Comments
Description
Transcript
本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title 寄せては返す海 : 絵画 III (ギャラリー新羅 2000) Author(s) 井川, 惺亮 Citation 長崎大学教育学部紀要. 人文科学. vol.62, p.29-44; 2001 Issue Date 2001-03-25 URL http://hdl.handle.net/10069/5788 Right This document is downloaded at: 2017-03-30T23:00:02Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp N0. 62,2 9-4 4( 2 0 01 .3) 長崎 大学 教 育学 部紀 要 一人文 科学 - 寄せ て は返す海 :絵画 Ⅲ ( ギャラ T )一新蘇 川 井 2 0 0 0 ) 憧 亮 Lev ae tv i e n tt r a n q u i l l ed el ame rs u rl er i v a g e: Mo mt r a v a i lⅢ ( Gal e r i eSHI LLA 2 0 0 0 ) Se i r yoI KAWA 韓国.初個展 までの道の り 企画個展 に よる話 が海外 か らの依頼 となる と,め ったにない。かつて留学 した フランス ではあ るにはあ ったが,国際化 と言 われて久 しいアジアの地域 では,ほ とん どない。先号 で も触 れた ように昨年夏,中国で初めて実現 したばか りである。 続 いて,私 に とっては, 日韓交流 の実績 として大学 間の国際交流や グループ展で積極的 に携 わって来 たが, ようや く今春 ,韓国での個展が実現す ることとなった。 実 は,慶北大学校 芸術大学 との 日韓交流美術展 は,大学 間交流が主役 であ り, ここでは 文化 ( 芸術 ) における研究及び教育の交流,そ して,その ことによる地域文化への波及 を 期待 し,教員 は もちろんの こと,特 に,学生 とい う若者が舞台であ り,それゆえ私 は個 人 プ レイ ( 特 に個展) を極力控 えめ に して きた。 もともと, この国際交流 は, まず,美術科 か らス ター トした。続 いて音楽科 も加 わ り, 1 年 には国際学術交流協定締結 となった。今では短期交換派遣留学坐 交流の輪 は広が り,9 制度が発足 し,お互 いが出向 き,軌道 に乗 って きた し, また,授業料不徴収や単位互換 と な り留学生 に とっては朗報 となった。 0年 もの歳 月続 いて きた。 こ う した長 これ まで, 2年 に 1回,交互 に往来 しての交流が 1 年継続 して きた国際交流展 に対 して何 が しかの評価があって しかるべ きだろうが何 もない。 だか らと言 うわけで もないが, 2年前 よ り,両校 とも美術展 を しば ら く取 りやめ とな り現 在 に至 っている。 私 は今 の時代 こそ グローバ ルな視野 に立 たなければな らない時期 なの に とて も残念 に思 う。 それな らば, とに角,私一人で もや らねば と。 その ような悩 み を抱 いていた頃,つ ま り9 8年秋,韓国か らパ リ美術学校で留学 していた 朴錘圭氏 が,本学 の交換留学生 を訪 ねて長崎 に来 た。彼 は私 の顔 を見 るやいなや, 「あ な 3年,パ リ美術学校 の招碑教授 と して見 え,VI ALLAT教授 と一緒 に授業 を担 当 され たは9 てい ま したね。私 もそ この学生 で した」 と切 り出 して きた。本当 にこれは奇遇であった。 Gal l e ry この こ とが縁 で,留 学 生 の李 男美 さん とと もに大邸市 にあ るギ ャラ リー新羅 ( SHI LLA) に私の作 品 を紹介 したそ うで, オーナーの李光鏑氏 の 目に留 ま り,拙展 の企画 が持 ちあが った。 3 8 井 川 憧 亮 以上の ような悩 み と偶然の出会い によって,私 は,た とえ,個人的な活動 となろ うとも 韓国 との交流が これか らも続 け られれば良い とい う思しリこ至 った。 この ような経緯の結果, これ まで控 えて きた個展 を開始す る決心がついた。 韓国では初個展 となるが,8 8年 2月初渡韓 して以来,実 に1 3年 目の話 となった。お りし ち,大学改革の骨子 には,国際貢献や地域貢献が詣 われたばか りだ。 ようや く私 たちが し て きた国際交流が大学人の常識 となった感がある。 だか らこそ, これ まで交流 して きた実 績の積み重ね をこれか らも小規模 なが らも個人的 (1研究室)で も,何 よ りも美術 を通 し て,貧 しくて も少 しで も大学 に貢献 出来 るように努力 し, この ことがやがて,平和 に も役 に立つ ようになれば と願 う。 日本流のす 亡しさか ら 君 だけ じゃない よ。 遠慮がちに 「 私 は忙 しいのですが -」と言 うと,誰 もか も決 まって 「 俺 なんか秒読みの忙 しさだ !」 とオウム返 しに言 われる始末。つ まる ところ, 日本全 国の 皆 さんは骨 ,忙 しい時 を刻 んで生 きてお られる。 この ような忙 しさでは,到底,ゆ とりや 豊か さな ど見出 されず,結局の ところ,芸術 的な鑑賞等 をす る時間な ど生 まれるはずが な い し, また,本当に文化的に大丈夫 かな と心配 を して しまう。 しか し,か く言 う私 も毎 日 が忙 しいので,その部類 の人間 となって しまっている。 確かにこの国の忙 しさは,膨大 なエ ネルギーの消費 とリサ イクルで きない もの を大量 に 破局的に生産 している現代文明の忙 しさに似 ていて,異常ではないだろうか とさえ思 える。 もっともっと文化的に楽 しめる時間 を作 り自然 を大事 に しなが ら,オリジナ リテ ィを持 っ た生活 を送 るべ きだろう。 中国か ら来 た留学生が,「日本人はペ ースが速す ぎて,びっ く りす る !」と言 う。 それか らフランス人の友人たちを見 る と,夏のバ カ ンス となれば, 3 ケ月 も田舎の別荘で悠 々 と, 自然 を満喫 しなが ら自分の時 を過 ご している。 私 たち 日本人は,す ぐ欧米の作家 たちのス タイル ( 作風),モー ド ( 流行 )やその他 カ メラ ・ビデオな どの科学器具等 を真似 る歴史や癖 があ り現在 までに脈 々 と受 け継がれて き た。けれ ども,バ カンスの過 ご し方 については,これ までに一般庶民が真似 ることがなかっ たのでは と思 う。 かつて,私 も試みたことがあるが, この国の特有の忙 しさか ら私の よう な者 まで逃れることが出来ず,いつの間にか従来通 り■ の,精神 的に も経済的にも貧 しさを 背負 った生活 に戻 って,元の黙阿弥 となって しまった。 十 亡しさの中の芸術活動 私 は忙 しさを縫 いなが らも, この ような状況だか らこそ,制作 を続 ける必然性 を見 出す と共 に,生 きている証 をモチーフ化 し連続的な時 間の うちに制作 とい う行為 に,はまって いる。 それは傍 か ら見れば,全 く売れ もしない作品 を作 り続 けているのは非生産的であ り, 無茶苦茶 な人生 を歩んでいるように, また,余裕 のある方か らは,賛沢 な時 を過 ご してい る人間 とも見 られるか もしれない。 3月後半 に予定 されているギ ャラリー新羅での個展 までのスケジュールは,息が出来 な い くらい立て込 んでいた。賀状 による と,JACCARD先生か ら "1月末 ごろフラ ンス よ り東京 に来 日する' 'との連絡があった。 また, 1月下旬お茶の水画廊で個展が始 まった頃, VI ALLAT先生が 2月 1 1日に講演 会 を緊急 に行 うことに 東京都現代 美術館 か ら画廊 に, " 寄せては適す海 :絵画 Ⅲ 3 9 なった" との連絡後 ,VI ALLAT先生 か らもその 旨の手紙が舞 い込 んだ。先生方 との再 会 註 1) で上京 を 3度 も繰 り返 した。 ( それか ら 3月末 に至 るまで,数回に渡 る大学の入試の監督等で,緊張感攻めであった し, 1月始め頃,沖縄県立芸術大学か ら "2月か 3月上旬か に是非 ,集 中講義 で来 て欲 しい" と連絡が入 った。 無理 な 日程 であ り組め るはずが ない。それで もやむ を得ず 3月上旬 に し た。一万 , 1年前か ら予定 していた先述 の,ギ ャラ リー新羅 の 日程の始 ま りが, うっか り していて後期 日程入試 と重 なっていたことに気づ いた。す ぐさま,ギ ャラ リー新羅 に開催 日程 を少 し後 にず らせ て もらうように,その依頼 をFAXにて送信 した。 ギ ャラリーの オー ナーの李氏か ら折 り返 し返事があ り,有難 い ことに 1週 間延 ば して くれ ることとなった。 いず れにせ よ,ギ ャラ リー新羅 での作 品発表 の準備 の前 に, まず,お茶 の水画廊 での作 品発表 と沖縄県芸の集 中講義実施 をこなす ことだった。そ して, これ らの成果や流れ をこ のギ ャラ リー新羅での大 きな空 間に,いか に活用で きるか だった。 何 しろ, 1月は逝ぬ る, 2月は逃げる, 3月は去 る と言 われるように,時の流れは速かっ た。 実際,私 は時 に振 りまわ され,真夜 中にふ と目が覚めて眠れず,ふ と,かの病草子絵 巻物 の登場 人物 な どが思 い出 されて しまうのだった。 ギ ャラ リー新羅 の個展 か ら, その 1 講演会 3月1 7日∼31日まで韓国大邸市 にあ るギ ャラリー新羅 に よる企画個展 ( 写真⑰ )で得 ら れた ことを幾つか挙 げてみ よう。 1つは, オー プニ ングセ レモニーに先駆 けて講演会が企 画 されていた ことだ。発想 とし 200人収容 )で午後 2 てなか なかのア イデアであ る と思 う。 大邸市文化 会館 国際会議場 ( 時 よ り開始 なので,準備 のため早 目に出向 く。 同館 で昼食後,講演会場 の準備 に添 って合 わせ る。 開始時間少 し前 になったが, まだ観客 は まば らなの を見 て 「日本で もこんな もん 0分過 ぎて 「 後 ,少 々待 って くだ さ だか ら,似 た り寄 った りだ」 と思 っていた ら,定刻時 1 い」 とアナ ウ ンスがあ った。学生風 の若者が次 か ら次- と席 を埋 めて行 くではないか。 こ れ には驚いた。やがて,満席 となった。 ( 写真⑳ ) 講演 タイ トルは "地域 に根差 した美術 (自作 を語 る)' 'で,スライ ドを上映 しなが ら, 主 として 自作 の進展及 び自作 と地域 との関連性 を結 びつ けなが ら展 開 した ことを語 った。 この内容 については紙面の関係 で省略す る。 2つは,民 間のギ ャラリーにおいて, これ まで個展 を して きたギ ャラ リースペ ースでは 。「韓 国-で しょう 最大 であ った こ と 。 また,東京 か ら評論 家が見 えて東京 に もない大 き さだ と言 ってい た」 とギ ャラ リー関係者が話す ほ どで,天井高 さが 4メー トルあ ま り,そ して, 2会場 につ なが ってい る。 お まけに,ギ ャラ リー玄関前 は駐車場 になっていて,野 外 に も作 品展示可能である。 ( 写真⑪ ) 3つは,私 自身の作 品発表 において,ギ ャラ リー空 間 を生かす 間の取 り方が発揮 で きた ように思 う。 特 に,内の空 間 と外 の空間 との関係が これ まで にな く思 いの他表現 出来 たの で, これについては後で報告 しよう。 4つは,当ギ ャラ リー ( オーナー李氏 )は,東京 にあ る真木 ・田村画廊 同様 に若い作家 たちの実験 的 な表現 の場,鑑賞の場 として徹 していたこ とである。 5つは, 4とも関連 して,学生風 の若者が圧倒 的 に来場 して きて,デ ィス カ ッシ ョンや 4 0 井 川 憧 亮 作品説明等が 日本 よ りも活発 に行 われた ことも特筆すべ きことだ。 ( 写真⑮) 6つは,極めて個人的だが,長崎大学で学 んだ慶北大学校生が通訳や手伝 い等で支援 し て くれたことである。 お互いの交換留学生が 日韓の言語 をマス ター していたので,大助 か りであった。 その 2 展示開始 大邸の 3月下旬 の気候 は, 日中は長崎 とあ ま り大差が ないが,夜 ともなる と,が く-ん と冷 えるので,身体 にも響いて気分 もす ぐれず,頭の回転が鈍 くなる。 展示作業 はマ ウン ドの ピッチ ャーの ようなコンデ ィシ ョンを要求 される。 投手 は気 ま ぐれであってはいけな い。精神的な もの との,あるいは, 自分 自身 との闘いになって くる。 芸術家はそ うでなけ れば良い ものが出来 ないが,実の ところ,その反面,私 などはいつ も気分屋 なのだ。 展示期 間は, 3日間かけた。最初の 日は第 2会場,す なわち,奥のギ ャラリーの床 を実 測 し, 1メー トル正方形 に分割 しなが ら床 にたこ糸で固定 して行 く作業 を行 う。その後, 図面上 の分割 と床面の分割 とを合 わせ なが ら渦巻 きを設置す る当た りを床 面 に付 ける。 ( 写真⑳ )その渦巻 きの位置 を決め,それ を起点 に天井か ら垂直 に分銅 を降ろ し,天井の 位置 を一致 させ ることで天井の固定す る位置 を決定 して行 く。 その決定 した ところか ら渦巻 く作品 を天井か ら吊 り下 げてい くが, ここでは,天井 に掛 けてあるライテ ィングレールの四角い桟が少 し下が って きている。 これに対 して作 品の稜 線が大 き過 ぎ, レールに引 っ掛か り展示が うま くいかない箇所が出て きた。そのため,そ の ような場では,作品の稜線の高 さとレール とがすんな りとかみ合 うようにせねばならず, その調整 で時間がかかって しまった。それか ら飾 り付 け最 中に,報道関係が来場 し,その インターヴューを受 けた りもした。 ( 註 2) 渦巻 きの内側か ら,つ ま り,分節 している作 品No9,No8-No5 ( 渦巻 き外側 よ り,NQ lか らふ って今 回はNQ9までの作 品 となる) まで を吊るす ところで閉館 の時間が きた. その 3 絵画の現在進行形の例 前 日の設営作業では,平面図で言 えば,床 の中心部か ら渦巻 き状 の ラインに沿 ってNQ9 か らN05までたこ糸で引いた ところの作業 までだった。つ ま り,それ を基 に して作 品 を吊 り下げた. 2日目はその続 きと して,NQ4-NQlまで作品 を吊 り下げた。最後のNQ2と 1 はライテ ィングレール との兼ね合いで,当初の予定 よ りも設営場所 を大幅 にず らせ た りし て作品設営 の調整 を した. このず らせ た りする一連のイ ンス タレーシ ョンにおける作業の 中にも,かねてか ら私が実践 し続 けている絵画の現在進行性 が流れている。 絵画の現在進行形 は,私の場合,ある一定の論理の流れ とその積み重ね を必要 とす る。 つ ま り,同一テーマで一貫性のある連続 した制作 の上 に成立す る し,同時 にイ ンス タレー シ ョンの行為 と相侯 って,そのプロセスの進行 その もの を言 う。 芸術家 はいろいろな タイプがいるが,往 々に して気 ま ぐれ屋が多い。 だか らある 日,あ る時,突然変異的発想 を基 に制作 を し, とてつ もない傑作 を作 り上げることがあるが,そ れで も,作家 自身の中に絶 え間ない 自己のテーマ に遇進 し続 けなければ,突発的に芸術 的 なアイデ ィアな どは生 まれない。やむにや まれない内部の葛藤や,あるいは, 自己観察や それを超 えた淡 々 としたあるが ままの 自己の姿 を知 り続 ける行為 こそ,何が しかの表現 の 寄せては返す海 :絵画 Ⅲ 4 1 新 しさを,杏,新 し くな くて もいい,あるが ままに提示す る ことによって,つ ま り,その プロセス を部分拡大 している者 こそ,あ る種 の明快 な表現 を獲得 し,結果 として芸術表現 としての提 示が可能 となる。 その 4 ニ ュー トラルな内 と外 このギ ャラ リーの魅力 の一つは, アールデ コ建築様式の ようにカーブ した壁面が大 き く ある こ とだ。 ( 写真( 豆) 珍) この カーブは内側 に来 て初 めて認識 出来 る壁 だ。 そ して,外庭 に出る とカーブ してい ることを改めて認識す る こ ととなった。 日本 の家屋 ・住居 の構造で もっ とも日本的空 間の場 と言 われる ところは,一つ には,縁 側 と板戸 ・障子であ り,生活習慣 的 に我 々は身 に染み込 んでいる。 縁側 は外 にあ る場合 も あるが,私 の実家 は板戸 の内側 に設 け られて,続 いて障子が取 り付 け られ座敷や居 間 と奥 まってい く。 昼 間は,板戸 は開け られて縁側 は開放 されて外 になって くる。 夏の暑 い時 な どは, よ く縁側 の板 の上で ごろ りと横 にな り,涼 しさを感 じ取 っていた ものだ。夜 ともな れば板戸 は閉め られて,それ まで外側 の機能 を果 た していたが内側 になる。 そ して,特 に 使用 され る場 でな くただの空間で収 まっている。 こうして見 る と縁側 は外 で も内で もない 場 ・空 間 となるが,私 たち 日本人 に とっては大切 な場であ った。縁側 で くつ ろいだ り,近 所 の人 とち ょっ としたお茶 のみ場所 になって,いわば, コ ミュニケーシ ョンの場 で もあ っ た。あ ま りか しこまらず,それでいて,季節 の哀歌が漂 い,隣近所 の様子 も伺 い得 る こと が出来 た。以上の ようなことをふ と思 い出 しなが ら, この縁側 の持つニ ュー トラル さを, この カーブ した場 ・空 間に対 して生 か してみたい と思 うようになった。 渡韓す る前 には,設営 として この カーブを,壁全面的 に着彩 した紐 で張 り巡 らす こ とに していた し,設営 当初 もそれ をす るつ もりでい たが, ここに来て縁側 的 な発想 を取 り入れ るこ とに した。そ こで,ギ ャラリー内では,ロープ ( 着彩 した紐) を一直線 に して横 に引 っ 張 り, 1 8本 を縦 に並べ た。 ( 写真( 紳 ⑲) そ して, カーブ した外壁面 には ロープ27本 をさ りげな く取 り付 けた。昼 間の風 が吹いてそれ らが揺 れる。つ ま り,内で はテ ンシ ョンが極 限に達す る ように ( 註 3),外では,垂 れ流す ように して,両者の対比 を計 る。 そ こには, 音的 な もの を同時 に感 じるだろ う。 ( 写真⑪ ) 更 に, ロープの張 ったカーブの内側 に身 を寄せ て ( 飛 び込 んで)み る。そ こか らロープ 越 しに向かいの作 品や空間 を見 る と全 く印象や見 え方が違 って くる。 ( 写真( 至壌 ⑮ ) また, 外の ロープに も同様 で入 った り出た りす る参加型 の美術 を提唱 していて,インス タレーシ ョ ン作 品 には全てにこれ らが導入 されている。 こうす ることに よって, カーブを持つ壁 とその周辺 ( 場 ・空間) をクローズア ップさせ, ここに もキ ャンバスの持つ,布 と木枠の関係 を保持 させているの と同 じ論理 に高め,土ユー 註 4) トラルな場 ・空間 を演 出す ることで絵画の作 品である と私 は述べ るこ とが出来 る。 ( その 5 イ ンス タ レー ション-エスパ ース ・マチエール 次 に, この カーブ した壁 と同 じ場所で後残 りの展示空 間は, どの ようなセ ッテ ィングを 行 うかである。奥 のギ ャラリーでは渦巻 き作 品がギ ャラ リー全体 に飽和状態 に設営 したた め, こち らのギ ャラ リーでは,余 白の空間 を存分 に生か した く思 う。 まず,入 り口に近い ところに作 品 を天井か ら吊るす ことに した。 ( 写真( ら) この作 品は, 42 井 川 慢 亮 奥 にある渦巻 き上の作 品の一番正面 に見 える作 品No6(1)( 写真⑫ 右手前)の余剰 として 「 木 っ端」 と学生たちは言 う)である。 それ を逆 さまに して展示す る。 残 された もの (2)( ( 註 5) 観察者は天地逆 さま状況 になるが,実際 には展示 その ものが床 と天井が逆 さまに な らないか ら,当然のご とく見ていることになるわけだ。つ ま り, インス タレーシ ョンの 思考 を逆転 したことで,空間の見 え方,観察者の歩 き方 に変化 をもた らす ことになる。 写真( ∋) に も片割 れ作 品 (3) ( 写真( 参中央,( 王Xを) を予め作 続 いて, この作品 (2)( ( 写真③ 右) を作 っていたO これ らの一連の り,更 にその片割れか らもう一つの作 品 (4) 片割れ作品 (2, 3, 4) については,私 はこれ まであ ま り絵作 りや構成 を出来 るだけ避 けて来たが,学生たちが 「 木 っ端」,「 木 っ端」 と云 うものだか ら,木 っ端 にな らない よう に意地 を張 って ?再構築 してみせ た。 これ らの片割れ作品作 りは,かつて,絵作 りや構成 で苦労 した もの とははるかに違 って,線 ・面 ( 色)の カ ッテ ィング (ドロー イング)の楽 しみ とその偶然性の形態,つ ま り,捨 てるか,捨 てないかの決断 に迫 られる ところに線 ・ 面 と形 による絵 画の奥ゆか しさが出て くる。 これ (3) を向かい側,す なわち,入 り口 よ り見て正面の壁面の右側 に,最後の片割れ (4) をその向かいに右 に設営 し,最初の片割 れ (2) と直線 的に結ぶ。 展示作 品の本体か ら振 り分かれて,別の空間に設営 し,その分 身か ら更 に 2つの振 り分 け作品が向かい合 うように展示 し,それ らが同時 に見 えるように仕掛 ける。 (2と 3)( 写 写真( 宣X 参),見 る とい う行為か ら身体 ごと絵 の 中- と進入 し,そ こか 真QXg), (2と 4)( らエスパース ・マチエール ( 絵画の空間的マチエール) を楽 しんで もらお う。 その 6 オブジェ作品の取 り付 け,そ して,オブジェ ? 入 り口側のギ ャラリーは,着彩 したロープ作品,片割れ作品の インス タレーシ ョンを行 写真① ∼⑲ い,続 いて,残 る 3両 の垂直面の壁 にオブジェを取 り付 けることになった。 ( ㊨ ) この際,敢 えてインスタレーシ ョンと言 わず に取 り付 ける と言 うのは,壁面 に直接飾 るか らであろう。 また,例 えば,差 し込み ソケ ッ トを壁 に取 り付 ける場合は,機能的 に配 線都合上 によ り固定 して しまうが,オブジェの場合 は流動的な固定であ りなが ら,で も最 終的に決定 して しまえば, ソケ ッ トと同 じであるか らであろう。 ところで,オブジェとは何か。今の時代 ともなれば,その言葉 もワークシ ョップと同様, 中身を問わない本当に,なんで もかんで もの ワークシ ョップが溢れて しまっているように, 本来の定義が今や出来 に くくなって きた。そ こで,現時点での私 の解釈 を述べ る と,オブ ジェとは端的 に言 うと,物体 とか,対象 とかで使 うが, どう して もデュシャンの レデ ィメ イ ドを想起 して しまう。私の仕事でのオブジェも, もちろん, レデ ィメイ ドであ りなが ら, 機能 しな くなった廃品物 ( ある品詞名詞の品物であ ったが途中で壊 された り,文節 され切 れた物),あるいは, 自然物 な どの枯 れ木,流木,石等 な どを指 している。 これ らも取捨 選択の決断 に迫 られる。 これ まで私が オブジェとして使用 して きた物 は, もともと木枠作 りの時の切 り捨 て られた部分 ( 木枠 の分身等)か らであ り,次第に合板の残 り物 ( 不用物), 布切れ ( 不用物),級,紙残 り ( 不用物),新開広告 ( 写真等),捨 て られた筆 ・ペ インテ ィ ングナイ フ,枯 れ木,流木 , テー ブル ・椅子 ( 木製),捨 て られた農具 ,菓子作 り道具 ( 木製), ラケ ッ ト ( 木製),ハマ グリ,サザエの蓋,た こ糸,最近では,科学者 たちの実 験道具 ( 主 に木製)等が順 を追 って, これ らのガラクタを書 き並べ ることが出来 る。 寄せては返す海 :絵画 Ⅲ 4 3 今 回使 用 したオブ ジェは,生化学者等 が使 用 して きた実験 道具 で,遠心分離機 器具 ・試 験 管立 ての部分 の物 ( 何 れ も木製)であ る。 これ らには木 ネジが付 いていて,新春 のお茶 の水 画廊 で初 め て発 表 した。 この よ うな オブ ジ ェ作 品 を見 た恩 師Ch r i s t i anJACCARD 先生 か ら 「この作 品が欲 しい / 」と言 われ たほ どであ る。 現在 で はそれ ら木製 の器具 は時 代物 とな り,新 しくて便利 の良 く,場所 を取 らない器具 に変容 し,即 ,それが使 い捨 て用 器 具 となって しまった と聞 く。 それゆ え,最早, この種 の木製器具 は見 出せ ないだろ う。 ( 写真⑭ ) 終 りない設営 へ 3日目の設営 は, カー プ した壁面 に円盤状 の オブ ジェを取 り付 ける。 その前 面 には着色 された ロー プが水平 に,肩 よ りやや低 い ところか ら両腕 を挙 げた高 さの範 囲の 中で張 り巡 ら してい るので,離 れて見 る と楽譜 の ように見 えて くる。 ( 写真( む) 残 り奥 の ギ ャラ リーの壁面 に も和紙 や着色 された ロープ 9本 に分銅 を吊る した りした。 ( 写真⑱ ) 渦巻 き作 品単独 で も充分 であ るが ,渦巻 きの 中か ら織 り成 す渦巻 きの色壁 を通 り越 して,壁面 に少 し飾 られて い る作 品 と響応 して くるか ら不思議 であ る。 ( 写真⑬ ) こ の少 しと言 うところに も抑 制が効 いて,初心 ( 表面) に戻 り,その決定 は常 に 1回性 で終 わる。 それでいて,それ をア ドリブ ( 予定 の変更) に終始 しなが ら,繰 り返す設営 は寄せ ては返す海 の ように終 わ りが ない。 ここにイ ンス タレー シ ョンの醍醐味 が 出 る。 続 いて,玄 関入 り口の正面壁面 には龍 の ように天 に昇 る ような細長 い作 品 を配置 した後 , 外庭 に出 る。 レンガの外 壁 がギ ャラ リー全体 を包 んでいて, オ レンジ調 に見 える。 カーブ した外壁面 か ら奥 の ギ ャラ リーの外壁面 にか けて着色 した ロー プ を吊るす。 その下 には松 の植栽が あ り,地上 には大 きな臭魚 の眼鏡作 品が設置 されてい る。 ( 写真⑪ ) これ らのバ ラ ンス を計 りなが ら両 ギ ャラ リー を結 ぶ ように設営 す る。 この時の緊張感 は クライマ ック スに達す る。で も,一方 で は気 ま ぐれであ り, だ ら しな くロー プをたわ したい とい う衝動 に駆 られ る。 繰 り返す が,内で は,楽譜や川の流 れの音が,外 で は, この垂 れ下が った ロープが揺 れ て風 が流 れ る。 私が遠慮 気味 に設営 した ロー プにオーナーの李氏 ( 写真⑱ ) か ら 「もっ と 大 き く広 げ る ように」 ア ドバ イスが入 った。 私 はロープの紐 の ように大 き く背伸 び を した。 吉 主 9日∼3月3 0日 0̀ 0)東京都現代美術館での開催の ( 註 1)シュポール/シュルプアスの時代 (1月2 ため,Ch r i s t i a nJ ACCARD先生 と美術評論家 前野寿邦氏 とが一緒に 1月終わ りごろ,ま た,同館の講演会にC l a u d eVI ALLAT先生ご夫妻が 2月1 0日に相次いで来日され,再会を した。 ( 註 2)韓国 ・毎 日新聞 3月1 6日 ' 0 0 付 取材記事 ` 井̀川憧亮展 ギャラリー新羅,展示場いっぱい紙 渦巻き 昔の記憶を探 しに行 くペインティングと設置' ',他 3社取材。 ( 註 3)一直線の着色 したロープを見た来客の若者は 「 電流がスピー ドをあげて流れているように 見える」 と言っていた。 ( 註 4)絵画作品であることの証明については,別に項を設けて論 じたい。ここでは,色を使ってい ること, ドローイングとしてカッティングをしていること等が挙げられるし,また,キャン , 4 4 井 川 憧 亮 バスの原点 に戻 った時,布 と木枠 との関係 によ り私の絵画が展開 し,やがて,キャンバスの 内 と外の空間にまで取 り組 むこととな り, インス タレー シ ョンへ と向かった。 ( 註 5)昨秋,羅州の国際展で初めて試みた.個展では初春,お茶の水画廊 で本格的 にその インス タ レーシ ョンをした。 尚,今回,個展 を企画 して くださった,特 にギ ャラリー新羅のオーナー 李 光鏑 社長棟,そ して, 大邸現代美術家協会 と同会貞の皆様, また,拙者 を同ギ ャラリーに紹介 して くれた 李 男美 さん,朴 錘圭氏 に深射 します。それか ら,通訳の 金 信希 さん, また,世話 を して くれた 雀 栄均君,慮 根 妊 さん,川田 剛君 ( 通訳兼ねる),守屋 聴君 にも感謝 します。