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WC ミッチェル (制度学派と循環学説)

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WC ミッチェル (制度学派と循環学説)
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W.C.ミッチェル(制度学派と循環学説)
渡邊, 侃
北海道大學 經濟學研究 = THE ECONOMIC STUDIES,
10: 1-13
1956
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/31022
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
10_P1-13.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
C
渡
辺
ちF
学
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学
設
ニ
Z二
循
チ
l
振
、
制
度
環 ル
侃
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vカ ゴ 大 学 を 中 心 と し て ノ l
スタ l y大学やヲィスゴシν シ大学等に居た、ヂュ lィ、グェブレシ、 イリ l、ゴシモシズ等を指し、最近の股
、
を書いて居る。)これに対抗するものはハ 1グア Iド 大 学 を 中 心 と し て 居 る 古 典 的 理 論 経 済 学 者1 ・
B ・クラ Iク
経済学研究
O
つ か れ た 。 佐 藤 昌 介 先 生 に 以 氏 経 済 学 と い う 訳 本 が あ り 、 森 本 厚 吉 先 生 は 我 々 に イ リ l著経済進化論会-講義された。
造 、 森 本 厚 吉 の 諸 先 生 が 、 当 時 新 興 の 大 学 た り し ブ ィ ラ デ ル プ ィ ア の ジ ョ ン ス ・ ホ プ キ シ ス 大 学 で 、 故 イ リ I先生に
筆者が在職した北海道大学農業経済学科の先生方は制度学派的色彩があった。故人となられた佐藤昌介、新渡戸稲
げることが出来る。
グマシ・タクジック、 T-N・
寸があげられ、また、特に最近までの段業経済学者をして J ・
D-ブ ラ ッ ク を 挙
カ Iグァ lm
セ
リ
ν 斗ルツ中心の学者も入れてよい。(ミッチェル自身師にして友なるグェブレシ及びコシモシズの評伝
業 経 済 学 者T ・
スウ/エ
で占めるが、 またいわゆる制度派学者の一人と看倣さるるからである。制度派学者とは、
ヲェスレ l ・クレ l ア ・ ミ ッ チ ェ ル に 就 い て 一 文 を 卒 す る 所 以 は 、 彼 が 米 国 に 於 け る 経 済 循 環 論 の 先 駆 的 著 者 だ か ら
明7
制度学汲と循環学説
イリ l先 生 は 後 に ノ l スヲェ スターン大学に移られ、 そ こ で 中 島 九 郎 、 松 田 武 雄 両 先 生 が 学 ば れ た 。 イ リ l先 生 は 独
逸に学び、 そ の 歴 史 派 乃 至 社 会 政 策 学 派 ( 講 壇 社 会 主 義 者 ) の 学 統 合 } 伝 え た の で 、 同 じ く 独 逸 に 学 ば れ た 高 岡 熊 雄 先
生 や 上 原 轍 三 郎 先 生 は イ リ l先 生 と 同 学 と 考 え ら れ る 。 即 ち 北 海 道 大 学 民 業 経 済 学 科 の 伝 統 は 歴 史 制 度 学 的 と 見 ら れ
る。
筆 者 は 大 正 初 期 学 生 時 代 恰 も 出 版 さ れ た 、 当 時 ハ lグァ lド 大 学 教 授 た り し カ lグァ l先 生 の 農 村 経 済 学 を 耽 読 し
た 。 同 学 の 奥 回 或 氏 は 直 接 カ lグア l先 生 に つ き 、 先 輩 菅 菊 太 郎 氏 と 同 書 を 翻 訳 出 版 し た 。 奥 田 、 菅 両 氏 共 異 の 後 歴
史 的 及 び 地 理 的 調 査 研 究 を さ れ た 。 カ ー ヴ ァ l先生には分配論の著があり、 い ず れ も 限 界 効 用 乃 至 限 界 生 産 力 学 説 で
あ る か ら 、 今 で は 古 典 理 論 派 と 見 倣 さ れ る 。 筆 者 は 其 の 後 、 農 業 経 済 学 の 内 独 逸 の ア 1 レボ I の諸若を耽読したが、
これまたチュ l ネ γ の 伝 統 を つ ぐ 限 界 生 産 力 説 に 立 っ て 居 る 。 ま た 経 済 原 論 で は A-マ 1 V ヤ ル か ら H ・
L ・ムーアの
vカ ゴ 大 学 に 居 た が 純 理 と 統 計 の 学 者 で 制 度 派
も の を 読 み 、 更 にH ・
ν ュルツを研究した。(氏は T-vvュルツの先に v
M・
でない。)傍らJ ・
ケ l yズ を 研 究 し た 。 ケ ー シ ズ が マ l vヤ ル の 一 面 を 発 展 さ せ 、 弾 性 数 理 を 応 用 し た こ と を 筆
v
vカ ゴ 大 学 風 の 制 度 派 に 近 ず い て 居 る 。 理論と計測を発展させていない。
者は先著で明かにした。 T-Vュ ル ツ は 弾 性 把 握 に 立 っ て 居 る か ら 繋 が り は あ る 。 彼 は ア イ オ ワ 大 学 に 居 、 そ こ の 伝
統は統計数理的と見られるが
A-マl vヤ ル の 学 説 を つ い で 居 る と 思 わ れ る H ・
L ・ムーアは独創的な学者であったが、 そ の 学 説 に 不 統 一 な る も
のがある。即ち統計から始まり天文に原因を求めた自然及び経済の循環的波動論と、数学理論から出た需要及び供給
の 数 式 と の 調 和 が と れ て い な い 。 需 要 及 び 供 給 の 不 調 和 の 推 理 か ら 其 の 後 日 ・ν ュ ル ツ 等 の 蜘 妹 巣 理 論 な る 循 環 波 動
論が出た。 し か し そ れ は 経 済 内 発 的 な も の で 、 天 文 に 原 因 す る 周 期 説 と 調 和 が と れ な い 。 筆 者 は 遂 に 需 要 供 給 の 調 査
其自身に潜む不安定と天文周期を結合することになったので、内発的な蜘妹巣的波動を重要でないとせねばならなく
- 2ー
辺
渡
なった。 J・
A-ジュムペ l ターは蜘妹巣定理を評して実用的かも知れぬが学理的でないとする。
かくして筆者は経済循環を資本主義的利潤獲得社会独特のものと考えなくなった。閉鎖封建的労作主義社会に於て
は周平魁と雨潟、寒冷と暑熱、 それぞれ対照される毎年一気候が周期的変化をするととによる豊凶の波があり、それの対
・ロ Vアの政策の変化にはその影響の著しきものが占めると思われる。例えば四千魁食糧不足
策の波がある。ソグェ lト
の後対外政策が弱化し対内的に治水計画がが表わるる如きである。資本主義社会では農産物豊凶の影響はないか或は
程度の低いものとせられ、 また一時的には豊作餓僅等と呼ばるる反対の現象も占めるが、豊凶直接或は県凶を起す原因
たる太陽幅対活動の影響が、普通には知覚されぬが、巨大な作用をしているものと思われる。すなわち、世界的に股
1
二一年
- 3ー
産が山泣かな年柄が景気もよい年柄となる。而も後の景気が農産よりも早く起って居る様に見え、それが三│四年、八
ー一二年の二周期の複合の波に来て居るものと見られる。 か か る 天 文 的 原 因 が な け れ ば 正 確 な 三l 四年、八
二五!五O年の波はあり得ないのである。
ルは米国南北戦争時代軍医であった父と数義あるほとの間に長子として一八七四年イリノイス州ラ
比率に就ては別に書いたものがあるから詳説はしない。経済循環の実証家としてのミッチェルを評伝する。
wc
- ミッチェ
・
ッジ品ビルに生れた。父が落馬等の骨折で困しみ、度々居合}替えたが、デカタ lで 果 樹 園 を 持 ち 子 等 を 働 か せ た の で
彼は少年時代から仕事を励んだ。十九才のときそのころ新設のり Vカゴ大学に学び、 か た わ ら 弟 を 主 と す る 果 樹 閣 の 仕
事を続けた。 v
vカゴ大学の有名な教授がヂュ lイとグェブレシで近ずきになり後まで交った。特にヂュ lイ は 彼 を 哲
学のスカラーに推した。経済学の数授はラフリシで彼を経済学のブェ白 l に推した。後者の指導によってその専門な
経済学研究
O
制度学液と循環学説
ν ス タ シ ト は 月 二O 弗 の 手 当
、 ア
る 貨 幣 論 の 研 究 を 指 導 さ れ 、 独 逸 留 学 と 助 手 任 命 を 受 け た 。 プ エ ロ ー は 年 三 二O 弗
トリビュ l y誌 に 寄 稿 し た こ と が あ る が 、
一八九九!一九O O年 に 主 府 で 役 所 勤 め を し た が
νカ ゴ 大 学 の 講 師 の 口 が か か る と 喜 ん で 帰 っ た 。
に過ぎなかったが、貧乏暮しになれていたので不平はなかった。
独自の仕事をしたく、
者 も 妥 協 が い る と 感 じ て や め た 。 加 州 大 学 か ら 数 授 の 口 が か か っ て そ こ と 移 っ た 。 金 と 時 の 余 裕 が あ っ たd で 山 地 等
ν
ν
リ I自 の タ オ ル ミ ナ で 遊 び
ついでイタリーのアぺ
を 数 日 も か け て 歩 き 廻 っ た り し 、 其 仲 間 の 綜 で ル l v lと 結 婚 し た 。 時 に 彼 三 七 歳 、 彼 女 三 三 歳 で あ っ た 。 結 嬬 す る
とすぐ加州大学をやめ、夫妻で欧州の旅行をした。
シ山脈を縦走し、 チ ロ ー ル の ベ ル ヒ テ ス ガ デ γま で 行 っ た 。 帰 途 独 ・ 仏 ・ 英 の 学 者 を 訪 問 し 、 ロ シ ド シ で は ヲ エ ッ ブ
B-Vョクの社会主義演説もきいた。 七 カ 月 の 旅 行 か ら 帰 っ た 彼 を 待 受 け て 迎 え た の は ニ ュ ー ヨ ー ク 市 の コ
夫 妻 やG ・
ロシビア大学であった。 そ こ の 教 授 を し て 一 九 四 四 年 辞 任 ま で 勤 め た 。 金 も 出 来 、 七O エ ー カ ー も あ る 農 場 や 、 粗 末
一 度 湖 水 で 泳 い で 溺 れ か け た こ と が あ る 。 いささか
ながら別誌も持った。 そ こ に 家 具 木 工 の 仕 事 場 が あ り 、 子 供 達 は 父 を 大 工 だ と 思 っ て い た と い う 。 建 践 で 器 用 で 熱 心
であった。十六歳のとき心臓病と見られたが其の後何事もなく、
B・
E-R) の開設運営や、ハ 1デ シ グ 及 び ル ー ズ ベ
(N・
忠切ったかるはずみの面もあったが、 それだけ並外れた仕事をした。
彼は快活で寛容であって、組織力が大さく、経済研究国局
ルト大統領の研究委員、計画局員を主宰して貢献した。学者としての名誉も、米国内のみならず世界的に各大学から
ハ
s-54
名誉学位が贈られ、諸学会の長とされ、大学数授退職の際記念論文集が出、また彼が一九四八年に死んだ後、経済科
A・
パ I ンズ、 p-アブラモピッツ等の崎町々たる学者がいて、 いず
学者クェ スレ l ・クレープ・ミッチェ ル な る 評 伝 が 出 て 居 る 等 に よ り 実 現 さ れ た 。
c
- ミルズ、
経 済 研 究 国 局 に S ・クズネッツ、 F ・
- 4ー
ま
ず
れ も 克 明 な 経 済 統 計 分 析 を し て い る 。 最 近 パ l yズ は ア イ ゼ シ ハ ゥ ア l大 統 領 の 経 済 顧 問 と し て 重 き を な し て 居 る 。
記
渡
辺
グリーンパック
νカゴ時代のラプリンの指導、による貨幣諭で、特にいわゆる紙背紙幣すなわち特に米国
ミッチェルの学問的業績は
南北戦争の際に濫発された弗紙幣、或は一般的に紙幣の問題を研究したものである。ラフリシは紙幣濫発の害すなわ
ちイシプレ Iν ヨ シ を 攻 撃 す る 一 方 で あ っ た が 、 ミ ッ チ ェ ル は 其 の 必 要 な 面 も 認 め た と い う 。 そ の 後 の 研 究 に 於 て も
貨幣面が重要となって居る。稲々一通俗的な文書に金銭費消の退歩的方法というのがある。
-5-
社会生活のために交換が行われるが、其の用具としての貨幣があって、大規模な秩序ある協力が起り、自由なる個
カルキユレ I チング eプロピデント・セルフレライアント
人の結合が行われる。諸物価の複雑なる体系の指標によって、個人はその生活を立てるために、適度と思う行動をす
る。貨幣は一面人間の自由を拡大し、他面その制限なる計算・予備及び自侍を持たすこととなる。それら
ソルベント
の多くを持ったものが他を抜いの行く。先行者が他人を搾取し利得するが、それにしても広い見地からすれば、金をあ
ましたもの(節約者)が一般消費者に奉仕することになる。即ち全社会が支払能力ある皆消者(即ち有効需要)の購
テク-一カル品キシゼンシI
賀要求物を最も有能面に供給するものの、指揮下に仕事を進めることになっている。もっともかかる体系下で、財貨
レスポンシプル(5v
の 生 産 及 び 分 配 が 加 速 的 に 進 め ら れ 、 貨 幣 制 度 の 技 術 的 緊 迫 か ら 起 る 危 険 が 、 新 し く 国 民 を 、 おびやかすことにな
いわば客観的に価格に幕づく収益と生産費に基づ
った。 か か る 両 極 分 解 に よ っ て 貨 幣 経 済 が 経 済 循 環 に 反 応 す る と い う 。
いわゆる主観的な充分の計算のない消費生活に対して
経済学研究
思うに
四
O
制度学波と循環学説
く費用を比較し純誌を計算する生産生活があり、後者が貨幣経済的だとも云えるが、前者が貨幣取益で拘束されるの
に対し、後者が信用経済など勺貨幣に拘束されぬ点もある。所得と消費の喰違いをい L、 投 資 と 雇 傭 さ ら に 生 産 の 関
係をいうのはケlyズ以来のことである。此聞の遅延促進の関係が循環波動の原因であるというのが最近の理論であ
る。その中心に於て貨幣があるわけだが、賀枇m自 体 か ら 発 す る 循 環 変 動 と は 如 何 な る も の で あ ろ う か 。 米 英 の 学 者 に
ダ ン ゼ ン ト カIプ
一種貨幣が無価値になり別
は日本やブラシス・イタリー・独逸等に起ったイシプレ lν ョンのことはよくわからぬであろう。 それは循環波勤な
どというものでなく一方的に促進される舷綻である。もしイシフレ l vョシの極に於て、
サインカI プ
の貨幣が発行されて、更にかかる破綻にいたる如まことを繰返すなれば、物価変動の欣況は図形で示して正切曲線の
サイクル
如くなる。普通の循環波動の型なる正弦曲線とはならないであろう。反対に貨幣を収縮して事業を整理し再建を促す
とすれば、事業の量即ち産出量に循環波動が起る様でもある如くである。
ザインカIプ
或はかかる駆端まで行かぬ内に、貨幣が自動的に収縮する(フィードバック)様なことが出来れば、普通の循環波
動の型なる正弦曲線を示すこともあり符ょう。之等の場合其の周期性は貨幣切替の時期到来の期間の様でもある。そ
の際切替は制度的政策的のものとなる。併し事実としてかかることがあり得るだろうか。
貨幣増発を制限することに一目的を持つ金本位制度が有効に働いている米国の研究家であり、第一次大戦以前で日
本や欧洲諸国も金本位制が採られた時代のことで、ミッチェ ル が そ の 経 済 循 環 論 の 最 初 の も の を 出 し た 一 九 一 三 年 ま
では、貨幣其の他流通手段には上限があり、好景気で投資が盛んになってもその上限に制限された。銀行が融資を拒
む以前に価格の上昇が止まったわけであり、或は累積的漸次的に価格上昇を止めるものであった。
緩和的な作用が急運動を制しまた転ずるから、危機より恐慌に進むには何か突発事故があり、特にそれが銀行の純一
織及び-辿営から起ることに重要性があった。最近では銀行の組織及び運営が改善され、危機から恐慌に進むことは少
-6-
渡
辺
くなったが、貨幣操作が多くなったから
ひょっとすると長期間に危機の累積の様なことが起り、 反動的に長期的沈
滞が起るかも知れぬ。斯かる意味に於て、経済循環変動は、経済の組織及び運営によって周期性を変ずることや、
れがなくなったり激化することもあり得るわけである。 かかる事情を一般的に考えると、 いわゆる経済循環変動の
それが経済学の大問題となる。
般性は不定であり、或は否定さるることにもなりそうである。 し か る に も 拘 ら ず 循 環 変 動 が 止 ま な い の は 何 故 で あ ろ
ミ O
Rノ4μ
インスチチュ I シヨ=スト一ピへ 1 ピオリスト
ということを理解したかどうかの問題である。 それは個々の意志
- 7一
ミッチェルが制度派行動派と呼ばるる所以は理論を重んぜず実証を主とすることにあった。論理が立つ
よりは実用がどうかを問うたという。或は概括的な歴史よりは詳細な計測統計を集積することに重点を置いた。
経済学研究
とい考え方もある。それを変化率と呼ぶならば夫々の事物の変化率の比の如きものを出し、 そ れ を 弾 性 と す る 。 変 化
エラスチシチ 1
或は行動が全体の内に総合されるという考え方である。 し か し 反 田 に 全 体 と し て の 各 種 事 物 の そ れ ぞ れ の 総 体 の 変 動
目指すことを原則とし、社会はそれに進んで躍る
わち普通には最初の費用を以て最大の効果をあげるといわれるものの、実は費用と収益の差額即ち純収益総額最大を
もある。中聞の健全なるものとして限界効用均等、限界生産力報酬論を挙げることが出来、それが真の経済原則、すな
に述立方程式を解く様な(ワルラス一般均衡理論、リニ lアプログラミング、レオンチェフ表等)、根端にまで行くこと
助が持られなかったであろう。もっとも上記三人の学説が数理を以て説明されたわけでもないし、或は数理でも簡単
ノーやマ I Vャ ル の 学 説 を 紹 介 批 判 し て 居 る の で あ る が 、 恐 ら く 数 学 が 不 得 手 で そ れ に よ る 理 解 の 補
ードーやヲィ 1 4
ムぺ 1タ ー は ミ ッ チ ェ ル を 批 判 し 、 限 界 効 用 理 論 や 弾 性 把 握 を 理 解 し な か っ た と す る 様 で あ る 。 ミ ッ チ ェ ル 自 身 リ カ
ν
そ
よ2.
五
O
制度学波と循環学説
率 を 、 総 体 と 他 は 同 一 と し て の 其 種 の 変 化 の 比 率 と す れ ば 部 分 弾 性 と な る 。 その部分弾性の概念を、
一種生産物とそ
れ に 用 う る 生 産 手 段 の そ れ ぞ れ に 拡 げ 、 そ れ ら の 比 率 の 総 和 が 一 で あ る と す れ ば 、 そこに一種生産物の価格と、
対所得の率の累積なる乗数と逆関係になる。 またその形に於いて消費、節約投資、所得が対立するわけである。
うのは閉鎖静態に於て所得が何等かの形で、時間的ずれが怠っても、費消されつくすからである。
プロポI シ ヨ ナ リ テI
XMmTツクステート
一斉に価格が
が、それぞれ違った経過をするのが動態である。大体此間に物価を変ずるわけは需給物量の変化があるからで、
ダイナミックフェース
変化する、 そ の 務 付 の 賦 態 を と り 、 そ れ を 経 済 の 静 態 と 考 え て よ い と 思 う 。 そ の 落 着 に 達 す る ま で 、 諸 物 価 等 の 変 化
ばしば比例性が主張されるが、
一般的に可能な条件ではない。筆者は、貨幣価値が変化する場合、
白身条件付である。数学的にいわゆる一次同次の関係がその条件となる。経済学的にその条件を如何に解するか。し
それらの形態と関述とを所と時を通じて表現する場合に同一穫の価値の和、例えば貨幣価値の総和に表現し得ること
流れがあると考えられ、問時的に断面を見れば極々のいわば価値形態が種々の関述をして存在して居ると見られる。
一般的にいって、 生 産 物 が 消 費 さ れ 再 生 産 が 続 行 す る の で あ る か ら 、 生 産 と 消 費 の 繰 返 の 内 に 、 時 間 的 に は 価 値 の
と
し
、
う。共の朕態に於いてはケ 1 シズのあげた様に、所得は消費と投資に分たれ、消費対所得の比率なる消費性向は投資
生産費、即ち生産要素の限界生産力と、 そ の 用 役 量 の 積 の 総 和 と が 等 し い こ と が 起 る 。 そ の 朕 態 を 閉 鎖 静 態 経 済 と い
そ
の
渡
辺
単なる物価変動は貨幣的にしか考えられない。ミッチェルが考えた循環変化を純化すればかくの如きものとも考えら
れる。
-8-
.
.
.
、
,
ν斗ム。へ lターに拠ると、
ク レ マ γ・ ジ ュ グ ラ ー は 経 済 恐 慌 周 期 以 上 の 波 勤 循 環 周 期 を 考 え た 人 で み り 、 其 の 方 法
及び原理的説明に於てミッチェ ルに近似している。 ﹁不況の唯一の原因は好況であること:::不況は好況中に発生し
た事柄に対する反動である:::経済過程のあらゆる局面は次の局面を生む﹂という説である。或は﹁経済過程は本質
的に波動的である。この経済循環は資本主義発展の形態である:::利潤こそ景気変動を説き明かす端純であると宣言
した:::ミッチェルはこれ以上に進んで危きに陥らない﹂ と 。 ま た こ れ に 根 根 本 的 に 対 立 す る 議 論 は ﹁ 経 済 過 程 が 本
質 的 に 波 動 の な い も の で あ っ て 、 従 っ て 経 済 循 環 の 説 明 は 他 の 変 動 と 同 じ く と の 平 静 な 流 れ を 撹 乱 す る 特 別 の (貨幣
其他の)事情のうちに追求されねばならぬという論理がある。 マl vャルはこの仮説を代表する﹂と。
同じく﹁アアタリオンの著作はミッチェ ルと方法に於ては類似の精神で書かれ:::一九一一ニに現われた。﹂また﹁ν
ュピ1トホップは:::利用し得。す﹂(大冊の国家学辞典の一項目として最初出i 邦訳ありl 最近単行本になって出た。
その経過は珍らしいものとせらる。)対象なる波はミッチエ ルのものより長期のものであるから、﹁一九二五年に至る
まではその立つ事実の多くの根拠を現わして居なかった。﹁ハ Iパラーはツガン・パラノヲスキーをνェピ lトホップ
の先駆者と称するが:::除外した方がいいと思う Oi---現存のいろいろな説明を:::ミッヂェル;::は真しやかだが
込入っているとなし、多くは真理の一部を伝えるに過ぎず、 す べ て 共 通 な 地 盤 に 載 せ ら れ て 事 実 と い う 法 定 で 裁 き を
待たねばならぬものと見倣した。﹂
経済学研究
-9-
七
O
制度学波と循環学説
その際諸種の経済関係の変化が時期と速度と程度を異にして起ることの
スピ 1ト ホ ッ プ 等 の や っ た 仕 事 で あ る 。 米 国 で も ワ レ シ 等 の や っ た の は そ れ に 類 す る 。 そ れ は 二 十 五 年 か ら
mode2JV
ム ー ア は 金 星 の 約 八 年 の 近 日 周 期 に 求 め た 。 三l
ぃ。米国で一二 11四 年 周 期 の 経 済 循 環 を 太 陽 白 点 の 消 長 と 結 ん で 考 え た も の が あ る 。 筆 者 は 太 陽 黒 点 の 位 置 ( 太 陽 緯 度 )
のと考えた。 し か し 全 経 済 界 の 波 動 の 根 底 を 企 業 者 活 動 の 波 と し て 、 そ の 原 因 を つ き と め た と は 必 ら ず し も 云 え な
動の根底があって、個々の経済はそれを反映して共の構造によって長短の波動をする、或はそれを顕著に反映するも
が、外にも同様な周期があり、 其 の 時 期 を 大 体 同 じ く し て い る か ら 、 特 有 で は な い 。 Vュム。へ l タ ー は 全 経 済 界 に 波
四年の波については説明がない。 ワ レ シ は 豚 周 期 と い っ て 豚 飼 の 社 会 経 済 関 係 に 就 い て 自 律 的 で 特 有 な も の だ と す る
である。 そ の 原 悶 を ジ ェ ボ シ ス は 約 十 年 の 太 陽 黒 点 の 消 長 に 帰 し 、
は恐慌の周期から始まり中期波動としてジェポシスやジュグラーが欧洲で認め、本邦では戦争周期となっていたもの
の両者及びその複合の様なものである。米国では一ニーー四年の波だが、欧州では五年の波が主だという。十年内外の波
五十年にいう長期のものである。 それに対してミッチェ ルやム lア が や っ た も の は 三l 四年の波と八l 一二年の波と
研究は
ゴシドラチェプ波と呼ばるるものであるが
ミッチェ ル が 考 え た 循 環 波 動 は 比 較 的 短 期 小 規 模 の も の で あ る 。 長 期 大 規 模 の 波 動 、 特 に 戦 争 に よ っ て 起 る 波 動 が
渡
辺
ルは独創的な学者とはいわれない。理論は寧ろ好まない。実用を考えた様である。 そこで実測統計
削
の変化に関係があると見ている。
wc
・
- ミッチェ
-10ー
八
九
を集積した経験論となる。経験論は概括的には歴史制度論的なものになるのでコシモシズの研究の様なものにもな
る。もっともゴシモシズは制度を法制的に見たから経済学と法学とを包括した。ミッチェ ルは計測統計に重点を置い
たから別になった。天文的な自然原因による周期的循環波動を、 その経済循環論の出発に於いては脚註程度に記載し
たが後には本文の主位に置き、ゾシパルトの説を引いて、自然原因と社会経済条件との交錯に周期的循環波動の起源
喧司アル
一
﹂
サイグリ
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uルピへ I ヒ ア コ ン セ シ ザ ス
↑
円凶斗
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j?ιBj
を求めた様である。起源はともかくとしてその実情を典型的なものに作り上げる試みを始めたといってよい。かかる
経験的典型を作るのが最近の一派の仕事である。
メ MVユアメント
アッシI
-11 一
要するに、ミッチェ ルの経済循環変動の把握は実証的なものである。その方法と結果は特に二つの報告書、
・ 甲 山 ワ ッ ト ハ ツ プ ン ス プ ロ グ レ ス り ポ Iド
I
六年パ 1 yズと共著で出した﹁経済循環の測定﹂と一九五一年ミッチェル一の名で出し、大体彼の筆になった﹁経済循
スベンプイツクサイクルクレストトロ
深中何が起るか﹂(研究経済報告)とに現われて居る。其の概要を書いて見る。
先ず個別循環を取る。﹁これは月平均数字系列の季節変動を除いたものの山から山又は谷から谷をとって一年以
ステッキI
上十乃至十二年以下の聞に継続する波動である。経済事象で必ずしも総てに波があるわけではない。或種の価格は何
等かの方法で固定され、市も急に別の水準に上下されて居る。米英聞の金の現送の如、ぎは系列をなさない断続である
ぜ不一フルアクチピチ1 7
等。しかし米国で集めた八三O の事象の月別又は季別の数の九五%は循環波動を示している。而してそれらの山や谷
レア℃レンスサイクルセグメント'
が一定時期に集中する事実がある。﹄もとより一般的経済活動なる観念は焼わしいものだが、循環的行動の一致は
認められる。 そ こ で 対 照 循 環 の 結 節 を 劃 す る こ と は 出 来 る 。 か く し て 個 別 循 環 を そ の 結 節 時 間 で 切 っ て 重 ね 合 せ 平
ピーク
均型を作る操作をするのである。(後著第三軍﹁循環的行動の測定方法。﹂)
対照循環結節は九に切られる。第一一は谷底の三カ月、同じく第五が山頂の三カ月、第二、第三、第四が上昇期、第
経済学研究
O
制度学波と循環学説
レアヱレシス
レプエレンス
スベシアイリサイクル
六、第七、第八が下降のそれ、第九が第一と同じくなる。基準の意味が判る。 こ れ ら 経 済 事 象 の 循 環 は 殊 別 循 環
と呼ばれる。殊別循環は平均されて基準循環に作り上げられるのである。
これらの方法はミッチェル独特のもので、経済循環現象の客観化をねらったものであるが、苦労した程の効果があ
るかに就いては疑われる。同様の方法としてジュピ lトホップのものがあるが、 それは対象が戦争を中心とした長期
ハ一九五六・四・一一﹀
波動であって其の方が重要であろう。 ただ短期三1 四年の経済波動の性質は明かにせられるのであるが、 それから発
展する経済学はあまり見られない。制度学派には理論が出来ないのではなかろうか。
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