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海底の喫茶店
水見色 魚
はじめに
1970 年代。当時、高校生だった“美和子”の日記を主軸に、同級生や先
輩を始めとする多くの手紙で、この本は構成されています。
本書は“生きる意味が、苦しい時こそ一人でいること”を辿った青春の記
録であり、また、人を求めて“心の海底”から這い上がろうとする物語でも
あります。そして、この中の所々に出て来る、手紙に込められた様々なつぶ
やきは、時に褪せることなく迫ってきます。共感、否定、希求、憧憬、憤り
…。時にはエッジが鋭く、身を削るような厳しいものもあれば、心に響く真
摯なものもあります。
人は幼少の頃から、褒められて成長する時もあれば、叱られて身の程を知
り成長する時もあります。どちらも心に必要なスパイスです。青春期に届く
手紙は、さらに、心が育つための特別なスパイスになり得るのです。
“考え
る種”を蒔かれたも同然だからです。それを大事に扱うのか、粗末にするの
かでは、大人になった時の質を変えてしまうことさえあるように思います。
楽しいことは驚異的な時間の速さを伴い、苦しい現実は、ずっしりと横た
わる時間に支配されているかのように感じます。それでも時間は、同じ時間
です。「あっ」という間に人生は過ぎ去り、「気がついたら、こんな歳になっ
てしまっていた」と驚く人も多いと思います。竜宮城から戻った浦島太郎が
玉手箱を開けた途端、お爺さんになってしまった感覚を持つ人もいるかもし
れません。心と肉体に分けてしまえば、心は竜宮城の世界にあっても、体は
着実に現実の時間に刻まれているということです。乙姫様は、浦島太郎が必
ず玉手箱を開けることを想定して、現実に引き戻し、修正するためのアイテ
ムを手渡したのかもしれません。
恐らく、読者の皆さんの中にも半世紀(五十年)を越えて人生を歩んで来
られた方も多いのではないかと思います。“浦島太郎”に喩えるならば、
“美
和子”の竜宮城にいた 5 年間の様子をご自身の青春時代になぞって、最後ま
で見届けて頂ければ幸いです。
筆者
目 次
はじめに
…………………………………………………………………………
プロローグ
第1章
…………………………………………………………………
3
0
高校入学
鍋谷先生からの手紙
合格
……………………………………………
2
…………………………………………………………………………………
7
原爆の詩
………………………………………………………………………
8
3 分間スピーチ ………………………………………………………… 9
イラスト応募ありがとう
第2章
…………………………………
2
夏休みとクジラの手紙
口紅こわし
…………………………………………………………………
24
歌舞伎教室
…………………………………………………………………
27
エチュード
…………………………………………………………………
初めての手紙
……………………………………………………………
28
29
8 月 28 日 ……………………………………………………………………… 3
菊田先生からの手紙
第3章
……………………………………………
32
…………………………………………………
36
心をつなぐ電流
月のアスファルト
女の子にプレゼントするなんて
…………………
38
こんにちは
…………………………………………………………………
40
夜のホタル
…………………………………………………………………
42
…………………………………………………………………………………
44
賀正
アクワの住人
……………………………………………………………
新年おめでとう
………………………………………………………
あけましておめでとう
紙芝居
45
47
………………………………………
49
……………………………………………………………………………
52
クジラの日記
……………………………………………………………
54
第4章
ムーンとメグとイソちゃん
みわこ虫サマ
絶対に
……………………………………………………………
58
……………………………………………………………………………
60
ドラムカン
…………………………………………………………………
6
メグの手紙
…………………………………………………………………
62
メグの場所
…………………………………………………………………
64
山椒魚
……………………………………………………………………………
66
区役所
……………………………………………………………………………
67
リトルボーイ & ファット・マン
屋上の記念日
ひこうき雲
…………………
68
……………………………………………………………
72
…………………………………………………………………
修学旅行の夜
……………………………………………………………
74
79
17 歳の日 ……………………………………………………………………… 82
おてんてんのみわこさま
映画のお話
…………………………………
85
…………………………………………………………………
88
電話ボックス
第5章
……………………………………………………………
90
離れていく時
秋の夜
……………………………………………………………………………
高野悦子さんのような
返信
92
………………………………………
94
…………………………………………………………………………………
95
ありんこ
………………………………………………………………………
人間の心を美的造形しえるか
いなりずし
98
…………………………………………………………………
99
ルノアールは雪のことを
………………………………
02
………………………………………………………………
03
……………………………………………………………………
06
…………………………………………………………………………
09
戸籍の秘密
母の手紙
アユミ
97
………………………
湖水の中で
………………………………………………………………
0
第6章
苦いものが心に沈んだ
観劇のお話
おみやげ
………………………………………………………………
2
……………………………………………………………………
3
新しい教科書の印刷のにおいは
………………
5
ナ . ク . 博士 ……………………………………………………………… 6
訣別
………………………………………………………………………………
ガラス細工
………………………………………………………………
小春日和の縁側
第7章
……………………………………………………
7
9
2
美穂という名の衛星
美穂の手紙 1 …………………………………………………………… 24
ゴンが鳴いている
………………………………………………
世界で一番美しいものは
………………………………
29
30
美穂の手紙 2 …………………………………………………………… 3
胃腸薬か何かのように
……………………………………
34
ちこく
…………………………………………………………………………
35
図書券
…………………………………………………………………………
36
心の果て
……………………………………………………………………
暑中お見舞い申し上げます
見えない手
39
…………………………
40
………………………………………………………………
42
知っていながらその告白を強いる
…………
44
イソちゃんの手紙 1 …………………………………………… 46
美穂の手紙 3 …………………………………………………………… 50
第8章
卒業へのカウントダウン
ボウイのテープ
……………………………………………………
あけましておめでとう
……………………………………
55
…………………………………………………………
58
………………………………………………………………
59
絵が完成した
電子レンジ
眠夢・みんむ
何か
54
…………………………………………………………
60
………………………………………………………………………………
6
イソちゃんの手紙 2 …………………………………………… 62
ぼやき
第9章
…………………………………………………………………………
65
美術学校
春のシンフォニー
聞こえない夢
………………………………………………
68
…………………………………………………………
70
ミワコ ! 元気 ?! …………………………………………………… 7
イソちゃんの手紙 3 …………………………………………… 73
狂人ママン
美穂× 2
教会
………………………………………………………………
75
………………………………………………………………………
75
………………………………………………………………………………
76
イソちゃんの手紙 4 …………………………………………… 77
美術学校
……………………………………………………………………
80
第10章 恋のゆくえ
サブマリン
無心
………………………………………………………………
82
………………………………………………………………………………
82
拝復キツカワ
…………………………………………………………
83
イソちゃんの手紙 5 …………………………………………… 85
You hold me. …………………………………………………………… 88
seagull
…………………………………………………………………………
緑色の血液
………………………………………………………………
美穂くんの手紙
芝居の誘い
95
………………………………………………………………
98
…………………………………………………………
99
…………………………………………………………………………
20
ミワちゃんへ
天国の階段
…………………………………………………………
204
………………………………………………………………
206
美穂の手紙 4
若い君に
第11章
94
……………………………………………………
美味しいもの
宇宙卵
90
……………………………………………………………
207
……………………………………………………………………
209
独りでいるということ
引越し
…………………………………………………………………………
クリスマスツリー
謹賀新年
22
………………………………………………
24
……………………………………………………………………
27
22 才 ……………………………………………………………………………… 28
カギ
………………………………………………………………………………
三人の時間
退学届け
………………………………………………………………
222
……………………………………………………………………
224
この世界に生まれてくる前に
……………………
225
…………………………………………
226
………………………………………………………………………
228
アフガンハンドの夢
drop out
220
7 月の朝 ……………………………………………………………………… 229
第12章 愛情の水
異変
………………………………………………………………………………
母の病気
経過
232
……………………………………………………………………
233
………………………………………………………………………………
234
水やり
…………………………………………………………………………
235
どん底
…………………………………………………………………………
236
イソちゃんの手紙 6 …………………………………………… 237
父の手紙
……………………………………………………………………
239
第13章 輝く海へ
イソちゃんの手紙 7 …………………………………………… 242
美穂の手紙 5 …………………………………………………………… 245
涙の意味
……………………………………………………………………
カーネーション
……………………………………………………
ムーンから春の便り
けなげ
248
249
…………………………………………
250
…………………………………………………………………………
253
希望の詩
……………………………………………………………………
エピローグ
あとがき
255
………………………………………………………………
256
……………………………………………………………………
258
プロローグ
深い海底のふところに、一軒の暗い、青い喫茶店があって、私はそこにも
う随分長いこと居るような気がする。
けむたいタバコの煙の代わりに、緻密なねっとりした水が静かに動いてゆ
く。溜息を吐いても、そのいやらしさも海水に包まれ、ゴボゴボと泡立って
誰にも届かない。いくら泣いても、海の水以外、絶対に気付かないだろう。
とても寂しい、寂しい世界だ。
時々、海水の重さにどうしようもなく息苦しくなる。
もし仮にここから抜け出して、あのインジゴの夜ごとに見るような、心に
刺さる現実がこれからも待ち受けていたとしても、あなたと一緒なら構わな
い。もう心のうちに逃げ帰ることなどせず───水見色魚になって、あなた
のもとへ行くだろう。海底から長い時間かかっても、少しずつ変化していく
水の色をちゃんと見届けながら浮上して行く。そして、釣り糸をたらしたあ
なたに迷うことなく、まっすぐ泳いで行くだろう。
早くあなたに逢いたい。
抱き上げて欲しい。
そして思いっきり、泣きたい。笑いたい。
あなたはどこに居て、一体、誰なのだろう ?
10
第 1 章 高校入学
入学早々、物足りない気持ちを抱えて
演劇部の見学に行ったが…。
鍋谷先生からの手紙
中学を卒業して間もなく、担任だった鍋谷先生から手紙が届いた。
前略
入試、卒業式という大きな仕事(?)をやり終えて迎えたこの休み、いか
が過ごされているかな。ゆっくり休んで、4 月以降にそなえてほしいですね。
この一年間、君らのようなすばらしい生徒に出会えたのは幸運であった。
それだけに君ら一人一人を十分に理解し、その期待に応えてやれなかった小
生の未熟さと勉強不足を後悔している。しかし、君たちが様々な場面で示し
た行動を通じて、直接的、間接的に教えてくれた事柄は、君たちの後輩に教
え伝えたい。同時に小生自身の今後の活動に大いに役立てたいと思っている。
小生にとっては意義ある一年であったことは事実である。
卒業を機にして、君らは新しい世界へ飛び立って行った訳で、君らとの直
接的な結びつきはなくなったが、これからも君たちの成長をじっと見守って
いくつもりだ。そこで、もし小生で事足りることがあれば、遠慮なく言って
ほしい。事柄や時間などに係わりなく、何時でも協力したいと思っている。
ところで、君たちから贈られた額のすばらしさにはびっくりした。どんな
すばらしい絵が入っているやらと思いながら開けてみて 2 度びっくり。寄
せ書きを読んで 3 度びっくり。本当にありがとう。でも、「 嫁さんもらえ 」「
嫁さんの相談にのる 」 ならまだしも「俺が嫁さんになろう」には 4 度びっく
りした。少々嫁さんノイローゼになってしまった感じだ。こう君たちに言わ
れたからには、その期待(?)に応えなくちゃいけないと思うのだが…。は
たしてどうなることやら。まるで他人事のようです(本人が言っているのだ
から世話がない…)。
12
新年度になって、いずれ機会をみて新しい生活の様子聞かせてほしいです
ね。
健康には気をつけて下さい。
早々
美和子様
さくじつ
追伸:文字が乱れているのは、昨日 3 年ぶりに木沢先生とボーリングなる
ものを 2 時間半あまりやったせいで腕の調子がおかしいためです。悪しから
ず。君たちの活動記録(中学に残すものと進学高校へおくるもの)を木沢先
生に手伝ってもらい、これが、きのう完成したので、それを祝して 2 人でボー
リングへ行った次第である。
鍋谷
思いがけず、先生から手紙をもらって驚いた。うれしかったけれど、なん
だか気恥ずかしい気がした…。
3 年 4 組の卒業アルバム係になった私は、寄せ書きに載せた先生の似顔絵
がバッチリ決まったので、アルバムを開くたび、先生やみんなが“ほのぼの
気分”になれたらいいなと思っていた。それで、卒業式にみんなで贈った、
“額
に入れた寄せ書き”のお礼は素直に受け取ることが出来た。でも、鍋谷先生
にクラスをほめられたことに対しては、どこか自分にうまく当てはまらない
ギャップを感じた。それは 2 年 8 組だった時のクラスがあまりにも特別なも
のだったからだと思う。先生、ごめんね(本当は中 3 の時を素直に喜べたら
よかったのに…)。
でも、そんなこだわりを抜きにしても、中学 3 年間は、小学 5 年と 6 年の
時に続いて、この上もなく楽しかった。元旦に八幡宮でお賽銭を遠く放物線
に投げ入れる時のように、心をこめて“ありがとう”の弧を描く先は、そこ
に居たみんなの“まなざし”の中だ。不思議だけど、嫌いな人が全く見当た
らない。
振り返ると、学校が終わった後は、全部好きなことで埋め尽くされてい
13
た。テレビ見たさ一心で、勉強は授業だけで終わるよう懸命だった。歌謡番
組、アニメ、ドラマ、バラエティ、洋画、スポーツ、アメリカの TV ドラマ、
時代劇…すべてが私にとって文明開化みたいなものだった。あとは友達と遊
ぶことはもちろん、相当量の漫画本と定期購読していた雑誌をスミからスミ
まで読みこなすことも入っていた。それと深夜ラジオも(これだけは、家族
みんなが寝静まって、ひそかに聞いていた)。
そして、中 3 になってから余暇の過ごし方は最高潮に達した…。
ハラハラするから、いっそうドキドキする。危なげなものには、スリルの
添加物はいっそう美味しい。良くも悪くも、うらはら、背中合わせだと何か
が倍増して行く。どこかで、入試に落ちるかもしれないと考える。でも、目
の前に惹き付けられる場面は今しかない感動がのぞいている。まして、どち
らが大事かなんてことはアイマイにする。結果、受験のために机に注がれる
はずの時間は、男子バレーボール観戦にぞっこん夢中になることで消費され
て行った。
お小遣いとお年玉を捻出して、同じ 4 組の五十嵐さんと鈴木さんと私の 3
人で、松平監督率いる全日本男子バレーボールチームを応援するために、東
京体育館、代々木競技場、横浜文化体育館へと、しょっちゅう始発電車に乗っ
て出かけた(今考えると、友達の親も寛大だった)
。
目の前に繰り広げられる、サーブ、レシーブ、天空からのスパイクとブロッ
ク、速攻、頭脳プレー、すべてが力強く圧倒的だった。生まれて初めて、躍
動感というものを目の当たりにして驚きで固まった。試合が白熱してくると、
体育館は中心から徐々に熱を帯びて、声援とともに広がって何かを生み出す。
最後まであきらめなければ、どんでん返しで勝利することも知った。友達と
人生ゲームで億万長者になるより、そこで肩を突っつき合ってゲームを一緒
に観戦している方が絶対面白い、と思えた。
バス通学が大船経由だったから、時々、天野さんや杉本さん
(マーコ)
に引っ
張られて、松竹大船撮影所に映画の撮影を見に行ったりもした。やむ終えず
制服のまま、甘味屋さんで“かき氷”や“焼きそば”に誘惑されて寄り道す
ることもあったけれど、先生方には何故か見つかることはなかった。ばった
り出くわすのは、小倉一郎さんや森田健作さんや他の芸能人ばかりだった…。
14
そんなわけで、勉強も部活の水泳も努力が足りなかった。自分の力に挑
むところからかけ離れた、のんきな日常生活を送っていた。だからなおさら、
この点でもすばらしい生徒の一人だったとは言い難い。
もし、この 5 年間、私に恵まれていたことがあったとしたら、それは先生
やクラスメートの性質だったと思う。かなり疑問視される子もいたけど、次
第にみんなに引っ張られて行って、いつの間にか、なくてはならない一員
を構成する顔になっていた。いい加減とは違うアバウトなところで、
『まぁ、
いいじゃないか』という風に、おたがいを認め、見守っていたような気がする。
保護者でなくとも友達同士でもそれが出来る、信頼できる人間が圧倒的に
多くいたからだと思う。いじめられていた子も僅かだけど、いた。でも、手
出しする方は加減していたかどうかは分からないけれど、周りがほっとかな
かった。兄弟げんかと一緒で、その場で皆にいさめられても駄目な場合、先
生にいいつけられる。で、叱られた後は割合ケロッとしていたように思う
(し
つこい子もいたが)。やはり、みんなを鷹揚に束ねてくれていたのは先生だっ
た。私も意地悪されたことがあったけど、ひるむことはなかった。なぜなら、
姉達に鍛えられていて、めげる要素がなかった。
もし、攻撃的な人が多くいる中に浸かっているとしたら、人は良くはなら
ないような気がする。現に、2 つ上の姉の学年が相当に荒れていたのは、ほ
ころびがひどく束ねようにも束ねられなかったのだと思う。友達同士が歩み
寄ることもなく、傍観視して、攻撃されるのをけん制して、心にシールドを
張る。相手に心を注ぐことを苦手とする人がより多く集まってしまったのか
もしれない。だから、姉の中学 3 年間を考えると、同じ学校なのに何故こう
も違うのかと複雑な気持ちになってしまう。姉の顔を思い浮かべると、胸が
ギュッとなる。
再び振り返ってみると、中学校までの長い道のり、毎朝遅刻をしないで学
校に行けたのは、天野さんと杉本さんがいてくれたからだ。学校に着いてか
ら夜遅く寝るまで、目と耳と頭が回りっぱなしだった私は寝起きが非常に悪
くて、朝、待ち合わせの場所にいないと辛抱強く、いつもふたりは私を迎え
に来てくれた。寒い朝も、どんな時も…。初めて家族でない人から伝わった、
あたりまえのようにそこにある暖かさ。おぼつかない歩行に見限ることもな
く、両脇を支える松葉杖のようだった。
15
人は穏やかな中で過ごしていると、いろんなものが楽しくなって来る。朝、
ぼんやりした頭で、登校のさなか二人と言葉をかわすのも、ある意味オアシ
スだったし、その続きで学校に着くと、「おはよう!」の言葉がピンボール
のように皆にはじけて伝わっていく。休み時間も楽しくて口をつぐむ暇がな
い。男の子も女の子も仲良しだった。授業も熱が入ってくると、
「聞かなく
ちゃ!」の自制が解き放たれて、いつの間にか面白さに変わっていくことが
多かった。
夏の波打ち際は、波と多くの人がじゃれ合って、もつれ合い、盛り上がっ
て行く。その様子は快活で賑やかだけれど、時々、人けのないさざ波だけの
授業をする先生がいた。やっぱり性格かなぁ。
手紙を読むと、鍋谷先生が一生懸命だったことに気付く。私は自分の一生
懸命さを何に役立てたのかハッキリしないけれど、きっと、この頃のことは
刷り出された写真のように、後で鮮やかに思い出すことが出来る。
家族とみんなの笑顔に囲まれて、いろんな事があって、そこを私は素のま
ま全開で翔け抜けたように思う。悲しいことなんてちっともなかった。
鍋谷先生、一年間ありがとう!
March 1973
────────────────────────────────
⇒この後、鍋谷先生からの手紙は P47 の《新年おめでとう》に載っています。
16
合格
入試にすべることもなく、学区内地元の公立高校に通うことになった。
しょっぱなから、さほど期待感もなく、無味乾燥とした心持ちでいる。ど
う考えても自分を楽しくさせる要素があたりに見当たらない。天野やマーコ
との屈託のないおしゃべりもなければ、みんなで培った“和”もここにはな
い。自然体で笑顔による以心伝心なんて感じではなさそう。まして、どの
場面を見ても、ありったけのエネルギーでその日を過ごしているという風で
もない。帰宅組みが実に多い。学力的な判断で、平均的な人が集まってしま
うのは、なんだかつまらないことのように思う。2 ヶ月前までは、はじけて、
騒いで、こすれ合って、叱られて、ごねて、ぶつかり合って、何かを伝えよ
うと頑張ったり、夢中になったり、お互いの我がままに苦戦しながらも前に
行こうとしていた。みんなで“おしくら饅頭”の成長だったのだと改めて思
う。すでに、笑顔で崩れたみんなの顔が懐かしくてならない。
相変わらずのバス通学も、授業も、クラスの中も、放課後もひっくるめて、
何故だろう、退屈で仕方がない。何もかもが、ただ流れていく。上に進むと、
もっと面白いことが待ち受けているのかと思っていたのに、これじゃ、何か
ら卒業したのか分からない。
帆を張った船と一緒で、もう出航してしまったのだから後戻りはきかない。
どこに向かっているのか…少し、忍耐みたいなものが必要だと悟った。
April 1973
17
う た
原爆の詩
小 6 の時以来、再びクラスメートになった里美ちゃんを引っ張って、演劇
部の見学に行った。同じ 1 年生でありながら、すでに基礎練習に溶け込んで
いる人が男子を含めて何人かいた。多分まっしぐらで入部したツワモノに違
いない。映像には興味あるが、“演劇”という物にとんと方向音痴で全く内
容も解っていない分、場違いな所に来てしまったような気がした。それなの
に、その場の雰囲気に押されて、次の練習にマルコメふたりとも出る約束を
してしまった。
なんだか覇気のない、気だるい空気が溜まっているクラスからはぐれて、
引力のまま演劇部に納まってみると、5 月公演で上演する出し物の練習が、
3 年生の先輩を中心にもう始まっていた。あぶれた感じで、効果音担当の補
佐に付くことになった。
教室に暗幕をかけて真っ暗闇の中、当時を感覚的にデフォルメしたものを
再現して行く。広島に原爆が投下された時のように、前ぶれもなく、一瞬の
閃光と共に爆裂音が、炎の色と化したコンパクトな面積の教室を揺すぶる。
やがて、日常から地獄に引きずり込まれたのを示唆するような暗転。そして、
うろたえて右往左往うごめく人達がライトに映し出される。悲痛な叫びの権
化となった詩の幾多を朗読しているというより、呻きをぶつけられているよ
うな、得体の知れない恐ろしい光景が言葉になって耳に押し寄せて来る感覚。
くう
人々が空に差し伸べた両手があまりにもむなしく、どこにも届かない気がし
て悲しい。最後に観客に投げかけるその歌は、岡林信康の「私たちの望むも
のは」だった…。
5 月公演は慌ただしくも無事に終わった。とたん、引き潮がサッと引くよ
うに、いつもの日々に戻った。
18
3 分間スピーチ
中学 1 年生のとき、国語の時間に“3 分間スピーチ”の課題を与えられ
たことがあった。「皆の前に立って 3 分間で何かを伝える。その内容は自由。
発表は再来週」という内容だった。ちょうどその頃、担任の赤堀先生から借
りた「朝日グラフ」の内容が原爆を特集したもので、悲惨な光景が現実のも
のとしてカラーグラビアに掲載されていた。言葉にならないくらい、モノク
ロの写真を上回る強烈さがショッキングだった。そして、被写体になってし
まった人々のあり得ない姿に、彼らの途方もない痛みが目に刺さった。する
と、何者かに許しがたい気持ちがふつふつと込みあげ、何故かはやる気持ち
が家の書棚にあった「原爆体験記」の本へと照準が合った。何かが結び付い
たような気がして、“3 分間スピーチ”のテーマが決定した。
その「原爆体験記」はいつの頃からか、我が家のささやかな書棚に並んで
いた。その本の巻頭には数ページに渡って、原爆投下後の“広島と被爆者”が、
乾いた感じの白黒写真で、どこか別の世界の出来事のように載っていた。ド
キュメンタリーだけれど、異様な光景はまるで白昼夢みたいに思えて、まだ
小学生の頃は漠然と受け止めることしか出来なかった。
その中に印象的な一枚の写真があって、それは壁面に人の影だけが生き
残ったもの。原爆が炸裂する寸前まで、壁を背にして佇んでいたのであろう
人が、そこに生きていた証となった写真だ。灼熱に焼かれて瞬間消え去る前
に、壁に原爆の化石を残した人。幼かった私は、そのページになる度に、
『そ
の人はどこに行ってしまったのだろう』ばかりを思った。いつもその気持ち
に行き着いた。昔の誰とも知らない人に想いが及び、
心配にさせる壁の影だっ
た。
そして、その「朝日グラフ」を片手に、生まれて初めて人の前に立って、
「原
爆が投下された広島と長崎」についてスピーチをした───。
19
結果は、“制限時間 3 分”に収まり切れず、それをはるかに超えて“8 分
間スピーチ”になってしまった。けれど、あの“一冊の本”の代弁が少しだ
け出来たような気がして、胸がスッとした。
本の持ち主であった母は、どんな想いであの本を読んだのだろう。
当時 15 歳だった母は、原爆が落ちた後、郷里の山口県から広島に行って
いる。行った理由も、広島の様子も一切語らない。だから、あの「原爆体験
記」を読むことで『何故?』を埋めることしか出来ないのかもしれない。
そのスピーチから 3 年後、演劇部に在籍したものの、
「原爆の詩」の成り
行きを遠くから見守る他なかった。けれど、なによりも、高校に入って問題
意識の高い人がいたのは───驚きだった。
May 1973
20
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