科学研究機構岡崎統
合バイオサイエンスセンターが私の本務地とな
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43
りました。ここでは分子分光学、分子生物学、ナ
ノサイエンスが混然一体となった研究室を運営
しており、主に920MHz のNMR 装置を使った複
合糖質の構造生物学研究を行っています。実に
幸いなことに、名古屋市立大学でも研究室を継
続的に主宰する機会を与えていただいており、
N M R 、X 線 を中 心 とした生 命 分 子 構 造 学 と
細胞・個体レベルの生命科学研究をスタッフ・
学生とともに楽しんでいます。2 つの研究室は一
丸となって新しいサイエンスを模索しています。
この 10 年間に博士課程に進学した 6 人の院生
は、全員が日本学術振興会の特別研究員に採用
され、国際的な広がりをもって活躍しています。
産学連携活動の一環として2004 年に設立した大
学発ベンチャーもおかげさまで順調に活動を続
けています。
思えばこの 10 年間は、死の谷を越えて生き残
ることそれ自体が目標となっていた面もありま
した。今から思えば、多くの学生にとって大学教
員が憧れの職業となるように、もっと優雅に生き
ている(ふりをする)方が良かったのかもしれま
せん。しかしながら、逞しく育っていった学生た
ちを見ると、これまでの姿勢は、それはそれで良
かったのかとも思います。まだまだ不惑とは程遠
いPI です。
ともあれ、新しいフェーズに突入した私たちの
研究グループが、次の 10 年間にはどのような成
長を遂げていくのか。それを想い、とてもわくわ
くする毎日を送っています。
(2001 年度 科学奨励金)
最前列左から4 人目が筆者
先輩受領者からのメッセージ
便利な時代になったのだが
香川大学農学部
教授
亀下 勇
DNA 塩基配列を決定する際、X 線フィルム
のラダーを見ながら GATC と読んでいたこと
を知っている世代は、研究室でも中堅以上の人
たちであろう。さらに Maxam-Gilbert 法を実際
にやったことのある人になると、さらに年長者
の世代だと思う。当時、クローニングで取得し
た遺伝子の配列を何カ月もかけて決定していた
ことを考えると、現在のシーケンサーであっと
いう間に遺伝子配列を決定できる状況は夢のよ
うである。一日でも早く論文を出したいがため
に、世界中の研究室で日夜シーケンスゲルを流
して、ひたすら DNA の配列決定をしていた人
たちが大勢いたことなど、今の学生に説明して
もなかなか理解してもらえない。あれからそん
なに時間が経ったような気がしないのだが、
すっかり研究環境は変わってしまった。
論文の作成や投稿後のやりとりに関しても随
分便利になった。これまた古い話だが、IBM
の電動タイプライターで論文を書いていた時代
からワープロが出てきたときには、こんな便利
なものがあれば、さぞかし仕事が進むに違いな
いと感激したものである。実際に論文を書く時
にずいぶん楽にはなったが、便利になったから
といってどんどん論文が出るようになった訳で
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先ほどの遺伝子配列決定やタンパク質の発現か
ら抗体作製、またプロテオーム解析、遺伝子
ノックアウトまで、資金さえあれば、研究に関
するほとんどの作業を外部に委託することが可
能である。極端な話、大きな予算が獲得できれ
ば、アイデアを提供するだけで、あとは自分の
名前入りの論文がオンラインで出てくるのを待
つだけというようなことも起こり得るかもしれ
ない。そのような未来を想像した時に、研究の
面白さとは一体何なのだろうかと考えてしま
う。
研究に必要なものの多くが研究費で手に入る
便利な時代になったが、私の研究室では、学生
が使用する材料は、時間や労力がかかっても極
力学生に調製してもらうことにしている。先を
急ぐことよりも教育的な配慮が大切だなどと表
向きは言っているが、学生が多い割に使える予
算が乏しい研究室での苦肉の策である。このよ
うな研究環境では、たまには想定外のささやか
な発見も経験できるが、実験に不慣れな学生が
引き起こす笑えない笑い話も日常茶飯事である。
学生の出した解釈不能のウエスタンブロットの
データを見ながら学生達と一緒に頭をひねるの
も、考え方によっては子沢山研究室ならではの
楽しみなのかもしれないと思える今日この頃で
ある。
(2001 年度 科学奨励金)
もなかった。また、今はどの
ジャーナルも電子投稿になり、
Submit ボタンを押した瞬間に原
稿は、間違いなく先方に届くこと
になるが、以前は印刷した原稿を
必要部数封筒に入れ郵送したもの
である。返事が来るまでに半年も
待たされたり、ひどい時には、郵
便がちゃんと届いていなかったり
したこともあり、論文を出すのも
大変な作業であった。
最近は、すべてが便利になった。
最前列左から3人目が筆者
44
先輩受領者からのメッセージ
10 年経って見えてきた課題
名古屋大学 物質科学国際研究センター
助教
久世 雅樹
第 33 期(2001 年度)内藤記念科学奨励金を
「symplectin の発光機構の解明」の課題で頂戴し
てから 10 年が過ぎました。当時は駆け出しでこ
れといった成果の無い私を援助して頂き、貴財団
と寄附者の方々、そして審査員の先生方に改め
て感謝申し上げます。
10 年前には予想できなかったほどに研究が進
展し、さらなる展開が期待できるようになりまし
た。この10 年間、研究と教育に専念して世界トッ
プクラスの人材を輩出することを念頭に頑張っ
てきました。しかしながら、闇雲に頑張っても解
決できそうにない問題が目の前に広がり山積み
され始めたと最近感じています。年齢を重ねて視
野が広がったのかもしれませんが、現場の声とし
てここに2点記したいと思います。
1:国立大学法人の存在意義
国立大学の法人化移行を経験し、構成員とし
ての意識改革を求められてきました。以来、常に
国立大学法人の存在が国民にとってどのような
意義があるのか常に考えています。
「研究成果を
論文投稿や学会発表することで社会に貢献する」
という図式で育ってきましたが、この図式が納税
者に対する利益還元であると理解してもらえる
のか悩みます。税金に基づく大学運営費と科学
研究費補助金で展開された教育と研究は、国民
の知と人材という財産になりますが、これは目に
見える形で表すことが難しいものであるため、大
学に関連する事業の重要性を国民全体に理解し
てもらうためには相当な努力が必要なのではな
いか感じています。
「基礎研究費として税金を○
○億円投入した結果、××億円の利益が生み出
せた」といった単純に数値化できる事業ではあ
りませんが、最近の政治や社会の情勢を踏まえ
ると、大学の存在意義を国民にわかりやすく説明
するために何らかの工夫を施す必要があると
思っています。大学構成員として何をどうすれば
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45
良いのか指針があるといいのですが、先輩方に甘
えてばかりではいけないので、やはり自分自身の
言葉で説明できる答えを探しています。
「大学が
存在することで国民すべてが△△の利益を享受
できる」といった簡単な説明ができるようにした
いのですが、難問です。
2:長引く不景気による学生の就職氷河期
不景気については、自分ひとりで解決できる問
題ではありませんが、何とかできないものかと思
いを巡らせています。企業への就職を希望する学
生は大学院の間、多くの時間(精神的な時間も含
めて)を就職活動に注ぎます。不景気ですからこ
の状況は当然ですが、あまりに気の毒に感じてい
ます。これほどの就職難であれば、大学院の間に
学べることや研究に没頭できる時間は限られて
しまう上に、内定してからも就活による疲労の蓄
積で消耗しきっています。自分が学生の頃は、闇
雲に実験と勉強に励んでいれば良かったのです
が、そんな時代ではないことを踏まえた上で、限
られた短い時間でレベルの高い研究者として学
生が成長できる方策を日々探しています。答えは
見出せていませんが、夢と希望に溢れた 20 代を
過ごせるように学生をサポートできる人間であ
りたいと考えています。
10 年前には想像できなかった問題が山積して
いますが、自分に何ができるのかをよく考え正面
から向き合っていきたいと考えています。
(2001 年度 科学奨励金)
後列左端が筆者
先輩受領者からのメッセージ
近況報告
明治薬科大学薬学部
教授
佐藤 準一
2001 年度に内藤記念科学奨励金をいただき、
早くも10 年が経過しました。私は1983 年に東京
医科歯科大学医学部医学科を卒業し、神経内科
学教室に入局しました。その後ブリテッシュコ
ロンビア州立大学、佐賀大医学部内科、国立精
神・神経医療研究センターで、神経免疫学の研
究および神経内科の臨床と教育に携わってまい
りました。2006 年4月に明治薬科大学にバイ
オインフォマティクス教室を創設することにな
り、赴任しました。助成をいただきましたのは、
佐賀大内科で講師をしていた頃です。現在私は、
明治薬科大学ハイテクリサーチセンター長を兼
任し、DNA マイクロアレイによるトランスク
リプトーム解析やプロテインマイクロアレイに
よるインターラクトーム解析を行い、神経難病
である多発性硬化症、プリオン病、アルツハイ
マー病、筋萎縮性側索硬化症の創薬標的分子や
バイオマーカーを探索する研究しております。
また昨年より、厚生労働科学難治性疾患克服研
究事業「那須ハコラ病の臨床病理遺伝学的研究」
の研究班長を拝命しました。那須ハコラ病は、
1970 年代初頭に那須毅博士と Hakola 博士によ
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病態モデル系を作成しているところです。
さて、バイオインフォマティクス(bioinformatics)は、生物学(biology)と情報工学
(information technology)が融合した新しい分
野の学問です。2003 年にヒトゲノム解読が完
了し、誰もが公共データベースを利用して全ヒ
ト遺伝子の配列情報を入手可能になりました。
現在ではこの膨大なデータを有効に活用し、創
薬やテーラーメイド医療に結びつけることが最
も重要な研究課題となっています。バイオイン
フォマティクスが対象とする領域は多岐に及
び、医学や薬学の全分野に関連していると言っ
ても過言ではありません。特にゲノム創薬、イ
ンシリコ創薬、バーチャル創薬は、近未来の医
学薬学研究領域におけるキーワードで、10 兆
円を超える市場になりつつあります。また
2006 年より、薬学部は医学部と同様に6年制
になり、真に実力のある臨床薬剤師の育成が社
会的に求められております。私はこれまでの神
経内科学の臨床と研究における経験を生かし、
今後も微力ながら薬学教育の充実、研究の発展
に全力で取り組む所存でございます。
(2001 年度 科学奨励金)
り最初に報告された多発
性骨嚢胞と白質脳症を主
徴とする常染色体劣性遺
伝性疾患で、日本とフィ
ンランドに集積していま
す。破骨細胞やミクログ
リアが発現している
DAP12 遺伝子または
TREM2 遺伝子の機能喪失
変異により発症します。
私共は初めて全国調査を
行い、本邦における患者
数を 200 人と推定しまし
た。現在カイコを用いて
中央が筆者
46
先輩受領者からのメッセージ
ショウジョウバエは役に立つのか?
東京都神経科学総合研究所・神経機能分子治療部門
部門長
齊藤 実
2001 年度に科学奨励金を頂いてから 10 年目
となったが、この 10 年間は私の研究のテーマ
が大きく変わった 10 年間であった。奨励金を
頂いた 2001 年当時はショウジョウバエ幼虫の
神経筋シナプスを使って、シナプス形成機構の
分子遺伝学的解析をしていたが、現在は、やは
りショウジョウバエではあるが、学習記憶とこ
れを指標にした脳老化の分子機構を研究対象と
している。
所謂脳高次機能とその低下の基礎研究である
が、効率的に関与する分子・遺伝子を同定し、
その機能を知るには、動く試験管ともいえる
ショウジョウバエで発達した分子遺伝学的手法、
さらには短い寿命などが哺乳類モデルに対する
アドバンテージとなっている。事実、米国、欧州
では学習記憶に関わる遺伝子の同定がショウ
ジョウバエで急速に進んでおり、研究グループ
の数も急激に増えている。我が国では未だ認知
度が低いのが残念な限りであるが、そのためか
「ハエで脳の機能を研究していてヒトの脳のこと
が分かるのですか?」
「何の役に立つのですか?」
といった類の質問をされる。近年の(特に脳老
化の)研究費の獲得には、こうした質問に対し
て答えていかなくてはならない場合が多い。確
かにハエとヒトとでは脳の構造が全く違う。ヒ
トを含む哺乳類の方が細胞数も多く、脳領域も
高度に整然と分化している。高度な脳の解剖学
的分化が、ショウジョウバエでは不可能な多彩
な記憶情報処理を哺乳類で可能にするであろう
一方で、記憶情報処理に関わる各神経回路の動
作原理はショウジョウバエと哺乳類とで極めて
良く似たものであることがこれまでの研究から
示されている。またこうした背景から、記憶障
害や精神遅滞を伴う神経疾患のショウジョウバ
エモデルが治療法の開発に有効であるといえる。
こうした説明が上記の質問に対する回答の一
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47
つである。間違った回答では無いと思うが理解
される場合もあれば半信半疑で「結局ハエが利
口になるだけなのでは?」などと言われることも
ある。しかし幾多の場面でこうした質問に答え
る一方で、
「役に立つ」ことを見越した研究ばか
りで良いのか?とも思う。いまは所謂産学協同
花盛りであるが、一昔前までは基礎研究が金儲
けに阿るなどはもってのほかと言う風潮が(こ
れも極端な例ではあるが)あったように聞く。
当初何の役に立つのかと思われたもので、後年
大きく社会に役立っているものも多い。生物は
多様な進化を遂げることで、天変地異にも全滅
することなく生き残ってきた。「研究の多様性」
を維持し、次々と新しい研究領域が生まれてく
れば、一つの研究領域が衰退しても国の高い研
究水準は保たれる。目先の応用に向かない研究
が退けられ、研究者が純粋な探究心と独創性を
発露できなくなることを、危惧するのである。
「研究の多様性」を維持するためには正当な評
価体系が構築されていることも大事であるが、
現在の研究は細分化が進み、領域外のヒトが評
価を下すことが困難になっている。また限られ
た研究費の配分をどうするのか?これも難しい
問題である。困難なことが多い話ではあるが、
我が国の研究水準を高く保つためにも必要な議
論ではないかと思う。
(2001 年度 科学奨励金)
前列右から 2 人目が筆者
先輩受領者からのメッセージ
奨励金(研究助成)申請書
京都大学大学院薬学研究科
教授
竹島 浩
2001 年度に「骨格筋結合膜構造と興奮収縮
連関」という課題にて奨励金をいただいてから、
10 年が経過した。寄稿依頼を受けてファイル
を取り出すと、ジャンクトフィリン(JP)と命
名した膜タンパク質を発見し、独立した研究室
を立ち上げに奮戦し、意欲的な実験を立案して
いる時期の躍動感に溢れた申請書が現れた。類
似の予備的成果に基づき、現在でも同様の研究
立案を思い描けても、このように無邪気に申請
書を作成できるだろうか?、と自問した。
申請書を作成した39 歳の当時、分子同定した
JP が興奮性細胞に分布する数種のサブタイプを
有しており、小胞体と細胞膜を会合させて結合
膜を形成する活性を示すことを見出していた。
得られた成果から、JP サブタイプは神経-筋細
胞が共有する結合膜構造を構築し、その微細構
造中で想定されるイオンチャネルの機能共役を
成立させる役割を担い、さらに、JP 遺伝子群
の変異はチャネル機能共役の破綻による家族性
神経-筋疾患の原因となることも予見されてい
る。申請書に記載された楽観的な仮説に基づき、
骨格筋特異的な JP1 欠損マウスの作製と解析が
計画され、成果は Ito et al. J. Cell Biol. 2001 や
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いと諦めてはいるが、ただ 10 年前の申請書を
前にすると、この思案も何やら冴えない。
人類が築き上げる有形および無形の文化の中
で、基礎生物学は近年特に注目される学術領域
に成長した。分子生物学を含めて実験手法の基
盤が確立し、簡便な試薬キット類も多数市販さ
れ、研究費獲得や研究キャリアパスに関する
How to 本が大学生協にも陳列され、大学のみ
ならず大学院も大衆化した。生物学では実験
データを出す作業は容易になった反面で、世界
規模での競争が当たり前となった研究領域にお
いて、小さなことでもオリジナルな発見を手掛
けたいという研究者共通の夢(=野望)を実現
することは従来同様に容易なことではない。発
表される大多数の論文は抄読会で議論されるこ
ともなく、引用されることもまばらで、数年後
には著者でさえ忘却する存在となる。振り返る
と、20 代の頃は無我夢中で実験と教科書や論
文の抄読に明け暮れ、30 代には実験成果を世
に示すための手練手管も学習し、40 代には自
己の立ち位置の確保を目指してきたように思え
る。生物学へ学術貢献したいという夢を実現す
るためには、その純粋な野望に対する熱い執着
が不可欠であることを、10 年前の申請書は再
認識させているように思われた。
(2001 年度 科学奨励金)
Komazaki et al. FEBS Lett. 2002 として
発表された。さらに、平滑筋や神経系に
おける我々のグループの悪戦苦闘ととも
に、優れた国内外の共同研究グループの
多大な尽力を賜り、上記の仮説はこの 10
年間でほぼ実証されたと云える。しかし
ながら、研究進展とともに細部において
は多数の命題が新たに発生したが、その
大部分は実験的検証が極めて困難なもの
として、現在では放棄されつつある。他
にも重要なタンパク質群を手掛けてお
り、限定された研究リソースを有効活用
することを優先するために、やむを得な
2列目左端が筆者
48
先輩受領者からのメッセージ
研究立ち上げに走った 10 年間
東京大学大学院農学生命科学研究科
教授
東原 和成
科学奨励金をいただいた 10 年前、日本帰国
後立ち上げた嗅覚研究の初めての論文が PNAS
にでてからまだ間もないころで、私はまだ嗅覚
研究者として認められていなかった。なかなか
研究費も当たらず、一匹狼で新しい研究を立ち
上げる際の厳しさと自分の申請書作成能力のな
さを感じては苦しい時期であった。そんな時代
にいただいた奨励金の嬉しさは今でも支えに
なっている。
その時に植えた研究の種は、がんばり屋の
学 生 さ ん 達 の 力 で 大 き く 育 ち、Nature 3報、
Science 1報を含む 30 論文ほどの成果となって
いる。成果がでると同時に、学生は卒業する。
せっかく実験が上手になり、ロジカルシンキン
グができるようになりプロダクティブになった
ときにでてしまうのはこちらとしては痛手だ
が、その成長を見るのが指導教員冥利につきる。
それが嬉しくて、やはり学部生が来るところが
いいと願っていたところ、昨年 12 月から古巣
の東大農芸化学に戻る幸運をいただいた。
現在私が担当している生物化学研究室は、
1893 年に東京大学に農科大学が設置され農芸化
学科ができたときの3つ講座のひとつである。
初代の教授はオリザニン(ビタミン B1)を発見
した鈴木梅太郎先生である。柏キャンパスから
のラボの引越しは今年の3月に行ったが、研究
室の倉庫から貴重なサンプルが見つかった。鈴
木先生が単離したオリザニンの結晶などのサン
プル群が納められた箱である。そこには、
「ビタ
ミンB1 の発見:このケースを三組作り、一組は
皇室に献上し、一組はドイツ学士院に贈った」
と記載されている。伝統をよいプレッシャーに
して、自分が培ってきた研究基盤をもとに、農
学に資する嗅覚研究を推進したいと思う。
さて、この 10 年間走ってきた過程で感じた
こととして、サイエンスでいい仕事をするため
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49
のキーワードは、Question, Approach, Logic,
Color の4つであると思う。自分の研究環境を
見て、今できることは何か?という視点から研
究をするのではなく、何が現在その領域で本質
的な Question なのか?というスタンスでテー
マ設定をすること。Approach に関しても、自
分達が持っている技術で何ができるか?という
考え方をしがちだが、そうではなく、自分のた
てた Question に対してベストの Approach は何
かと考えて、その技術を自分で立ち上げる態度
でのぞむこと。日本人は英語が母国語でないか
ら論文を書くのにハンディがあると思いがちだ
が、それは言い訳にすぎず、共通の国語力が
Logic の強い研究成果および論文をだすのに必
要であるということ。そして、独立したとき、
それまでの仕事を引きずらずに、自分の Color
のある研究を立ち上げようと思うこと。この4
つのキーワードがきちんとしている論文は芸術
作品のように美しいものである。
鈴木梅太郎先生は、留学から帰国時にフィッ
シャー教授から
「欧米には追いつけないのだから、
帰ったら東洋でしかできないことをしなさい」
と言われ、そこで米の研究を始めたのがビタミ
ン B1 の発見の契機になったと言われている。
もうそのような時代ではないが、独立研究者と
して日本から世界に通用する研究成果を発信す
るためにはどうしたらいいか、いつも思案にく
れている。
(2001 年度 科学奨励金)
最前列中央が筆者
先輩受領者からのメッセージ
この 10 年を振り返って
学習院大学理学部
教授
中村 浩之
2001 年4月、アメリカのピッツバーグ大学
での 1 年間の留学から帰国して早いもので 10 年
が経つ。アメリカでは、博士号を取得し、数年
間ポスドクとして研究のキャリアを積んだ後、
三十代前半で独立して研究室を立ち上げはじめ
ており、自分と同年代の研究者のこのような姿
を目の当たりにして、多少焦った思いで帰国し
たところだった。帰国して間もなく、当時の研
究室のボスであり、私の学部学生からの指導教
官である山本嘉則先生(2007 年3月に東北大
学大学院理学研究科教授を定年退官。現在は東
北大学原子分子材料科学高等研究機構教授)か
ら学習院大学理学部の公募に挑戦してみたらど
うかと勧められた。この公募は、独立して研究
室を主宰できるポジションであり、私にとって
は魅力的であった。当時私は山本研究室の助手
で、同じ研究室内に二人の助教授がいらしたの
で、いずれは外に出なければならない状況でも
あり挑戦することにした。幸運なことに無事学
習院大学に採用が決まり、2002 年4月から異
動することとなった。
異動先の学習院大学理学部の研究室は、全く
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因子受容体に特異的に作用するホウ素キャリア
の開発」に関する研究助成であった。ちょうど
アメリカに留学する前に、父親に大腸がんがみ
つかった。既にがんは肝臓に転移しており、手
術は行ったもののすぐに再発した。私は東北大
学に在職中は、2010 年ノーベル化学賞でも話
題になった日本のお家芸である「新しいカップ
リング反応」の研究に夢中であった。しかし、
父親のがんによる他界の影響もあり、学習院大
学に異動したのを機に、研究を「がん治療」に
向けた。私にとっては、大きな挑戦であり、こ
の「内藤記念科学奨励金」は私の「がん治療の
研究」に対する最初の研究助成で、大変心強
かった。
2002 年に研究室を主宰してから9年間、の
べ 47 名の学生、7名の博士研究員、そして
2006 年からは潘鉉承助教にも加わっていただ
き、がん治療の研究を進めてきた。現在は、が
んの低酸素シグナルと新生血管を標的とした創
薬研究ならびに、ホウ素と熱中性子の核反応を
利用した次世代細胞選択的放射線療法の研究
に、東北大学山本研究室で培った「有機合成化
学」を武器に挑戦している。未だに勉強の日々
であるが、「がん治療薬」を研究室から世に出
す日を夢見て、研究室のメンバーとともにこれ
からも研究を続けていきたい。
(2001 年度 科学奨励金)
新しく立ち上げられるよう
空っぽで何もなく、まずゴミ
箱から揃える状態で、正にゼ
ロからのスタートであった。
大学から立ち上げ資金を準
備いただいてはいたが、新し
い研究室を立ち上げるため
には何かと物入りで、2001
年度内藤記念科学奨励金に
採択されたのは、本当に有り
難いものであった。この研究
助成金で必要な研究用品を
揃えることができた。
この奨励金は「表皮増殖
前列中央が筆者
50
先輩受領者からのメッセージ
発想を変えてみると
島根大学医学部
教授
原田 守
2001 年に内藤記念科学奨励金をいただいて
から、もう 10 年近くが経とうとしている。当
時は、久留米大学医学部免疫学講座でヒト検体
を用いた研究に取り組んでいたが、約4年前に
島根大学に赴任し、小さいながらも自分の教室
で研究を続けることができている。
私の研究者としてのライフワークは、「癌に
対する免疫応答の解明とそれに基づく有効な治
療の確立」である。島根大学にたどり着くまで
には、マウスモデルを用いた癌免疫療法の研究
やヒト癌細胞や癌患者のリンパ球を培養しなが
ら、癌に対するワクチン療法の研究に取り組ん
でいた。しかし、島根大学に赴任した時に、研
究テーマの再考が必要となった。細胞を扱うク
リーンベンチは壊れかけ、CO2 培養器も故障で
使えない状況だった。少数の例外的な大学を除
いて、全国の大学で研究環境が厳しくなってい
るが、山陰の地方大学での研究環境はどこより
も厳しく、この状況で自分にどんな研究ができ
るのだろうと思った。ただし時間だけは十分
あったので、限られたヒト・研究費・研究機器
で、今までの研究の延長線上にありながらも、
自分ができる研究テーマはなんだろうかと考え
てみた。研究とは本来、目的を決めて取り組む
べきと思っているが、厳しい状況では許されな
かった。
そこで発想を少し変えてみた。今までの私の
研究は、免疫細胞側の研究に重点をおいていた
が、今後は、研究の比重の半分を癌細胞側の研
究に移そうと決めた。癌を免疫力で制御するた
めには、免疫側の理解だけでなく、敵である癌
のことをもっと知らなければいけないと思った
からである。幸運なことに、島根大学医学部に
は癌の生物学に精通した研究者がおられたの
で、勉強会に参加し、初心者として腫瘍生物学
に取り組むこととした。その結果、今まで自分
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51
が取り組んできた癌免疫を、少し距離を置いて、
免疫と癌細胞の両側から眺めることができるよ
うになったと思っている。学会などで癌免疫に
関する研究発表を聞くと、以前とは違った視点
から理解することができるようになった。そし
て現在は、癌細胞の死に方に興味をもって研究
に取り組んでいる。細胞の死に方には大まかに
2 つある。一つは、「静かな」細胞死といわれ
るアポトーシスであり、枯葉が落ちるように痕
跡を残さない細胞の死に方である。もう一つは、
免疫反応や炎症を起こしながら、生体内で細胞
が壊れるような大事件が起こっていることを回
りに知らせる「騒がしい」細胞の死に方である。
癌治療を考えた時、抗癌剤や放射線療法で大部
分の癌細胞が壊れた場合には、「静かな」細胞
死よりも「騒がしい」細胞死が生じた場合の方
が、患者自身の癌に対する免疫力が高まり、そ
の結果、残った癌細胞を破壊してくれることも
期待される。免疫療法を直接に実施しなくても、
患者の内なる免疫力で癌の増殖を抑制すること
ができる可能性があるのである。そして、既存
の免疫療法を併用すればさらに治療効果は高ま
るであろう。今考えると、必要に迫られた研究
テーマの再考が、実は、研究者としての新たな
視点を養う契機になったのかもしれないと考え
ている。
(2001 年度 科学奨励金)
前列左が筆者
先輩受領者からのメッセージ
カメはウサギに追いつけるか?
国立遺伝学研究所
名誉教授
広瀬 進
月日のたつのは速いもので、内藤記念科学振
興財団の支援を受けて 10 年が経過した。私に
とっては激動の 10 年で、国立大学の法人化、
研究所副所長就任、科学研究費特別推進研究採
択、停年退職、特任教授就任を経て、今年から
無職の名誉教授となった。無事任務を遂行出来
たのは、皆様のご支援の賜物として深く感謝し
ています。
さて新聞のコラムに、賢者は歴史から学び、
愚者は自らの経験から学ぶという記述が有った。
なかなか味わい深い格言だと思う。世の中には
若くてろくに経験も無いのに、次々と優れた成
果をあげていく人が居る。これらの人は歴史か
ら学ぶ事により、壁や落とし穴を巧妙に避けて
能率良く成果をあげる事が出来るのだろう。こ
れに対して多くの人は少し進んでは壁にぶつ
かったり、落とし穴にはまったりするが、けな
げな努力によって何とか障壁を乗り越えてゆっ
くり歩んでいく。そして自らのつらい経験から、
してはいけない事を学ぶのである。我が身をひ
るがえってみると、典型的な愚者のパターンを
くり返して来たと思う。
一見すると、愚者は賢者にとてもかなわない
様に見える。ところが良くしたもので、短期的
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52
には賢者が圧倒的に有利だが、長期的には必ず
しもそうとは限らない。なぜなら頭を使って学
習した記憶は時間の経過と共に忘却の彼方に消
え去ってしまうが、自らの経験を通して体で憶
えた記憶はなかなか忘れないからである。例え
ば、試験にパスするために憶えた歴史の年号は、
いい国(1192)鎌倉幕府の様な絶妙なゴロ合わ
せが無い限りすぐ忘れてしまう。しかし、幼児
期にピンクレデイーのテレビを見て一緒に踊っ
た振り付けは、数十年後にそのメロデイーが流
れたとたんに驚異的な正確さをもって再現出来
るのである。従って愚者といえども長期間に渡
る経験を通して仕事の進め方に関するノウハウ
を体で記憶し、それを蓄積していけば、次第に
能率良く成果をあげられる様になる。一方、頭
を使ってスマートに対処して来た人は、避けら
れない体の老化と共にかつての明晰な頭脳が衰
えて来ると、生産性は下降の一途をたどる傾向
が有る。
こうして賢者は若くして優れた成果をあげ、
愚者は長期間努力すればそれなりに優れた成果
をあげられるはずである。しかし、最後には越
え難い壁が立ち塞がる。それは賢者にも愚者に
も平等にやって来る停年退職である。一功成っ
た者にとって停年は大したダメージでは無いか
もしれないが、未だ一功なし得ていない者に
とって停年は不本意な強制退場となる。そこで、
私の自戒を込めた忠告です。いくら長期戦に持
ち込めば何とかなるといっても、物事には限度
が有り、停年退職までには間に合う様、油断召
されるな!
(2001 年度 科学奨励金)
先輩受領者からのメッセージ
10 年間を振り返り今後に向けて
藤田保健衛生大学医学部
教授
宮地 栄一
2001 年度に内藤記念科学振興財団の科学奨
励金を頂きました。助成金が研究遂行において
有意義であっただけなく、贈呈式で多くの研究
者とも歓談ができ、研究活動の励みにもなりま
した。おかげさまでこの 10 年間主に感覚器に
関する神経科学研究を順調に進めてきました。
10 年前は私たちの研究室の常勤スタッフは 4 名
でしたが、現在は 5 名の常勤スタッフが視覚・
嗅覚系感覚器を中心とした神経科学的研究に取
り組んでいます。
私たちはちょうど10 年前に、極めて貴重な研
究試料であるヒト網膜を用いて、世界で初めて
パッチクランプ法による神経生理学的解析を行
いました。従来、網膜の視細胞は光の強さに応
じてアナログ的な電位変化のみを生じ、通常の
ニューロンに見られるデジタル的な『全か無か』
の法則に従うナトリウム活動電位は視細胞では
発生せず、電位依存性ナトリウムチャネルは存
在しないと考えられてきました。私たちはヒト
網膜視細胞において電位依存性ナトリウム電流
の存在を明らかにし、視細胞の視覚情報処理に
おいてアナログ処理に加えてデジタル処理も重
要な役割を演じていることを示しました。その
成果は国際的に極めて評価が高い学術雑誌であ
る“Neuron”誌に発表しました。それまで私
たちはもっぱら下等脊椎動物を用いてきました
が、網膜の手術の過程で切除された1㎜ 2 以内
の極めて小さなヒトの網膜組織の破片を用いて
研究を行い、マウスなどを飛び越して下等脊椎
動物からヒトにシフトしました。標本の入手が
困難な点と小さくて扱いにくいという難点はあ
りますが、ヒトの網膜の方がげっ歯類などの哺
乳類の網膜よりも組織や細胞が安定していて、
詳細に電気生理学的解析を行うことができまし
た。ヒトの網膜細胞を用いることで、医学・医
療に直結する研究が可能になったと考えており
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53
ます。
現在私たちはヒトを含めた哺乳類の網膜と嗅
上皮について、パッチクランプ解析、カルシウ
ム等のイメージング解析、そして免疫組織化学
的研究を行っています。網膜の神経伝達物質に
関する研究では、グルタミン酸等については研
究が進んでいますが、ドーパミンについてはこ
れまで多くの研究者により様々な研究がなされ
てはいますが、未だに不明な点が多く、またヒ
スタミンに関しては神経伝達物質としての機能
についてはほとんど研究が進んでいません。
ドーパミンとヒスタミンは脳において重要な役
割を演じていることが明らかになっています
が、私たちはこれらの神経伝達物質が網膜と視
覚情報処理においても重要な役割を演じている
と考えています。そこで現在、網膜における
ドーパミンとヒスタミンの役割と、それらの機能
の発現機構に重点をおいて研究を行っています。
そして感覚器におけるドーパミンとヒスタミン
の機能を解明することによって、脳研究におい
ても有用な知見を得ることもできると考えてい
ます。今後も感覚器の研究を進めながら、感覚
器のみならず感覚器以外の分野の医学・医療に
おいても貢献できるような研究成果を上げたい
と考えています。
(2001 年度 科学奨励金)
先輩受領者からのメッセージ
予想外の展開
東京大学医科学研究所
教授
山梨 裕司
2001 年度の内藤記念科学奨励金を採択頂いた
御縁でこの小文を書く機会を与えて頂きました。
希望だけを頼りに、初めて研究室を主宰する大
きな不安の中で頂いた奨励金に、
「思う通りに頑
張って良い」、と勇気づけて頂いたように感じた
ことを今でも鮮明に覚えています。その時にお約
束した「まじめに当たり前の研究を続ける」こと
は、間違いなく、今でも守り続けています。実は、
5年程前にも同様の小文を書く機会を与えて頂
いています。その「普通の実験」と題した文章の
中では、自分自身の研究が予想外の方向に進む
ことをいつも楽しみしていると述べています。そ
こで、今回は、DOK7 型筋無力症と言う新たな遺
伝性疾患を発見するに至った「予想外の展開」に
ついて御報告致します。
もう 15 年程前になってしまいましたが、私は
マサチューセッツ工科大学の David Baltimore
研究室に留学した際に、当時は殆ど分かってい
なかったタンパク質チロシンキナーゼ(PTK:
Protein-tyrosine kinase)の基質、つまりPTK に
よってリン酸化の制御を受ける下流のシグナル
分子に興味を抱き、Dok-1 を発見しました。この
発見を出発点として、前述の内藤記念科学振興
財団からの御支援の下、Dok-1 やその類縁分子で
ある Dok-2 がチロシンリン酸化を受けることで
他のシグナル分子に結合する、いわゆるアダプ
ター分子であり、造血細胞の増殖や機能の暴走
を止めるブレーキ役として極めて重要であるこ
とを解明してきました。しかしながら、これらの
知見は、Dok ファミリー分子と類似の構造をもつ
IRS ファミリー(インスリン受容体の基質分子群
です)が、チロシンリン酸化を受けることで細胞
の増殖や機能を正に制御することと、分子メカニ
ズムの点においては良く似ているものです。とこ
ろが、Dok ファミリーの最後のメンバーとして
我々が単離したDok-7 については、その実験中に
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予想外の出来事が起こりました。何と、実験デー
タの示すところでは、Dok-7 は受容体型 PTK で
ある MuSK を細胞内から直接活性化する、言わ
ば、受容体型 PTK の細胞内リガンドであること
が分かりました。この知見は、増殖因子やサイト
カインなどの細胞外のリガンドを検知して細胞
内のチロシンリン酸化シグナルを起動するとさ
れる受容体型 PTK の全く新しい機能を呈示する
ものでした。そこで、この予想外の展開を好機と
して、その生理学的・病態生理学的な役割につ
いて検討したところ、運動神経による骨格筋収
縮の制御に必須のシナプスである神経筋接合部
の形成と維持にDok-7 によるMuSK の活性化が
必須であり、また、Dok-7 遺伝子の異常によって
その活性化が損なわれることで DOK7 型筋無力
症と言う遺伝性疾患が発症することを発見しま
した。さらに、この「予想外の展開」によって、自
己免疫疾患である重症筋無力症例の一部につい
て、新たな病原性自己抗体を発見することにも
成功しました。
このような予想外の展開は25 年間の研究生活
でも初めてのことですが、独自の実験結果から学
ぶことの楽しさと、疾患の研究に直接携わる者と
しての使命感の双方を体験することができた意
義深い出来事だったと思っています。二度目があ
るかどうかは全く分かりませんが、その日を夢見
て、
「まじめに当たり前の研究を続ける研究グ
ループ」であり続けることを、あらためて御約束
する次第です。
(2001 年度 科学奨励金)
右列奥から2人目が筆者
先輩受領者からのメッセージ
7つの信条
弘前大学大学院医学研究科
教授
若林 孝一
政治家になるために必要なものは、
「地盤、看
板、かばん(資金)」といわれる。芸の道で成功
するためには、
「運、鈍、根」ともいう。ならば、
学問研究に必要なのは、
「人、お金、物(研究設
備)」だろうか(もちろん、アイデアも大切であ
るが)。
2000 年に弘前大学医学部附属脳神経血管病
態研究施設の教授となり赴任した時、教室員は
助手が2人だけ。研究費はわずかの校費で、実
験のための設備はきわめて貧弱であった。何が
できるかと思案した末、目標に掲げたのが、
「論文を書くこと」、「研究費(外部資金)を獲
得すること」、「仲間を作ること」の3点であっ
た。幸いなことに、前任地(新潟大学脳研究所)
でのデータが少し残っていたので、論文はなん
とか出し続けることができた。さらに、学内の
複数の講座からの援助を受け、共同研究も開始
できた。しかし、教室から研究業績を出し、そ
れを軌道にのせるためには、正直なところ研究
費が必要不可欠であった。
したがって、その頃(2002 年3月)に内藤
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1.『学生を大切にせよ』
若い時ほど、より多くの可能性を秘めている。
それを引き出し、伸ばしてやるのが我々の仕事
の一つと考えている。
2.『論文作成のために一分一秒を惜しめ』
論文は集中して書くもの。出せるものは少し
でも早く。
3.『小さな分野でも世界のトップとなれ』
オンリーワンを目指し、目標は高く掲げたい。
4.『仲間を作れ』
今は共同研究の時代。力を合わせれば小さな
教室でも大きな仕事が可能と思う。
5.『かわいい子には旅をさせよ』
学問だけでなく、国際的な視野を広げること
も重要。
6.『学問研究の扉は常にオープンであれ』
常識にとらわれない発想、思ってもみなかっ
た結果。転機はいつ訪れるかわからない。
7.『人生は楽しく、幸せに』
幸せであることが、人生の目標と考える。そ
のための学問研究。
写真は 2010 年9月にザルツブルグで開催さ
れた第 17 回国際神経病理学会で撮ったもので
ある。Free discussion が終わり、自然と出た
笑顔である。
(2001 年度 科学奨励金)
記念科学振興財団からいただ
いた奨励金はとてもありがた
かったと同時に、多少の自信
にもなった。不思議なもので、
その後、科学研究費も取れる
ようになった。助手の2人も、
学位の取得、結婚、海外留学
の道を歩み、今は教室の屋台
骨を背負うようになった。
現在、教室はスタッフが私
を含め3名(教授、准教授、
助教)、他に大学院生が3名と
標本作成の技術員1名である。
ここで当教室の七つの信条を
紹介したい。
右端が筆者
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先輩受領者からのメッセージ
新分野へ後押ししてもらった
愛媛大学大学院理工学研究科
教授
渡辺 裕
この10 年を見返すと、大きな出来事があった。
新米教授の時期が独法化に向けての準備期と
ぴったり重なった。大学が国立大学法人に変
わってからは(2004 年)、それまでになかったこ
とが種々加わり、ボディー・ブローをくらった
ように突如のノックアウトもありかと思いつつ
やってきた。一方で、中国とインドから各2年
の博士研究員と一緒に研究ができた。また、そ
の間、博士課程の学生が居た。これらの存在は、
研究はもちろんいろいろな面で研究室に良い効
果を与えた。このような裏と表の状況がもたれ
合いながらのあっという間の 10 年であった。こ
の間の出来事について、振り返ってみたい。
内藤記念科学奨励金をいただくために書いた
リサーチプロポーザルは、超分子化学に関する
もので、これまでに経験したことのない世界に
飛び込むために構想を温めていたものについて
であった。それは多分にハッタリめいたところ
もあって合成デザインの実現はままならない状
況で推移していた。そんなある日、「溶液が固
まりました!!」と、フラスコを走って持って
くる学生がいた。フラスコ内はジェリーのよう
に固まり動かなかった。これまでなら厄介者の
ジェリーが、この時はまさに超分子到来!と、
喜んでしまった。その時点で、その学生にとっ
ては未知の試練の研究に入る門出となった。ま
た、これが当時のプロポーザルに近づいたもの
となってきた。
その学生にとって当初の目的は生理活性物質
のイノシトールリン脂質の類縁体を合成するこ
とであった。その全合成の最終工程であり得な
い失敗をしたので、急がないで難しい合成ルー
トにチャレンジする方針に転換した矢先のでき
ごとであった。この出来事をきっかけに、全合
成を超分子化学にワープした。この固まる現象
を突き詰めていくと、それまでの常識に反して、
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光学的に純粋なものよりそのジアステレオマー
との1対1の混合物の方が固まりやすいという
めずらしいものであった。新しい分野だけに、
使ったことのない機器類を借用しながらその現
象を解明していった。これがその学生の立派な
博士論文となった。
その頃、続けて中国とインドからの博士研究
員(ポスドク)と各2年にわたり一緒に研究が
できた。その間、研究速度は見違えるもので
あった。優れた博士取得研究者と出会うことが
できたのが幸運であった。インドからの彼は
18 報の論文にまとめてくれた。今、二人とも
母国の大学で職を得て頑張っている。このよう
に、博士課程の学生やポスドクの存在は研究を
進める上で極めて重要である事を改めて思った
次第である。MIT の教授が、学生から研究の
ネタやヒントをもらう事も多い、と言ったこと
を思い出した。日本の大学院のあり方、ポスド
ク制度や社会への受入れのあり方をもっといい
ように変革していかないといけない。昨今の日
本の社会事情の一端に大学事情がある。
このように内藤記念科学振興財団の奨励の栄
誉を受け超分子化学を楽しむことができた。現
在、この発展型で水中のエマルション系で起こ
る珍しい化学反応形式に興味をもち、この様式
を使ったエコ仕様の長鎖分岐不飽和アルデヒド
の工業的製造法へ向けて研究を進めている。
(2001 年度 科学奨励金)
最前列中央が筆者
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