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Page 1 Page 2 「言葉の乱れ」をどう考えるか はじめに 「言葉が乱れて
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Title
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<麒麟> 「言葉の乱れ」をどう考えるか
坂本, 惠; SAKAMOTO, Megumi
麒麟, 10: 86(1)-78(9)
Date
2001-03-25
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
「言 葉 の 乱 れ 」 を ど う考 え る か
坂
本
恵
は じめに
「言葉 が乱れてい る」 とい う声 をよ く聞 く。 しか し、 「言葉 の乱 れ」 は今 に始
まった ことで はな く、昔 か ら、常 に言 われて きた ことで あ る。一般 に富 われ る
以下 「言葉 の乱れ」) とい うことは どの よ うな ことを さ
「言葉が乱れてい る」 (
すのか、 また、それをどの よ うに考 え るのか とい うことを考 えてみたい。
1
「言葉の乱れ」 が意味するもの
「言葉 の乱れ」 とはたいていの場合、 自分 の規範 と異 な る言葉遣 いを見聞 き し
た時 に発せ られ るものである。 自分 の言葉 が乱れてい るとい う人 はあま りいない。
相手、第三者 の発 した言葉遣 いが、 自分 の考 え る 「規範」 と異 な ってい ると考 え
た場合 に、その相手や他人 を批判す る時 に使 われ ると考 え られ る。
この 「言葉 の乱 れ」 を研究的 な立場 か ら分額す ると、「誤用」、 「各種方言」、
「流行語」、 「言葉 のゆれ」 などが考 え られ る。
「
誤用」 とい うのは、明 らかに規範 か ら逸脱 した と考 え られ るもので、書 き言
葉での誤字 もこの一種であ る。誤用 が定着 し、普通 の言 い方 と認 め られて しま う
もの もある。 また、その よ うに、多用 され る誤用 もあ るが、それ には理 由のあ る
ものが多い。
各種方言 とい うのは、地域 に よって異 な る地域方言 に限 らず 、世代間で使 う言
葉 に違 いのあ るもの も含 まれ、 これ も世代 (
間)方言 と言 うことがで きる。 さら
には使用者集団を特定で きるあるグループで しか用 い られ ない よ うな もの もある。
位相 の違 いか ら来 るもの とも言 え る。地域 に よって語嚢 などが異 な ることは一般
に認識 され、 自分 の規範 と異 な るものを聞いて も方言 であ ると許容 され ることが
多 く、 「乱れ」 と考 え られない ことも多い。 しか し、実際 には方言 とは認識 され
に くい文法面での違 いや、同 じ語嚢 を地域 に よって異 な る使 い方 をす るよ うな場
合 に、方言 に よるもの と認識 されず に、「乱 れ」 で あ ると受 け取 られ ることも多
(1) 8
6
い。
流行語 も 「言葉 の乱 れ」 と考 え られ るものの一種 で あろ う。「流行語」 とい う
のは寿命 の短 い、 あ る期 間 しか用 い られなか った特異 な形 、使 い方 の ものであ る
が、誤用 か ら発生す るもの もあ り、 また、方言 に端 を発す るもの もある。 ただ し、
新 しい形 、使 い方 が流行語で あった と認定 で きるのは、それが使 われな くなって
か らで、使 われてい る間はその よ うに認定で きない。
「言葉 のゆれ」 と考 え られ るもの も 「乱 れ」 の一種であ る。言葉 は一般的 に時
代 とともに変 化 して い くが、その変 化 の過程 に あ る場合 、新 しい形 は 「誤用」
「乱 れ」 と考 え られ ることが多 い。世代間方言 もこの一種 であ ることも多い。若
い世代で使 われてい る言葉、使 い方 が一般的 になれば、その時 にその新 しい形 が、
変化 の過程 にあ るもので あ った とい うことがわか るわけで あ る。一時の流行語 で
あ るか、変化 の過程 で あ るのか、その渦 中 にあ る時 には判 断で きない。「ゆれ」
と考 え られ る場合、古い形 と新 しい形 の複数 の形 が並立 してい ることにな り、新
しい ものは 「乱 れ」 と感 じられ ることが多 い。
以上 の よ うに分類 で きるが、 これ らの ものは既 に述 べた よ うに複雑 に錯綜 し、
どち らとも決 め られ ない もの、 どち らとも言 え るものがあ る。
2 言葉 と規範
一般的 に言葉 には規範 が存在す ると考 え られ るために 「乱 れ」 とい う意識 が生
まれ る。 しか し、言葉 と一 口に言 って も各分野 ごとに規範 があるもの、ない もの、
規範性の強 い もの弱 い ものがあ る。簡単 に 「言葉遣 いが正 しい、正 しくない」 と
言 うことがあ るが、研究的 な立場 か らはその よ うに断定で きない ものが多い。一
般的 には規範性 の強 い もの、弱い もの、 とい う程度 に しか考 えることはで きない。
規範 のあ るな しを分野 ごとに考 えてみ る。文法 、音声 は 自然発生的 に規範 が存
在 してい るとも言 え、例 えば、 「あ」 の音声的 な範 囲は大体 ここまで、などとす
ることがで きた り、文法面 で も動詞 の活用 な どはほ とんど決 まってお り、「書 く」
書 って」 な どと恋意的 に変 えると意味がわか らな くなっ
「書 いて」 を 「害 う」 「
て しま うな ど、規範性 が高 い。 とは言 え、「信 じる」 「信ず る」 な ど、活用 の変
化 が まだゆれてい るもの もあ り、完全 に規範性 が確立 してい るとも言 えない。
表記 は実際上 の要請 か ら人工的 に規範 を作成 した もので あるといえる。国語審
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議会 が長 く表記での規範 を考 えて きた ことか らもわか るよ うに、表記 の規範 を決
め ることは公権 力に要請 された任務 で あった。私文書 では何 らの制限がない とは
言 え、実際 には国語政策 の中心 をな して きた表記 の原則 は私的 な文書 において も
指針 と して考 え られてい る。
語桑、表現では規範 は存在 しない と考 え られ る。 この分野 では歴史的 に も変化
が激 しく、大 きい。語嚢 の面 では辞書 が規範 で あ るとみなす人 も多 いが、実際 に
は辞書 はいわば 「用例集」で あ り、使 われた用例 か ら意味 を抽 出 してい ることが
多 く、規範 とは言 えない。 また、辞書頬 はあ くまで もそれ まで に使 われた用例 を
集めた もので、新 しい形 、意味 には対応 で きない。新 しい形 が 「
誤用」で あるか、
新 しい使 い方であ り、何年後 かには規範 といえ るよ うな使 われ方 をす るものであ
るかを判断す るのは非常 に難 しい。 しか し、「言葉 の乱 れ」 は一般的 に語形 、表
現 について言 われ ることが多 い よ うで ある。
3規範、誤用 とゆれ - 「乱れ」 の実際
各分野 ごとの 「乱 れ」 の実際 につ いて考 えて みた い。音声 ・音韻 について は
「乱 れ」 が意識 されに くい。「変 な発音」 な ど、発音 の変化 な どが指摘 され るこ
ともあ るが、一般 には意識 され に くい。「が」行鼻濁音 がな くな りつつ あ ること
については一時問題 にす る人 もあったが、最近 ではそれほど聞 かれな くな った。
また、ア クセ ソ トとも関係す るが、地域方言 に よって標準的 な発音 と異 な るもの
があ って も、「乱 れ」 であ ると意識 され ることは少 ない。 ア クセ ソ トに関 して は
地域差の意識 が大 きいため、違 っていて も 「乱 れ」 とは意識 されない。一時、過
剰 なまでの平板化 について問題視す る声 もあったが、最近 で はそれ も定着 した よ
うで、それほど聞かな くなった よ うで あ る。 ただ し、一方 で、標準的 なア クセ ソ
トと して東京 ア クセ ソ トを考 える人 もお り、その よ うな人 た ちは、標準的 なア ク
セ ソ トを期待 され るアナ ウソサーのア クセ ソ トについて問題視す る傾 向があ るよ
うである。 また、発音関係 の 「乱れ」 と して あげ られ るものの一 つに 「半 クエス
チ ョ ソ」 などと言 われ るもの もあ る。文末 だけで な く、単語 について も一 つ一 つ
相手 に確認 す るよ うに語調 をあげ る言 い方 で あ る。 これ は新 しい言 い方 と して
「乱れ」 と反発 され ることも多 い。
表記 に関 しては、規範 が存在す るため、逸脱 は 「
誤用」 と認識 され る。 ただ し、
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今 までは活字 にな るものは編集者 の手 を経 た もので、いわば、プ ロの書 き手の書
いた もので あったが、 ワープ ロの普及 で一般 の書 き手 が書 いた もの も編集者 の手
を経 ないで活字 になるよ うにな った。 そのため、「一 つず つ」 と書 くべ きところ
を 「一つづつ」 と書 くなど、一時 に比 べ、誤用 が多 くなった よ うに感 じられ る。
これを 「乱れ」 と意識す る人 もい るだ ろ う。
語嚢 については規範 がな く、意味 の違 い、使 い方 の違 いが 「乱れ」 と意識 され
ることが多 い。一般 に 「言葉 の乱れ」 を言 う人は、 この部分 を問題 にす ることが
多い よ うであ る。
文法 は規範性が強す ぎて、逸脱 は 「
誤用 」 「不注意」 とみなされ ることが多い。
ただ し、実際 には地方差 は存在 し、 そ の差 は大 きいため、違和感 を覚 えた り、
「誤用」 で あると判断 され るもの も、地域差 がその原因であ ると考 え られ るもの
もあ る。一方、時代 に よる変化 と見 られ るもの も、「誤用」 とみな され、「乱れ」
と取 られ ることが多 い。 その代表的 な ものはいわゆ る 「ら抜 き言葉」 であ る。研
究者 の認識 では これは 日本語 の歴史 の流れの中での必然的 な変化 だ と考 え られて
い るが、一般 には これ を糾弾す る声 は大 きい。第20期 の国語審議会報告で、いろ
いろな問題 が取 り上 げ られ、かつ、その よ うに断定 したわけで はないのに、「ら
抜 きを許容す る」 とい うことだけが大 きな反響 を呼 んだのがその例 であ る。 (
注
1)現在 では、「千 円か らお預 か りします」 な どの言 い方 が問題 にな ることもあ
るが、 これ らの問題 は断定 はで きない ものの、 日本語史の流れの一環であ ると考
え られ る。 この部分 の変化 は必然性 があ るものが多い。
これ ら以外 の 「表現」 とで も呼ぶべ き分野 に関 しては、語嚢 と同 じく、規範 が
∼ じゃないで
な く、「乱れ」 と意識 されやすい。最近 問題 にな るもの と しては、「
す か」 や、「お荷物里互 お預 か りします」 な どで あ るが、 これ らも、一過性 の流
行 に終 わ るもの と、何 らかの理 由があ り、定着 してい くもの とがあ ると考 え られ
る。
4 敬語 での 「乱れ」 の難 しさ
ここまでで は意 図的 に敬語 の面 で の 「言葉 の乱 れ」 を扱 って こなか った。「敬
語 が乱 れてい る」 とい う批判 は 「言葉 の乱れ」 と同様 、あ るいはそれ以上 に聞か
れ る。 もともと、敬語 においては 「乱れ」 ととられやすい要素があ る。 それは敬
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語では確 た る規範 が存在 してい ると考 え られてい ること、そ して、習得 が困難 で
あると意識 され ることなどで あ る。 さらに、習熟 して い る年配者 が、習熟 してい
ない使 い手であ る若者 を批判す る機会 が多い こともあげ られ る。敬語 は言葉 の他
の面 と異 な り、主 に大人 になってか ら、社会人 にな ってか ら本格 的 な習得 が行 わ
れ るものであ る。それで いなが ら、敬語 を多用 しなければ な らないのは社会的 な
下位者であ る若者で あ り、習熟 してい る年配者 はそれ を受 け る立場 にあ る。言 っ
てみれば、敬語 は習熟 して しまった段階ではむ しろ使 う機会 が少 な くな るとい っ
て もよい性質があ る。 この よ うな面 があるため、敬語 を使 い こなせないと感 じる、
苦手意識 を持 ってい る人 が多 く、実際 、誤 った使 い方 もよ く見 られ るので あ る。
それが、「乱れ」 と意識 され ることが多い ことに通 じてい る。
さらに問題 を複雑 にす るのは、敬語 には文法的 な面 、語嚢 的 な面 、表現 の面 に
加 え、運用面 も存在す ることであ る。敬語 、待遇表現 の 「乱 れ」 には、今 まで に
上 げた よ うな面 に加 え、 も う一つの側面 、つ ま り、使用上 の問題 があ るとい うこ
とである。 これがあるか ら敬語 、待遇表現 は複雑 にな るといえ る。語形 は正 しく
て も、相手、場面 にそ ぐわない ものがあ り、それが誤用 になるとい うことである。
敬語、待遇表現 は、特 に人間関係 の認識 に基 づいて使 われ るため、誤 った使 い方
を された人は不快感 を一層強 く感 じることにな るので あ る。 この場 合 は、規範 と
異 なる使 い方 のための誤用 と言 うよ り、期待 され るもの と異 な る使 い方で あ るた
めに起 こる違和感 か ら来 るもの と言 うべ きか も しれない。
更 に言 えば、敬語 、待遇表現 は社会 の変化 に対応す るため、現代 の よ うな変化
の大 きい社会 においては規範 を決 めに くい、規範 自体 がゆれてい るとも言 え るの
である。期待 され るものが世代、地域 、所属集 団に よって大 き く違 ってい るので
ある。そのため、「敬語 が乱れてい る」 とい う批判 と同時 に、「生意気で失礼だ」、
「若 い ものは言葉 の使 い方 を知 らな い 」 などとい う個人、 あ る世代 に対す る批判
も招 いてい るといえる。
もう一つの問題 は、 日本語 においては敬語 の体系 があ り、人 々の意識 がそ こに
集 中す るため、語嚢 と しての敬語以外 の面 に 目が行 きに くか った ことがあ る。敬
語 を中心 とす る言葉遣 い とい うのは、主 に 目上、 目下で表 され る上下関係 に基 づ
いた人間関係 を反映 した もので あ る。 しか し、現代 の社会 において、人間関係 は
上下関係 だけではない し、その他 に、場面 や用件 に よる違 いか ら来 る言葉遣 いの
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2
違 いは広 く扱 われ る必要 があ る。研究的 にはそれ らを含め、「待遇表現」 とい う
考 え方 が されて きてい るが、一般 には、意識や議論 は 「
敬語」 に特定 されて きた
といえる。そのため、敬語 が正 しいか正 しくないか、適切 かど うか、だけに意識
が集中 し、その他の面 は気付かれに くい とい うことがあった。その他の面 をを意
識化す る概念 がなか った といえ る。 それを補 うために第22期 の国語審議会 では
「敬意表現」 とい う名称 で敬語 は もちろん、敬語 を含 まない配慮の言葉遣 いを提
唱 したわけで ある。 (
注 2) 「敬語」 を 「敬意表現」 に広 げ ると、敬語 が使 われ
ているかど うかにかかわ らず、人間関係や場面 にそ ぐわない、適切 とは言えない
よ うな使 い方が よ く分 か るよ うになる。一 口に 「乱れ」 といわれて きた ことが更
に分析で きるよ うになった といえる。 そ こで、「敬語」 の面 か らそ して、「
敬意表
現」 の面 か ら 「言葉 の乱れ」 を考 えてみたい。
「敬語」 の面 か らで も問題 は多 い。一般 に誤用 と考 え られ るものについては、
誤解、学習の不足 などによる思 い込 みによる誤 りや、その誤解 などによる誤 りの
定着 した ものが上げ られ る。「お召上 が り方」などは誤用 が定着 しつつあるものだ
といえ るが、その他 に も、昨今多 く聞 く、「ご使用 して くだ さい」等の 「ご∼す
る」 を尊敬語 と して使 う誤用 も今や定着 しつつある勢 いで広 がってい る。 (
注 3)
さらに、規範 自体 が移 り変わ ってい く過程での 「ゆれ」 とも言える誤 りもある。
先 に上 げた 「ら抜 き言葉」 などに相 当す るものだが、た とえば、「食べ る」意味
で使 う 「
いただ く」 な どは、「食 べ る」 が謙譲語 か ら普通 の言葉 に変化 したの と
同様 の変化 が今起 こってい ると言 え、「ゆれ」 といえるものの典型的 な ものであ
る。 また、 まだ 「ら抜 き言葉」 はど一般的で はないが、「さつ き言葉」 とか 「さ
入れ言葉」 と言 われ る、「終 わ らさせていただ きます」 なども、新 しい形 が一般
化 してい く過程 にあ るもの と言 えるだろ う。 これは、使役動詞 を持つ五段型動詞
と持 たない一段型動詞 の違 いか ら来 る違 い、「五段型動詞 (
例 えば 「
終 わ る」 な
ど)の使役動詞 (「終 わ らせ る」)」 プラス 「ていただ く」
(「終わ らせていた
だ く」) と、「一段型動詞 の未然形 (
例 えば 「始 め る」 な ど) プ ラス 「させ る」
プラス 「て いただ く」 (「始 め させていただ く」) とい う違 いがあ った ものを、
「させていただ きます」 が この形 で一語で あ るとい う意識 の もとに、「動詞 の未
然形」 プ ラス 「させて いただ く」 と言 う形 に変 わ ってい ってい るわけで あ る。
(「終 わ らせていただ く」- 「終 わ らさせていただ く」) 「させていただ く」が
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この形で一般化 し、間接尊重語 (
注 4) (
謙譲語) の典型的 な形 と して台頭 して
い く過程 とも考 え られ る。
また、 この他の 「
敬語」 の問題 と して、あま り意識 されていない地域差の問題
もある。例 えば 「お られ る」 が問題 になった り、相手 に対 して 「お ります か」 と
き くことがおか しいと指摘す る声 があ る。 もちろん規範的な立場 か らは誤用 とも
言 えるものであるが、「お る」 に関 しては地域差 があ り、主 に西 日本で 「い る」
の代 わ りに 「お る」 を使 うことが多 い。 自分側 の表現 に使 うとい う間接尊重語
(
謙譲語、丁重語) と しての 「おる」ではな く、普通 の語 と して 「い る」 の代 わ
りに 「おる」 を使 う、あ るいは、「い られ る」 とい う言 い方 はないが、普通 の語
と しての 「おる」 に直接尊重語である 「られ る」 をつけた 「お られ る」 が一般的
な表現 と して使 われ る地域 が実際にあるのである。 これ らは地域差 とは意識 され
に くいため、「乱れ」 と感 じられ ることが多 い。 また、最近九州方面 か ら登場 し
てい ると見 られ る 「待たれて くだ さい」 など 「∼れて下 さい」 とい う形 は標準的
には誤用であるが、九州などでは これを 「標準語 の敬語」 と意識 して使 っている
ようである。地域方言の敬語が衰退 してい く中で、その代 わ りと して使 われ る共
通語 の敬語 は地域全体で習熟 していないために、誤 った形 が正 しい もの と意識 さ
れて広 がることもあるとい う例であ る。 これ も地域差 に基づ く 「乱れ」であ ると
いえよう。
つ ぎに、「敬意表現」 の面 か ら、つ ま り、相手、場面 にそ ぐわない もの と して
の誤用、ゆれを考 えてみ る。敬語や敬意表現は言葉 自体 が正 しくて も、使 う相手
や場面 によっては違和感 を もた らした り、失礼 になることも多い。実際の気持 ち
にかかわ らず、相手 を上位 の もの と して扱 うかど うか、違 う立場 と して相手の立
場 を尊重す るかど うか、相手を自分 に恩恵 を もた らす もの と して扱 うかど うかな
ど、人間関係をど う認識 しているかは言葉 に反映 され る。その人間関係 の とらえ
方が違 って くると、双方の違和感 が増す ことにな る。 場面 について も同様で 、T
PO などとも言われ るが、その場の雰囲気 にふ さわ しい言葉遣 いは もちろん、そ
の他 にも服装、態度 なども関係 して くる。特 にその場 の雰囲気があ らた まってい
るか、 くだけているかについては敬語、敬意表現 と関係 が深 い。 これ らについて、
い くつかに分けて考 えてみ る。
相手、場面の とらえ方の認識の誤 りか ら来 るもの、つま り、 目上の相手 (
例え
(7) ββ
ば先生)で あ る相手 をそれ と知 らず 、友人 の よ うに扱 って しまった、あるいはそ
れほど格式張 った会 だ と思 わず に ラフな格好 を して きて しまった、な どの よ うな
場合であ る。
相手、場面 の とらえ方 は正 しいが、表 し方 が誤 ってい る場合 がある。つ ま り、
授業 の後 教 師 に向 か って、丁寧 に しよ うと して、「御 苦労様 で した」 あ るいは、
「お疲れ様 で した」 などとい うよ うな場合で あ る。「御苦労様」 は もちろん、「お
疲れ様」 も教 えを受 けた相手 に対 して言 う言葉 ではない。 これはむ しろ言葉 の面
での誤用 とも言 える。
相手、場面 の とらえ方 の慣習 が確立 してお らず 、人 によって解釈 の異 な る場合
もある。 それは、昨今中学校高校 などでは教師 に対 してで も、特 に敬語 を使 わず、
いわゆ る 「タメロ」 を き く、友達扱 い した言葉遣 いをす ることが多い と聞 くが、
大学 において も教 師 に対 して友達扱 い した言葉遣 いをす るよ うな ことであ る。学
生 は教師 に対 して特 に失礼 だ とい う意識 がな く、そ うい うものだ と思 ってい るか
らその よ うに話すのであろ う。 これは、若 い世代 と社会人以上 の世代での認識 の
違 い とも考 え られ るが、 とらえ方 の習慣 が異 な るために来 るもの と考 え られ る。
これは、次 の場合の例 で あ るとも言 え る。
相手、場面 の とらえ方 が人 に よ りは っき り異 な る場合があ る。例 えば、微妙 な
例 で あるが、 あ る大学院生 が授業 を参観 させて もらった 日本語教師 に、その感想
などをまとめ ることを求 め られたのに対 し 「喜 んで」 と答 えた。 日本語教師はそ
れを不快 に思 った。 この例 は、 日本語教師の方 は 自分 が指導的 な立場 にあ ると認
識 し、授業 を見せた ことに対 しまとめ ることを要求す ることは 「指示」で あると
考え 「
書 いて くだ さい」 と言 った。 それに対 し、大学院生 は相手 を指導的 な立場
とは捉 えず、同僚 の よ うな意識 で、書 くことを 「依頼」 された と感 じ、それに対
す る答え と して 「喜 んで」 と答 えた、 とい うことで、双方 の とらえ方 の違 いが不
快感 を呼 んだ もの と考 え られ る。 また、あ る レス トラソのチ ェ- ソで、注文 に対
し厨房 で 「喜 んで」 と答 え るとい う報道 を見た ことがあ り、筆者 は これに違和感
を覚 えるが、それは本来断 わ ることので きない 「指示」で あ る注文 に対 し、断わ
ることので きる 「依頼」 に対す る返 答 と しての 「喜 んで」 を使 った とい うことか
ら来 るもので あろ う。 同様 に、仕事上での付 き合 い しかない特 に親 しくない同 じ
職場 の同僚 に対 し、家族 に関す る情報 などの個人的 な ことを言 った り、外見上の
7
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ことについてなど個人的 な ことに関す る誉 め言葉 を言 うよ うな ことは不快感 を与
えることがある。友人関係 といえ るよ うな個人的関係 がで きて初 めて、 プ ライバ
シーに関す ることや個人的な誉 め言葉 を言 うことがで きるので あ る.仕事上 での
付 き合 い しかない関係 の中での個人情報 のや り取 りは違和感 を もた らす可能性 が
あ る。 もちろん、同 じ立場 、同年輩 であ るな どの条件 がそ ろった場合、親 しくな
り、友人関係 にな る場合 も多いが、その過程 においては個人情報 や誉 め言葉 は相
手や状況 を見 なが ら言 う必要があ ることであ る。
以上 の ことは、相手、場面 の とらえ方 、な らびにその表 し方 について、共通 の
意識 といえ るよ うな もの、ある意味では 「規範」 と呼べ るよ うな ものが確立 して
いない こと、それ らについて十分意識 されてお らず、議論 や研究 も進 んでいない
ことがすべての原因であ るよ うに も見 える。 これ も、丁寧 さについては 「
敬語」
だけに焦点 があた り、その他の面 についてはおろそかに されて きた ことの影響で
あると思 われ る。
5 おわ リに
「言葉 の乱れ」 とは どの よ うな もので あ るかを考 えて きた。 この中で特 に敬意
表現 に関す るものは、今 までその意識 や研究 の中心 が敬語 に集 中 していたため、
それほど考 え られて こなか った ところであ る。変化 の大 きい現代 において、 これ
か らは もっと議論 され るべ き問題 で あ り、 さらに新 しい規範 の確立 を 日本語話者
全員 が考 えていかなければな らない問題 であ ると考 え られ る。
注 1 井上史雄 1
998 『日本語 ウオ ッチ ソグ』岩波新書
に詳 しい。 同書 はゆれ、
乱れについて も扱 ってい る。
注 2 筆者 もその委員の一人であ る第22期 国語審議会 では2000年 12月 に 「現代社
会 におけ る敬意表現」 ほかを答 申 した。
注 3 坂本恵2000 「ご<漢語 > して くだ さい、 ご<漢語 > され る等 の誤用 につい
て」 『
麟麟 』 9号
注 4 敬語 の分額、用語 については蒲谷 ・川 口 ・坂本 1998 『敬語表現』大修館書
店 による
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