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仮面の告白 - TeaPot
Title Author(s) Citation Issue Date URL 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって ― 1950 年前後の男性同性愛表象に関する考察 ― 武内, 佳代 F-GENSジャーナル 2007-09 http://hdl.handle.net/10083/3888 Rights Resource Type Departmental Bulletin Paper Resource Version Additional Information This document is downloaded at: 2017-03-30T20:41:58Z September 2007 No.9 三島由紀夫 『仮面の告白』 という表象をめぐって ― 1950年前後の男性同性愛表象に関する考察― Reconsidering Yukio Mishima's Confessions of a Mask as Representation: A Study of Representations of Homosexuality from 1949 to 1954 武内佳代 This paper discusses changes in the representations of homosexual motifs in Yukio Mishima's Confessions of a Mask (Kamen no Kokuhaku, 1949) by following relevant social phenomena and aspects of male homosexual discourses that circulated during the five-year period between 1949 and 1954. To this day, Confessions of a Mask is heralded as an epoch-making homosexual novel that is the first work in modern Japan to depict homosexual love in a realistic way. In 1949, when the work first appeared, however, literary critics were indifferent to this homosexual motif. Meanwhile general readers were curious. The coexistence of conflicting responses has as a backdrop the limited contemporary homosexual discourse and a pervasive heterosexual ideology. Then in 1951, when Mishima's Forbidden Colors (Kinjiki, 1951-1953) creates a homosexual social phenomenon, the literary establishment begins to pay attention to the homosexual motif and retroactively reevaluates Confessions of a Mask as the origin of Mishima's oeuvre. What I reveal through this paper is that the model for current literary interpretations of Confessions of a Mask emerges from a reproduced discourse that emerged in the1950s after Forbidden Colors appeared in print. Key words : homosexuality post World War II Yukio Mishima's Confessions of a Mask 本論文は、終戦後の 1949 年から 1954 年にかけての約五年間における男性同性愛言説の様相、および、それと連動する社会現 象を追いながら、この期間における三島由紀夫『仮面の告白』 (1949 年)の同性愛モチーフの表象の変容を論じるものである。本 作は、現在にいたるまで、近代日本で初めて本格的に同性愛を描いたエポックメイキングな同性愛小説として表象している。だ が刊行当初、文芸評論家たちはその同性愛モチーフに一様に無関心であり、一方で、一般読者のなかには好奇心を抱くものも少 なくなかった。この相反する反応の共存には、当時の同性愛言説の少なさや異性愛イデオロギーの浸透が背景としてある。そし て 1951 年、三島の第二の同性愛小説『禁色』が同性愛の社会現象化をひき起こすと、文壇もまた同性愛モチーフに関心を寄せる ようになり、三島文学の源泉として『仮面の告白』を遡及的に再評価しはじめる。以上のことから、現在の『仮面の告白』 という文 学表象が、50 年代以降になって再生産されていたものであることを明らかにした。 キーワード: 同性愛 第二次世界大戦後 三島由紀夫 『仮面の告白』 裸々な告白的記述は類の少ないもの」5 という確信のもと、読み手 はじめに――戦略としての同性愛モチーフ の好奇心を誘う戦略として、 「異常な性」としての同性愛をモチーフ として選択したのである 6。 三島由紀夫の出世作『仮面の告白』 ( 河出書房、1949 年 7 月) は、 1 1925(大正 14)年から 1948(昭和 23)年という 23 年間の「私」の男性 だが、2006 年にいたって、本作が必ずしも同性愛に焦点化され 同性愛者としてのセクシュアル・アイデンティティをめぐる内的葛 た小説ではないことが盛んに論じられるようになってきた 7。なる 藤が手記的に綴られた長篇小説である。戦後文壇で居場所を失って ほど主人公 「私」 による告白の半分以上は園子との異性愛的な恋愛問 いた 2 頃にあたる 48 年 8 月 28 日に河出書房編集者坂本一亀から声が 題に割かれており、かつ、あらゆる男性に惹かれこそすれ、彼らと かかった初の書き下ろしであり、また、この執筆のために同年 9 月 は実際的な恋愛関係を結ぶことがないままに終わる。その意味では には大蔵省を退職したことを考えれば、本作で職業作家デビューを 確かに同性愛小説としては不十分の感がある。だが、たとえ現在は ねらった当時の三島の意気込みは計り知れない。そこで三島がとっ そう見えても、本作がさきのようなモチーフ戦略を大前提として描 たモチーフ戦略こそ、同性愛 を小説化することであった。このモ かれたものである限り、その戦略を支えるような性規範や性配置が チーフ選択がいかに読者の関心を誘う戦略として意識されていた 終戦後まもない当時の日本社会に編成されていた/されつつあった かは、近年公表された本作の序文原稿の書き込みから窺い知ること と考えるほうが自然である。 3 ができる。 「仮面の告白」というタイトルが付されたその序文表紙に そこで本稿は、改めて 1949 年から 54 年ごろにかけての日本社会 は、ドイツ語で das sonderbare Geschlechtsleben eines Mannes(男 の同性愛言説の変遷をたどりながら、その変遷にリンクして本作の の異常な性生活)、das ungewöhnliche(稀な) 、überspannte(極端な)、 同性愛モチーフが当時どのように捉えられていったかを再検討す seltsame( 奇妙な)、sonderbare( 風変りな)、exzentrische( 偏奇な) る。同性愛モチーフに対する当時の文壇および一般読者における意 といった執拗な書き込みが見られる 4。この書き込みは、作家の同 識の温度差や変容などを改めて析出することで、 『仮面の告白』とい 性愛モチーフの選択意図を明確に語っている。すなわち三島は、 「こ う文学表象自体の変容について考察を加えるつもりである。本稿は の国にも、また外国にも、Sexual inversion(武内注・性倒錯)の赤 こうした作業を通して、 『仮面の告白』という文学表象を戦後という 111 September 2007 No.9 時代性にそったものとして再文脈化するとともに、これまであまり こうした文壇の反応について日本のゲイ研究の第一人者伏見憲明 検討されていない 1950 年前後の日本の同性愛に関わるセクシュア は、当時の「男色=趣味嗜好という理解と、近代的西洋的な同性愛 リティ編成の様相の一端を示したいと考える。 という変態の概念」とのせめぎ合いをその背景に透視しているが 17、 こうした二つの同性愛概念のせめぎ合いについては古川誠による 次のような分析がある。古川によれば、日本の近代以降の同性愛 1. 文壇による〈異常な性〉の不可視化と〈牡の文 学〉 という位置づけ 概念は、武士や男娼に関わる美的価値観をはらんだ前近代的な「男 色コード」と、1920 年代に流行した西欧の性欲学・性科学がもた 『仮面の告白』 は、刊行当初こそ注目されなかったものの、のちに らした〈病〉としての「変態性欲コード」とのおよそ二つに大別でき、 花田清輝評 8 の追い風で文壇からのあつい支持を獲得し 9、三島は本 1920 年代から 80 年代までの日本では「変態性欲コードを中心とし 作で晴れて 〈戦後作家〉として華々しいデビューを飾ったことで知ら ながら、その対立思想として男色コードを残存」させた同性愛イ れる。だが当時の文壇は、さきに触れた三島のモチーフ戦略とは裏 メージが支配的だったとされる 18。たしかに同性愛モチーフに対す 腹に、その同性愛モチーフに「異常な性」を読み取ることはほとんど る三島の認識と文壇のそれとのずれは、そうした二つの同性愛コー なかった。この現象を小島千加子のように「評論家の自己防衛」とい ドの混在に由来しているとみて間違いない。だが古川の分析と異な う「ホモフォビア」によって「ホモ小説じゃないということにされ」10 る点として、同性愛モチーフを健全な〈牡〉の表現とみなした 49 年 たとみなすこともできるが、当時の『仮面の告白』評を丹念にたどる ごろの文壇においては、 〈病〉としての変態性欲コードではなく、む と、論じれば我が身に嫌疑がかけられる「異常な性」ゆえに男性評論 しろ男色コード(武士モデル)が中心化されていたみることができ 家たちが同性愛モチーフへの言及を避けたわけではなく、むしろ彼 る。一方で、同性愛を 「異常な性」 として描き出そうとした三島は変 らがそれを 「異常な性」 として認知しえなかった様子を窺い知ること 態性欲コードを中心に据えていたといっていい。こうした認識のず ができる。以下、同性愛モチーフへの言及に焦点化して改めて同時 れは、49 年ごろの日本社会が抱いていた同性愛イメージにおいて、 代評をたどってみたい。 二つのコードの混在ばかりでなく、それらコードがある程度拮抗す 本作について早くは荒正人が、 「 異常心理でもなんでもなくむし る状況にあったことをも物語っている。そして当時の日本社会がこ ろ生理的な現象」 にすぎない「倒錯心理」が 「二十歳すぎまで保存され のように同性愛モチーフに正常/異常という相反した表象を許容し ていたというだけ」の「若い季節をつよくかんじさせる」小説だと評 た背景には、同性愛言説自体の少なさという問題が関わっていると している 11。また同新聞の無署名の書評も「同性愛とサデイズムの 考える。次章では当時の同性愛言説の状況を確認してみたい。 世界」が「健康」的にとどまると批判したうえで、 「みず\/しい素直 な筆致」を評価 12 し、荒と同様に本作で描かれる同性愛指向をあえ 2. 同時代的な同性愛言説の状況と一般読者の眼 差し て 「異常な性」 と強調することなく、それよりもむしろ若い新進作家 の登場に力点をおいている。さらに当初の売れ行き不振を打開す るために書かれた神西清評は、聖セバスチャンの殉教画が引き起こ さて、刊行の数年後には「多数の人の口の端に上つた作品」19 と す「 「私」最初の ejaculation(武内注・射精) 」の挿話に、 「ひろく世界文 なっていた 『仮面の告白』 は、現在にいたるまでエポックメイキング 学を通じても珍らしい男性文学(あるひは一そう端的に牡の文学と な同性愛小説として認識されている。このことを伏見憲明は、 「戦後 いつてもいい)の絶品」 という賛辞を贈ったが、これも同性愛を健 の日本のゲイシーンにとっての〝ファーストインパクト〟といえば、 全さとリンクさせた荒たちの認識とさほど遠くない。また、北原武 三島由紀夫の登場だった」20 と言い換えているが、実際、文学研究 夫・中野好夫・林房雄による創作合評では、唯一北原が「ソドムとか」 の領域においても日本の「同性愛文学の近代開始」21 と定位されるこ に「得意」 なだけで 「官能的なものは何もない」 と同性愛モチーフに顔 ともあるほど、近代日本の同性愛小説の 〈先駆〉 としての表象をおっ をしかめてみせるものの、すぐに中野がそれを否定しつつ、 「少年時 ている。 13 代の性の目ざめを書いた部分などは圧巻」と神西同様の見解を示し、 だが、さきにみたように本作刊行当初の文壇は、本作が同性愛小 林もそれに同意する。そして林は、三島が「とにかく鬼才」 で、 「ちよ 説であることの特異性にはとくに関心を払っていなかった。あるい うど川端さんとか、横光さん、芥川さん、谷崎潤一郎、みんな角 はそれに言及されるにしても、同性愛モチーフという共通性だけに 帽で文壇に出た」 ころのように「今また三島君を先頭に若い作家が出 注目して森鷗外 『ヰタ・セクスアリス』 (「スバル」 1909 年 7 月)の後続・ はじめた」と、若き鬼才の登場への期待をもって合評をまとめる 14。 変形という程度にとどまっていた 22。すなわち、当時は現在のよう 一方、この合評を「若い世代のポーズだけをみて、無理に安心した なエポックメイキングな同性愛小説という認識はされていなかった がっている」 と揶揄する花田清輝評は、 「性倒錯という内向型の仮面」 のだ。本作に対する当時の認識と現在のそれとの大きな隔たりは、 をかぶって「自己批判」的に「おのれの肉体を模索」した本作を「日本 なぜ、どのように、起こったのだろうか。本稿は最終的にそのこと の二十世紀」文学の夜明けと絶賛する 15。だが言うまでもなく、こ を明らかにしてみたい。 の花田評にしても「性倒錯」を単なる「肉体」の問題に一般化して「戦 ところで、前章では本作の同時代評を取り上げたが、それらは同 後に出現した」世代の新しさを言祝ぐ点では、さきの書評や合評と じく同性愛をモチーフとした『禁色』 (第一部連載「群像」1951 年 1 月 そう懸隔はない 16。 ∼ 10 月、第二部連載「文学界」1952 年 8 月∼ 1953 年 8 月)の連載開 このように、三島の意図に反して同時代評は、同性愛を「異常な 始前の書評だけにしぼった。なぜなら、後述するように 『禁色』連載 性」ではなく男性の成長過程における健全なセクシュアリティとみ 以降の 『仮面の告白』 評においては、本作の同性愛モチーフへの言及 なすことによって、それを戦後の新進作家による〈牡の文学〉と措 が増えるという顕著な変化がみられるからである。こうした変化 定した。いわば同時代の文壇は、本作の 「異常な性」という表象を不 は、本作刊行の 49 年ごろと『禁色』連載の 51 ∼ 53 年ごろとで、同 可視化し、その 〈告白〉 =カミングアウトの機能を無効化したのであ 性愛の社会的な認知度に少なからず変化があったことに関連してい る。 ると考えられる。 112 September 2007 No.9 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって 終戦直後、異性愛主義的な性言説の劇的な中心化によって、同性愛 ではひとまず、さきの同時代評が書かれた 49 年までにしぼって、 が異色な性の表象として周縁化されたことと関連していると考えら 当時の同性愛言説の状況を概観してみる。 れる。 伏見作成の「ゲイ年表」23 によれば、 「30 年代後半以降は、戦時体 制の進捗により言論統制が進み、同性愛を含めたセクシュアリティ に関する言説が少なくなる」24 のにあわせて、およそ 1930 年で戦前 3. ロマンチック・ラブ・イデオロギーの台頭と 同性愛の周縁化 期の同性愛言説は途切れてしまう。その後、十五年もの空白期を 経て終戦後はじめて同性愛が広くメディアに取り上げられるのは 1948 年 11 月 23 日の「上野の森警視総監暴行事件」である。この事件 終戦直後に到来した性解放の象徴といえば、1946 年創刊の「赤と は、終戦直後から多く夜の上野の森に出没しはじめた女装の男娼た 黒」 (9 月)、 「 猟奇」 (10 月)にはじまる風俗系カストリ雑誌の流行や ちが、視察の警視総監一行に暴行を加えたというもので、 「 毎日新 47 年の額縁ショーにはじまるストリップショーの流行、あるいは、 聞」など当時の大手新聞メディアを賑わせたことで知られる 25。そ 47 年を全盛とするパンパン・ガールなど街娼の出現やそれを小説 うした傍らで、同年には日本最初のゲイバー 「ブラウンウィック」 化した田村泰次郎『肉体の門』 (風雪社、1947 年)のベストセラーと 26 が銀座一角に静かに開店し、女性ジェンダーを身に纏った男娼たち いった、いずれも異性愛主義的な文化・社会現象がたびたび挙げら とは異なり、主に男性ジェンダーをもった男性同性愛者同士が小さ れるが 38、なかでも「戦後の性解放をもっとも体現している」39 とさ な交流の場をもちはじめている 27。そして、その翌年 7 月、三島が れるのが、ヴァン・デ・ヴェルデ『完全なる結婚』 (原著 1926 年)の 『仮面の告白』 を刊行する。 翻訳出版である。46 年 10 月に柴豪雄・酒井敬一による完訳が大洋 このように同性愛に関する情報が極めて少ないなかで 28、イギリ 社から、同年 11 月に神谷茂数・原一平による抄訳がふもと社から スの医師ハヴェロック・エリス やドイツの医師マグヌス・ヒルシュ 出版されたが、抄訳と低価格とで大衆の手がのびやすかったふもと 29 フェルトの著作といった戦前に流行した性科学言説を積極的に摂取 社刊のほうがよく売れ、はやくも同年には発行部数 30 万部(50 万 することで、三島は 1948 年 11 月から、 「出来うる限り科学的正確さ 部以上とも) に達し、二年連続のベストセラーとなる 40。性交体位・ を期し」30 た本作の執筆を開始する。この三島が変態性欲コードを中 前戯・後戯などを体系的に記したオランダ人医師の手になるこの性 心化して本作の同性愛モチーフを描く過程においては、戦後の性科 科学書は「時を得たエロ本とハウツーものの合金」41 として異常なほ 学言説を牽引した心理学者望月衞の助言に多く拠っているとされる ど持てはやされ、 「戦後の性知識はほとんど、ヴァン・デ・ヴェルデ が 31、興味深いことに本作刊行から四ヶ月後、望月は三島との繋が によって占められた観さえ呈した」42。 アマルガム りを隠蔽するかのような一本の論文を雑誌 「思索」 に発表している 。 この戦後日本の性規範に多大な影響を与えた『完全なる結婚』43 32 この論文で望月は、同性愛者の「ある知識階級の青年」が紹介して は、夫が「妻の誘惑者」となって「永遠に続く一夫一婦的な愛の結合 くれた 『仮面の告白』 に、自著 『性と生活』 で詳論した 「仮性同性性愛」33 こそ、性本能の進化」であり「完全なる結婚」である 44 ことを謳った 4 4 の「生き生きとした表現」を発見したことを述べ、 「仮性同性性愛」と もので、いわゆる男性優位の「「性=愛=結婚」が三位一体の近代ロ 本作の同性愛の造型との類似性を細かく分析検討してゆく。だが、 マンチック・ラブ・イデオロギー」45 を強烈に打ち出していた。そ 本作執筆時から後々まで続いた、三島と望月との間の再三にわたる の意味で同書は、 「エロ本」やセックスの「ハウツーもの」といった意 同性愛に関するやりとりの際、 「仮性同性性愛」に(あるいは『仮面の 味合いばかりでなく、折からの成人男子の復員や性の解放ムードと 告白』にも)話題が及ばなかったとは考えづらい 34。とすれば、この いった社会的条件や、加えて結婚の自由(第 24 条)を基本的人権と 奇怪な論文は 「仮性同性性愛」モデルに依拠した可能性の高い本作の した 46 年 11 月 3 日の日本国憲法公布 (翌年 5 月 3 日施行) およびそれ 同性愛の造型を再帰的かつ同語反復的に分析しなおしているにすぎ に伴う夫婦単位を〈家族〉と規定しなおした 47 年の戸籍法改正 46 と ないとみることもできる。単に、当初売れ行き不振だった本作を広 いった法的条件がそろうなかで、戦後の恋愛結婚指向や夫婦生活の く宣伝するために書かれた論文だった可能性もあるが、執筆理由は エロス化を促進したロマンチック・ラブ・イデオローグの役割をも ともかく、同性愛言説が稀少な当時のメディア状況下、この著名な 担ったことは想像に難くない 47。 心理学者望月の論文が果たした役割は決して少なく見積もるべきで この『完全なる結婚』ブームの連鎖反応であろう、48 年から 50 年 はないだろう 35。比較的知識階層向けの雑誌「思索」を通した、望月 ごろの第二次カストリ雑誌ブームのなかで、夫婦の性生活に関する の同性愛モデルと本作のその造型との再帰的かつ補完的な表象の往 医学記事を載せた 49 年 6 月創刊の「夫婦生活」は、毎号数万部ずつ 還は、いまだそのイメージが熟さぬメディア状況のもとで、 「仮性同 部数をのばし、翌 50 年 1 月には 35 万部を記録する(当時の『中央公 性性愛」=「変態」36 =〈病としての異常な性〉としての同性愛イメー 論』は 8 万部)48。また、これに便乗して数多くの〈夫婦生活〉系の亜 ジ (変態性欲コード) を一部の知識階層の読者に発動させ、彼ら読み 流誌が発行され、飛ぶように売れた 49。つまり、55 年ごろには週刊 手の好奇 (あるいは同性愛当事者なら苦悩)を誘い出したと推察する 誌に吸収されるこの種の〈夫婦生活〉系雑誌は、ちょうど『仮面の告 こともできるからである。 白』刊行時期の 49 年ごろ、 『完全なる結婚』を引き継ぐかたちで性・ 以上のように、1949 年前後は、本作を取り巻く同性愛言説は極 愛・結婚が三位一体となったロマンチック・ラブ・イデオロギーを めて少なかった。だが、性の解放ムードによって性が大衆の最大の 再生産し強化していったのである。このように終戦直後からの性解 関心事の一つであった当時の風潮にあって、文壇の反応はどうあ 放の気運において、ロマンチック・ラブ・イデオロギーを中心とし れ、知識階層を含めた一般の「多数の読者」が稀少な「 「性的倒錯」へ て、性に重点がおかれた異性愛イデオロギーが、書籍・雑誌メディ の好奇心」を本作に向けたとみる猪瀬直樹の推察 37 はおそらく正し アやその他の文化・風俗を通して急速に日本社会に浸潤していった。 い。もっとも、性解放の気運におけるこうした読者の同性愛モチー 他方、 『完全なる結婚』と同様に戦後の性解放を体現しているとさ フへの関心は、同性愛言説の稀少さばかりではなく、むしろ当時の れるのが 50 年に翻訳出版されたアルフレッド・キンゼイ『キンゼ 異性愛主義的な性言説の隆盛のほうにこそ多く起因していたのでは イ報告』男性版(原著 1948 年)である 50。本書は、38 年から 47 年に ないか。つまり、一般読者の好奇の眼差しは、同性愛言説に乏しい かけての合衆国男性の性歴を広く調査し、完全な異性愛的行動を 113 No.9 September 2007 「0」 、完全な同性愛的行動を「6」とする「キンゼイ等級」で分類する の高まりは、当時の『禁色』とリンクした同性愛言説自体の増加と、 ことによって、善/悪、正常/異常といった社会的・道徳的意味を それに寄せる大衆 (一般読者) の関心の高まりといった社会動向との 捨象した男性のセクシュアリティの実態を示そうとしたものであっ 連動とも解せるのではあるまいか。 た。そのため当時の日本において、ときに「同性愛に対する規制緩 実際、50 年代に入ると、本作執筆のころの 48 年前後にはまだ極め 和を後押し」51 する役割を果たしたが、大半の場合、この『キンゼイ て乏しかった同性愛言説が徐々に増えはじめ、その黎明期を迎える。 報告』はセンセーショナルな性の実態報告と受けとめられた。その たとえば、50 年に 「人間探究」 、51 年に 「あまとりあ」 が創刊される 57 と、 意味で、この 『キンゼイ報告』 は同性愛を「異常な性」とする異性愛主 これらの風俗雑誌はたびたび同性愛を特集した 58。とくに高橋鐵編 義に対する対抗言語たりえなかったといってよく、基本的に「四〇 集の「人間探究」は早くから同性愛特集を組み、男色研究家岩田準一 年代後半から五〇年代前半」は、 「婚姻内性交を極大の正当性とエロ の連載、戦後初の同性愛サークル「アドニス会」の会員募集広告の掲 ス性を有した性行動として中心に配し」 、同性愛などの 「それ以外の 載、ゲイバーなどの 「男色社交場」 の紹介をおこなったとされる 59。ま 性行動を周辺に置いた」 時代だったといっていい。 た、当時在野の性心理学家として著名だった高橋は、この種の風俗 52 以上のような状況にあった『仮面の告白』 刊行当時、異性愛から逸 雑誌への多数の寄稿や『精神分析学から観た変態性慾論』 (千代田社、 脱するものとしての同性愛は、戦時中に比べてある程度許容されな 1950 年)刊行などを通して性科学的な観点による同性愛言説を積極 がらも、治療および猟奇の対象に貶められたり、無いものとして不 的に世に発信し、さきの望月衞とともに戦後日本に変態性欲コード 可視化されたり、あるいは異性愛の前戯的な性として後景化された を定着させていった人物の一人として知られる。とはいえ 50 年の段 りといったかたちで、周縁化されざるをえない運命にあったと考え 階では、当事者同士の交流の場自体も稀少であったうえに、同性愛 られる。ならば、本作の同性愛モチーフに対する三島の認識、ある 者たちの交流の場や彼らの生活実態などを風俗誌以外の新聞雑誌メ いは文壇の無関心に近い反応や一般読者の好奇心は、いずれも戦後 ディアが取り上げることは極めて少なかった 60 ため、 「同性愛者は精 の異性愛イデオロギーの浸透に連動した時代的現象とも言い換える 神病で、異常で変態だと誰もが思い、同性愛者自身もそう思って、 こともできるにちがいない。 悩み苦しんでいた」61。そうした同性愛言説の黎明期にあって、51 年 1 月から文芸誌「群像」での『禁色』連載がはじまる。 三島の長篇小説 『禁色』 は、ある老作家が同性愛者である絶世の美 4. 『禁色』 以後の同性愛言説と表象の再生産 青年南悠一を利用して女たちに復讐を試みる物語だが、同じ同性愛 さて、1951 年の『禁色』連載期に至ると、文壇は改めて『仮面の告 をモチーフとしながらも、悠一が同性愛者の溜まり場に出入りし、 白』の同性愛モチーフに関心を注ぎはじめる。たとえば野間宏は、 積極的に肉体関係を結んでいく点で、 『仮面の告白』の同性愛表象と 三島が 『仮面の告白』 で「男性に対する愛と女性に対する特別な反応」 は大きく異なる。 『 禁色』全二十三章のうち、はやくも第四章( 「群 を描いたお蔭で、それまで「理解しがた」かった三島文学に「いまで 像」1951 年 3 月)では、終戦直後から同性愛者たちの出会いの場で はわかりにくいところはない」53 と論じ、一方、臼井吉見と中村光 あった日比谷公園が「H公園」として描かれ 62、つづく第七章( 「群 夫の対談では、臼井が本作のおかげで三島の「源がわかった、本音 像」1951 年 4 月)では、ゲイバーの先駆「ブランスウィック」が「ルド が知れたという安心感」を得、 「特に「禁色」の意味というか、位置と ン」と店名を変えて描かれる 63。煩雑さを避けるため引用は控える いうものがハッキリ」したと野間と同様のことを述べ、中村もこれ が、それら悠一の道行きにある同性愛者の溜まり場は、実地にも に同意している 。 とづいた位置関係や様子などが詳細かつ克明に描かれているため、 54 『禁色』連載以降にあらわれた、こうした『仮面の告白』の同性愛モ 当時「孤立していたゲイがバーやハッテン場などに行き着くことが チーフに三島文学の源を発掘しようとする見解は、臼井自身が述べ できたという現実的な効果」をもたらしたとされ、さきのようなメ るのとは逆に、 『禁色』で描かれた同性愛モチーフへの強い関心から ディア状況下、 『禁色』 が彼らの 「ネットワーキングにおいて果たした 遡及的に本作を位置づけなおしたものだといっていい。これ以降、 役割は大き」かった 64。その後『禁色』は、第十八章までの第一部が それまで関心事とされなかった本作の同性愛モチーフは、 〈三島文学 51 年 11 月に書籍刊行され、続けて第二部が 52 年 8 月から 53 年 8 月 の源泉〉として文壇によって再定位され重要視されてゆく。それを まで雑誌連載される。こうした連載・刊行の間、作中に描かれた悠 示すかのように、さきの対談で中村は、 「男色とはどんなものかほと 一の同性愛遍歴と共振するかたちで、同性愛記事を増やしはじめた んど、誰も知らない」ために、 「三島君の思うままに、こつちは引き廻 新聞・雑誌メディアを通じて同性愛者のネットワーク化やコミュニ され」るが、 「三島君の男色は、さつき悪口の意味で、芸術的と言つ ティ化が急速に促進されていった。 たけれども、むしろ精神的な男色といつた方がいい」など、対談の たとえば、51 年には新たに新宿三丁目にゲイバーの名店「イプセ 随所で同性愛モチーフに言及せずにはいられないそぶりを見せる 55。 ン」が開店するが、他方、東京都発行の地方新聞「内外タイムス」が また過去、本作を「牡の文学」とした神西清も 52 年の評論では、三 同年 10 月 23 日に上野の森の「男娼の生態」の記事を、翌年 2 月 9 日 島の「得意の男色論」 は 「門外漢のぼく」には「話がわからな」いと認め に同性愛者の出会いの場としての日比谷公園の記事を大きく取り ながらも、 「牡の文学にとつて避け得られぬ宿業」としての「ナルシシ 上げている。また、52 年 9 月には同性愛サークル「アドニス会」が スム」、 「実に健康で、真に男性的なみづみづしい」などと、同性愛モ 「今日のゲイ雑誌の雛形」となる会員誌「ADONIS」を創刊し 65、さら チーフに対して積極的に「自己流の解釈」を施し、三島が『禁色』 で本 に翌年には再び「内外タイムス」が「イプセン」の紹介記事を掲載す 格的に「「男色」 小説の創造に乗りだした」ことを讃えている 56。 る 66。そして、こうした雑誌新聞メディアや風俗を通じた同性愛者 確かに、こうした論調の変化は、本作のプラトニックにすぎな のネットワーク化・コミュニティ化の社会動向を象徴するように、 かった同性愛が、 『禁色』にいたってリアルな肉体関係として描かれ 53 年の春ごろに「風俗草紙」、同年 8 月に「風俗科学」という、同性愛 たために、そこではじめて文壇がそのセクシュアリティの異色性に 者専用の投稿欄を設け、毎号のように同性愛問題を真摯に取り上げ 衝撃をうけ、にわかに 『仮面の告白』の同性愛モチーフに関心を寄せ た二雑誌が創刊される 67。 はじめたものとして解釈できるだろう。だが、そうした文壇の関心 それら創刊当初の同性愛記事を確認してみる 68 と、決して猟奇的 114 September 2007 No.9 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって ではないものの、変態性欲コードを底流させつつ様々な偏差をもっ 告白』もまた、彼らの〈生〉を先取り、彼らの先鞭的な代弁者、参照 た同性愛論が混在していることがわかる 69。また、そのほとんどに 枠として機能していたことをあらわしているといえないだろうか。 共通しているのは、戦後の同性愛の〈社会現象〉化を強調している もっとも同性愛が 〈社会現象〉 とみなされた当時、彼ら当事者でなく ことである。たとえば 53 年の「風俗草紙」には、 「戦後の男娼の出現」 とも一般読者もまた、 『禁色』に先行して既刊されていた本作を、 『禁 を「大正年間の流行以後最大の現象」とする記事 70 や、戦後「注目を 色』以前の初発の同性愛物語として改めて注目しはじめたことは想 集めた」 同性愛が「日を逐うとともに、一部の人々の関心を増してい 像に難くない。当時のこうした読者の再認識・再評価は、当然文壇 く」とする記事 71 がみられ、同年の「風俗科学」創刊号においても特 の認識・評価とも互恵的に連動し、共有されていたと考えられる。 集 「男色時代」 で 「わが国の終戦後の恐るべき男色の流行」を論じた記 こうして同性愛言説の黎明期という時代と共振した 51 年の『禁色』 事 72 がみられる。 のファースト・インパクトによって、 『仮面の告白』は文壇と一般読 さて、以上のような 51 年から 53 年にかけての同性愛言説の増加 者の間で遡及的に同性愛小説の原点とみなされるようになり、以 と、同性愛者たちのネットワーク化・コミュニティ化の動き、およ 後、そうした表象が再生産されてゆくことになったにちがいない。 さきの比企・扇屋対談と同時期すなわち 1954 年、中野武彦は、 び、同性愛を〈社会現象〉とみる共通認識の現出から推察できるの 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 は、51 年の『禁色』というファースト・インパクトを受けて、同性 同性愛モチーフの「異様な色合い」こそが本作の「官能的陶酔感」の 愛当事者たちの動きと、彼らを主な読み手とする新聞雑誌メディア 「極めて重要な要素」 であり、 「三島の作家としての資質」 が 「縦横に腕 の言説の動向とが連動し合いながら、同性愛が急速に〈社会現象〉と を揮へるのは、その一種異様な色合を帯びさせる異常な男色の世界 みなされるようになったのではないか、ということだ。53 年の「風 に於いて」だとする評論を発表している 77。この中野の評論は、同 俗草紙」 の読者投稿欄には、 「 「禁色」の悠一が僕の心の愛人」 と同性愛 性愛のモチーフに注目し、そこにこそ三島文学の源泉を見出してい の煩悩を打ち明ける投書 や、 「 「仮面の告白」 「禁色」などには、到底 る点では、さきの『禁色』連載当時の野間や臼井らの論旨と大差な 及びも」つかずとも自身の「体験」から「男色に関する作品」を描きた い。だが、同性愛を「異常」と断じつつ、その「官能的」な「異様な色 いとする投書 74 など、同性愛当事者による『禁色』への言及を見いだ 合い」、すなわち本作のホモエロティックな表象自体を積極的に評 73 せる が、それらは当時の『禁色』のインパクトの大きさを示す証左 価している点では、それまでの書評とは一線を画しているといって といえよう。また、54 年の「風俗科学」に掲載された、医学博士比 いい。 〈同性愛小説の原点〉とはいえ、あくまでプラトニックな同性 企雄三と作家扇屋亞夫による同性愛に関する対談には次のようにあ 愛や異性愛の煩悩が描かれているにすぎない 『仮面の告白』 が、ここ る 76。 にきて極めてホモエロティックな小説として、文壇において表象し 75 はじめたことを中野の評論は端的に物語っているといえよう。 比企 「三島由紀夫さんの小説に出て來る人物で何て云つたかな こうして 『禁色』 という表象から再帰的にホモエロティックな同性 ――。」 扇屋 「悠ちやんですか。 」 愛小説の表象を獲得した『仮面の告白』は、1950 年代前半以降、文 比企 「そう、その悠ちやんね。非常に魅力のある美青年なんだ 壇および一般読者のなかで戦後の同性愛小説の原点として正典化さ が、ある場合には、女性的な役割もしている――。 」 れてゆくわけだが、さきにみた当時の文壇の論調からもわかるよう カノン 扇屋 「現代「そどみあ」 の特徴と云つてもいいですね。 」 に、それは三島の出世作であり私小説的作品 78 でもあったがゆえに 〈三島文学の源泉〉としての意味合いを濃くすることになった。こ (中 略) 比企 「容貌と云うものはどうでしょう。三島由紀夫さんの小説 の先、三島は新たな作品を世に放つたびに、着実に戦後の 〈文豪〉と にも、容貌は大きな役割をしているようですね。 」 して定位されてゆくわけだが、そうした三島の 〈文豪〉 イメージもま カノン た、上記のような本作の正典化を助長したことは明白である。 扇屋 「最近はやはり顔でしょうね。 」 (下線部・武内) 下線部から明らかなように、 『禁色』の同性愛表象は、当時の同性 今日、三島由紀夫の同性愛小説に言及して、 『仮面の告白』よりも 愛者の特徴が予め示されたものとみなされている。すなわち『禁色』 まず先に『禁色』の名を挙げる者はおそらくいないだろう。だが、ひ のファースト・インパクトは、同性愛者の交流の場を広く紹介す とたび 1950 年前後に目を向けるとき、それが時代的なコンテクスト るにとどまらず、その同性愛表象が同時代の同性愛言説・同性愛イ を反映した選択であることに私たちは気づかされるにちがいない。 メージの参照枠となったことも含意していた。また、さきにみた同 性愛者による投書は、同性愛言説の黎明期にその参照枠ともなった おわりに――「私」の物語に向かって 『禁色』の同性愛表象が、彼らの〈生〉=主体性にまで深く食い込んで いたこともうかがわせる。 ここまで本稿は、1949 年から 54 年にかけての約五年間における こうして 50 年代にいたって、 『禁色』の登場によって急速に言説の 同性愛言説の変遷、およびそれと連動した社会現象を追いながら、 共有が可能になった同性愛当事者およびその論者たちは、以後『禁 『仮面の告白』の表象の変容について検討してきた。そこで、49 年 色』を参照枠としながら、テクスト/身体を通して同性愛表象を再 の刊行当初、文壇がその同性愛モチーフの異質性に無関心だったの 生産していくことになったと考えられる。そして、まさにこのよう に対し、一方で、一般読者のなかには好奇心を抱くものも少なくな に 『禁色』が導引した同性愛の〈社会現象〉化のなかで再生産されたも かったという相反する反応の共存を指摘し、その背景として、終戦 のこそ、さきの 『禁色』連載以後の『仮面の告白』評だったのである。 後まもない当時の日本社会における同性愛言説自体の稀少さや二種 ひるがえって、さきの同性愛者たちの投書が、同性愛の恋の懊悩 の同性愛イメージの混在、あるいは、同性愛を周縁化する異性愛イ の告白と自らの同性愛体験を小説化する意気込みという、あたかも デオロギーの浸潤といった問題があったことを考察した。さらに、 『仮面の告白』 の語り手「私」をなぞったかのような欲望の発露であっ 同性愛言説の黎明期に突入した 51 年、 『禁色』の同性愛モチーフが社 たことを思い返してみたい。これは、当時『禁色』の登場によって、 会的に強烈なインパクトを放つと、文壇、および同性愛当事者・論 環境的・心情的にある程度雑誌メディア上で主体性を紡げるように 者を含む一般読者はともに、その原点を『仮面の告白』に求めはじ なっていた同性愛当事者たちにとって、 『禁色』ばかりでなく『仮面の め、やがて本作は〈三島文学の源泉〉を意味する同性愛小説として 115 September 2007 No.9 カノン 正典化されてゆく。以上のような流れをたどることによって、現在 北大学文芸研究」2000 年 9 月)70 頁 22. 荒(注 11 前掲評論)、神西(注 13 前掲評論)70 頁、瀬沼(注 16 前掲評論)、 花田(注 8 前掲評論)1974 年 :32 頁。三島による刊行前の広告文「作者の言 葉(「仮面の告白」)」 (「近代文学」1949 年 4 月)全集 27 巻 176-177 頁および にいたるまで保持されている、近代日本初の本格的な同性愛小説と いう『仮面の告白』の文学表象が、実際は 50 年代の『禁色』の文学表 象から遡及的に再生産されたものであることを最終的に明らかにし 初版本の帯において、戦後版「ヰタ・セクスアリス」であることが自己表 明されているためか。 た。 る三島の身体パフォーマンス/言説を経て、どう新たに再生産され (注 20 前掲書)366-367 頁 23. 伏見「ゲイ年表」 24. 古川(注 18 前掲論文)30 頁。また、赤川学『セクシュアリティの歴史社会 学』 (勁草書房、1999 年)300 頁も「性について語る言説世界の容量そのも ていったかを考えるとともに、一方で、本稿で論じた 49 年前後の のが、三〇年代後半以降、特に国家総動員体制が本格化する四〇年代に 今後は、そうした文学表象が 50 年代以降、ゲイネスを惹起させ は小さくなる」 としている。 日本の性規範や異性愛/同性愛言説の時代的状況をふまえて、そう ( 人間の科学社、1994 年)2 頁、伏 25. 平塚良宣『日本における男色の研究』 見(注 20 前掲書)272-274 頁。当時を振り返った江戸川乱歩「探偵小説 『江戸川乱歩全集 第 29 三十五年 夜の男の生態」 (「宝石」1958 年 8 月号、 巻 探偵小説四十年(下)』光文社、2006 年)2006 年 :363-370 頁は、この事 した時点から、戦前・戦後の同性愛遍歴の記憶として再編される本 作の「私」 の告白について考察を進めていこうと考える。 件が世間の注目を集めたために、乱歩と上野の男娼たちとの座談会「夜 注 の男の生態」が人気雑誌「旬刊ニュース」 (1949 年 2 月 10 日号)に掲載され 1. 起筆は 1948 年 11 月 25 日(1948 年 11 月 2 日付坂本一亀宛書簡、全集 38 巻 『 三島由紀夫作品集1』、 507 頁)、擱筆は 1949 年 4 月 27 日(「あとがき」、 。 新潮社、1953 年 7 月、全集 28 巻 98 頁) ( 「東京新聞」夕刊、 2. 三島由紀夫「私の遍歴時代」 1963 年 1 月 10 日∼ 5 月 23 日) 全集 32 巻 282・294-302 頁 3. 以下、本稿で使用する「同性愛」は、すべて男性の同性愛をさす。 (全集 1 巻 676 頁) 、および同書 677 頁収録の原稿写真。 4. 田中美代子「改題」 たことを伝えている。 「「男」ジェンダーを欲望する男たちに出 26. 本稿で使用する「ゲイバー」とは、 をさす。 会いの場を提供する飲食店」 (伏見、注 20 前掲論文、301 頁) 27. 伏見(注 20 前掲論文)301 頁。また同書 313 頁によれば、詳細はさだかで 「夜曲」 が開店していたようだ。 ないが 1948 年ごろ新宿にも同種の店 「 りべらる」 28. 伏見(注 20 前掲論文)332 頁によれば、1946 年からの「猟奇」 などのカストリ雑誌にも時折同性愛が猟奇的に取り上げられていたよう 『仮面の告白』初版に付された自作解説( 「「 仮面の告白 」 ノート」 『 、仮面の だ。 告白』月報、河出書房、1949 年 7 月)以外に、三島は「最長九枚、最短一 29. 式場宛書簡(注 5 前掲書簡)全集 38 巻 513-514 頁 30. 坂本宛書簡(注 1 前掲書簡)全集 38 巻 507 頁 (新潮社、1990 年→新潮文庫、1996 年)1996 31. 村松剛『三島由紀夫の世界』 年 :161 頁。猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』 (文芸春秋、1995 年→文 「全集改題補訂」 春文庫、1999 年)1999 年 :263-264・267-268 頁、井上隆史 (全集補巻)688 頁。 32. 望月衞「性的成熟と社会的成熟―三島由紀夫「仮面の告白」を検討しつゝ」 (「思索」1949 年 11 月) ( 理想社、1949 年)159-162 頁によれば、 「 仮性同性性 33. 望月衞『性の生活』 枚の、十八種類にわたる序文」を用意していたらしいが(注 2 前掲エッセ 、この序文はうち唯一発見・公表されたもの。 イ、全集 32 巻 303 頁) 5. 式場隆三郎宛書簡(1949 年 7 月 19 日付)全集 38 巻 513 頁 6. 井上隆史「新資料から推理する自決に至る精神の軌跡 今、三島を問い 直す意味―『仮面の告白』再読―」 ( 『続・三島由紀夫が死んだ日』中条編、 実業之日本社、2005 年)→『三島由紀夫 虚無の光と闇』 ( 試論社、2006 年)2006 年 : 35-39 頁は、もともと同性にもある程度関心のあった三島が、 4 4 4 4 4 4 本作執筆において「同性愛について意識的に学習し、それに従って旧作 を再構成」する過程において、自己のセクシュアル・アイデンティティ 愛」とは、女性ジェンダーをもった男によるホモセクシュアリティをさ を「同性愛者と意識的に規定」していったことを考察している。本作の同 す「真性同性性愛」に対して、男性ジェンダーをもった男によるホモセク 性愛モチーフが、小説戦略の一つでありながら、なおかつ私小説的な要 シュアリティをさしている。 素でもある、という両義性にはそうした井上の考察にあるような背景が 34. 『仮面の告白』刊行以前の三島がまだ望月と接触していなかった可能性も 考えられる。 あるが、村松や猪瀬の取材などを考え合わせると、その可能性は極めて 7. 井上(注 6 前掲論文)2006 年 : 21 頁、佐藤秀明「仮面の告白(三島由紀夫) 薄い。また猪瀬は、本作に描かれる同性愛指向の造型が望月衞『性と生 ―動くセクシュアリティ」 ( 『ジェンダーで読む 愛・性・家族』岩淵・長 活』の「仮性同性性愛」モデルに拠っていることを指摘している(猪瀬、注 谷川編、東京堂出版、2006 年)46-47 頁、久保田裕子「 『仮面の告白』―セ 31 前掲書、1991 年 : 266-267 頁)。前掲の望月論文には、三島との直接的 クシュアリティ言説とその逸脱―」 ( 「三島由紀夫研究」③、2006 年 12 月) 関係を隠蔽する身ぶりとともに、語り手「私」と作者とを切り離して論じ 61 頁。 ようとする細やかな配慮がみられるが (望月、注 32 前掲論文、54-55 頁)、 ( 「文芸」1950 年 1 月 8. 花田清輝「聖セバスチャンの顔―「仮面の告白」評―」 → 『批評と研究 三島由紀夫』 白川編、芳賀書店、1974 年) (1949年12月26日付) の 「一九四九年読売ベスト・スリー」 では、 9. 「読売新聞」 それは心理学者と相談者としての二人の仲を示すものとも解せる。 35. 望月が当時同性愛に関して、日本のパイオニア的なオピニオンリーダー になりつつあったことは、 「社会現象としての同性愛」 (「婦人公論」1950 年 3 月号)114 頁という女性向けの雑誌記事があることからも明らかであろ う。この記事はまた、50 年代、一般女性たちも同性愛に関心を持ち始め 九人の選者のうち六人(青野季吉、伊藤整、川端康成、丹羽文雄、平野 謙、福田恆存) から推挙された。 (筑摩書房、1992 年 10. 上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子『男流文学論』 →ちくま文庫、2004 年)2004 年 :354 頁 ( 「図書新聞」1949 年 7 月 23 日) 11. 荒正人「異常心理ではない」 (注 11 前掲新聞) 12. 無著名「若きエロスの告白 相剋する〝素顔〟と〝仮面〟」 ( 「人間」1949 年 10 月)70 頁 13. 神西清「仮面と告白と―三島由紀夫氏の近作」 ( 「群像」1949 年 11 月)111-112 14. 北原武夫・中野好夫・林房雄「創作合評」 ていたことを示すだろう。 36. 望月(注 33 前掲書)160 頁 37. 猪瀬(注 31 前掲書)1999 年 :261 頁 (講談社、1966 年)21-24 頁、山本明『カストリ 38. 石川弘義『欲望の戦後史』 「 、特集・敗戦 雑誌研究』 (出版ニュース社、1976 年→中公文庫、1998 年) 直後」 (「別冊週刊読売」1973 年 8 月 18 日)、南博・社会心理研究所『続・ (勁草書房、1990 年)59-61 頁など。 昭和文化 1945-1989』 39. 赤川(注 24 前掲書)303 頁。また、巻正平「ヴァン・デ・ヴェルデ「完全な る結婚」 革命の友から古典の座まで」 (「朝日ジャーナル」1965 年 10 月) 「戦後日本の性の解放に、もっとも大きな影響を与え」、 「戦後日 43 頁も、 頁 15. 花田(注 8 前掲評論)1974 年 :33-35 頁 (「日 16. 1950 年までの書評として、ほかに瀬沼茂樹「油ののつた四人の作家」 「凡庸でない才能がひらめいている」 本読書新聞」1949 年 11 月 30 日)は、 とし、福田恆存「解説」 ( 『仮面の告白』新潮文庫、1950 年)は「のちのちに 本の性知識普及の方向を定めた」 と位置づけている。 残る最上の収穫」と賞讃している。同性愛モチーフにとくに関心を示さ (東京大学出 40. 辻村明『戦後日本の大衆心理 新聞・世論・ベストセラー』 ⅰ頁、木本至「婦人雑誌にみるセックス指導書の変遷」 (「え 版会、1981 年) ろちか」1972 年 8 月)107-122 頁、井上ひさし「ベストセラーの戦後史 2 完全なる結婚二十一年」 (「文芸春秋」1987 年 3 月)409 頁。 41. 井上(注 40 前掲論文)409 頁 42. 巻(注 39 前掲論文)45 頁 (薔薇十字社、1972 年) 43. ちなみに島崎博・三島瑤子編『定本三島由紀夫書誌』 324 頁によれば、三島の蔵書には、戦前発禁処分になった抄訳『完全なる 夫婦』滑川鋭雄・平野馨訳(平野書房、1930 年)、戦後の完訳『完全なる結 の二冊がみられる。 婚』柴豪雄・酒井敬一訳 (大洋社、1946 年) ず、次世代作家の登場に期待をかける論旨は、ほかの同時代評とほぼ同 様であるといっていい。 17. 柿沼瑛子・西野浩司・伏見憲明「座談会 三島由紀夫からゲイ文学へ」 ( 「クィア・ジャパン」vol.2、2000 年 4 月)166 頁 18. 古川誠「セクシュアリティの変容―近代日本の同性愛をめぐる3つの コード―」 ( 「日米女性ジャーナル」No.17、1994 年)30-31・47-50 頁など (注 1 前掲書) 全集 28 巻 98 頁 19. 三島由紀夫「あとがき」 ( 『ゲイという[経験]増補版』 、ポット出版、 20. 伏見憲明「ゲイの考古学」 2004 年)355 頁 (「東 21. 跡上史郎「最初の同性愛文学―『仮面の告白』における近代の刻印―」 116 September 2007 No.9 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって 44. 『完全なる結婚』安田一郎訳(河出文庫、1982 年)16-24 頁 ( 『日本近代思想体系 23 風俗 性』小木・熊倉・ 45. 上野千鶴子「解説(三)」 上野編、岩波書店、1990 年)532 頁。ただし赤川(注 24 前掲書)197 頁が 66. 伏見(注 20 前掲論文)269・283・297・314-316 頁 67. 『ゲイの民俗学』礫川全次編(批評社、2006 年)161・141 頁。ただし両誌 は同性愛専門誌というわけではない。 「風俗草紙」・「風俗科学」は実際に手にすることが困難なため、本 68. 現在、 に拠った。 稿で取り上げる両誌の記事は、すべて礫川編 (注 67 前掲書) 69. 礫川全次(注 67 前掲書、153 頁)が指摘するように、とくに当時の画期的 な論調としては、扇屋亞夫 「男色者とその性的性質」 (「風俗科学」1 巻 2 号、 1953 年 10 月→注 67 前掲書)2006 年 : 162 頁の「むしろ堂々「選ばれたる人」 指摘するように、この三位一体は「夫婦和合の鍵はセックスにある」とい う「セックスにおける夫婦和合」の言説と、 「セックスは夫婦に限定する」 という「貞操・純潔・一夫一婦」の言説との、 「二つの言説要素の合成」で あり、本稿では前者の意味で「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」とい う語を用いている。 「家や戸主中心に親族が網羅される従来の戸籍を改め、結 46. 新戸籍法では、 ぐらいの誇りをもつといい」 という呼びかけが挙げられる。 (「風俗草紙」1 巻 6 号、1953 年 3 月→注 67 前掲書) 70. 千明克巳「衆道秘伝考」 2006 年 : 164 頁 (「風俗 71. 鹿火屋一彦「そどみあの断層―男色を不可解とする人のために―」 草紙」1 巻 8 号、1953 年 11 月→注 67 前掲書)2006 年 : 174 頁 (「風俗科学」1巻1号、 72. 柏倉幸蔵「男色は流行する」 1953年8月→注67前掲書) 2006 年 : 151 頁 (「風俗草紙」1 巻 8 号、1953 年 73. 福井県のQ・Q生の投稿「そどみあ通信」 11 月→注 67 前掲書)2006 年 :195 頁 ( 注 73 前掲雑誌→注 67 前掲) 74. 千葉県のK・M生の投稿「そどみあ通信」 2006 年 : 185 頁 ( 注 59 前掲雑誌)44 頁によれば、 75. 峰あやを「「アドニス」総目次(第一回)」 「ADONIS」3 号には田中純夫「小説『禁色』の周辺」という記事の掲載があ 婚すると新しい戸籍が編製され」た(浅野富美枝「現代」 『家族と結婚の歴 、 史[新装版] 』 、森話社、2000 年、195 頁) 。 47. 『完全なる結婚』は 70 年代まで再版や続編出版がくり返したが、それは 本書の唱道したロマンチック・ラブ・イデオロギーが、戦後資本主義経 済の発達によって生まれた「 〈男は外で働き、女は家で家事育児〉といっ た近代的な性別役割分業イデオロギーと、家庭を愛することが会社を愛 し、国を愛することにつながるといったマイホーム主義イデオロギー」 (浅野、注 46 前掲論文、181 頁)を支柱とする戦後日本の家族像にも適っ ていたからだと考えられる。 48. 南博・社会心理研究所(注 38 前掲書)64 頁 (大月書店、1987 年)90-93 頁 49. 福島鑄郎『雑誌で見る戦後史』 『キンゼイ報告』については赤川(注 24 前掲書)303-307 頁を参考に 50. 以下、 した。 51. 52. 53. 54. る。 赤川 (注 24 前掲書)307 頁 76. 比企雄三・扇屋亞夫「対談 そどみいの焦点を廻つて 同性愛と男根羨 望」 (「風俗科学」2 巻 2 号、1954 年 2 月→注 67 前掲書)2006 年 : 228 頁 -229 頁。伊藤(注 61 前掲書)2 頁によれば、この対談の時期にも「週刊タイム ス」 (1954 年 2 月 24 日)によって「流行する同性愛旋風」という特集が組ま 赤川 (注 24 前掲書)307 頁 野間宏 「三島由紀夫の耽美」 ( 「文学界」1951 年 2 月)130 頁 臼井吉見・中村光夫対談「三島由紀夫」 ( 「文学界」1952 年 11 月)162-163 頁 れている。 55. 臼井・中村(注 54 前掲対談)164・167-168 頁。 ( 「文学界」1952 年 3 月→注 8 前掲書)1974 56. 神西清「ナルシシスムの運命」 年 :16-18・19-21 頁 57. 福島(注 49 前掲書)95 頁 58. 伏見(注 20 前掲論文)332-333 頁 ( 「薔薇窗」2005 年 9 月)32-33 59. 山中剛史「解題「アドニス」総目次(第一回)」 (「近代文学」1954 年 1 月)69-71 頁 77. 「『仮面の告白』論」 「家族構成や経歴のほか、新たに見つかった 78. 佐藤(注 7 前掲論文)43 頁が、 年譜的事実とも齟齬をきたさない、ほぼ三島の半生をなぞったかのよう 4 4 4 4 な」、 「作者その人を主人公にしたと思わせる小説」と要約するように、そ の性質上、本作は長く〈私小説〉とみなされてきた。当時の三島の言説 には揺らぎがあるものの、1948 年 11 月の坂本宛書簡(注 1 前掲書簡)全 頁 集 38 巻 507 頁に「自分自身の生体解剖」を試みた「生れてはじめての私小 ( 「婦人公論」1950 年 3 60. 管見の限りでは望月衞「社会現象としての同性愛」 月)114 頁がある。 (九天社、2006 年)4 61. 伊藤文学『薔薇よ永遠に 薔薇族編集長 35 年の闘い』 説」とあり、また、刊行前の広告文(注 22 前掲広告)全集 27 巻 177 頁に も「能ふかぎり正確さを期した性的自伝」と自作解説があることも一因と なっていよう。フィクションの境界については井上(注 6 前掲論文)2006 頁 年 :21-33 頁などが参考になる。 (全集 3 巻)76-82 頁。また、 「 「禁色」創作ノート」 (全集 3 62. 三島由紀夫『禁色』 巻)588 頁の構想メモに 「日比谷公園」 の記載がある。 (全集 3 巻)118-124 頁。また、 「 「禁色」創作ノート」 (全 63. 三島由紀夫『禁色』 集 3 巻)589 頁にそれとわかる構想メモがある。588・595 頁にも「ブラン ※三島由紀夫のテクストの引用はすべて『決定版三島由紀夫全集』全 42 巻(新 に拠り、巻数を記載する際は 「全集」と表記した。 潮社、2000-2005 年) ※引用に際し、漢字は適宜現行の字体に統一し、ルビは一部省略した。 ※本文体裁の都合上、一部記号を変更した。 スウィック」 の記載がある。 64. 伏見(注 20 前掲論文)359 頁 「ADONIS」創刊の三ヶ月後にはアド 65. 山中(注 59 前掲論文)33 頁によれば、 ※雑誌論文に関する記載は、必要と思われるもののみ巻号も付した。 ニス会の会員登録は八百名以上に達していたとされる。 117