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神田神社の由来 - TOK2.com

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神田神社の由来 - TOK2.com
神
1 御祭神
2 御由来
田
神
社
の
由
来
足仲彦尊
誉田別尊
息長足姫尊
多岐津姫尊
多岐理姫尊
タラシナカヒコノミコト
ホンダワケノミコト
オキナガタラシヒメノミコト
タキツヒメノミコト
タキリヒメノミコト
(仲哀天皇のこと)
(応神天皇のこと)
(神功皇后のこと)
(天照大神のご息女)
(天照大神のご息女)
国常立命
クニノトコタチノミコト
(神代第一の神)
天照大神
大名持神
小彦名神
住吉大神
アマテラスオオミカミ
オウナモチノカミ
スクナヒコナノカミ
スミヨシノオウカミ
記
事
神功皇后が三韓よりの帰途、豊前の国・宇佐で皇子の応神天皇
を安産され、大和へ向けて帰られる途中、阿賀村の冠崎の浜に
船を着けて一休みしておられたが、台風のため航行困難となり、
同村字神達の神風呂(別称神経)という所に逗留し休息された。
その地続きが現在の宮地である。
そこの山裾は、一帯が砂浜の入り江であった。
天永3年5月
平安時代の末期、安芸郡加賀須浦(別称香津浦)の神経山に社
(1112年)
殿を建立し、足仲彦尊外五柱の御祭神を奉り、神達八幡と称え、
この浦の氏神とした。
仁安年間
平清盛が音戸の瀬戸を開削する時、当社に奉幣使を遣わして工
(1166~1168年) 事の進捗を祈願した。(厳島文書による)
永正年間
源盛勝が字神達の森峯に神殿を奉造した。(古い棟札に記載)
年
代
承平年間
(931~937年)
(1504~1520年)
天文6年5月
(15
年)
永録5年6月
(1562年)
寛文9年4月
(1669年)
享保9年
(1724年)
安永7年8月
(1778年)
明治22年8月10日
(1890年)
大正年12月17日
(1916年)
昭和34年
(1959年)
昭和58年8月31日
(1983年)
平成14年6月21日
(2002年)
字神立の加賀須山(別称香津山)奉移した。
明治4年
(1871年)
明治40年3月19日
(1907年)
社号を改めて「神田神社」と称す。
同地の社地を広げ社殿を改築し、此処に鎮座して“神田八幡”と
称した。
神殿を再建。
本殿を造立する。
拝殿を再建。
幣殿を再建。
幣拝殿を一棟とする大改築と境内を拡張整備する。
拝殿屋根葺き替えと絵馬拝殿の改修。
本殿屋根葺き替えと参集殿の建立、社務所の再建。
拝殿と手水舎の屋根葺き替えと改修し御供殿を再建、
又、芸予地震で損壊した鳥居を再建し、被災箇所を修復する。
神饌幣帛供進使の指定を受ける。
記; 1)宵祭りには年毎交替で、上組・下組が当番となり、太鼓行列を奉納するのが慣例。
上組~神立、田中、郷、原、
下組~大上、東浜東部、東浜西部、東町、中町、西町、東延崎、西延崎
2)大太鼓の作成年代は古いもので、原(寛永~1620年)、西町(明和~1764年)等。
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