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おりーぶ通信 27年12月号を更新いたしました。
発行 NPO ライフサポート お・りーぶ 2015年 12 月1日 第 57 号 URL:http://www.r-olive.jp バ ラ 薔薇story10 「バラ図譜」(1817年) P.J.ルドゥーテ 「シクラメンのかほり」 ROSES』 (1817年にフラ かつて中心市街地といわれた目抜き通りは12月ともなればクリ がどんなに美しく香りがよくてもトゲ(棘) ンスの植物画家ルドゥーテが描いた細密画集 スマス商戦のたけなわだった。ジングルベルの気ぜわしさが人々の ある花を至上のものと価値づけた西欧人のこ としての『バラ図譜』)。ナポレオン妃ジョセ 購買意欲をかきたてた。シャッター通りとなった今でも、クリスマ ころが日本人には理解できないのではないだ フィーヌは1810年にナポレオンと離婚 スのお決まり定番ソングが流れる。花屋さんの店頭に静まりかえっ ろうか。イエス・キリストの磔刑は西欧絵画 し、亡くなる(1814年)までパリ郊外の たワインレッドのシクラメンの鉢がならび、街往く人を見つめてい の核心でもあるが頭に荊棘(サンザシかバラ マルメゾンの館に住んだ。庭に250種類の る。 のトゲか)の冠を戴く構図は残酷にすぎる。 バラを栽培して、ルドゥーテが正確に彩色模 1975年の暮れ、『シクラメンのかほり』(作詞作曲小椋佳:本 写した。当時のバラ(オールドローズ)の種 名は神田紘爾。当時、第一銀行赤坂支店に勤務。歌は布施明)が街 類(名前、花容、枝振り、トゲ、葉の形状な 中に流れていた。第17回日本レコード大賞に輝いた。歌詞は鮮烈 ど)を研究する第一級の資料となった。 だった。枯れ葉の季節に移ろい往く時の流れをシクラメンという清 西欧で花といえばバラを指した。バラの花 中世の神(ローマカトリック:ヴァチカン) が絶大な権威であった時代、聖母マリアはト の『LES 楚な冬の花に託した。恋人のイメージを重ねた。恋人は塚原佳穂里、 ゲのない白バラで表象された。イエスの荊棘 の鋭いトゲが聖母マリアでは昇華されてい 描かれた169のバラ図のなかにロサ・アル 結婚して神田姓になった。~真綿色したシクラメンほど清しいもの る。天上界の天蓋は白バラで満たされた。仏 バ・フォリアケア(図譜122)白バラ系統 はない~出逢いの時の君のようです~ 教世界の極楽浄土がハスの蓮華の曼荼羅であ でトゲの目立たないもの、ロサ・アルビナ・ なかった。「かほり」とは佳穂里(かほり)さんのことでは・・・。 るように。果たしてトゲのないバラが存在し デビリス(図譜121)のようにトゲの見あ ていたのか。 たらないバラも存在していたと思われる。 ・・・シクラメンに香りは 11月の末に大学演劇研究部のOB会に出席した。神田佳穂里さ バラの栽培史、文化史の研究上、世界で最 トゲのないバラはどこか不自然で物足りな んは小椋佳の全国公演ツアーのつきびとで欠席。NHKのアナウン も貴重な文献が2008年5月に日本で復刻 い。バラの優美な気品は鋭い棘の怜悧さによ サーなど先輩には名だたる人が多い。なかでも特筆は日銀総裁(前 出版された。高価本だが買い求めた。Pie って引き立つ。一身に「美女と野獣」を包摂 職:さくら銀行会長:大蔵政務次官)の奥様で今年他界された。 rre-Joseph するのが薔薇。 上京するたびに、私は・・・ Redoute (文責:中川 滿) (文責:中川 滿) ことばの風景 編 初冬:照る日曇る日:時雨 集 デ ス ク 12 月といえばクリスマス♪ 皆さんにとって楽しい思い出の日となりますように.! 虹 岐阜県は地形的に日本の縮図といわれる。 海抜三千㍍から0㍍の高低差をもつ圏域は岐阜県以 外にはない。山裾から集めた細流が支流となって揖斐・ 長良・木曽の三大河川に合流し、大河は肥沃な濃尾 平野を滔々と併流し伊勢湾に注ぐ。 照る日曇る日そして時雨れる日・・・一日の天気が目まぐ るしく変わる。うっかり洗濯物や布団を干したままで外出す 虹の光彩 初冬に咲くヒイラギ(柊)の花 冬柏:柏(楢柏)の木は冬になっても葉を落とさずに枯れ枯れの ればとんだことになる。陽が陰ればすぐにサァーと時雨れ 葉っぱのままに木立となる。真っ白な雪上に立ちつくす枯れ葉を てくる。それでも雲間から一条の陽が射せば山裾には大 まとった冬柏は津軽のダルマストーブ列車の窓からもそれとわか きな虹がかかる。揖斐川、根尾川から長良川へ七色の る。韓国では椿を「冬柏(トンベク)」という。「釜山港へ帰れ」の レインボーブリッジが弧を描いて昇る。雨や風の冷たさを 出だしに唄われる~椿咲く 春なのに~は釜山海雲台ビーチの 頬に感じながら初冬を彩る美しい光景にうっとりする。天 「冬柏島」に咲く椿の情景。韓国随一の景勝地。 空を天翔る虹の光彩は大いなる冬のプレリュード。 わが家のクリスマ スコーナーです。 (塩津) 新築祝いにお友達から頂いた クリスマスリース、毎年大切 に飾らせてもらってます。 (野田) 「 レクィエム 」 (K・626) 1791年 1791年12月4日の真夜中過ぎから5日(0時55分)にかけて。 死を看取る身内は誰一人いなかった。 次の宿に着くために朝早く出立した。「お江戸日本橋七 ウイーンの極寒の真冬に暖房すらなく熱病に震えながら「レクィエ ツ立ち」という唄にあるように午前四時には宿を後にした。 ム」の作曲に心血を注いだ・・・が未完に終わった。楽譜の旋律 『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さんの第一夜の を口ずさみながら息をひきとった。遺体は郊外の共同墓地に犬 宿は戸塚の宿場。江戸から十里半を歩いた。 の亡骸のように捨てられた。 「レクィエム」は弟子のジュスマイヤーがその旋律を完成した。・・・ 昔の人は健脚だった。歩きやすいように荷造り旅装束 私は、この日に「レクィエム」のCDを何度も聴くことにしている。私を (衣類、弁当、文具の収納、薬袋、巾着、合羽、提灯 勇気づける最大の楽曲は「レクィエム」。モーツァルトの最期を考 など)は必要最小限にシンプルだった。道中心得(旅の えれば、どんなスランプ状態、精神的危機でも私は立ち上がるこ 用心集)など今の時代でも大いに参考になる。 とができた。 旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉 うしろ姿のしぐれてゆくか 山頭火 泊めてくれない村のしぐれを歩く 山頭火 土産 に姉 の 声高し 女、老人で八里。男で十里(約40㌔)。日暮れまでに 富有柿 昔の旅人は歩いて旅をした。一日の行程はおよそ お化粧 の 少し濃 くし て 今朝 の秋 楽聖モーツァルトは35歳で夭逝した。 時 雨 お友だちにいただいた 手づくりリースです。 愛情たっぷりです。 (髙田) ありがたいことに市展に出して頂けました 弟は、硬筆推奨。姉は、毛筆・硬筆・絵画(初)入選 「私は、いったいモーツァルトは幸福だったろうか、と 問いもしないー私は彼を知っていた、彼は幸福だった ため しがないのだ」 トマス・バズビィ (文責:中川滿) 編集:田中 里枝 「やっと飛んだMRJ、写真もやっと撮れました!」 (土屋) (高野)