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2015年度前期 国家試験過去問題の正解と解説

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2015年度前期 国家試験過去問題の正解と解説
社会福祉国家試験問題・解説編
■現代社会における福祉制度と福祉政策
●第 22 回 問題 25 福祉を取り巻く現代社会の動向に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びな
さい。
1 ウルリッヒ・ベック(Beck,U.)は,
『危険社会』の中で,現代社会は,核兵器や環境破壊などの問題
が深刻化したため,個人の生活がこれまで以上に集合体に依存するようになっていると主張した。
× ベックが『危険社会』の中で主張したのは、原発事故や環境破壊などの深刻化と同時に、家族や労働
の「個人化」である。これまでは、危険の不確実性を、男女の役割・結婚制度・核家族・年功序列制度な
ど、制度的・集合的に処理し、社会制度が個人を不確実性から守るための役割を担ってきたが、それが解
体して「個人化」が進行し、危険社会になっているとした。
2 アンソニー・ギデンズ(Giddens,A.)は,社会民主主義的な福祉国家でもなく,サッチャリズムに象
徴される市場原理主義でもない「第三の道」という考え方を提唱して,イギリスのブレア政権の福祉政策
のあり方に影響を与えた。○
3 ダニエル・ベル(Bell,D.)は,
『ポスト工業化社会の到来』の中で,ポスト工業化の時代には「新し
い知識階級」が,金融や情報に関する新しい技術を駆使しながら「経済学化様式」に立脚した意思決定を
行うと主張した。× ベルは、ポスト工業化社会においては、専門・技術階級(知識階級)が重要な役割
を果たすが、企業の意思決定は「経済学化様式」から「社会学化様式」に変わると主張した。
4 ジョセフ・スティグリッツ(Stiglitz,J.)の著書の題名になった「底辺への競争」という現象は,経済
のグローバル化によって途上国が一層,底辺化することである。
× 底辺への競争(Race to the bottom)とは、国家が外国企業の誘致や産業育成のため、減税、労働基
準・環境基準の緩和などを競うことで、労働環境や自然環境、社会福祉などが最低水準へと向かうことで、
自由貿易やグローバリゼーションの問題点として指摘されている。ノーベル経済学賞を受賞した(2001)
スティグリッツは、その危険性を指摘しているが、著書のタイトルではない。
5 ロバート・ピンカー(Pinker,R.)は,福祉サービスはインフォーマル部門,ボランタリー部門,公共
部門という3つの部門によって多元的に供給されるという福祉多元主義の考え方を示した。
× ピンカーの福祉多元主義論においては,公的部門,私的部門,ボランタリー部門,企業福祉,インフ
ォーマル部門によって社会サービスは供給される。それは制度モデルにも残余モデルにも明確には該当せ
ず、複数のイデオロギーからなり、互いを補完しあうことによって,現実の多様な問題への柔軟な対応が
可能となる。
福祉多元主義が社会サービスの利用者の市民権の保障をもっとも可能とするモデルと考えた。
■福祉の原理をめぐる理論と哲学
●第 24 回 問題 23 福祉の思想や原理に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,著書『大英社会主義社会の構成』(1920 年)において初めて,ナショナル
ミニマムの政策を提案した。その提案は,最低賃金,生存と余暇,住宅,公衆衛生,教育水準,そして環境問題に
及ぶ広範なものであった。× ウェッブ夫妻が初めてナショナルミニマムの政策を提案した著書は『産業
民主制論』(1897 年)である。しかし,選択肢の記述にある,広範な提案については,1920 年の著書『大
英社会主義社会の構成』の内容である。
2 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,『社会保険および関連サービス』
(1942 年)において,国家が個人に生
計維持の自発的努力を要求することは過度になりがちであるため,ナショナルミニマムは最低限ではなく
最適水準に設定すべきだとした。
× ベヴァリッジは、必要最低限度の生活費を一律に保障するナショナルミニマムの原則を唱えた。
3 世界人権宣言では,すべて人は,社会保障を受ける権利を有し,各国の組織及び資源にかかわりなく自己の
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尊厳と自己の人格の発達のための経済的・社会的・文化的権利の実現に対する権利を有すると定められて
いる。× 記述の「各国の組織及び資源にかかわりなく」の部分が誤りである。世界人権宣言 22 条におい
て,「各国の組織及び資源に応じて」と定められている。 1948 年、人権に対するとらえ方が「政治的」
であったり、
「経済的」であったり、国連における議論の中で最後まで一致をみなかったことからこのよう
な表現となっている。
4 バンクーミケルセン(Bank・Mikkelsen,N.)はノーマライゼーションの原理を世界に広めるためには,各
国の文化の違いを考慮して,「可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」という要素を
こ の原理の 定義に含 める 必要があ ると主張 した 。 × 記述 の定義は, ヴォルフ ェンスベ ルガ ー
(Wolfensberger,W.)がアメリカで理論化,体系化して発展させたものである。
5 障害者の自立生活運動は、カリフォルニア大学バークレー校に在学する重度障害をもつ学生によるキ
ャンパス内での運動として始まり、やがて地域での自立生活センターの活動に発展し、保護から自立支援
へと福祉理念の変化を促した。○ 自立生活運動の父と呼ばれるエド・ロバーツ(Roberts,E.)が,1972 年
に初めてバークレー校で自立生活センターを始めたとされている。
●第 23 回 問題 22 福祉の原理に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)とは,移民に対する社会的排除の是正を求めて,アメリカ
の公民権運動の中で生まれた福祉政策の理念である。 × 1980 年代以降,ヨーロッパ諸国において失
業者,低所得者,外国人,ホームレス,薬物依存者などを社会から排除(ソーシャル・エクスクルージョ
ン)しようという動きがあリ,この事態は国家崩壊を招くという危機感から,家族や地域社会,企業にお
ける従業員の家族意識といった,
互いを支え合う基盤を取り戻そうとして,
社会的包摂の概念が生まれた。
2 ロールズ(Rawls,J.)の提唱した格差原理によれば,出身家庭の相違による格差は正義として認められ
ないが,本人の能力や努力の結果として生まれる格差は積極的に認められなければならない。× ロール
スは,格差が認められるのは所与の制約条件の下で,最も不遇な人々の期待を最大限に高める場合に限ら
れるとしている。後段の「積極的に認め」が,ロールスの正義論から外れる。
3 エンパワメントとは,パワーの欠如した子どもたちが健全な発達を遂げることを目的として,ヨーロ
ッパの児童福祉の実践の中で生まれた福祉政策の理念である。× エンパワメントは,1970 年代,アメ
リカで黒人解放運動において使われたのがきっかけで,のちに女性運動や市民運動,障害者福祉などの領
域で用いられるようになった概念である。
4 ノーマライゼーションは,障害をもっていても普通の生活が送れるようにすることを意味し,スウェ
ー一デンのニィリエ(Nirje,B.)が提唱した身体障害者の福祉の理念に由来する。× ノーマライゼーショ
ンは,1950 年代に知的障害者の家族会の施設改善運動から生まれた理念である。デンマークのバンクー
ミケルセン(Bank-Mikkelsen,N,)によって提唱され,スウェーデンのニイリエによって広められた。
5 セン(Sen,A.)の提唱したケイパビリティ・アプローチによれば,人間の福祉は,どのような財を持っ
ているかではなくて,何をすることができるかという人間の機能の集合によって決まる。○ ケイパビリ
ティ・アプローチは,人々の福祉を分析するためにアマルティア・センによって構築された理論である。
所得や消費だけではなく,実質的な選択機会に焦点を当てていることが特徴である。
●第 27 回 問題 23 社会的リスクに関する次の記述のうち,「ベヴァリッジ報告」で想定されていなか
ったものを 1 つ選びなさい。
1
2
3
4
5
疾病により労働者の収入が途絶えるおそれ
勤務先の倒産や解雇により生計の維持が困難になるおそれ
老齢による退職のために稼働収入が途絶えるおそれ
保育や介護の社会化が不充分なため,仕事と家庭の両立が困難になるおそれ ○(想定されていない)
稼得者の退職や死亡により被扶養者の生活が困窮するおそれ
ベヴァリッジ報告(Beveridge Report )は、ウィリアム・ベヴァリッジが示した社会保障制度拡充の
ための一連の報告(1942 年)
。第二次世界大戦後のイギリスにおける社会保障制度の土台となった。正式
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名称は「社会保険と関連サービス」
(Social Insurance and Allied Services )である。
ベヴァリッジは、イギリス国民の窮乏の原因の多くが「稼得力の中断または喪失」で、ついで「稼得中
における所得が家族の大きさにくらべて十分でなかったこと」
によるものであることを明らかにしている。
そして、社会保障計画は、戦争のあとに窮乏を除去することを目標とし、強制社会保険をその主要手段
とし、国民扶助と任意保険とを補助的手段とするとしている。1,2,3,5 が窮乏の原因にあたる。
ベヴァリッジは、
「児童の養育や妊婦の保護に社会支出上の最優先的地位をあたえるのが至上命令である」
としているが、4 のような「仕事と家庭の両立」は、この時代にはまだ想定されていなかった。
●第 23 回 問題 28 普遍主義と選別主義に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 普遍主義とは,福祉サービスを真に必要とする人々を選び出して,それらの人々にサービスを重点的に
提供する方法である。 × 選別主義の記述
2 福祉サービスを選別主義的に提供すると,サービスは真に必要な人々に行き渡るので、利用者がスティ
グマを感じることが少なくなる。
× 逆。少数派、例外的な存在となり、資力調査が伴い、スティグマを付与されやすくなる。
3 自由主義レジームの福祉国家では,福祉サービスが普遍主義的に提供されることが多い。
×(逆)自由主義国家、アメリカ、カナダなど。自由・自立という価値に重きを置く社会においては、福
祉サービスは選別主義的になりがちになる。
4 ティトマス(Titmuss, R.)は,選別的サービスが社会権として与えられるためには,その土台に普遍主義
的サービスが必要であると主張した。
○ ティトマスは,社会統合こそ社会政策を経済政策から分かつ本質的特質と考え,その主題は統合を促
進し疎外(社会的排除)を阻止するための社会制度にあるとした。最も重大な必要を抱えている人々に,
スティグマのおそれを最小限にとどめつつ,資源を振り向ける「積極的優遇」を行うことが重要だとした。
普遍主義を基礎としながら,カテゴリーと必要の観点で選別を行う考え方である。
5 日本の生活保護制度は,資力調査なしに給付される典型的な普遍主義給付ということができる。
× 資力調査(ミーンズテスト)は、典型的な選別主義給付の特徴である。
※ 生活保護法 「
(調査及び検診)第二十八条 保護の実施機関は、保護の決定又は実施のため必要が
あるときは、要保護者の資産状況、健康状態その他の事項を調査するために、要保護者について、当該職
員に、その居住の場所に立ち入り、これらの事項を調査させ、又は当該要保護者に対して、保護の実施機
関の指定する医師若しくは歯科医師の検診を受けるべき旨を命ずることができる。
」
■福祉制度の発達過程
●第 22 回 問題 24 20 世紀前半における福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを
一つ選びなさい。
1 スウェーデンでは自由民主党政権が誕生(1920 年)し,同政権によって同国の自由主義的福祉政策
の基本的な枠組みが形成されて福祉国家の基礎となった。
× スウェーデンの福祉国家政策を推進したのは自由民主党ではなく,社会民主労働党政権である。
2 アメリカではニューディールの一環として,公的扶助,失業保険,医療保険,福祉サービスの4本柱
を内容とする社会保障法(1935 年)が制定された。
× アメリカにおいて 1935 年の社会保障法制定時には,医療保険は含まれていなかった。医療保障制度で
あるメディケア及びメディケイドが加えられたのは 1965 年である。
3 ドイツでは第二次世界大戦後の基本法において,ようやくすべての国民に「人間としての尊厳を有す
る生活」を保障する生存権が確定した。
× 1919 年制定のワイマール憲法(ヴァイマル憲法)において生存権が世界で初めて規定された。
4 日本では工場労働者の最低就業年齢や最長労働時間など労働者の保護を定めた工場法が,第一次世界
大戦後に初めて制定された。 × 日本において工場法が初めて制定されたのは,第一次世界大戦後では
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なく,第一次世界大戦前の 1911(明治 44)年である。
5 日本では 1938 年に厚生省が設置され,また,私設社会事業への届出義務,改善命令,監督・指示,
寄付金募集,補助等を定めた社会事業法が制定されている。
○ 厚生省設置と社会事業法制定はともに 1938(昭和 13)年である。社会事業法は,民間の社会事業家に
対する補助金,社会事業のための土地・建物への免税などを定めた。
●第 22 回 問題 23 イギリスの救貧法等の福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを
一つ選びなさい。
1 エリザベス救貧法(1601 年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に
対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
× エリザベス救貧法は、各地区(教会の教区)で教会委員や地元の有力者を救貧委員(貧民監督官)に
決め、救貧税を集めるもので、次の3つの対象を設定している。1)労働能力ある貧民(able-bodied poor)
は強制的就労→労役場(ワークハウス、workhouse)、2)扶養能力なき貧民の子弟は徒弟奉公(教育)、
3)労働能力なき貧民(impotent poor)は在宅又は施設で救済(施し)
2 救貧法改正(1834 年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は
関与しないことになった。
× 改正救貧法の原則には、全国的統一の原則(Principle of National Uniformity)がある。教区中心の
地方分散的な体制から、救貧行政を全国的に統一するための中央機関を設立した。設問文は逆。
3 チャールズ・ブース(Booth, C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの
民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
○
4 「救貧法に関する王立委員会報告」
(1909 年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救
貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
× 救貧法を解体すべきとしたのは、ニーズに即した普遍的サービス保障,窮乏の予防の組織化によるナ
ショナル・ミニマム保障などの少数派(ウェッブ等)の主張。
5 20 世紀初頭のイギリスでは,
公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な
社会改革が進められた。 ×イギリスの「国民保険法」
(1911 年) 第 1 部 健康保険、第 2 部失業保険で
構成されている。公的年金は含まれていない。
●第 24 回 問題 24 福祉レジームの生成に関する次の記述のうち、正しいものを一つ選びなさい。
1 アメリカにおいては,「生活上のリスクの処理は市場に委ねる」という考え方が根強く,公的老齢年金制
度も第二次世界大戦後になって法制化された。
× アメリカにおける公的老齢年金制度は,1935 年の社会保障法で定められているため,戦前である。
2 イギリスにおいては,労働者の健康を保全するため,19 世紀の前半に工場法によって成人男性の労働時間
の上限が定められることになったが,年少者や女性の労働時間は規制の対象にはならなかった。 × イギ
リスにおける工場法は,産業革命期において苛酷な労働を強いられた工場労働者,特に年少者や女性労働
者を保護することを目的に制定された法律である。 1833 年の制定時には,9歳未満児の労働を禁止した。
3 スウェーデンやデンマークでは,労働組合の発達の遅れという歴史的事情があり,その結果として中央政
府が個入の生活支援のために積極的に介入する福祉レジームが生まれることになった。 × 北欧諸国に
おいては労働組合が発達していた歴史があリ,社会民主主義レジームを形成する礎を築いた。
4 我が国では,日露戦争後に官民の大企業を中心として,共済組合ないし経営側自らの手によって生活上の
事故に対する扶助の実施,あるいは日用品の供給施設を設置するものが現れた。 ○ 我が国において,日
露戦争後に戦後恐慌と物価高騰が起きた。労使関係も不安定となリ,ストライキが頻発し,企業側から共
済組合や購買組合を設立することで労働者の要求を和らげようとした動きがあった。
5 フランスの家族手当制度は,1930 年代に個々の先進企業での企業内措置として発達し,第二次世界大戦
後に法制化され社会保障体系に組み入れられた。× フランスにおける家族手当制度は,19 世紀末に一部
の企業で始まった労働者への家族手当が,業種や地域を通じて全国に普及し,1932 年に法制化された。
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●第 23 回 問題 24 我が国における第二次世界大戦終了以前の福祉制度の発達過程に関する次の記述の
うち,正しいものを一つ選びなさい。
1 中央社会事業協会は,明治 41 年に設立され,国内外の救済事業の調査,慈善団体や慈善家の連絡調整・
指導奨励事業のほか,救済事業の専門誌『社会事業』を発刊した。
× この選択肢の内容で,1908(明治 41)年に設立されたのは,中央慈善協会である。
2 ドイツのエルバーフェルト制度などを参考に大正 6 年に岡山県で始まり,翌年大阪府に設置された済
世顧問制度は,次第に全国に普及していった。
× 大阪府に設置されたのは済世顧問制度ではなく,方面委員制度(大正 7 年)である。
3 救済行政の全国統一を目指して,大正 6 年に厚生省に救護課が設置され,大正 8 年にはその名称が社
会課と改称され,大正 9 年には社会局へと発展した。 × 厚生省は,1938(昭和 13)年の設置である。
1917(大正 6)年に救護課が設置されたのは内務省である。
4 昭和 4 年に救護法が施行され,居宅における救護のほか,養老院,孤児院等の救護施設での救護を行
うとともに,市町村長を民生委員が補助する体制を整えた。 × 民生委員は 1948(昭和 23)年,民生委
員法に基づき配置された。 1929(昭和4)年の救護法施行時は方面委員である。
5 昭和 12 年に母子保護法及び軍事扶助法,昭和 13 年に国民健康保険法,昭和 16 年に医療保護法が相
次いで制定され,この時期,社会事業と並んで戦時厚生事業の呼称が用いられるようになった。
○ 外見上は社会事業の発展ととらえられるが,中身は戦時下の総動員体制維持のために行われた挙国一
致政策に基づいたもので,社会事業が軍事政策の一部に組み込まれた,いわゆる戦時厚生事業であった。
●第 21 回 問題1 我が国の社会福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
我が国の社会福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 明治維新の直後に制定された恤(じゅっ)救規則は,イギリスの救貧法をモデルに制定され,救恤場
を設置し,院内救済を原則とした。 × 明治初期に施設はほとんどなかったが、明治元年 11 月(1868)
鰥寡孤独(寡婦や孤児・孤老など身寄りのない人たち)貧窮廃疾(極貧や障害者)のために「救恤場」を
清水谷(現在の天王寺区)に設置している。
2 日清戦争の前後には,労働者の貧困や都市下層社会の問題が発生し,政府は,救貧行政の強化を図る
ために,窮民救助法を制定した。 × 日清戦争は、1894 年(明治 27 年)から 1895 年(明治 28 年)
。
「窮民救助法」1890(明治 23)年、第一回帝国議会に法案が提出されたが、成立しなかった。
3 日露戦争後には,政府は,地方行政による救貧行政の進展を図るために,感化救済事業講習会を開催
し,防貧だけでなく救貧の必要性を強調した。 × 日露戦争(1904-5)後、
「感化救済事業講習会」
(1908
年)が広く普及し、1916 年ごろまで具体的に展開。防貧を強調するものだった。
4 第一次世界大戦末期には,物価高騰による生活苦を背景に勃発した米騒動が,社会連帯責任を強調し
た社会事業行政を発展させる一因となった。
○
5 日中戦争が全面化した時期には,政府は,軍人の保護を目的として,戦時厚生事業を行い,傷痍(い)
軍人対策として廃兵院法を制定した。 × 「廃兵院法」は、日露戦争時の 1905(明治 39)年に、傷病
兵の保護を目的として制定されたもの。
●第 23 回 問題 25 日本における戦後の福祉政策に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさ
い。
1 生活保護法の旧法(昭和 21 年)と新法(昭和 25 年)との大きな違いは,旧法では不服申立制度が設けら
れていたことであった。
× (旧)生活保護法では,不服申立制度は設けられていなかった。(現行)生活保護法で見直された。
2 児童手当法の施行は昭和 22 年のことであり,日本の社会福祉施策の中でも比較的早い時期に制度化さ
れた。× 1947(昭和 22)年に施行されたのは児童福祉法である。児童手当法の制定は,児童憲章 20 周年
65
にあたる 1971(昭和 46)年で,日本の社会保障制度の中では遅い時期に制度化された。
3 昭和 54 年,政府は「新経済社会 7 力年計画」を発表し,
「日本型福祉社会の再興」と題する提言を行
った。 × 「新経済社会7ヵ年計画」は,世界的な経済停滞の中で新たな経済政策の方向性を見出そうと
して「日本型福祉社会の実現」を打ち出した。公的福祉施策を中心とした西欧型福祉国家政策からの転換を
提言した。
4 平成 7 年の「障害者プラン~ノーマライゼーション 7 か年戦略~」
,平成 14 年の「障害者基本計画」
でバリアフリー社会の実現を目指す方向が示された。 ○ 「障害者プラン~ノーマライゼーションフか年
戦略~」では,ホームヘルパー増員などの数値目標が掲げられた。「障害者基本計画」では,障害者の社会参
加のさらなる推進を目標とした。これらによってバリアフリー社会の実現を目指す方向が示された。
5 平成 17 年に障害者自立支援法が制定され,それに伴って身体障害者福祉法,知的障害者福祉法,精神
保健及び精神障害看福祉に関する法律は廃止された。× 2005(平成 17)年に制定された障害者自立支援
法により,障害者施策を3障害一元化したが廃止したわけではない。
●第 27 回 問題 25 救貧制度の対象者として、正しいものを 1 つ選びなさい。
1 恤救規則(1874 年(明治 7 年))では,身寄りのある障害者も含まれた。× 恤救規則は人民相互の情誼を
強調し, それで救済できない貧困者や 70 歳以上の労働不能の者,障害者,病人,13 歳以下の児童等に一定の
米代を支給することを定めた規則である。
「身寄りがある」という状況では要件を満たさない。
2 軍事救護法(1917 年(大正 6 年))では、
戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。 × 軍事救護法は, 1917
年に制定された傷病兵および戦死者の遺族への救護法。内縁の妻への適用はない。時代背景から「内縁」
というのが認められにくい状況であったことは想像に難くない。
3 救護法(1929 年(昭和 4 年))では、労働能力のある失業者も含まれた。 × 救護法は, 貧困のため生
活することができない 65 歳以上の老衰者, 13 歳以下の幼者, 妊産婦, 不具廃疾, 傷痍その他精神, または
身体の一時的な故障により業務の遂行が著しく困難な者に対する支援を定めた法律。労働力のある失業者
は含まれない。
4 旧生活保護法(1946 年(昭和 21 年))では,素行不良な者も含まれた。
× 旧生活保護法は、GHQ 指導の、無差別平等の原則, 国家責任の原則, 最低生活保障の原則という 3 原
則に基づいているが、
「勤労意欲のないものや素行不良のものには保護を行わない」という欠格事項があっ
た。現行生活保護法との大きな違いである。
5 現行生活保護法(1950 年(昭和 25 年))では、扶養義務者のいる者も含まれる。 ○ 扶養義務には 2
種類、絶対的扶養義務と相対的扶養義務がある。絶対的扶養義務とは,自分の生活水準を下げてでも扶養す
る義務を持つもので, 相対的扶養義務は「義務者がその者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた
うえでなお余裕があれば援助する義務」である。扶養義務者がいてもその人にある程度の経済的余裕がな
ければ扶養できないので生活保護の対象にはなり得る。
■福祉政策の課題
●第 23 回 問題 26 貧困の概念と測定に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 ロンドンで貧困調査を実施したブース(Booth. C.)は,肉体的能率を維持するのに必要な栄養量を基本
としながら貧困を定義した。 × 記述は,ラウントリーの説明である。
『貧困一都市生活の研究』
(1901
年)にまとめられている。
2 ヨーク市で行った貧困調査において,ラウントリー(Rowntree,B.S.)は,絶対的貧困である「第一次
貧困」に加えて,相対的貧困である「第二次貧困」の概念を提唱した。
× ラウントリーは第一次貧困を,総収入が単なる肉体的能率を維持するために必要な最小限度にも足ら
ぬ世帯とし,第二次貧困を,総収入の一部分が他の支出に振り向けられない限り,単なる肉体的能率を保
持することができる世帯と定義した。第二次貧困は,社会の平均的な所得水準から決まるわけではないの
で,相対的貧困とは意味が異なる。
66
3 それぞれの社会における一人当たり平均所得の半分に満たない所得で生活している人々の生活状態の
ことを,タウンゼント(Townsend,P.)は「相対的剥奪としての貧困」と呼んだ。
× タウンゼントは,社会で奨励,是認されている,あるいは慣習になっている食事,生活習慣,社会活
動,快適さなどと比較して,ある人々や集団,地域の有する資源がそれを下回っている場合,その地域に
おいて、その人々や集団は貧困の状態にあるとする「相対的剥奪としての貧困」を提示した。
4 0ECD によれば,2000 年代半ばにおける日本の相対的貧困率は,OECD 諸国の中では,メキシコ,ト
ルコ,アメリカとともに高い。
○ 相対的貧困率について,OECD 加盟国の平均が 10.6%だったのに対し,日本は 14.9%で4位と高か
った。 1位メキシコ 18.4%、2 位トルコ 17.5%,3 位米国 17.1%の順となる。なお,厚生労働省によ
る 2012(平成 24)年の国民生活基礎調査によると、日本の相対的貧困率は、16.1%と年々上昇し、過去
最悪となった。さらに、はじめてこどもの貧困率(16.3%)が上回る結果となった。
5 貧困の測定における理論生計費アプローチでは,食費の理論値を現実の家計支出に占める食費の割合
で割り戻した金額に基づいて貧困基準が計算される。
× 選択肢の記述はエングル・アブローチの説明である.理論生計費(マーケットバスケット方式)は・ラウ
ントリーによって考案されたアプローチで,最低限度の生活を営むために必要な物量を定め,それに価格
を乗じて生計費を算出する。
●第 27 回 問題 22 貧困及びニードのとらえ方に関する次の記述のうち,正しいものを 1 つ選びなさい。
1 タウンゼント(Townsend,P.)は.貧困者には共通した「貧困の文化(culture of poverty)」があることを
明らかにした。 × タウンゼントは, 相対的剥奪の概念を説明した。この相対的剥奪は, 人が抱く不満
は, その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく, 主観的な期待水準と現実的な達成水準と
の格差による, という考え方である。
2 リスター(Lister,R.)は.「ノーマティブ・ニード」に加えて「フェルト・ニード」を提案した。
× このニーズの分類は、ブラッドショーによるもので、ブラッドショーはニーズを 4 つに分類したが,
専門家側の視点から捉えたニーズを「ノーマティブニーズ」, 対象者側から捉えたニーズを「フェルトニ
ーズ」と分類した。
3 ルイス(Lewis,0.)は,「相対的剥奪」の概念を精緻化することで,相対的貧困を論じた。
× 貧困の文化は 3 のルイスの説明。これは, 貧困者が貧困生活を次の世代に受け継ぐような生活習慣や
世界観を伝承しているという点に着目し, たんなる経済的側面に焦点をあてる政策問題では解決しないこ
とを示した。
4 ブラッドショー(Bradshaw.J.)は.絶対的貧困・相対的貧困の二分法による論争に終止符を打つことを
目指した。 × この説明が 2 のリスターのものである。
5 スピッカー(Spicker,P.)は,「貧困」の多様な意味を,「物質的状態」
「経済的境遇」及び「社会的地位」
の三つの群に整理した。 ○ 『貧困の概念』生活書院 2008.10 の著書がある。 貧困とは何か。先進国
の貧困と途上国の貧困とを分けずに国際社会における貧困を主題として,貧困の定義や,貧困の測定など
の問題から,物質的状態,経済的境遇,社会的地位(社会関係)
,道徳的次元を含んだ多面的な顔をもつ貧
困への包括的な理解を目指そうとしている。スピッカーは社会政策研究者であり,英国ロバート・ゴード
ン大学公共政策学部の学部長。
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