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お墓の考古学

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お墓の考古学
平成 23 年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第 1 回
お墓の考古学
西田 和浩
【講座の概要】
1.はじめに
どこうぼ
墓には、通時的にみられる単純な土壙墓や、古墳時代に発達した、土を盛って築く墳丘墓など
様々な形態がある。墓から出土する人骨や副葬品は、当時の社会を知る上で重要な手がかりとな
る。墓とはタイムカプセルのようなものである。
2.縄文・弥生時代の墓地
旧石器時代には、人骨を伴う明確な墓はみつかっていない。縄文時代になると、各地に土壙
墓が築かれるようになる。遺体の手足を折り曲げて埋葬する方法(屈葬)が各地で行われ、遅れ
て伸展葬が現れる。わずかであるが、腕輪や耳飾りなどの副葬品を伴う場合があるものの、隔絶
した内容をもつ墓が築かれることはない。このことから、縄文時代は社会内部に格差が生じてい
た可能性は低いと考えられる。弥生時代になると、北部九州を中心に、墓域を画した墳丘や多量
の副葬品をもつ墓が築かれるようになる。このことは、社会内部に政治的・経済的格差が生じた
ことを反映している。
3.古墳時代の墓地
弥生時代から、さらに発達した墳墓が築かれる。日本の歴史の中で、最も墳墓の造営にエネ
ルギーが投入された時期といえる。その特徴から、この時期を「古墳時代」と呼び、築かれた墳
墓を「古墳(盛土のある古い墓)」と呼んでいる。土壙墓のような簡素な墓とともに前方後円墳
に代表される巨大な墳丘が築かれ、多種の品々とともに埋葬される。弥生時代から続く埋葬伝統
の大きな変化は、5世紀末頃から普及する横穴式石室の登場である。これにより、追葬可能とな
り、また、須恵器を用いた食物供献が同時に普及することから、葬送儀礼や他界観にも大きな変
化が生じたものと推測される。
4.古代以降の墓地
6世紀後半頃より、群集墳が各地に築かれる。7世紀以降、埋葬行為はよりシンプルに変化する。
仏教の影響をうけ、貴族をはじめとする支配者層に火葬墓がみられるようになる。しかし、中世
以降においても、一般的なのは土葬で、近世における将軍・大名墓にも採用される。また、中世
以降は銭貨の副葬が見られるようになる。岡山県下では中世・近世墓の蔵骨器・棺に備前焼を用
いる点に特徴がある。
5.おわりに
墓の変遷を調べることによって、当時の人々の死生観や、社会構造の変化を知る手がかりとな
る。また、遺体と共に埋納される副葬品から、当時の工芸技術の特徴や、材料の流通などから、
地域間の社会関係を知ることができる。
【参考文献】
森浩一編 1975『墓地』社会思想社
広瀬和雄編 2000『副葬を通してみた社会の変化』(季刊考古学第 70 号)雄山閣
1
図1 彦崎貝塚土壙墓(縄文中期)
図2 彦崎貝塚 土壙墓の分布
2
図3 みそのお遺跡 土壙墓群(弥生後期)
図4 南方遺跡 土壙墓(弥生中期)
3
図5 楯築弥生墳丘墓 墳丘測量図(弥生後期)
図6 楯築弥生墳丘墓 埋葬施設(弥生後期)
4
図7 滋賀県雪野山古墳(古墳前期)
図8 雪野山古墳埋葬施設
5
図9 一国山古墳群(古墳中期)
図 10 こうもり塚古墳石室(古墳後期)
6
図 11 こうもり塚古墳 出土須恵器
図 12 新道遺跡 火葬遺構(奈良時代)
図 13 すくも山遺跡中世墳墓群(鎌倉末~室町)
図 14 すくも山遺跡 墓5
図 15 すくも山遺跡 墓6
7
図 16 岡山県内の近世墓
図出典
図1・2:岡山市教育委員会 2006『彦崎貝塚』 図3:岡山県教育委員会 1993『みそのお遺跡』
図4:岡山市教育委員会 1971『南方遺跡発掘調査概報』 図5・6:楯築調査会 1992『楯築弥生墳丘墓の研究』
図7・8:雪野山古墳発掘調査団 1996『雪野山古墳の研究』 図9:岡山市教育委員会 2006『南坂8号墳・
一国山城跡・一国山古墳群』 図 10・11:岡山県 1986『岡山県史 第 18 巻 考古資料』 図 12:岡山市
教育委員会 2002『新道遺跡』 図 13 ~ 15:岡山市教育委員会 1998『すくも山遺跡』
図 16:近藤義郎編 1987『岡山県の考古学』吉川弘文館
8
墓の形態
土葬
火葬
屈葬
縄 文 ・ 弥 生時代
古 墳 時 代
古 代
中 世
近 世
図 18 埋葬施設の変遷ー岡山の資料を中心にー
9
伸展葬
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