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テキスト - 翻訳学校 バベル|BABEL UNIVERSITY

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テキスト - 翻訳学校 バベル|BABEL UNIVERSITY
Babel University Professional School of Translation
翻訳独文法
― は じ め に―
すでにドイツ語の文法を一通り学びおえた人が、
その知識を翻訳にいかすにはどうしたら
よいか。さらに、ある程度の速度で学習しなくてはならなかったために見落とされた事柄を
補うにはどうしたらよいか。――こうしたことを考え合わせながら、ドイツ語を他人のため
に日本語にしてつたえる技術を学ぶのが、あなたの目標です。翻訳独文法というタイトルが
ついているからといって、文法の学習が目的ではありません。あくまで補助手段であるべき
文法が主役になってあなたを束縛するのであってはいけません。文法を有効に生かして、し
かも、できるだけのびやかに翻訳ができないものか、その可能性をさぐるのが、本書とあな
たの連携プレーの目的であってくれますように。翻訳とは、日本語の文章を書く作業にほか
ならないのですから、ドイツ語がわかりさえすればよいというわけにいきません。ドイツ語
と日本語との比較研究をする気になって、学習を開始してくださるように。
********************************************************************************
日本に生まれ日本で育ち日本人として暮らしてきた人は、
日常の生活を通じて日本語を身
につけています。自分の意思によって身につけようとしたわけでもないのに、日本語が身に
ついてしまっています。その日本人である私たちは学校の国語の時間に文法をならい、文章
は単語から作られ、その単語は品詞に分けられ、動詞は活用の仕方によって数種類に分類さ
れているといったことを学びました。これによって私たちは日常さりげなく用いている日本
語を解剖する技術を知りました。しかし、国文法を学ぶことによって日本語が上達したとい
う思いを、多くの日本人はもっていません。自分の言葉づかいに多少の修正がほどこされる
ことはあっても、文法の学習が日本語の上達に特別大きな力になってくれたとは信じられま
せん。長い時間をかけて、私たちは経験を通じて感覚的に無意識のうちに日本語を学びとっ
てきたからこそです。
これにひきかえ私たちは、他の外国語の場合でもそうですが、ドイツ
ドイツ語
ドイツ語を短い時間のう
ちに、意識的に学ぼうとしてきました。感覚の力に頼っていられないので、つとめて知的に
ドイツ語を学んできました。短期間に知的に学ぶということは、つまり文法に頼って学ぶこ
とにほかなりませんでした。今、
私たちは文法に感謝するべきでしょう。文法がなかったら、
私たちはこれほど速く手際よく外国語を知ることができなかったはずですから。
けれども、学校やそれに類する講座でのドイツ語学習は、文法中心の知的教育であるがゆ
えに、一定のパターンを私たちに押しつけがちでした。ドイツ語を理解したことを証明する
ために、名詞は名詞に、動詞は動詞にといったように、原文
原文の
原文の文法的な
文法的な構造をなるべく
構造をなるべく忠
をなるべく忠
実に反映する
反映する訳
する訳をするようにしつけられてきました。学習の過程において、これは避けが
をする
たいことでした。問題はその次にあります。今しも、あなたはドイツ語を翻訳する人になろ
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うとしています。自分自身の理解のためだけでなく、他人のために訳してあげる人になろう
としています。あなたは今、独文和訳
独文和訳と
ばれるパターン認識
手続きが、
そのまま翻訳
独文和訳と呼ばれるパターン
パターン認識の
認識の手続きが
きが、そのまま翻訳
として適用
として適用するものであるかどうか
適用するものであるかどうか、
するものであるかどうか、考えてみなくてはなりません。
いったい、独文和訳は翻訳そのものであるのでしょうか。
Ach, ich habe furchtbares Zahnweh!
学校での独文和訳の問題にこのような文章があるとしましょう。[ああ、私はおそろしい
歯痛をもつ!] と訳せばすみます。しかし、たとえば子供が親にいう言葉だとしたらどうで
しょうか。こんな日本語で歯の痛みをうったえる子供があなたのまわりにいるでしょうか。
翻訳者はこの言葉が発せられた状況をわきまえて、せめて[歯がすごく痛いよう!]ぐらいに
訳すことができてほしいものです。つまり、独文和訳
独文和訳とは
文法の約束事
独文和訳とは前後関係
とは前後関係ぬきで
前後関係ぬきで、
ぬきで、文法の
を最優先する
最優先する日本語訳
する日本語訳の
日本語訳の作業であるのに
作業であるのに対
であるのに対して、
して、翻訳とは
翻訳とは、
とは、状況にふさわしい
状況にふさわしい日本語文
にふさわしい日本語文を
日本語文を
創作すること
創作することなのです。
すること
独文和訳のレベルではやさしい問題であっても、
翻訳となると困難きわまりない文章であ
るといってこともしばしばです。
Was fehlt dir denn?
[いったい君に何が欠けているのか?]という訳は、典型的な独文和訳式の日本語です。そ
れなら、[何か不足かい?] といいかえれば翻訳が終わったといえるかどうか。それで十分
といえる場合もたしかにあるでしょう。ところが、状況次第で上の文章は、[どこか身体の
調子が悪いのかい?]と訳すべきなのかもしれないのです。
翻訳とは、なるべく日本語として自然なものと思われる文章で、状況にふさわしい内容を
表現しようとする態度から生まれます。したがって、独文和訳
独文和訳の
独文和訳のレベルにとどまっている
レベルにとどまっている
かぎり、
かぎり、あなたは翻訳
あなたは翻訳の
領域にはいることができません。
はいることができません。以上の助言に納得した上で、翻
翻訳の領域に
訳実践の基礎勉強にとりくんでみましょう。
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◆
1課 名詞(1)
名詞(1)
せっかく学んだ文法です。その文法を軽視してはなりません。文法を主軸にした独文和訳
のレベルにとどまっていてはいけないと私はあなたに助言しますが、文法を捨てよ、などと
いう気はありません。文法で学んだ知識を十分に生かしながら、文法
文法に
支配された言葉
文法に支配された
された言葉に
言葉に
柔軟性をあたえるようにしよう
柔軟性をあたえるようにしよう、
をあたえるようにしよう、というのが翻訳修行をこころざすあなたへの、私の第一
の助言であり、同時にはげましでもあるのです。
独文和訳調の訳は、一般に直
直訳と呼ばれます。直訳から解放されて自由で柔軟な訳が意
意
訳と呼ばれます。直訳と意訳の、2種類の訳があるといっても、両者の差はけっしてひど
く大きなものではありません。さしあたり、気をらくにして、独文和訳された文章を、もう
少し日本語の日常のいいあらわしかたにふさわしいものにしようというぐらいの気持ちに
なってくださればよいのです。
独文和訳から生まれた日本語の文章を別の日本語にいいかえ
てみよう。つまり、和文和訳をしてみようという気になってくださるのが、気をらくにもつ
最上の方法です。
Ⅰ. まず名詞
まず名詞の
名詞の周辺から
周辺から応用力
から応用力をつ
応用力をつけよう
をつけよう
単語を化学物質にたとえてよければ、次のようにいえます。他の物質を近づけるとすぐに
化学変化をおこして変質する物質は、安定度の低い物質です。逆に、ちょっとやそっとの刺
激をあたえても変化を示さない物質は、安定度が高いといわれます。その意味で、名詞
名詞は
名詞は
もっとも高
もっとも高い安定度をもつ
安定度をもつ品詞
をもつ品詞です
品詞です。
です。
Ich bin ein Kater.
[私は猫です。]というこの文が、たとえ夏目漱石の小説の題名「吾輩は猫である」の訳名
であろうとも、
「猫」にかわりはありません。
Das Frühstück wird gewöhnlich um acht Uhr gegessen.
[朝食はふだん8時に食べられます。] は独文和訳そのものであって、こんな口のききか
たをする日本人はいないでしょうから、[朝食はふつう8時です。] か、[8時がふだんの朝
食時間です。] ぐらいにいいかえられるでしょう。でも、だれがどういおうとも「朝食」と
「8時」は残ります。この二つの名詞は安定度が高いのです。
最初の練習は、名詞の安定度を生かして、名詞以外の単語を独文和訳調の型にはまった訳
から解放することをこころみてください。
―練習問題1
練習問題1:
Durch Napoleon und die französische Besetzung erwachte der deutsche Nationalismus.
―練習問題2
練習問題2:
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Studenten aus allen Ländern der Erde kamen nach Deutschland, um unter den großen
Wissenschaftlern dort zu studieren.
―練習問題3
練習問題3:
Kein Land hat im zwanzigsten Jahrhundert so viele Nobelpreisträger wie Deutschland
gehabt.
外国人のために書かれたやさしいドイツ史にある上の三つの文章は、
いわゆる独文和訳の
流儀で訳してもあまり不自然さを感じさない訳文になるはずです。それは、だれがどう工夫
しようにもいいかえようのない、安定度
安定度の
名詞のおかげです。
安定度の高い名詞のおかげ
のおかげ
名詞のうちでも、
もっとも安定度が高いのが固有名詞です。
地名か人名が出てくるたびに、
辞書をひかずにすむのでほっとするという人たちが少なくありません。ところが、ここにも
問題があります。ドイツの小学校低学年向きの物語集に、兄さんたちからいつもあだ名で呼
ばれているので、学校に行って本名を呼ばれても自分とは思わない少年の話があって、その
子の名は Henkeltopp といいます。これを「ヘンケルトップ少年」と仮名で書きかえたので
は話の面白味がつたわりません。Henkeltopf という名詞があって、
「取っ手のついた壷」を
意味します。その取っ手のように目立つ大きな耳をもつために少年は妙なあだ名をつけられ
たのでした。そう思えば、
「デカミミ」ぐらいの名を考え出すのが、翻訳者に求められる機
転です。では、同じ物語集にある別の話が次のような書き出しではじまりますけれども、あ
なたの機転でうまく処理して、
話のつづきを子供たちが聞きたがるような日本語の文章にし
てみてください。
―練習問題4
練習問題4:
Es war einmal ein großer Apfelbaum. Der stand genau auf der Grenze zwischen zwei
Gärten. Und der eine Garten gehörte Herrn Böse und der andere Herrn Streit.
Es war einmal...は、グリム童話などでおなじみの、民話調の書き出しのきまり文句です。
そのことを知っている人は、ためらいなしに訳文を書くことができたはずです。ともあれ、
固有名詞も辞書で調べてみようとする心がけが大切です。
Ⅱ. 適所に
適所に適訳を
適訳を
原文中の名詞が訳文でも名詞である確率が高いということから、安定度が高いと申し上げ
ましたけれども、それは名詞一つ一つの意味が安定していることを意味しません。文法的な
構造や機能を重視する独文和訳ではほとんど気にとめずにすむことであっても、
翻訳となる
と訳語の選択がたいそう大事になります。使用頻度が高くて私たちの目にふれやすい名詞は、
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利用度が高いだけにかえって一筋縄であつかいきれないのです。
文法的な理解だけでは訳し
ようのない事例を次にひろってみましょう。
Die Länder haben je nach Einwohnerzahl 5,4 oder 3 Stimmen.
女性名詞 Stimme が第一義的に「声」を意味するからといっていつもそうとはかぎりませ
ん。政治体制に関係するこの文章では「票」であることに、あなたはすぐに気付かれたはず
です。では[その国々は人口数に比例して 5,4 または 3 票をもつ。] と訳して安心してよい
かどうか。
上の分がドイツの国内の行政についてかたる文章の一部だと知れば、
「諸州は・・・」
と訳さなければなりません。連邦制度をとるドイツとオーストリアでは各州を Land と呼ぶ
のです。前後の見境なしに Länder を「国々」と訳すのは、独文和訳のレベルでのみ通じる
ことです。
もしも、あなたが Parteichef という名詞を見たとしたら、どうなさいますか。Partei が
党、Chef がトップの意味ですから「党首」と訳してしまうとしたら、ちょっと待っていた
だきたいのです。確かにその訳語で問題ない場合もありますが、それがたとえば旧ソビエト
連邦のフルシチョフ首相についての話題であれば、党第一書記、党書記長などと時代により
呼称が変わりましたから、その時代にしたがった訳にしなければなりません。翻訳者
翻訳者は
翻訳者は、
時に応じて、
じて、独和辞典にはのせきれずにいる
独和辞典にはのせきれずにいる政治
文化の仕組みや
仕組みや様相
にはのせきれずにいる政治や
政治や文化の
みや様相に
様相に気を配らなけれ
ばなりません。
ばなりません。
さっそく上の注意を生かして練習してみましょう。文章中の他の言葉とにらみあわせて
Länder という語に正しい訳をあたえてください。
―練習問題5
練習問題5:
Die Schwergewichte der Wirtschaftspolitik liegen in den einzelnen Ländern
unterschiedlich.
―練習問題6
練習問題6:
Die Länderparlamente werden alle 4 Jahre neu gewählt, die Wahljahre differieren in
den Bundesländern.
Ⅲ. 複数名詞のあつかいかた
複数名詞のあつかいかた
欧米の言語にあって日本語にないものの一つが名詞の複数形です。
翻訳の経験を積んだ人
にも案外つらい思いをさせるのが、この複数のあつかいかたです。「5冊の本」とか「たく
さんの鳥」のように数詞か量を示す形容詞があるときはよいのですが、そうでない場合に複
数であることを訳にあらわすのは難問題です。「山々」、「花々」のように文字をかさねる策
が通じることはめったにないからです。
たとえば、庭の花がどんどん枯れていくのをミミズのせいにして、ある家庭婦人が次のよ
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うにいったとします。日本語で彼女の怒りをどう表現したらよいでしょうか。
„Der Regenwurm! Er hat die Wurzeln zerrissen!“
[ミミズだわ!根を食い荒らしたのよ!] この訳でも悪くはありませんが、これまでに数
多くの花が枯れてしまったために怒りが爆発したことをあらわすには迫力が欠けます。 [こ
のミミズよ!見境なしに根を食い荒らしたのは!] とすることで、犠牲になった花の多さを
なんとか表現できました。
―練習問題7
練習問題7:
Vor vielen hundert Jahren lebte ein böser Mann. Der hatte nur Gemeinheiten im Kopf.
―練習問題 8:
Wenn man von den berühmten Gebäuden und Kirchen Wiens spricht, so könnte man
eine sehr lange Liste machen.
―練習問題 9:
Seitdem Menschen sich in den Hochtälern unserer Alpen angesiedelt haben,werden sie
von Naturkatastrophen heimgesucht.
複数と
複数と対照的なのは
対照的なのは、
なのは、ことさら単数
ことさら単数であることを
単数であることを示
であることを示す不定冠詞で
不定冠詞で、日本語にする
日本語にする必
にする必要が
あるかどうか、
あるかどうか、その都度判断
その都度判断していこうとする
都度判断していこうとする気持
していこうとする気持ちが
気持ちが大事
ちが大事です
大事です。
です。ドイツ鉄道の時刻表で
乗車券の買いかたを説明する文章の一つをごらんください。
Die Zuschlagkarten gelten nur zu einer Fahrt.
主語となっている複数名詞「割り増し切符」は、優等列車を利用するために乗車券のほか
に買うべき切符で、
「急行券」と訳せばすみます。問題は eine Fahrt にあります。[急行券
は一回の乗車にのみ有効。] という訳は、正しいようにみえてじつは誤訳です。日本のJR
の場合とちがって、
一枚の急行券で何度も途中下して別の急行にのりつぐことができるから
で、何度のりかえても目的地まで有効です。したがって、[急行券は片道のみ適用。] が正
解です。では、日本にはないドイツ鉄道の「家族パス」(Familien-Pass)の説明をこの課
の最後の練習問題とします。
―練習問題 10:
10
Ehepaare, Familien und auch Elternteile mit mindestens einem Kind können damit 1
Jahr lang Fahrten zum halben gewöhnlichen Fahrpreis ausführen.
いかがでしょうか。文法
文法の
文法の規則を
規則を知り、辞書をひく
辞書をひく技術
をひく技術をもつだけでは
技術をもつだけでは翻訳者
をもつだけでは翻訳者の
翻訳者の資格と
資格と
するに足
するに足りません。
りません。あなたの翻訳から恩恵をうけようとする人たちのために、正しい情報
をつたえたいと願う気持ちがいかに大切かを、ぜひ知ってください。
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この課に予定された練習問題はすべて終わっていますから、この先は気軽にお読みくださ
って結構です。しかし、単数
単数と
複数の区別について
区別について油断
禁物
単数と複数の
について油断は
油断は禁物だということを身にしみて
感じていただくために、面白い例をあげておきます。次の二つの、一見同じようにみえる文
章を訳しわけてみてください。
(1) Wir trinken viel Bier.
(2) Wir trinken viele Biere.
[私たちはビールをたくさん飲む。] こう訳しておけば、初歩的文法のテストで合格点ぐ
らいはもらえるでしょう。でも、「たくさん」とは何を意味しているのでしょう。もともと
物質名詞で一つ二つと数えることのない Bier が複数形であるのは、どういうことなのでし
ょうか。
(1)については[私たちはビールをたくさん飲む。]で間違いありません。ところが(2)では、
飲まれるビールの量の多い少ないはあまり問題になっていないのです。ドイツだけで 1200
以上もビール工場があるといわれるほどですからビールの銘柄がいろいろあります。
複数形
が生じるのも、それら銘柄の一つ一つを区別して考えることに由来します。ワインについて
も同じことがいえます。銘柄・産地の区別ばかりでなく、アルコール分が少なくて糖分の多
いスポーツマン向き健康飲料やら黒ビールやら、ビールの種類もいろいろです。(2)の正解
は、[私たちはいろいろな種類のビールを飲む。] あるいは[いろいろな銘柄のビールを飲み
くらべる。]です。
Zwei Uhren が「二つの時計」
、zwei Uhr が時刻の「2時」であることはもちろんご存知
の通りです。単位として使われるとき、名詞は単数形であるのが普通です。
Ich habe drei Sack Kartoffeln gekauft.
[私はジャガイモを3袋買った。]
たわいもなくやさしい文章ですね。では、次の文章は?
Das Haus ist drei Stock hoch.
前の例文につられて[その家は3階分の高さだ。] とか[3階建てだ。]と訳そうものなら大
失敗です。ヨーロッパでの建物の階層は、日本とかぞえかたがちがうのです。1階は
Erdgeschoss(地階)
、2階が 1. Stock、3 階が 2. Stock であるという話はどこかでお聞き
になったのではありませんか。[その家は4階建てです。] が正解です。原文に 3 とあるの
に、4 と訳さなくてはならない!これこそ逐語訳式の独文和訳が翻訳として適用するとはか
ぎらないことを如実に証明してくれる例であるのです。
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≪練習問題訳例≫
練習問題訳例≫
1. ナポレオンとフランス軍による占領がドイツのナショナリズムを目ざめさせた。
2. 世界各国からドイツに留学生が来て、ドイツのすぐれた科学者のもとで学んだ。
3. 20 世紀にドイツほど多くのノーベル賞受賞者を出した国はない。
4. むかし、一本の大きなリンゴの木がありました。その木は二つの庭の境にまたがってい
ました。庭の一つはイジワル氏、もう一つはモメゴト氏のものでした。
5. 経済政策の重点のおきかたは個々の国によってちがう。
6. 州議会議員は4年ごとに改選されるが、選挙年は州によってまちまちである。
7. 何百年もむかし、意地の悪い男がいた。その男の頭の中につまっているのはろくでもな
い考えばかりだった。
8. ウィーンにある著名な建物や寺院というと、延々とつづく表になりかねないほど多い。
9. わがアルプス山脈に定住しはじめて以来、人間はさまざまな自然の災害に襲われつづけ
てきた。
10. 夫婦、家族、あるいは少なくとも一人の子をつれた片親は、このパスによって一年間、
通常料金の半額で鉄道旅行ができる。(※かならず2人以上でパスを用いることが条件であ
るところがユニークです。
)
※練習問題 6 で Länder-を「州」とする根拠は、原文の後半にある Bundesländer という語
にあります。連邦制度をとるドイツとオーストリアでは、国家レベルの用語に「連邦」を意
味する Bundes-を冠する習慣があるからです。同じく連邦国家のスイスもこれに準じます
が、スイスで「州」をあらわすのは Kanton という語ですので、練習問題 6 がスイスのこ
とをいっているのではないとわかります。
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≪演 習≫
1. 日本語訳
Klaus kam aus der Schule und ging nach Haus. Er warf den Schulranzen, den Anorak
und die Pudelmütze vor die Tür und holte den Koridorschlüssel aus der Hosentasche.
Er schloss die Tür auf, ging sogleich in die Küche, um nachzusehen, was seine Mutter
ihm zu essen hingestellt hatte. Auf dem Küchentisch lag ein Zettel: „Lieber Klaus,
wärme Dir die Bohnensuppe auf.“
„Hm“, brummte er, „Bohnensuppe, ist ja nicht gerade mein Leibgericht. Eierkuchen
wären mir lieber. Oder eine Bratwurst.“
[ヒント] 母子家庭の子である小学生 Klaus。女性の就業率の高いドイツのことで、母親は
夕食の支度をしてから仕事に出ました。
アパート住まいが都会のドイツ人の標準的生活様式
で、いきおい鍵が欠かせません。母親が Klaus に書き残したメモで Dir となっているのは、
手紙の文章で2人称代名詞が大文字になるという習慣によります。ドイツ人の食生活の一端
にもふれられます。zu essen hinstellen は「食べるために置く」で、ここでは「食事の用
意をする」ということ。過去完了になっていますから、
「彼のためにどんな食事を用意して
おいてくれたか」ぐらいに訳しておけば当座の役に立つでしょう。wären mir lieber は接続
法第2式で「~のほうがいいんだがなあ」の意味です。なお、Pudelmütze は防寒用の厚手
の毛の帽子です。Eierkuchen(パンケーキ)には「オムレツ」という意味もあります。
2. ドイツ語訳
ドイツ語訳
「この会社につとめているのですか」と教授がたずねた。
「アルバイトです」と彼はいった。
「じゃ、大学生なのですね」
「ええ、文学部です」
「専門は?」
「ドイツ文学です」
[ヒント] 「この会社に」は in(または bei)dieser Firma。アルバイトというのはドイツ産
の日本語で、もともとの Arbeit の意味とはすっかりちがっています。日本人のいう「アル
バイト(副業)
」にあたるのは Job という、英語から移入された男性名詞です。「大学生で
す」は名詞 Student を使わずに、動詞 studieren でいうほうがスマートです。Studieren
は「大学で学ぶ」ことを意味します。「文学部」は、ドイツ語の国々では「哲学部」といい
ます。
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≪演習訳例≫
演習訳例≫
1. 日本語訳
クラウスが学校から帰ってきた。ランドセルとジャンパーと毛編みの帽子をドアの前に
ほうり投げ、ズボンのポケットから廊下のドアの鍵をとり出した。自分ちのドアを鍵であけ
るなり、すぐに台所に行って、母さんがどんな食事を用意してくれているか、たしかめよう
とした。台所のテーブルの上に一枚のメモがあった。「クラウスちゃん、インゲン豆スープ
をあたためておあがりなさい」
「チェッ」とクラウスは文句をいった。
「インゲン豆スープなんて、ぼくの好物じゃないや
い。パンケーキの方がいいのになあ。そうでなきゃ、あったかいソーセージだといいんだけ
どなあ」
2. ドイツ語訳
ドイツ語訳
“Arbeiten Sie bei dieser Firma?“ fragte der Professor.
“Ein Job“, sagte er.
“Ach, sie studieren?“
“Ja, an der Philosophischen Fakultät.“
“Was ist Ihr Hauptfach?“
“Germanistik.“
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◆
2 課 名詞(2)
名詞(2)
言葉の通じない国で買物をするとき、商店に入っていくことがすでに何かを買おうとする
意志の表明であり、
求める品物の呼び名がわからなくてもその品を指せば立派に用が足せま
す。指で示せる品物や、絵に描けるくらいに具体的な事物をあらわす名詞くらい安定度の高
いものはありません。これにひきかえ、指でさせず、絵にも描けないことがらをあらわす名
詞となると、とたんに意思の疎通がむずかしくなります。日本人が西洋文明を輸入しようと
したとき、自由、平等、真理、理性などといった抽象的な概念を訳すのにいかに苦心したか、
私たちは謙虚に先人たちの苦労を想像するべきです。今日ではおおかたの抽象名詞に一定の
訳語があたえられ、年々充実する辞書の恩恵にあずかる私たちは、明治・大正時代の人たち
よりはるかにらくに翻訳できるはずなのです。とはいうものの、伝統的に抽象的思考の下手
な日本人は、今でもなお欧米言語
欧米言語の
欧米言語の抽象名詞の
抽象名詞の豊富さ
豊富さにとまどいを禁じえません。そこで、
抽象性の濃い名詞であっても日本人の感覚になじみにくいものを翻訳する技術についてこ
の課で学んでみることにしましょう。
Ⅰ. 名詞の
名詞の消滅、
消滅、ほかの品詞
ほかの品詞への
品詞への転換
への転換
Was? Wahrheit?―思いがけないことを聞いた人が発するこの言葉を、[何?真実か?]と
訳すようではまだ文法へのこだわりが強い証拠です。前後関係にもよりますが、[え、ほん
と?]、[あら、まさか!]、[そんな、馬鹿な!]ぐらいに訳せれば会話らしい口調になります。
原文にあった「真実」という名詞は完全に消え失せてしまいました。
安定度が高い名詞とはいえ、それはあくまで原則論でのことであり、しいて日本語にしなけ
ればならない、つまり日本語
日本語の
名詞におきかえる必要
日本語の名詞におきかえる
におきかえる必要のある
必要のある名詞
のある名詞ばかりとはかぎりません
名詞ばかりとはかぎりません。
ばかりとはかぎりません。
Der Besitzer erbaute damals in Entfernung von einer Viertelstunde ein neues
Schloss.
[土地の所有者が当時、十五分の距離のところに、新しい邸宅を建てた。]でよさそうですが、
この際できるだけ原文中の名詞の直訳を少なくするゲームをたのしむ気になってみてくだ
さい。
「歩いて十五分ぐらいのところに」として「距離」という名詞を消そうというのです。
―練習問題1
練習問題1:
Mit der Zeit aber kam alles in Gang.
―練習問題2
練習問題2:
Im Wege von Erbschaft, Mitgift und Kauf ging das Schloss durch die Hände vieler
Familien.
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―練習問題3
練習問題3:
Sie ließ sich zu Tode erschöpft nieder.
上の三つの問題のそれぞれで少なくとも名詞の一つが消えたなら成功です。
消滅とはいっ
ても、じつは姿を変えたにすぎません。この変形は、具体的
具体的な
具体的な形や大きさをもたないこと
がらを意味
がらを意味する
基本原理
動詞からつくられた
意味する名詞
する名詞をあつかう
名詞をあつかう際
をあつかう際の基本原理を示します。とくに、動詞
動詞からつくられた抽
からつくられた抽
象名詞、
象名詞、および動詞
および動詞の
動詞の不定詞そのままである
不定詞そのままである名詞
そのままである名詞は、思い切った変形が効果的であること
名詞
がしばしばあります。
Ob die Verständigung gelingt, hängt davon ab, ob man die angemessene
Ausdrucksweise findet.
[了 解 が 成 立 す る か 否 かは 、 適 切 な 表 現 方法 を見 出 せ る か ど う かに よる 。 ]文 中 の
Verständigung は、なるほど辞書によれば「了解」または「理解」ですから、上のように
訳せれば当座の用には役立ちそうです。しかし、[自分のいいたいことがわかってもらえる
かどうかは、話しかた次第だ。] といえたなら、はるかにわかりやすいでしょう。
Sprachliche Verständigung geschieht in bestimmten Situationen.
[言語的了解が一定の状況において生じる。] この文を上の方法でいいかえてみてくださ
い。[言葉で理解をもとめなければならないことがよくある。]というほどの意味の文章に「言
語的了解」はいかにも固すぎます。
不定詞そのままの名詞もこれに準じます。
Lernen durch nachahmendes Sprechen ist nicht auf das Kleinkindalter beschränkt.
まさか「模倣的言語行為による学習」などとはお訳しにならないでしょうね。[他人の口
真似をして学ぶのは、なにも幼年時代だけのことではない。] と大胆にいいかえてよいでは
ありませんか。
名詞の
名詞の多い文章は
文章は、漢字の
漢字の多い日本語に
日本語に似て、密度が
密度が濃い感じを読者
じを読者にあたえます
読者にあたえます。
にあたえます。読
者を消化不良から守るために、
ときに思いきってこなれやすくするのは翻訳者の芸のうちで
す。次の練習問題で力試しをなさってみてください。
―練習問題4
練習問題4:
Über Menschen zu reden, ist eine beliebte Beschäftigung.
―練習問題5
練習問題5:
Schon bei flüchtigem Lesen merkt man, dass er Recht hat.
この種の事例においては形容詞のつかいかた一つで訳がなめらかにもなり、
ぎこちなくも
なります。この点については次の課で練習しますが、せっかく動詞の不定形を名詞として用
いる文例をあげたばかりですから、
次の文章で形容詞がらみの名詞の処理の仕方の特殊例を
紹介しておきましょう。
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Sie hörte nur ein helles klirrendes Sausen über sich, das so klang, als schwirrte der
Wind in welken Blättern.
文中の名詞化された動詞 sausen は一種の擬音語
擬音語ですから、
「ざわざわする」という日本
擬音語
語にぴったりしそうです。ところがこれについている二つの形容詞の一方は「明るい、澄ん
だ」であり、もう一方はこれまた擬音語であって「からから鳴る、ちりんちりん鳴る」とい
いたい語です。形容詞にふくまれた l の音と k の音のもつひびきからすれば、「ざわざわ」
という濁音はどうもふさわしくありません。
この推理の正しさは後半部の比喩によって証明
されます。
「風が枯れた葉の中で音を立てるかのように」とあるところをみると、
「ざわめく」
といった濁って湿った言葉を使う気になれません。
結局、
次のように訳してみたくなります。
[彼女の頭上でカサカサという澄んだ音がした。枯れた葉の中を風が吹きぬけていくような
音だった。]
Ⅱ. 他の品詞からつくられた
品詞からつくられた名詞
からつくられた名詞
次の文章をごらんください。
Die Zahl der Meldungen, Nachrichten, Informationen nimmt täglich zu.
一目瞭然の文章で、構造は単純でまぎれがありません。よろこびいさんで[報告、報道、
情報の数は日に日に増す。] と訳すことにします。ほかに訳しようがなさそうに思えます。
ところが、そう訳してしまってから私はひどく不安になります。明らかに現代の情報洪水を
話題にしている文章です。ちなみに、ドイツ語では「情報洪水」を Informationslawine つ
まり「情報なだれ」と呼びます。洪水といおうが、なだれといおうが、私を不安にするほど
の決定的な差ではありません。私を不安にするのは「報告、報道、情報」という三つの名詞
の並べ方です。もしもこの文の筆者が情報を三つの種類に分類する気なら、Nachrichten
と Informationen のあいだに und という接続詞をおいたはずです。それがないということ
は、筆者は別に情報の種類を神経質に分類する気をもたず、たんに情報と呼ばれるものの仲
間を漫然と列挙したにすぎないことをあらわします。そこで私は思いあらためて、[報告や
報道など、呼び名はどうあれ、情報の量は日に日に増すばかりである。] と書きなおすこと
でしょう。極端にいえば、[情報はどんどん増える一方だ。]と訳しても、原文の意味をひど
く損ないはしないのです。
名詞の訳しかたのむずかしさを痛感するのは、このような場合です。そして、これと負けず
劣らずに翻訳実践者の首をひねらせるのが、名詞化
名詞化された
名詞化された形容詞
された形容詞、
形容詞、動詞の
動詞の過去分詞と
過去分詞と現在
分詞です。
分詞
イタリアに旅行してミラノから便りをくれたドイツ人の文章の一つです。
Nun bin ich also in Mailand und erlebe viel Schönes und auch Merkwürdiges.
この文の後半の「多くの美しくて珍しくもあることを体験する」をかみくだいていえない
ものでしょうか。[今ぼくはミラノに来ていますが、見るもの聞くものがたのしく、珍しい
こともいろいろあります。] この程度の日常的な言葉づかいならば気軽にいいかえができま
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すが、精神文化史の論文で das Revolutionäre und für die Zeit Wesentliche とか die
Objektivität des Tatsächlichen といった語句に頻繁に出くわすとほんとうに困ってしまい
ます。
こうした抽象的な概念後は論理の筋道に立って使われますから迂闊な意訳はできませ
ん。そのためについ[革新的かつその時代にとって本質的なるもの] とか[事実的なるものの
客観性]といった種の、哲学臭
哲学臭の
哲学臭の強い固い訳が生まれやすくなるのです。そんな場合、[革新
的で、しかも時代の特性を示すもの] とか[事実がもつ客観性]ぐらいに、せめて晦渋な印象
をあたえる「・・・的」という語を減らす方向で工夫するとよい、と私は思っています。
日本人は伝統的かつ体質的に抽象的な思考法を苦手としています。それをいうために私は、
「伝統的・体質的・抽象的」と三つも「・・・的」を使いました。もちろん、これは私の趣味
でも本意でもありません。
昔から日本人は観念でものを考えることを不得意としているので
す。私自身もしばしば「的」を使いますが、短い文章の中に三つもかさなるのは、私の好む
ところではありません。ところが、翻訳者の立場でものを考えますと、「的」とはまことに
便利で、これさえ使っていれば、
難解な論文でも割合い容易に訳せてしまうのです。
つい「的」
ですませておこうという気になるのも無理はありません。こなれのよくない訳文にやたらと
「的」が多いのはそのためです。そして、この現象は、ドイツ
ドイツ語
ドイツ語が抽象度の
抽象度の高い言葉を
言葉を、
つまり形
つまり形や大きさや実体
きさや実体をもたないものをあらわす
実体をもたないものをあらわす名詞
をもたないものをあらわす名詞を好んで使うことと大いに関係が
名詞
あります。形容詞
形容詞の
形容詞の名詞化は、多くの場合、これにあたります。
名詞化
日本の若い読者に人気のある南ドイツ生まれのスイス作家 Hermann Hesse の次の文章
で、抽象的としかいいようのない形容詞の名詞化の例が三つも見られます。どう訳したらよ
いのでしょうか。
Man überschätzt das Sinnliche, wenn man das Geistige nur als einen Notersatz für
fehlendes Sinnliches ansieht.
わずか 16 語の短い文章の中に、名詞化された形容詞が三つ、しかもそのうちの一つには
ご丁寧に、動詞を現在分詞にして、それをまた形容詞として用いたものがついています。
「B
がCの代用品とのみみるならば、Aを過大評価することになる」あるいは「BがCの間に合
わせの代用でしかないと思うなら、Aを買いかぶっているのである」というのが骨組です。
AとBとCには、上の文章中の名詞化された形容詞を順にあてはめてみてください。むずか
しいですよね。こんなとき、「的」を使うと立ちどころに訳ができます。
[人が精神的なるものを、欠けている官能的なるものの間に合わせの代用品とのみみるな
らば、官能的なるものを過大評価することになる。]
ああ、なんということか!なるほど、大学でのもったいぶった独文和訳の試験の答案であ
れば満点に評価されるかもしれないこんな訳しかたが、
悲しいかな出版物にまで及んでいる
のが実情です。
「的」を使えばらくに訳せるというものの、それを読まされる立場にある人
は大迷惑です。
Hesse の文章の背景には、Geist(精神)と Körper(肉体)を二つに分けるヨーロッパ人の
思考方法があります。頭脳による知的活動と、肉体の感覚機能との二元論です。[知性を、
感性が欠けているときにだけやむをえず代用品として使うものだと考えるのは、
感性を買い
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かぶるもはなはだしい。] と、「的」を除いても十分に意味が通じるではありませんか。古
代ギリシア人が理想としてかかげた「真・善・美」をドイツ人は das Wahre, das Gute, das
Schöne といいあらわしています。それをわざわざ「真実なるもの・善なるもの・美なるも
の」などといいあらためるには及ばないでしょう。だいいち、日本人の言語感覚によれば、
「感性」も「知性」もともに十分に抽象概念です。das Geistige は厳密にいえば知性そのも
のでなく、
「知性のはたらきの対象となるもの」という意味であるのですが、この程度の小
小
さなずれを犠牲
Hesse その人が望む
さなずれを犠牲にしても
犠牲にしても簡明
にしても簡明な
簡明な訳をめざしたいものです。それはまた
をめざしたい
ところであったはずです。
この際、もっと大胆になって、原文の構造にとらわれない意訳をこころみてみましょうか。
[感性が使えないときにだけ知性を急場しのぎの代用品に使うというのは、感性の偏重であ
る。] 知性をさげすんだために 20 世紀のヨーロッパ人が精神の面でも政治・社会の面でも
危機におちいったと主張しつづけた Hesse らしい言葉ではありませんか。
ご安心ください。もうこれ以上面倒な文章を私はもち出す気がありません。それに Hesse
の上の文は、翻訳技術の観点からみてもっとも困難なものの一つです。先にむずかしいもの
に出会っておけば、かえって気がらくになるものです。18 世紀のドイツの偉大な文人
Lessing は、自分の妻が死んだ悲しみを、Ich freue mich(私はうれしい)と書きあらわし
ました。
「これから先の生涯においてこれ以上に不幸な思いをしなくてすむのだから。
」悲し
みの深さをあらわす感動的な文章です。
では、ドイツ最大の詩人 Goethe の書いた次の文章を訳してください。難関を越えてしま
ったあなたは、もはや「的」に頼ることなく、気をらくにして軽々と訳すことができるはず
です。
―練習問題6
練習問題6:
Es ist ein Schloss, dessen Äußeres ein leidliches Innere erwarten lässt.
dessen という関係代名詞があなたの翻訳の支障になるとは思われません。上の文では、
まかりまちがっても
「~的なるもの」
と訳しようがないことを肝に銘じていただきましょう。
その上で、次の文章もお願いします。これまた Goethe の文章ですが、文章書きの天才がこ
んなことを書いたとは、とうてい信じがたいことです。
―練習問題7
練習問題7:
Unter vielem Verhassten ist mir das Schreiben das Verhassteste.
Ⅲ. 格のさまざま
おしまいに名詞の格について、
とくに初歩的な文法ではほとんどふれられていないことが
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らについて若干の観察をしておくことにいたします。
まず、2格。die Eltern des Mädchens(その女の子の両親)のように、2
2格の名詞が
名詞が他
の名詞に
名詞に結び付くのがもっとも普通
くのがもっとも普通のあらわれかた
普通のあらわれかたで、これについては何もいう必要はあ
のあらわれかた
りますまい。また、時や場所をあらわすのに単独で、副詞のはたらきをすることも、私たち
のよく知るところです。
Jemand musste Josef K. verleumdet haben, denn ohne dass er etwas Böses getan
hätte, wurde er eines Morgens verhaftet.
[誰かがヨーゼフ・K を誹謗したにちがいなかった。なぜなら、何も悪いことなどしてい
ないのに、ある朝、逮捕されたからである。]
これよりも例の少ないのは次のように態度や状況をあらわす文例です。このような特異な
2格の用例に出くわしてもたじろがずにすむように少しばかり練習をしておきましょう。
Meine Reiseerlebnisse werde ich Dir später des näheren schreiben.
dir でなく Dir となっているところを見ると手紙の文章です。(ただし現在では、書簡中
の du, ihr を大文字で書かなくてもよくなりましたので、小文字だから手紙ではないとは判
断できません。
)des näheren は、形容詞 nahe の比較級を名詞化したものの応用ですが、
「近
い」ではなくて「くわしい」の意味で使われています。[旅行中に体験したことがらはあと
でもっとくわしく書くつもりです。]
Sie wandelte gesenkten Hauptes durch den Garten.
gesenkten Hauptes は、庭をさまよう女性の頭の様子をあらわします。2 格の名詞のくせ
に、つくべき名詞が見当たらないので副詞的に用いられていると知れます。[彼女は頭をた
れて庭をそぞろあるいた。]
-練習問題8
練習問題8:
Johannes wandte sich ihm bittenden Auges zu.
ときたまあらわれる特殊な用法の一つに Zeichen という名詞の 2 格があります。独和辞
書には、Bäcker seines Zeichens(職業はパン屋)のような例があがっていますが、説明抜
きの文例で、まるで seines Zeichens が Bäcker を修飾しているように見えて感心しかねま
す。昔から、職種ごとに特徴を示す看板のたぐいが用いられ、それがこうしたいいかたのお
こりとなりました。
「職業に関しては」という意味で使われます。
Es ist mein Freund Herr Brandt, seines Zeichens ein Frauenarzt.
[こちらが私の友人ブラント氏、ご職業は婦人科医です。]
3 格については、人称代名詞こそ要注意であるのですが、人称代名詞に通用することは、
もちろん名詞にもあてはまります。利害関係
利害関係や
判断の基準となる
基準となる人物
であらわす
利害関係や判断の
となる人物を
人物を 3 格であらわすこ
とがしばしばあります。翻訳文に入れるべきか、いっそ略してしまうか、そのときどきによ
って判断しなくてはなりません。
Der Arzt verband dem Mann den Fuß.
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「その男に足を」が、「その男の足を」であることは、すでにドイツ語の文章に数多く接
してきたあなたには一目瞭然ですね。
では、Das lobe ich mir.の場合は?[それを私は讃める。] こう訳すしかありません。mir
が余計です。これは、他の人がなんといおうと私はそれを讃めずにいられない、という気持
ちの表現なのです。[すばらしいじゃないか。] とか[立派なものだと思わないかな。] と自
説を相手に押し売りする口調で訳せばかたり手のいいぶんがあらわれるでしょう。そこで問
題です。
―練習問題9
練習問題9:
Gleich heißt der Jugend alles schändlich oder würdig.
女性名詞 Jugend が 3 格です。
「青春」でなくて「若い人々」の意味であること、主語が
alles であることをヒントとしておきます。
最後に 4 格。4格が2格と同様に独立して、jeden Tag(毎日)のように副詞句として用
いられることについてはいうまでもありません。ここでは、これまた初歩文法でおざなりに
されている観のある、4
4格の名詞による
名詞による特殊
構文
による特殊な
特殊な構文について知っておいていただきましょ
う。
Den Kopf stolz empor, die Arme übereinander, so stand er da.
[誇らしげに頭を上げ、両腕を組んで、彼は立っていた。]4格の名詞をふくむ語句がそれ
ぞれ独立していることに注目してください。
Ich habe niemand besucht, meinen Onkel ausgenommen.
[伯父さん以外には、だれも訪ねませんでした。]
英語に分詞構文
分詞構文といって現在分詞や過去分詞が独立の語句を形成することがよくありま
分詞構文
すが、ドイツ語では動詞
動詞ぬきでも
名詞を用いて同様の意味をあらわせることが上の
いて
動詞ぬきでも4
ぬきでも4格の名詞を
例でわかっていただけたはずです。
In der einen Hand einen Blumenstrauß, in der anderen ein versiegeltes Papier, trat
er in die Kammer.
[片手に花束、別の手には封印をした書状をもって、彼は部屋にはいった。]
いったんわかってしまえば、この種の4格はあつかいやすく、愛すべきものだといえるでし
ょう。そこで、しめくくりの問題です。
―練習問題 10:
10
Den Blick zu Boden gesenkt, den einen Arm shlaff herabhängend, den anderen gegen
die Brust gedrückt, wandte sie sich von mir ab.
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≪練習問題訳例≫
練習問題訳例≫
1.
それでも時がたつにつれてすべてがうまくいくようになった。
2.
相続、結婚、買収などをへて、その城は数多くの家族にうけつがれた。
3.
ぐったりして彼女はすわりこんだ。
4.
他人のうわさ話を好むのは世の人の常である。
5.
ざっと目を通しただけでも彼のいいぶんの正しさがわかる。
6.
それは、外側から見ただけでもまずまずの内装だろうと察しのつくような城である。
7.
いやなものはたくさんあるが、ものを書くのがいちばんいやなことだ。
8.
ヨハネスが、たのむよといいたげな目つきで彼のほうを向いた。
9.
若者たちは何もかもがひとしく恥ずべきことであるか、
それとも立派なことであるか、
二つに一つのどちらかだと考える。
10. 視線を床に落とし、片腕をだらりとさげ、もう一方の腕を胸にあてて、彼女は私から離
れた。
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≪演 習≫
1. 日本語訳
Einer Deutung der Träume gehe ich geflissentlich aus dem Weg. Ich sage mir, dass
mir dazu die notwendigen Voraussetzungen fehlen. Das stimmt zur einen Hälfte. Die
andere Hälfte ist Feigheit vor den möglichen Ergebnissen. Doch da ist das
Offensichtliche. Ich sehe, dass ich die Grausamkeiten an anderen geschehen lasse und
mich selbst in einer nur mittelbaren Betroffenheit aufbewahre.
[ヒント] たいがいの夢は、目ざめとともに忘れられてしまいますが、中には記憶に残って
気がかりになる夢もあります。
夢の内容を分析して解釈することは精神分析でよくおこなわ
れます。夢をテーマにした上の文章のはじめにある Einer Deutung der Träume が 3 格で
あることに気付き、aus dem Weg gehen との関係をたしかめるのが先決です。悪い夢を見
ても、それは自分自身のことでないと思いたがるのが人情です。
2. ドイツ語訳
ドイツ語訳
悪書を良く読む、つまり注意深く読み、良書を悪く、つまりうわっつらだけ読むというこ
ともありえます。悪書を追放したとしても、良いものを悪く読む可能性はあいかわらず残る
のです。
[ヒント] 「悪書・良書」は gute, schlechte Bücher というのがもっともすなおですが、形
容詞の名詞化を実地に使うために大胆に Schlechtes, Gutes としてみてください。「悪書を
追放したとしても」がむずかしいですね。wenn auch(~としても)を、das Schlechte
fortlassen と組み合わせてください。
「良いものを悪く読む可能性」は、die Möglichkeit, gute
Stoffe schlecht zu lesen と zu 不定詞を使っていうのも結構ですが、名詞の練習を目的とす
るこの課では schlechtes Lesen と名詞化していうことをこころみてください。
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≪演習訳例
演習訳例≫
訳例≫
1.日本語訳
自分の見た夢の意味を私はつとめて考えないようにしている。夢の意味を考える必要な
ど私にはないのだ、と思うことにしている。これは半分あたっている。あとの半分は、いや
な結果を恐れる気持ちのせいだ。とにかく、はっきりしているのは次の点だ。残酷なことは
他人たちの身におこるにまかせて、
自分自身を直接かかわりのない立場におきたがっている
のだ。
2. ドイツ語訳
ドイツ語訳
Man kann auch Schlechtes gut, d.h. sorgfältig lesen, und man kann Gutes schlecht,
d.h. oberflächlich lesen. Lassen wir nun das Schlechte auch fort, so bleibt immer noch
die Möglichkeit des schlechten Lesens von guten Stoffen.
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