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スピーチ【PDF:89.8KB】
日本人は冷たいか ジョエル マレロ 最近、国際化や、異文化理解などのようなスローガンが世界のあちこちで聞こえる事があります。 しかし、それに反して実践の段階では或る民族について考える時に偏見を持たれたりする事がよ くあります。時々、「でもでも、日本人は冷たい」なんて云うつまらないセリフを聞く事もあります。例 えば、私の国キューバでは「おしん」という日本のテレビ連続ドラマが放送されました。それを観て いた皆は、毎日のように感動させられっぱなしで、はからずも泣いていたのです。なのにその中か ら、意外にも「日本人は冷たい」と聞いた事があります。又、「命」というドラマの時も、全く同じ現象 が起こりました。なぜか分かりませんが皮肉なことに涙を流しながら「日本人は冷たい」と又言い 出す人がいるのです。「もしかして、あなたの体温計が壊れているんじゃないですか。」と言いたく なります。しかし、こんなことを主張している例は観光で来日する外国人から、出稼ぎの人々、日 本の奨学金で留学している学生、はたまた外交官に至るまでまだあります。しかも彼らのほとんど は日本に興味があると言っているくせに、平気な顔で例の「日本人は冷たい」を口から出すのです。 確かに日本人にはあいさつをする時にキスし合ったり、抱き合ったりする習慣がなくて、あまりにも 情熱的なラテン人達にとってはそういう意味では物足りないと言えるかもしれませんが、だからと 言って「日本人は冷たい」と言える筈はありません。 私に言わせれば、そういう表現の根底には先ず、偏見に満ちた視点が存在していて、それはこ の世の中への非常に狭い考え方に過ぎないと思います。更に、そういった考え方を持っている限 り、この地球上に住んでいる人間の本物の温かさを知らずじまいになるとまで言い切ってもよいと 私は思います。 私の考えでは、もしも、皆自分勝手に温かさの基準を決めたら大変な事になるかもしれません。 例えば逆の例を出してみれば、ひょっとしたら「それこそ、ラテン系の人は甘い、くどい、しつこい」 などと日本人に言われる事が起こりかねないでしょう。 このままでは、国同士、更に人間同士の交流に基づくいわゆる国際化のような理想に中々至れ ない環境になってしまいます。同じ人間同士がお互いに認め合うのはそんなに難しいのでしょう か。 次の様に考えてみましょう。世界のどこの国にでも独特の気候や土地柄や言葉、歴史等があっ て、それぞれの要素の混じり合いによって、様々な文化や国民性や価値観等が形成されてくる訳 です。そうでなければ、なんてつまらない世の中になるでしょう。それさえ認めれば、次に、各国民 にそれなりの温かさがあると言う事を認める段階に簡単に行けるでしょう。日本人と言えば一つの ヒントをあげましょう。日本人はどんな生活ランクの人でも、どんな上下関係にあっても、床の上の 畳に座って、狭い空間で皆でお酒をつぎ合いながら交流するのを大事にする民族です。そう云う 雰囲気から湧いてくる温かさを私自身は何度も味わった事があります。もし、この例だけでは足り ないなら、もう一つ出してみましょう。日本人はお風呂が大好きです。皆で銭湯に行く時に恥ずか しがらずに友達の背中を流したり、裸でお喋りをしながら一緒にお湯に入ったりする事によって、 単なる入浴を人間同士の交流のきっかけにしてしまいます。 つまり、ここで言いたいのは、自分以外の人の立場に立ってみて、その国の人々の温かさの表 し方を素直に体験する必要があると云う事です。そうしてこそ異なる価値観を共有して、それまで 知らなかった人間の温かみが見えてくるでしょう。そのつもりで日本人とつき合っていけば、きっと その内、新しい貴重な発見も沢山出来るし、やがてもう少し心豊かになった国際人の新しい自分 に出逢えると私は思います。