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恋しい人は去った後

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恋しい人は去った後
恋しい人は去った後
日本基督教団鈴鹿教会牧師 石 田 聖 実
雅歌 5 章 2 ~ 8 節
眠っていても/わたしの心は目覚めていました。恋しい人の声がする、戸をたた
いています。「わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。わたしの鳩、清らかなおと
めよ。わたしの頭は露に/髪は夜の露にぬれてしまった。」 3 衣を脱いでしまっ
たのに/どうしてまた着られましょう。足を洗ってしまったのに/どうしてまた
汚せましょう。恋しい人は透き間から手を差し伸べ/わたしの胸は高鳴りまし
た。恋しい人に戸を開こうと起き上がりました。わたしの両手はミルラを滴らせ
/ミルラの滴は指から取っ手にこぼれ落ちました。
戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。恋しい人の言葉を追って/わ
たしの魂は出て行きます。求めても、あの人は見つかりません。呼び求めても、
答えてくれません。街をめぐる夜警にわたしは見つかり/打たれて傷を負いまし
た。城壁の見張りは、わたしの衣をはぎ取りました。エルサレムのおとめたちよ、
誓ってください/もしわたしの恋しい人を見かけたら/わたしが恋の病にかかっ
ていることを/その人に伝えると。
雅歌は恋愛の歌です。一つ一つの歌の言葉がどのような成り立ちを持ってい
るかは明らかではありません。しかし、聖書の中での雅歌は、神さまとイスラ
エルの民の関係をあらわすものとして読まれてきました。
今日読まれた箇所の筋を確かめましょう。夜、一人の乙女が自分の部屋で寝
ていました。服も脱ぎ、足も洗い、化粧も落としてもうベッドの中に入って半
分眠っていたのです。その時に恋しい男性がやって来て戸をたたきます。しか
し、鍵がかかっているので入れません。彼女はもう自分は寝てしまっていると
言います。それでも彼はあきらめず中に入りたそうです。彼女はもう我慢でき
なくなり、起き上がり、ミルラの良い香りを体につけ、身支度をして玄関に向
かいました。
しかし、彼女が戸を開けたときにはもう恋しい人の姿はありませんでした。
今度は彼女が恋しい人の姿を求めて、夜の街へと出て行きます。しかし、香水
の匂いをぷんぷんさせて夜の街を歩く彼女は、売春婦と間違えられてひどい目
に遭いました。ひどい目に遭いながらも彼女は「もしわたしの恋しい人を見か
けたら、わたしが恋の病にかかっていると伝えてほしい」と願うのです。これ
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が今日の個所のざっとした内容です。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいてい
る。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があ
れば、わたしは中に入ってその者と共に食事を
し、彼もまた、わたしと共に食事をするであろ
う。」というヨハネの黙示録に出てくるキリスト
の言葉があります。この言葉に基づいてハントと
いう画家が絵を描きました。夜、キリストがラン
タンを持ってある家の玄関をノックしている絵
です(ウィリアム・ホルマン・ハント『世の光』
1853年)。ところがその扉には取っ手がありませ
ん。友人がこの事を指摘すると画家は、、「よく見
つけてくれましたね。キリストが家のドアをノッ
クする時、そのドアは内側からしか開かないので
すよ。」と答えました。心の扉は中からしか開け
られません。
私たちは自分でキリストを迎え入れなければな
りません。キリストを迎え入れるためにどんな準備が必要でしょうか。念入り
にお化粧をし、身なりを整えてから迎えるべきでしょうか。
マタイによる福音書25章にはこんなお話しがあります。ある結婚式で10人の
乙女が花婿を出迎える係として灯りを手に待機していました。ところが花婿の
到着が遅れ、彼女たちは皆居眠りしてしまいました。「花婿が到着したぞ」と
叫ぶ声で目を覚ました時、 5 人は手にしていた灯りの油がなくなり消えていま
した。そこで急いで油を買いに行ったのです。その間に花婿が到着し、家の中
へと入りました。油を買ってきたときには既に扉は閉じられて、もう中に入れ
てもらえませんでした。このお話はしばしば、「油断大敵」とか「備えあれば
憂いなし」という文脈で引き合いに出されますが、私の考えでは「持ち場を離
れてはならない」か「自分の役割を忘れるな」ということです。花婿がもう到
着したのに、出迎えるという大事な務めを放り出して油を買いに行ったのが彼
女らの失敗です。灯りが消えていても彼女らはそのままで花婿を出迎えるべき
でした。今日の雅歌で言えば、乙女は身支度をし、高価な香水ミルラを塗って
…などしていないで、恋しい人が戸を叩いている時にすぐに戸を開けるべきで
した。
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしは
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あなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、
救いの日(コリントの信徒への手紙二 6 章 2 節)。金城学院大学というイエス・
キリストに基づく大学にいる 4 年間を神さまから与えられたチャンスとしてい
ただきたいと願っています。
2014年 4 月29日 朝の礼拝
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