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アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開: ク

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アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開: ク
Kobe University Repository : Kernel
Title
アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開 : ク
ーヒーの幾何学的著作から(The Origin and
Development of the Geometrical Ideas in Arabic
Mathematics : The Synopsis of the Geometrical Works
of al-Quhi)
Author(s)
三浦, 伸夫
Citation
国際文化学研究 : 神戸大学国際文化学部紀要,25:65-106
Issue date
2006-01
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00517637
Create Date: 2017-03-31
6
5
アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開
クーヒーの幾何学的著作から
三浦伸夫
はじめに
アラビア数学といえば最初に思い浮かぶのは代数学といえるほど、代数学に
おける展開には顕著なものがみえる
O
実際、 a
l
g
e
b
r
a (代数学)はアラビア語
a
l
j
a
b
r に由来することはよく知られている
O
だがしかしアラビア数学の貢献
はそれだけではない。数論、三角法、組合せ法など、さまざまな数学分野で目
覚しい展開を遂げたことが近年明らかにされつつある l。これらの発展の契機
はそもそもギリシャ数学の翻訳導入であったので、ギリシャ数学を特徴付ける
幾何学がアラビア数学においては枢要な位置を占めたのは当然である ただし、
O
彼らアラビア数学者はどこからギリシャ幾何学を受け取り、それをどのように
展開したのかはいまだ十分には解明されていないのが現状である O たしかにア
ラビア幾何学において、新しい定理が発見されたとか、その後の西洋数学の展
開に多大な影響を与えた著作が書かれたとかいうのは少ないように思える O し
かし、アラビア数学で著名なオマル・ハイヤーム自身が 3次方程式の幾何学的
解法、すなわち円錐曲線の交点上に解を見出す方法を確立するには、その準備
としての幾何学の成熟がとりもなおさず必要であった。以下では、そのオマ
ル・ハイヤームが「イラクでもっとも偉大な幾何学者のひとり」と言及した 2
クーヒーという数学者の著作を取りあげ、アラビア数学における幾何学的発想
の起源と展開の一端を検討する D
1• クーヒーの生涯
アブー・サフル・ウィージャン・イブン・ルスタン・アル=クーヒーは 1
0
6
6
世紀後半に活躍したペルシャ人数学者である 3。彼がベルシャ人であるという
のは、名前にアルニクーヒーすなわちクーフ(カスピ海南岸のタパリスターン
地方:クーフとはペルシャ語で、山を意味する)という地名が付き、その地の出
身を示し、またルスタンというベルシャ叙事詩の英雄の名前が含まれているこ
とから明らかである D しかし当時の他の学者たちと同じように、生地のみなら
ず生没年も今日では不明である O ある伝記作家によると、彼ははじめバグダー
ドでガラス瓶の曲芸師として活躍していたが、学問に打ち込むためにそれをや
めたという九これ以降彼はアルキメデスの著作を研究し始めたようである O
彼はバグダードのブワイフ朝の 3人のアミール、アブドルニダウラ、その息子
のシャラフ・アツニダウラ、そしてサムサーン・アッ=ダウラに仕えた。彼ら
3人の統治が962-989年であるから、クーヒーの活躍したのは 1
0世紀後半であ
る 確実な年号で言えることは、 9
69-970年のシーラーズと 9
8
8年のバグダー
O
ドでの天文観測に参加したことである O 前者の観測はアブドッラフマーン・ア
ツ=スーフィーが指導したもので、後者の観測ではクーヒーは天文器具を建造
し、またそこで有名な数学者であるアブル=ワファーに出会っている。さらに
彼はパスラにも滞在した。彼は当時からたいへん著名な数学者であり、先にあ
げたオマル・ハイヤーム以外にも、ビールーニー、イブヌル=ハイサムなど多
くの数学者が彼の名前に言及している 50
なお、彼の名前に関しては、文献上はウィージャン・イブン・ルスタンとか、
アブー・サフルあるいはアル=クーヒーと呼ばれることもあるが、本稿では定
冠詞を略して簡単にクーヒーと表記しておく
O
2.クーヒーの著作
先にあげた生涯ではクーヒーは天文学の専門家のようにみえるが、それは彼
のパトロンであるシャラフ・アッ=ダウラが、アッパース朝のカリフ、マアム
ーンを見習い天文学に打ち込み、クーヒーはその天文学上の助手をしていたか
らである
O
しかし彼の業績は、以下で検討するように数学、しかも幾何学に尽
67
きるといってよい。彼の著作はすべて当時の学術語であるアラビア語で書かれ
ており、アラビアの初期学術著作の膨大な写本目録を作成した文献学者セズギ
ンは、クーヒーの数学に関する著作を 29点挙げている 6。ここではまずそれら
を順に記述し、さらに内容の説明を加えておこう
O
なお、表題のないものは[]
内に仮の題を補足しておいた。
1
.1
完全コンパス」
片方の足の長さが変化し、他方の足は描く面に対して固定された角をな
すコンパスで、円錐曲線を描くことができる
ーベや日時計を作図することができる
O
O
これを用いてアストロラ
作図可能性の証明部分と、理論
編の二つの独立した論考70
2
.1
正 7角形の 1辺の導出について」
放物線と双曲線の交点上に頂点を求めている 80
3
.1
与えられた正方形の中での等辺 5角形の作図について」
双曲線の交点を用いて幾何学的に求めている 90
4. 12本の線の聞に互いに連比になるように 2本の線を見出すこと、および
角の三等分」
前者は立体倍積問題に帰着され、アブー・バクル・アル=ハラウィーの
方法と同じである O 後者はシジ、ユジーの方法と類似している loo
5
.1
回転放物面体の体積の計測について」
ク}ヒーはサーピト・イブン・クッラの同じタイトルの書を見て、それ
が冗長で難解なので、系の数を減らしたという O これには 3種の異なる
写本が残されているが、そのうちごっはオリジナルからの改定版である
O
それらはラシェッドの研究に詳しい 110
6
.1
角の三等分について」
7
.
1
1線から 3線に落ちるものの比について」
8
.1
アナリュシスを用いて、与えられた線に対しである点から 2直線を引く
ことについて」
6
8
表題の主題に従う 1
1聞からなる九
9
. ,アナリュシスの方法による線上の接円の中心について」
二つの与えられたもの(点、直線、円のどれでもよい)に接する(通る)
円の中心を、与えられた線上に描く 8聞からなり、円錐曲線を用いて解
いている 130
1
0
. ,3線上に落ちる 1本の線の諸部分の比について」
1点と 3線が与えられ、この 1点を通る線を描き、それが与えられた 3
線によって切り取られる部分が、与えられた比になるようにする問題を
5題集め、アナリュシスとシュンテシスを用いて解いたもの O これはア
ポロニオス『比の分割』に関連する問題である 140
11
. ,幾何学的問題」
1
2
. ,幾何学的問題」
1
1と1
2は同系列のもので、二つの幾何学的問題を扱っている。最初の問
題は、アポロニオス『平面の軌跡、』の最初の問題の特殊例で、円の軌跡
を扱う
O
二つの問題は相互に関係はなく、また双方はクーヒーのより完
全な著作の断片と考えられる九
1
3
. [黄道上の知られた弧の上昇時間]
これには題名はないが、メネラオスの定理を論じ、黄道上の点の上昇時
間を白羊宮の 0度からの赤道上の弧と定義している 160
1
4
. ,ユークリッド『原論』第 1巻と第 2巻
」
第 2巻では、命題を並べ替え、そこに 1
7の命題を新たに加えている O こ
の第 2巻の一部はアラビア語訳ユークリッド『原論 j (イスハークニサ
ーピト版)のある写本に挿入されている 170
r
1
5
. ,円錐曲線論J第 2巻と第 3巻に必要なもののために、ユークリッド『原
論』第 2巻に付け加えられた諸定理についてのアブー・サフル・アル=ク
ーヒーの主張から」
これはアポロニオス『円錐曲線論J第 3巻命題2429で双曲線が議論さ
・
れる際に補助的役割をする五つの命題である 180
6
9
1
6
.I
第 3巻の末尾に付加された命題についてのアブー・サフルの主張につい
てJ
1
7
.I
ユ}クリッドの書の第 1巻にみられる定理の要約」
1
8
.I
ユ}クリッド『原論J第 1巻の定理の要約 J
1
9
.I
直径の周に対する比が、 1対 3と七分のーの比であることについて J
円周率が
3
7
であることを示す 0
2
0
.I
平面への球の分割」
21
.I
アストロラーベの製作とその証明」
アストロラーベ製作のために必要な立体射影法を論じた 2巻。実践的な
書物というより理論書であり、各論題には証明が付けられている O ただ
し場合分けが不完全で、アナリュシスが用いられておらず、また扱う題
材から理解は容易ではない。これにはアブー・サウド・アル=アラー・
イブン・サフル (10世紀後半)による詳細な注釈がある 190
2
2
.I
キブラの方向の探究」
アブー・サフルからアブー・イスハーク・アツニサビーへの返信J
23と2
4
.I
これは計 6通のうち 4書簡が残されている
O
アブー・イスハーク・ア
9
4
) はブワイフ朝の官吏で、数学者ではないが、ク
ッ=サピー(?-9
}ヒーの数学的思考を書簡という媒体を通じて見事に引き出している 200
第一書簡(現存せず):アブー・サフルからアブー・イスハーク宛
第三書簡以降から推測すると、この第一書簡では、円弧と弦のつくる図
形の重心と、円周率の有理性とについて述べたようである
O
第二書簡(現存せず):アブー・イスハークからアブー・サフル宛
第一書簡と同じ主題について論じたと考えられる
O
第三書簡:アブー・イスハークからアブー・サフル宛
第二書簡以降文通に聞が生じたので、それについての詫び状。
第四書簡:アブー・サフルからアブー・イスハーク宛
アブー・サフルは自著で述べた重心について語り、円周率を 28/9とし
ている
O
7
0
第五書簡:アブー・イスハークからアブー・サフル宛
アブー・サフルが与えた円周率がアルキメデスのものと矛盾することを
指摘。円の切断に関する問題を提起。
第六書簡:アブー・サフルからアブー・イスハーク宛
r
r
「知られた J 必要J 一般的に受け入れられた」という用語について議
論。アルキメデス『円の計測 Jは近似値を問題としており、アルキメデ
スのほかの著作
r
(
球と円柱について j r
補助定理集 j
) と議論が異なり、
粗雑で「熟練した計算家の仕事ではない」として、クーヒーはそれを偽
作と判定している O またアブー・イスハークの提示した問題を作図し証
明する。
r
2
5
. アルキメデスの著作第 2巻の中の空白を満たすために」
このオリジナルは残っておらず、ナシールッデイーン・アッ=トゥーシ
ーによるアルキメデス校訂版の末尾にその一部が含まれている O
r
2
6
. 補助定理集」
ギリシア語原典は消失したアルキメデスの書『補助定理集 Jについて論
じたもの九アルキメデスのその書はすでにサーピト・イブン・クッラ
がアラビア語に翻訳し、ナサウィーがそれに注を施している
O
r
2
7
. 空と海の見えうる部分の大きさを知ることについて」
島にある塔の頂上から見えうる水平線の傭角を幾何学的に論じたもの D
灯台の建設に必要な知識であると述べている
O
ここに含まれるクーヒー
の誤りを後にサマウアルは『天文学者たちの誤りの暴露』で正してい
る九
r
2
8
. 有限の時間に無限の運動が存在するということについて」
これは短い論文であるが興味深いものである九
r
2
9
. 線上に、面の比に従う点を見出すことについて」
消失
このほかにセズギンは別の目録で天文学の著作を 4点紹介しているがヘそ
7
1
のうちの 3点は上で述べたものと同じ (
2
1と22と2
7
) なので、新たな 1点だけ
を取り入れておこう D
3
0
.I
地球の中心と流星との間の距離を知ることについて J25
地球上の 2地点から流星を観測し、幾何学的に論じたもの D 従来流星研
究はアリストテレスの説に従って気象学の対象であったが、これ以降ア
ラビアでは天文学で扱われるようになったことを示唆する重要な論文で
ある o 985年ころに執筆された。ビールーニーによる注釈「急降下星に
ついてのアブー・サフルの主張に関する論考」のもとになったものであ
るかもしれない九
セズギンが選定したもの以外に次の作品が今日知られている
O
3
1
. [幾何学的問題]
シジュジー『彼とシーラーズやホラーサーンの幾何学者たちが議論した
問題の抜粋と彼による解説 Jは45聞からなる幾何学問題集であるが、そ
の中にクーヒーが提出解答した問題が1
2
種1
8問含まれている o これらは
おそらくク}ヒーのすでに消失した著作から取捨選択されたものと考え
ることができる
O
その本来の表題は不明で、はあるが、扱っている内容か
1,1
2とは内容が異
らここでは『幾何学的問題Jとしておく (ただし、 1
、『比の分割 J
、
なる)。それらの多くはアポロニオスの『円錐曲線論 J
『平面軌跡 Jに関係するものである九ここではクーヒーがシジ、ユジーに
問題を提起する形となっていることから、前者が後者の学問上の師であ
ることが示唆される 280
3
2
.I
正 7角形の作図について」
比が 1
:
2
:
4となる角を双曲線と放物線の交点上に求めることで 1辺を出
す。セズギンはこれと 2とを誤って同ーとしたが、数学史家アンプーパ
は別物と正しているお。
7
2
3
3
.I
角の三等分について」
これは 4,6とも異なるもので、
トルコのマニサにその写本が保存され
ている九
以上のクーヒーの著作はその題材にしたがって次のように分類できる。
内容
著作番号
アルキメデス:
25 (球と円柱)、 26 (系理)、
5 (放物線の求積)、
23,24
14,1
5,16,1
7,1
8(
r原論J第 1, 2, 3巻
)
、 4,
ユークリッド:
7,30 (比)
9 (接触)、 1
,
1 1
2 (平面の軌跡)、 1
0 (比の分割)、
アポロニオス:
2, 3,32 (正多角形と円錐曲線)、
1,31 (その
ほか)
1
3,22,31
天文学:
アストロラーベ: 2
1
角の三等分:
4, 6,33
光学:
27
円:
19
運動:
28
ここで、角の三等分、アストロラーべなどに分類したものではほとんどすべ
てにわたって円錐曲線が取り扱われ、運動、天文学、光学も自然学的ではなく
幾何学的に議論されていることに注意しておこう
O
その意味でクーヒーの著作
対象は幾何学に限られていたということができる O さて、以上の論文はいかな
る写本に含まれているのであろうか。それら写本群を調査することによって興
味深い事実が見えてくる
O
今日残されているクーヒーの著作が含まれる写本は限られており、その多く
7
3
はカイロ、パリ、イスタンブル、パトナに保存されている次の写本である
O
写
本番号の後の括弧の中に、その写本に含まれる大部分の作品が筆写されたおお
よその年を示しておいた。
カイロ
DR40m (
17
4
0年頃)
2, 3, 4. 5,
6,1
1,23,24
パリ
イスタンブル
DR41m (
1
7
4
0年頃)
1
.1
4
BN2457
8, 9
BN4821 (1150年頃)
2, 3,1
0
Aya4830 (
12
3
0年頃)
3, 6, 7
.1
2,1
7,
1
9,28
Aya4832 (1170年頃)
3, 4, 5,1
2,1
3,
2
3,27
パトナ
B
a
n
k
i
p
o
r
e2468 (1234年)
1
5
W
市
ゼ
凶
h
別叫碍均邸込 恥
吋
A
,
協
F
も
4
L
ど
a
梅
命
議
砧
活
写真 1 BN2
457f
.
2
0
v
写真 2 DR41mf
.
9
5
r
もちろんクーヒーの著作を含む写本はこれらに限ったものではない。たとえ
74
ば、「与えられた正方形の中での等辺五角形の作図について」はパリの写本BN
4
8
2
1だけではなく、他にもテヘラン、ダマスクスなど 5箇所に保存されてい
る九しかし、上のように、ある特定の写本にクーヒーの作品が含まれている
ことは興味深い。すなわちある目的でクーヒーの著作が集められ筆写されたこ
とを物語るからである O まず筆写された年代がわかるものを見ておこう
O
カイロのもの 2点は、筆写師として著名なムスタブアー・シドキー・イブ
ン・サーリフによって 1732-46
年にかけて筆写されたが、原本はず、つとさかの
4
5
7は、有名な数学者シジュジーの自筆の論文が含ま
ぼ る 九 パ リ の 写 本BN2
れていることでも重要である O ただし写本全体がシジ、ユジー自筆であるわけで
はない。ともかくクーヒーと同時代に書かれたものである O イスタンブルの写
本 Aya4
8
3
2は、いつ筆写されたかは不明であるが、その写本の記述によれば、
1
1
7
3年 3月 6日にイブン・アルニハマーミー某が購入したという O クーヒーの
活躍した時代から 2世紀もたってはいない。
ところでこれらの写本群の内容は王として幾何学である O そこには代数学、
天文学などはあまり含まれていない。幾何学をあえて選択して写したことがわ
かる O クーヒーの生きた時代には幾何学的問題を扱った問題集のごときいくつ
かの作品が他にも書かれていた。イブラーヒーム・イブン・シナーン『問題集
成』がその代表であろう九それらは決してひとつの体系的著作というもので
はなく、むしろ多くの問題の集成にすぎないものである O しかし、それらは、
古代ギリシャの幾何学の展開と完成を目指したものという意味で、歴史上決し
て見過ごせない重要な論考群なのである O
3.研究体制
ここでクーヒーの時代の研究体制について触れておこう
O
当時の学術コミュ
ニケーションにはまず文通がある O 上の著作目録で言及したように、クーヒー
とアブー・イスハーク・アツニサビーは数学上の文通を 6編交わし、そのうち
4書簡が残されている O またクーヒーと同時代のシジ、ユジーに関しては、今日
7
5
知られているその作品 35点のうち 22点が書簡なのである O ところで書簡はアラ
ビア語で r
i
s
a
l
aで、あるが、これはまた論文をも意味し、アラビア語の作品の場
合、表題だけではそれが書簡をあらわすのか論文をあらわすのか必ずしも判明
しないことがある O クーヒーの「地球の中心と流星との間の距離を知ることに
i
s
a
l
aが付けられている
ついて」も、本来は r
O
また有名なイフワーン・アツ二
サファーの作品も同様に複数形で、 r
a
s
a
'
i
lと呼ばれ、「書簡集」なのか「論集」
なのか判別しづらく、むしろ両義的であるといったほうがよい場合もある O
次いで、後に論文「運動について」の紹介でも述べることであるが、ブワイ
フ朝宮廷内の学者間の交流を指摘しておこう O ブワイフ朝宮廷ではさまざまな
分野の学者たちがカリフの下で交流し、刺激をし合った。それが新たな研究課
題を生み出し、また研究方法確立へと向かわすことになった。研究の情報交換
の場のひとつが宮廷にあったのである o こういった宮廷の役割はギリシャ世界
でも中世ラテン世界でもあまり生まれることはなく、このことからアラビア科
学をパトロンの存在なしではありえない「宮廷学問 Jと特徴付けることができ
るO
先に見たように、クーヒーはバグダードのブワイフ朝の 3人のアミールの宮
廷に出入りし、著作のいくつかを彼らに献上している。「地球の中心と流星と
の聞の距離を知ることについて」の冒頭は、サムサーン・アッ=ダウラへの次
の献辞の言葉である o
我が主サムサーン・アッ=ダウラが諸王に増して学者文芸家たちに関
心を寄せるのを、また古代人たちの学問やその他の学問が諸王に増し
て彼の現前では頻繁に言及されるのを見て、我々は、彼[=サムサー
ン・アッ=ダウラ]が知識、慈悲、洞察において、そして彼の時代の
諸王に流行していた美徳においてすべての王を凌駕することを知る
O
同様にして王の僕は、王の権威、庇護、確かな判断を通じて、そして
王の財宝から寛大なる金を拝領し、他の学者たち以上に王の支持を得
て、地球の中心と流星との間の距離を導き出す職務に急ぐのである 34
7
6
ここでは通常の献辞の言葉以外に、具体的に「王の財宝からの寛大なる金の
支出」と言及され、献辞の言葉が儀礼上だけではないことが読み取れる D そし
てサムサーン・アツニダウラがこの天文学的問題に関心を寄せていたこともわ
かる O
4.アラビア語訳されたギリシャ幾何学
クーヒーの著作を調べその方法の特徴を検討する前に、アラビアはギリシャ
からどのような著作を受け取り、それを消化していったかを概略しておこう
O
アラビア世界では 9世紀はじめバグダードでギリシャ語からの大翻訳運動が
開始した。ここではクーヒーの数学的発想の源泉となった 3人の重要なギリシ
ャ数学者の著作のアラビア語訳を見ておこう九さらにクーヒーが彼らの著作
をどのように受容し、発展させたかに言及しておこう D
(1)アルキメデス
r
2巻は、
アラビア語訳で存在するものは次の作品である o 球と円柱について J
パヌー・ムーサー、サーピト・イブン・クッラ、フナイン・イブン・イスハー
r
ク、クスター・イブン・ルーカーの 4人の学者によって別個に訳された 360 円
の計測』はサービト・イブン・クッラとフナイン・イブン・イスハークによっ
て 2度訳された。これら二つはのちにトゥーシーによって新版が作られた。
『補助定理集 Jはサービト・イブン・クッラが訳したものが現存しにさらにそ
れにナサウィーが注釈を加えている O そのほかにアラビア語訳が存在するもの
は、『円に内接する正 7角形の辺の計測 J(真作性は疑問視)、断片で存在する
r
のは『ストマキオン J 浮体について jである
O
最後の 4点のギリシャ語原典
はもはや存在しない。その他に、アラビアで言及されているが消失したものに
r
は、『幾何学原理 J 直角三角形の特性 Jなどがあるが、これらはギリシャで言
及されていないのみならずギリシャ語原典も存在しない。
ここでアルキメデスの重要な著作であるがアラビアには伝わらなかったもの
7
7
に言及しておこう
o
r
放物線の求積 j r
螺旋について j r
コノイドとスフエロイ
r
ドj 方法 Jである。それらがアラビア語に翻訳された形跡はない。ところが
興味深いことに、『放物線の求積 Jなどその一部の内容はアルキメデスとは
「独立して」アラビアで独自に研究されているのである
O
アラビアの数学者た
ちはアルキメデスの作品を知らずしてその主題の発見を行ったようであるお。
さてクーヒ}にはアルキメデスの継承が 4点見られる
O
最初は正 7角形についてである O これに関してクーヒーは 2点論文を残して
いるが、これはアラビア語訳のみが存在する『円に内接する正 7角形の辺の計
測』から発想を得たものであろう O その作品自体はアラビアではアルキメデス
に帰されてはいるが、実際はギリシア起源ということ以外には確かではない。
次は重心についてである D 重心の問題はアルキメデスが得意とするところで
K
E
V
r
ρo
s
.
α
ρl
K
f
x
) などで
あった。それは消失したアルキメデスの著作『重心 j (
論じられていたはずである
O
クーヒー自身は「てこの原理Jを「前提」と呼ん
でいるので、アルキメデスの証明を知らなかったようである。それをはじめと
してク}ヒーは、アルキメデスの著作を知らずして平面図形や回転放物面体の
重心を求めたようである O 放物線や円錐の重心に関してはギリシャでも議論さ
れたが、それらの著作がアラビアには伝わった形跡はないからである
O
したが
ってクーヒーは、ヘロン『機械学』やパッポスによるわずかな言及などを通じ
て重心問題に関心を持った可能性がある 390
第三は回転放物面体の体積である。クーヒーは、サービト・イブン・クッラ
の論述が理解に容易ではないので解説を加えたという。クーヒーのその書物は
イブヌル・ハイサムに影響を与え、後者はクーヒーに言及している 400
最後はアルキメデスの空隙を埋めたことである。アルキメデス『球と円柱に
ついて J第 2巻第 5.6命題には
I
I
-5 ひとつの与えられた欠球には相似で、第二の与えられた欠球に
は表面積が等しい、第二の欠球を作図すること
I
I
-6 ひとつの与えられた欠球には相似で、第二の与えられた欠球に
は体積が等しい、第三の欠球を作図すること 41
7
8
とあるが、その拡張としての「ひとつの与えられた欠球には表面積が等しく、
第二の与えられた欠球には体積が等しい、第三の欠球を作図すること」はアル
キメデスには見られない。その問題をアルキメデスは省いたとして、「アルキ
メデスの著作第 2巻の中の空白を満たすために」でクーヒ}は円錐曲線を用い
て解を示し、全体を完成に導いた。
(2)アポロニオス
アポロニオスの主著『円錐曲線論』は本来 8巻であったが、今日ギリシャ語
原典は 1・4巻しか残されていない。ところが 1・7巻のアラビア語訳が存在す
る 最初の 4巻は円錐曲線の基本を扱ったもので、したがって古代末期のエウ
O
トキオス (6世紀初め)が注釈したのもその部分であった。まずヒラール・イ
ブン・アビ}・ヒラール・アツニヒムシーがエウトキオスの版である最初の 4
巻を、そして続く 3巻は他の版を用いてサービト・イブン・クッラが訳した。
そして全体をパヌー・ムーサーが訂正した。第 8巻はアラビア語でもギリシア
語でも現存しない。したがって西洋では 1
7
世紀以降その巻の復元が試みられる
ことになるが、アラビア世界でそれをおこなったのはイブヌル・ハイサムをお
いてはいないようであるへ『円錐曲線論Jは今日までに 5種のアラビア語写本
が存在する O アポロニオスのほかの多くの作品については、ギリシャ語原本は
すでに失われており、ごくわずかのギリシャ語断片か、パッポス『数学集成』
第 7巻のなかの言及でしかそれらの内容を知ることはできない。例外は『比例
切断 j 2巻で、そのアラビア語訳が存在する 430 ただしこれは翻訳というより
むしろ改編といったほうがよいものである
O
というのも、パッポス『数学集成 J
第 7巻がアポロニオスのその作品に言及し、それが年代上ではよりアポロニオ
スのものに近いと考えられるが、それと比較するかぎり内容が異なるからであ
るO のちにこれは先の『円錐曲線論Jのアラビア語訳ともに、ハレーによって
1
7
0
6
年にラテン語訳が付けられ出版され、西洋世界でもようやく知られること
となった。また、不規則な無理量というものを扱った論文のアラビア語訳が存
在するが、その意図するところは不明である
その他に、水力学、滑車を扱
7
9
ったものがアラビア語訳
(
K
i
t
a
bf
ia
l
B
a
k
r
a
) で存在する o r
面積切断 J1巻
、
『接触 J2巻、『平面軌跡 J2巻、『傾斜 J2巻のギリシャ語原典は消失したが、
それらの断片とおぼしき内容がシジ、ユジーやイブラーヒーム・イブン・シナー
ンの著作に含まれ45、したがって何らかの形でそれらがアラビア世界に知られ
ていたことが伺える O また『定量切断 J2巻については、サーピト・イブン・
クッラがその第 1巻を訂正して研究したものが残っている o 以上の他にアポロ
ニオスには次の著作があったとされるが、一部断片は残されているものの、詳
1
2面体と 20面体の比較』、『一般論文 J(,措定された
細は不明のものが多い。 r
1
6、『速
もの」や数学原理を扱う)、『円柱螺旋 J(円柱上の曲面を扱う)、『火鏡 J
π の近似値を求め、また大きな数を表す表記法を考案したという)、
出産 J(
『反射光学の著作者たちへ』九その他、アポロニオスは天文学においても活躍
したことはよく知られている D
ク}ヒーはアポロニオスの真の継承者でもある D トゥーシーは教育的配慮か
ら「中間の書J(
k
u
t
u
ba
l
・
m
u
t
a
w
a
s
s
i
t
a
t
) を提唱し、ギリシャ数理科学書の二
大作品である『アルマゲスト Jと『原論Jとを目指すべく学ぶべき書物をあげ
ている O ギリシャ幾何学の継承者であるクーヒー自身は教育目標を残している
わけではないが、彼は最終目標を、プトレマイオスやユークリッドではなくア
ポロニオス『円錐曲線論Jの適用においているようである O
(3)ユークリッド
『原論Jは 2種のアラビア語訳が存在する。まずハッジャージ版である O ア
8
6-8
3
3
) はカ
ルニハッジャージ・イブン・ユースフ・イブン・マタル(五 7
786-8
3
3
) に、ヤフヤー・イブ
リフ、ハールーン・アッ=ラシ}ドの治世下 (
ン・ハリード・イブン・バルマクの命により「原論Jをギリシャ語からアラビ
ア語に翻訳した D しかしこの翻訳はすでに早い時期に消失した。さらにカリフ、
マアムーン治世下に第 2版を完成した。これら 2点のハッジャージ版はさらに
それぞれカリフの名前を取りマンスール版とマアムーン版とも呼ばれる D 次に
イスハーク=サービト版がある O イスハーク・イブン・フナイン(?-910/11)
8
0
は 9世紀末に『原論』をギリシャ語からアラビア語に翻訳した。これはすでに
消失してしまったが、それを後に編集したサーピト・イブン・クッラによるも
8点の写本で現存する
のは少なくとも 1
O
アラビアではこの二つの伝統の下にお
およそ 50人の学者が『原論』を改訂した。
『デドメナ Jは 9世紀にイスハーク・イブン・フナインが翻訳し、のちにサ
ーピトが改訂した。これは『原論』ほどには普及しなかった。しかしそれはト
ゥーシーによって校訂され、それが多くの写本で残されている O トゥーシーは
r
この著作を「中間の書」のひとつとして、『視学j 天文現象論』と同じように、
『アルマゲスト Jを目指して読むべきものと定めたので、
トゥーシー版のほう
は教育に重用され、その結果としてその写本が各地に数多く現存するのである。
サービト・イブン・クッラは『デドメナ』をもとにして『与えられたもの』を
著し、これは現存する
O
また『デドメナ』への付加はクーヒーがおこなった。
その他、ユークリッドの著作のアラビア語訳あるいは改編・改作には、『図形
r
r
分割論 j 天秤について j 重さと軽さについて』がある 48D
クーヒーが継承したのはユークリッド『原論』の一部と『デドメナ』である
クーヒーの
O
r円錐曲線論』第 2巻と第 3巻に必要なもののために、ユークリ
ッド『原論 J第 2巻に付け加えられた諸定理についてのアブー・サフル・ア
ルニクーヒーの主張から」の 1-4命題は、「ユークリッド『原論j 第 1巻と第
2巻Jの第 1
6,1
8,20,22命題と同じであるが、証明はかなり簡略化されてい
るO さらに第 5命題は第 26命題と一部同じである 490 これら五つの命題はアポ
ロニオス『円錐曲線論』第 3巻命題24 29で用いられるものであるが、アポロ
・
ニオス自身はそれら補助定理に関して詳細については述べていない。したがっ
てパッポスはこれらの定理が補助として必要であると議論したのであるが、そ
のパッポスの書はアラビア語に翻訳されることがなかったので、クーヒーはそ
の書を知らず独自でそれら補助定理を発見したのであろう O その他にもクーヒ
ーは『原論Jの命題について議論するが、多くは線分の積(すなわち面積)の
同等性や比の議論であり、円錐曲線を議論する際の補助となるものであった。
したがって『原論Jそのものを目的として議論したものではないと言うことが
8
1
できる
O
クーヒーにとって『原論』はあくまでも『円錐曲線論Jの補助であっ
たのである
O
またクーヒーは『デドメナ j の命題をそれと言及せずに用いてい
るが、それは彼にとってその書は基本文献であったことを示している
O
以上から、クーヒーは古代ギリシャの 3人の数学者の著作を補完し、最終的
目的を『円錐曲線論Jに措呈していたことが伺える
O
次に、円錐曲線の適用を扱ったクーヒーの論文の問題をいくつか概観し、ク
ーヒーによるアポロニオスの継承とその方法を探ってみよう。
5
.t
妾円の中心について
クーヒーは「アナリュシスの方法による線上の接円の中心について」で次の
八つの問題を論じている O
[問題 1.]直線ABが位置において知られ、 2点C
.Dが知られているとせ
上に、知られている 2点
C
, D
よ 位置が知られている直線AB
O
を周が通る円の中心を見出せ。
.
] 位置において知られている線AB上に、位置の知られている 2
[問題 2
直線CD,EGに接する円の中心を見出せ。
.
] 位置において知られている直線AB上に、位置の知られている
[問題 3
直線CDに接し、知られている点Eを通る円の中心を見出せ。
.
] 位置において知られている線 ABが直線ではないとするとき、
[問題 4
その上に、位置の知られている直線CDに接し、位置の知られ
ている点Eを通る円の中心を見出せ。
[問題 5
.
] 位置において知られている線AB上に、位置の知られている直
線 CDに接し、その中心が位置において知られている点 Eであ
る円の周に接する、円の中心を見出せ。
[問題 6
.
] 位置において知られている直線AB
上に、中心が点 Cである位置
の知られている円に接し、知られている点 Dを通る、円の中心
8
2
を見出せ。
.
] 線 ABが直線ではないが位置において知られているとき、その
[問題 7
上に、中心が点 Cである位置の知られている円に接し、知られ
ている点 Dを通る、円の中心を見出せ。
[問題 8
.
] 位置において知られている線AB上に、その中心が位置におい
Dである 2円の周に接する、円の中心を見
て知られている点 C,
出せ500
D
H
図 1 アナリュシスの方法による線上の接円の中心について(問題 2)
問題 2の証明は次のようになっている
O
アナリュシスに従い、この円が、線AB
上に位置する点Iを中心とする
とし、またそれが点C, Eで [2直線に]接するとする口
もし CDとEGが平行でなかったら、それらは出会い、それを点 Hとす
C
.1E を結ぶ。 2点EとCとは 2直線に接する円の場所に
る。直線1H,1
は円の中
あるので直線HEは直線HCと同じで、また直線H1は共通で、 I
心なので底辺E1は底辺1Cに等しいから、角 EH1は角 CH1に等しい。それ
ゆえ、角 CH1は、知られている角 CHEの半分であるから知られる O なぜ
なら、直線 CH.EHは各々位置において知られているからである
O
それ
8
3
ゆえ、直線HIは同様に位置において知られるが、線ABは位置において
知られ、したがって点I
は知られ、これが円の中心である
O
以上がわれ
O
だから私は
われの知りたいことであった。
もし 2直線C
D.EGが平行なら、このことは容易である
それに言及するのを省くことにする
ところでクーヒーは、この問題で暗黙のうちにユークリッド『デドメナ』を
利用している O それは命題44で、「もし三角形がひとつの与えられた角をもち、
また別の角の周りの辺が互いに対して与えられた比を持つならば、その三角形
は形において与えられている」というものである%また著作いたるところで
r
(malum al-wad). 形において与えられた」
「位置において与えられた J
t
t
(ma1
um a
l
s
a
w
r
a
) という『デドメナ Jにみられる用語を用いている
t
O
クーヒ
ーはアポロニオスの名前は出すが、『デドメナ』の名前は出さず、したがって
後者は、アポロニオスの題材を議論するには名前を出すまでもなくクーヒーの
みならず当時の読者にも当然の前提であった。実際、『デドメナ Jはパッポス
の言及する「解析の宝庫」という、解析を学ぶための基本文献の冒頭に位置す
る作品なのである%
問題 7は、中心を C,半径を r
]とする円 C
]とGで接し、与えられた点 Dを通る
円Cの中心Eを求める問題であり、円錐曲線になるものである。ただし CDニ a
とする
O
DとCの中点を Kとするとこれは既知である
IL=rなるように CD上にとる
j
O
ここで1, LをKに関して対象で、
O
すると、
DI=CL=
(
a-r)
1
2
(
a
+
r
,
)
2
M
(左図)
(右図) 図 2 アナリュシスの方法による線上の接円
の中心について(問題 7)
8
4
そして
4I
L.M=LD.
D
I
となるように Mをとる D
すると、円錐曲線の性質 (
r円錐曲線論』第 3巻命題5
1,5
2
) から、
I
L
.M
r
は、直径を I
L,l
a
t
u
sr
e
c
t
u
mをM, 焦点j をCとDとする円錐曲線になる o
、
ー
」
ー
、
、
官 官 ザ "
CE=ED+rl(
左図)
CE+ED=r1 (右図)
である O こうして Eは軸 r1の円錐曲線になる O
クーヒーのこれらの問題はアポロニオス『接触 Jの問題と類似していること
が指摘できる。後者のギリシャ原典は残されておらず、パッポス『数学集成』
第 7巻における言及でしかその内容は知られることはない。パッポスによると、
そこでは、「点、直線、円の中で任意の三つの要素が位置において次々に与え
られたとき、与えられた点(点が与えられたとき)の各々を通り、与えられた
線の各々に接する円を描くこと」を扱う 540 パッポスはさらにそこに含まれる
種あるとしている。すなわち、 3点を通る、 3直線に接する、 2点
問題には 1
0
を通り 1直線に接する、 2直線に接し 1点を通る、 2点を通り円に接する、 2
円に接し 1点を通る、 2直線に接し 1円を通る、 2円と 1直線に接する、
1点
を通り 1円と 1直線に接する、 3円に接する、円を描けというのである。クー
ヒーの問題では、アポロニオスの三つの要素が二つになり、円を描く代わりに
直線上に円の中心を求めるものである。このアポロニウス『接触 Jがアラビア
語に翻訳された記録はないが、類似した問題はクーヒーのみならず同時代のイ
ブラーヒーム・イブン・シナーン『問題集成 Jにも見出されるので 55、アポロ
世紀のアラビア世界
ニオスのこの作品は何らかのかたちでその翻訳や抜粋が 1
0
に残されていたことは確かであろう
O
もちろんこのアポロニオスの著作は後に
、 3点
、 3線のなか
1
7世紀西洋で、パスカルがフェルマに与えた問題、 r3円
から三つの任意のものが与えられたとき、円と線に接し、与えられた角をもっ
8
5
弧を線上に残す円を見出すこと J(
1
6
5
4
年 7月29日付書簡)にも影響を与えた 560
しかしすでに同じような問題は 1
0世紀アラビア世界でも議論され、他方それは
1
7
世紀西洋には影響を与えた形跡はないのである O
6.角の三等分
角の三等分法はギリシャでは円積線などさまざまな方法を用いておこなわれ
ていた。パッポスは『数学集成 J第 4巻命題36・42で円錐曲線を用いて試みて
いるがにその方法はアラビアには伝わらなかった。アラビアに伝わった角の
三等分法はアルキメデス『補助定理集』命題 8に含まれる方法である。しかし
0
世紀になると正統ではないとされ他の方
これは「ネウシス Jを用いるので、 1
法が求められるようになった。こうしたなかク}ヒーは角の三等分を 3編の論
文で論じている O 以下はクーヒーによる双曲線を用いた方法である O それを見
る前に双曲線の性質を述べておこう O
CC'=通径 =aとおくと,これに対して次のような性質が成立する pが存在す
,CX=x
,CP=パラメータ =pとおく。
るO ただし Xyニ縦線 =y
(
p:
l
a
t
u
sr
e
c
t
u
m,a
:l
a
t
u
st
r
a
n
s
v
e
r
s
u
m
)
CX.EX= (Xy)2
E
s/CX=戸/
α
これを数式で表すと、
yニ (
p+
s)
x
s=(
p
l
α)
x
であるから、両者をあわせて、
y=jt+(戸/
α)
xfx
すなわち
y=μ + (
pl
a
)
x
2
となる
O
これは双曲線である九
図 3 双曲線の性質
8
6
ところでアポロニオス『円錐曲線論』第 1巻命題2
1では、 (
X
Y
)
2
:CX.C'X=
ρ:α が主張されている 590 これは、 (Xy)2:CX.C'X=CX.EX:CX.C'X=
EX:C'X=ρ:α から明らかである
O
これを用いて(ただしクーヒーはそうと
は述べてはいない)、クーヒーは角の三等分をおこなう
O
その方法は、パラメ
z
a
w
i
y
aa
t
t
a
r
t
i
b
) を三
ータと通径とが等しい双曲線を描き、その「配列角 J(
等分する角とおけばよい。ここで配列角とは、縦線 (
k
h
a
t
ta
tt
a
r
t
i
bすなわち
醐
配列線)と直径のなす角である
まず次のようにおく
O
O
どADV=配列角、 AD=縦線、 CBニ縦線に対する通
径
、 AB=パラメー夕、そして AB=B.すると『円錐曲線論J第 1巻命題2
1よ
り
、 (AD)Z:DB.DC=(パラメ}タ):(縦線に対する通径)。ここで条件から、
ノtラメータニ
CBである
O
よって AD2ニDB.DC. した 7
がって、 BD:AD=
AD:DC.これはLlABD∞LlACDを示す。ここで、 LABD=ζCADであった。
ところカまど ABD=2どCである。した治まってど CAD=2どCとなり、よって
どADV=ζCAD+どC=2どC+ζC=3どc.こうしてど C=1/3LADV. 証明
終わりへ
C
B
図4
D
角の三等分
7.運動について
ここでは狭い意味での幾何学の範時には収まりきれない議論を取りあげる O
ク}ヒーが幾何学の適用範囲を広げ、新たな問題に挑戦していることがそこか
ら垣間見られるであろう
O
ブワイフ朝ではとりわけギリシア文化を愛好したカリフを輩出したが、なか
8
7
でもアリストテレスの著作は宮廷に出入りする学者たちの間で格好の議論の対
象であった。有名な哲学者アブー・アル=ファラジュ・イブン・アルニタイイ
r
ーブは、すでにアラビア語に訳されていたアリストテレス『形而上学j 自然
学 Jに注釈を加えていた。ところでアリストテレス『自然学』によれば、「有
2
3
8
a
2
0
)0 この主
限な時間において無限な大きさを通過することもできない J(
張に反対するものはほとんどいなかったが、クーヒーはこれに幾何学を用いて
反駁している o
I
限定された時間に無限の運動が存在するということについて」
では、アリストテレスの名前そのものは言及されていないが、そこで議論され
ている次の問題はアリストテレス起源であることは間違いない。
直径 ACの上に中心を点 Dとする半円
ABCを考える
D
直径上に垂直に置かれ
た物体を想定し、それを DEとし、半円
ABC上を Aから出発して動く発光体を考
えよう
O
その光線は点 Eにある物体の頂
点に落ちる D
図 5 運動について
物体の頂点の影の運動は限定された時間の中での発光体の運動に関係
し、始点も終点もない、と私は言う
O
実際、もし我々が、点Hが物体の
頂点の運動の始点であると仮定するならば、そしてもしそれを物体の頂
点と、我々が延長する直線たとえば直線GEHによって結ぶならば、そ
の直線は半円 ABCからある弧 (AGとする)を切り取るであろう
O
もし
我々がこの弧を点 I
で二つの部分に分けるならば、そしてこの点から物
体の頂点まで直線たとえばIEKを引くならば、それは始点に先行し Kで
ある点に落ちるであろう
O
しかしこれは不可能である
O
同様に、他の半分でも、物体の頂点の影の運動は始点も終点も持たな
いことを我々は示すであろう
O
このことが証明すべきことであった。こ
の小編が完成できたのはただ神のみのおかげである 610
8
8
ここでは発光体が Gから始まり Iに進むと、 D Eの頂点 Eは H Kを描く
O
発
光体が Gから Aに進むのは有限時間であるが、射影は Kから無限遠点に進むこ
とになる O これは実際ありうることで、ここでクーヒーはアリストテレスの否
定する実無限を暗黙裡に主張しているように思われる
O
この短い論文はそれ以上のことについては述べてはいないが、クーヒーのほ
かの作品とは異なり、多くのことを推測する材料を提供してくれる
O
まず、ク
ーヒーがギリシャ幾何学では取りあげられなかった無限の問題に関心を寄せて
いたことが伺える
O
無限が数学的に本格的に議論されるのは 1
4
世紀以降のラテ
ン世界であるが、それ以前にも論じられた形跡があることがク}ヒーのこの書
でわかる
D
次に、自然学的問題解決に幾何学を適用したことである
O
この異種
学問における対象と論証法の相互適用はアリストテレス以来原則的には禁止さ
れており、中世スコラでは多様な展開を見るが、すでにアラビアではその禁則
が解き放たれたことがわかる
O
実際、いわゆる「アルハーゼン問題」も光学の
問題を幾何学を用いて扱ったものなのである。
8.完全コンパスについて
円錐曲線の研究が進むにつれてそれを描く器具の必要性が生まれてきた。そ
れは「完全コンパス」と呼ばれている
O
それが完全といわれるのは、直線、円
のみならず円錐曲線さえも描くことができるからである%これが円を描く普
通のコンパスと異なるのは、
1本の足の長さが調整できるということと、
2本
の足の聞の角度と、軸の足と描く紙が作る角度が与えられているということで
ある
O
その器具を論じたものの中でもっとも完成されたものはクーヒーの『完
全コンパス』である O 図 6の場合、次のような線が描けることがクーヒーの書
で証明されている
O
1.α ,sニ直角のとき、線は描かれない
s=直角、 α宇直角のとき、直線
3
. s宇直角、 αニ直角のとき、 ABt
a
n
sを半径とする円
2
.
8
9
4. αニ s (
鋭角)のとき、 ADを軸、 Dを頂点とする放物線
5
.
s>α (鋭角)のとき、
6.
sく α (鋭角)のとき、楕円
D,Eをそれぞれの軸とする双曲線
五
P
ここでたとえば 4の場合を見てみ
ょう
O
軸が直線 Aであるようなコンパス
E
を用いて、与えられた平面上に、通
径が直線 BC (位置が与えられてい
る)であるような放物線の周を描き
図 6 完全コンパス
たい。ただし点 Bは通径の頂点であり、その通径に対応するパラメータは大き
さの与えられている直線 Dであり、通径とその縦線の聞の角は角 E (与えられ
ている)に等しいとする
O
こうして、クーヒーにおいては、そしてアラビア幾何学においては、円や直
線のみならず円錐曲線も曲線として認められるようになったのである%クー
q
i
y
a
s
l
y
a
)線 j と呼び、全編でこの単語を
ヒーはこら 3種の曲線を「計測可能 (
用いているのであるが、例示するだけで定義は述べていないので、それらは当
時はよく知られていた概念であると推測できるへ
同じ頃『幾何学入門』で完全コン
パスを論じたシジュジーは、クーヒ
ーのその概念を発展させ、曲線を三
分しているへまず、「計測可能線」
とは、ひとつの連続運動によって生
成される幾何学的線で、直線、円、
円錐曲線のことである
O
次は、計測
不能 (ghayrq
i
y
a
s
l
)で、比と規則性
を持ち、二つの連続する運動によっ
図 7 完全コンパス
(
1
2世紀ムハンマド・イブン・フサイン)
9
0
て生成される線で、これはもはや幾何学的で、はなく機械的 (
a
l
-l
)i
y
al)である
という
O
最後に、計測不能でしかも比も規則性も持たず、二つの連続する運動
によって生成されるが、さらに幾何学的でもなくまた機械的でもない線である
O
この例としてシジ、ユジーは円柱螺旋 (
a
l
k
h
a
t
ta
l
l
a
w
l
a
b
i
) をあげている。ここ
にではいまだ次元による分類ではなく、運動、比、規則性による分類ではある
が、ともかくギリシャ幾何学を超えた曲線論の萌芽の見られることが注目され
てよいであろう
O
9.クーヒーの方法
クーヒーは著作の大半でアナリュシスを用いて証明をおこなっているが、シ
ュンテシスを用いることはあまりない。ギリシャ以来アナリュシスとシュンテ
シスは対概念であったが、彼はシュンテシスによる証明をなぜ省いたのであろ
うか D クーヒーは「アナリュシスの方法による線上の接円の中心について」の
末尾で、「アポロニオスの著作のいくつかに見られる方法によって、分割
(
t
a
q
s
i
m
)、制限 (
t
a
h
d
i
d
)、シュンテシス (
t
a
r
k
i
b
)、点の位置の枚挙を用いた
のなら、論考はあまりにも長くなってしまったであろう」、と述べているヘ同
じような記述は「既知の角にしたがって、アナリュシスの方法で 1点から 2直
線を確定すること」にも見られる o すなわち長くなるので略したというのであ
るO 彼にとってはなによりも発見的方法が優先されていた。論証を幾分犠牲に
しても新しい結果を生み出すことに労力が費やされたと言ってよいであろう
O
さらに与えられた条件を変更して、新しい結果を見出すことさえあった。先に
あげた引用で、分割とは場合分けであり、制限とはいわゆるデイオリスムのこ
とを意味するが、そこでは問題に解が生じる条件が定められ、こういった問題
は「制限付きの J
Cmahdid) 問題と呼ばれている九ここで彼の方法は代数的発
見法ではなく、幾何学的発見法とみなされるものなのである。
クーヒーは比をよく用いるが、なかでも「知られた比」が重要である
O
彼に
よればそれは 2種あり、ひとつは知られた量どうしの比(,量の視点から知ら
9
1
れた比 J
) であり、これは具体的に数値として与えられ、代数学者や天文学者
が用いるものである。もうひとつは「存在するものとしての比」で、これは円
と正方形のように、ともに大きさが知られていようと、相互の比は知られるこ
とがなく、ただその存在が述べられるだけの比である
D
クーヒーはこの後者の
比を扱っているので、彼の比には具体的数値はない 680
クーヒーはいくつかの論文で数学の特徴について論じている
O
自然学者
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)においては事物に関する知識が憶測や教説に基づき、したがってそこ
には意見の相違が見られるが、他方数学者はたとえ誤りを犯すことがあっても、
それをすぐに認識し、たちまちのうちに彼らには合意が生まれるというのであ
るべまた他の場所では、証明なしに物事について述べる人たちと証明に依存
している数学者たちとがいるが、ガレノスが批判するのは前者であることが述
べられている九すなわち証明こそが数学を特徴付けるものであって、したが
ってそれをもっ論証数学こそがもっとも確実なる学問ということになる口クー
ヒ}にとって、単なる計算の結果や証明を経ずして見出された近似値は明らか
に考察対象外であった。
こうして、クーヒーは発見的方法と論証の双方を数学の特性とみなし、前者
の方法であるアナリュシスのみで後者が保証されると捉えたことが垣間見られ
るO
おわりに
以上クーヒーの著作の概観を与えてきたが、クーヒーの取り扱った題材はま
ったくギリシャ的である
O
すなわちアポロニオス、アルキメデス、ユークリッ
ドの著作に見られるうちの幾何学的問題であり、彼はそれらを補充し、説明し、
展開した。また解法もギリシャの方法に倣いながらも、さらにそれを拡張して
いるのが特徴である
O
クーヒーの生きた 1
0世紀後半は、数学者アブー・カーミ
ルとアル=カラジーの時代の聞に位置し、代数学が展開し、さらに多項式の演
算が始まる時期であった。まさしく代数学全盛期であったといってよい。しか
9
2
しながらクーヒー自身は、今日知られているかぎりでは代数学をまったく扱っ
ていないという点で、アラビア数学ではきわめて特異な存在である。また彼は天
文表に用いられ大いに発展した三角法も論じてはいない。
彼は主として円錐曲線に関心を持っていた。アラビアでは円錐曲線論が画期
的に進展したというわけではない。その分野でのアラビアの貢献は、円錐曲線
を数々の幾何学的問題に適用したこと、 3次 4次方程式の幾何学的解法に利用
したこと、そして回転円錐曲線体の体積や重心を求めたことの 3点を指摘する
ことができる
クーヒーが貢献したのは主としてそのうち第一番目のもので
あった。彼の扱う問題には実用性はなしたとえ実用性に言及しながらも、論
じているのは円錐曲線であり、それ自体は実用を超えたものであった。アスト
ロラーベの議論などではたしかに製作法を述べてはいるものの、むしろ目的と
するところはその理論的幾何学的考察であった。また、計算や数値解も著作に
はほとんど見られない。こういった意味で、クーヒーはアラビアにおける「最
後のギリシャ流幾何学者j であった九シジュジーも同じ部類に属する数学者
と捉えることができ、 1
0
世紀後半はアラビアにおいてギリシャ幾何学が(おそ
らく最後に)開花した時代と言うことができる
O
しかしその後それは単独では
受け継がれることはなかった。クーヒーの円錐曲線による幾何学的手法はオマ
ル・ハイヤームらに取り入れられ、代数学と結び付けられ新しい展開に進み、
いわゆる 3次方程式の幾何学的解法に結実するからである
O
中世ラテン世界ではクーヒーの方法は何ら知られることはなく、独自に展開
8世紀まで西欧ではコンマン
されるということもなかった口ルネサンス期から 1
デイーノ、フェルマ、ヴイエ夕、シムソンらがギリシャ数学の回復を図ったが、
上で見たように、同じようなことがすでに 1
0世紀後半のアラビア数学に見られ
るのである
O
ただ異なることは、クーヒーにおいては原典「回復」というより
はむしろ数学的な拡張、補充、適用が試みられたこと、そしてそれによってギ
リシャ幾何学の「完成」が目されたことである
O
さらに指摘しておくべき重要
なことは、記号法と代数学とがそこでは欠落していたこと、そしてこのアラビ
ア幾何学は西欧近代数学には知られているかぎり影響を与えなかったことであ
9
3
るO とはいえ 1
0
世紀末の西アジアでは、代数学同様に幾何学の研究が成熟して
いたのである O
写本
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,l vo
.
1
2
,H
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9
4
0,pp.
l1
51
2
7
.
・
.1
8
5
3
Wo
e
p
c
k
e,F
1
0
0
“E
s
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u
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'
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nmanuscrita
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b
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",
ComptesRendusd
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sS
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a
n
c
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sdel
'
Academied
e
sS
c
i
e
n
c
e
s36,1
8
5
3,
p
p
.
2
9
72
9
8
.
・
Woepcke,F
.1
8
7
4
“T
r
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r
a
i
t
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sa
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a
b
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ss
u
rl
ecompasp
a
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"
,
N
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se
te
x
t
r
a
i
t
sd
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smanu-
2,1
8
7
4
,p
p.
1
s
c
r
i
t
sd
el
aB
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b
l
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o
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h
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q
u
eI
m
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l
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ta
u
t
r
e
sb
i
b
l
i
o
t
h
e
q
u
e
s2
1
7
5
.
アルキメデス
1
9
7
2
「球と円柱について J(三田博雄訳)、田村松平責任編集『ギリシアの科学 J
、
中央公論社、 1
9
7
2,p
p
.
4
4
8
4
6
7
.
佐藤徹
1
9
8
7
「中世におけるアルキメデス」、伊東俊太郎編『中世の数学』共立出版、
1
9
8
7,p
p
.
6
1
1
11
.
三浦伸夫
1
9
9
7
「ユークリッド『図形分割論 j :伝統と翻訳」、『国際文化学研究 J第 4号
1
9
9
7,pp.
11
1
1
4
5
.
三浦伸夫
2
0
0
0
「アラビア数学の創造性-イブラーヒーム・イブン・シナーンにおける幾何
学的方法」、『現代数学 j (
10月臨時増刊号) 2
0
0
0
,p
p.
14
8
1
6
0
.
図版出典
図2 [
Abgrall 1995 a,p
.
2
7
5
J 図 3 [Berggren 1986,p
.
7
7
J 図5
[Rashed1
9
9
8,p.
11
0
J ;図 6 [Rashed2
0
0
3,p.
17
J ;図 7 [Woepcke1
8
7
4
,
p
.
1
21
J(
L
e
i
d
e
nMS1
0
7
6より) ;写真 1 MSP
a
r
i
s,BN2
4
5
7;写真 2 MS
C
a
i
r
o,DR41m
1
0
1
注
1 アラビア数学の概観は [
R
a
s
h
e
d1
9
9
4
J に見られる
2
D
[
a
l
K
h
a
y
y
a
m
i1
8
51
.34 (
a
r
a
b
)
;5
4
J
. アブル=ジュードはクーヒーのこと
を「幾何学における当時のシャイフ」と呼んだ。シャイフとは長老で、尊敬
された人物のことである D
3 クーヒーについては次を参照。 [
B
e
r
g
g
r
e
n2
0
0
3
J,[
D
o
l
d
S
a
m
p
l
o
n
i
u
s1
9
7
5
J
.
本稿執筆にあたってとりわけ前者からはおおいに禅益された口
4
[
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
3,7
9
J
. この伝記作家とは 1世紀後のアル=パイハキーで
ある。
5 クーヒーとそれより年少のイブヌル=ハイサムは同じ頃パスラにいた。後
者のいわゆる「アルハーゼン問題」に用いられる 6つの命題のひとつはクー
ヒーのものと同じであり、後者は前者の名前に言及し、両者は同じ問題(重
,心、アナリュシスとシュンテシスなど)に関,心があったことなどを考えると、
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
3
J
.
両者には交流があったとパーグレンは推測している [
6
[
S
e
z
g
i
n1
9
7
4
,3
1
4
・3
21
].
7 仏訳は [Wo
e
p
c
k
e1
8
7
4
J
.
8 編集は [
D
o
l
d
S
a
m
p
l
o
n
i
u
s1
9
6
3
J
.
9 これは 4次方程式の解に相当するが、クーヒーはもちろん幾何学を用いて
いる
O
編集は [
H
o
g
e
n
d
i
j
k1
9
8
5
J
.
1
0 翻訳は [
S
a
Y
l
h1
9
6
2a
J, [
K
n
o
r
r1
9
8
9,3
0
1
3
0
9
J
. 編集は [
S
a
Y
l
h1
9
6
2b
J
.
1
1 編集は [
R
a
s
h
e
d1
9
9
6
J
.
A
b
g
r
a
l
l2
0
0
0
J
. 編集と翻訳が掲載されているのは [Berggren
1
2 編集は [
andBrummelen2
0
0
1a
J
.
1
3 編集は [
A
b
g
r
a
l
l1
9
9
5a
J
.
1
4 編集は [
B
e
r
g
g
r
e
nandBrummelen2
0
0
0
J
.
1
5 編集は [
B
e
r
g
r
e
nandBrummelen1
9
9
9
/
2
0
0
0
J
.
B
e
r
g
g
r
e
nandBrummelen2
0
0
1c
J
.
1
6 編集は [
9
9
1
/
9
2
J
.
1
7 編集は [DeYoung1
1
0
2
1
8 編集は [
B
e
r
g
g
r
e
na
n
dBrummelen2
0
0
3
J.
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
9
4
J
.
1
9 編集は [
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
3
J
.
2
0 編集は [
世紀のボレッリ版『補助定理集』にはク}ヒーの名前の言及があるとい
2
1 1
7
う [
D
o
l
d
S
a
m
p
l
o
n
i
u
s1
9
6
3,2
4
0
J
.
2
2
R
a
s
h
e
d2
0
0
2
J
. サマウアルの批判は [
B
e
r
g
g
r
e
na
n
d
[
R
a
s
h
e
d2
0
0
1
J, [
Brummelen2
0
0
3
J を参照。
2
3
[
S
a
Y
l
h1
9
5
6
J
. 編集は次の 2つに含まれる。 [
R
a
s
h
e
d1
9
9
8
J, [
S
a
Y
l
h
1
9
5
7
J
.
2
4 [
S
e
z
g
i
n1
9
7
8
.2
1
8
2
1
9
J
.
1
・m
unqclclb
i
'
l
l
a
i
J
i
) と呼ばれた
2
5 流星は、「夜に落ちる星 J(a1-kawkab a
[
B
e
r
g
g
r
e
na
n
dBrummelen2
0
0
1b
.2
5
J
.
R
a
s
h
e
d2
0
01
],[
B
e
r
g
g
r
e
na
n
dBrummelen
2
6 編集は次の 2つに見られる o [
2
0
0
1b
J
.
種は次のような内容に関連する
2
7 1
2
O
問題 1, 2 円錐曲線第 3巻
問題 3 内接正方形
問題 4 :アポロニウス『比例切断 j
問題 5 :内接三角形
問題 6 アポロニウス『平面軌跡 J
問題 7 三角形の分割
問題 8 :自著『矩形の比に線上の点を置く』
問題 9 直角三角形
r
問題 1
0
: 図形の分割 J(6問)
問題 1
1
:自著『アナリュシスの方法による線上の接円の中心について J
と自著『線上に矩形の比に点を置く
問題 1
2:角の三等分
c
f
.[
B
e
r
g
g
r
e
na
n
dH
o
g
e
n
d
i
j
k2
0
0
4
J.
J(2問)
1
0
3
2
8 編集は [
B
e
r
g
g
r
e
na
n
dH
o
g
e
n
d
i
j
k2
0
0
4
J
.
a
r
i
s
.BNF
o
n
d
sa
r
a
b
e4
8
2
1のうち、
2
9 [
A
n
b
o
u
b
a1
9
7
8
J
. 実際、写本は、 P
2は1
7
b
2
3
a,3
1は1
b
・8
aに掲載されており両者は異なる
O
3
0 [
H
o
g
e
n
d
i
j
k1
9
8
5a
.1
2
8
J
.
3
1
[
S
e
z
g
i
n1
9
7
4
.3
1
8
J
.
3
2 [
K
i
n
g1
9
8
6
J
.
3
3 [
B
e
l
l
o
s
t
ae
tR
a
s
h
e
d2
0
0
0
J
.
3
4 [
B
e
r
g
g
r
e
n2
0
0
1
J.
3
5 ここでプトレマイオスを加える必要があると思われるかもしれないが、後
で見るように、クーヒーはプトレマイオスや数理天文学には関心がなかった
ようである。アラビアにおけるアルキメデス、アポロニオス、ユークリッド
S
e
z
g
i
n1
9
7
4
J が詳しい。
の伝承については、 [
3
6 一般に何度も同一著作が翻訳されることがあるが、それはその著作が重要
であるにもかかわらず訳が不完全であるとみなされたことによるのであろ
つ
O
3
7 これは、本文中にアルキメデスの名前が見えるのでアルキメデスの作では
ないことは確かであり、アルキメデスの方法を用いてギリシャで書かれたも
のであろう
O
アラビア語訳は 2種存在し、 1
9
命題からなるものは
f
幾何学原
3命題からなるものは著者がアカトゥンとある O このア
理 Jと題され、他方4
D
o
l
d
S
a
m
p
l
o
n
i
u
s1
9
7
7
J
.
カトゥンに関しては不詳 [
/
4であるとい
3
8 アラビアでは、放物線の切片は同じ底辺と高さの三角形の 3
うアルキメデスの主張がアルキメデスとは独立して証明された。これを証明
r
したアルキメデスの著作『放物線の求積 j 方法 j はアラビアには入らなか
ったので、アルキメデスの証明はアラビアでは知られていなかったからであ
る。実際、独自に解いたサーピト・イブン・クッラとイブン・シナーンの証
R
a
s
h
e
d1
9
9
6
J
.
明はアルキメデスのものとは異なる [
3
9 [
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
3
J
.
4
0 [
R
a
s
h
e
d1
9
7
9
.4
1
J.
1
0
4
4
1
[アルキメデス 1
9
7
2,4
6
6
4
6
7
J
.
42
[Hogendijk1
9
8
4
J
.
A
p
o
l
l
o
n
i
u
s1
9
8
7
J
.
4
3 英訳は [
8
5
6
J
.
44 編集は [Woepcke1
4
5
[Hogendijk1
9
8
6
J
.
46
r
火鏡』は誤ってアポロニウスに帰されてきたが、今日デイオクレスのも
のとされている [Toomer1
9
7
9,2
0
J
.
47
.175-196J.
[Heath1
9
21
48
r
重さと軽さについて Jは偽作の可能性が高い。『図形分割論』の伝承に
9
9
7
J を参照。
関しては[三浦 1
4
9
A
G
E
D
B
のとき、
命題 1 :(AD'DB)+(GE'ED)=AE'EB
命題 2 :AD・DB=(AE'EB)+(GE'ED)
命題 3 :(AE'EB)+(AD.DB)=GE'ED
命題 4 :AD2+DB2ニ AE2+EB2+2GE.ED
命題 5 :AE2+EB2=GE2+ED2+2AD.DB
命題 1 は次のようなものである
O
「直線 ABから同等な AG,DB が切り離され、 GDはEで二つの部分に[分け
られる]とする O すると ADとDBの積と、 GEとEDの積の和は、 AEとEBの
D
ZはGDの半分であるーはそれ自
積に等しい。 ADとDBの積と DZの正方形身GEとEDの積と ZEの正方形であるが、 ZBの正方形、すなわち AEとEBの
面積と ZEの正方形に等しい J[BerggrenandBrummelen2003a
J
.
5
0
[
A
b
g
r
a
l
l1
9
9
5a
J
.
5
1
[
A
b
g
r
a
l
l1
9
9
5a
J
.
5
2
7
J
.
[
E
u
c
l
i
d1
9
7
4,6
1
0
5
5
3
[
P
a
p
p
u
s1
9
8
2
.4
7
9
J
.
54
[
P
a
p
p
u
s1
9
8
2
.4
8
3
4
8
5
J
.
5
5
[
B
e
l
l
o
s
t
aandRashed2000,4
3
6
4
3
8
J.
56
[
P
a
s
c
a
l1
9
9
1,1
1
4
4
J
.
57
[
P
a
p
p
u
s1982,2
0
6
2
1
7
J.
58
[
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
6
J
.
5
9
[""双曲線、楕円、あるいは円周で、直径上に縦線をとるとき、縦線のつく
る正方形対図形の通径の両端から切り取る直線で固まれる面積は、図形の
直辺対通径となる J[
A
p
o
l
l
o
n
i
u
s1957,4
2
J
.
60 なお、シジュジーは『彼とシーラーズやホラーサーンの幾何学者たちが議
論した問題の抜粋と彼による解説』で、「クーヒーの補助定理 (
muqaddima)J
として次のものを紹介している o AB=CBかつ CD/
AD=AD/BDのとき、 4
Dは三等分される
O
この場合、双曲線は用いられないが後者の比が要請され
るO 両者の方法は本質的に同じである [
B
e
r
g
g
r
e
nandH
o
g
e
n
d
i
j
k2004,6
6
2
J
.
6
1
[
R
a
s
h
e
d1
9
9
8
J
.
6
2 ビールーニーによれば、完全コンパスという名前はクーヒ}が命名したと
いう [
R
a
s
h
e
d2003,1
3
J
. しかしクーヒー自身それはすでに古くから存在し
o
e
p
c
k
e1874,6
8
J
. 完全コンパスに関しては、ムハンマ
たと述べている [W
1
2世紀末)、クーヒー、シジュジーの 3人の作品を
ド・イブン・フサイン (
掲載したヴェプケの論文が今日に至るまで基本文献である [W
oepcke1
8
7
4
J
.
63 アルキメデス『螺旋について』が翻訳されたのはようやく 1
7世紀になって
からであり、したがって螺旋はアラビアでは議論されることはなかった
[
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
7
.1
0
1
1
0
9
J
.
64 クーヒーが定義を述べていないので、この単語はすでにそれ以前から用い
られていたのかもしれない。クーヒー『完全コンパス』をフランス語訳した
ヴェプケはそれを規則線 (
J
i
g
n
er
e
g
u
l
i
e
r
e
) と訳しているが、原義の計測と
i
g
n
em
e
s
u
r
a
b
l
e
) と正して
いう意味を生かしてラシェッドは計測可能線 (
J
いる [
R
a
s
h
e
d2003,3
2
J.
1
0
6
6
5
[Rashed2
0
0
3,3
3
J
.
6
6
1
l1
9
9
5a
,2
8
6
J
.
[Abgra
6
7
1
l1
9
9
5a
,2
6
4n
.
7
J
.
[Abgra
6
8
[
B
e
r
g
g
r
e
n2
0
0
3,1
8
5
J
.
6
9
[
B
e
r
g
g
r
e
n1
9
8
3,6
2
J
. そこでは、プトレマイオスがヒッパルコスの優秀
さを認識していたので、後者が誤りを犯してもプトレマイオスはヒッパルコ
スを庇めることはせず、最も優秀な人物と述べていることが紹介されている
O
これはアルキメデスも誤りを犯すことがあるが、それで、も優秀であることを
示すために言及された話である O
7
0
[
B
e
r
g
g
r
e
nandBrummelen2
0
0
1b,1
4
3
J
.
7
1
[
H
o
g
e
n
d
i
j
k2
0
0
3
J
.
7
2
[
B
e
r
g
g
r
e
n2
0
0
3
J.
Fly UP