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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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<資料・研究ノート>スカルノの研究 : パンチャ・シラ成
立の過程
土屋, 健治
東南アジア研究 (1971), 8(4): 566-579
1971-03
http://hdl.handle.net/2433/55641
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
8巻 4号 1
9
71
年 3月
東南 アジア研究
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本 稿 は , ス カ ル ノに お い て パ ン チ ャ ・シ ラが 成 立 す る過 程 を 検 討 す る。 ス カ ル ノ の 研 究 に つ
い て は す で に 内 外 で い くつ か の 研 究 論 文 , 著 作 が で て い る 1
)が , そ れ らに つ い て は 後 に 触 れ る
こ とに し , 本 稿 で は と くに , ベ ル ン - ル ド ・ダ ー ム の ス カ ル ノ研 究 を と り上 げ , これ を 検 討 し
つ つ , ス カ ル ノ研 究 の 基 軸 に つ い て 試 論 的 な 考 察 を こ こ ろ み た ,
*東京大学大学 院 (
社会学 研究科)
1) ス カル ノ研究 の うち 主 な ものをあげ る と, 外国では スカル /の 独立後の政治過程 を 扱 った もの として
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やは り,独立後 のスカル ノについて,
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現代 イ ン ドネシア史 の研究方法を確立す る中で, スカル ノの評価 を位 置づけた もの として,
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2.等があげ
られ る
イ ン ドネシアでは,多 くの スカル ノ評論が出 され てい るが, スカル ノの略史 として,
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29.があげ られ る。 独立前にかかれた もので, スカル ノ- の評価を含む民族措導者 の もの として次
の ものがあげ られ る。
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次 ページ-つづ く)
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.うル ノ の 研 究
Ⅰ ワ ヤ ン伝 統 と デ サ ・エ トス
1. ベ ル ン - ル ド ・ダ ー ムに よ る ス カル ノ研 究
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年 に西
ドイ ツで 出 阪 され た , ベ ル ン- ル ド ・ダ - ムの 『ス カル ノ-
の た め の 闘争 :ア ジ ア的 民 族 主 義 者 の 形 成 過 程 とそ の思 想 -
』2) は ,
イ ン ドネ シ ア独 立
イ ン ドネ シ ア民 族指 導
者 に つ い て の , 最 初 の本 格 的 な個 別 研 究 で あ る。従 来 の イ ン ドネ シ ア研 究 者 が ス カル ノを 評 価
す る際 に , 例 え ば ケ ー ヒソ の よ うに , これ を 「西 欧 的 諸 思 想 とイ ス ラ ム的 思 想 と, ヒン ズ ー的
ジ ャ ワ的 な 共 同体 的神 秘 的諸 思 想 との統 合 者 」 3) と と らえ, あ るい は ベ ン ダの よ うに 「"世 俗
的 = 民 族 主 義 者 の代 弁 者 」 4) と と らえ て , もっ ぱ らス カル ノを政 治 的 な 力学 の 観 点 か ら評価 し
て きた の に対 し, ダ ー ムは , 社 会 心 理 学 的 ア プ ロー チ で ス カル ノに 迫 り, これ を , イ ン ドネ シ
ア, な か んず くジ ャ ワ伝 統 文 化 の , 文 化 土 壌 の 内 に あ る救 世 思 想 (英 雄 待 望 論 , 至 福 千 年 論 ,
勧善 懲 悪 主 義 ) の枠 組 で と らえ直 した { そ の場 合 , ダ - ムが , と りわ け理 論 枠 組 と し て用 い た
ang) で あ る「 ダ ー ムの 『ス カル ノ研 究 』 の主 旋
の は , ジ ャ ワの伝 統 的 影 絵 劇 (ワヤ ン -W aj
律 を な して い るの は , ス カル ノが ,一 貫 して ジ ャ ワ民 衆 に よっ て ワヤ ン英 雄 物 語 中 の主 人 公 た
ち に なぞ らえ られ , ス カル ノ も また , 自 らを これ に なぞ らえ て い た とい う こ とで あ ろ うっ ダ ー
ムに よれ ば , ス カル ノが 民 族 運 動 の 渦 中 に身 を投 じて よ り独 立 宣 言 を行 な う まで,一 貫 して ス
カル ノを貫 くの は , ・こ こ」 (イ ン ドネ シ ア) と 「あ そ こ」 (オ ラン ダ) の二 者 間 の絶 対 的 背 離
の信 念 で あ り, ダ ー ム は , 「こ こ」 の 団 結 と統 一 の 強 化 , 両 陣 営 問 の 昔 離 の 尖 鋭 化 , とい う
Pen(
ほWま) 王 国 と ク ウ ロオ (
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ス カル ノの主 張 を , ワヤ ン物 語 車 の プ ソ ドオ (
の対 立 に要 れ 合 わ せ て い る( ダ ー ムは , この主 旋 律 の 上 に 精 微 な実 証 研 究 を つ み重 ね , ほ ぼ 次
(前ページよりつづ く)
独立後のもの としては,
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64.な どがあげ られ
る。
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郎 『スカル ノ嵐の中を行 く』朝 日新聞社,19
66.がスカルノの生い立 ちから 「
9.
30事 件 」に至
るまでを播いている。独立後のスカル ノ政治過程に触れた もの としてほ,
岸 孝一 『スカル ノ体制の基本構造』 アジア経済研究所 ,1
967.がある。また,スカル ノを独立前の
民族運動史に,オ ランダ植民地政策, とくに ブーケの理論 との関連で鋸 三づけたもの として,
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l 与 「イスラム同盟 とイン ドネシア共産党」『
岩波講垂,世 界歴史 (
25.現 代 2)』1
97
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-426.をあげることができる。
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なお本稿で用いたのは これの英訳本である。Ber
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東南 アジア研究
8巻 4号
の よ うに ス カル ノを整 理 して い る。
ス カル ノは , 民 族 の統 一 と団結 , そ の独 立 とい う至 上 目標 の達 成 の た め に共 分 母 を求 め続 け
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た。 それ は ,1930年 初 頭 までは 民 族 主 義 , 32,33年 に お い て マル - ユ ニズ ム (
(マル クス主 義 ),3
4
年 以 降 は イ ス ラ ムで あ っ たo ス カル ノの哲 学 は ,最 終 的 に は パ ン チ ャ ・シ
ラ哲 学 の 内 に 集 約 完 成 され るの で あ るが , それ は , 「あ らゆ る ものが ,一 つ な り」 とい う, ジ
ま) と, 「進 歩 法則 の熱 狂 的信 奉 」 とを身 につ け て政 治 舞 台
ャ ワ哲 学 の整 合 的秩 序 (ト ト-TAt
に踊 り出 た ス カル ノが , イ ン ドネ シ 7民 衆 と 自 らとを強 烈 に一 体 祝 しつ つ , 外 (「あ そ こ」) に
向 か っ て は ,敵 - オ ラン ダ と明確 に規 定 して,西 欧 に対 す る 「
聖 戟 」 に立 ち上 が り, 植 民地 政
庁 に対 して 非 妥 協, 非 協 調 の姿 勢 を頑 固一 徹 に と り続 け る一 方 , 内 (「こ こ」) に対 して は , 氏
族 運 動 の諸 潮 流 の対 立 は すべ て誤 解 に基 づ くもの に す ぎず ,諸 運 動 体 (イ ス ラ ム運 動 , マル ク
ス主 義 運 動 , 民 族 主 義 運 動) は , 「ゴ ムの よ うな弾 力性 」 を もっ て , 相互 の統 一 と団結 を保 持
し な けれ ば な らない と説 き続 け た ことの総 和 で あ っ た。 民族 存 立 と民族 独 立 の原理 を ジ ャ ワ哲
学 の 中 に 見 出 して い っ た ス カル ノは , ま さに 「ジ ャ ワ人 ・ス カル ノ」 で あ り, こ こに , ジ ャ ワ
古 来 の救 世 思 想 で あ る ラ ト ・アデ ィル (
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) 思 想 ない し ジ ョ ヨボ ヨ (
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は 20世 紀 に入 っ て ,近 代 的表 皮 を被 せ られ , チ ョ ク ロア ミノ トの社 会 主 義 即 ラ ト ・アデ ィル宣
言 を経 由 して ス カル ノに仮 託 され , パ ン チ ャ ・シ ラを生 み 出 して い く ことに な るの で あ る〔
上 に述 べ た よ うな ダ ー ムの 問 題設 定 と, それ に よるス カル ノの分 析 は ,民 族 運 動 に お け るス
カル ノの位 置 とそ の意 味 とを た んに政 治 史 的 に解 明 す るだ け で な く, それ を イ ソ ドネ シ ア民 衆
の 内面 世 界 , そ の精 神 構 造 との 関 連 で解 明 す る ことに よっ て , ス カル ノの研 究 を立 体 的 な陰 影
の濃 い もの に して お り, こ こに ス カル ノ研 究 は ,一 つ の完 成 を きわ め て い る とい え よ うo
Lか し, ダ ー ムに よっ て ス カル ノを解 明 す る鍵 と され た ワヤ ンの世 界 は , ただ ち に ス カル ノ
と結 び つ くもの で あ ろ うか 〔 ス カル ノの研 究 の た め に は , 別 の基 軸 が 必 要 では なか ろ うか 〔 ま
ず , ワヤ ン の性 格 を検 討 して この間 題 を考 え て み た い 。
2. ワヤ ン伝 統
ワヤ ン そ の もの に つ い て ,1
965年 , コ- ネル 大 学 の アン ダ ー ソンが 小 論 文 5) を発表 したが ,
さ し当 た りア ン ダ ー ソンの論 文 を通 して , ワヤ ンそ の もの の意 味 と, それ が ジ ャ ワ人 の精 神 世
界 に 占 め る位 置 につ い て考 えて み た い 。
ア ン ダ ー ソンは , まず , ジ ャ ワ人 の い わ ゆ る相対 主 義 (
寛 容 性 ) を抽 象 的 ヒュ ー マ ニズ ムに
よっ て では な く, ジ ャ ワ人 の文 化 的伝 統 に よっ て解 明 し よ う と し, そ の た め に ,今 日 まで ジ ャ
ワ各 地 に広 く深 く親 し まれ て い る ワヤ ン を取 り上 げ る。 アン ダ ー ソンは ワヤ ンに展 開 され る世
界 に よっ て規 定 され て い る ジ ャ ワ人 精 神 世 界 を ワヤ ン伝 統 と名付 け , これ を ジ ャ ワ人 的道 徳律
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の基 底 に す え て い る。 ワヤ ンは ,人 間 と人 間 ,人 間 と 自然 お よび超 自然 の 関 孫 を規定 し, モ L
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い っ さい を説 明 し よ う とす る もの で あ るっ ワヤ ンに は , 中東 u
j大 宗教 とは異 な り, い か な る予
言 (者 ),聖 書 ,麿 罪 も見 当 た らず , 世 界 が 直 線 軌 道 の上 を す す む とい う思 想 は み られ な いへ そ
こに は キ リス ト教 的黙 示 の法 悦 境 は な く, あ るの は ただ一 大 叙 事 詩 的 な冷 酷 な変 化 の み で あ る。
ワヤ ンは , ジ ャ ワ人 に感 じ られ て い る人 生 の変 転 を映 し 出 して お り, それ は ,基 本 的 に 二
三二 つ
の 異種 な る もの (
例 えば ,老 若 , 左 右 , 男 女 ,太 陽 と地 球 ,昼 と夜 , クウ ロオ王 国 と フン ドオ
王 国等 ) の懸 隔 を含 ん で い る。 そ して , これ らすべ てが 相 互 に必 要 で あ り,補 完 的 で あ る、 か
くして, そ こに は 宇 宙 的 展望 を もつ ヒエ ラル キ ー共 同体 が 成 立 して お り, 各 人 が そ の機 能 に の
っ とった行 為 を す る ことが ,理 想 の徳 と され る〔 佃 と全体 が 相互 に依 存 し, 各 構 成 員が そ の 分
を わ き まえ, そ の別 を こえ ない と ころに この カ- ス ト的 ヒエ ラル キ ー共 同体 が 成 立 す る 一
一 万 , ワヤ ン- の仏教 の影 響 が あ って , それ は , モ ラル の重 層化 した構 造 に ,鷺 定 J
j階 級 や
モ ラル に絶 対 的価 値 を賦 与 せ ず , そ の最 終 的 目標 を,不 滅 な る もの へ の没 入 とす る仏教 ,
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観念
が 浸透 して い る〔 か くして仏 教 的禅 定 世 界 へ の憧 憶 と, カ- ス ト的道 徳 律 との道 徳 的 複合 性
が , ワヤ ン伝 統 の全 体 を貫 き, この特 有 な関 係 の 中 に ジ ャ ワ的倫 理 観 の基 本 的性 格 が 求 め られ
る, と ア ン ダ - ソソは指 摘 して い る。 そ して , ワヤ ンの勧 善 懲 悪 的 な モ ラル 劇 の性 格 は ,近 年
西 欧 的 影 響 や 民族 運 動 の影 響 に よる もの で あ り, ワヤ ン に対 す るあ ま りに近 代 的 な理 解 で あ る
と して い る。
ダ ー ムの ス カル ノ研 究 と ア ン ダ - ソソの ワヤ ン研 究 とを委 ね合 わ せ て み る と, ダ - ムの ワヤ
ン理 解 が ,善 悪 二 元 主 義 と して の み と らえ られ て い る ことに気 付 くが , それ に よっ て ス カル ノ
の 独 立 の た め の 闘争 の鍵 を ワヤ ンに求 め る ことは なお可 能 で あ る、 しか し, パ ンチ ャ ・シ ラに
お い て, 民族 の存 立 原理 を イ ン ドネ シ アの農 村 (デサ) の エ トス と して表 現 す るに 至 る ス カル
ノの歩 み を, た ん に ワヤ ンの世 界 だ け と結 合 させ るの は . ことが らの他 の半 面 を見 落 とす こ と
gamel
an) の伴 奏 と と もに語 りあ か され る ワヤ ン物 語 が , た
に な るの では な い か 。 ガ メ ラソ (
と え どの よ うに躍 動 的 で あ り, 夢 と ロマ ンに彩 らj
L, 隣 利 と栄 光 とを歌 い上 げ て い るに せ よ,
南 海 の夜 の し じ まに消 え て い くそ の ガ メ ラン の調 べ そ の もの は , ジ ャ ワの夜 か ら一
夜- と語 りつ
が れ て い く人 々 の つ ぶ や きに も似 て , は て しな く単 調 で か な しげ では な い か (
ア ン ダ ー ソン は , ワヤ ン中 に み られ る仏教 的性 格 を指 摘 して い るが , この 仏教 的 諦 観 こそが
ジ ャ ワの神 秘 主 義 とい わ れ る もの の基 本 的 特 徴 で あ る こ とを,東 ジ ャ ワ出身 の - ル ン ・- デ ィ
ウ イ ジ ョ ノほ ,1
96
7
年 オ ラン ダで 出版 され た著 作 6) の 中 で詳 細 に解 説 して い る〔 - デ ィ ウイ ジ
Sumarah), サ ブ タ
ョ ノは ,現 在 の ジ ャ ワ神 秘 主 義 に基 づ く諸 宗教 組 織 の 中 か ら, ス マ ラ派 (
Sapt
aDarma), プ ラ ク ・クサ ワ派 (
Brat
aKesawa), パ ン ゲス ッ派 げ angest
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・ダル マ派 (
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東南 アジア研究
8巻 4号
パ ル ヤ ナ派 (
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yana) の 5派 を と りあ げ , これ らは い ず れ も求 め るべ き人 間 像 と して 自由人
(解 脱 ), 神 人 - 如 を志 向 して い る こ とを指 摘 して い る 。7) そ れ は , 神 と人 とを 峻 別 す る イ ス ラ
ム教 とは 異 な り, また , 穀 しい 主 体 の 自立 を追 求 す る もの で も な く, ひ た す ら個 を全 体 に合 一
化 す る方 向 を示 し て い る。
3. デ サ ・エ トス
ワヤ ン 世 界 と隣 り合 わ せ の , あ るい は ワヤ ン世 界 の活 劇 の 中 に さえ み られ る この よ うな解 脱
な い し神 人 - 如 へ の 強 烈 な志 向性 こそ が , 実 は イ ン ドネ シ ア全 域 の村 落 社 会 の 基 本 的 な エ トス
で あ る こ とを指 摘 して い るの は , か つ て植 民 地 時 代 に 「ス タル ジ ョ請 願 」 の起 草 者 と し て植 民
地 官 僚 層 の 民 族 派 の統 帥者 で あ っ た ス タル ジ ョ ・カル ト- デ ィ クス モ で あ るo ス タル ジ ョ ほ ,
1953年 に 『デ サ 』を著 わ し た が 8),そ の 中 で, パ ン チ ャ ・シ ラを イ ン ドネ シ アの デ サ の ア ダ ッ ト
(
Adat-生 活 原 理 )9
)に基 礎 を お くもの で あ る と述 べ て い る。 ス タル ジ ョ に よれ ば , パ ン チ ャ ・
シ ラ と し て掲 げ られ た , 民 族 主 義 , 人 道 主 義 (国 際 主 義 ), 民 主 主 義 , 社 会 正 義 , 神 へ の信 仰
rapatdesa) の ムシ ャ ワ ラ (
Mus
j
aは , デ サ に お い て今 日 まで伝 わ り実 行 され て い る デ サ 会 (
warat
)辛 , ムファ カッ ト (
Muf
akat
) の全 員 一 致 の 原 則 , 会 食 (
Sedekahdes
a), 共 同作 業
(
Gug
urGunung) に お け る相 互 扶 助 (
Got
ongRoj
ong)原 則 に お い て現 実 に み られ る もの で あ
り, これ が デ サ の一 体 性 を根 本 的 に 支 え て きた の で あ る。 これ らは , 西 欧 的 な 自由主 義 , 個 人
主 義 とは 別 の 原 則 に 立 つ もの で あ り, よ り完 全 な もの で あ るO なぜ な らば , この よ うな イ ン ド
ネ シ ア の デ サ 原 理 は , 究 極 的 に は デ サ の各 構 成 員 が 神 に 帰 依 し, これ と一 体 化 す る こ とに よっ
て デ サ の一 体 性 を保 持 す る とい う原 理 だ か らで あ る 。10) そ の場 合 , デ サ の 人 々は 神 人 - 如 の下
で 「大 海 の 底 」 の よ うな穏 や か な精 神 状 態 に あ り,
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uh) こ
この よ うな至 上 の穏 や か さ (
そ が 邪 悪 な外 側 か ら くる力 を滅 ぼ し うる もの で あ る 。11) 欲 望 を す て ,情 念 か ら解 放 され た神 人
- 如 の この穏 や か な精 神 こそ が , つ の りゆ くオ ラン ダ植 民 地 支 配 の重 圧 下 で, デ サ構 成 員 の精
神 とデ サ ー 体 性 とを強 固 な らし め, 独 立 ゲ リラ闘 争 勝 利 の 原 動 力 とな っ た, とス タル ジ ョ ほ述
べ て い る。
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a,Bandung,1
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5・ (この初版は,1
9
5
3
年にジョクジャカル タで
出版 されている。)
9) スタルジョほ, このアダッ トをオラソダ法は もちろん,都市の伝統的王朝支配者の法 とも異なって,村
落共同体の中で独 自に保持 されてきた生活原理であって,決 して成文化 されえない ものだ としているo
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)スタルジョほ,白に象徴 され るこの最高至善の精神状態を, ワヤン劇中のデ ワ ・ルチ (
De
waRut
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)の
話をあげて説 明す る。 ビーマほその師 ドゥル ノから 「
生命の水」を探せ よと命ぜ られ るが,その水はみ
つからないO最後に師は 「
大海 の庶」-その水を求め よと命ずる。 これは 「
大海の底」のよ うな穏やか
な精神状態 であれ とい うなぞである。 ビーマほ この底でデ ワ ・ルチ とめ ぐり逢い,人生の秘蹟をさずけ
られ る。それは,白色に象徴 され る清澄 さこそがい っさいの邪悪に うちかてるとい う教えである。
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土 星 :ス カ ル ノ の 研 究
- デ ィ ウィ ジ ョ ノに よる ジ ャ ワ神 秘 主 義 の 解説 , また, ス タル ジ ョ に よるデサ の解 説 は , と
もに ジ ャ ワ人 的精 神 世 界 が 自他 の峻 別 ,敵 に対 す る徹 底 的 な闘 い ,神 人 間 の絶 対 的 な深 淵 等 の
対 極 に あ る諸価 値 概 念 で あ って , それ は押 入 - 如 を志 向 す る禅 定 的境 地 を基 底 とす る共 同体 精・
神 の世 界 で あ る ことを指 摘 して い るっ
ス タル ジョ に よっ て こと さ らに牧 歌 的 に描 き出 され た デ サ は , 外 部 世 界 の侵 入 を峻 拒 して そ
の 内部 に静 態 的 オ ー トノ ミー を保 持 して きた ことに な る( しか もなお , パ ンチ ャ ・シ ラに お い
て ス カル ノが この デ サ ・エ トス を共 和 国 国家 原 理 に す え, また ,対 オ ラン ダ ゲ リラ闘 牛の エ ネ
ル ギ ーが この デ 十 t
⊃内 に求 め られ る と き, こ こにこ っ の 問 題 を提 起 す る ことが で きる〔 第 1
に , ス カル ノの研 究 は ワヤ ン世 界 を そ の一 部 と して い るデ サ社 会 の全 体 に そ の基 軸 が お か れ な
けれ ば な らな い とい う ことで あ るo ワヤ ン世 界 の近 代 的 解 釈 に も とづ く明快 な善 悪 二 元 論 だ け
に ス カル ノを短 絡 させ るの は , ことが らの半 面 を見 落 とす ことに な るか らで あ る。 と くに , ス
カル ノが デ サ ・エ トス を民 族 エ トス に普 遍 化 して い く過 程 が 検 討 され な け れ ば な らない 。 第 2
は ,静 態 的 な
チ
エ が そ の一 体 性 を破 壊 され る場 合 , それ ほ どの よ うな形 で反応 す るの か とい う
問 題 で あ るo デ 十 〇 エ ネル ギ ーは , イ ン ドネ シ ア史 の 中 で しば しば デサ の反 乱 と して噴 出 して
きた〔 これ を噴 出 させ る直 接 的 な契 機 とな る の は ,多 くは イス ラ ム教 の激 情 的 な エ ネル ギ ーに
9世紀 末 , 西
よる衝 撃 で あ っ た よ うに思 わ れ る 。12' デ サ と結 合 した イ ス ラ ムの エ ネル ギ ーが ,1
ジ ャ ワ ・バ ン テ ン v
j農 民 反 乱 の 中核 とな り, これ との対 処 の 中 に , 20世紀 初 頭 よ り開始 され る
倫理 植民地 政策 (
、
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schepol
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ek) が 生 み 出 され て い く経 過 は , 20世紀 以 降 の民 族 運 動 を み て
い く上 で きわ め て重 要 で あ る。 以下 第 Ⅱ節 , 第 Ⅲ節 で この 点 を整 理 して み た い。
Ⅲ イス ラム とデサ反 乱
1
88
8年 の バ ン ニ ソ農 民 反乱 を バ ン テ ン全 体 の社 会 構 造 と社 会 変 動 の 中 で分 析 し,19世 紀 未 の
バ ン テ ン社 会 の採 取 こ光 を与 え た ガ ジ ャ ・マ ダ大 学 のサ ル トノ ・カル トデ ィル ジ ョほ , そ の 中
で宗 教 問 題 に触 j
I
J
, オ ラン ダ勢 力が この地 で支 配 権 を確 立 した後 , 土 着 社 会 の亀 裂 線 が 深 ま
り, と くに村 落 社 会 に定 着 した イ ス ラ ム宗教 指 導 層 の不 満 が 蓄 積 され , それ が 農 民 と結 合 して
反 乱 と して噴 出 す る過 程 を詳 細 に 分 析 して い る 。13) サ ル トノに よれ ば , オ ラン ダ支 配 の確 立
後 , ノ、ジ (Hadj
i
〕, キ ヤ イ (Ki
j
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)等 , か つ て バ ン テ ン イ ス ラ ム王 朝 下 での 司 祭階 層 の 内 , こ
の 新 秩 序 か らは み 出 され た部 分 は , ス ル タ ン王 家 の復 活 , イ ス ラ ム栄 光 時 代 - の 回 帰 を 目指
1
2) イスラムが クラ トン (
王宮)伝統を崩≠
表させてい く過程を, ミナンカバ ウ王国についてみたものとして
次の論文がある。
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1966.
571
東南 アジア研究
8巻 4号
i
/, 他 方 , 異教 徒 支 配 - の憎 悪 を蓄 積 し農 民 を組 織 して い く。 そ の場 合 , 農 民 の組 織 の仕方
Pes
ant
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en,宗教 学 校 ), タ レカ ッ ト (
Tar
占kat
,ス - フイ友 愛 団体 ) 等 の
紘 , プサ ン トレン (
伝 統 的 な イス ラム誓 約 団体 を通 じて で あ る。 バ ン テ ンの場合 に は, と くに タ レカ ッ ト誓 約 団体
で あ り, そ こでは師 弟 の誓 約 が絶対 的忠誠 の あか し と され , 師 は アヅ ラーの使 徒 と され る。 こ
Ker
amat
,神 秘 的鰭 力 の 開示 に よる神 聖
の タ レカ ッ トを拠 点 とした宗教 指 導 者 は クラマ ッ ト (
性 の証) を通 して次第 に タ レカ ッ トの密教 的性 格 を強 め, その ま ま反乱 指 導 者 となっ てい くっ
反 乱 は神 の加 護 に よる 「
聖 戦」 であ る。1
4
)
Ⅲ
倫
理
政
策
1
8
8
9
年 , バ ンテ ン農 民反 乱 の翌 年 , イス ラム学 の泰斗 ス ヌッ ク ・フル フ ロー ニェ は植民地 の
イ ス ラム問 題 に関 す る顧 問 に任 命 され たO これ は , アチ ェ ・バ ン テ ンは じめ, 当 時 植民地 の各
地 でお きてい た イ ス ラムの反 乱 の対 処 に苦 慮 した政 庁 が ,新 た なイス ラム政 策 の採 用 を必 要 と
0世紀 以 降 の オ
して い たか らで あっ た。 フル フ p- ニェの イ ス ラム問題 に 関 す る答 申の 中 に ,2
ラン ダ植 民地 構 想 の基 本 的枠 組 が 示 され てい るが , フル フ p- ニェ構 想 の骨 子 を ここでは ペ ソ
ダの要 約 に従 っ て整 理 す る と, は ば次 の よ うに な るo
(
1
)
イス ラム教 の教 義 に は不 干 渉主 義 を と るが ,反 乱 は徹 底 的 に鋲 圧 し,政 庁 の権 威 の 回復 を
図 る こと。 す なわ ち,硬 軟両 面 主 義 でい くこと。 なぜ な らば , (
2)
イス ラム教 の教 義 それ 自体 は
平 和 的性 格 を もち,政 庁 の支 配 を脅 か す もの では ない 。 そ れが危 険 に な るの は ジャ ワ農 民 の ア
Abangan) と結合 して ヨー ロッパ支配 に対 す る不 信 感 を た えず吸収 して い く場
バ ン ガ ン宗教 (
3)ア ダ ッ ト指 導 者 と ジ ャ ワの プ リヤ イ (
Pr
i
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aj
i
, マ タ ラム王 朝 以来 の貴
合 で あ る。 そ こで, (
族 階 層) を熱 狂 的 な イス ラムか ら切 り離 す こと。当面 , (
4)この プ 1
)ヤ イ ・- 1
)- トを して オ ラ
ン ダ文 化 に融合 せ しめ る こと, なぜ な ら, プ リヤ イは,伝 統 的 に イ ス ラムか ら孤 立 してお り,
また, ヨー ロッパ人官 吏 との接 触 の機 会 が 多 く, オ ラン ダ文 化 へ の指 向性 が み られ るか らで あ
る 。(
5)
これ を第 1段階 として, 到達 目標 は植 民地 の近 代化 を遂 げ る ことで あ る 。 アダ ッ トもイ
ス ラムもイ ン ドネ シ ア近 代化 の原理 とは な りえ ない 。近 代 的 イ ン ドネ シ ア とは , 西 欧化 され た
6)
本 国 と植 民地
イ ン ドネ シ アで あ り, これ を実現 す るの は オ ラン ダの責 務 で あ るO す なわ ち , (
との強 固 な精 神 的一 体 感 の上 に成立 す るパ ッ クス ・ネ -デル ランデ ィ カに お い ては, オ ランダ
文 化 が伝 統 的 プ リヤ イ文化 , そ して イス ラム文 化 に取 っ てかわ らな けれ ば な らない 。 こ こで
紘 , 強 力 な西 欧思 想 の教 育 に よっ て二 つ の文 化 は これ に立 ち うちで きず ,敗 退 せ ざ るを え な く
な る 。15)
フル フ ロー ニェが 意 図 して い たの は, イ ン ドネシ ア社 会全体 の基 本 構 造 を変 え てい くことで
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研究
あ り, そ の 際 , 近 代 派 イ ス ラ ム, 農 村 の ア ダ ッ ト化 し た イ ス ラ ム (農 村 の アバ ン ガ ン), これ
らの文 化 伝 統 を相 互 に切 り離 し, そ の潜 在 的 抵 抗 力 を骨 抜 きに し, イ ン ドネ シ ア自
引面値 観 の い
っ さい を オ ラソ ダ近 代 社 会 の諸 価 値 の下 に従 属 せ し め , か くして オ ラン ダ的 価 値 の下 で生 まれ
変 わ っ た イ ン ドネ シ ア を オ ラ ン ダ と一 体 化 せ しめ よ う とす る, ま こ とに 気 宇 遠 大 な構 想 だ っ た
わ け で あ る。 そ して , フル フ ロー ニェほ そ の 第 1長
那皆と して , 伝 統 的価 値 の 崩 壊 途 上 に あ る ジ
ャ ワ ・プ リヤ イ へ 西 欧 教 育 の注 入 を 囲 っ て い こ う と し た の で あ る 。16'も ろ ち ん , これ は , 倫 理
政策v
j理 念 型 で あ り, 現 実 の 政 策 過 程 とそ の ま ま一 致 す るわ け で は な い が ,2
0世 紀 以 降 プ リヤ
イ子 弟 に 西 欧 的教 育 が 施 され て い く背 景 に この よ うな構 想 が あ っ た こ とは 見 逃 し え な い 〔 西 欧
(
思想 ) との接 触 か ら生 まれ て くる イ ン ドネ シ ア民 族 運 動 が , 土 着 社 会 の 「閉 じ られ た共 同 体 」
の 天 蓋 を 開 き, しか もそ れ が 全 体 と して フル フ ロー ニェ の い う 「こ ことあ そ こ との強 固 な精 神
的 一 体 感 」 の 水 路 に流 れ 込 む な らば , こ こに パ ッ クス ・ネ - デ ル ラン デ ィ カの基 礎 は 安 定 す る
わ け で あ る 。 ジ ャ ワ貴 族 の娘 カル テ イ 二が オ ラン ダ語 で切 々 と綴 っ た 書簡 集 を , 植 民 地 教 育 省
91
1年 『暗 黒 を超 え て光 明 へ 』 (
Dool
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長官C
,
j任 に あ っ た ア ベ ン ダ ノ ンの夫 人 が 1
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ヽ と名付 け た と き,< 暗 くた ち お くれ た ジ ャ ワ社 会 > と く 近 代 的 ヨー ロッ パ社 会 > とが
< ヤ ミ>とく ヒカ リ> と し て 図式 化 され , フル フ ロー ニェ の 「白人 の責 務 」 諭 は こ こに 見 事 に
要 約 され る こ とに な る 。17)
倫 理 政 策 下 で生 まれ て くる イ ン ドネ シ アの 知 的 エ リー トの な か で , 民 族 運 動 の 担 い手 とな っ
て い くイ ン テ リゲ ソ ツ イ アは , 西 欧 思 想 と対 面 せ ざ る を 得 な い 〔 民 族 の エ トス を デ サ ・エ トス
と し て表 現 し た ス カル ノ も また 決 して 例 外 で は あ りえ な い 〔
n
T
ス カル ノ研究の展望
そ れ で は , 倫 理 政 策 と イ ン ドネ シ ア畏 村 社 会 との ほ ざ まに 立 っ て , ス カル ノは 自 らの思 想 を
とD よ うに探 化 させ て い っ た の か , ス カル ノが 民 族 の エ トス を探 り当 て る過 程 は どの よ うな も
の で あ っ た の か O これ に つ い て , ス カル ノの個 々 の論 文 と彼 の 政 治 活 動 を検 討 しつ つ 明 らか に
してい (
:こ とが 本 稿 全 体 の主 眼 で あ るが , この 序 論 で は , これ を項 目別 に ま とめ , 研 究 の 見 通
し を つ け るに 留 め た い O ス カ ル ノの パ ンチ ャ ・シ ラに 至 る過 程 を み て い くと, この全 時 期 を16) 2
0世紀初頭,植民地の経済発展問題についても,西欧的経済行動のバ ク-ンがただちに原住民経済行動
の中に浸透 してい くとい う考え方が-般的であったo
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s,The Hague,1961,p.4.
17) 倫 理政策下で生 まれて くるイン ドネシア人知識階層がその後二つのタイプに分かれてい くことを,特に
文 化問題 との関連で論 じた もの として拙稿を参照 されたい。
士屋健治 「イン ドネシアの "近代化‥ と =民族主義日をめ ぐる基本問題 」 『時事研究特 報』No.80,
1970.
1908年の最初の民族組織 ブデ ィ ・ウ トモ (BudiUt
omo) 成立の紬 こ接 して, 「
東イン ドに奇蹟が起 こ
ったJ と狂喜 した とい うファン ・デ フェソテル もまた,倫理政策の性格をその言葉に よってシンポ リカ
ルに表現 したのである, (
永 積 昭 rブディ ・ウ トモの成立 と発 展 」打
史学雑誌』第76編,第 3号参腰)
573
東南 アジア研究
8巻 4号
貫 して貫 くもの と各 時 期 に変 化 して い くもの とが あ る。 この時 期 は 四 つ に分 け られ る。 第 1期
は1
9
26年 よ り29年 に至 る期 間 , 第 2期 は 3
0年 よ り33年 , 第 3期 は 34年 よ り41
年 , 第 4期 は 4
2年
よ り独 立 宣 言 に至 る4
5
年 の期 間 で あ る。 以下 ,各 期 間 ご とに概 略 を記 して み るo
1
9
26年 ∼1
9
29年)
1. 第 1期 (
ス カル ノが 民族 運 動 に挺 身 しは じめ て よ り最 初 に 逮 捕 され る まで の この期 間 で, ス カル ノは
後 年 まで一 貫 す る闘争 の原 則 を提 示 す る。 それ は 次 の三 つ に要 約 され う るo
(
1) 独 立 至 上 主 義
Aku の主 張) で あ り, 「民 族 の魂 」 の主 張 で あ る。 客 体 化
これ は , 民 族 の強 烈 な 自己 主 張 (
9
26年 論 文 の 冒頭 以来 ,一 貫 して 唱 え ら
され た イ ン ドネ シ ア を主 体 化 す る こ とは , ス カル ノの 1
れ る。 か つ て ス カル ノが ペ ン ネ ー ムに , ワヤ ン物 語 中 の英 雄 で神 々 とす ら対 等 に 口を き くビ-
Bi
ma)1
8
)を用 い た こ とは象 徴 的 で あ るo 「抑 圧 と貧 困 に あ え ぐ民衆 の そ の うめ き声 」 19)に
マ (
は か な らな い ジ ョ ヨボ ヨや ラ ト ・ア デ ィル 的 救世 思 想 に主 語 を与 え る こ とが ス カ ル ノの任 務 と
な っ て い く。
(
2) オ ラン ダの全 称 否 定
民 族 独 立 を至 上 目標 とす るス カル ノは , 民 族 内 の統 一 と団結 を主 張 し続 け るが , これ は , 檎
民 地 支 配 民族 (オ ラソ ダ) と,被 支 配 民族 (イ ン ドネ シ ア) との絶 対 的 背 反 関係 とし て措 定 さ
Si
n主
) と 「あ そ こ」 (
Sana) との 非和 解 的対 立 と して捉 え る
れ る。 ス カル ノは これ を 「こ こ」 (
が , 「あ そ こ」 の全 称 否 定 の根 底 に あ るの ほ 「白人 の責 務 」 論 の否 定 で あ る。 これ は ,一 貫 し
て ス カル ノをつ らぬ く特 徴 で あ る。 他 の イ ン ドネ シ ア ・イ ン テ リゲ ソ ツイ アの多 くが ,例 えば
- ッ タ, シ ャ フ リル , タン ・マ ラカの よ うに , オ ラン ダ社 会 も一 つ で な い こ とを状 況 認 識 の基
点 に す え, それ に よっ て オ ラン ダ と向 か い合 い , オ ラン ダに対 す る 自 らの主 体 を オ ラ ン ダ人 と
対 等 の立 場 -
西 欧文 物 に対 す る対 等 の理 解 能 力 , 相 互 に理 解 可 能 な思 考 経 路 ・論 理 構 造--
で主 張 した の に対 し, ス カル ノは一 度 と して オ ラ ン ダ社 会 内部 それ 自体 の 矛 盾 を重 要 視 して い
な い 。 - ッ タ, シ ャ フ リル らの西 欧派 民 族 グル ー プ とス カル ノ との 間 の 1
93
0年 代 初 頭 の対 立 は
これ に起 因 す る。 「非 協 力」 を - ッ タが 戦 術 の 問 題 と して と らえ た の に対 し, ス カル ノに とっ
て 「非 協 力」 とは , オ ラン ダ全 称 否 定 の た め の 原 則 だ っ た の で あ り, ス カル ノ的 な民 族 統 一 論
sa吋an)で な く,本 来 ,敵 対 的 立 場 に あ る異 質 集 団 (
例 えば ,農
紘 ,統 一 (プル サ トゥ ア ン Per
ean,串焼 き肉 の集 ま り) で あ る と- ッ タ らに批 難 さ
民 と地 主)の 野合 (プル サ テ ア ン Persat
れ て も20), な お か つ ス カル ノに とっ て よ り重 要 で あ っ た の は , イ ン ドネ シ アの異 質性 の全 体 を
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2.
ビーマほ神 々と話す ときでさえ ngo
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社会的に下位のものに対 して使 うジャワ語)を用いた。
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4
上屋 : ス カ ル ノ の 研 究
つ らぬ き う る基 軸 (くし) を探 しつ づ け る こ とで あ っ た 。 この くし こそ 倫 理 政 策 に よっ て くだ
か れ よ う と され て い る 「民 族 の 背 骨 」 で あ る こ とに彼 は 気 付 い て い た か らで あ る〔 イ ン ドネ シ
ア とオ ラ ン ダ の 背 反 関 係 と, イ ン ドネ シ ア内 の 統 一 とい う原 則 に , ス カル ノは頑 固 に 固 執 し続
け て い く。
(
3) 進 歩 法 則 の信 奉
ス カル ノに イ ン ドネ シ ア民 族 独 立 の 確 信 を与 え, オ ラ ン ダの 総 体 的 な否 定 の正 当 性 を与 え る
926年 論 文 に お い て , 民 族 主 義 , マル クス主
の は ,彼 の抱 く熱 狂 的 な進 歩 観 で あ るO つ とに ,1
義 , イ ス ラ ム主 義 (この三 つ の政 治 潮 流 が ,2
6年 の 時 点 で ス カル ノが そ の統 一 を主 張 して や ま
な か っ た 民 族 運 動 の 担 い手 で あ っ た), の各 々に つ い て , 「時 代 と と もに進 歩 」 す べ き こ とを説
い た ス カル ノ21
)
は , 後 年 に至 る まで一 貫 して この 主 張 を く り返 す 〔 そ れ は , 植 民 地 支 配 が 必 ず
931年 の 流
終 わ り, 民 族 が 必 ず 独 立 す る とい う 「歴 史 法 則 」 の信 奉 と対 に な っ て い るo と くに 1
刑 以後 , 「イ ス ラ ムは進 歩 で あ る」 と イ ス ラ ムを定 義 づ げ , イ ス ラ ムの 後 進 性 を激 し く批 判 し
つ づ け る中 に ,進 歩 信 奉 主 義 者 ス カル ノの姿 が 余 す と ころ な く示 され て い く。 こ こに も, ノ、ッ
タ, シ ャ フ リル らの 留 学 生 グル ー プ, あ るい は タン ・マ ラ カ らの 共 産 党 指 導 者 とス カ ル ノ との
相 違 が み られ る。 す な わ ち, - ッ タ らが マル クス主 義 を何 よ りも西 欧 社 会 構 造 の 矛 盾 か ら生 ま
れ た理 論 と して理 解 し,彼 らに とっ て , この理 論 の 延 長 線 上 に 「植 民 地 被 抑 圧 民 族 解 放 」理 論
が 導 き出 され て くるの に対 し, ス カル ノの マル クス主 義 理 解 は ,何 よ りも先 ず , それ を 歴 史進
歩 の哲 学 と して捉 え, そ れ は 資 本 主 義 と植 民 地 主 義 の 必 然 的 没 落 と崩 壊 の確 信 を与 え て くれ る
2)と関 連 す るが , ス カル ノに とっ て , 資 本 主 義 , 帝 国主 義 ,植 民地 主 義 の 崩
も の な の で あ る。 (
壊 とは , 「こ こ」 に お け る オ ラ ン ダ植 民地 主 義 の 崩 壊 に は か な らな い 〔 第 二 次 世 界 大 戦 の前 夜 ,
ス マ トラの流 刑 地 ペ ソ クル ー で綴 っ た論 文 中 で は , ス カル ノの ファ シ ズ ム論 (こ こに は , ドイ
ツ, イ タ リアが 含 まれ , 日本 に つ い て は い っ さい 言 及 さj
Lて い な い) が 語 られ るが , そ こで
)共 感
は , ナ チ ス ドイ ツの邪 悪 さ とそ の必 然 的 敗 北 とが 指 摘 され る22)一 方 , そ れ は連 合 国 側 へ と
や 支 持 に は全 然 な らな い 。23)彼 は , 例 え ば 英 国 が ア ジ ア の 民 衆 を そ の 陣 営 に 引 き入 れ よ う とす
21
)土屋健治 「スカル ノ思想の成立 とその背景」F国際関係論研究』第 3号,19
6
8,pp.47
-67.
2
2
)スカル ノのファシズム観は次の諸諭文中にみ られ る。
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0,DBR,pp.361
-367 では,第二次大戦は資源獲得の戦 争,
その再分割を 目指す ものにす ぎない と述べている。
57
5
東南 アジア研究
8巻 4号
る ことに対 し, きわ めて冷 淡 で批 判 的 で あ る。24) ス カル ノは ヨー ロッパ に お け る ファ シ ズ ムの
「こ こ」) に お け る植 民地 支 配 の凋 落 とを重 ね合 わ せ て考 えてい た の で あ る。
敗 北 とア ジ ア (
以上 に あ げ た三 つ の原則 は , ス カル ノの政 治 活 動 を支 え る柱 となっ てい くもの で あ る. それ
らとはや や性 格 を異 に す るが , ス カル ノの論理 の ス タイル を一 貫 して特 徴 づ け て い く(
4)
西 欧思
想 展 示主 義 , とも呼 べ るものが み られ る。 これ は, ヨー ロッパ諸 思想 家 ,政 治家 の文 章 の ひ ん
は ん な引用 で あ り,西 欧文 物 とそ の動 向 とに知 悉 してい る ことを示 す一 方 で , 自 らの立 論 を西
欧近 代 思想 の いず れ か に よっ て補 強 し ようとす る もの で あ る。 これ は植 民 地 知 識 人 の型 を示 す
もの で あ ろ うが , ス カル ノの場 合 , この第 1期 に お い て は, それ を と くに倫 理 政 策 下 で生 まれ
て きた都市 の知 識 人 に語 ろ うとす る傾 向が 強 い0
20世紀 以降 , オ ラ ンダの産 業 活 動 の拠 点 とな っ てい く都 市 の発 達 は著 し く, こ こに は倫 理 政
策 下 で西 欧諸 思 想 が ,公 然 , 非 公 然 の形 で流 れ 込 み,都 市 は イ ン ドネ シ ア社 会 に変 化 を もた ら
す 中心 とな る。 そ して民族運 動 も都 市 の 中か ら生 まれ て い くo ス ラバ ヤ とバ ン ドンで学 生 時代
を送 っ た ス カル ノが 政 治運 動 を始 め るの は バ ン ドンに お い て で あ り, ス カル ノが バ ン ドンに設
立 した 「イ ン ドネシ ア一 般 研 究 会 」 は,新 興知 的 エ リー トの集 団 で あっ た。 しか も この研 究 会
設 立 の背景 に は, オ ラン ダに留 学 した学 生 団体 が 政 治 団体 化 す る とい う民 族 運 動 史 上 の新 た な
胎 動 が あ り, 当面 , ス カル ノが 語 りか け る対 象 は, もっ ぱ らこれ らの イ ンテ リゲ ソ ツイア で あ
っ た〔 ス カル ノの視 点 が この よ うな 「仲 間 うち」 か らそ の外 へ と移 っ て い くの は第 2期 以降 で
あ る〔
2. 第 2期 (
1
93
0年 ∼1
933年)
この時期 は基 本 的 に は第 1期 の延長 上 に あ り,植 民地 政 庁 へ の激 しい告 発 が 法廷 弁 説 の 中 で
な され る。 しか し,一 方 で イ ン ドネシ ア的 な もの,民 族 的 な もの を言語 化 し よ うとす る姿 勢 が
あ らわ れ て くる とい え よう。
(
1) ス カル ノの歴 史哲 学
1.
で述 べ た ス カル ノの三 原則 は,反乱 謀 議 の嫌 疑 で 1
9
29年 末 に逮 捕 され た ス カル ノが ,1
93
0
年 の法 廷 で陳述 した弁 論 中 に彼 の歴 史哲 学 として集約 され る。 ス カル ノは ,栄 光 の過 去 - 悲惨
な現在 - 約 束 に み ちた未 来 として これ を提 示 した 。25) 栄 光 に み ち た過 去 を悲 惨 な現 在 に お とし
め た の ほ オ ランダ帝 国主義 で あ り,従 っ て, この現在 をかが や か しい未来 - と転化 させ る鍵 は
オ ランダ帝 国主 義 の打 倒 以外 に は ない , とス カル ノは主 張 したo栄 光 の過 去 とは, ス 1
)ウィ ジ
ャ ヤ王 国や モ ジョバ イ ト王 国 の ことで あ り, それ は封 建 国家 で あ っ たけれ ども, 「
健 康 な封 建
2
4
)それは,次のスカルノの諭文中にみ られ る。
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7.
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,p.175.
57
6
主 義 」26'
で あ っ て , 「も し外 国 帝 国 主 義 の 妨 げが な か っ た ら, 必 ず 健 康 で た え ず 前 進 を す る近 代
的 社 会 を生 み 出 す よ うな封 建 主 義 」27'
で あ っ た とス カル ノは言 う〔 この よ うな強 烈 な 自己 主 張
の 中 に は , す で に 西 欧 派 イ ン テ リゲ ソ ツイ ア の理 解 を拒 む もの が 含 まれ て い るへ
(
2ノ
マ ル - ユ ニ ズ ム (M arhaer
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この 約 束 に み ち た未 来 に 向 か っ て 帝 国 主 義 を 打 倒 す る た め に , ラデ ィ カ リズ ム と 大 衆 行 動
(M assaaksi
)28' を担 っ て い くべ きイ ン ドネ シ アの 民 衆 を , ス カル ノは マル - エ ソ と呼 んだ ,
西 ジ ャ ワの 貧 しい 独 立 自営 農 民 の 名 に ち な ん で つ け られ た とい う この マル - エ ソ とい う言 葉 が
最 初 に 出 て くるの ほ , 先 の 法 廷 弁 説 中 で あ るが , そ こで は チ プ ト ・マ ン ダ ン クス モが 好 ん で 用
い た グ ロモ
(
Kr
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) の 民 (平 民 ) と並 称 され るに 留 ま る( しか し1
9
3
2年 , 刑 期 の 縮 減 に よ
っ て 出獄 した ス カル ノが , イ ン ドネ シ ア党 で そ の活 動 を再 開 す る と と もに , マル - ユ ニ ズ ムは
イ ン ドネ シ ア覚 の党 是 とな り, マル クス主 義 と ガ ン ジ ー主 義 の影 響 を強 くも ち なが ら も, そ れ
は イ ン ドネ シ ア民 族 を総 称 す る とい う性 格 を もっ て い く( そ こで は イ ン ドネ シ ア総 人 口の 9割
を越 す農 民 と農 村 共 同体 とが ス カ ル ノの 視 野 に 入 り, ス カル ノは語 りか け の対 象 を , 民 族 主 義
イ ン テ リゲ ン ツイ ア の 仲 間 うち か ら次 第 に 郡 市 文 化 の 外 側 へ 向 け て い く〔
3. 第 3期 (
1
9
3
4年 ∼1
9
41年 )
この時 期 は , ス カル ノが 第
2の逮 捕 を され て 後 , 流 刑 地
(フ ロ- レス 島 の エ ンデ お よび ス マ
トラの ベ ン クル -) で過 す 時 期 で あ る (3
0年 代 後 半 の 民 族 運 動 は , 政 庁 の武 断 政 策 化 で 協 調 政
党 だ け が 存在 を許 され , そ の主 張 も独 立 か ら 自治 権 獲 得 - , 植 民 地 主 義 反対 か ら ファ シ ズ ム反
対 ・連 合 国 支 持 へ の政 庁 の鋳 型 の 中 へ 流 し込 まれ て い くの で あ るが , この 時 期 流 刑地 に あ っ た
ス カル ノは , さ らに 深 く民 族 の一 体 性 と民 族 の エ トス に つ い て そ の 原 点 を きわ め て い こ う とす
る〔 そ の 道 は イ ス ラ ム一 体 性 とデ サー 体.
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i とを結 合 させ て い く道 で あ っ た ( そ れ は , デ サ の 民
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衆 とデ サ 的価 値 観 とを従 来 の彼 の 闘 争 原 L
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j(独 立 至 上 主 義 , オ ラ ン ダ否 定 ,進 歩 法 i
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の信 奉 )
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パこど う位 置 づ け るか とい う 問 題 と して , デ サ が 強 烈 に 彼 の 意 識 に の ぼ っ て くる過 程 で あ
く
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エ ンデ書 簡 』 中 , ス カル ノは , ナ シ -ル らに 代 表 され る イ ス ラ ム近 代 派 を 高 く評 価 し,
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6年,タン ・-ラカに よって唱えられ るが , 両者のマサ ・ア クシ思想の間に
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三
三
本的な発想 の相違がある。 タン ・マラカが,マル クス主義の方法論で社会諸階級 とその力関係を分
析す るのに対 し,スカル ノがマ′し-ユニズムで唱えるマサ ・ア クシは,社会諸階級の分析ではな く,請
階層の団結を民族の総反乱の基礎に しよ うとしている。
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e,1926.
スカル ノのマルハユニズムについては決の詩論文中にみ られる。
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07.
577
東 南 ア ジ ア研 究
8逢 4 号
守 旧 派 イ ス ラ ム を く りか え して 批 判 す る 。29) ォ ラ ン ダ に対 し て ほ と もか く, イ ン ドネ シ ア民 族
内 の あ る部 分 に これ ほ ど ス カル ノが 怒 りを ぶ つ け る例 は 他 に は み られ な い 。 これ は い まだ に
ク ラ マ ッ トを信 じ る 「盲 信 の 徒 」 と し て ス カル ノの 怒 りの対 象 に な っ て い る人 々 こそ が , 実 は
『ェ ソ デ書 簡 』 以 後 の ス カ ル ノの 視 野 の 中 に 一 杯 に ひ ろ が り, ス カル ノが 語 りか け よ う とす る
民 衆 で あ る こ とを 示 し て い る 。30' 「マ ル - エ ソ」 と総 称 した イ ン ドネ シ ア民 衆 の 実 体 を ス カル
ノは 究 め て い こ う とす る。 そ の 場 合 ス カル ノは , デ サ の 中 に あ る ア ダ ッ ト化 され た イ ス ラ ムに
注 目す る。 エ ン デ とベ ン クル ー で , この デ サ の ア ダ ッ ト化 され た イ ス ラ ム を 近 代 化 し, イ ス ラ
ム の 近 代 化 が く りか え し説 か れ るが , そ れ は ア ダ ッ ト化 し た イ ス ラ ムを 村 落 か ら引 き抜 き, こ
れ を イ ス ラ ム ・イ ン ター ナ シ ョ ナ リズ ム (イ ス ラ ム近 代 沢 ) に 表 層 的 に合 体 させ る こ と を一 義
的 に 意 味 し た の で は な く, む し ろ逆 に デ サ に 「新 た な イ ス ラ ム」 を つ な ぎ と め , 伝 来 の 細 分 化
し た イ ス ラ ム価 値 に ナ シ ョ ナ ル な普 遍 性 を 与 え よ う と し た こ とに あ る。 イ ス ラ ム を もっ て イ ン
ドネ シ ア の 国 教 とす るか 否 か ほ ,45年 憲 法 設 定 の 際 に 問 題 と され るが ,45年 憲 法 (お よび パ ン
チ ャ ・シ ラ) で 神 - の 信 仰 を 国 是 とか か げ な が ら も, そ れ が ア ッ ラ ー (イ ス ラ ム の 神 ) と た だ
ち に 同一 視 され な い こ と を ス カ ル ノは 宗 教 に対 す る個 人 の 主 体 的 な選 択 とそ の 選 択 に対 す る個
人 の責 任 と し て説 明 し て い る0
4. 第 4期 (
1942年 ∼ 1945年 )
す で に 1928年 の 論 文 で ス カル ノは , 太 平 洋 戦 争 の 予 感 に つ い て語 り, これ が イ ン ドネ シ ア解
放 の 契 機 と な る こ とを 予 想 し て い た O31)シ ャ フ リル の い う よ うに , 日本 軍 侵 入 と と も に 非 協 調
か ら協 調 - と変 節 し, 日本 ファ シ ス トの 手 先 と し て 使 わ れ た 32), と ス カル ノ を 見 る こ とは で き
な い 。 ス カル ノに とっ て 唯 一 の 亀 裂 線 は , イ ン ドネ シ ア と オ ラ ン ダ の 間 に あ り, そ こで 民 族 独
29
) スカル ノと 『エ ンデ書簡』については拙稿を参照 されたい。
季刊東亜』第 1
1号 ,1
9
7
0,pp.2
4
-5
2.
土屋健治 「スカル ノと 『エ ンデ書簡』」『
30
)後年 ,1
9
47
年,ジョクジャカル タに共和国の首都を構えた スカル ノは, ここで,彼 の女性論 『サ リナ』
を著わ している。その中で,おそ ら くベ ンクル ー流刑地時代の思い出 と思われ るエ ピソー ドが出て くる
が,そ こで語 られ るよ うな,小心で善良な, しか もかた くなに外部世界の浸透 を拒 も うとす る庶民の姿
9
3
4年以降,スカル ノは絶えず心に思い描いているよ うである。 この人 々が,デサ共 同体の精成員で
を1
あ り,夜 の ワヤ ンの幻想の世界に浸 る人 々であることについて,流刑地でスカル ノは思いあ らたに した
ものであろ うと思われ る。
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年 中の法廷弁説 で も
スカル ノは太平洋戦争が必然的に勃発す る ことを述べ ている。
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9
45.
なお,アンダー ソンは この 『
われわれの闘争』 とスカル ノの 『パ ンチャ ・シラの誕生』 (
1
9
45
年) と
を,近代 イ ン ドネシア民族運動においてオランダ的思考体系 とジャ ワ的思考体系 とが行 き着 いた二つの
極点であ ると指摘 している。 この指摘は,戦後のイ ン ドネシア政治過程 を見てい く上において も重要な
示唆を与えるものである。
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57
8
日章 :ス I
)ル ノ の 研 究
立 を獲 得 す る闘争 に そ の政 治 生 命 をか け て きた か らで あ る〔 日本 軍 政 下 の ス カル ノは, 日本 軍
に よっ て は じめ て大 量 に組 織化 され 軍 事 訓 練 を施 され て い く 「マル - エ ソ」 と 日常 的 に葦 す る
ことになる。
1945年 6月 の パ ンチ ャ ・シ ラ演 説 は , ス カル ノの独 立 至 上 主 義 が そ の全 体 を貫 き, か つ , き
た るべ き独 立 イ ン ドネ シ アの 国家 原理 , 民 族 エ トスが 表 明 され る「 そ j
Lは, ゴ トン ・コ ≡ ソ と
い うデ サ ・エ トスに 帰 着 す る とス カル ノは述 べ て い る。 しか も この ゴ トン ・ロ ヨンほ , ダイ ナ
ミッ クな共 同体 思 想 で あ る とス カル ノは解 説 して い る。3
3
)
ス カル ノは民 族 エ トス を デ サ ・エ トスに求 め,逆 に デ サ ・エ トス を 民 族 エ トス と して 普遍化
し, これ を生 きた "言 葉 日 に か え, しか も, それ に よっ て デ サ ・エ トス そ の もの に , ダイ ナ ミ
ッ クな概 念 を与 え よ うと した の で あ る。倫 理 政 策 が 砕 こ う とした民 族の背 骨 を, デ小 の 深 み の
中 に求 め て い こ うとす る民 族 指 導 者 ス カル ノの歩 み は , 日本 軍 政期 に そ の最 後 の 目標 を きわ め
た とい え よ う。
パ ンチ ャ ・シ ラは 今 日に至 る イ ン ドネ シ ア政 治過 程 を 基 本 的 に規定 して きて い る一 笑年 の
「指 導 され た民 主 主 義 」 (
DemokrasiTer
pi
mpi
n)も, ナサ コム (
NÅSAKOM )も, ノミン÷ ヤ ・
シ ラに至 るス カル ノの過 程 とつ ない でみ て い く必 要 が あ ろ うが , それ は後 の問 題 と した い (
今 世 紀 初 頭 , フル フ ロ- ニェ は, 】.
・
・
-強 力に (
東 イ ン ドで) 出現 した運 動 に わ /
行わ れ が 協
力 しそれ を指 導 して い くか , それ と もそ の 運 動 が まも な く現 わ j
Lるで あ ろ う何 か 他の霊 感 の指
導 下 でわ れ わ れ の抵 抗 に もか か わ らず 完 成 す るに まか せ るか -・
・
・」31
)と, オ ラ ン ダに とっ て無
・
気 味 な予 言 を して い る。 実 際 , そ の運 動 は 「フ ラン ケ ンシ ュ タイ ン」35'ス カル ノの下 で 亮成 さ
れ て い くことに な るが , それ が 完 成 に至 る遺 す じほ決 して あ らか じめ措 定 され て い たわ け で も
な く, また,直 ちに もろ も ろの ジ ャ ワ神 秘 主 義 と結 び つ い て い っ た の で な く,全 イ ン ド
'ネシ ア
(ジ ャ ワだ け で は な い !) の村 落 共 同体 (デ サ) の エ トス を民 族 の エ トス - と普 遍化 し, それ
に た えず ダ イ ナ ミズ ムを与 え よ うと して い っ た遺 す じ と して理 解 され うるの で は な い し
っだ ろ う
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