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CMIC社のマガジン C
皿 M agazin efor O Pen PartnershiP C− PRESS 大村 智 × 中村 FINDER - ル ある挑戦の記憶 統計 学者 ナイチン e=1・ ・ SCIENCE FRO NTIER 最先 端 の現場 から③ ノンフィクション 作 家 山 根 一 侭 ・ 。 ・I 4 参 で て フ ぬ K 命 cmlc a,ヽ一 一・ 一一 ry 一 1 ” agazine for O Pen P artn ershiP C− PRESS C-PRESS の C はCMIC V 01 3 - 2015 Sp ring の C と Com municat ion の C。 メディカル・ヘ ルスケ ア分 野 に関 す る話 題 を中心 に 季 刊 誌として発 行 しています C ontents 3 4 対 談 ゼロ から築き上 げる努力 が 独 創的 な成 果 につながる 大村 智 × 中村 和男 1 2 北 里 大学 特 別 栄 誉 教 授 シミック ホ ー ル ディ ング ス 株 式 会 社 日本 学士 院会 員 代 表 取 締 役 CE O SCIENCE FRON TIER 最 先 端 の 現 場 か ら ③ ノンフィクション 作 家 山 根 一 具 史上最大 の電波望遠鏡 「アルマ」 が捉えた惑 星誕生の現場 14 FIN D ER − あ る挑 戦 の 記 憶 統 計 学者 ナイチング ール 16 NEws &ToPIcs ・日本と米 国 に研 究 所 を有 する 唯 一 の 分 析cRo rJcLバ イオアッセイ」が シミックグループ に 仲 間 入りしました ・ シミックグル ープ 入 社 式2015 ・cMIc vIETNAM coMPANY LIMITED ・ LFABPが 医 工 連 携 事 業 化 推 進 事 業 にてモ デル事 業 に選 ば れました ・ 日経w oMANr女 性 が 活 躍 す る会 社Best100」で59 位 にランクイン ・ シミックグル ープ は今 年 も「ブ ラジ ル巡 回 診 療 活 動」 を応 援します 18 CMICのING cMIc cMo us A corporat ion W Ork 19 H ard D ミス タ ー か っち りくん の み か け に よら ず レ シピ! ・ ミックス パ エ リア 編集後 記 2 riV e S U CCeSS y Dat aWat c h i ng 五 感は健康 のバロメータ − - M 」) a,t a1 1 41tchi n 連 載3回目テ ーマ 五 感は健康 のバロメータ 嗅 覚 がない 高 齢者は健常者より 倍も 死 亡リスクが 高い ※ シカ ゴ 大 学 の 研 究 チ ー ムに よる 調 査 結 果 より ・1 ・1 eH 者 ・1 − ・1 ・1 y いろいろな匂いを嗅ぎ分けられます か? 嗅 覚 が 重 要な 健康 バロメータになる可 能 性 近 年、 に お い と 健 康 の 関 係 に 着 目し た 研 究 が 進 ん で い ます o米 国・ シカゴ 大 学 のJa yant Pi nto氏 らの 研 究 グ ル ープ が57 歳 か ら85 歳 の 男 女3,005 人 の 嗅 覚 や 健 康 状 態・既 往 症・生 活 環 境 など を 調 べ 、5 を 確 か め る べ く嗅 覚 と 余 命 の 関 係 に つ い て さら に 研 究 を 進 め て い る そうで す 。 嗅 覚 に 関 連し て 興 味 深 い 研 究 は 他 にもあ ります 。麻 薬 探 知 犬 や 年 後 に 追 跡 調 査 を 行 っ た とこ ろ、 嗅 覚 を 失 っ た 高 齢 者 が5 年 以 内 人 命 救 助 犬 など 嗅 覚 を 生 か し た 職 業 犬 が 多 数 い ます が、 ガ ンを 見 に 死 亡 す る確 率 は 嗅 覚 に 異 常 が な い 高 齢 者 の3.37 倍 とい うこ とが つ け る ガ ン探 知 犬 も 訓 練 さ れ て い ます 。ア ーカンソ ー 大 学 の 研 究 で わ かりまし た 。 は 被 験 者 の 尿 を 嗅 ぎ 分 けさ せ ることで 甲 状 腺 が ん を88 % の 確 率 で 嗅 覚 の 調 査 はフェ ルトペ ンに 染 み 込 ませ た5 種 類 の 香 り(バ ラ、皮 検 知 し て い ま す 。また 九 州 大 学 の 研 究 で は 大 腸 が ん 患 者 の 呼 気 を つ め た 容 器 を5 つ の 中 か ら 選 び 出 す テ ストで 正 解 率91 %、 呼 気 の 代 わりに 便 を 用 い た 場 合 に は 正 解 率97 %と非 常 に 高 い 検 知 率 を 発 揮 下 者、1 つ 以 下 を 嗅 覚 正 常 者 と判 定 し て い ま す 。そ れ ぞ れ の5 年 死 し て い ま す 。た だし、1 頭 あ たり数 百 万 円 の 訓 練 費 用 が か か り、1日5 亡 率 は、 嗅 覚 消 失 者 が39 %、 嗅 覚 低 下 者 が19 %、 正 常 嗅 覚 者 が10 検 体 程 度し か 検 査 で きない た め、 イヌ を使 った ガ ン 検 査 の 普 及 は 難 % で、 嗅 覚 が 低 下 す る に つ れ て 死 亡 率 が 高 まるとい う 傾 向 が 明 し そ うで す 。今 後 は ガ ン特 有 の に お い の 原 因 物 質 の 特 定 をし て 電 ら か に なりまし た 。もち ろ ん、 嗅 覚 の 低 下 あ る い は 消 失 が 死 の 直 接 − 革、 オレ ンジ、 魚、 ペ パ ーミント)を 被 験 者 が 嗅 ぎ 分 け、 正 常 に 嗅 ぎ 分 け ら れ ない 香 りが4 つ 以 上 の 場 合 を嗅 覚 消 失 者、2 ∼3 つ を 嗅 覚 低 子 的 な 嗅 覚 システ ムを 構 築 す ることが 目 標 になりそ うで す 。 的 な 要 因 で は ありませ ん が、 嗅 覚 の 低 下 が 身 体 の 何 ら か の 異 常 に に お い と健 康 の 関 係 は まだ ま だ 発 達 途 上 の 分 野 。ウェ アラブ ル 先 行 し て 現 れ る の で あ れ ば、 高 齢 者 の 死 亡 リス クを 判 定 す る 上 で 端 末 や ビッグ デ ー タ などIT 技 術 の 向 上 で さまざ まな 健 康 デ ー タが 重 要 な 手 が か りとな る可 能 性 が あ りま す 。Jayant Pi nto氏 らの 研 究 取 得 し や す くなって きた 今、 こ れ まで あ まり注 目さ れ て こ な か っ た 指 グ ル ープ で は、 嗅 覚 は 人 間 の 健 康 にとっ て「 炭 鉱 の カナリア」 の よう 標 が 健 康 状 態 を 判 断 す る の に 重 視 さ れ る 時 代 が や っ てくる か もし な 存 在 と考 え、 わ ず か3 分 で 行 え るこ の 検 査 方 法 が 有 用 で あ ること れ ませ ん O 一 一 一 一 一 一 3 ⋮ ⋮h ⋮ 卜 い X 、 十 ・ 一 で・ rll 。 /・・ ・ /・, y .こ j ・ : 。 : ・ - ・ ■/ 紅 年2 億 人もの 人 々を 病 魔 から 守っ てい る 薬を ご 存 知 でしょうか。 この 偉 人 な 薬 のもととなる 卜 エ バ ー メクチ ンを 発 見し、( 米) メルク 社と 共 同で 絢 動 物 だけ で なくヒトの 寄 生 虫 薬としても 有 効 な イベ ル メクチ ンに 育 てた の が 人 村 智 北111人 学 特 別 栄 誉 教 授で す 。 可 ’舞 熱 帯 の 風ll 病 であ る オンコセ ルカ症 に 劇 的 な 効 果 が ある この 薬 により撲 滅 活 動 が 人 幅 に 進 展し たこと が 評 価 さ れ、 1 人 村 教 授 は 咋 年 日本 人とし て 初 め てカナ ダ・ガ ードナ ー 国 際 保 健 賞 を 受 賞さ れ ました ノ ー ベ ル 生 理 学・医 学 賞 と並 び 医 学 界最 高 峰 の 栄 誉 を勝 ち得 た 研 究 開 発 の 裏 側 に はど の ような経 験 や 哲 学 があ った の か 、 中 村CEOが お 聞きし ました 。 l ; , l j .l ・心 − ∼, . 屑 脊 嘴 加 4、・ 戸 誉 ダ j .!: .j ilゝ・ ダ・ ‰. ノ & 四 まレ ペ: / 匁 y / 1 寸 j 心 … y ° … …フフj・ X I ・ ・ -・;..j.. 〆 ︱ !i 一・ ダ。 , I r S S S 。 I “ V ’ . x ∼ s y y s 匁√ j− ky y畠 ・ y〃 。J 甲ral 輛 紗鱈 Satoshi O 阻ura χ Kazuo N aka ml ra 自ら考 え 実 行 す る経 験 の 積 み重 ね が い ろい ろ や って い まし た が、 一 方 で 単 位 を 取 ら 中 村 若 い 人 たち に聞 か せ たい 言 葉 で す ね。 大 発 見 の 素 地 な け れ ば 進 級・ 卒 業 で きませ ん 。山 に 一 週 間 も 大 村 人 生 は 習 慣 の 織 物 とい い ます が、 取り 中 村 大 村 先 生、 ガ ード ナ ー 国 際 保 健 賞 の 受 篭っ てトレ ー ニングして 戻 って きて から み ん なが 戻 そ うとい うプロ セ スが 習 慣 になっ て 絶 え ず 知 賞 お め で とうご ざ い ます。 私 も先 生 と同じ 山 梨 や って い ることの 情 報 を 集 め て 勉 強 す るの で 、 識 を追 い か け てい る気 がします 。最 近 は 入 って 県 出 身 で小 さい 頃 は 科 学 者 に なりた いと思 って もの す ご く時 間 を 詰 め て 物 事 を 考 え て 一 気 に くる 知 識 より出 てい く知 識 の ほ うが 多くなっ てき い て、 父 親 が 作っ てくれ た掘 っ 立 て小 屋 で化 学 やってし まわない と遊 べ な い 。そうい った やり方 てい ます が、 出 ていっ た 分 の 三 分 の 一 は戻 そう 実 験 をし たりし て い た の で す が、 大 学 で 遊 びを を 繰 り返し て い た の が 集 中 力 を 高 める い い 訓 と努 力し てい ます 。 覚 え てし まい 科 学 者 とは 全 然 違う道 に 進 み まし 練 になりまし た 。 中 村 研 究 者 の 中 に は 集 中 力 が 高くても周 り た 。そ れ でも三 共 に入 って、プ ラバ スタチン(メバ 中 村 先 生 は 北 里 研 究 所 で 自ら の 研 究 や 後 が 見 えない 方 も多 い で す が、 先 生 の 場 合 は 集 ロ チ ン)とい うクスリの 開 発 に 携 わることが でき、 進 の 指 導 を 行 い な が ら本 を書 か れ たり美 大 の 中 力 が ある だ け で なくて周 りの 人 た ち がしっ か りつ い て きてい る 。人 との 関 わり方 を大 事 にして 画 期 的 な高 脂 血 症 治 療 薬 を 世 に 出 す ことに 少 し は 貢 献 で きた の か な と自 負 し てい ます 。振 り いる 印 象 が 強 い の で す が どこで 学 ば れ たの で 返 って み ると大 村 先 生 の 百 分 の 一ぐらい の こと しょうか 。 大 村 ス キ ーを通し て で す ね 。私 は 高 校2 年 で を 追っ か け て きたように 思 い ます が、 イベ ル メク “ S チ ン1で 成 功 さ れた 先 生 の 独 創 性 はどこ か ら出 スキ ーを始 め た ので す が、 高 校3 年 には 青 年 の てくるものな の でしょうか 。 部 を 含 め た 県 大 会 で優 勝 で きまし た 。そ れが で 大 村 振 り返 って みると常 に 実 地 で 学 ん できた きた の は 横 山 隆 策 先 生2 の グル ープ で 学 べ たこ と思 います 。生 家 は 農 業 を やってい まし て、堆 肥 とが 大 きい と思 い ます 。横 山 先 生 は 新 潟 の伝 説 を 作 るに も芋 の 芽 を 出 す にも配 合 や 苗 場 の 管 的 スキ ー ヤ ー でお 子 さん たち が 全 国 大 会 で 獲 理 など を常 に 工 夫し なけ れ ば なりませ ん 。今 思 得 し た メダ ル の 数 が30 いくつ もあり、まわりに 集 え ば そ れ らは み ん な 科 学 で す が、 科 学 と意 識 まっ てくる 人 も切 磋 琢 磨 して い る 。ちょうど 長 距 せ ず に 実 地 で 学 ん で きまし た 。この 経 験 が 自分 離 スキ ーに 強 い 北 海 道 に 学 ぶ ところ から独 自 で 自 身 で 考 えて 物 事 を やっ てい く自信 に なっ てい 理 事 長 もやら れて い て 大 変 お 忙 しいと思 い ます 力 をつ け て 伝 説 の 時 代 を築 く頃 でし た の で 私 ます 。理 論 はあ まりやっ てな い けど 実 地 は たくさ が そうし た 経 験 に裏 付 けられ てい るの で す ね 。 の 仲 間 には オリンピック 選 手 が 何 人 もい ます 。ス ん やって きた、という自信 が ある の で 何 か 来 ても 大 村 健 康 管 理 が 下 手 でしょっちゅう病 気 をし キ ー が 上 達し た だけ でなく、こうし たレベ ルが 高 やって や るとい う気 持 ちに なるの で す 。 てい る ような気 が します が、 親 か らの 遺 伝 な の い 環 境 で 学 ぶことはい か に力 を つ ける かという 中 村 私 もコンパ クチ ンの 開 発 を夢 中 で やって か 知 識 欲 は 衰 え てい ませ ん。夜 中 に 起 きだし て 点 を学 びまし た 。科 学 で も同じで、 なる べく高 い いる 時 期 もありまし たが、 そういっ たお 話を 聞くと 山 積 みして あ る本 を 読 んで コピー を取っ て 安 心 レ ベ ル に自 分 や 周りの 若 い 人 た ちを 置 くように 私 は 科 学 者 で は な いと 実 感し ます。 先 生 の 集 し て また 寝 るとか。 高 校・ 大 学 時 代 に 遊 ん でし 努 力 し、 人との 付 き合 い を 大 事 にし てきまし た 。 中 力 とい うか 執 着 心といっ たの も世 界 的 な学 者 まった ことを取 り返 さない とい け ない とい う気 持 そ の お か げ で 後 に開 催 することになったK MC になら れる 原 動 力 だったと思 うの で す が、 どこで ち に 追 われ てい ます。 遊 び がプ ラス に なっ てい セミナ ー3で はノー ベ ル賞 を取 ら れ た 方 や い ず 身 につ け られ た の でしょうか 。 ることもあ ります が、 まだ まだ 知 って お か なけ れ れ ノー ベ ル 賞 を取 るような 方 々 に 講 演 して い た 大 村 学 生 時 代 に サッカ ー、 スキ ー、 卓 球 な ど ば ならない ことが たくさんあると思っ てい ます 。 だ き、参 加 す る 若 い 人 た ち のレベ ルを 高 め るこ 1:マクロライド類 に属 する腸 管 糞 線 虫 症 の駆 虫 薬。 家 畜 の抗 寄 生虫 薬として、またイヌのフィラリア予 防に 使 われる。後 にアフリカで 蔓 延していた オンコセルカ 症( 河 川 盲 目症:ブ ユ が 媒 介 する感 染 症) の 治 療 薬としても使わ れる(商 品 名 メクチ ザンとしてメルクが 無 償 供 与)。 年 間2 億 人が 服 用してい ると推 計 されている。 ( 出典) 馬 場 錬 成「 大 村 智2 億 人を病 魔 から守った 化 学 者」 中央 公 論 新 社 2:横山 隆 策:日本で初 めてアクロバットスキーを行った スキーヤー。 長男 の久 雄氏 は元クロスカントリー選 手・指 導 者でトリノ 冬季 パラリンピックのコーチ兼ワックス技 術 者o 孫にあたる寿 美子・久 美子 姉 妹もオリンピックに出場 。 3 :KM C:Kit a sato Microbial Chemistry。 30 年 間に 渡り500 回 以 上 開 催。 講 演 者 のうち150 名 以 上 を外 国 から招 聘 。 5 4 Satり lhl・ ○ 澗 ura χ K azu o N ak a 凧 ur4 1 S 4 ︲ S S 4 。 & ’ 4 “' ¥ “ J r r t r t fr r'r' 4 1 t l I 。− 1 。 ㎜㎜♂ ♂ -吋 = ら]E ヶ] …… …… … … フi 可■lj 1 1 y とが で きまし た。 一 期 一 会、 人との 付 き合 い は 先 生 は 女 性 に 対し て 非 常 に チ ャーミングとい う ら年 間8 万ドル(肖 時 のレ ートで 約2400 万 円) を3 とても大 事 で す ね 。 か 女 性 に好 か れる 雰 囲 気 を持って い ます ね。 年 間 獲 得 す ることが できました。 メルクには 最 終 大 村 そ れ が 非 常 に 人 事 なことで ね。 世 の 中 的 に20 年 に 渡って サ ポートしてもらい ました 。 の 半 分 は 女 性 で す か ら( 笑)。 先 日、とあ る 艇 覧 もう一 つ 苫 労 し た の は 人 材 で す。 私 か 研 究 会 で 挨 拶 させ てい ただ い た 際 に[ 日 本 一一の フェ 室 を 持っ たときは 部 下 にドクターが1 人もい ない 中 村 研 究 者 に は 人 付 き合 い が 悪 くて「 自 分 ミニ スト] だって 自慢 させ てい た だきまし た( 笑) 。 状 態 でし た。 修 士 が1 人、 学 卒 が1 人、 高 卒 が2 だけ が」 という方 が い ます が、 そ れとは 対 照 的 な んとい っ ても女 子 美 術 人 学 の 理 事 長 で す か 人とい ったところでし た。 資 金 は 用 意 できてい た に伸 び ていく人 た ちは 人 付 き合 いもきちっとでき らねっ て。 そ れ は ともかく、い ままで 女 性 を 顕 彰 の で まず は 全 貝 に 学 位 を 取 ら せ るようにして 、 る。 私 もノーベ ル賞 を取 られ た 方 々とお 付 き合い す るとい うことが あ まり考 えら れ てこな か った の 人 材 に 力 を つ け ること から 始 め まし た。 自 分 か さ せ てい ただ い てい ます が、 先 生 の 師 匠 はど の で、 美 術 館5 を 作 るときに も女 性 を 顕 彰 しようと や りたい ことは 多 少 後 川しにし て、そ れぞ れに 目 ような方 でし たか 。 思っ てい ました 。 標 とする 分 野 や 人 物 など を設 定し てとに かく力 大 村 アメリカで の 師 匠 で あ るウェ スリアン人 中 村 大 村 先 生 は 多くの フ ァンをお 持 ち で す を つ け てもらう。そ うし て研 究 室 に 力 が つ い てく 学 の テ イシュラ ー 教 授4は 会 員 数16 万 人 を 要 ね。 話 が 戻ります が、 ア メリカに 渡っ て 研 究 を進 ると優 秀 な 人 材 が 集 まるようになります。 お そ らく す る アメリカ化 学 会 の 会 長 を 務 め た 方 で あり、 め イベ ルメクチ ンの 開 発 に繋 が るまで に 大 変 な 日本 で ポ スド クを 雁っ た 初 め て の 研 究 室 だ と思 秘 書 の 使 い 方 が 非 常 にうまい 方 でした。 口本 で ご苦 労 が あ ったと思 い ます が い か が でしょうか 。 い ますC.1 の 秘 書 の イメー ジとは 異 なりか なりの 部 分 を 任 大 村 貧 乏 研 究 所 でし た の で 研 究 費 の 確 保 私 は「 研 究 を 経 営 す る」 とd つ てい ます が 、 せ てし まう。手 紙 も骨 子 を 伝 え るだ け。 そうし た に 苫 労しまし た。1973 年 にウェ スリアン大 学 か ら 最 初 に 考 える 事 は 何 の 研 究 を す るか とい うこと 優 秀 な 秘 書 が3 ∼4 人 い るの で す。 私 も参 考 に 日本 に 戻っ たの で す が、 当 時 の日 本は 発 展 途 上 で す。 私 は そ の 頃 構 造 決 定 か 専 門 分 野 でし た して目 本 に帰 ってきてか ら助 手 の 一 人 に 秘 書 の 国 で す から 研 究 費 が 不 足 す ることは 目に 見えて が、 微 生 物 が 作 る 有 用 な 化 合 物 を 探 索 する 研 勉 強をしてもらい まし た 。私か こ れ だけ 研 究と研 い ました。 そこ で帰 国 前 にアメリカで研 究 費を 確 究 に は 多くの 問 題 が 残 さ れ て い まし た。 い ろい 究 以 外 の ことが できたの は 秘 書 の お か げ で す 。 保 することに 取り組 み ました 。NIH6 や 製 薬 企 業 ろな 技 術 の 導 入 もし なけ れ ば なら ない。 し かし 、 中 村 秘 書 とい えば 女 性 が 多 いと思 い ます が 、 からの 研 究 費 の 導 入を目 指した 結 果、 メルク7か そうしたことは 若い 人 たちに 任 せ てとに かく研 究 研 究 費 の 仰 傑 に 成 功 し 人 材 を 育 て て] 研 究 を 経 営_ 6 W を 進 め る た め の 情 報 収 集 に 努 め まし た。 こ の と 持 っ て 外 岡 にしょっ ち ゅう行 って い まし た ね。 日 は と に か く 人 が 集 まっ て くる 。パ ー テ ィ ー で は 炭 きに こ れ ま で の 人 付 き 合 い・ 人 脈 が 役 立 ち まし 本 は 相 手 にしませ ん でした。 私 は 高 校 の 教 師を 鉱 節 を 踊 っ た りし て み ん なとワ イワ 刊 中 間 に な る 。 た。 い ろ い ろ な 人 に 質 問、 相 談 し な が ら 研 究 室 務 め て か ら 大 学 に 戻 っ て 研 究 者 に なりまし た 語 学 力 はい わ ば ジャパ ニ ー ズ 英 語 でし た が 、 の 方 向 付 け が で き た し、 メ ル ク の 求 め る も の を が、 そ の ときに 父 が 心 配し て調 べ たところ「 あ な ユ ー モ ア が あ り、 エ ネル ギ ー が あ り、 そ し て しっ か 掴 ん で テ ー マ を 決 め る こ ともで きまし た 。こ うし て た の 息 子 さ ん の 学 歴 で は 講 師 止 まりだ から 教 りとし た サ イエ ンス を 持 っ て い る 。非 常 に 人 間 的 資 金・ 人 材・ テ ー マ を 揃 え、 そ の 成 果 を 上 げ る こ 師 を 続 け て 校 長 に なった ほうが い い」 と言 わ れ な 魅 力 に 満 ち 溢 れ て い て、 世 界 の 一 流 の 学 者 と で 社 会 還 元 す る。 こ れ が 私 の 目 指 す「 研 究 を た そ うで す。 そ れ な らば 外 国 を 相 手 に や れ ば か ら 一 目 置 か れ る 存 在 の 方 で し た 。大 村 先 生 も 経 営 す る」 とい うこ とに なりま す 。 い いじ ゃな い か と考 え、 論 文 は す べ て 英 語 で そ うし た 関 係 を 作 ら れ た と 思 い ま す が、 外 国 に まとめ てい まし た。 お か げ で 外 国 に 多くの 友 人 行 っ て 積 極 的 に や っ た ことは な ん で す か 。 海 外 に 研 究 成 果 と 人 材 を 売 り込 む が で きました 。 大 村 当 時 の 教 授 とし て は 珍 しく年 に5、6 中 村 先 生 は い ま「 情 報 を 集 め る」 と 簡 単 に 仰 中 村 私 の恩 師 の 五 島 雄 一 郎 先 生8も外 国 に 外 国 に 行 っ て い まし て パ ス ポ ート は 積 み 上 が る 回は い まし た が 当 時 インタ ー ネット は もち ろ ん な くて 電 行っ ても人を 引 き付 け る 魅 力 を 持って い ました 。 ほ ど 何 冊 に もなり まし た。 そ し て「 必 ず こ れ だ け 話 代 にし て も 高 額 な 時 代 だ と思 い ま す。 ど の よう 食 事 の マ ナ ーは 悪 く、音 を 出し て 食 べ る の で 普 は 説 明 し て 研 究 費 を 出 し て もら う」 と 決 め て 気 に 情 報 を 集 め た の で しょう か 。 通 なら外 国 人 には 嫌 が られる ので す が 周りの 人 合 を 入 れ て い まし た 。そ の 結 果 い ろ い ろ な 仲 間 大 村 い た だ い た 資 金 で 行 っ た 研 究 の 成 果 を はあ た た かく微 笑 んで い ました。 先 生 のところに が で き て 支 援 し て もら え る ように な り、 ア メリ カ に 4: テ ィシ ュラ ー( Max Tishler):化 学 博 十 。 メル クで 長 らく研 究 を 行 い、 ビ タミン12、 ペ ニ シリ ンなど の 製 造 に 携 わ る。1970 年 Wes】 eyan University教 授。1987 年 ア メリカ 国 家 科 学 賞 を 受 賞 。 5: 韮 崎 大 村 美 術 館。2007 年10 月 設 立。 展 示 品 は 大 村 氏 が 収 集 した も の( 後 に 韮 崎 市 に 寄 贈) 。 6 : NIH:Nat ionallnstitu tes ofHea lth( ア メリ カ国 立 衛 生 研 究 所) 。 7: メル ク:M erck &C0.( 米 国 メル ク)。1891 年 設 立。 世 界 の 医 薬11111 売 上 高 第5 位。11 本 に お け る ブ ラ ンド 名 は M SD 。 8: 五 島 雄 一一 郎: 医 学 博 士。 動 脈 硬 化 学 会 が「 五 島 雄 一 一 一郎 賞」 を 創 設 し 中 堅 研 究 者 を 顕 彰 し て い る 。 7 Sa 恥 sh・ ∂ 加 £ ぜrど7 × K azuo N ak a阻 ura 「 サトシを 応 援 しろ」 と言っ てくれる 方 まで 出 てき 大 村 中 村 さん の 今 が あ る の は メバ ロ チ ンで キ ーは す るなと制 限され てしまい ます が、 彼ら は まし た 。あ りか たい ことで す 。最 近 は1、2 回し か い ろい ろ 経 験し た ことが CRO の パ イオニ アとし 自分 の 人 生・生 き方 を持 ってい て、 そ れらを 大 事 行 きませ ん が、 全 盛 期 に は 先 方 の 研 究 者 と空 て 創 業 され た ベ ース になって い ると思 い ます が にしてい る。 そ れ が 人 間 的 魅 力 となり人との ネッ 港 で 待ち 合 わ せ てラウンジ で 議 論 して か ら すぐ いかがで すか。 トワ ークにつ な が る。 そうし たことを ず い ぶ ん 教 飛 行 機 で 帰っ てくるなん てこともありまし た。 中 村 そ のとおりで す ね。 海 外 に 行っ て ノー ベ えられ まし た。 先 生 もレベ ルの 高 い 方 々と接 す る 中 村 私 も外 国 に 行 って 背 中を押 し てもらっ た ル 賞 を受 賞し たゴ ールド スタイン博 士 やブ ラウン ことで 学 ば れ たことが 多 い と思 い ます が い か が 経 験 が あります 。メバ ロチ ンで 成 功し たときに 親 博 ±9 らと話 さ せ て もらうと、 み んな 過 去 の 経 歴 ですか。 や 会 社 の 皆さ んは「 お めで とう。 こ れ で出 世 す る や 肩 書 きは気 に せ ず に[ 君 は どう考 える の か] ね」 な どと 言 ってくれ まし た が、 外 国 の 仲 間 は「 と気 さくに声 を 掛 け てくれる 。当 時 肩 書 の なか っ お め でとう。そ れ で 次 は 何 を や るん だ? 新 しい た 私 にとって は 大 変 勇 気 づ けら れました 。 既 成 概 念 に 捉 わ れ な い 研 究 環 境 が 大 きな 成 果 に 繋 が る ことをや れ」 と後 押 しし てくれ まし た 。そ れ が 三 大 村 実 は 私 か ア メリカに 行くとき、北 里 研 究 大 村 な る べ くレ ベ ル の 高 い 人 た ち とお 付 き合 共 を辞 め て独 立 するきっ かけ に なりまし た ね。 所 の 上 司 であ る秦 先 生10と暗 黙 の約 束 をして き い す る よう にし て い ま す ノ まし た 。ひ とつ は 十 分 ーベ ル賞 を 取 られ た 方 と もお 会 い す る とと て も 気 を 遣 っ て 始 め は 緊 な 研 究 費 の 確 保 。もう 張 し て い る の で す が、 あ っと い う 間 に 緊 張 が 解 ひとつあっ て秦 先 生 け て 話 が 進 ん で い くこと もよくあ りまし た。 私 か は の部 下が 外 国で研 究 じ め て お 会 い し た ノー ベ ル 賞 学 者 が コレス テ で きるように す ること。 ロ ー ルや 脂 肪 酸 の 生 合 成 の研 究 で 有 名 なコン そ こで そ うし た 人 材 を ラ ッド・ ブ ロ ッ 列 専 士 で す。 後 に 彼 と は 私 達 が 発 紹 介して 回る わけ で 見 し た セ ル レ ニ ン の 共 同 研 究 を す るこ と に な っ す が、 何 人 か は「 私 は た の で す。 実 は セ ルレ ニ ン の 発 見 は1967 年 で メ O O 大 学 を 出 まし た 」 バ ス タチ ン の 発 見 よりも数 年 早 い ん で す よ。た だ と い うと こ ろ か ら 始 セ ルレ ニ ン が 阻 害 す る の は コレ ス テ ロ ー ル で は ま っ て し まう 。こ れ に は なく脂 肪 酸 で し た が、 メ ル ク が こ れ に 注 目し て 多 ガ ック リし まし た 。 「私 量 の サ ンプ ル を 要 求 し て き た こ と が あ りまし た 。 はこ れ から ● ● をや り 実 際 に 実 験し て 脂 質 の 低 下 作 用 が あ るか 調 た い 」と 伝 え る こ と か べ まし た が 残 念 な が ら 効 か な か っ た 。引 き 続 き ら 始 まら な い よ う で は H M G-C OA 11の 研 究 を 進 め て い た とこ ろ に コ ン ダメ。 パ クチ ンが 出 てきて驚 い た の で す が そ れ でもメ 中 村 肩 書 きで 始 ま ル ク が 追 い か け ら れ た の は セ ルレ ニ ンで の 実 験 る よう な 自 己 紹 介 で は が ベ ースにあ ったか らだと思 います 。 ダ メ で す よ ね 。何 し ろ 中 村 か つ て の 私 た ち の グ ル ー プ は 世 界 で 最 ア メリカ で は 非 常 に 偉 初 に H M G-COA レ ダ ク タ ー ゼ、 つ まりコ ンパ クチ い 方 で も 気 さくな 方 が ン を 発 見 し まし た が、 発 が ん 性 の 問 題 が あ っ た 多 い 。ノ ー ベ ル 賞 を 影 響 で 臨 床 開 発 を 中 止 し まし た 。当 時2 番 手 に 取 っても大 社 長 になっ い た メ ル クは 最 大 の コ ンペ ティタ ー で、 最 初 の コ ても自ら車 を運 転 し て レステロ ール 合 成 阻 害 薬 は メルクか ら発 売 さ れ い ろ い ろ 案 内 し て くれ まし た。 彼 ら が 素 晴 らし い な と 思 っ た の は リ ス ク/ た り す る。 日 本 で 偉 く ペ ネ フ ィット の 議 論 が で きて い まし た 。当 時 の 日 なった ら危 な い か ら車 本 で は 少 し で もリスク の 運 転 は す る な、 ス し た の で、 私 は 大 変 悔 し い 思 い をし まし た 。こ の が あ れ ば ダ メとい う 風 潮 で J - 4 岑 、 こと は 今 で も深 く心 に 残 っ て い ま す 。 そ うし て 育 て て い くこ と 大 村 私 か 係 わ っ た エ バ ー メ クチ ンも日 本 で は で 私 の 研 究 室 か ら は 開 発 で き な か っ た と 思 い ま す。LD50 が 6m g/kg χ 尹 > 。1 110 人 が 学 位 を 取 っ て な ん て 毒 性 が 強 す ぎ る と 判 断 さ れ て し まう。 メ い ま す し30 ル クで は 考 え が 違 う 。ど の くら い で 効 くか が 中 に な っ て い ま す。 教 授 心 で す 。そ うす る とい ま ま で の「 抗 生 物 質 は 数 に な っ た か ら 飛 び ぬ け 百 m g/kg 以 上」 と い っ た 概 念 は 変 え な け れ ば て 優 秀 か と い うと そ う な ら な い 。非 常 に 柔 軟 性 が あ っ た の で メ ル クと で もあ りま せ ん 。我 慢 や れ て 良 かっ た 。 中 村 サ イエ ン ス で 議 論 が で き て 世 の 中 の 理 人 が 教 授 ・。 ジ フ ヤ や ‰ ` ・ 。 あ 町?フ ダ 、 、− 'ゝ; , … ゛フ …‘ ト 、 ト 強 くゴ ツ ゴツ や る 人 もい ア r 卜 リス ク/ ペ ネ フィット の ロ ジ カ ル な 議 論 より、 少 し で れ ば、 や り 方 が 遅 くて 7: 丿" ゛: `・l 。 で 、 プリ イ く i うノ 罵M … … しょうが な い な と 思 っ た … … … 時 期 が あ っ た 人 も い 卜漣 . l もリ ス ク が あ る と 中 断 し て し まうとい う 情 緒 的 な る。 リ ー ダ ー は そ の 辺 を lil 解 が 早 い の が 欧 米 の 魅 力 で す よ ね 。日 本 で は 、 議 論 をし て し まう風 潮 が あ りま す 。もっ とロ ジ カ ル 見 極 め て い か な け れ な 議 論 を す る よう に ば なら な い 。 国 民 の 文 化 度を 高 め る 必 山 E 要 が あ ると 思 う。 とこ ろ で チ ー ム を 作 り研 究 を 経 中 村 営 す る と い う お 話 が さ きほ ど あ りまし た が、 人 を で 人 材 育 成 を進 めて 育 て る の は 簡 単 で は な い と 思 い ま す 。人 そ れ ぞ いらっしゃい ま す が そ の 発 想 はど こ から で てき か せ ない か と思って 立 ち 上 げ たの が 山 梨 科 学 れ に 癖 もあ れ ば レ ベ ルも 違 い ま す の で 我 慢 さ れ た の で し ょうか 。 アカデ ミーで す。 山 梨 に 縁 の あ る 大 学 教 授 等 、 るこ とも多 い と 思 い ます が 秘 訣 は ご ざ い ま す か 。 大 村 山 梨 は 甲 州 財 閥 と 言 わ れ る よう に 事 業 研 究 者 が 県 内 の 小 中 高 等 学 校 で 講 演 す る「 で成 功 する 人は多 いが そ れに比 べ 学 問 的に 未 来 の 科 学 者 訪 問 セミナ ー」 を20 年 続 け て 良 い とこ ろ を 見 極 め て 伸 ば す の が 先 生 し 県 成 功 す る 人 は 少 な い 。中 村 さ ん の 行 動 力 は 山 い ます。 教 育 は 目に 見 え ない が もっとも確 実 な りー ダー の 務 め 梨 の 甲 州 財 閥 の 影 響 を 受 け て い て、 そ の 精 神・ 投 資 で す 。株 を 買 うよりも子 供 を教 育 し た ほう 大 村 悪 い ところを 見 てもキリが ない の で 良 い ス ピリッツを 受 け 継 い で い る の で は な い か と 思 っ が よっ ぽど い い( 笑) 。 ところを 見 ます 。良 い ところを 大 事 にし て あ げ る て い ま す 。とこ ろ が 山 梨 は 人 材 育 成 が ど ち ら か 教 育 に おい て は む や み に 平 等 主 義 を貫 くの ことが チ ー ムワ ー クで は 重 要 で す 。一 つ の 領 域 とい え ば 疎 か に なっ て い る と 思 っ て い ま す。 た と で は なく、そ れぞ れ の 才 能 を 伸 ば すことが 必 要 の 優 秀 な 大 ば かり集 まって も共 同 研 究 に なりま え ば 横 井 小 楠12 が 奨 学 し た 福 井 県 は 現 在、 小 で す。 そ れ ぞ れ 得 て 不 得 手 が あり、誰 にで も良 せ ん。 石 垣 のように 大 きな石 も要 れば 小 さな 石 も 中 学 校 の 全 国 テ スト で 常 にトップ クラ ス。 し っ か り い ところ は あ る。 そ れ を 見 つ け ず に「 み ん な 同 要ります 。日の 目を 見 て いる 人 の 裏 には 必 ず 苦 伝 統 とし て 根 付 い て い る。 山 梨 に あ る 工 場 を 誘 じ」 で 伸 び る 人 を押 さえ つ け てしまっ て は ダメ。「 労し てい る 大 が い ます 。そうし た 直 接 評 価 に 繋 致 し ようとし た とき に「 山 梨 は 人 材 が 不 足 し て い 一 緒 にゴ ー ルし なさい」 と言 って 徒 競 走 の 順 がらな い 仕 事 をして い る 大もい るか らこ そ 組 織 る」 と 言 わ れ た こ と が あ りま す 。こ れ で は い け な 位 を つ け ない ような 教 育 で は 才 能 が 伸 び ない 。 が 保 た れると思 い ます 。そ れ を 見 ず に 同 じレ ベ い、 発 展 す る た め に は 人 を 育 て な け れ ば なら な 人 間は 一 人 ひとり違うの だ から 横 並 び にさせ る ルで カットし て いっ たら 共 同 研 究 に なりま せ ん 。 い と 思 い、 私 の 高 校 教 師 とし て の ノ ウ ハ ウ を 活 ことはで きない 。 9:ゴ ールド スタイン(JosephLeonard G01dstei n)、ブラウン(Michae1 StuartBrown): ともに医 学 博 士、 遺 伝学 者。 コレステロ ール代 謝とそ の関 与 する疾 患 の 研 究によりノーベ ル生 理 学・医 学 賞 を受 賞 。 10 レ秦 藤 樹:医 学 博 士o 日本 の抗 生 物 質 研 究 の草 分 け でロ イコマ イシン、マイトマイシンを発 見。1961 年 北 里 研 究 所 所 長01972 年 北 里 大 学 学 長o IL HMGCoAレダクターゼ:ヒドロキシメチ ルグルタリルCoAレダクターゼo メバロン酸 経 路 の 律 速 酵 素 の一 つo スタチン(メバ スタチン、コンパクチンなどの 総 称) はこの 酵 素 の働 きを 阻害 することによりコレステロ ールを低 下 させ る0 12 :横 井 小 楠:福 井 藩 で 政 治 顧 問を務 め 私 塾を開く。門弟 に徳 富 一 敬( 徳 富 蘇 峰・蘆 花 の 父) ほか。 幕 政改 革・公 武 合体 の 推 進 に貢 献した「 維 新 の 十 傑」 の1 人 。 9 Sa 函 shi O m ur a × K azuo N aka m ur a ’ “¥ .. け で す が、 先 生 は 美 術 に 対し てど の ような 思 い うの で、 初 め の600 点 は 公 募 展 で 集 め まし た 。い ば すことが 大 切 。器 量 が 良 け れ ば そ れ で 勝 負 をもってい らっしゃい ます か 。 ろ い ろ な 分 野 の 方 々 に 審 査 員 に なっ て もら っ て6 回 ほ ど や りまし た。 し か も優 秀 作100 万 円、 準 優 す れ ば い い し、 頭 が 良 け れ ば そ れ で 勝 負 す れ ア ー トと サ イ エ ン ス も 秀 作50 万 円、 入 選30 万 円 とい っ た 形 で 権 利 ご 真 似 をし な い こ とが 強 さ に と買 い 取 り、 後 々 の 展 覧 会 な ど で の 調 整 の 手 間 際 的 に 活 躍 す る 人 物 を 出し てい くた め には 必 大 村 き れ い な も の は 色 彩 に し て も 形 に し て も を 省 くと い う 今 ま で に な い や り 方 に し まし た。 こ れ 要 で す よね 。 人 間 に 勇 気 を 与 え る と 思 うん で す ね 。絵 が 好 き が ベ ー スと なっ て 寄 付 の 申し 出 や 画 商 か ら の 売 大 村 御 茶 ノ水 大 学 の 藤 原 正 彦 教 授13 が だ っ た の で 絵 画 中 心 の 美 術 館 を 作 りまし た が 、 込 み が あ っ て 増 え て い き、 現 在、 北 里 研 究 所 に 仰っ てい ることに「 人 を 育 てる 三 つ の 要 件」 とい 中 村 さ ん の 着 眼 も 素 晴 ら し い で す ね 。ア ン デ ィ・ は1700 点 を 超 え る 絵 画 を 収 蔵 し て い ます 。こ れ うもの が あ ります 。私 もまっ たくそ の とお りだ と ウ ォー ホ ル と 並 ぶ ポ ップ ア ート の 代 表 的 芸 術 家 だけ 持 ってい る学 校 法 人 は 珍しい で す 。 思 ってい るの で す が、 まず 一 つ 目は 風 光 明 媚 な の キ ー ス・ ヘ リン グ に こ だ わ っ て 。 中 村 医 薬 品 開 発 の 薬 効 評 価 で は、 従 来 の ス 中 村 キ ー ス・ ヘ リ ン グ の 作 品 は、 自 分 へ の ご クリ ー ニ ン グ 方 法 で 行 う 場 合 とまっ た く新 し い 評 褒 美 とし て 買 っ て 会 社 に 飾 っ た ら は っ きり嫌 が る 価 方 法 を 開 発し て 新 た な 評 価 シス テ ムで 行 う 人 もい まし た( 笑) 。彼 の 作 品 は 強 い メッ セ ー ジ 場 合 に 分 か れ ま す が、 後 者 の ほ う が オリ ジ ナリ 性 が あ りとも か く感 情 を 掻 き立 て る 力 を 持 っ て い テ ィが あ り 強 い 。オリ ジ ナ リテ ィ の あ る 成 果 を 出 る 。私 は そ こ が い い と 思 っ て い ま す 。 す に は み ん な が や っ た 方 法 で な く自 ら クリ エ イ 大 村 誰 も 考 え な い ような もの を 形 にし た もの を テ ィブ な もの を 作 り出 し て い くこ と が 大 切 で す ね 。 見 ると 嬉 し くな りま す よ ね 。同 じ き れ い な もの で も 大 村 そ の 視 点 は サ イエ ンス で も 企 業 で もまっ 違 っ た 見 え 方 が 表 れ て い た り 。「自 然 と 芸 術 は た く 同 じ で 真 似 は ダ メ 。真 似 す る と 一 見 良 い も ば い い 。そ れ ぞ れ の 良 い 点 で 生 きて い け ば い い 。そ れ が 個 人 を 尊 重 す ることに なります し、 国 JT3J ⊃ ¥71 tn︲ 中 村 管 吐を 大 事 にし て、 人 の 良 い ところを 伸 人 間 を まともな もの に す る」 とい うロ ー マ 時 代 か の は で きる の で す が 長 持 ちし ま せ ん 。 ら の 言 葉 が あ りま す が 中 村 さ ん の 美 術 館 の とこ 中 村 サ イ エ ン ス とア ート は 意 外 に 近 い と こ ろ ろ は 自 然 も 豊 か で 素 晴 らし い で す ね 。 に あ りま す よ ね 。 中 村 女 子 美 大 の 理 事 長 を 務 め ら れ る 先 生 大 村 物 理 学 者 で あ り随 筆 家 で もあ る 寺 田 寅 彦 に そ うい っ て い た だ け ると 嬉 し い 限 り で す 。先 生 が 科 学 と芸 術 の 関 係 に つ い てエ ッセ イを 書 い て い が 作 ら れ た 美 術 館 で もサ イェ ンテ ィストとし て の ま す が、 科 学 も芸 術 も元 は 同 じ。 自 然 を 絵 に 描 くの 何 か こ だ わり が あ ると 思 っ て い る の で す が い か か 理 論 的 に 捉 え ようと す る か の 違 い で し か な い 。 が でし ょう か 。 I 大 村 真 似 は 絶 対 し な い こ とで す ね 。や り た い ゴ ル フも サ イエ ンス こ と が か ち 合 っ て し まっ た ら す ぐ に 別 の こ とを や 中 村 真 似 をし な い こ と に 加 え て 先 生 は 非 常 場 所 で あること。韮 崎 は 大 丈 夫 だ、私 も育っ たし( りま す 。特 許 料 が 入 っ た の で 病 院15 を 作 りまし た に 凝 り 性 で 徹 底 的 に お や りに な る 。ゴ ル フ も始 め 笑) 。次 に 神 仏 を 崇 める 風 土 が あ るところ 。最 が、 日 本 で 初 め て 建 築 の 段 階 か ら 美 術 館 の よう て す ぐ に シ ング ル に な っ た とお 聞 きし まし た 。 後 に 子 供 の 前 で 損 得 の 話 をしな いこととい う要 に 絵 画 を 展 示 で きる よう にし まし た。 日 本 の 病 院 大 村 こ れ も 人 と 同 じ こ とをし な い こ とで す。 仲 件 が 加 わります が、 山 梨 は 教 育 に は 良 いところ に お け るヒ ーリ ン グ ア ート の 先 駆 け で す。 患 者 さ 間 が ラウ ンド の 前 に 朝 早 くか ら 一 生 懸 命 練 習 場 だと思 い ます 。 ん に は 喜 ん で い た だ け る 方 も気 に 入 っ て い た だ で 打 ってい て も私 は パ ターを少 しや って 芝 の 重 中 村 昨 年 田 舎 暮らしをし た い 人 の 移 住 先 と け な い 方 もい ま す が、 興 味 が あ る か ら 文 句 も み を 見 る ぐ ら い 。そ の 代 わ りラ ウ ンド が 終 わ っ て し て 山 梨 県 がトップ14になりまし たし ね 。北 杜 市 言 ってくれると思 って 気 を 遣 い な がら 彼 是 入 れ み ん な が 一 杯 飲 ん で い る とき に 練 習 場 に い く 。 の 人 気 も非 常 に 高 い で す 。 替 え たり 直 し たりし て い ま す 。 復 習 し て 自 分 の そ の 日 の 失 敗 をし っ か り 認 識 す 大 村 いい ところに 美 術 館 を作りまし たね( 笑) 。 中 村 ど うい っ た 観 点 で 収 蔵 品 を 選 ん だ の で る ん で す 。もう ひとっ は 上 手 な 人 と や る こと 。自 分 中 村 い や い や 私 の場 合 は キー ス・ヘリング 好 す か。 よりも 下 手 な 人 と や っ て 勝 っ て 喜 ん で い て もう ま 大 村 私 か 最 初 か ら 選 ん で し まうと 偏 っ て し ま くな ら な い 。5年 で ハ ン デ ィ5 に な っ た ら、 仲 間 か きが 高じ て た また ま美 術 館 とい う形 に なっ た だ 10 らど う や っ た ら 上 達 で きる ん だ と 聞 か れ る の で ゴ ル フ 場 で 講 演 をし まし た。 そ こ で ハ ン デ ィの 年 次 す 。成 功 す る 人 は 自 分 を 含 め て 誰 よりも失 敗し た 人 だと 思 うん で す ね。 い ま の 若 い 人 は 失 敗 す る とガックリ 後 一 気 に 下 が っ て い る 。行 き 詰 まっ て い る とき に 練 成 会 に 入 れ て もら っ て う ま い 人 た ち の 中 で や っ て い まし た ね 。そ の グ ラ フ は 北 里 大 学 メ デ ィ カル セ ンターの 記 念 館 に 飾 っ てあ る の でよろし 研 究 室 に 大 勢 人 っ て くる よう に な ると、 自 分 で ゼ した し て しまい ます が、 失 敗 を恐 れ て は ダ メだ よ、 失 変 化 の グ ラフ を 作 っ た の で す が、 一 本 調 子 に 下 が っ て きた の で は な く、あ るとき に 行 き詰 っ て そ の そ れ が な い と 何 を や っ て もうま くい きま せ ん ね 。 敗 が 成 功 の 元 な ん だ よとい った 話 をよくし てい ますO ロ か ら 組 み 立 て る の で は なく他 人 の 真 似 を り他 人 の ア イ デ ア を 改 良 し ようと す る 若 い 人 もい 中 村 イペ ル メ クチ ン は 静 岡 県 伊 東 市 の 川 奈 ま す が こ れ で は ダ メ で す。 ダ メだ ダ メ だ と言 い 続 た け て い ま す が な か な か 変 え る の は 難 し い 。い つ そ う で す が、 そ うし た 素 晴 らし い も の を 発 見 で き ま で 続 け ら れ る か 分 か りませ ん が 指 導 を 続 け て ゴ ルフ 場 近 くか ら 採 取 さ れ た 土 か ら 見 つ か っ いきたいと思 い ます 。 る 人 もい れ ば そ うで な い 人 もい る 。 大 村 運 は ど うこ う で きる も の で は あ り ま せ ん 中 村 い ろ い ろ な お 話 を 聞 か せ て い た だ き勇 気 か っ た ら ご 覧 に な っ てくだ さ い( 笑) 。 中 村 まさ に サ イエ ン ス で す よ ね 。 が「 こ うし た い」 と 求 め て い な け れ ば ダ メ で す。 を い た だ きまし た。 本 当 に あ りが とうご ざ い まし た 。 大 村 自 分 に 合 う 方 法 で や る こ とで す ね。 朝 早 く起 きる の は 苦 手 で す か ら パ タ ーぐ ら い で( 笑) 。 あ え て い うな ら コ ン ペ の 時 に は 体 調 を 整 え て 良 く眠 る こ とを 心 が け て い まし た ね 。病 院 を 作 る 事 業 で 忙 し くて し ば らくゴ ル フ か ら 離 れ て い まし た が 最 近 よう や く戻 って きまし た 。 中 村 最 後 に い ま の 若 い 人 た ち に 期 待 し て い るこ とを 教 え て くだ さい 。 大 村 失 敗 を 恐 れる な、 とい うことで す 。か っこよく や ろ うとし て 挑 戦 す る 気 持 ち が な い ように 思 え ま 13 :藤 原 正 彦:理 学 博 士。 随筆 家 。 主 な著 書 に「 若き数学 者 のアメリカ」「 国 家 の 品 格」 。14: NPO法 人ふるさと回 帰 支 援 センター調 べ。 15 :北 里 大 学 メデ ィカルセンター(埼 玉 県 北 本 市) 。 大 村 先 生 のこだ わり「 オレンジ色」 思 い つ い た こと 見 聞 きし た こ とを 何 で も書 き 込 む 手 帳 計 腹 中 有 書] は 六 中 観 の 最 後 の 一 つ( 他 は、 忙 中 有 閑 苦 中 有 楽 死 中 有 活 壷 中 有 天 意 中 有 人) 。 持 って い る 。薬 学 部 の 教 授 オレン ジ は どこ に お い て も目 立 つ 色 とし て こだ わりを に なっ た 時 に 始 め たK M C(Kit asato Microbial Chemist ry) セミナ ー の ポ ス ター の 用 紙 も当 時 な か な か 手 に 入 ら ない オレン ジ 色 を 使 用し て い た 。 11 - t 最先端の現場 から③ ノンフィクション作 家・褐 協 大 学 特 任 教 授 山 根 一 筒 史上最大の電波望遠鏡 「アルマ」 が捉えた惑星誕生の現場 南 米 チ リ、ア ンデ ス山 脈 の 標 高5000 メートル 電 波 望 遠 鏡 で、 可 動 式 の そ れらを 山 の手 線 ほど 発してい る(い ず れも電 磁 波) 。宇 宙 誕 生 直 後 の の アタカマ 高 地 。 ここに 史 上 最 大 の電 波 望 遠 鏡「 の 広 さに 配 置 す ると口 径16 ∼18 キロ メートル の お よそ138 億 年 前 に 発し た 電 波 も地 球 に 届 い て アルマ」 が あ る。日米 欧 による 過 去 最 大 の 国 際 巨 大レンズをもつ 望 遠 鏡 と同じ になる。 私 は、 草 い るが、 そ れ はあ まりにも微 弱 。 しかも水 蒸 気 を含 共 同 プロジェクトとし て 建 設 が 進 めら れ、 構 想 か 木 一 本 もない 火 星 の ような 乾 ききっ た 標 高5000 む 地 球 の 大 気 によって 減 衰 してしまうた め、これ ら お よそ30 年、 やっと開 所 式 を 迎 えた の は2013 メートルの 現 場 を2 度 訪 ねてい るが、 空 気 中 の 酸 まで ほとんど観 測 が 不 可 能 だっ た。そ こで、 地 球 年3 月のことだ。 素 は 地 上 の2 分 の1 .息 も絶 え絶 えの 辛 い 経 験 上 で 大 気 中 の 水 蒸 気 量 が もっとも少 ない 理 想 の だっ た。 あ らゆる天 体 は「 光」 だ けで なく「電 波」 を 場 所 として、ここ、アタカマ 高 地が 選 ば れた のだ 。 「ア ルマ」 は66 台 の パ ラボ ラアンテ ナ からな る 12 ♂W ・ P ’…… … …T み 乙 如 バ 筝 4 尚 尚5 で2T; に …IJ.ミ… … … 二 … … …= 尹 に]。J:Xj=t 。 う ,j …y・フ ゚ニ… … … …ム 戸レ= 才に か … づ。 アル マ の 狙 い の ひとつ は、 私 た ち の 地 球 の よ うな 惑 星 が、 ど のようにし て 作 られ た の かを 知 る ことだ 。そ れ は、 地 球 に 生 きる 私 た ち、「 ヒト」 に とって も何 よりも知りたい 大 きな 謎 でもあ る 。そ の 謎 は、 す で に できあ が った 太 陽 系 で 知 ることは 難し い。し か し、 今、 まさに 惑 星 が 作 ら れ つ つ あ ル マ」 の 取 材 で、 国 立 天 文 台 の 電 波 天 文 学 者 た ち が 繰 り 返 し 口 に し て い た、「 惑 星 の 誕 生 の 様 子 を 観 測 し た い」 と い う 言 葉 を 思 い 起 こ さ せ た。「 ア ル マ」 は、2013 年 の 開 所 式 以 降、 多 くの ル マ」 の 天 文 学 者 た ち が 驚 嘆 し た こ とを、 こ ん な 風 に伝 えている 。 「 最 初 に こ の 画 像 を 目 にし た とき に は、 私 た ち は そ の あ まりの 高 精 細 さ に 言 葉 を 失 う ほ ど 驚 きまし 新 発 見 を 手 に し て きた が、「 惑 星 誕 生 の 現 場」 た」( ア ル マ 望 遠 鏡 『 長 基 線 試 験 観 測 キ ャ ン の 観 測 は 夢 ま た 夢 だ ろ うと 思 っ て い た 。 ペ ー ン 』プ ロ グラ ム サ イェ ン ティスト、 キャ サ リ ン・ヴ る 天 体 が 観 測 で きれ ば、 誕 生 時 の 太 陽 系、 そし て 地 球 の 作 られ 方 が わか るは ず なの だ。 惑 星 の 誕 生 は 天 文 学 で も大 きな課 題 で、 さま ところ が、「 は や ぶ さ2」 の 取 材 で 渡 逼 さ んとそ んな 話 を 交 わし た わ ず か1 ヶ 月後 の11 月6 日、 私 は、 国 立 天 文 台 の 発 表 に 接 し て、 腰 を 抜 か す 思 い が し た 。 ラ ハ キ ス 氏) 「 惑 星 系 が で き て い くようす が 手 に 取 る ように 見 て と れ る 画 像 が、 こ ん な に も早 くア ル マ 望 遠 鏡 で 観 測 で きる と は 思 い もよりま せ ん でし た。 私 か 生 ざ まな 惑 星 形 成 論 が 熱 く交 わされ てきた。 惑 星 科 学 者 で 小 惑 星 探 査 機「 は やぶさ2」 のプロ ジェ ア ルマ 望 遠 鏡 、「視 力2000」 を 達 成! クトサ イェ ンチ ストの 渡 遵 誠 一 郎 さん( 名 古 屋 大 一 史上 最高解 像 度で惑 星誕 生の現場 の 撮 影に成 功 学) に そ の 惑 星 の 誕 生 に つ い て 聞 い た の は 、2014 き て い る あ い た に 惑 星 系 が 形 成 さ れ て い くよう す が 実 際 に 見 え る よう に な る こ とは な い だ ろ うと 思 っ て い まし た」( 国 立 天 文 台、 林 正 彦 台 長) こ の ビ ッグ ニ ュ ー ス に 接 し て す ぐ、 私 は 国 立 年 秋 のことだった。 渡 漫 さんは、こん な 説 明 天 文 台 の 長 谷 川 哲 夫 チ リ 観 測 所 長 とテ レビ 電 をし てくれ た 。 話 イン タビ ュ ー を 行 っ た が、 や は り 大 き な 驚 きを 「1960 年 頃 まで の 惑 星 形 成 論 は 荒 唐 無 稽 な も もっ て こ の 観 測 結 果 の 報 告 を 受 け た とい う。 そ の が 多 かった ん で す。 たとえ ば『 遭 遇 説 』はそ の し て 長 谷 川 さ ん は、 こう 口 にし た 。 ひとつで す」 「 こ の 次 は、 異 な る 波 長 で 惑 星 が で きつ つ あ ると 恒 星 A の 近くを恒 星Bが 通 過 す る 時 に そ の 思 わ れる 円 の 帯 の 部 分 にどん な 物 質 が あ るの 重 力 で 恒 星 Aの 物 質 が 引 きず り出 さ れ て 惑 星 か、 とり わ け ど ん な 有 機 物 質 が で きつ つ あ る か を に なった とい うの が「 遭 遇 説」。 だ が、 こ の 惑 星 調 べ るこ と に な る で し ょう。 た ま た ま あ の 画 像 の 誕 生 説 は 不 可 能 だ と証 明 さ れ てい る。 そ れ に 公 開日に 現 地を 訪 問 中 たった 東 京 大 学 の 生 物 代 わり提 唱 され た の が 京 都 大 学 の 林 忠 四 郎 博 の 専 門 家 チ ー ム が、 こ う お っし ゃ っ て い まし た 。 士 による「 京 都 モ デ ル」 だ 。 『 宇 宙 生 物 学 の 扉 が 開 い た ような 気 が す る 』と」「 「 宇 宙 にある星 間 ガスや 塵 が 集 まって太 陽 の重 さの100分 のほどの円 盤 が でき、中 心となる恒 星( 太 陽)と惑 星 が 同時 に作られ たという理 論 で す。これ が、惑 星 誕 生 の 世 界の 標 準 理 論になっています」 1 そ れ は、 お よそ40 台 の アンテ ナを直 径15 キロ メ ート ルに 広 げ て 観 測し たという「 おうし 座 HL 星」 の 観 測 画 像 だった が、 頭 に 血 が の ぼ るほ ど , 林 博 士 のこの 理 論 は、 観 測 で はなく物 理 法 則 興 奮し た。 そ れ は、 まるでCGで 描 い た か の よう にもとづ く計 算 を積 み上 げ て 構 築 され た 純 粋 理 に、 中 心 の 明 るい 星 を 取り囲 む 幾 重 もの 円 か 鮮 論 だ。 宇 宙 のい ず か か で そ んな惑 星 が 誕 生し つ 明 に捉 えられてい たの だ。あ の「 京 都 理 論」 の 模 つあ る現 場を 観 測 することなど不 可 能 だった 。 こ の 話 は、 私 か 構 想 時 代 か ら続 け て きた「 ア 国 立 天 文 台 は、この 観 測 成 果 に日米 欧 の「 ア 一 員 だ が、 各 国 の 宇 宙 探 査 の 目 的 も 生 命 起 源 が 目 立 つ。 私 とは 何 か、 私 は ど こ か ら 来 た の か、 な ぜ こ の 宇 宙 で 生 命 は 誕 生 し た の か … … 。「 ア ル マ」 は 約450 光 年 彼 方 の 天 体 の 観 測 によって 、 人 類 にとっ て もっ とも根 源 的 な 問 へ の 答 を さら に 詳 細 に 描 き出 し てく れ る に 違 い な い。 今 後 の「 ア 式 図 そ の ままの 画 像 で はない か! 【山 根 は や ぶ さ2」 の 目 的 の ひと つ は 生 命 誕 生 の 解 明 ル マ」 の 成 果 に 大 い に 期 待 し て い る 。 プ ロフィー ル 】 (や まね か ず ま)1947 年 東 京 生 まれ。 濁 協 大 学 外 国 語 学 部 卒。 大 学 時 代 か らジャーナリズムで の 活 動 を 開 始。 アマ ゾ ン、生 命 科 学、 宇 宙、 深 海 など 人 類 のフロンティアを 追い 続 ける 一 方、 週 刊 誌 で 日本 の 技 術 庫 本 合 わせ て25 冊を 出 版。JAXAS嘱 託 、 者との 対 談「 メタルカラー の 時 代」 を約18 年 続け、 単 行 本・文 顧 問。1999 年 か ら濁 協 大 学 特 任 教 授 として 理 化 学 研 究 所 相 談 役、 日本 生 態 系 協 会 理 事、 福 井 県 文 化 講 義 を 続 け て い る。日 本 文 藪 家 協 会 会 員。 最 新 刊 は『小 惑 星 探 査 機 は や ぶさ2 の 大 挑 戦 』(講 談 社「 ブ ル ー バックス」)O「 スーパ ー望 遠 鏡『ア ルマ 』の 創 造 者 た ち」( 日経BP コンサ ルティング) は 近 刊 予 定 。 1 統計学者 ナ 柔 チ ング ール 昨 今 の ウ クラ イ ナ、 クリミア 情 勢 に つ い て 小 説 家 の 塩 野 七 生 は、「 ヨ ー ば れ るように なります。 戦 争 終 結 後、 一 躍 英 国 のヒロインとなった ナイチ ン ロ ッパ の 人 々 は クリミア 戦 争 と ナ イチ ン グ ー ル を 思 い 起 こ す だ ろ う」 と 書 い グ ー ルは 政 治 家、 哲 学 者、 数 学 者、 統 計 学 者としても八 面 六 腎 の 活 躍 を て い ま す 。ナ イ チ ン グ ー ル は、「 天 才」 で し た 。彼 女 が 統 計 学 者 で もあ り、 します 。 様 々 な 統 計 解 析 を 用 い て、 病 院 に 科 学 を 持 ち 込 ん だ こ と を 皆 さ ん は ご 統 計 学 者として は、 当 時 まだ、棒 グラフくらい しか 使 わ れて いない 時 代 に 存 知 で す か? 初 め て「 視 覚 化 した円 グラフ」を 用い て 疾 病 解 析、 病 因 解 析、 様 々な統 計 彼 女 は、 イ ギリ ス の 資 産 家 で あ る ナ イチ ン グ ー ル 家 の 次 女 とし て 生 まれ ま 解 析、 分 析 を行 ってい ます(図 参 照)。 こうし た分 析 で、病 院 にはI.清 潔、2. し た 。イタリア の フ ィレ ンツェ で 生 ま れ た の で フロ ー レ ンス と 名 付 け ら れ て い 栄 養、3.空 気 の循 環 が 必 要 であると結 論 付 け、 そ れらが 円 滑 に 行 わ れる ま す。 彼 女 は 正 式 な 教 育 は 受 け て い ま せ ん。 お 金 持 ち の 子 息 は 当 時 、 ような 病 院 設 計 まで 行っ ています。 これを「 ナイチング ール型 病 院」と言 い 家 庭 教 師 に より哲 学、 数 学、 科 学 や 語 学 等 の 高 等 教 育 を 受 け て い ま す 。 ます。 今 でも世 界 中でこ の タイプ の 病 院 建 築 が 標 準 となってい ます 。皆 さ ナ イ チ ン グ ー ルも 家 庭 教 師 と 父 親 か ら 高 等 教 育 を 受 け て い ます。 少 し 変 んが 読 ん だナイチング ール の 伝 記 の ほとんどが「 看 護」 に関 するモ ノだと わ っ た 子 供 で、 高 等 数 学 に 熱 中 し た り、 哲 学 書 を 読 み ふ け っ た りし て い た 思 い ます 。是 非、 統 計 学 者、 医 療 人、 政 治 家、 哲 学 者として の伝 記 も読 ん 事 が 伝 記 に も書 か れ て い ま す。 数 学 は 後 に 統 計 学 者 とし て も活 躍 す る ナ で みてください。 とても面 白い で す 。彼 女 は 天 才 でし たから、 周りの 人 々は イチ ング ー ル の 役 に 立 ち ま す。 ナ イチ ング ー ル は16 歳 の 時、「 神 が 大 っ た」 困 惑 し、なか な か 理 解 され なかっ たの で す が、 そ んな 事 は 構 わ ず にドンド と 書 き残 し て い ます 。神 が 彼 女 の 体 に 宿 り、 世 の 中 の た め、 困 っ た 人 の 救 ン仕 事を 進 めてい たそうで す。 周 囲との 軋 慄 は すごく、文 字 通 り死 屍 累 々 済 を す る 使 命 が 与 え ら れ た とい う の で す 。長 じ て 周 囲 の 猛 反 対 を 押 し 切 でし た。し かし、彼 女 の行 った事 は「 科 学 的 に正し かった」 と証 明 されて お り、 彼 女 は 看 護 師 と なっ て い ま す 。そし て、 病 院 に 科 学 を 持 ち 込 み ます 。具 り、今も彼 女 の 考 えは 深く浸 透し、 影 響 を与 えてい ます 。 体 的 に は ① 配 膳 エ レ ベ ー タ ー ② ナ ー ス コ ー ル ③ 温 水 配 管 を 病 院 に 設 置 し た の で す。 こ れ は、 看 護 業 務 を 楽 に す る た め で す。 今 なら 当 然 の 設 備 で す。 そ の 後、 クリミア 戦 争 で 看 護 師 とし て 大 活 躍 し、「 白 衣 の 天 使」 と 呼 文 ・ 医 療 法 人 社 団エミリオ森 口 理 事長 芝 浦 スリーワンクリニック 院長 望 月吉彦 jJ ’ ″S ・ ″ ’゛″フ ダ M S 6 WS E S ‘y` /?フ町/ ’゛’町 ゛j 6シノ 。/・y ヤ £,がλ。,4/ 夕J・ ぶ Sb 1/7μ ● 必 。 ダ , 。μ“ .f−。6f・ み −y/ / がJ‘夕 4ノフフ 。 ・μ/ &jJ' t i l 4・ l ’″t` y X ! S / S i 1ご X / ●♂ ‘ 七 4 卜・ / , ゛¥ jS ぷ171● ` ,/ 14 ● ゛゛4 1 ●iS i _ _ ・ ●● `14j ●。・ ●●● − ●Il 『 ● ●● ●−。 ● − ●●●iW f か●∼ ・ f ●・1. ●● 轟, 。 ●●− 〃 か。 ● 。 a., ’ ai ” f亀゛ sり ″“ ゜゛ll彝 ∼ l゛ `“ ゛ w Ξ 。 `゛゛ あ● ” ’轟。 ズ 島 。 ダ●4 .罵 Xo fj● a/ , 4 4・j μ s ●。 ` 寸φ ダ’ r・ ・ `・ j・・ 鳥EM り ・岫 j , こ 1. 。 。 。 。 で7141a s yl ゛゛`“ 1゛″゛ 戸 ゛` あ゛“ ’あ 4 ぬ 。満7 こ 。 。。j・J ● ,s ゛ ゛〃 ”・ ts 再゛ ●411 白 ゛4“ `“ ・ / 1`jl゛ 亀゛ 4 ゛2?; `s ゛ “ ’ 鳥 ゛ ゛ ` ゛sy 》 g喰sf f●。fl ● ゛4 , y外 x 。。 μ9 ,鼻。 A. ゛’ ● 4x・6・ 4・ /●・j 島l 八丿 ● j4 − / 4 ●1 yjff 岫 F 庄 涵 毎 Ξ E 忌 Ξ ぞ忌;, 屁 冊 左弩屁 を 忿゛ みぢX.2 比 ‘?り な こtZ 。7 昌 鴛 乞 `’r ここ7 ’( ‘ .y ぷ: 司 式, ズ “ 〆 ・f y,l, 。 。j ● ● a j x。 。 j. 。 ,jj;; 「 -¥4・ ダり 。鴫 i r J ●。J f /即・ 、名。 l ナ イ チ ン グ ー ル に よっ て 描 か れ た「 視 覚 化 し た 円 グ ラ フJPhoto b F l o renceN ig h ting ale 's M occas i n s . ナ イ チ ング ー ル が 履 い て い た と さ れ る モ カ シ ンPhotoby W el】 com e Library . L on d on 「 ゞf 。・ y Universiteit Utrecht ぶ 日 本と米国 に研究 所を有 する唯一 の分 析cRo rJcL バイオアッセイ」 がシミックグル ープ に仲 間入りしました 日本と 米 国に研 究 所を 有し、医 薬 品 開 発にお ける バイ オア ナリシス(生 体 試 料中 薬 物 濃 度 分 析)およ び製 剤 化研 究 の医 薬品 品 質安 定 性試 験を受 託する分 析CRO 「(株)JCL バイ オアッセイ」が2015 年3 月 よリシミ ック グ ル ープに 参画しました 。 (株)応用医 学 研究 所との 連携を 通じて両 社 のサ ービ ス 基盤 の強化、受 託機 会の 増加 や稼 働率向 上 が期 待でき るととも に 国内 外の 顧客 ニー ズにマッチした品 質およ び 効率 的な サービ スを 提供 することを目 指します。 ( Ξ) ICL Bioass ay CorPor ation 株式 会社JCL バイ オアッセイ 設 立:2005 年4 月 従業員 数:160 名(2015 年4月現 在) 事 業 所:大 阪本 社、横 浜 オフィス 研 究 所:西 脇ラ ポ、大阪ラ ボ、米 国ラポ シミックグループ入社式2015 2015 年 春、 シミ ッ クグ ル ー プ の 入 社 式 を 行 い まし た 。 今 年 は167 名 の 新 入 社 員 が 新 た に シミ ック グ ル ー プ の C MIC VIETNA M CO MP AN Y LIMITE D 現 地 法 人「 C M に VIET NA M C O M PA N Y LIM ITED」 を 設 立し まし た 。 一 員 と な りま し た 。ま た イ ン タ ー ン シ ップ も 積 極 的 に 受 日 本 の 医 薬 品、 医 療 機 器 や サ プ リ メ ン ト な ど の ベ ト ナ ム け 入 れ て い ま す。 従 業 員 数 は 創 業 時 よ り 年 々 増 加 し 現 市 場 へ の 導 入 支 援・ ヘ ル ス ケ ア 事 業 領 域 に お け る コ ン 在 で は 約5800 サ ル ティン グ 業 務 を 行 って い き ま す 。 名 と な りま し た 。 将 来 的 に は ベ ト ナ ム 市 場 に お け る C RO・ C M O 等 の 展 開 を 目 指し ま す 。 16 ぶ L-FABP が医工連携事業化推進事業にて モデル事業に選ばれました 日 経wo MANr女性 が活 躍 する 会社Best100」 で シミックホ ー ル ディング ス がトラ ストメ ディカ ル 株式 会 社と 共 同 「日 経 W OM AN」2015 年5 月 号「女性 が活 躍 する会 で進 めて いる「L-FABP を 活用し た 簡易 型 腎 疾 患 診断 機 器・1の 開 社Best100」 にて59 位にランクインしました。 59 位 にランクイン 発・海 外 展 開」 が 医 工 連 携 事 業 化 推 進 事 業 問 こ採 択さ れて おり、 さ らに107 件 あ る事 業 の 中 から モデ ル 事 業として 選 ば れました 。 このラン キングは、管 理職 登用 度、ワ ークライフバ ラ ン ス度、女 性活 用度、男 女 均 等度 の合 計得点 を 偏差 国 が医 療 機 器 産 業 を 成 長 産 業として 捉 え、日 本 発 の 革 新 的 機 器 値 に換 算して順 位 づけしたも ので す。全 社 ランキン の 開 発 や 日 本 製 機 器 の 海 外 展 開 を 後 押し する 動き が 強 化さ れ グ では総 合59 位、同業 種 ランキング では9 位と昨 年 て い る 中 で、「L-FABP」 の 簡 易 型 腎 疾 患 診 断 機 器 の 海 外 展 開 が より高い評 価をいただきました。 高く 評 価 さ れ まし た 。L-FABP は腎 障 害 バ イ オマ ー カ ーとして 国 際 的 な 利 用 拡 大 に向 け て 大き な 進 展力倆 待さ れ てい ま す。今 後 シミ ック グ ル ー プ で は 今 後 も、 様々 な ラ イ フ イ ベ ント も 研 究・ 開 発 を 進 め て い き ま す。 に 対 応 する 独 自 の 人 事 制 度 を 整 え る とと も に 女 性 の 登 用 や 働 き や す い 職 場 環 境 づ くり に 積 極 的 に 取 り 組 ん で ま いり ま す。 MEDTECJapan 最 新 技 術 フ ォーラ ム での講演 ※1 簡 易型 腎疾 患診 断 機器 イムノクロマトリーダ ー:L-FABP PointofCare Kit 専 用読 取装 置 ※2 医工 連 携事業 化 推進 事業 日本 が誇る「もの づくリカ」を 活かした 医療 機器剔 出を促 進するために 経済産 業省 が厚 生労 働省・文部科 学省と 連携して 進めている事 業 シミックグ ル ープ は今年も「 ブラジ ル巡 回 診療 活動」を 応援します 毎年、ブラジ ル日系 人医 師森ロ エミリオ秀 幸氏 が行う「ブラ ジル巡 回 診 療」の支 援プロジェクトが 今年も スタートしました。 ブ ラ ジ ル 巡 回 診 療と は? シミ ックグ ルー プで は、こ の活 動 の 意義 に賛 同し昨 年に 引き 続き 今 年も 従業 員による支援 金 の寄 付を募って います。 ブ ラジ ル の日 系 移 住者 の 治 療・健 康 管 理・ こ の 年1 回 の 診 療 を 心 待 ち にし て い る 日 系 移 住 者 の 方 の 期 待 に 応 え 、 ラ ジ ル 南 部 を 巡 回し日 本 語に よる 診察 を 毎 年 継 続し て い け る よ うに 貢 献し て い き た い と 考 え て い ま す。 行っている ボランティア活動 です。 疾 病 予 防を 行うた めに 毎 年 健 診 バ スでブ 1930 年代 から 親子 三代、80 年以 上に 渡っ WEB 募 金 サイト によ る 募 金 活 動を 行 な って いま す。 ご賢 同 い た だけ る 方 は下 記URL にア タセ スし て て受 け 継が れていま す。 お 手 続 き をお 願いし ま す。 皆 様 から の あ た た かい ご友 援 を お 待ち して おりま す J A F 吸 N G IV IN G http://japangi ving・Jp/p/2190 17 C MIC ⑩ING 緻 密 に 、着 実 に 、で も 大 胆 に 。 シ ミ ッ ク グ ル ー プ の 各 社・ 各 部 門 の 活 気 み な ぎ る 仕 事 ぶり を 現 場 ス タ ッフ カf密 着 レ ポ ート し ま す 。 `︱ GUi- シミ ック グ ル ープ の 米 国 医 薬 品 製 造 拠 点 で あ るCMIC CM O USA(CCU)の 工 場 は、多く の 製 薬 企業 の 集 まる 米 国 ニ ュージ ャージ ー 州 に ありま す。 急 H Ua “C Oin ” Q ia n Associate Dir ector ofTechnicalService Group C M IC C M O U SA C orPor ation 私 の 所 属 す る TechnicaLService Gr oup で は、 経 口 医 薬 品 に 特 化 し、 処 方 検 討、 工 程 開 発、 ス ケ ー ル ア ッ プ、 治 験 薬 製 造 な どR & D サ ー ビ ス を Phot os t a ke n by S o n gfe n g L u ,S e n io r scie n t j s t o f C C ご 提 供 し て い ま す 。ま た、 将 来 の 商 用 生 産 に 向 U け た ク ラ イ ア ント の パ イ プ ラ イ ン の 検 討 も 行 っ て い ま す。 C oinさ ん は、 流 動 層 造 粒 技 術 のPh. D( 博 士) で 高 度 な 専 門 知 識 が あ り、 製 剤 技 術 に お け るCCU のリ ーダ ー的 存 在 で す 。 名 字 が「 銭」 と い う 漢 字 な の で、 親し み を 込 め て「Coin」と 呼 ば れ て い ま す 。 命 孝 一 ‘卜 1 r ● X: つ C U の プ ロ フ エ ツ シj ナ ル 集 団、j ` r ! ︱ sr T e chnica 1 Ser vice Gr o up I N C3 MikeO' 18 Donoghue Mike ELlis C oin Joe Bates Songfeng L u 1 − 1 1 た ま ねぎ を炒 める 。 ㎜ ㎜ ■ ■■■ ㎜㎜■ ㎜ ㎜㎜■■ ■■ ㎜ ㎜■ ㎜■■■ ■ ■ ■■ ㎜㎜㎜■ ㎜㎜ ㎜ ㎜W・・・・・・・・W ■■■ ■■■㎜㎜㎜㎜㎜ ㎜㎜ ■㎜ ㎜ ㎜ ㎜ ⑤ ス プ を ㎜ ㎜㎜ ㎜ ㎜㎜ 加 え て、 塩・ コ シ ウ で 味 付 け し、 米 を 振 り ー 入 れ る ョ 。 卓 食 ま ま の そ て、 え 添 を ン ■ ■ ■ ■■ ■■ ■ ■■ ■■ ■ ■■ ■ ■ ■ ■ ■ ㎜■ ■ ■㎜ ■㎜ ㎜㎜ ㎜ ㎜ ■ ■ ■■ ■■ ■㎜ ■ ㎜■ ㎜ ㎜ i li ■■a a ・n − = ・・ ・・ -・ ・ ㎜ ■ ■ ■■ 。 へ ⑥ 最後│ ■ ET 域 モ レ ホイル で お お い … ご│ … ドレス 発 散 ④ 楽 しい か ら。走 ることそ の もの に 意 味 を 見 出 す 米 CSO 事 業 を展 開 す る「 シミック・アッシ ュフ ィー ルド( 株)」 代 表 国 に 対 し、 日 本 で は 大 会 に 出 る 事 を目 的 に取 り組 ん で い る 傾 取 締 役 の 英 国 人 グ レ ング・プ リン とともに 初 の フ ル マ ラソ ン ヘ 挑 向 が あ ると 言 える か もしれ ませ ん 。 戦 し、 無 事 完 走 す ることが で きました。 yU 先 日“か す み がうらマ ラ ソン" に 出 場 しました 。 初 完 走 で 浮 か れ て い る 私 で す が、 元 々 ス ポ ー ツ 関 連 の 仕 事 ラ ン ニ ン グ は10 年 ほ ど 前 か ら毎 週 末 徐 々 に 距 離 を 増 や しな をして い た 前 職 時 代 に 選 手 と一 緒 に走 り始 め たら心 身 ともに が ら続 け てきました が、42. 195K m は 未 知 の 世 界 。スタート前 コン デ ィション が 良 くなり続 け て きたラ ン ニ ン グ、 そ の 当 時 の 気 は 緊 張 もあ りまし た が、 走 り始 め る と 沿 道 か らの 声 援 や ラ ン 持 ちを忘 れ ず 楽 しく継 続 してい きた い と思 い ます 。 ナ ー を 楽 しませ る 趣 向 を 凝 らした エ イト サ ー ビ ス が 大 変 な 盛 り 皆さ んもFun t o Run 如 何 で す か 。 上 が りで 参 加 者 と 地 元 の 皆 さ ん が 一 体 どな っ て 楽 しむ 素 晴 ら I しい 光 景 でし た 。ど うや ら、 私 もグ レ ッグもマ ラ ソ ン の 魅 力 に は まって しまっ た 様 で、 これ か らも機 会 を 見 つ け て ー 緒 に 参 加 しよ うと約 束 す る 事 に … 。 現 在、 日 本 の ラ ンニ ング 人 口 は10 年 前 に 比 べ 約1. 5倍 増 。世 界 で 最 もラ ン ニ ング 文 化 が 浸 透 して い る米 国 で の フ ル マ ラ ソ ン 完 走 者 の 数 は 日 本 の 倍 で す が、 総 人 口 比 で は 日 本 の 方 が 多 い ようで す 。また 、「ラ ン ニ ン グ を続 ける 理 由 TO P4」 で は ゛ J “ ` 、 日 本 は ① 健 康 の た め ② 楽 しい か ら ③ レ ー ス に 出 る た め ④ 体 喩劈 ・ ″ `u -- EFX 端 型 維 持 の た め 。米 国 は ① 体 型 維 持 の た め ② 健 康 の た め ③ ス 19 倫 cmlc Phar シミ ツ ク グjL/−ゴ m aceut ic al Valu e Cr eat or 一 一 ● F ”-rXs. …… ’ ・’ ♂ ’:..sIs.;・ i 大門 メ ル バルク ホ ール ● ※ ご 来 社 の 際 は 、22 階 総合 受 付ま で お越 し く ださ い ● ン ドホ テル − − g − − 含 M agazinefor OPen Part nershiP C − PRESS 2015 年6 月発行 発行:シミックホールディングス株式会社 コーポレートコミュニケーション部PR VOl.j ZO15S pnnS 〒105-0023 東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディングTEL:03-6779-8200 HP: グループ wヽyv w.cmic-holdings.co・jp/ 監修:望月 吉彦{ 医療法人社団エミリオ森口 理事長 芝浦スリーワンクリニック 院長 }