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144号 - 新社会党千葉のホームページ

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144号 - 新社会党千葉のホームページ
発行:新社会党千葉県本部
E-mail:[email protected]
TEL 03(5643)6002 FAX 03(3639)0150
HP URL:http;//www1.ocn.ne.jp/~nsp/
振替 00140-0-149727 1ヵ月 600 円 郵送料 1 ヵ月 164 円
てきて投票してくれま
や」という答えが返っ
び か け に、
「絶対にい
られていいの」との呼
の余地があるのかもし
レイアウトなどに検討
少ないのは、配り方や
変わらず受け取る人が
〜四季へのいざない〜
水明
したたりの脂に烟る秋刀魚かな
広島の土
石流で我が
子を失った
母親の悲痛
供に覆いかぶさって守
な声をテレビで聞い
今年は秋刀魚が獲れないと聞いてい
る。北海道根室漁港の水揚げ量は昨年の
ろうとした母の絵や写
し た。 投 票 の 結 果 は、 れません。しかし、無
の世情に危機感を持っ
十分の一だとか。一匹五百円でもおかし
めの工夫が必要だと感
関心をもってもらうた
ずです。もっと政治に
た っ ぷ り の 大 根 お ろ し を 添 え て の 一 品。
沖 で 獲 れ る も の が 一 番 脂 が 乗 っ て い る。
番おいしい時期は十月から十一月。銚子
くなるのが人情というもの。秋刀魚の一
である。そう思うと、また無性に食べた
くはないそうだ。もう高級魚の仲間入り
悲痛な叫びをあげてい
で、多くの母親たちが
い る。 そ の 戦 火 の 中
どの戦火が燃え盛って
略、内戦、武力抗争な
▼ 今 世 界 各 地 で、 侵
真と重なって聞こえた
た。原爆で空襲で、子
票、わからないが0票
ている人も多くいるは
じました。
もう言う事なしである。
死者は2千人を超えた
関心を装いながらも今
が投票に参加してくれ
でした。
弁して」
と断る人や
「署
えたが、すぐには日本
という▼過去の戦争を
票、賛成が1
駅前でリレートークや
ま し た。
「 み ん な、 油
名 簿 が 外 に 出 な い か 」 ました。それでも、「頑
年に現
反対が
現在、全国的に憲法
学者や作家が中心と
署名活動を合わせての
中・高校生や若い女性
なって「戦争をさせな
断していると徴兵制で
まだ暑さの残る夕方の
い 1 0 0 0 人 委 員 会 」 行動でした。
ピーカーを使わず、生
張って」
「ご苦労さん」
らは、実際の行動を通
に戻れず昭和
行使容認反対」のキャ
止」や「集団的自衛権
が関心が強く、多くの
シール投票では、年
配者よりも若い人の方
や子供たちが戦地に送
と か、
「君たちの彼氏
一人で二人の女の子を
地で病死。その後母親
はないか。今の戦火を
の戦争をなくすためで
学ぶのは、現在と将来
ことが特徴としてあり
育てた苦労話。父親か
どうしたら鎮められる
ンペーンをおこなって
の声で「戦争をさせな
と念を押す人もいるな
と、一声かけられ元気
しての実感です。
戦争に行かされるよ」
い ま す。 こ れ を 受 け
いための署名です」と
ど、個人情報に対する
をもらいました。これ
らの最後の手紙に「日
か、 私 達 も、「 平 和 国
6日、JR千葉駅前ク
マ反戦記念日」の8月
のことが通行人の目を
れ、少年兵として志願
行って活躍しろと言わ
で、 周 り か ら 軍 隊 に
ンを務めたほどの腕前
み、今でいうキャプテ
かを痛感しました。
がどれほど大切なもの
この他参加者から
様々な話がされ、平和
しながら話しました。
チを集めてゴルフと会
の中南米セールス旅行
会長ら250人と一緒
利用した人は、経団連
を見捨てるのか」とあ
これまでになく、多く
引 き、 計 1 4 6 筆 と、 「 稲 毛 を 住 み よ く す
る会」は、 回目の「ナ
リスタルドーム下で
「戦争をする国にする
をテーマに、街行く人
したこと。軍隊の中で
今、集団的自衛権の
行使容認が閣議決定さ
食で楽しい夏休みを過
る 批 判 の 声 や、 逆 に
「状況が変わったから
人の皆さ
様を綴ったもの。二つ
のイジメや暴力が日常
れ、
「再び戦争をする
地元から約
集団自衛権大賛成」等 ( 写 真 ) が 二 つ の 紙 芝
目 は「 も う も ど ら な
的に行われていた実態
各駅頭で「集団的自衛
居を披露。
その前に
「戦
い・パート3」で、知
ごしたらしい。現実の
にシール投票をしても
と言っていく人もいま
争体験を広めて平和の
国」にされようとして
代表の市川まり子さん
第 2 部 は、
「みんな
に遭った千葉空襲の模
から帰ると、オトモダ
いか。
何かできるはずではな
れば、首相なのだから、
いる現実を絶対に許し 「 母 と 子 」 が 念 頭 に あ
終りました。
れ、 代の女性からは、 体で確認して座談会を
父親が南方で終戦を迎
りえない事例で人情を
したが、脱原発や秘密
大切さについて訴えた
てはならないことを全
今回の取り組みで
は、戦争のできる国に
保護法反対署名と同じ
い」との思いを自分で
り合いの方に作曲して が話されました。
もらった曲に自分で詩 その後、参加者から
をつけた
「歌う紙芝居」 次 々 と 体 験 談 が 話 さ
権行使容認反対」のチ
く、進んで署名してく
絵を描いて紙芝居にし
でした。
らいました。始めての
れる人も多くいまし
て回るようになった経
20
んが参加しました。
最初の紙芝居は、「遺
第 1 部 は、
「 ち ば・ 言・再び繰り返さない
戦 争 体 験 を 伝 え る 会 」 ために」の話で、実際
た。 ま た、
「反対署名
向かう安倍政権に対す
シール投票でしたが
くの人が署名してくれた。
TEL 043-244-6865 FAX 043-244-6864
〒 104-0006 東京都中央区日本橋富沢町 7-9 京桜興産ビル 3 F
を 立 ち 上 げ、
「改憲阻
て、県内各地でも各種
訴えたり、立て看板と
関心が高くなっている
本の水が飲みたい」と
家」日本としても、考
チラシ配布では、相
行動が取り組まれてい
署名机に首相官邸前抗
ます。
議集会の写真を数枚貼
で話し合おう」という
あり、母親が仏壇に水
え行動しなければなら
この一環として、党
県中央ブロック(千葉
るなど、目立たせる工
ことで、初めに、呼び
を供えるたびに「お父
るだろう。ガザ地区の
総 支 部・ 市 原 総 支 部 )
かけ人の一人上野建一
さ ん、 日 本 の 水 だ よ 」 ない時ではないのか▼
夫もしました。これら
ガサキの日」
8月9日、
さんから、小学生のこ
と言っていたと涙を流 「 母 と 子 を 乗 せ た 米 艦
回目の「ヒロシ
稲毛公民館で「戦争を
ろから剣道に打ち込
は、
の署名をしていただく
語 る 座 談 会 」 を 開 き、
22
過が話されました。
ラシ配布と署名活動を
15
人 の 仲 間 が 集 ま っ て、 行いました。今回はス
佐倉では、創意工夫で、多
千葉市中央区新千葉 2-1-1 新千葉ビル 401
発行所:新社会党
36
党 佐 倉 総 支 部 で は、 ことにつながったので
こ と に 賛 成? 反 対?」
7 月 7 日 か ら 5 日 間、 はないかと考えます。
69
はするが住所記入は勘
70
69
(1988 年 1 月 18 日第 3 種郵便物認可)
週刊 新 社 会
(1)2014 年 9 月
2014 年 9 月 144 号
都市宣言」を決議して
原市議会で「非核平和
知 っ た 」「 命 を 粗 末 に
を今回の派遣事業で
機だけが機能していた
走っていない町の信号
が 誰 も い な い、 車 も
と言わせたい。原発は
ちに福島の物は安全だ
僚や原発推進する人た
害も大きい。大臣や官
はだまされた。風評被
ね ば と 思 っ た。 最 初、 「 絶 対 に 事 故 は 起 こ
らない」の安全神話に
れました。各生徒から
3日目には、この平
和大使の報告会が開か
り組んだ事業です。
がきっかけで、市が取
切だ」と提起したこと
が現地へ行くことも大
行委員会が「子供たち
た時、平和のつどい実
市と平和の映画会をし
襲の体験者からの話が
このあと、広島・長
崎の被爆者と東京大空
述べられました。
平和大使からの感想が
使の役割は大きい」
と、
は減っている。平和大
い」
「戦争を知る世代
日が何の日かわからな
た」
「中高生は8月6
祈り祈り祈り続けて
愛する人たちのやさしさ
色とりどりの折鶴たちに
)
ことにショックを受け
いらない。再生エネル
あり、相互交流がされ
「祈り」 作詞/佐々木裕滋(佐々木禎子の甥
た。今でも高い放射線
「戦争の
ギ ー で や っ て い け る、 の 感 想 で は、
ました。また、機会が
年 目 の 節 目 の 年 で、 してはいけないと思っ
量。そういう町で野生
怖 さ、 平 和 の 大 切 さ
委 員 会 主 催 で、「 第
回原爆の絵展」が開か
「 折 鶴 コ ー ナ ー」 と あ
がありました。
も戻れない。空き家に
特別講演(以下、
要旨) 配。自分の家があって
市原市では、平和事
業の一環として、今年
れました。恒例の各種
わせ、今回は、特別展
状腺がんや最近若い人
配。もう子供たちは福
合 い の 人 に 言 わ れ て、 ど、健康への影響も心
に派遣しました。今年
を平和大使として広島
泥棒が入っている。甲
示「福島のすがた―3・
最初は震災の写真を
撮るつもりはなかった
初めて、市内の中学生
で時間の止まった
の心筋梗塞が増えるな
戦争体験者と中学生の
きちんとした形で写真
は、昭和 年9月に市
町」写真展と特別講演、 が、被害に遭った知り
平和大使派遣報告など
島におきたくない。
争体験者との懇談会を
設けたいということを
確認して終わりまし
た。※下段に、佐々木
禎子さん(原爆の子の
像)の甥・佐々木裕滋
さんが作詞した
「祈り」
から東京高裁不当判決
理解雇法理の基本理念
回避すべきだという整
立って進んでいく」と
のその日まで、先頭に
を紹介します。
航空連・成田地方連絡
の概要と今後の闘いに
の闘いは、憲法を活か
と「千葉うたごえ」で
帯を広めていく」と決
名行動など、幅広く連
肯 定、 解 雇 回 避 努 力・ 「フェニックス合唱団」 あっての航空産業、署
見るものすべて愛しかった
皆のそばにいさせて下さい
歳の時白血病で入院しました。
歳で亡くなりました。この詩に曲をつ
け、歌手のクミコさんが歌ってヒットしました。
いもむなしく
千羽に達してもまだ折り続けました。しかし、その願
学校に行ける、友達にあえると信じて毎日折り続け、
禎子さんは、折鶴を千羽折れば、暖かい家に戻れる、
さんは2歳で被曝、
※広島平和公園にある「原爆の子の像」の佐々木禎子
二度と二度とつらい思いは
泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした
めぐりめぐり行く季節を越えて 今でも今でも祈ってる
他の誰にもしてほしくはない
別れが来たと感じます だから最後の気持ち伝えたい
本当に本当にありがとう 私は本当に幸せでした
祈り祈り続けて
泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
夢をつないだ毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
生きたいと思う毎日でした
もう少しだけでいいから
別れがくると知っていたけど 本当の気持ち言えなかった
こっそりと話しかけていました
化した動物たち、渡り
と述べました。
富岡町へ入ったら、人
鳥、生物など、今後の
8月8日(金)~
日(日)までの3日間、
2日目には、写真展
ブ、「 広 島・ 長 崎 の 原
爆写真・ポスター」
「満 「 福 島 の す が た 」 の 撮
ビデオ放映、ミニライ
影者・飛田晋秀さん
(福
市原平和のつどい実行
蒙 開 拓 団 資 料 」「 子 供
23
をまとめ、訴えていか
会も開かれました。
会、JAL不当解雇撤
決意表明。続いて客乗
「JAL不当解雇撤
回裁判」について、6
を逸脱するもの。労働
回裁判原告団、千葉中
ついて報告しました。
月3,5日に東京高裁
ものと批判しました。
る配慮のかけらもない 「 今 後 最 高 裁 に 向 け て
原 告 団 の 内 田 団 長 が、
千葉県共闘会議、千葉
央法律事務所、反失業
たことに対する原告団
県労働組合連合会で構
から不当判決が出され
からの記事を本紙前号
こ の 判 決 に 対 し て、 「 闘 い の 軌 跡 」 の D
JAL不当解雇撤回支 VD上映のあと、この
人選基準・手続きにつ
2曲演奏したあと、原
す社会をめざすことも
大きな柱になる。平和
援 ち ば 実 行 委 員 会 は、 集会を主催した中丸弁
いても、一審判決をそ
成されたものです。
共闘の仲間からの報
告、原告団で結成した
護士が「自由に解雇出
日夜、市川市内
のまま認めた。
これは、 告団が決意表明。
本部等にありますの
なお、署名用紙は、県
最初に、乗員原告団
の飯田副団長が「解雇
続いて、安原弁護士
とあいさつ。 条件で認めたものであ
ちば」
を開きました。 ていこう」
7月
来る社会を絶対に許さ
管財人の判断をほぼ無
意 表 明 で 終 り ま し た。
で「JAL東京高裁不
ないために総力を挙げ
高裁は、整理解雇の
要件を大きく緩和して
者の生活や権利に対す
報告前に打ち合わせる大使たち
当判決報告・決起集会
で紹介しました。
59
で、ご協力ください。
こ の 実 行 委 員 会 は、
12
11
あれば、平和大使と戦
折鶴を一羽折るたび 辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 暖かい家にまた戻れる
願いは必ずかなうと 信じて折り続けました
だけど涙が止まらない 近づく別れを肌で感じていたから
30
生態系への影響が心
10
た ち の 平 和 ポ ス タ ー」 島県在住の写真家)の
飛田さんが特別講演
撤回に向けて完全勝利
23
り、できる限り解雇を
in
14
(1988 年 1 月 18 日第 3 種郵便物認可)
週刊 新 社 会
(2)
2014 年 9 月
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