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海外研修を言語教育に生かすには ―言語の中の文化を再考

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海外研修を言語教育に生かすには ―言語の中の文化を再考
東洋大学人間科学総合研究所紀要
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2) 6
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1
海外研修を言語教育に生かすには
―言語の中の文化を再考する―
垣本
せつ子*
海外研修は近年、ほとんどの大学の正課外教育・正課教育に取り入れられている。
海外研修の教育上の問題の一つは、正課外教育と正課教育の理念の揺れであり、もう
一つは、海外研修が含む異文化体験を大学教育の中でどのように位置づけるかという
ことである。本稿ではこれらの問いを2010年度に東洋大学の文系学部の1・2年
生、1213名に実施した「異文化理解と外国語教育」アンケートと、2009年度、2010
年度に筆者が引率した海外研修での知見をもとに、言語教育の観点から考察する。ア
ンケートの回答によれば、語学力の自己評価の高い回答者は海外研修について積極的
な態度であるが、その回答者のグループでも「聞く」ことと「書く」ことは苦手意識
が残る技能だった。本稿では、日常生活や学校での「聞く」行為や「書く」行為が外
国語でのコミュニケーションにも文化的な干渉をしていると考え、海外研修をきっか
けとした新しい大学教育の可能性を考える。
キーワード:海外研修、正課外教育、異文化理解、日常のコミュニケーション、外国
語教育
1.大学における留学・海外研修の今日の位置づけ
昨年(2010年)の12月22日に文部科学省が「日本人の海外留学者数が2008年度に対前年比で約
11% 減少した」と発表した。日本の18歳人口は1992年の225万人をピークに2
010年の122万人ま
で40% も減少しており、留学生数も当然その影響を蒙るはずであるが、この期間の18歳人口の減少
率に比して日本人の主たる留学先であるアメリカへの留学の減少率は小さなものにとどまっていると
の指摘もある。しかしここ最近を見れば、留学生数が2
004年度の約83,
000人をピークとして2
008
年までに減少した率が1
9% であるのに対して、同時期(2
004−2008年)の18歳人口の減少率は
*
人間科学総合研究所研究員・東洋大学国際地域学部
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6% であり、若年層の人口減だけでは説明できない。しかし、そもそもは何のために留学・海外研
修に出かけるのか、という議論をこれらの統計は素通りしている。学生を国外へ送り出すことは、国
力のため、国際教育、国際平和のため、或いは労働市場の国際化といったマクロな背景から解き明か
せばよいのであろうか。
大学は国際化をすすめている。学生交流に関する大学間協定等で海外へ送り出される大学生の数
1
そしてそれ以上の変化は、留学や海
は、18570人(2004年)から24508人(2008年)に増加した。
外研修の大学教育の中での位置づけである。留学先での単位を認定するだけではなく、留学も海外研
修も積極的に教育課程に組み入れられるようになった。特に海外研修はその内容が指導教員の専門分
野や学生の関心に合わせて多様化・個性化している。しかしここでも海外に出かける必要性そのもの
を問う議論はあまり行われていないのではないだろうか。
(1) 正課外教育か正課教育か
今日の大学における海外研修の背景には、正課外教育重視及び、正課外教育の正課教育への移行が
ある。その流れは文科省の政策としても見ることができる。2
000年6月に文科省(当時、文部省)
の「大学における学生生活の充実に関する調査研究協力者会議」は「大学における学生生活の充実方
2
策について−学生の立場に立った大学づくりを目指して−」という報告書を作成した。
正課教育・
正課外教育の区別について、同報告書によれば、既に昭和33年の学徒厚生審議会答申で、「知的・専
門技術的な教授研究を行う」正課教育と、
「学生生活の環境的条件を調整するとともに、学習体験の
具体的な場面に即して、各学生の主体的条件に働きかける教育指導を行うことによって、その人格的
形成を総合的に援助する」正課外教育と特徴づけられたという。しかし、実際にはその後4
0年の
間、正課外教育は正課教育の背景に追いやられ、大学の関心の埒外にあったと反省されている。第9
回と第10回(最終回)の議事録から会議の議論を拾ってみると、3「(報告案は)正課教育と正課外教
育があいまいになっている」という発言があるが、
「あいまい」を批判的に捉えているのではなく、
「正課外教育が正課教育と融合していく時代になっているのではないか。正課外教育を充実させるべ
きだ」と続き、積極的に捉えていることがわかる。また、
「(報告書案が)社会との接点を持つ機会
を、正課外に限定するように見えるのはよくないのではないか」という意見は、従来の座学と社会が
あたかも接点がないかのように位置づけられていることに抗議しているととれるが、また、正課外学
習の要素を正課学習に取り入れていくべきだと述べているともとれる。もっとストレートな疑問とし
ては、「前回の議論では(・・・)、正課教育・正課外教育・自主的活動の3つを支援するべきという
内容だった。これは今後の学生生活の充実方策を提言したものであるが、自主的活動は正課外教育の
1
河合淳子、「大学における学部学生の留学促進」
、ウェブマガジン『留学交流』2
0
1
1年5月号、Vol.
2、特集
「大学における派遣留学の動機付け」
、独立行政法人日本学生支援機構、p.
1.
2
http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/012/toushin/000601.htm
3
http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/012/gijiroku/001/000502.htm 及び
http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/012/gijiroku/000601.htm
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外にあるのか、それとも中にあるのか」という発言がある。これに対して事務局は「学生相談、就職
指導、修学指導などを正課外教育として捉え、学生のサークル活動などの自主的活動については、大
学がどう働きかけるかということで、多少別の捉え方をしている」と答えている。これに続いて、お
そらくは先の質問者と同一の人物が、「Ⅰ3(2)(報告書案中の「正課外教育の積極的な捉え直
し」)は正課外を正課に組み入れるという提言をしているのではないか。(・・・)残った狭い意味で
の正課外教育と自主的活動をどう解釈するべきかをはっきりさせた方がよいのではないか」とさらに
事務局の概念の整理に疑問を呈している。しかし、別の調査研究協力者からの「定義はどうあれ、自
主的活動を行う学生にインセンティブを与えることが重要である」という発言で、議論は全体の流れ
に戻る。すなわち、同報告書では教育支援が、正課教育、正課外教育及び学生の自主的活動への支援
と三様に分けられているが、それらの定義は便宜的であり、事実、このとき事務局の整理では正課外
教育とされた就職指導とインターンシップは、その後、正課科目に移行していった。最近では、文科
省が震災ボランティアの単位認定を大学に要請したことが記憶に新しい。
東洋大学では正課外教育をどのように捉えているであろうか。大学の自己点検報告書である『東洋
大学の現状と課題(2003年度)』で「留学・海外研修」、「インターンシップ」
、「ボランティア」と
「正課外活動」の位置づけをみると、文学部の報告では、「留学・海外研修」、「インターンシップ」は
教育活動の「カリキュラム」(すなわち正課教育)の項目で取り上げられ、単位が認定されることが
述べられる。「ボランティア」は授業外の活動である。経済学部の報告では「正課外活動」の項目に
海外研修が取り上げられている。
「インターンシップ」と「ボランティア」は関連科目が正規の授業
科目として位置づけられていることが記されている。経営学部の報告には正課外教育の項目はなく、
「国際化への対応と国際交流の推進」で留学・語学研修について述べられている。法学部の正課外教
育は法律の専門家養成のための支援に絞られている。社会学部では正課外教育の例として自主ゼミ・
合同ゼミやゼミ合宿を紹介したうえで、「学生生活の配慮」という項目の中で、「課外活動」を「演習
や調査など正課教育の延長をキャンパス外で行うもの」と「学部学科の教育に関連した学生の自発的
な活動に対する支援」に分けている。国際地域学部では語学研修・ボランティア活動・インターンシ
ップいずれもが正課外教育とは別に報告され、正課外教育の項目は課外の「語学特別講座」と「旅行
業務取扱主任者資格試験対策講座」(国際観光学科)にとどまる。以上、文系学部のみの概要である
が、この時点では正課外教育は学部の事情に合わせた便宜的な措置のようにみえる。文部省が2
000
年の報告書で訴えた「正課外教育の積極的な捉えなおし」は、会議の調査研究協力者が述べたよう
に、正課外教育の正課教育への移行を意味した。4
これは大学教育にとって何を意味するのであろうか。
「海外研修」、「ボランティア」
、「インターン
シップ」は活動内容は異なり、期間にも長短はあるが、その多くが夏休みなどの長期休暇を利用した
4
なお、『2
0
0
6年度東洋大学学生生活実態調査報告』
(2
0
0
7年、東洋大学学生生活委員会)と『第1
3回学生生活
実態調査集計報告書』
(2
0
1
1年、日本私立大学連盟)では、インターンシップ・ボランティア活動共に「正課外
活動」に含まれ、「正課教育」と別の括りになっている。
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キャンパス外での体験であり、社会や海外と接点を持つことが重視されている。一方、大学内の日常
ではレポートが課され、卒業するために論文作成が求められるために、テーマごとに資料を収集して
読み、議論を理解し、自分の思考を表現する抽象化の能力が求められる。体験そのものに価値がある
のではなく、体験者が非体験者とも共有できるほどまで自分の体験を高度に抽象化・言語化すること
に価値が見出されるのである。
大学入試センターによる全学部学生を対象とした学習技能調査の20項目では、「論理的に物事を考
える」を土台として、「まとまりのある長い文章を書く」
、「プレゼンテーションすること」
、「文章の
要約」、「自分の考えをわかりやすく説明できること」、「データの記録・メモができる」、「脈絡に合っ
た送り仮名、句読点、語彙、文法を正しく使う」
、など直接、言語能力に言及する項目が1
2項目で
「スケッチすること」、「表やグラフをかく」、「表やグラフを読む」
、「基本的な公式や事項などを記憶
し、必要に応じて思い出す」、「装置・機械の操作」、「数量を予測する」、「共感すること」、「アイディ
ア方策」など、必ずしも言語の表出に結び付かない8項目をはるかに上回る。5 大学生のための「書
く」教育はこれらの技能を織り込んだレポート・論文作成が主眼である。正課外教育の理念のもとに
体験を重視する海外研修などを、伝統的な正課教育の理念にどのようにつなげるかが問われている。
(2) 異文化理解教育・異文化コミュニケーション教育
今日の大学における留学・海外研修のもう一つの傾向として、その内容が多様化するのと並行し
て、異文化理解・異文化コミュニケーションの要素が後景に退いていることが挙げられる。
「文化」
という概念が錯綜としていることも、その理由であろう。すなわち一方では、いたるところで使われ
ながら、大学では学術用語であり専門用語でもある。今日の学術的な異文化研究は、英語力を前提と
しての異文化ビジネスコミュニケーションや日本で暮らす外国人生活者の抱える問題、さらには出自
は同じであっても社会的に様々に区別される人間集団の文化を対象としている。一時的な外国旅行で
6
ある海外研修がもたらす異文化接触の衝撃はその分、あまり、かえりみられない。
本稿では、文化
の意味を今日の教育政策やコミュニケーション教育を手掛かりに、海外研修を契機とした言語教育の
中で考えていきたい。
2009年度の『文部科学白書』7「第3章
大学等の多様な発展のために」では、今日の世界を表
すキーワードは「グローバル化」であり、その中で大学は「国際化」しなければならず、その度合い
は外部に「国際競争力」として表れるという。一方、
「文化」は同白書の「第7章
文化芸術立国を
目指して」で扱われている。まず「文化芸術」という4字熟語に表れる「文化」は、物質性に対する
5
柳井晴夫ほか、「大学生の学習意欲等に関する調査報告」
、『大学入試センター研究紀要』3
2、2
0
0
3年、p.
7
0.
『異文化コミュニケーション』
(異文化コミュニケーション学会、No.
2,1
9
9
8,No.
6,2
0
0
3など)
。池田理知
子編、『よくわかる異文化コミュニケーション』
(ミネルヴァ書房、2
0
1
0年)
。沼田潤、「日本人学生の異文化理解
に関する質問紙調査―異文化理解の意識に関わる諸要因の基礎研究―」(『評論・社会科学』
、同志社大学社会学会
(9
1)
、pp.
1
6
9―1
8
6.
)など。
7
http : //www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab 200901/detail/1295628.htm
6
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精神性、すなわち「心の豊かさ」をもたらす表現活動や文化財であるという。文化芸術立国は、文化
が人類の共有財産としても了解されているからこそ可能なはずである。しかし、後段で、
「地域文
化」、「日本文化」というときの「文化」は出自の文化である。地域文化や日本文化は「文化芸術振興
に当(あ)たっての基本的な視点」だと解説される。「日本文化」というカテゴリーがあるならば、
それ以外の国の文化や異文化もあるはずだが、ここではあくまでも自国文化中心主義である。それを
修正するような視点は大学教育を論じる第3章にも現れない。即ち、同白書の理解では、文化はない
がしろにされてよいわけではないが、それは高等教育たる大学に入る以前の教育や地域で教えられ、
培われる感性なのであって、大学はもはや文化を学ぶ場ではなく、
「国際化=グローバル化」という
ステージに上がって競争をすることを肝要としているのである。
「異文化」などに驚いていては、国
際競争に取り残されるのだ。
一般的な異文化コミュニケーションの概説書に表れる文化の概念もみてみよう。
「文化」は研究者
によっていろいろに定義されているとしながら、そのキーワードは「共有するものすべて」、「学習さ
れ、受け継がれる」、「グループ(社会)」、「グループのメンバーに特に見えにくいもの」とされてい
8
る。
2番目の「学習され、受け継がれる」というキーワードは、自文化という意味での「文化」で
あるが、最後の「グループのメンバーに特に見えにくいもの」は、その学習がむしろ無意識のうちに
なされていることを意味する。異文化との出会いは、自文化に気づくことであり、大学の正課外教育
の理念であった人格形成に関わる。
自文化だけを「文化」と捉えることは、かつての「文明 vs. 野蛮」という図式に退行することであり、
文科省の主張とも異なるであろう。文化が相対的であるならば、個々の文化の概念は不完全性を含む
ことになる。異文化との出会いで、自文化に気づくとは、発展途上である自分に気づき、異文化もま
た自分の一部であると気づくことでもある。気づくことによって、自文化は運命でも宿命でもなくな
る。異なる文化を背景とする人々との出会いから文化の融合が起こるように、文化は可変的でもあ
る。
ところで、主に国内で行われるボランティアやインターンシップなども、地域・年齢・性別などの
メルクマールを持った様々な人間集団との出会いから生まれる異文化体験である。
「市民としての社
会的責任」9 育成を求められる大学はこれら自社会での異文化体験を急速に正課教育の中に受け入れ
た。一方、海外研修での異文化体験は「国際化」という基準のもとに、逆に表面にとどまるように
なったのではないだろうか。その様子を2
008年度に実施された国立8大学工学部で実施されたアン
10
ケート(8399人による回答)
にみてみたい。
同アンケートは、理系学生を対象としているが、回答者の7
0% 近くが留学を希望し、しかもその
8
小坂貴志、『異文化コミュニケーションの A to Z −理論と実践の両面からわかる−』
、研究社、2
0
0
7年、p.
1
6.
学士力の定義:文部科学省科学技術・学術審議会 http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/siryo/
08043009/004.htm
10
http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/004/shiryou/__icsFiles/afieldfile/2009/05/07/1263224_8.pdf
9
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うちの3
0% が「3か月以内の語学留学」
、25% が「1年以内の語学留学」と、留学希望者の5割以
上が語学を留学の目的としている。一方、全回答者の3割強は留学に対して消極的だった。その消極
的な理由を自由回答(763件)で書かせたものを分類すると以下の図1になる。
図1 (8大学工学教育プログラム・グローバル化推進委員会第3分科会
2008年度「日本人学生の留学に関する意識調査」回答より作成)
「文化」は、一番回答者の多かった「生活・治安」(263件)に含まれる。「文化の違い」
、「文化の
差(=ものの考え方)」と単独で答えている回答もあるが、
「文化(食生活など)の違い」
(3件)、
「文化や生活習慣」
、「言葉、文化、慣習の違い」、「語学力、文化的な違いの壁」
、「治安、文化、宗
教」などと他のキーワードと一緒に挙がっているものが多い。
次に多い回答項目である「情報」(131件)とは、「海外留学に関する情報が不足している」という
不満である。留学は、学生の自主的な行動であるよりもむしろ大学で準備するプログラムであり、
「広報の不足」という回答も数件あった。留学情報があれば気軽に行かれるようになり、だから行く
だろうと考えている。つまり、留学・海外研修に出かけるかどうかは、文化も含めてアメニティ(シ
ステムの便利さ・快適さ)に還元される。その意味では、留学を「ハイリスク・ローリターン」だと
する回答も、「わざわざ留学しなくとも十分に学べると思っているから」という回答も、客観的な判
断であるかどうかは別として、国際平和や国力などといった、当人に当座は関係のない事柄には関心
のない正直な回答である。異文化そのものを研究対象にするのでなければ異文化はただ不便であり、
「わざわざ」出かけて学ぶ価値はないという。そこで、異文化にもかかわらず、また何を専門として
いるかも別として、異文化に学ぶ価値のあることを提示しなければならない。
2.東洋大学における海外研修に関する意識調査について
以上の考察をもとに、海外研修から展開する言語教育を構想するために、東洋大学人間科学総合研
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究所の研究プロジェクト「学習者の視点に立った異文化理解と外国語教育」(2009年度、2010年度研
11
究代表者:斎藤佑史、2
011年度研究代表者:T. Newsfields)
で、東洋大学の海外研修参加者の参加
12
理由や、一般学生の海外研修への関心について調査した。
2010年度に、東洋大学文系学部の1・2年生を中心にアンケートを行った(回答者1
213名)。設
問は7つの群からなる。回答者の属性(性別・学年・所属学部・留学生かどうか)の他に、A. これ
までの海外渡航歴、B. これまでの家族旅行の経験、C. 海外研修への関心の有無とその理由、行って
みたい地域と現地でしたいこと、D. 外国語の能力試験の結果や自己評価、E. 日本での国際交流の経
験の有無とその期間、F. 日常のコミュニケーションでの配慮、を尋ねた。
本アンケートの核心となる設問群 C の大学在学中の海外研修への関心については約8
0% が「非常
に関心がある」、「関心がある」と答えている。回答者の属性をみると、海外研修に強い関心を示した
のは、女子学生(88%)、留学生(9
6%)、TOEIC で500点以上の成績取得者(86%)、語学能力(英
語以外)の自己評価が高いグループ(86%)、国際交流経験が「ある」というグループ(85%)、日常
のコミュニケーションの配慮を問うた設問で4つ以上の回答を選んだグループ(86%)などである。
ただし、本アンケートに参加した留学生は26名と、東洋大学の留学生全体(2008年度316名、ただ
し文系学部では262名)の1割に満たず、一般化はできないし、語学能力の自己評価は英語以外の外
国語学習について尋ねた設問24・2
5の回答結果である。また、国際交流経験も、留学生の回答者を
含め、「国際交流」がいろいろな意味で捉えられていることが確かめられた。日常のコミュニケーシ
ョンの配慮は、回答を多く選択しても、コミュニケーションに積極的という意味で捉えることはでき
ない。以上、一般化するにはいろいろな問題があるが、文化的な脈絡を推測し、言語の教育へつなげ
るヒントは得られた。
設問群 C の全体回答で、
「なぜ海外研修に参加したいか」という問いの複数回答では、
「他の国の
文化を学ぶこと」(81%)という回答が最も多く、
「(実際に研修するとしたら)どんな活動をしたい
か」という問いに対しては同じく複数回答で最も多かったのは、「観光をしたい」(67%)だった。こ
の 2 つの回答は、建前と本音の関係かもしれない。「観光」は一般に、学習と対立した概念と思われ
るであろう。回答者たちが勉強をしたいという「文化」が何を意味するのかも不明である。反対に、
研修に参加する不安についての複数回答で最も多く挙がったのは「経済的な余裕」
(60%)、「外国語
での会話」(58%)、「治安」(54%)であり、具体的で切迫した事情だった。以 下 に、設 問2
4・25
(語学能力)や設問3
0(日常のコミュニケーションでの配慮)のクロス集計から、
「文化を学び」た
いが、「外国語が不安」という軸に絞ってその要因や新たな教育への展開を探っていきたい。
11
本年度の研究参加者は、他に垣本せつ子(国際地域学部)
、佐藤郁(国際地域学部)
、江藤双恵(国際地域学
部)
、斎藤佑史(経済学部)である。
12
アンケート用紙は本稿末尾に収録した。なお、共同で報告書を作成中であり、以下の記述はプロジェクトチー
ム全体の見解ではない。
6
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2)
(1) 語学能力の自己評価
外国語の能力を尋ねた設問22.から27.のうち、英語についての設問は、TOEIC 試験の結果などの
客観的な情報を求める内容である。英語以外の外国語についても、客観的なデータとして能力資格の
有無を尋ねているが、これに対しては全回答者の3% しか「ある」と答えなかった。この低い数値
がある程度予想されたため、英語以外の語学の能力は自己判定で書いてもらった。ここではその設問
25.への回答を学生の主観的な判断という観点からみていきたい。
設問25.に先立つ設問24.
「英語以外の外国語を学んだか、学んでいる外国語はありますか?」に対
しては、有効回答1182件の62% が「ある」、38% が「ない」と答えた。回答者の所属学部の比率か
らいえば、7
5%∼80% 以上は履修登録上「ある」となるはずである。このずれは、2年生以上で、
既に履修は終えたが、主観的には「学んだ」と思っていないという意味かもしれない。また途中で学
習をやめ、再履修していない学生もいるだろう。またこのずれには外国語学習のグローバル化も反映
しているだろう。グローバル世界では、競争を原理とするために、擬似的にであってもスタートライ
ンでは多様性が設定されているが、それは反面、常に取り換え可能のバイプレーヤーが大勢いること
も意味する。即ち、外国語学習でいえば、勝ち残りを目指す一直線を外れれば、そもそも学ばない、
あるいは途中でやめるという心理的な留保も与えているのである。こうしてカリキュラム上は「あ
る」となるはずの回答の多くが「ない」へ滑り込んだのではないか。
設問2
5.では24.で「ある」と答えた回答者に自己の語学能力4技能(話す・聞く・書く・読む)
について、自己申告してもらった。その際の基準は外国語能力に関する EU ヨーロッパ連合の「ヨー
ロッパ共通参照枠」に依拠した。同枠のレベル A1(初級・単語レベル)と A2(初級・文レベル)
を、本アンケートでは A と B として、それ以上の能力を C とした。その内容は「話す」
、「聞く」、
「書く」、「読む」の順番に以下のとおりである。
段階 A:「自己紹介や買い物などに使う簡単な表現ができる」、「はっきりとゆっくり話してもらえれ
ば、自分、家族、すぐ周りの具体的なものに関する単語をいくつか聞き取れる」、「自己紹介や買い物
などに使う簡単な表現ができる」、「自分の国籍や住所などの単語を記入できる」、「掲示やポスター、
メニューやカタログなどに出てくる単語をいくつか読める」。
段階 B:「相手がゆっくり話し、繰り返したり、言い換えたりしてくれるなら会話が少しできる」
、
「はっきりとゆっくり話してもらえれば、簡単なメッセージやアナウンスの要点を聞き取れる」
、「相
手がゆっくり話し、繰り返したり、言い換えたりしてくれるなら会話が少しできる」、「礼状など短い
個人的なメッセージを書ける」、「掲示やポスター、メニューやカタログなどの簡単な文を読める」。
段階 C はそれ以上で、何ができるかを自由記述してもらう。
もし旅行に出かけ、実際に使う場面になれば、即席の勉強でも B 段階の文章を口にすることはで
きるであろう。しかし、学習として定着しているかとなると、自信を失い躊躇するのではないか。案
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9
の定、B 段階以上を一つでも含んだ回答は、学習経験が「ある」という回答者の2
4%(176名)にと
13
どまった。またさらに上の C 段階を1つ以上含む回答は、1
1名であった。
ここでは、B 段階以上を
一つでも含む回答者をまとめて「B 段階」、C 段階以上を一つでも含む回答者をまとめて「C 段階」
として検討するが、「B 段階」の回答者の属性は、学部の比率で国際地域学部が6
3%(全回答者数に
おける学部比率は44%)と高く、性別では女性が63%(全体に占める比率は5
6%)と高い率を占め
る。また留学生が7人含まれ、そのうちの2人が「C 段階」である。
「B 段階」のグループは、海外研修については、
「高い関心がある」
、「少し関心がある」両方の回
答を合わせて8
6% が「ある」と答え、さらにその中でも「高い関心」が占める割合が6
1%(全体で
は49%)と際立って高い海外研修志向を見ることができる。研修に参加する動機(複数回答)の順
位は回答全体と同じく「文化」
、「外国語」である。研修についての不安(複数回答)について、結果
は大きく異なる。全体では、
「経済的な余裕」60%、「外国語での会話」58%、「治安」54%、「健康」
26%、「学業との両立」19%、「ホームシック」17%、「就職活動との両立」1
2% であるが、このグ
ループでは「経済的な余裕」2
8% に続き、「外国語での会話」2
5%、「治安」23%、「健康」8%、
「就職活動との両立」3%、「ホームシック」2% と、どの項目の回答比率も低く、全体として海外
研修に不安よりも期待の気持ちを抱いていることがわかる。心理的にも経済的にも外国語能力におい
ても海外研修への準備が進んでいるのである。
このグループの他の設問での傾向をみておく。海外滞在の経験については、このグループの6
1%
が「ある」と答えている。全体では5
7% で若干、このグループのほうが高い。家族旅行を尋ねた設
問10には120名が「ない」
(67%)と答えている(全体では7
0%)。その回数は、
「1回」(15%)、
「2回」(4%)、「3回」(2%)と回が増えるごとに比率が下がっていくことも全体の傾向と同じで
あ る が、「そ れ 以 上(4回 以 上)行 っ た」と 回 答 し て い る の が20名(11%)で あ る(全 体 で は
8%)。
英語の能力については、TOEIC-BRIDGE のスコアを挙げている5
1名のうち1
31点以上が31名で
この比率は全体回答と同じ6
9% である。また TOEIC のスコアを挙げている9
3名のうち5
00点以上
が17名で18% と全体(1
5%)より若干高い。一方で、2
50点以下も1
1名(12%、全体では8%)
いて、決して英語の得意な学生だけで構成されているグループではないことがわかる。英語以外の外
国語で取得した資格があると答えた回答は、このグループでは8%(全体では3%)である。
国際交流経験は回答全体で5
5% が「ある」
、このグループでの回答では5
7% が「ある」となって
いる。日常のコミュニケーションでの態度・行動については全体の回答と同じ順位である。選択肢3
の「自分の話す内容をときどき言い換えて伝える」についてのみ、全体で3
3.
7%、このグループで
29.
3% と4% 半の差がついた。以上、このグループの回答は外国語能力と海外研修への関心を除い
ては全体の傾向に沿っている。
13
これらの集計は、機械作業で該当した回答の整合性を確かめた数字である。機械集計では B 段階を一つでも
含む回答が2
2
1名、C 段階を1つでも含む回答は2
2名だった。
7
0
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
回答者たちの学習言語の種類は、中国語が一番多く7
2件、続いてフランス語3
4件、ドイツ語2
5
件、ハングル19件、スペイン語19件、インドネシア語・タイ語各2件と続く。大学のカリキュラム
外の言語ではフィリピン語(タガログ語?)1件、ロシア語2件、ポルトガル語1件、ヘブライ語1
件もあった。ここでは、大学で初めて学ぶ外国語として括り、言語ごとの回答の特徴には触れない。
回答者たちの自己評価は、「話す・聞く・読む・書く」の4技能の中で「話す」能力が56% と最も
高く、続いて、「読む」54%、「書く」51%、「聞く」47%、が「B 段階」となっている。この順位は、
これらの外国語の学習者全体でも同様で、「読む」20%、「話す」19%、「書く」1
8%、「聞く」17%
となっているが、
「B 段階」グループでは、
「話す」・「読む」能力と「聞く」能力、
「書く」能力の差
異がはっきりと表れている。「C 段階」の回答者にはいないが、「B 段階」の回答者の中では、技能に
よっては能力が「なし」という記載を含んだ回答も5件ある。「書く」能力では3件、
「話す」では2
件、「聞く」、「読む」はそれぞれ1件ずつ、能力は「ない」と記載している。
各技能のばらつきは、「C 段階」でさらにはっきりする。以下の図2はこの11名の4技能の自己評
価比率である。「読む」能力には A 段階の学習者はいない。次に「話す」能力もほぼ B か C にまと
まっている。
「聞く」は、C 段階も多いが、A 段階も多い。つまり、聴解では、これを得意とする学
生と、苦手とする学生が存在して、そのために B 段階が少ない。最後に「書く」技能は A・B・C が
一番分散した形になっている。B 段階に到達している回答者は「聞く」技能よりも多いが、C 段階だ
けをみると4技能のなかで一番少なく、つまり初習の外国語で「書く」ことを得意とする学生はまれ
である。
「C 段階」の自己評価
図2
東洋大学人間科学総合研究所プロジェクト「異文化理解と外国語教育」(2010)回答より作成
外国語は言語ごとに習得方法も異なり、そのことは技能別の自己申告に影響があると想像される。
たとえば、中国語について何も知らなくとも、漢字には親近性があり、そういった事情も自己判定に
影響を与えているであろう。しかし、以下に見るように、自分の能力に多少自信のある C の回答者
であっても、自身の能力不足を意識し、条件付きで答えている。以下が C 段階での自由回答である。
垣本:海外研修を言語教育に生かすには
7
1
(話す)「専門的なことは話せないが日常会話はできる」
(国・1・女・中国語)、「目上の人以外なら
ば話せる」(国・2・女・ハングル)、「簡単な挨拶」(国・3・男・スペイン語)、「少し考えな
がら話せる」(国・3・女・フランス語)
(聞く)「大体わかる」
(国・1・女・中国語)
、「大体わかる」
(国・2・女・ハングル)
、「少し」(国
・3・男・スペイン語)、「あまり困らない」(国・3・女・フランス語)
(書く)「少し間違いがあってもレポートくらいならば書ける」
(国・3・女・フランス語)、「中検 3
級程度」(文・1・女・中国語)
(読む)「雑誌や新聞の簡単な文章」(国・1・女・中国語)、「短い本なら読める」(国・1・男・スペ
イン語)
、「日常生活程度のものは分かる」
(国・2・女・ハングル)
、「物語の本や簡単な論文
ならば読める」(国・3・女・フランス語)、「ある程度の文章」(国・3・女・ハングル)、「中
検3級程度」(文・1・女・中国語)
(括弧内は回答者の所属学部・学年・性別と学習言語である。)
外国語を意識的に勉強し、海外研修に強い関心を抱く B・C 段階のグループの回答者たちは、
「読
む」ことはできるが、「話す」ことは無理であったり、「聞く」ことはできるが、他の技能は初歩であ
るなどと、技能を使い分けながら、学習言語でのコミュニケーション戦略を立てている。その中でも
「聞く」技能で A 段階が一番多いこと、及び、
「書く」技能では半数以上が、A 段階と B 段階にとど
まっていることを以下に論じたい。
「聞く」技能と「書く」技能は学習者全体の回答でも下位に位置
している。「聞く」ことと「書く」ことが、大学で初めて学ぶ外国語を日本で学ぶ中で、後景に追い
やられているという事情があると同時に、大学で普段使用している日本語の使用状況も反映している
のではないか、という疑問が沸くのである。
(2) 日常のコミュニケーション
性別・出身地域別・職業別・年齢別・健常か病気であるか、といった身体的条件や生活条件も文化
14
その意味で誰もが日常的に異文化理解の状況を生きているわけであり、日頃から、会
を形成する。
話の相手を理解しているかどうか、自分が相手に理解してもらっているかどうかを意識することと、
海外での異文化理解への関心はどのようにつながるかをみようとして、本アンケートの設問3
0を加
えた。設問3
0「普段、日本語で話したり聞いたりする時に、言いたいことを伝え、相手を理解する
ためにどんなことをしていますか?該当する項目をマークしてください」に対して、1.「相手の話
す内容を理解したという意味で肯いている」、2.「相手の話す内容をときどき言い換えて聞いてもら
う」、3.「自分の話す内容をときどき言い換えて伝える」、4.「不慣れな話題や場面であっても相手
14
沼田潤、前掲論文。
7
2
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
に尋ねながら話を聞く」、5.「不慣れな話題や場面であっても話してみる」及び 6.
「その他」の複
数回答とし、「その他」はどんな態度をとっているかを書いてもらった。何らかの回答を残した回答
者数は1
171名で全回答者数の9割を超えている。回答率は 1.6
5%、2.21%、3.34%、4.
41%、5.21%、6.2% となった。回答者の79% は2つ以内の回答にとどまっている。2つ以下
を回答するか、3つ以上を回答するか、を区切りとして各項目の回答率の変化をみると、5.の増加
率が最も多く61%、続いて2.の増加率59% となる。
留学生の回答は日本人学生と比べて若干異なる。1.の「肯き」が5
0%、3.「自分の話す内容を
ときどき言い換えて伝える」42%、2.「相手の話す内容をときどき言い換えて聞いてもらう」
39%、という順番と回答率である。4.「不慣れな話題や場面であっても相手に尋ねながら話を聞
く」を回答した留学生は31% にとどまる。留学生は日本人学生に比べて、自分が話すことに重点を
おいていることになる。
「その他」で記された自由記述をみると15「意識しているが、多分できていない」
(1名)や「わ
かっていなくとも肯いている」
(1名)は自身のコミュニケーションを内省している。「ジェスチャー
・手振り」
(3名)、「相手の表情を見て・相手によって」
(3名)、「目を見て」(3名)は非言語コミ
ュニケーションを駆使する。また「詳しく丁寧に話す」
(1名)と「何でもいいからおしゃべり」(1
名)は、一方が正確に伝えようとしているのに対して、
「おしゃべり」は雰囲気づくりを重視する。
「笑い重視」(1名)も雰囲気づくりである。情報の正確さを追求するとともに、多少の誤解があって
も雰囲気をこわさないようにするコミュニケーションの戦略とは、個人的な資質であるばかりではな
く、文化的に形成されるものでもある。設問30の全項目をマークしているにもかかわらず、「意識し
ているが、多分できていない」と述べたある回答者は、海外研修に消極的だった。コミュニケーショ
ンを意識することで逆に、異文化に不安を持つのである。
以上、初めて学ぶ外国語の能力についての自己評価と日常のコミュニケーションについての回答を
みると、普段の生活で「肯いて聞く」ことを自身のコミュニケーションの基本として認める一方で、
外国語の技能では、ある程度学習が進んでも「聞く」力が足りないと思う気持ちが強いということに
なる。普段のコミュニケーションで、聞くことが基本であるからこそ、外国語で聞くことに不全感を
抱くのかもしれない。また、
「書く」ことは、初めて学ぶ外国語で中級へ至ることが一番難しいスキ
ルであった。一方、大学の日常の学習でも、レポートや卒論作成に向けて最も高度に発展させなけれ
ばならない技能であるにもかかわらず、大学新入生は学習技能の中で最も「苦手」だとしているとい
16
これら、大学の日常での「聞く」ことと「書く」ことと、外国語で「聞く」
、
う調査結果がある。
「書く」は、その意味もそれを測る基準も違い、それを指導する場面も異なるのであるが、いずれも
15
自由記述を書いた回答者の属性と海外研修への関心及び自由記述の内容の一覧表は、
http : //www2.
toyo.ac.jp/∼setsuko/に掲載した。
16
渡辺哲司、『
「書くのが苦手」をみきわめる』
、学術出版会。
垣本:海外研修を言語教育に生かすには
7
3
技能でありコミュニケーションである。そして外国語もまた、実際に使用することを想定する以上、
普段のコミュニケーションの延長線上にある。留学生や日本人という出自の文化の違い、家庭の事
情、また大学入学以前の国際化のトレーニングは、学習の背景であるが、大学入学後の「聞く」、「書
く」は日々続いており、文化的な連関を内省しながら、練習をして発展させられる技能でもある。
3.異文化体験における「聞く」ことと「書く」こと
(1)「聞く」文化
本アンケートの設問30の回答選択肢では、「相手の話す内容を理解したという意味で肯いている」
と「肯く」ことを「聞く」側の態度として尋ねた。肯きに近い行為である「あいづち」も、留学生の
ための日本語教育で、過去には「あいづち=聞き手役割を表示するもの」ということが疑われなかっ
たという。しかし、近年の研究では、「談話展開をコントロールする積極的なもの」として研究され
17
あいづちは、刀を鍛えるときに打ち合わせる槌の意味で、会話が会話として成り立つため
ている。
に必要不可欠の行為であり、その打ち方やタイミングによって、
「理解した」という意味だけではな
18
く、不満表明や話の軌道修正を促したり、談話の終結の合図であったりするという。
また、その解
釈には文化的な要素が考慮されている。即ち、談話の終結を促すあいづちが、ある調査で学生たちが
町で収集した談話例ではあまり現れない理由として、
「談話の終結は参加者双方からの働きかけが原
19
則だが、日本社会では年上や目上の相手には自分から主導しない傾向にある」からだと説明される。
20
あいづちには非言語行動も含まれるとされるが、
日本語教育の研究の対象となっているのは言語
行動のみである。ある日本語教師の養成講座で「うなずき」は、「身ぶり」
、「視線」とともに非言語
行動の節で扱われている。そして以下のように、コミュニケーションを妨げる否定的な行動として捉
えられている。
日本人のうなずきが問題になる原因は、第一に頻繁すぎてせわしい感じを与えること、第二に賛成を意味する
のか、ただ聞いているのを意味するのかわからないということです。うなずきをすべてイエスととり、
「イエス」
と言っておきながらと外国人が腹を立てたりするのです。
私自身、うなずきでは失敗したことがあります。アメリカ滞在中のことでしたが、ある日小さなパーティーに
17
大浜るい子他、「道聞き談話におけるあいづちの機能」
、『日本語教育』9
6号、日本語教育学会、1
9
9
8年、
pp.
7
3−8
4.陳姿菁、「日本語の談話におけるあいづちの類型とその仕組み」
、『日本語教育』1
0
8号、日本語教育
学会、2
0
0
1年、pp.
2
4−3
3.楊晶、「日本語の合づちに関する意識における中国人学習者と日本人との比較」
、『日
本語教育』1
1
4号、日本語教育学会、2
0
0
2年、pp.
9
0−9
9.永田良太、「会話におけるあいづちの機能―発話途中
に打たれるあいづちに着目して―」
、『日本語教育』1
2
0号、日本語教育学会、2
0
0
4年、pp.
5
3−6
2.
18
大浜るい子他、p.
7
7及び p.
8
1.
19
同、p.
8
1.
20
永田良太、p.
5
6、p.
6
1で紹介されているメイナードによる定義。また、『新明解国語辞典』
(第5版、1
9
9
9年、
三省堂)も「あいづちを打つ」ことを「人の話に調子を合わせたり、うなずいたりする」ことと説明している。
7
4
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
招かれました。日本人は私だけで、他の人たちはアメリカから一歩も出たことのない人ばかりでした。
(・・・)
英語で行われた論争で、私も英語でやっていたのですが、議論に夢中になっていて、知らず知らずのうちに、
日本的うなずきを持ち込み、日本人に今まで接したことのない友人を戸惑わせていたわけです。こういった無意
識に出てしまう性質のものについて、教授者[日本語教師を養成する人]は学習者[日本語教師の卵]に対する
21
ときに注意すべきですし、適切な紹介も心がけるべきです。
「うなずき」が奇異とされるために、抑えなければならないならば、それに伴うコミュニケーショ
ン・ストラテジーも抑えることになり、談話者は緊張を強いられる。ただでさえ、
「聞く」ことは、
尋問のように専ら自分の都合で訊くこともあれば、聞き従うという意味で恐れ聞き入ることもあり、
権力構造を伴ったメッセージを相手に与えやすいことから、異文化の中で、何をどうして聞くのか、
再考を迫られる。筆者は、トルコ共和国出身の女性のドイツ語教員から「私たちの国では尋ねるだけ
でも反抗ととられるのです」と言われ、強い印象を受けたことがあった。学校の教育現場で習得する
「よく聞く」ことは一方的な受け身の聞き方であり、語学のリスニングテストも聞き手は聞き手の立
場に固定され、孤立している。以下に紹介する筆者の体験も学校にふさわしい「聞く」態度を反映し
ていると思われた。
即ち、200
9年度に実施された東洋大学国際地域学部フィリピン研修後に、研究協力者の学生間で
22
ペアを作り、研修についてお互いにインタビューをしてもらった。
1つの会話は15分程度である。
質問した学生は、そのインタビュー結果をレポートにまとめて提出した。録音を聞くと、質問例とし
て配った用紙の質問と1語1句変わらない質問を発し、答えを中断させたり、コメントを述べること
はなかった。しかし、そのインタビューをまとめたレポートには、質問者の自由な感想があり、話者
に共感したり、そうでない場合には、自分はどのような体験と意見であるかを述べ、インタビューを
通じて話者を「とても面白い人だと思った」
(K.)、「F さんは自分よりまじめだ」
(T.)という感想を
持ったり、話者が研修中にどのようだったかを思い出したりした。反対に、話者についてよりも自分
の感想に紙面の多くを割くレポートも1件あったが、このインタビューを行った質問者たちのほとん
ど全員が、学校での規範に沿って傾聴した。
語学教育の専門家は、聞く行為を消極的に捉えているわけではない。外国人のための日本語能力試
23
これは、外国人が日本
験の出題基準では、「聴解行動能力」という積極的な聞き方を構想している。
で生活し始めて、本国で得た一般情報とは異なる事態に出会ったときに、これまでの自分の知識にと
らわれずに周囲に尋ねて問題を解決する能力であるという。また、最近の日本語教育実践報告では、
24
「聞き返し」教育が取り上げられている。
海外研修では、外国語で会話するだけではなく、学生たち
21
佐々木倫子、「4 話し方の教育」、『NAFL Institute 日本語教師養成通信講座』
、アルク、1
9
9
1年、p.
7
7.括弧
内は、筆者による補足説明である。
22
2
0
0
9年1
0月2
9日実施。質問用紙の作成は本稿のプロジェクトの参加者である国際地域学部 佐藤郁准教授
による。
23
国際交流基金編、『日本語能力試験出題基準』
、国際交流基金、1
9
9
7年、pp.
1
9
3−1
9
7.
垣本:海外研修を言語教育に生かすには
7
5
は一定期間、同じ体験をして自然にお互いに尋ねあう。学校では一方的になりがちな聞き方が、海外
研修体験で様々な可能性を持つ。普段の「うなずき」を抑えるのではなく、それに加えて聞き手と話
し手がそれぞれ孤立しない聴解能力を養成できるのではないだろうか。
(2) 体験の報告と作文
−「書く」文化−
インターンシップや海外研修は、正課教育・正課外教育を問わず、多くの場合、学生たちの報告と
して紹介されている。報告書の体裁は、さまざまである。正課教育として実施されている東洋大学国
際地域学部国際観光学科のインターンシップ報告書25 は、6部構成(「要旨」、「キーワード」
、「はじ
めに」、「研修・文献調査」、「まとめ」、「参考・引用文献」
)で1人3000字程度書いている。その内容
も、「インターンシップのプログラム概要」を、「大学で学んだ内容」と関連付けながら説明し、職場
の体験としては、「職場の環境」、「具体的な業務内容」
、そこでの「対人コミュニケーション(苦情・
クレーム・思いやり・敬語・言葉遣いなど)」の体験が描かれ、最後に、「自己(自分の能力・意識・
就職・将来設計など)」について述べられ、締めくくられる、という一定の流れに沿っている。たし
かに「早朝起きるのがつらい」といった記載もあるが、体験を生々しく書くことはほとんどない。作
成に先立って、参加者たちはインターンシップ日誌をつけて提出することも義務付けられていて、個
人的な体験の記述はそこに偏るのであろう。
これに対して、留学・海外研修の報告は、多くの大学の国際交流センターの HP をはじめとして、
26
東洋大学経済学部で2002年度から実施し
インターンシップ報告よりもさらに広く公開されている。
ているヨーロッパ海外研修は、毎年報告集を発行している。この研修は正課外教育であり、単位には
27
結びつかないが、日誌をつけるよう義務付けられ、これらの日誌をもとにしたものである。
その88
人分、4年間の報告をみると、「プログラム概要」
、「研修参加が決まってからの研修仲間との出会い
と交流(事前学習的なもの)」を前置きに、現地での具体的なスケジュールに沿った行動の中で、う
れしかった、感動したという感情面での反応や体調の話が多い。語学力のなさや、これからの勉強に
ついて、という自分自身の問題で報告で締めくくるのはインターンシップ報告と同様である。
観光の接客業に従事するインターンシップでは、感動や気分は、自分の感情ではなく、人のために
感情をプロデュースする能力であり、仕事内容である。反省もまた、研修先の職場全体の反省であ
り、これも仕事内容である。このように常に課題に直面している自分自身の感情としては、不安・期
待・後悔・憬れ・緊張などの自己防衛的な気持ちも伝わってくる。否定的に捉えられた体験は、とも
24
椿由紀子、「コミュニケーション・ストラテジーとしての「聞き返し」教育」
、『日本語教育』1
4
7号、日本語
教育学会、2
0
1
0年、pp.
9
7−1
1
1.
25
『平成2
2年度インターンシップ実施報告書』
、東洋大学国際地域学部国際観光学科、監修:道畑美希、川澄厚
志、2
0
1
1年3月(8
8名)
。
26
東洋大学国際地域学部の海外研修は外国語教育委員会が発行した“TOYO TIMES”という英字新聞でも報告さ
れている。“TOYO TIMES”(Winter2
0
0
8−9及び Winter2
0
0
9−1
0)
、東洋大学国際地域学部。
27
『東洋大学経済学部ドイツ研修報告』
(2
0
0
3年度)及び『東洋大学経済学部欧州研修報告書』
(2
0
0
6年度、2
0
0
8
年度、2
0
1
0年度)
。
7
6
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
すれば背景に追いやられる。失敗をフォローしてくれた周囲に感謝が綴られても、失敗という評価の
軸はぶれない。これとちょうど反対に、海外研修報告に描かれる感情は外向的・開放的である。自文
化での意味づけの枠から離れ、言葉が通じなかった、道を間違えたという些細な失敗が、笑顔や親切
な人との出会いを生む。失敗したことで報告が書けるといっても過言ではない。
これらの報告書の中には、正課教育・正課外教育という仕切りによるアプローチの違いがある。海
外研修の報告には、文化の違いによって否定的な体験を肯定的に読み替える可能性が(もちろん逆も
あるが)開かれる。インターンシップでは、失敗をカバーしてもらった体験が肯定的に描かれている
が、何が失敗であるのか、という基準を初めて教わる厳粛さがある。体験報告という点では共通であ
るが、インターンシップ報告は定型に沿い、海外研修報告には省略か冗長という両極端がある。ただ
両方とも、体験終了後の一定の時期での公表、及びそれに合わせての作成という切迫した状況は共通
である。
体験を「書く」ことが、体験=イベントの記録保存や参考資料のためにではなく、
「話す」ことと
は別の性質を持ったコミュニケーションと捉えられるならば、体験を契機として、大学教育でどのよ
うに「書く」ことが可能だろうか。先に紹介したフィリピン研修後に、筆者は希望者に面接をして、
研修直後(9名)、半年後(8名)、1年∼1年半後(2名)に聞き取りを行った後に、その内容をも
とに作文を書いてもらった。その聞き取りでは、学生同士のインタビューの時と異なり、特に質問用
紙を用意しなかったが、1回目は、研修の思い出をいろいろ話してもらい、2回目は「海外への関心
はどのように生まれたのか」というテーマで、家族や学校時代の思い出を中心として、3回目は、研
修以降どのような学習や海外経験があったか、を中心に話してもらった。1回の会話に20分∼30分
要した。それらを録音し、その録音テープを持ち帰ってもらい、それを参考にしながら自由に書いて
もらった。形式は、特に指定しなかったために、質問と答えに分けて記述するか、まとめて論述する
か、いずれかになった。ここではその中で、A と B(いずれも男性)の聞き取り2回目の作文記録を
みる。A も B も研究協力に同程度に積極的だった。以下に示す表は、筆者のメモをもとに内容を項
28
目別に分類したものである。
これらのメモに対応する作文で A は、録音内容を忠実に再現しているだけではなく、より丁寧
に、記憶を再現して細部にわたって書いている(4
200字)。仮にこのような体験とその背景について
展開した話を書く書き方をエンドレス型と名付けられるだろう。書くことは、話したことの確認であ
り、さらに記憶を付け加えて、多くを伝えようとする。
B は、筆者とのインタビューを、質問と答えという形で記した。こちらは、筆者のとったメモより
もずっとわずかな分量しか書かれていない(1000字)。それにもかかわらず、たしかに B 本人にとっ
てのあるべき書き方で書かれた内容であると思われた。この書き方を、核心・実践・教訓型と呼ぶ。
こちらは、質問と答えの対立型で書かれ、できるだけ自分のメッセージを要点にまとめようとしてい
28
全文は http : //www2.
toyo.ac.jp/∼setsuko/に掲載した。
垣本:海外研修を言語教育に生かすには
研修の
思い出
A
B
食事に
ついて
―
情動の
体験
感動
―
7
7
家族や学校時代の
思い出
その後の海外
体験
中学時代に映画
「タ ー ミ ナ ル」を 見
て感動、中学からの
英語の成績は良かっ
た、英語を勉強した
かった
父 は Y、母 は N 出
身、都下に4人家族
で住む、テニスの選
手だった、小学生の
ときは算数が得意、
NPO 活 動 に 参 加 し
た
カンボジアの
子どもたちと
の交流、カン
ボジア人は日
本人に比べ文
化的な生活を
送っている
グローバル世界に対
応する言語として英
語・中国語が重要で
ある。
I 県に住む古くから
の農業の家柄、「何
かを得るためには何
かを犠牲にしなけれ
ばいけない」=積極
的に前へ進め、とい
う家訓
言語の学習について
―
今後のこと
フィリピンの
半年留学に応
募
フィリピンの
半年留学に応
募、海外でも
働き生活でき
る能力を身に
つけたい、政
治家になるこ
とを考えたこ
ともある
る。今日の大学で完成形として推奨されるのは、B の書き方に近いのではないだろうか。
A も B も英語を重視しているが、「文化」の見方は若干異なる。A はフィリピン研修後の次の休暇
でカンボジアへ行くが、カンボジアの方がより「文化的」であると感じる。それは、伝統の行事を大
切にするということもあるが、フィリピンに比べてカンボジアでは多くが現地の言葉でやり取りされ
ている様子からそのように感じたという。B も、海外へ行く目的は当地でなければそこの文化を知る
ことができないから、としている。しかし、B は文化と言語を切り離して考えているようだ。英語が
できれば「たくさんの国の人々とコミュニケーションできる」と主張し、グローバル化によって日本
社会の条件は変わり、英語を使用しなければ生き延びられないと感じている。文化に言語が含まれる
発想は希薄で、英語が文化をつなぐという発想である。そこでのコミュニケーションは、相手に通じ
るかどうかに内容の焦点を絞った核心・実践・教訓型となろう。
今日、大学で行われる言語活動の頂点に、研究成果のアウトプットとしての論文とそのプレゼン
テーションがある。つまり、大学で習得される書き言葉とは、成果として発表され、評価の対象とな
る言語である。「聞く」ことはその過程にあり、体験を書くことも同様である。「聞く」行為も、体験
することも、そのときの状況や対人コミュニケ―ションの産物だからである。聞きとったことと体験
を大学での成果とするためには、論理的な文章へと磨いていかなければならない。
一方、論理的な言語は、大学外の「世間」では攻撃的に映る。
「近代社会は、大雑把に言えば、声
が大きく論理的で理性的な人間が議論の主導権を握る社会で」あり、社会の中の対話を広げるには論
7
8
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
29
理的に話せない人の声をすくいあげなければならないという主張がある。
そもそも、識字という近
代社会の前提になったスキルが、教育の機会を与えられなかった人々や当該の社会に所属しない人々
30
の思考を抑圧するという議論もある。
けれども体験そのものの価値と論理性の持つ価値は、対極に
位置しなければならないのだろうか。論理的であること自体に価値があるのではなく、論理を用いて
到達した真実が、結果として心の平安や魂の救済を生んだと考えられないだろうか。他方、体験も偶
然の産物というだけではなく、それをコントロールする体験者の時間の中で論理性や必然性を獲得し
ていくのではないか。
聞く文化が対人関係の影響下にあるのに対して、書くことは古来、司法や商売での対立的な人間関
係を秩序付ける社会の機能として存在した。けれども、社会の中で識字が一般的になって以来、手紙
から最近のメールのやり取りにいたるまで文字の文化も存在している。大学生が海外研修で異文化を
体験することは、日常での「聞く」ことと「書く」ことの意味を問う機会となるだろう。そこで問わ
れるのは結果や成果としての言語ではなく、異文化のコミュニケーションを生む「間」の言語であ
る。言語の中の文化とは、集団の価値を「間」で生かし続ける営みともいえるであろう。
29
30
加藤哲夫、『市民の日本語―NPO の可能性とコミュニケーション』
、ひつじ書房、2
0
0
5年、p.
5.
菊池久一、『
〈識字〉の構造 −思考を抑圧する文字文化』
、勁草書房、1
9
9
5年。
垣本:海外研修を言語教育に生かすには
7
9
8
0
東洋大学人間科学総合研究所紀要
第1
4号(2
0
1
2)
The Bulletin of the Institute of Human Sciences, Toyo University, No.14
8
1
Utilizing study abroad for language learning :
―Rethinking culture and language―
Setsuko KAKIMOTO*
Today, more and more study abroad programs are featured in the extra-curriculum and regular programs of many universities around the world. One problem is how to combine experiential study, which predominates in extra-curricular programs, with theoretical, systematic study,
which plays a main part in many regular curricula. Another problem is how to deal with intercultural experiences during study abroad while learning a foreign language. According to a
survey on intercultural understanding and foreign language education among 1213 first and
second year students at Toyo University in 2010, 86% of the students who rated their own foreign language abilities as “high” tended to show interest in study abroad. But they tended to
show less confidence in their listening and writing abilities than in their speaking and reading
skills. The author maintains that listening attitudes are culturally influenced, and that Japanese
students should utilize study abroad not only to converse with foreigners, but also to conduct
research interviews with peers to enhance their communication skills. In many study abroad
programs, students are required to write about their experiences in a published report. The
author maintains that they should also be encouraged to write in a way that combines their
emotional experiences with logical expressions, and reflect in depth on their experiences.
Keywords: study abroad, extra-curricular education, intercultural understanding, daily communication skills, foreign language education
* A professor in the Faculty of Regional Development Studies, and a member of the Institute of Human Sciences at Toyo
University
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