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アンネ・フランク写真パネル展 in 姫路 Anne Frank Photograph Panel Exhibition in Himeji 期間:2011 年 5 月 3 日(火)∼8 日(日) 10:00∼18:00 場所:イーグレひめじ B1 特別展示室 ※8日(最終日)は 15:00 まで (〒670-0012 姫路市本町68番290) TEL:079-289-3443 入場:無料 主催:兵庫県 共催:Anne Frank House Amsterdam グローバルプロジェクト推進機構(JEARN) 協力:姫路市 問合せ:兵庫県観光交流課 Tel:078-362-3696 アンネ・フランクについて 1929年6月12日 フランクフルトで生まれる。父オットー・フランク、母エーディット・フランク、姉マルゴー(3歳年上) 1932年7月 総選挙でヒットラーと国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が勝利。 1933年1月 ヒットラー首相に就任、政権を握る。次々と反ユダヤ主義政策を実施。 (ユダヤ系教師・公務員の解雇、ユダヤ商店・職種のボイコット、ユダヤ系文書の焚書) 1933年12月 一家でオランダに移住。アンネはモンテッソーリスクール幼稚園へ。 1935年3月 ヒットラー、ヴェルサイユ条約破棄・ドイツの再 軍 備を宣言 。ドイツでユダヤ人の軍役剥奪・選挙権 剥奪、ニュルンベルク法(ユダヤ人とドイツ人との結婚禁止)。 アンネ、モンテッソーリ小学校の1年生。 1938年3月 ヒットラー、オーストリア併合。 1939年9月 ドイツ軍、ポーランドに侵攻、第2次世界大戦開始。 1940年5月 ドイツ軍、オランダ占領。ユダヤ人の登録と自由制限:黄色のダビデの星着用、電車・自動車禁止、 買物時間3時から5時のみ、夜8時から翌朝6時まで外出禁止、娯楽施設・スポーツ施設入場禁止。 1941年1月 ヒットラー、ユダヤ人 絶 滅 計 画 を指 示 。 ユダヤ系 学 童 隔 離 政 策 でアンネはユダヤ人 中 学 に入 学 。 1942年6月12日 アンネ、13歳の誕生日に日記帳をもらい、書き始める。 7月6日 フランク一家は隠れ家に移る。(後にファン・ペルス一家、歯科医フリッツ・フェファー合流) (隠れ家は父親の会社の奥の部屋、事務のスタッフ4人が一家を支援し、食料や日用品を届けた) 1944年6月6日 連合軍、ノルマンジー上陸(D デイ)。 8月4日 ゲシュタポへの密告によって、隠れ家は発見され、一家は逮捕。9月、アウシュヴィッツへ。 1945年3月初め ベルゲン・ベルゼン収容所で、姉マルゴーに続いてアンネも死亡。 (母はアウシュヴィッツで死亡、隠れ家の住人で父オットーのみ生き延びる) 1947年6月 アンネの日記を『隠れ家』の名で出版 (残されていた日記を支援者のミープ・ヒースが保管していた) 『アンネの日記』より(2003,文春文庫、深町眞理子訳に基づく。一部字句修正) ・ 「今朝、窓の前に座っているとき、私は外を眺めていて、そこに自然の奥深さと、神様の存在とを実感として感じまし た。そのとき私は幸福でした。・・・どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、一時覆い隠される ことはあっても、いつかはきっと蘇ってくるはずです。」(1944年2月23日) ・ 「愛情とはなんでしょうか。私の信じる愛情とは、本当の意味で言葉に言い表すことのできない何かです。愛情とは、 相手を理解すること、相手を気遣うこと、良きにつけ悪しきにつけ、それを相手と分かち合うことです。」(1944年3 月2日) ・ 「私はどんな不幸の中にも、常に美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、 それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和を取り戻すでしょう」(1944年3月7日) ・ 「夜6時から7時15分まではラジオで素晴らしいモーツアルトのコンサートが放送されました。どの曲目にも聞き惚 れましたが、とりわけ気に入ったのは“アイネ・クライネ・ナハトムジーク”。美しい音楽を聴くと、決まって心の内に感 動がうずき、とてもおとなしく部屋の中になんか座っていられないほどになります。」(1944年4月11日) ・ 「戦争の責任は偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の 人たちにもあるのです。」(1944 年 5 月 3 日) ・ 「誰であれ、自分を愛しているとはっきり言ってくれている人を故意に悲しませて恥じない人間は最低の人間です。 ・・・そうです、アンネ、あなたにはまだまだ学ばねばならないことが沢山あります。まずは他者に学ぶことから始めて、 人を見下げたり、他人ばかりを非難したがるのはやめることです。」(1944年5月7日) ・ 「実際、自分でも不思議なのは、私がいまだに理想のすべてを捨て去っていないという事実です。・・・たとえいやな ことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを今でも信じています。」(1944 年7月15日)