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翻訳とパラテクストとしての挿絵: プロイスラーの作品

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翻訳とパラテクストとしての挿絵: プロイスラーの作品
Kobe University Repository : Kernel
Title
翻訳とパラテクストとしての挿絵 : プロイスラーの作品
を例に(Illustrationen als Paratext beim Ubersetzen : Mit
Beispielen aus einem Werk von O. Preusler)
Author(s)
藤濤, 文子
Citation
国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科
紀要,42:89-103
Issue date
2014-08
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008915
Create Date: 2017-03-28
89
翻訳とパラテクストとしての挿絵
―プロイスラーの作品を例に―
藤 濤 文 子
1.はじめに
文学作品にとって挿絵は単に添えられたものであり、本質的な要素ではない
と一般には考えられているだろう。しかし視覚要素である挿絵は、読者の目に
触れるだけで一瞬にして作品の雰囲気を伝え、作品の解釈や人物像に大いに影
響することも十分ありえる。挿絵は視聴覚作品に慣れ親しんでいる読者の興味
関心を引き、季節感や印象の違いをもたらし、何に焦点を当てて前景化するか、
どの登場人物に共感するか等にも影響する(平岡 2006)。さらに挿絵は、「文
章と図像の響き合いによって物語の空白を埋めるような読書行為の前提となる
要素」として、
「時間的な幅や空間的な奥行き、また多視点による人物の〈内面〉
描写を様々な工夫によって視覚情報として〈翻訳〉
」
(ホルカ 2011: 60)するも
のとも言える。
このように挿絵が作品にとって一定の役割を演じるとすれば、その作品の翻
訳においても挿絵をどう扱うかは注目に値すると言える。翻訳作品では原作と
比べて挿絵の位置づけや機能が変わるだろうか、作品全体との関連で何らかの
影響が見られるだろうか。本稿では翻訳における挿絵に着目し、何が守られ何
が変更されたかを、具体例分析を通して検討していきたい。その際、挿絵をパ
ラテクストとして捉え、作品を作品たらしめる要素の一つと見る。分析には、
昨年亡くなった O. プロイスラーの児童書を用い、ドイツ語原作と日本語訳お
よび英語訳を比較検討する。この作品は絵本と違って絵の無いページもあるた
め、言語テクストが主たる役割を演じているものの、多くの挿絵が含まれてい
る点で分析に適している。こうした挿絵入りの作品と絵本の境界は曖昧で流動
90
的であり、さらには漫画とも接点があるため、ここでは絵と言語テクストを含
む絵本と漫画についての翻訳研究の成果も取り入れて参照しながら、その共通
点についても視野に入れて考察する。
2.絵と言語テクストのコラボレーション
絵本における絵と言葉の関係は、笹本によると大きく分けて「言葉先行型」
と「絵・言葉対等型」の2タイプがあるという(中川・今井・笹本 2001)
。言
葉先行型とは、言語テクストが主で、絵は副次的な役割を演じるものである。
挿絵入りの作品も同様であろう。さらに絵・言葉対等型とは、言語と非言語が「コ
ラボレーション」して一体化したタイプであり、これにはさらに「重なり」と
「分担」の2種類があるという。絵と言葉が同じ情報を伝える場合と、それぞれ
が異なる側面を分担して伝える場合である。言葉は物事を抽象的で概念化され
た相において捉える一方、絵は具体的な姿で細部まで豊かに表現する。そのた
め絵は、
「テクストが語る以上の物事の様相」
(ibid.: 91)を積極的に描くことで、
独自の肉付けをして、新しい豊かさや物語世界の表現ともなるという。
O'Sullivan(2006)は、言葉と絵が異なる情報を伝えている作品、つまり笹
本のいう「分担」にあたる作品の翻訳事例を分析している。言語テクストが登
場人物の視点から語られ、絵が登場人物の見えない部分まで描いていて、両者
の伝える内容にギャップがあるようなケースである。こうした作品を読む行為
においては、このギャップを読者が埋めることになり、絵から読み取る中で発
見の喜びが伴う。しかしその作品の翻訳において、翻訳者が絵から読み取った
解釈を翻訳文に盛り込んでしまい、絵の分担分を言語テクストへと移行させて、
ギャップを埋めてしまった。分かりやすくしようとしたことがあだとなった例
である。この事例のように、絵と言葉が補完し合ったり、矛盾し合ったりする
場合、読者は異なる視点からの表現に触れることで複合的な読みをしたり、謎
解きのような発見をしたりするのであり、そこでの絵の働きは言語テクストと
同様の重要性をもつものと言える。
挿絵の入った作品の場合も絵本とよく似た現象が起こる可能性がある。挿絵
の場合は基本的には、言葉が主で絵が従であろうが、平田(1995: 109)も述べ
91
ているように、例えば『不思議の国のアリス』では、「作家が画家に挿絵の内
容をスケッチによって示し、画家も作者に文章修正の意見を述べるような、親
密な協力関係」にあったという。絵と言葉の両者が緊密に一体化してひとつの
作品として成立するという関係である。ただ、挿絵が作品の価値に大きく寄与
するような場合であっても、それが翻訳される際には、必ずしもそのまま引き
継がれるわけではない。アリスの日本語訳も明治期から数多く刊行されてきて
いるが、挿絵が全く別のものに変えられることが多いことはよく知られている
通りである。千森(2009: xi-xii)は、「原作に添えられたジョン・テニエルの
挿絵は、ディズニーのアリスに慣れた現在の読者だけではなく、明治から昭和
初期の読者にとっても、なにか暗く恐ろしい雰囲気をかもしだしたことであろ
う。また、時には、西洋のイラストに描かれたファッションや背景、人物が、
慣れ親しんでいる日本の事物、あるいは、日本の読者用に改作した翻案の内容
と、あまりにも、懸け離れていたことであろう」と述べている。そして、実際、
多くのバージョンで別の挿絵が使用されているのである。翻訳において言語テ
クストに何らかの変容が見られるのと同様に、非言語要素にも必要だとする判
断に応じて何らかの変更が加えられることがあるということだ。1)
3.翻訳テクストにおける挿絵の具体例分析
3.1 プロイスラーと分析作品について
2013年2月18日、キムゼー湖畔プリーンの地において89歳で亡くなったオト
フリート・プロイスラーは、世界的に知られた児童文学作家である。プロイス
ラーは、1923年にボヘミア地方ライヒェンベルクで生まれた。この町は、かつ
てチェコのドイツ系住民の中心都市だったという(吉田 2013: 43)
。12歳で早
くも創作を始めたが、1942年にドイツ軍に召集され、1944年から5年間、ソビ
エト軍の捕虜として収容所生活を送った。その後バイエルン州のローゼンハイ
ム近郊に移り、小学校の教員をしながら児童文学作家として活動した。32の作
品が55の言語に翻訳され、5000万部以上が売れているという。2)日本語にもす
でに多くの作品が訳されている。
本稿では、1962年に発表された Der Räuber Hotzenplotz を扱う。彼の代表作で
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あるこの作品は、本文124ページに表紙や目次の絵も加えると全体で65箇所の
挿絵を含み、絵の多さゆえに分析に適していると考える。挿絵を担当したのは F.
J. トリップ(1915-1978)という画家3)であり、原作の挿絵が基本的には翻訳に
も使用されている。この作品は発表後50周年記念展示行事が行なわれた2012年
時点で30の言語に訳されており、中国語版まであると報道されている。4)本分
析では中村浩三訳の日本語版(1975)『大どろぼうホッツェンプロッツ』と A.
Bell 訳の英語版(2003)The Robber Hotzenplotz を用いる。
3.2 分析方法
超テクスト的関係を5つに分類したジュネットは、そのうちの2つ目にパラテ
クストを位置づけた。パラテクストとは、文学作品という一つのテクストを取
り巻く言語的、非言語的要素であり、具体的には「表題・副題・章題、序文・
後書き・緒言・前書き等々、傍注・脚注・後注、エピグラフ、挿絵、作者によ
る書評依頼状・帯・カヴァー、およびその他数多くのタイプの付随的な、自作
または他者の作による標識など」
(ジュネット 1995: 18)が挙げられている。ジュ
ネット(2001: 11)においても「作者名、タイトル、挿絵」と名指されている
ように、挿絵はパラテクストと考えてよいだろう。
パラテクスト的要素の定義については、空間的(どこに)
、時間的(いつ)
、
物質的(どのように)、語用論的(誰から誰に)、機能的(何の目的で)といっ
た特性によって記述されるという(ibid.: 14)。そこで本稿では、この5つの特
性を手がかりにして、ドイツ語原作と日本語版および英語版の挿絵を比較記述
して、何らかのシフトがあるかを確認し、変更が見られるものについてはその
理由を考察する。さらに、パラテクストは翻訳者の可視化、想定読者、翻訳の
目的などの情報を大いに含み、作品と読者を仲介する橋渡しをする役割を担う
とされる(Tahir Gürçağlar 2011: 113)ため、パラテクストとしての挿絵の変更が、
作品と読者の仲介機能にどのように関連しているかも検討したい。
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3.3 事例分析
3.3.1 空間的特性
挿絵は言語作品と同じ書物の中にあって本文テクストの周囲や隙間に挿入さ
れているものであり、空間的特性については、まずは典型的な「ペリテクスト」
と位置づけられる。この作品では、本文ページ以外の目次や章タイトルにも絵
が添えられており、それは原作も翻訳も同様であり、本を手にとってページを
めくってみた印象は変わらない。しかし、詳しく見ると空間的観点でいくつか
の相違点に気づく。
まず判型と読む方向の差が指摘できよう。独英版がほぼ同じ大きさであるの
に対し、日本語版は一回り小さくなっている。しかも横書きで左開きの独英版
に対して日本語版は縦書きの右開きとなっており、ページを読み進める方向が
逆になっている。これには、漫画翻訳でかつて見られた現象を想起させられる。
つまり縦書き右開きの日本の漫画を翻訳する際、版サイズを変更すると共に、
欧米式の横文字左開きにして、左から右へと逆方向に読み進める方式へと変え
られた。それに伴って絵も反転させて「西洋の読み方にあわせて鏡像として出
版されると、左右が逆になるという変更」(Zanettin 2013: 43)が生じていた。
近年は原作通りの右開きが維持されることが支配的であるが、その場合も、文
字の読み方と絵の「動きの方向やコマの中の人物の配置といった視覚記号」
(ibid.)
に、文化固有の見方が反映するという。
さて本作品においては、ページを読む方向が逆になっているにもかかわらず、
挿絵の向きを調べてみると基本的には鏡像になっていない。実は独語版ではペー
ジは右へと進んでいくのに、歩行など移動を表現した絵は、後ろ向きに右へと
倒れる人物以外は、全て左方向への動きとして描かれている(図1、図4参照)
。
ちなみに、この倒れる人物は翻訳では鏡像を用いて左方向の動きに変えられて
いるため、日本語版では全ての動きが左方向になった。また動きのない静止し
ている登場人物の描き方も、左向きの顔の方が右向きより3倍も多く描かれて
おり、こうした描き方は左方向に読み進める日本語版にとって好都合である。
5)
したがって、日本語翻訳では基本的に鏡像を用いる必要がなかったのであり、
必要な箇所のみ鏡像を用いるという選択をしたというのが適切だろう。なお英
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語版は独語原作と基本的には同じである。
(図1 ドイツ語版)
(図2 日本語版)
またドイツ語原作では、倒れた祖母のところに孫のカスパールが駆けつける
絵と、友人と警官が後から追いつく絵が見開き2ページに描かれている(図1)
。
本文には、
„Mit langen Schritten folgte er Kasperl und Seppel nach.
“
(p.14)
[ 日本語版:
「おまわりさんは、カスパールとゼッペルのあとから、大またについてきました。
」
(p.19)] とあり、ドイツ語で右方向へと読み進めていくと、警官が最後に追い
つく様子が絵でうまく表現されており、時間の経過と絵の構成およびページが
合致している。一方で、警官の「大また」は挿絵と食い違っており、ふんぞり
返った姿勢とともに滑稽さが出て、重層的な読みを可能にしている。
この場面が日本語版では大きく変更されている。図2で示したように、原作
の左ページの絵はそのまま採用しているが、右ページの絵は削除して、左ペー
ジの絵の一部を切り取って部分反復で提示している。これはまさに右開きに変
更したことからくる不都合を回避するための編集だと言えよう。同じ絵を見開
きページで使用すること自体は不自然であるが、まず右ページの絵が現場に到
着したばかりのカスパールの視点を表現し、左ページの絵は背景まで描いて構
図を変えることで距離感に変化を生むと共に、
「カスパール」という名前の文
字表記を人物の上に加えることにより語り手視点が持ち込まれた。ただし、警
官の絵が消えたことで、言葉とのギャップが生む滑稽さも消えてしまった。
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3.3.2 時間的特性
時間的特性については、挿絵は言語テクストと同時に出現する「オリジナル
なパラテクスト」になるだろう。ただし、原作では作品完成後に絵が作成され
るが、翻訳では挿絵が翻訳行為に先行して存在するため「先行的パラテクスト」
となり、多少の差が見られる。つまり、原著者はトリップの絵を見て作品を創
るわけではないが、翻訳者は絵のもつ視覚情報に影響を受けることになる。そ
の一例として、図3の挿絵が関わる箇所の事例をあげておきたい。
原 作 で、„Nun rasch auf dem Fußboden einen
magischen Kreis gezogen und quer durch den Kreis
ein paar Striche..."(p. 84)という箇所が英語版
で は、
“Quick – he drew a magic circle. Then he
drew lines across it.”(p.82)、日本語版では「ゆ
かの上に、魔法の円をかき、その円の中に、
十文字に線をなん本もひきました。」(p.139)
となっている。下線部に注目すると、独語で
は „ein paar Striche(2,3本の線)
“とあるが、図
(図3)
3の挿絵では中央で交差する線が合計で15本である。7本を交差させ、中央から
もう一本描き足したようである。この挿絵が提示された日本語翻訳者は、
「な
ん本も」と訳し、英語では数量への言及を避けて、絵との整合性を持つように
訳文を整えている。これは明らかに絵が先行していることから生じた現象である。
また、全ての絵を原作のまま採用しているのではなく、削除したり何らかの
加工を施したりして利用している。どの絵をどのように使い、どの絵を削除す
るか、あるいは配置をどうするかといった点に関しては変更が加えられている。
その詳細については次節で述べるが、厳密に言えば、翻訳行為に先行して存在
する挿絵は原作の挿絵であり、翻訳版では何らかの編集を経た翻訳版挿絵がパ
ラテクストとして提示されると見ることができる。とすれば、翻訳版において
も新たな挿絵が言語テクストと同時に出現する「オリジナルなパラテクスト」
とみなすこともできるだろう。
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3.3.3 物質的特性
挿絵の物質的特性は一義的には「図像的」(ジュネット 2001, 17)である。
この作品では、誇張した鉤鼻や帽子など、登場人物の個性を際立たせる要素は
言葉でも言及されると同時に絵でも描かれて確認できる。さらに絵は言葉が語
る以上の様相を表現し、例えば背景にはヒマワリが咲き、書斎の机の下から猫
が顔を出す。そしてどろぼうが裸足であることから衣服の柄に至るまで、言葉
で表現されていない細部まで描くことにより、この作品全体の独特の雰囲気を
醸し出している。また、
「スズガエル」や「ウソ鳥」などの身近でない動物でも、
絵があることでイメージを抱きやすくなっている。
また、登場人物の二人が帽子を取り替える場面がある。ドイツ語では、
Seppelhut と Zipfelmütze という全く異なる語彙であるが、日本語版では「チロ
ルぼうし」と「とんがりぼうし」と訳し分けられているものの、その区別が分
かりにくい。そこで原作には挿絵の無い箇所にも、必要に応じて帽子の絵を載
せることで、注釈のような働きをさせて理解を助けている。
(図4 章タイトル)
(図5 コメント)
一方、この作品の挿絵には、図像に加えて手書き文字も使用されている。例
えば図4のように、章タイトルが看板に手書きされていて、それを登場人物が
運んでいる絵として提示されたり、あるいは図5のように絵にちょっとしたコ
メントが手書き文字として添えられたりしている。このような手書き文字が添
えられている挿絵は計36箇所あり、全体の半数以上を占める。英語版も同様に
手書き風フォントを使用しているが、日本語版では手書きは7箇所のみに留ま
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り、他は活字に変更されている。こうした文字の部分は本文との境界線が曖昧
であるが、翻訳版でどう扱うかについては、3種類確認できる。まずは文字情
報を翻訳するという方法である。例えば図4の例では日本語で「魔法のゆびわ」
、
図5の例では英語で“A knot in your handkerchief is often very useful“(p. 20)と
ほぼ逐語訳されている。この図5の例は日本語訳で「ドイツではね、ものわす
れしないように、よく、ハンカチにむすびめをつくるんですよ」
(p. 33)と、
下線部の異文化情報を補足説明することで、翻訳者の可視化と共にこれがドイ
ツの作品の翻訳であることを明示している。2番目の方法は削除である。この
例としては、樽に書かれた「PULVER」と「PFEFFER」の文字が日本語版では
消されている。6)最後の方法としては、手書き文字の内容を全く別内容に置き
換える方式である。例えば、原作では目次が最終ページに配置されており、そ
の直前のページに手書き看板で「この本の章立てがどうなっているか知りたい
ときは、次のページを見るように」となっているが、日本語版では目次を冒頭
に移動しているため、看板の表示内容は目次と全く切り離して「ないしょの話
ですが、やっとつかまえた大どろぼうは脱獄のチャンスをねらっています。
『大
どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』も、読んでください」となっ
ていて、挿絵の機能を全く変えている。なお著者はホッツェンプロッツをシリー
ズ化するつもりではなかったが、読者の強い要望を受けて、続編を1969年に、
3作目を1973年に刊行した。この箇所の日本語の内容は続編が刊行された後で
あるからこそ書ける内容であり、時間的観点とも接点のある変更である。
図像の変更については、すでに空間的観点との関連で少し触れたが、文字と
の関係での変更点も含めてまとめると、絵の左右反転が2箇所、部分的反復が7
箇所、削除が1箇所、文字の位置シフトが2箇所、文内容の変更が1箇所で、計
13箇所の変更が見られた。この内、部分的反復というのは例えば、絵の中の帽
子だけが切り取られて独立した挿絵として使用されたり、車だけがひっくり返
されて再度使用されたりといった例である。絵の反復利用などにより、日本語
版では挿絵の総数が増えているが、これは判サイズが小さくなったために全体
のページ数が原作の124ページから203ページに増えたという空間的観点とも関
係しているだろう。
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3.3.4 語用論的特性
語用論的特性とは端的には送り手と受け手であるが、これは原作と翻訳で最
も違いが出るところである。挿絵の送り手はトリップであり、それは3つの版
で同じである。受け手は、独語原作ではドイツの児童読者であり、それは1963
年にドイツ児童文学賞を受賞していることからも確認できる。
英語版は独語版と同じドイツの出版社から出版されており、裏表紙にはドイ
ツ語で「英語学習はとても易しい」と書かれており、英語学習用に作成されて
いるのは明らかである。それは“Brush up your English!”というシールが貼ら
れていることからも確認できる。つまり英語版の想定読者は英語話者ではなく、
ドイツ語話者の英語学習者であると言える。また独語版をすでに知っている読
者を想定していると思われる。場合によっては挿絵を手がかりにして原作ペー
ジと簡単に照合できるようにするためもあってか、独語版からの逸脱はほとん
どない。
それとは対照的に、日本語版では日本の子ども読者を対象としている。それは、
偕成社のHPで小学3,4年生向け図書として紹介されていること、また翻訳文
における漢字使用や翻訳者による解説からも判断できる。その想定読者が楽し
く読んで理解できるように、読む方向を変えて、挿絵の数を増やし、手書き文
字情報を補足するなど、挿絵をかなり加工編集している。挿絵が様々に加工編
集されて提示されているとすれば、厳密に言えば、日本語版の挿絵はトリップ
の絵を素材として使用してはいるが、それを加工した出版社の編集担当者が関
与して送り出したものとも言えるだろう。パラテクストは、出版社や編集者な
ど様々な行為主体が関与していることを示唆するものである(Tahir Gürçağlar 2011: 115)。
3.3.5 機能的特性
パラテクストの機能は、「根本的に他律的で補助的」であるとされるが、そ
れは挿絵にも当てはまる。あくまで本文の言語テクストに従属するものであり、
本文の作品としての価値を高めるための補助的機能を果たしていると言えよう。
そのうえで、挿絵の機能が翻訳で変化したかを検討したい。まず挿絵には、す
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でに触れたように、一瞬にして読者の興味関心を引く、季節感などの印象を与
える、言葉では触れていない詳細な豊かさを表現する、本文で触れた登場人物
などのイメージ化を容易にするなどの機能があり、それは原作と翻訳で共通し
ている。また絵の大きさと数量、そしてタイプにより、これが児童書であるこ
とも示される。
それらの機能に加え、この作品では3版ともに基本的には同じ絵が使用され
ていることで、原作と翻訳版が同じ作品であるという同一性を表すのに、挿絵
は有効である。言語テクストはじっくり比べなければ同じであることが確認で
きないが、挿絵、特に表紙の絵は、一目見ただけで同じ作品であることが確認
できる。ここで扱っている具体例の場合、独英は表紙レイアウトもほぼ同じで
ある。裏表紙のレイアウトは異なるが、使用されている絵は同じである。
一方、日本語版は表紙の絵自体は同じであるが、よく見るとレイアウトが多
少異なっている。タイトル「大どろぼうホッツェンプロッツ」の下には「大ど
ろぼうホッツェンプロッツにご用心!」と副題が付けられ、翻訳者名が加えら
れている。また挿絵入りの目次ページが巻末から冒頭へと移動し、本のカバー
には挿絵とともに登場人物の名前が紹介されていて、読者に分かりやすさを提
供している。また挿絵の描き方のスタイルと異文化情報の補足から、異質な雰
囲気を帯びた外国の作品らしさが伝わる。
英語版での新たな機能としては上述したように、英語学習用に作成されてい
るのは明らかであり、裏表紙には「各章末尾の語注と多くの挿絵が理解を容易
にする」とドイツ語で書かれている。つまり挿絵によって提供される情報に、
外国語である英語を読む際の理解を助けるという機能が期待されていることが
分かる。そして原作ページとの照合を容易にするという機能が加わる。
3.3.6 分析のまとめ
具体例分析においては、原作と翻訳が一見したところでは同じ挿絵が使用さ
れている作品を対象としたが、詳しく見ると英語版と日本語版でいくつかの違
いが見られた。英語版では、裏表紙の宣伝文句やシール、語注などのパラテク
ストにより、ドイツ人の英語学習者向けに提供されるものだということをはっ
100
きりと示して、翻訳版と想定読者との橋渡しがなされている。こうしたパラテ
クストの機能に合うように、挿絵も扱われているが、これは原作とは機能が変
化している。
一方、日本語版では明らかに日本の子ども読者向けの本として提示され、想
定された子ども読者との橋渡しが目指されている。それは日本の習慣に合わせ
て縦書き右開きへと変更して自然に読める配慮をし、総ページ数が増えたこと
で挿絵を反復使用するなどして数と種類を増やしたことに端的に表れている。
また、子どもにも理解しやすくするために、異文化情報や登場人物の紹介など
の追加があるのも、この枠組みに合致するものである。
挿絵を含むパラテクストに違いはあるが、いずれも想定読者に向けた作品と
して価値を高めようとしているものであり、作品がどのようなものとして読ま
れるのかに挿絵も大いに役割を期待されているためであると言える。
4.おわりに
本分析では、挿絵が翻訳作品にとって重要な一要素であることをパラテクス
トの枠組みで確認した。翻訳書の刊行には、言語テクストの翻訳行為のみなら
ず、挿絵などの非言語要素を作品の中でどう位置づけ、どう活用するのが有効
かを考えて、時には編集も必要になることが分かった。挿絵は、読書行為に先
立って視覚的に認知され、読書行為に影響を与えると共に、テクスト本文を補
完し拡張することで読者の読みを補い、あるいは原作者の意図に反して読みを
限定したり、先入観を形成したりすることができる(松田 2012: i)
。挿絵や版
サイズが変えられる以外にも、翻訳者の経歴が紹介されたり、解説がつけられ
たりすることにより、外国作品の翻訳であることが明示される。翻訳において
本文が変えられることには、大きな抵抗があるが、パラテクストが大きく変わ
ることは特に問題にされないようだ。
また、どのようなテクストとして作品を提示するかは、翻訳のあり方にも大
いに影響を与える。パラテクストに注目した翻訳研究は記述的翻訳研究のみな
らず、翻訳の目的と機能を明らかにする上で貴重な情報が得られるものであり、
機能主義的翻訳研究の分析手法としても有用であると言えよう。
101
【注】
1) 絵本においてさえ、翻訳時に別の絵に差し替えられることがある。例えば R. Munch の Love
you forever. の日本語版『ラヴ・ユー・フォーエバー』(乃木りか訳 岩崎書店1997)では
McGraw の絵を梅田俊作の絵に差し替えて、全く雰囲気の異なる作品となっている。
2) Spiegel Online(2013年2月20日付ニュース)
3) M. エンデの作品をはじめ多くの児童書の挿絵を担当している。
4) Spiegel Online(2012年7月18日付ニュース)
5) 実は鏡像が用いられている絵がもう一箇所ある。それは右向きに静止したカエルの絵を反転
して左向きにしたものだ。鏡像は2箇所のみにとどまる。
6) 英語版では「PEPPER」および「GUNPOWDER」と英語に訳している。
【参考文献】
千森幹子(編)
(2009)
『不思議の国のアリス~明治・大正・昭和初期邦訳本復刻集成』全4巻 エディ
ション・シナプス
平岡雅美
(2006)
「物語文教材における挿絵の機能と問題―『ごんぎつね』
の挿絵比較と読解の相違―」
『全国大学国語教育学会は票要旨集110』pp.215-218.
平田家就(1995)『イギリス挿絵史―活版印刷の導入から現在まで』研究社出版
ホルカ , イリナ(2011)「新聞小説『春』における挿絵の機能―名取春仙のリアリズム」全国大
学国語国文学会『文学・語学』第201号 pp.49-62.
ジュネット , ジェラール(1995)『パランプセスト―第二次の文学』和泉涼一訳 水声社
ジュネット , ジェラール(2001)『スイユ―テクストから書物へ』和泉涼一訳 水声社
偕成社 HP http://www.kaiseisha.co.jp/ (最終閲覧日2014年5月9日)
中川素子・今井良朗・笹本純(2001)
『絵本の視覚表現―そのひろがりとはたらき』日本エディター
スクール出版部
O'Sullivan, Emer(2006)‘Translating Pictures', in G. Lathey(ed.)The Translation of Children's
Literature: A Reader, Multilingual Matters, pp.113-121.
松田隆美(編著)(2012)『貴重書の挿絵とパラテクスト』慶應義塾大学出版会
Preußler, Otfried(1962)Der Räuber Hotzenplotz, Gesamtausstattung: F.J.Tripp, Thienemann.
プロイスラー , オトフリート(1975)『大どろぼうホッツェンプロッツ』中村浩三訳 さし絵・
F=J= トリップ 偕成社
Preußler, Otfried(2003)The Robber Hotzenplotz, translated by A. Bell, Illustrated by F. J. Tripp,
Thienemann.
Spiegel Online(2013年2月20日付ニュース)
http://www.spiegel.de/kultur/literatur/kinderbuch-autor-otfried-preussler-ist-tot-a-884477.html(最終閲
覧日2014年3月30日)
Spiegel Online(2012年7月18日付ニュース)
http://www.spiegel.de/kultur/literatur/ausstellung-50-geburtstag-von-otfried-preusslers-raeuberhotzenplotz-a-844712.html(最終閲覧日2014年3月30日)
102
Tahir Gürçağlar, Şehnaz(2011)'Paratexts', in Y. Gambier, L. v. Doorslaer(eds.)Handbook of
Translation Studies, Vol.2, John Benjamins Publishing, pp. 113-116.
吉田孝夫(2013)『語りべのドイツ児童文学:O・プロイスラーを読む』かもがわ出版
Zanettin, Federio(2009/2013)「漫画翻訳」藤濤(監修)『翻訳研究のキーワード』研究社 pp.3944.
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Illustrationen als Paratext beim Übersetzen
— Mit Beispielen aus einem Werk von O. Preußler—
Fumiko FUJINAMI Ein“Paratext”, der Begriff stammt von G. Genette, hat die Funktion, publizierte Texte zu
präsentieren und sie den Rezipienten zu vermitteln. Dazu gehört auch die Illustration. Wenn ein
Text übersetzt wird, dann ändert sich auch der Paratext: Hinzugefügt werden nicht nur der Name des
Übersetzers, sondern auch Fußnoten, ein Vorwort oder sogar eine Einführung, weil die Übersetzung
an andere Rezipienten gerichtet ist, als das Original. Wie wird nun dabei mit Illustrationen
umgegangen? Werden diese auch geändert? In der vorliegenden Arbeit wird von 5 Aspekten des
Paratexts aus untersucht, ob und wie Illustrationen beim Übersetzen modifiziert werden. Als Beispiel
dafür wird ein Werk von O. Preußler, nämlich Der Räuber Hotzenplotz, der insgesamt 65 Bilder auf
124 Seiten enthält, mit seiner japanischen und englischen Version verglichen und analysiert.
Durch die Analyse wird gezeigt, dass in der japanischen Version gemäß der Norm der Kinderbücher
Japans (die umgekehrte Leserichtung, das kleinere Format usw.) manche Bilder modifiziert sind,
damit japanische Kinder das Lesen besser genießen können, während die englische Version, die
zum Englischlernen publiziert wurde, die Bilder unverändert benutzt, damit die jeweiligen Stellen
mit dem Original leichter vergleichbar sind. Die Analyse veranschaulicht, dass Illustrationen als
Paratext je nach dem Zweck des Übersetzens und je nach Zielgruppe unterschiedlich behandelt
werden.
Keywords: Übersetzen, Illustration, Paratext, Non-verbale Elemente, O. Preußler
キーワード:翻訳,挿絵,パラテクスト,非言語要素,O. プロイスラ―
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