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西條英人氏
(神奈川歯科大学 神奈川歯科大学 歯学部卒 学部卒/東京大学医学部附属病院 顎口腔外科・歯科矯正歯科 講師・医局長) 講師・医局長) 1991年3月 西條 卒業 英人(高43) 「歯科医療に携わって」 歯科医師の仕事は、歯を削り、セメントを詰めて、あるいは金歯やセラミックスを被せたり、歯が無 くなった部分に入れ歯をいれたり、矯正治療を行ったり、インプラント(人工歯根)を用いて、噛み合 わせの機能回復を行う事が一般的に想像される仕事内容かと思います。事実、多くの歯科医師がこうし た治療に日々精進しています。私はこの歯科医師になり、もうじき 20 年になります。一方で、歯科医師 のライセンスを持ちながら、皆様が想像する、一般的な歯科医師とは少し違った、口腔外科というあま り耳にすることのない分野を専門とした仕事もしていますので、本稿で紹介したいと思います。 私の仕事 現在の所属している東京大学は、特定機能病院であるがゆえに、皆様が想像する歯科医師の仕事との内 容が異なります。私が専門としているのは口唇・口蓋裂という、先天性の顔の先天異常の患者さんです。 少し、説明しますと、口唇・口蓋裂とは、上唇や歯茎、口蓋(上あご)の連続性がない状態の病気です。 なかなか想像しにくいかも知れませんが、日本では 500 人に 1 人の割合で生まれますので、決して珍し い病気ではありません。この口唇・口蓋裂の上唇と上顎の裂の状態は様々です。このような状態のため、 出生後は哺乳の問題に直面することもあり、哺乳の問題を解決することから始まります。他に問題がな い場合、生後 3 ヶ月時に唇の閉鎖手術を行っています。もちろん、手術はそれだけでなく、病態によっ ては成長に応じて手術をしていくため、成人になるまで手術は続きます。したがいまして、そのお子様 のご家族とは、長い間の付き合いとなり、自分がした手術の結果とともにお子様の成長を見届ける事に なります。そのため、自分のメスが、その子の一生を左右すると言っても過言ではないくらい非常に責 任の重い治療になります。こうした治療を行うには、若い頃からの勉強とトレーニングが非常に大切で あります。私も現在の病院に赴任してから、本格的に学びましたので、当時は診療が終わり夜遅くまで トレーニングを繰り返したのを思い出します。どんな職種でも、何らかの方法でトレーニングは必須で あります。そのトレーニングした結果をいかに自分のものにするかが、それぞれの分野のエキスパート に成りきれるか否かのポイントであると今でも感じております。 数年前より、年末にベトナムで医療ボランティアに参加しております。その医療内容は、私の専門と している口唇口蓋裂の治療です。近年のベトナムは大都市の発展は著しいですが、地方ではインフラを 含め十分な医療水準に満たない場所もあり、貧富の差も大きいようです。医療保障と経済が発展してい る日本では想像しにくいことですが、日本で当たり前のように治療している同じ子供たちが、ベトナム では治療を受けられずに成長している現状を目の当たりにして、初めてボランティアに参加した時は非 常に大きなカルチャーショックを受けました。治療が受けられない子供たちは、学校も行けず、友達も 出来ず、中には家族からも敬遠される子供もおりました。その中で、口蓋(上あご)に穴が空いている ために、満足に話す事が出来ない 5 歳の幼児に出会いました。正確には、私が手術する担当になりまし た。彼は、乳児期に一度治療を受けたようですが、治療が上手く行かず、口蓋(上あご)が塞がらなか ったため、きちんと話をする事が出来ません。しかし、彼なりに話そうと努力していたようですが、上 手く発音出来ずに挙句の果てに、学校(日本では幼稚園)の先生に見放されてしまったようです。その ため、集団生活から断絶されており、挙句の果てに実の母親からも見放され、近所の若い女性が育ての 親になっていました。成長過程で非常に大切な時期に、悲しい現実が同 じ地球で起こっていました。日本では、あまり目にする事のない、口の 中の状態でしたが、私も自分の持っている力を振り絞り、自分自身も納 得する手術をして帰国しました。その一年後、再度、医療援助でベトナ ムを訪れた際に、診療室に彼の姿がありました。口の中を診察させても らうと、口蓋(上あご)はすっかり治っており、話せるようになり、友 達も増えたと聞かされた時、自分の中でこの仕事に対する達成感は非常 に大きいものでした。 近年、歯科医院の登録件数は、コンビニエンスストアの登録件数を上 回ったと報告されています。これは事実であり、過去の歯科医療業界に 比べると、暗黒の時代とも言われております。歯科医師の免許は、歯の 治療により口腔環境を守るものです。またその一方で、このような口腔 外科という領域を専門としている歯科医師もおります。さらに、みんながご存知のように京都大学の山 中教授がノーベル医学賞を受賞した ips 細胞を扱い、最先端の研究を行っている歯科医師もいます。この ように、私が行っている歯科医療は幅広いフィールドで活躍することが可能な職種でもあると言えるか と思います。 学生時代 当日は、今の自分を全く想像することは出来ませんでした。恥ずかしながら、立高時代は部活に夢中 で勉強はしない学生でした。あまり勉強しなかった理由は、何故か今でも思い出せません。記憶に残っ ているのは高校 3 年の現役を引退した以降です。みんなが進路を考え出した頃、なんだか自分だけ取り 残された感じがして、焦りながら自分の将来像を考えていました。しかし、まだまだ未熟な高校生に、 将来像なんて簡単に描くことは出来ませんでした。ただ、今まで、自分が人の役にたったことがあるか と一度考えたのがきっかけで、医療業界に興味を持ったのは確かです。その一方で、医療関係の学部に 進学した場合、自分の将来が固定されてしまうのではないかとの非常に強い不安はありましたが、医学 部、歯学部、薬学部を受験して、最終的に受かったのが歯学部であり、進学したのを覚えています。 立高生へ将来に向けて 私は歯学部に進学したため、大学進学と同時に職業が決まりました。当時は、皆様が想像しているい わゆる歯医者になると思っていましたので、国家試験が終わり、数年は一般的な歯科治療に従事してい ました。ところが、将来の道はそれだけではありませんでした。詳細を述べると長くなりますので割愛 しますが、私も先ほど述べた病気の専門になるには、多くの奇跡に遭遇しております。その中で、奇跡 のきっかけになったのは、人との出会いであり繋がりでした。小さなきっかけが自分の将来を左右した のだと今でも時折感じます。「絆」というものが、生きていく上で非常に大切と感じているのと同時に、 こうした「絆」が自分の道を開くメインツールであると感じております。したがいまして、学生の皆様 はこれからの人生、多くの出会いを経験すると思います。それぞれの出会いを大切にして、将来を考え て頂きたいと思い、立川高校 OB の一人として筆をとらせて頂きました。立高生の皆様の将来を心より 応援しております。