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夏目漱石の『文学論』のなかの科学について

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夏目漱石の『文学論』のなかの科学について
化学史研究
KAGAKUSHI
1985,pp.167-177
〔論 文〕
夏 目漱石 の
『 文学論』のなか の科学観 につ いて
立
1。
花
太
郎
会学 の方面 よ り根本的 に文学 の活動力を論ず るが
研 究 の発 端
夏 目漱 石 が 1900年 (明 治33年 )9月 以来の イギ
リス 留学 を了えて帰国 したのは19o3年 (明 治36年 )
1月 で あ った ,そ してその年 か ら東大 に お い て
主意 」 とした ので あ る。 この経過 をみ て も漱 石 が
ど こかで 科学 の本 質を問題 とした として も,そ れ
は きわ めて 自然 の こ とで あ る
.
『 文学論』 の成立 には一 人 の化学者池 田菊苗が
あ る触媒的役割を演 じた こ とは ,漱 石 の 日記 ,書
「 英文学概説 」 の講義を 行 った .そ の一 部 の「 内
容論 」を
「 1下 の 中川芳太 郎 が 筆写 し,そ れ に漱 石
簡 ,談 話「 処 女作追 懐 談 」(1908)な どか ら,小 宮
が 筆 を入れ たのが『 文学論』 (19o7)で あ る
豊 隆1)を は じめ として 多 くの漱 石研究者 に よって
.
文学 とは何 か "を
『 文学論 』 は 書名 の とお り “
論 じた講義 で あ るが ,そ の中 に “科学 とは何 か ち
“文学 と科学 との相違 "を 論 じた 箇所 が あ る.そ
こか ら漱石 の科学観 を うかがい知 る こ とが で き る
が ,そ れは決 して常識的な,あ るいは通 俗的 な見
解 では な く,科 学史的観点か らみ る と,そ れ は 当
時 (19∼ 20世 紀 )の 科学事情 を反映 した 科学観 と
して表 明され てぃ るので あ る
.
この こ とは 日本 の科学史か らみ て興味 あ る問題
を含んでい るよ うに思われ るが ,調 査 したか ぎ り
では ,漱 石 の科学観 を科学 史的 に,あ るいは漱 石
研究 の立場か ら立 ち入 って論 じた 研究 は これ まで
発表 されてい な い よ うで あ る
.
漱 石 の文学研究 は ロン ドンに留学 中 に発意 され
た ものであ るこ とは『 文学論』 の序文 の 中 に 書 き
記 され てい る.漱 石 は「 文学書を読ん で文学 の如
何 な る もの なるか を知 らん とす るは血 を以て血を
洗 ふが 如 き手段 」 で あ る と信 じた ので ,あ らため
て 哲学書か ら生 物学書 に至 るまで読書範 囲を拡大
し,読 書 ノー トを作 った。 そ して「 重 に心理学社
1985年 9月 28日 受理
早 くか ら指 摘 され ていた .池 田の役割 と い う の
は,た とえば瀬 沼茂樹 幼が「 誇張 してい うな らば
,
漱 石 の学問 とそ の方法 は 池 田菊苗 との遅近 に よっ
て ,初 めて 自覚 させ られた とい って よ い。」 と述
べ てい る よ うに,科 学 の強 靭 な論理構成 の方法 を
たびたびの議論 を通 して文学者漱 石 に 自覚を させ
た とされ てい る
.
漱 石門下 の物理学者寺 田寅 彦"は「 夏 目漱石先
生 の追憶」(1932)の 中 で次 の よ うに書 いてい る
.
「 (先 生 は )一 般科学 に対 しては深 い興味 を もっ
て居 て,特 に科学 の方法論的方面 の話 をす るの を
喜 ばれ た 。文学 の科学的研究方法 と云 ったや うな
大 きな テーマが先生 の頭 の 中に絶 えず動 いて ゐた
こ とは ,先 生 の論文や , ノー トの 中 か らも想像 さ
れ るであ ら うと思ふ 。」
漱 石研究者 のい うと ころ と寺田 の上 述 の追憶 と
は よ く一致 してい る.お そ ら く科学的方法 の 自覚
の過 程 の途 上 で漱 石 は “
科学 とは何 か "を 考 え ざ
るを 得 な か ったで あ ろ う。 そ のための読書 と思 索
の跡 は『 漱 石 資料一 文学論 ノー ト』4)の 中 に メモ
として残 され てい る.そ の解読 も これ まで手を つ
け られ てい な い よ うで あ る
.
以上 の よ うに,こ れ までの漱 石文献 か ら漱 石 と
168
化
学 史 研 究
1985
No。 4
上 で ,あ らた め て 漱 石 の 科 学観 を吟 味 し,そ の 由
的 Fと 科学 的 Fと の比較一 汎」 の 中 です べ て つ く
され てい る.漱 石 の意 図は比較 に あ るわけ で あ る
来 と背 景 を追 求 した 結 果 ,明 らか に な った と ころ
が ,そ の なかの科学 お よび科学者 に 関す る見解だ
を こ こに 記 述 した い と思 う
けを特 に取 りあげ て吟味 してみ よ う
科 学 を結 び つ け る筋 道 を まず 巨視 的 に 見 きわ めた
.
.
2。
漱 石 の科学観 は まず この章 の書 き出 しに示 され
漱 石 の 文 学 理 論 と科 学
る5).
『 文学論』 は全体を次 の 5編 に分けて構成 して
ある。(1)文 学的内容の分類 ,(2)文 学的内容の数量
几 そ科学 の 目的 とす る ところは 叙述 に して
的変化,(3)文 学的内容 の特質,(4)文 学的内容の相
互関係,(5)集 合的 F.
説 明 に あ らず とは科学 者 の 自由に よ り明 らか
な り。 語を換 へ て 云へ ば 科学 は “How"の 疑
第一編の書 き出 しに「 几そ文学的内容の形式は
間を解け ども “Why"に 応ず る 能 は ず ,否
これ に応ず る権利 な しと自認す る もの な り
(F+f)な ることを要す」 とい う漱 石理論 の 基 本
原理が示されてい る.こ こで Fは 人 の意識の流れ
において,あ る時間その焦点をな してい る認識的
要素(知 的要素), fは それにともな う情緒的要素
を意味 している.個 人 の Fは 刻一刻変わ りつつあ
るが,あ る時間を区切 ってみると,そ の間を特徴
.
Llllち 一 つ の与 へ
られた る現象は 如何 に して生
じた る もの な るかを説 き得れ ば 科 学 者 の 権
能 ここに一段 落を告 ぐる も の な り.さ て此
“How"な る質問 に応ぜ ん とすれ ば ,必 ず此
与 へ られた る現象 の拠 って生 じた る経路 を辿
づけるFが あ り,さ らにある種 の人間 の集団にお
いてはその集団に固有 の Fが あ り,そ れは時代 と
らざるべ か らず .故 に科学者 の研究 には 勢 ひ
「 時 」 な る観 念 を脱却す る こ と能 はず
ともに変化 してゆ くとす る (そ れが Zeitgeistで
あるとい う).
そ のことを漱石 は次 のよ うに述 べて い る。
「凡
科学 に対す る同 じ見 解 は『 文学論』 か ら 2年 後
そ吾人 の意識内容たるFは 人に よ り時 によ り,性
質 に於 て数量 に於 て異なるものに して,其 原因は
遺伝,性 格 ,社 会,習 慣等 に基 づ くこと勿論 なれ
ば,吾 人は左 の如 く断言す ることを得べ し.即 ち
同一 の境遇,歴 史,職 業 に従事す るものには 同種
の Fが 主宰す ること最 も普通 の現象な りとす と
.
従 って所謂文学者なる者 に も亦 一定 の Fが 主宰 し
つつ あるは勿論 なるべ し
`」
.
に刊行 された『 文学評論』 (1909)の なかに も見 え
てい る.こ れは「 十八世 紀英文 学 」 と題 した 東大
の講義を ま とめた もので あ る.こ の方 が くだけて
書 いて あ るので 内容 は重 複す るが ,問 題 の と ころ
を 引用 してお く
.
其道 の人は科学 を斯 う解釈す る.科 学は如
何 に して といふ こ と即 ち Howと いふ こ とを
,
研究す る者 で ,何 故 といふ こ と即 ち Whyと
いふ こ との質問 には応 じ兼 ね る といふ ので あ
,
る。例 へ ば蚊 に花 が 落 ちて実 を結 ぶ といふ 現
.
そ こで漱石 は文学者 の Fを 論ずるにあたって
文学者 とは別な階級 の Fと 比較 し,そ の類似点
相違点を見 る ことを試み る.そ の場合,「 普通 は
象 が あ るとす る と,科 学 は此問題 に対 して
文学 に対す るに科学を以てすれば,暫 く文学者対
科学者 (哲 学者を も含む)に つ き論ず る」 ことに
如1何 なる過程 で花が落ちて又如何なる過程 で
実を結 ぶか といふ手続を一 々に記 述 し て 行
したのである.漱 石は このよ うな理 由か ら科学
もしくは科学者を論ずる ことになった。
く.然 し何故 (Why)に 花が落ちて実を結ぶ
か といふ (然 かな らざるべか らず といふ)問
題は棄 てて顧みないのである.一 度 び何故 に
,
3。
漱 石 の科 学 観
文学 と科学 の比較 の問題 は第三編第一章「 文学
,
といふ問題に接す ると神の御思召 で あ る と
か,樹 木が左様 したか ったのだ とか,人 間が
夏 目漱石 の『 文学論』 の なか の科 学観 に つ いて (立 花 )
しかせ しめたのだ とか 所謂
Win即 ちあ る一
表
1
種 の意志 といふ者 を持 て 来 なければ説 明が つ
169
科学者 に よる科学論 の著作物 と関連事項 (1881
--1909)
かぬ .科 学者 の見 た 自然 の法則 は只其儘 の法
著 作物 は翻訳 が あ る場 合 はそ の書名 または表題 で示す
則 で あ る。 之を支配す るに神 が あ って此神 の
年号 は 原著 の刊行年 で あ る。
御思召通 りに天地が 進行す る とか何 とか いふ
No。
何故問題 は科学者 の関係 せぬ 所 で あ る。 だか
・ボア=レ ーモン(Du Bois‐ Reymond):
デュ
『 自然認識 の限界』
マ ッハ (Eo Mach):『 力学 の歴史的・ 批
1883
判的研究』
1885 マ ッハ :『 感覚 の分析』
ピアソン (Ko Pcarson):『 科学概論』 (原
1892
π″α″げ &グ ε
題,動
`η `)
`Grα
.
借此如何 に してFllち
Howと
いふ こ とを解
釈す る と俗に いふ 原 因結果 といふ 答 が 出 て 来
る.然 し前に述 べ た様 な訳だ か ら此原因結果
とは或現 象 の前 には必ず或現 象 が あ り,又 或
現 象 の後 には必ず或現 象 が 従 ふ と い ふ 意 味
で,甲 が乙を 然 か な らしめた杯 といふ 意味 で
人名・ 書名・ 論文表題・ 関連事項
1881
ら至 って 淡 白な考 で研究 に取 りかか る と云 つ
て も宜 しい
1年
.
5
1895
6
1899
7
1900
8
1901
)〕 こ し ,rt船 [L驚│:│,ld)}奉 二条
葉チ
対 原子論 の論争 (ド イツ 自然科学者・ 医
学者大会 )
ヘ ッケル (E.H.Haeckel):『 宇宙 の謎』
9
1902
プ ラ ン ク (M.Planck):量 子概 念 の提 出
夏 目漱石 :『 文学論』ノー ト (ロ ン ドン)
ポア ンカ レ(H.Poincar6):『 科学 と仮説』
10
1905
ポア ンカ レ :『 科学 の価値』
11
1905
12
1906
アイ ンシュタイン (A.Einstein): 特殊
相対性理論 の提 出
ヂ ュエ ム(P.Mo M.Duhem):“ La Th6o―
rie Physique: Son(Э biet, Sa Stmcture"
で あ る こ とがわか る.以 上が 漱 石 の科 学 観 で あ
13
1907
る。
14
1907
はないのは無論 で あ る.そ れ で此原因結果を
探 るには分解をす る
.
さ きに『 文学論』 の 引用 で,科 学者 の研究 には
で きな い と述 べ てい る
「 時」な る観 念 か ら脱去口
「 時」
とは ,上 記 の 引用 に よって ,現 象 の 因果性 の意味
4.『 文 学 論 』
ノー トの 時 代 -1901年
漱 石 が ロン ドンの下宿 で文学論研究 の ノー トを
作 り始 めた のは村 岡勇0に よれ ば1901年 の秋 か 冬
頃 で あ る.こ の年 , 日本 では 東大 において ドイ ツ
人教 師 ベ ル ツ (E.von Balz)力 ヽ
大学 関係者 を 前
に して科学 の意義 を説 いた 有名 な演説 6)を 行 って
いる
.
15
1908
16
1909
17
1909
18
1909
夏 目漱石 :『 文学論』
ジ ェームス (W.James):『 プラグマ チ
ズム』
オス トワル ド :『 エ ネルギ ー』
プ ラ ン ク :“ 物理学的世 界像 の統 一 "
レー ニ ン (V.I.Lenin):『 唯物論 と経験
批判論』
ペ ラ ン(J.Perrin): “
Movement Brown‐
ien et ]Rё alit6 Mo16culaire"
批判 が 高 まった時期 とい うこ とが で きる
Why"に 対 す る “説
経験論 に立 てば 科学 は “
.
この世 紀 の 転換期 は 同時 に科学思想 の変革期 で
あ り,ポ ア ンカ レの言葉を か りれ ば「 物理学 の危
機 の時代」 で あ った 。 それゆ え科学者 の間 に科学
明 "を 求 め る ものではな く,“ How"に 対 して “記
述 "す る もので あ る.一 般 に説 明科学 と見 な され
の本質 に関す る省察 が く りか え され ,ま た あ る と
解釈す る立場 が主 唱 され るよ うにな ったのは19世
紀後期 におい てで あ った .キ ル ヒホ ッ フ (G.R.
Kirchho∬ ,ド イ ツ),マ ッハ (Eo Mach,オ ース ト
きは論争 を よんだ .漱 石 の科学観 の背景を なす こ
の時期 に刊行 された 科学者 に よる科学論 の書名 と
関連事項を表 1に ま とめ る.こ の期間 の科学思想
上 の一 つ の特徴 と して ,前 半 は マ ッハを代表 とす
る経験論 な い し実 証論 (以 下一括 して経 験論 と記
す )が 勢力 を振 る った時期 ,後 半 はそれ に対す る
ていた 物 理的科学 を この よ うな意味 の記述科学 と
リア),デ ュエ ム (Po Mo Mo Duhemフ ラ ンス),
オ ス トワル ド(Fo Wo Ostwald, ドイ ツ), ピア ソ
ン (K.Pearson,イ ギ リス)ら は この立場一記述
学派 に 属す る著名 な科学者 で あ るが ,そ の代表 的
170
学
化
研
史
究
著作 は表 1に あげ て あ る
る
.
振 りか え って漱 石 の科学観 を読めば ,そ れは ま
No。 4
1985
.
Pearson(K.)The Grammar of Stience。
のにほか な らな い .漱 石 が「 几 そ科学 の 目的 とす
London:A&5C.Black。 1900
ピア ソン (1857-1936)は 統 計 学 ,生 物 測定 学
る と ころは 叙述 に して説 明 に あ らず とは科学者 の
の 分 野 で 名 を残 した イギ リスの 科学 者 で あ るが
自白に よ り明 らか な り」 と述 べ てい るそ の科学者
また 科 学 の 基 礎 を イギ リス経 験 論 の 伝統 に 沿 って
は 記述学派 の経験論者 で あ る
一 般 市民 のた め に 平 易 に 説 い た『 科 学 の 文 法 』
ι″εθ,1892)の 著 者 と し
(Tん ιGrα 2,zη zα rぽ Sε グ
さ し く記述学派 の科学 に対す る態度を表 明 した も
.
と ころで経験論者 は原子説 の よ うな実証 で きな
い (と 考 え られた )仮 説 は究極 において科学理論
か ら排除 さるべ きもの とされた (表 1。 No.2)。
,
て 知 られ て い る。 ギ リス ピ ー (CoC.Gillispie)8)
しか し一般 の科学者 はその よ うな認識論上 の問題
の 編 集 に な る『 科 学 者 伝 記 辞典』 の ビア ソ ンの 項
に は 記述 主義 者 と して の 彼 の 面 目を伝 え る次 の よ
は別 に して ,原 子説 の よ うな仮説を立 て “
Why"
うな文 章 が あ る。
に対 す る説 明をそれ に求 めて 研究を進 めて いた。
それ が一 般 の科学者 の常識的な態度 で あ った
“He emphasized repeatedly that science
.
can only describe the “how"of phenomena
漱 石 が この よ うな現場 の科学者 の科学 に対す る
常識的解釈 には一 言 も触れず ,あ え て 記述学派 の
and can never explain the ``why'', and
科学者 の科学 に対す る解釈を採 って, 自己 の科学
stressed the necessity of elin■ inating frOm
観 とした のには ,そ れ な りの理 由 と経過 が あ るは
science an elements over which theology
ず で あ る.そ してそれは『 文学論』成 立 の立 脚点
とな った漱 石 のい う「 自己本位 」つ の立場 と矛盾
and metaphysics may claim jurisdiction。
そ こで漱石 の科学観 である「凡そ科学 の 目的 と
す るところは叙述 にして説明 に あ らず ……語を
How"の 疑間を解 け ど も
換 へて云へ ば科学 は “
す る ものでは なか ろ う
.
5。
"
ビア ソ ン
漱 石が 自己 の思想的立場 として経験主義 に拠 っ
ていた こ とは漱石文学 の評論家 に よって よ く指 摘
Why"に 応ず る能 はず,否 これに応ず る権利な
“
しと自認す るものな り.」 とい う言葉 に対応 す る
されてい る と ころで あ る。漱 石は『 文学評論』 の
ηε
θ
θの中で探
文章を直接 Tん ιGrα ηzπ αrげ Sε グ
してみた結果,次 の ような例を見 いだす ことがで
きた (ペ ージ数 は Everyman's Library版 に拠
中 の “十八世紀 にお け る英 国 の哲 学 "に おいて ロ
ック (J.Locke), バ ー ク リ (Go Barkley), ヒ ュ
(D.Hume)の ,い わゆ るィギ リス 経 験 論
を批判 しつつ 紹介 してい るが ,取 るべ きと ころは
ーム
取 ってお り,『 文学論』 の 中 で 因果性 の説 明 に は
ヒ ュームの説 (因 果性 を習慣 の産物 とす る)が 採
る).
1。
All science is description and not
explanation.(p5)
用 され てい る.こ れか ら考 える と,漱 石 の科学観
は イギ リス経験論 の哲 学書 か ら直接 引用 して きた
2。
可能性 もあ るが ,「 科学者 の 自白」 とい う言葉 か
The scientilc law is a description, not
a prescription。
(p77)
らみ て,イ ギ リス経験論 を継承 した 記述学派 の科
学者 の書 に学 んだ 可能性 の線 が 強 い
.
3。
The discussion of the previOus chapter
漱 石 山房蔵書 目録 (漱 石全集所収 )を 点検 して
ゆ くとはた して ,表 1,No.4の ピア ソンの 書 力`
has led us to see that law in the scien_
見 いだ された 。 日録 には 次 の よ うに記 さ オして:い
hand the sequences of our perception.
tinc sense only describes in mental short_
夏 目漱石 の『 文学論』 の なか の科学観 に つ いて (立 花 )
ωに
ν those perceptions
It does not explain
have a certain order nor
repeats itself;
Lν
“
that order
171
的 な り。 由来 吾 人は常 に通 俗 な る 見 解 を 以
て ,天 下 の事物 は悉 く全形 に於 て 存在す る も
の な りと信ず .貝「ち人 は 人 に して ,馬 は 馬 な
the law discovered by
sity into the sequence of our sense_
りと思 ふ .然 るに科学者は 決 して此人或 は馬
の全形 を見 て 其儘 に満足す る ものに あ らず
inlpressions;
it merely give a concise
必ずや其成分 を分解 し,其 各性質 を究め ざれ
changes are taking
ば 已 まず .只「ち一物 に対す る科学者 の態度 は
science introduces no element of neces_
statement of λο
place。
(p99)
,
“
破壊的 に して ,自 然界 に於 て完全形 に存在す
る者 を ,細 か に切 り離 ちて 其極致 に至 らざれ
Science is the description in conceptual
4。
て 百倍及至千倍 の鏡 を用 ゐ て 其 目的を達せ ん
routine of our perceptual experience(p
とす .複 合体 に甘 んず る こ とな く,之 を原素
279)
に還 し,之 を原子 に分 か つ .さ て如此 き分解
このあ ま りにも見事な対応は漱 石が科学観 を表
明す るにあた って,そ の表現を ピアソンにか りた
ことを よく示 している.漱 石 の蔵書の Tん θGrα π_
0/Sご
θ には漱 石 自筆 の 書 き入 れ が あ
"ε
この
り,漱 石 が
書を熟読 した こ とは明 らか で あ る。
触″
ば止 まず ,単 に 肉眼 の分解 を以 て 満足 せ ず し
shorthand(never the explanation)of the
因み に 同書 の初版 は1892年 に刊行 され たが ,増
の結果 は 遂 に 其 主成 分 よ り成立 せ る全形 を等
閑視す る こ と晨 に して ,又 之を顧 るの必要 な
き こ とも或場合 に於 ては事実 な りと云 ひ 得 べ
し。例 へ ば ,彼 等 は水を分解 して H20と な
す とき,彼 等 の要す る と ころの物 は Hと
oに
H20よ
り成立す る水 其物 に あ らざるな
り。 しか らば文学者 の用 ゐ る解剖 は 如何 .可 ヽ
して
補 改訂 された 第 2版 は1900年 に刊行 された .漱 石
が購 入 したのは 目録 に1900と あ る と ころか ら,こ
説家 は性 格を解剖 し,物 象を描 くものは 其特
長 を列挙す .若 し文学者 に此態度 なけれ ば
の第 2版 で あろ う.同 書 は1937年 には Everyman's
物 の選択取 捨 を要す るにあた り,文 学的 に必
Libraryに 収 め られた .そ れ に先 だ って1930年 に
要 な る部分を 引 き立 た しめ ,必 要 な らざる部
分を後 景 に 引 き込 ま しむ る こ と能 は ざ る べ
が9a)発
は早 くも平林初之輔 に よる邦 訳
表 され
1933年 には『 科学概論』 の名 で文庫本9b)と して 発
行 され た
,
.
ピア ソンの科学思想 は マ ッハ のそれ とほ とん ど
同 じで,哲 学的 には観念論 の立場 で あ る.こ の た
め両 者 の思想 は レー ニ ンの
『 唯物 論 と経験 批判論』
10の 中 で 格好 の 攻撃 目標 とされ た 。
漱 石 に よ る科 学 者 像
6。
,
し.即 ち物 を 叙 して,こ れ を活 動 せ しむ る こ
と能 は ざるべ し.さ れ ども文学者 の解剖 と科
学者 の それ と異 なる と ころは ,前 者 の態度 は
常 に肉眼的 に して顕微鏡的 な らざるにあ り
又観 察 に拠 りて実験 を用 ゐ ざるにあ り。
,
ここで漱 石 は科学者 の本 領 は分析 に あ る こ とを
指摘 してい る.科 学 の方 法 としては分 析 と総合 と
How"に
漱 石 は 3節 に 引用 した よ うに科学は “
答 え る学問 で あ る と規定 した の ちに ,文 学者 と科
が あ るわけ で あ るが ,何 とい って も科学者 の事物
学者 の事物 に対す る態度 の相違 を次 の よ うに論 じ
学 を比較す るのに,漱 石 はそ こを着眼点 とした の
てい る
であ る
.
次 に来 るべ き文学者科学者 間 の差違 は 其態
度 にあ り。 科学者 が 事物 に対す る態度 は解剖
に対す る態度 としては まず分析 で あ る.文 学 と科
.
さ らに漱石 は科学者 の全局的視野を欠 いた 分析
一辺倒 の態度 に まで言 及 してい る.こ れ は単 に文
学者 の態度 との比較 のため に 述 べ た こ と で あ る
172
化
学 史 研 究
1985
No. 4
が , この 文 章 が 書 か れ てか ら80年 を経 た 今 日の 科
これ は ま ぎれ もな く漱 石 の あ の 奇妙な文章 の原
学 技 術 批判 の 声 の 中 に 漱 石 の 指 摘 が 含 まれ て い る
文 で あ る.漱 石 の科学観 は あ くまで も漱 石 の もの
の を見 る のは 興 味 深 い
で あ るが ,そ れ をわが もの とし,そ の表 明 の下敷
に したのは ピア ソンの書 で あ る こ との,こ れ は 決
.
7. ``COnceptual lDiscontinuity of
定的 な証拠 で あ る
.
Bodies''
上 記 の ピア ソンの文章 もあ ま り簡 潔す ぎてわか
前節に引用 した漱 石 の文章 は さらに次 の よ うに
続 いている
りに くいので,言 葉を補足 して 意訳す る と次 の よ
うにな る
.
.
Conceptual
例 へ ばか の物 理 学 者 の 所 謂 “
“
物理学者 が 物体 の不連続的構造 (原 子 または
分子 と空 虚 か らな る こ と)を 仮定す る理 由 として
Discontinuity of Bodies"(物 体 の 概 念 的 中
第 一に 挙げ るのは,す べ ての物体 に弾性 が あ る と
断性 )の 議論を見 よ.其 理 由に曰 く,凡 ての
い うこ とで あ る。 た とえば 円筒 の 中 の空気は ビス
物体 には 弾 力 あ り,空 気 の如 きも, これを円
疇 に入 れ て 圧搾す る こ とを得 べ し,こ れ凡 て
トンで押す と体積 を縮小す る (ピ ス トンの力を抜
くと,ま た 元 の体積 に もどる).ま た 本 の棒 は(両
物 体 の質 は精密 の意味 に於 て不断的 に あ らざ
端 に 力を加 え る と)曲 げ る こ とが で きる。 この さ
い棒 の一 部 (内 倶1)は 圧縮 され ,他 の部 (外 側 )
るを証す る ものな りと仮定 し得 る 所 以 な り
と。此 の如 きは文学者 の与 り知 ら ざ る 所 と
す
は伸張 され る(力 を除 くと棒 の形 は 元 に もどる)。 "
ピア ソンは上 記 の文章 の あ とで ,も し物体 が連
.
ここで漱 石 は,科 学者 が 現象を分析 した結果を
概念 に よって 総合 し知識 とす るが ,こ の よ うな科
学者 の仕事 に文学者 は 関心を もたな い と言 いたい
ため に上 記 の よ うな例 を もって きた ので あ る.そ
れ に して も,こ れ は難解 な文章 で あ る。何 かの直
訳 くさい と ころが あ る
.
続 的 にで きてい る (つ ま り全体 として均質 で隙間
がない)と した ら,弾 性 とい う性質は理 解不可能
で あ る と述 べ ている.そ して物体 の不連続的 な構
造 を構成 してい る極微 の部分を原子 と呼んだ .た
だ し この よ うな原子 も現 象 の 記述 を経 済的 にす る
ために導 入 された “
概念 "で あ る とい う ピア ソン
ハ
マ
は ッ と同 じ経験論 ,実 証論 の立場 にた ってい
こころみ に Tん θGrαππαrげ Sε グ
ηε
θ
θを 開 い
てみ る と,そ の V tt Space and Timeの 9節 の
在 とは考 えていなか ったので あ る.そ れ でDiscOn_
表 題 が “Conceptual Discontinuity of Bodies:
tinuity of Bodies(物 体 の不連続的構造 )に Con_
The AtOm"と あ る。 そ して そ の 冒頭 の 文 章 は 次
ceptual(概 念的 )と い う形 容 詞 を 付 け た ので あ
の よ うにな って い る 。
ろ う。物 体 の原子的構造 が 実験 に よって 確認 され
た のは1909年 以降 の こ とで あ る (表 1の No.18の
Foremost among the physicist's reasons
for postulating the discontinuity of bodies
た ので,原 子 に対 しては マ ッハ と同 じく客観 的実
業績 はその 一つ で あ る).
is the elasticity which we notice in aH of
漱 石 が 難解 な文 章 まで持 ち 出 して文学者 と科学
者 の態度 を比較 したが ,結 局それ は 次 の文 章 に よ
them.
って 要約 され てい る。
Air can be placed under a pistOn
in a cylinder and cOmpressed:
a bar of
wood can be bent― ‐
in other wOrds, a por_
tion of it squeezed and another portion
stretched.
ここに一言す べ きは科学者 とて も時 に物 の
全局を描 かん と力む る こ とな き に あ ら ず
.
(中 略 )同 じく物 の全局 を写 さん とす る場合
に於 て も,科 学者 は概念 を伝 へ ん とし,文 学
夏 日漱石 の『 文学論』 の なか の科学観 につ いて (立 花 )
173
者 は画を描か ん とす .換 言すれ ば前 者 は物 の
形 と機械的組立を捉 へ ,後 者 は物 の生命 と心
学論 ノー ト』 として 刊行 された 。 この 資 料 に は
『 文学論』 の素材 とな ってい る多数 の メモが 活字
持 ちを本領 とす
化 され てい るが ,科 学観 に関係 した事 項 は宗教 の
.
この文章 の 中 の機械的組 立 とは ,一 般的 には機
Unknowable"(同 書, p18)と
起源 と関係 して “
題す る メモの 中 に記 されてい る.こ こにその メモ
械論的 な メカ ニズム と解 され るが ,さ きの例 に あ
った物 理学者 の仮定す る物 体 の原子的構造 もそ の
を綴 り合わ せ ,科 学観 に関 した 部分 のみを 抽出 し
一つ であ る
1。
観察 または実験 で得 た 印象を分析 し,抽 象
し,ま たそれ を総 合し,一 般化 し,法 則 を つ く
る。 これ が 科学 で あ る
.
漱 石 が 原子説 に興 味 を示 していた こ とは次 に 引
用す る寺 田寅 彦 へ の手紙 (1901年 9月 11日 付 )で
明 らか で あ る
て 箇条書 きにす る と以下 の よ うにな る
.
.
科学 が この よ うな手続 きを とるのは,こ れ
に よって 実用的な便宜 が 得 られ るか らで あ る。 そ
2。
.
「 学問をや るな ら コスモポ リタ ンの ものに 限 り
候 .英 文学 なんかは縁 の下 の力持 , 日本 へ 帰 って
も英吉利 に居 って もあた まの上が る瀬 は 無 之候
小生 の様 な一寸生意気 にな りたが る ものの見 せ し
.
めには よ き修業 に候 .君 なんか は大 に専 門 の物理
学 で しっ か りや り給 へ 。 本 日の新聞 で PrOf。
Rickerの British Associationで や った Atomic
Theoryに 関す る演説 を読 んだ .大 に面 白い .僕
も何 か 科学 がや り度 な った .此 手紙 が つ く時分 に
・、」 (句 読点加筆).
は君 も此演説 を読だ ら う…・
の便宜 とは過去 の経験 を公式化 し, この公式を用
いて 未経験 の こ とを予測す る こ とで あ る.こ の予
測 が 可能 だか ら理学者 の得 た法則 を用 いて工 学者
が 各種 の建造物 を つ くる こ とが で きるのであ る
.
この こ とヤ
ま科学 が unifOrmity of nature とい う
大仮定 の上 に成立 してい る こ とを意味 してい る
.
3。
科学 にお け る hypothesis(仮 説 )は 合 理
的な想 像 でたて られ るが ,そ れは経験 に よって確
証 で きる よ うな性質 の もので なければな らな い
仮説 の なか に神 とか 絶対 とか経験 で きな い もの を
.
この 手紙 の 中 の Rickerと は イギ リスの物理学
者 ,Ao Wo Rickerの こ とで,そ の講演 は1901年
に大英学術振興協 会 グラス ゴー総会 で行われた
興味 あ る こ とに,こ の講演 の要 旨は レ ー ニ ン の
.
『 唯物論 と経験 批判論』 に 引用 され てい る.そ れ
は 当時最 も大 きな問題 で あ った 原子 とエ ー テルの
存在 に関 して批 評 した もので,結 論 としては両者
は理 論 としては なお不完全 な仮説 で あ るが ,そ う
か とい って原 子や エ ー テルの存在 を アプ リオ リに
否定す る根拠 もない とした もので あ る。漱 石は こ
の よ うに原子 の実在性 をめ ぐる論争を知 っていた
導 入 して も無意味 で あ る
.
4。
科学 は理 想化を行 う.幾 何学 上 の直線 とか
円はそ の例 で あ る.理 想化 とは便宜 上 煩瑣 に して
無視 して も よい要素を消去す る こ とで,理 想化 さ
れ た もの は経験 の極 限 に あ って ,な お経験 と同 じ
カテ ゴ リーのなか に あ るとして よい
.
Unknowableな もの (経 験上認識 し得 な い
の
も )の 存在 を仮定す る こ との 可否.UnknOwable
な ものは経験 の範囲 の外 に あ る.こ れ を仮定す る
5。
こ とにな る.漱 石を「 大 に 面 白い」 と書かせた の
のは ,そ の 人 の 自由で あ るが ,仮 定 した として も
何 の利益 もな い .仮 定 した場合 の弊害 は,経 験 に
は ,こ の講演 が レー ニ ンに引用 され る よ うな科学
属す べ きもの を も経験 に徴 しないで独断す ると こ
の基礎 の問題 に触れ ていたか らで あろ う
ろにあ る
.
8。
漱 石 の ノー トの 中 の メ モ の 解 読
.
以上 は で きるだけ メモの言葉 に即 して整理 した
もので あ るが ,漱 石 が経験論 の立場 に立 ってい る
漱 石 の思 索 の跡 を探 るの に重 要 な資料 で あ る ノ
こ とが 明瞭 に示 され てい る.こ この 2の 中 に あ る
ー トの メモは漱 石没後60年 を経 た後 の1976年 に よ
uniformity of natureは 帰納 法 の成立 の原理 とし
うや く村 岡勇0に よって整理 され ,『 漱 石資料一文
て ミル (Jo So Mill)が 用 いた 言葉 で あ る。
化
174
学 史 研 究
表2
1985 No.4
漱石 のノー トの中の図式 とメモ
(末 尾文献 4の p20よ り引用)
eXpeFlence
infirence_practical
l
lhesis
施蹴
p11∝
5× F=35
Lノ
福据醤
1
発達 ノ次序 ハ
Morganフ 見 ルペ シ
l
phISiCal
hyp°
酬 ■
memttydCal
¨
Ю
│
spirit etc.
│
無 理
○物理学 ノ hypothesis,ether,ion,electron 4ε αα y Feb。
`η
0生 物学 germ_plasm其 発達 ノ順序 Geddes 100-101
〃
ultilnate sex element
8,&221902
93
0Crozier Metaphysics卜 題 スル chapterフ 見 ヨ αυ。48
上 記 の よ うな メモの あ とに表 2に 示 した図式 と
Now Laplace has asserted that the prob_
注 が 出てい る.こ の 中 で 5× 7=35は これ も ミル
か ら来 てい るが ,そ の説 明は メモの 中 に 出 て い
ability that an event which has Occured p
hydrogenノ
る.奇 妙 な の は “
again, is represented by the fraction p+1
solidi■
cation"で
times and has not hitherto failed wi11 0ccur
あ る.こ れ には何 の説 明 もつ いてい な い .水 素 ガ
スの 固化 を意味す る この言葉 が ど うして 唐突 に こ
prο み
y
αbグ Jグ ″
こに書 いて あ るのだ ろ うか
3, or, as we popularly say,the odds would
.
ちなみ に水素 ガ スの固化 は イギ リスのデ ュワー
(J.Dewar)に
/p+2。
Hence in the case of hydrogen the
of repetition would only be 2/
be twO to one in its favour.
よって1898年 の液化 の成 功 に 引 き
続 いて実現 した もので,こ れ に よって ヘ リウム以
外 のす べ ての気体物質 の液化 と固化 が で きる よ う
ピア ソンは太陽 が 東 の空 か ら昇 った とい うよ う
にな った .そ れは漱 石 が ロン ドンに到着 した 直前
な過去 に反 復 して起 こ った経験 が 明 日もまた起 こ
る確率を問題 として論 じて い るのに続 いて ,水 素
の 出来事 で あ った .そ れ に して も この メモは奇妙
の 固化法 が一度 完成 された と仮定 した ら,同 じ方
で あ る。
わ た くしは ピア ソンの『 科学 の文法』 の 中 に こ
法を反 覆 して水 素 の 固化 に成功す る確率 は 如何 と
い う問題 を持 ちだ してい るので あ る。 ピア ソンが
の 言葉 が使 われ てい る こ とを発見 した .そ れは同
ど うして 水素 の 固化 の よ うな例を出 して きたかは
書 の Ⅳ章 ,Cause and E∬
明 らかでないが ,当 時 の トピ ックスにな っていた
ので あろ うか 。 それ は ともか く,漱 石 の この メモ
ect― Probability,13節
Probable and PrOvableに 次 の よ うに 出てい る。
が ピア ソンか ら由来 してい る とす る と 5×
7=35
have been Once accomplished by an experi‐
も,水 素 の固化 も同 じ問題 意識 (過 去 に反復 して
起 こ った経験 が再現す る確率 の問題 )か ら出 てい
menter of known probity and caution,and
るので ,両 者 が この 図式 に並記 されてい る こ とが
with a method in which criticism falls to
that On repetition of the same process the
で き る.“ hydrogenノ solidincation"も 漱
理解“
石が ピアソンを精読 していた証拠 である。
図式 の下 の注 のメモか ら推察で きる ことは仮説
solidiflcatiOn of hydrogen will fonovi・
に対す る漱石 の関心 であ る
Suppose the solidincation of hydrogen to
detect any ttawo
What is the probability
?
.
夏 目漱石 の『 文学論』 の なか の科学観 に つ いて (立 花 )
9。
175
験批判論 の影響を強 く受 け ,エ ネ ル ギ ーを唯 一の
根本実在 と見 なす エ ネル ギ ー論 (Energetik)13)な
池 田 一ビ ア ソ ン ー漱 石 を 貫 く経 験 論
漱 石 が ピア ソンの『 科学 の文法』 を克 明 に読 ん
で,そ こか ら多 くの こ とを学んだ のに『 文学論』
る哲 学 の主 唱者 として も知 られ てい る
池 田 は帰国後 は 東大 に新 た に設置 された物理化
には ピア ソンの名 は 出 ていない .漱 石 が ピア ソン
か ら学 んだ ものは思想 では な く,思 想を表す表現
学 の講座 の教授 として活躍す るが ,そ の 間 の 研
究 ,教 育活動を調査す る こ とに よって,池 田が オ
で あ ったか らで あろ う.そ れ に して も自然科学者
ス トワル ドの哲学 に共 鳴 し,熱 心 な エ ネ ル ギ ー論
者 とな っていた こ とが 明 らか にされ てい る.そ の
で な い漱 石 が どの よ うに して ピア ソンを知 ったの
で あ ろ うか
.
かね てか ら『 文学論』成立 にかかわ る漱 石 と池
資料 は 日本 の物理化学 の発達 史を研究 した 大 沼IE
則 14)の 未完 の論文 の 中 に集 め られ てい る
田菊苗 との関係を 調査 して い た 岡三郎11)は ,『 文
学論 ノー ト』 の 中 の メモ “
池 田氏議 論 ,哲 学 ,人
池 田が オ ス トワル ドの ェ ネ ル ギ ー論 の基礎 にあ
る マ ッハ の思想 に心 酔 していた こ とは,池 田 の後
.
生 ,文 学 ,詩 "お よび “諸家 の 同説喜 と 忌 々 敷
事 ,CrOzier,Pearson"の 解読 を試 み ,ま た 漱 石
の ロン ドン留学 中 の 図書購 入記録 を 調 査 し て
,
ηε
θ
ιが19ol年 9月 18日 に
rL crα ππαr a/Sε グ
購 入 され た こ と,さ らに また 同書 が 池 田菊苗 の蔵
書 の 中 にあ って ,そ の購 入 日付 が 同年 の 1月 で あ
る こ とを確認 した .そ して岡は「 Pearsonを 読む
.
輩 として後 に東大 の無機化学 の教授 とな った 柴 田
雄次1り の 回想 の 中に も,「 先生 は 学生時代 の 私 に
マ ッハ哲 学 の興味 につ いて 語 られた こ とがあ る。
(中 略 )ま たあ る ときは オス トワル ドの ェ ネ ル ギ
ー観 につ いて も語 られた。」 と記 され てい る
池 田 の化学 の講義 が 哲 学 か ら始 まっていた こ と
.
こ とをすすめた のは 池 田菊苗 で あ った こ とは確実
は ,た また まそれ を聴講す る機会を も った 赤堀 四
16)(当 時東大 の西沢
勇志知講 師 の助 手 )も 次 の
郎
で あ ろ う.」 と記 してい る
よ うに 語 ってい る
漱 石 と池 田 とが初め て 出会 ったのは漱 石 の 日記
に よれば 同年 の 5月 5日 の こ とで あ った .そ れ か
「 池 田 菊苗教授 の化学概論 を 聴講 しましたが
そ の講義 の初 めが 化学 では な く,「 自然科学 と 哲
ら両者がたびたび議論 を重ね てい る こ とも日記 に
記 され てい る.ピ ア ソンの名 が 池 田か ら漱 石 へ 伝
学 の 関係」 とい うもので した 。 これ には非常 に感
.
.
,
え られた のは そ の間 の こ とで あ ろ う.そ れ では な
銘を受け ま して,学 問 の深遠 さを しみ じみ と 感
じ,同 時 に科学 へ の憧 れ を抱 くよ うに な り ま し .
ぜ ピア ソンが 両者 の議論 の 中 に 出 て きた ので あろ
た。」
うか .そ れ には化学者 で あ る池 田 と ピア ソンとの
つ なが りを 明 らかにす る必要があ る
ここに漱石 のい う “
偉 い 哲学者 "が 化学教室 に
も登場 していたわ け で あ る.そ れ では 池 田は どの
池 田12)は 物理 化学 の研究 の ため1899年 ドィ ッの
よ うな講義 を して いた ので あろ うか .さ いわ いに
ライプチ ヒ大学 の ォス トワル ド教授 の研究室 に留
して ,池 田が 東大 を去 るさい ごの年 ,1922年 に新
入生 のために行 った「 化学通論」 (赤 堀 の談 話 の
.
学 した .そ して触媒作用 に関す る優れた業績 をあ
げた後 ,1901年 ドイ ツを去 って イギ リスに渡 り
しば ら く ロン ドンに 滞在 して帰国 した .漱 石 との
中 に あ る化学概論 は化 学通論 が 正確 な 名 称 で あ
出会 い ,そ して後 日の漱 石 の談話
「 処女作追懐談」
"と
の 中 で “偉 い哲学者
評 され た のはそ の間 の こ
講義 ノー トを公開 してい る.そ れ に よる と講義 の
は じめ に次 の よ うな言葉 が 出 てい る
とで あ った
「 science理 学 ,Fachwissenschaft科 学 は分類
した学問 とい う意味 で あ って,そ の基礎 は感覚 で
,
.
池 田 の 師 オス トワル ドは 化学 の 中 に初 めて物理
化学 とよばれ る新 しい体系 をつ くって化学史 に不
朽 の名を残 した 化学者 で あ るが ,ま た マ ッハの経
る)を 学生 として 聴講 した林 太郎 17)が そ の ときの
.
あ る.冷 暖 自知 ,自 ら知 らなければな らない こ と
が 多 い.化 学 は特 にそ うで あ る.」
176
化 学 史 研 究
1985
No. 4
架浅 , extensity and intensity
「 概念 に │ま 抱塔平とキ
が あ る。概念 で ま とめ るのが理 学 の特徴 で ある.」
る.そ の中 で 寺 田は「 なぜ 問題 」 に触 れ て,次 の
「 定律 は 絶対 の ものではない.外 界 に存在す る
「 個 々の方面 の事実 が個 々の法則 に ま とめ られ
た ものは確 に事実 の記載 で あ る.あ らゆ る可 視物
ものでは な く,人 間 の作 るものであ る。」
よ うに書 いてい る
.
これ らは経験主義者 ない しは 実証主義者 の言葉
体 の運動 か ら帰納 された運 動法則 は あ らゆ る個 々
にほかな らな い.ォ ス トワル ドを師 と仰 いだ 池 田
の哲学 が そ の 師を通 して,さ らに湖 れ ば マ ッハ の
の運動 を引 くるめた経済的な記載 で あ る.こ れ に
書 に学ん で形成 された こ とは明 らか で あ る.マ ッ
ハ と同 じ思 想 で 書 かれ た ピア ソンの 科学 の文法』
『
を池 田が 愛 読 したのは 当然 で あろ う.元 来経験論
へ の嗜好 を もった漱 石 の議論 の相手 は科学哲学 上
の経験主義者 で あ った。
池 田が物理化学 の研究あ るいは教育を通 して最
よって遊星 に 関す る法則や 落下 の法則や振子 の法
則 を別 々に述 べ る代 りにな る.し か し物体 の如何
な る機巧 に よって ,こ の法則通 りの運動 が起 るか
は 少 し も分 らな い .か ういふ 意味 で言 へ ば この法
則は
HowPの 答 で WhyPの 答 では な い.し か し
振子 の周期運動 がその長 さの平方根 に比例 す る と
いふ 事実を ニ ュー トンの法貝1か ら演 繹 せ られ ると
WhyPの 答解 で あ
も熱心 に経験論 を主張 した のは帰 国直後 の数年 間
の こ とで あ った 。 それ は エ ネ ル ギ ー論 の主 唱,原
いふ 事 につ いて云 へ ば こ れ は
子説 の排除 のか た ち で実践 された .し たが って帰
だ と主張 したけれ ば して も勿論悪 くはな い .一 般
国直前 に漱石 の前 に現れ た池 田は最 もそ の思想 に
法則 の 中 に個 々の法則 が 含 まれ て ゐ る,そ の含 ま
れ方 が 問題 にな るか らで あ る.」
高揚 していた 状態 にあ ったで あろ う.池 田が マ ッ
ハか あ るいはそれ よ リポ ピ ュラーな ピ ア ソ ン の
『 科学 の文法』 の一 読を漱石 にすす めた とす るな
る と云 って も差支 はない.し か し又強 ひて
HowP
この文章 は マ ッハや ピア ソンを意識 して 書 か れ
てい る こ とは 明 らか で あ る.こ れ が 書 かれ る以前
ら,そ れ は この よ うな背景か らきわ めて 自然 に 了
に 寺 田は随筆「 物理学 と感 覚」19)(1917)に おい
解 で きる こ とで あ る.そ して『 文学論 ノー ト』 の
メモ と,池 田 の講義 (林 の ノー トに よる)と に共
て ,物 理学 の発展を人間 の感覚 か らの解放 とみて
科学 上 の実在 を客観 的 に認 め る プ ラ ン ク (M.
通 した表現 (経 験主義者 の言葉 )力 `
見 られ るの も
池 田― ピア ソンー 漱 石を結 ぶ一筋 の線 の存在を示
Planck)の 主張 (表
。 の
で
で
ごす そ 線 はい うま もな く経験論 あ る
.
10.寺
田 寅 彦 と経 験 論
漱 石 が ロン ドンで文学論 の ノー トを とっていた
l No。 16)を 批判 し,「 自分 は
マ ッハ の説 に よ り多 く共 鳴す る者 で あ る。 貝
「ち吾
人 に直接 に与 へ られ る実在 は即 ち吾 人 の感覚 で あ
る.所 謂外界 と自身 の身体 と精 神 との 間 に起 る現
象 で あ る.」 と述 べ てい る.こ うして 漱 石 と寺 田
当時 ,門 下 の 寺 田寅 彦 は まだ 東大 の物理学科 の学
とは漱 石 と池 田 との間 の よ うに経験論 を共有 して
いたので あ る
生 で あ った .帰 国後 の漱 石 と寺 田 との間 で池 田 と
マ ッハや ピア ソンの認識論 が ,た とえ一時期 に
の議論や ピア ソンな どが 話題 に上 った こ とが あ っ
た として もふ しぎで はなか ろ う.そ れ らは後 日す
せ よ漱 石 と二 人 の科学者 に共有 され ていた こ とは
.
ぐれた物理学者 にな る寺 田 の科学思想 の形成 に も
単 な る偶然 の現象 とは思 えないふ しがあ る。 た と
えば 寺 田 と同年 の科学史家 で あ る桑木或雄 は マ ッ
何 か の影響を与 えた で あろ う
ハ の思想や マ ッハ とプ ラ ン クの論争 (表 1,No.16)
寺 田は物理学 に対 して独 自の見解 を もち,そ れ
を多 くの エ ッセ ィに書 き,ま たそれ を研究 に生 か
をはや くか ら紹介 していたが ,そ の さい 自分 は批
判主義 の立場 を とってい るつ も りで あ るが「 よ り
した 。 寺 田 の死後 発見 された 草稿「 物理学序説」
多 く経験主義 の立場 に傾 いている」 と著書20)の 序
.
(1920年 ,大 正 9年 起稿 )は 独 自の科学論を意
言 に書 いてい る.こ の よ うな 日本 の科学者 の経験
図 した もので あ ったが ,惜 し くも未 完 に終 ってい
論 へ のIII好 を見 る と,本 研究 は「 明治・ 大正期 の
1助
夏 目漱石 の『 文学論』 の なかの科学観 について (立 花)
日本の科学 と経験論」 とい うよ り広 い主題 の中の
一部 であるとみ ることもで きるであろ う
.
と 文
注
献
1)小 宮豊隆,『 夏 目漱石 二』 (岩 波 ,1953).
2)瀬 沼茂樹 ,『 夏 目漱石』 (東 大 出版会 ,1970).p38
3)『 寺 田寅彦 全集 文学篇 第 二巻』 (岩 波 ,1951).
岡 勇 編 ,『 漱 石 資 料一 文 学 論 ノー ト』 (岩 波
1976), まえが き
5)『 文学論』 そ の他漱 石 か らの 引 用 は『 漱石全集』
(岩 波 ,1965年 版)に 拠 る.た だ し旧漢字 は 現 漢
字 にか えてあ る
6)『 ベ ル ツの 日記』 第 一 部下 ,岩 波文庫 (1952),
4)村
,
.
.
p。
49。
177
想全集』 41巻 ,(春 秋社 ,1930).(b)『 科 学概論』
春秋文庫 45,(春 秋社 ,1933).
10) 表 1.No。 17。
11) 岡三郎 ,『 夏 目漱石研究 第 一巻』(国 文社 ,1981),
p213;『 英語青年』,130(1984),p225。
12) 池 田菊 苗 を漱石 との関連 で 紹介 してい るのに次 の
2著 があ る.(a)竹 村民郎 ,「 科 学 と芸 術 との 間一
池 田菊苗 と夏 目漱 石 の場合」,三 好 ,平 岡,平 川
江藤編『 講座 夏 目漱石』 1巻 (有 斐 閣 ,1981),
p265。 (b)廣 田鋼蔵 ,『 旨味 の発見 とその背景』個
,
人 出版 ,1984.
13) 表 1。 No。 15.
14) 大沼正則 ,「 日本 物 理 化学史
そ の 1,そ の 2」
No.18(1968)
学人文
東京経済大
自然科学論文集』
『
101;No。 19(1968)p。 91。
15)柴 田雄次 ,『 化学』 16(1961),583.
16)赤 堀 四郎 ,『 蛋 白質・ 核酸・ 酵素』,30(1985),
p。
7)『 私 の個人主義』 (1914)に おけ る「 自己本位」 の
立場 .ま た『 思 ひ出す 事 な ど』 (1911)に は「 自
分 に経験 の 出来 な い限 り,如 何 な(ど んな)綿 密 な
学説 で も吾 を支配す る能 力 は持 ち得 まい」 とい う
文章 があ る
ゴ
θ″αry c√
8)Ce C.Gillispie,et ale eds。 , 7ん θDJθ ι
.
grα 夕り , V01X(New York,1971)
&ル η″
1′ εB′ο
p.449。
9)平 林初之輔 訳
(a)「
ピア ソン科学概論」,『 世界大 思
152.
17)林 太郎 ,『 本誌』,No.13(1980),1。
18)『 寺 田寅彦全集 文学篇 第九巻』 (岩 波 ,1951)。
19)『 寺 田寅彦全集 文学篇 第一 巻』 (岩 波,1951).
20)桑 木或 雄 ,『 物 理学 と認識』 (改 造社 ,1922), 序
文。
On Natsume Soseki's View of Science in Brtん σαλ
roん
“
TarO TACHIBANA
(Jo盟 i University)
found both in B%η gα た%rο π and in Tん θGrα ηz_
Natsume Soseki treated the literature from
the view_point of psychology in B%π
gα た
%rο η
.
ιηθι.
παr ο/ Sε グ
Pearson's phi10sOphy of
In this work, he expressed his view of science
science is an empiricism which is associated
that the function of science is the description
with the line of British philosophers in the
and not the explanation,in other word,science
can only describe the
“how" and can never
18th centuryo
Since Soseki alsO has been
considered an empiricist in the literary world,
explain the ``why". By exanlining his view,
his view of science is consistent with his phi_
it was concluded that Soseki wrote it by refe_
losophyo The backgrOund of Soseki's view of
rence to Ko Pearson's TLCrα ″触αrげ
sclence was discussed in connection wlth the
Sε グ
ιηει
(1900).Its mOst clear e宙 dence is that the
history of science in the beginning of the 20-
Conceptual Discontinuity of Bodies"is
terln, “
th century.
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