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Title Author(s) Citation Issue Date Type 後払い賃金の心理学 荒井, 一博 一橋大学研究年報. 経済学研究, 44: 153-188 2002-11-15 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/9233 Right Hitotsubashi University Repository 後払い賃金の心理学 荒 井 一 博 年功賃金モデルと心理学実験 賃金プロファイルに関する選好実験 2.1 第1段階の実験の方法 2.2 第2段階と第3段階の実験の方法 3実験の結果 3.1第1段階の実験の結果 3.2 第2段階と第3段階の実験の結果 4長期の収入プロファイルに関する実験 4.1実験の方法 4.2 実験の結果と解釈 4.3 右上がりプロファイルを説明する理由 5結語 1 年功賃金モデルと心理学実験 年功賃金制の基本的特徴は年齢(勤続年数)と賃金額との正の相関にあ る.同制度の下では年齢(勤続年数)賃金プロファイルが右上がりになる. この関係を説明する理論モデルはいくつか提起されているが,世界的に最 も著名なものはBecker(1964,1993)やHashimoto(1979,1981)による 153 一橋大学研究年報 経済学研究 44 人的資本モデルと,Lazear(1979,1981)によるエイジェンシー・モデル である.筆者は荒井(1996,2001)などにおいて両モデルに対する強い批 判を行い,Arai(1980,1997)および荒井(1998,2001)によって筆者の 代替的モデルであるライフサイクル賃金モデルを提唱した. ライフサイクル賃金モデルにおいて大きな年齢別賃金格差が生じる要因 の一つは,労働者が将来の消費を高く評価することである.換言すれば, 労働者の時間選好率が小さいときには,同モデルで(年齢)賃金プロファ イルの勾配が大きくなる.現実の人間はどのような嗜好(時間選好)を持 っているのであろうか.Loewensteinan〔iSicherman(1991)は,これ と密接に関連した問題を心理学実験(アンケート調査)によって解明しよ うとした(以下では,Loewenstein and Sicherman(1991)を簡略化し てLSと表記する).特に彼らは,心理的要因のために後払い賃金を好む 個人が少なからず存在すると主張する. この論文ではLSの実験を追試したり,彼らとは異なる実験方法を適用 したりして,LSの主張の(日本での)妥当性を検討し,さらに実験結果 のライフサイクル賃金モデルヘの示唆を考察する.LSの実験の方法や結 果には懐疑を抱かせる部分のあること,日本では異なった結果が得られる かもしれないと思われること,LSの論理にも不十分な点があると感じら れることなどが本稿の考察の出発点となった. LSが提起した基本的な問題は,以下のように定式化することができる. X≡(¢1,¢2,……,エπ)とy≡(びE,す2,……,毎,)という2っの収入(所得)の プロファイル(流列)が存在すると仮定する.ただし,¢,と写,は第歪期 の収入であり,添字の数が小さいものほど現時点に近い時期に発生する。 またΣコr、=Σ穿,が成立する(すなわち各プロファイルの収入の単純合計は 等しい).さらに,近い将来(∫=1,2,……,ゴ)においてはz、>写、で,遠い 将来(歪=ゴ+1,ゴ+2,……,η)においてはコp、<穿、となる.換言すれば,Xで 154 後払い賃金の心理学 はyに比して近い将来の収入が大きく,遠い将来の収入が小さい. 経済学の基礎理論に依拠するかぎり,合理的な個人はyよりもXを好 むはずである.しかし,現実の個人にXとyの間の選択を行わせると, yを選ぶ者がかなり存在する.Xを選択することが合理的であると説明 されても,彼らの少なからざる部分は依然としてyを選択する.これは なぜか,というのがLSの実験を貫く問題意識である. 考えられる理由としてLSは次の4っを挙げる.第一は,上述の収入が 賃金とみなされる場合に,それが年々上昇すれば,労働者は目分が仕事に 熟達しっっあると感じて満足感を得るというものである.労働者は賃金を 生産性と関係づける傾向があり,賃金が上昇すると仕事がうまくなってい ると感じ,達成感を味わうことができるという考え方である. 第二の理由は自制の問題と関係する.一般に,加齢にしたがって家族の サイズが大きくなるなどのために必要資金量が増大する.しかし現在の所 得が大きいと,現在の消費を目制して貯蓄することは困難であるかもしれ ない.そのようなときは,次第に上昇する賃金プロファイルを選択すると 考えられる. 第三の理由は,消費から得られる個人の満足は消費の絶対的水準だけで なく,その変化にも依存し,消費量の上昇率が高いと満足感も高まるとい うものである.換言すれば,賃金が次第に増加するプロファイルを選べば, 生活水準の上昇が生み出す上昇感を味わうことができることになる.この 理由は上の目制の問題とも関係している.もし個人に十分な自制心があれ ば,当初に大きな賃金の得られるプロファイルを選択しても,貯蓄をする ことによって次第に消費量を増大させることは可能になるからである・ 第四は,将来の大きな消費を現在楽しみに待っことによって,現時点で 満足が得られるという理由である.苦しいことは早く済ませ,楽しいこと を後にとっておくほうが,全体として個人は高い満足感が得られると表現 155 一橋大学研究年報 経済学研究 44 することもできる.早い段階で高賃金を得ても,貯蓄することによって将 来に大きな消費をすることは可能になるので,この場合も自制の問題が関 係しているのは明らかであろう. LSの実験は,まずいくっかの具体的な収入プロファイル(右下がりの もの,右上がりのもの,水平のもの)を提示し,被験者にそれらの相対的 好ましさを回答させて,さらにその理由も被験者に説明させる.そして, どのくらいの割合の個人がどのような理由で右上がり収入プロファイルな どを好ましいと感じるかを分析する. 後で論ずるが,LSの実験方法には懐疑を抱かせる部分もある.例えば, 右上がり収入プロファイルを被験者が選ぶように誘導しているのではない かと考えられるアンケート方法が使われている.さらに彼らが使っている 流列は6年間の所得に関するもので,日本の年功賃金制の議論には適当で あるように思われない.筆者は,最初にLSの実験の追試を行い,日本人 も米国人と同じように回答するかを検討する.次いで,上述のような問題 点を除去した実験を行い,それでも同様な結果が得られるかを明らかにす る. 2賃金プロファイルに関する選好実験 2.1第1段階の実験の方法 以下ではまずLSの実験方法を検討し,次いでその結果と筆者が行った 追試の結果とを比較する.LSはシカゴ科学産業博物館を訪れた80人の 成人を被験者としたが,筆者は主に経済学を専攻する大学3∼4年生を被 験者とした.これらの学生のほとんどは入門レベルないしはそれ以上の経 済理論の科目を履修している.したがって,LSの実験の被験者よりは筆 者の実験のそれのほうが,経済理論に明るいことになる. 156 後払い賃金の心理学 この実験を基にLSが行った主張の一っは,賃金所得には他の種類の所 得とは異なる特別な性格があるということである.労働に対する報酬とし て受け取る賃金から人間は達成感ないしは熟達感という喜びを感じるもの である,と彼らは考える. それを実証するために彼らは被験者を2っのグループに分けた.そして, 一方のグループにおいては賃金プロファイルの形状に関する被験者の選好 を観察し,もう一方のグループにおいては不労所得である家賃収入のプロ ファイルの形状に関する被験者の選好を観察した.家賃収入からは達成 感・熟達感を感じることがないので,もし右上がりの賃金プロファイルを 選択する者が,右上がりの家賃収入プロファイルを選択する者よりも多け れば,右上がりの賃金プロファイルを選択する理由は,達成感や熟達感と 関係があると推測されることになる. アンケート調査は大きく分けて3段階からなる.第1段階では,被験者 に7つの代替的なプロファイルの形状を示して,彼らの選好順序を回答さ せる.代替的プロファイルのうち,1っは水平,1っは右下がり,そして 残りの5つは右上がり(ただし勾配が異なる)の形状をしている。第2段 階では,右下がりと右上がりの対称的な2っのプロファイルを被験者に示 して,どちらを選ぶか,またその理由は何かを答えさせる,第3段階では, 以上の実験に参加した被験者に,好ましいプロファイルに関する経済学や 心理学の学説を紹介して,それを知った後で彼らの選択が変化するかを観 察する.っまり第1段階と第2段階では,被験者が自分の知識や好みに基 づいて回答するのに対し,第3段階では「科学的な知識」も加味して回答 することになる. ここで実験に使われたアンケートの具体的な内容を明らかにしておきた い.第1段階の賃金プロファイルに関するアンケート(アンケート1と呼 ぶことにする)は,次のような文言からなっている.(アンケート中の 157 一橋大学研究年報 経済学研究 44 「図1」という表現は,もともとは「下の図」となっていたが,この論文 に合わせて変更した.同様な変更は,以下の多くのアンケートにおいても なされている.) アンケート1(賃金収入) 今あなたは次のような状況にいると想定してください. (1) あなたは現在は働いていないが,明日より継続して6年問働ける 職の申し出がある企業からあり,あなたはそれを受け入れることに決め たとします, (2) この職の賃金は,図1に示されているような7つの支払い方法の いずれかで支払われるので,そのなかからあなたの好みに応じて選ぶよ うに,あなたは企業から要請されたとします.ただし,各支払い方法に おける6個の棒は,各年に受け取る年間賃金収入額を表しています.棒 の高さで示されている収入額の6年問の単純合計は,すべての支払い方 法において同一です.横軸に1と示されている第1年目から,6と示さ れている第6年目まで,棒の高さが水平になっている場合は,毎年同じ 金額の賃金を受け取ることになります,棒の高さが右下がりになってい る場合は,受け取る賃金額が毎年減少することを意味します.逆に右上 がりの場合は,増加することを意味します. (3) あなたがここで選ぶ賃金の支払い方法は,あなたのその後の就職 にいかなる影響も与えないとします. (4) 今後6年間の収入の唯一の源泉は,この職から得られる賃金であ るとします. 問1あなたにとって好ましいと思われる賃金の支払い方法はどれです か.1番目に好ましいものには1,2番目に好ましいものには2という 158 後払い賃金の心理学 所得プロファイルの選択肢 ︵dl ︵a︶ 図1 (b〉 (c〕 年 問400 入300 芳200 巴100 収 1234 56 年次 順位 ) 1 4次 3年位 56 2順 ) 1 2 順 56 4次 3 年 位イ ー 4次 2 順 3年位伶 0 1 56 (9) 4 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 年間収入︵万円︶ 0 0 123456 123456 123456 年次 年次 年次 順位 順位 順位 最大限支払う用意のある金額 円 ように,7まで順位を決め,図1に示した各支払い方法の順位の欄に記 入してください, 問2 (右下がりのグラフに順位1をっけなかった人のみ答えてくださ い.)仮に,企業の提案する支払い方法が図1の右下がりのものである とすると,あなたが順位を1にした支払い方法に変えてもらうために, あなたは最大限いくら支払う用意がありますか.図の下方に金額を記入 してください. 159 一橋大学研究年報 経済学研究 44 図1に関して注を付しておきたい.図の形状は日米の実験で同じである が,縦軸の目盛りは異なる.米国の調査では図に示されている棒グラフの 目盛りはドル表示で,400万円のところが24,000ドルに相当する. 第1段階の家賃収入プロファイルに関するアンケートも,形式的には上 と同じであるが,理解を促進するために以下に全文を記しておきたい(図 1は上と同じであるので省略する). アンケート1(家賃収入) 今あなたは次のような状況にいると想定してください. (1) あなたは最近,親から小さなアパートを相続したとします. (2) あなたは現在働いておらず,将来もこのアパートの賃貸収入のみ を唯一の収入として暮らして行くこととします. (3) あなたは不動産会社と今後6年問にわたる契約をして,アパート の管理運営は不動産会社に任せ,あなたは不動産会社から賃貸収入のあ る部分(9割ぐらいと考えてよい)を,1年毎に受け取ることにしました. (4) あなたの賃貸収入となる金額は,図1の7っの支払い方法のいず れかで支払われるので,そのなかからあなたの好みに応じて選ぶように, あなたは不動産会社から要請されたとします.ただし各支払い方法の6 個の棒は,各年に受け取る年間収入額を表しています.棒の高さで示さ れている収入額の6年間の単純合計は,すべての支払い方法において同 一です.横軸に1と示されている第1年目から,6と示されている第6 年目まで,棒の高さが水平になっている場合は,毎年同じ金額を受け取 ることになります.棒の高さが右下がりになっている場合は,受け取る 額が毎年減少することを意味します.逆に右上がりの場合は,増加する ことを意味します. 160 後払い賃金の心理学 問1あなたにとって好ましいと思われる支払い方法はどれですか.1 番目に好ましいものには1,2番目に好ましいものには2というように, 7まで順位を決め,図1に示した各支払い方法の順位の欄に記入してく ださい. 問2 (右下がりのグラフに順位1をっけなかった人のみ答えてくださ い,)仮に,不動産会社の提案する支払い方法が別紙の右下がりのもの であるとすると,あなたが順位を1にした支払い方法に変えてもらうた めに,あなたは最大限いくら支払う用意がありますか.図の下方に金額 を記入してください. LSのアンケート方法を見て,筆者がまず抱いた疑問は,右上がりのプ ロファイルの選択肢は5つもあるのに,右下がりのプロファイルの選択肢 はなぜ1っしかないのかということである.被験者がこのような選択肢を 見れば,右上がりのプロファイルを選択するのが正常であるという先入観 を持っ可能性がある.換言すれば,図1のような選択肢を用意することに よって,実験者は被験者に右上がりのプロファイルを選択するよう誘導し ている可能性がある.しかも第1段階で右上がりのプロファイルを選択す れば,後の段階でも第1段階における自分の選択を正当化する回答をする 可能性が高いであろう. もう一っの疑問は,賃金収入や家賃収入の得られる期間が,なぜ6年間 という短期間なのかということである.この実験の出発点は右上がりの賃 金プロファイルの根拠を明らかにすることであったから,6年間という勤 続期間は日本人の感覚からは短すぎるように思われる.もっとも普通の米 国人は,就職に際してまず6年ぐらいの勤続を考えるともいえよう. 161 一橋大学研究年報 経済学研究 44 図22っの代替的プロファイル 6 5 4次B 3年 2 1 0 6 5 4 次 3年A 十 2 1 年間収入︵万円︶ 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 4 3 2 1 2.2第2段階と第3段階の実験の方法 第2段階の実験では,プロファイルの選択肢を図2のように2っだけに 絞り,そのうちのどちらかを被験者に選択させ,選択した理由も説明させ る(第2段階の被験者は第1段階と同じ).選択肢となっているプロファ イルの一方は右下がり,他方は右上がりで,両者は左右対称の形をしてい る.アンケートの具体的な文言は以下のとおりである. アンケートII アンケート1と同様な状況を想定したとき,あなたは図2に示したA とBの支払い方法のうちでどちらを好みますか.あなたの好みに近い方 に丸をしてください. 上でAまたはBを選んだ理由を以下に説明してください, 第3段階の実験では,まず第1段階と第2段階の実験に参加した被験者 に,右下がりと右上がりの各プロファイルに関する経済学や心理学の考え 162 後払い賃金の心理学 方を提示する.その後で被験者は,それらを参考にして第1段階と同様の アンケート(すなわちアンケート1)に答える.したかって,被験者のな かには第1段階とは違った回答をする者も現われる可能性がある.第3段 階の具体的なアンケートは以下のとおりである. アンケートIll 第2回目のアンケート調査において,A(右下がり)とB(右上が り)のうち,どちらを選ぶべきかに関して,研究者の間で意見の相違が あります. ある研究者は,A(右下がり)を選ぶべきだと信じています.その理 由は,初期において余分となる金額を銀行に貯金しておき,後で引き出 せば利子がついてくる,というものです.実際Aを選べば,Bを選ん だ場合よりも毎年多くのお金を使うことができることになります. ある研究者は,B(右上がり)を選ぶべきだと信じています,その理 由の第一は,収入が毎年増加すると満足感が高まる,というものです. 第二は,たとえ初期の収入から貯金することが可能だとしても,実際に 消費に対する衝動を抑えて貯金するのは困難である,というものです, Bを選んでおけば,初期にこのような衝動を抑える苦労もせずに,将来 多くの消費を達成することができる,ということになります. 問1 これら2っの考え方のうち,どちらが説得的であると,あなたは 考えますか.以下の2っのうち,より説得的と思われる方に丸をしてく ださい.(両方とも同等に説得的であると思われる場合は,両方に丸を してください.) A(右下がり)を支持する考え方 B(右上がり)を支持する考え方 163 一橋大学研究年報 経済学研究 44 問2 これらの考え方があることを考慮して,新たに描かれた図1にあ なたの好みの順番を付けてください(先とは別に図1が描かれている). 先の答えを変えても,同じ順番にしてもかまいません.さらに,今回も 右下がりのグラフを順位1としなかった人は,最大限支払ってもよい金 額を再度記入してください.先の答えと異なった金額でもかまいません, 以上がLSのアンケート方法である.筆者はまずこれらのアンケートを 使って実験を行ってみた.しかし先に指摘したように,この実験では実験 者が導出したい結果に被験者の選択を誘導するトリックが使われているよ うに思える.そこで筆者は,以上とは別の被験者に対して,図1の選択肢 の代わりに図3のものを使って上と同様な実験を行ってみた.図3のプロ ファイルは,水平なものが1っ,右下がりのものが1つ,それと左右対称 な右上がりのものが1っなので,特定のプロファイルを選択するように被 験者を誘導しているとはいえない. 図33っの代替的プロファイル 400 年 問 収300 入 (200 万 円 ) 100 0 1 2 3 4 5 6 年次 順位 164 0 1 5 4次 5 6 3年位 頂 2 押 7 4次 n乙 1 3年位 頃 0 6 後払い賃金の心理学 3実験の結果 3.1第1段階の実験の結果 実験の結果は,できるだけ見やすい表の形にまとめることにする.表1 は上の方法で行われた実験の標本数を表している,同表の「賃金収入」は 賃金プロファイルに関するアンケートを意味し,「家賃収入」は家賃収入 プロファイルに関するアンケートを意味する.「米国」とあるのはLSに よる実験の結果である。括弧内に「選択肢数7」とあるのは,その実験に おいて順序付けの対象となるプロファイルが7っあったことを表している. 「日本」は大学生(その多くは経済学専攻)を被験者として使った筆者の 実験を意味する。そのうちの「選択肢数7」はLSによる実験の追試であ る.「選択肢数3」とあるのは,選択対象となるプロファイルが水平,右 下がり,右上がりの3種類であった実験を表している.筆者が行った2っ の実験の被験者はすべて異なる. 表1標本数 米国(選択肢数7) 賃金収入 賃収入 日本(選択肢数7) 41 9 17 9 日本(選択肢数3) 30 3 表2は第1段階の実験(アンケート1)の結果を集計したものである. この実験では,7個または3個あるプロファイルの選択対象に対して,自 分の好みに従って順番を付けた.同表に示されているのは,プロファイル の現在価値が大きいものから順番を付けた被験者の割合である。彼らは経 済理論と整合的に順位付けを行い,右下がりのプロファイルには第1の順 165 一橋大学研究年報 経済学研究 44 位を付し,水平のプロファイルには第2の順位を付し,右上がりのプロフ ァイルには勾配の小さいものから順に第3位以降の順位を付したことにな る.ただし「選択肢数3」の場合は右上がりのプロファイルは一っなので, その順位は第3位と確定する。 表2 現在価値最大化を選択した者の割合(%) 日本(選択肢数3) 7.3 11.8 50.0 Ll 9.1 日本(選択肢数7) 3.1 賃金収入 賃収入 米国(選択肢数7) LSの実験では,現在価値最大化の観点から賃金プロファイルの順位付 けを行った被験者の割合が7,3%ときわめて小さい.家賃収入の場合は 23.1%で,賃金収入の場合よりも大きい割合になっている.そのため,賃 金収入には特別の性格があるようにも考えられる,ただし,家賃収入の 23.1%という割合があまり大きくないことにも留意する必要がある.選択 肢数を7とした筆者の実験でも,現在価値最大化の観点から賃金プロファ イルを順序付けた者の割合は11.8%と小さく,また家賃収入の割合はそ れより大きいもののあまり大きくなく,米国とほぼ同様な結果になってい るといえよう. しかしながら選択肢数を3にした実験では,ちょうど半数の被験者が現 在価値最大化の観点から賃金プロファイルの順位を付けたことになり,前 の2つの結果とは異なっている.選択肢の提示の仕方や実験結果自体の不 安定性がその要因になりうる.LSは右上がりプロファイルの選択肢を多 くすることによって,彼らの望む結果を出すように被験者を誘導したかも しれない.家賃収入で現在価値を最大化した被験者は賃金収入の場合より も少なく39.1%なので,賃金収入に特別の性格があるという先の主張は 166 後払い賃金の心理学 ここでは支持されていない.ただ,この実験では被験者の数が少ないのが 難点である.後で議論する実験では,もっと大きな標本数を扱う. 必ずしも現在価値最大化の観点から順位付けを行わなかったが,ともか く右下がりのプロファイルを第1順位とした被験者の割合は,表3に表さ れている.これらの被験者のなかには,水平または右上がりのプロファイ ルに対して現在価値最大化と矛盾する順位を付けた者が混じっている,そ のためこの表の数値は表2の数値以上となっている.ただし両表に表れた 全体としての傾向は,ほぼ同じとみなすことができる.(付言すれば,「日 本」の場合のほうが両表間の相違が少ないので,日本人の被験者のほうが 矛盾の少ない選好を顕示したことになる.) 表3右下がりプロファイルを第1順位とした者の割合(%) 12.2 11.8 53.3 9.1 日本(選択肢数3) 6.3 日本(選択肢数7) 3.3 賃金収入 賃収入 米国(選択肢数7) 次に,最も人気のあったプロファイルはどれかを問題としてみよう. LSによる実験では,賃金プロファイルに関しては図1の(e),家賃収入 プロファイルに関しては(c)が最も人気があった.(e)は右上がりプロ ファイルとしては中間の勾配を持つものであり,(c)は勾配の最も小さい 右上がりプロファイルにあたる. 「米国」に関する情報量はLS論文に記載されているものに限られるが, 「日本」の場合はもっと詳しい情報を示すことができる.表4は選択肢の 数が7の場合に,各プロファイルに第1順位を付けた被験者の割合を示し ている.それを見ると,賃金収入プロファイルで最も人気のあったのは, 勾配が最も大きい右上がりプロファイル(g)で,29,4%の被験者がそれ 167 一橋大学研究年報 経済学研究 44 を第1位に選んでいる.その他の選択肢の人気度には特に規則性がないよ うである.家賃収入プロファイルで一番人気となったのは(a)と(b) と(g)の3っで,いずれも26,3%の被験者が第1位に選んでいる.この 場合の人気度の規則性は一層不明確といえよう. 表4 第1順位を付けた被験者の割合(日本・選択肢数7,単位%) ︵9︶ ︵f︶ (d) (e) 11.8 11.8 17.6 5.9 17.6 6.3 .3 .3 5.9 29.4 6.3 (c) 0.5 (b) 6.3 賃金収入 賃収入 (a) .0 表5 第1順位を付けた被験者の割合(日本・選択肢数3,単位%) 水 平 6.7 53.3 右上がり 40.0 4.8 9.1 6.1 賃金収入 賃収入 右下がり 表5は選択肢数が3の場合に,それぞれの選択肢に第1順位を付けた被 験者の割合を表している。右下がりのプロファイルを選んだ者の割合は表 3に示したものと同じでいちばん大きくなっているが,右上がりプロファ イルを第1位とした者の割合も特に小さくない.表5の結果と表4の結果 には類似性がなく,条件や被験者によってはかなり異なった結果が得られ ることをこの事実は示唆している. LSの実験では,右下がりのプロファイルの代わりに最も好ましいプロ ファイルを得るために最大限支払ってもよい金額を尋ねる質問が含まれて いる.そして米国の被験者の平均回答額は,賃金収入に関しては2,351ド ル,家賃収入に関しては1,764ドルであった.(参考までに10%の割引率 を適用すると,右下がりプロファイルの現在価値は120,829ドル,最も急 168 後払い賃金の心理学 勾配の右上がりプロファイルのそれは117,121ドルとなるため,最大限支 払ってもよい金額の平均は,現在価値の2%前後ということになる.) 筆者の実験でも同様な質問項目を記載してみたが,質問の意味を理解で きない被験者が少なくなく,0円というような回答もいくっかあった.そ こで筆者はこの質問項目に対する回答の集計を行わないことにした. 3.2 第2段階と第3段階の実験の結果 次に第2段階の実験(アンケートII)の結果を検討しよう.この実験で は図2に示された2つの選択肢を持っアンケートが使われた.そこで右上 がりのプロファイルを選択した被験者の割合が表6に示されている.(括 弧内の選択肢数は第1段階のものを表す.以下も同様である.)この結果 は表3に示された第1段階の実験の結果と整合的である.っまり,表3は 右下がりのプロファイルを第1順位とした者の割合を示しているので,同 表の数値が高い箇所では表6における数値が低くなっている.第1段階と 第2段階の実験は同一被験者に対して行われたので,これは自然な結果で ある.なお第2段階の実験では被験者に選択理由を回答させたが,日本の 場合は回答の多様性に比して標本数が少ないので,関連する分析は次節で 論ずる標本数の大きな実験について行う. 表6右上がりのプロファイルを選んだ被験者の割合(%) 日本(選択肢数7) 日本(選択肢数3) 83 82.4 43.3 7.8 6 3.2 賃金収入 賃収入 米国(選択肢数7) 次に第3段階の実験(アンケートIll)の結果を検討しよう この実験は 2つの学説を知った後の被験者の回答を調べるものである.表7は,右下 169 一橋大学研究年報 経済学研究 44 がりプロファイル擁護論に賛成した被験者(右下がりと記載),右上がり プロファイル擁護論に賛成した被験者(右上がりと記載),および両擁護 論が同等に説得的であると考えた被験者(両プロファイルと記載)の各割 合を,賃金収入と家賃収入の場合に分けて示したものである. この表の結果は次のようにまとめることができる.まず右下がりのプロ ファイルは大きな現在価値になるという経済理論を知った後でも,「選択 肢数7」の賃金収入に関する場合は,右上がりプロファイル擁護論に賛成 の者が相対的に多い.家賃収入に関しては右下がりプロファイル擁護論に 賛成する者の割合が相対的に多いが,右上がりプロファイル擁護論に賛成 の者の割合も少ないとはいえない.両論とも同等に説得的と考える被験者 が米国で非常に少ないのは,米国人は黒白をはっきりさせるのが好きだと いう国民性を表しているようである. 表7 各プロファイル擁護論に賛成の被験者の割合(%) 収入のタイプ プロファイルの種類 米国(選択肢数7) 日本(選択肢数7) 日本(選択肢数3) 右上がり 3.3 42.1 56.5 2.1 6.1 7.4 プロファイル 57 50.0 7.1 5.8 家賃収入 右上がり 17.6 6.6 プロファイル 右下がり 30 5.3 賃金収入 83 03 右下がり 選択肢が3つの場合は,右上がりプロファイル擁護論が相対的に多くの 被験者によって支持されているとは言えない,だが次節のもっと多くの標 本を使った同様な実験では,選択肢が3っの場合にこことは異なった結果 が得られており,少ない標本数で結論を下すのは危険である.ここで検討 した実験結果は,LSの主張が常に成立するのではなく,そのとおりにな 170 後払い賃金の心理学 らない場合もありうることを示唆する。 第1段階の実験で右下がりプロファイルを第1順位とした者の割合(表 3)と,第3段階の実験で右下がりプロファイル擁護論に賛成した者の割 合(表7)とを比較すれば,「選択肢数3」の賃金収入において後者の割合 が若干小さくなっているが,その他では後者の割合が大きくなっている。 つまり,現在価値最大化仮説は,一部の人たちの選好を変えるだけの説得 力を有することがわかる. 第3段階の実験において,最も好ましいプロファイルを得るために支払 ってもよい金額は,米国の賃金収入と家賃収入の平均で1,865ドルとなっ たとLSは報告している.2つの学説を知る前は2,065ドルであったから, それらを知ることによって少し減少したことになる. 2っの学説を提示された後の変化をもう少し検討してみたい.表2は2 つの学説が提示される前に現在価値最大化原理によって順序づけを行った 者の割合を示していた.それらが提示された後では,同原理によって順序 づけを行った者は増えたのであろうか,それとも減ったのであろうか. 表8がそれに対する答えを示している.それによると,現在価値最大化 原理にしたがって順序づけを行った者の割合は減っていない.増えている か不変である.家賃収入の場合は,すべての場合において現在価値最大化 の観点から順序づけを行った被験者が増えている. 表8現在価値最大化を選択した者の割合の変化(%) 米国(選択肢数7) 賃金収入 賃収入 日本(選択肢数7) 日本(選択肢数3) 7、3→22,0 1L8→11,8 50.0→50.0 3.1→28.0 1.1→36.8 9.1→60.9 しかしながら,大多数が現在価値最大化の観点から順序づけをするよう 171 一橋大学研究年報 経済学研究 44 になったとは言えない.特に「選択肢数7」の場合はそうである.第1段 階でどのような回答をしたかが第2段階での回答に影響を与えている可能 性も考えられる.すなわち,自分の回答を変更するにはある程度の心理的 コストがかかるかもしれない.なお,右下がりプロファイル擁護論に賛成 の者(表7)と現在価値最大化の観点から順序づけをするようになった者 (表8の→の右の割合)とは必ずしも等しくない. 2っの学説が提示された後に米国で最も人気のあったプロファイルは, 賃金収入に関しては図1の(c),家賃収入に関しては(d)であった.2 っの学説が提示される前は,前者に関しては(e),後者に関しては(c) が最も人気があったので,学説の提示が選好を変えることがわかる.また 学説の提示によって,被験者の選好が賃金収入に関しては現在価値最大化 の方向に,家賃収入に関してはそれと反対の方向に変化した.そのため, 賃金所得にはその他の所得とは異なる性質があるというLSの仮説が特に 支持されたとは言えない.むしろ家賃収入に関しても右上がりプロファイ ルを好む者が多いというのが印象的である. 表9 学説提示後第1順位に選んだ者の割合(日本・選択肢数7,単位%) 0 ↓ 1L8 0.5↓ 2.1↑ (c) 35.3↑ 0.5↑ (d) 5.9 .3↓ (e) 5.9↓ 5.9 ↓ 賃金収入 賃収入 右下がり 10.0↑ 53.3 3.0↓ 0.9↑ 172 35.3↑ L6↑ 表10 学説提示後第1順位に選んだ者の割合 (日本・選択肢数3,単位%) 水 平 ︵9︶ (b) ︵f︶ 賃金収入 賃収入 (a) 右上がり 36.7↓ 6.1↓ 後払い賃金の心理学 日本の実験における選好の変化は表9と表10に示されている.表4と 表5には2っの学説を提示する前に第1順位に選んだ被験者の割合を示し たが,ここでその数値よりも減っている場合には↓が,増えている場合に は↑が付してある. これらの表から得られる重要な情報は,家賃収入においては学説提示後 に右下がりプロファイル(表9では(b))対する選好が増大しているこ とである.特に「選択肢数3」の場合には,学説提示前に家賃収入の右下 がりプロファイルを第1位とした者は,賃金収入のそれを第1位としたも のより少なかったが,提示後には逆転している.またその場合では,右上 がりプロファイルの人気が賃金収入と家賃収入の両方で低下しているが, 家賃収入の低下率のほうが大きい.さらに,右上がりプロファイルを好む 者の割合は,家賃収入よりは賃金収入において大きい.この結果は,賃金 収入には何か特別な心理的性質があるというLSの考え方をある程度支持 しているようである.実験結果にはある程度の不安定性が見られる. 4 長期の収入プロファイルに関する実験 4.1 実験の方法 先に指摘したように,LSの実験は6年間の賃金収入ないしは家賃収入 に関するアンケート調査であって,終身雇用制を前提とした年功賃金制に 関する実験としては期間が短すぎるという欠点を有する.換言すれば,6 年間の収入プロファイルに関する質問に対する回答は,40年近い勤続年 数の場合にも同等に有効なのかという疑問が生じる.また,前節までの日 本の実験は標本数が少ないという問題もあった. そこで本節では,これらの欠点を克服するために行った実験の結果を検 討することにする.この実験では,日本の年功賃金制にもっとふさわしい 173 一橋大学研究年報 経済学研究 44 期間を想定し,そのプロファイルを問題とした.さらに,先よりも多くの 学生を被験者とした.彼らも主として経済学専攻の大学3∼4年生である. ただし前節までの実験の被験者とは異なる,これらの新しい被験者のほと んども,入門レベルないしはそれ以上の経済理論の科目を履修している. 賃金収入に関する新しいアンケートは,アンケートIVとして下に記し てある.この実験で使われた代替的なプロファイルは,右下がりのものが 一っ,水平なものが一っ,右上がりのものが一っである.被験者を特定の プロファイルに誘導しないように,これらの3種類のみを示した.また, LSの実験ではインフレに関してどのような想定がなされているのかが不 明であったので,この実験ではインフレ(物価変動)はないと仮定すると 明記した.さらに,問題が複雑になるので,60歳以後の生活のことはこ こでは特に考えないことにした. アンケートIV(賃金収入) (1) あなたはずっと就職活動をしてきましたが,ようやくある企業に 就職が内定しました.あなたは大学卒業時点(22歳)からで定年(60 歳)まで,そこで働くことを決めたと仮定します,(60歳以後のことは ここでは特に考えませんが,子供の世話になる,年金で暮らすなどが考 えられます.) (2) その企業の賃金は,図4に示されているような3っの支払い方法 のいずれかで支払われるので,そのなかからあなたの好みに応じて選ぶ ように,あなたは企業から要請されたとします.図中のいちばん上の支 払い方法では,賃金が若年期に高く年齢とともに次第に低下します.そ の下の支払い方法では就職時点から定年退職時点まで同額の賃金が支払 われます.いちばん下の支払い方法では,賃金は若年期に低く年齢とと 174 後払い賃金の心理学 します.入社時 収入 もに次第に増加 図4 長期の収入プロファイル 点から定年まで の賃金の単純合 順位 計はすべての支 払い方法におい 年齢 60 22 て同一です(っ 収入 まり,賃金額を 表す直線と横軸 とに挟まれた領 域の面積は,3 順位 っの支払い方法 において同一で 年齢 60 22 す). 収入 (3)定年退職 時点までのあな たの仕事の内容 は,選択した賃 順位 金支払い方法に 依存しません 年齢 60 22 (どの支払い方 法でも仕事は同じです).また雇用は保障されていて,解雇されること はありません。さらに・他企業に転職するときわめて不利な賃金が支給 されると仮定します. (4) あなたの収入の唯一の源泉は,この職から得られる賃金であると します。インフレ(物価変動)やあなたの企業の倒産はな、いと仮定します. 175 一橋大学研究年報 経済学研究 44 問 あなたにとって好ましいと思われる賃金支払い方法はどれですか. 1番目に好ましいものには1,2番目に好ましいものには2,3番目に好 ましいものには3と,図に示した順位の欄に記入しなさい、 家賃収入に関するアンケートの内容も形式的にはこれとほとんど同じな ので,それを記載することは控えたい.ただしLSの実験では,家賃収入 の源泉として「小さなアパート」という言葉が使われているが,ここでは 「賃貸マンション」という言葉を使った.数十年間利益を生みだす資産と しては,後者のほうがふさわしいと考えるからである. 質問の仕方は上で検討したのとほとんど同じで,約半分の被験者には企 業から賃金の支払いを受ける場合を考えさせ,残りの被験者には家賃収入 がある場合を考えさせた.賃金収入に関するアンケートに答えた学生は 68人,家賃収入に関するアンケートに答えた学生は72人であった,被験 者の総数は140人で,上で検討した実験の被験者数よりはかなり大きい, アンケートIVを実行した後で,先と同様に望ましい収入プロファイル に関する2っの学説を提示して,あらためて選好順序を問うアンケートも 行った.その内容は先とほとんど同じであるが,念のためにアンケート Vとして下に記載する.「上の二つの意見のどちらにも一理あるので,水 平な支払方法を選ぶべきであるという考え方もありえます.」という説明 を付加したことが,先の場合と異なる点である.候補となる収入プロファ イルが3種類なので,このほうが公平である. アンケートV アンケートIVのような状況においてどれを選ぶべきかに関して,研 176 後払い賃金の心理学 究者の間で意見の相違があります. (1) ある研究者は,右下がりの支払方法を選ぶべきだと信じています・ その理由は,初期において余分となる金額を銀行に貯金しておき後で引 き出せば利子がっいてくる,というものです.実際,いちばん上の支払 い方法を選べば,その他を選んだ場合よりも毎年多くのお金を使うこと ができるようになります. (2) ある研究者は,右上がりの支払方法を選ぶべきだと信じています. その理由の第一は,毎年収入が増加する支払方法は満足感を高める,と いうものです.第二は,たとえ初期の収入から貯金することが可能だと しても,実際に消費に対する衝動を抑えて貯金するのは困難である,と いうものです.いちばん下の支払方法を選んでおけば,このような衝動 を抑える苦労もせずに,将来多くの消費を達成することができることに なります. (3)上の二っの意見のどちらにも一理あるので,水平な支払方法を選 ぶべきであるという考え方もありえます. 問 これらの意見を聞いてから,支払方法に関するあなたの好みはどの ようになりましたか.順位の番号を記して答えなさい. 最後にアンケートVIとして,日本の大卒労働者の横断面賃金プロファ イルを提示して,なぜそのようなプロファイルが設定されていると考える かを質問した.その内容は以下に示されている.これはLSのアンケート IIに対応したものであるが,こちらでは現実のプロファイルを示した点が 若干異なる.このアンケートでは,右下がりのプロファイルを好む被験者 も現実の右上がり賃金プロファイルの存在理由を述べることになる. 177 一橋大学研究年報 経済学研究 44 アンケートVl 下の図はわが国の大卒男子の年齢と賃金との関係を表したものです. ただし,20歳代前半の労働者の賃金を100とした比率で表されていま す.この図を見ると,年齢の高い労働者ほど高い賃金を得ていることが わかります. 図5 大卒労働者(男)の年齢・賃金プロファイル 賃 400 金 比 率 350 300 250 200 150 100 企業規模1,000人以上______ 企業規模100∼999人 50 0 20∼24 25∼29 30∼34 35∼39 40∼44 45∼49 50∼54 55∼59 年齢 出典:荒井一博『雇用制度の経済学』(中央経済社,1996年). 問 このような右上がりの賃金のカーブは,現実の世界でなぜ存在する と思いますか.3∼5個くらいの理由を考え箇条書きに示しなさい. (2個以下でもかまいません.今までのアンケートを参考にしてもかま いませんが,それにとらわれる必要はありません.) 178 後払い賃金の心理学 4.2 実験の結果と解釈 長期の収入プロファイルに関して行った第1回目と第2回目の実験の主 要な結果は表11にまとめられている.同表は各プロファイルを第1順位 に選んだ者の割合を示したものである. まず第1回目のアンケート(学説提示前)の結果をみてみよう,賃金収 入に関する回答では,右上がりのプロファイルをいちばん好む者が最も多 く・右下がりのプロファイルをいちばん好む者が最も少ない.したがって, 現在価値最大化の観点からプロファイルを選択する者は多数派でないこと になる.家賃収入に関する回答では,水平のプロファイルをいちばん好む 者が最も多いが,右下がりのプロファイルをいちばん好む者のほうが,右 上がりのプロファイルをいちばん好む者よりも多い。 表11第1順位に選んだ者の割合(%) 第1回目 右下がり 25.0 第2回目 右上がり 27.9 47.1 右下がり 30.9 水平 26.5 右上がり 42.6 0.8 8.9 0.3 0.8 3.1 6.1 賃金収入 賃収入 水平 水平のプロファイルを第1順位に選んだ被験者が,第2順位としては残 り2っのうちのどちらを選んだかをみたのが,表12である.その第1回 目のところをみると,賃金収入に関しては右上がりのプロファイルを第2 順位としている者のほうが多いことがわかる.したがって全体としては, 賃金収入に関しては右上がりプロファイルを好む者のほうが多い.表12 の第1回目の家賃収入のところをみると,右上がりプロファイルを第2順 位としている者のほうが多い。したがって,右下がりと右上がりのプ・フ ァイルのいずれが相対的に好まれるかを知るためには,表11の結果と表 179 一橋大学研究年報 経済学研究 44 12のそれを合計する必要がある. 表12 「水平」を選んだ者が第2順位に選んだプロファイルの割合(%) 第2回目 第1回目 右上がり 右下がり 68.4 55.6 44.4 4.3 4.8 5.7 3L6 5.2 賃金収入 賃収入 右上がり 右下がり その計算結果が表13に示されている.これを見ると,家賃収入に関し ては,右下がりプロファイルを好む者のほうが多く,その割合は半分強に なる.上述のように,賃金収入に関しては右上がりのプロファイルを好む 者のほうが多く,その割合は2/3になる. 表13相対的に「右下がり」または「右上がり」を好む者の割合(%) 第2回目 第1回目 右下がり 42.7 右上がり 57.3 4.4 4.7 66.2 右下がり 5.3 33.8 5.6 賃金収入 賃収入 右上がり 次ぎに,表ll∼表13に併記されている第2回目のアンケート(学説提 示後)の結果をみよう.プロファイルに関する学説が提示されることによ って,右下がりプロファイルに対する選好が一般に増大している。これは 表ll,表12,表13のいずれにおいても妥当する.ただし例外が一つだけ あって,表llにおける家賃収入の右上がりプロファイルに対する選好は 変わっていない.これより,2っの学説が提示されることによって,第2 節の実験結果と同様に,現在価値最大化の傾向が多少高まったといえる。 180 後払い賃金の心理学 しかしながら,全体としての特徴は2っの学説を提示される前と同じで ある.すなわち,賃金収入に関しては右上がりプロファイルを第1順位と する者の割合が最も多く,家賃収入に関しては右下がりプロファイルを第 1順位とする者の割合が最も多い.また水平なプロファイルに対する選好 を無視して,右下がりのプロファイルと右上がりのものとに選択対象を絞 っても同様なことが言える.これはLSが主張するように,上昇する賃金 収入からは達成感や熟達感が感じられるためかもしれない. 4.3右上がりプロファイルを説明する理由 アンケートVIの結果を分析してみたい.同アンケートは現実に観察さ れる右上がり賃金プロファイルの存在理由を問うたものである.主要な結 果は表14に示されている.ただし,参考までに同表はLSの被験者が挙 げた右上がりプロファイルの選択理由も併記している.英語で表現されて いる理由はLSに挙げられたものである.「日本」は筆者の実験結果であ り,「米国」はLSのそれである.「賃金」とあるのは,賃金プロファイル のアンケートに回答した被験者の結果であることを示す.「家賃」は家賃 収入に関する結果である. 筆者のデータとLSのそれとは収集方法に若干の相違がある.前者では 現実の賃金プロファイルを示してその形状の理由を問うた.それに対し後 者では,被験者が賃金ないしは家賃のプロファイルを選択するときにその 理由を挙げた.しかし両者の質的な差は,ここで特に問題とする必要はな いであろう. 同表の日本語で書かれた理由は,LSにはないが日本の被験者が挙げた ものである.実際のところ,実験ではここに示していないものも含めて多 数の理由が挙げられた.ここに示したのは,まずLSに理由として挙げら れているものと同じか,あるいはそれに近いものである(英語で記されて 181 一橋大学研究年報 経済学研究 44 いる).その他は,それらの理由には分類しにくいが回答数が10以上あっ たものである(日本語で記されている).表の右端の数値が回答数を示し ている. 表14右上がりプロファイルの存在理由またはを選択理由 米国 日本 理 由 Pleasure from increase Savoring (Pleasurable anticipation) Self−contro1 Inflation Aversion to decrease 6 0 6 7 1 Motivation,esteem at job 43 Future spending needs 77 InSUranCe againSt UnCertain fUtUre 熟 練 離 職 抑 制 若年期の訓練費負担 慣行・伝統としての年功序列(年長者を敬う文化) 4 賃金 家賃 20 9 3 3 8 0 0 0 2 10 10 2 3 4 7 4 100 57 16 43 忠誠心の向上 14 地位の向上(役職),責任の増加 33 注1日本語の項目は回答数か10以上のもののみ. この回答に関する説明を付加しておきたい.まずPleasurefromin− creaseは,増加する消費に由来する上昇感の効用に対応している.LSは それを重視するが,仕事から発生する達成感(熟達感)に対応していると も考えられる。このうち消費から得られる上昇感の効用は目制の問題とも 関連している.自制が可能ならば,プロファイルが右上がりでなくとも消 費の上昇感を体験できるからである.Pleasure from increaseはLSの強 調する理由であって,既に何回か論じた. 182 後払い賃金の心理学 Savoring(pleasurable anticipation)は,将来の大きな消費を現在楽 しみに待っという理由である.これも目制の問題と関連する.Self− controlは自明で,ストレートに自制の問題を理由として挙げた回答であ る.Inflationは,物価上昇による生活水準の低下を増加する収入で埋め 合わせようという考え方を表している.自制の問題やPleasurefrom increaseも関係していると解釈することが可能である. Aversion to decreaseは必ずしも意味が明確でないが,ただ単に報酬 が下落するのは嫌だというように解釈できる.Motivation,esteem at jobは日本の実験で比較的多く挙げられた理由で,「働きがいがある」, 「労働意欲が湧く」,「希望が持てる」などの回答がこのなかに含まれてい る.達成感と関連するとも考えられる. Future spending needsは,将来において必要支出が増えるので,収 入も増えたほうがよいという考え方である.これは目制の問題と関係して いるとも解釈できる.Insurance against uncertain futureは,将来支出 には不確実性があるので,早い段階であまり使わないようにしようという 考え方である,目制の問題がここでも関係している. 「熟練」は,年齢(勤続年数)が増大するにしたがって生産能力が高ま るので,高賃金を得るのは当然であるという考え方である.これは人的資 本論の考え方に近いとみなすことができる.「若年期の訓練費負担」も人 的資本論的な考え方である.「地位の向上(役職),責任の増加」も一般に 仕事量の増大を意味するので,人的資本論的な考え方を含んでいる.「離 職抑制」は人的資本論だけでなく多くの年功賃金モデルで想定されている 理由である.右上がりプロファイルの下では,離職が不利になるので離職 が抑制される, 「忠誠心の向上」は勤続年数の増大とともに組織忠誠心が大きくなるの で,それに対応して高い賃金が支給されるという考え方である.「慣行・ 183 一橋大学研究年報 経済学研究 44 伝統としての年功序列(年長者を敬う文化)」は若干同語反復的である. アンケートはなぜそのような慣行があるのかを聞いているからである.た だし,「年長者を敬う文化」には意味がある. 比較的多く挙げられた理由に注目してみたい、米国ではPleasurefrom increaseが最も多い理由であるが,日本ではそれを挙げる者が少ない. したがって,右上がりの賃金プロファイルが消費の上昇感や仕事の達成感 (熟達感)と関係しているという主張は,日本ではあまり妥当しないのか もしれない.ただし,日本の回答に多い「熟練」が後者と若干関連してい るといえなくもない.しかし,「熟練」は生産能力が高まれば賃金も高く なるのが当然であるという考え方を表しており,賃金の上昇自体から快感 を得ることを意味しないと解釈したほうがよいであろう. Innationを挙げた被験者は米国では二番目に多いが日本では特に多く ない.ここで問題としている理由を述べるアンケート(アンケートIlと アンケートVI)では,日米いずれにおいても物価上昇に関する条件が明 記されていないので,この回答の意味を正確に解釈することはできない。 すなわち,各被験者が物価に関してどのような想定をしたのかは明確でな い. Futurespendingneedsの理由を挙げた被験者は日本で二番目に多い. 米国でも三番目に多くなっている.これは筆者のライフサイクル賃金モデ ルに近い考え方で,同モデルは日本だけでなく他国においても妥当する可 能性を示唆する. Aversiontodecreaseは米国では回答数の多い理由で,賃金収入に関 してだけ見られるので「達成感」に関係している可能性もあるが,回答者 の説明ではそれほど明瞭ではなかったようである. Motivation,esteem at job(「日本」の場合は「働きがい」を意味する 場合が多い)は,日本で多く挙げられた理由である.日本人の労働に対す 184 後払い賃金の心理学 る考え方を反映しているとも解釈することができる. ここで,以上の実験結果と筆者の年功賃金論であるライフサイクル賃金 モデルとの関係について触れておきたい. 冒頭で触れたように,右上がり賃金プロファイルが生起する理由として LSは次の4っを挙げる.①賃金収入が年々上昇すれば,労働者は仕事に 関して達成感や熟達感を得るため満足が高まる.②労働者が高齢になるに したがって必要資金量は増大するが,右下がりプロファイルでは現在の消 費を自制して貯蓄することが困難なために,右上がりプロファイルが生起 する.③収入が次第に増加するプロファイルを選べば,消費水準の上昇が 生み出す上昇感を味わうことができ満足が高まる.④将来の大きな消費を 現在楽しみにすることによって,現時点で満足を得ることができる.②だ けでなく③と④も自制の問題と関係している。 これらの理由のうちで②と④は,部分的にライフサイクル賃金モデルが 想定している要因と関係する,その理由を述べてみたい. ②と同様にライフサイクル賃金モデルも,加齢とともに労働者の必要資 金量が増大することを想定する。しかし同モデルは,労働者に自制の問題 が発生するとは仮定していない.これは貯蓄に関する日米間の文化的な差 を反映しているともいえる.すなわち近年の米国人は消費を自制しにくい 価値観を持っているのに対して,日本人は貯蓄が「過剰」になるほど強い 目制心の文化を持っていると言えるかもしれない.もし個人は若年期の消 費を自制しにくいという仮定を導入すれば,ライフサイクル賃金モデルは 米国などにおいても妥当することになる. 将来消費を楽しみにするという④の理由は,ライフサイクル賃金モデル において将来消費を高く評価することに含まれると考えられる.なぜなら, ④は高年期の消費が相対的に大きい消費ベクトルから大きな効用が得られ るとしているからである.ただしこの場合も,個人は若年期の賃金が高す 185 一橋大学研究年報 経済学研究 44 ぎるとそのときの消費を目制することが困難であるという仮定を導入する 必要がある. ここで注意すべきは,ここまでにみたアンケートで使われたプロファイ ルでは,金額の単純合計が等しくなっていたことである.企業にとっては, 後払い賃金を伴うプロファイルではそれよりも高い賃金を支払っても引き 合うので,単純合計が等しくなるプロファイルにこだわる必然性はない. 実際には,企業が利子をっけて高い賃金を支払ったり,世代間移転を行っ てそうしたりすることもできる.そのようにして得られた高賃金の右上が り賃金プロファイルを示されれば,上で得たよりも多くの回答が,右上が り賃金プロファイルを選好した可能性が高い. ①と③は,右上がり賃金プロファイルに関してライフサイクル賃金モデ ルが明示的には指摘してこなかった要因である.しかし,それらがライフ サイクル賃金モデルと特に矛盾するわけではなく,同モデルを支持する根 拠としてこれらの理由も挙げることができよう(自制の困難さを部分的に 仮定する必要もある). 5結語 以上の実験から得られる示唆で留意すべき点を列挙しておきたい. 第一は,以上の実験は自制の問題が現実の制度をかなり規定しているこ とを示している。特に米国の場合がそうである.伝統的な経済理論は合理 的な人間を仮定しているので,自制の問題は発生しない.しかし,現実の 個人には目制できない場合が起こりえるため,それを避けるために後払い 賃金のような「不合理な」制度が生まれるという説明も可能になる. 第二に,学説の提示によって被験者の選択がかなり変化する事実は,被 験者の考え方に不安定性があることを示している.つまり,被験者は自分 186 後払い賃金の心理学 の選択に対して必ずしも十分な目信を持っているわけではない.このこと はアンケート調査による実験の限界も示唆する. もし十分に説得的な経済理論を示されれば,もっと多くの被験者が右上 がりプロファイルを選択する可能性がある.換言すれば,たとえ経済理論 を知らない大多数の被験者が上の実験で右下がり賃金プロファイルを選択 したとしても,それによって年功賃金モデルを棄却することはできない. 第三に,LSの実験自体にも必ずしも整合的でない結果が生じている. 表8の下で論じたように,2つの学説が提示された後に米国で最も人気の あったプロファイルは,賃金収入に関しては図1の(c),家賃収入に関し ては(d)であった.また学説の提示によって,被験者の選好が賃金収入 に関しては現在価値最大化の方向に,家賃収入に関してはそれと反対の方 向に変化した.こうしたことはLSの基本的考え方から説明できない. *本論文は,学術振興会科学研究費補助金(2000∼2001年度)による研 究成果の一部である. 参考文献 荒井一博『雇用制度の経済学』中央経済社,1996年. 荒井一博「ライフサイクル賃金モデル」「一橋大学研究年報 経済学研究39』 1998年. 荒井一博『文化・組織・雇用制度一日本的システムの経済分析』有斐閣,2001 年. 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