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本論 - 熊本県立大学
平成 21年度 修士論文 「地域の形式知表出における外部者参加の方法に関する考察 〜ワークショップを調査対象として〜」 主査 津曲 隆 教授 副査 明石 照久 教授 副査 小薗 和剛 講師 熊本県立大学大学院 アドミニストレーション研究科 博士前期課程2年 学籍番号:0880012 氏名:佐藤 忠文 目次 第1章 はじめに .......................................................................... 2 頁 第2章 地域における情報の表出と外部者参加 ................................................ 3 頁 第1節 表出されない情報 ................................................................ 3 頁 第2節 情報の表出活動と外部者の持つ可能性 ............................................... 8 頁 第3章 地域における情報の表出と SECI モデル .............................................. 11 頁 第1節 SECI モデルについて ............................................................. 11 頁 第2節 SECI モデルから見た情報の表出と外部者 ........................................... 13 頁 第4章 外部者参加のワークショップへの調査 ............................................... 15 頁 第1節 ワークショップと外部者について .................................................. 15 頁 第2節 SECI モデルとワークショップについて ............................................. 16 頁 第3節 外部者参加のワークショップへの調査、分析方法について ............................ 17 頁 第4節 外部者参加のワークショップへの調査、分析結果について ............................ 20 頁 第5章 地域の形式知表出を向上するために ................................................. 36 頁 第1節 情報の表出向上へと繋がる外部者参加のプロセス .................................... 36 頁 第2節 外部者参加の際の幾つかの注意点 .................................................. 37 頁 第3節 ソーシャルメディアにおける情報の表出向上へ向けての考察 .......................... 38 頁 第4節 地域の知識創造とソーシャルメディア .............................................. 39 頁 第6章 おわりに ......................................................................... 41 頁 参考文献 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 46 頁 付録 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 48 頁 第1章 はじめに 近年、地域情報化の取り組みとして、ソーシャルメディアの利用が脚光を浴びている。地域 SNS の設置は全国で 400 ヶ所1を越え、各県に地域ブログのポータルサイトが誕生している。ごく最近では twitter2などマイクロブログに対 する注目が高まり、既に情報発信に利用する自治体も現れ始めている。その発展の初期においては、地域 SNS と 地域コミュニティーの関連に多くの注目が集まったが、現在では健康、生活、文化、観光、地域ビジネス等々と様々 な分野の取り組みの中にその利用は広がったと言えるだろう。次々に誕生するソーシャルメディア、またその隆盛を 追いかける状況は、ここ数年を特徴付けるものだと言える。一方その反面、先駆けとして全国的に普及した地域 SNS に関しては「立ち枯れる」といった報告も挙がり始めるようになった。本稿で触れる熊本県天草市が運営する地 域 SNS「天草 Web の駅3」においても同様の事態を見ることが出来る。地域 SNS は従来の電子市民掲示板4の取り 組みが、利用の減少という実質的な失敗に至ったことへの反省から生まれた経緯を持つ。しかし、その失敗の原因 が概して「安心安全な利用が出来ない」といった信頼性に帰せられる中で、抜け落ちてしまった視点もあったのでは ないだろうか。それはそもそも、地域に関する「情報は出ない。」のではないかという視点である。 ところで、地域の各種の情報を掘り起こし、また生み出して行くことは、地域づくりやまちづくり活動の中で重要な 意味を占めるようになっている。歴史情報の掘り起こしが大きな流行へと繋がり、身近な生活情報の見直しが地域ビ ジネスへの糸口を与えるなど、その例に事欠くことはない。また、一部の地域づくり、まちづくり活動の中には、共有 出来ない暗黙知としてではなく、共有可能ないわゆる「形式知」を重要視している。ただそこでは、地域においてそ の情報は安易には出ないと考えられているようである。それを理解するための、もっとも一般的な事例は自身の街 について問われた際に語られる「ここには何もない。」という言説だろう。 今後ソーシャルメディアの隆盛を予測することは困難だが、そこで生じ始めた問題を単なる流行として片付けてし まうべきだろうか。地域に関する情報が出ないのであれば、その問題は今後も形を変え、新しいソーシャルメディア、 果てはまったく異なった媒体においても発生し続けると言えるからだ。本稿ではそのことを問題とし、情報が出ない とされる地域を舞台としてその情報を生み出すためにはどうしたら良いかについて考察を試みている。そしてそのた めに、これまでの地域づくり、まちづくり活動の中で情報を生み出して来た取り組み、特に外部者(よそ者)参加を重 要視した取り組みに注目した。 さて本稿では、その外部者の参加と地域における情報(形式知)を生み出すこととの関わりを、SECI モデルを用 いて整理を試みている。SECI モデルは暗黙知と形式知の相互変換に着目し、企業組織における知識創造、またイ ノベーションを説明する理論である。本稿では地域づくり、まちづくり活動が目指すところの目標を一つのイノベー ションとして捉え、地域において情報が生み出されて行くことを SECI モデルにおける表出化の場面として位置付け ている。SECI モデルでは、表出化の前段階と後段階として共同化、連結化が想定される。そしてそれぞれが進行 するためには、共体験と正当化という二つの条件が必要とされる。本稿ではまず、この点に対して外部者を位置付 けることで、二つの問題点を明らかにした。それは外部者には共体験が少なく、またよそ者である外部者には、正当 化を得ることは難しいという問題である。つまりモデルからは、外部者の参加にはある障壁が存在することが予想さ れる。しかし情報の表出に関わる実際のプロセスは明らかにされないため、その知見を生かすには困難が生じるだ ろう。そこで、次に本稿では SECI モデル上において外部者の参加がどのように働き得るかについての調査を実施 した。調査ではワークショップを対象として、外部者と内部者のやり取りの場面を取り出し分析を行っている。ワーク ショップは付箋に意見を書き出し、それをもとにした簡易な KJ 法による手法を実施している。これは地域づくり、ま 2 ちづくり活動において一般的に利用される方法であり、企業においても頻繁に利用される会議形態でもある。調査 では、このワークショップを企業組織における表出化を中心とした一場面に対応した、地域内での一場面として位 置付けている。そしてワークショップを繰り返しながら、ある目標を達成して行く姿を一つのイノベーションの過程と 捉えることとした。 調査の分析結果として、共体験と、正当化に関連した外部者と、内部者が関わるいくつかのプロセスを取り出す ことに成功した。そして、そのプロセスから「形式知の深化」、「形式知の展開」という外部者が情報の表出に関わる 場合の二つの類型と、後者に関与する「内部者の外因的変化」という概念を導出している。「形式知の深化」とは、 外部者の参加によって形式知の内容がより詳しく、豊かになって行くこと指し、一方「形式知の展開」は、それまでと 異なった方向で形式知の表出を展開すること指している。また後者に関わる内部者の外因的変化とは、後者を駆 動する際に内部者のある変化が契機になることを示唆している。それは内部者が、外部者の視点の違いを理解しよ うとする意図を持ち、それによって生まれた違いへの気づきによって、自身の視点を移り変えるという変化である。本 稿ではこれらの概念を中心として、地域の形式知表出を行う上での外部者参加の方法について論じている。そして その知見を、ソーシャルメディア上で、地域に関する情報を表出する方法として援用し、最後にソーシャルメディア の利用が、地域における知識創造の一場面となり得ることへの考察を行った。 第2章 地域における情報の表出と外部者参加 第1節 表出されない情報 第1項 地域情報化とソーシャルメディア 地域情報化には二つの流れがある。一方は中央省庁主導の開発政策に源流を持ち、その後一部は電子自治 体など、行政運営の効率化という目的へと転じた「行政情報化」、また一方は地域主義的な発想のもとで、市民の 主体的な活動はもちろん、自治体による住民参加の取り組みの中に見られる「地域情報化」である。前者の「行政 情報化」は、1980年代の郵政省のテレトピア構想5、また通産省のニューメディア・コミュニティ構想6がその源流とさ れる。当時、1970年代に唱えられた情報社会論の影響を受けながら高度情報社会の実現という目的を据え、相次 いで地域情報化政策が立案された。これらの構想では開発主義的な発想のもとモデル地域の指定が行われ、イン フラ整備を中心に情報システムの構築などが推進された。構想ではニューメディアとされた CATV、ビデオテクス、 ファクシミリなどに加え、データ通信、パソコン通信など、当時萌芽した情報通信ネットワークの利用が想定されてい る。その後1990年代に入ると、80年代の政策が一部の地域に偏っていたこと、また各地域の自主的な取り組みを 十分に支援出来ていないなどの反省から、自治省により「地方公共団体における情報化の推進に関する指針」が 発表され、それを受けた各自治体では地域情報化計画が策定された。1990年代後半になるとパソコン、インター ネットの普及が進むとともに、情報通信基盤整備の重要性が高まり、全国的な光ファイバー網の整備が唱えられ、 同時に通信インフラにおける地域格差が問題とされるようになっている。そして2000年代に入ると、さらなる高速大 容量の情報通信網の整備や地域格差の解消と共に、電子商取引の環境整備、電子政府や電子自治体の実現が 目標として掲げられた「e-Japan 戦略7」が策定されている。 一方で、後者の「地域情報化」は、1980年代に大分県で始まった「コアラ」の活動など、市民によるパソコン通信 3 の取り組みの中にその萌芽を見ることが出来る。コアラでは、地方にあって通信インフラの整備が遅れる中、市民自 らが主体的に活動することでパソコン通信、そしてその後のインターネットインフラの構築を手がけている。このよう な情報通信インフラの整備は、近年でも情報過疎地域解消のために活動した「南房総 IT 推進協議会8」の取り組み などに見ることが出来る。しかし、通信インフラが急速に普及を始める中で、ハード面の整備に対して、ソフト面での 取り組みが一層注目を集めるようになった。1990年代より設置が広まった「電子市民会議室(まち bbs)」や、富山 県で始まった「インターネット市民塾」の取り組み、熊本県を源流とする「住民ディレクター活動(市民ディレクター活 動)」などがそれである。さらに近年では「ブログ」の地域版として捉えられる「地域ブログ9」を導入する取り組み、そし て電子市民会議室の後継として誕生した「地域 SNS」を導入する取り組みなどが存在している。このようなソフト面に 広がった取り組みは、実に多様な活動を内包するようになった。そのため丸田らは、ハード面を含め地域情報化事 例の整理を試みている。その結果、各事例の効果は「プラットフォーム形成」、「イメージの実体化」、「情報技術によ る地域振興」に大別され、その一部ないしは全部を持つとされた10。また同時に「情報化」の定義も試みられ、「情報 技術で知的にエンパワーされた主体の能動性と、情報技術で強化された場の創発性によって、共働型社会が形成 されるプロセス11」と位置づけられた。最終的に、行政情報化に対してこちらの地域情報化を、「地域で住民等が進 める情報化. 地域が進める情報化.12」と定義している。つまりこの定義にあっては、行政に対して地域住民が主体 的、自発的に活動することが念頭に置かれていると理解すべきだろう。ただ、実際の活動の中で行政との関係を一 方向に規程することは難しい。後に触れる地域づくり、まちづくり活動に携わる延藤や石塚は「参加の梯子」のモデ ルを挙げ、住民参加に段階があることを示している1314。そこでは、高い住民参加は住民自治の段階とされる。地域 情報化活動においても同様に、高い住民参加と高い主体性の発揮を区別することは難しいと言えるだろう。実際、 上記事例の中でも、コアラでは行政部門との密接な連携が見られ、また自治体によって運営される藤沢市電子市 民会議室15があるなど、行政との関係の有無が完全に区別されるわけではない。そこで、本稿では地域情報化を住 民の主体性のみならず、住民参加が見られる場合までに拡張して理解している。 近年、後者の「地域情報化」においてはブログ、SNS などインターネットを利用した「ソーシャルメディア」と呼ばれ る道具の利用が頻繁に見られるようになった。前述した地域ブログ、地域 SNS というのは、この道具の利用がその まま大きな広がりとなったものを指している。このソーシャルメディアとは様々な情報システム、またサービスに与えら れた総称であり、近年一つの「buzz-word16」として定着しつつある。ソーシャルメディアを説明するには、二つの特 徴に触れる必要がある。一つは、利用者が同時に生産者であること、またもう一つは、繋がりを生み出す仕組みを 備えていることである。まず、前者に関して述べたい。従来利用者にとって情報システムは、何らかのデータベース から情報を引き出す端末であり利用者はシステムに対して常に、そのデータベースの消費者という位置づけであっ た。しかしいわゆる「Web2.017」と呼ばれるインターネットの変化以降、消費者でしかなかった利用者は、コンテンツ の生産者として振る舞うことが出来るようになった。参加者による共同編集の機能を持つ世界最大の辞書である 「Wikipedia18」や、利用者が撮影した動画を投稿することが出来る「YouTube19」はその代表格である。これはソーシャ ルメディアという言葉における「メディア」に該当すると理解し易い。利用者はそれぞれにメディアとしての機能を有 するようになったと考えることが出来る。次に後者についてだが、インターネット上のコンテンツがいわゆる「ホームペ ージ」が主流だったころ、その閲覧者達との接点を持つことは現在に比べ困難であった。しかしその状況を変えた のが「ブログ」の誕生である。ブログでは日付毎に記事が配置され、各記事には個別の URL 情報が付与される。ま た各記事には閲覧者がコメントを付けることが出来、その記事を他の場所で引用した場合には「トラックバック」という 機構で引用元へとその利用通知を送ることも可能である。これらの機能はブログの作成者と閲覧者達を結びつける 機会を与えることとなった。そしてこのブログと時を同じくして誕生したのが、SNS である。SNS はブログに良く似た 機能を持っており、日付毎に記事を書くことや、コメントを付けることも可能である。一方 SNS は、招待性や登録制 4 によって利用者を囲い込む機構を持っている。そして、その中で参加者同士の情報が互いの目に付き易い状態に する各種の方法を提供することで、一般にブログよりもさらに強い繋がりを作り出すことに成功している。これらブロ グや SNS が持つ特徴は、ソーシャルメディアという言葉に対して「ソーシャル」に当たると言えるだろう。 さて、二つの特徴について述べたが、「ソーシャルメディアはユーザー同士のつながりを促し, 個々のユーザーの 情報をより多くのユーザーに発信するところにその本質がある.20」とする理解も存在している。実は一つ目の特徴で 述べた、利用者が生産者として振る舞える情報サービスに対して、二つ目の特徴である繋がりを生み出す機能が 追加され始めるようになっている。例えば YouTube では、単に動画を公開可能なだけではない。それらに対するコ メントを受け付けることはもちろん、SNS のように関係性がある利用者(動画のファンなど)を「友だち」として登録する ことも可能である。各種のシステムやサービスにおいて、このようないわゆる「ソーシャル化」が益々進んでいると言 えるだろう。そしてこのように、情報システムやサービスがソーシャルメディアと化す中で、地域情報化の取り組みに おいても、このようなソーシャル化が進展したものがある。それが地域 SNS である。地域 SNS の誕生の経緯を考え るならば、既存の取り組みとして存在していた電子市民会議室をソーシャル化したものと考えることが出来るからで ある。 第2項 市民電子会議室の利用減少とソーシャルメディアへの移行 電子市民会議室(まち bbs)の取り組みは、現在でも藤沢市が運営するものが継続している。この電子掲示板の一 種は、1990年代から全国の自治体において設置が進められてきた。全国的な広がりを見せた取り組みであったが、 その後下火となってしまった。庄司は「全国の地方自治体の電子市民会議室の設置状況に関する調査」(2002年 12月、慶応義塾大学及び株式会社 NTT データ)に触れ、この調査の結果、電子市民会議室は2002年時点で全 国の22.6パーセント、733自治体に設置されるものの、うち46.3パーセントは月に10件程度の書き込みしかなかっ たと報告している21。さらに、直近の平成20年度に発表された「地方公共団体における行政情報化の推進状況調 査」によると、「電子掲示板等による住民との意見交換を行っている」に対する回答として、市町村の設置割合は15. 8パーセント、287自治体程度であると報告され、設置数の大幅な減少を見せている22。 さて、上記の調査においてその原因の考察がなされている。それによると、「そもそも安心して利用できるルール 作りやシステム的担保がなく利用されない」、「誹謗中傷などの会議室の『荒らし』がある」、「なりすましや改竄の危 険性がある」、「建設的な民意形成の手法・ルール作りが確率されていない」、「合意形成された意見の活用方策が 確率されてない」などが挙げられている。これらの原因からはつまり「信頼性」に問題があったことが示唆されるだろ う。安心安全に利用するための運用ルール、議論のまとめ方や利用方法が明確でなく、システムを利用することに 不信感が発生し、利用減少に繋がったと理解することが出来る。このように電子市民会議室の利用減少が起きてい く最中の2004年、地域におけるソーシャルメディアの利用の先駆けとして、最初の地域 SNS が国内に誕生してい る。地域 SNS とは、国内では株式会社ミクシィが運営する「mixi23」や、グリー株式会社が運営する「GREE24」などに 代表される SNS と呼ばれる情報サービスを、各地域を舞台に運営したものを指している。SNS は、参加者の招待 性や登録制に加え、書き込みや記事の公開レベルといったものまで細かく設定する機能を有していたため、電子 市民会議室が抱えていた「誹謗・中傷」、「荒らし」といった問題や「なりすまし」、「改竄」などの問題を克服すると期 待がなされた。 初めて誕生した地域 SNS とされるのは、熊本県八代市が運営する「ごろっとやっちろ25」である。「ごろっとやっち ろ」は2003年より運営が始まったが、当初は電子掲示板やメール、カレンダーなどの機能に対して、市民が ID を 取得して書き込むという情報システムとして運営されていた。しかし運用後わずか数ヶ月程度で、積極的な書き込 5 みを行うアクティブメンバーは数十人程度まで減少する状態に陥った。そこで、市の職員であった小林隆夫自らベ ースとなるプログラムである「open-gorotto」を開発、地域 SNS の運用を行うことになっている。小林は当時、開設間 もなかった「mixi」に興味を持ち、そこでの積極的なユーザーの参加を見て、その開発に取りかかっている。市の職 員自らがシステム開発を行うというユニークな取り組みは、当時インターネット上のニュースサイト26で報じられ、その 頃から徐々に大きな注目を集めることとなっている。そのような状況の中、2005年12月から、2006年2月にかけて 総務省によりごろっとやっちろで利用されたベースプログラム open-gorotto を採用して「地域 SNS 等を活用した地 域社会への住民参画に関する実証実験」が新潟県長岡市、東京都千代田区で実施されている。さらに2006年に 入ると財団法人地方自治情報センター(LASDEC)によって11の自治体を対象として実証実験が継続された。また 当時、このような実証実験によって各地に誕生した地域 SNS に加え、民間による地域 SNS も誕生し、その数を急 増させる一因となっている。その背景の一つとしては、株式会社手嶋屋がオープンソースとして開発した 「OpenPNE27」など、地域 SNS のベースとなるプログラムが普及したことにより、個人であっても、ある程度手軽に SNS を運用出来る環境が整ったことがある。最初の実証実験から4年が立つ中で、現在では地域 SNS は全国で4 00ヶ所を越えるまでとなった。またその事例は、海外においても「発見」されるようになっている。 第3項 地域のソーシャルメディアが抱える問題 〜 「天草 Web の駅」 〜 ここで地域におけるソーシャルメディア利用の実例として「天草 Web の駅」を取り上げたい。この天草 Web の駅は、 総務省の「地域 ICT 利活用モデル構築事業28」に天草市が応募、その助成を受けてプログラムを受託開発したもの で、2008年3月より運営されている。情報インフラの整備が遅れ、情報過疎地域でもあった天草市ではその遅れを 取り戻すと共に、天草の観光・物産情報の発信、また地域の情報交流を目的として、天草に各種の情報システムか らなる「情報タワー」を建てるという構想を打ち出している。そしてそれを利用する住民参加のハブを担う情報システ ムとして設置されたのが天草 Web の駅である。天草 Web の駅への参加は登録制となっている。しかし、誰でもその 会員になれるというわけではなく、天草市在住か、もしくは過去住んでいたことが条件とされる。また会員は個人会 員と、各種団体やサークルが加入する団体会員に種別されている。ただ、天草 Web の駅は登録制をとっているもの の、SNS のように会員のみにしか利用出来ないというわけではない。具体的には、会員のみに利用可能な地域 SNS としての機能に加え、会員のみが作成を行い、会員外でも閲覧可能なブログやホームページを作成する CMS (Content Management System)機能、また団体会員(企業や市民団体など)が利用することの可能なグループウェ ア機能などが実装されている、またさらに2010年度より、観光情報を作成、配信する機能や、商品販売のための機 能、学校情報を共有する機能など、さらに複数の機能を併せ持った複合サービスとして運用される予定である。さて、 この天草 Web の駅の2009年10月時点での会員数は、個人会員が655名、団体会員が212団体、個人ホームペ ージ開設数が228、団体グループウェア利用数が212となっている。ただ、運用当初より SNS 機能に関しては、個 人会員での利用をほとんど見ることが出来ず、2009年10月時点に公開されているコミュニティ数は7、うち最大の 会員数を持つコミュニティーでも8名程度に止まっている29。またトップ画面に設置され、自由に投稿可能なお知ら せ用のスペースに対する投稿は、一日10数件程度の更新頻度となっている。 天草 Web の駅の利用状況に関しては、高齢化が進む地域での IT リテラシーの問題があることはもちろん、ブロ ードバンド整備が後発組となり情報過疎地域であった同市による挑戦ということもあり、現在の取り組みについての 是非を現時点で評価することは難しいだろう。ただ現在の利用状況に関しては、当初寄せられた期待の大きさもあ って一部のユーザーからは不満も寄せられている。あるユーザーは、「思い描いているWebの駅っていうのはフツ ーのオジイチャンが 趣味で描いていてきた絵画をお孫さんが デジカメで撮影して このネット上で作品展をしたり 6 (中略) フツーのお魚屋さんが 天草の旬の魚料理の作り方の記事をのせたり ・・・と、もっと一般の天草市民がこ の媒体を活用するだろうと ・・・ 思っていたのに30」と述べている。これは CMS 機能を念頭にした発言であるが、こ の機能を活発に利用している利用者の多くは、公共的な活動に携わる団体や一般企業としての参加が主であり、 一般市民としての積極的な参加は少ないのが現状である。さらに地域 SNS 機能は、運営開始当初からその積極 的な利用を見ることは出来ない。公開されているコミュニティー数が少ないことも含めて、その更新は長く滞ったまま の状態が続いている。 実は、このような地域 SNS の利用状況に関して、地域 SNS が「立ち枯れる」と危惧する声が各地で出始めている。 筆者も参加した2008年開催の第3回地域 SNS 全国フォーラム31のメインセッションは、「地域 SNS を斬る!今、な ぜ地域 SNS なのか」というタイトルで実施された。そこにパネリストとして参加した藤代は「なぜ地域 SNS は『立ち枯 れる』のか32」として警鐘を鳴らしている。また地域 SNS に対する研究活動を続ける庄司は、最近の報告の中で「参 加者が集まらなかったり盛り上がりが続かなかったりするものも非常に多い。そういった地域 SNS を指して『立ち枯 れ』などと呼ぶ人々もいる。またそもそも地域 SNS の参加者数は多くても数千人という規模であり、地域社会全体に 与えるインパクトや広告媒体としての価値などの観点からみると、物足りないとみられることが多い。33」と述べている。 さて、この立ち枯れ問題に対して藤代は、同じくパネリストとして参加した鈴木の論をもとに、打開策を示そうとしてい る。鈴木は同セッションの中で、新しい繋がりを開拓する「Briding」と、既存のつながりを強める「Bonding」という概念 を示し、日本の SNS は Bonding の方が強いとする。それを受けて藤代は、地域 SNS は新しい参加者(よそ者)を求 め、会員の新陳代謝を行うことが重要だと主張している。また庄司は上述した報告の中で、同じく新メンバーの導入 の必要性とともに、オンラインコミュニケーションの活性化とオフ会の関連性についても示唆している。地域 SNS の 持つ利点とされた信頼性について考えるならば、このような主張に対する是非は分かれるものと予想されるが、大手 の SNS が招待性を止め登録制へと切り替わる中、時流に乗った案とも言える。ただこの打開策についての考察は、 地域 SNS をソーシャルメディアとして見た場合、その特徴の一方に関する対策に止まったものになっているだろう。 1項で述べたように、ソーシャルメディアには二つの側面がある。一つは利用者が同時に生産者であること、またもう 一つは繋がりを生み出す仕組みを備えていることである。SNS は繋がりを生み出すツールとして一般的ではあるも のの、当然に利用者は、日記やコメントを付け、また写真などの公開を行っている。この点は、利用者が生産者とし て振る舞う場面と言える。そして実質的には、こうして生まれた生産物を利用してコミュニケーションを図っているの である。加えて、この点については筆者のみならず、その運営主体の一部にも理解が存在すると考える。 LASDEC が2006年末に地域 SNS に関して全国の自治体に対して行った調査34によると、各自治体が地域 SNS に寄せる関心として「住民同士の交流促進手段のひとつとして」がもっとも多く、ついで「住民による地域情報発信 手段のひとつとして」が多いと報告される。これは「住民からの意見収集手段のひとつとして」、「行政情報の提供手 段のひとつとして」などを上回る結果となっている。この上位二つへの関心は、そのままソーシャルメディアの特徴と して述べた、二つの点を捉えた結果ともなっている。このことは天草 Web の駅をはじめとして、単に SNS のみを導 入するわけでなく、CMS 機能や観光情報発信機能などを付加しようとする例からも理解することが出来るだろう。こ のように、地域 SNS をソーシャルメディアとして捉えたとき、藤代らの打開策はその特徴の片方である「繋がり」のさ らなる向上を目的としたものと言える。しかし、もう片方の特徴である利用者が同時に生産者であること、つまり利用 者による「情報の表出」を向上する方法に関しても考慮する必要があると言える。加えて、上述の LASDEC の調査 では、現在地域 SNS がないとする自治体に対して「地域 SNS があると良いと思うか」を尋ねている。それによると、 約7割の自治体が「あるといいと思う。」と答えている。これは取りも直さず、ソーシャルメディアに対する関心の高さ であるとも捉え直すことが出来るだろう。そしてこのことは、今後もソーシャルメディアが地域に対して導入されて行く 可能性を示している。実際ごく最近では、新たなソーシャルメディアである「twitter」といったマイクロブログサービス 7 が流行すると、青森県や北海道陸別町などは早速その利用を始めている。 各地域で広がりを見せるソーシャルメディアの利用だが、取り組みが始まって数年しか経たず未だ胞芽的な領域 を抜け出てはいない。その発展へ向けて、現状ではその一方の特徴である「繋がり」を向上することに注目が集まる が、もう一方の特徴である「情報の表出」向上に関しても注目する必要がある。また情報の表出に注目することで、ソ ーシャルメディアでなくとも、今後地域に住民参加型の情報システム、サービスが導入される場合に役立つ知見とな ると考える。ところで、その情報の表出に関して、地域づくり、まちづくりの活動の中には外部者の存在を重要視しな がら、その表出に取り組んで来たものが存在している。同じくソーシャルメディアで生まれる情報の多くも、それぞれ の地域に関する情報であると考えることが出来る。また、外部者(よそ者)の存在が重要視されることから、その知見 からは、ともすれば「繋がり」を向上することに対しても、その効果を発揮することも期待出来るだろう。そこでこの後 は、それらの取り組みを参考としたい。 第2節 情報の表出活動と外部者の持つ可能性 第1項 「ここには何もない」という言説 「それは『ここには何もない』と言わないことです。生活学芸員と生活職人に申請した人たちは、『ここには何もない』 と言わないようあるもの探しの研修を受けます。35」 これは、熊本県水俣市で始まった「地元学」の取組みの一節である。地元学とは熊本県水俣市で行われた地域 づくり、まちづくりの取組みをまとめたものである。水俣地域では、水俣病の公害に際して大きく地域が分裂したとさ れる。地元学ではその再生に取り組むとともに、地域の過疎化や、疲弊の問題に対して果敢に挑戦してきた。上記 の一節はその地元学の取り組みの中でも、2002年から熊本県水俣市頭石地区を対象に行われた「村丸ごと生活 博物館36」に関する言葉である。この村丸ごと博物館では、住民自らが自分たちの暮らしを案内する「生活学芸員」 や、生活技術(漬物や野菜作り、木工、石工など)を持った「生活職人」となり、地区を訪れた人々を出迎えている。 この学芸員や職員になるには、市の認定が必要となっている。そして、生活学芸員になる住民に求められた条件が 「ここには何もない。」と言わないということなのである。この「ここには何もない。」とは、一般に住民が自身の暮らす 地域を形容する場合に良く聞かれる言葉ではないだろうか。「何もない」とされてしまうのであるから、この言葉から はその地域に関する情報が容易には表出されないことが暗示される。これは、地域におけるソーシャルメディアの 利用に関しても示唆的だと言えるだろう。地域づくり、まちづくりにおいて情報の表出を行い地域資源を見つ出して 行くことは非常に重要な課題である。ただそれは地域に暮らす人々には見えてはいない。そこで地元学では「ある もの探し」が実践されるのだが、その中では外部者(よそ者)の役割が重要視されている。 第2項 情報の表出に関わる外部者の事例 以降、1)地元学と外部者、2)まちづくりオーラル・ヒストリーと外部者、3)国内における国際協力の実践と外部者 の順で述べていく。 1) 地元学と外部者 8 上記の地元学の一節は、次のように続いている。 「『この草木は何と呼ぶの?何に使う?』など、外の人たちがあるものに驚いて質問することによって、頭石集落のも っている暮らしの力を引き出して行きます。37」 地元学は、単にそこに生活する住民のみによる活動ではない。地元学では、住民による活動を「土の地元学」、 一方で「外の人」外部者による活動を「風の地元学」としている。村丸ごと博物館の取り組みでは、恒常的に外部者 を受け入れる仕組み作りがなされている。村めぐり、食めぐり、わざめぐりという地域を案内するプランが用意されて おり、それによって外部者が村を訪れ賑わいを創出している。ここでの経験に対してある村民は「ここが生活博物館 になって、人を案内するようになったら、山を見る目が変わってきた。山に行くと食べ物がいっぱいあると気づくよう になった。それと、外から来た人たちがここのすばらしさを教えてくれるのでいい。38」としている。地元学は、あるもの 探しから始まるとされる。そしてその第一歩は、地元を調べることである。あるもの探しでは、生活者へのインタビュ ーをはじめ、地理的な状況や植生、また生活文化などついての調査が行われる。それらは次に、地域情報カードに まとめられ、大きな模造紙上に絵地図として表現されて行く。そして描かれた絵地図をもとに発表が行われ、その共 有が図られる。実際、村丸ごと博物館が設置される公民館の壁には、このようにして作成された絵地図が掛けられ ている。このあるもの探しの手法は、地域における情報の表出活動と考えることが出来るだろう。あるもの探しについ て吉本は「あたりまえこそすごいことだ。あたりまえにあるものを探そう。でも、外の人でないと気づきにくいから、外の 人たちといっしょに調べよう。あるもの探しだ。(後略)39」としている。そして、「地域のもっている力、人のもっている 力を引き出すことが、外の人たちの役割です。40」、「引き出す方法は、『驚いて、質問する』ことです。41」としており、 地域に関する情報の表出と外部者が関連することを示唆している。 2) まちづくりオーラル・ヒストリーと外部者 村落においてインタビュー調査を行う「まちづくりオーラル・ヒストリー42」という取り組みがある。この取り組みは早 稲田大学後藤晴彦研究室において実践されているもので、「役に立つ過去」としてのコミュニティ史の編纂を行い、 そこからコミュニティの将来像である「懐かしい未来」を描くことを目的として実施されている。まちづくりオーラル・ヒス トリーでは、対象地域で語り手と調査者の対話から個人の記憶を収集、アーカイブ化を行っている。こうしてアーカ イブ化されたものを利用して「時代の気分」とされるような、記憶に残り難く、また住民の息遣いの聞こえてくるかのよ うな情報の表出を試みている。そして、それはコミュニティ史としてまとめられるとともに、「懐古新聞」など紙媒体で 発信され、さらに「まち語り」といった朗読会などの開催によって地域で共有される。さて、このまちづくりオーラル・ヒ ストリーの取り組みでは、「コミュニティの自治力が強化されるためには、『コミュニティ』が共有する『もの』と『こと』を わかりやすく確認出来ることが第一の鍵である43」とされている。この「『もの』と『こと』をわかりやすく確認出来る」よう にするということは、そのまま地域における情報の表出を指すだろう。それぞれの記憶や、そこから構築される時代 の気分というのは、その人に近しい人や往事を生きた人々にとっては既知の情報ではある。しかしそれが表出され、 地域コミュニィティ内で共有されることが重要とされているのである。ここで調査者とは、実際には外部者を指してい ると考えられる。後藤は「新・内発的まちづくり」として、「内発的発展論」と比較しながら、生態系のように他者との社 会的関係のもとで自ら生成する系としてのまちづくりを説いている。そこでは、地域の内発的な活動とともに「地域外 からの介入を分散化しながらも、戦略的に地域外との連携を構築する必要がある。」とされている。この地域外との 連携がここでの調査者の存在であると理解出来るだろう。 9 またさらにここでは、同時に外部者の効果に関して「まちづくりによってまちの人々のコミュニケーションが活発に なった点も、見過ごせない特徴である。それもまちの人々どうしのみならず、MOH44調査者を含めたまちの外の人々 とのコミュニケーションも盛んになっている。45」そして、「まちの人々のコミュニェーションが活発となり、様々な人々と の多面的な『関係』が築かれるようになった点が(中略)特徴である。46」としている。地域における情報の表出に注目 して来たわけだが、よそ者が同時に「繋がり」を生み出していることは、「情報の表出」と「繋がり」がよそ者によって相 乗的に働く可能性について示唆的でもある。 3) 国内における国際協力の実践と外部者 国内における国際協力の実践においても、情報の表出との関連で外部者の存在を見ることが出来る。これらは、 JICA による研修員受入事業として行われたもので、長崎県小値賀町などいくつかの市町村を舞台とした取り組み が存在している。この取り組みの中では、PRA(参加型農村調査法)47という手法が実践されている。PRA は、国際 開発の現場において発展して来たもので、特にその萌芽は途上国の農村地域の開発において見ることが出来る。 PRA が誕生するにあたって、国際開発の現場では2つの問題を抱えていたとされる。一つは、如何にして住民の参 加を達成するか、そしてもう一つは如何にして情報を引き出して行くかである。時に文字を読めない人々も多い中 で、質問紙による調査は時間も手間も係る上、正確さに掛けていた。さらに「農村開発ツーリズム」と呼ばれる開発 の専門家や、行政官といった外部者による調査活動は、様々なバイアスによって歪められたものとなっていた。そこ で PRA では、「指揮棒を渡す」と表現される、主導権を地域の人々へ移譲することを原則として採用している。そし て、彼ら外部者はファシリテーターとして、必要な場合のみの参加が心掛けられている。つまり、地域の人々が自ら 参加することでそれらの問題を解決しようとしたのである。さてそこでは、具体的にどのような方法が取られるのだろ うか。PRA では住民とともに社会化マップや、資源マップ、また年表作りといった様々な図解を作るワークショップが 実践される。そして時にインタビューや参与観察などが組み合わせられる。このような手法は、地元学で紹介した 「あるもの探し」と非常に似た特徴を持っていることに気が付くだろう。 さて、冒頭で述べた長崎県小値賀町での実践は、JICA による研修員の受け入れ事業として始まっている。ここで 外部者は、研修員としてフィジーやトンガなど途上国からやってくる参加者達である。彼らは当初、地域開発や住民 参加についての講習を受ける。そしてその後に、住民に対するグループインタビューや、住民参加のワークショップ でのファシリテーターとして参加している。ワークショップでは、年表づくりといった PRA の代表的な方法が採られ、 また「まち歩き」なども実践されている。この研修について西川は、「外国人の研修員と住みなれた小さな島を歩き回 ったことで、『新しい発見があった』と区長はじめ、その他の住民、子ども達が声をそろえて発言している。48」としてい る。そして、「このように自らの資源に気づき、それをまとめ利用し外部に発信する能力は外部からの刺激なしには 発展しない。49」としている。ここでも PRA という手法を通して、外部者が情報の表出を促す効果が認められている。 以上、3つの事例を見てきたが、それぞれの実践において地域における情報の表出に、外部者が有効に関与し ていると見ることが出来るだろう。地域づくり、まちづくり活動では「よそ者、わか者、ばか者」の参加が重要視される。 それにも関わらず、これまで地域づくりにおいて「よそ者」に対する分析はあまりなされては来なかった。その背景か ら敷田は、よそ者の効果について分析を行い、1)技術や技能などの知識の移入、2)地域の持つ創造性の惹起、 3)地域の持つ知識の表出支援、4)地域(や組織)の変容の促進、5)しがらみのない立場からの問題解決の提案、 の5つに分類を試みている50。ただ、敷田は続けて「実際の地域づくりでは、このような効果が複合的に同時に起き ていると考えられる。それを分離して論ずることは地域づくりの当事者たちにとってはあまり意味がなく、むしろよそ 者の効果がどのように発現するかに考察のポイントを置くべきだろう。51」ともしている。これまで述べてきた地域にお 10 ける情報の表出は、敷田の分類の、3)に近いものと考えることが出来るだろう。しかし、それに至るプロセスは上記 の事例の中でも明らかにはされてはいない。 そこで、そのプロセスへの考察を行い、手に入れた知見をソーシャルメディアに対して援用するために、野中らに よって提唱された SECI モデルの適用を試みたい。SECI モデルは企業組織おける知識創造のプロセスを説明した ものであり、ここでは地域における情報の表出を知識創造のプロセスに位置付けて理解したい。そして、モデル上 で外部者が置かれている状況の分析を行い、その後、情報の表出の現場としてワークショップを設定、そのプロセ スに対する調査を実施した。 第3章 地域における情報の表出と SECI モデル 第1節 SECI モデルについて 第1項 知識創造のモデル SECI モデル52は、野中らが提唱した企業組織を事例とした知識創造、またイノベーションのモデルである。その 中で野中は、マイケル・ポランニーが提唱した「暗黙知」に対する概念として「形式知」を挙げ、それらが循環的に相 互変換するモデルによって、日本企業における知識創造のプロセスを説明している。SECI モデルでは、図1のよう に「共同化 → 表出化 → 連結化 → 内面化 → 共同化 → …」と循環的に知識創造が進むとされる。そし てそのようなプロセスを「知識変換」とする。さらにその相互変換は、個人レベル、グループレベル、集団・組織間レ ベルへとより高い次元に向かってスパイラル状に進行する。それは結果として、一つのイノベーションをもたらすだ ろう。それ故にこのプロセスは、自己を超越するプロセスともされる。 11 図 1 知識変換モード(野中, 1996, pp.93) 第2項 知識創造のプロセス 暗黙知とは、マイケル・ポランニーによって「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる53。」として提 唱された概念である。SECI モデルにおいて暗黙知とは個人や集団内に蓄積されている暗黙の内の思いや知恵を 指している。一方で形式知とは、文章や会話といった形式化され、他者にも伝わりやすい形となっているものを指し ている。以下、プロセスの各次元について説明して行く。 SECI モデルにおいては「共同化」がその出発点とされる。「共同化」とは、グループ内の暗黙知が共有される過 程である。ここは、職場を離れた合宿や食事といった場面も含まれる「共体験」を行う段階にあたる。事例として挙げ られるホンダの「タマ出し会」と呼ばれる非公式の合宿では、職場を離れた温泉旅館などに泊まり、寝食をともにしな がら議論が行われている。この過程で共体験が積まれ、暗黙知が共有される。 さて「共同化」を経た暗黙知は、次に「表出化」の段階へと移る。「表出化」とは、暗黙知をより明確なコンセプトに 表すプロセスとされている。ここで暗黙知は、メタファー、アナロジーなど多様な形を取りながら、徐々に形式知とし て明示的な形になる。松下電器が実現した「ホームベーカリー」の例を挙げると、開発チームの田中はパン作りの重 要なステップである練りの技術を学ぶため、熟練パン職人のもとで訓練を行い(共同化)、そしてその暗黙知をパン 生地を練るヘラのスピードを示唆する際に「ひねり伸ばし」というコンセプトや、「もっと強く回転させて」「もっと速く」と いう表現で、その技術をエンジニア達に対して「表出化」している54。 続いて「表出化」を経て、形式知となったものは「連結化」のプロセスへと入る。「連結化」では、表出されたコンセ プトらを組み合わせて一つの知識体系にまとめて行くことになる。そこでは、異なった形式知同士が結びつき、新た な形式知が作られて行く。時にそれは単なるアイデアの集合体でもあるが、新しい製品やサービスなどの形にまで 達している場合もある。 「連結化」の経て、最後のプロセスとしての「内面化」へと進む。「内面化」とは、実際にその製品やサービスを使っ 12 てみることや、また前段階までに作成された文書、マニュアル、また物語によって追体験を行うこと、さらには、ある サクセス・ストーリーが組織全体に浸透するような過程で形式知が、再度暗黙知へと変換するプロセスである。 このようにして、SECI モデルでは組織やグループ内で、暗黙知から形式知へと、また再度、形式知が暗黙知へと 変換される過程を経ることで知識創造のプロセスは進むとされる。しかし、この一連のプロセスは、単に一回りすれ ば足りるというものではない。個人、グループ、そして組織へとスパイラル上に進みながら進行するとされる。 第2節 SECI モデルから見た情報の表出と外部者 第1項 SECI モデルの適用可能性 この SECI モデルであるが、一般には企業組織における知識創造、またイノベーションの理論として理解される。 本モデルを地域における情報の表出に関する問題へと適用するにあたって、その適用可能性について述べておき たい。イノベーションとは技術革新を指す言葉とされるが、現在ではより広い意味で捉えられるだろう。ソーシャル・イ ノベーションという用語も使われるようになり、単なる新技術を指す言葉ではなくなったと言える。各地域における、 地域づくり、まちづくり活動が目指すものも一つのイノベーションであると、ここでは捉えたい。なぜなら、それらの活 動が目指しているものは、各地域においてまだ実現されない地域的な新機軸の達成であると言えるからだ。また社 会起業家や各種のボランティア団体、NPO 法人など、その活動の実施主体が変わる中、それらはより組織的に、ま た形式知を重要視する活動へと変化して来ているとも言えるだろう。 さて、地域において情報の表出を行う取り組みでは、地域の人々の暗黙なる部分を取り出し、それを絵地図やコ ミュニティ史、また社会化マップ、年表などといった明示的な形、つまり形式知へと変換(表出化)していたと見ること が出来る。そして、それらは参加者間に発表されることで共有され、また時には地域全体で共有されることになる。 蓄積されたそれらがある形にまで昇華した際(連結化)に、地域資源が生まれると言える。そして、その地域資源が 活用される中でそれは暗黙なる部分へと変換されて行く(内面化)と言えるだろう。例えば、まちづくりオーラル・ヒス トリーの取り組みでは、調査者が地域住民の歴史を取り出そうとする(表出化)。その結果集められたインタビュー記 録(形式知)は、編集によってまとめ上げられ、地域住民への確認作業を通して認められたものが、コミュニティ史と して誕生する(連結化)。それは様々なメディアに掲載されるなどして、地域内で読まれ再度暗黙知に変換されて行 く(内面化)。その結果によって達成されて行くことになる地域イメージや、地域のアイデンティティーとは、一般に確 立し難く、また価値あるものであり、地域における一つのイノベーションへと言えるだろう。このような過程は、SECI モ デルが示す知識創造のプロセスと考えることが出来る。後に述べるが、地域づくり、まちづくり活動の取り組みの中 で頻繁に実施されるワークショップは、SECI モデルが示す知識創造のプロセスによって説明可能な構造となるよう 組み立てられていた55。実は、PRA はもちろん、これまで述べた絵地図作りや、インタビューという手法もワークショッ プの一形式として考えることが可能である。このことは、地域づくり、まちづくり活動の中にも、知識創造のプロセスを 見ることが出来ることを示している。そこで、それに対する外部者の参加のプロセスを調査することで、他方同じ地域 を舞台としたソーシャルメディアへの示唆を得ることが可能になると考える。また、SECI モデル上に位置付けること で、情報の表出に関わる前後関係を理解することが出来る。そのため外部者の関わりを、あるプロセスとして取り出 すことが可能となると考える。その際の SECI モデル上での分析対象を述べておきたい。今回は情報の表出向上に 繋がるプロセスを調査したい。そこで、情報の表出が関連すると思われる「共同化 → 表出化 → 連結化」の段 階を中心に考察を行うこととする。 13 第2項 SECI モデルと外部者の位置づけへの考察 SECI モデル上における外部者の位置づけについて考察したい。1)共体験と外部者、2)正当性と外部者、の順 で述べる。 1) 共体験と外部者 SECI モデルは「共同化」から出発するが、そのためには「共体験」を積む必要があるとされる56。SECI モデルにお いて共体験を積むということは、そのグループ、ないしは組織に関する暗黙知を獲得するということである。そして、 その共体験を積む場所として合宿などにより、密度の高い経験を共有する必要性が挙げられている。しかしその場 を地域に変えて考えた場合、それに類する暗黙知が、地域の内部者の間に既に存在していると考えることが出来る。 それらは地域遺伝子や、パブリック・ヒストリー、さらには場所の記憶57とも言い表せるものを指す。上述した長崎県 小値賀町の事例では、PRA によるワークショップに参加した当地の自治体職員が、「大島住民の将来像がこれから 町が進めようとしていたことと似ていて驚かされた58」としているが、このような感想はある地域内に共通した暗黙知が 存在していることを示している。またそれはあるルールや、会話の端々に見られる細かな表現の違いからも確認する ことも可能と言えるだろう。このようなものを手に入れるには、地域で共に生活し、内部者と密接な経験を積む必要 がある。一方で地域づくり、まちづくり活動において、そのような暗黙知の共有過程が敢えて設定されることは稀で はないか。そこではむしろ、既にそのような暗黙知が存在するとして次の表出化へと進んでいると思われる。 さてこのように考えると地域に対する外部者は、一般に共体験の段階を経ていないと言える。ここまで外部者と一 口に述べて来たがその定義は様々である。ジンメルによって「今日訪れて来て明日去り行く放浪者としてではなく、 むしろ今日訪れて明日もとどまる者59」とされた「異郷人」の定義をはじめ様々なものが存在しているが、敷田はその ような従来のよそ者論から展開しまちづくりと関連する外部者の特性についてまとめている60。それによると外部者は 「関係者でない異質な存在」であり、そこには内部者との間に段階があることに加え、またよそ者性は内部との関係 で決まるとする。さらに「観光客」についても触れ、「よそ者の異質性は地域の内部と外部の差だけではなく、時間や 関与度合いによって生ずる。」としている。このことは、外部者というのは相対的な概念であることを示している。こと 暗黙知という側面で考えた場合、地域内に共通する暗黙知があることから考えて、ここでは外部者を、地域内の暗 黙知が相対的に少ない存在として定義したい。そして、外部者を内部者に対して暗黙知の少ない存在と定義すると、 SECI モデル上のプロセスにおいてその立ち位置がはっきりとしてくるだろう。暗黙知が少ないということは、SECI モ デル上で彼らは共体験を経ていないことと同等となる。つまりそれは、彼らは内部者の暗黙知を理解することが難し く、またそれは内部者側からもそうであると言える。これはその後の表出化に向かう際に、何らかの問題の発生を予 見させるだろう。 2) 正当化と外部者 続いて「表出化」から「連結化」へと至るプロセスに関して考えたい。SECI モデルの曖昧な点について論じ、その 発展モデルを提唱した丁は、このプロセスの間に「正当化」の段階を設けた方が理解がしやすいとする61。この正当 化という概念は、野中が SECI モデルに時間軸を加味した「ファイブ・フェイズ・モデル」の中で、第3フェイズ「コンセ プトの正当化」として提案している62。野中によると正当化とは「新しく創られたコンセプトが組織や社会にとって本当 14 に価値があるかどうかを決定するプロセス」とされる。松下電器のホームベーカリーの事例では、開発メンバーの田 中が表出化した「ひねり伸ばし」という言葉に示唆を受け、その状況を再現しようと生地をこねるヘラが回転している 容器の中に、特殊なうねの機構を付けている。そしてその機構を採用したホームベーカリーのプロトタイプが完成し た際を連結化と見なし、それはプロジェクト全体のコンセプトであった「イージー・リッチ」における「リッチ」に該当す るという形で、正当化がなされた結果としている。さて丁は、「個人やグループで正当化されたものは、まだ表出化に 過ぎず、それが組織レベルで正当化されて初めて連結化と見なせばよろしい63。」とする。ここで重要としたいのは、 組織レベルで正当化を行う前に、個人やグループでの正当化を認めている点である。野中もこの点については一 部触れている。上述の第3フェイズに関して、「個人は知識創造のプロセス全体にわたって、情報、コンセプト、知識 の正当化あるいはふるい分けを絶え間なく無意識的に行っているように見える。しかし組織はこの正当化をより明示 的なやり方で行って、組織の意図が損なわれていないかどうかをチェックし(後略)64」としている。さらに「(前略)す なわち製品あるいはサービスの正当性は、最終的には市場で判断される65。」とするが、これらからは正当化が個人 やグループ、組織へと段階的に、またそれとともに正当化の基準が明示的になることが示唆される。 さて、地域を舞台とした活動に SECI モデルを適用する際、このような「正当化」は外部者に対してある問題を発 生させる。地域における正当化とは、その地域にとって価値あるものと判断されるプロセスである。つまり、外部者が 提示した形式知が価値あるものとして判断され得るのかという問題である。外部者は一般に地域内部からは理解さ れ辛い存在である。彼らが提示した形式知がそもそも判断の俎上にすら登らないことがあるかもしれない。しかし判 断を行う段となっても、正当化の基準によって阻まれるだろう。この基準とはどのようなものだろう。情報の表出を行 っている活動の目的や歴史というのも当然に基準と成り得るだろう。しかしより広範に捉えるならば、1)で述べた地 域遺伝子と呼ばれるものの存在が関連していると言える。外部者はそれらに対する暗黙知を有してはいない。その ため正当化の基準を知り得ることが出来ず、彼ら単独ではそれに合致するように形式知を扱うことが困難となる。こ れは外部者の参加に対する一つの障壁であり、正当化の壁とも呼んで差し支えないものだと言える。このことは地 域における知識創造において、外部者がその主体と成り得ることへの難しさを示している。これは、時に中央集権 的で、また外部のコンサルタントなどにより、一方的に進められた外発型の地域づくり、まちづくりの難しさにも通じる ものがあると言える。 ここまで SECI モデル上に外部者を位置付けて、その関連を考察してきた。この後、ここでの位置づけをもとにし て、実際の場面に対しての調査について述べるが、現時点でも一定の示唆を得ることが出来るだろう。それは安易 な「よそ者期待論66」に対する疑念である。ともすれば兎に角外部者を参加させれば良いとする態度が存在し、それ は「よそ者、わか者、ばか者」と言う言説のみによって支えられている場合が多い。しかし、共体験の少なさ、また正 当化の困難さからは、このような安易な態度に問題があることが示唆されている。 第4章 外部者参加のワークショップへの調査 第1節 ワークショップと外部者について 地域における情報の表出において外部者が関わるプロセスを考察するために、外部者が参加するワークショップ を対象に調査を実施した。ワークショップは、国内では 1970 年頃から、都市計画などの分野を中心に住民参加の 必要性を背景として実施されて来た。その後、そこから発展する形で地域づくり、まちづくり活動の一環としても、各 15 地で実施されるようになって来ている。それらは「まちづくり系67」として、ワークショップの分類のうちの一つの領域を 占めるまでになり、さらに地方自治体の職員には、そこでのファシリテーターを担える技能が求められるほど、広範 な広がりを持つに至っている。 さてこのワークショップには、外部者の参加を見ることが出来る場合がある。従来の都市計画におけるワークショッ プでは、その専門家達がその外部者と言える。また現在では、地域づくり、まちづくり活動の主体が、従来の市町村 といった単位から、ボランティア団体や NPO 法人など、より多様なメンバーが混在する主体へと変化している。その ためワークショップは、活動への参加者を集める目的や、また活動内の一つのイベントとして実施される場合もあり、 外部者が地域と交わる場として働いていると考えることが出来るだろう。ここでは実例として、筆者も参加した「まち育 て塾」を挙げたい。「まち育て塾」は、熊本県都市計画課によって平成19年度八代市、平成20年度菊池市を対象 に実施されたものである。塾長として、愛知産業大の延藤安弘氏を迎え、またコーディネーターとして九州大学の藤 原恵洋氏を迎えて行われた。プログラムの主体は、付箋の意見を書き、KJ 法68を利用してまとめ、ポスター発表を 行うワークショップであり、またまちづくり分野のワークショップの中で頻繁に行われる「まち歩き」もその間実施され た。さてこの塾の平成20年度実施時には、参加者の半数は対象地域外(主に熊本市)からの外部者となっている。 第2節 SECI モデルとワークショップについて このようなワークショップは、調査で分析対象とした「共同化 → 表出化 → 連結化」のプロセスに合致するもの だと言える。ワークショップは、企業内の会議手法として用いられる場合もあり、地域における情報の表出を担うもの 69 であると理解することができる。このワークショップを SECI モデルのプロセス上に位置付ける上で、木下が言うハ ルプリンの「RSVP サイクル70」は興味深い。RSVP は、ワークショップのプログラムの組み立てる際に利用されるモデ ルで、R(Resource,資源)、S(Score,総譜)、V(Valuation 価値評価)、P(Performance,実行)である。このうち「総譜」と は、ある1回中のワークショップの「行動表」のことを指している。つまりある一回のワークショップ中では「資源 → (総譜に沿って)実行 → 評価」となる。また実行や評価の際には、共有化(シェア)が重要視されており、意見は 模造紙などに書き出し共有することが推奨されている。ここから、ワークショップのプロセスを説明すると、まず参加 者が資源を出し合い、そして行動表に従って実行し、そして行動の過程や結果は共有され、ついで結果は評価さ れる。さらに評価されたものは共有され、そしてそれは次の資源へと生かされていく。実際にまち育て塾では、まず 行動表が配られ、参加者はそれに従い付箋に資源となる各々の意見や考えなどを書き込んでいる。そして、その意 見は模造紙上に張られることで、共有化が計られつつ進む。そして結果がまとまると、それは全体の前で発表され 再度共有化が計られ、そして参加者と全体の進行役がやり取りを行いながら評価が行われている。加えて、その結 果はフロア全体に張り出され、また次回の開催時にも張り出され、さらなる共有化が行われた。この一連のプロセス は、上昇的に進行するよう組み立てられていた。次回のワークショップは、前回ワークショップの結果を利用するよう に実施されるのである。 16 図 2 ハルプリンの RSVP サイクル(木下, 2007, pp.56) さて、この一連の過程は SECI モデルに合致するよう組み立てられていると言えるだろう。木下は資源に関して 「ありとあらゆるものが資源となるなかで、なかなかそれらが資源として有効に働かないのが実際である。資源の多く はこのように眠っているのである71。」としている。これは SECI モデルが想定する暗黙知の概念に近い。そしてそれ が行動によって明示的となり(表出化)、それらは組み合わされ、ある結果としてまとめられる(連結化)。また、それ が複数回のプログラムにより小さな単一グループから、より大きなグループの集団へと展開されるならば、共有化と いう過程に、内面化のプロセスが組み込まれると言える。そして RSVP サイクルて提示される上昇的なプロセスは、 SECI モデルにおけるスパイラル上のプロセスに近いものである。しかし、SECI モデルに見られる「共同化」に類する 過程を見ることは出来ない。これは3章で述べたように地域における事前の共体験の存在を前提としているからだと 説明することが可能と言える。 以上のように、地域づくり、まちづくり活動におけるある一回分のワークショップでは、SECI モデルにおける「(共 同化) → 表出化 → 連結化」のプロセスとして位置付けることが可能と言える。そこで、情報の表出の現場として ワークショップを設定して、それに対する調査、分析を行うことで情報の表出へと繋がるプロセスを取り出すことを目 指した。 第3節 外部者参加のワークショップへの調査、分析方法について 第1項 調査方法について 17 調査では、ある地域とテーマを設定したワークショップを実施している。その際、ワークショップへの観察、ワーク ショップ中の音声の記録を行い、また事後に参加者へのインタビューを実施している。ワークショップの参加者は、 その地域に対する外部者、内部者によって構成されている。さて、地域に関しては確定的な定義は難しい。そこで 本調査では、3章2項で述べた外部者の持つ共体験の少なさ、また地域における内部者の持つ共体験の存在から、 そのような共体験を想定可能な場を地域の定義として採用したい。具体的には、地域として「大学」と「熊本県」を設 定、それぞれに対する外部者と内部者として、「新入生」と「在学生」、「県外出身者」と「県内出身者」を参加者とし ている。対象地域、参加者、実施日の一覧は表1の通りである。 表 1 ワークショップに対する調査一覧 地域 外部者・内部者 実施日 大学 新入生・在学生 2009 年 05 月 08 日 熊本県 県外出身者・県内出身者 2009 年 10 月 19 日 また、ワークショップのプログラム内容、参加者が外部者と内部者という設定に関しては、事前に配布資料及び口 頭での説明を行っている。説明は「参加者は、外部者であるか内部者であるかによって、それぞれ外部者の視点、 内部者の視点を持っている。それぞれの視点を生かしてアイデアを考えて欲しい。」という内容に沿って実施した。 加えて、各ワークショップの主題は表2の通りである。 表 2 ワークショップの主題一覧 地域 大学 熊本県 ワークショップ主題 熊本県立大学をより楽しくするためには? 熊本県ってどんなトコ?熊本県をもっと良くしたいナ! ワークショップの実施手法に関して、KJ 法を参考として設定したプログラムを表3に示す。まず参加者は、それぞ れの地域に関する現実の状況と、参加者が描く理想の地域の状況を付箋に記入する。次に、現実と理想それぞれ の付箋を集め、いくつかのカテゴリー(付箋の集合)にまとめて行く。カテゴリーに対して一意の名前を付けた後、現 実を理想へと転換して行くために必要な方法について考え、最終的にそれらを発表して貰うというプログラム内容で ある。また、これらの作業は付箋を模造紙上に貼り付ける形で進められている。加えて、各プログラムの項目毎に大 まかな制限時間を設定してある。これは調査が冗長になり過ぎるのを防ぐためである。 18 表 3 ワークショップのプログラム 順序 1 2 ワークショップのプログラム 制限時間 各地域への「理想」と「現実」を付箋を記入。各 5 枚。 10分 「現実」の付箋同士、「理想」の付箋同士でカテゴリーを作る。 15分 3 カテゴリーへとネーミングする。 4 「現実」が「理想」へと変化して行くためのアイデアを考案。 10分 5 各カテゴリーと、4 で得たアイデアを用いて内容を発表。 (延長あり) さらに、参加者名(仮名)、年齢等の属性について表4に示す。 表 4 ワークショップ参加者の一覧 調査 名前(仮名) 種別 所属 学年 性別 山田 新入生 大学生 1年 男 木村 在学生 〃 3年 女 松本 在学生 〃 3年 女 今岡 在学生 〃 3年 女 加藤 県外生(福岡) 〃 4年 男 中島 県外生(鹿児島) 〃 4年 女 田中 県内生 〃 3年 男 吉田 県内生 〃 1年 男 第1回 第2回 続いて、観察手法、インタビュー方法について述べる。まず、調査に対する観察手法としては、非参与による観 察を実施している。調査者は、できる限りワークショップの進行に関与せずに観察を行っている。ただ、ワークショッ プの事前説明では非参与的ではなく、またワークショップ中であっても進行に関する質問があった場合、制限時間 を超過し過ぎている場合は、滞りなく進行するために必要最低限の返答を行っている。つまりワークショップの最中 にのみ非参与的であった。次に、インタビュー方法としては半構造化インタビュー72を実施している。半構造化イン タビューは、限定的な質問項目を採用せず、また質問順もインタビューの状況に応じて適宜判断するインタビュー 手法である。分析にあたって、参加者の主観的な記述を手に入れる目的で実施している。今回の調査は、ワークシ ョップ上でのプロセスに対する理解を目的としているため、質問項目以上の付随的な内容を収集する必要があった。 そのために半構造化インタビューを採用した。実際のインタビューにあたっては、インタビューガイドを用いている。 インタビューガイド、及びインタビューの実施日については付録とする。 19 第2項 分析方法について 調査によって収集したワークショップ中の観察記録、会話記録、また作成された付箋、模造紙上の表現、事後の インタビュー記録を対象にして分析を行っている。分析にあたっては、先行研究からは今回のようなワークショップ に対する調査手法を発見出来なかったため、一般的なコード化手法73をワークショップ中の会話記録を中心にした コード化として応用して実施している。具体的には、会話記録に対して、観察記録、インタビュー、付箋、模造紙を 参考にしながら、外部者と内部者が相互行為を行う場面を取り出している。その際には、3章で考察した共体験の 少なさ、また正当化の困難さから出発しその関連を追った。また調査結果では、その行為の関連性は各カテゴリー (付箋の集合)毎に存在している。そこで会話記録をカテゴリーとの関連で分割し、時系列に並べ、カテゴリー毎に 分解した会話記録に対して分析を行っている。取り出した会話記録に対してコード化を実施した後、事例毎をまと め、ある「場面」として概念化を行った。そしてその後にそれらの関連を分析し、ある一連のプロセスとして提示して いる。 第4節 外部者参加のワークショップへの調査、分析結果について 以下各項にて、1)ワークショップの概要、2)プロセスの説明、3)分析小括、の順で述べる。 第1項 第1回ワークショップ調査 1) 第1回ワークショップの概要 第一回ワークショップ調査は、同じ大学に通う大学生4名の参加者により構成された。そのうち外部者として、大 学に入学後間もない1年生の山田、また内部者として3年生の木村、松本、今岡が参加した。3年生3名は同一の 研究室であり顔見知りだったが、1年生である山田とは初対面であった。 さて、プログラムについての説明が終わりワークショップが始まると、まず付箋書きが始まっている。松本が「じゃあ パーっと書いていく?」と開始の合図を行い、それに対して全員が黙々と付箋書きを行った。付箋書きでは、松本が 最も早く書き上げたのに対して、木村と今岡がほぼ同時に書き上げ、最後に山田という順であった。山田は付箋書 きが順調に進まないようで、規定10枚に対して、5枚(理想が1枚、現実が4枚)の付箋しか書くことが出来ていない。 付箋書きの後は、付箋を集めカテゴリーを作る段階へと入っている。この段階に入ると、松本が「じゃあ真ん中線を 引く?」と模造紙を分割するように真ん中へと1本の線を書き込み、一方を現実、一方を理想の付箋を貼る場所とし て区分けを設けている。この行為から理解出来るように、今回の実質的なファシリテーターは松本であった。カテゴ リーを作る段階で5つのカテゴリーが誕生した。「講義に関すること」、「交通」、「施設」、「学食」、「人間関係」、「イベ ント」である。また、その後のワークショップの進行の中で「就職について」、「イメージがよくない」、「学生生活」が誕 生している。この頃より会話が活発になっている。また、山田に対して松本が会話を行う場面が複数見られるように なっている。そしてその後に、現実を理想へと変えて行くためのアイデアを考案する段階へと入った。この段階まで 来て、一同の間には時折笑いも見られるようになり、緊張が解れて来たようでる。ただ外部者である山田から会話を 行う場面は全体を通して少なく、緊張していたようであった。そのため多くの会話は内部者によるもので占められて いる。最後にアイデアについて発表を行った。発表では、カテゴリー毎に発表者を分担し、それぞれのアイデアを 20 発表している。 図 3 第1回調査の様子 2) 各プロセスの説明 第1回ワークショップ調査の結果、各事例に対して「理解のズレ」、「一人語り」、「視点の拡張」、「排除」、「捉え方 の差異」、「否定感」の6つの場面が取り出された。続いて、それらの関連から各プロセスを述べたい。 ・ 「理解のズレ」からの「否定感」と、ズレを助長する「排除」のプロセス まず共体験の少なさが「理解のズレ」の場面として存在したことを述べ、それを助長する可能性のある「排除」、ま たそこから繋がる「否定感」について述べる。さて「理解のズレ」は、新入生が出した付箋に対して、新入生と在学生 の理解の間に食い違いが生じている場面である。この場面の事例1は以下の通りである。 21 【理解のズレ, 事例1】 カテゴリー名「施設」に関する事例。山田は「施設」に関して{狭い、くらい}と書かれた付箋を出している。 また、今岡も{狭いキャンパス}という付箋を出している。これらに対して木村は、 木村: キャンパスが狭い。暗い(付箋の内容を呟く) 木村: これはでもね狭くはないと・・・。 木村: なんかこれ以上広くなっても人も変わらんと と述べている。また、ワークショップ中の会話の中で今岡、木村が、 今岡: 他の大学と比べるとちょっと狭い気もする。 木村: (人数が)すくないもんね全然違う と述べている。このことから木村は、山田の付箋に対してキャンパスの物理的な狭さや学生の絶対数の少なさに着 目したようである。一方山田はインタビューにおいて、 山田: 図書館は狭くはないと思います。他には行ったことがないから分からないです。 と述べ、さらに大学に対して、 山田: 狭い、暗い感じがする。 山田: 明るい方が良いです。 山田: ほんと暗いっすよね。人がいない感じがする と述べている。これは山田が、キャンパスに対して物理的というより感覚的な狭さ、人の存在を感じないことからくる 暗さを問題としていたと理解出来るだろう。また松本、木村は、 松本: 狭いキャンパス。(と付箋の内容を読み上げる) 木村: みんな言っているね。 松本: ほぼ(みんな言っている。) と述べていることから、物理的なキャンパスの狭さは内部者における共通理解であったと考えることが出来る。 この事例1では、大学キャンパスの狭さについて、在学生には共通の不満感があったようである。しかし、新入生 にはそれがまだなく、むしろ感覚的な狭さ、暗さを感じている。新入生である山田はインタビューで知り合いが出来 たかと問われ「ちょっとずつだけど出来てきた。でも知らない人がほとんど。」と述べている。この場合、新入生にとっ ては人間関係の希薄さから来る心細さが、狭さ・暗さとして現れていると考えるのが妥当と思われる。さらに山田はイ ンタビューで、図書館の狭さについて問われ「図書館は、狭くないと思います。他は行ったことがないので分からな いです。」と述べている。まだ大学全体を歩いたことのない山田には、キャンパスの物理的な狭さについては分から ないだろう。つまりこれは共体験が少ないことから来たといえ、それは新入生と在学生が抱える認識のズレとして存 在することになった。さて、この場面を助長する場面として「排除」を考えたい。これは「理解のズレ」を手伝い、問題 を大きくしてしまうことに繋がると考えることの出来る場面である。以下がその事例1である。 22 【排除, 事例1】 カテゴリー名「交通」に関する事例。大学の駐車場、駐輪場についての話題が行われている。それらの場所をめぐ る会話の中で今岡、木村は、大学の駐輪場の場所を指しながら、 今岡: あそことなんか。 木村: あっちある? 松本: あー、あるねー。 など、指示語を多用した会話がなされている。山田は、原動機付自転車で通学しており話題に参加することも可能 だったと思われる。しかし、指示語を多用した会話では、それらに対する知識が少ない状況では会話への参加が難 しいだろう。 この事例1では、在学生による指示語が多用される様子が述べられている。「あそこ」や「あっち」といった指示語 は、そこに長く生活すれば暗に理解出来る言葉である。つまり暗黙知であるが、それに根ざした会話は共体験の少 ない新入生には何を意味しているのか理解出来ず、結果として会話への参加が難しくなると考えられる。続いて事 例2を示す。 【排除, 事例2】 カテゴリー名「交通」に関する事例。大学の駐車場内に設置されているスピード止めについての会話がなされてい る。そのスピード止めに対して、車が段差を乗り越えた際の音の表現を用いて「がったん」と参加者は形容している。 この「がったん」に関して木村、松本は、 木村: あれ、先生たちが作ったらしくって居住(建築系の学部名の略称)の。手作りらしくて、高さ間違えたって話は聞いた。 松本: あれ、絶対間違いだよねー。 木村: あれだから、し直すしかないよ。 と述べている。この内容に関してインタビューで尋ねたところ松本は、「ほんと噂で聞きますねー。」と述べており、こ の内容がいわゆる「内輪」の話題であったことが分かる。山田にこの点について内部者しか知らない話題について どう反応を返せるかとインタビューで尋ねたところ、 山田: 特に出ないですね。そうなんだーくらい。 と述べている。このような「内輪」の話題に対しての新入生である山田は興味を持てていない。 事例2では、「がったん」と表現された駐車場内のスピード止めについてである。ここでは在学生により、「がった ん」に対するエピソードが披露されている。在学生内では良く噂されるとするこの話題に対して、新入生である山田 は特に興味を持てていない。このような話題はいわゆる「内輪」なものであるが、共体験のない新入生にはどの点が もの珍しく、また興味深いのかを理解することは難しいと言える。つまりこれらの事例は二つとも、共体験の少なさか ら派生した場面と考えられる。しかも単にその後の表出化を阻害するだけでなく、このような結果、新入生はますま す話題への参加が難しくなり、それに応じて表出化も難しくなって行くと予想される。またさらに「理解のズレ」から繋 がる場面として「否定感」が存在している。以下がその事例である。 23 【否定感, 事例】 インタビューにて山田は、自身に対して他者が肯定的だったかどうかと問われ、 山田: 否定的だったと思う。 山田: 付箋の内容に関しては否定的だったと。 と答えている。 端的ながらこの事例では、新入生である山田が他の参加者であった在学生から、自身の付箋が否定的に扱われ たとして「付箋の内容に関しては、否定的だったと。」と述べている。この山田の付箋に対して否定的なやりとりが行 われたのは、実際は「理解のズレ」の事例1の場面でもある。新入生と在学生の間に理解の相違が存在する中で、 付箋が自身の考えとは違った解釈をされて行く様は、山田には否定的な様子に捉えられて当然と言えるだろう。 ・ 「捉え方の違い」から、「理解のズレ」に気づき「視点の拡張」へと至るプロセスと、「捉え方の違い」から、「一 人語り」に繋がるプロセス まず「捉え方の違い」であるが、新入生に対する捉え方が在学生間で違うことを表したものである。そしてその違 いによって、その後に続く場面が変わったと考えられる。その事例1は以下の通りである。 【捉え方の違い, 事例1】 インタビューにて松本は、 松本: (前略)山田くんは(輪の中に)入れないだろうなーという感じ。 松本: ちょっとは・・・。うーん、出来たらいいなって思ったけど、で出来たかどうかは分からない。少しは、ちょっとでも楽しくなると いいなと。(松本が、山田に積極的に話しかけていたことについて) と、やや自信なくも山田への配慮があったことを肯定している。さらに松本は、1年生である山田と3年生との視点の 違いについて意識したかどうか尋ねたところ、 松本: うーん、ついさっき言った友達ができ難いってのは1年生には、まだ分かんないかなーって。これを聞いてサークルでもな んか色々入ってくれればいいなーって。 と述べている。松本は、山田が「まだ分からない」と述べている。これは1年生であるために、大学の経験が乏しいこ とを意識していたこを指している。松本は山田が、在学生だけの輪に入り辛そうであることへ配慮して、ワークショッ プ中では積極的に山田に話しかけていたと考えられる。その際松本は、自分たちの大学の経験に則するだけでな く、経験の少ない山田側の視点に則した話題作りを行おうと努力している。 この事例1は、在学生の松本による新入生の捉え方を示している。松本は新入生である山田が大学の経験が乏 しいことに対して配慮を行っている。その配慮から積極的に山田に対して会話作りを行っていると言えるだろう。さて この事例1は「視点の拡張」へと繋がっていると考えられる。 24 【視点の拡張, 事例(理解のズレ, 事例2を含む)】 カテゴリー名「学生生活」に関する事例。山田は{周りに何もない}と書かれた付箋を出している。これに対して、木 村、松本が、 木村: 周りは外だよね。 松本: 周りは遊ぶとこないもんね。 松本: バッティングセンター行った? と述べ、それに対して山田は、 山田: あートウヤ(大学周辺のバッティングセンター)っすか。 と返答している。その後、学生が過ごす場所にについて触れた下りになると木村、松本が、 木村: だって別に充実していればね。充実している場所がないよね。 松本: 行くとこがないもんねー。 松本: そ、トリアス(大学付近の文房具店)くらいしかないよね。 と述べている。しかしこれに続けて、木村、松本は 木村: うん? 松本: 近所で と答えている。このやり取りは、松本の「トリアスくらいしかないよね。」という発言が、木村にとって意外であったことか ら発生している。山田の{周りに何もない}という付箋は、今回唯一学外に関して触れた付箋であった。松本は、山 田の付箋に関するやり取りを通して、大学外に視点を拡張していたと考えられるだろう。 この「視点の拡張」の事例では、前述した「捉え方の違い」の事例1と関連する場面だと言える。ここでは、山田の {周りに何もない}という付箋を取り上げながら、それとともに学内から学外へと話題が展開している。ワークショップ 全体を振り返って学外について触れたのはこの事例の場合だけであり、またそのもととなった学外に関する付箋は、 山田が出したものが唯一存在するのみであった。今回のワークショップの主題が大学に関するものである中で、講 義や施設、またその中での人間関係など、大学内における話題がほぼ全てを占めていた。つまりここでも「理解の ズレ」が生じていたと考えること出来る。そこでこの点を「理解のズレ」の事例2として以下に示す。 【理解のズレ, 事例2】 カテゴリー名「学生生活」に関する事例。新入生であった山田が書いた{周りに何もない}という付箋は、今回唯一 学外に関して触れた付箋であった。一方で、在学生の出す付箋はすべて学内に関することであり、「学校生活」に 関する理解にズレが生じている。 この「理解のズレ」へと気づき、またその背景である大学での経験の乏しさ、つまり共体験の少なさに配慮すること で、視点が学内から学外へと広がったと言えるだろう。それは、大学に対する共体験が少ない新入生の立場で「学 生生活」を捉えたということである。このことは新たな情報の表出へと繋がったと考えることが出来る。ただ、この点に は留意点もある。この配慮は、在学生が新入生に対して為したものであり、一度その立場の経験を得ているからこそ 可能なものと言えるからだ。さて、この付箋に当初触れたのは木村であった。にも関わらず、木村は学外の話題を出 すことはない。この後に述べる「捉え方の違い」の事例2によるものと考えられる。 25 【捉え方の違い, 事例2】 インタビューにて木村に、他の参加者の中で気になる点があったかを尋ねたところ、 木村: やっぱり、1年生の山田くん。(山田くん)はなんかあんまりまだ大学生活に不満がないのかなーと。書いてることをもアバ ウトだったし。 木村: うーん、そうかなー。(山田は)なんかどうって?聞いたら言ってくれるけど。 木村: でも(山田があまり参加が出来ないのは)慣れですよね? 木村: やっぱり緊張したと思うし、3年3人居たし と述べている。また木村は、山田の行動や発言は3年生に対して肯定的だったとした上で、 木村: うーん、やっぱり入ってきたばっかりで、感じたことのあるものばかり。彼(山田)が感じたことは私たちが入ったときにも感じ たことだった。とか多くて、やっぱ確かにねー。風な感じで。あとはアバウトで分からなかった。 と述べている。これらの発言からは、木村が山田の行動を気にしていたことが分かる。また、 木村: (前略)山田くんが何も言わない時は、山田くんに直接聞いた気がします。これは どうかなって? としており、山田に対して配慮をしていたかのようでる。しかし、木村は、山田の1年生という状況には配慮していな い。もしその点に配慮し、大学での経験が少ない1年生であることに則して考えているならば、内容が「アバウト」で あったことを「不満がない」ことと結びつけるとは考えられないだろう。そこで、木村は実際は自分たち3年生を基準と していたのではないだろうか。また、インタビューで木村に誰と良く話したかを尋ねたところ、 木村: えー、私は基本的に、平等に聞いてたつもりであったかなと思います。(後略) と述べている。木村は、山田が何も言わない時は直接山田に問いかけていたとも答えているが、会話記録からは、 その行動は確認されない。このことは、木村は、山田を1年生として配慮を考えたというより、実際は、あまり意見を 言わない同学年のように扱ったということではないだろうか。 この事例2では、木村の山田への捉え方が松本と異なっていることが分かる。松本が山田の大学での経験への 乏しさに対して配慮しようとしていたのに対して、木村にはそのような配慮を見ることが出来ない。むしろ実質的には、 同じ在学生のような扱いだったと考えられる。この事例2は、「一人語り」へと繋がったと考えることが出来る。これは 内部者が自身の経験を外部者の影響を受けて一人語りしているものである。以下にその事例を示す。 【一人語り, 事例】 カテゴリー名「人間関係」に関する事例。木村は、 木村「(入学したてでの)紹介イベントとかないもん。あたし、すごい思うのが他の学部って4月に1年生だけで合宿とか。」 木村「最初ぼんっと入った子はどうしていいかわかなんないと思う。私も高校から入ってきて」 木村「ほんと大変だったんよ。」 と述べている。木村は{対人関係や友達作りで悩む新入生が減るようにしたい}と書かれた付箋を出しており、普段 よりこの点に関して問題意識を持っていたようだ。しかし、3年生であった木村がここであえて1年生に関連した内容 に触れたことには不自然ではないだろうか。これは参加者の中に1年生であった山田が入っていたためと考えること で、理解することが出来る。ただこの内容を中心に、在学生の中からいくつもの話題が出ているが、この点に関して 1年生の山田との会話は行われていない。その結果、「一人語り」のように在学生の経験が語られることになった。 この事例では、在学生が自身の経験を振り返りつつ、大学における新入生に対する友達作りのための取り組み の少なさを話題にしている。木村は大学入学時にこの点に苦労したようである。しかし、自身の経験に根ざしている 26 とはいえ、木村自身は現在3年生であり新入生時の問題を取り上げるのは不自然と言える。ここでは新入生の存在 に影響を受けて、このような発想へと至ったと考えることが出来るだろう。ただ、ここで在学生と山田の間に明示的な 会話のやりとりは観察されていない。つまり、結果的には在学生による一人語りとして成立している。この場面は、先 ほどの「視点の拡張」とは異なる。同じ新入生に関連しながらも、一方は視点が広がり話題の方向性が変化するが、 一方は同一の方向でさらに詳細な情報を表出している。 3) 分析小括 まずここまでのプロセスを、SECI モデル上において図示して整理したい。 図 4 第1回調査分析図(筆者作成) ここまで取り出した2つのプロセスについてまとめたい。1つ目は「理解のズレ」からの「否定感」と、ズレを助長する 「排除」のプロセスである。そこでは、まず外部者と内部者の共体験の大小から生じると考えられる「理解のズレ」が 生じている。ついで外部者は、それによって会話から「排除」され、またそれは外部者のその共体験の少なさをさら に強化してしまう可能性がある。またその理解のズレは外部者の「否定感」へとも繋がっている。次に、2つ目の「捉 え方の違い」からの「視点の拡張」へと繋がるプロセスと、その違いから「一人語り」へと至ることになるプロセスである。 ここでは、共体験の少なさに対する「捉え方の違い」によって、「理解のズレ」に気づき、視点が拡張して新たな話題 へと入った場合と、内部者の経験を「一人語り」的により詳細に語る場合とが存在している。 第2項 第2回ワークショップ調査 1) 第2回ワークショップの概要 第2回ワークショップ調査は、同じ大学の同じ学部に通う大学生4名の参加者により構成された。そのうち外部者 として、県外生で4年生の加藤、同じく県外生で4年生の中島、内部者として県内生で3年生の田中、また県内生で 27 1年生の吉田が参加した。また、4年生の二人は同一の研究室に所属しており顔見知りだったが、田中と吉田同士 は初対面であり、県外生と県内生も初対面であった。第2回調査は、第1回調査と同じプログラムを用いて実施して いる。さて、プログラムについての説明が終わると、全員無言のまま付箋書きが始まり、ワークショップが開始されて いる。プログラムを見ると分かる通り、第1回と同様アイスブレーキングの時間などは設けていない。そのためかワー クショップは当初、非常に固い雰囲気の中で付箋書きが始まっている。開始15分程立つと、中島が「(前略)これ、 どういう風にしてったらいいですかね?」と発言して、次の段階へと進んで行った。付箋書きの後、上記中島の発言 を受けて田中が「カテゴリー別に分けて、『現実』と『理想』に分けて行った方が早そうなイメージが。」と述べている。 続いて、その方法を採用し参加者全員で模造紙上に各カテゴリーを「現実」と「理想」に分割するように付箋を分け 始めている。またこの時点での実質的なファシリテーターは中島であった。今回は途中でのカテゴリーの生成順を 確認出来ていないが、結果的にカテゴリーとしては「交通」、「街」、「観光」、「県政」、「生活」、「農業」の6つが誕生 している。またこのカテゴリー作りの段階から会話が活発になっているが、前回に比べ外部者の発言の占める割合 が高くなっている。さらに、このカテゴリーを作る段階が進むにつれて加藤もファシリテーターに近い状況を形成す るようになった。カテゴリー作りが終わると、アイデアを考案する段階へと入って行った。第一回調査時と同じく、各カ テゴリー毎に話を進めた後、アイデアをカテゴリー毎に考え出している。ここでは、途中から田中の参加率が低くな る一方で、吉田の参加率が伸びている。また依然として外部者の積極的な参加が見られ、第1回調査とは逆の状況 となっていた。また、アイデアを発表する前段階として、再度各アイデアの練り直す段階が行われ、発表が実施され た。第1回調査時での発表は、各カテゴリー毎に担当を決めて実施されたが、今回は吉田によって全ての発表が行 われている。 図 5 第2回調査の様子 2) 各プロセスの説明 第2回ワークショップ調査の結果、各事例に対して「理解のズレ74」、「違和感」、「押し付け」、「気づく」、「意識付 け」、「聞く姿勢」の6つの場面が取り出された。続いて第1回調査と同様、それらの関連から各プロセスを述べて行 きたい。 28 ・ 「違和感」とそこに至る「押し付け」と「理解のズレ」のプロセス まず「違和感」であるが、これは県外生のアイデアに対して県内生が違和感を感じる場面である。これは外部者の 「正当化」の得られ難さに関連する場面だと考えられる。以下はその事例1である。 【違和感, 事例1】 カテゴリー名「交通」に対して、道路の立体交差に対する話題の中で中島は、 中島: なんかね。ちらっと聞いたのが、道路を立体的にしたら走りやすくなるんじゃないかってのがあって(中略)立体的に交差さ せたらとか。 と述べている。その後加藤が、 加藤: なんか国体道路と、東バイパスの交差しているところ。少なくともあそこって、もともとそうなる予定だったらしいんじゃね。 と話題を展開している。この「立体交差」というのは、このカテゴリーのアイデアとして採用されたものだが、県外生の みによって発想されている。一方このアイデアに対して、県内生の二人は違和感を持っていたようである。インタビ ューにて吉田、田中は、 吉田: (前略)熊本の交通の便の悪さ、受けた印象ってのは、立体構造にしてもちょっと渋滞しなくなるくらいで、便が良くなるわけ ではないような。 田中: これで行きやすくなるかというと、また別の問題かなとは思いました。 と述べている。田中は、ワークショップ中に、 田中: たぶん理想をほんとに言ったら、鉄道網を発達させるか。 田中: 車がなければ、不便じゃないですか。熊本は。これは結構聞くんだ。 としており、車を持っていない場合が不便なのであり、車に対するより抜本的な代替案が必要と考えていたと思われ る。 この事例1では、道路を「立体交差」にするというアイデアに対して、県内生の否定的な見解が明らかになってい る。このアイデアは、ほぼ県外者だけによって形成されたものだが、県内生の二人が納得するには至らなかった。田 中によれば、熊本は車がなければ不便であるとのことだが、吉田が述べるように立体交差にするだけでは単に渋滞 が緩和するだけである。田中は実際のところ鉄道網の発達を理想として考えており、より抜本的な解決策の必要性 を考えていたようだ。続いて、事例2を示す。 29 【違和感, 事例2】 カテゴリー名「観光」に対して加藤、中島は、 加藤: 鹿児島と福岡て有名やん。関東でも。たぶん、一応位置はみんな知ってるやん。たぶん鹿児島は知っているよね。 中島: ぜったい分かると思う。一番端っこだし。 加藤: 福岡も知っている。そこを負けてるじゃん。完全に。熊本をアピールしようとすると、前、誰かが言ってたけど、鹿児島、福岡 も一緒に PR しちゃう形になっちゃうけど、なんか、そっちの知名度利用した PR みたいな。 と述べている。この話題の結果として、このカテゴリーのアイデアとして採用された「3県連携 PR」が生まれた。発表 では「3県、九州新幹線の全線開業も伴い、3県を連携した PR を行うことによって、(後略)」となっており、新幹線の 沿線上にある3県が選択されたことが分かる。また中島はワークショップ中、 中島: (前略)二人が福岡、鹿児島だからね。 とそれぞれの出身地に影響を受けたことを認めている。加藤、中島はインタビューにて 加藤: この3県でってところも。僕が言って、みんなそんな3県で考えてなかったかもしれないんですよ。言ったときに、『あーなる ほど』って感じだったんでね。熊本だけをこうやって行くんじゃなくて、福岡、鹿児島の知名度を利用したのがいいんじゃない。みたい な。一番のなかなか見せ場だったんじゃないかなと。 中島: いいと思います。実際に3県で、いろいろ動いてたりしているんで、それを上手く活用して熊本も PR どんどんしていけば、 もっと良くなると思います。 と述べている。一方県内者に尋ねたところ吉田は、 吉田: 本当の理想、本当の理想としては、やっぱあ、熊本に行きたいなって、熊本のどこどこが見たいな、行きたいなっていうの が、熊本が主人公じゃないですけど、目的地として来て貰うっていうのが、本当の理想では・・・、と思いますよね。 と述べている。加藤はカテゴリー名「交通」に関して、 加藤: (前略)福岡から鹿児島へ旅行へ行きたい人は、ちょっと時間があるけど、熊本に行こうかなと思うけど、交通の便が悪い せいでキャンセルするのが、ま、スムーズになれば、その時間でちょっと熊本行って、よられてよかなったな、となればいいんじゃな い。 加藤: ちょっと3県 PR、その、3県を絡めたけど。 としている。それに対して吉田は自嘲的に「通り道ですもん。」と続けているが、実際にはこの案に違和感を覚えて いたようだ。また田中の方では、この「3県」という括りの存在に違和感を感じたようだ。インタビューにて、 田中: 3県である必要はあるのかなっていう。 田中: それなら、九州として連携したほうが・・・。 と述べている。実質的に県外者の出身地に制約されていた案に、違和感を抱いていたと考えられる。 事例2では、熊本県を通過予定の九州新幹線75が福岡、鹿児島間として開通することから、その知名度を生かし た「3県連携 PR」というアイデアが生まれている。県外生がこのアイデアを肯定的に捉えていた中、県内生の二人は ともに違和感を感じている。吉田は「(熊本を)目的地として来て貰うってのが本当の理想では・・・。」と述べており、 福岡、鹿児島の付属物としての扱いに違和感を覚えている。また田中は、「3県である必要はあるのかなっていう。」、 「それなら、九州として連携した方が・・・。」と県外生二人の出身地でもあった福岡、鹿児島のみを採用したことにな ったアイデアに対して違和感を抱いている。 これらの事例で県外生によって発想されたアイデアは、県内生の問題意識からずれていたり、また県内生の感情 に合致しないという形で、受け入れ難いとする反応を受けた。つまりそれは、県内生の正当化の基準に衝突した可 能性があるだろう。さて、この「違和感」に至る場面として、「押し付け」が存在する場合がある。この場面では県外生 30 のある見方を、県内生が理解するように迫られる。以下がその事例1である。 【押し付け, 事例1】 カテゴリー名「交通」に対して、加藤は「バス」について何度も言及している。 加藤: えーと、バス少ないんかね?熊本駅から街って少ない。 加藤: バスちょー少ない 加藤: そうそう、市電は頻繁に通っているけど、バスは少ないよね。 という具合である。インタビューにて加藤は、 加藤: 市電を使わないといけないって時点でね。ちょっとなんか。 加藤: こっちには、ハンディーがありますよね。 と述べている。福岡出身の加藤は、市電がなくバス網が発達した福岡での経験からこう述べていると思われる。その 結果、中島から「交通」カテゴリーでのアイデア「立体交差」についての話題が提供された際、 加藤: そうしたらバスもスムーズに行くってわけか。 と述べ、その意見に同意することになっている。しかし、田中はこのカテゴリーに関連して、 田中: たぶん理想をほんとに言ったら、鉄道網を発達させるか。 田中: 車がなければ、不便じゃないですか。熊本は。これは結構聞くんだ。 と述べている。田中は車を持っていない場合が不便なのであり、車に対する抜本的な代替案が必要と考えていた。 加藤はこの発言を受けて、 加藤: 地下鉄って書いていいんじゃ? と述べたが、この地下鉄も出身地の福岡に存在しているものであった。つまり加藤は「バス」、「地下鉄」と自身に身 近な交通機関を意識していたようだ。それは上記の「ハンディー」という発言からも推察することが出来る。そして加 藤のこの視点は「立体交差」を認める形で働き、結果的に自身の視点を押し付けることになっている。 これは「違和感」の事例1へと至る場面である。加藤には、出身地の福岡で発達するバスに関する視点を見て取 ることが出来る。「立体交差」というアイデアは、当初中島によって発想されている。立体交差にすることで、車やバ スなどの交通手段が便利になることが想起されるが、移動手段としては市電や鉄道なども存在している。加藤のこ のバスへの視点は、まず「そうそう、市電は頻繁に通っているけど、バスは少ないよね。」と市電を否定的に捉え、ま たさらに続いて一旦は「地下鉄」について述べるもそれが否定されると、今度は立体交差のアイデアに対して「そうし たらバスもスムーズに行くってわけか。」と肯定的に答えることで、このアイデアが発表に採用されるのを助けている。 一貫して自身の出身地で発達するバスにこだわった視点は、間接的な形とはいえ県内生へと押し付けられている。 そして途中、田中から生まれたモノレールに関する発言を押しのけ県内生が抱いていた問題意識から離れたアイ デアをまとめる結果を招いている。またこの「押し付け」では、「違和感」の事例2へ至る場面も存在している。それが 以下である。 31 【押し付け, 事例2】 カテゴリー名「観光」に対して、加藤は熊本の知名度を、 加藤: 福岡も知っている。そこを負けているじゃん。完全に。(後略) 加藤: だって福岡、鹿児島の方が圧倒的に(ヒト、モノの)流れが多いじゃん。 としている。そして、この視点をもとに、主に加藤と中島の二人のみによって「観光」カテゴリーのアイデアはまとめら れていった。加藤はインタビューにて、 加藤: そう。だから九州新幹線が3県通っているでしょ。鹿児島と、福岡に負けているってのは、これはもう認めたほうがいいって ことで、これはもう現実です。 と述べているが、これは県内生にとっては例え事実としても押し付けに近い意味合いを持ったと思われる。また加藤 はインタビューにて、内部者に対する配慮があったかを問われ、 加藤: 例えば自分、県外の人にしか言えないことを言おうみたいな配慮があってました。 加藤: あとこれもですね。その中(熊本の住んでいること)にいたら・・・。知名度まではわかんないかなーって。 としている。加藤は自身が県外者である故に、県外生だからこその内容を言わんとする配慮としてこの意見を述べ たようだ。また、今回の実質的なファシリーテーターは、加藤、中島であった。そのため加藤の意見には、より大きな 影響力があったと思われる。 この事例2では、熊本の知名度が福岡、鹿児島に負けていることを「これはもう認めたほうがいいってことで、これ はもう現実です。」として県内生に理解が迫られる。そして、この理解をもとに生まれた3県連携のアイデアは、県内 生の感情や論理に合致せず違和感を与える結果となっている。また、この「押し付け」が存在しない「違和感」も存 在している。以下の事例3は、「理解のズレ」から派生していると考えられる。 【違和感, 事例3(理解のズレ, 事例1を含む)】 カテゴリー名「街」に対して、加藤は自身の付箋{街の規模がもっと大きくなる}に触れて 加藤: もっと規模を大きくするとか無理な話よね。 と述べている。加藤はインタビューにて、この街の規模の意味するところについて明らかにしている。加藤は、「ユニ クロ」を例に挙げ、自身が必要とする商業店舗が中心市街地にないことを述べ、それらが街へと付加されることを街 の「スペック」が上がるとしている。つまり中心市街地には、加藤が満足するには足りない要素があることを意味して いたようだが、付箋に書かれた文字以上の情報についてはここでは明らかにされていない。また、インタビューにお いて県内生に尋ねたところ、 田中: 自分としては、まちの規模が大きくなるとかは、もう別に大きくならなくていいんですよね。住んでいる人には、これくらいが ありがたく。福岡出身ってことで、まちの規模が物足りなく感じるのかなーって気はしますね。 吉田: 街の規模が大きくなるって、ちょっとイメージが出来ないんですよね。自分にとって街って上通り、下通りアーケード、新市 街、アーケードをひっくるめて街って思っているんで、大きくってイメージが出来ない。でも街って言えば、あの3つの通りのことでし ょ?っていうのが自分の中にあるんで。 と述べている。 この事例4では、まちの規模を大きくするという付箋に対して、県内生と加藤との間で理解のズレが生じている。そ こでその点が原因となり、県内生に誤った印象を与えそれが違和感を与えている。 32 ・ 「理解のズレ」と「意識付け」によって「気づく」ことへ繋がり、そこで「聞く姿勢」が見られるプロセス まず「気づく」から述べたい。これは、第1回調査の「視点の拡張」に関連する場面と考えられる。しかし、ここでは より明確な形で視点が移り変わる場面が存在している。その事例1は以下の通りである。 【気づく, 事例1(理解のズレ, 事例2を含む)】 カテゴリー名「街」に関する事例。吉田はワークショップ中、 吉田: 街こそ、たぶん県外の人、県内の人で変わって来るものですよね。県外の人は観光面から見た街じゃないですか。県内か らすると、それぞれの地域のまち、商店街で見たりとか、それで視点が変わる・・・。 吉田: 街は下通り、上通りだけじゃなくてやっぱ、地元の健軍とか。健軍とかもそうです。 と述べ、その後地方の商店街の話題へと展開して行く。吉田はインタビューで、 吉田: やっぱり、観光の面の話が出た時は、県内、県外のこう人が集まって話したのもあってか、街も何ですけど、県外から見た 街っていうのが、あったなーってのが印象に残って。自分たち熊本の人間がまちって見るときには、御船辺り郡部の辺りも含めた商店 街としてのまち、でやっぱり県外の人が熊本のまちって見えた時は、中心市街地とか。そっちが中心になっているのかなとは。という 印象に残ってます。 としている。ここで吉田は、「県外から見た街」が中心市街地に偏っていることに気づいたとしている。実際、この下り に至るまでの間「街」に関する話題は中心市街地を対象としたものだった。加藤はインタビューにて、 加藤: 県外出身者は(熊本)市内にしか住まないですからね。 と述べている。そこでその視点に気づいた吉田は、自身の地元である健軍も「街」であるとして新しい話題の展開を 始めたようだ。 さてこの事例1では、吉田が街に対する視点が違うことに気づいている。県外生は中心市街地に偏った、そして 特に観光面に注目した街への視点であり、一方県内生は各地域、地方を含めた視点があるというのである。つまり ここでは「理解のズレ」が発生していると考えることが出来る。この点を「理解のズレ」の事例2として以下に示す。 【理解のズレ, 事例2】 カテゴリー名「街」に関する事例。吉田はワークショップ中、 吉田: 街こそ、たぶん県外の人、県内の人で変わって来るものですよね。県外の人は観光面から見た街じゃないですか。県内か らすると、それぞれの地域のまち、商店街で見たりとか、それで視点が変わる・・・。 また中島はインタビューにて、 中島: そうですね。うーん。なんか、私の意見とかは、意外と観光とか、明らかの県外の人目線だったんですけど、その志柿くん たちは、こういう農業に関する部分だったり、自分の生活に密着した部分がかなり多いのかなって気がしました。 と述べ、視点が観光に偏っていたことを認めている。また加藤はインタビューにて、 加藤; 県外出身者は(熊本)市内にしか住まないですからね。 と述べている。 実際に、この吉田の発言までの間「街」に関する話題は、中心市街地に偏ったものだった。そしてその理解のズ レから、視点の違いに「気づく」ことによって吉田は、カテゴリー名「街」に対して「街は下通り、上通りだけじゃなくて やっぱ、地元の健軍とか。健軍とかもそうです。」とそれまでと違った話題を表出することに成功している。また、吉田 33 はインタビューにて「自分にとって街って上通り、下通りアーケード、新市街、アーケードをひっくるめて街って思っ ているんで、大きくってイメージが出来ない。でも街って言えば、あの3つの通りのことでしょ?っていうのが自分の 中にあるんで。」としており、「街」という言葉に対してもともと各地域や地方に対する視点に気づいていたとは思われ ない。それらは県内生として暗黙の内に有していたものであり、県外生との理解のズレに気づくことによって、それま でと違った視点で暗黙知から形式知への変換を果たして、情報の表出を行うことに成功している。暗黙知であった が故に、吉田はインタビューにて「そうです。当然っちゃ、当然のことなんですけど。」と述べているのだと言える。続 いてこの「気づく」に至るプロセスと考えられるものに「意識付け」が存在している。その事例では以下の通りである。 【意識付け, 事例】 ワークショップ中が始まって間もなく中島、加藤は、 中島: これさ、県内出身者と、県外出身者がいるってことはさ。なんか考えないといけないしね。 加藤: なんかそこに、何か。確かに、そんな気がする。 と述べている。インタビューで中島は、県外出身者としての意見を言おうと意識していたとしている。中島は、佐藤と 同じ研究室であり今回の調査が地域における外部者についてであったことを事前に理解していた可能性がある。も しくは、ワークショップ当日に行った説明の際、自身が外部者として設定されていることを意識した可能性もある。一 方加藤もインタビューにて、 加藤: 例えば自分、県外の人にしか言えないことを言おうみたいな配慮があってました。 としているが、中島と同様に佐藤と同じ研究室であった加藤は、 加藤: 正確に言うと、せっかく県外の人がいるから、ワークショップを良くするためには、佐藤さん(筆者)の研究に役立てるため には、あんまりだべったこと言っちゃだめだろうという気も。考えてちゃってましたねー。 と述べている。そのような背景のもとで、冒頭の中島、加藤の発言が為されたと考えられる。そしてその発言の結 果、以下のような県外、県内に言及するやり取りがなされている。 加藤: なんか県内の人は好きで、県外の人は嫌いだったりとかあるよね? 吉田: ここで違いが!? またその影響は、 吉田: それはもう県外の方は仰られます。(後略) という発言からも確認することが出来る。 この事例では、実質的なファシリテーターであった中島が、ワークショップの設定として説明してあった県内出身 者と県外出身者の存在について考える必要を述べ、さらに加藤とのやり取りによって、その違いを考えるという「意 識付け」が行われている。そして、この意識付けによって吉田は、県内者と県外者の違いを意識することになり、そ れが「気づく」の事例1における吉田の発言へと繋がっていると思われる。続いて「気づく」の後に関与している「聞く 姿勢」について述べたい。その事例は以下の通りである。 34 【聞く姿勢, 事例】 カテゴリー名「街」に関する事例。ワークショップ中が吉田が、 吉田: (前略)県外の人は観光面から見た街じゃないですか。県内からすると、それぞれ地域のまち、商店街で見たりとか、それ で視点で変わる・・・。 吉田: 街は下通り、上通りだけじゃなくてやっぱ、健軍とか。健軍とかもそうです。 と、自身の出身地域である健軍について触れた下りがある。それに対して加藤は、 加藤: 健軍に詳しい? 加藤: 健軍の特色ってなに? と吉田に対して、健軍に関する情報を引き出そうと試みている。その結果、吉田は健軍に関する情報はないとしたも のの、同じ地域のまち、商店街という繋がりで、 吉田: 健軍について考えたことはないんですけど、自分が通ったのが、御船っていう群部、田舎の方なんですよ。(後略) と吉田が通った高校のある御船地域に関する話題へと展開し、その後御船地域を事例として様々な情報が表出し ている。 この事例では、「気づく」で吉田が新たな表出を行った後、加藤が吉田に対して「健軍に詳しい?」、「健軍の特 色ってなに?」と尋ねている。「気づく」で吉田はそれまでの話の流れとは違う展開を始めているが、それは県外者 が「街」で意識していた中心市街地に関するものとは別物だった。そこで「健軍」についての理解が乏しい加藤は、 質問することで吉田の情報を引き出そうと試みている。その結果、吉田は出身高校がある地域「御船」を舞台とした 学生によるまちづくりの情報を表出することに成功した。 3) 分析小括 まずここまでのプロセスを、SECI モデル上において図示して整理したい。 図 6 第2回調査分析図(筆者作成) ここまで取り出した2つのプロセスについてまとめたい。まず1つ目は 「違和感」ととそこに至る「押し付け」と「理解 35 のズレ」のプロセスである。このプロセスでは、県内生がいくつかの類型の「違和感」を感じる場面がある。この「違和 感」は、つまりは正当化の基準と衝突したものと考えられる。それは、「理解のズレ」によって、また「押し付け」によっ て「違和感」が表された場面である。そして2つ目は、「理解のズレ」と「意識付け」によって「気づく」ことへ繋がり、そ こで「聞く姿勢」が見られるプロセスである。ここでは、「理解のズレ」に対して「意識付け」が行われた結果として、そ のズレに「気づく」ことで話題が変わり、さらに「聞く姿勢」で話が深まって行くプロセスである。 第5章 地域の形式知表出を向上するために 第1節 情報の表出向上へと繋がる外部者参加のプロセス 4章で述べた第1回、第2回調査の分析結果を総括して、新たな形式知の表出へと繋がるプロセスについて述べ たい。それは第1回調査で取り出した、『「捉え方の違い」からの「理解のズレ」に気づき「視点の拡張」へと至るプロ セスと、「捉え方の違い」から「一人語り」へと繋がるプロセス』、また第2回で取り出した『「理解のズレ」と「意識付け」 によって「気づく」ことへ繋がり、そこで「聞く姿勢」が見られるプロセス』の2つのプロセスによって示される。 まず前者のプロセスでは、共体験の少なさに対する捉え方の違いによって理解のズレに気づき、視点の拡張へと 繋がる場合と、外部者の存在の影響から一人語りへと繋がっている場合とがあった。「視点の拡張」の方では、内部 者には外部者の共体験のなさに対する配慮があり、外部者の視点に立つことで、外部者との理解のズレに気づい て、それによって進行中の話題を別角度から捉え、話題を違った方向へと展開することになった。またもう一方の 「一人語り」の方では、内部者には外部者の共体験の少なさに配慮はないが、外部者の存在そのものを、より詳細 な話を表出する契機としている。次に、後者のプロセスでは、外部者と内部者の違いに対して「意識付け」が行われ たことで、それぞれの違いが意識されるようになっている。そしてその中で、「理解のズレ」の存在に気づくことが出 来たと言えるだろう。ついで、そのズレをもとに、自身の新たな話題へと展開をはじめ、さらにそこで外部者が話を 「聞く姿勢」を持ったことからより詳細な話が語られ始めている。 この2つのプロセスは、どちらも情報の表出向上へと繋がるプロセスであると考える。これらを結果の面から見ると、 2つの類型が存在していると言える。まず一方を「形式知の深化」としたい。そこでは、外部者の存在そのものから受 ける影響や、外部者が、内部者の話を聞く姿勢を持った際に、内部者側からより詳細な情報が表出され、話題が深 化することへと至っている。それは、それまでの話題の方向性は違わずに、新たな暗黙知が付け加えられることにな ったと理解することが出来る。この前者は、よそ者期待論といったような安易な外部者の参加によっても発現する可 能性があるものだと言える。また後者は、地元学の事例の中で言われた「驚いて、質問する。」ということと同義であ ると思われる。それは、まちづくりオーラル・ヒストリーでの調査者によるインタビューにも近いと言えるだろう。この過 程を経ることで、従来の情報がより深まり、さらに詳細な情報が表出される可能性がある。 またもう一方を「形式知の展開」としたい。そこでは、共体験の少なさへの配慮から外部者の視点に立ったことや、 意識付けによって外部者と内部者の違いを探す中から、理解のズレに気づき、新たな話題が展開するに至ってい る。それは暗黙知を、そのズレから生じる新たな角度で切り取ることで、異なった展開が可能になったと理解すること が出来るだろう。配慮や意識付けとは、つまり「意図」であると言える。野中によると「意図」とは、「意図がなければ、 意味ないし価値のある情報・知識とは何かが認識されないし、作っている情報・知識の評価も出来ない76。」とされる。 ここでの意図とは、共体験のない外部者が話題へと参加出来るように、その視点に立って話題を展開しようと配慮し 36 たことであり、また、外部者と内部者の違いが意識付けられ、その違いを捉えようとする意識であった。ただ、この類 型化を図る上では留意点も存在する。それは外部者の視点に立つという側についてである。これは第1回調査から 得たものだが、そこで見られた配慮は、在学生から新入生に対して示されたものである。つまり一度新入生として経 験を積んでいるためにその視点に立つという行為が可能となったと理解することが出来る。そのため事例からは、こ の意図は地域外での経験の度合いに応じて限定的になると考えることが出来る。 加えて、前者の「形式知の展開」には、内部者自身が変化する場面が見られた。それは外部者に対する意図に よってその認識が移り変わる場面である。従来外部者は、いわゆる「気づき」をもたらす存在とされた。ここでは、この 移り変わりが「気づき」に近いものだと言える。しかし、その気づきに至る過程では、内部者自身が自ら気づくかのよ うな状況が見て取れる。それは、単に外部者の影響を待つだけでなく、内部者側が意図を持ち、外部者を利用して 自ら気づきを掴むことで、情報の表出を向上することが出来る可能性について示唆している。このような内部者側か ら、外部者を上手く利用して変化を起こすプロセスは、従来あまり触れられることのなかったものではないか。そこで、 特にこの内部者が気づきを掴むプロセスを「内部者の外因的変化」としたい。またこれは、敷田が述べる「地域内よ そ者77」にも通じるものと言えるだろう。 ここで「内部者の外因的変化」が示す「形式知の展開」へと至る内部者側のステップは以下のようになるだろう。そ こでは、まず最初に内部者に「意図」の存在がある。つまり、内部者はこの「意図」を持つことで気づきを得て、その 第1歩を踏むと言える。内部者が持つべき意図とは「共体験の少ない外部者の視点に立ってみること」、「外部者と 内部者の違いを探そうとすること」である。ただ前者の意図は、地域外での経験に応じて限定されるだろう。また、単 にそのような「意図」を獲得しただけでは、表出の向上は道半ばである。その意図を持ったことで気づいた理解のズ レで、暗黙知を見直す必要がある。これは地域についての自身の経験を見直すことだと言える。これが第2歩であ る。これは自身とは違った角度で、再度暗黙知を捉えることであり、つまりそれは地域を別角度で振り返るというリフ レクションに近い行為を意味すると言える。 さて、もちろん「形式知の展開」に関して、外部者にも話題の展開を行うことは可能だろう。また、「形式知の深化」 においても、内部者側でなく、外部者側から詳細な情報を取り出すことも可能であるかもしれない。しかし、ここで重 要なのは内部者側から情報の表出が行われるということである。外部者は地域に関する暗黙知が少なく、一方内部 者のそれは豊富である。その条件の中では、当然に内部者側からの情報の表出を行った方が有効に働くと言える。 ついで、内部者によって表出された情報は、SECI モデルにおける正当化を受け易いと言える。それは取りも直さず、 その正当化の基準そのものを持った者達が表出した情報であるからだ。SECI モデルでは、正当化を受け、連結化、 内面化と進むと、形式知は共同化によって暗黙知として蓄積されるとする。それはさらなる情報の表出の源泉と成り 得、そのスパイラルが回転することでより大きな効果が期待出来る。 第2節 外部者参加の際の幾つかの注意点 第1回、第2回調査をもとに外部者の参加に対する幾つかの注意点を述べたい。まず、第1回調査で取り出した 『「理解のズレ」からの「否定感」と、ズレを助長する「排除」のプロセス』に関するものである。これは共体験の少なさ から派生したプロセスと言える。共体験の少なさは、外部者が自身の考えに対する内部者の対応を理解するのを阻 み、時に否定感を与える場合があると言える。また、いわゆる内輪な話題に終始し、外部者が共感出来ない場合が 存在すると言える。さらに、理解の出来ない言葉の使用によって、ますます外部者はその話題からはずれ、その参 加は困難になる。このような状況では1項で述べた効果も得られ辛くなると考える。さてその防止のためには、外部 37 者に対するいわゆる「配慮」が必要と言えるだろう。外部者は共体験が少ない、情報の表出には弱い立場にあると 言える。それに対して配慮の必要性があるというのは、1項で述べた「内部者の外因的変化」が、同時に外部者の 参加を向上させることにも繋がることを示唆する。ここでは、判断のプロセスを外部者にも明示的に理解出来るよう にし、内輪な会話に対しては説明を行うとともに、暗示的な会話を謹むべきだろう。しかし、何が外部者に明示的で なく、また内容が内輪で、暗示的であるかを理解することは難しい。そのため内部者側から積極的に話しかけ、その ような点の解消に努めるとともに、外部者からの質問が行い易いよう開かれた雰囲気の構築が必要と言える。 次に、『「違和感」ととそこに至る「押し付け」と「理解のズレ」のプロセス』に関してである。ここでは外部者側に求め られるものが示唆されている。このプロセスによると内部者は、押し付けと理解のズレという過程を経て、違和感を感 じている。この違和感とは、正当化の基準と衝突した場面と予想されると述べたが、このままでは SECI モデルのス パイラルは働かない。共体験の少ない外部者が、そのズレを理解することは困難だからである。そこではやはり内部 者の対応が求められると言えるが、他方外部者にも「押し付け」で見られた一方的な視点の強要は避ける必要があ る。今回見られたような、何かを断定してしまう口調(「ぜったい」、「完全に」、「これはもう現実です。」など)や、また 内部者に理解出来ない自身の経験に偏った(バスにこだわった視点)意見には注意が必要だろう。「違和感」で見 られた一方的な外部者の視点も、1項で述べたように「内部者の外因的変化」が起きる場合には、情報の表出の向 上へと繋がる可能性がある。しかし、このような「押し付け」は、内部者の感情を害し、外部者の信用を低下させるた め、その変化の発生を阻害する恐れがあると言える。また、このような押し付けのプロセスは、外発型の地域づくり、 まちづくりにおいても見られたものとも言えるのではないだろうか。 第3節 ソーシャルメディアにおける情報の表出向上へ向けての考察 上述して来た外部者による情報の表出向上のプロセスを、地域におけるソーシャルメディアに適用するための考 察を行いたい。その際の前提として、調査で用いた対面のコミュニケーションを、ソーシャルメディア上でのコミュニ ケーションへと拡張して考察を行う。それはあるコメントや、記事、果てや作成される動画などが繋ぎ合わされてなさ れるコミュニケーションであり、非同期で、また分散的なものになると言える。 さて、ソーシャルメディアにおいて外部者を考える上で、まず必要なのはその存在を認識可能な状態にするという ことである。インターネット上を訪れる外部者の大多数は、内部者と同期した状況でのコミュニケーションを取ること は稀である。しかも、本人の顔や立ち居振る舞いと言ったものから外部者を確認することが難しいばかりか、たった 一回のみ訪れるだけの外部者も存在するだろう。そのような状況では外部者を、外部者として認識可能な状態にす る必要がある。そのためには、外部者というラベルを付け、また出身地などの情報を公開することで、視覚的に理解 出来るようにする必要がある。その情報は、コメントや記事といった形式知に付与されているべきである。加えて、当 然に外部者の確保が重要である。特に SNS など、参加者を限定したサービスである場合、そのままでは外部者の 確保が難しいだろう。運営者が外部者を意識的に招待することも有用だが、運営者が参加基準そのものを変更す ることも外部者の確保に必要な措置と言えるだろう。しかし参加した外部者を、単に内部者と同一のメンバーとして 扱うのではなく、一定期間外部者としての存在が維持される状態を作るべきではないだろうか。その際は、当然内 部者側からの彼らへの配慮を前提としてではある。また実際には、既に多数の外部者を抱えている場合が存在して いる。地域 SNS は、他の地域の SNS の運営者や利用者間との交流が密な場合が多く、一人が多くの他の地域 SNS へ外部者として参加している場合も多いからである。 次に、今回導出した「形式知の深化」と、「形式知の展開」のプロセスからの示唆を適用して行きたい。先に前者の 38 「形式知の深化」であるが、これは外部者の存在や、聞く姿勢を持った際に、より詳細な情報が表出されるプロセス を指していた。外部者の存在に関しては、外部者の参加そのものによって果たせるが、一方聞く姿勢に関しては外 部者から、内部者に対する姿勢を作り出す必要がある。しかし、ソーシャルメディアを訪れる不特定多数の外部者 に対して姿勢を見に付ける講習を受けて貰うというわけには行かないだろう。そこでは、外部者が自然と内部者に向 けて、話を聞く接点をデザインする必要がある。一つの方法としては、インセンティブの付与を考えることが可能だろ う。それはポイントといった直接的なものから、より高度には、コミュニケーションの一つとして設計することも出来る。 例えば、内部者の示す情報に気軽に質問出来るように、単なるコメント機能ではなく質問機能を付与することも考え られるだろう。一方で、「形式知の展開」は、そこに至る「内部者の外因的変化」を経て、新たな話題など形式知の表 出の方向性が変わることを指していた。さて、その内部者の外因的変化であるが、そのためには「意図」を持つこと が必要であるとした。ソーシャルメディア上でその意図を手に入れるには、まずは運営サイドでの講習や呼び掛け、 ルールといったもので「共体験の少ない外部者の視点に立ってみること」や、「外部者と内部者の違いを探そうとす ること」という意図それ自体を理解して貰う必要がある。さらにはシステム上のデザイン、また時にイベントなどのデザ インを通じて、意図が暗に理解されるよう設計する必要がある。例えば、外部者側のコメントや記事が、内部者側と は別に一覧となって提供が行なわれることや、内部者と外部者のアクセス頻度や、閲覧場所などが理解出来るよう な情報提供を行なうことなどを考えることが出来る。またさらには、そこで気づいた差異から地域を振り返り、それを 表現するプロセスについても、デザインの中に盛り込まれることが望ましい。 最後に、外部者参加における注意点からの示唆を受けたい。そこでは、外部者の参加の効果を阻害するようない くつかのプロセスが存在した。そこからは、例えば記事を書く際には外部者に理解の難しい言葉や、指示語など暗 黙の内に了解されているような表現は、外部者の参加を低下させることになることが示唆される。また一方外部者側 は、自身の視点を押し付けるような行為は避けるべきだろう。しかし、現実的には外部者の全てにそのような配慮を 求めることは難しい。内部者側にそのような振る舞いへの理解を求めることの方が有効と言える。 さてこの「形式知の深化」と、「形式知の展開」が相互に働くならば、順不同ながら、次のようなプロセスが起きると 予想される。例えば内部者がある記事を書いたと想定すると、外部者が内部者に対してその記事の内容について 質問することで、それに答えて内容が深まることになる。そして、内部者はその質問の方向性が自分達の視点と違う ことから、記事で対象としたものを見直し、違った方向で再び記事を書くことになるといった一連のプロセスである。 このようなプロセスを意識して、ソーシャルメディア上の情報の表出に当たる仕組みを設計することで、地域に関す るさらなる情報の表出を行うことが可能と考える。 第4節 地域の知識創造とソーシャルメディア ここまで、地域における情報の表出に関わる外部者の存在を紹介し、また SECI モデルの適用により外部者が情 報の表出向上に関わるプロセスを論じてきた。そして、その知見をソーシャルメディアに援用したわけだが、地域に 関する情報がソーシャルメディア上でさらに生み出されることで、地域における知識創造の一場面としてソーシャル メディアを位置づけることが可能ではないだろうか。そこで、丸田による地域情報化と知識創造に関する論考78に注 目した。丸田は、地域情報化の著名な事例とされる「インターネット市民塾」、「鳳凰塾」、「住民ディレクター活動」の 3つの取り組みに対して、SECI モデルからの分析を行っている79。そして分析から、地域の人々が集うプラットフォー ム上で、それぞれが高い知識生産の仕組みを有していると結論付けた。そしてそれらを「知識生産工場」と呼び、そ れは地域の人々が集まるプラットフォーム上に生まれる知識生産機能を、そのプラットフォーム込みで総称したもの 39 であるとしている。続いてその知識生産工場と地域の関係を、三層のレイヤー(土地レイヤー、人レイヤー、知識レ イヤー)からなるコミュニティ構造を提案して説明を試みている。土地レイヤーの上に、集団形成機能を持つプラット フォームである人レイヤーが乗り、さらにその上に知識生産機能を担う知識レイヤーがあるとし、「地域(土地レイヤ ー)がなければプラットフォームは機能しにくいし、プラットフォームがなければ知識生産機能は弱ってしまう 80。」と する。 図 7 三層構造のコミュニィティ(丸田, 2004, pp.179) 丸田は、この三層構造による検討から、純粋なネットコミュニティは、人・知識レイヤーのみであり、コミュニケーシ ョンそのものを目的として、集団形成を知識生産が後押しするとする。一方上記の地域情報化事例は、土地・人・知 識レイヤーの三層構造になり、知識生産活動を目的として、知識生産を集団形成が後押しするとする。そして後者 を「地域プラットフォーム」と呼ぶ。丸田はこの違いを、土地レイヤーの存在から説明しようとする。「土地(地域)レイ ヤーに縛られると、プラットフォームの参加者が限定されやすく、また実名のコミュニティになりやすい。またオフライ ンでのコミュニケーション機会も高いので、参加者間に濃密な関係が生まれやすい。(中略)知識生産の場と知識 活用の場が近接しているので、知識が循環しやすい。こうして知識生産に関するループが継続的に何巡も回るの である。この知識生産に関する時間的連続性が、知識生産機能を飛躍的に向上させる81。」としている。しかし丸田 は同時に、この土地レイヤーの影響は相対的なものであるとして「Web 上で実名コミュニティを作るのも、オフライン コミュニケーションに持ち込むのも、知識生産の場と知識活用の場を一致させることも十分可能である82。」、「一方 のネットコミュニティの中からも、本格的に知識生産するために地域に根付いた、あるいは実名が強調されるコミュニ ティに転進するものも現れるのではないだろうか。最近流行しているソーシャルネットワーキングサービスやウェブロ グのトラックバックなどは実名の人間関係を明示したコミュニティを促している。地域は、こうした潮流を生かさない手 はない83。」としている。これは、ほぼ同時期に生まれた地域 SNS を予見するものであると共に、地域におけるソーシ ャルメディアの役割を考える上でも興味深い。 丸田が提唱した三層構造に、地域におけるソーシャルメディアの利用を位置付けてみると、それはネットコミュニ ティの人・知識レイヤーに対して、土地レイヤーが結びついた三層構造を持つものと言えるだろう。またソーシャルメ ディアの利用は、集団形成と知識創造をほぼ同等の目的とすることが可能と言える。つまり「繋がり」を作ることでプ ラットフォームとして機能し、また同時に利用者が知識の「生産者」となることが可能だからである。それは、丸田の 40 論の丁度中ほどの存在と言えるだろう。このようにソーシャルメディアが土地レイヤーと結びつくことで、地域におけ る知識創造を担える可能性を持つと考えることが出来る。さて、この地域におけるソーシャルメディアの利用を改め て SECI モデルから見ると、それは繋がりを生み出すプラットフォーム上にあって、まずは形式知の表出化の過程を 担うことが可能であるだろう。それはソーシャルメディアでは、利用者が生産者となり得るからである。ただし、それは SECI モデルや、上記の丸田の論が重要視している濃密な人間関係の中での利用とは言えない。現在のソーシャ ルメディアの利用を見ると、ハルプリンの RSVP サイクルに言葉を借りるならば「資源」として、地域に眠る暗黙地を 広範に表出する点が優れていると言える。しかしソーシャルメディアの浸透と、更なる ICT リテラシー84の向上が、地 域全体を巻き込んだ知識創造の可能性をもたらすことも十分考えられる。もちろんソーシャルメディア内のみで、そ れが可能になると言うわけではない。各地域での実際の活動と密接に関与しながら、連結化、内面化、さらには共 同化を担える場として振舞う可能性もあるだろう。実際に一部の地域 SNS のなかには、SNS 内での議論を通してイ ベントを成功させた事例や、地方紙が SNS 内の情報を紙面に掲載する事例も存在している。このような事例は、 ソーシャルメディアが地域の形式知に関わり、地域の知識創造とも言うべき、一つのイノベーションの過程に関わり 得る可能性を示している。 さて、このような地域における知識創造のプロセスを推進するためには、まず情報の表出を行うことが必要である。 地域づくり、まちづくり活動では、そのために積極的に外部者を取り入れて来た。地域におけるソーシャルメディア においても、同じ地域の人々を対象とする以上、その知見を援用することには価値がある。特に、ソーシャルメディ アは、インターネットによって地域外に開かれている。それは現代にあって、地域が容易に外部者と出合えることの 出来る窓とも言える存在なのである。 第6章 おわりに 以上、地域 SNS における問題を、ソーシャルメディアの生産の側面に注目して理解した上で、その解決のため地 域づくり、まちづくり活動で情報の表出を行う際に見られる外部者の参加から、その知見を援用することを目指した。 そしてワークショップを対象として、外部者による情報の表出向上のためのプロセスを調査、論じてきた。さて、その プロセスの一つに関して、内部者の外因的変化という、内部者側が外部者を上手く利用して行く可能性について述 べた。最後に、このような内部者側からのアプローチの必要性について触れておきたい。 筆者は2008年から2009年始めに掛けて、大学生による地域情報化フィールドワークに参加した。それは熊本 県立大学総合管理学部津曲研究室にて実施されたもので、「Produce X」と名付けられている。このフィールドワーク は、大学が立地する熊本市月出地区、また天草市本渡銀天街周辺や、菊陽町三里木・鉄砲小路地区を対象として 行われたもので、大学生が街を歩き、各々が採取した音声や画像、動画という媒体を用いて地域の情報を取り出し、 それらをもとにしたホームページなどの作成を行うというものだった。大学生の視点から、普段気に留めることのない 地域のある一面を情報化することで、そこに気付きが生まれることが期待された。各地域で大学生は歓迎され、特に 菊陽町鉄砲小路地区では、このフィールドワークの結果について、地区の公民会で発表会を行う機会が設けられた。 発表会では町長はじめ、地域のいわゆる大物達が参加する中、発表前には子ども達による催しも開かれている。さ てこの発表会の終盤、参加者に感想を求めた場面がある。好意的な意見の中に、一つ肌色の違うものが混ざって いた。それは、「そんなことは知っている。もっと違った視点を提示して欲しかった。」という発言である。50 代中頃の 男性の口から出たこの言葉は、大きな衝撃であった。外部者に対して、違った視点で地域を見て欲しいとは良く聞 かれる言葉である。地域づくり、まちづくり活動にあって、外部者(よそ者)は気づきを与える存在とされる。つまり、 41 違った視点とは気づきを与えて欲しいということである。大学生というよそ者であり、尚且つわか者という条件が揃っ ても、それは容易なことではないと感じた瞬間であった。しかし、違った視点の提示とは一体どのようにして行うことが 出来るのだろうか。SECI モデルで言う共体験の少ない外部者には、何が違っているのかを理解することは難しい。 そしてどのような情報が、その地域で採用され得るのかを知らない外部者は、正当化の段階の前で立ち往生するこ とになる。そのような状況下で、単に外部者に気づきを求めるのは非常に難しいと言えるだろう。何が違い、また重 要なのかを判断するのは常に内部者なのである。これまで外部者の効果について語られる際、内部者側のアプ ローチについてはあまり重要視されて来なかったのではないだろうか。この場合、地域の暗黙知を有し、また地域で 受け入れられる基準を理解している彼らこそが、最も重要な資源なのである。知識創造における情報の表出という 側面から見た時、外部者達は地域の暗黙知を引き出すための媒介と言える。しかし、その媒介によって表出される のは内部者達のそれであり、彼らが気づくための準備、気づくプロセスの設計が為されていない場合、外部者の効 果は本来の可能性の一部しか発揮されないだろう。 謝辞 共に歩き、時に半日以上に渡る議論を行い、移り気で、根気がない私を、非常に広い視野と卓越した指導力でこ こまで導いて下さった津曲教授に深く感謝致します。また、日々共に活動した研究室の皆さん、多くの議論と刺激を 与えて頂いたノットワーキング塾の方々、同じ場所、時間、実践を共有することが出来たアドミニストレーション研究 科の皆さん、中でも同じ情報コースの皆、そして多くのご指導を頂いた先生方、さらに、2年間の中での数多くの出 会いに、ただ感謝の思いです。 註 1 庄司昌彦:“人間関係ベースの消費 -地域 SNS が地域活性化に貢献するために”, 智場(114), pp.126~127, 2009 年, http://www.glocom.ac.jp/j/chijo/114/122-126_column.pdf, (2010 年1月閲覧) 2 Twitter: http://twitter.com/(2010 年 1 月閲覧) 3 天草 Web の駅: http://amakusa-web.jp/ (2010 年 1 月閲覧) 4 インターネット上の掲示板を利用して、市民同士のコミュニケーションを行う場を提供する。 5 1983 年に郵政省が提唱した「未来型コミュニケーションモデル都市構想」の通称。 6 1983 年に通産省が提唱。 7 e-Japan 戦略: http://www.kantei.go.jp/jp/it/network/dai1/1siryou05_2.html(2009 年 1 月閲覧) 8 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp15. 9 一例として、熊本県を対象とした「熊本ブログおてもやん」: http://otemo-yan.net/(2009 年 1 月閲覧) 10 丸田一ほか:『地域情報化 認識と設計』, NTT 出版, 2006 年, pp.9. 11 丸田一ほか:『地域情報化 認識と設計』, NTT 出版, 2006 年, pp.13. 12 丸田一ほか:『地域情報化 認識と設計』, NTT 出版, 2006 年, pp.14. 13 延藤安弘ほか:『対話による建築・まち育て 参加と意味のデザイン』, 学芸出版社, 2003 年, pp.11. 42 14 石塚雅明ほか:『参加の「場」をデザインする』, 学芸出版社, 2004 年, pp.15. 15 藤沢市電子市民会議室: http://net.community.city.fujisawa.kanagawa.jp/guidance/toppage.php(2010 年 1 月閲覧) 16 ある分野内で流行する定義が曖昧な語。 17 Tim O'Reilly:“What Is Web 2.0 Design Patterns and Business Models for the Next Generation of Software”, 2005 年, http://oreilly.com/web2/archive/what-is-web-20.html(2010 年 1 月閲覧). 18 Wikipedia: http://www.wikipedia.org/(2010 年 1 月閲覧) 19 YouTube: http://www.youtube.com/(2010 年 1 月閲覧) 20 ISDL Report No. 20061009001: http://mikilab.doshisha.ac.jp/dia/research/report/2006/1009/001/report20061009001.html(2010 年 1 月閲覧) 21 庄司ほか:『地域 SNS 最前線 ソーシャル・ネットワーキング・サービス』, ASCII, 2007 年, pp.64. 22 総務省 自治行政局 地域情報政策室:“地方自治情報管理概要~電子自治体の推進状況~”, 平成 20 年, pp.11. 23 mixi: http://mixi.jp/(2010 年 1 月閲覧) 24 GREE: http://gree.jp/(2010 年 1 月閲覧) 25 ごろっとやっちろ: http://www.gorotto.com/(2010 年 1 月閲覧) 26 “SNS 化で復活した自治体サイト「ごろっとやっちろ」”: http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/11/news042.html(2010 年 1 月閲覧) 27 OpenPNE: http://www.openpne.jp/(2010 年 1 月閲覧) 28 地域 ICT 利活用モデル構築事業: http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/080118_1.html(2010 年 1 月閲覧) 29 筆者調べ。 30 天草 Web の駅内に開設された個人ホームページより抜粋。 31 第 3 回地域 SNS 全国フォーラム: http://www.3rdsnsforum.com/(2010 年 1 月閲覧) 32 藤代祐之:“なぜ地域 SNS は「立ち枯れる」のか”, http://it.nikkei.co.jp/internet/column/gatoh.aspx?n=MMIT11000030102008(2010 年 1 月閲覧) 33 庄司昌彦:”人間関係ベースの消費 -地域 SNS が地域活性化に貢献するために“, 智場(114), pp.126~127, 2009 年, http://www.glocom.ac.jp/j/chijo/114/122-126_column.pdf, (2010 年1月閲覧) 34 地方自治情報センター(LASDEC):“地域 SNS の活用状況等に関する調査”, 平成 19 年 2 月. 35 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.13. 36 村丸ごと生活博物館: http://www.minamatacity.jp/related_group/muramaru_group/index.htm(2010 年 1 月閲覧) 37 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.13-14. 38 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.16. 39 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.23. 40 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.37. 41 吉本哲郎:『地元学をはじめよう』, 岩波ジュニア新書, 2008 年, pp.37. 43 42 早稲田大学後藤晴彦研究室ほか:『まちづくりオーラル・ヒストリー 「役に立つ過去」を活かし、「懐か しい未来」を描く』, 水曜社, 2005 年. 43 早稲田大学後藤晴彦研究室ほか:『まちづくりオーラル・ヒストリー 「役に立つ過去」を活かし、「懐か しい未来」を描く』, 水曜社, 2005 年, pp.38. 44 まちづくりオーラル・ヒストリーの略称。 45 矢部謙太郎ほか:“消費社会論からみた「まちづくりオーラル・ヒストリー」”, 早稲田大学教育学部学術研 究, 2006 年, 第 54 号, pp.39-52. 46 矢部謙太郎ほか:“消費社会論からみた「まちづくりオーラル・ヒストリー」”, 早稲田大学教育学部学術研 究, 2006 年, 第 54 号, pp.39-52. 47 ソメシュ・クマール:『参加型開発による地域づくりの方法 PRA 実践ハンドブック』, 田中治彦訳, 明石書 店, 2008 年. 48 西川芳昭:『地域をつなぐ国際協力』, 創成社出版, 2009 年, pp.95. 49 西川芳昭:『地域をつなぐ国際協力』, 創成社出版, 2009 年, pp.95-96. 50 敷田麻美:“よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究”, 国際広報メディア・観光学ジャーナ ル(9), 2009 年, pp79-101. 51 敷田麻美:“よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究”, 国際広報メディア・観光学ジャーナ ル(9), 2009 年, pp79-101. 52 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年. 53 マイケル・ポランニー:『暗黙知の次元』, 高橋勇夫訳, ちくま文芸文庫, 2003 年, pp.18. 54 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年, pp.158. 55 4 章で詳述。 56 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年, pp.92. 57 ドロレス・ハイデン:『場所の記憶 パブリック・ヒストリーとしての都市景観』, 後藤晴彦ほか訳, 学芸出 版社, 2002 年. 58 西川芳昭:『地域をつなぐ国際協力』, 創成社出版, 2009 年, pp.16. 59 ゲオルグ・ジンメル:“異郷人についての補説”, 『社会学 下巻』, pp.285. 60 敷田麻美:“よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究”, 国際広報メディア・観光学ジャーナ ル(9), 2009 年, pp79-101. 61 丁 圏鎭:“知識開発も出るに関する一考察 -SECI モデルの発展を試みて-”, 青森公立大学経営経済学 研究 9(2), 2004 年, pp.43-62. 62 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年, pp.128. 63 丁は連結化のプロセスを、組織を中心とした知識創造であると解している。また一方、連結化について「こ のプロセスはもっとも議論の余地が多い部分である。」とするように、連結化がどの段階なのかを明確に判 じるのかは難しい。野中らが事例としていない小規模の組織の場合、個人・グループレベルとの違いを明確 にすることは困難だろう。野中は、正当化を組織はより明示的に行なう必要があるとする。つまり、丁の論 理を借りれば連結化で行われる正当化は、個人・グループより組織の方がより明示的であるということにな り、一方で個人・グループであっても明示の度合いに応じて、正当化ないしは連結化が行われるということ ではないだろうか。後のワークショップへ対する SECI モデルからの理解では、そのような活動が概して小 44 規模、小組織であることから、同様に明示の度合いはあるものの、連結化が行われるものとして理解してい る。 64 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年, pp.128. 65 野中郁次郎・竹内弘高:『知識創造企業』, 東洋経済, 1996 年, pp.141. 66 外部者に安易に期待して、兎に角外部者の参加を呼び掛ける姿勢。 67 中野民生:『ワークショップ』, 岩波新書, 2001 年. 68 川喜多二郎博士が中心となって確立した発想法。 69 地域づくり、まちづくり活動では、ワークショップの第一の目的は参加者の「主体性」を引き出すことだとされる。これは ワークショップが都市計画の過程にあって住民参加の方法論として導入されて来た経緯が大きいだろう。現在ワークショ ップが広がる中で、ワークショップを住民参加の免罪符のように扱う場合や、ワークショップを行うこと自体が参加と捉えら れたり、また単なる合意形成の道具と誤解される場合も存在してる。 70 木下勇:『ワークショップ 住民主体のまちづくりの方法論』, 学芸出版社, 2007 年, pp.55-56. 71 木下勇:『ワークショップ 住民主体のまちづくりの方法論』, 学芸出版社, 2007 年, pp.56. 72 ウヴェ・フリイク:『質的研究入門』, 小田博志ほか訳, 2002 年, pp.94. 73 ウヴェ・フリイク:『質的研究入門』, 小田博志ほか訳, 2002 年, pp.221. 74 第2回調査での「理解のズレ」の事例の番号は、第1回調査から連番ではない。 75 2011 年九州新幹線(鹿児島ルート)として全線開通予定。 76 野中郁次郎:『知識創造の経営』, 日本経済新聞社, 1999 年, pp.71. 77 敷田麻美:“よそ者と協働する地域づくりの可能性に関する研究”, 江渟の久爾(50), 2005 年, pp.74-85. 78 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp178-191. 79 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp173-177. 80 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp179. 81 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp185. 82 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp185. 83 丸田一:『地域情報化の最前線』, 岩波書店, 2004 年, pp190. 84 ICT 技術を使いこなす技能という意。 45 参考文献 ISDL Report No. 20061009001: http://mikilab.doshisha.ac.jp/dia/research/report/2006/1009/001/report20061009001.html(2010 年 1 月閲覧) 石塚雅明ほか:『参加の「場」をデザインする』, 学芸出版社, 2004 年. ウヴェ・フリック:『質的研究入門』, 春秋社, 小田博志ほか訳, 2002 年. 梅棹忠夫:『知的生産の技術』, 岩波新書, 1969 年. “SNS 化で復活した自治体サイト「ごろっとやっちろ」”: http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/11/news042.html(2010 年 1 月閲覧) 延藤安弘ほか:『対話による建築・まち育て 参加と意味のデザイン』, 学芸出版社, 2003 年. 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ワークショップのなかで印象に残ったことは何ですか? 参加者の気になった行動、態度はどんなものがありましたか? 48 ・・・ 54 頁 書かれた付箋、発想を見ながらどう感じますか? ② 半構造化質問 自分のワークショップへの参加は積極的だったと思いますか? 自分以外で積極的(消極的)に感じた方はどなたですか? どの方と良く会話をしたと思いますか? なぜその方と良く会話したのだと思いますか? 印象に残った付箋、発想はどれですか? それらをどんな風に評価しますか? グループ内で注目された付箋、発想はどれですか? なぜそれは注目された(されなかった)と思いますか? ”現”、”理”という印が付箋に見られますが、これは一体何ですか? どんな目的でつけたと思われますか? ③ 構造化質問 ワークショップであなたは”自身”が外部者(内部者)であることを意識しましたか? ワークショップであなたは”相手”が外部者(内部者)であることを意識しましたか? グループ内で、外部者への反応は肯定的でしたか?否定的でしたか? あなたの意見は、グループ内で採用されたと思いますか? それはあなたが外部者(内部者)であることと関連があると思いますか? それはなぜそう思うのですか? 外部者ということで、疎外感を感じましたか? それはどんなときに感じましたか? ・ 第2回調査 1. インタビュー状況 作成したポスターを提示しながらのインタビュー 2. インタビューガイド ① 非構造化質問 あなたが出した意見を振り返って見てください。 あなたはどんな意見を出しましたか?その時どんなことを考えたと思いますか? ワークショップのなかで印象に残ったことは、どんなことですか? 県外出身者(県内出身者)の付箋や、発言に対してどう感じましたか? ② 半構造化質問 ワークショップ中に、注目を集めた topic を教えて下さい。またそれはどうして、注目を集めたと思いま すか? あなたが出した意見、会話に対して周囲はどんな反応をしましたか?出来れば、具体例を上げて話 49 して下さい。 県外出身者(県内出身者)の付箋や意見は、自分たちとは違うと感じましたか?それはどんな場面、 内容でしたか? 県外出身者(県内出身者)が、どんなことを考えているかをワークショップ中意識しましたか?また、そ れはどんなことでしたか? ③ 構造化質問 県外出身者と、県内出身者という区分けを意識しましたか? 県外出身者は、あなたの意見に対して肯定的でしたか? 50 付録2 第1回調査について 【ワークショップで作成されたポスター上に存在したカテゴリー及び、付箋、アイデア】 --- --- 【カテゴリー名】 【カテゴリー名】 「講義に関すること」 「交通」 【現実】 【現実】 木村 1 時間 10 分うけことがつらい授業が多い 今岡 駐車場のスペースがちょっと狭い 山田 受け身になる授業が多い 今岡 交通の便が悪い 松本 講義が退屈 木村 車で構内を走りづらい。みぞがあって歩き づらい。 【理想】 木村 より多くの市民の方に大学での講義や活 動に参加してもらう 松本 【理想】 なし 学外での講義が多い(外に出てく) 【アイデア】 【アイデア】 (走りづらいスピード止めを)なおす 授業評価アンケートの改善 場所をふやす 通学が近い人のチェックを厳重にする --【カテゴリー名】 --- 「就職について」 【カテゴリー名】 「イメージがよくない」 【現実】 なし 【現実】 今岡 地味なイメージ(他大と比べて) 【理想】 木村 学校行事が少なくあまり元気のない大学 今岡 就職率が高い のイメージがある。 木村 就職率が高い(100%) 【理想】 【アイデア】 (カテゴリー名「イベント」と繋がるよう図示さ 大学のイメージを改善 れる。) 今岡 イベントが盛り上がる 松本 イベントにみんな参加。イベントが多い。 51 【アイデア】 --- イベントをつくる。 【カテゴリー名】 学外宣伝する(白亜など) 「施設」 --- 【現実】 【カテゴリー名】 木村 「学生生活」 する学生が少なく、もったいない! 【現実】 図書館にはほぼ専門書しかないため、利用 山田 狭い 暗い 今岡 狭いキャンパス 松本 総管はヒマなことが多い。 松本 空き時間に遊ぶ所がない。 【理想】 山田 周りに何もない 山田 明るい学校 木村 気軽に休んだり、はなしたり出来る場所が 【理想】 ほしい。(教室など) 松本 何かすることがある。充実した生活 今岡 広いキャンパス 木村 サークルに入らなくてもやりがいを感じ 今岡 学食の充実(メニュー、広さなど) ることが出来る大学生活にしたい。 松本 寝る所がほしい 【アイデア】 【アイデア】 時間割改善 (本の)種類を増やす 学生向け場所づくり 花をうえる 場所づくりを改善して、活性化する --【カテゴリー名】 --- 「人間関係」 【カテゴリー名】 「学食」 【現実】 松本 【現実】 同じ学部なのに知らない人が多い 【理想】 松本 みんな仲良し。知り合いが多い。 木村 対人関係や友達づくりで悩む新入生が減 学食がおいしくない 山田 学食の量 【理想】 なし るようにしたい。 松本 松本 学生同士の交流?が盛ん。 【アイデア】 ライバル店を入れる 【アイデア】 イベント強要 クラス制導入 4 月のオリエンテーションを充実させる 52 --【カテゴリー名】 「就職について」 【現実】 なし 【理想】 今岡 就職率が高い 木村 就職率が高い(100%) 【アイデア】 なし 53 付録3 第2回調査について 【ワークショップで作成されたポスター上に存在したカテゴリー及び、付箋、アイデア】 --- 田中 芸術都市 【カテゴリー名】 吉田 自然と街の調和 「交通」 吉田 誰もが暮らしやすい街 加藤 街の規模がもっと大きくなる 【現実】 中島 空港に行きにくい. 【アイデア】 中島 交通の便が悪い. 地域と学校の連携 田中 交通網が未発達 --- 【理想】 【カテゴリー名】 中島 交通の便が良い. 「観光」 中島 空港に行きやすい 加藤 熊本駅と街の間の交通の便が良くなるこ と 【現実】 吉田 熊本の人たちが観光資源の存在に気付い ていない 【アイデア】 中島 熊本城以外は観光客が少ない. 道路を立体構造にして、移動を早くする 中島 辛子レンコンはそこまでおいしくはない. 中島 歴女をひきつけるものが少ない.(歴史、人 --- 物) 【カテゴリー名】 加藤 福岡、鹿児島に知名度が負けている 「街」 【理想】 【現実】 中島 熊本城以外も観光客が多い 吉田 中島 歴女をひきつけるものがたくさんある.(歴 空き店舗の目立つ商店街、シャッター通り、 郊外の大型ショッピングモール 史)、(人物) 加藤 中島 辛子レンコンはそうとう美味 のつながりがうすい) 加藤 観光客が多い県 加藤 加藤 他県にも知られる有名な祭りがある 吉田 魅力ある観光資源の活用 田中 観光立県 熊本駅を降りてもさつばつしている(街と ”街”が観光地になっていない 【理想】 吉田 地域コミュニティーや地域の特色が溢れ た商店街(町) 【アイデア】 田中 3 県連携 PR おしゃれな街 54 中 --【カテゴリー名】 【理想】 「県政」 田中 食料自給率の高い県 吉田 中山間地の活性化 【現実】 加藤 政令指定都市になっている 【アイデア】 加藤 県の財政が苦しいこと 政策をつくる 中島 行政の不祥事が多い. 【理想】 田中 独自性のある県 田中 PR 上手な県 中島 行政の不祥事が少ない. 【アイデア】 親しみやすい県政 --【カテゴリー名】 「生活」 【現実】 中島 盆地で、夏暑くて、冬寒い. 中島 方言があらあらしい. 【理想】 中島 一年中快適に過ごせる. 中島 方言が魅力的. 【アイデア】 なし --【カテゴリー名】 「農業」 【現実】 田中 水がきれい 吉田 中山間地の高齢化.中心市街地への人口集 55 ブランド化