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平成18年11月01日 - So-net
院外茶話 vol.18 平成 18 年 11 月 1 日 ゴールデンレトリバー・ラブラドールの小犬が やってくる。獣医さんから突然その日を告げら れて、我家はパニックになった。名前を付けな ければならない。 父の提案。ノブナガ、リョウマ、ハンゾウ。 娘の提案。トム、チャチャ、その他。全く意見 が合わない。何か共通点を探さなければ。 当時、我家ではディズニーの動物映画「三匹 荒野を行く」が感動を呼んだ一作だった。二匹 の犬と一匹の猫が、いなくなった飼い主を求め て冒険をする話で、リーダー格がルーアという レトリバー。失敗ばかりをして仲間に迷惑をか けるボジャー。それにテオといういたずら猫の 三匹です。 様々なトラブルに巻き込まれながらも、最後 は雪山を超えて、飼い主を捜し当てるストーリ ーで、リーダーとなったルーアは誰もが憧れる 姿だった。そう、ルーアという名前がつくべき だったのである。 ところが残念なことに、我が家に小犬がやっ てきたときは映画を見てから、かなりの日数が たって、正確な名前を思い出せない。切羽詰ま った名付けの作業はテオで決まり。 テオ君の人生はそもそも出だしで、つまずい ていたのです。いたずら、食いしん坊、人好き という三原色のような生活が、我が家の二階で スタートしたのは 1992 年 7 月のことでした。 「過度のストレスを与えると、子犬は死ぬこ とがある」 獣医さんの言葉を過度に信じた妻は、どこに 行くにもテオを抱いたまま。部屋から部屋へ、 買い物へ、インドの女性が胸に赤ん坊を抱くよ うに。 こうして抱かれていても、たちまち成犬の体 何回か空き巣 何回か空き巣が 空き巣が入ったけど ったけど テオ君が テオ君が来て 君が来てから 来てから 我が家は安全になりました そのテオ君 そのテオ君がいなくなって 重になって、ある日事件は起きた。妻と娘とテ オ君が散歩をしていた時に、釘を踏んで歩けな くなったのである。正確には歩けないように見 えた。しかし、抱いて帰るには重過ぎる。結論 はおんぶだった。 何のとまどいもなくおんぶをする妻と、何の 不思議も感じずにおぶわれるテオと、人生で最 も恥ずかしかった日と振り返る娘。家につくと あざ笑うように、テオは二階に駆け上がった。 加減を知らない子犬と遊んだ後は、身体の 方々に咬まれた痕の血が滲む。このまま同じ家 で暮らすのは好ましくない。 まずはベランダに手製の小屋を作ってみた が、肝心のテオは部屋の中から犬小屋を眺める ばかり。ベランダに締め出すと、いじめにあっ た可愛そうな子犬を演じて、道路に向かって泣 いてみせた。 犬小屋案は一日にして挫折。今度は部屋の中 の一角に仕切りを作ってみたが、どう修理を重 ねてもどこかの隙間を見つけて脱出をする。無 理に入れようと思えば、風呂に入れられる猫の ように足を突っ張ってみせた。 こうして家族と同等の生活権を獲得したテ オ。長年にわたる盗み食いと、これを阻止する 戦いが始まった。 クリスマスイヴのこと。家族がスキーから帰 ってくる日に私は鶏を一羽、丸ごと茹でた。こ れをボールにいれて、後は味を付けるだけ。豪 華なクリスマスイヴになるはずだった。 大荷物の家族を駅まで迎えに行って、帰って みれば全員がびっくりするはずだったけれど、 鶏がいない。鶏小屋には入れなかったけど、ガ スコンロの奥に置いたのだからテオに届くは ずはない。第一、テオは出かけた時と同じ格好 で眠っている。しかし、台所の隅にはまるで洗 った後のように、きれいに舐めたボールが転が っていた。鶏が入っていたはずの。 った食欲に陰りが見えたのは、14 歳の誕生日を 迎える頃から。ドッグフードを嫌がったのは初 めて。鶏肉と野菜を煮ると喜んで食べたが、そ れも数日で、かろうじてしゃぶしゃぶ用の生肉 を口にしたのが、最後の食事だった。 次第に寝たきりになって、息遣いも浅い。起 きることもできない。身体を支えてやると、よ うやく頭を上げて水を飲んだ。 こうして迎えた 3 日目の朝に、最後の体力を 振り絞って水を飲んだ。ゼイゼイと息をしたが、 妻が抱いて身体をさすると一瞬顔が穏やかに なる。そのときに、もう翌日を迎えることはな いと知った。 その日は居間に布団を三枚引いて、川の字に なった。ゼイゼイは一層ひどくなり、ついに開 けた口から舌がたれた。上を向かせて、無理矢 理水を流し込むと、どうにか1口を飲み込む。 しばらくはゼイゼイが消えるが、あとは同じこ テオを閉じ込められないのならば、台所を守 との繰り返し。早かった息が、しだいに間を置 らなければならない。次にとった手段は、世に くようになった。 も珍しい、鍵のかかる台所だった。しかし、敗 息と息の間が 2 秒間になり、やがて 3 秒間に 因は居間に食事を運ぶための小窓にあった。 なって、もっと長くなった。もう苦しまないよ この窓はその後十余年にわたって、侵入の窓 うに、次の息をしないでくれと願いつつも、喉 口となった。 の痛みを思うと水を含ませる。 窓から侵入をするたびに、現行犯として叱ら 眠っていた娘を起こし、全員で身体をさすっ れるテオ。そのときは愁傷な顔をして見せるが、 てもう一度水を含ませると、かろうじてキャン すぐに横を向いて舌を出す。もっとも犬の場合、 と言った。最後にけいれんをするように二度四 舌を出すのは自然の動作かもしれない。それで 肢をつっぱって、そうして息をするのをやめた。 も悪びれずに人にすがって、犬嫌いな人でも膝 誰一人欠けることなく迎えた別れだった。 の上に顔を乗せ、たちまち犬好きにさせたのも、 妻はほっとしたと言った。私もそう思ったが、 一つの才能だった。 それはその時だけの思いだった。臨終とは一瞬 家族が一人減ったときに、ぽっかり穴があく の出来事であるが、そこに至るまで自然に移ろ が、それはやがて時が埋める。反対に新しい家 う姿には大きな感動がある。この日が来るのが 族が増えると、違和感を覚えるがこれも最初だ わかっていたから、良くも悪しくもそれまでの け。いつしか当たり前の家族になって、新聞を 14 年間を懸命に暮らした。 読むときには隣の椅子に座って、テレビを見る そして、ぽっかり空いた穴も時とともに埋ま ときには膝に顔を乗せて、休むときには布団に るはずだったが、一向にその気配がない。 入りたがる。 人好きで裏のない表情には、これまで何回苦 しみを癒されたかわからない。日常も旅もとに かく共に過ごして十年余。11 歳のときには大き なてんかん発作を起こして、一時は長の別れも 覚悟をしたが、それでも数ヶ月のリハビリを経 て復活した。再びテーブルに上って台所の小窓 をくぐった時には、怒りを感じる前に嬉しかっ た。 しかし、不死身のような回復力にも限界があ り、散歩の時にはつまずいて転び、やがて階段 の上り下りもできなくなった。それでも旺盛だ