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木村太郎さん

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木村太郎さん
安倍内閣で、内閣総理大臣
補佐官
(ふるさと担当)
に就任した
衆議院議員
木村太郎さん
(きむら たろう)1965 年、青森県南津軽郡藤崎町生まれ(47 才)
。
1988 年 3 月、法学部法律学科卒。卒業後、三塚博元外務大臣の
秘書や青森県議会議員を経て、1996 年、衆議院議員に初当選。
農林水産大臣政務官、防衛庁副長官、衆議院安全保障常任委員長
などを歴任。昨年末に発足した第 2 次安倍普三内閣で、内閣総理
大臣補佐官(ふるさと担当)に就任。
るさと担当)
に就任した木村太郎さんは、本学法学部法律学科
の卒業生。職業として明確に国会議員を志したのは高校3年生
のときだったが、その原点は小学校時代にまでさかのぼる。生
まれ育った青森県・津軽への思いからだった。
「当時、青森県は日本一出稼ぎの多い県でした。農業を営む
家のお父さんたちが、農閑期に都市部の建設現場などに働き口
を求めて働きに出るわけです。僕のクラスにも、秋の収穫が終
わると父親が出稼ぎに行ってしまうという同級生がたくさんい
ました。小学校では冬になると、クラス全員で出稼ぎに行くお
父さんたちを励ます手紙を書いて送るんです。僕も友人のお父
さんのために手紙を書きながら、子ども心に
『青森をもっと豊
かにしたい』
と強く思ったことを覚えています」
ふるさとの発展と、日本の未来を拓くため、そして恵まれ
ない人のために、政治の道で努力したい……地元の高校を卒
業した木村少年は、大志を胸に上京し、東洋大学に入学する。
しかし、その学生生活は、一般の学生たちとは大きく趣を異
にしていた。それを象徴するのが、木村さんの東京での住まい。
故・田中角栄元首相の私邸、いわゆる
“目白の田中邸”
だ。木
村さんは、田中角栄氏の書生として、住み込みで働きながら
大学に通った。
“書生”
とは、他家に下宿して家事や雑務を手伝いながら勉学
や下積み修行を行う若者のこと。木村さんも学業のかたわら、
家の掃除、庭の草むしり、洗車、靴磨き、来客へのお茶出しな
ど、田中邸の雑用一切をこなしていた。
「仕事の合間を縫うようにして、目白から朝霞キャンパスに
通う日々でした。朝の仕事を終え、大学で講義を受けて家に帰
ると、また次から次へと仕事が待っている……同級生たちのよ
うに学生生活をエンジョイする時間は、
まったくなかったですね。
講義がないのにあるふりをして、
ただ眠るだけのために、
朝霞キャ
ンパス近くに下宿する友人を訪ねたこともありました
(笑)
」
「ふるさとの力」
が、日本を元気にする原点となる
昨年末に発足した第2次安倍内閣で、内閣総理大臣補佐官
(ふ
政治に対する忌憚のないご意見を聞き、党の政策立案に活かし
ていこうという趣旨でスタートしたもの。3年余りの間に431
回開催し、私自身も約70か所の集会に出席しました」
木村さんの補佐官就任は、こうした姿勢を政府でも継承した
いという安倍総理の意識の表れと言えるだろう。
「ふるさと担
当」
は、総理に対して地域活性化に向けた施策について助言す
る役割を担う。政治家を志した頃からの
“本懐”
を実現すること
ができる役職だ。それだけに、今後の仕事について語る木村さ
んの言葉は、自然と熱を帯びる。
「日本人一人ひとりが、ふるさとを大切に思う気持ちを育て
たい。それこそが地域を、そして日本を元気にする原点だと思
います。例えば、小学校や中学校で週に1日、自分のまちの歴
史・伝統・文化を学ぶための学習時間を設ける。また、従来の
中小企業対策とは異なり、従業員20人以下の小規模事業者を
対象に“ふるさとを元気にする”
という観点から事業を支援す
るといった施策も必要でしょう。こうしたアイデアは、旧来の
ような各省庁の縦割り行政では実現できません。そこに“ふる
さと”
というキーワードで横串を通すのが、僕の仕事だと思っ
ています」
グローバル社会の進展にともない、政府はグローバル人材
の育成を推進し、大学でもグローバル人材を育てるための教
育が行われている。そうしたなかだからこそ、木村さんは
「学
生の皆さんにはますます、ふるさとを見つめてほしい」
と願う。
12
卒業後は、大臣秘書や青森県議会議員を経て、1996年、衆
「海外への留学や、語学やコミュニケーション能力を向上さ
議院議員に初当選。農林水産大臣政務官や防衛庁副長官などを
せることは大切なこと。ただ、そのベースとして
“日本人とし
歴任する。2009年の総選挙で自民党が野党に転落すると、党は、
てのアイデンティティを確立する”
ことを忘れないでほしい。
少人数の集会で住民の生の声を聞く
『ふるさと対話集会』
を全国
外交や国際的なビジネス交渉の場面でも
“人間としてのブレな
各地で開催したが、木村さんは筆頭副幹事長として、このプロ
い軸”
があってこそ、交渉力を高める気品や気迫を生む。それ
ジェクトの責任者を務めた。
は日本人としての
“矜持”
から自然と醸し出されるものだと思
「
『ふるさと対話集会』
は、地域の皆さんと膝を突き合わせて、
うのです」
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