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Kobe University Repository
Kobe University Repository : Thesis
学位論文題目
Title
〈女作者〉田村俊子論
氏名
Author
高田, 晴美
専攻分野
Degree
博士(文学)
学位授与の日付
Date of Degree
2011-03-25
資源タイプ
Resource Type
Thesis or Dissertation / 学位論文
報告番号
Report Number
甲5358
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/D1005358
※当コンテンツは神戸大学の学術成果です。無断複製・不正使用等を禁じます。
著作権法で認められている範囲内で、適切にご利用ください。
Create Date: 2017-03-31
博士論文
〈女作者〉田村俊子論
博士論文
平成二三年三月二四日
〈女作者〉田村俊子論
神戸大学大学院文化学研究科(博士課程)文化構造専攻
高田 晴美
高田 晴美
序
目次
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第Ⅱ部 〈女作者〉というあり方
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初出一覧
結
第二章 「女作者」論
――〈女作者〉を表明すること――
はじめに
一、反〈おしろいの中から生まれてくる文学〉
二、
〈女作者〉の創作の源泉
三、
〈女作者〉とは
第一章 田村俊子の一葉論
はじめに
一、らいてうが一葉を論じること――脱一葉崇拝を説く
二、前提――田村俊子が一葉を論じるスタンス
――〈女作者〉として
三、
〈女作者〉になること――「放縦」
四、
〈女作者〉であること――「蹂躙の意気」
五、
〈女作者〉の系譜――一葉から俊子へ
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第Ⅰ部 男女の争闘を書くということ
第一章 「生血」論――ゆう子の金魚殺し――
はじめに
一、金魚殺し
二、ゆう子の官能性
三、作家田村俊子とヒロイン
第二章 「魔」論――争闘への志向――
はじめに
一、女主人公と青年――「浮気な血」
二、女主人公と女友達
三、女主人公と夫
四、
〈相剋〉モノの男
第三章 「炮烙の刑」論
――女主人公が求める「奇蹟」――
はじめに
一、
〈女―男〉という対へのこだわり
二、
「殺せ」という言葉に込めた女の心情
三、女が男に求めるもの
四、究極の〈相剋〉へ
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序
三年、
「あ き ら め」が 大 阪 朝日 新 聞 の 懸 賞 小 説 二 等入 選 。実 質的 に こ
れ が 、田 村 俊 子と して の 本 格的 な 文 壇デ ビ ュ ー とな る 。そ の後 、次々
と 代表 作 と な る 作 品 を『中 央 公 論』
『 新 潮 』な ど に 発 表 。一 躍、流 行
作 家と な る 。 大正 五 年 、 松 魚 と は 別 居状 態 、こ の頃 か ら 創 作力 が 衰
え は じ め 、大 正 六年 に は 鈴 木 悦 と の 恋 愛関 係 が 生 じ、悦 と 隠 れ 住む 。
て いた者たち を除くと 樋口一葉くらいしかいな いため、田村俊子は
性作家は、細々と 趣味や習作と言っても い いレベルで 作 品を発表し
し た女 性 作 家で あ る 。 田 村 俊 子 以 前 に 近 代 に 入 って か ら 活 躍 し た 女
田 村 俊 子 は 明 治 末 期 か ら 大 正 初 期 に か け て 、 文 壇 の 第 一 線で 活 躍
年 、中 央 公 論 の 特 派 員 と して 中 国 に 渡 る 。 昭 和 一七 年 に は 月 刊 の 華
鶴次郎と 恋愛関係が生じ、経済的にも行き 詰る生活の中、昭和一三
年 、悦 、 病 気で 急 逝 。 昭 和一 一年 、 俊子帰 国 。 昭和 一 二 年 には 窪 川
そ の後 、鈴 木 悦と 結 婚 、労 働運 動 、 社会運 動 に 力を 入れ る 。昭和 八
カナダに渡る。俊 子の小説家として の活躍はほぼ終わ りを迎え る。
一、田村俊子人物紹介
一 葉 以 来 の 大 型 女 性 作 家 と も 言 え 、 同 時 代 に お いて も そ の よう に 見
字 婦 人 雑 誌 『 女 声 』 を 創 刊 し 、 毎 号 、左 俊 芝 な ど の ペ ン ネ ー ムで 記
大 正七 年 に 鈴 木 悦 が カ ナ ダへ 出 発 、 数ヶ 月 遅 れて 俊 子 も 後 を 追 って
なされて いた。
弟 子 、 田 村 松 魚と 知 り 合 う 。 松 魚 、 渡米 。 露 英 の名で 、 一 葉ば り の
幸田露伴の門下生とな り、露英の名を与えられる。後に夫とな る兄
女 子 大 学 校 国 文 学 部 に 入 学す る も 、 一 学 期で 退 学 。 小 説 家 を 志 し 、
東 京府 高 等女 学 校 卒 業 。 明 治三 四 年 四月 、 創設 され た ば か りの日 本
一七年 四月 二 五日 に 東 京 府浅 草区 蔵 前町 に 誕 生 。明 治三 三 年三 月 に
田村俊子と いう作家は分析され、評価されるだけの価値のある対象
存 在を 忘 れ ら れて は 復 活す る と い う こ と を 幾 度 も 繰 り 返 し な が ら も 、
争闘〉を描いた作品を中心に、多くの華々しい作品を発表し、その
しかし、 その間に いわ ゆ る〈男女 両 性の 相剋〉 モノと いう 〈男女 の
が 、流行 作 家として の全 盛期は 数年 間と いう 短 かいも ので あっ た。
昭和 二〇年 に亡くな るまで 、何ら かの形で 文学活動は続けら れ た
事 を 執 筆 。 昭 和 二 〇 年 四 月 一 三 日 、 脳溢 血で 倒 れ 、 一 六 日 永 眠 。
作 品を いく つ か発表す るが、明 治三九年 、 自 然主義 の 勃興など に影
で あ る と して 取り 上 げ ら れて き た 。
田村 俊子の経歴は 、簡 単に 記す と 以下 の ようなも ので あ る。明 治
響を受けて 自分の作風に疑問を抱き、露伴のもとを 離れて 女優とな
る。度々 舞台に立 つが 、やはり創作意欲の方が 盛んにな り、舞台か
ら 退く 。明 治 四二 年 、帰 国し た松 魚 と 結 婚( 入 籍は せ ず)。翌 明 治四
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た時代で あ ったのは確かだ。そして その時期が 自然主義 の流行とも
る 、男 女 ( 基本的 に は 夫 婦 ) の 争闘 を 描 い た 作 品群 が 特 に 有名で あ
田 村 俊 子 の 作 品 で は 、 いわ ゆ る 〈 男 女 両 性 の 相 剋 〉 モ ノ と い わ れ
も、自然主義作家、男性作家たち の 男女 の争闘の追究は、実際的に
華 さ せ る か に 尽力 し たこ と は 、当 然 のな り ゆ き で あ ろ う 。と 言 って
べ き 問 題 で あ ると して 真 剣に 取 り 組 み 、 い か に それ を 芸 術 と して 昇
二、〈男女の争闘〉について
り 、ま た 、 作 品と して も 優れて い る も の が 多 い 。 そ の 殆 ど は 作 者 田
は 「 霊 肉 合 致 」 の た め の 争闘 の お も む き が 見受 け ら れ る ようで は あ
ほ ぼ重な ることからも 、特に 自 然主義作家が 、男女の争闘を追究す
村 俊子 と そ の 夫田 村 松 魚 を モ デ ル に 描かれて お り、 争 闘 ( 闘 争と 同
る が 。 大 正 一 一年 の 厨 川 白村 の 『 近 代の恋 愛 観 』に は 、 次 の よう な
両 性対 立 の 反 争は 究 極 に 於て 、 両 性 間 の 愛 ( 即 ち 恋 愛 ) と いふ
意 義で あ る が 、当 時 〈 争 闘 〉 が 文 人 たち の 間 で ブー ム と も 言え る 現
て も単な る 言 い争 いのレ ベルで はな く、例 え ば 表面 的な 現象と して
完 全な る 人 格的結 合 を 極 力重 視す るこ と に よ つて の み 解 決 せら
記 述が あ る 。
は 近 所 の 目 を 憚る ほ ど の 打ち 据 え あ う 乱 闘 に ま で 発 展す る よう な 壮
れ 得る の だ 。 それ 以 外 に 断 じて 道 は あ り 得 な い 。 男 と 女 と いふ
象 とな って お り 、 キ ー ワ ード の よう な 使 わ れ 方 を して い た )と 言 っ
絶な闘争場面が含まれることなどに特徴がある。
正時代で あ る 。そ の恋 愛にお いて は 、男と 女 の 〈争闘 〉が 大き な テ
が 流 行 し た り 、 恋 愛 に つ いて の 文 章 が 多 く 発 表 さ れ た り し た の も 大
さ ら に は 、 こ れ ま た 明 治 末 か ら 登 場 して き た い わ ゆ る 〈 新 し い 女 〉
って いる。
〈 争 闘 〉に 対す る 認識 や 実 際 は 、男 女 間で も 、女 同 士で も 、
そ して 、 田 村 俊 子 が 文 壇 の 一 線で 活 躍 し た の も こ の 時 期 に 丸々 重 な
永遠の差別の上に 存在す るす べて の 人類が 、 その男と女と の愛
ー マと な っ た 。明 治 四 一 年 の 「 イ ン テレ ク チ ユ ワ ル ・ フ ァ イト 」 と
同 士で も 、 様 相が 異 な って い る が 、 恋 愛 に 際 して 何 ら か の 闘 い を 挑
ここで 、当 時 の〈 争闘〉ブ ー ム に つ いて 、簡 単に 説 明 して おこ う。
も 称 さ れ た 森 田 草 平 と 平 塚 明 子 ( ら いて う ) の 煤 煙 事 件 以 降 、 恋 愛
ま ね ば な ら な いと い う 認 識は 共 有 さ れて い たで あろ う 。 そ れ を 、 女
即 ち 恋 愛 に よ つて の み 結 合 せ ら れ る 事 、 こ れ が 両 性 関 係 の 究 極
関係にある男女間 の〈争闘〉が取りざたされ、岩野泡鳴・清の 同棲
の側からとか〈新しい女〉の側からという よりもむ しろ田村俊子と
明 治の 終わ り から 大 正 時 代に か け て は 、近 代的 な 新し い 男 女 間 の「 恋
と 別 離 を め ぐ る事 件 、 そ れを 扱 っ た 清の『 愛 の 争闘 』 の よう に 〈 争
いう 存 在と して 追 究 し ようと し 、ま た、己が それを 追 究す る態 度を
の 理 想で あ る 。
闘 〉が 小 説 化 され た り 、 大 正 九 年 に は 堺 利 彦 の 『 男 女 争 闘 史』が 刊
あ から さ ま に 提 示 して み せ、そ れを 自分 の 文 学 の 真骨 頂 と し たのが 、
愛 」が 重 要 問 題と な っ た 時 代 と 言 え る 。 〈 自 由 恋 愛 〉 と い った 言 葉
行されるなど、
「 争闘 」と いう も のが 何ら か の キ ー ワ ー ド と な って い
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写 」と いう 女 性作 家に 対す る 薄 っ ぺ らな 需 要だ けで な く 、 男女 の 争
田 村 俊 子 と いう 作 家で あ る 。田 村 俊 子は 、
「 女 な らで は の 感 覚 的 な 描
であった。
村 俊子 に 関 して 絶 賛 さ れ る の は 、 専 ら そ の 「 感 覚 描写 」「 官 能描写 」
で あるが 、 同時代の田 村 俊子評 価はどの ような もので あ っ たか。田
( 青 頭 巾「 俊 子 の 『 誓 言』」『 新潮 』 大 正 二 ・ 七 )
すぐれたものは無い。
ど す べ て を 形 造る 属 性 だ 。凡 そ 感 覚 芸 術 と して 、彼 女 の 芸 術程
感 覚 的 と いふ 事 は 、 技 巧 的 と いふ 事 と 共 に 俊子 の 芸 術 の ほ と ん
闘 を テ ー マ に 、 男 性 作 家 以 上 に 壮 絶 な 描写 に ま で 踏 み 込 む こ と で 、
時 代の 要 求 に 応え たと も 言え る ので ある 。
しかし、俊子が争闘を主なテーマとしたのも、需要に応えるため
ば かりで も な かろ う し 、 女は 世 間 が 狭く て 社 会 性が な い か ら 家 庭 や
恋 愛のこ と し か 書け な い 、な ど と いう よく あ る 嘲弄す る ような 批 判
し それ は 、
「 女 な らで は 」の 表 現だ と して 主 に 男 性文 人 たち が 面 白 が
「 感覚 的 」(「 官 能 的 」 と 称 さ れ る こ と も 多 い と 「 技 巧 的 」 と いう 言
主 人公 の 女 が 男と ど う 争 闘す る かが 語ら れ る 小 説な ので 、 自然主 義
って も て は や したと いう 程 度 の 、 上 っ面だ け 見 た評 価で あ るこ と も
に 簡 単 に 当 て は め ら れ る よう な 、分 か りや す い 作 家で も な いだろ う 。
の 一 元 描写 的 で あ る と 言 え な く も な い 。 描写 の 見 よ う に よ って は 醜
多 く 、 こ の 点 が 現 代 の フ ェミ ニ ス ト たち の 同 時 代読 者 た ち に 対 す る
葉 は 、 俊 子 文 学 の 特 色 と して し ば し ば 用 い ら れ たも ので あ る 。 し か
悪な生々しさであったり、男女の争闘を極めることをテーマとして
批判にもなり、感覚的・技巧的以外の面に焦点をあて た田村俊子再
な お 、〈両 性 の 相 剋 〉 モ ノ と 言 わ れ る が 、 主 人 公 は 常 に 女 で ある 。
いるあ た り 、田村 俊 子 のこと を 〈 女 岩野泡 鳴〉 と 称 して も いい 気が
しかし、フェミニズム思想、当時ならば それは〈新しい女〉と し
評 価 へ と つ な が って い く ので あ る 。
本 論文で は 、田村 俊 子が 男女 の 争闘をテー マ に した 〈 男女 両性の
て の思 想と いうこ と に な ろ う が 、 そ れに注 目 して 俊 子 作 品 を読 ん だ
す るく ら いで ある 。
相剋〉 モノと 称さ れる作品に深 く 踏み込むことで、田村俊子文学の
場 合に は 、 同 時 代 に お いて も 次 の ような 批 判も 受け が ち だ った のが
に 出ら れ な か つ た 処 に 寧ろ 龍 子 の 自 己に 対 す る 大き な 罪 悪 があ
な かつ たこ と だ 。
(中 略 )無 自 覚 な 、不 徹 底 な 価 値な き 煩 悶 以上
と 思ふ 。 そ れ は 龍 子 が 自分 の 行 為 に 対す る 明 ら かな 自覚 を も た
それよりも非難に値する重大なことはもつと根本的な処にある
俊子作品で あ る。
本 質に 迫 るこ とが 第 一 の 目的で あ る 。
三、〈女作者〉について論じること
男 女 の 争 闘 を 描 い た 代 表 作 等で 流 行 作 家 と して 扱わ れ た 田 村 俊 子
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な らで は 〉 の 表現 に 価 値 を 見 出 さ れて き た 。 田 村 俊 子 個 人 の放 縦な
行 為と も 重 ね 合わ さ れて 、女 性 作 家な らで は の 表現 と も て は や さ れ
ると思ふ。
(ら いて う 「『 炮烙 の 刑 』の 龍 子 に 就いて 」『 青 鞜』 大 正 三 ・六 )
た のだ 。 あ る 意 味 、 過 剰 な 〈 女 性 性 〉 を 読 み 取 って き た の だ と い え
は たま た、
〈 相 剋 〉物 は 、そ の〈 両 性 の 相 剋 〉と いう テ ー マ 性 か ら
こ の「 無自 覚」
「 不 徹 底 」の 二 言も 、同 時 代か ら 田 村 俊 子 批 判に 頻 繁
には、
〈新 し い 女 〉の 作 家な ら ば そ の よう な 旧 来 の女 が ア ピ ー ル し が
も 、ま た 、 俊 子の 活 躍 時 期が 明 治末 年 か ら の 〈 新し い 女 〉 の 登 場 や
る。
ち な 特 色 を 今 更持ち 味 にすべ きで は な いと 考え るので 加担 したく な
『 青鞜 』 創 刊など に 代 表 され る 婦 人 問題 の 隆 興 の時 期と ほ ぼ重 な る
に 用 い ら れ た 言葉で あ っ た。
「 感 覚 描写 」で 俊 子 文学 を 賞 賛 す るこ と
い と い う 思 惑 が 働 く 評 者 たち は 、 な ら ば 俊 子 の ど こ を 非 難す る か と
を も 主 張 す る 女主 人 公 に 〈新 し い 女 〉 の 像 を 見て 、 俊 子 作 品を 〈 両
ことからも、女性の自我などの観点から フェミニズム批評的に読ま
こ の二つの方向性で の 同時代の田村俊子評価がどの程 度妥当な も
性 の 相 剋 〉 な ど と 判 っ た よう な 名 で 称 して 、 具 体 的 な 〈 相 剋 〉 の 内
いえば、
〈 新 し い女 〉と して は 思 想が「 不 徹 底 」で「 無 自 覚 」だ と い
のであるのか。現代の田村俊子研究、特にフェミニズム思想の 萌芽
容 は 見 ず 、 感 覚 描写 の 煌 び や か さ 、 思 想 の 激 烈 さ に 惑 わ さ れて 扱 わ
れ るこ と も 多 か っ た 。〈 女 ら し い 〉 と と も に 、 同 時 に 強 烈 な 〈 自 我 〉
を 俊子 文 学 に 見出 して 再 評価 し よう と 試み た 、 フェ ミ ニ ズ ム批評 的
れてき たように思わ れる。
う 点な ので あ っ た 。
な 研 究 成 果 は 、田 村 俊 子 に再 び 注 目 を集 め さ せ 、再 評 価 を 促して い
も 次 第 に マ ン ネリ 化 が 進 み 、 型 に は ま っ た 、 も しく は 微 細なこ と ば
一 九 八 〇 年 代 の 終 わ り に『 田 村 俊 子 作 品 集 』
( 全 三 巻 、オ リ ジン 出
こ れまで 田 村 俊子 の 作 品につ いて 語 られ る と き 、同時 代に お いて
か りに 目 を 向 けて 本 質 を 捉え き れて いな い 論 が 多く な り 、 田 村 俊 子
っ たと いう 点で 、 大 変 意 義 の あ り 、だ か らこ そ 現代 に お いて こ そ田
も 現代に お いて も 、
「 官 能」、
「 感覚 」描写 と い っ た表 現 内 容 と 、その
研 究が 閉 塞 的で か つ 縮こ ま っ た つ ま らな いも の にな って き つつ あ る
版センター)が刊行されて 、ようやく代表作が一般に読めるように
表 現が 極 めて 「 技 巧 的 」で あ るこ と につ いて が 専ら 取 り ざ たさ れ 、
と いう の が 現 在の 状 況で あ る 。 ま だ 俊子 作 品 を 主に テ ー マ 性か ら 論
村 俊 子 は 読 ま れ る べ き 作 家で あ る と 確 信 も で き る 状 況 を 作 り 出 し て
そ れが 俊 子 作 品 の 特 徴 と して 語 ら れ るこ と が 多 か っ た 。 作 品中 の 女
じる段 階にとどま って おり、作品論として の 個々の作品の具体的な
な り、こ こ 十 数年 ほ どで やっと 田 村 俊子研 究が 進んで き たが 、 それ
の 化粧 と いう 行為 や 、「 肉 」「 血」 な ど の身 体 的 性 的 表 現 、 衣 類や 小
読みにしても、そして 作家、いや〈女作者〉田村俊子と いう本丸に
くれたとも言える。
物 に関 す る 細 や か な 描写 、恋 愛 に お け る 情 緒 な ど 、
〈女性らしい〉
〈女
6
も っと 刺激 的で 過激で あ るは ずな ので あ る 。
な らな い 。田 村 俊子 と いう 作 家と そ の 作品 は 、同 時 代で も 現 代で も 、
攻 め 入 る よ う な 作 家 論 に して も 、 不 十 分 の 感 が あ る よ う に 思わ れ て
意 思 表 示 と して〈 女 性 文 学〉
〈女 性 作 家〉と いう 言い 方 を す る主 に フ
〈女流作家〉という 言葉に違和 感を覚えて 敢えて、そして 戦略的な
れほど 反 感も 違和 感も 覚 えるわ けで はな い。こ の 点で 、〈 女 流文 学〉
ェミニスト たちの主張は 、大変理 解も共感もで きるが 、どこかに そ
れ に 横 並 びす るこ と を 拒 絶 し た い 欲 求も 覚 え る 。お そ らく は 、〈女 性 〉
本 論文で は 、田 村 俊 子 の 最 盛期 の 文 学 作品 を 中 心 に 論 じ るこ とで 、
田村俊子文学の真髄に迫るとともに、作家田村俊子と いう 存在の意
に言い換えることに代表されるような、傍からみると頑なだと思わ
恐 れの 方 が 大き い のだ 。も っと 女 性 作家 、 いや 田村 俊 子 を 解放 し た
義 を捉え 直す のが 第 二 の 目的で あ る 。同時 代 か ら安 易 に 田 村俊 子 批
ま た、 田 村 俊 子最 盛 期 を 過ぎ た後 に な って も 、 大 正 期 、 昭 和 期 と
い 。フ ェミ ニ スト たち が もて は やす 作家だ 、 文 学だ と いう 枠に 閉 じ
れ かね な い 態 度を 取 るこ とで 敢えて 自分 の 立 場 を主 張 す るこ と に よ
特 に 女 流 作 家 たち の 中 に 田 村 俊 子 と いう 〈 女 作 者 〉 は 大 き な 存 在 感
込 めず に 、 広 く そ の 刺 激 的な 面 白 さ を 享 受で き るこ と を 明 ら か に し
評 に用 い ら れて き た 言 葉で あ る 「 感 覚」「 技 巧 」「 無 自覚 」「 不徹 底 」
と深い印象を残し、幾度も言及されてきた、女性作家たち 自身にと
て み せ た い 。 しか し 、 田 村 俊 子 の 面 白さ 、 過 激 さを 語 る の に 、〈女 〉
って 、 か え って 閉 塞 感 が 生 じて し ま う こ と 、 フ ェミ ニ ス ト たち の 自
っ て も 気 に し な いで は い ら れ な い 存 在で あ っ た 。 そ れ は つ ま り 、 女
と いう 性 抜 き にす る こ と は 不 可 能で あ る こ と も 確 か だ し 、 田 村 俊 子
で あるが 、田 村俊子文 学にと って それらは 本 当 はどう いうことで あ
が 作 家 を や る と いう こ と 、文 学 を や ると いう こ と に つ いて の諸 問 題
は 単な る 性 別 と して は 女 性で あ る と いう 〈 作 家 〉な の で は な く 〈 女
給 自足 的で 排 他的な 研 究領域 にな って しま い かねな いこ と 、部 外 者
を 後 の 女 性 作 家 自 身 に 考 え さ せ た 数 少な い 先 達 で あ っ た と いう こ と
作 者〉で あ る から こ そ の 問題 含 みで 興味深 い と いう の も 確 かだ 。 女
っ た の か 。 そ れ は 作 家 田 村 俊 子 に と って は ど う いう 意 味 を 持 っ た の
を意味して お り、しかも その先達は、お そらくは実質的には一葉と
性の作家だ からと いって 安易に一緒くたに括って しまえるもので も
か ら そ う 思 わ れて 踏 み 込 む こ と に 二 の足 を 踏 ま れて し ま う こ と へ の
俊 子 の 二 人 、 歌 人 の 与 謝 野晶 子 を 入 れて も 三 人 し か いな い と いう こ
な いと いう こ とも 承 知 だ 。し か し 、 近年 の 女 性 作 家 は お いて お く と
か。それを明らかにしたい。
と も 鑑 み る と 、田 村 俊 子 は 文 学 史 上 にと って も 、ま して や 女 性 文 学
つ もな ん ら か の 共 通 問 題 や煩 悶 が 横 たわ って お り 、 連 綿と 受け 継 が
しても 、近代以降の女 性の作家たち に、それぞれに様相は異な りつ
個 人的 な 話 に な る が 、 女 性作 家 たち が 、 そ して 田村 俊 子が 、お し
れてき た何も のかがあり、何らかの系譜( それはお そらく一本筋で
史 上に と って はな お さ ら 、重 要な 作 家と 言 う こ とが で き よう 。
な べて 〈 女 流 作 家 〉 と 括 ら れ て し ま う こ と に 、 実を 言 う と 論 者 は そ
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はないかと いう危惧は 、女性作家を論じる際に いつも 指摘され、論
だ わ って 論 じ よう と す る と 、 か え って 陥 穽 に は ま る こ と に な る ので
とである。
〈 女 流作 家 〉に つ いて 、そ の 性 別 を 抜 き に せ ず に む し ろ こ
恋 愛だ っ た に も関 わ ら ず、
〈 自由 〉で あるこ と 、男 女 が 性 的 関 係 を 結
族制度や 家父長制には縛られな い道を模索 して 自己 実 現す るための
い 女 〉と〈 新 し い 男 〉
( ?)が 自 由 恋 愛を す る に お いて も 、そ れ は 家
第Ⅰ部第一章では「生 血」を取り上げる。当時、いわゆる〈新し
性 の 相 剋 〉 モ ノ の 系 譜 に あ る 作 品 を 取り 上 げ て 、田 村 俊 子 が 男 女 の
者も自己を 戒めたり、煩悶したりす るところで はある。しかし、論
ぶこと の 意 味 合いが 男 女間で 食 い違 い、不 均衡 を 生む よう な 有様で 、
はないが )がありそうで あるこ とも 確かで ある。特に近代という 時
者 が こ の 論 文 で 田 村 俊 子 と い う 作 家 を 敢 え て 〈 女 作 者 〉 と して 取 り
それす ら 〈 争闘〉と して 極める べきものと さ れて いた。女 の貞 操と
争 闘 を 如 何 に 自分 の 最 大 の テ ー マ と し 、そ れ を 掘 り 下 げ て い っ た か 、
上 げ る の は 、 田 村 俊 子 と いう 〈 女 作 者〉 は 、 そ の よう な 陥 穽を 打ち
体を男に許すということ 自体を重 要事項 と して 捉え、場合によって
代は、
〈女 〉が〈 作 家 〉で あ る と いう こ と に 自 覚 的で あ り 、そ れ が 戦
壊 し、そ れ で も な お 、
〈 女 作 者 〉で あ るこ と の 意 義 を 問 い 直すこ と が
は 切 り 札 の よう に 見な さ れる こ と が 多か っ た し 、大 正 期 に 入って か
そ して そ れ は 当 時 に お い て ど れ ほ ど 衝 撃 的 で 意 味 の あ る も ので あ っ
で きる 作 家で ある と 考え るか らだ 。 女性 の 作 家 、田 村 俊 子 の言葉で
ら は「 貞 操 論 争」も 起こ るな ど 、 何 かと 女 の 貞 操や 処 女 性 、処 女 喪
略なり切 実な 意思表明だ ったりの形で、もどかしくね じれながらも
い え ば〈 女 作 者 〉と は 一 体 何 な の か 。田 村 俊 子 は そ れ を ど う 認 識 し 、
失は論じるべき大きな問題とされて いた中、田村俊子は処女喪失を
た かに つ いて 、 作 品 群 の その 始 ま り から 頂 点ま で を 追 って いく 。
我 々は それをどう 捉える べきな のか。その問題に迫 る のが 、本 論文
いかに 描いたか。真の深 い男女関係の始まりを田村俊子はどのよう
作 品に 投 入 さ れ たこ と は 、ど の 女 性 作 家 の 作 品 を 見て も 窺わ れ る こ
の 最 後 の 目 的 で あ る 。 そ して こ れ ら の 目 的 は 、 お そ ら く は お 互 い に
に 書き 表 し た か。 そ して 、田 村 俊 子 作品 の 女 主 人公 に と って 、 処 女
青年から恋文めいた手紙が来る。それに浮 気心を擽られたり、それ
あると見受けられる夫婦。その妻で ある主人公鴇子のもとに年 若い
第Ⅰ部第二章では「魔」を取り上げる。結婚して 数年、倦怠期に
取 り上 げ る こ とで 論 じ る 。
中 の、 主 人公 ゆう 子が 金 魚を 針で 貫 くと いう 衝 撃的な 場 面 を中 心 に
喪 失 と は ど の よう な も の で あ る べ き だ っ た か を 、
「 生 血 」と いう 作 品
不 可分 な も の とな るで あ ろ う 。
四、本論文の構成
本 論文 は 二 部 構成 を と る 。第 Ⅰ 部「 男 女 の 争 闘 を 書く と いう こ と 」
で は 、田 村 俊 子 の最 盛 期 の 中で も 特 に 俊子 文 学 の 真髄が 見 ら れる〈 両
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認し、女主人公の争闘への志向のあり方と、争闘へと状況を転じさ
の 争闘 の 様相を呈して いく過程 を 、 作品を 細かく見て いくことで 確
を ダシ に 夫 と 馴 れ 合 お う と し た り し な が ら 、 次 第に 夫 婦 と いう 男 女
の問題を解明するための一つの手がかりを提示したい。
連 綿と 続 く 、 女が 小 説 を 書く こ と 、 小 説 家 と して 生 き る と いう こ と
し た か 。 作 家 論と して 田 村 俊 子 に 迫 る と と も に 、 近 代 に 入 って か ら
で ある 。 それを田 村 俊子という 〈女 作者〉はど のよう に 考え、表明
第Ⅱ部第一章では、田村俊子が女性作家として 彼女の唯一の先達
せて いく 技 巧につ いて 、 それが も たらす 効 果 と 意味 に つ いて 考 察す
る。
で の激 烈 な 争 闘を して まで 女 主 人 公 が 希 求 す る も の と は 何 か。「 炮 烙
も のと な っ た とき 、 夫 婦 の 争 闘 は い かな る 様 相 を 呈す る か 。 そこ ま
「 魔 」 で は 妄 想で し か な か っ た 第 三 者で あ る 青 年 と の 浮 気 が 実 際 の
は、龍子の浮気が 発覚して 激しい争いをした後という設定である。
をさらに 発展させた設定とな って お り、冒頭 から女主 人公 龍子と 夫
が それ と は 異 な る 位 相で 一 葉 を 論 じ た 。 そこ に は 、 作 家 と して 身 を
で あっ た。 そのよう に 一葉の評価が下されて いく中 、田 村 俊子だ け
自分たち が 乗 り越え 捨て 去る べき 女として 一葉 を論じ たも のば かり
葉 に注 目す る 。し か し そ れは 専 ら 、旧 い 女 、思 想 的に 遅 れて いる 女 、
集 が 刊 行 さ れ 、 男 性 文 人 たち だ け で な く 当 然 〈 新 し い 女 〉 たち も 一
図 らずも 〈 新 しい女〉 ブームの 真っ只中と いう タイミ ン グで 一 葉全
と も 言 え るで あろ う 一 葉 に つ いて どのよう に 語 ったかを 見て いく 。
の刑」と いう田村俊子の〈両性の相剋〉 モノの頂点とも いうべき 作
立 て る 田 村 俊 子だ か ら こ その 視 点 と 、
〈 女 作 者 〉と して 突 き つけ な い
第 Ⅰ 部 第 三 章で は 「 炮 烙 の刑 」 を 取 り上 げ る 。こ の 作 品 は 、「 魔」
品を論じるこ とで 、田 村 俊子文学 の 真髄を 明 ら かにす るこ とが 目的
で は いら れな い思 いが 見える 。 文 学 史的 にも 一 葉を 継ぐ 者として 見
る べきで あ ろ う し 、自分で も そ の 自 覚 があ るで あ ろ う 田 村 俊 子の〈 女
である。
第 Ⅱ 部 「〈 女 作 者〉 と いう あ り 方 」で は 、〈女 作 者 〉 を キ ー ワ ード
の 、小 説 家 と して 生 計 を 立て る こ と がで き た 女 性 作 家 と して 、 田 村
て 、物 を 書 いて い く と は ど の よう な こ と で あ っ たの か 。 日 本 近 代 初
義 はど れ ほ ど のも ので あ っ た の か 。ま た 、
〈 女 〉が 作 家と して 身 を 立
と は 作 家と して 〈 女 作 者 〉と して い かな る 存 在で あ り 、 そ の存 在意
な 存在で あ る のか 。 そ れ を田 村 俊 子 はど の よう に作 品 化 し たか 。 そ
て 使わ れて き た〈 女 作 者 〉で あ る が 、一 体 〈 女 作者 〉 と は ど の よう
品 「 女 作 者 」 を 取 り 上 げ る 。 安 易 に 田 村 俊 子 を 象 徴 す る 言 い方 と し
して しばしば用いられる〈女作者〉がそのままタイトルとなった作
第Ⅱ部第二章では いよいよ、田村俊子を 呼び表す ための代名詞と
作 者 〉 観 に つ いて 考 察 す る 。
俊 子 自 身 に も 相当 の 自 負 や 気 概 が あ っ たで あろ う し 、 男 性 作 家 に は
して 、田 村 俊 子が 求 める 文学とはど のような 世界をど の ように 描く
に 、田 村 俊 子 と い う 作 家 のあ り 方 に つ いて 論 じ る 。 一 体 、 田 村 俊 子
浅 いも の と して 想 像 す る 程 度 し かで きな い よう な 煩 悶 が あ った は ず
9
こ とで あ っ た か 。 作 家 と して の 、 い や 〈 女 作 者 〉 と して の 田 村 俊 子
の深淵に迫ることを目指したい。
な お、 各 章で 取り 上 げ る 作品に つ いて は 、本 文 中も しく は 各章 の
章 末 の 注 に お いて 初 出 や 発 表 年 次 は 注 記 し て い る が 、 本 論 文で 取 り
上 げ る 主 要 作 品を 発 表 順 に ま と め る と 以 下 の 通 りで あ る 。( * は 小 説
以 外 。)
*「私の考へた一葉女史」
*「微弱な 権力」
*「晶子夫人」
「誓言」
「 魔」
「生血」
『新潮』
『新潮』
『 文 章 世界 』
『中央公論』
『新潮』
『 早稲田文学』
『青鞜』
大正二・四
大正二・一
大正元・一一
大正元・九
明 治四 五 ・六
明治四五・五
明治四五・二
明治四四・九
掲載年月
「女作者」
『中央公論』
大正三・四
初出
「木乃伊の口紅」
『中央公論』
作品名
「 炮烙の刑 」
10
第Ⅰ部
男女の争闘を書くということ
第一章
「生血」論――ゆう子の金魚殺し――
い、そんな時期に「生 血」は 書かれた。
こ の「 生 血」は、 初 めて 男性と 性的 交渉 を 持 っ たそ の翌 日 のヒ ロ
インの一日を描いた小説である。同時代には田村俊子は、専ら その
感 覚 、 神 経 描写 が 男 に は で き な い 女 な ら で は の 表 現 だ と し て 評 価 さ
れ たの だ が 、「 生 血 」 に 関 して も 、「 感 じの 強 い 女 が 初 めて 男 を 知 つ
た 翌 日 の 心 持 を 主 と して 書いて あ る 。」( 注 2 )、「 女 史 の 作 品 を 読 む
と 直ち に 女 性 の 感 覚 と 云 ふ こ と を 切 実に 思 ふ 。 五 感 の 働 き のみ に よ
いわれる男女の争闘を描いた小説群で注目された。代表作の大部分
る が 文 壇 の 第 一 線で 活 躍 し 、 特 に いわ ゆ る 〈 男 女 両 性 の 相 剋 〉 物 と
田 村 俊 子 は 明 治末 期 か ら 大正 初 期 に かけて 、 非 常に 短 期 間で は あ
は 分析 さ れ る こ と も な く 、や や も す るとこ れは 「 ヒ ス テリ ー 」 と し
女 の 感 覚 描写 に 注 目 さ れ たこ と が 分 か る 。 し か し 、 そ の 感 覚 の 実 態
リ ー 的 に な つ た女 の 、あ る 一 面 を 描 いた も の」
( 注 4 )な ど 、や は り
を 持て 居 る 。」
(注 3 )、
「「生 血 」は 神 経 の興 奮 し た 、も う 大 分 ヒス テ
はじめに
は こ れ に あ た り 、本 章で 取り 上 げ る「 生 血 」は 、
「俊子の文学におけ
て 片付 け ら れ るこ と も 多 いも ので あ った 。
つて 生 きて 行 くセ ツ ク ス ―― そ れ を 描く の に 女 史は 実に 鮮 やかな 筆
る 男女 相 剋 の テー マ は 、 ま ず 『 生 血 』に は じ ま り、『 誓言 』『 木 乃 伊
で もって 結 婚制度批判となって 結 実化す る 」
( 注 1)と 言わ れて い る
評価に始まる。
「 生 血 」に 関 して も こ れは フ ェ ミ ニ ズ ム 小 説 だと して
う動きは、一九八〇年代後半のフェミニズム批評による田村俊子再
こ のような 同時代の批評 を乗 り越えて田 村 俊子を評 価 し ようと い
ように 、男女の争闘を 描いた作品群 〈両性の相剋〉 モノの最初の作
読 み 直 し が 図 られ 、 多 く の女 性 文 学 の ア ン ソ ロ ジー に と ら れ 、 フ ェ
の 口紅 』
『 奴 隷』と す す み 、
『 炮烙 の 刑 』で 頂 点 に 達 し 、
『 彼 女 の生 活 』
品とみなされている。
ミ ニ ズ ム 小 説 の 代 表 格 と して 、 今 度 は 感 覚 で は な く そ の 思 想 性 に 脚
し かし 論 者 は 、従来 の フ ェミ ニ ズ ム 小 説 と して の読 み に 違 和 感 を
「生血」は明治四四年九月の『青鞜』創刊号に掲載 された小説で あ
説で本 格的な 文壇デビューを果 たしたも のの、まだ 代表作となる作
覚 え る 。 そ の よう に 読 め る材 料 は 確 かに ち り ば めら れて は いる の だ
光が浴びせられた。
品 は 書 いて お ら ず 、 第 一 線で 活 躍 す る 少 し 前 の 段 階 に あ た る 。 俊 子
が 、田 村 俊 子 文学 の 本 質 、エ ッ セ ン スが つ ま って い る の は そう いう
る。
「 生 血」発 表時 期 は 、田 村 俊 子 が「あ き ら め 」と いう 新 聞懸 賞 小
作 品に 特 徴 的 な 凄 ま じ い 男女 の 争 闘 を 表 現 す る に は ま だ 至 って い な
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と こ ろ で は な いと い う 気 が して な ら な い 。
性的交渉を持った直後の、自分と安藝治の一幕の記憶がゆう子を襲
し立て と いう フェミ ニ ズム批評 的な 読み方で はなく 、 かと いって 感
者ではな い女として 位 置づけ 、 男性や社会システムに対す る異 議 申
な が めて ゐ る 。男は ふ いと笑 つ た 。 さう して 、
あ ほ ら れ る 伊 豫 簾 に 肩 の 上 を たゝ か れ な が ら 、 町 の 灯 を 窓 か ら
― ― 緋 縮 緬 の 紋 帳 の 裾を か んで 女が 泣 いて ゐる 。 男 は 風 に 吹 き
う。
覚 描写 だ け に 重 き を 置 く で も な く 、 も っ と 積 極 的 、 能 動 的 な ヒ ロ イ
「 仕方 が な いぢ や な い か。」
本 章で は 、 田 村 俊 子 な ら びに 「 生 血 」 の ヒ ロ イ ンを 、 決 して 被 害
ン の欲 望 と 意 志の 表 現 を めざ し た 小 説と して 「 生 血 」 を 捉 え 、 田 村
と 云つ た 。――
何を引き 起こ したか。
回 想は 何が 引 き 金 と な って ゆ う 子 に よ って な さ れ 、 ま た 、 ゆう 子 に
回 想は た っ たこ れ だ け の 、 前後 の 説 明も 何 も な いも ので あ る 。こ の
俊 子文 学 の 本 質に 迫 り た い。
一、金魚殺し
生 臭い金魚 の匂ひ がぼんや りとし た。
何 の 匂ひ と も 知 ら ずゆ う 子 は ぢ つ と そ の 匂ひ を 嗅 い だ 。 い つ
ま で も 、 い つ まで も 、 嗅 いだ 。
「 生 血 」 に お いて 何 よ り も 注 目 さ れ 、 鮮 烈 な 印 象 を 与 え る の は 、 ヒ
ロ イ ン ゆ う 子 が 金 魚 の 目 玉 を ピ ンで 突き 刺す 場 面で あ ろ う 。こ こ に
「 男の 匂ひ 。」
ふ と 思 つて ゆ う 子 は ぞ つ と し た。 さ う して 指 先 か ら 爪 先 まで
「 生 血 」 の 全 て が 凝 縮 さ れて い る と 言 っ て も 過 言で は な い 。で は 、
その凝縮されているものとは一体何か。まずはこの金魚殺しに つい
あ る 。け だ る い 姿で ゆ う 子 は縁 側 に 居 り、足 元の 金 魚鉢 に 目 を 移す 。
か れ る 。 安 藝 治が 顔 を 洗 いに 行 って いる 間 の 、 ゆう 子 一 人 の場 面で
人で あ ろ う 男と 過 ご し た 翌 朝 の 、 ゆ う 子 の し っ と り と し た 様 子 が 描
「生血」第一章の冒頭は、初夜を宿で 、安藝治というおそらくは恋
触、つ ま り、自分が 金 魚と 同化 して いく 実 感 を 表 して いる のだろ う 。
に 」と は 、 そ の「 男 の 匂ひ 」 が 自分 の身 体 に 伝 染し 、 侵 食 され る 感
ぞ っ と す る 。「 指 先 か ら 爪 先 ま で ち り ち り と 何 か が 伝 わ っ て い く 様
あ る 。 そ れ が 「 男 の 匂ひ 」で あ る と ふ と 思 って しま っ た ゆ う 子 は 、
回 想を 終え たとこ ろ で ゆう 子 を 襲 っ たのは 、
「 生 臭い 金 魚 の 匂ひ 」で
ち り〳 〵 と 何 かゞ 傳 は つて ゆ く 様 に 震へ た 。
初 め の う ち は 金 魚 に 名 前 を つ け た り 花を 鉢 に 差 し 入 れ た り して 戯 れ
そ う 感 じて し ま っ た ゆ う 子は 、「 い や だ 。 い や だ 。 い や だ 。」 と そ れ
て 考え る 。
て 楽し んで い る の だ が 、 そこ で 突 如 、 昨 夜 の 、 お そ ら く は 初 めて の
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を 拒絶す る 。そ して 、い よい よ 金 魚 殺 し へ と 向 かって いく 。
「 憎いも
た ので あ る 。( 注 5 )
フ ェミ ニ ズ ム 批評 で は 「 ま るで 憎 いも の が 金 魚で あ る か の よう に 摑
つ ま り 、 回 想 の中 の 男 女 の 姿 に ゆ う 子は 〈 蹂 躙す る 男 〉 と 〈蹂 躙 さ
こ の 「 憎 い も の 」 と して 殺 さ れ た 金 魚 と は 何 者で 、 何 の 為 に そ ん
みあげ、胡麻粒のような 目の玉をねらって ピ ンで 刺す のだ 。つまり
ののやう に」金魚を摑んで「 目ざ しにして や れ」と「胡麻粒のやう
な こ と が な さ れ た の か 。 ま ず は こ れ を 明 ら か に す る 必 要 が あろ う 。
男 の匂 い を 発 す る 金 魚 は 男 の 形 代 と して 刺 さ れ た」
(注 6 )と 解 釈す
れ る女 〉 と いう 構 図 を 見て 、 そ れ に 反 抗 し よう と し た の だ と 、 金 魚
同 時 代 に は こ の 金 魚 殺 し も 単 な る 「 感覚 描写 」 に 過 ぎ な い も の と さ
る 。こ の よう に 、 男 の 匂 いを 発す る 金魚 = 自 分 を蹂 躙 し た 男、 と 捉
な 目の 玉 を ね らつて ピ ン の先を 突 き さす 」 行為 に よ って 、 獰猛 な 攻
れ たこ と に 対 す る 反 発 か ら か 、 主 に フ ェ ミ ニ ズ ム 批 評 に よ って 、 金
え 、 憎 む べ き 男 の 形 代 と して 金 魚 を 殺す こ と で ヒ ロ イ ン は 反 抗 して
殺 し の 動 機 を みて い る 。そ して 、当 の 殺 し た 相 手、金 魚 に 関 して は 、
魚 殺 し に 思 想 的な も の を 見出 す 解 釈がな さ れ る よう に な る 。次 の 文
みせた、被害者からの異議申し立て をして みせた、ととる見方が優
撃 性を 発 動 す る ので あ る 。
章 は 、 田 村 俊 子 研 究 に お いて し ば し ば 引 用 さ れ 、 フ ェ ミ ニ ズ ム 文 学
女 の非 対 称な 構造を 暴 き 、そ れ に 異 議 申 し立て をし た 思 想を盛 り 込
勢で あ っ た。アンソ ロ ジーな どで の 俊子紹 介 の文章は 概ねこの よう
ここ に現れて き たのは、全く新しいタ イプ の問いであ る。 明
んだ小 説で あ ると 主 張 す るこ と が 重 要だ っ た ので あ る 。 そ の意 図 は
の代表作として「生 血」を取り上げる際の公 式のように当ては めら
治 の青 年 に と って の「 恋 愛」は 、
「 封 建制 」や「 家族 制 度」、
「因
理 解で き よう。確 かに田 村 俊子 文 学 にはフ ェ ミ ニ ズム の 香 りがす る 。
な 解釈が 基調とな って いる。「生 血」は 、性的な体験がもたらす 男
襲」などへの抵抗 の象徴として語られて きた。親の決定に従 っ
し か し 、 そ の よう な 異 議 申し 立 て 系 の 思 想 の 枠 組 み に 収 めて 理 解 す
れて き た 読 み 方で あ る 。
て 黙々 と 結 婚して ゆく のが 当 り 前だ っ た 当 時 の日本 社会 にあ っ
一 方で 、 一 九 九〇 年 代 半 ば 頃 か ら 、こ の よう な 異 議 申 し 立 て 一 辺
る に 留 ま っ て いて も い い の か 。 本 当 に 金 魚 は 男 の 象 徴 な の か 。 金 魚
と いう パラ ダイム を 共 有す る 「 新 し い男 女 」 のあ いだで 、な ぜ
倒 の 「 生 血 」 の 解 釈 に 不 満 を 抱 き 、 再 び 俊 子 独 特 の 感 覚 描写 や 恋 愛
て は 、若 い 人 々に と って の 自 由な「恋 愛 」は 憧 憬 の対 象で あ り、
女 は「 泣 き 」、男 は「 笑 う 」の か 。こ こで 起こ って き た 性 を めぐ
の 表 現 に 注 目 す る 論 者 も 出て き た 。こ の 辺 り か ら 、 金 魚 は 憎 い 男 の
殺 しは 男 へ の 反抗 な の か 。女 は 被 害 者な の か 。
るディ スコミュニケー ション状況は、男女両 性の葛藤・相剋 と
形 代で は な く ゆう 子 自 身 だ と す る 解 釈も 登 場 して く る の だ が 、 そ れ
獲 得す べ き 明 ら か な 価 値で あ る 。こ う して ひ と しく「 近 代 恋 愛 」
いう 新 し い テーマ を時 代の表 面に 浮 かび 上が ら せる こ と にな っ
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抗 議で は な い に せ よ 、 「 男女 の 〈 性 愛〉 を 巡 る 搾 取 の 構 造 」が 依 然
被害を受け た者と して の受身表現は 実は して いない。男性に対す る
ゆう子は「汚れ」と いう 言い方は して いるが 、「汚され た」と いう
行 研 究 で も し ば し ば 使 わ れて い る の だ が 、 「 生 血」 の 本 文 に お いて
こ とを 前提 とす るこ と になる 。こ の「汚 さ れ た」と いう 言 い方 は 先
身 の 表 現 を 用 いて い る 時 点で 、 ゆ う 子 が 己 を 被 害 者 と 認 識 して い る
ム 批評 に 同 調 して い る と 言え る 。 男 に よ って 「 汚 さ れ た 」 と い う 受
品 と し て 捉 え て い る ( 注 7 ) と い う 点で は 、 基 本 的 に は フ ェ ミ ニ ズ
された中で の、男女の〈性愛〉を巡る搾取の構造」を言語化した作
さ せ、「 特 定 の固 有な 男と女 の 関 係 性を 越 え た 、社 会と いう 普 遍 化
で も、男に蹂 躙さ れ、汚された自身への嫌悪が 金魚殺しをゆう 子に
いう 狭 い囲 い に囲 わ れ 、 人間 を 、 い や 男 を 楽 し ま せ る た めだけ に 存
〈男の匂 いをまと って いるゆう 子〉の象 徴に他ならな い。金魚鉢と
い。男 の 匂 い をま と って いる 赤 い 金 魚本 体 の 方な ので あ る 。こ れ は 、
た のは 、 自 分 を 侵 す 男 の 匂 いで も 、 男 の 匂 い に 侵 さ れ る こ とで も な
ら。しかし、ゆう 子は そうしな い。というこ とは、ゆう 子が嫌悪し
い い。 自分 の 身体に 男 の 匂 いが つ くこと に は 耐 えられ な いだろ う か
悪 して い る の な ら ば 、 ゆ う 子 は 直 ち に 金 魚 か ら 手を 離 し 手 を 洗 え ば
り 精 液 の 匂 いが 嫌 悪 の 対 象な ら ば 、 つま り 自分 が 侵 さ れ る こ と を 嫌
を 蹂 躙す る 男 と い う 生 物 を 象 徴 す る も の と して の「 男 の 匂ひ 」、つ ま
と 、ゆう 子 の激し い嫌悪が 見て と れ る。 金 魚 から発 せら れ る、 自分
引 き 起こ し 、 その 回 想が 金魚 の 匂 い にリ ン ク して い く と こ ろ を 見 る
で は 、 ゆ う 子 は 金 魚 の 何 を 嫌 悪 し た か 。 金 魚 の 姿が 昨 晩 の 回 想 を
体 の恋 愛 の た めの 女 の 姿 を 見 、 そ れ が 自分 の 姿で あ る か も しれな い
と して ゆ う 子 を 縛 り つ け て い る と 捉 え る こ と は 、や は り 女 を 被 害 者
金 魚 の 正 体 に つ いて 話 を 戻す と 、 以 上 に 挙 げ た よう に 、 ゆ う 子 を
こ とに 思 い至 った ので あ る。 男 の 匂 いを ま と っ た時 点で 、 それ は 確
在す る 、 人 格も 自我 も 持 たな い 、 ただ 美 し いだ け の 金 魚 。 その 姿 に
蹂 躙し た憎む べき 男で あ ると いう 説と、 男に蹂 躙さ れ たゆう子 自身
か に 男 に よ る 一種 の 征 服 が 果 た さ れ たと と る こ と に も な る だろ う 。
と して 位 置 づ け る こ と に 他な ら な い だ ろ う 。 し かも 、 ゆ う 子 を 「 普
と いう 説 が あ るが 、こ れ に関 して は 間違 いな く 、金 魚 と は ゆう 子 自
金魚鉢の中には、
〈男 に 蹂 躙さ れ た 女〉と して の 自分 の 姿が ある 。今
ゆ う 子 は 、 男 に囲わ れ 、 男を いろ んな 意 味で ( 近 代 的 な 恋 愛をす る
身の象徴であると 言えるだろう。ゆう子が金魚につけた艶やかな名
さ っき 自 分 が 名 付 け な ど して 戯 れ 弄 んだ 金 魚 は 、 男 に そ の よう に 弄
遍 化 さ れ た 」 「 女 」 と い う カ テ ゴ リ ー に 安 易 に 括 って し ま って も い
や 、金 魚 そ の も の の 赤 い 、女 性 の 着物 や 下 着 を 思わ せ る 色 、ま た「 緋
ば れ た 自 分 の 姿と 言 え る かも し れ な い 。 そ う 思 った ら 、 いて も た っ
こ と の 意 味 も 含 めて ) 満 たす た め に 存 在す る 、 男 の た め の 、 男 性 主
鹿 の子が お 侠に」と いう 表現を 見て も 、 金 魚は 女性 、つ ま りゆう 子
て も い ら れ な くな り 、 そ んな 〈蹂 躙 さ れ た 女 〉 と して の 己 は 直ち に
ることに注意したい。
の 姿だ と 言 え る 。
15
子の金魚殺 しの第 一段 階であ る 。他の女 たち な らとも かく 、自分 に
攻撃性を発現させ、金魚殺しへと発展し たのである。これが、ゆう
いう 憤 り から 、自分 が 陥るべきで な い姿を して いる 金 魚 へ の凶暴な
少 な く と も 自分 は 蹂 躙 さ れ た と 思 う 女で も そう 嘆く 女 で も な い 、 と
は めら れ る ような 、そして 当て は ま る よう な 自分で いて は な らな い 、
て しま っ た 、 と いう こ と が 耐 え 難 い 嫌悪 と な り 、こ ん な 構 図 に 当 て
覚 しかね な い 、そう いう 男女 の 通 俗 的な 構 図 に 自分 が 当て は め ら れ
当 は蹂 躙な ど され たは ずもな いのに 男に蹂 躙さ れたと 自分 自身が 自
に 蹂 躙 さ れ て しま っ た と いう 事 実 や 状 況 に 対 す る 嫌 悪 で は な い 。 本
抹 殺 し な く て はな ら な い と い う 思 い に か ら れ た 。こ れ は 、 自分 が 男
れ が 拒 絶 の 対 象と な っ た 。そう いう 立 場 に 自分 が 置 か れ 、 自分 が 一
男 の匂 い に 体 ごと 征 服 さ れ た 女 と いう も の を 金 魚に 見て しま い 、 そ
って しま っ たからこ そ、 そのと き に 匂って 来 た生 臭 い金魚 の匂 いに
た こ と に 憤 って い る の だ 。当 て は ま って し ま っ た か も し れ な い と 思
子 を 貶 め る 当 て は めで あ る 。 ゆ う 子は 、 自 分 が それ に 当 て は め ら れ
は まる かも しれな い。 し かし 、 それはこ と ゆう 子に 関 して は、ゆう
た男〉と 〈蹂 躙さ れ た女 〉と いう あ りき たりで 非対 称な 構図も 当て
え るだ ろ う 。こ の よう な 一般 化 さ れ た名 も な い 男女 な ら ば 、
〈蹂躙し
も な い 金 魚 の 行動 が 引 き 金と な って なさ れ たこ とも 、こ の 符丁と 言
想される。こ の回想が 、まだゆう 子に名を付けられて いな かった名
こ こ で 、 ゆ う 子が 忌 避 し た 〈 一 般 化 さ れ た 女 〉 に つ いて も 触れ る
般 化 さ れ たこ と へ の 拒 絶 反 応 だ っ た のだ 。
交 渉 ご と き で 己が 男 に 蹂 躙さ れ る な ど あ り え な いと いう 意 思 表 明 ―
必 要が あ ろ う 。 簡 単 に 言 って し ま え ば 〈 処 女 を 失 って 嘆 く 女 〉 の こ
関 して は 、 た と え そ れ が 初 めて の 性 交渉 、 処 女 喪失 で あ ろ う と 、 性
― それ は 対 外 的 に と いう のも あ る が 、 特 に 自分 自身 に 対 して ― ― だ
と 、つ ま り恋 愛や 恋 愛 結 婚の 相 手で ある 男 性が じつ は 女 性 の抑 圧 者
と で あ る が 、 大 き く 分 け て 二 種 類 の 女 が 存 在 す るだ ろ う 。〈 旧い 女 〉
先 程 も 引 い た 、 ゆ う 子 の 昨晩 の 回 想 場 面 を も う 一 度 見 て み よう 。
や 支配 者にな ると いう 、近代父 権制におけ る 対 関係 の 構図 をは っき
っ たので あ る 。ま ず は 自分の 中 の 被 害 者 意 識 の 滅却 と 、 他 者に よ る
回 想の 中で 、 ゆう 子 は 自分と 安 藝 治 のこ と を 、「 女」「 男」 と 称して
り と 認 識 し た 時 代 」(注 8 )と も 言 え る 。「 生 血 」 が 執 筆 さ れ たこ の
と 、いわ ゆ る 〈新し い女 〉と 。
い る 。 自 分 か ら 距 離 を と り 、 客 観 的 に 見て い る よう な 回 想 の仕 方 で
頃 には も う 既 に、近 世 の おお ら かな 性規 範は 変 容して お り 、女 子 教
被 害 者 認 定 に 対す る 否 定 と いう 、
〈蹂 躙さ れ た 女〉と して の 自分 殺 し
ある。固 有名詞をも っ た「ゆう 子」と「安藝 治」と いう 自分たち の
育や家制度の普及な どの要因によって 、処女の純潔を尊ぶ価値観は
〈 新し い 女 〉の 時 代 と は 、
「 愛に よる 結合関 係で さえ 性 差別 があ るこ
初 体 験で は な く 、〈 処 女 だ っ た 女 〉 と 〈お そ ら く は 童 貞 で は な い 男 〉
十 分に 浸 透 して い た ( 注 9)。 そのこ とは 、「生 血 」 発 表 の 三 、四 年
だ ったのだ 。
と いう 名 も な い一 般 化 さ れ た 男 女 の 普遍 化 さ れ た性 的 体 験 と して 回
16
)と言い、らい
後 に 起 こ る 貞 操 論 争 に お いて 、 処 女 に 関 し て 安 田 皐 月 が 「 人間 の 女
四・一 一 )を 見て も 、
〈 新 し い 女 〉と して のこ う いっ た 嘆き が 窺 え る
ね な い と も 考 え ら れ る 。例え ば 岩 野( 遠 藤 )清 の『 愛 の 争 闘 』
(大正
の 全 般 で あ る べ き 筈 の 懸 換 へ の な い 尊 い 宝 」( 注
だ ろ う 。本 章 の主 旨 と は 異な る が 、
「 生 血 」の フ ェミ ニ ズ ム 批評 も ま
結婚前に処女を失った場合、
〈旧 い 女〉は 純 潔 を 守る べ き と いう 道
て う が 「 婦 人 の中 心生 命で あ る 恋 愛を 成 就 さ せる か 、 さ せな い か、
で あ り 、「 自 己 の所 有で あ るこ の 処 女 を犯 さ う と す る も のが ある 時 、
徳 を 破 り 、 社 会的 非 難 を 恐 れ る が あ ま り 、 こ れ を 嘆 く 。〈 新 し い 女 〉
さ にこ れ だ っ たわ け だ 。
最後まで こ れと戦ふ のは 、自己 の生 活の 権利を 主張 し 、 自我の欲 求
は 旧 道 徳 に は 懐 疑 的 で あ る た め 、 近 代 恋 愛 に お いて の 処 女 喪 失 そ の
て たこ と を 悲 しむ 生 田 花 世 の こ と を 〈 旧 い 女 〉 と み な して いる こ と
考 え は ま ち まち だ が 、こ の中 で 、 生 活 の た め に やむ を 得 ず 処 女 を 捨
れ も 一 応 〈 新 し い 女 〉 で あ り な が ら も 、 処 女 を 捨て る こ と に 関 す る
に 話を 戻 す と 、ゆ う 子 は 、 自 分 が 決 して 性 交 渉 に よ って 蹂 躙さ れ て
れ た女 〉の 処 女 喪 失 の 悲 しみ と 言 え よう 。そ して 、
「 生 血 」の ゆ う 子
て るこ と に よ って 何 か が 損な わ れて しま う のだ 。こ れ が 、
〈一般化さ
非 対 称な 構 図 を 発 見 して 、自 覚 して しまう が ゆ えに 嘆く 。 処女 を 捨
も のに つ いて は 旧 い 女 の よう な 嘆き 方は し な いが 、 そ れで も そこ に
からも 、
「 自 覚 あ る 婦 人 」と して 重 要 な の は 、男 性に 支 配 さ れな い た
は いな い と い う 自 覚 ゆ え 、 処 女 を 失 って 悲 し む 女 と して 一 般 化 さ れ
)と 言 って い るこ と から も 窺 え る 。論 争 の 当 事 者 たち は い ず
め に 、 性 的 な こ と も 含 めて 自分 に 関 す る あ ら ゆ るこ と を 自分で 「 所
て しま う こ と を 拒 絶 し た ので あ る 。
こ の よう な あ り き た り な 〈 蹂 躙す る 男 〉〈蹂 躙 され た 女〉、 も し く
男 たち に そ れ が 許 さ れ た と き 、 男 たち は 達 成 感 を 得 、 女 の 征 服 の 第
て 許さ ず 、 いわ ば お 預 け を食 ら わ せ る期間 を 重 要視す る か らこ そ 、
女 たち が 旧 い 女 と は 別 の 意 味で 簡 単 に 処 女 を 与 え る こ と を 男に 対 し
し かし 、 処 女 が 女 自 身 の 所 有 物 で あ ると いう 意 識が あ り 、 新し い
う 子は 処 女 を 失う のは 構わな か っ た かも し れな い。 お そら く それ は
ゆう子の初体験に 対す る、そして 男に対す る 失望が 表れて いる 。ゆ
男 の征 服 欲 を どこ ま で 汲 み 取 る か は 置 いて お く と して も 、回 想に は 、
いにあ る 。 回 想の中 の安 藝治の「 仕 方が な いぢ やな いか」 の発 言に
凡 な 構 図 は 、 女 の 側 だ け で な く 当 然 男 の 方 も 抱 いて い る 可 能 性 が 大
は 単な る 〈 男 〉 と 〈 蹂 躙 さ れ た と 思 って 悲 し ん で い る 女 〉 と い う 平
一段階が 完 了したと いう 認識を 持ち かね な い。ゆえ に 、 近 代的な 恋
構 わ な か っ た 。 し か し 、 こ ん な 初 体 験 に な る は ずで は な か っ た 。 平
て いる こ と も 、こ れ を 裏 付け て い る 。
の 新し い 女 たち が 「 自 己 の 所 有で あ る処 女 」 の よう な 言 い 回し を し
有す る 」こ と が 肝 心だ っ たよう だ 。 ら いて う だ けで な く 、 他の 多 く
(注
を 尊 重 す る 婦 人 に と つて は な お さ ら 当 然 の 行 為 で な け れ ば な ら ぬ」
( 中略 )婦 人 の全 生 活 を 幸福 に す る か 、し な い かの 重 要 な 第 一 條 件」
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愛 にお いて も 、 性 的 結 合 に よ って 支 配 被 支 配 と いう 構 図 が 生 ま れ か
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11
分 の中 に は 〈蹂 躙さ れ た女〉 と いう 要素が 欠 片も 無 い状 態 に自ら の
で は な い 新 し い女 と し て 自分 を 打 ち たて た 。 し か し 、 ゆ う 子が こ の
凡な〈蹂躙す る男とされる女〉と いう構図に当てはめられるような
ゆ う 子 が 、 安 藝 治 も 自 分 たち 二 人 の 関 係 と ゆ う 子 の こ と を こ の 忌
よ う な 自 分 の 刷 新 を 攻 撃 的 に 、 あ る 意 味 自 虐 的 に 行 っ た と して も 、
手で 持 って い っ た 。 こ う して ゆ う 子 は 、 男 を 知 っ た が 蹂 躙 さ れ た の
避 した い 構 図 に当て は めて い る か も しれ な い、と 考え る 場 面 があ る 。
男がゆう 子の我慢な らな い構図で 自分たち の関 係を 捉えて いたらど
つ ま ら な い 体 験 に な る は ずで は な か っ た の で あ る 。
二章、宿を出た二 人が 炎天下を黙々と歩き 回って いるときに、ゆう
で あって も 、ゆう 子 の 想像す る 安 藝 治は 、こ の 構図 そ のも のの 陳腐
う しよう もな い。ゆう 子 自身はこ んな平凡な 構図から逸 脱した 存在
「自分 に蹂 躙され た女 が震へて ゐる。口もきゝ 得ずにゐる。 さ
な 男で あ る 可 能 性 が 高 い 。 自 分 たち は 近 代 的 な 恋 愛 を して いる の だ
子 が 安 藝 治 の 心の中 を 想 像す る 場 面で あ る 。
う して 炎天 を 引 ず り 廻 さ れて ゐる 。 女 は 何 所 まで 附 いて く る つ
か ら 「 仕 方 が な いぢ や な いか 」 と 女 を 宥 め る つ ま ら な い 男 。こ の 男
の平凡な 認識を覆す には 、男に対 して、ゆう 子は新しい自分と いう
も りだ ら う 。」
だまつて る 人は 其 様こ とを 考へて ゐる のぢ や ないかと ゆう子
ゆう子が 想像する安藝 治の心内で も 、ゆう 子 のことは「女」と 称さ
殺 す に 留 ま って いて は い け な い 。 金 魚殺 し に よ って 新 し い 自分 に な
のためにはゆう子は、自分は〈蹂躙された女〉ではな い、と金魚を
も のを 積 極 的 に 能 動 的 に 打ち 出 して 、ぶ つ け て いく 必 要 が あ る 。 そ
れて いる。ゆう子自身が 、安藝 治の心内で は 自分は「女」という蹂
る た め の 憑 き 物 落 と し は で き たが 、 も っ と 積 極 的で 有 効 な 、外 に 発
は 不意と 思 つ た。
躙 を 嘆 く 女 に さ れ て い る ので は な い かと 想 像 して い る ので あ る 。 そ
散される 新しさをも のにする 必要がゆう 子にはあるので あ る。
ぶ 。 普 遍 化 さ れて し ま っ た〈 蹂 躙 す る 男 〉 と 〈 蹂 躙 さ れ る 女 〉 と い
だ け に は 留 ま らな い 。 突 き 刺 し た ピ ンは 自 分 の 形 代 と して の 金 魚 を
金魚殺しは、
〈 蹂 躙 さ れ た女 〉と いう 構 図 に 当 て は ま る 自分 の 抹 殺
二、ゆう子の官能性
し て そ れ に 対 応す る よう に 、 ゆ う 子 も 安 藝 治 の こ と を 「 だ ま って る
人」と 呼ぶ。
語 り 手は 二 人 のこ と を「 ゆ う 子」
「 安 藝 治 」を 称す 。しか し ゆう 子
は 、そして ゆう子が 想像する安藝 治は、二人のことを固 有名詞を持
う 組み 合わ せ 。先程 ゆう 子は 金 魚を殺すこ と に よって 、 自分に 〈蹂
殺すのみな ら ず、自分 の人差し指までも 傷つけ 、血を 流すことにな
っ た存 在で は な く ただ の 「 男 」「女 」、 ま たは「 だ ま って る 人 」と 呼
躙され た女 〉 と いう レ ッ テル を 貼 ら れるこ と へ の拒 絶 を し めし、 自
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だ。
新 たな 何 も の かを 獲 得 して い か ん と す る の が ゆ う 子 の 〈 喪 失〉 な の
的な負のイメージのも のでは決して なく、む しろそれと引き換えに
契 機と な る 。 処女 〈 喪 失 〉と 言 え ど 、何 か が 損 なわ れ た と いう 否 定
る 。と い う よ りむ し ろ 、 ゆう 子 自 身 が 新 し い 自 分 を 生 み 出 して い く
躙 さ れ た 女 で は な い 〉 と いう だ け で は な い 、 新 し い ゆ う 子 が 誕 生 す
に 処女 喪 失 の 痛み を 伴 う だ け の 自 虐 的な も ので はな い 。こ こ に 、
〈蹂
れ る 、 つ ま り 処女 喪 失 の 儀 式 の 再 現で あ る 。 し かし 、こ の 血は 、 単
っ た 。 突 き 刺 して 〈 蹂 躙 さ れ た 女 〉 が 流す 血 が ゆう 子 の 指 に 再 現 さ
も ので あ っ た 。 し か し 、 安 藝 治 と の 初 体 験 に よ って そ ん な 官 能 性 は
さ らに 男 を 知 る女 と して の官 能 に 進 化す る 契 機 とな ら ね ば な ら な い
本 来 、初 体 験で ゆう 子 か ら 引 き 出 さ れ 、男 か らも ゆ う 子 が 受 け 取 り 、
性のあるものだったからこその「なつかしさ」であり、またそれは
う な 、 そ ん な 甘つ た る さ 」と いう の も 、 自 分 の 身 の 内 の 官 能と 親 和
た。「 自分 の 頬 をひ つ た り とな つ か し い人 の 胸に 押あて て ゐる時 の や
的 にと って は な ら な い。 元か ら ゆ う 子の内 に 官 能性 は た ゆ たって い
こ は 、 男 と の 初 体 験 に よ って 自 然 に 官 能 性 が 女 に 付 与 さ れ たと 受 動
処 女 の 流 し た 血か ら 官 能 性を 吸 い 出 そう と す る かの よう で あ る 。こ
ただけ だ っ た 。だ か ら ゆ う 子 は 失 望 し た 。 そ れ ゆえ 、こ こ で 、 金 魚
引 き 出 さ れ な か っ た 。 あ りき た り の 構図 に あ や う く 当 て は ま り か け
ゆ う 子 は 窓 の 下 の 大 き い 姿 見 の 前に 行 つ て ぴつ た り と 坐 る と 、
殺 しの際に 流させた処女 の血を 自分で 味わ い 尽くすこ とで 、ゆう 子
次 の引 用は 、 金魚殺 し の 直後 の 場 面で あ る 。
傷 つ い た 人 差 指を 口 に 含 んだ 。― ― ぢ り り と 滲 み 出 す や う に涙
処 女喪失 の 儀 式の再 現は 、再 現と いう よりむ しろ 、ゆう 子 自身 の 手
自 ら己 の 官 能 性を 搾 り 出 そう と して いる ので あ る 。 金 魚 殺 しと いう
ゆ う 子 は 袂 を 顔 に あてゝ 泣 い た。 泣 いて も 泣 いて も 悲 し い 。
に よる や り 直 しと な っ たわけで あ る 。
が両の眼をあふれた。
然し自分の頬をひ つたりとなつかしい人の胸に押あてて ゐる
ゆう子は唇を噛みながら、ふと顔を上げて鏡の内を見た。物
の 形 を は つ き りと 映 し た ま ま 鏡 の お もて の 光 り が 揺が ず に ゐる 。
時 のやう な 、 そんな 甘つ たる さが 涙 に薄す りと 色を 着けて なが
れる。
紫紺の膝がくづれて 赤いものが見えてゐた。
ゆ う 子 は 其 れ を 凝 と 見 た 。 そ のち り め ん の 一 と 重 下 のわ が 肌
「 いま 指を 含 んだ と き 、 自分 の 指 に 自分 の 唇 の あ たゝ か さ を 感
じ た、 そ れ が 何故 かう も 悲 し い ので あら う 。」
毛 穴 に 一本 々 々 針 を 突 き さ して 、こ ま か い肉 を 一 と 片づゝ 抉
を思つた。
い 、悲 しむ だ けで な く 、 甘 っ た る さ 、 身 体 的 官 能を 覚 え よう と す る
り だ し て も 、自 分 の 一 度 侵 つ た 汚 れ は 削り と る こ と が で き な い。
ここには 、金魚殺 しと いう名 の処女 喪失に よって 流さ せた血を 味わ
自 分 を 鏡 に 映 し 、 そ れ を 確 認 し て い く ゆ う 子 の 姿が 描 か れ て い る 。
19
――
闘を極めよう とす る過程で目標の一つとする〈霊肉一致〉とは 齟齬
と いう も の が 象 徴 す る の は 、 処 女 か ら 男 を 知 る 女 へ と いう 不可 逆 性
の 官 能 性 の 確 認作 業 の 只 中 に 置 か れ て い る ので ある 。な ら ば 、「 汚 れ 」
そ れ は 取 る に 足 ら な い 感 傷で あ る 。 こ の 「 汚 れ 」 云 々 の 言 葉 は 、 己
解 釈が 殆 ど で あ っ た が 、 そ の よ う な 悲 し み も 皆 無で は な い に せ よ 、
来 は 、 処 女 を 失 って 二 度と元 の 身 体 には 戻 れ な い女 の 悲 し みとす る
分 の一 度侵 つ た汚 れ は 削 りと るこ と がで き な い」と いう 表 現は 、 従
本 々 々 針 を 突 き さ して 、こ ま か い 肉 を 一 と 片 づゝ 抉 り だ して も 、 自
し 、 定 着 さ せ る こ と で 我 が 物 と し て い く 様 子 が 窺 え る 。「 毛 穴 に 一
後 の場面や、
「 生 血 」第 二 章 で の 自分 の 身 体 を 腐 っ たも の と して 弄 ん
分 の身 体 に 浸 透さ せて いく 必 要が あ った 。 そ の 過程 が 、 金 魚殺 し の
た し、 そ れ に よって 獲 得 した「 汚 れ 」を 何 度も 自身で 噛み しめ、 自
っ た処 女 喪 失 を 金 魚 殺 し の形で 再 度 自分 の 手で 行わ ね ば な らな か っ
あ る。だ から 、ゆう 子にとって は 不完全( 行為 として で はな い)だ
体 が 変 貌す る こ と 、 つ ま り革 新 さ れ た身 体 を 得 るこ と が 重 要な ので
りむ しろ 、 それに よって 〈処女〉 から〈男を 知る女〉 へと 自身 の身
う より 、 ゆ う 子 の 身 体 本 体 の 方 だ ろ う 。 処 女 を 捨て る と い う 事 柄 よ
対して ゆう 子の場合、ゆう 子が 所有して いたのは 自身の処女と い
があると して も。
で あり 、 そ の 不可逆 性 にこ そ か え って 、 一 段 階 進化 し た 獰猛な 快 楽
で いく 心 境 に 表れ て い る ので あ る 。
失 を悲 し ま な いと いう こ とだ 。 処 女 を己 の 所 有 物と し 、こ の よう な
こ の条件を 真に満たせば 、旧い女はとも かく 新しい女な らば処女 喪
で あ り 、「も う 別れ な け れ ば」「 男と 離 れて 、 昨 夜 の事 を 唯 一 人し み
の よう に 、 炎 天下 を い つ まで も 男 に つ いて 歩 き 回る ゆ う 子 が い る の
て 対峙 す べ き 男が いな け れば な ら な い。だ か ら こ そ 、
「 生 血」第 二 章
20
こ こ に も 、 男 を 知 っ た 身 体が か も し 出す べ き 官 能性 を 一 つ 一つ 確 認
と 官 能を 自分 が 身 を 持 って 実 感で き ると いう 気 概を ゆ う 子が 所 有 し
子 の ヒ ロ イ ン たち は 、 自 己 完 結 に 留 ま る こ と を よ し と し な い 。 少 な
こ こ に 、 ゆ う 子 の 自 己 完 結 し た 処 女 喪 失 が あ る 。 し か し 、田 村 俊
処女 を捨て るに最も適当な 時とは「恋愛の経験に 於て 、恋人に対
く とも 「 生 血」の段 階で は、 ヒ ロ イ ンゆう 子は 自己 完 結 に 留ま って
た と 想 像で き る ので は な いだ ろ う か 。
する霊的憧憬(愛情)の中から官能的要求を生じ、自己の人格内に
)。 は いら れ な い 。革 新 さ れ た身 体 を 持 つ 自分 が 恋 愛と いう 関 係に お い
処 女 を 捨て る べき 時 に 臨 んだ 新 し い 女に と って 、処 女 喪 失 と いう 出
〴 〵と 考 へ な け れ ば な ら な い 」 と 思 いな が ら も 、や は り 自 己完 結 に
両 者の 一 致 結 合を 真 に 感 じ た 場 合 」と ら いて う は 述 べて い る( 注
来 事に お いて は 、 自己 の 所有で あ っ た処 女 を 捨て たと いう 事柄 そ の
金魚 殺 しと 処女 の 流 し た血を 吸う 姿は 、 結 末 部の ゆ う 子 の妄 想を
は 留 ま れ ず 、 安 藝 治 に つ いて い く の だ 。
た と いう こ と が 大 事 な は ずだ 。 そ れ が 男 ど も が 自由 恋 愛 や 男女 の 争
も のが 重 要 と な る だ ろ う 。 そ れ に よ って 霊 肉 一 致 の 恋 愛 の 成 就 を 見
12
思 い起こ さ せる。
面 を 持ち 合 わ せて い た と 考え る べ き だろ う 。当 初 の 金 魚 殺 しは 、
〈蹂
躙 さ れ た 女 〉 と して の 自 分 は あ り え な い と い う 脱 被 害 者 と して の 表
を殺すと いう 攻撃性を思うままにぶつけ た行為の先に、官 能性と快
「 蝙 蝠が 、浅 黄 繻 子 の男 袴を 穿 いた 娘の生 血を 吸つて る生 血を
男に 手を取られて はつと し た。その時 人 差指の先きに巻いて
楽を覚えるゆう子が いた。自虐的な快楽のように見えるかもしれな
明であ った。しかし金魚殺しは そこ に留まらな かった。自分で 自分
あつた紙がいつの間にか取れて しまつたのに気が付いた。生臭
いが、殺 される金魚と殺す 自分 の両方の快 楽が ゆう 子 の中で融 合し
吸 つて る ― ― 」
い匂いがぷんとした。
に 、男 に 取 ら れた 自分 の 手に 金 魚 を 殺 し た 際 の 出 血 箇 所 に 止血と し
妄 想を ゆ う 子が し た そ の 時 、 ゆ う 子 は 安 藝 治 に 手を 取 ら れ た。 同 時
そ れで あ り な が ら 、 い や それ 故 に な お さ ら 官 能 的で あ る と も 言 え る
現は、一見、蹂躙する男とされる女という搾取の構図を思わせる。
そ して 初 体 験 が 本 来 ゆ う 子 に も た ら す べ き だ っ た官 能 を 、 自分 の 手
に よる 快 楽 を 得 、そこ に 本 来 求 めて い たは ず の 己 の官 能 性 の 萌芽 を 、
自 身が 処 女 を 蹂 躙 す る と いっ た 、 自 身も が 蹂 躙 す る 側 に も 立 つ こ と
躙 さ れ る と い っ た 一 方 通 行な 男 女 の 構図で は な く 、 女 で あ る ゆ う 子
金 魚 殺 し と いう 嗜 虐 的 な 処 女 喪 失 の 儀 式 に 、 男 が 蹂 躙 し 、女 が 蹂
た ので あ る 。
て 巻いて いた紙が いつの間にか取れて しま って いたこ とにゆう 子は
で 引 き 起こ す 。ゆ う 子 の あ る べ き 初 体 験 は 、 金 魚殺 し を も って 完 成
「 蝙蝠が 、浅黄繻子の男 袴を穿 いた娘の生 血を 吸つて る」という 表
気付く。そして「生 臭 い匂い」を 嗅ぐ。
し たと 言 え る ので あ る 。
現 在で も 田 村 俊 子 の テ ク ス ト のな か に 「 フ ェ ミ ニ ズ ム 」 と い う
三、作家田村俊子とヒロイン
「 蝙蝠が 娘の生血を吸って る」ことと、血を 流した自分 の 手を 男が
と ったこ と と 、生 臭い匂 いと か 、こ こで リ ン クする 。 つま り、ゆう
子 が 自 ら 自 分 の 中 か ら 引 き だ し た 官 能 性 が 凝 縮 して い る 処 女 の 血 と
男 の匂 いと が 、処 女 の 血を 流す 自分 の 指と 男 の 手と が 、 ゆ う 子 の 妄
分 が 求 め る べ き 、 手 に 入 れる べ き 官 能を 自覚 し たので あ る 。自分 一
思 想を 読 み 取ろ う と す る とき に 、そこ には ツ メ の 甘さ と いう か、
想と一つにな り、結末 部に至 って ようやく 、ゆう子はは っきりと 自
人で 自足す べきも ので はない、こ の男を 相手とするこ とで 追求す る
一貫性 のな い、や は り 「 情緒 」や 「 官 能 」に 流れて ゆく 別 の 精
神 世界 が 淀 んで い る の を 発見す る 。( 中略 )
こ とがで き るも ので あ る 、と 認 識 し たので あ る 。
となれば、はじめの金魚殺しも 、やはりその行為自体が官能の 側
21
「 官 能( 感 覚 )」的 な 描写 を 武 器 に 、時 代 の 中 で 男 女 の 関 係 を ど
れ て ゆ く 「 旧 い 女 」、こ の 相 反 す る 資 質 を も っ た 〈 女 作 者 〉 が 、
の 世界 か ら 滲 み出 る「 情 緒」
「 官 能 」の世 界 に 無 自覚 な ま ま 流さ
「 思 想 」や 「 自覚 」を 欲す る 「 新 し い女 」と 、江戸 世界 、下 町
自分がなること自体を、ヒロインは 拒否 したい。いわ ば、フェミニ
悩を訴えるが 、そう いう 読みをされなけ れ ばな らな いような存在に
え 難いこ と かもしれな い。フ ェミ ニ ズム 批評 は 女主 人公 の葛藤 や 苦
す る 立 場 に 自 分 も 置 か れ て し ま う こ とす ら 、 ヒ ロ イ ン に と って は 耐
る 〈 新 し い 女 〉が 男 へ の 憎悪 を 募 ら せ た り 内 心 の葛 藤 を して み た り
を 受け る だ ろ う 。 し か し 、 いわ ゆ る 〈 新 し い 女 〉と して 、 自覚 を も
ここにフェミニズム思想を読み取ろ うとしたら、一貫性のない印象
と した 攻 撃 的 な ヒ ロ イ ン を 表 現 して いく 田 村 俊 子と いう 作 家本 人 に
た女の苦悩も 描出 しつつ、対外的にはそうで はなく官 能性を極めん
ヒ ロ イ ン だ け で な く 、こ のよう に 〈 自覚 し た 女 〉と いう 一 般化 さ れ
ズ ム的 読 み を 自分 に 必 要 と さ れ る こ と に 対 す る 拒絶で あ る 。こ れ は 、
う 描いたか(後略 )
)は 言う 。今回取り上げた「生 血」を見ても 、
って 事 態 を 客 観視 し 、 訴 える と いう 立 場 に 女 が 立 た せ ら れ たと 感 じ
も 言え るこ と だろ う 。
と光石亜由美(注
た とき 、 そ れ を 訴 え た と ころ で ど う に か な る も のな の か 。 同時 代 の
)。
し て の 自 覚 が 足 り な い 、 と 同 時 代 に 言わ れ て し ま う 所 以 だ が 、 そ れ
そ れを 対 外 的 に打ち 出 そうと は 決 して しな い 。 それ が 、 新 しい女 と
も しく は 女 が 自覚 して いく 様 子 が 描 かれ も す る 。し か しヒ ロ イン は 、
ま れ た「 生 血」第 二 章 の 本 文 に は 、そ の よう な 自覚 し た 女 の心 情が 、
か らこ そ 、 本 章で 引 用で はあ げ な か っ た 金 魚 殺 しと 結 末 部 の間 に 挟
し た女 」 の 部 分で は 、 鬱 屈し た 思 い やも ど か し さは 確 実 に ある 。だ
子 やヒ ロ イ ン に 無縁 のも のだ と は 思わな い 。 ヒ ロイ ン の 中 の「 自覚
本 章で 以 上 の よう な 読 み を し たも の の、 フ ェ ミ ニ ズ ム 思 想が 田 村 俊
返事と 同時にだが 、――『私は新しい女を売り物に したこと は
と 追 窮 して 置 い た 。す ると 、 それ に 対 して 、 ― ―こ れも 前項 の
アあり ま せ ん かな ど と 愛嬌づ くで 過ぎて しまひ は し ま せ ん か 』
新し い と も 誇 り 、 旧 い と も 媚 び 、 若 しく は ど ツちで も い いぢ や
僕 は 、『あ な た は そ の 場 の 都 合 上 で 、乃ち 、そ の場 の 利 害 上 か ら 、
ら しい生 活 を 真に や れ る 人だ か 、ど う だ か に は 疑ひ が あ る ので 、
え て ゐ る と 云ひ 、 然 し な ほ か の 女 を 婦 人 が 婦 人 の 為 めに 立 つ 新
自身 の 息、 女 自身 の生 命を生 地で 出す だ け の 勇 気と 奮 発 と が 見
俊 子 氏 には 、全く と は 云 へな いま で も 、 可な り女 自 身 の 声 、 女
岩 野 泡 鳴 は 田 村 俊 子 に つ いて こ う 語 って い る ( 注
を し た と こ ろ で 、 ヒ ロ イ ンは 快 感 を 得ら れ な い のだ 。 男 を 、 そ して
あ りま せん 』と 云 ふ や う な 通 知で あ つ た 。 根 底 に 於 て 旧 式を 脱
『 青鞜 』同 人 たち な ら 、も っ と 自 覚 を 持て 、訴 えろ 、と 言うだ ろ う 。
社会を揺るがすこ とがで きるとは、到底 思えな いのだ 。それは ヒロ
し切れな い婦人連が、 無自覚 に若 しくは 見当 違ひ に よく 云つ て
14
イ ンに と って は 意 味 が 無 い。 さ ら に 強いて 言え ば 、 自 覚 し た いわ ゆ
22
13
る 言葉だ 。
来 た『 面 白 い 』と か『 気がき いて ゐる』と か いへば足 りるやうなも
)という文章は、その批判の対象を田村俊子の
いとみな される様子が 見えるが 、俊子の「 私は 新しい女を 売り物に
あろう泡鳴にすら、思想を徹底させたヒロインを描かない俊子が旧
る 俊子 評 価 に 用 い ら れ る「 繊 細な 感 覚」な ど を 使って い る 点や 、
『青
に お いて し ば しば 用 い ら れる 「 無 自 覚 」 と いう 言葉 や 男 性 文 人 に よ
「 生 血 」 で あ る と は 特 定 して は い な いが 、 新 し い女 に よ る 俊 子 批 判
の で あ つ た 」( 注
し たこ と は あ りま せ ん 」 は そ ん な 単 純な 言 葉 で はな い 。 田 村 俊 子 と
鞜 』 の 歴 史 に お いて 、 創 刊当 初が 女 流文 学 者 の 育成 が 主 目 的だ っ た
ここには、
『 青 鞜』同 人だ けで な く 、俊 子 の 理 解 者と な って も い いで
そ の ヒ ロ イ ン は 自 覚 して 、旧 く も な いが だ か ら と い って〈新 し い 女 〉
と 言って も よ いで あ ろ う )作 品で あ る「 生 血 」を 、
『 青 鞜 』初期 の 小
に も 関 わ ら ず 、 客 観 的 に 見て 掲 載 さ れ た 小 説 の 中 に 評 価 で き る 作 品
そ の よ う に 見 ると 、 同 時 代評 も あ な がち 的 外 れ と は 言え な いかも
説 を 集 め た『 青 鞜 小 説 集』
( 大 正 二・二 )に 採 用 しな か っ た と いう 不
と いう や は り 一般 化 さ れ たカ テ ゴ リ ー に よ って も 括 れ な い 特異 的 な
し れな い 。 ゆ う 子 の 行 動 に関 して は 「 感 じ の 強 い女 」「 ヒ ス テリ ー 」
自 然さ か ら も 、思 想を 基 盤に し た 自覚を 求 め る 新し い 女 に よる 俊 子
が 少な い 中 、 特出 して 優 れ た ( お そ らく は 小 説で は 最 も 優 れて い る
と しか 表 現 さ れな か っ たも の の 、「 女 史が 何が な し変 つ た 所 を覘 つて
へ の嫌 悪 感が 想像で き る 。
存 在に な ろ う と し 、 自 ら を 打ち 出 して い っ た ので あ る 。
人とは別なゆき方をして 見よう 〳〵として ゐる心持ちで 、この作な
『 青鞜 』と いう 雑 誌 に 発 表しな が ら 、観念 的な 新し い女 たち に 自分
が 括ら れ る こ とで 思 想 と して 回 収 さ れ る こ と へ の 拒 絶 感 を 表 明 す る 。
)と いう「 生
血」の 印 象 は 、
『 青鞜 』の 創刊 号 に 掲 載さ れ な が らも 、
『 青 鞜』や〈 新
平 凡な 女で あ ろ う と たと え 新 し い 女で あ ろ う と 、レ ッ テル を 貼ら れ 、
ぞ も 畢 竟 は そ こ か ら 生 れ 来 た も のゝ 一 つ だ ら う 」
(注
し い女 〉 に 括 られて 回 収 されて し ま うこ と を 拒 絶す る 俊 子 と ヒ ロ イ
そういうも のとして 消化されることを嫌悪す る。それが 絶えず田村
ゆ えに 、 ヒ ロ インが 官 能 の世界 を 追 い求 め る のも戦 略 的 と 言え る
ンの意気を、漠然とで はあるが 感じ取って いたと言えよう 。
ら れな い『 青 鞜 』同人 の 様子 は 、
『 青 鞜 』三周 年 記念 号 の ら いて う の
も ので あ る 。 ま た は 、 官 能は 武 器 と 言え よ う 。 先程 触 れ た 光 石 論 文
俊子を、逸脱し何ものにも回収されない己の文学へ、己の芸術へと
回顧文に見られる。
『 青 鞜』創 刊 か ら は じ め の 何 号 か に 掲 載 され た 作
の 引 用 に あ る 「「 情 緒」「 官 能 」 の 世 界 に 無 自 覚 な ま ま 流 さ れて ゆ く
「 生 血 」 に 込 めら れ た 俊 子の意 図 を どこ ま で 汲 み 取 れて い たか は 疑
品 の 多 く は 「 只 多 少 の 文 才が あ る と いふ に 過 ぎ な い 、 無 自 覚な 無 智
「 旧い 女 」」だ からで は な い。そ れで は 官 能 性も ただ の 、自分 の 置 か
駆り立て る。
な 婦 人 の 、 婦 人生 来 の 繊 細な 感 覚 や 、 感 傷 的 な 性情 や 、 器 用 か ら 出
23
16
問 だ が 、 そ れ で も 俊 子 の こ の 逸 脱 の 志向 を 〈 新 し い 女 〉 と して 認 め
15
を 男へと ぶ つ け 、 さ ら に は 男 を 揺るがす も ので あら ね ばな らな い の
しむ 女 〉 と して た か を く く って い た 女 か ら 己 が 逸 脱 し た と いう 事 態
官 能と いう 武 器だ っ た ので あ る 。こ の武 器 は 、 男が 〈 蹂 躙 されて 悲
を 与え ら れ る 武 器 を 持ち た い と 願 う 。そこ で 自 覚 して 手 に し たの が 、
が な い 。 俊 子 は 実 効 力 を 持ち 、 そ れ を 向 け る 相 手に 確 実 に ダメ ー ジ
武 器に は な ら な い 。 効 力 を 発 揮で き な け れ ば 、 俊子 に と って は 意 味
の 協 調で も な く 、 官 能と いう 攻 撃 性で あ る 。 思 想は 俊 子 に と って は
ね ばな ら な い。ゆう 子 の 官 能 性 へ の 欲望は 、 官 能へ の 逃 げ で も 男 と
金 魚と 同 じ こ と に な る 。 ゆう 子 の 官 能は 、 も っ と 危 険 な も ので あ ら
と はな り 得な い。 そ ん な 女で あ って は 、 や は り 、愛 玩動 物 と して の
も のや 、 侮 蔑 の対 象 に は な って も 、 男を 揺 る が す も の 、 脅 かす も の
も 旧く あ って も いけ な い のだ 。 旧 い 女 の 官 能で は 、 男 に 都 合の い い
く 逃げ に し か な ら な い。 決 して ヒ ロ イン の 官 能 は 、 無 自 覚で あ って
れ た不 本 意 な 〈蹂 躙 さ れ た女 〉 と いう 事 態 か ら 眼 を 背 け 、 自分 を 欺
な い。 そ ん な 女で あ る こ と を 自 ら に 課 し 、 一 歩 抜き ん 出 た 、既 成 の
繰 り 返 し 強 調 して お く 。 ヒ ロ イ ン は 自 然 に そ ん な 女 に な っ た ので は
血」を は じめと す る 俊 子 の 男女 の 争 闘 物 の ヒ ロ イ ンと 言 え る だろ う 。
攻 撃的 に 突 き 進み 、実 際 に 男 や 社 会 を 脅 か して いく ヒ ロ イ ンが 、
「生
と いう 範 疇 を は る か に 超 え た 官 能 的 欲望 を 自 分 に 思 い 描 き 、 そ れ に
獲 得 し た も の が 、 官 能 と いう 武 器 な ので あ る 。 単な る 「 女 ら し さ 」
ん な 、 お そ ら く は 思 想 を 武 器 に して は 叶 わ な いこ と を 志 向 して 自 ら
の悪い既成概念と いったものを脅かし、揺るが し、覆して ゆく。そ
ム (こ れ な ら 思 想で も 対 処で き る ) と いう よ り も っ と 根 源 的で たち
社会を脅かす。父権制だとか夫権制だとかいった目に見えるシステ
かと思わ れるほど のも のだ。 それは 最終的には 、明 治の男性中 心の
え ら れ る 男 は いな い ので はな い か 、 男に は 手 に おえ な い ので は な い
な い。も っと 暴力 的 な 力 を持 っ たも のだ ろ う 。 お そら く 、 それ に 応
と 言って し ま え る 程 、 ヒ ロ イ ン の 官 能性や 欲 望 は生 易 し いも ので は
「 男性の欲望や快 楽と 共合した」とあるが 、お そらく 男性との共合
解放されて いるわ けで はないこ と を 自覚 して いるからこ そ 、それか
村 俊子 及 び そ のヒ ロ イ ン に 働 いて いる。既 成 概 念か ら 完 全 に 自 由 に
何 も の か ら も は み 出 し た 存 在 で あ ら ね ば な ら な いと いう 意 志が 、 田
である。
光 石 氏 は さ ら に 、 田 村 俊 子 の 「 女 作 者 」 と して の 表 現 に つ いて 次
の よう に 述 べて い る 。
〈 女 ら し い 〉 の 「 感 覚 」 や 「 官 能 」 の 鋭 さ を 追 求 し た 表 現で あ
ら の逸 脱を 対 外的に 見 せ つけ る 自分で あ ろ う と す る 。 そ の ために 官
ママ
り、同時に男性の欲望や快楽と 共合した「感覚」のな かで 〈書
能という 強力な武器を手にしたのだ。
も っと も 露 に な る 。 そ れ を 描 いて いる の が 田 村 俊子 文 学 と 言え る だ
こ の よう な ヒ ロ イ ン の 意 志と 欲 望 は 特に 、 男 女 の対 関 係 に お いて
く 〉こ とで 、 彼女 の 「 技 巧」 や 「 堕 落」 と 「 官 能」 の 様 式 の限
界が際ど いところで バラ ンスを保つとき、そこ に田村俊子独自
の 〈女 作 者 〉 の 表 現 の 様 式が あ る と 思わ れ る 。
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欲 望が 究 極 に まで 行 き 着 いた のが 、 後 の 「 炮 烙 の刑 」 と いう 作 品だ
ろう。こ の攻撃的な 官 能という 欲望、も しくは官能的な 攻撃と いう
田 村 俊 子 の「 生 血 」に 即 して 」脇田 晴 子 、 S.B.
ハ ンレ ー 編『 ジ
ェ ン ダ ー の 日 本 史 ( 下 )』 東 京 大 学 出 版会 、 一 九 九 五
( 5)黒澤亜里子「近代日本文学におけ る《両性の相剋》問題――
(6)注 1に同じ。
ろ う(「 炮 烙 の 刑 」に つ いて は 第 Ⅰ 部 第三 章 にて 詳 し く 論 じ る )。
「生
血」には 他の男女の争闘を扱った作品のような 〈男女両性の相剋〉
)一九 九 六 ・二な ど 。
( 7)鈴木 正和「 彷 徨す る〈 愛〉 の 行方― ― 田 村俊 子『 生 血』を 読
む ―― 」『 近 代 文学 研 究』(
は 出て こ な い 。ま だ そ の 段 階で は な い 。 ゆ う 子 は 男 女 の 恋 愛 に 対 し
て ま だ 絶 望 は して お ら ず 、 希 望 を 持 って い る 、 む し ろ こ の 先の 自 分
( 8)長 谷 川 啓「〈 新し い 女〉の 探 求 ―― 附 録「 ノラ 」
「 マ グ ダ」
「新
し い 女 、 其 他 婦 人問 題 に 就て 」」、 新 ・ フェ ミ ニ ズ ム批 評 の 会
たち の 発 展 に ヒロ イ ンが 主 体 的 、自 覚 的に 期 待 を 抱く 作 品と いえ る 。
その意味では、
「 生 血 」を 男女 の 相 剋 物 の 一 群 に 入れ る こ と には 躊 躇
性と 愛をめぐ
編 『『 青 鞜』 を 読む 』 学 芸 書林 、 一 九 九 八 ・ 一 一
( 9) 折 井 美 耶子に よる 解題 、 折 井 美耶子 編『 資料
い を覚 え な いで も な い 。し か し、
「 生 血」の ヒ ロ インが あ っ たれ ばこ
そ 、こ の ヒ ロ イン の 望 む 男女 関 係 が 得ら れ な か っ た 先 の 男 女 の 争 闘
)一九九六・一二
) 光 石 亜 由 美 「〈 女 作 者 〉 が 性 を 描 く と き ― ― 田 村 俊 子 の 場 合
四 )で 理 想 論 だ と 言 って いる 。
― 野 枝さ ん に 与 へて 傍 ら バ 華山 を 罵 る」(『 新 公 論 』大 正 四 ・
)注
に 同 じ 。大 杉 栄 は こ れ に つ いて「 処 女 と 貞 操 と 羞 恥 と ―
)ら いて う 「 処 女 の 価 値」『 新公 論 』大 正 四 ・三
操 と 」 を 読 んで 」『 青鞜 』 大 正 三 ・ 一 二
)安田 皐 月「 生き る 事 と 貞 操 と ― ―反 響 九 月 号「食 べ る 事と 貞
る論争』ドメス出 版、一九九一・一〇
(
(
(
(
― ― 」『 名 古 屋 近代 文 学 研 究 』(
)岩 野 泡 鳴「ま だ 野 暮 臭い田 村 女 史」
『 中 央 公 論』田 村 俊 子論 、
大 正三 ・ 八
)注 4 に 同 じ。
25
13
が あ る 。そ の よう に 考 え たと き 、
「 生 血」は 相 剋 物 の 頂 点「 炮 烙 の 刑 」
へとつながる第一歩で あり、そこ への道程の入り口に立つヒロイン
近代』おうふう、一九八七・四
11
の 自覚 的 な 目 覚 めを 書 い たのが 「 生 血」と いう 作品で あ り 、そ して
そ れが 集 約 さ れ た の が 金 魚殺 し だ っ たと 言 え る ので あ る 。
注
女性文学
(
(
14
(1)長谷川啓に よる「生血」作品鑑賞、今井泰子 、藪禎子、渡辺
澄子編『短編
( 2 ) 白 石 実 三 「 雑 誌 月 報 」『 文 章 世 界 』 明 治 四 四 ・ 一 〇
( 3 ) 無 署 名 「 九 月 の 小 説と 劇 」『 三 田 文 学 』 明 治四 四 ・ 一 〇
( 4 ) 月 旦 子 「九 月 の 文 藝( 九 )」『 時事 新 報 』 明 治 四 四 ・ 九 ・ 一 三
10
12 11
13
14
15
(
)ら いて う「 最 近 の 感 想・第 三 週 年 に 際 し て 」
『 青 鞜 』大 正 三 ・
九
「 生 血 」 の 引 用は 、『田 村 俊子 作 品 集 第1 巻 』( オ リ ジ ン 出 版 セン タ
ー、一九八七 ・一二・一〇)に拠る。その他の引用は 初出に拠る。
26
16
第二章
「魔」論――争闘への志向――
う 系譜 に お いて 捉 え る の な ら ば 、 女 主 人 公 が 男 女 の 争 闘 と いう テ ー
マが自分の中に生じたことを自覚し、争闘への道の起点に立った経
緯 を 描 い た に 過ぎ な い 。 そこ か ら 田 村 俊 子 は 作 品と して ど の よ う に
テーマの追求を実践す るための一歩を踏み出したか。
それ を 見る ために 適当な作品と して 、
「魔」
(『 早 稲 田 文 学 』明 治 四
五・二 )に 注 目して も よ いので は な いか と 思 わ れる 。従 来 、
〈両性の
相剋〉 モノのうち の一つとして 「魔」と いう 作品の名が 挙げられ、
ま る段 階で あ り、 そ れ が 恋 愛 、 男 女 関 係 の 相 手で あ る 男 に 向 って 発
の作品と言えなくもな いが、
「生 血 」は 女 主 人 公 の内 心で のこ と に 留
第 Ⅰ 部 第 一 章で 論 じ た 「 生 血 」(『 青 鞜』 明 治 四 四 ・ 九 ) は こ の 系 列
をどう 始めたか。つまり、男女の争闘をど の ように 描き 始めたか。
そ れで は 田 村 俊 子 は 作 家 と して 、 田 村 俊 子 色 の 〈 両 性 の 相 剋 〉 モ ノ
代、文壇のニーズに合致したと いうことの表れとも推察されよう。
して 最 盛 期を 迎え るこ と にな る 。 それは 、田 村 俊子 の 書くものが 時
化 され る 明 治 末と いう 時 代状 況 ・ 文 学状 況 の 中 、田 村 俊 子 は 作 家 と
も 盛り上が りを迎え 、
〈 自 由恋 愛 〉が 最 大 の テー マ の 一 つ と して 作 品
作 も や は り そ れで あ る と して 、 自 然 主 義 が 様 々 な 様 相 を 見 せな が ら
〈 男女 両 性 の 相剋〉 モノであ るこ と は間 違 いな い。田 村 俊 子の 代 表
田村俊子の最盛期の文学が男女の争闘をテーマとしたいわゆる
追うと 、 ただ 、文学 者で ある女主 人公のも と に恋文と 言っても 差し
いうところまで 実際的な事件が 起きるわけで もない。あらすじだけ
が 年 若 い 青 年 と恋 愛 関 係 に 陥 り 、 殺 伐と し た 夫 婦 の 危 機 を 迎え る と
もないし、
「炮烙の刑」
(『 中 央 公 論 』大 正三・四 )の よ う に 女 主 人 公
夫 と の 精 神 的 にお 互 い を 追 い 詰 め る せめぎ あ いが 見て 取 れ るわ け で
身を立て る女主人公と元文学者としては 不甲斐な い有様で あるその
一 )や 「 木 乃 伊の 口 紅 」(『 中 央 公 論 』 大正 二 ・ 四 )ほ ど 作 家と して
の 度を 越 し た 争いを して みせ るで も なく 、
「女作者」
(『 新 潮 』大 正二・
四 五 ・ 五 ) の よう な 激 し い 言 葉 で の 詰り 合 い や 身 体 を 打ち 嬲 る ほ ど
し い。 確 か に 「 魔 」 は 、 その 後 に 発 表さ れ た 「 誓言 」(『 新 潮』 明 治
田 村俊 子 研 究 者にも 「 魔 」を 真 正 面 から 論 じ たもの は 殆 ど な いに 等
小 説 の 代 表 作 と して も 採 録さ れて い る 。し かし 、そ れ に も 関 わ ら ず 、
文学全集』
( ゆ まに 書 房 )の 明 治 四 五 年 / 大 正 元 年 の 巻 に も こ の 年 の
はじめに
さ れな い 以 上 、そこ に 実 体と して の 争闘 は ま だ 存在 しな い。「 生 血」
支えな い手紙が若 い青年 から 届き 、 それに惑乱 され 、 その 手紙を 夫
田 村俊 子 の 代 表作と して 作品 集 に も 採ら れて お り、 近 年で は『 大 正
は そ の 作 品 と して の 価 値 と い う 点で は な く 〈 両 性 の 相 剋 〉 モノ と い
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完 結で し めて しま う こ と から 脱 却 して 、 女 が そ れ を 男 に ど の よ う な
の内心を読者にだ け開示するので はなく、つまり、女主人公の自己
ま た 、 女 主 人 公 の そ の 行 為 に 反 応 を 見 せ る 男 の 姿 の 描写 も あ る 。 女
で にな って お り、 青年 か らの 手紙 の 内容が フ ァ ンレ ター の 域を 超 え
こ した ので あろ う 青 年 と 一ヶ 月 ほ ど 前か ら 手 紙 のや り 取 り をす る ま
る 女主 人 公 鴇 子が 、 お そ らく は 最 初 は フ ァ ン レ ター 程 度 の も の を 寄
「 魔」は 短 編なが ら 三 部 構成 をと って お り 、第 一章で は 家に一 人 い
鴇 子 と いふ 女 流 文 学 者 に 、あ る 青 年 か ら 熱 烈 な 恋 の 手 紙 が く る 、
形 、内 容で 露 にす る か と いう 段 階 へ と 踏 み 込 む のが 「 魔 」 と いう 作
て 恋文と 称せるも のにな ったこ とを煩わ しく 嫌味に 、 不快に思 いつ
に 戯れ に 見 せ たせ いで 夫が 不機 嫌 にな り 、ち ょ っと し た 衝突が 起き
品 から 始 ま る とも 言 え る のだ 。な ら ば 、
「 魔 」に は 、作 家 と して の 田
つ も 、次 第 に 悩乱 さ れて いく 有 様 を 描いて いる 。し か し 、こ んな 気
中 年 に な つ て ゐて も 、 浮 気 の 虫 の を さ ま ら な い 鴇 子 は 段 々 そ れ
村 俊子 の テー マ追 求 の 方 向性 の 確 立 過程 が 見 ら れ よう し 、田村 俊 子
分 の 自 分 の ま まで 帰 宅 し た夫 と 顔 を 合わ せ たく な い と 、 気分 転 換 が
るという程 度の、些細な夫婦の諍いの一コマを 描いたに過ぎな い。
文 学の エ ッ セ ンス の 迸 り も 見 つ け ら れ よう 。 本 章で は 、こ の「 魔 」
て ら 呼 ば れ て い た 友 人 の 家を 訪 れ るこ と に す る 。「 魔 」 第 二 章で は 、
に 動 か さ れ 、何 気な く 夫 に 手紙 を 見 せ る 、夫 は い や な 顔 を す る 、
と いう 作 品 に つ いて 、で き る だ け 細 かく 読 み 解 くこ と で 、 女 主 人 公
友 人宅で の女 友達 たち と の語 ら いが 描かれて いる。 そして 第三 章で
し かし「 魔 」には 、事 件 の規 模 が ど う の と 言う 前に 、
「生 血 」で は 見
が 争闘 に 向 って いく 過程 をつ ぶ さ に 確 認 して いくと と も に 、女 主 人
は 、鴇 子 は 帰 宅して 夫 と 顔を 合わ せ 、初 めは 打ち 解け た 雰 囲 気だ っ
鴇 子は 側で 種 々皮 肉 な 観 察をす る 、と 云ふ ので ある 。
公 ひ い て は 田 村 俊 子 に と って 男 女 の 争 闘 と は 何 だ っ た の か 、 そ し て
たものが、戯れに青年からの手紙を夫に見せたことから、ぎずぎず
ら れな か っ た、女 主 人公 が 男に 対 して 表立 って ぶ つけ る 言 動 があ り 、
それは当 時ど のような 意 味を 持ったのかを 考察する ための土台を 作
し た空 気 に な り、 衝 突 に 至る 、 と い った筋で あ る 。
思ひ を 漂は せ ずには ゐら れな い文 学好きな 青年 が 見え るだ けで 、 そ
始めた頃は、
「 鴇 子 に は た ゞ 、僅 な 手 紙 一 本 に も 何 か し ら や る 瀬 な い
田 村 俊 子 文 学 の 特 徴 と も 言え る だ ろ う 。 青 年 が 熱烈 な 手 紙 を 寄こ し
自 然に 芽 生 えて い っ たわ けで は な いとこ ろ が 、こ の 作 品 、ひ いて は
れ 育って いく かが 描かれて いるが 、この浮 気心 自体が 、鴇 子の中 に
「 魔 」 第 一 章で は 、 鴇 子 の 青 年 に 対す る 浮 気 心が ど の よ う に 生 ま
りたい。
一、女主人公と青年――「浮気な血」
同時 代 評 、み わ 生「 二 月 の 小 説(月 旦 )」
( 注 1)を 借 り ると 、
「魔」
の あ ら す じ は 簡 潔 に ま と める と 次 の よう な も の で あ る 。
28
鴇 子は 強ひ て も 若 い 男 の 甘え たひ ゞ き を ふ るひ 上げ や う と し た り し
え を 表 現 し た 言葉 を 見て は 、「 手 紙 の 中 に あ る 然う 云ふ 言 葉 の中 か ら 、
やうな 心 持」にな る。青年の手紙の中の、鴇子に対す る恋ゆえの悶
書 く 際 は そ の 「 若 い 男 の 様 子 を 想 像 して 、 そ の 人に き めて 了つ て る
の 青年 か も し れな い と 思 い当 た って から と いう も の 、 青 年 に 手 紙 を
のが、あ る時 、停留 所で 若い男に笑 いかけ ら れて 、後で それが 手紙
年 の容姿を全くイメー ジでき ず、リ アルに 感じられて いな かったも
を 貰 い 始 め た こ ろ は 鴇 子 は 「 狭 山 春 作 」 と い う 青 年 の 名 を 見て も 青
関 係は 手 紙 を やり 取 りす る仲 へと 発 展して しま った ので あ る。 手 紙
青年は 手紙を 頻繁に 寄こすよう にな ったので あ り、す っかり二 人の
乱すような 返 事を出して いる 。だ か らこ そ、ますます 調子に乗って
のやう に 」青年の思 いをわざとら しく嫌味にかわしつつも 心をかき
の 証 拠 に 、鴇 子は 青 年 に 空 々 し さ を 感 じ つ つ も 、
「矢つ張りいたづら
体 が 技 巧 的 な ので あ り 、 し か も そ れ は 確 信 的 な も の な ので あ る 。 そ
が 、 そ れ は 何 も 作 家 だ け に留 ま る も ので は な い 。 作 中 の 女 主 人 公 自
同時代からしばしば良 い意味で も悪 い意味で も技巧的と評価された
る のは 男で は な く 女 主 人 公で な け れ ばな ら な い 。田 村 俊 子 の文 学 は
だ ったと いう 方が 適切かもしれな い。相手の心を落とす 技を行使す
酔を見せ付けるかのような情熱のぶつけ方に反 応して みせるのが 癪
惑 乱 さ れ る ほ ど 安 い 女 で はな い 。 と いう よ り む しろ 、 青 年 の 自 己 陶
と って い る の で あ る 。 簡 単 に 「 情 緒 の 燃 え つ く やう な 」 年 若 い 男 に
の 他は 何 事 も そら / \ し かつ た 」 と いう 「 相 手 にな ら な い 態 度 」 を
の 戯れで あ っ た。
の事態でありながらも、鴇子が享受するのは全て自己完結した感情
的なコ ミ ュ ニ ケー シ ョンに起因す る べき 感情 の 交錯な りが あるは ず
基 本 的 に は 鴇 子の 作 為 で あ り 、 青 年 と の 文 通 と いう 、 本 来 は 双 方 向
めな い ので あ る 。青 年 と のこ と に 関 して は 、
「 魔」第 一 章 の 段 階で は
合によって はこれ 見 よが しに して み せる よう な 「嫌 味」なこと は 認
に 鴇 子 の 反 応 まで も 引 き 出 そう と 意 図 し た 反 応 を 青 年 が 殊 更に 、 場
せ るこ と は 歓 迎 して も 、 そこ か ら 進 んで 、 青 年 の反 応 に よ って さ ら
年 が 反 応す る こ と 、 つ ま り 、 鴇 子 の 思 惑 に 沿 う 形で 青 年 が 反 応 を 見
係 性を 求 め る まで に な る と 、 鴇 子 は それ を 許 さ な い 。 度 を 越 して 青
増 し た と いう 程 度 を 超 え 、や っ か いな 事 態 に な りか ね な い よう な 関
の関係を勘違 いし、ただ の女 流文学者と そのファンが 少し親密 度を
浮 気と いう 現 実的 な 事 態 その も ので はな い 。だ から 、 青 年 が 自分 と
み たい のは 自分 自身 の中 の浮 気心と それが 醸 しだす 情 緒で あって 、
次 第の 戯れ に 過ぎな いのだと いう 立 場は 確 保 して お く 。鴇 子が 楽し
いう 有様だ 。 青年 の心を弄ぶ感覚を楽しみつつ、それは 自分の気分
る と 水 つ ぽ い 嫌 味 の 流 れ て ゐ る こ と が 鴇 子 に は 見え 透 か さ れ た 」 と
と 、鴇 子 は 嫌 味で 仕 方 が な く な 」り、
「 青年 の 手 紙 の 中 に は 何う かす
に乗つて まつはり付くやうなこ とを云つて よこすやうなこ とがある
のくせ、 そんな鴇 子が 青年にや っ た手紙に 青年が応じて 「 直ぐ それ
育 み 、 己 を 浮 気心が も た らす 情 緒 へ と 駆 り 立 て て い く ので あ る 。 そ
た 」。こ う や って 鴇 子 は 自 分 自 身 で 強 いて 自 分 の 中 の 浮 気 心 を 大 き く
29
る な ら ば 、夫 は 未だ 鴇 子 の 心を 知 ら ぬ も ので あ ら う 。俊 子 の 技 巧は 、
と で あ る 。」「 若し 春 作 に して 、 単 に 弄ば れ た と ば か り 思 つ て 憤 慨 す
も のな ら ば。)を 、も つ と も 著 し く 示 して ゐ る の は 、
「 誓言 」と「 魔」
と して ゐ る 。 此 技 巧 的 人 生 観 、 お 芝 居的 人 生 観 ( と い ふ 事 が 云 へ る
( 引 用 者 注 ・田 村 俊 子 のこと ) の 生 活は 動 も す れば 人 生 と 遊 離 せ ん
文 字が 躍る 事 態と な って は、 鴇 子 も 度を 超 え 、 わ き ま え な い青年 の
は 自分 で あ る に も 関 わ ら ずで あ る 。 し か し 、 い よ い よ 「 恋 」 と い う
う な当 惑 し た 気持 に も な つ た 」。そも そも 青 年 をここ まで 誘 惑 し た の
子はかう 思ひ 詰めると退つ引きな らない瀬戸 際へ押 し せまられ たや
「 こ ん な 事 を 云 つ て よこ して 、 何 う して く れ と 云ふ の だ ら う ― ― 鴇
それを見ても鴇子は「まづい手紙の書き かた」だと冷たく批評し、
中 には と う と う「 恋 」と いう 文 字 が 散 りば め ら れ ると こ ろ まで 来 た 。
俊 子の 自 然で ある 。 技 巧 の為 の 技 巧で は な く 、生の 要 求 に 根ざ し た
ことを嘲り「 嫌味」に思うばかりで はな い。
同 時 代 、例 え ば 青 頭 巾「 俊子 の『 誓 言 』」
( 注 2 )に お いて 、
「彼女
真 剣の 技 巧で あ る 。
( 中 略 )彼 女 の 生 活に は ま こ と の 嘘 、即 ち 技 巧 と
の は 、 い さ さ か 能 天 気で かつ 好 意 的で あ りす ぎ ると 言 え る かも し れ
要求に 根ざ し た真 剣の技 巧」
「 真 剣と 技 巧 の け じ めが な い 」と 捉 え る
と いう 文 字 の 効果 で あ ろ う 。 青 年 の 熱烈 な 思 い に対 して は 空々 し さ
し 今回 の 手 紙で は 鴇 子 は「 恋 」に「 拘 泥」す る ので あ る 。こ れは「 恋 」
青 年 の 期 待 通 りに 擽 ら れ たこ と に 「 小 憎 い 気 」 も し な が ら も 、 し か
けれどまた、まだ /\強い男の息の力に騒ぎ立つて 見 たいと願
な い 。 俊 子 の 技 巧 は 、 お そ ら く は そ れ ほ ど 無 邪 気で 本 能 的 な も の で
を 感じ た鴇 子で あ っ た し 、稚 拙な 「 まづ い」 書き方 し かで きな いく
真 剣と の け じ めが 無 い。」と 評 さ れ た よう に 、俊 子や 鴇 子 の 技 巧 的 態
はない。
「 生 の 要求 に 根 ざ 」す よ う な 本 質 的 で 訴 え か け る も ので は な
せ に憚 るこ と なく 陶 酔 し た己 を 鴇 子 に 見 せ 付けて 鴇 子が 応 じるこ と
つて ゐる 浮 気な 血で は りきつて る 部分を 、 巧み に探 さ れて その
く 、 よ り あ く どく 、 姑 息とも いえ る 代物で あ ろ う 。 少 な く とも 俊 子
を 暗 に ね だ る よう な や り 方 に は 苛 立 ち を 感 じ る が 、 そ う い っ た 青 年
度 を 好 評 価 す る 論 者 も あ った 。 技 巧 的で あ る こ と を 俊 子 の 有効 で 意
の繰り出す 技 巧そのものは、男性作家たちが 〈男女の争闘〉に己を
の思いとは切 り離して 青年が 散りば めた「恋」という 文字を見つ め
上 を 軽 く 押 して さ わ ら れ たや う な 小 憎 い 気も さ れ た 。
賭 けて 追 究 し よう と そ れ こ そ 真 剣 に 奮闘 し な が ら 目 指 して いた 本 質
た とき 、 そ の 文字 か ら 想 起さ れ る 情 緒的 空 間 と 感情 の 蠢き には 、 鴇
味 あ る 武 器 と して 評 価 す る の は い い と して 、 し か し 、 そ れ が 「 生 の
で あると か生 の真髄、人生の深 淵などと いったものを嘲弄し、無化
子 の欲 望 を 捉 えて 離 さ な い引 力 が あ った ので あ る 。
り を 見て き た と き 、 果 た して 、 こ の 「 浮 気 な 血 」 に 鴇 子 が 騒 ぎ 立 て
しかし、こ のよう に鴇子の心情の一見気まぐれのような移り変わ
し かね な い よ う な 意 図 の 下 に 仕 掛 け ら れ た も の で あ る と 言 って よ い 。
し かし 、こ れ につ いて は ま た 後 述す るこ と と し よう 。
そんな 時 、 青年 から ま た手紙が 来 た。夫は 外 出中 。 青年 の手紙 の
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ら こ そ 、「 魔 」 第 一 章 の 終 わ りで 鴇 子 は 、「 温 い も のに そろ / \と 胸
そ んな 自分 の 意図 を 自 覚 し た 故 と も 考え ら れ る かも し れ な い。だ か
意 図 して 起こ し た 結 果 と も 言 え る ので あ る 。 そ して 先 程 の 動 揺 は 、
製 のは づ み 玉 のや う に 軽 くは づ み 始 めた 」 高 揚 感は 、 寝 た 子を 自 ら
為をどこまで も弄する女だ。その挙句のこの「浮気な 血」で「ゴム
こ れは あ る 意 味、鴇 子 の 目 論 見 通 りで も あ る ので あ る 。 技 巧を 、 作
欲 望を 完 全 に 自覚 し た 上で や って い たわ け で は な いだ ろ う 。し か し、
自分にも たらしたこ と へのたじろ ぎではな かろうか。鴇子は自分 の
ば 意 図 して や って き た こ とで は あ る が 、 そ れ が 思 っ た 以 上 の 効 果 を
な か っ た 事 態 にな っ たこ と に 動 揺 して い る と いう よ り も む しろ 、 半
胸 の 落 ち 着 き やう の な い 感 じ が し た 」と あ る が 、 そ れ は 思 って も み
し くな つ た」「 わ ざ と 笑 っ た」「 無暗 と を か し い に して 終 は な け れ ば
言 え る だ ろ う か 。 青 年 の 手紙 に 拘 泥 して い る よ う な 自 分 を 「 気 恥 か
ついた心で 青年の心を翻弄して 一時的に 戯れたに過ぎな いものだと
る こ と は あ く まで 許 さ な いと いう 前提 を 保て る 程 度 に ほ ん の少 し 浮
の事態で あると言えるだろう か 。鴇子の引 い た線を青年が 踏み 越え
る こ と と な っ たこ の 事 態 は 、 偶 発 的 な 、 つ ま り 鴇 子 に と って 想 定 外
それを鴇子が 自覚す る のは、もう 少 し後 にな って からで あ る。
う 。 そ れで は 、こ の 「 浮 気な 血 」 は 何の た め に 引 き 出 さ れ たの か 、
係 な も の と し 、 夫 と 暮 ら す 家 と は 切 り 離 す た め のリ セ ッ ト で も あ ろ
完 結的 に 自分だけが 纏う も の 、 つ ま り青年 と も ま して や 夫 とも 無関
度に収 め よう として のも のだ っ たのだ。
「 恋 」の 空 気 を あ く まで 自 己
まで をも 自覚するこ と は 一旦 封印 して 、 元の 軽 い浮 気 め い た戯れ程
も ので あ っ た と 自 覚 し たこ と 、 そ して し か し そ の 目 論 見 の 真の 目 的
ろ、
「 浮 気な 血」を 自分 の 中 に 蘇 ら せ たこ と す ら も 実は 己 が 目論 ん だ
何らかの感情をリ セットする た めの行動 とす るならば、こ れはむ し
ので あ る 。恋 に惑 乱す る 空気が 漂う 家を 出 、友 人宅 を訪 れ るこ と が
を 打ち 払 い 、 綺 麗 さ っ ぱ りと リ フ レ ッ シ ュ す る 気な ど さ ら さ ら な い
増 長さ せ る ようなこ と をする 。 鴇 子 は「 浮 気な 血」 に 悩 乱す る 気分
の よう に 華 美で 艶 や か な 薔薇 の 香 り を 体 中 で 纏 い、 恋 に 浮 つく 心 を
性 を 浸 し 込 む た め の 重 要 な ア イ テ ムで あ る 。 そ して さ ら に 駄 目 押 し
が、
「 白粉 」は 田 村 俊 子 文 学の 女 主 人 公に と って 、自分 の 気分に 官 能
い ロー ズ の 香 水 を 一 面 に ふ り か け た」。第 Ⅱ 部 第 二 章 で 改 めて 論 じ る
や う な 白 粉 の 匂ひ 」 が ま と う 濃 い 情 緒 的 気 分 に 浸 り 、 さ ら に は 「 強
そ れで も 気 分 を 清 新 な も のに す る こ と は な く 、 その 時 に 「 蒸 さ れ た
二、女主人公と女友達
の中を掻きまはされて ゐるやうな 落 着か ぬ心持を、外へ出て散らけ
て こな け れ ば 夫にも 逢ひ たく な か つ た」と 、 友 人の と こ ろ へ出 か け
る こ と に し た 。こ れ は 、 単な る 突 発 的 に 生 じ た 浮 気 心 を 鎮 め た か っ
たというこ とが理 由で はな い。と いうのも 、鴇 子は 、 気持ちを切 り
替 え る た め に「 熱 い 湯で し ぼ つ た 手 拭 で 顔 を お さ へ た 」りは す るが 、
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う 始末 が つ け ら れ た か 、 も し く は つ け ら れ な か っ た か 。 次 に 、「 魔」
「 魔 」 第 一 章で 鴇 子 の 心を 騒 が せ た「 浮 気な 血」 は 、 そ の後 、 ど
を 持 たな い 尼 と いう 道に 進む こ と を 考え た りす る 巻 子 に こ そ、 鴇 子
あ りな が ら 、 お そら く 最 も 男と も 縁 のな い生 活 をし 、 そ して 一 生 縁
「吐きだ しどころ のな い濁つた血」を想像した。最も 淋しがりやで
は 情欲 の「 吐 きだ しどこ ろ のな い濁 つた 血」 を 見る のだ 。
の 真ん 中 の パ ートで あ る 第二 章 を 見て いこ う 。
鴇 子 は 女 友 達で あ る 利 世子 の 家 を 訪 れ 、 そこ で 利 世 子 と 巻子 と 三
巻 子が 吐 露 す る「 私 は 何 の か の と 云 つて も 生 涯 群 れ の 中 に 交ぢ つ
て まご / \ して 暮ら さな けり やな らな い 人間 に 生れ 付 いて るのね 」
人で 語らう 。注 目は 、鴇子が 巻子につ いて 抱く印象の記述で ある。
「 何時逢つて も少し話して ゐるうち に直きに 太つた顔 を 倦 んだ 血に
という言葉が耳に入って、鴇子は「気の付いたやうに顔を上げて
ヽ
み な ぎ ら して 眠 い / \ と 云ふ の が 癖 」で あ る 巻 子 の 、 尼 に で も な ろ
み んな を 見た 」
( 傍 点 作者 )。
「 み んな 」と 言 って も 、そこ に は 利 世 子
傍 点が 振 って あ る 。 つ ま りこ の 「 み んな 」 に は お そ ら く 、 鴇 子 自 身
ヽ
う か、 と て も こ ん な 欺 い た苦 し い 生 活は 続 け て いら れ な いと いう 悩
と 巻子 の 二 人 しか いな い。「み ん な 」と いう ほ どで もな く 、し か も 態 々
吐 きだ し ど こ ろ の な い濁 つ た 血が 、 だ ん / \ 体 内を 溶 か して 行
も 含ま れて い る ので あ ろ う 。鴇 子 に と って 近 し いの は 、
「 一 人で 寂 し
ヽ
乱する 姿を鴇子は どう 見るか。
つて 巻子 の神 経をに ぶら せる ので はな いかと 思はれ た。 巻子の
いと 思 つ たこ とは な い 」と いう 利 世 子で は な く 、
「 生 涯 群 れ の中 に 交
ぢ つて ま ご / \して 暮 ら さな け り や な ら な い 人 間 」 と 自 覚 す る 寂 し
肩 や股が 鴇 子 にはう づ く 様に 見え た 。
洋 画を や って おり 、 一 人で 旅 に 出 るこ と を 淋 し いと も な ん とも 思 わ
い 巻子 の 方 だ ろ う 。鴇 子 に関 して 言うな ら 、そ の「 群 れ」の 中 に は 、
可 能性 と そ ん な 未 来 の 自分の 状 況 を 想像す る のだ 。
った戯れの域を逸 脱し、
「群 れ 」と の 関 係 性 に まで 影 響 力 が 波 及す る
流れ着き 、注がれる 先を思う 。 単に 自己 完 結で 収められるはずで あ
第 一章 の段 階で 自分 の中で 蠢き は じ めた「 浮 気な 血」が 近 い未来 に
身の姿が 、
「 み んな を 見 た 」と いう 鴇 子の 目 に は 映る 。そ して 、
「 魔」
自 由に 生 き る こ と を 希 求 し た って は じま ら な い 人生 を 抱 え た鴇 子 自
入るし、当然、夫も入るであろう。達観した振りをしたり一人ただ
手紙のやりとりを して 段々押し迫られた状況になりつつある青年も
な い利 世 子に 対して 、 巻子は 教会で の仕 事 、つ まり 宗 教的な仕 事 や
社 会 活 動 な ど に 携 わ って いる 女 で あ り 、 鴇 子 に 「 淋 し い 」 と 書 い た
手紙を 寄こ し、「 私は 何 の かのと 云 つても 生 涯 群 れの中 に 交ぢ つて ま
ご /\ して 暮 らさな け り やな ら な い 人間 に 生 れ 付いて る のね 」 と 自
嘲 しな が ら も 、「も う 三 十 にな ら う と して ま だ 未 婚で ゐ る」女で あ る 。
そ んな 巻 子 に つ いて 、鴇 子は「 脂 肪で ね ち / \ し た 下 腮」
「鞠のやう
に ふ く ら ん だ 胸 元 」「 小 さ い 袖 口 に 括 り 締 め ら れ て る 弾 力 の あ る 赤 味
を も つ た 腕 」 と い っ た 、 情欲 の は け 口が な く 体 内に 澱 んで いるこ と
を 象徴 す る か の よう な 身 体を 持て 余す 女 と して 観察 を し 、 その中 に
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着 のま ぼろ し に襲 は れて ゐた 。あ の 青年 は 何 時 かしら 私 の 腕の
鴇子は いまふつと 自分 を死 へ引 つ 攫つて ゆくやうな 粘 り 強い執
い濁 つ た 血 」で あ っ た 。 体内 に 滞 り 、う ま く 巡 るこ と も で き ず 、 迸
同じような 情欲にま みれても 、 巻子の血は「吐きだ しどころのな
た鴇子の血、第一章で は「浮気な 血」と いう レッテルを鴇子自身に
し る 先 も な い 血は 、巻 子 の「 神 経 を に ぶ ら せ る 」。そ れ に 対 して 、そ
と ふ と 思 っ た と き に は 、「あ の 青 年 は 自分 の 生 に 演 劇 的 の 色 を 塗 つ て
貼 ら れ た 血 は 、 巻 子 と は 逆 に 「 神 経 」を 逆 撫で 、鋭 敏 に す る 血で あ
筋 肉を 血の 通はな く な つ た手で 、 摑 みし めるこ とが あ る のぢ や
見 たいと 思つて 、その 相方に 私 を選 んだ だ け な のだ 」
「相手にならず
る 。神 経 を に ぶ ら せ な い た め に は 、
「 吐 き だ し ど こ ろ 」を 得 な け れ ば
んな巻子から「今夜のあなたの顔はね、ばかに神経的よ」と言われ
に ゐさ へす れ ば 手 紙 も 来 な い や う に な る に 違 いな い 」 と 一 旦は 跳 ね
な らな い 。 そ して 、 そ の 「 吐 き だ し どこ ろ 」 の 当て が 、 鴇 子 に は あ
な いか。
除 け よう と 考 え た り も す るが 、 そ れ が 自 分 の 本 望で は な いこ と も 知
る 。そ れ は 一 つは 青 年 、 そして 当 然もう 一 つ は 夫、 類 三で ある 。
で も って 自分 に 触れ る ので あ れ ば 、 切り 捨て る には 惜 し い 。な ぜな
流 れて ゐ る 淫 ら な 血 液 」 を 密 か に 通 わ せ る よう な 男 で 、 そ の 男 の 血
男 だ つ た ら 」、つ ま り「 血 の 通 は な 」いど こ ろ か「 皮 膚 の 下 をう ね り
血 のふ き で る 程 な 厳 し い 乱 打 を 想 像 す る や う な 肉 の 為 に 酷 く 荒 び た
め る 」 程 度 の 青年 な ら ば 相 手 を す る まで も な い が 、 鴇 子 の 「 肌 か ら
た だ の 薄 っ ぺ ら な 芝 居 っ 気で 「 血 の 通 は な く な つ た 手 で 、 摑 み し
めたいも のに、つ いと 自分の指先が 触れ たやう にぞつと した。
刹 那的 に 迷わ せると いう 表面的な 事 態だ けで な く、女 主 人公が 妄 想
る よう に 世 間 一 般 の 道 徳 ・ 倫 理 か ら は 逸 脱す る 浮 気 へ と 女 主 人 公 を
か。「 魔 」と いう タ イト ル は 、「 魔が 差す 」 と いう 表現 か ら も 窺わ れ
と いう こ と が 分 か る だ ろ う 。 ど こ ま で 生 々 し く 「 血 」 を 妄 想で き る
のでは な く 、む しろ 「 血 」を めぐ る 女主 人 公 の 妄 想 を 描 い た作 品だ
主 人公 が 年 若 い青年 に 浮 気心 を 起こ すと いう テーマ を 描 い た作 品な
た も の か ) の 推 移 を 見て きて 、こ の 「 魔 」 と い う 作 品は 、 単な る 女
以上 の よう に鴇 子 の 流動 的 な 感 情 (と いう よ り 感 覚 や 官 能と い っ
三、女主人公と夫
る。
― ― 然 し そ の 青年 が 女 の 媚 い た 肌 の 色 を 見て も 直ぐ 其 の 肌 から
血 のふ き で る 程 な 厳 し い 乱 打 を 想 像 す る や う な 肉 の 為 に 酷 く 荒
び た 男 だ つ た ら ― ― 鴇 子 は 胸 が ふ る え た 。 そ う して 男 の 皮 膚 の
ら 、そ れ は お そら く 自分 の「 肌 か ら 血のふ きで る」こ と を 誘 発 して
す る重 層 的 な 「 血 」 の イ メ ー ジ そ の も の が 「 魔 」 を 宿 す も ので あ る
下 を う ね り 流 れて ゐ る 淫 ら な 血 液 が 白 く 膿 み かゝ つ た や う な 冷
くれるで あろうから。
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に 騒ぎ 立 って いる 自分 の ままで は 夫 、類三 に 会 いたくな いと いう 状
そ れで あ りな が ら 鴇 子 は 、第 一 章 の 終わ りで 少 な く と も「 浮 気な 血」
帰 宅す る と い う こ と は 、 こ れ か ら 待 って い る の は 夫 と 対 峙 で あ る 。
自 身で あ っ た のだ か ら 、 充 分 に 自 覚 して い る は ずで あ ろ う 。 鴇 子 が
は 自分 の そ の 状態 を 、 先程 巻 子 と 対 比 して い た のは 他で も な い 自分
神 経が 疲 れ て ゐ た 」 と い う ほ ど 神 経 過 敏 に な っ て い た 。 そ して 鴇 子
ら帰宅す る際の鴇子は「眼をはつき りと 見張ること の出来ないほど
「 に ぶ ら せ る 」 し か な か っ た 「 神 経 」で あ る が 、女 友 達 の とこ ろ か
先 程 の 類 三 と のす れ 違 い ざ ま の も の の 数 秒 ほ ど の会 話 と 触 れ 合 い が 、
れ る の に 反 抗 す る や う な 、あ が い た 気分で 五 六 間 馳 出 し た 。
り 流れて ゐる のも 覚 えて ゐた 。 鴇 子は 髪 の毛 を 持つて 引 き ずら
袋を穿 いて る 足の底に 冷 めたいあ ぶ らが 絞りだ され たやう に粘
鴇 子は 自分 の 身 体 が かす かに 慄 え て ゐ る の を 知 つて ゐ た 。 足
子 の耳 元 を く す ぐ る 様 な 神 経 的 の 感 触が 鴇 子 の 肌を 粟 立 た せ た
傍で 囁き つ ゞけて ゐる やうに 、唇 に 発音 の 打つ 突かる 響きが鴇
ゐ る や う な 物 恐 び え の す る 気 持 に な つ た 。 さ う して 誰 か ゞ 耳 の
層 を か さ ねて 冷 め たく 沈 んだ 空 気の 底 か ら 自分 の 名 を 呼ば れて
が 持て る と い う こ と 、 夫 に 迎 え ら れ る ので は な く 夫 を 迎 え る 側 に な
態だっ たこ と とは 裏 腹に 、神 経 を 高ぶら せ たま ま、 いや 、 外出 前よ
鴇 子を こ こ まで に し た。「 血の さ わ いで る 鴇 子 の 心臓 」「切 迫 し た 呼
と いう こ と を 意 味 して い る の か も し れな い 。 そ して 、 滞 ら ずに 生 々
りさらに夫と の対 面は 憚られる ような状態にまでな って しまった上
吸 づ か い 」 と いう 、 や や 常 軌 を 逸 し た 有 様 だ 。 そ ん な 鴇 子 が 、 一 先
れる、つまり、万全の態勢、心構えで類三と対峙す る 余裕が持て る
で 、つまり、当初意図 して いたは ずの気分 転換のための外出は逆効
ず 類三 の い な い 家 に 帰 っ たら し な け れ ば な ら な いこ と と して 、 な ん
し く 迸 ら せ る こ と が で き る「 血 」で あ る ほ ど 、
「 魔 」の 要 素 を 帯 び れ
果 にな って しま っ たと 言 える 状 態で 、帰 宅 中 の 電 車 の 中で も「 鴇 子
と、
「 家へ 帰 つ たら す ぐ 春 作の 手 紙 を 見な け れ ば 、と 思 つ た」と 考 え
と いう こ と を 示 して い る 。鴇 子 は ど うす るで あ ろ う か 。
の疲れて ゐる神経に夫の痩せた姿の輪郭だけがぽつと映つてゐた」
る ので あ る 。 つ ま り こ れ が 、 夫 と 対 峙 す る た め に 必 要 な 準 備 と い う
ば 帯び る ほ ど 、それ は 「 神 経 」 を 刺 激す る 。 未 婚の 巻 子 に と って は
と 描写 さ れ る ほ ど 、
「 神 経」が 向 う 先は完 全 に 夫 へと 絞 ら れ 、ま す ま
こ とで あろ う 。
「 血 」と「 神 経 」を 高 ぶら せ る 対 象は も は や 類三 に 固
定されたようなも ので あるにも関わらず、ここで青年の手紙を 持ち
す 過敏 に な っ た神 経 と 動 揺し た 血 を 発揮 して いく 。
「 魔」第三 章 、鴇 子が 家に着く 直 前 、入れ違 いにち ょ っと 外出 し
こう な って くると 、青年春 作と 彼の手紙は 、鴇子(と 夫 ・類三 )
出 して く る の だ 。
ッ プ を し た 後 、鴇 子 は 類 三 を 見送 り 、 一 人 家 に 向う 。 状 況は 、 帰 宅
に と って ダ シで し か な い。
「 魔 」第 一 章で「 浮 気な 血 」を 騒 が せ た 時
ようと 家を出 たら し い夫 ・類三と 出くわ し、ち ょっと したスキ ンシ
し て も 夫 が 帰 って く る ま で の し ば ら く の 間 は 鴇 子が 自 分 一 人 の 時 間
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を たぐ る 時 の 紙 のふ る え が 男 の 咽 び 泣く 声 の や う に も 聞 え た。」だ か
眼 に は 眩 い や う な 絢 爛 な 光 り が 彩 ら れて 見 え て ゐ た 。 さ う して 手 紙
少 しも 変 つて は ゐな か つ たが 、 唯 恋 と 云ふ 字 の 形 の 上 に 今 の鴇 子 の
な たを 恋 して ゐま し た )と 云ふ 意 味 の長 い 手紙 は最 前 見 た時の 字 と
け が 想 起 さ せ る 他 愛 も な いイ メ ー ジ 、 幻 が 必 要 な の で は な い 。「( あ
け が 心 を 惑 わ せるこ と で あ っ た が 、今 度 は 違 う 。
「 恋 」と いう 単 語 だ
ゆ え 内 容 や 表 現 よ り も 「 恋 」 と い う 字が 散 り ば めら れ て い たこ と だ
文 面は 、第 一章の段 階で はただ 、鴇 子にと って は「 ま づ い」書き 方
子 の 手 に よ って 動 か さ れて い く 。 再 び目に し た 青年 、 春 作 の手紙 の
う 、拭 い 去ろ う と 考 え た のと は 裏 腹 に 歓 迎す べ き 方 向 に 、 状 況 は 鴇
手に負えな い方向に 、鴇子にと って はお そらく 、第一章で は避け よ
と は全 く 鴇 子 の状 況は 異 な る ので あ る。 類 三 に と って は や っか いで
して 、こ の ような 返 事 を 書くこ と が 「 魔 」 ゆ えで あ る な ら 、そ れ は
来 心を 指す 「 魔」 な ど と いう 他 愛 も な いも の の 域を 超 え て いる 。 そ
で ある から 、図ら ずもふ と差 して しまう よう な 、思 いも よらな い出
して か らで は 、鴇 子は 自ら 自分 を そう いう 状 態 に導 いて い ったわ け
そもそも、第一章の段階ならともかく、こ の第三章に入っての帰宅
ぶ さに 見て きて 、 そう 単 純な も ので はな いこ と は 明 ら かで あろ う 。
弄 し た と いう こ と を 示 して い る よう に 見 え る が 、こ こ ま で 作 品 を つ
す ると 年 若 い青年 に 対す る浮 気心が 仮初に 気ま ぐれ に 鴇 子 の心 を 翻
て いる 「 魔 」 と いう 言葉 は 、 作 品 中 で は こ こ に のみ 登 場 す る 。 一 見
声で は つ き りと目 の覚 め たやう な 気持」 にな る 。タ イト ルにも な っ
な れたやう な 、は な れ る 時に 何 か しら大き な 声で 笑 は れて その 笑ひ
し ま う 」 の だ 。 そ し て 「 ふ い と 肩 の 上 か ら 乗 し かゝ つ て ゐ た 魔 が は
し 冷静で は な くま さ に 「 魔」 に 取 り 付か れ た ように 「 一 気に 書 いて
な っ た の は 帰 宅 途 中 で 夫 と 出 く わ し たこ と な ので あ る か ら 、鴇 子 に
ら 鴇 子 は 、 先ほど は 相 手 にす る ま いと 思 って い たく ら いな のに 、 夫
燃 え て る火 へ 手 を つけ た な ら あな た は 身 体ぢ う を 焼 き 尽 さ れ
「 魔」 をも たらし た のは 鴇子 に と って は 夫 ・ 類三と も 言え るわ けで
青年の手紙を再読 したこ とが 発端なわけで あ り、そして その契機と
な け れ ば な ら な い んで す 。あ な たは 私を ほ ん と に分 か り も しな
あ る 。 と は 言 えど 、 鴇 子が返 事 を 書くこ とで 魔が 差 し たが ゆえ の 衝
の帰宅を待つこの時間の間に、今度は返事を書く。
いくせに 、恋なんて 、 そんなこ と を 仰しやつて は いけな い 、い
動 を吐 き 出 し た対 象 は 直 接的 に は ま だ 青 年 春 作で あ り 、 血 の動 揺と
い く 。「 若 い 頃 に ま た 見 た が る 夢 幻 の 中 か ら 作 ら へ 上 げ た 虹 の や う な
け な い 、 いけ な い 、 何 事 もだ ま つて ゐら つ し や い。だ ま つて ゐ
と、
「 美し い 幻 影 」を 恋 の 上 に 見て い るだ け で 死 を 覚 悟 して いる わ け
一 句一 句 に 、 少しで も 興 奮さ れ た や うな 心 持 に な つて ペ ン を握 り し
実 際 の 行 動 の 向け る 相 手 に 齟 齬 が あ る た め 、 気 持ち は 一 気 に 冷 めて
で もな い 青 年 を た しな め、「坊 ち や ん の遊 戯が 少 し過 ぎ た のだ ら う と
めてこ んな 事 を 書 い たこ とが 、 若 い 男と 自分 の対象 を 唯 いや味 に い
らつしやい。
思 つて ゐ ま す 」と 、 や は り 相 手 を し な い と 諭す よう な こ と を 、 し か
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それの持って 行き 場が 見当たらな いからで あろう。そして それは 、
心 情、 妄 念 の 方にあ るこ とは 鴇 子 に も 自 覚 さ れ 、ま だ は っ き り と は
に 思わ れて し まう 。お そ ら く 問 題 は 青 年で は な く 、鴇 子 自身 の 感情 、
を「 嫌 味 」に 感じて い た 鴇 子 は 、こ こで は 自分 まで 含 めて「 い や 味 」
や 味に さ せて 何う に も な らな く な つ た。」第 一 章で は 青 年 自 身のこ と
い 。 直 ぐ そ の 人 たち か ら 誤 解 と 侮 蔑 を 受 け る か ら 。」
「 私 は 決 して つ ま ら な い 人 たち の 前で 結 婚 と 云 ふ 事 は 口に し な
巻子は いつも
体 の 血 が 動 揺 して 渦 巻 き あ が る や う な 苦 し さ も 思ひ や ら れ た 。
が 考へられた。さう して 烈しい欲求のためにあの太つた身体全
の 云つ たこ と を い ま 意 味 もな く 人 に 伝へて か ら 、ふ と そ ん な 事
ど 矢 つ 張 り あ の 人 の 精 神 はあ る 満 足 を 強ひ る た めに 旋 風 の やう
と 云 つてぢ つ と 息を 潜 める や うな 顔 をす るこ と が あ る。け れ
鴇 子と 青 年 と の関 係 性 や その 進 展 と は本 質 的 に は 無 縁 の 問 題で あ る
が ため、鴇子の書けかけ た返事は引き出しにしまわれて しまった。
春 作を ど う す るかは と り あえ ずは 保留で あ る 。
と は 核 心 を つ いて は い る 。 鴇 子 の 方 で も 、 寂 し が り な く せ に 未 婚 で
が ら笑 って 言う よう な 軽 々し いも ので あ っ た 。 確か に 類三が 言う こ
メ ント は 、
「 結 婚さ へす り やす べて 解 決が つ く の さ」と 煙 草 を の み な
に は深 く 思 い 入るこ と も な か っ た 自 分 に つ いて 内省 す る 方 へ心が 傾
しろ「意味もなく」伝えて しまえるほどに巻子の言葉を聞いたとき
理 解も な い 反 応を 得 たが 、鴇 子 は 類 三に 反 感 を 抱く ので は な く 、む
巻子の言葉を「意 味もな く」 類三に 伝えて しま い、類三 から同情も
に 荒れ 狂ふ こ とが あ る のだ 。 そんな 時宗 教からでも な く 救 世の
あ り、そ れ が 一生 続 き か ねな い よう な 巻 子 の 悶 える 様 に 、
「吐きだし
く 。鴇 子は 、 結婚と いう も の に 対 して 頑な な 巻子に 共 感す るわ けで
帰 宅 し た 類 三は 、「 鴇 子 が 何 所 へ 行 つて も そ の 出 た 先き のす べて を
どころ のな い濁つた血」を想像したくら いだ 。しかし、巻子の切迫
はなかろ う。巻子 の言葉を「みじめな絶望の叫び」と捉えて片付け
為 で も な く た ゞ 尼 に な り た い と 叫 ぶ ので あ ら う 。こ れ ほ ど の 痛
し た悶 え に 対 して 、 事 は 単純 で 明 快 、 取 る に 足 りな いこ と で あ る こ
て しま う と こ ろ に も 窺わ れる 。し か し、
「吐 き だ しどこ ろ のな い濁 っ
聞 かな いで は 済ま さ れ な 」 い 男 な ので 、 鴇 子 は 、友 人 巻 子 が 尼 に な
と かの よう に 見な して 「 結婚 さ へす りや す べて 解決 が つ く のさ 」 と
た 血」 の た め に そ れ が 「 神 経 を に ぶ ら せ る ので はな いか 」 と 自分 と
ま しい声を 聞きな が ら あ の時 自分 たち は 静 にだ まつて ゐ た 。
女 の幸 せ は 結 婚す る こ と で 片が つ く 程 度 の 浅 は かな も の だ と 、 さ も
の立場など の違いから軽薄に下して しま った判断に対して 、血は 滞
りたいと言っていたことを話した。しかし、それに対する類三のコ
余 裕の あ る 立 場 か ら 見 下 す 男 の 言 葉 に 、 大 抵 の 女な ら ば 反 感と 憎 悪
り濁って いて も、 それで も神 経 を 鈍らせるで な く「矢つ張 りあ の 人
の 精神 は あ る 満足 を 強ひ る た め に 旋 風 の や う に 荒れ 狂 ふ こ とが あ る
の 念 を 抱 か な いで は い ら れ ま い 。
何と 云ふみ じ めな 絶望 の叫びだつ たんだ らう ――鴇 子は 友 達
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ま さに 結 婚 して いる 男 女 の間で あ る からこ そな し得 る 方 向で 、 鴇 子
先程の 類 三 の 言葉 を非 難するで はな い方 向で 、む しろ 類三 に 協調 し 、
鴇 子と 類 三 、 一対 の 男 女 の争 闘 の 幕 開け と な るで あ ろ う 。 しか し 、
鴇 子の 心 に 宿 っ た ので は な い か と 想 像さ れ る 。こ こ か ら が い よい よ 、
の か 。 は っ き り と は 意 識 さ れ ず 、 言 語 化 さ れ な いこ の よ う な 思 い が
い 男な の か 。 そも そも 表 面的 に 平 穏 無事 な 夫 婦 で い れ ば そ れで よ い
て いる と で も 言う の か 。こ れ を 太 平 だと 勘 違 いで き る ほ ど 類三 は 鈍
態と言えるのか。何も 問題のな い、平穏無事な 結婚生 活が 横たわ っ
三 の関 係 、 そ して 鴇 子 自 身 の 今 の 状 況は 、 す べ て 解 決 さ れ て い る 状
る と 言 い 放 っ たが 、で は 、 実 際 に 結 婚して い る 自分 たち 、 鴇 子 と 類
はない。それに対 して 類三は簡単に、結婚さえすればす べて 解決す
か の違 いが 大 き いと いう だ け で 、 巻 子の 悶 え は 鴇 子 と 無 縁 のも ので
と 対 峙 す る 男 と い う 存 在 と して 観 念 的で な く 実 際的 に 存 在す る か 否
そ の 荒 れ 狂 う 精 神 を ぶ つ け る 対 象 と な る べ き 相 手が 、 女 と して の 己
の だ 」と 、自分 も 持 ち 合 わ せて い る 荒 れ 狂 う 精 神 を 見 出 し た 。た だ 、
け た態 度は 、恋愛や 男女 の争闘 を 極 めんとす る 男にと って は侮 蔑 の
況 が し ば ら く 継 続 し て い た 当 時 に お いて は 、 女 のこ の よ う な 底 の 透
〈自由恋愛〉が流行し、恋愛というものが追究すべき課題である状
見飽きた構図であろう。特に自然主義が最盛期を越えたばかりで、
学 作 品で も( そ して お そ ら く は 時 代 を 超え て 普 遍 的 に )あ り が ちで 、
に も な れ な いと 冷 淡 な 態 度を と る 男 と い う 構図 自体 は 、 世 間で も 文
す る女 と 、 そ んな こ と は 浅 は か な 女 特 有 の 態 度で あ り 、 付 き 合 う 気
ろ の甘酸っぱ い思 い出を引き ず り、それ を何かにつけ再生 しようと
頑 と し て 冷 淡 な 態 度 を と り 続 け る 。 い つ ま で も 過 去 の 恋 し たて の こ
空 気で 満 た そうと 躍 起 に な る 。しか し 女 の 思 惑 に は 夫 は 乗 って こ ず 、
で は、は じ めは女 主 人公 は夫と の間 を懐 か しみと親密 さ に よる 甘 い
あ る 。田 村 俊 子の〈 両 性 の相 剋 〉モ ノの 作 品 、こ の「 魔 」や「 誓 言 」
意 の、 甘 美で ロマ ン 的 な 、そ して 女 主 人公 の 独 りよが りな も ので も
る 。こ れ は 決 して 巻 子 が 体 験で き な いも ので も あ り 、 田 村 俊 子 お 得
める緩衝材でありつつ双方向に流通する不確かで気分的なものであ
で はな く 、
「 通ひ あ つて ゐ る 温な 息 吹」と いう ような 、二 人 の間 を 埋
対 象 以 外 の 何 物で も な か った 。こ れ は 、例 え ば 岩 野( 遠 藤 )清 の『 愛
は 仕 掛 け て いくこ と に な る 。
鴇子は類三の言葉を聞き、巻子のことを思いながら、類三の顔を
れ よう 。 し か し、 田 村 俊 子の 女 主 人 公が 、 あ り がち な 構 図 の中 に 自
の 争闘 』と 岩 野泡 鳴『 征 服被征 服』
( 注 3 )を 対 照す るこ とで も 窺わ
夫 と妻 と の 僅な 隔 り の 間 に絶 え ず 通ひ あ つて ゐ る 温な 息吹 、そ
ら を置 き 、 ただ そ れ に 冷 淡な 夫 に 不 満を 募 ら せ るな ど と いう 、 そこ
眺 め、 そ の 髯 を 見 守 って いる う ち に 「 ふ と 夫 が な つ か し く な つ た 」。
れ が 今 鴇 子 の 心 の 上 に 濡 れ た 湿 り を 含 ん だ まゝ ふ つ と 鮮 か に 吹
い ら の 女 流 作 家 の 習 作で も 書 か れ る よう な 陳 腐 な 役 割 を 演 じ る わ け
がないのだ。
「融 け 合 つ た 気分 」で 鴇 子が 次 に し たこ と は 、青 年 春 作
き かけ ら れ たやう な 融 け 合つ た 気分 が 感 じら れ た。
ここにあるのはまだ、
「 血 」や「 肉 」と いっ た生 々 しく 具 体 的 なも の
37
の 手紙 を 類 三 に 見 せ る こ と 。「 好 い も のを 見 せて 上げ ま せう 」「 よ ん
私はこ の 手紙をあな た に 見せて 上げ たく ら ゐで す も の 。」
「 け れ ど 、こ んな 事 は 何で も あ り や しな い 。 ね え 然う で せう 。
ヽ
ヽ
( 傍点 作 者 。以 下 同 様 )
出 した 肉 の 上 を焼 き つ ま まれて ゆ く 様な 思ひ が した 。
子 のす べて の 表情 を 見て ゐる と 、 類 三は 焼 け 銅でち り / \と 露
さう して 、 引 つ 切 り な しに 何 物 か に悩 乱 さ れて ゐ る や う な 鴇
い つも 小 説 で も 書 く 気 に な つ て 手 紙 を 拵 へ る ん だ か ら 。」
「 お 前 の 平 生 やつて ゐ る 手紙 の 書き かたが 悪 る いんだ 。 お 前は
類三は 慳 貪に然う 云つ た。
ぢ やな い か。」
「 侮 辱 さ れて ゐる の を お 前は 知 ら な いの か 。 人 を侮 辱 し た 手紙
投げつけて やり度いやうな反 感がおこつて ゐた。
類三 は 然う 思ふ と 「 へ つ」と 云つて 苦 い一 瞥 を鴇 子 の 面 前に
に よつて 受 取 つて ゐ る に 違ひ な い。」
で くれ た時と 同じやうな 蓮葉な 浮つ いた心持を、その男の手紙
「 女の 胸 に はひ ゐき 役 者が 舞臺 の 上 から眞 つ 直 ぐに 視 線 を 注 い
こ とも 出来 た 。類三 は 淡 い嫉 妬 を おこ さ ずに ゐられな か つ た。
だ る さ う な 崩 れ た 素 振 り を そ の 気 儘 な 鴇 子 の 居 住ひ か ら 捉 へ る
の 香 気 の う ち に浸 み こ んで ゆ く の をぢ つ と 味 は つて ゐ る や うな 、
見 付け て ゐ た 。さう して 、自 分 の 身 體 の 血が だ ん/ \ と 強 い酒
類三 は 鴇 子 の眼 元 に 平 常見るこ と の出 来 な い色つ ぽ い し ほ を
あわて た 気持がした。
鴇子は 急 に 何事 か 打消さな け れ ばならな いも のが あ る やうな
で 御ら んな さ い」と 、 自分のふ とこ ろに 入れて 持って い たが た めに
「 自分 の 肌 の ぬく も り に 温め ら れ た 青年 の 手 紙 を 類 三 に 渡 した 」 の
で あ る 。 つ い 先ほ ど 青 年 に 返 事 を 書 いて 「 魔 が は な れ た や う な 」 気
が し た と 自 認 して い た く せに 、 あ ざ と く も 今 度 は 青 年 の 手 紙 を 夫 と
の 関 係 性 の 刺 激 剤 と して 利用す る 。し か も 、
「 自分の肌 の ぬくも りに
温 めら れ た 青 年 の 手 紙 」で あ る 。 そ れを 受 け 取 っ た 類 三 に はど う 思
わ れる か 。 類三の心 情も 、そして 彼の心 情を 推 し量る 鴇 子 の心 情さ
え も 、 想 像 に 難く な い 。 鴇 子 の 肌で 温 め ら れ た 手紙 に 、 鴇 子が 青 年
に 肌を 許 し た かの よう な 印象 を 抱 いて し ま う こ とは 避 け ら れな い 。
鴇 子も は じ め から は っ き りし た 考え があ って して の け たわ けで は な
く 、安 易 に や っ た 可 能 性 はあ る 。 し かし 、 軽 は ずみ に や って し ま う
に は 、 お そ ら く 夫 で あ る 類三 に は 苦 々 し く 、 忌 々 し 過 ぎ る 。 甘 美な
「 融け 合 つ た 気分 」 ど こ ろで は な かろ う 。 そ の 場面 を 、 少 し長 く な
るが引用して みよう 。
「 どう 思 つて 。 自 分 の 細 君 の と こ ろ へこ ん な 手 紙 の 来 た の をど
う 思つて 。」
鴇 子 は 戯 れ る や う に 唇 をち ゞ めて 笑つ た 。
「 な ん と も な い。」
然う 云 つ た 類三 は 笑 は な か つ た 。 お 互 の 刹 那 の 感 情 を そ つと
動 かさ ず に 過 ごして し ま はう と す る 様な 、 光 り を忍 ば し た 然り
気 のな い 眼 色 が ぴ た り と 合ふ と 、 す ぐ 又 別 々 に な つ た 。
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が しば しば 批判され た「 無自覚 」とは思 想性の意味で は 違う次 元で
は 「 無 自 覚 」で あ る が た めに ( 同 時 代評で 田 村 俊子 や そ の ヒロ イ ン
え 、そ して そ れを 完 全 に 自覚 して 引 き 起こ し たわけで は な い程 度に
って いるが 、この「刹 那」が 鴇 子と 類三 の 争闘の始ま りとなるが ゆ
な け れ ば な ら な いも のが ある や う な あわ て た 気 持が し た 」 など と 思
な い、そんな 一瞬であろう。鴇子は白々 しくも「急に何事か打消さ
い激しい闘 争 行為 など 余剰分で しかないので はないかと 思 えな くも
と はこ の 刹 那 のた めにあ るので あ り 、その後 に 展開す る かも し れな
共 有さ れ た 。 作品 を 最 後 まで 読 ん だ な ら ば 、 結 果 的 に は 男 女 の 争 闘
し たと き 、 他で も な い 、 争闘 に 向 う 気構 え の ような も のが 図ら ずも
葉 にな ら な い 感情 の 凝 縮 さ れ た も の が 伝 わ り 合 って い る こ と を 認 識
き 合 い 、 自 分 の 感 情 を 流 して し ま う べき で な い も の と して 留 め 、 言
つ いた 甘 美な 雰囲 気が 消 し去られ 、お互 いが 相 手の 感情と 思惑に 向
で はな く 、 明 ら か な 温 度 差が あ っ た 。 し か しこ こ に き て 、 軽 薄で 浮
つ て ゐ る 」 と 感 じ た だ け で 、 真 の 意 味で 男 女 の 間 で 共 有 さ れ た も の
前 の「 絶 え ず 通 い あ つ て ゐる 温な 息吹 」 は 、 勝 手に 鴇 子 が 「 通ひ あ
で はな い か と 思わ れ る く ら い の 緊 迫 感が 見 ら れ よう 。 手 紙 を 見 せ る
と いう 「 刹 那 」 に は 、 実 は こ こ こ そ が 「 魔 」 が 差 し た 瞬 間 だ っ た の
ば し た 然 り 気 のな い 眼 色 が ぴ た り と 合ふ と 、 す ぐ 又 別 々 に な つ た 。」
の 感情 を そ つ と 動 か さ ず に 過 ご して しま は う と す る 様 な 、光 り を 忍
な かつ た」と 、二 人の対照的な 姿が 描かれ る 。 そして 「 お 互の刹 那
「 鴇 子 は 戯 れ るや う に 唇 をち ゞ めて 笑つ た 」け れど も 、
「 類三は笑は
一 連 の〈 相 剋 〉モ ノ は 、
「 炮烙 の 刑 」の最 後 の「 奇蹟 」に 行 き 着 く た
も のが 、
「 炮 烙 の刑 」の 最 後 の 場 面 の「 奇 蹟 」で あ っ た 。田 村 俊 子 の
直 面し た「 刹 那」で も あ った のだ 。 そして 、こ の「 刹 那 」 を極 め た
を 読 み 返 さ ね ばと 考 え た のだ っ た か 。 そ の 意 味 を 鴇 子 が 我 欲と して
後 、何 を 思 って い た か 。 何を 欲 して いたか 。 何 の た め に 青 年 の 手 紙
で はな か っ た。そも そも 鴇子は 、帰 宅中 、 そして 類三とす れ違 っ た
る のだろ う 。 鴇子が 望 んだも のは 、甘ったる いだけ の懐 かしみな ど
事 態と そ れ を 目 論 ん だ 自分の 意 図 と を 自 覚 し たこと に よ る 焦燥が あ
ろ いだ と と も に 、 こ こ で や っ と 、 自 分 が 半 ば 無 自覚 に 引 き 起こ し た
や そ の 空 気 が 凝 縮 して 動 か ず に 二 人 を 取 り 纏 め たこ と に 対 して た じ
「 魔」のこ の場面の鴇子は、類三と の間 に 不穏な空 気が 流れた、い
さ れ る べ き 心 情で あ る と して 、 拭 い 去ら れ て い く ので あ る 。 し か も
気弱に 不 安 を 抱え 怯え る 自分 の 方が 本来で は な い姿で あ り 、打ち 消
い う 作 品で あ ろ う 。何 度 も 女 主 人 公 が 気弱 に な る 姿を 描き な が ら も 、
モ ノ の 頂 点 と も 言わ れ る 「 炮 烙 の 刑 」(『 中 央 公 論』 大 正 三 ・四 ) と
そ れ を 顕 著 に 表 し た の が 、第 Ⅰ 部 第 三 章 で 詳 し く 論 じ る が 、〈 相 剋 〉
る と して 、〈 相 剋〉 モ ノで は 打ち 消 さ れて いく 宿 命に あ る ので あ る 。
う な た じ ろ ぎ な ど 、 む し ろ こ の よ う な 気 弱 な 態 度こ そ 気 の 迷 いで あ
な 気が し た の だろ う が 、 所詮 、 田 村 俊子 作 品で は 女 主 人 公 の そ の よ
し た緊 迫 状 態 に た じろ ぎ が あ って 、 打ち 消 さ な け れ ば な ら な い よ う
いて は 、第 Ⅰ 部第 三 章で 述べ る )、自分 の や っ たこ と と そ れ がも た ら
はあるが。田村俊子及びそのヒロインに対する「無自覚」批判につ
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ひ が 胸 の 底 を 揺ぶ り 返 しす る や う な 、 は し や いだ 、あ たけ た 、
ヽ
め の「 刹 那 」 の 積 み 重 ね の過 程 と も 言え よ う し 、 そ の 「 刹 那」 の 出
ふ ざけ た、 気持にな つ た。
「 だ か ら 何 う だ つ て 云ふ んで す 。」
ヽ
発 点が 、「 魔 」 のこ の 場 面 と 言 って も 言い 過 ぎで はあ る ま い 。
このような鴇子の思惑を見せられて 、案の定、類三は鴇子に対し
鴇 子 は 然 う 云つ て か ら 物 を 開 く や う な 音 を 立 てゝ 笑 つ た 。
「 だ か ら 何 う だ と は 何だ 。」
て 「 反 感 」 を 起こ す 。 し か し そ れ は 嫉 妬 と い う 可 愛 げ の あ る 微 笑 ま
し い形 で 表 さ れ る こ と は な く 、 逆 に 鴇 子 を 貶 め る 言 葉 と な って 吐 き
「 だ か ら 何 う だ つ て 云ふ の。 あ と を 云つて 御 ら んな さ い。」
「 ぢ き に 動 揺す る 女 だ 。」
鴇 子 は 眼 の 縁 を 赤 く して 唇 を 乾 か して 笑ひ つ ゞ け て ゐ た 。
出された。フェミ ニズム的にこ れを 見たなら、なぜ夫からこんなこ
とを言われなければならないのかと、強権的、抑圧的な振る舞いを
する夫を責める材 料にもなるのだろうし、
〈 自 由 恋 愛 〉を 体 現し よう
類三の苦々 しいやう に云つ た言葉が、ま た、鴇子の擽つ たい
と こ ろ を 一 寸 松 葉 の 先 き で 突 つ い た 様な 思ひ を さ せ た 。
と す る か の よ う な 鴇 子 に 、 自 由 を 希 求す る 〈 新 し い 女 〉 と して の 思
想 を 見 出す こ とも あ り う るだ ろ う 。し か し、
「 魔」で は そう いう 方 向
「 えゝ 、 私 は 誰 と で も 何 時 で も 心 中 の 出 来 る 女 な ん で す も の 。
る 反 感 と 侮 蔑 的 な 反 応 を 見て ど う 対 処 す る か に 注 目 す る こ と が 、 田
こ とに は 意 味がな い か らであ る 。だ から 、鴇 子が類三 の 鴇 子に対す
も それ は 何 の 効果 も 得 ら れな いし 、 田 村 俊 子 に と って 実 効 力が な い
要が見出 せな いと いう のもあ る が 、 夫に異 議 申し立て を して 見 せて
もがヒロインが夫によって 実質的な抑圧を受けていな いのでその必
三 の痩 せ た 姿 の輪郭だ け が そ の 揉 み 疲れ た神 経 の中 に ぼ ん やり
りと類三 の 姿を認めて ゐなが ら 、さつき の電車の中 のやう に類
て 去つ た。鴇 子は 自分 の眼の 前の 明るい電 燈 の 茶の間 には つき
と あ せ つて ゐるやう な 二 人の 間 の 毎 日がち ら り と頭 の 中 を 過ぎ
た愛の影の上をいろ いろな繒の具で 上塗 りしやう上塗りしやう
鴇子はそんな事を云つてる間に、もう好い加減色 の薄くなつ
ヽ
性 は 取 ら れ る こ と は な い 。な ぜな ら 、 実 の 伴わ な い 強 権 的 に 見 せ か
あ な た に な ん か 、 い つ 左 様な らを 云ふ か 分 か り ま せ ん よ 。」
村 俊子 文 学 鑑 賞の 醍 醐 味で も あ る わ けで あ る 。 類三 の 苦 々 しげ な 様
と 映つ た。
ヽ
け た 男 を 非 難 して も 、 自 由を 希 求 して も 、 何 か を 訴 え て も 、 そ も そ
子を鴇子が 冷ややかに観察したこ の後に続く結末部は、以下のよう
「 春 作 と 云 ふ 男 は 目 の 覚 め る や う な 美 し い 男 で あ れ ば いゝ 。 目
「 魔」 と いう 作 品 の ど こ に 興 味 を 抱 く か 、 ど こ を評 価 す る かは 読 み
の 覚 め る や う な 。」
な も ので あ る 。
鴇 子 は だ ま つて ゐ た 。 さ う し て 類 三 の 顔 に 不 快 の 色 の 漂 つて
ゐるのを眺 めて ゐるうち に何う したのか突 拍 子もな い 大きな笑
40
専 ら鴇 子 の 年 若 い 青 年 へ の浮 気 心 や 青年 の 心 を 弄ぶ 様 に 面 白さ を 感
自 分 の 感 情 を 弄 ぶ と 年 増 な 女 の 性 格 が 面 白 い と 思 つ た 。」( 注 5)と 、
り い た づ ら の 様 に 、 態 と 青 年 の 心 を そゝ る 様 な 返 事 を 出 し て 、 自 ら
熱 をこ め た 手 紙 を よ こ す 青 年 の 心 を 能く 知 り ぬ いて 居 た か ら 、 矢 張
が 他の 青 年 に 恋ひ さ れ たと 云ふ の が 内 容 の 精 髄で あ る 。」( 注 4 )、「 情
手 次 第 で 異 な ろ う し 、そ れ は 同 時 代 評 に も 表 れ て い る 。
「 夫 のあ る 女
し た肉 の 上 を 焼き つ つ ま れて ゆ く 様 な 思ひ 」 だ っ た の だ 。
あ り 、 そ れ が 究 極 に ま で 追 い 詰 め ら れ た 「 焼 け 銅で ち り / \と 露 出
なく、
「 苦 い 一 瞥を 鴇 子 の 面 前 に 投 げ つけ て や り 度い や う な 反 感 」で
ら 引き 出 し た かっ た 感 情 は 、 甘 っ た るく 古 ぼ け た懐 か し み などで は
し よう と して いる と いう こ と が 自 覚 され たで あ ろ う 。 自分 が 類 三 か
と いう 対 関 係 の 前 に 待 ち 構え て お り 、 そ れ を 今 にも 自 分 たち は 獲 得
( 注 7 )。「 魔 」 の 話 の 筋 を 、 全て は 後ろ 三 分 の 一 の パ ー ト に 過 ぎ な
まさに類三のように嫌悪感を抱く傾向が強いように見受けられる
後 者は 鴇 子 の 技巧的な 神 経の 働か せ方や 夫 へ の 態度から か 不快 に 、
象 で は 、 前 者 は こ の 作 品 を 面 白 く 興 味深 い と 評 価す る 傾 向 に あ り 、
方 に 焦 点 を 置 く評 者 も い る 。 管 見 の 限りで 同時 代評 を 通 して 見 た 印
い 皮 肉 な 観 察が 目 立 つて ゐる 。」( 注 6) と 、 夫 に 対 す る 鴇 子の あ り
な 血」が 、本 能的な 欲 求 や生 の 要求など と いう 女と いう 生 き物 の 持
え た今 、そ の 企み は 表 面 化さ れ 、夫 と の 争 闘 の 手段 と さ れ た。
「浮気
と のや り と りで は 決 して あ り え な か った双 方 向 の心 理 戦 の 瞬間 を 迎
子 の中 に あ っ たと して も 、沈 潜して いた 。 し か し夫と 対 峙 し、 青年
し よう と いう 企み は 意 識 化さ れて いな か っ た 。 その よう な 企み は 鴇
弄 ぶ 感 情 、 欲 望で し か な く 、 そ れ を 夫 の 類 三 と の 争 闘 の 材 料に 利 用
鴇 子の 「 浮 気な 血 」 は あ くまで 鴇 子だけ のも の 、鴇 子 一 人が 自分で
ここ で 鴇 子 の目 的 の 大 部分 は も う 叶え ら れ た。第 一 章 の 段 階で は 、
い第三章 の夫と二 人の場面に 集約 さ せる ための 流れだと 捉えると 、
つ の本 質 的 な も のな どで はな く 、 ただひ たす ら 技 巧 的 に 、 手段 と し
じ 取る 評 者 も いれ ば 、
「 此 の作で は 、鴇 子 の 夫 に 対す る 繊 細 に して 鋭
一 概に は 言 え な いだ ろ う が 、 男 性 読 者に は 不 快 感を 抱 か せ かね な い
て 女が 行 使す るも のとな ったのだ 。後は 、 争闘関係 にあ ること を 念
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
な い( 笑 え な い ) 男 。 男 に は も う 、 女 の ヒ ス テ リ ー だ と 嘲 って 姑 息
の 縁 を 赤 く して 唇 を 乾 か して 笑ひ つ ゞけ て 」 見 せる 。 笑 う 女 と 笑 わ
で 、こ れ 見 よ が し に「 物 を 開 く や う な 音 を 立 てゝ 笑 つ 」て 見せ 、
「眼
う にも 鴇 子 を 追 い 詰 め る こ と は 不 可 能だ と で も 言う か の よう な 態 度
の 何が 問 題 か と い う 客 観 的 批 判 や 論 理な ど 無 意 味で 、 類 三 は ど の よ
押 し して い く 作 業 に 他 な らな い 。 開 き 直 る か の よう な 、 鴇 子 の 態 度
技 巧的な 作 品 の描き 方で ある かも し れな い 。 し かし 、お そらく は 大
部 分 の 女 性 読 者 に は 、 先 に 引 用 し た 結末 部 の 鴇 子が 類三 に 言 い 放 つ
ヽ
言 葉 に は 、胸 のす く 思 い がす るこ と だろ う 。
「何うしたのか突拍子も
ヽ
な い 大 き な 笑 ひ が 胸 の 底 を 揺 ぶ り 返 し す る や う な 、 は し や いだ 、
あ たけ た 、ふ ざけ た 、 気 持 」 に な っ た と き よう や く 、 本 当 の 意 味で
鴇 子は 自分が 求めて い たものが 何だ ったのかを 悟っ た。 その時 、青
年 と の 戯 れ の 恋も ど き な ど かす む ような 男 女 の 争闘 が 、 類 三と 自分
41
取る刺激は「 類三 の痩せた姿の輪郭だけが その揉み疲れ た神経の中
い る に 過ぎ な い の で あ る 。だ か ら 最 後 に も 、 鴇 子の 「 神 経 」が 受 け
ることで 自分と類三 を 緊張関 係 に置き、さらに 争闘 へと 駆り立てて
由や夫に よる 拘束の 拒絶など を 訴えて いるので はな く 、そう主張す
な ら を 云 ふ か 分 か り ま せ ん よ 。」と い う 言 葉 は 、言 葉 通 り に 恋 愛 の 自
何 時で も 心 中 の出 来 る 女 な んで す も の。 あ な た にな ん か 、 いつ 左 様
の「 吐 きだ し どこ ろ 」は 夫 類 三 し かな か っ た。
「 えゝ 、私 は 誰とで も
に と って は 我 が 意 を 得 た りな ので あ る 。 や は り 鴇 子 に と って 、「 血」
つ た い と こ ろ を 一 寸 松 葉 の 先 き で 突 つ い た 様 な 思ひ 」 を さ せ 、 鴇 子
を 吐 く く ら い し かで きな い。 し か し それ 自 体 が ます ま す 鴇 子に 「 擽
な い。 ただ 「 苦々 し い や う に 」「ぢ き に動 揺す る 女だ 。」と 捨て 台 詞
に 片付け るこ とも 叶 わ ず 、も は や 女 を非 難す る ため の 理 屈も 言 葉 も
つ ま り 究 極 の 夫婦 の 争 闘 を 描 い た の が 、後 に 書 か れ る こ と に な る「 炮
夢 想す る ので ある 。そして それ が ま さ に 具 現 化 さ れて し ま っ た時 の 、
ー ジを 、 抜 き 差しな らな い現 実的な 出来 事 と して 具 現 化す る事 態 を
こ に いる 鴇 子 と 類 三 と は 位相 の ず れ たと こ ろ に 存在す る 争 闘の イメ
来 を 想定 して さら に 技 巧 的に 自分 を 駆り立て ること に よ って 、 今こ
れ ば いゝ 。目 の覚 め る や うな 。」と 自分 に 言 い 聞 かせ 、そ の よう な 未
か らこ そ 、 鴇 子は 「 春 作 と 云 ふ 男 は 目 の 覚 める やう な 美 し い男で あ
な 女 主 人 公 の あ り 方 に こ そ窺 わ れ る ので は な い だろ う か 。 そ して だ
や 女 主 人 公 の 心 理 描写 が 巧み で あ る と い う よ り も む し ろ 、 こ の よ う
俊 子が 技 巧 的 な 作 家で あ るこ と の 内 実は 、 感 覚 や 官 能 、 神 経 の 描写
と す る こ と へ の懐 疑 と 嘲 弄が 含 ま れ て いる よう にも 思 わ れ る 。 田 村
ころに、男性の自然主義作家のように素直に男女の争闘を極めよう
う。争闘そのものを語りながらも争闘自体が メタ的で あるというと
争 闘で さ え 、 自分 だ け の 幻 想で あ る かも し れ な いし 、 た と え 今こ の
か な い 、 と い う こ と は 、 今 夫 と 共 有 して い る と いう 実 感 が あ る こ の
込 んで 描写 す るこ と は な く 、 専 ら 女 主 人 公 の 内 心 の 動 き に 沿 っ て 語
の語りと いう 体裁はと りつつも 、登場人物 たち の内面に平 等に 踏み
総じて 、田村俊子の〈両性の相剋〉モノは、一応客観的な三 人称
四、〈相剋〉モノの男
烙 の刑 」で あ っ た 。
に ぼん や り と 映つ た 」 と いう よう に 類三 な ので あ る 。
し か し こ れ も 、現 実 の 生 身 の 類 三 と は 少 し ず れ た「 輪 郭 」で あ る 。
「 自分 の 眼 の 前の 明 る い 電燈 の 茶 の 間に は つ き りと 類 三 の 姿を 認 め
て ゐな が ら 、 さつ き の 電 車の 中 の や う に 」 と あ る の は 、 鴇 子に と っ
て 争闘 そ のも のが 、 現 実 の目 の 前 の 類三 を 相 手にす る も ので あ りな
「 刹 那 」 は 類 三 と 何 が し か の も の が 真に 共 有 さ れて い る と して も 、
ら れる 。 基 本 的に は 、 女 主 人 公 が ど う 周 囲 を 捉 え 、 感 じ 、 考え た か
が らも 、 ど こ か仮 想 世 界 のも ので 、 自分 が 技 巧 的に 拵 え た 偽物で し
そ れ は 刹 那 的 な も の で し かな い 、 と いう 感 覚 が つき ま と う か ら だ ろ
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ことに重きが置かれることが多かった。
主 人公 に 対 して 影 響 を 及 ぼす 言 動 を 、女 側 か ら の視 点で 批 判さ れ る
目 に は ど う 映 る か 、 女 主 人公 の 感 情 を い か に 逆 撫で る か と い っ た 女
手 で あ る 男 ( 夫 で あ る こ と が 多 い ) に つ い て の 描写 は 、 女 主 人 公 の
の 心 情 や 思 想 に ば か り に 着目 し が ち で あ る 。 だ から 、 女 主 人公 の 相
を 逐一 追 って いく ス タ イ ルで あ る か ら 、 論 じ る 側も 専 ら 、 女 主 人 公
に よつて 受 取 つて ゐ る に 違ひ な い。」
で くれ た時と 同じやうな 蓮葉な 浮つ いた心持を、その男の手紙
「 女の 胸 に はひ ゐき 役 者が 舞臺 の 上 から眞 つ 直 ぐに 視 線 を 注 い
こ とも 出来 た 。類三 は 淡 い嫉 妬 を おこ さ ずに ゐられな か つ た。
だ る さ う な 崩 れ た 素 振 り を そ の 気 儘 な 鴇 子 の 居 住ひ か ら 捉 へ る
の 香 気 の う ち に浸 み こ んで ゆ く の をぢ つ と 味 は つて ゐ る や うな 、
いが、
「 魔 」以 降 の 作 品で は 、極わ ず かで あ る が 、あ る 限 ら れ た 短 い
「 侮 辱 さ れて ゐる の を お 前は 知 ら な いの か 。 人 を侮 辱 し た 手紙
投げつけて やり度いやうな反 感がおこつて ゐた。
類三 は 然う 思ふ と 「 へ つ」と 云つて 苦 い一 瞥 を鴇 子 の 面 前に
場 面だ け 、 語 りの 視 点が 女主 人 公 か ら 男 の 方 へ 移り 、 男が ど の よう
ぢ やな い か。」
しか し 、実は〈両 性 の 相剋 〉モ ノ の作 品 中、
「 生 血」には 見ら れな
に 感 じ 、 考 え 、 女 を 見て いる の か と いう 男 の 内 心 に 踏 み 込 んだ 描写
類三は 慳 貪に然う 云つ た。
「 お 前 の 平 生 やつて ゐ る 手紙 の 書き かたが 悪 る いんだ 。 お 前は
が な さ れ る 場 面が あ る のだ 。 殆 ど 女 主 人公 ば か りに 偏 っ た 、言 って
し ま え ば 不 平 等で 不 均 衡 な 視 点 で な さ れ る 語 り の 中 で 、 い く ら 三 人
い つも 小 説 で も 書 く 気 に な つ て 手 紙 を 拵 へ る ん だ か ら 。」
さ う し て 、 引 つ 切 りな し に 何 物 か に 悩 乱 さ れ て ゐる やう な 鴇
称語りで あろうと その短 い場 面だけ視点が移されると いう 、統一感
を 乱 し 不 調 和 を も た ら し かね な い 極 めて ア ン バ ラ ン ス な 語 り の 方 法
鴇 子が 青 年 か らの 手 紙 を 類三 に 見 せて 、 不 穏 な 緊張 感 高ま る一 瞬 の
子 のす べて の 表情 を 見て ゐる と 、 類 三は 焼 け 銅でち り / \と 露
る 形に 表 面 化 しな け れ ば な ら な い と いう 田 村 俊 子の 意 図 が あ る は ず
後 、そ れ を 打ち 消 し 誤 魔 化す か の ような 態 度 を 取っ た 直 後 の場 面で
には、女 主 人公視 点で 見た男で はな く、どう しても そこ だ けは 客 観
で ある 。 そこで 、こ こで は「 魔」 のもう 一 人の重要 人物 、鴇子の夫
あ る。こ こ に 描かれて いるのは 、鴇 子の 無意 識 のようで いて 意 識的
出 した 肉 の 上 を焼 き つ ま まれて ゆ く 様な 思ひ が した 。
で ある 類 三 の 内心 に 焦 点 を当て て 見て いこ う 。 類三 に 視 点が 移 る の
な 男女 の 争 闘 を希 求す る 目論 見が 類 三 か ら 引 き 出す に 至 っ たそ の 結
的 に 第 三 者 の 目で 男 の 内 面 に 立 ち 入 って 男 の 心 情 を 露 に 、 目 に 見 え
は 、 先 に も 引 用 し た 中 に あ る 次 の 箇 所だ け で あ る 。
果ということが可能だろう。鴇子が 自身の「 血」と 、第一章から第
ヽ
類三 は 鴇 子 の眼 元 に 平 常見るこ と の出 来 な い色つ ぽ い し ほ を
三 章 に 至 る 経 緯で の そ の 変 容 を 意 識 して い る と 同 様 、 類 三 も 鴇 子 の
ヽ
見 付け て ゐ た 。さう して 、自 分 の 身 體 の 血が だ ん/ \ と 強 い酒
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年 を思 う と き に は 、 こ こ まで 退 廃 的 な 空 気 を 纏 う も ので は な く 、 も
濃厚な 香りに浸し込んだもので ある。実際は、鴇子が夫ではなく青
を 思わ な いで は い ら れ な い。 し か も それ は 、 鴇 子が 自覚 す る 以 上 に
ぢ つと 味 は つて ゐ る や う な 」と 表さ れる よう な 退 廃的で 淫 らな「 血」
「 身體 の 血がだ ん / \と 強い 酒 の 香 気のう ち に 浸みこ んで ゆく の を
こ その 「 反 感 」で あ り 、 鴇 子 も そ れ を承 知 の 上で 争 闘 を 仕 掛け た の
度のとこ ろ まで 鴇 子と いう女 のあ り 方を分 か って しま って いる から
いな い よう な 愚鈍な 男で はな い。全てと は 言わ な いまで も 、あ る程
三 は 、 鴇 子 の 思惑も 読 み 取れ ず 、 鴇 子と いう 女 のあ る 一 面 しか 見て
して 類 三 自 身 が 抱 く 忌 々 しさ は 、 読 者も 同 情 し たく な る ほ ど だ 。 類
い」
「 反 感 」が 表れて いる のだ 。こ んな 妻 を 持 って し ま っ た 自分 に 対
さ う して 、 引 つ切 り な し に 何 物 か に 悩乱 さ れて ゐる や う な 鴇 子
っとプラ トニックで ロマンチックな 甘さが残るもので あった。しか
で あ る 。 な ぜな ら 今 、 類 三 の 目 の 前 に い る 鴇 子 にと って 、 青年 の 手
のす べて の 表 情を 見て ゐると 、 類三は焼け 銅で ち り / \と 露出
だ。
紙 を夫 に 見 せ なが ら も 官 能的 挑 発 の 対 象 と な って い る の は 、鴇 子 の
し た肉 の 上 を 焼き つ ま ま れて ゆ く 様 な 思ひ が し た。
し 類三 に は 、 より 隠 微 な も の と して 目に 映 る 。 それ も そ の は ずな の
官 能の媒 介物 とな る べき 手紙 を 今こ こで 手に して いる 夫 ・ 類三な の
場 合は か ぎ カ ッコ で 表 記す る )を 思 わ せ ら れ よう 。
「鴇子のすべて の
と いう 類 三 の 心情 に は 、ま さ に〈 炮 烙の 刑 〉
( 作 品名で は な く 、刑 罰
しかし、それす らも 類三にはおぼろげながら伝わ って いるのだろ
表 情」 を 見 た 上で 、 だ か らこ そ 、 そ んな 女 に 争 闘を 仕 掛 け ら れて 翻
だ から 。 そ れ ゆ え 、 こ の よう に 鴇 子 の「 血 」 を 想像 す る 類 三 は 、 ま
う 。だ か ら こ そ、 類 三 に は 単 純 な 嫉 妬で は な く 「 苦 い 一 瞥 を鴇 子 の
弄させられ、どうしようもない身悶え、忸怩たる思い、やり場のな
と して の 意 味 。 以 下 、 刑 罰を 指す 場 合 に は 山 カ ッコ 、 作 品 名 を 指す
面 前に 投げ つ けて や り 度 いや う な 反 感」が 起こ るのだ 。 鴇 子のこ と
い反 感と 憎悪と いったあらゆる 感情が受け 流されることも叶わ ず、
さ に 鴇 子 の 欲 求 を 正 し く 受け 取 っ た と も 言 え る ので あ る 。
を 殊更に 軽侮 し「 慳 貪」な態 度を して み せな が ら浴び せな けれ ば 済
後 の究 極 の〈 相 剋 〉モ ノ と 言 え る 作 品「 炮 烙 の 刑 」で は 、
〈炮烙の
「 焼き つ ま ま れて 」 己 の 身体 と と も に焼 け 爛 れ 、 焦げ つ いて い く 。
してしまう態度への非 難が込められている。それは青年への態度も
刑 〉を 争闘の極致と して 夢見る のは 女主 人公で あり、それに夫も 応
ま な いほ ど の「 反 感 」を 表し た 言 葉 には 、
「 お 前 は い つ も 小 説で も 書
勿 論で あ る が 、 そ れ 以 上 に 、 夫 で あ る 自 分 へ の 対 処 そ の も のが 技 巧
えて「 汝 が 云 つ た 通 り に 焼き 殺 して やる 。」を 呻 く よう に 言 っ た か ら
そんなこ の上もなく苦々しい思いに苛まれて いるので あろう。
的 で あ る こ と 、す で に こ の 諍 い そ の も の が 技 巧 が も た ら し た 結 果 で
こ そ、 そ れ を 女 主 人 公 は 「 自 分 の 人 生 に も 斯 う いふ 奇 蹟 が おこ る の
く 気に な つて 手紙 を 拵 へ る ん だ か ら 」と 、 鴇 子 の何 事 に も 技 巧 的 に
あ り、そ れは 鴇 子に と って は 成 果 と も 言え る も ので あ るこ と への「 苦
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の主人公鴇子はまだ、
「 炮 烙 の 刑 」の 主 人 公 の 域 まで に は 、実 際 的 に
は な く 客 観 的 事 実 と し て 描 く た め に は 、 や は り 類 三 の 内 面 描写 を 作
し かし 、こ の 共 有 さ れ た と いう 現 象 と 実 感 を 、 鴇 子 の 一 人 合 点で
っ たり の 事 態で 、 類 三 に と って は 甚だ 不 本 意 な 事態で は あ ろ う が 。
も 心理 的 にも 到達 して いな い 。む しろ 、 男 の 方が 先に 予 感 し、 自覚
品内に組み込むしかなかろう。
「 魔 」に お いて 、類 三 の 心 の 中 に 踏 み
だ 。」 と 、「 冷 嘲的 」 な が らも 幸 福 に 思う こ と が で き た 。 だ が 、「 魔」
して しま っ たと 言 え る かも し れ な い 。し か し 、 実は 〈 炮 烙 の刑 〉 の
込 んだ 場 面 は ご く 短 い も ので は あ る が 、 し か し 必 要 最 小 限で あ る か
引 き 起こ す こ とがで き た と いう 事 実 を 、 読 者 も そして 女 主 人公 も 確
イ メー ジは す で に 、 鴇 子 の中 に し ば らく 前 か ら あ っ た 。 そ れは 、 青
燃 えて る 火 へ 手を つ け たな ら あ な たは 身 体ぢ う を焼 き 尽 さ れな
認 して 満 足 で き る と と も に 、 争 闘 の イメ ー ジ が 共 有 さ れ た と い う 事
ら こ そ 、 類 三 の 受 け た ダ メ ー ジ の 内 実と 類 三 の 中 に 決 定 的 な 反 応 を
け ればな ら な いんで す 。 あな たは 私 をほ んと に 分 か りも しな い
態 と そ の 「 刹 那」 を 鮮 や かに 際 立 た せるこ と が 可能 に な っ たと 言 っ
年 の 手 紙 に 対 して し た た め た 返 事 の 内 容で 既 に 見 せて い た 。
く せに 、恋 な んて 、そ んなこ と を 仰 しや つて は いけ な い、
(後略 )
と して イ メ ー ジす る に 至 っ た の だ 。 争闘 へ の 志 向と 〈 炮 烙 の刑 〉 の
て 、な ん と 鴇 子で は な く 類三 の 方 が 、 自 ら を 〈 炮烙 の 刑 〉 の受 刑 者
姿 で あ る と い う こ と は 理 解で き よ う 。 そ し て 「 魔 」 の 結 末 部 に お い
愛に希求するものは、
〈 炮 烙の 刑 〉を 待ち 望 んで 争闘 に 臨む 男女 対 の
さらさらならなかった。しかし、真に鴇 子が 男女の間に、男女 の恋
そ んな 青年 相 手に 鴇 子が 〈炮 烙 の刑 〉覚 悟 の恋 愛を しで かす 気に も
れ よう 。こ の 段 階で は 、 それ は 実 際 は 青 年 に は 望 め よう も な い し 、
そ れを 望む く ら い の 衝 動 を 持 つ べ き だ と 責 め る 鴇 子 の 志 向 が 見て と
恋 で は な く 、す る の な ら ば〈 炮 烙 の 刑 〉を 受 け る覚 悟 、い やむ し ろ 、
し かし 実 は 、 若者 に あ り がち な 軽 薄 な 芝 居 気で 自己 陶 酔す る よう な
ム 思 想 の 最 先 端 を 走 って いる よ う な テー マ を 担 って い る 者 と して 捉
俊 子作 品 の女 主人公 たち は、 作 品 の 性質から 、 いかにも フ ェミ ニ ズ
三 者視 点で 男 の内 心 の 悶 えを 暴 くこ とが 不 可 欠だ か らで あ る。田 村
も しく は 不満足に 男 の内 面を 推 し 量るので はな く、 ダ イレ クト に 第
る 必要が あ る からで あ り 、そ の た め には 、 女 主 人公 視 点で 自己 満 足
か、実際にどれほ どの効力を持って いたのかを客観的に明らかにす
ることを追求すればす るほど 、その技巧がどれほど 有効で あったの
の 内 心 に 踏 み 込 ま ね ば な らな い 。 な ぜな ら 、 女 主 人 公 は 技 巧的で あ
は 女 主 人 公 視 点で の 眺 め で よ い 。 し か し 、 ど う して も 相 手 で あ る 男
の 視 点で 確 認 して い く の が 〈 相 剋 〉 モノ で あ る から 、 読 者 が 辿 る の
基本的には 、女主 人公 の思惑と それがも たら した結果を女主人公
てもよいだろう。
イメー ジが 、鴇子と 類三 の間で 多少 のズレはあ れども 共 有され たと
えられがちである割には、女主人公がその思想を声高に訴えたりす
こ こ で は 、青 年 の 自 分 へ の 恋 心 を 諌 め る た め と いう 形 を 取 り つ つ も 、
言 って も 過 言で は な い だ ろ う 。 そ れ は 、 鴇 子 に と って は 願 っ た り 叶
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く る 言 葉で あ るが 、 少 し 女が 思 想 的 に進 んだこ とや 知 識 を 持って い
ることは殆どないに等しい。な ぜな ら、田村俊子作品に何度か出て
のであ る 。
る 場 面 で の 男 の 内 面 描写 、 心 内 語 の 記 述 が な さ れ る こ と は 外 せ な い
ることを表す 台詞を口にすると 、たちまち 相 手の男から「生意 気」
と 言わ れ る か らで あ る 。 夫婦 の う ち 経 済 力 が あ る の は 妻 の 方で 、 夫
の『誓言』とは単行本 のことを指して おり、こ の単行本 には、
注
脱 して い る こ と 、 女 が 自 由で あ る こ と は 作 品 の 当 初 か ら 担 保 さ れ て
「誓言」
「魔」
「嘲弄」
「 悪 寒」
「 紫色 の唇」
「 上方 役者」
「雪ぞら」
は 養わ れて い るに 近 い 状 態で あ る か ら 、 基 本 的 に日 本 の 旧 い家 父 長
は いる 。 そ れ で も 、 ど ん な に 論 理 的 に 正 し いこ と を 女 が 言 って も 、
「 その 日 」「 お とづ れ 」「 女 作者 」 の 十 一 編が 収 め られて い る 。
( 1) み わ 生 「 二 月 の 小 説 ( 月 旦 )」『 新 小 説 』 明 治四 五 ・ 三 ・ 一
そ れが 男 か ら 見る と そ れ が 女 の 賢 し げ だ っ た り いわ ゆ る 男 の 沽 券 に
( 3)岩 野 泡 鳴・
( 遠藤 )清夫 妻 の 恋 愛か ら 結 婚( そ して 離 婚)に 至
制をあてはめた家族関係を〈相剋〉モノの主人公たちに当てはめる
関 わ る よう な 言葉で あ っ たりす る と 、
「 生 意 気 」と さ れ 、発 言内 容 を
るあらま しを 、夫婦 関 係 の修復 はも はや 困 難で ある 現 状 か ら振
( 2 ) 青 頭 巾 「 俊 子 の 『 誓言 』」『 新 潮』 大 正 二 ・七 。 な お 、こ こ で
吟味されるこ とな く、男が表面上は優位 性を 保ったまま、黙殺 され
り 返 って そ れ ぞ れ の 視 点で 語 る( 主 張す る )岩 野清『 愛 の 争闘 』
必 要は な い し 、 そ ん な あ りふ れ て つ ま ら な い関 係 か ら は 初 めか ら 逸
て しま う( 注 8)。思 想 や 訴え は 、夫・男 に は 無 力で あ る 。少な く と
( 4 )無 署 名「 二 月 の 創 作」
『 劇 と 詩 』明 治 四 五・三・一 。な お 、こ
( 大正 四・一 一)と 岩 野 泡 鳴『 征 服 被征 服 』
( 大 正八 )に は 、清
浅 くて も い い 、表 面 的で 付け 焼 刃 、 その 場 限 り のも ので も いい 、だ
の 直 後 に は 「 題 材 と して は 大 し た 物 で は な い が 、こ の 女 の バ ツ
も 田 村 俊 子 の ヒ ロ イ ン たち の 実 感 と して は 。 こ う な って は 、 何 が 本
け ど 確 実 に 相 手に 効 力 を 発揮で き る も の と 、 そ れが 効 果 が あ っ たこ
ク を 廻 つて を る 影で メラ ンコ リ ー な 光 り が ま た た いて ゐ る やう
と泡鳴の恋愛観、結婚観の大きなズレと、まさに争闘する男女
と の 証 な の で あ る 。 そ し て そ れ を 求 めて い る の は 、 何 も 作 品 の 女 主
で 、 そ う し て 感 覚 的 な 描写 が き び / \ と し て 如 何 に も 本 物 ら し
質な の か 、 何 が 真 理 な の かと い っ た深 層 の 探 求 な ど 無意 味 と 思 えて
人 公 ば か り で は な い 。〈 女 作 者 〉田 村 俊 子も そ う な のだ 。だ か ら こ そ 、
く 心 持 が 良 い 作で あ る 。 こ の 頃 よ く あ る や う な 軽 い 、 薄 い 作で
の 姿が 窺わ れ る 。
多 少 不 自 然で も 、 バ ラ ン スが と れて いな く と も 、女 主 人 公 の目 論 見
も な い の が 面 白 い 。」と 評 価 さ れて い る 。
も しょう が な いだ ろ う 。〈相 剋〉モ ノ の ヒロ イ ン に と って 必 要な の は 、
や 言動 が 実効 力を 持 って いたこ と の証と して 、 それ を 最 も 露にで き
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( 6 )注 1 に 同 じ 。引 用 箇 所 直 後 で は 、
「併し自分が氏の作に常に感
の 手に よ つて 証明 を して 貰ふ 事 が 出 来や う かと 思ふ と 、 み
智識の上でこの男が自分の前に負けてゐると云ふ事を誰
の よう に 思 う ので あ る 。
ず るこ と は 神 経 の 描写 は あ つ て も 感 情 の 描写 が な い と い ふ 事で
のるは味方のない自分が唯情けな かつた。
( 5) 加 能 作 次 郎「 二 月 文壇 評 」『 早 稲田 文 学 』 明 治 四 五 ・ 三 ・ 一
あ る 。 氏 の 作 は い つで も 自分 は 少 しも 情 を 動 か さ ず に 他 人 の神
種 の 感 情 が 動 いて ゐ な い 、 滲 み 出 て も ゐ な い 、 何だ か 皮 膚 の 硬
タ ー 、一 九 八 七・一 二・一 〇 )に 拠 る 。そ の 他 の 引 用 は 初 出 に 拠 る 。
「 魔」 本 文 の 引 用 は 、『 田 村 俊 子 作 品 集 第 1 巻』( オ リ ジ ン 出 版セ ン
経 の 変 動 を 描 いて る や う な 気 が す る 。 従 つ て 作 全 体 の 面 に あ る
く な ッ た 手 に 触れ た や う な 感 じ が す る 。 故 に 情 味と か 情 趣と か
は 氏の 作 に 於て 見 る こ と が 出 来 な い ので あ る 。」と 批 判 して い る 。
( 7 )他に 例 え ば 、時 評 記者「 二 月 文 壇 の 重 な る 現 象 」
(『 文 章 世 界 』
明 治四 五・三・一 )で は 、
『 青 鞜』の 作 家たち が「 揃ひ も 揃 つて 、
小 さな 小 器 用 な 、上 つ ら の物 真 似 に 満足 して 居 る」
「感情の浅い
誇張の多い、小さな主観ばかりで 、小ぽケな シーンを、余所行
き の態 度で 取 扱つて 許 り 居る 」 の に 比して 、田 村俊 子 を 女 流の
中 で 抜 き ん 出 た 存 在 と し て 評 価 し て い る が 、「 魔」に つ いて は「 寧
ろ ち く / \ し た好 奇 心 か ら 、 事 件 の 成 り 行 き を 喜んで 待 ち 迎へ
て 居 る や う な も の の 気 が して 、 軽 い 反 感 が そゝ ら れ ず に は 居 ら
れ な か つ た 。 描写 も な ま じ つ か 巧 み さ か 、 却 つ て 全 体 の 落 ち 着
き を 破 るこ と とな る 。」 と 批判も 加えて い る 。
( 8) 例 え ば 「木 乃 伊 の 口紅 」(『 中 央公 論 』 大 正二 ・ 四 )で は 、 夫
の 義 男 は「 生 意 気 云 ふ な い。君 な ん ぞ に 何 が 出 来 る も ん か 。」と
いう 言 葉 を 「 土方 人足 が 相手 を 悪 口す る 時 の 様な 、 人 に 唾で も
吐 き か け そ う な 表 情 」 で 妻 の み の る に 言 う 。 そ して み の る は 次
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第三章
「炮烙の刑」論
――女主人公が求める「奇蹟」――
・
・
・
・
・
・
・
も しれな い」
(「 誓 言」)と いう あ いま いな 疑 惑 から 、妻 が「 若 い恋 人」
・
・
・
・
・
・
と 「 口 づ け 」 を し たこ と を夫 に 知 ら れて し ま う と いう 「 炮 烙の 刑 」
の具体的な 事 実へ」
( 注 2 。傍点 筆 者 。な お「 誓 言 」は『 新 潮 』明 治
四 五 ・ 五 ) と 夫婦 の 闘 争 が よ り 現 実 的な も の へ と 強 調 さ れ たと 言 え
る。
「 魔」や「 誓 言 」で の 争闘す る 夫 婦関 係 を 、妻 の 浮 気と いう 現 実
問 題 を 加 え る こ と で さ ら に 突 き 詰 め よう と し た のが 「 炮 烙 の刑 」で
ある。
それ まで の 〈相 剋 〉 モ ノが 作 品 の 途中 に 修羅 場を 配 して 争う 男 女
作 品に は 描 か れな い 部 分 に 直 接 的 な 修羅 場 が あ り、 そ の 二 度の 修羅
はじめに
田 村 俊 子 の いわ ゆ る 〈 両 性 の 相 剋 〉 モ ノ と 称 さ れ る 作 品 群 を 、 長
場 に挟 ま れ た 部分 を「 炮 烙の 刑 」で は 描 いて い る 。そ の 間 の女 の 刻々
を 描いて い た のに 対 し、
「 炮 烙 の 刑 」は 冒 頭 以 前と 結 末 以 後 、つ ま り
谷 川啓 は 「 女 性の 新 し い 自我 の か たち 」 の 追 求 が テー マ だ と し 、 さ
と 移 り ゆ く 心 情を 見 る に 、こ の 作 品 は 偶 発 的 に 争う 男 女 の 有様で は
女主人公は 旧思想から 脱しきれて お らず、思 想も無自覚で 不徹 底と
あ り願 望 な の だろ う か 。 そう だ と して も 、 多 く の 同 時 代 人 に よ る 、
て フェミ ニ ズム意 識を押 し出すこ とが俊子や女主人公 の 真の目的で
み 取れ る 。 し かし、 結 婚 制度を 解 体 し、 いわ ゆ る女 の 自我 を主張 し
反 抗と いう 女 の欲 望 と そ れを 達 成 し た時 の 充 足 感に も 似 た 快 感が 読
ム 意 識 を 窺 う こ と が で き 、男 に 反 抗 せざ る を 得 な い 状 況 の 糾 弾 や 、
多くの論者が指摘するように、
〈 相 剋 〉モ ノ に は 確 か に フ ェ ミ ニ ズ
とする女の思惑の方にあるので はな いか。
焦 点は 争 い に な って し ま う 状 況 に あ る ので は な く 、
〈相 剋 〉を 迎 え ん
な く 、〈 相 剋〉を 志向す る 女 の内 実 に 重 きを お いて いる と 言 って よ い。
ら に「 彼女 のフェミ ニ ズ ム意 識が 最 高度に 噴出 した」 作 品の頂 点と
し て 「 炮 烙 の 刑 」(『 中 央 公 論 』 大 正 三 ・ 四 ) を あ げ て い る ( 注 1)。
女主人公をと りまく 人間関係 の モチーフと して は、第Ⅰ 部第二章で
論 じ た 「 魔」(『 早 稲田 文 学 』明 治 四 五 ・二 ) の 、 面 識 は な いが 自 分
のこと を 慕 って いる 青 年 と の 手 紙 の やり 取 り に 関 して 夫 と 言い合 い
になった後、青年のことを「目の覚めるやうな美しい男であれば
いゝ 」と 考え た女 主 人 公 の そ の 後 を 描い た 感 の ある 作 品で ある 。
「炮
烙 の刑 」 に 至 って は 、 女 主 人 公 は 現 実に も あ る 青年 と 密 会 す る 関 係
に まで 発 展 して お り 、
「 口 づけ 」まで したこ と が 夫に ば れて 激 し い 争
い を し た 後 の 男女 の 様 が 描か れ て い る 。鈴 木 正 和が 言う よう に 、
「夫
婦 の確 執 の 事 件的 発 端 が 、
「 妻が 他 の 男 の 顔 を み て 、顔 を 赤 く し た か
48
する批判(注3)は田村俊子と いう 作家に対しては的外れの感が否
めな いが 、 し かし 、女 主 人公 たち が 心から 欲 して いるも のはその よ
うなものなのか。
当 然だ ろ う 。
鈴 木 正 和 ( 注 5)は 、 主 人公 が 「 必死 に も が き 求 め 得 よ う と して
い たも の は 、
〈恋 愛 〉そ の も の の 獲 得 と い う よ り も 、む しろ 他者 に よ
・
・
って 占 有さ れ るこ と のな い〈 個 人〉 として の 〈 自己 〉 の 獲 得、つ ま
・
「 炮 烙 の 刑 」 の 結 末 部 を 見て み よ う 。 女 主 人 公 ・ 龍 子 が 家 を 出 て
・
りは本当に 自分が 自分で あることの出来る「 自分の戀」が成立す る
・
行 った 夫・慶 次 のこ と を 、関 係 修復 を 図 って 追 い か けて お き な が ら 、
以 前の 自 由な 内 面的土 壌の形成 」
( 傍 点 筆者 )で あ る とす る 。故 に「 炮
・
冷 たく も 旅 先に男 を 残 して 一 人東 京 に 戻 っ た翌 日、 女 のも とを 浮 気
烙 の刑 」を「〈 結 婚〉と いう 制 度 に よ って 占 有 さ れ た 不 安 定 な 自 己 か
・
相 手 の 青 年 が 訪 れ る 。 そ の 青 年 を 送 り に 外 に 出 て 二 人で 話 して い た
ら 、た と え 〈 火油 り の 刑 〉に さ れて も 、 自 己 を 主張 し 、 肯 定す る 主
・
ところ を 、旅 先から帰 ってき た夫に目撃される。青年を その儘残し
人 公 を 描 き 出 す こ と に よ って 、
〈 個 人〉と して の 解き 放 た れ た〈 自 己〉
・
て 女が 家に 向 かう と 、 道 の 角 に 夫 が 立 って い た 。 そ して 、 男 の 「 殺
を 、 壮 絶 な 内 的 葛 藤 を 経 て 決 死 の 思 いで 獲 得 し よう と し た 、 一 女 性
・
気を含んだ その眼」にぶつかり、腕を捕まれる。
の 意 識 的 変 遷 のあ り 様 を 描い た 作 品 」で あ り、「〈 家 制 度 〉 や 〈家 父
いない存在な のか。俊子作品の場合、その前提が疑わ しい。実際に
取 ら れ か ね な い 。 女 は 自 己 獲 得 を 目 指す 、 つ ま りま だ そ れ がで き て
みなすことにも繋がり、これは俊子作品の女達には「侮蔑」と 受け
男 や制 度 に 縛 られ 反 抗 す るこ と で し か 解 放 さ れ な い 被抑 圧 的 弱 者 と
存在〉とし、反抗は男や制度に対する処罰と考えるのは、逆に女を
の は 確 か で あ る 。 し か し 、 そ こ か ら 前提 と して 、女 = 〈 抑 圧 さ れ る
〈 相剋 〉 モ ノ の女 たち が 、誰 に も 抑 圧 さ れ な い 個を 希 求 して い る
な 『 奇 蹟 』」で ある と 論 じて い る 。
そ して 結 末 の 「 奇 蹟 」 は 「 龍 子 の 内 面 的 な 〈 自 己 獲 得 〉 と いう 大 き
弊 害 を 処 罰 す る た め の 方 向 性 を 内 に 秘 め た テ ク スト 」と 捉 え て い る 。
長 制〉 が 持 たらし た 〈 個 〉の生 き 方 を阻 害す る 結婚 制 度 そ のも の の
・
「 汝が 云 つ た 通 り に 焼 き 殺 して や る 。」
慶 次 は う め く やう に 低 く 云つ た。そ の 息が 大 き く 弾 んで ゐ た。
龍子は黙つて 引き ずられて行つ た。恐怖が全身を襲つ たけれど
も 、龍 子 は 非 常な 力で そ れを 押 さ へ つけ た 。
「 ど ん な 目 に も 逢 ひ ま す 。逢 は し て ご ら ん な さ い。」
自分 の 人生 に も 斯 う いふ 奇蹟がおこ る のだ。― ― 龍子は 冷 嘲
的 に 然う 思ひ なが ら 空 を 見た 。 青 い 空は 幸 福 に 輝 いて ゐ た 。
こ の 「 奇 蹟 」 と は 一 体 何 な の か 。 平 塚 ら いて う は こ れ に つ いて 「 私
には何のことだか分らな い」
(注 4 )と 言 って い る 。恋 愛 も 自己 を 完
成させるための手段で あり、自分の思想を徹底させることが第一だ
っ たら いて う には 、中 途半端 に 自由恋愛を 遂 行する 龍子は 無自覚で
内 省 不 足 に し か 見 え な い 。思 想で 見て し ま う 人 には 分 か ら な い の も
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は 、実質的な抑圧を夫から受けることはな いも のの、実感的に夫の
突 き つ け た い 何ら か の 思 いが あ る か らな の だ 。
こ と を 告げ る 。そ して 、 同時 に 性 ・ 言語 ・ ジ ェ ンダ ー と いう 男 性 中
一方、
「 自我 の解放 」な ど の タ ー ムで 語 るこ と に 限界 を 感 じて いる
女 が 真 に 欲 す るも の が 個 と して の 自 己な ら ば 、 男と 別 れ て しま え
心 の シ ス テ ム から 、新 し い男 女 の 関 係 、対 話 の 舞台 へ と 移 行し た『 奇
権力とも 言え ぬ圧 迫を抑圧と して 感 じ、それに反抗を 試み たりして
ば いい 。 野上弥生 子も 「 女主 人公 に イン テレ ク チユ ワ ルな 方面が 多
蹟 』で もあ る 」と 述べて いる( 注 7)。こ れ は 本 論文 の 論 旨 に近 いと
論 者も い る 。 光 石 亜 由 美 は 「 炮 烙 の 刑 」 結 末 部 に つ いて 、「『 焼 き殺
分 に 存 す る な ら ば 、 彼 女 の 今 ま で の とこ ろ 唯 一 な 仕 事 と な つて る ら
こ ろ も あ る の だが 、こ の 考 え方 に は 根 底に 、女 の 争 闘 の 対 象 と して 、
いるので はあるが 、あえて 自分=〈抑圧されな い存在〉で あると 強
し い恋 愛 関 係 の紛 糾 な ど は 、容 易に 解 決さ れ る も のだ と 思 は れま す 」
女 と 対 立 し 服 従 さ せ る 男 性原 理 が 支 配す る 制 度が あ る と 思 わ れ る 。
して や る 。』と いう 生 々 し い呻き 声 は、慶 次 の夫 と して の プラ イド( 慶
( 注 6 )と 言 って い る よう に 、理 性 的 解 決 は 不 可 能で は な い。実 際、
そ して 、 女 が そ の 制 度 に 加 入で き な い 除 外 者 だ から こ そ 、 制 度 や 男
調 し た 上 で 、 男 を 抑 圧 者 と い う 点 以 外 の 面 に お いて も 断 じ て い る の
龍子自身も慶次を追う際中、
「 自 分 は 慶 次 か ら 離 れて 、い つ たん 自 分
を 憎 悪 し 、 解 体 し よ う と して い る と いう こ と に な ろ う か 。 し か し 、
次の手紙によく表れて いる)が 龍子の意志のまえに瓦解し、彼が夫
の や つ た 行 為 のまゝ に 、 明 ら か に 自 分 の 境 涯 を 導 いて 行 く のが ほ ん
女が憎む のは そんな シ ステムの中に いる 男と いうも のな のだろう か。
で はな い か 。 男に 望 んで いるこ と は 、女 の 個 を 抑圧 せ ぬこ との 他に
と うで はな いか」と 自 問する く ら いだ 。 男 や 制 度か ら の 解 放 を 望 む
制 度な ど と いう 外 圧 的 、 無機 的 な 要 素を 考 慮す るで な く 希 求す る 男
の 役割 か ら 、 男と 女 の 〈 欲望 〉 が 交 差す る 舞 台 にま で 引 き ずり 出 た
気 持ち も 多 分 に あ る 。 そ れで も 女 は 解決 を 目 指 さな い 。 自 分 の 言 い
女 の対 の あ り 方と い う も のが 女 の 中 に 見 え な い か 。 結 論 を 先に 言 え
ももっと重要なこ とがあるのだ。
分 を 男 が 受 け 入 れ る こ と は あ り 得 な いと 想 像 で きる 状 況で 、 離 別 も
結末部を素直に読めば、
「 奇 蹟 」と は 女 に「 炮 烙 の刑 」が も たら さ
ば 、女 が 真 に 憎悪す る の は 制 度や そこ に い る 男で は な く 、 自分 の 欲
も 理 解 可 能だ が 、 必 要 以 上に 自 分 を 男に対 立 す る 存 在 と して 見 せ つ
れ るこ と に 間 違 いな い。
「 奇 蹟 」と 称 して し ま う ほ ど 女 は そ れ を 渇 望
謝 罪も 考 え な い。 つ ま り 解決 が 女 の 目的で は な いので あ る 。む し ろ
け よう と す る 態 度 は 、 単 な る 自我 の 主張 を 超 え るも の が あ るこ と を
して い た の だ 。で は 、 女 が 欲 す る 「 炮烙 の 刑 」 と は 何 な の か 。 女 は
す る対 関 係 に 加担 しな い 、対 に 相 応 しく な い 男な のだ 。
思 わ せ る 。 個 への 希 求 と 言う だ け で はは み 出 して し ま う 欲 望が 女 に
何 を望 み 、 何 を 男 に 突 き つけ て い る のか 。 フ ェ ミ ニ ズ ム 意 識と は 別
解 決を 避 け て いる 。 男 の 意に 沿 わ な いのは 自 己 獲 得 と いう 点からで
見え隠れす る 。女が 解決を避けるのは、女側の問題で はなく、男に
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の観点から女の欲望を探りたい。
して の女 への侵略で あ るだけで な く 、夫婦と いう対 を 崩し逸脱す る
行為だ からこ そ、 龍子は 慶次 の 口出 しを 認 めな かっ た。慶次は 自分
と 龍子 の 対 のこ と だ け を 考え て い れ ば よ い の で ある 。
そも そ も 、龍 子 に と って 宏 三 と の 関 係 は 所 詮「 い た づ ら 」な のだ 。
る。
「 あ の 青 年 を 愛 す の も 、慶 次 を 愛 す の も そ れ は 私 の 意 志で は な い
と いう 無 関 係 の 二 つ の 対 が 主 人 公 を 基 点 に 形 成 さ れ て い る と 思 わ れ
な くと も 女 に と って は 、中 心 とな る〈 龍 子― 慶 次 〉と〈 龍 子― 宏 三〉
の よう に 思 わ れ る が 、 こ の三 人 は 決 して 三 角 関 係な ので は な い 。 少
年 宏三 の 三 人で あ る 。 設 定を 見 る と 主 人公 を めぐる 三 角関 係の 話 か
「 炮烙の刑」の登場人物は、主人公 龍子と夫慶次、浮 気相手の 青
関 係 的 に 男 達 を 見 る な ら 、当 初 、 女 が 「 い た づ ら 」 と して 楽し ん だ
る べき 男 と して 青 年 を 見 るこ と な ど 女 に は あ り え な い 。 あ えて 三 角
人 形だ と 思 つ て 見て ゐ た んで す か ら ね 」 と 言 い き る 。 三 角 関 係 に な
恋 のシー ン を 楽し んだ だ けで す 」
「 私 はど んな 場 合に も 、男 を 美 し い
七 )で は 、 女 は 夫 に 青 年 と の 浮 気 の こ と を 「 ど んな 場 合 に も 私 は 唯
な るが 、
「 炮 烙 の刑 」の 後 日 譚 の よう な「 奴 隷」
(『 中 央公 論 』大 正 三 ・
い。人生や生き方を 揺るがす ような重大なも のではな い。他作品に
一、〈女―男〉という対へのこだわり
か」「 私の 為 たこ と は 私 の 為 たこ と だ 」「 あ の 行 為 も 、 私 の 男 へ対 す
時 期は 二 人 の 男は 全 く の 無関 係 だ が 、慶 次 に 関 係を 知 ら れて か ら の
慶次との間で はもう 味わえな い恋の情緒を満たす為のも のに過ぎな
る 愛も 、 み んな私のも の」等の「 私 」を 強調す る言葉は 、 女の 自我
従って 、 龍子は 宏三に対して も 、 龍子夫婦 の関係に 介 入するこ と
宏三に関して なら、龍子と慶次と いう対をより壮絶で 分かち難いつ
りでは 、慶 次 と宏三 の間 には 何ら 結 びつき は な いのだ 。 性 質の違う
を許さな い。龍子が東京に戻った翌日、宏三は 龍子を訪 問するが 、
の 主 張 と い う だ け で な く 、 二 つ の 対 は お 互 い 無 関 係 で 、 男 たち の 相
二 つ の 恋 愛 を 独 立 に 成 立 さ せて い た ので あ り 、 それ をひ っ く る め た
龍 子は 宏 三 の 甘え る よ う な 態 度 に も 反 応 せ ず そ っけ な い 。 慶次 と の
な が り へ と 導 く た め の 当 て 馬 と して の役割 を 充て ら れ た と 見る べ き
複 雑な 人 間 模 様を 織 り 成 して いこ う と い う 気 は な い 。 そ れ ぞ れ が 全
争 闘に ど っ ぷ り浸 かろ う と して い る とこ ろ な のであ る か ら 、それ も
手 は 自 分 だ け な ので あ り 、 男 たち が 自分 の 所 属 す る 対 を 逸 脱す る こ
く 関与 し 合わ な い別 物 な のだ 。だ か らこ そ 、 慶 次が 龍 子と 宏三 の 関
当 然だ 。 当 て 馬と して の 宏三 の 役 割 は果 た さ れて お り 、 も は や 不 必
だろう。
係 につ いて 口 出しす るこ とは 許 さ れ な い ので あ る 。 慶 次 が 女を 責 め
要なのだ 。今更「 いたづら」を続ける気分になろうはずもない。だ
と は許 さな いとす る 心 情 の表れと も 捉え ら れ る からだ 。女 の心 積も
る こ と は 、 女 自身 のこ と に 何 の 権 限 も 持 つ は ず のな い夫 に よる 個 と
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の 龍 子 の 上 に 覆ひ か か ら う と は 」 と 、 自 分 等 を 悲 劇 の 真 っ 只 中 に い
「 殺す 」 と 言 っ た 慶 次 と いう 「 恐 ろ し い 悪 魔 の 手が 、 自 分 の為 に こ
も な い 。 自 分 は 龍 子 と 神 聖な 恋 愛 を して い る つ も り で あ り 、 龍 子 を
か ら 宏 三 に 別 れ を 告 げ る のだ が 、 宏 三 は そ ん な 女 の 状 況 な ど 知 る 由
で もな い 。 そ れは 女 の 個 と して の 自 我 を 犯 す と いう 点で も 許 し 難 か
先 導者 の 如く 主導 権 を 握 るな ど も って の ほ か、
「僭 越 」以外 の 何も の
を 合わ せ る 、つ ま り 女 と 慶次 と の 仲 に 介 入 し 、ま して や 女 の代 弁 者・
夫 婦 の 問 題 に 口を 挟 む 資 格は 元 よ り な い ので あ る 。 宏 三 が 慶次 と 顔
を 感 じて 不 快 にな る 。 夫 婦 の 対 に と って は 部 外 者で あ る 宏 三 に は 、
こ のよ う に 龍子は 、 慶 次 が 夫 婦 の 対 以外 のこ と に 口 出 し して 対 を
る 男女 の つ も りで い る 。 そ し て 龍 子 に 「 私 は 覚 悟 し て ゐ る ので す 。
つ しや る 訳 に は 行 か な い 。ど つち か を 取 ら な け れば 」 と 訴え か け 、
逸 脱す る こ と を 認 め ず 、 宏 三 に 対 して も 夫 婦 関 係 に 介 入 す るこ と を
ろ う し 、 何 よ り 、 夫 婦 の 対 を よ そ 者 が 乱 す と い う 点で も 許 して お け
龍子が「 自分の手に逃れて来て くれる」ことを望み、それによって
許 さな い 。こ れは 女 が 個 を 希 求 して いる 為 と 言 う よ り は む しろ 、 自
私 は も う 親 も 家も 思 ひ は しま せ ん 。 私は あ な た の 思 ひ 通 り に な り ま
「 こ の 恋 は 一 層濃 く 強く 実際 的 に 結 ばれ る のだ と 思 つ た」。宏 三 は 女
分 と 慶 次 と の 〈女― 男 〉 の対 に こ だ わ って いる 為だ と 思 わ れる 。 女
な いに 違 いな い。
を 慶次 と 取 り 合 って い る 気な ので あ り 、 女 も 自 分 と 慶 次 の 間で 心 が
は 、浮 気を して 夫 以 外 の 男と も 対 を 作 って は いて も 、 根 本 的 に は 夫
す 。あ な た に は な れ る の は い や で す 」
「 到底 二 たつの道を 同時に いら
揺 れて い る 、 つ ま り 夫 婦 関 係 と 張 り 合 え る ほ ど に 自 分 ら の 関 係 が 女
で ある慶次 しか見て いな いのだ 。
更 に女 は 、 対 へのこ だ わ りを 自分 だ けが 持 って いるこ と に も我 慢
に と って も 重 大な も ので あ る と 過 信 して い た 。 し か し こ れ は 自 惚 れ
で あ っ た 。 女 は そ ん な こ と は 考え も しな い 。 こ う な る と 宏 三 は 女 に
な らな い。 慶 次が 自 分 と 宏三 と のこ と に 口 出 し す る の は 、 対 か ら の
勿 論 、 個 と して の 自 己 獲 得は 当 然 と して 、 そ ん な 個で あ る 男女 が
と って 「 煩 い 」 存 在で し かな い 。 し か し 情 に も ろ い 女 で あ る の で 、
よ う と す る こ とだ 。 夫 婦 関 係 に 自 分 も 関 与 して いる と 自 惚 れて い る
一 対 一 で 向 き 合う 関 係 を 龍子 は 模 索 して い る 。 こ の よ う な 闘 争 に 対
逸 脱と いう だ けで な く 、 自分 たち 夫 婦 の 対 に 対 す る 執 着 の 弱さ と と
こ と 自 体 が 許 せな い 。 龍 子が 宏 三 と 話 して い る とこ ろ を 旅 先か ら 戻
す ると りく み 方は 女 の 一 方通 行 にな りがち だ 。 しか し 、 双 方向で な
宏三の哀れさには 心が 惹きつけられたりもす る。それで も 女には絶
っ た慶 次 が 目 撃 して 去 って い っ た ので 、 宏 三 は 女 を 守 る ナ イト 気 取
い と 〈 相 剋 〉 は 成 り 立 た な い 。 だ か ら 、 対 に 対 す る 執 着 、 自分 と い
る ので あ る 。 女 は そこ も 責 めて い る のだ 。
りで「 私は 野 代さ ん( 慶 次 のこ と 。引 用 者注 )に お 目に かゝ り ま す 」
う 存在の 相 手への ぶつけ 方が 自分 からだ け の 一方的な も のでな く 、
対 に許 せな いこ と が あ る 。そ れ は 宏 三が 自分と 慶次 と の 対 に 介 入 し
と 決心 し た よう に 女 に 言うが 、こ の 言葉 に 女 は「 僭 越 の 意 味の 侮 辱」
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女 が 望 む よ う な 、 対 に 執 着す る 男 と は 、 ど の よ う な 存 在 だ ろ う 。
て いこ う と す る 。そ して 男 を も 対 に 執 着さ せ よ う と 画 策 す る 。で は 、
女 は 何 人 か ら も隔 絶 さ れ た二 人だ け からな る 対 に執 着 し 、 作り 上 げ
を 達成 して 「 奇蹟 」と も 言え る 真 の 〈相 剋 〉 を 成立 さ せる ために 、
同 質の も の を 男 か ら も 返 して く る こ と を 女 は 望 んで い る の だ 。 こ れ
辱する 憎む べき 男 に は 反 抗 して み せな け れ ば な らな い。 し かし 、こ
て やる 。 悪 態 を吐 く 。 然う して 殺 さ れや う 」 と 思う のだ 。 自分 を 侮
る 心か ら きて いるも ので ある 。だ か ら「 私 は 死 ぬまで 彼 男 を 毒 突 い
いう理不尽な思いを抱えながらも男に反抗すること 自体を第一とす
「 何故 私は 男 の怒 り を 受 けて 殺 さ れなけ れ ばな らな い のだ らう 」 と
れ は 何 か を 覚 悟 し て の 態 度で は な い 。だ か ら 男 に 対 す る 恐 怖 は ま だ
拭えず、ま た 逃げ ようともす る 。
で は 第 五 章 、旅 先で 男と 対 峙 し た 際 の 女 の 言 葉は ど う か 。第 一 章
あ る 。こ れ に 関 連 して「 炮 烙 の刑 」で は 第 一章 の 女 の「 殺 さ れ よう 」、
「 炮烙 の 刑 」 を受 け る と いう こ と は 、男 に 殺 さ れる と いう こ と で
抗 な のだ 。 そ の反 抗 心 も 家出 し た 男が 残 し た 哀 れな 手紙 に よって あ
対抗ので きるやう な 不貞腐れた強い意地」で 侮辱を跳ね返す為の反
下に出た言葉だ。
「 い つ 、突 然 に 慶 次 が 眼 の 前 に 現は れて も 、そ れ に
二、「殺せ」という言葉に込めた女の心情
第 五 章で 男 に 突き つ け る「 焼 き 殺 して 下 さ い」、結 末 部 の 男 の「 焼 き
っ さり 鎮ま り 、情 に ほ だ され 男 を 追 いか けて いく 。だ が 、 いざ 男 に
の 「 殺 さ れ や う 」 は 男 が 自分 を 殺 そ う と して い る と い う 思 いこ み の
殺 して や る 」 と そ れ に 返 す 女 の 「 ど んな 目 に で も 逢 ひ ま す 。逢 は し
も な い 女 に 次 第 に 怒 り と 憎 悪 が 再 燃 して 、 問 題 解決 の 為 に は 女 の 謝
会うと 「 一と 言物 を 云ひ 交は し たその時 から 、もう 慶 次 に 対す る 一
冒頭 、修羅 場の翌 朝目覚めた女は 、男がこ れから 自分 を殺そうと
罪 か 離別 し かな いと 考え る。 そ れ に 対 して 女 は 「別 れ る の は いや 」
て ごら ん な さ い」な ど 、途 中 何 度も「殺 す 」類の 言 葉が 女 に よ って 、
して い る と 思 い込 み 、 恐 怖 か ら 逃 げ よう と し た が 、「懲 罰 的 な 侮 辱 」
と 泣き な が ら 感情 的 に 言 いつ の る 。 し か し 女 は 自分 の 声 が 「 他 人 の
種 の反 抗 的 な 感情 」が 兆 し 、しか し 同時 に「 戀ひ し く 」
「 肉に甘へた
を 男に 与 え ら れ たこ と を 思 い 出す に つれ再 び 男 への 憎 悪 の 念が つ の
聲 のや う な 気が して 」
「 突 然、は げ し い力で 彼 女 の肉 の 上 に あ る 感 覚
そ して そ れ を 受け た 男 に よ って 使 わ れ る 。 こ れ ら の 言 葉 に は ど の よ
り、
「 罪 悪 ぢ や な い 。決 して 私 は あ や ま ら な い 。私 は あ な た に殺 さ れ
が お そ つて き 」、男が 女 と 別れて 二 度と 会う ま いと 思 って い たと いう
感 情」 も 抱 く 。一方 男は 、自分 を 追 いかけて お きなが ら 謝 罪の 言 葉
る 。殺 して く だ さ い 。 殺 して く だ さ い」 と 「 男 の 怒 り の 前 に 身 體 を
言 葉を 聞 いて 爆 発 し た ように 出 る のが次 の 言 葉で あ る 。
うな違いがあるのだろうか。
抛 り付 け た あ の反 抗 」が 心に 兆 す 。こ の「 殺 さ れる 」と いう 言 葉 は 、
53
も 酷 い 目 に 逢 は し て も ら つ た 方 が いゝ 、 も う こ の 上 も な い 惨 虐
私 は ま だ そ の 方 が いゝ 。 あ な た に 殺 さ れ る か 、 も つ と そ れ よ り
す 。そ んな 事 を思ふ な ら 殺 して 下 さ い。殺 しち まつて 下 さ い。
「 私を 殺 さ う と 云 つ たぢ や あ り ま せ ん か 。 何 故 然う し な い んで
題は男にあると男に提示したので あ る。
あ っ た 。そ して 男 と の 対 峙 に 至 って 、
「 殺 せ 」と 男に 迫 る こ とで 、問
は女の反抗の意志の表れであった。これは女自身の心構えの問題で
りむ しろ 男にあると 突き つけて いる のだ 。第 一章の「殺 されやう 」
ここで 女 の心情に 憤りへの転換が 起こって いる。転換を促したの
分 の身 体 を 男 に「 突 き つ けて 」「 摺 り つけ た」。だ が 、 女 が こ こ まで
んで も らひ 度 いやう に 肉 が 苛 れ」、「 焼き 殺 して 下さ い」 と 言って 自
女 はこ の よう な 心 情で 「 自分 の 肉 全 體を 燃 え 上 る火 の 中 に 抛り 込
は 男が 女 を 前にして も 対 処と して 離別を 考え たこ とで あ る が 、 決 定
し たに も か かわ ら ず 、 男 は 不 甲 斐 無 く「 僕 に は 分 ら な い 」 と 言う だ
な 目に―― 」
的 に女 を 変 え たのは 、 男 の「 お 前 は 考へて 云つて ゐ る の か 。 考 へ な
けであった。だから女は「心がすつと冷めたく明らかに」なって 男
「 あ な た に ど んな 目 に で も 逢 ひ ま せ う よ 。 あ な た の 好 き に して
し に 云 つ て ゐ る の か 」 と いう 言 葉 だ ろ う 。 女 は 青年 と の 浮 気問 題 は
と した のに 、 男は それ を 汲ま ず 、あ くまで 問題 解決 を 第 一とし 、女
下 さ い 。私の 爲 た事 が あ な たに そ ん な 苦 痛 を 與 へ たと いふ な ら 、
を「侮蔑」する。
が 謝罪 し な いな ら 別 れ る こ と で 事 態 の消 極 的 解 決を す る し かな いと
あ な た か ら ど んな 復 讐で も 受 け ま せ う 。 好 き に して 下 さ い 。 私
念頭に置かずに男との情緒的なやり取りによって 夫婦関係を保とう
す る。 そして それ をき かな い女 を「 考へな し」と言う のだ 。結 局は
は 決 して 後 悔 して は ゐな いんで す 。 自分 の 爲 た 事を 。」
と 自分 へ の復 讐を 唆す ような こ と まで 言う 。 唆すだ けで な く、 男 に
自 分 の 行 為 を 罪 悪 と 思 わ な い 女 に 対 して 謝 罪 を 要求 して い る ので あ
る 。 し か し そ れ は か な わ な い と 分 か って い る 男 は 、 女 が 執 着す る 夫
そ んな 覚 悟が な いこ と を 見抜 い た 上で 、 そ んな 男を 糾 弾 して いる と
ど んな 復 讐で も 受 け や う 。今 朝 の や う に そ れ を 恐 れ て 男 の 手 か
婦 と い う 対 か ら 抜 け 出 そ う と して い る の だ 。 そ して 、 問 題 は 理 性 的
全 て を 女 に 帰 して い る ので あ る 。 男 に そ の よ う な 態 度 に 出 ら れ た 為
ら 逃げ や う と 思ふ や う な 卑怯な 事 は 決して しま い。復 讐が くる
も 考え ら れ る だ ろ う 。 女 は 自 身 に つ いて は 、
に 、女 の 心 情 は 憤 り へ と 転 じ た 。 自 分 が 男 に 対 して と る べ き は 哀 れ
まで 私はぢ つとして ゐる 。さう して 黙つて 受け る。さう された
な 自分 で は な く「 考 へ な し」 の 女 に あ る の だ と 女を 侮 蔑 し 、問 題 の
に 言いつ の ることで は な く、 問 題 を 男に帰 し 返すこ と だ 、と 。 それ
方 が 自分 の 立 場が 徹 底 して 心 持が いゝ 。( 傍 線引 用者 。以 下 同 じ)
と 考え る。
「 卑 怯」に はな るま いと 自分に 徹 底 さ を課す が 、同 時 に 女
で 先程 の 「 私 を殺 さ う と 云つ たぢ や あ り ま せ ん か」 と いう 男へ の 詰
りとなったのである。女は自分たち夫婦の対における問題は自分よ
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に はこ れだ け の意 味が 込 めら れて いるので あ り 、女 は 何 度も繰 り 返
あ ると いう こ と を 男 に ま ざ ま ざ と 見 せつ け て い る ので あ る 。「 殺 せ 」
ら どう な の だ 、と 男 に 問 いか け て い る 。 そ して 自分 に は そ の覚 悟 が
す と 言 っ た のなら 殺 せ 、復 讐を や り 遂げて 見 せ よ、 お 前も 覚悟 し た
は 「 侮 蔑 」 の 対象な ので あ る 。 そ んな男は「卑怯」な のだ 。一 度殺
女 に 憐 れ み を 請う た り 、 別 れ と いう 対 か ら の 逃 げ を 考 え た りす る 男
は 相手 の 男 に も 徹 底 を 要 求す る 。二 人 の関 係 を い い加 減 に 扱 った り、
げ よう と す る こ と で あ る 。 徹 底 して 女 に ぶ つ か って こ よ う と し な い
出 そう と す る 、対 に 執 着 しな い 男 の こ と で あ る 。 そ れ は 女 か ら も 逃
う 一 度 男 を「卑 怯 」と 呼 ぶ。
「 卑 怯 」な 男 と は 、女 と の 闘 争 から 抜 け
な い「 卑 怯 」 な 人 格 の 男だと 分 か って し ま っ た のだ 。だ か ら女 は も
相 手が 、 そ れ に 値 しな い 、つ ま り そ れだ け の 気 概を 持ち 合わ せて い
境 と 似 た よ う な も の だ ろ う 。 自 分 が 必 死 に 格 闘 し よ う と 思 って い た
刑 」で 「 心 が す つ と 冷 め たく 明 ら か に 」 な って 男を 「 侮 蔑 」 し た 心
目の前に露にされたやうな心持」になったからだ。こ れは「炮烙の
「 炮烙 の 刑 」 のひ と 月 前 に 発 表 さ れ た「 寒 椿」(『 新 潮』 大 正 三 ・
男のその不徹底さ を女は非難して いるのだ。
す こ の 言 葉 に よって 男 を 追 い 詰 めて いく ので あ る 。
こ れ と 同 様 の女 の 心 情 は 、他 の作 品で も 見 る こ とが で き る 。「 誓 言 」
で も 、 男が 「 別れ よう 」 と 言 い 出 し たのに 対 して 女 は 「 い や」だ と
こ れは 語 り 手で あ る 女 の 家に 「 相 談で も あ る ら しく 」 や って き て 自
三 )に も 、男 の「 卑 怯 」を 責 める 女 の 考 え を 見 つ け るこ と が で き る 。
「 卑怯ぢ や あ りま せ ん か 。ほ ん と に 私を 愛 して ゐる のな ら 、何
分 の恋 人 に 関 す る 「 愚 痴 を 云 つ た ゞ けで 」 帰 って い っ た 男 のこ と に
言った上で 、
故あな たは 別 れるひ ま に 私を殺 さな いんで す 。あな たは 私を遠
つ いて 、 女 が 思 う ま ま に 語 る と い う 作 品 で あ る 。こ の 男 は 「 苦 し く
そ んな 卑 屈 な 話が あ るで せう か 。 そ れほ ど 苦 し いな ら 、 ど し /
のけて お いて 、さう して まだ 失 くな りきらな い愛を 其 の間に胡
と 、こ こ で は 直 接 男 を 「 卑 怯 」 と 罵 る 。 身 体 を 打ち 据 え 合 う 争 い を
\ 直 接 に そ の 離 れ ら れ な い 人 に 打 つ 突 か つ て ゐ ら つ し た ら いゝ
つて たま らな いから 、誰 かにこ の 苦しさを 聞 いても らひ た い」と 女
しても 、男は いつも 先に 冷静さを 取り戻して 、一人争いから抜け よ
ぢ や あ り ま せ ん か 。 あ な たの 成 さ る こ と は 、 す べて が 斯 う 卑 怯
魔化さうとなさる んで す 。卑怯ぢ やありませんか。あな たは何
う とす る 。 先 に 土 俵 か ら 降 り て し ま う の だ 。 そ して 世 間 体 を 気 に し
な ので す 。 あ な た は そ の 女 を 卑 怯 だ と 仰 有 つ た が 、 こ れ は あな
に 言っ た ら し いのだ が 、 それ に つ いて 女 は 、
て 「 く だ ら な いぢ や な い か 」 と 女 を な だ め る 。 こ ん な 男 の 言動 は 女
たの態度の方が卑怯で す 。
が こ わ い んで す 。 私 の 何 所が こ わ い んで す 。」
を「 目 の醒 め た心 地 」に す る 。女 も 自分 たち の 争い を「 く だ ら な い」
と 思 っ た か らで は 決 して な い 。「 あ の 人の 人 格 を 云う も の を は つ き り
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を 女は 欲 して いる のだ 。そ れ 故 に 、そ れまで の「 卑 怯 」さを 払 拭し 、
い う こ と で あ り 、 そ の 道 行 き の 相 手 と な る に 十 分 な 資 格 を 有す る 男
な んて お そろ しく 凄 い 文 句を お つ し や つ た け れ ど 、 そ ん な に
争闘から逃げ出さ ずに「汝が云つた通りに焼き殺して やる」と 女に
「 女 を 殺 さ う と さ へ 思 つ た。」
思ひ 詰 め たあな たが 、 私 のとこ ろ へ来て 、お しやべ りな ぞが出
対 峙 し た 「 炮 烙の刑 」 結 末 部 の 男 は 正に 女 の 渇 望 して い た 男の 姿で
あ り 、 だ か ら こ そ 、 そう いう 男 が 自 分 に 与 え ら れ たこ と は 「 奇 蹟 」
来 ます も の か 。
と 手厳 し い。こ れは 〈 相剋〉物 のど の女 主 人公 にも 、勿 論 作者にも
な ので あ る 。 そ して そ の 男を 「 ど ん な 目 に で も 逢ひ ま す 。 逢 は して
龍子が 求 めて い る 男 性 像に つ いて さら に 考 察す る 。
〈 相 剋〉モ ノ の
三、女が男に求めるもの
ご ら ん な さ い 」と 受 け 止 め 、 女 は 〈 相 剋 〉 を 目 指す の だ 。
あ る思 いな のだろ う 。
「 炮烙 の 刑 」 の三 ヵ 月 後 に 発 表 さ れ た「 奴 隷」で も 、 言 い 争い の
末 、女 に 復 讐す るこ と を 宣 言して 家 を 出て 行こ う とす る 男 に 対 して 、
女 は「 口 先だ けぢ や な い んで せう ね 」
「 復 讐 を す ると 云 ふ 覚 悟が 消 え
な いやう に 、念を 押 して 上げ た んで す 」と し つこく 確 認す る。 し か
し こ こ に は も う 、 男 が 「 卑 怯 」 か ら 脱す る こ と は 無 理 と み る 女 の あ
き ら め が 窺 え る 。 そ の 無 理な も の を それで も 求 め、 男 に 突 き つ け た
中 で 、 男 女 の 究 極 の 状 態 〈 相 剋 〉 を 作 り 上 げ て いこ う と い う 意 気 を
も肉体的にもお互いを乗り越え凌駕せんとす る激しいせめぎ合いの
闘 に没頭す ること を 意 味する 。 闘 争 への本 気で の参 加を 、 精神 的 に
い る 。 そ れ は つま り 、 全 身全 霊で 女 と ぶ つ か り 合う こ と 、 女と の 格
な いが 、 言 っ た言 葉 を 徹 底 して 成 し 遂げ る く ら いの 気 概 を 要求 して
讐する」という言葉を文字通り遂行することを望んで いるわけでは
こ の よ う に 、女 は 常 に 男 に 徹 底 と 覚 悟 を 求 めて い る 。「 殺 す 」「 復
烙 の刑 」 は 異 色と 言 え る 。つ ま り 、 他の 作 品で は 結 局 、 女 は 望む よ
あ きら めと 頽 廃の 空 気が 後 に 漂う ば かりで あ るこ と を 考 え ると 、「 炮
品 は 「 炮 烙 の 刑 」 だ け だ と い う 点で あろ う 。 そ れ 以 外 の 作 品で は 、
他 の 〈 相 剋 〉 物と 区 別 で き る と す れ ば 、 女 に 「 奇蹟 」 が 起こ っ た 作
た 点が あ る に して も 、 そ れ は 設 定 の 変 奏 と も 見 な し 得 る 。 決 定 的 に
争 闘 の 原 因 に 女 の 浮 気と いう 具 体 性 が 持 た さ れ 、 テ ー マ が 強調 さ れ
烙 の刑 」で は 格 闘 シ ー ン は 冒頭 以 前、前 の晩 に 済 んで し ま って いる 。
格 闘 場 面 の 壮 絶さ を 言 う な ら 、「 誓 言 」な ど の 方 がす さ ま じ い。「 炮
頂 点「 炮 烙 の 刑」 が 何 故 に頂 点と 感 じら れ る の か。 男 女 の 具体 的 な
持 つこ と を 男 にも 望 んで いる の だ 。 両 者 が そ の 意 気 に お いて 共 感で
う な 男 を 得 ら れな か っ たが 、
「 炮 烙 の 刑 」で は 得 られ た 、も しく は 得
のが「 炮烙の刑」と いう 作品な ので ある。
き たと き 、 そ れが 真 正 〈 相剋 〉 を 極 める 道 へと 二 人が 踏み 出せ たと
56
ら れ そう だ と 女が 確 信で き たと いう こ と で あ る 。女 が 望む 男と は 、
感に歓 喜 して 全身を 駆け 巡って いる のだ 。
認 し よ う 。 旅 先に 男 を 残 して 一 人で 東 京 へ 帰 ろ う と 決 心 し た時 、 龍
ま ず 先 に 、 龍子 の 性 格 ・ 気 質 ( 決 して 思 想で は な い ) に つ いて 確
は 湯にで も 入 浴つて き たやう に 光 りと綺 麗な 艶 」を 見 せ 、 酒臭 い 息
さ した り しな が ら 悶 々 と 男の 帰 り を 待 って い た。な の に 男 は 翌 朝「 顔
き 格闘 の 気分 を引 き ず り 、一 晩 中 悲 しみ に 浸 っ たり 反 抗 心 をぶ り 返
〈 相 剋 〉 モ ノ のこ れ ま で の男 た ち は 、 女 の そ ん な 血 を 満 足 さ せ ら
子 には 慶 次 の 姿が 「 自分 の何 か し や う と す る 事 を妨 げ る 憎 い影 」 の
を しな が ら 何 事も な く 帰 って 来 て 「 お 早 う 」 と さわ や か な 朝 の 挨 拶
先程述べたような 、対 から逃げ ずに女と 共に 〈相剋〉を築こうとす
よう に 見 え た 。男 は 女 が 先に 帰 る こ と を 妨 げ る よう な 仕 草 を し たわ
な ぞして み せ る。 男と の 争闘 は 女 に と って は 一 大事 、 一 晩 中 それ に
れ る 男で は な かっ た 。こ れは 結 末 部 を 見 る と 分 かる 。「 誓 言 」で は 、
けでもなく、
「 然う し た 方 が いゝ 」と「 逆 らは な か つ た 」の にで あ る 。
心を囚われるほどのこ となのに、男にと って は その場限り、気分次
る 、つ ま り 「 卑 怯 」で な い男 と いう こ と だ が 、 さら に 女 が 望む 男 の
女 のこ の 思 いこ み を 、 日 頃の 男 か ら の抑 圧 か ら く る 被 害 妄 想と 考 え
第 のも ので し かな い 。 過ぎ 去 って し まえ ば 何も 残ら な い のだ 。 争 闘
女は先刻まで の男との文字通り身体を打ち 据えあう乱闘とも言う べ
る より、
〈 男 = 女 の す る こ と を 妨 げ る 存在 〉に 女 が 仕 立 て 上 げて い る
に 対す る 執 着が 男にはな いのだ 。こ の張 り 合 いの無さ 。こ う 考え る
性 質に つ いて 、他 作 品と 比 較 して 考 えて み よう 。
と 捉 え た 方 が 良 い 。 む し ろ 妨 げ る 存 在で あ る 男 を 欲 し て い る の だ 。
と 男に 知 ら し めるこ と の 快 感を 女 は 期待 して いる。 や は り 女は 〈 相
妨げようとす る男の意に背き、自分は男の意のままにならない女だ
か 、と いう 見 方す らで き る 。 男 も 執 着せ ず に は いら れ な い よう に 、
い う 既 成 事 実で も って 女 は 来 たる べ き 〈 相 剋 〉 に 臨 ん だ ので は な い
ように、
「 炮 烙 の刑 」で は 男が 忘れ 去るこ と がで きな い よう な 浮 気と
自 分 に 歯 向 か って く る 相 手が いて こ そ 自 分 の 争 闘 願 望 が 満 たさ れ る 。 と 、 過 ぎ 去 れ ば 何 事 も な く 済 ま して しま え る と いう 訳 に は い か な い
剋 〉を 欲 して いる のだ 。 女 自 身 は そうは 言 って いな く と も 、本 心 は
「 女 作 者」(『 新 潮 』 大 正 二 ・一 ) の 結 末 部 も 見て み よ う 。 先 刻 男
と 。し か し 「 誓 言 」で は 女と の 争 い は 何で も な いも の に さ れて し ま
気 を 含 ん だ そ の 眼 」に ぶ つ か っ た と き 、
「 胸 が ず ん / \ と 弾 んで 、血
が 言っ た「 君 は駄目だ よ」と いう 言葉が 胸に 浮 かび 、女は 反抗 的な
そうな のだ 。女の 言葉 を そのま ま に 受け 取 って 、女 の 自我 という 観
が 荒く 潮 の や う に 身 内 に 動 揺 す る ほ ど そ の 顔 を 見て ゐ る こ と が 恐 し
気分になる。
「 駄 目 な 女 な ら 何 う な の」と「突 つ かゝ つて 遣り 度い 気」
っ た。だ か ら 女は 男 と 別 れるこ と を 決心 し た のであ る 。
か つ た 」 と 殺 され る こ と の「 恐 怖 」 が 書 か れて いる が 、こ れは 半 分
が して 「 何 で も いゝ か ら 自 分 の 感 情 を 五 本 の 指 で 掻 き む し る や う な
点で ば か り 見て いて は 不十分 な ので ある 。だ か ら結末 部で 男の「 殺
嘘で あ る と 思 わな け れ ば いけ な い 。 争闘 を 欲す る 血が 〈 相 剋〉 の 予
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男 に反 抗 す る こ と で 自分 を 満 足 さ せ よう と す る 女 の 気 質が 見え る 。
事がほ し い。もつとあ の男を怒らしてやらう 」と考える。ここ にも
た女の思いは「おが 屑」のような 男の中で そのまま男に何の影響も
出 て い る だ け で あ って 、 そこ に 男 の 魂も 血 の 通 いも な い 。 突 き つ け
闘 して い る か に 見 え て も 、女 の 反 抗 に 対 し て 反 作 用 の 力 が 反 射 的 に
与えな いままに吸収、拡散され、しまいには消滅して しまう。それ
しかし相手の男の本 質はというと、次のようなものだ。
ど れ ほ ど 匂 ひ の 濃 か い 潤ひ を 吹 つ か け て 見て も 、 あ の 男 の 心
さうして 乾 いた滑らかな おもて を 見せるばかりである。
男 〉 ば か り な のだ 。
の は あ って も 、争 闘 へ の 執 着 、心 意 気が な い の だ 。そ ん な〈「 お が 屑 」
は 砥 石 の や う に 何 所 か へ その 潤ひ を 直ぐ に 吸ひ 込 んで し ま つて 、 に 応じ た 反 応 がな い ので あ る 。 男 に は 女 へ の 未 練や 意 地 の よう な も
「 私 は あ な たと 別 れ ます よ。」
と 云へば、
「 私は 矢 つ 張 りあ な たが 好 き だ 。」
と 返事 をす る に違ひ な い 。
「 あゝ 。」
と 対で 踏 み 出 せた 。 男 女 の 争 闘 と いう 快 楽 へ の 期待 に 女 の 血は 躍 っ
男との〈相剋〉の共有ができるので ある。真正〈相剋〉への道を男
の 目に は 「 奇 蹟 」 と 映 る ので あ っ た 。こ れ で よ う や く 念 願 で あ っ た
を 表して お り 、 そ の よう な 男が と う とう 自分 に 与え ら れ たこ と が 女
こ そ、「 炮 烙 の 刑 」 の 結 末 は 、 男 が 〈「 お が 屑 」 男 〉 か ら 脱 し たこ と
〈 相 剋 〉 モ ノ の 女 は 「 お が 屑 」 で な い 男 を 渇 望 して い る 。 だ か ら
「 然う か。」
て いる 。
「 炮 烙 の刑 」は 唯 一、女 と 男が〈 相 剋 〉に 向 かう 思 いを も 共
斯う云へばあの男は、
と 返事 を して ゐる や う な 男な ので あ る。 自分 の 眼の 前 を 過ぎる
有でき た「 奇蹟」 の物語なので あ る 。
ヽ
愛や夫婦関係に関する志向の対極性、男女の非対称性などは全て 、
部 に至 る ま で の 何 度も 繰 り返 さ れ る 男女 のす れ 違 い 、埋ま ら な い 溝、
以上 の よう に結末 部 の「 奇蹟 」 を 捉え ると 、 作品 の 前半 から後 半
四、究極の〈相剋〉へ
一とつ/\に対しても、自分の心の内に浸み込んでくる一
ヽ
人 々 々 の 感 情 で も 、 こ の 男 は 自 分 と 云ふ も のゝ 上 か ら す べ て を
辷 ら せて 了 つ て 平 気で ゐ る 。 こ の 男 の 身 體 の な かは お が 屑が 入
つて 入るので ある 。生 の一と つ 一と つを 流し込み食 へ込む やう
な 血の 脈 は 切 れて ゐ る ので あ る 。 女 作者 は 然う 思ふ と 、わ ざわ
ざ下へおりて 行つて 自分の相手にす るのもつまらな い気が した。
(傍点作者)
争 闘 し よ う と 女が ど んな に男 に 働 き かけて も 何 も 返 って こ な い 。 争
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か らで あ る 。〈 相剋 〉 の み が 女 に 「 幸 福 」 を 与 え う る か らで ある 。
認 識以 外 に 、こ れ か ら 夫 婦が 共 有で き そう な も のな ど 、 も は や 無 い
に よる お 膳立てで あ っ た のだ 。な ぜな ら 、
〈 相 剋〉状 態 に い ると いう
全ては 真の〈相剋〉を迎えるための、作者による、そして 女主人公
衝 突 の 格 闘 を す る た め に 、敢 え て ず れ を生 み 出 し 増 幅 して い たの だ 。
ま う ので は な い。 格闘 は 已む を 得 ずす る ので は な い 。 女 は 男と 正 面
ずれが 修 正されず、相互に理解し合えな いと いう理由で 争闘して し
ず れ 、正 反 対 の 方 向 を 向 く 男女 が 描 か れて い る の だ 。し か し 男 女は 、
定 的な 存 在 と して 、 争 闘 以 外 の 方 向 に は 向 か い よう が な い 程 ま で に
女がこ の「 奇蹟」を手に 入れる為のものに見える。争闘す るのが決
た い の だ 。 そ う な っ て 初 めて 、 女 が 求 めて や ま な い 極 限 状 態 の 男 女
い のだ 。 そ して 、 男 に も 自分 と 同 質 の 格 闘 へ の 気概 を 持 って も ら い
ら いの 意 気だろう 。 自身 の全 人 格を 賭けて 相 手 の全 人 格と 格闘 し た
い かも し れ な い。 相 手 を 食 い 尽 く し 、 人 格 ま る ごと 我 が 物 にす る く
闘だったのだ 。女にと っては 、 ぶつけると いう くら いで は 物足 りな
の 対 の 中 で 行 う 、 お 互 い を ぶ つ け 合 って 相 手 を 凌駕 し よ う とす る 格
欲しかったのは、くんずほつれつ、がんじが らめの緊縛した一対一
な が ら の 男 女 対と して の 束縛 関 係 の 昇 華 を 求 めて い た の だ 。本 当 に
して の 自 由 の 希求 よ りむ しろ 、 そ の 自由 は 当 然 のも の と して 確 保 し
女 の願 望 は 男 の抑 圧 や 結 婚制 度 か ら の 自 己 解 放 だけ で は な い。 個 と
の は 、 男 に 関 して は 浮 気 を さ れ た 側 の 意 地 と 憎 悪 か ら く る 女 へ の 詰
と に 触 れ た が 、こ の 二 つ の 修 羅 場 は 質的 に は 全 く異 な る 。 冒頭 の も
が 冒頭 以 前と 結末 以後 の 二度 の 修羅 場に 挟 ま れ た構 造 を して いるこ
な い。 そ の 入 口を 自 分 たち が 正 に 自 ら の 意 志で 入ろ う と して い る と
正 確 に 言う と 、 男 女 が 結 末で 共 有で き た の は 〈 相 剋 〉 そ の も の で は
き に二 人が 突 入す る 修羅 場こ そ、〈 相 剋〉 の 世 界 への 入 口で あ っ た。
そ して 、 と う と う 男 が 女 を 受 け て 自 分 も 格 闘 す る 覚 悟 を 決 め た と
関 係に な れ る 。こ れ こ そが 〈 相 剋 〉 な ので あ る 。
り に 過 ぎ ず 、 女で さ え も 自己 主 張 を して み る 程 度の 単 な る 反 抗 で あ
い う 認 識 と そ の 意 気 を 分 かち 合 え た ので あ る 。 それ だ け で も 女 の 眼
〈相剋〉とは単な る 男女の 争いで はな い。は じめに「 炮烙の刑 」
っ た 。 お 互 い 、 争 闘 へ の 覚 悟 を 決 めて の も ので はな か っ た 。女 の 浮
には「 奇蹟」と映ったのである。
「 奇蹟 」と は 、
〈 相剋 〉を も た ら す べ く女 に「 炮 烙の 刑 」が 与え ら
気 と い う 具 体 的 な 争 い の 発端 が 持 ち 込 ま れ た に して も 、 そ れ ま で の
〈 相剋 〉 物 と 同程 度 の 、 所詮 は そ の 場 限 り の 気 まぐ れ の 争 いと 大 差
しか し 、皮 肉にも 男が 「卑 怯」で 情けな い 人 格を 見 せ たこと に よ
するとき、女だけでなく火を持つ男も同時に一つの炎に包まれ 、炙
概で 男が 女に立ち 向 か ってく るこ とであ っ た。女を火 炙りの刑 に 処
れ よう と し た こ と で あ っ た 。 女 の 壮 絶な 争 闘 へ の 意 気 に 相 応 し い 気
り 、女 の 中 に 、 争 闘 の 気 概と 格 闘す るこ と そ の も の へ の 志 向が は っ
ら れて 、 お 互 いの 情 念 に 身を 焦が す こ と だ ろ う 。 そ の 炎 が 永久 に は
な いも ので あ った 。〈 相 剋 〉と は 程 遠 い。
き りと 形 を も って あ ら わ れ た 。自分 の 真に 欲す る も のが 見 えて き た。
59
しまう のだが 、それで も 一刹那、女の願望通りに、男女が 争闘への
続 かな いこ と が分 か って いる か らこ そ、 女 は 「 冷嘲 的 」 に もな って
して は 追 求 不足だ と 感 じられ る ので あろ う 。
愛を求 め 自我を主張す る女と 捉えて いる 為に、
〈新 し い 女 〉と
八 )な ど が あ る 。こ れ ら の批 判 は 、 基本 的 に 主 人公 を 自 由恋
『 名古 屋 近 代 文学 研 究』(
)、 一九 九 六 ・一 二
( 7) 光 石亜 由 美「〈 女 作 者〉 が 性 を 描く と き ― 田 村 俊 子 の 場合 ― 」
村 俊子 論 、 大 正三 ・ 八
( 6 )野上 弥 生 子「 俊 子 氏に 就て 描く 私 の 幻 影 」
『 中 央 公 論 』特 集田
( 5)(2 ) に 同じ 。
( 4 )( 3 ) に 同じ 。
意 志を 共 有で きた。こ れが主 人公 龍子にと って はこ の上もない「 奇
蹟 」だ っ た ので あ る 。
注
( 1)長 谷 川 啓「 解 題」
『田 村 俊 子 作 品集 』第 2 巻、オ リ ジ ン出 版 セ
ンター、一九八八 ・九
テ ク ス ト の 引 用 は 、「 魔 」「 誓 言 」「 女 作 者 」「 炮 烙 の刑 」 は 『 田 村 俊
14
子 作品 集 第 1 巻』『 同 第 二 巻』(オリ ジ ン出 版セ ン ター ) に、「 寒椿 」
「 奴隷」は 初 出に 拠る 。
60
( 2 )鈴 木 正 和「 田 村 俊 子『 炮 烙 の 刑 』論 ―〈 個 〉へ の 希 求― 」
『日
本 文学 論 集 』 ( 大)東 文 化 大 、 一 九 九 二 ・ 三
( 3)例 え ば ら いて う(「 田 村 俊 子 氏 の『 炮 烙 の 刑 』の 龍 子 に 就 いて 」
清「 私 の 考 へ て ゐ る 田 村 俊 子 氏 」
( 共 に『 中 央 公 論 』大 正 三 ・
き れて いな いと み る 岩 野 泡 鳴「 ま だ 野暮 臭 い田 村女 史」
・岩野
者 が 多 い 。 ま た 、 あ る 程 度評 価 し つ つ も ま だ 旧 道 徳 か ら 脱し
公 や 作に 臨む 俊子を 態 度として「 無 自覚 」
「 不徹 底」と み る論
俊 子女 史 に 送 る 書 」(『 文 章 世 界 』 大 正三 ・ 七 ) な ど 、 女 主 人
と 手厳 し い 。 他に も 、 思 想が 不 徹 底 とす る 水 野 盈 太 郎 「 田 村
る 内 省 の 不 足 」、女 主 人 公 は 新 し い婦 人と して は「 随 分 不 徹 底 」
い 」「 思ひ 上 つ て ゐ る 作 者 の 態 度」「 作 者 の 作 中 の 人物 に 対 す
つしりとして動かぬ或ものの響がちつとも心に迫つて来な
『 青 鞜 』 大 正 三 ・ 六 ) は 「 作 全 体 と して 内 的 に 統 一 さ れ たど
16
第Ⅱ部
〈女作者〉というあり方
第一章
田村俊子の一葉論
と の生 き に く さと 心 地 よさと 野心 をどう 拡張 して いこ う と した か 。
単 に 自 己 表 現と して 女 性 が 小 説 を 書く と い う ので は な く 、生 活 を
か け た プ ロ と して 、 そ れ を 生 き る 術 と し 、 よ す が と す る 自 身 に 多 分
の 自負 を 持ち つつ 、 文 壇 の 辺 境 ( そ れは 女 性 作 家と して たむろ す る
ような 場 も 含む )で は な く中 心 に 近 いと こ ろ で 小説 を 発 表 し、 確 実
に 反応を 得て 評価 さ れ る 作家と して ものを 書く 。好 意 的 に せよ そう
初 の日 記 を 含 めた 一 葉 全 集( 注 1 ) が 刊 行 さ れ た。 そこ で 初 めて 一
明 治 の 末 、いわ ゆ る〈 新 しい 女 〉ブ ー ム 真 只 中 の明 治 四 五 年五 月 、
と して 女 性 と して で は な く 、 作 家 も しく は 〈 女 作 者 〉 と して 田 村 俊
う ためには 、近代初のそのような 女 性作家樋口一葉のこ とを、人間
と いう 条 件で 評 価 さ れ る な ど ) を 拒む 女 性 作 家 のあ り 方 。 それ を 窺
はじめに
葉 の日 記が 公 開さ れ 、 一 葉の 作 品 ( 殆ど が 小 説 )だ けで な く日 記も
子 が ど う 捉 え て い た か 、 いや 捉 え た いと 欲 し 、 ま た そ れ を 表 明 して
で な い に せ よ 辺境 扱 い さ れるこ と (「 女 と して は 」や 「 女 な らで は 」
が クロ ー ズ ア ップ さ れ 、 作 家 一 葉 本 人に 対 す る 言及が 人 々 に よ って
本章では田村俊子の一葉論を中心に、
〈女 作 者 〉を 第 一 の キ ー ワ ー
見 せ た か を 見 る の は 、 十 分 意 義 が あ るこ と だ ろ う 。
に は 一 葉 に 言 及す る の は 殆ど が 男 性 文 人で あ っ たの に 対 して 、こ の
ド と して 、 文 壇の 第 一 線で 〈 女 作 者 〉と して 作 品を 発 表す ると いう
な され るこ と とな る 。 特に注 目 さ れ たのは 、 一 葉が 活 躍 し た同時 代
頃には一つの趨勢とな って いた、
〈 新 し い 女 〉を 含 め た 女 性 たち で あ
ことの意味を探りたい。
自分と同じく女性の作家として 経済的自立をめざし、人生と生活を
て うの 一葉 論をおさえて おき た い。明治四〇年 頃から の 一葉ブー ム
田 村 俊 子 の 一 葉 論 を 論 じ る 前 に 、 その 前月 に 発 表 さ れ た 平塚 ら い
一、らいてうが一葉を論じること――脱一葉崇拝を説く
っ た( 注 2 )。〈 新 し い〉こ と を 程 度 の 差こ そ あ れ 自 負 して い たで あ
ろ う 彼 女 ら が 、 旧 時 代 の 一 葉 に つ いて ど の よ う に語 り 、 ど の よ う な
反 応を して み せ た か 。 そ の中 で 、 文 壇の 第 一 線で 活 躍 し つ つあ る 段
階 に い た 田 村 俊 子 と い う〈女 作 者〉
( 注 3 )が 、その〈 新 し い女 〉た
賭 けて 小 説 を 書き 、 発 表 し、 実 際 に 作 家 人 生 の 終盤 に は 読 者の 反 応
再 燃( 注 4 ) の中 、 そ れ に異 議 申 し 立て を す る よう に い か にら いて
ち と 同 じも しくは 異 な る 位相で 一 葉 につ いて ど う語 って み せた か 。
を 得、 評 価 を 受け た 一 葉 のこ と を 、 いか に 語 り 、女 が 作 家で あ る こ
62
う が 一 葉 を 論 じ た か を 見 るこ と は 、 その 直 後 に 俊 子 が 一 葉 を 論 じ た
葉 の「 女 」 と は 、 ら いて う に と って は「 一 葉 に よつて 代 表 され た 幾
そ が 最 重 要で あ っ た 。一 方 、
「わ れ は 女な り け る も の を 」と 漏 ら す 一
あり、
「 我 は 女 な り 」と は「 嘆 い た 諦 めの 涙 」の 下こ ぼ さ れ た一 言 に
百年の圧迫 の下になほも生きね ばな らな かつ た過去の日本 の女」で
状 況を 探 る の に 必 要だ ろ う か らで あ る 。
平塚 ら いて うは『 青 鞜』
( 大正 元 年 一〇 月 )の「 円 窓 よ り」に 、
「女
と して の 樋 口 一 葉 」 と い う 文 章 を 寄 せて い る 。 そ の 冒 頭 に 、
つ、おも へることさながら人のしりつるなど嬉しかりしを、さ
を みな さ ね ば な ら な か っ たと いう こ とは 、理 解で きな く も な い。我 々 、
こ の 時 代 、こ の 状 況 の 中で 、 ら いて う が 以 上 の よう に 一 葉 のこ と
他ならな かった。
め ぬれ ば 又 も やう つ せ み のわ れ に か へりて いふ ま じ き 事 、 かた
一 葉 を 超 え ね ばな ら な い 女 に と って は 、一 葉 の「 女 」と いう 言葉 は 、
「 … … … み た り け る 夢 の 中 に は お も ふ 事 、 心 の まゝ に いひ も し
り が た き 次 第な ど さ ま / \ぞ 有る 。
時 代 か ら 続 く 「 一 葉 崇 拝 者 」 を 認 め な い と 主 張 して お か ね ばな ら な
諦 めと 同 義 で あ る 必 要 が あ っ た 。 そ して 、 そ の 当 時 の 、 い や 一 葉 の
も のを 、 何 事 のお もひ あ りと て そは なす べ き こ と か は 。」
か っ た 。 そ の た め に 、 今 日ま で 大 多 数 の 女 が 「 一葉 崇 拝 者 」で あ っ
しばし文机に頬づえつきて おもへば、誠にわ れは女なりける
と 、 真 っ 先 に 一葉 の 日 記 から 、 現 在 の我 々 か ら す れ ば 最 も 有名で 、
た理由を「 弱 者と して 何事にもぢ つ と堪え忍ばねばならな かつ た日
又 男 に と つて も 一 葉 の 作 品 は 今 もな ほ ア ト ラ ク テ ィ ー ブな も の
か つ一 葉 を 語 るのに 重 要で あ る が 同 時に あ る 意 味 便 利 な も のと な っ
ぞ 」 を 引 く 。 そして 「 時 代が い か に 変遷 し た か らと は い へ 、 か う 迄
だ さうだ 。女らしい女 の作家が 女に 限ら れ たる 感情を 真実にそ
本 の女 に か は つて 、 其 悲 し い 胸 奥 の 秘密 、 其 苦 痛を 出 来 る 丈 の 同 情
甚 しく 相 違 し た色 彩 と 調 子と 意 義 と を 同 じ 女 と いふ 文 字 が 示す も の
して 色 濃 く 描 いたと いふ 点と 、 今 一 つに は 其 描 いた 弱 き 女 の悲
て しま っ た 感のあ るこ の 箇所を 引 用 し、続 いて その 直後 に 、与 謝 野
かと自分は今更らしく驚かずには ゐられな い」と言った。らいてう
し い運 命 が 自 から の 強 さ を 自 覚 す る こ と に 快 感 を 覚 え る 男 の 同
を 以て 巧 に し かも 力 強 く 発 表 して く れ た か ら で は あ る ま い か」 と 説
にとって 、いや、こ の時代のいわゆる〈新しい女〉の大部分にと っ
情 を 促 し 、 あ は せて 女 に 対す る 男 の 理 想 ― ― 理 想と いふ よ りも
晶 子が 約 一 年 前の『 青 鞜 』 創 刊 号 ( 明 治 四 四 年 九月 ) に 書 いた「 山
て も お そ ら く そう だ ろ う が 、晶子 の 言う「 わ れ は 女 ぞ 」と いう「 女 」
利己的な 、感情的な 要求の一部を満足させる 点に於て 惹きつけ
明 し 、 男 性 の 一 葉 崇 拝 者 の 存 在 に つ いて は こ う 語 っ た 。
とは、
「 新日 本 の我 々 」つ ま り「 わ れ は女 ぞ 」を「誇 ら し げ に 高唱 し
られるに不思議はな い。
の動く日来たる」の中の「一人称にてのみ物書かばや。/われは女
得 た」 と 言 え る よう な 女 のこ と で あ り 、 そ の 自 負を 体 現す るこ と こ
63
た 過去 の 国 民 文学と して 」し か 価 値 を 見 出 さ れ な い 、 と 。
ま で も 過 去 の 日 本 の 女 と して 、 そ して 過 去 の 日 本 の 女 の 性 情 を 描 い
分 は 少 な か ら ず種 々 な 意 味に 於 て 失 望 し た 」 と 。一 葉 は 所詮 「 ど こ
て こう 言 って のけ る のだ 。
「 一葉 全 集 上下 二 巻 、こ と に 其 日 記に は 自
か」と、一葉に、そして 一葉を享受する男性読者に手厳しい。 そし
個性的方面が欠けてゐるといふことを證明するものではあるまい
ふ こ と は や が て 又 其 作 品 に 表 れ た る 人物 は も と より 、 一 葉 其 人 に も
このよう に、
「 男 ら し い 男 から 、女 ら しい 女 か ら 同情 理 解 さ れる と い
い 、む しろ そ んな こ と は あ って は な ら ず 、 一 葉 崇拝 な んて も の は 排
た 新 し い女 た る べ き 我 々 は 、 も は や 一 葉 崇 拝 者 で あ るこ と はで き な
が 表れて い る 。ら いて う の言 い分 は お そ ら く 、 現代 に 生 き る覚 醒 し
明 して い る と 言え よ う 。
「 一 葉 崇 拝 者」と いう 揶 揄的 表 現 自 体に そ れ
女性読者までが「一葉崇拝者」で あ ると いうことに対す る 嫌悪も 表
は 、その よう な一葉 を 男 性読 者が 好む のは 当 然として も 、 大多 数 の
く 一葉 に 対す る嫌 悪 感が 窺え る だ ろ う 。 それ と とも に 更 に ら いて う
晶 子 そ し て ら いて う に 共 通す る 、 こ の よ う な ヒ ロ イ ン 及 び そ れ を 描
これを注2に挙げ た水 野葉 舟が ただ単に喜んだように、女対女と
除すべきも の 、侮 蔑す べきも ので あ ると いうこ とで は な い か。今問
女 のこ と は 婦 人の 作 家が 書い たな ら ば 巧 く 其 真 相を写 す こ とが
いう 興 味 本 位 の 陳 腐 な 構 図で 見て し まう わ け に は い か な い 。こ こ に
中 山 清 美 が 指摘 して い る よ う に( 注 5 )、ら いて う の 一 葉 観は 、お
出来るかと 申すに、従来の処で は 未だ我 国の女 流作 家の筆に然
は 、物 を 書く 女の 側だ けでな く 、 それを 受 容す る側 の 意 識と、 それ
題 とす べき は 一 葉 本 人で はな く 「 一 葉 崇 拝 者 」 で あ り 、 一 葉 を そ の
う 云ふ 様 子が 見え ま せ ん 。男 子 を写 す の は 男 の 方が 御 上 手で あ
を 更に 意 識 して 物 を 書く 女性 作 家の意識と 、 その構図 を 冷 めた振 り
お む ね 与 謝 野 晶 子 に 拠 っ て い る 。 与 謝 野 晶 子 「 産屋 物 語 」(『 東 京 二
る 事は 申す 迄 も 無 い ので 、女 の 書い た 男は 勿 論 巧 く 行 き ま せ ん。
を しな が ら 批 判せ ず に は いら れ な い 、そ して そ れを 表 明 せ ずに は い
よ う に 受 容 を して い る 人 々 が 多 い と いう 事 態 の 方 な ので あ る 、と( 注
一葉さんの小説の男などが其例ですが、女の書く女も大抵矢張
ら れな い 者 の 切迫 感が 見て 取 れ 、 そ れこ そが 近 代の 女 性 及 び女 性 作
六 新聞 』 明 治 四二 年 三 月 一七 ~ 二 〇 日)に は 、 一葉 に つ いて の次 の
嘘 の女 、男の読 者に 気 に 入 り相な 女 に 成つて 居る かと 存じます 。
家 の 難 し さ を も 露 呈 して いる か ら で あ る 。 そ してこ のも ど か し い 構
7)。
一 葉さ ん の お 書き に 成 つ た女 が 男 の 方 の 気 に 入 つ た の は 固 より
図 は 、現 代 の 一葉 論 者 に まで 続 いて いる 。一 葉 を 美 的 に 捉 え た い「 一
記 述が 見 ら れ る 。( 傍線 は 引 用 者 。 以 下 同 様 )
才 筆 の せ い で す け れ ど も 、 又 幾 分 芸 術で 拵 へ 上 げ た 女 が 書 いて
葉崇拝者」の亜流と、そう捉えるこ とに反発し、一葉を別の角度か
ら 照 ら し た い 者と 。
有るからで せう。
こ れに つ いて は 岩 淵 宏 子 が 問 題 点 を 二 点 に ま と めて い る( 注 6)が 、
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方 法 の 一 つ が 、脱 一 葉 崇 拝 、反 一 葉 崇拝で あ っ た。
「 併 し 私 はこゝ で
同胞 〈 新 し い女 〉 たち を 鼓 舞 、 煽 動す る た め にら いて う がと っ た
る 一葉 は 認 めて は な ら な い存 在な ので あ っ た 。
界 を欲 求 す る 自分 」と 称す る ら いて う に と って 、
「 否定 の 価 値」で あ
き こ と か は 。」」で しめ ら れ て い る 。
「否定の後に来る大なる肯定の世
田 村 俊 子 の 一葉 論 「 私 の 考 へ た 一 葉 女 史 」 は 、ら いて う が 一 葉 論
――〈女作者〉として
二 、 前 提― ― 田 村 俊 子 が 一 葉 を 論 じ る ス タ ンス
は 作 家 と して の 一 葉 よ り も 、 女 と して の 一 葉 の 生 涯 を 主 と して 観 察
し やう と 思 ふ 」と い う 断 り 書 き を して いる が 、 ら いて う の 一 葉 論 は
一貫して 、
「 女 と して 」い かに 一 葉 が 旧か っ た か 、思 想 や 問 題意 識 が
い かに 乏 し か っ た か 、 理 想に ば か り 生き る 女で あ っ た か を 強調す る
こ と に 費 や さ れて い る と 言って よ い 。 そ して そ れこ そが 、 一葉 の 同
時 代な ら と も か く 、 ら いて う の 生 き る 現 在 に お いて は 一 葉 文 学 に そ
れ ほど 価 値が あるも ので はな いと いうこ と を 証 明して いると確 信 し
葉 論は 、
「 其 の 価 値 は 消 極 的 の 努 力 奮 闘 そ の も ので あ る 。彼 女 の 生 涯
の時代に求 められるも のは、思 想と 自覚な ので ある。ら いてう の一
して は 自 覚 が 足りな いと 映っ たこ と を物 語 って おろ う 。〈 新 しい女 〉
認 めて い な い 。こ れ 自 体 が 、 ら いて う の 目 に は 、 近 代 の 女 性 作 家 と
ま り 、 作 家 と して の 一 葉 の 気 概 に つ いて は 、 そ れ が あ っ た こ と す ら
る も の か と い ふ や う な こ と も 曾て 考 へて も 見 な かつ た 」 と 言う 。 つ
何 の 意 味 も 認 めて な か つ た 。 又 作 家 と し て の 生 活が ど れ 丈 価 値 が あ
た 。け れ ど 小 説 を 書 く こ と に 関 して は 彼 女 は 生 活の 資 料 を 得る 以 外
に 歌 道 の 為 め に 尽 さ う と いふ 真 面 目 な 覚 悟 が あ つ た こ と は 既 に 言 つ
ら いて う は まと め の 部 分で 、 作 家と して の 一 葉に つ いて は「 彼 女
れ が 俊 子 が 「 私 の 考 へ た 一葉 女 史 」 を 執 筆す る 以 前で あ っ たかど う
い る 。 俊 子が ら いて う の 一葉 論 を 読 んだ 可 能 性 は 高 い 。 ただ し 、 そ
「 編集 室 よ り 」に お いて 、近 いう ち に一 葉 論 を 書くこ と を 予告 して
文 章を 掲 載 して も いる 。 ま た 、 ら いて う は す で に『 青 鞜 』 八月 号 の
が 、こ の 時 点で は ま だ そ れな り の 交 流は あ り 、 同じ 年 に 『 青 鞜 』 に
掲 載さ れて いる 。 次 第 に 『 青 鞜 』 か ら 俊 子 は 距 離を お く ように な る
て うに 会 って おり 、
「 編 集 室よ り 」に は 俊 子 が 尾 竹紅 吉 に 宛て た 詩 が
号 の「 編 集 室 より」 に よ ると 、 一 〇 月号が 出 る 少し 前 に 俊 子は ら い
『 青鞜 』 一 〇 月号 の ら いて う の 文 章 は読 んで い たと 思わ れ る。こ の
判 し たわ け で はな く 、 そ れど こ ろ か 触れて す ら いな いが 、 お そ ら く
た 。こ こ で 俊 子は 取 り 立 て て ら いて う や 他 の 人 々 に よ る 一 葉 論 を 批
を『青鞜』に掲載した翌月、大正元年一一月の『新潮』に発表され
は 否定 の 価 値で あ る 。/ 矢張 り 彼 女 は「 過 去 の 日本 の 女 」で あ つ た 。
かは定 かで はな いが 、
『 新 潮』の 原 稿 は 一 〇 月 上 旬に 書き 上 げ れ ば 間
て いる ので あろう 。
/「誠 に我 れは女な りけ るも のを 、何事 の思ひ ありとて そはなす べ
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だ からこ そ 、こ の タ イミ ングで の 『 新潮 』で の 一葉 論 発 表だ っ た の
は な い 形 で 反 応 し 、自身 も 一 葉 論 を 書 く こ と に な っ た の で は な い か 。
いう内 容にな るかも 予 想で きて い たからこ そ、 それ にあ からさまで
も ら いて う が 一 葉 を 論 じ るこ と を 知 って い た 、 さ ら に は そ れが ど う
む しろ 、こ れ を読 ん だ か らこ そ 、 い や 、 読 んで は いな か っ たと して
に 合う 計 算 だ から 、ら いて う の 一 葉 論 を 先 に 読 む 時間 的 余 裕 は あ る 。
か ら 大 正 二 年 頃 の 田 村 俊 子 の 状 況 を 考えて も 、 その 真 っ 只 中 に 一 葉
に対して 見せ付け ようと したので ある。こ のような 特に明 治四五年
それを原動 力として 世を圧して いくありさまを 描出し、それを 世間
そ 」な ど と いう 簡 単 な 言 葉で は 片 付 け ら れ な い 自 負 や 野 心 が 生 じ 、
に な る 、そ こ に ジ レ ン マ を 抱 く と 同 時 に「 女 な らで は 」
「女だからこ
す ると 、 そ れ はす な わ ち 〈女 作 者 〉 と いう 存 在 と して 世 に 立 つ こ と
れは単な る女 性作 家と いうも ので はなく 、女は 〈作者〉で あろ う と
に つ いて 同 じ 〈女 作 者 〉 と して 語 っ たと いう こ とが 、 俊 子 の中で 何
で はな いだろ うか。
俊子 の 一 葉 論の タ イト ルは 「 私 の 考へ た 一 葉 女 史 」。「 一 葉女 史 」
論』には「木 乃伊の口紅」を 発表して いる。それまで の俊子作品で
後に単行本に収録する際に「女作者」と 改題)を、四月の『中 央公
二 ヵ月 後 の 大 正二 年 一 月 の『 新 潮 』 には 「 女 作 者」( 原題 「 遊女 」。
る か、そ れを 読 者に 見 せ るこ と だ っ た。俊 子 は 一 葉 論を 発 表 し た後 、
く 、「 私 」が ど う 考 え た か 、〈 女 作 者 〉 で あ る 「 私 」は 一 葉 を どう 見
して に せ よ 作 家と して に せよ 一 葉 の 真の 姿 に 迫 り断 じ るこ とで は な
ら に「 私 の 考 へた」 と 付すと こ ろ が 、主 眼 は 人間と して に せよ女 と
じ 女 性 作 家 と して 一 葉 を 扱う と い う 意 図 が 感 じ 取れ よ う 。 それ に さ
注 目す る こ と に は 、 近 代 に お いて 女 性が 作 家 と して 立 って いこ う と
の 生 に つ いて 考え 、 そ の 「 私 の 考 え る 」 姿 を 見 せ よ う と す るこ と に
者〉たる 自覚 を持 つ 田 村 俊子と いう 作家が 、
〈女 作者 〉と して の 一 葉
が 面白 いも ので も 重 要な も ので も な いか も し れ な い 。し か し、
〈女 作
るに過ぎな か った。確かに俊子の一葉論それ 自体は 、 それほど内容
多少異なり、
「 女 と して 」で はな く 作 家 と して 語 って い る と 指 摘さ れ
流 れ の 一 環 と して 捉 え る か 、 せ い ぜ いは 作 家で は な い ら いて う と は
せよ現代の論者に せよ、
〈 新 し い女 〉たち が 一 葉 を「 旧い 」と 断 じ た
俊 子の 一 葉 論はこ れ まで あま り 論 じ られて こ な かっ た 。 同時代に
ら か の 契 機 と な っ た ので はな い か と 思わ れ て な らな い 。
も 、ヒ ロ イ ン が 女 性 作 家で あ る こ と を匂 わ せ る 設 定で 書 か れて い る
す る問題の 解明の た めには十 分 の意義が あろ う 。
と し た と こ ろ に 、 ら いて う の よう に 「 女 と して 」で は な く 自分 と 同
も のが 多 か っ たが 、こ こ に至 って 、 設定 と して 作 家で あ る と いう だ
け で な く 、 作 家が 作 品 を 生 み 出 す 行 為 、 有 様 そ のも の を 主 題 に 据 え
る 作品 を 立 て 続け に 書 く よう に な っ たので あ る 。つ ま り 、 女が 〈 女
作 者〉 で あ る と は ど う いうこ と で あ り 、 ど う いう 存 在で あ る か 、 そ
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得 し た 意 志 に よ って 自 分 で 仕 立 て 上 げて い く も ので あ る と いう こ と
は 、ら いて う のも の と そ れほ ど 異 な らな い 。 筆 名で は な く 本 名で 呼
細 かく 辿 る こ と に よ って 人と して の 一 葉 の 本 質 に迫 ろ う と す る 態 度
一 葉 の 生 い 立 ち か ら 始 めて そ の 一 生 を 辿 って い く 。 基 本 的 に 一 生 を
いる。はじめの一回だけであるが一旦「 樋口夏子」と本名で称し、
た 単に 私だ け の 樋 口 夏 子であ る かも しれま せ ん 」と の 断 り を 入 れて
し 又 同 情 し た 涙 を 連 絡 に して 、 さ う して 私 自 身 を 結 び つ け て し ま つ
俊 子 は 自 身 の一 葉 論 の は じ め に 、「あ る 程 度ま で 女 史 の 心 持 を 理 解
「 放 縦 」 と は かけ 離 れ た も の だ と 断 じて い る の で あ る が 、 こ こ で 際
ふ 気分 は 何 所 にも 見 出 さ れな い 」 と 述べ る 。 つ ま り 、 一 葉 の本 質は
と こ ろ で あ ろ う )、「 か う して 物 堅 い 家庭 に 長 じ た女 史 に は 放 縦 と 云
と 一葉 の 本 然 性を ま と め (こ のま と め方 は 殆 ど の一 葉 観 に 共通す る
人の妙齢の性情は 早熟して ゐたけれども唯 真率で唯誠 実で あつ た」
か 云ふ 事 の み に そ の 心 が やさ し く 、し を ら し く 育ま れて き た」
「こ の
で 穏や かで 、さう して 柔 順に 、 可 憐に、 薄倖 者 への慈 悲と か愛 憐と
人 の 幼 い 時 か ら妙 齢 に な るまで の 感 情は 、 あ く まで 純 正で 又あ く ま
三、〈女作者〉になること――「放縦」
ぶ( こ れ 以 降 は「 女 史 」で 統 一 。ち な み に ら いて う は「 一 葉」
「彼女」
立 つ の は 、一 葉 は本 来 は そうで は な いと いう こ と を 言う た め に せ よ 、
を 示 そう と して い る ので ある 。一 葉 の生 い立 ち を辿 っ た 上で 、
「こ の
と 称して い る )こ と は 、 一 見す る と ら いて う の よう に 「 女 と して 」
と して 」 の 部 分 が 思 想 的 に 旧 いこ と から 、 す な わ ち そ の 文 学 の 価 値
し か し 目 的 は ら いて う と は 大 き く 異 な る 。 ら いてう は 、 一 葉 の 「 女
縦 」と は 無 縁 な と こ ろ か ら ス タ ー ト し た 。 一 葉 の本 然 性 は そう で は
一 葉 相 手 に「放 縦 」な んて 表 現 を 用 い るだ ろ う か。そう 、一 葉 は「 放
で あろ う 言葉を俊子が 持ち出 して いると いうこ とで あ る 。 一体誰が
ま たは 人と して の 一 葉 の 本 質 に 迫 ろ うと して い る か の よう で あ る が 、 「 放 縦 」 な ど と いう 、 一 葉 を 論 じ る 際に お よ そ 使わ れ る こ とが な い
も その 時 代 だ から こ そ 認 めら れ る も ので あ って 、 今 と な って は も て
な いと こ ろ に あ っ たは ずで あ っ た 。 しか し 、 俊 子の 目 に は 、一 葉 と
当 時 の 女 史 の 根 本 観 念 は 学 問 の 見 識 か ら 得 た 厳 正 と 誠 実で あ つ
は やす ほ ど の 価 値 は 認 め ら れ な い と いう こ と の 証 明 の た め に 、ひ た
の 本 質 、素の 気 質に つ いて はら いて う と 見 方 が 変わ る わ けで はな い 。
た。そこに他日芸術を生み出してくる様な豪華な心持とか、熱
い えど 、いや 一 葉だ か らこ そか 、「 放 縦」と 無 縁で は あ り え な か った 。
し かし 俊 子 の 迫 り 方 は 、 ら いて う の よう に 本 質が 作 家と して の 価 値
烈な放縦な 気分と か、燃え上がるやうな 青春の歓楽と 云ふやう
す ら一 葉 の 「 女と して の 」本 質を あ ぶ り だ そう と し た 。 俊 子も 一 葉
を 決定 す る と いう 考 え の 下で な さ れ たわ け で は な く 、む しろ そ の 逆
な も の は 、ま るき りこ の 人の 本 然 性 から 遠 く 離 れて ゐ た(後 略 )
問題は三 点だろう 。ま ず俊子は一葉の「 本 然性」を「放縦」と は遠
の 、作 家 に な る 前 の 素 の 一 葉 を 想 像 す るこ と に よって 、
〈女 作者〉と
は 生ま れ な が らに して な るも ので は な く 、 本 然 性と は 別 の 、己が 獲
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こ の 女 作者 は い つ も 白 粉 を つ けて ゐる 。も う 三 十 に も 成 ら う
の中で 「 放 縦 」と いう 言葉は次 のような 使わ れ方をす る 。
を 生み 出 そう とす る 一 葉 の心 持 の 中 に「 放 縦な 気分 」 を 読 み 取 って
と して ゐな が ら 、随 分 濃 いお 粧 り を して ゐ る 。
(中 略 )お しろ い
く 離れ たと こ ろ に あ る と 考えて い るこ と 、 そ して 一 葉 の 文 学と 文 学
い るこ と 、 さ ら に 、 俊 子 は 芸 術 を 生 み 出 す 者 、 少な く と も 自分 と 同
く 、自 然と 放 縦な 血と 肉 の暖 み に 自分 の 心 を 甘 へさ せて ゐ るや
を 塗け ずに ゐる時 は 、 何とも 云 へな い醜 いむ き だ しな 物 を 身体
一葉 の 本 然 性は 確 か に 〈 新 し い 女 〉 か ら 見 た ら 旧 い の か も し れ な
う な 空 解け た 心 持 に な れ な い の が 苦 しく つて 堪 らな いか ら な の
じ 〈女 作 者 〉 の中 に は 確 実に 「 放 縦な 気分 」 が 存在す る は ずだ と 信
い 。 晶 子 や ら いて う が 言 う こ と は 必 ず し も 当 た ら な い に せ よ 、 あ る
であつた。
( 中 略 )そ の お しろ い の 香 の 染 み つ いて ゐ る 自分 の情
の 外側 に 引 つ 掛けて ゐる やう で 、 そ れが 気にな るば か りぢ やな
部 分で は 慣 習 を 破 る こ と を 考 え も しな い 旧 い 日 本 の 女 で あ っ た だ ろ
緒 を 、 何 か 彼 に か 浮 気 つ ぽ く 浸 し 込 んで 、 我 れ と 我 が 身 の 媚 に
じて いると いうこ とで ある。
う 。新 し い女で も な け れ ば、 芸 術 家 、作 家で も な い 。本 然 性は そこ
自分の心をやつして ゐる。
て その技巧的なところに対して 多くの批評 家に嫌悪され批判された
に技巧を尽くす俊子ならではの見方と言えるかもしれな いが(そし
れ を 世 に 打ち 出 して い く か 。 そ の 有 様こ そが 重 要だ っ た の だ 。 技 巧
獲 得し 、 そ れ を育 み 、 開 花さ せて 作 家と して の 自分 を 作 り 上げ 、 そ
た 笑ひ 顔 ば か り が 色 を 鮮 明 に して ゐ た 。 そ う し て 柔 か い 肉 を も
い 生 活 の 中 心 に は 、 い つ も み だ ら な 血で 印 を 刻 し た 女 の だ ら け
と 、義 男は た まら な か つ た。
( 中 略 )振 返 つて 見 ると 、そ の 貧し
ふ 長 い間 を 自分 の 脆 弱な 腕の 先き に 纏繞 つて 暮 らす の か と 思ふ
放 縦な 血を 盛 つ た重 いこ の 女 の身 体が 、こ の 先き 何十年 と 云
(「 女 作 者」)
に は な か っ た 。 し か し 、 俊 子 に と って は 問 題 は そこ で は な い。 本 然
性 が ど う か と いう の は 〈 女 作 者 〉 を 語 る に お いて は 本 質 的 な 問 題で
ので あ る が )、女 が〈 女 作 者 〉にな る とは 、俊 子 にと って は そう いう
つ た女 の 身 体 が い つ も 自分の 眼 の 前 にあ る 匂 い を含 んで の そ/
は な い 。 重 要な の は 、 女 が本 然 性 に はな い「 放 縦な 気分 」 を い か に
こ とだ っ た の で あ る 。そ れ と と も に 、
「 放 縦 な 気分 」を 獲 得 せね ば 女
\ して ゐ た 。
な かつ た。 それが 何時も 斯う して 身 惨めな 窮迫な思ひ を しなけ
義 男 だ と いつて も 自 分 の 力 相 応 な も の だ け は 働 いて ゐるに 違ひ
(「 木 乃伊 の 口 紅 」)
は 作 家 に は な れな いこ と 。俊 子 の 「 女 作 者 」 と いう 作 品 は 、 そ の ギ
リ ギリ の 状 況 を小 説 化 し たも ので あ った 。( こ れ につ いて は 次 章で 改
めて 論 じ る 。)
も う 少 し 「 放 縦 」 が 意 味す る と こ ろ を 考 え て み よ う 。 俊 子の 作 品
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女 史は 、 青 春 の血と と も に漲 り き つ た肉 体 の 拡 張力 と 、 自重 自
俊子 の一葉 論に 戻ろ う 。
義 男は 又、昔 の 商 売人上 り の 女と 同 棲 し た頃の 事 が 繰り 返 さ
尊 の驕 慢 的 な 心意とで こ の圧 迫 を 押 し退 け よう と 試みだ し た。
れ ばな ら な いと いふ の は 、只 み のる の 放 縦が さ せ る 業で あ つ た。
れた。その頃は今程収入がなくつて さへ、何うやら人並な生活
し か し 単 な る 官 能 表 現 と して 片 付 け ら れ る ほ ど 生 易 し い も ので は な
は な く 、「 血 」 と「 肉 」 の 生々 し さ を 感じ さ せ る 身体 的 ・ 官 能的 な 、
そ の「 放 縦 」 と は 、 ただ 単に 「 ほ し いま ま 」 と いう 心 理 的 な も ので
品を生み出す ためには「放縦」が 不可欠と いうことで ある。そして
暖み」に浸からな ければ創作がで きない。こ れは言い換えると 、 作
「 女 作 者 」の 引 用 か ら 窺 える よう に 、
〈 女 作 者 〉は「 放 縦な 血と 肉 の
(「 木 乃 伊の 口 紅 」)
り、それを、
「肉の付いた一と言」
「 血の匂ひ のす る半 句」
(「女 作 者」)
な かった。圧迫のベクトルを反転す るだ けの「放縦」が そこにはあ
たものとは 言えな い。一葉は生 活や 社会の圧迫を受けるばかりで は
る も の を 」と いう 一 葉 の つ ぶ や き も 、
「 諦 め の 涙 」の 下 に 吐 き 出 さ れ
の イメ ー ジ か らは 逸 脱 し た一 葉 の 姿が 見 えて く る 。「 わ れ は 女な り け
う に 俊 子 の 文 脈に 沿 っ た と き 、 よ く 言わ れ る ような 「 薄 幸 の才 媛 」
と は 、 な ん と 生 々 し く 獰 猛で 勢 い に 満ち た も ので あ ろ う か 。こ の よ
絶望的の反抗の声」と評 したのに比べると 、田村俊子に 見える一葉
ら いて う が 「 個 人 と 弱 者 に 対 す る 熱 烈 の 同 情 、 社 会 と 強 者 に 対 す る
い 全 人 的 な あ り か た を 指 して 使 わ れ て い る ので あ っ た 。 こ の 文 脈 そ
を 己 の 中 か ら 絞 り 出 さ な いで は 作 家 と し て 成 立 しな い と 自 分 と 追 い
を して ゐ た 。 ― ― 義 男 は つ く / \ み の る の 放 縦 を 呪 っ た 。
のままで 一 葉 を論 じて いると 言 って は 言 いす ぎ かも し れな いが 、 し
込む 〈女 作者〉田 村 俊 子は一葉に 見なけ ればな らな か った。
にするのは「放縦」を 手にす る 女で あり、男はひ たす ら それに よる
こ れも ま た 〈女作 者 〉 を ヒロ イ ンと した 作 品で あるが 、 芸 術をも の
会 に立 ち 向 か い、 世 の 中 を 泳 いで 行こ う と 覚 悟 を 決 め た と き 、 自 身
になる 丸 山福山町へと 転居し、いよいよ作家活動に全て を かけて 社
一葉が いわ ゆる 「 奇跡 の十 四 ヶ 月 」を 過 ご し 、最 期 を 迎 えるこ と
四、〈女作者〉であること――「蹂躙の意気」
か し、 そう 異なる 地平に立って いるとは 俊子は 思って は いな いこ と
は確かで あろう。
また、
「 放 縦 」は 、そ れ が 男 に 対 して 行 使 さ れ ると 、男 に 看 過で き
な い圧 迫 を も たらす 。
「 木 乃伊 の 口 紅 」は「 男 の 生 活 を 愛す る事 を 知
圧迫に耐えるしかな い。
「 放 縦 」こ そが 他を 圧 す る 力と な る こ と を 明
の潔白や純 粋を願 って も 社会 の 冷 たく濁 っ た中 心は 清 いも のをあ た
ら な い 女 と 、女 の芸 術 を 愛す る 事 を 知 らな い 男」と の確 執 を 描 いた 、
か して い る の だ 。
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し 俊子 に と って は 、 一 葉 文学 は 「 弱 者」 の 「 反 抗 」で あ る ととも に
さ 、忌 々 し さ し か 抱 け ず 、 たち ま ち 美的な も の と して 陶 酔す る な ど
濁 れ る も のゝ 中 に 自 か ら の 眼 を は つ き り と 開 け ば 開 く ほ ど 、 そ
「 勝利 者 」 の 「蹂 躙 」で も あ っ た 。 反 抗 な ど と いう 、 相 手 の圧 迫 に
た かく 包 含 す るこ と は な く 、一 葉 も 田 村 俊 子 曰 く 、
「所謂凡俗の輿論
の 潔 癖 な 志 操 から く る 自 己 の 明 白 な 観念 に 省 り みて 、 自 身 に 潜
対 して 作 用 反 作 用 の ご と く 反 抗 を して 返 し た と いう も ので は 生 温 い 。
と いう 甘 く 浅 薄な こ と は 許さ れ な く な って し ま う か らで あ る 。 し か
在す る 美 は し いも の を 蹂 躙す る か 、 対 社 会 の 濁 れ る も の を 蹂 躙
そ れで は 、そ の反 抗 が 相 手( 多く は 男 性 )、文 壇 、社 会 に 対 して ど れ
に 輿み し 、 人 々と 同 じ く 濁 つ た 空 気も 吸わ な け れば な ら な かつ た 」。
す るか しな け れば 済まな くな つて き たのは 勿 論であ つ た。女史
ば な ら な い 筈で あ つ た 。 殊に 、 自 分 の善 を も つ て して 他 の 不善
即ち、女史の他を 観る冷嘲も 、 冷遇も、こ の蹂 躙から来なけれ
を 被る も の に と って は 不 快で な ら な いよ う な そ んな 言 葉 で 称す る こ
て しま う ほ ど の力 を 行 使 せね ば な ら な い のだ 。
「蹂 躙 」と いう 、そ れ
ずに済んで しまう。圧迫を破って 更に圧迫し返し、相手を変質させ
は濁れるも のに従ひ な がらその濁れるも のを蹂 躙しようと した。 ほどの効力を持って い たか、どれだけの影響を及ぼしたかが問われ
に 傷け ら れ た 女史 の 心 の 損害 は 、 他 の不善 に 対 す る 自 身 の 不善
それを思うとき、文壇の特に 男 性文 人たち がこ ぞって 一葉をもて は
と に よ って 、強 烈な 印 象 を 読 者 に 与 え る 必 要が あ った ので は な い か 。
こ の 蹂 躙 の 意 気 が 、女 史 の 筆 の 上 に も 呵 成 の 気 を 示 して 、 当
や したこ と は 皮肉 に 見え 、一 葉 自 身が 自分 を か つぐ 文 壇 に 対 して 嘲
の 答へ を まで 覚 得 さ せ た、( 中 略 )
時 の 女 史 の 作 の 上 に 生 々 し た 現 実 味 を し る し づ け た 。「 に ご り
邪 気に 喜 ぶ こ と の 出 来 な いコ セ / \ し た 淋 し い 心 」 と は 違 っ た 意 味
笑 を 浴 び せて いたこ と も 、ら いて う の 言う よう な 「 自 分 の 名声 を 無
こ の数 行 の 文 章中 に 、
「 蹂 躙」と いう 単語 が 五 回も 使わ れて いる 。
「放
合 いを 帯 びて くるだ ろ う 。
え」「 たけく ら べ」 の 傑 作 は 、こ の 当 時 の 著で あ つ た 。
縦 」と 同 様 、 かつて こ の よう な 言 葉 を 一 葉 に 当 て は め た 者 な ど いな
を 引 い た の と は 対 照 的 に ( 俊 子 は こ れ を 引 用 して い な い 。 ら いて う
ら いて う が 一葉 論 の 冒 頭 に 有 名 な 例 の「 わ れ は 女な り け る も の を 」
「 蹂 躙 」と は み な さ れ な か った 。な ぜな ら 、
「 反 抗 」と いう 言 葉 に は 、
と 引 用 箇 所 は 一つ も 重 な って いな いとこ ろ も 興 味深 い )、俊 子は 最 後
かったで あろう。一葉の意気込みは「反抗」とは受け取られても、
虐げら れ た 存 在、 つ ま り 弱者 へ の 同 情の 眼 差 し を注 ぐ こ と もで き る
かひ な き 女子 の 何事 を思ひ 立ち たりとも 及ぶま じき を しれど 、
に 一葉 の 日 記 から次 の 箇 所を 引 用 し た。
スとも 言う べき美的なも のを 見出すこともで きるが 、己が 強者とな
わ れは 一 日 の 安き をむ さ ぼりて 百 世 の憂 を 念 と せざ る も のなら
し、
「 反抗 」が 叶わ ず 諦 め たり 滅 び た りして ゆ く 者の 姿 に は カ タ ル シ
って「蹂 躙」しようとす る者に対 しては 、第三者には 不快、苦々し
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けぢめか有るべき 。笑ふものは笑へ、そしるも のは そしれわが
法 に し たがひ て 働 か ん と す る 時 大 丈 夫も 愚 人も 男も 女 も 、 何の
代 の諸 欲 を 残 りな く こ れ に 投 げ 入 れて 、 生 死 い と は ず 、 天 地の
ず、かす か成りと いへども人の一心を備 へたるものが 、我身一
も その「濁 れ るも の 」 を「蹂 躙」 せ んとす る 「 理想も 主義 もな く 、
「 濁 れ る も の 」の中 に 突 き進 んで 自ら「 不 善 の 答え 」 を 用 意して で
し慰めも して ゐる」と分析したが、俊子はそれに反論するように、
濁 れるを憤るけれど 、いつも 自分は 清い正しいとして 自ら安んじも
た 、 無 自 覚 だ の思 想が 不 徹 底 だ の と 言って 俊 子 の文 学 を 批 判す る 者
唯 勝利 者と 云ふ事 のみ 」 を欲す る 一 葉の 衝動 を 抽出 し た 。こ れ は ま
ら いて う は 一 葉 を 理 想 に 安 ん じ て い る と 言 っ た が 、 そ れ と は か け 離
ど も へ の 田 村 俊子 に よ る 懐 疑 と 反 論で は な か っ たか 。そん な 輩に は 、
心 はす で に 天 地とひ と つ にな り ぬ 。
れ たと こ ろ に 俊 子 は 一 葉 を 見 た 。 そ して 、 一 葉 論 の ま と め に 入 って
一 葉 の深 淵 を 覗き 込 む ま な ざ し の 暗 さと 烈 し さ 、力 へ の 渇 望な ど 到
全盛の光明の眩しさに馴れるに従つて 、女史自から賑やかな周
葉ではあるが 、それもすぐに消え去り、
一気に文壇の寵児となり、俊子曰く一時的に萎縮して しまった一
底分かるまい。
いく。
斯 う して 、遮 るも のは突 き 退 け 、囲む も のは切 り 開 いて 、女 史
は あ く ま で 社会 の 表 面 に おけ る 勝利 者と な ら ね ばな ら な か つ た 。
理 想も 主 義 も な く 、 唯 勝 利 者 と 云 ふ 事 の み に そ の望 み を つ なが
うとした。
者 とな り 、世 の中 か ら そ の反 応 を 得 な け れ ば 、
「蹂 躙 」は 達 成さ れ な
こ に一 葉が 「 ある 大き な 強い力 の 手 触り を 感 じ 」た よう に 考え る 材
俊 子が 「 奇 跡 の十 四 ヶ 月 」も 過 ぎ よう と す る 時 期の 一 葉 の 日 記 の ど
囲 からこ の 新らし い 自己 の存 在を は つき りと 見出だ し た時 、女
い。
「 蹂 躙の 意 気」で 押 し 進め 、ただ「 勝利 者 」たら んと し たか らこ
料 が あ っ た の かは 説 明 さ れて いな い 。 し か し 、 確 か に 俊 子 は 晩 年 の
「 社会の表面における 勝利者」とならねば、つまり、思想的に自己
そ、
「 奇跡 の 十 四ヶ 月 」と 称さ れ る ような 期 間 が 一葉 に 訪 れ、傑 作 を
一 葉 の 上 に 、 作 家 と して の変 化 、 転 機 を 見 よ う と して い る 。ら いて
史 の 胸 に は 何 かは 知 ら ず あ る 大 き な 強い力 の 手 触り を 感 じ ずに
生 み 出 す こ と が 可 能 と な った 。な ぜな ら 、傑 作 を 生 む こ とで し か〈 女
う が 一 葉 の 本 質を 論 じ た 上で 彼 女 は いつ ま で も 変わ る こ と はな いだ
革 新、 自 己 拡 張 して 自分 の中 で 勝 利 を確 信す る よう な 自 己 満足 、 自
作 者〉 の 「 蹂 躙」 は 達 成で き な い か らで あ る 。ここ に 、 思 想的 に 自
ろ うと 一 葉 の 限界 を 考えて いる の に 対 して 、 俊 子は こ れ か らの 一 葉
は ゐら れな か つた 。
己 の革 新 を 図 る 〈 新 し い 女〉 と の 大 きな 断 絶が ある 。 ら いて う は 徹
の 方 向 性 に 思 いを 馳 せ た 。 俊 子 と 言えど 一 葉 を 批 判 して いな いわ け
己完結の勝利ではなく、はっきりと対外的に眼に見える形での勝利
底 して 一 葉 のこ と を 理 想 主義 者で あ り、そこ に 甘ん じて い た、
「世の
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い か」「 人生 に おけ る 芸 術 にお け る 一 葉 の 個 性 的 発揮 は 此 後 にな つて
こ そ「 女 史 の 思 考す べ き 事 、な す べ き事 は こ れ から な ので はあ る ま
ゐ たに 過 ぎ な い」 の が 俊 子に は 物 足 りな か っ ただけ な の だ 。だ か ら
い る の も 多 く は 心 の 底 で あ っ て 、 自 ら は そ れ を 「ひ そ か に 見 詰 めて
合にも失はな かつ た」とも言って いる。ただ その強い自我 の燃えて
し かし 俊 子 は 更に 、 一 葉 は「 そ の 代 り 自 我 と 云 ふ も の は い かな る 場
し い女 〉たち が 一葉 を 貶 して い る と 男 性の 評 論 家 たち に 反 発 され た 。
しまつ た」とも言って いる。そのため、ら いて うとひ と 括 りに 〈新
の 思 想 を 極 度 まで 発 達 さ せて く る だ け の 問 題 に は 出 逢 は ず に 済 ん で
が 為に 、 さ して 、 真 の 人生に 対 す る 、又 、深 き 芸術 に 対 す るこ の 人
「 その 境 遇 が 常 に 糊 口 と 云ふ 事 を 因 に し た 小 さ な 自 己 本 位 に あ つ た
で は な い 。 思 想 的 な 見方 か ら 完 全 に 解 放 さ れて いる わ け で は な い。
して の意思 表明と 見るこ ともで きるだろ う 。
進み突き抜けてこ その「蹂躙」であると いう 、俊子の〈女作者〉と
一 葉の 先に さ らに 横 たわ るも ので あ り、 そこ に 足を 踏み 入れ、突 き
さ に「 女 作 者 」に 描か れて い る よう にだ 。
〈 女 作 者 〉の 苦 悩 と 苦 闘 は
己 の 芸 術 の あ り 方 に 思 い 悩 み 、生 み の 苦 し み を 噛み し めて いる 。 ま
き づま り と い った 内 容 は 描か れ な い。し か し俊 子 は 今 そこ に 直面 し 、
し た思 い 、 憎 悪、 悶 え は 語ら れ るが 、自分 の 芸 術に 対す る 苦悩 や ゆ
しめたので あろう 。一葉の日記には生活の苦労 、社会に対する鬱屈
画 した 、 人生 を賭 し た 真 の芸 術な のだと いう 矜 持が こ の よう に 言わ
自己満足のためのお 嬢さんのお遊び、道楽と しての芸術とは一線を
を注ぎながら、しかしそうした芸術は糊口につながる、それこ そが
の中心に据えるのではなく、あくまで己の芸術を極めることに心血
で はな い。 ただ 、 俊 子 の 場 合 、 糊 口 を第 一 の 目 的と して 創 作の 動 機
ここ で も 、 俊子 の 他 の 文章 中 で の 「蹂 躙 」 の 使わ れ 方 に つ いて 確
初 めて 現 は れ て く る べ き も の で は な か ら う か 」 と 言 っ て い る の で あ
る 。そ して 作 家と して の 正念 場 は 「 こ れ か ら 」 だと いう 思 いは 、こ
認 して お こ う 。
「 自 分 に 蹂 躙 さ れ た 女 が 震 へ て ゐ る 。 口 も きゝ 得 ず に ゐ る 。 さ
れ を 書 い た 時 点で の 田 村 俊子 に も 共 有さ れ る も ので あ っ た。「あ る 大
き な 強 い 力 の 手 触 り 」を 実感 して か ら の〈 女 作 者〉の あ り 方こ そ が 、
う して 炎 天 を 引 ず り 廻 さ れて ゐ る 。 女 は 何 所 ま で 附 いて く る つ
だ ま つ て る 人 は 其 様こ と を 考 へて ゐ る の ぢ や な い か と ゆ う 子
も りだ ら う 。」
俊子の課題で もあったのだ。
こ の一 葉 論 を 執 筆す る 直 前 、 俊 子 は 自分 の 芸 術 の方 向 性 に つ いて
壁 に 突 き 当 た って い た 。 三 度 目 の 女 優 志 願 ( 逍 遥の 文 芸 協 会 に 加 わ
(「 生 血」)
は 不意と 思 つ た。
子はなにも、
「 糊 口 」の た め に 文 学 に 携 わ る こ と を 高踏 的 に 非 難し た
そ して 、 こ れ は 随 筆 だ が 、 一 葉 論 の 二 ヶ 月 前 の 大 正 元 年 九 月 『 文 章
っ たが 二 日 で や め た ) を して み た り し た の も 、 そ の 表 れ だ ろ う 。 俊
わ けで は な い 。ら いて いはそう だろ う。だ が 、 俊子は 必 ず しも そう
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る が 絶 え 間 な く 働 く 夫 の 「 微 弱 な 権力 」 に つ いて 書 い た 文 章 に は 、
世 界 』 に 発 表 さ れ た 、 夫 婦 生 活 に お いて 自 分 に 対 し て か す かで は あ
に 、大胆 に 世間を 踏み 躙 れな いと いふ 事 が 自分 に禍ひ を して ゐ
得 ら れ る や う な 気 も し た 。み の る が 自分 の 腕 に 纏繞 つ て ゐ る 為
こ の 女 と 離 れ さ へ す れ ば 、 一 度失 っ た 文 界 の 仕 事 も も う 一 度
る のだ と 思ふ と 、義 男は こ の 女 を 追ひ 出す や う にして も 別 にな
次 の よう な 記 述が あ る 。
増長 した私の自我を制限しやうとす るには、余りに微弱な 権
な い。 権 威 と 云ふ 名 を も つて 私 の 喪 心を 犯 さ う とす る な ら 、 権
こ こで も 「 世間を 踏み 躙」る 主 体と なるは ずな のは 男な のだが 、 そ
(「 木 乃 伊の 口 紅 」)
らなけ ればな らな いと 思ひ 詰める事があつ た。
力と云ふ 重 圧 をも つて 私の心 の 上に迫らう と 云ふな ら 、 何 故も
れ がで き ず 、 しかも そ の 原因と な って いる のが 、己 の 力 量 不足な ど
力ぢやな いか!私は 斯 う 心の中で 絶えず 叫んで ゐる よ り仕 方が
つ と 大 き く 、 さう して も つと 強力 に 私を 強 制 し な い の か 、 何 故
もつと私を蹂躙し足蹴にするほどの残虐的圧迫を加へないのか、 で はなく 、ただ女の「放縦」で あるという のだ 。女が 男から蹂 躙さ
う 形で な さ れ る のだ 。そ して 男 の 権 力は 今 や「 微 弱 」なも の とな り 、
れ ると き 、 そ れは 男 の 「 権力 」 と いう 形 を と る 。し か し 男 が 女 に よ
(「 微 弱な 権 力」)
女が「放縦」によって 蹂 躙し返す には、女 自身がもど かしく思うほ
何 故も つ と 強圧に 私を 金縛りに しな いのか 、 私の頸をも つて 地
こ れらは いずれも 、
「 蹂 躙」と いう 行 為 の 主 体 は 男の 側で あ り、女で
ど にあ ま り に も張 り 合 いがな いも の とな って し ま っ た 。い や む しろ 、
って 己 の 「 蹂 躙」 の 意 気が殺 が れ る と き 、 そ れ は 女 の 「 放 縦」と い
あ る 自分 は そ れを 被 る 側で あ る と いう 基 本 的 な 構図 が 見て と れ る 。
男 の 権 力 が 微 弱だ か ら こ そ、 女 の 「 放 縦 」 に よ る「 蹂 躙 」 は完 遂 さ
面 に摺 り つ け るほ ど の 絶 対 の 服 従 を 私に 迫 ら な いの か 、( 後 略 )
し か し そ れ で いな が ら 実 は ど ち ら も 、 厳 密 に は 男 性 に よ る 「 蹂 躙 」
れ な い ので あ る 。こ れこ そが 田 村 俊 子を 悶 え さ せる ので あ った 。
謝 野 晶 子 に つ いて 、 藪 禎 子 ( 注 8 ) は 、 実 は こ の 二 人 は 対 照 的 な の
何かと 新 旧の女と して 対照的、対比的に挙げられやす い一葉と与
五、〈女作者〉の系譜――一葉から俊子へ
は 成 し 遂 げ ら れて は お ら ず( 女 が 内 心で 勝 手 に そう 想 像 して い る だ
け で あ る )、そ れ ど こ ろ か 実 際 に は 男 女 の せ め ぎ あ い に す ら な っ て い
な い。 そ んな 腑抜け た関 係に 嫌 悪す る女 の 姿が 垣間 見え よう 。
ま た、
「蹂 躙 」と いう 単 語 その も の は 使わ れ な いが 、ほ ぼ 同 意 の 表
現として 、例えば先ほど「放縦」に関して 引用した文章の直後にこ
の よう な も の が あ る 。
――義男はつく/\みのるの放縦を 呪った。
73
で はな く 、 二 人の 文 学 は 「 デ ー モ ン の激 し さ 」 に お いて 共 通す る と
俊 子は 一 葉 論 を 発 表 す る 五ヶ 月 前 の 明 治 四 五 年 六月 、『 中 央 公 論 』
「 豊 潤 な 輝 き が あ る 」 も ので あ っ たこ と 、 一 葉 は 一 切 を 孤 独 の 場 で
秒 も 、 御 自 分 の 趣 味で 充 実さ せ や う と し 、 其 の 間 に く ゆ ら す 煙
其の平凡な 、生 活 の為 に仕 事 を して ゐら れ る 様な 場 合 の 一分 一
の 特集 に 「 晶 子夫 人 」 を 書いて い た 。 そこ で 晶 子お よ び そ の芸 術 に
戦 い、 そ の 孤 独 の 中 で 全て を 情 念 の 劇と して 「 内 攻 」 せ し めね ば な
草 の煙 り にも よい香を 求 め、物 を 書く時 の 瓦斯 の灯 一と つ にも
述 べて い る 。 二 人 の 違 い は 、 一 葉 の 自己 解 放 が 「 た め ら い がち な 、
ら な か っ た の に 対 して 、 晶 子 は 「 幻 想を 幻 想 と して で な く 所 有で き
美しさを求 めて ゐられ る 晶子さ ん は 、そ れ と 同時 に、 御 自分 の
関 して は 、 次 の よ う に 記 述 し て い る 。
る 所に い た」こ とで あ る と 。「 同 じ 解 放 への 夢が 、一 方は 鬱 情 と して 、
生 そのも の を 華や かな 光 彩のあ る 一 篇の 詩 と して 作 り 上 げ やう
そ の意 味で ま だ 暗 か っ た」の に 対 して 、晶 子 の は「 屈 託な く 明 る い」
一 方は 匂 い や かな 叙 情 と して 結 晶 し た」。
で きな い 。 ど う し よう も な い 「 鬱 情 」は 晴 れ る こ と は な い 。だ か ら
っ たので は な いだ ろ う か 。晶 子 の よう に 「 屈 託な く 」 い る こ と な ど
は 、創 作 の 為 に 必 死 に 自 分 を 絢爛 な 空 気で 包 も う と 苦 心 し 、 そ れ で
と か体 現 し ようと す る あ り方 と 似て いる 。 特 に 「女 作 者 」 にお いて
俊 子が 語 る 晶 子の 姿 は ま るで 、 俊 子 作 品 の ヒ ロ イン が 理 想と し 、 何
と して ゐ ら れ る や う な と こ ろ が あ る と 想 ふ 。 こ の か た の 生 活 の
こ そ 、 そ の 「 内 攻 」 す る 姿を あ か ら さ ま に 、 そ して 技 巧 的 に 見 せ る
も それ が 得 ら れな い 痛 ま しさ が 自 嘲 的 に 描 か れ る 。現 実 の〈 女 作 者 〉
二 者 に 対 す るこ の 感 覚 は 、 俊 子 に も 感 ぜ ら れ るも ので あ った 。 そ
こ とに よ って 、内 攻 を 外 攻に 転 じ せ しめ よう と 目論 んだ のが田 村 俊
は 、晶 子 的 芸 術の 理 想郷 とは ほ ど 遠 いと こ ろ で 、だ か ら と 言って 平
上 には 美 し い 詩 の 薄 ぎ ぬ が か ぶ さ つて ゐて 、 そ の 薄 ぎ ぬで 現 実
子 と い う 作 家で は な か っ た か 。 ら いて う の 言 う よう に 一 葉 が 「 否 定
凡です ら な い 、殺 伐と し た渇 い た 現 実と 生 活 と 〈女 作 者〉 の実態 の
して俊子は 、晶子的な叙情への憧れは常に忘れられな いままにも 、
の 価 値 」 な ら ( 論 者 は む しろ 、 一 葉 が 行 き 着 い た の は 否 定 の 開 き 直
中 に己 の 立 脚 点を 毎 度 確 認せね ば な らな いと いう日 々 が 続 く 。 そ ん
の 社会 と 御 自分 の 生 活 の 上と を 立 派 に区 切 つて ゐら れ る や うな
りで は な い か と 考 え る が )、ら いて う や晶 子 の ように 屈 託な く肯 定 す
な 己のあ り 方 を揶 揄的 、 自嘲 的な ス タン スで 語 りつ つも 、 しか し そ
藪 が 晶 子 に つ いて 言う ような「 幻 想 を 幻 想と して で な く 所 有で き る 」
ることはできない俊子の価値は「否定の否定」と言えようか。一葉
れこそが今こ の時代の〈女作者〉のあるべき 姿だと、晶子のように
気がす る 。
と 俊子 の 違 いは 、 それ を 男性 読 者 を 不快 に さ せ かね な いほ どにわ ざ
は 俊子 お よ び 俊子 の ヒ ロ イン は な り え ず 、 ま た 、な り え な い、な ら
ところ に 無邪気に 自分 の身を置くこ とは叶わな い、一葉 側 の作家だ
と らし く 表 出す る かど う かだ ろ う 。
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完 結し た 芸 術 世界で し かな い 。そ れ 故、芸 術 家本 人と そ の「 薄 ぎ ぬ」
は、一時的に酔いしれることはできても、それは我々とは別次 元の
実と を 隔て る ため に 己 に かぶ せ た「 薄 ぎ ぬ」。そ れを 見 せ ら れる 観 客
俊 子も そ の 観 客の 一 人と 言え よう 。 しか し そ の 芸術は 、 芸 術家と 現
客 をも 酔わ せ るこ と が で き る 。
「 晶 子 さ ん の 歌 だ けは 大 好 き 」と 言う
を 保つこ とができる。それに 自身も 陶酔し、それを 傍から眺める観
って 己 の 芸 術 世界 は 現 実 世界 と は 没 交渉 のとこ ろで 美 しく 眩 い 輝き
の生活の上とを立派に区切」る「 薄ぎぬ」のようなも の。それ に よ
俊子の晶子評を借りるなら、晶子の芸術は「現実の社会と御自分
る だ け の非 職 業的 作 家で ある 女 性 たち と も 違 う 、職 業 と して それ で
運 動 家で も な く、 さ れ ど 、ただ 自己 表現を 目 的 と して 作 品を発 表す
自 身は 「 無 自 覚 」 だ と 批 判さ れ る こ と に な って いく が 、 思 想家で も
し い女 〉 の 波 が 高 ま る 中 、思 想 や ら 自覚 や ら に 重き が 置 か れ 、 俊 子
作 者〉 と して の己 を 試 し つつ 、 最 盛 期を 迎 えて いく 。 時 代 的に 〈 新
み 出 し 、一 方 の俊 子 は「 女 作 者 」を 発 表し 、思 想とは 別 の 次 元で〈 女
女 〉 宣 言 ( 注 9 ) を し 、 いよ い よ 思 想的 基 盤 を 固 めて い く 方向 に 踏
俊 子が 一 葉 論 を 発 表 し た 直後 の 大 正 二年 一 月 、 ら いて う は 〈 新 し い
家 と し て の 方 向 性 な ど 見 えて い る わ けで は な い だ ろ う 。 ら いて う と
こ こ に 〈 女 作 者〉 田 村 俊 子の 立 脚 点が あ る 。 自 身も こ れ か ら の 作
子と、 現 実に対す る 確 かな、眼に 見える 効 力 を 欲す る 自分との断 絶
で し か な い 芸 術は 、 我 々 の 世 界 で あ る 現 実 に 対 して は 実 効 力 を 持 た
身を立て 、女性作家だ からと いう譲歩付きでなく中央文壇に立 って
な いこ と に 意 味が あ る のだと 世 に 見 せし めて い る ので は な いか 。( こ
な いかも し れ な い 。 そ の 芸術は 、 い かに 激 し く 力 強く 解 放 的な も の
いるという自負とそれが自分を支えているという自覚の下にある
を 思 って のこ とで あ ろ う 。
に 見え て も 案 外 安 全 な も ので 、 現 実 世界 の 人 々 を 酔 わ せ る こ と は で
〈 女 作 者 〉 と して 、 自 身 の立 脚 点 を 確 認 し た の で あ る 。
れ につ いて は 、次 章で 改 めて 論 じ る 。)
きても 、揺るがすこ と はで きな いかも しれな い。そして お そらくは 、
田 村 俊 子 と いう 作 家 は 、 その よう な 自己 完 結 的 な 芸 術 に 安 住す る こ
か な い 。 世 を 揺る が し 、 見な か っ たこ と に は で きな い 、 元 の状 態 に
(1)明治四五年五月に日記も 含まれた『一葉全集』前編が、翌六
注
と がで き な い 作 家で あ る 。 自 己 完 結 の 美 に 甘 ん じて い る わ け に は い
は 戻れ な いまで の 影 響 を 与え る 。 そ れこ そが 俊 子が 一 葉 に 見た 、す
(2)大正元年一二月『女子文壇』の特集「一葉女史論」に水 野葉
月 に後 編が 刊 行され た 。
〈 女 作 者 〉 な ので あ る 。 俊 子 の 晶 子 評 の タ イ ト ルが 「 晶 子 夫 人 」 と
舟は「 自分 はこ の女 史に 対す る婦 人の文 学 者 の 感想が 二 つ ばか
な わち 己 も 抱 え る 「 蹂 躙 の意 気 」で あ り 、 そ れ を 実 行 に う つす の が
わ ざわ ざ 「 夫 人」 が 付 さ れて い る の も 、 所 詮 は お 家 芸で し かな い 晶
75
想 に 対 して 、最 も 興 味 を 起こ して 居 る の は 、
「 女 ― ― 女 」と 言ふ
り あ る の を 知 つて 居 る 。
(中 略 )勿 論 、自 分 は こ の二 人 の 人 の 感
い るこ と の 二 点に ま と めて い る 。 な お 、 こ の 論 文で は 田 村 俊 子
葉 の小 説 に は 、 真 の 女 が 描か れ て い な い と 晶 子 が 不 満 に 思 って
摘したと いうこと 、②「 芸術で 拵へ上げ た女」ばかりを 書く一
( 7)ら いて う が 一 葉 論 を 掲 載 し た『 青 鞜 』大 正 元年 一 〇 月 号 の「 編
関 係に 対 して で あ る 。 女 が 女 を 如 何 に 見 る か と いふ 、 一 点 に 不
で 島崎藤 村は 「近 頃は 種 々な 方 面に 偶像 破壊 者が 起つて 来 た。
集 室 よ り 」 に は 、「 来月 あ たり 木 内 (『 青 鞜 』 社 員で あ り 、 発 起
の 一 葉 論 に 関 して は 簡 単 に し か 触 れ て い な い 。
美 術界 が 左 様 だ し 、 劇 界 が 左 様 だ 。 新派 の 婦 人 が し き り に 一葉
人 の一 人で も あ る 木 内 錠 のこ と 。 引 用 者 注 ) さ んが 一 葉 論 を 出
思 議な 興 味 を 感じ る ので ある 。」と 書 いて い る 。ま た 、こ の 特集
破 壊 を 企て ゝ 居 る の も 矢 張 そ れ だ 。」と し 、そ れに 嫌悪 感 を 示 し
さ れる 筈で す 。此 の 間 の 晩ら いて う と 可 也 り 盛む に 話 合 つて ゐ
今 の世 の 中 ぢ やな いで し よう 。」と いう 、や は り 揶揄 的 な 記 述が
て いる 。こ れ は 同 じ 月 の「 新 片町 よ り」
(『 文 章 世界 』)中 の 一葉
( 3 ) 翌 年 の 大 正 二 年 一 月 に 「 遊 女 」(『 新 潮 』) を 発 表 。 後 、「 女 作
あ る 。な お 、こ こ で 予 告 され た 木 内 錠 の 一 葉 論 は 、
『 青 鞜 』で は
ら し た 。 一 葉 を 自 分 の 姉 さ ん の 様 た つて 、 あ ん な 一 葉 崇 拝 者は
者」と改題。以下 、混乱を防ぐため、作 品名は「女作者」と、
な く 『 女 子 文 壇 』( 大 正 元 年 一 二 月 ) の 一 葉 特 集 の中で 、「 樋 口
76
に 関す る 文 章 と 同 様 の 内 容で あ る 。
キ ー ワ ー ド と して は 〈 女 作 者 〉 と 表 記す る 。
一葉女史」と題して 発表された。
( 8 ) 藪 禎 子 「 一 葉 と 晶 子 」『 解 釈 と 鑑賞 』 昭 和 五 五 ・ 一
( 4 ) 明 治 四 〇年 六 月 『 中 央 公 論 』 の「 明 治 故 人評 論 」 特 集に 一 葉
が取り上げられたことがきっかけとなったらしい。な お、翌明
( 9)平塚 ら いて う「 新 しい 女 」
『中 央公 論 』
( 臨 時号 )、大 正 二年 一
月
与 謝野 晶 子「 産 屋物 語 」、ら いて う「 円 窓 より
女 と して の 樋 口 一葉 」、
治四一年は一葉の十三回忌にあたる。
一葉受容と「 新し い女」――「 円
)、 平 成 九 ・ 一 二
女 と して の 樋 口 一葉 」を 中 心に して ― ― 」
『名古屋近代
( 5) 中 山 清 美「 明 治 四 十年 代
窓 より
文 学研 究 』(
さ れて い る 一 葉 の 文 章 も こ れ ら か ら 引 い た 。 田 村 俊 子 の そ の 他 の 文
田 村俊 子 「 私 の考 へ た 一 葉女 史 」 は 初出 に 拠 る 。ま た そ の 中で 引 用
平 成 六 ) に お いて 、 ① 「 嘘 の 女 、 男 の 読 者 に 気 に 入 り 相 な 女 」
章 は『 田 村 俊 子 作 品 集 第 1 巻 』
( オ リ ジ ン 出 版 セ ン タ ー 、昭 和 六 二 ・
)、
を 書くこ とで 、
「 女は 、男 に 気 に 入 ら れる た め に 男の 目 を 内 面化
一 二 ・ 一 〇 ) と 『 同 第 3 巻』( 昭和 六 三 ・ 五 ・ 二 七 ) に 拠 る 。
11
し 、 そ れ が 第 二 の 性 質 に な って し ま って い る 」 こ と を 晶 子 が 指
( 6)岩 淵 宏 子「 女 性 に よる 一 葉 論( 一 )」
(『 目 白近 代 文 学』
(
15
第二章
「女作者」論
――〈女作者〉を表明すること――
はじめに
し、その憂さ晴らしをするかのように夫に当 たったりその身体を嬲
っ た り し 、 そ して ま た 書 け な い と 苦 悩す る 一 日 の 様 子 が 描 か れ て あ
る。
「 お し ろ い の中 か ら 生 ま れ て く る 」文 学 が 従 来 信 じ ら れ て き た よ
う に俊子文 学 の本 質な ら ば、 想像 力 の源 泉で あ るそれが 枯渇して し
ま い書くことがで きなくなった〈女作者〉の姿を描くことは、確か
に〈 女 作 者 〉の 行 き 詰 ま りを 示 し た も の か も し れな い。
「 女 作 者 」に
女 が 物 を 書 く こ と の 困 難 さを 見て 取 るこ と も 不 自然で は な いだ ろ う
が、
「 お しろ ひ の中 か ら う まれて く る」と いう 表 現で あ る と して 、そ
写 」に 優 れ た 作 家 と して の俊 子 の 本 質が こ こ に あ る と み な され た の
鎌 倉 東 慶 寺 に 建 て ら れ た 碑 文 に 刻 ま れ て い る ほ ど で あ る 。「 感 覚 描
こ の箇所は 多少漢字 表記が異な る )という 文 言が、俊子の墓のあ る
は 大が い お しろひ の 中 か らう ま れて くる ので あ る」(「 女 作 者」で の
引用した「こ の女 作者はおしろひ をつけて いる
こ の 女 の 書く も の
公 の モ デ ル だ と 受 け 取 ら れ 、 代 表 作 と して 読 ま れ続 け 、 作 品中 か ら
単 行本 収 録 の 際に 「 女 作 者」 と 改 題 )は 、 作 家田 村 俊 子 本 人が 主 人
こ う と し た 田 村 俊 子 の 戦 略 を 読 み 取 るこ と も 確 かに 可 能だ ろ う ( 従
表 現を 武 器 と して 、 男 性 中 心 の 文 壇 の中 に 確 固 たる 自 分 の 地位 を 築
な 表現と いう 、女 性な らではと いう よりむ しろ 俊子独 特の 感覚的な
な スキンシップを通して 比喩的に 表 現さ れる 性交を思わ せる官 能的
と いう 刺 激 を 代表 と す る 感覚 描写(官 能 描写 )、夫 へ の 一 方 的 攻 撃 的
粉 」と 表 記す る ) な ど に 見ら れ る ような 皮 膚 と いう 感 覚 器 官と 触 覚
しろ い」
「白 粉 」の表 記が な されて い る が 、本 章で は 引 用 以 外で は「 白
と いう 事 実 が あ る わ け で あ り 、
「おしろい」
(「 女 作 者 」本 文 中 に は「お
注(
)。
) そ れで いな が ら 結 局は 俊 子 は そん な〈 女 作者 〉の 有 様を「 女
作 者」 と いう 作 品 に 描 いて い る ( つ ま り 書け な い女 を 書 いて い る )
(従来のフェミニズム批評ではこのように解釈されることが多い
れが田 村 俊子の特徴で あ るととも に その 限界 性なども 論じられて き
来 よく あ っ た フェミ ニ ズ ム批評 的 解 釈に 多 少 の 違和 感を 覚 える 論 者
田 村 俊 子 の 「 女 作 者 」(『 新 潮 』 大 正 二 ・ 一 。 原 題 は 「 遊 女 」。 後 、
た。
発 想が 生 ま れて き た の に 、今 回 は ど う して も 原 稿が 書け な いと 苦 悩
けな い様を 描 いた 作 品で ある 。 今までな ら お しろ いの中 から小 説 の
「女 作 者 」 は 、あ る 〈女作 者 〉が 執 筆に 向う 様、 正確 に 言え ば 書
を 描写 す る こ と で 女 な ら で は の 表 現 を し て 欲 し い 、 と い う 思 い 込 み
多 い)。女 は 男 より 感 覚 に 優れて い る のだ か ら 、男 に はで き な い 感 覚
は、
「 戦略 」と いう 方 向 性で 田 村 俊 子 お よ びこ の 作品 を 論 じ るこ と が
77
1
子 の戦 略 と し たり 限 界 と し た りす る 見方 か ら は 零 れ 落ち る 、俊 子 が
描写 」 と 地 続 き の も の で あ る か の よ う に く く っ て し ま い 、 それ を 俊
俊子文学には 常套 の「 血」も 「 肉 」も「 匂ひ 」もお しな べて「 感覚
文 学を 書 い た と いう こ と にな ら な いか。白 粉 も 男女 の 身 体 的 格 闘 も
白 粉 以 外 の も の か ら 生 ま れ た 文 学 、 も し く は 生 ま れ よ う と して い る
いと苦悩す る 〈女 作者〉の姿を結果的に 描いて いると いうことは 、
に 指摘 す る こ と も 容 易 い 。 し か し 、 白 粉 の 中 か ら も う 生 ま れて こ な
あ り、 そ の 戦 略は 限界 を 孕んで い る 、な ど と 、 フェ ミ ニ ズ ム批評 的
も う 白 粉 を 用 いて も 小 説 が 書 け な い と い う 行 き 詰ま り を 迎 え る の で
を 縛 り つ け 、〈 女 〉 と い う 陥 穽 に 陥 って い る と も いえ 、 だ か らこ そ、
な らで は の 表 現 を 武 器 に して い る 時 点で 、
〈 女 〉と いう 枠 組 みに 自 ら
と 強 い 要 請 が あ っ た 当 時 注(
、) そ れ に 最 も 応 え る 作 家 と して 一 躍
流行作家の仲間入りをしたのが田村俊子で あ った。そして 、その女
〈 新し い 女 〉 とは な に か 、ど う あ る べき か を 議 論して いく 流れ に 向
取 れ る 。ら いて う や『 青 鞜 』に 集 う 女 たち が 、
〈新 し い 女 〉宣 言を し 、
らも我 は 〈女 作者〉で あ ると 宣 言して み せ た田 村俊子 の 気概が 見て
に よって 間 違 いな く 主 人 公 に 重 ね ら れるで あ ろ う 俊 子 自 身 のこ と す
こ れが 〈 女 作 者〉だ と 表 明し 、 お そ らく は 主 人 公だ けで な く 、 読 者
奇 をて ら っ て 称 し て み る よう な 態 度 を 一 切 排 除 して 、 ス ト レ ー ト に
レ クト に 作 品 名と して 冠 したも ので あ っ た 。こ こ に 、
〈遊 女〉だ の と
解 釈 の さ れ 方 も 分 か れ る で あ ろ う タ イト ル を 止 めて 、 そ の ま ま ダ イ
と いう 呼 称 を 、本 文 中 に は 出て こ な い〈 遊 女 〉 な ど と いう 比 喩 的で
品 本 文 中 で し つこ い ほ ど 繰り 返 さ れ る 女 主 人公 に 対 す る 〈 女 作 者 〉
お 、キ ー ワ ー ド と し て 扱 う 際 は〈 女 作 者 〉と 表 記す る 。)こ れは 、作
本章にお いて は作品タイトルを「女作者」と 統一して 表記する。な
め られ る 際 に 、タ イト ル を「 遊 女」か ら「 女 作 者」に 改 め た。
( 以後 、
それから四ヵ月後 の大正二年五月に刊行された単行本『誓言』に収
真に求めよう として いた文学、
〈 女 作 者〉の あ り 方が あ る よう に 思 わ
明 治末 か ら の いわ ゆ る 〈 新 し い 女 〉 ブ ー ム が 到来 し 、 そ の よう に
己 に対 して 世間 か ら 、 ブ ー ム の 一 団 の中 か ら 現 れ た 〈 新 し い女 〉 の
田 村俊 子が 、 全く 同 時 期 に 〈 女 作 者 〉宣 言 を して み せ る 。こ れ は 、
う中、
『 青 鞜 』賛 助 員で も あ り 、そ の 創刊 号 に は「 生 血 」を 発表 し た
世間から 称される女 たち が 自分 たち につけ ら れ た〈新し い女〉と い
女 流作 家だ と いう レ ッ テ ルを 貼 ら れ るこ と を 拒 絶し 、す り かわ して 、
れてならな い。
う レ ッ テ ル を よ そ に 次 第 に 活 躍 を 見 せる よ う に な る 中 、 平 塚 ら いて
な らな い ので はな い か 。
さ らな る 自 覚 を 促 そう と いう 方 向 性 に 打 って 出 たの が 、 大 正二 年 の
同 じく『 新 潮 』
( 大 正 元・一 一 )に 、田 村 俊 子 は「 私 の 考 へ た一 葉 女
前章 、第 Ⅱ 部第 一 章で 論じ たが 、
「女 作 者 」を 発表す る 二 ヶ月 前 の
敢 えて 称す る な ら 自 分 は 〈女 作 者 〉 で あ る と 自 己 表 明 し たこ と に 他
う が い よ い よ 自 身 を 〈 新 し い 女 〉 で あ る と 宣 言 し て み せ 注(
、) 敢
え て そ の レ ッ テル を 利 用 し 、 世 間 だ けで な く 主 体で あ る 女 性 たち の
一 月で あ る 。同 じ 月 に 、田 村 俊 子 は「 遊 女 」を『 新 潮 』に 発表 し た。
3
78
2
史 」 を 発 表 し た。女 と して 新 し い か 旧 い か の 思 想性で は な く 、 あ く
ま で 女 が 作 家 と して 身 を 立て る そ の あ り 方 と して 俊 子 流 に 一葉 を 語
っ た そ の す ぐ 後 に 、 正 面 切 って 〈 女 作 者 〉 の あ り方 を 描 い た「 女 作
ア ンチ
一、 反 〈おしろいの中から生まれてくる文学〉
田 村俊 子 の 小 説「 女 作 者 」の 冒頭 は 、次 の よう に 始 めら れ る。
こ の 女 作者 の頭 脳 のな かは 、 今まで に 乏 しい 力 を さ んざ 絞 り
者 」 を 発 表 して み せ たこ と に は 、 作 家と して 前 年 ( 明 治 四 五年 / 大
正 元年 ) あ た り か ら よ う や く 文 壇で 確 実な 地 位 を 手 に 入 れ 、こ れ か
だ し絞 り だ し 為て き た 残 りの 滓で い つぱ い に な つて ゐて 、 もう
作 品中 一 貫 して 〈 女 作 者 〉と 称 さ れ る 主 人 公 は 、ど う や ら スラ ン プ
ら 最 盛 期 を 迎 え よう と す る 作 家田 村 俊子 の 覇 気が 想 像で き よう 。 一
読 者に 受 け 取 られ るこ と を承 知で 書 かれ たと し か思 え な い「 女 作 者」
に 陥って い る ら し い 。求 める も の は「 肉 の 付 い た一 と 言」
「血の匂ひ
何うこ の袋を揉み絞つても、肉の付いた一と言も出てこなけれ
と いう 作 品 が 、女 が 作 家で あ る こ と の困 難 さ や 女が 創 作 と いう 行 為
のする半 句」 の効 い たも のな のだろ うが 、 そ れがも う 出て こな い。
葉 論 の 中 で 俊 子は 作 家 と して の 一 葉 に 「 蹂 躙 の 意 気 」 を 見 たが 、 そ
をするこ と に おいて 直 面する 行き 詰まりと い った不景気なこと ば か
な ぜか 。 そも そも 、「 こ の 女 作 者 は い つも 白 粉 を つけて ゐ る」。 白粉
ば 血の匂ひ のする半 句も 食みで て こ な い。
り を 描 い た 作 品で あ る は ずが な い 。 な ぜ な ら 、 田 村 俊 子 の 文 学 の 最
が 手放 せな い 女で あ る 。 と いう の は 、次 の よう な 理 由 か らで あ る 。
れ は そ の ま ま 俊 子 の 意 気で も あ っ た は ず だ 。 そ んな 自己 表 明と して
盛 期、 真 髄は 、 そ れ は 大 変短 いも ので は あ っ たが、 ま さ に ここ 大 正
りぢ や な く 、自 然 と 放 縦な 血 と 肉 の 暖み に 自 分 の 心 を 甘 へ さ せ
お しろ いを 塗け ず に ゐ る 時は 、 何 と も 云 へな い醜 いむ き だ し な
本 章 で は 、 田 村 俊 子 と いう 作 家 に と って 〈 女 作 者 〉 と は どう いう
て ゐる やう な空解け た心持になれな いのが 苦 しくつて 堪らな い
二 年 か ら 始 ま る か ら だ 。そ して そ の 最 盛 期 は 、俊 子 自ら が 掴 み 取 り 、
存 在で 、 ど の よう に あ ら ん と す る 存 在な の か と いう 田 村 俊 子 の 本 質
からな ので あ つた 。さう して お しろ いを 塗け ずに ゐる時 は 、 感
物を身体の外側に引つ 掛けて ゐるやうで 、それが気にな るば か
に 関わ る 問 題 を、 他な ら ぬ「 女 作 者 」と いう タ イト ル を 堂 々と冠 さ
情が妙にぎざ /\して 、
「 へん 」と か「 へ つ 」と か云ふ や う な 眼
成 し 遂 げ た も ので あ る は ずだ か ら で あ る 。
れ た作 品 を 読むこ とで 考 えて いき た い。
づ かひ や 心 づ かひ を 絶 え ず為 て ゐ る や う な 僻 んだ い や な 気分 に
なる。媚を失つた不貞腐れた加減になつてくる。それがこの女
には何よりも恐しいのであつ た。だから 自分 の素顔をいつも 白
79
身 の 媚 に 自 分 の 心 を や つ して ゐ る 。
自分の 情緒 を、何 か彼にか浮 気つ ぽく浸 し込 んで 、我れと我 が
しろ い の香 を 味ひ なが ら 、そ のお しろ い の香 の 染み つ いて ゐ る
脂 肪に と け て 、 そ れ に 物 の 接 触す る 度に 人 知 れ ず 匂 つて く る お
粉で か く して ゐる ので あ る 。 さう して 頬 や 小 鼻のわ き の 白 粉 が
だろう。
「 何 と も 云 へな い 醜 いむ き だ しな 物 」で ある 素顔 を 隠し 、
「放
だ っ た の か 。 それこ そが 〈「 お しろ い の中 か ら 生 ま れて く る 」文 学 〉
らだ。それで は、今まで 彼女が 書いてき た文学とはど のようなも の
や り方で 、 今 まで の よう な 作 品 を 書くこ と が で きな く な って い る か
確 かに 〈 女 作 者〉 は 追 い 詰め ら れて いる 。 そ れ は 、 今 まで のよう な
か しら 新ら し い心 の 触れ をこ の 女 作 者は 感 じ る 事が 出 来 る 。さ
も あ つ た 。 お しろ い が 水 に 溶 け て 冷 たく 指 の 端 に 触 れ る 時 、 何
と 何 か し ら 面 白 い 事 を 思ひ 付 く の が 癖に な つ て ゐる か ら な ので
ま た、 鏡 台 の 前に 坐 つて おしろ いを 溶いて る 時 に限つて 、きつ
い /\と 云ふ 焦れ た 日 に も 、こ の 女 作者は お 粧 りを して ゐる 。
ど う して も 書か な け れ ば な ら な い も の が 、ど う して も 書 け な
が 発揮 さ れ た のは 、 主 に こ の よ う な 世界 を 描 い た 部 分 だ と 言 って も
時 代 か ら 絶 え ず 俊 子 評 に お いて し ば しば 指 摘 さ れて き た「 感 覚 描写 」
や 皮 膚 を 撫 で ら れ 喚 起 さ れ る 感 覚 を 思う ま ま に 表 現 し た も ので 、 同
し ば し ば 憧 れ 夢 想す る 世 界 。 耽 美 的 な 情 緒 に 浸 りこ む 気 分 、「 匂ひ 」
ら 浸り 甘 え る 世界 、 いわ ば 、 多 く の 田 村 俊 子 作 品の 女 主 人 公 たち が
し 」な が ら 生 み 出 す 文 学 。 日 常 や 現 実か ら 隔 絶 さ れ た 情 緒 にひ た す
彼 に か 浮 気 つ ぽ く 浸 し 込 んで 、 我 れ と 我 が 身 の 媚 に 自 分 の 心 を や つ
縦な血と肉の暖みに自分の心を甘えさせてゐるやうな空解けた心
う して そ の お しろ い を 顔 に 刷 いて ゐ る 内 に 、 だ ん / \ と 想 が 編
い いだ ろ う 。 そして こ の よう な 、 耽 美的 な も の 、情 緒 に 己 の心 を や
そ して こ れ は 、 た だ の 女 臭 い 、 い わ ゆ る 女 な ら で は の 表 現 な ので は
ま れて く る ― ―こ ん な 事 が 能 く あ る ので あ つ た 。こ の 女 の 書く
つ した 戯れ の 文学で あ れ ば、
「 女 作 者 」の 原題で ある「 遊 女 」が 書い
持 」 に な っ て 「 お し ろ い の 香 の 染 み つ いて ゐ る 自分 の 情 緒 を 、 何 か
も のは 大 概 お しろ い の 中 から 生 ま れて く る ので あ る 。 だ か ら い
た文学と 言っても いいかもしれな い。
な く 、 直 接 的 に 創 作 行 為 と 繋が って いた 。
つ も 白 粉 の 臭 みが 付 いて ゐる 。
出て こ な い 。生 地が 荒 れ て お し ろ い の 跡が 干 破 れ て ゐ る や う に 、
けれどもこ の頃は いく ら白粉をつけても 、何にも書くこ と が
う に嫋 々 と 、開 け た 障 子 の 外か ら 覗 き こ んで ゐ る やう な 眠 つ ぽ い 日」
かす る と 張 り のな い 艶 の な い 呆 や け たや う な 日 射 し が 払 へ ば消 え さ
書 け な く な って 、逃 げ 込 む よ う に 主 人公 が 意 識 を 飛 ば す の は 、
「何う
しか しこ の 世界 は 、 現 実逃避 の 世界で も あ っ た。白 粉 に 頼って も
ぬる い 血汐が肉 の な かで 渦を 描いて るやうな も の懐 し い 気分 に
の 「 そ ん な 時 の 空 の 色 は 何か 一 と 色 交ざ つ た や う な 不透 明 な 底 の 透
し かし 、 そ れ もも う 過 去 のこ と で あ る 。
もなつて こな い。
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笑 して ゐ る 」 よう な 晴 れ た空 で あ り 、 主 人 公 は こ の 空 模 様 が 「 自 分
つかり赤裸になつてうづくまつて ゐる森の大きな立木の不態さを微
かない光りを持つてはゐるけれども、さも、冬と云ふ 権威の前にす
から生 ま れて くる 」文 学も その よう な 、
「浮 気な おもち や 」の よう な
ば して 見 た り、握 り し めて 見 た り 」す る ので あ れば 、
「おしろ いの中
底 に好 き な 人 の 面 影 を 摘 んで 入 れ て 見 た り 、 掌 の 上 に の せて 引 き の
覚 を 浮 気な お もち や に し やう と して 、ぢ つ と 眼 を暝 つ て そ の瞳 子 の
な ら ば 、 白 粉を 用 いて も 書け な く な っ たと いうこ と は 、 女 作 者 の
の 好 き な 人 」 の「 つ いぞ 冷嘲 の 影 を 漂は し た 事 のな い 、 優 し い 寛 濶
好きな 人」なら、現実に女主人公が相手をする夫とは違い、書けな
想像力の枯渇とか行き 詰まりと いう よりもむ しろ、
〈女 作 者〉自 身 が
文 学 、 芸 術 作 品と み な せ よう 。
いこ と を 責 め るで も 「 冷 嘲」 す るで もな く 、 優 しく 微 笑 み かけ て く
そ の よ う な 「 お も ち や 」 の よ う な 文 学 を 書 く こ と か ら 脱 し よう と 無
な 男の 微 笑 み に 似て ゐ る」よう に 思 うと い っ た 有様で あ る 。
「 自分 の
れ る 。 こ の 「 自分 の 好 き な 人 」 が 女 作 者 の 恋 の 相 手 ( 田 村 俊 子 作 品
の 傾向 か ら して 、お そ ら く年 下 の 男だろ う )な のか 、鈴 木 正和 注( 4 ) 意 識に か 意 識 的に か 欲す る よう に な った か ら と 考え ら れ る ので は な
の 言う よう に 昔 の 夫 の こ とな の か 、 は た ま た 空 想の 産 物 な の か は 分
い か 。〈女 作 者 〉 の 志 向 す るも の が 変 容 の 兆 し を 見 せ たこ と に よ る 、
合 って く れ る 相 手で あ る 。 そ ん な 「 自分 の 好 き な 人 」 の 「 そ の 微 笑
の は 、 先に 見 たよう な 耽 美的 な 情 緒 に浸 り 、 匂 いや 皮 膚 感覚に 戯れ
田 村 俊 子 や 彼女 の 作 品 の 女 主 人 公 たち に よ く 見ら れ る 嗜 好 そ の も
〈 女 作 者 〉 そ のも の の 変 容で あ る 。
の 口 許 に い つ ぱ い に 自 分 の 心 を 啣 ま せて ゐ る と 、お の づ と 女 作 者 の
る よう な 世 界 で あ ろ う 。 俊子 は 一 葉 論を 発 表 し たさ ら に 五 ヶ月 前 に
からな いが 、 情緒の世界に女と 共に浸って お 互いの感情を弄び戯れ
胸 のな か に は 自分 の 好 き な 人 に 対 す る あ る 感 じ が お しろ い 刷毛 が 皮
は、
「晶子夫 人」
(『 中 央 公 論』明 治 四 五・六 )と いう 与 謝 野 晶 子 に つ
其の平凡な 、生活の為 に仕事をして ゐられる 様な場合の一分一
膚 に さ わ る 様な 柔 ら かな 刺激 で ま つ は つ て く る 。」創作 のひ ら め き を
て いる 。な ら ば 、
「お しろ いの 中 か ら 生ま れて く る」文 学 を 書いて い
秒 も 、 御 自 分 の 趣 味で 充 実 さ せ や う と し 、 其 の 間 に く ゆ らす 煙
いて の 人物 評 論を 書 いて いる 。 そこ で は 晶 子と その 芸 術に ついて 、
た こ れ ま で の〈 女 作 者 〉か ら す れ ば 、
「 自 分 の 好 き な 人 」は いわ ば ミ
草 の 煙 り に も よ い 香を 求 め 、物 を 書く 時 の 瓦 斯 の灯 一と つ にも
得 る た め に し ば し ば 行 って い た 白 粉 を 溶 き 、肌 に 塗 る と いう 行為 は 、
ュ ー ズ 、 芸 術 の女神 な ら ぬ芸 術 の 男 神と み な しても よ い ような 存 在
美 し さ を 求 めて ゐら れ る 晶 子 さ ん は 、 そ れ と 同 時 に 、 御 自分 の
次 の よ う に 述 べて い る 。
で あ っ た と 言 え よ う 。こ の「 好 き な 人」 に 対 す る 感 じ が お しろ い 刷
生 そのも の を 華や かな 光 彩 のあ る 一篇 の詩と して 作り上 げ やう
こ の「 好 き な 人」 と の 触 れ そう で 触 れな さ そう な 微 妙 な 接 触と 通 じ
毛 に よ る 皮 膚 への 柔 ら かな 刺 激 と な り、「女 作 者 は 出 来 る だ け そ の 感
81
世 界 と 対 峙 す るこ と に な るヒ ロ イ ン の 姿 が し ば しば 描 か れ る 。 そ ん
的 な 気 分 に 浸 り 、 し か し 、 そ の 気 分 も す ぐ に 破 れて 殺 伐 と し た 現 実
主 人公 の 嗜 好 そのも のと 言え よう 。 俊子 作 品で は、 か り そ めの 情 緒
酔す る 姿は 、 まさ に 多 く の田 村 俊 子 作品 の 女 主 人公 や 「 女 作者 」 の
随 筆な ど の 他 の晶 子 の 思 想性 が 出て いる 文 章で はな く て ) に 憧 れ 陶
る やう な 、眩ひ 美 し い 心 持」と 言 い、こ の よう に晶 子 の 芸 術( 評 論、
私 も 、と い う 意 味 )
「 名優 の舞台 上 のはな や かな 演技に引き 付け ら れ
「 晶子 さ ん の 歌だ け は 大 好き 」( 他 の 歌 人 の 歌 は あま り 心 に 留 めな い
子 のこ と を 、 にも か か わ ら ず 田 村 俊 子は 「 女 史 」と は 呼 ば ずに 「 晶
て も そのヒロイン たち にとって も 憧憬とも 言える芸術を生み出す 晶
し た女 性 は 晶 子で は な く 一 葉 だ っ た ので は な い か 。 田 村 俊 子に と っ
に と って 、 作 家と して 、 文 学 者 と して 自分 と 地 続 き の と こ ろで 奮 闘
の 大型 女 性 作 家と して 文 壇に お いて 注 目 を 浴 び つつ あ っ た 田 村 俊 子
つ めた と いう 意 味で 、俊 子に と って は 先 人な ので あ ろ う 。)一 葉 以 来
田 村 俊 子 が 初 な ので あ る 。( 一葉 も 文 壇で そ れ に 准 ず る 地 位 まで 登 り
て いる 女 性 作 家は 、 歌 人で あ る 晶 子 を 除 け ば 、 確 か に 近 代 に 入 って
物 を 書き 、 発 表し、確 実な評 価 を 得 るこ とで 身を立て 、生 計を立て
晶 子のこ と は 「 晶 子 夫 人 」と 呼 んで いる こ と に も 窺わ れ る よう に 、
な ヒロ イ ン たち に と って 、 芸 術 の 芳 醇な 香 り が 漂う 、 いわ ば晶 子 的
子 夫 人 」 と 称 し た 。 田 村 俊 子 は 一 般 人で は な い 人物 の 評 論 をす る 際
と して ゐら れ る やう な とこ ろ が あ ると 想ふ 。 こ の か た の 生 活の
芸 術的 世 界 は 、 夢 想 して やま な い 憧 れ の 境 地で もあ ろ う 。 現 実 の 生
に 、相 手が 既 婚の女 性だ から と 言 って 安 易 に 「 夫 人 」 と 称す よう な
晶 子は 小 説 家で は な く 歌 人だ か ら と いう こ と を 除 いて も 、 明 治 以 来
活で 荒んだ 心 を蕩け さす ための 現 実逃避と して も機 能す る 芸術。 そ
人 間で は な い 。明 治四 五 年( 大 正 元 年 )、明 治 二 年 頃 は いわ ゆ る〈 新
上 に は 美 し い詩 の 薄 ぎ ぬ が か ぶ さ つて ゐて 、 そ の 薄 ぎ ぬ で 現 実
れ は「 現 実 の 社会 と 御 自 分 の 生 活 の 上と を 立 派 に 区 切 つ て 」い る「 薄
し い 女 〉 ブ ー ム 到 来 の せ い か 、 雑 誌 等で 女 流 の 人物 評 論 特 集が し ば
の 女 性 の 作 家 ・文 学 者 と して 、 俊 子 に と って 先 人と も 言 え る の は 一
ぎ ぬ」 の よう な文 学 。 そこに 戯れ 、心をや つす こと は 確 かに心 地 よ
し ば組 ま れ 、 田 村 俊 子 も 「 晶 子 夫 人」(『 中 央 公 論』 明 治 四 五 ・ 六)、
の社会と御 自分の生活の上とを立派に区切つて ゐられるやうな
いだろ う 。 し かし 、 そ れ な ら ば 田 村 俊子本 人は 、作 家と して ど う し
「 環 さ ん と 須 磨子 さ ん」(『 中 央公 論 』 明 治 四 五 ・ 七 )、「 私 の 考へ た
葉 だ け な の で あろ う 。趣 味 の 延 長 の よ う に 物 を 書く 女 は 数 多 あ れ ど 、
て その ような 作品を 殆ど 書かな いの か。あ れだ け刹 那の 情緒に 浸る
一 葉女 史」(『 新 潮 』大 正 元 ・一 一)、「 平塚 さ ん」(『 中 央公 論 』 大正
気がす る 。
ヒ ロイ ン の 姿を作 品中 に 見せて お いて 、な ぜ そこ に 留 ま って いら れ
二 ・七 ) な ど の 文 章 を 寄 せて い る 。 例 え ば 声 楽 家 の 柴 田 環 に つ いて
は 、他の 評 者 の 中に は「 環 夫 人」
「 柴田 夫 人 」と 称 して いる 者 も お り、
な いのか。
そも そも 、一 葉 に 対 して は「 一 葉 女 史 」と 称 して い る の に対 して 、
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俊 子本 人も 「 晶子 夫 人 」 の中 に 書 いて い る 。 そ れな ら ば 、 与 謝 野 晶
子 に つ いて 語 れ る 何 も の も 俊 子 は 持 って い た わ けで は な い 。 そ れ は
こ とを 知 って いるわ けで もな け れ ば 、歌 人 、 文 学者と して 以外 の 晶
と の間 に 個 人 的な 付 き 合 いは な い 。だ か ら 、 家庭 人と して の晶 子 の
庭 人と して の 晶 子 を 想 像 して 語 って み せ る 。 田 村 俊 子 と 与 謝 野 晶 子
して の 晶 子 に のみ 焦 点 を 当て て 論 じ るで は な く 、む しろ 生 活者 、 家
うなのが嬉しい」と しながらも 、晶子の芸術のみ、も しくは歌人と
子 女 史 」と 称 して い る 者 が 多 い 中 で )、晶 子 の 歌 には「 酔は さ れ る や
を 表し た「 晶 子夫 人 」と タイト ル を 付け( む しろ 他 の 男 性 評 者 は「 晶
ん な 俊 子 が 、 与 謝 野 晶 子 の 人 物 評 論 には わ ざ わ ざ 既 婚 者 と いう 身 分
芸術家の全て が表れるべきだという 信念もあるのかも しれない。そ
は 、 芸 だ け み れば い い と いう こ と で も あ ろ う し 、 同 時 に 、 芸に そ の
ろ のその 人を 論じる 必要はな いと いう 考えが あ るので あろ う。こ れ
る べき で あ る から そ れ を 見れ ば よ い ので あ って 、 芸 か ら 離 れ た と こ
ど う いう 身 分 で あ る か は 、 そ の 芸 に 芸 術 家 自 身 の 真が お の ずと 表 れ
い る の で あ る 。 芸 術 家 を 評 価 す べ き は そ の 芸 の みで あ り 、 そ の 人 が
も せず 、 俊 子 は 淡 々 と 環 の声 と 歌 い振り 、 身 体 のな り に の み 触れて
芸 術に の み 目 を 向 け れ ば よい と い う ポ ー ズ を 敢 えて 示 す と いう こ と
う に 、 芸 術 家 に関 して は スキ ャ ン ダラ スな 言動 な ど は 関 係 な く そ の
して の本 分 以外のとこ ろ には 目も く れて いな い。ま た 他 の評者 の よ
い中、俊子は「環さん」と呼び、スキャンダルなどという声楽家と
ま た、環 の 個 人的 ス キ ャ ンダ ル に 多 少な りと も 触れて いるも のが 多
で ある )、そ の 多面 性 を 使 い分 けて 、歌 人と して の一 面 を 突 出さ せて
を かな り 使 い分けて いるこ と は 、 宮本 百 合 子な ども 指 摘す ると こ ろ
だ けで な く 、 文 学 者 と して も 、 歌 人 と して の 面 と 評 論 家 と して の 面
母 と して な ど と い う 家庭 人と して の 面と 社 会 的 な 面 と い う 使 い 分 け
っ たと いう こ とだ ろ う 。 明ら か に 多 面性 を 持 つ 晶子が ( 妻 と して 、
生 み 出 し た 芸 術的な 結 晶 と して 晶 子 の歌 を 受 け 取るこ と が で き な か
母といったいくつもの面が融合したある一人の芸術家という存在が
し て で は な い 面 の 憶 測 を して み せ た 。 こ れ は 、 歌 人 、 評 論 家 、 妻 や
る やう な 方で はな い か 」 と評す こ とで 、こ と さ らに 歌 人 、 芸術 家と
権 威 の ほ か に あ る 時 の こ のか た は 、 務 めて も や さ し い 女 人で ゐら れ
て は 、 唯 私 の やう な 女 は 驚異 の 眼 を みは る ば か りで あ る 。」「 芸 術的
ら しく 優 し く こ ま や か に 家政 を 御 ら んに な る と 云ふ や う な 事に つ い
う に― ― こ の方が 御 良 人 と 一 所 に 世 間 的 に お 働きに な つ た り、又 女
心 持な ど に 就 いて ― ― 良 妻 賢 母 と 云 ふ よ り は 賢 妻 良 母 と 云ひ た い や
処女の恋のやうな純な心を向けて ゐられると 云ふやうな 初々しいお
又 は 御 良 人 に 対す る 素 直 な 妻 ら し い 態 度 ― ― 御 良 人 に 対 して い つ も
て 語るこ と が で き な か っ た。「七 人 の お 子 さ ん に 対す る 母 ら しい 態 度、
晶子の一面、つま り、妻として 、母として の晶子の側面を抜き にし
称 せば よ い 。 しか し 、 俊 子は 晶 子 に 関 して は 、 歌 人 と して で は な い
のことを「一葉女史」と称したよう に晶子のことも「晶子女史」と
た 歌 人 と し て の 晶 子 に つ いて 語 れ ば い い は ず で あ り 、 な ら ば 、 一 葉
子 に つ いて の 特 集 に 文 章 を 寄 せ る と し た ら 、 俊 子が 慣 れ 親 し んで き
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子夫人」と いうタイトルではな いだろう か。つまり、穿った見方を
し ま う か ら こ そ の 、女ら し いと も 言 え る 多 面 性 を 敢えて 強 調 し た「 晶
が したりす るほど の 危険なも ので はな い。 それ を俊 子は 感じ取 って
打ち 破る力はあったけれども 、晶子本人を根底から 脅かしたり 揺る
る わ け で は な い 。 晶 子 の セ ン セ ー シ ョナ ル な 歌 は 、 旧 い 道 徳 観 念 を
が あ る 。 し か し、 そ の 芸 術に は 、 晶 子の 存 在 の 全て が 賭 け ら れて い
構 築 し た の が 晶 子 の 芸 術 。だ か ら こ そこ れ だ け 自分 を 酔 わ せ る 魅 力
白 粉な ど か ら は生 ま れ 出 な い よう な 。
と 、 酔 え な い 、 酔 わ な い 、 酔 わ せ な いも の に な るで あ ろ う 。 決 し て
はない、と いうこ とで はないか。ならば、俊子の求める文学はも っ
言える かも し れな い 文 学など 、
〈 女 作 者〉田 村 俊 子の 目 指す とこ ろ で
実 の 世 界 に 対 して は 何 ら 実 行 力 は 持 た ず 、 案 外 無害 で 安 全 な も の と
酔 って 酔 わ せて 、 し か し それ は そ の 場 限 り の そ れだ け の こ とで 、 現
て も 、自分が 志す 芸 術 、文 学 は そ の よう なも ので あ って は な ら な い 。
ろう。どんなに晶 子のような 芸 術的な世界に一時的に酔いしれはし
〈 妻 〉 で あ る こ と と 作 家で あ る こ と と の 齟 齬 と いっ た 悲 惨で 消 極 的
と して 、も が く女 主 人 公 の様 子 を 描 いた 。そ の もが き に は 、
〈 女 〉や
に もな る お 仕 着せ の 多 面 性を 引 き 受 け る こ と も な く 、ただ〈 女 作 者〉
ず 、か と 言 って そ の 多 面 性ゆ え 引 き 裂かれ る 苦 悩に も 苛 ま れるこ と
派 に区 切 つ 」 たり 自分 を 多面 的 に 捉 えて 器 用 に 使 い分 け た りな ど せ
留 まら ず 、情 緒は 色 褪 せ、荒 涼 と し た現 実 を 己 の生 き る 場 と し 、
「立
そ して 、 一 時 的 に 情 緒 の 世界 に 逃 避 し た り し つ つも そこ に は 決 して
ような も ので いい の か と いう 懐 疑 と 皮肉 が 仄 見 え る 気が し な い か 。
の 執 拗 な 描写 は 、 俊 子 の も つ 感 受 性 の 柔 軟 さ と 、 一 種 の 憂 愁 な 情 調
が 、作 品 の 評 価 に な って いる が 、 文 章 は や や 甲 高い 調 子 と な り 、 そ
乃 伊の 口 紅 」 や「 炮 烙 の 刑 」 は 、 私 小説 と して 、そ のリ ア ルな 迫 力
の 求 め る 官 能 や 感 覚 の 世 界 は ロ マ ネ ス ク な 世 界 で あ る 。 従 って 「 木
の めり 込 む 矛 盾を 感 じて いた ので あ ろ う 。」「 そ れ に して も 作 家 俊 子
な い 。し か し 、大塚 豊 子 が 言う よう な 注( 5 、
「
) 勿 論作 者 も プラ ト ニ
ッ クな 恋 に 美的 新 生 を 夢 みな が ら も 、 現 実 に は 生 身 の 官 能 的 情 欲 に
ま れて く る 」 作 品 世 界 も 強烈 な 俊 子 の 特 色で あ り 、 そ れ を 否定 は し
勿 論 、 田 村 俊 子 特 有 の 濃 厚 な 情 緒 に溢 れ た 「 お し ろ い の 中 か ら 生
二、〈女作者〉の創作の源泉
す れば 、 一 葉 のこ と を 論 じ た と き と は異 な り 、 俊子 は 晶 子 のこ と を
己 と 同 じ 土 俵 に い る 文 学 者と して 評 すこ と に は 抵抗 が あ っ たので は
な いだ ろ う か 。晶 子 の 歌 の 芸 術 性 を 賛 美 し つ つ も 、 そ の 芸 術に つ い
て 「立 派 に区切つて ゐら れる 」と いう推 察の言葉を 挟ま ずには いら
な 意味 合 い よりはむ しろ 、引 き 裂か れる べき 多 面性 それ 自体を 無効
を 損う 嫌 いが あ る 。」と いう 恐 れ は 、田 村 俊 子 の 為 に も 抱 く 必要が な
れなかったのには 、耽 美的な 芸 術性に憧れつつも、 真の文学が その
化 した よう な 存在で あ る 〈女 作 者 〉 のあ り 方 を 見出す こ と も 可 能だ
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ど の よ う な 様 相を 見 せ る か 。 書 け な いこ と で 苦 しむ 女 作 者 は 「 何 所
誰 で あ り 、 ど んな 存 在で あ る か 。 そ して そ の 男 と 〈 女 作 者 〉 の 対 は
て て 別 の 文 学 を 志す 必 要 が あ る 〈 女 作 者 〉 に と って の 芸 術 の 男 神 は
の 男神 に な る のが 「 自分 の好 き な 人 」な ら ば 、 その よう な 文学 を 捨
「 お し ろ い の 中 か ら 生 ま れ て く る 」 文 学 に 憧 れ る 女 に と って 芸 術
夫 が 言 う よ う な 表 面 的 な も ので は な い。「 お しろ いの 中 か ら 生 ま れて
学 観に は な い から だ 。田 村俊 子 の 文 学は 自 然主 義で は あ る が 、こ の
だ 薄 っ ぺ ら な 自 然 主 義 的 に 描写 す る こ と の 意 味 な ど 、
〈 女 作 者〉の 文
夫 が 言 う よ う な 平 凡 な あ りふ れ た 、 つ ま ら な い 「 生 活 の 一 角」 を た
に よる 作 家 と して の 、 作 家に 対 す る 批 判 な ど に 動 じ る こ と は な い 。
な いと い う 〈 女 作 者 〉 と は 違 っ た 意 味で 「 書 け な い 」 元 文 学 者 の 夫
さ う し て そ れ 程 の 事 に 十 日 も 十 五 日 も かゝ つ て ゐや が る 。 君 は 偉 い
に も 正 体 が な い。 た ゞ 書 く 事 が な い 、 書 け な い 、と 云ふ 事 ば か り に
くる」文学にせよ、そうでな いも のを志向す るにせよ、どちらも 夫
いだろ う 。な ぜな ら 、 多 く の 論 者が 指摘す る ような 「 現 実 には 生 身
心が詰まつて しまつて 、耳から頸筋のまはりに蜘蛛の手のやうな 細
が いう よう な 文学で は あ りえ な いだ ろ う 。 だ か ら 〈 女 作 者 〉に と っ
女 に違ひ な い。」と 言わ れて し ま う 。こ の 亭 主 の 言動 は 、女 作者 が 空
長 い爪を 持 つ たや は / \ した 手が 、 幾本 も 幾本 も 取 り つ いて る 様な
て 、 落 ち ぶ れ た文 学 者 と して の 亭 主 の 言 葉 な ど は ど う で も よく 、 そ
の 官 能 的 情 欲 に の め り 込 む 矛 盾 」 は 、〈 女 〉 と して 、 も し く は 〈 妻 〉
ぞ つと し た 取 り 詰 め た 思ひ に 息も 絶 え さ う に な つて 」 逃 げ 出 し た い
ん な 亭 主 な ら ば 相 手 に す るに 足 ら な いと ば か り に 、 亭 主 を 放 って 、
に 重ね た「 自分 の 好 き な 人」の、
「 冷 嘲」な ど 無 縁 の「 微 笑 」を 投 げ
と 「 亭 主 」 に 泣き つ く 。 しか し 、 亭 主に は 「 お れは 知 ら な いよ」 と
自 分 の 褄 先 を 蹴 り な が ら 座敷 の 中 を 飛 び 歩 く 。いく ら 、
「自分の好き
と して の 俊 子 ( そ う い う 面 を 抽 出 す るこ と が 可 能な ら ば ) な ら い ざ
「 小 人 ら し い 空嘯 き か た」を さ れ 、
「 何だ い 。ど れほ ど の 物 を 今 年 に
な 人」 と は 対 照的で あ る からこ そ「 自分 の 好 き な 人 」 を 芸 術の 男 神
か けて く れ る 態 度と は 対 照 的 と 言 え よう 。 し か し、 い く ら 狂お し く
な つて 書 い た んだ 。
( 中 略 )も う 書く 事が な いな んて 君 は 到 底 駄 目だ
と した「おしろいの中 から生まれて くる文学」を脱した文学を 志向
知 ら ず 、 多 面 性を お し 着 せる 必 要 の な い 〈 女 作 者〉 と して の田 村 俊
よ 。俺 に 書 か せ り や 今 日 一日 で 四 五 十 枚 も 書 いて み せ ら あ 。 何 だ つ
する〈女作者〉にとって は新たな 芸 術の 男神の候補となりうるかも
書 け な い と 苦 悩 す る 主 人 公で も 、 世 間 に 評 価 さ れ ず 求 め ら れて も い
て 書く 事 が あ るぢ や な い か。そこ い ら 中 に 書く 事 は 転が つて ゐら あ 。
し れな い か ら と い って 、 こ ん な 亭 主 で は ま だ 駄 目な ので あ る 。 そ し
子には 存 在しないも のと 考えて も よ いか らだ 。
生 活 の 一 角 さ へ 書 け ば いゝ ん ぢ や な い か 。 例 へ ば 隣 の 家 で 兄 弟 喧 嘩
し んで い る う ち に 、〈 女 作 者〉 の 中 に 湧 いて 来 る も の が あ っ た。
を して 弟 が 家 を 横 領 して 兄 貴 を 入 れ な い な ん て 事だ つ て 直 ぐ 書 け る 。 て 、 褄 先 を 蹴 り 歩 く 自 分 の 姿 を 姿 見で 確 認 し 、 褄 先 の 色 の 乱 れ を 楽
女 は 駄 目 だ よ 。十 枚 か 二 十 枚 の も の に 何 百 枚 と 云ふ 消 し を して さ 。
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へと昇 格す る 。新たな 芸術の男神となる資 格を獲得す るまであと 一
ここに来て 亭主は 、落ち ぶれた文学者から〈女作者〉のパートナー
中 指の 真中 の節のとこ ろで その額を ごり / \と 小突 いた。
い きな り 其 の 前に 歯 茎 を 出 し た 口 許 を 突 き 付 け な が ら 、 拳 固 の
くる様な自烈度い心持になつた。女作者は亭主の方を向くと、
し て 来 て 、 自 分 の 身 体 の う ち の 何 処 か の 一 部 が ぐ つ と 収 縮 して
( 前略 )ふ いと 何 か しら 執 拗 く 苛責 め ぬ いて や り 度 い 様な 気が
の レ ベ ル に 留 ま ら ず に も っと ダ イ レ ク ト に 堪 能 し た 末 に 獲 得で き る
か で は な く 、「 肉 」 や 「 血 」 そ の も の を 、「 匂 ひ 」 程 度 の ほ の め か し
れ が も たら す 匂 い や 触 感 な ど と い っ た生 ぬ る く 他愛 も な いも の な ん
な いと 考え る 〈女 作 者 〉 にと って 本 当に 必 要な も の は 、 白 粉だ の そ
言 っ て も よ い か も し れ な い 注( 7 。) せ め て 多 少 な り と も 「 肉 の 付 い
た一と 言」
「 血 の匂ひ の す る半 句 」を 含む 文 章 で な け れ ば 書 く 意 味 が
「生血」
( 明 治 四四・九 )の ヒ ロ イ ン に よ る 金 魚 殺 し の 構 図 と 同 様 と
を 犯す こ と を 自分 自 身 を も 犯 す こ と にも 通 ず る と いう こ の 仕 組 み は 、
ここで 一つ 指摘 して おきた い。田 村俊子は 常々その 感覚 表現に 巧
歩である。亭主への小突きは次第にエスカレートして いく。亭主の
そ の 手 を 亭主が 押 し 除け る と 、 女 作 者 は ま た男 の 脣 の な か に 手
み なこ と か ら 、皮 膚 や 身 体を 描 く と いう だ け で な く 、 皮 膚 や 身 体 、
「 瞬間 の あ る 閃 めき 」 だ った ので あ る。
を 入れて 引 き 裂く や う に その 脣 を 引 つ張 つ た り した 。 口中 の濡
本 能で 書 く 作 家で あ る と み な さ れ る こ と が 多 か っ た 。 し か し 、 注 意
襟 先を つ か み 、 着物 を 引 き剥 ご う と し、
れ た ぬ く も り が そ の 指 先 にぢ つ と 伝 は つ た と き 、こ の 女 作 者の
深 く見て み ると、 実は 感覚器 官 そのものと いう よりはむ しろ 、 それ
脳 のな か は 、 今まで に 乏 し い 力 を さ んざ 絞 り だ し絞 り だ し為て き た
頭 のう ち に 、 自分 の 身 も 肉も こ の 亭 主の 小 指 の 先に 揉 み 解 され
「 自分 の 身 体 のう ち の 何 処か の 一 部が ぐ つ と 収 縮して く る 」と いう
肉 の付 いた一と言も 出て こなけ れば 血の匂ひ のする半 句も 食みでて
が 受け 取 っ た 刺激が 神 経 を 伝わ っ た 先の中 枢 、
「頭 」に 全て が 集約 さ
の は 、長 谷 川 啓が 指 摘 す る よ う に 注( 6 お)そ ら く 女 の 性 器 のこ とで 、
それが ぐ っと 収縮 して 欲 情して き たと いう 意 味であろ う 。 口お よび
こ な い 。」と あ って 、書け よう と 書け な かろ う と 女 作 者 は「肉 の 付 い
る 瞬間 の あ る 閃 めき が つ いと 走 つ た 。と 思 ふ と 、女 作 者 は 物を
唇 も 性 器 の 喩 えで あ ろ う から 、 女 作 者は 亭 主 に 己 の 欲 情 し た 性 器 を
た 一と 言 」 な り「 血 の 匂ひ の す る 半 句」 な り が 出て く る の は 自 分 の
れて いることが分 かる。
「女 作 者 」の 冒頭 の 記 述も「 こ の 女 作者 の 頭
突 き 付 け た も 同 然 の こ と を し た こ と にな る 。 そ して 、 亭 主 の 唇 の 中
「頭脳」からだと 実感して いることが分かるし、先程 見た、亭主へ
摑み挫ぐやうな力で いきなり亭主の頬を抓つた。
に 自分 の 指 を 入れ る 行 為 は 、 女 作 者が 亭 主 を 犯 す 行 為で あ ると と も
の 身 体 的 嬲 りで 得 た「 瞬 間 の あ る 閃 めき 」が 走 っ た の も 、
「こ の 女 作
残 りの 滓で い つぱ い に な つて ゐて 、も う 何う こ の 袋を 揉 み 絞 つて も 、
に 、それが 反 転して 亭主が女 作 者 を 犯す こ と へとリ ン クす る。対 象
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ど れ ほ ど 匂 ひ の 濃 か い 潤ひ を 吹 つ か け て 見て も 、 あ の 男 の 心
作 のひ ら め き は 、女 作 者 単 独 で は 得 ら れ な いも のな ので あ る 。
「女作
ではなく、
「 頭 脳 」を 絞 り 絞り し 産 み の苦 し み を さ ん ざ 嘗 め 尽く しな
は 砥 石 の や う に 何 所 か へ その 潤ひ を 直ぐ に 吸ひ 込 んで し ま つて 、
者 の頭 の う ち 」な ので あ る 。
〈女 作 者〉ひ いて は 田 村 俊 子 と いう 作 家
が ら 書 い た ので あ る 。 そ して そ の 有 様を 描 い た のが 「 女 作 者 」 と い
さうして 乾 いた滑ら かな おもて を 見せるばかりである 。
者」の結末部は次のようなものだ 。
う 作品だ と も 言え よう 。 俊子 が 一 葉 に 見 た よう な 「 蹂 躙 の 意 気 」で
「 私 は あ な たと 別 れ ます よ。」
は 、感覚 ・官 能を 描 いて は い たが 、 それ は 本 能の戯れ の 成す 技な の
俊 子自 身も 書くこ と に 向 った ので は な い かと 考える 所 以で ある 。 作
得た女 作 者で はあ ったが 、その直後に机の 前に 座って も 、 それで も
話 を 戻 す と 、 先 の よ う に 亭 主 を 身 体的 に 嬲 っ たこ と で 性 的 快 楽 を
ゐ た 人 の や う に 思 へ る 。」 注( 8 と)す る のは 、同 時 代の 男 性 文 人に し
て は珍 しく 的 を射 た評で はな かろ う か。
で は、 感覚 的 に生 きて ゐ た女と いふ よりも 、 寧ろ意 志の生 活を して
箇 性 若 く は 性 癖 を 持 つ た 女で は あ つ たら う が 、 私 の 想 像 す る と こ ろ
さうで あ る 。 その以 前からも 、 無論 新し い女――少な くとも特殊な
目ざ めて 来 た のは 私 の 知 得る 限 りで は 、 そ んな に古 いこ とで も な さ
合う。徳田秋声が俊子を評して「とし子女史の今日のやうな感覚の
つて ゐる ので ある 。生 の 一と つ 一 と つを 流 し 込 み食 へ 込む やう
辷 ら せて 了 つ て 平 気で ゐ る 。 こ の 男 の 身 體 の な かは お が 屑が 入
人 々 々 の 感 情 で も 、 こ の 男 は 自 分 と 云ふ も のゝ 上 か ら す べ て を
一とつ/\に対しても、自分の心の内に浸み込んでくる一
と 返事 を して ゐる や う な 男な ので あ る。 自分 の 眼の 前 を 過ぎる
「 然う か。」
と 云へば、
「 私は 矢 つ 張 りあ な たが 好 き だ 。」
と 返事 をす る に違ひ な い 。
「 あゝ 。」
斯う云へばあの男は、
な お原 稿 は 書けな い。「 ま るで 有 る たけ の 血 を 浚ひ 尽 さ れ た後 の や う
な 血の 脈 は 切 れて ゐ る ので あ る 。 女 作者 は 然う 思ふ と 、わ ざわ
家として の 田 村 俊 子 に は 、
「 感 覚 」と いう よ り も む しろ「 意 志 」が 似
に 身 体 が げ ん な り して ゐ る 」だ け で あ る 。こ の 性的 刺 激 は 結 局 、
「女
ざ下へおりて 行つて 自分の相手にす るのもつまらな い気が した。
こ の結末 部の亭主に関す る記 述には 、男女と いう恋 愛関 係にあ る対
ヽ
作 者 」 作 中 の 主 人 公 に と って は ま だ 、 創 作 の 源 泉ま で に は 行き 着 け
(傍点作者)
的 な 突 付 き は 双方 向 の せ めぎ あ いに は 発 展 せ ず 、 実 質 的 に は 一 方 通
に おけ る 女 が 男に 求 め る も の が 窺 わ れる 注( 9 と)とも に 、〈 女 作 者 〉
ヽ
な かっ た 。 その原 因 の 一旦は 亭主 に あろ う 。女 作者 の 亭主 への 身 体
行で 終わ り、亭主には受け流されて しま った。しかし、女 作者の 創
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るが、
「 一 と 滴 」が 己 の 中 にも 男 の 中 にも 見 出 せ る 可 能 性 が 残 って い
と して 荒 れ た 、 一 見 潤 い の 失 わ れ た よう に 見 え る 男 女 の 有 様で は あ
も のと 信 じ、
「 そ の 一 と 滴 の潤ひ 」に 執 着す る 限 りに お いて は 。殺 伐
対 す る 温 み は そ の 影 の な かゝ ら 滲 み で ゝ く る 一 と 滴 の 露 か ら 」 湧 く
「 あ の 人 は 私 の初 恋 な んで す も の 」と 答え 、
「こ の女 作者が今の男に
け な し の 潤 い や 悶 え が 残 って い る に 違 い な い 。 女 作 者 が 女 の 友 達 に
は〈「 おが 屑 」男 〉か も し れな いが 、お そ ら く 芯 の部 分 に は まだ 、な
紛 らす こ と も な く 粘 っこ い文 体で 書 きあ げ た 。 確 か に 女 作 者の 亭 主
だが、
〈女 作 者〉田 村 俊 子 は そ の よう な〈 女 作 者〉の 有 様 を 、情 緒 に
なかったからこそ、
「女 作 者 」の〈 女 作 者 〉は 書け な いま まで 終わ る 。
が 手 に 入 れ る こ と は 不 可 能で あ ろ う 。だ か ら 、 求 め る も の が 得 ら れ
せ 合う こ と で は じ めて 生 ま れ る 真 の 「 瞬 間 の あ る 閃 め き 」 を女 作 者
ような 、 血や 体液に よる 湿り 気が 失われ たような男で は 、 血を 通わ
へ 込む や う な 血の 脈 が 切 れて ゐ 」 て 「 身 體 の な かは お が 屑 」で あ る
す るも の の 話 と いう だ け で は な い。「生 の 一 と つ 一 と つ を 流 し 込 み 食
れ は 単 に 、 恋 愛 の 要 素 と して 女 、 妻 が パ ー ト ナ ーで あ る 亭 主 に 希 求
局 を 一 番 は つ き り と 曝 け だ さ れ た そ の果 敢 な さ 」で あ り 、
「人間と云
ま す 。」田 村 俊 子と いう 読 者 を 感 激 さ せる の は「疲 れ 果 て た 肉 欲 の 終
人間に情な いと云ふ 感覚を起させる瞬間はありませんで せうと思ひ
のゝ 底 を 割 ら れ た や う な 気が し て 、 何 か 情 な い と 云 つ て 、 あ れ ほ ど
た そ の 果 敢 な さ の 為 か も 知 れ ま せ ん 。( 中 略 ) 初 め て 人 間 と 云 ふ も
き ます 。
( 中 略 )疲 れ 果て た肉 欲 の 終 局を 一 番 は つき り と 曝 けだ さ れ
こ の よう に 記 述して い る 。「 あ そこ は 幾 度 読 んで も 私 は 涙 が に じ んで
と 言う 。俊 子 が「 いゝ と 思ふ と こ ろ 」と して 挙 げ た 場 面 に つ いて は 、
鋭 い 感 覚 と で 、読 ん で る う ち に 直 き に へと / \ に な つ て し ま ひ ま す 」
む 者の 血管 を 一と つ / \ねぢ り切 ら ずには 置 かな い様な 作 者自身 の
しい。
『 死 の 勝 利 』の「 作 全 体 を 彩 つ て ゐ る 作 者 の 執 拗 な 技 巧と 、読
と が あ っ た ら し い の だ が 、そ の と き は 「 極 度 の 感激 」 を 味 わ っ た ら
田 長 江 訳 のも のを 今 回読む 以 前に 、 ハー デ ィ ン グの英 訳で 読んだこ
田 長 江 訳 の ダ ヌ ン チ オ 『 死 の 勝 利 』 に つ いて 書 いて い る 。 俊 子 は 生
俊 子は 「 読 ん だ も の 二 種 」と いう 文 章を 発 表 して お り 、 そこで 、 生
俊子論」と いう特集が組まれて いるが、その号の別 の箇所に、田村
「 女 作 者 」 発表 の 二 ヵ 月後 の 大 正 二年 三 月 の 『 新 潮 』で は「 田 村
で もな け れ ば 、 筆 の す さ び 、 戯 れで 己 の 心 を や つす よう な しろ も の
る のな ら ば、
〈 女 作 者 〉の 書く こ と は まだ こ こ に ある 。と も かく 、そ
ふ も のゝ 底 を 割 」 っ た よ う な 描写 な のだ 。 そ し て そ れ を 生 んだ の は
が 芸術 の 男 神 と な る べ き 現実 の 亭 主 に 対 して 何 を 求 めて いる か 、 そ
れ は 、「女 作 者 」 の 亭 主 の 言う よ う と は 全 く 異 な る 性 質 の 〈 女 作 者 〉
「 読む 者 の 血管を 一 と つ /\ね ぢ り 切ら ず に は 置かな い 様な 作 者 自
でもなかった。
の 「生 活 の 一 角」 を 書 い たと 言 え る かも し れ な い。 し か し それ は 、
身 の鋭 い 感 覚」だ と いう 。
「 女 作 者 」の 亭 主 は「 血 の 脈 」が 切 れて い
して それ が い かに 亭 主 か ら 欠 落 して いる かが 表 れて い る だ ろう 。こ
亭 主が 思 う よ う な 、 そ こ いら に 転 が って い る よ う な あ り ふ れ た 情 景
88
て 何も く わ え 込む こ と が で き な い 有 様だ っ たが 、俊 子 の 追 い求 め る
が 文 学 を 生 み 出す た め の その 源 泉 な ので あ る 。
そ して そ れ ら 全て が 集 約 され 、凝 縮 され る 頭 。こ れ が 真 の〈 女 作 者〉
し た よ う な も ので も な く 、 か と 言 って 単 に 白 粉 を 塗 ら な い 素顔 と い
作 者 〉 の 正 体 で あ る な ら 、 白 粉 で 「 人間 と 云 ふ も のゝ 底 」 を 包 み 隠
。) な ぜ こ の
田 村 俊 子 特 有 の 言 葉 と 言 っ て も い い か も し れ な い 注(
ような 言 い方をしたのだろう か。そこには田村俊子の思惑が含まれ
そも そも、〈 女 作者〉と いう 言い 回 し 自 体、一般 的で はな いだろ う 。
三、〈女作者〉とは
文 学は 、
「 読む 者の 血 管 を 一と つ / \ねぢ り 切 ら ずに は 置 かな い 」よ
う なも ので あ るに違 いな い。
『死 の 勝 利 』を 読 んで「 いく ら 自分 は 小
つ ぽけ な 人 間 で も 、 筆 を 持つ 以 上 は 兎 に 角 自 分 相当 に 、 本 当 に 薄 つ
ぺ らな 藁半 紙 のや う な も のは 作 り た くな い」「 藁 人形 の や う な 人間 の
う だけ の 、素では あ る が 表面的で も ある よう な も ので も な い、
「生 地
て いる に 違 いな い 。
出て く る 小 説 は 書き た く な い 」と 思 って い る ら し い 俊 子 。こ れ が〈 女
が 荒れて お しろ い の 跡 が 干破れ 」 たとこ ろ を 取 っ掛 か り に 身体 の 内
官 と そ れ が 受 け る か そ け き 触 覚 と いう 程 度 の 刺 激で は な く 、女 の 身
官 と して 機 能 して こ そ の も ので あ る 。 皮 膚 の よ う な 表 面 的 な 感 覚 器
粉で は な く む しろ 女 性 器 と 言 って し ま って も よ い。 し か も それ が 器
作者〉の創作を喚 起す るものを物 質的物理的に辿るなら、それは白
し て 地 続 き の も の で は な いこ と が 確 か め ら れ た で あ ろ う 。敢 えて〈 女
ら で は と 受 け 取 ら れ が ち な 官 能 的 表 現で も あ る 。 し か し こ れ ら は 決
どちらも 触覚や嗅覚に秀で た感覚的 表現で は あるし、どち らも 女な
飛 ば し た か の よう な あ る 種 殺 伐 と し た 男 女 間 の 性的 表 現 は 、 確 か に
と いう 言 葉 で 片付 け る に は あ ま り に 生 々 し く 、む し ろ 情 緒 な ど 吹 き
白 粉 の 匂 い 、 肌に 触 れ る 感触 と い っ た情 緒 的 な 感覚 表 現 と 、情 緒
部 を掻 っ 捌 いて 見 せる ような 文 学 を 希求す る のが当 然で は な い か 。
そ う い う 要 求 を 狡 猾 に 利 用す る 。 田 村 俊 子 が 女 な ら で は の 感 覚 描写
は 、単調な 世界に刺激をもたらす 。だから欲せられる。女の方も 、
を 例 外 と す る 世界 が 持 つ あ る 一 面 に 過ぎ な い の だ 。 そ の よ う な 一 面
葉 がも て は や され る 所 以 だ 。 そも そも 、〈女 流 〉 その も の が 〈女 流 〉
越 境 して 参 入 して く る こ と を 要 求 さ れる 。〈 女 流〉〈 閨秀 〉 と いう 言
いつも、多面性を 活かすことによって外部から男性中心の土俵へと
値があ る 、 と アピ ー ル して い る 場 面 を 多 々 目 に す るで あ ろ う 。 女 は
か して 男 性 に は 考 え の 及 ばな いこ と をす る こ と が 可 能 だ 、 そこ に 価
す るとき 、女として 、妻として 、母として 、主婦と して の視点を活
って 評 価 さ れ ると き 、 ま たは 自 身 が 己 を 世 間 に 対 して 売 り 出 そう と
現 代で も 、 女 性 の 起 業 家 や 政 治 家 な ど が 活 躍 し 、 そ れ が 他 者 に よ
体 の芯 部 の 粘 膜と そ れ が 受け る 力 強 く生 々 し い は っ き り と し た 刺 激 、 を 同時 代 の 男 性文 人 たち に 賞 賛 さ れ たの も 、 そう いう 側 面 が 強 いと
89
10
かで は い かな い女 の 自 己 の打ち 出 し 方 の 問 題 が ここ に あ る 。し か し、
非 対 称な 図 式 に異 を 唱 え る方 向 へ と ベク ト ル を 向け が ち だ 。な ま な
ち 出す 方 法 は こ れ に 当て はま る と 言 える だ ろ う )、ジェ ン ダ ーが 齎す
に 性別 を 無 化 した り(〈 閨 秀 作 家と して 〉で は な く〈 作 家と して 〉打
して 〉 打ち 出す )こ と で 評 価 を 得 る こ と に 違 和 感を 覚 え る 者は 、 逆
あ る いは そ のうち の あ る 一面 を 打ち 出す ( 作 家な ら ば 〈閨 秀 作 家と
言 え な く も な い 。そ し て 、そ の よ う な〈 ○ ○ と して 〉と いう 多 面 性 、
はない、本 質的に一体となって いる、全 人的な 存在な ので ある。そ
で はな く 、 それらが 不可分なも ので あり、使 い分けがで き るも ので
て 母で あ る 面 も あ る か も しれ な い が )と い う 多 面 性 を 持 って い る の
作 者〉 と は 、 女で あ る 面 、妻で あ る 面 、 作 家で あ る 面 ( 場 合に よ っ
直 結して お り、そ の 感 覚 はま ぎ れ も な く 女 の も ので あ る か らだ 。
〈女
無い。
〈女 作 者〉の 創 作 行 為 そ の も の に 男 女 の 生 々 し い せ め ぎあ いが
かと言って、
〈女 〉と いう 性 別 が 無 化 さ れ た 存 在で ある わ け で も 勿 論
的 捉え 方 を ど こ かで 断 固 拒む の が 〈 女 作 者 〉 と いう 存 在で あろ う 。
して お そ ら く それ は 唯 一 無二 の あ り 方で あ り 、 それ こ そが 田 村 俊 子
女 が 作 家で あ る あ り 方 は 、こ の 二 方 向 し か な い のだ ろ う か 。
そもそも、
〈 女〉が 作 家で あれ ば 、それは 即〈女 作者〉で あ ると 言
合 成 語 で は な いのだ 。そ れ ゆ え 逆 に 、
〈 女 作 者 〉を〈 女 〉の 側 面と〈 作
側面とを併せ持つと いう意味で の、
〈 女 〉と〈 作 者 〉の 二語 か らな る
で は 決 して な い。〈女 流 作 家〉 の よう な 、〈女 〉 の 側面 と 〈 作 家〉 の
い。
〈 女 作者 〉は 、単 に〈 女 〉が〈 作 者〉で あ れ ばな れ る と いう も の
〈 女 流 作 家 〉 と 同 じ 意 味で 〈 女 作 者 〉 を 使 っ た わ け で は お そら く な
こ の女主人公が女性作家の普遍的な 姿で あるとは思えな いだろう。
子 は 主 人 公 に 使っ た 。 し かし 、「 女 作 者」 と いう 作 品 を 見て みる と 、
ぎ こ ち な い よ う な 、 違 和 感さ え 醸 し 出 して い る よう な 言 葉 を 田 村 俊
り も な く 用 い ら れ る〈 女 流作 家 〉で も な く 、
〈 女 作 者 〉と い う 、多 少
れ た〈閨 秀 作 家〉で も な く、 現 代で す ら 大 部分 の人々 に は わだ かま
し い生 活 の 匂ひ や 、 評 論 に示 さ れ た 因習 へ の 譲 歩しな い対 抗の 態 度
分 裂」が あ り、
「 随筆にあ るそのやう な婦 人の 芸 術家と して 全く生 々
「 歌に あ る 情 緒の 型 と 随 筆評 論 のう ち に あ る 生 活的 な 意 志と の 間 の
筆・評 論 は完 全 に別 物 と して 執 筆す る 晶 子 と いう 女 性 文 学 者 の中 に 、
の芸術的側面を表した歌の世界と 、晶子の思 想や生 活が 表された随
して の晶子の真の成熟は妨げられたと述べて いる。だからか、晶子
間 から も て は やされ 、 そ れば か り を 期待 さ れ たがゆ え に 、 芸 術 家と
シズムを極 めたも のと して注 目して いるが、
「 表 面的 な 斬 新さ」で 世
の微妙な力を積極 的に 高唱す る 方向を取って 来て ゐる」ロマンティ
て 論じ た 箇 所で 、 晶 子 の 歌は 「 女 性 みづ か ら が 自身 の 精 神 と肉 体と
宮 本 百 合 子 は『 婦 人 と 文 学 』
( 一 九 四 七 )の 中 の 与 謝 野 晶 子 に つ い
と いう 作 家 の あ り 方 の 独 自性 と 言 って も い い だ ろ う 。
者〉の側面に分けて その多面性を論じたり、多面的で あるが故に引
が 、何 故 彼女 の短 歌 の 世界へは 反 映されな かつ たのだ らう 。婦 人の
えるのか。明治期などに雑誌で 特集が組まれる際に しばしば用いら
き 裂 か れ る と 見て も な ら な い 。 そ の よう な あ り ふ れ た フ ェ ミ ニ ズ ム
90
い 」と 問 題 点 を 見 出 して いる 。 こ の よう な 晶 子 と い う 歌 人 と 対 置 し
芸 術と い ふ も の の 在 り や う の 問 題 と して 関 心 をひ か れ ず に ゐら れ な
して 、次 の 四 点を 挙げて いる 。
の深 層 に は 四 つの テー マが重 層 かつ 複層 的 に 埋 め込 ま れて いると
(『 フ ェミ ニ ズ ム批 評 へ の 招待 』 一 九 九五 ・ 五 ) には 、『 女 作 者』
一「 創 作に 行き 詰 ま っ た時の 女 作 者の狂 態に 象徴さ れる よう な
た と き 、 晶 子 のこ と を 「 晶 子 夫 人 」 と 称 し た 田 村 俊 子 の 作 家と し て
の矜持がどこ にあ るかが 想像で き よう。田村俊子にと って 「分 裂」
書くこと の狂 気」
二 「 サ デ ィ ス チ ッ ク な 女 作 者 の セ ク シャ リ ティ 」
は あ り え な い し、 あ って はな ら な いも ので あ っ た。 し か し 、だ か ら
と 言って 〈 新 しい女 〉 の 思 想な ど を 作品に 盛 り 込む こ と も 本意で は
三「俊子文学の中 心テーマ〈男女両性の相剋〉問題にも かかわ
四「〈 女と いう 制 度 〉か ら な かな か 脱 出で き な い踠き と 、そこ か
る、怠惰な夫婦関係から生じる苦しみ」
な い。 な ぜな ら 、 田 村 俊 子は 〈 新 し い女 〉 を 体 現して い る よう な 女
で はあ って も 、あ く まで も〈 女 作 者〉で あ って 、
〈 新し い 女〉で も〈新
し い女 〉 と して の 作 家で もな い し 、 思 想の為 に 文学 を 志 して いるわ
2( 光
) 石亜 由 美の「〈女 作 者〉が 性 を 描く と き ― ―田 村 俊 子 の場 合」
らの解放・越境願望」
いう田村俊子が言ったと される言葉の意味も、レッテルを貼られた
九九八・三)などに詳しい。
『 日本 文 学 研 究』 ( ()大 東文 化 大 学)、 一九 九 四 ・一
5 大
) 塚 豊 子 「 田 村 俊 子 論 ― ― 放 縦 に 美 あ り ― ― 」『 学 苑 』
(
一九七六・一
( に)挙 げ た長 谷 川 啓 の 論 考
、
(433)
3( 平
) 塚 ら いて う 「 新 し い女 」『 中 央 公 論 』 臨 時 号 大 正 二 ・一
4( 鈴
) 木 正 和「 田 村 俊 子『 女 作 者 』論 ― ―〈 女 〉の 闘 争 過 程 を 読 む 」
21
91
け で は な い か らで あ る 。 有名 な 「 私 は 新 し い 女 で は あ り ま せ ん 」 と
り女ならで は の多面性をお仕 着せられたりす ることに対す る拒絶の
(『 名 古屋 近 代 文学 研 究 』 ( 、)一 九 九 六・一 二 )や 、同「田 村 俊
子 「 女 作 者 」 論 ― ― 描 く 女 と 描 か れ る 女 」(『 山 口 国 文 』 ( 、)一
意 味か ら 出 たも の と 考 え ると 理 解で きるで あ ろ う 。一 葉 を〈 女 作 者〉
と して 先 人 に 持つ 俊 子 が 、
〈 新し い 女〉たち と は 勿 論 異 な り つつ 、晶
子 的 文 学 者 の あ り 方 も 超 越 して 、 全 人的な 〈女 作 者 〉 た ら んとす る
14
7( 第
) Ⅰ 部 第 一章「 生 血 」論に お いて 、ゆ う 子 が 金 魚 を 針で 突 き 刺
すという 行為は、ゆう 子自身の手に よって ゆう 子の処女 喪失を再
6( 注
)
33
そ の 在 り 様 を まざ ま ざ と 描いて 見 せ た「 女 作 者 」は 、田 村 俊 子 が そ
の最盛期を 自らの手と頭で引き 寄せるために 自身の〈女作者〉像を
規 定 し 、〈 女 作 者〉 宣 言 を し た 作 品な ので あ る 。
注
1( 例
) え ば 、長 谷 川啓「 書く こ と の〈 狂〉― ― 田 村 俊 子『女 作 者』」
1
現 し、 や り 直す と いう 行 為で あ っ た と 指 摘 し た 。
8( 徳
(『 新 潮 』大 正 二・三 特 集
) 田 秋 声「 人と して 芸術 家と して 」
「 田 村 俊 子 論」)に 寄 せ ら れ た 秋 声 に よる 俊 子 評 。な お 、こ の二 ヶ
月 前の 同誌に「女 作 者」が掲載 さ れて い た。
9 第
) Ⅰ 部 第 三 章「 炮 烙 の刑 」論 に お いて 、俊 子 作 品 の 女 が 男 に 求
(
め る も の に つ いて 論 じ た 。
( 佐
) 多 稲 子 は 田 村 俊 子 の 亡く な っ た約 一 年 後 に「女 作 者」(『評 論』
昭 和 二 一・三 。な お 、佐 多稲 子 自 身 が か ぎ カ ッ コ 付 き で「 女 作 者 」
と いう タ イ ト ル を 付 け て い る ) と い う 小 説 を 書 いて い る が 、 そ こ
に 描かれた「女作者」は田村俊子が モデ ルで ある。佐多稲子にと
って田 村 俊子とはま さに「女 作者」と称す べき 存在だ っ たのだろ
う し、 逆 に 「 女 作 者 」 と いう 称 号 は 田 村 俊 子 を 呼ぶ と き に こ そ 使
わ れる べき 象 徴的な 、 呼 称と 言 って も よ いく ら いのも のだ と いう
認識を持って いたのだろう。
「 女 作 者 」の 引 用 は『 田 村 俊 子 作 品 集第 1 巻』
(オ リ ジ ン 出 版セ ン タ
ー、一九八七 ・一二・一〇)に拠る。その他の引用は 初出に拠る。
92
10
「 霊肉 合 致 」 を目標 と して切 磋 琢 磨 しよう と 突 き進む の に 対 し 、 一
般 的 に 〈 新 し い女 〉 に と って の 〈 争 闘 〉 と は 、 旧 い 女 の よ う に は 男
した行為であったことは確かで 、
〈 争 闘 〉を 書 く こ と に 何が しか の 自
男 性 作 家で あ って も 女 性 作 家で あ って も 、 そ れ が 極 め る こ と を 志 向
〈 男 女 の 争 闘〉を 描 く 場 合 、明 治 末 ~ 大 正 期 の 作 家 たち にと って 、
ような 感が あ る 。し かし そ れは 言 って しま え ば 、抵 抗や 反 抗 と いう 、
主 体 的 に 〈 争 闘 〉 に 参 画 して い る と いう 自 己 認 識を 女 に 与 えて い る
ず は 個 人と して の 自分 を 打ち 立て 、男 にも そ れ を 認め さ せ るこ と が 、
だ 。 抵 抗 す る こ と 、 異 議 申 し 立 て す る こ と を 表 現す る こ と 、ひ と ま
結
の意のままにはな らな い、流されな い、簡単に身体を許さないと い
己 実現 、自己 革 新、自 己 解 放 の 可 能 性 を 見出 して い たと 考 え ら れる 。
男 の 自 分 勝 手な 要 求 に 対 す る 反 応 を 突き つ け た と いう 、被 害 者的 な 、
う 抵抗 を 示すこと に よって 、 男と 対峙し よう とする 傾向にある から
男 性に と って は 、 恋 愛 関 係を 結 んで いる 相 手で あ る 女 は 〈 争闘 〉 を
受 け 身 な 行 為 に 過 ぎ な い と も 言 え る ので は な い か 。
そ の点 、田 村 俊子お よ び その 作 品 の 女主 人公 たち の 〈 争 闘 〉への
極 める た め の そのあて 、つま り対 象 、手段 と して 見つけ ら れた 存 在
に 過ぎ な い 可 能性も 高 いと いう 一 面 もあ り つ つ も 、女 性に と って も 、
そ のも ので あ るは ず が 、 男も そう 認 め、 女 に 主 体 性 を 要 求 しな が ら
それととも にしかし、
〈争 闘 〉が 男 女 二 人が 対 等 に主 体で あ って こ
〈相剋〉を極 めよう と し たのが 田 村 俊子の文学であ っ た。 そして そ
あ る 男 の 反 応 を 無 理 や り にで も 引 き 出 して 、 双 方 向 の 争 闘 、つ ま り
官 能や 感 覚 や 言葉 や 身 体 的な な ぶ り 合 い を 駆 使 して 、 む し ろ 相 手で
気 概は 別 次 元 のとこ ろ に あ る こ と は 、第 Ⅰ 部で 明ら か に な っ たで あ
も 、男 女 の 争 闘に お いて す ら 、 争 闘 と いう あ る 意味 概 念 的で も あ り
れ は 極 めて 技 巧的で も あ っ た 。 技 巧 の 限 り を 尽 くす こ と 、 官 能 性す
旧 来 の 道 徳 、 倫理 観 、 家 族制 度 等 に 縛 ら れて き た〈 女 〉 と いう 属 性
実際的でもある行為、現象と対峙し、追究しようとする主体はやは
ら も 自 ら の 技 巧の 生 み 出 す 結 果 で あ るこ と 。こ れこ そが 、田 村 俊 子
ろ う 。 抵 抗 や 反 抗 と い う 強 硬で は あ って も 受 け 身 の 態 度 に 自ら 甘 ん
り主に男性で 、何が し かの自己 実現を目指す のも男、女は その ため
の ヒロ イ ン たち が 発 揮 し う る 最 大 の 力で あ り 、 その 有 無 を 言わ せ ぬ
か ら の 逸 脱 の 可 能 性 を 期 待 し た と いう 側 面 も 大 き いで あ ろ う 。 こ れ
の 対 象 に 過 ぎ な い か の よ う な 印 象 を 受け る の も 真実で あ る 。と い う
相 手の 反 応 を 確 実 に 引 き 出す 実 効 力 のあ る 力 の 特色 は 、 攻 撃性 と も
じ るこ と は 決 して 許 さ ず 、文 字 通 り 主 体 的 に 、〈 争闘 〉 の 主 と して 、
のも、男は古臭い 道徳観、倫理観、もしくは明治以来の近代的 社会
言 え る も ので あ っ た 。 攻 撃 性 を も って し か 叶 わ ぬこ と を 、 田 村 俊 子
は、
〈 新 し い 女 〉と〈新 し い 男 〉が 取 り 組 む べ き テ ー マで あ っ た のだ 。
制 度、 規 範 、 規制 に よる 束縛 に 敢えて 反 して で も極 め よう と例 え ば
93
つなが るこ と は、第Ⅱ 部で 明らかに した。俊子にと って 、 男女の争
の 仕 方 は 、ひ いて は 〈 女 作 者 〉 と し て の 田 村 俊 子 の 文 学 の 方 法 に も
男女の争闘に見られる ような 自我 の解放と 技 巧的な 攻撃性の発揮
た か 、 ま た は 乗 り 越 え ら れ た か と い う 問 題 に つ いて も 、 今 後 の 課 題
じ たが 、 さ ら には 俊 子 か ら そ の 後 の 女 性 作 家 たち に 何が 引 き 継 が れ
俊 子 へ と 受 け 継 が れ た 〈 女 作 者 〉 と いう 存 在 の あ り 方 に つ いて は 論
田 村 俊 子 の 文 学に つ いて は、 今 後 の 課 題 と し た い。 ま た 、 一葉 か ら
じ た。 衰退 期と 、田 村 俊 子が お そら くは 目 論 んだで あ ろ う 転換 期 の
闘という事態に格闘すること自体が〈女作者〉として 己が立つこと
としたいと思う。
は 志向 し た のだ 。
と 不可分 のこ とで あ り、
〈 女 作 者 〉のな り 方 、あ り方 す ら 、技 巧 的な
も ので あ っ た 。 そ れ で し か 文 壇 、 男 性 読 者 、 社 会に 対 し て 確 実 な 実
効 力 を 持 つ こ と が 叶 わ な いか ら こ そ の 技 巧で あ った 。薄 っ ぺ らな「 女
ら しさ 」
「 女 な らで は 」
「 女 ら し い 感 情 、感 覚 」と か「 本 然 性」、生 ま
れ 就いて の 本 質的な も の 等々 の よう な 、
〈女 〉の 特性 と して 良く も 悪
く も 帰 さ れ て しま い が ち な そ ん な 特 性で も って 限定 的 ・ 局 所的 な 地
位 しか 文 壇 に お いて 占 め るこ と が で きな い よう な 、いわ ゆ る〈 女 流〉
と いう 枠 を 逸 脱す る こ と を 可 能 と す る た め の〈 女 作 者 〉のあ り 方 を 、
田 村俊 子 は 打ち 立て たのであ る 。 そこ に 、田 村 俊子 の 独 自 性、 特異
性がある。
男女 の 争 闘 の中で 、 技 巧的 に 増 幅 さ せ る 官 能 性と 相 手で ある 男 か
ら の反 応 の 手 ごたえ は 、
〈 女 作者 〉の 創 作の 原 動 力 や文 壇・男 性 文 人・
読 者に 対 す る 手ご たえと 通ず る も の 。し か し 、だか らこ そ、争闘 へ
の 断念 が 俊 子 の中 に 巣 食 っ た と き 、
〈女 作 者 〉と して の 田 村 俊 子 の 衰
退も避けられないものとなった。
本 論 文 で は 、 最 盛 期 の 田 村 俊 子 に つ いて 、 そ の 代 表 的 な 作 品 に 見
ら れる 田 村 俊 子文 学 の エ ッセ ン ス と 〈女 作 者 〉 と して の あ り方 を 論
94
初出一覧
第Ⅰ部
書き下ろし。
『阪神近代文学研究』第8号、二〇〇七年六月 )をもとに、加筆訂正。
第一章 「田村俊子「生血」試論――ゆうこの金魚殺し―― 」(阪神近代文学会、
第二章
『国文学研究ノート』第
号、二〇〇五年一月)をもとに、加筆訂正。
第三章 「田村俊子「炮烙の刑」論――女主人公が求める「奇蹟」――」
(神戸大学「研究ノート」の会、
第Ⅱ部
号、二〇〇九年六月 )をもとに、加筆訂正。
第一章 「田村俊子の一葉論と〈女作者〉に関する一考察 」(阪神近代文学会、
『阪神近代文学研究』第
号、二〇一一年三月)をもとに、加筆訂正。
第二章 「田村俊子「女作者」試論――〈女作者〉を表明すること――」
(神戸大学「研究ノート」の会、
『国文学研究ノート』第
95
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