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「くさやぶ」が育む可能性

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「くさやぶ」が育む可能性
「くさやぶ」が育む可能性
~草藪空間における保育实践報告から~
山崎 裕
(尚絅学院大学総合人間科学部子ども学科/宮城県名取市)
(東北芸術工科大学非常勤講師/山形県山形市)
■ 「くさやぶ」が持つ多様性
「くさやぶ」はカリキュラム中の農業体験の畑や自然遊び
の園庭とは明らかに一線を画し,幼児達に歓迎される遊び
空間としての地位を得ていることも確認された。明確な教育
的意図を有さない反面,野生空間が有する豊富な多様性と
許容力が,幼児の個性に応じた感性や幅広い情緒を育むう
えで,重要な教育環境となり得ることが期待される。
これは,2006~2009 年に实施した,東北芸術工科大学子ども芸術教育研究センター附属保育施設(山形市)における实践からの報告である。
■ はじめに
児童の奇行,少年犯罪,理科離れ…幼児から少年まで,
子どもの教育環境は社会の注目を集めている。近年の少子
化現象を追風に,各地の自然教育園建設など,子どもを取
巻く自然環境も積極的に整備されつつある。しかし一方で,
恵まれた環境にある昨今の子どもを眺めては,「昔は良かっ
た」と多くの大人は自らの幼年期を省みる。この矛盾が象徴
するように,子どもへの自然教育は効を奏しておらず,さらに
幼児への自然教育については明確な手法が確立していな
いのが現状である。かつての子ども達の傍にあったのは,整
備された教育的自然空間ではなく,自由度の高い野性的自
然空間すなわち草藪であった。
■ 「くさやぶ」は快適空間か?
〔図-1〕 野性的自然空間「くさやぶ」とコドラート
本研究では教育的自然空間と野性的自然空間の相違を
明らかにするため,自由に野外遊びができる非整備自然空
間として「くさやぶ」を設定し,整備自然空間の「園庭」と対比
し,自然科学の手法に基づく比較調査を行った。調査内容
は,温湿度などの物理的環境,動植物相とその遷移を対象
にした生態学的環境,そしてそれら各環境要因に対応した
幼児の行動である。
結果,自然度の低い都市型草薮であっても,園庭に比べ
多様な物理的環境を有し,動植物相も多様で季節によって
大きく変化する。幼児の行動もそれらの変化に敏感に呼応
したものであった。
■ 園庭と「くさやぶ」
教育的自然空間は園舎に隣接する園庭である。全体が刈込まれ
た芝生に覆われている。芝生には適宜散水が行われる。随所に樹
木植えられ,花壇や池,築山,砂場,藤棚や遊具も設置されている。
〔図-2〕
研究対象である非整備自然空間は,必ずしも自然度が豊富な原
生原野である必要はなく,教育的配慮や公園整備などの人為的操
作が尐ない空間であればその条件を満たす。展開する動植物の間
に,正常な生態学的関係が成立していればよい。四季の変化や生
態遷移が自然に進行することが重要である。幼児が日常の教育時
間割において,また帰宅前の放課後において,容易に利用できるこ
とが望ましいため,園舎近傍の緑地約 500 ㎡に,本空間を設置し
た。
一般に宅地や都市部の空地に展開する草薮は種子の自然飛来や
動物による運搬によって成立する。その後は生態遷移のルールに
従って,植物相や動物相が変化し,数年を経て安定した状態となる。
本緑地には芝生を主体として周囲に数種の樹木が植えられている。
この芝生緑地を放置することによって,芝生内に入り込める植物か
ら遷移が開始し,それに応じた動物が生息することが予想される。
〔図-3〕
殊に本施設が立地している山形市上桜田地区は,周辺に豊富な
原野や里山が展開しており,迅速かつ多様な動植物種の移入が期
待できる。これらのことから,敢えて植物の移植や播種などは行わ
ず,自然の遷移に任せた。本空間の維持と管理は,定期的に行わ
れる大学キャンパス内清掃と芝刈り等の庭園管理を实施しないこと
によって容易に可能である。飛来し根を下ろした植物についても,在
来種外来種に係わらず,そのまま生育させた。結果,3ヶ月で幼児
の背丈を遥かに上回る「くさやぶ」が完成した。〔図-5〕
■ 気象変化の記録とコドラート生態調査
園庭と「くさやぶ」の気象変化を詳細に記録するため,両空間に自
動計測装置を設置した。また計測装置はソーラー駆動換気装置を備
えた簡易百葉箱に納めた。草藪を 2m×2m のコドラート(方形区)計
56 区に分割し,生態(植物分布,動物生息)調査を定期的に实施し
た。またこのコドラートを基に幼児の行動も記録した。〔図-5〕
両者の温湿度データは,曇天時と雨天時や植物が枯死する冬季
には大きな差異は認められなかった。しかし,植物が繁茂している
夏季の晴天時には差異が認められた。日照時においては,園庭より
草薮の気温が2~5度低く,それに伴って,湿度も高くなっている。こ
れは,草薮の豊富な植物の光合成活動による太陽熱の吸収と,そ
れに伴う蒸散による影響であろう。炎天下,草藪に逃げ込んだ時の
安堵感は,この冷却効果に由来すると考えられる。〔図-4〕
〔図-4〕 「くさやぶ」と園庭の温湿度の変化(↑)
〔図-5〕 コドラートの設定と簡易百葉箱(→)
■ ヒメウラナミジャノメは蝶? 〔図-7〕
昆虫好きの4歳男児がヒメウラナミジャノメを捕獲した。幼児達は
いっせいに集まってきた。集まった中の4歳女児が「これ,目玉模様
があるからメンタマガという蛾だよ。」と言うと,一同もがっかりして退
散。捕獲した 4 歳男児は小声で「蛾はいらない…」と言って放棄し
た。
ヒメウラナミジャノメは歴とした蝶なのだが,大人でも大多数は蛾と
して認識している。この男児は大変昆虫に詳しく,名前や生態もかな
り知っている。しかし大勢の流れに従って行動したものと考えられる。
翌日また,この蝶を追いかける男児の姿を目撃した。
多くの幼児は大人による教育からヒメウラナミジャノメを蛾として認
識している。またその認識は,「蛾=悪いもの」であり,その根拠は
与えられた概念に立脚している。しかしこの男児には,この蝶の認
識が二重に存在している。ある根拠(図鑑など)から得た知識では蝶
であるが,皆は蛾として認識していて,それも容認している。また彼
にとってこの蝶は決して悪いものではなく,遊びの対象となり得るも
のである。またこの草藪には,本種の食草となるイネ科植物が多数
生育し,この場所で繁殖している。
〔図-7〕 ヒメウラナミジャノメ
〔図-8〕 ベニヒカゲ 夏型と春型
■ ベニシジミの春型・夏型 〔図-8〕
ヒメウラナミジャノメ同様に,本空間を生育地としているベニシジミ
という蝶は,食草であるヒメスイバなどタデ科植物が繁茂する1年間
を通じて繁殖し,観察することができる。春にはオレンジ色の部分が
大きい春型,盛夏には翅の大部分が黒い夏型が発生する。同時に
比較できないこの違いを認識している幼児もいる。「日焼けしたんだ
よ」と説明してくれた。
〔図-2〕 教育的自然空間・園庭 (白ポストは簡易百葉箱)
■ エンマコオロギとツヅレサセコオロギ 〔図-9〕
9月も末になるとコオロギの声が聞こえてくる。この草藪には大型
のエンマコオロギと小型ツヅレサセコオロギが同時に生育している。
前者は「♪コロコロコロリー」,後者は「♪リィーリィーリィー」と鳴く。
飼育でもしてみなければ,どの虫がどのように鳴いているかは判ら
ないものである。しかし多くの幼児たちは,この2種の鳴き声と虫の
姿を対応させ認識していた。産卵管の有無で♂♀を区別できる者も
いた。
〔図-9〕 ツヅレサセコオロギとエンマコオロギ
■ オンブバッタ 〔図-10〕
多くの昆虫は♀の方が大きいのが普通である。オンブバッタでは
それが際立っている。またこの種は,交尾後も♂が♀の背にしがみ
ついて移動することが多いことから,この名を得た。子ども達にとっ
て,この昆虫の家庭内事情の理解は難しいようで,多くの幼児は「大
きい方がお父さん,小さい方が子ども(あるいはお母さん)」と理解し
ているようである。
〔図-3〕 6月と9月の「くさやぶ」 (白ポストは簡易百葉箱)
〔図-10〕 オンブバッタ
■ ニジュウヤホシテントウとナミテントウ 〔図-11,12〕
本保育施設のカリキュラムの1つである「農業空間」ではジャガイ
モ作りなどを行っている。そこではニジュウヤホシテントウやその幼
虫は害虫として駆除の対象となる。幼児達も農業指導の先生に倣っ
て上手にこれらの昆虫を潰すことができるようになった。またこの「く
さやぶ」にもたくさんのニジュウヤホシテントウが生息している。それ
を見つけた幼児達は「悪い虫めー」と言って,片っ端から潰しだした。
その中に益虫の黒いナミテントウを見つけた4歳男児と4歳女児が
「これはいいテントウだよ!」と言って,手の甲に乗せて遊びだした。
他の幼児達も「良いテントウ」を探したが,見つからない。ついには,
ニジュウヤホシテントウを乗せて遊ぶ子も出てきた。更にはニジュウ
ヤホシテントウの幼虫を見つけて「これはテントウの赤ちゃん,かわ
いい!」という女児も現れ,害虫の概念が揺らいできた。結果,「ここ
のくさやぶではニジュウヤホシテントウはお友達」ということになっ
た。
これも二重の価値概念の存在を示す事例である。ここでも大人か
ら教わった概念と,遊びの中で,児童が必要とした概念が交錯して
いる。注目すべきは,二重の概念が共存していることである。与えら
れた知識のみの衝突であれば,混乱し葛藤の末,どちらかに結論が
収まりそうなものである。平面的な知識と異なり,経験に基づく概念
は立体的である。立体には多数の観点が存在し得る。それは事物
の本質に繋がるものでもあるともいえよう。
ナミテントウの宝石のような甲羅(上翅)模様のバリエーションは非
常に多く,子どもの興味を引く。この虫もまたこの草藪空間で,卵・幼
虫・蛹(終齢幼虫)・成虫と変態してゆく。〔図-12〕
〔図-11〕 ニジュウヤホシテントウ
〔図-6〕 「くさやぶ」の生態と幼児の行動(↓)
■ ミツバチとヒラタアブ 〔図-13〕
「くさやぶ」のシロツメクサの蜜を求めて,ミツバチが多く集まる。ま
たコナラの樹液にはオオスズメバチもやってくる。この空間における
最大の危険である。さすがにこれらについては,経験で学ばせる訳
にはゆかない。しかし多くの子ども達は,親や先生から教わっている
のか,あるいは野性の本能からか,これらを確实に避ける。ハチに
刺された経験を持つ幼児もいないではないが,極めて尐数(5%以
下)である。ハチを避けることと同様に,ハチに似たアブやマドガなど
も退避の対象となっている。
〔図-12〕 ナミテントウ
〔図-13〕 アブとミツバチ
■ コガネムシの幼虫 〔図-14〕
子ども達のポケットには,ダンゴムシやコガネムシの幼虫が,「何
処でこんなに集めたのだろう?」と疑問を抱くほどたくさん詰まってい
る。实は,彼らは大人以上に土壌を知り尽くしているのである。
■自然環境と幼児の行動 (←)
幼児の本空間への興味は,コナラの樹に下がった簡易ブランコか
ら始まった。興味対象も徐々に拡大し,花を着けた直物,遊具となる
植物へと展開し,盛夏には昆虫が最大の対象となった。それに応じ
て,草薮に参加する幼児数と滞在時間が増えた。滞在場所も,植物
や昆虫の生育生息位置に合致している。〔図-6〕
〔図-14〕 土中から掘り出されたコガネムシの幼虫
■ 「くさやぶ」=いのち発見のフィールド
■ それぞれの「くさやぶ」で (まとめに代えて)
子ども達を取巻く自然環境が社会の注目を集めるとともに,
彼等にどのような「いのち」の教育を提供すべきか?が大き
な関心事となっている。本研究では,先述の教育的意図を
排除した野生空間「くさやぶ」の中で幼児達がどのように自
然観や生命観を発達させてゆくかを調査した。また合理的
プログラムのもとに教育された生命観と,自然の中で偶然に
習得した生命観との間に,質的な違いがあるのかを,いくつ
かの事例を分析することによって検証した。
プログラムされた教育に比べより多くの時間を要するが,
「くさやぶ」での自由遊びは,個々の体験に基づいている
ため,本質に迫った生命観が培われる。また幼児達にも
この「くさやぶ」は歓迎されており,日常の保育カリキュラ
ムから離れ,独自の精神世界を各自のペースで構築でき
る自由な空間としての存在意義は大きい。
ある母親の言葉が印象に残っている。
幼稚園での授業は,嫌いでも食べなければ大きくなれ
ない主食のようなもの。「くさやぶ」での時間は食事の後の
お楽しみデザート。
■ カメムシの臭い 〔図-15,16,17,18〕
10月になり,3歳児達の「くさやぶ」での活動も目立ってきた。3歳
女児が垣根で日向ぼっこをするツノアオカメムシを発見した。「あーカ
メムシ,臭ーい!」と言うと,他の3歳児3名も集合して,「カメムシ臭
ーい!」を連発。しかし,カメムシは臭気を発生していなかった。幼児
達に「臭いをかいだことある?」と聞くと,返事はなかった。
同様に4歳児でも,カメムシをいじる前から臭い虫と認識しているよう
で,「臭い悪い虫」と言って,カメムシが臭気を発する暇もなく踏み潰
してしまう。
カメムシはかなり危機的な状況にならなければ臭気を発すること
はないようで,この時点ではそれを体験した幼児はいなかった。敢え
て不快な思いをする必要はないかも知れないが,いつか追いつめら
れた生命が示す強力な抵抗を体験することで,いのちが持つ「生き
る意思」を感じ,個々多様な生命観も拡がることが期待できるのでは
なかろうか。カメムシは他の昆虫より特徴的な存在だけに,实体験を
伴わない行動や反応の単一性を確認する結果となった。
5歳児では,カメムシについて,数名が实際の臭いを嗅いだことがあ
るようあった。「ワカメの臭い」「セロリの臭い」「ボンドの臭い」という
発言があった。また「やさしくすれば,臭くないよ」との発言もあった。
しかし具体的な臭気や状況を認識している幼児は思ったより尐なく,
实体験の重要性を改めて確認した。
カメムシの種類,あるいは食草によって,発する臭気は異なるよう
である。セリ科植物を好むカメムシはハーブのようなセリの臭いがす
る。カメムシであるというアイデンティティーを,赤と黒のストライプで
強く主張しているアカスジカメムシは臭気を発しない。カメムシである
ということ自体が,鳥類に対する威嚇となっているのであろう。
〔図-15〕 アオツノカ
■ 子どもの目 〔図-23,24,25〕
子どもが真剣に,あるいは楽しそうに,何かを見つめている。しか
しその対象が大人には見えない(わからない)ことがよくある。とは言
え,確实に子どもは何かを見つけている。擬態した昆虫の発見がそ
うである。「擬態」は経験を多く積めば積むほど,既成概念に囚われ,
だまされ易いものである。
〔図-16〕 クサギカメムシ
〔図-17〕 アカスジカメムシ
■ クルマバッタモドキの最期 〔図-19,20〕
4歳男児がクルマバッタモドキの幼虫を捕獲した。持ち歩いている
うちに,つまみ方の加減がわからず,バッタの腹部から内臓が噴出
してしまった。この男児は戸惑った表情になり,しばらくバッタと汚れ
た指を見つめていたが,「バッタがオシッコ漏らした!」と言って,放り
出した。その直後,いっしょに遊んでいた4歳男児が,「オシッコ漏ら
しのダメな子めー」と言ってそのバッタを踏み潰してしまった。
生と死の認識はまだ不明確なようだが,明らかに「いきもの」として
認識は存在している。またその生命を奪った瞬間の感触には,理解
のできない強力な印象があったようだ。その瞬間,この幼児の脳裏
には複雑な感情が生じたことであろう。小さな生命からの意外な抵
抗のメッセージ,何かを壊してしまったという取り返しのつかない罪
悪感,不快な感触など…。
推し量るに,友人といっしょにいたため,彼なりの経験と精一杯の
知識を駆使し,自己正当化の回路が作動したのであろう。友人の方
も,全く同じ感情を共有しており,踏み潰した行為は,結論の確認で
あったのかも知れない。幼児自身にとっても,「いのち」に関する事
件は容易に結論が出ない…これは体験したからこその結果であろ
う。
■ ドングリ誰の子? 〔図-21,22〕
この空間にはコナラ(Quercus serrata)の樹が3本植えられてあ
り,秋になるとドングリがたくさん落下する。ドングリは子どもには絶
好の玩具となる。ドングリはコナラの種子であって,発芽して樹にな
るという概念も,5歳児の数名を除き,理解されていないようである。
樹になっているドングリを肩車で見せて,「この樹の赤ちゃんが生っ
ているのだよ」と説明しても,理解は生まれなかった。また,地面に
多数生じている1年~3年目のコナラ实生(みしょう)を見せて,「葉っ
ぱの形が同じだよ」と言っても無理であった。さらに1年目の实生を
丁寧に掘り出し,根や茎に連結しているドングリの殻や子葉(双葉)
を示しても,コナラとの関連性は理解されなかった。種の発芽につい
ては,アサガオやスイカなどの栽培で理解しているはずであるが,小
さなドングリが,数十年もの時間を経て,大きな樹になるイメージを
思い浮かべ想定することができないようである。
ある幼児は,ドングリを解体し,その構造は豆と同じであることを
知っていた。しかしドングリからコナラの樹が育つというイメージは,
やはりないようであった。一年単位での大きな時間の経過ということ
を頭の中で辿ることは,地球上での滞在時間がまだ短い幼児にとっ
て,想像を絶することなのかも知れない。
いのちを奪ってはならないことを教え込むことは容易い。
しかし,いのちの愛おしさを教えることは難しい。野原の花を
摘もうとすると,「お花が痛いって言ってるよ!」と即座に傍
の大人が教え諭してくれる。セミを捕まえるため公園の樹の
下に立つと,そこには「セミの一生=5年間も土の中でした,
見守ってあげましょう!」の看板。近年の子ども達は,無駄な
殺生をせずに,いのちを奪ってはならないことを学ぶ。かつ
ての子どもの場合はどうだろう。
ハリエンジュ(ニセアカシア)の花の甘い香に思わず跳び
ついて,掌にとげを刺した記憶。一面のスミレ畑を見付け,
帽子いっぱいに花を摘みきって,淋しくなった野原を見て悲
しくなった思い出。逃げないように翅を毟る時,誤って薄青
い筋肉を引き出してしまい,気味が悪くなって放り出された
哀れなトンボの姿。三角紙に挟んだアカタテハを気絶させる
ため,胸を強く押したときの,あの強い痙攣の感触。いのち
の儚さ,いのちの生々しさ,いのちの抵抗,そしていのちを
奪う罪悪感,いのちが消えたときの寂しさ…それらを実感し
た上で,ある子どもは即座に,またその体験を思い出してあ
る子どもは思春期に,いのちを奪うことの意味を悟る。
幼児に何を教えたらよいか…ではないのかも知れない。
幼児はみるみるうちにオートマチックに周囲を取込む。しか
もそのプロセスは千差万別である。幼児に何を教えるではな
く,何を提供するか…が重要ではなかろうか。
〔図-23〕 「くさやぶ」=いのち発見フィールド
〔図-18〕 エサキモンキツノカメムシ
■ 幼児の能力 〔図-26〕
ハルジオンの頭花の中央に存在する筒状花群の存在に気が付い
た4歳男児がいて,ルーペで観察させると,「図鑑と違う!」と言い出
した。図鑑での学習では,中央の黄色い部分に一つの丸いプレート
が張り付いていると理解していたようである。实物が,それもふんだ
んに供給されることによって,詳細な観察が促されたと考えられる。
更に,秋になって同様の形態を持つノコンギクが新たに咲くと,「ル
ーペで見たい!」と言い出し,この発見が如何に印象的であったか
を物語っている。
ルーペは小学校3年の理科で登場する教材である。しかし,太陽
光線に纏わる安全に留意さえすれば,4歳児でも十分に使いこなせ
る玩具となる。
■ 心の中の「くさやぶ」 〔図-27〕
ある秋の日,4歳女児が切り株スツールに南を向いて座っている
自分を中心に「くさやぶ」の見取り図をスケッチした。右には観察者も
描かれている。最大の興味対象であるターザンぶらんこが中心にな
っているが,その向きが逆である。これは見ながら描いたのではなく,
普段の遊びで用いる際の反対側から見た記憶のイメージによるもの
であろう。同様に遊びの記憶に結びついているものが列挙されてい
る。画面下方には,幼児には縁のない駐車場を飛び越え,園庭が描
かれている。またこの日は天気がよく,オオヤマザクラやナナカマド
の紅葉が鮮やかであった。最後に,「きれい!」と言いながらその樹
木を上方に描画した。描かれた対象はその時点での遊び記憶に基
づくものが多く,最後に描かれた紅葉だけが写实である。彼女にとっ
てこの絵は,遊びの記憶の組み合わせによって構成されている空間
と言ってよいであろう。
■ 夜の「くさやぶ」 〔図-28,29〕
昔の子どもは,よく締め出しをくらった。泣きながら謝り,玄関の引
き戸を叩きながら見上げれば,満月があった。月影の「くさやぶ」が
呼んでいた。おそるおそる踏みこめば,昼間,見たことのない世界が
展開していた。夢中になって時間を忘れた。母の呼ぶ声でわれに返
り,電灯の下へ走り寄れば,既に草薮の出来事は夢の続きになって
いた。
セミの羽化は夕方から,チョウの羽化は早朝,キリギリスの羽化
(脱皮)は夜8時頃から,数時間かけておこなわれる。「締め出し」が
なくなった昨今,この神秘の空間に遭遇した子どもは尐なくなってい
るであろう。キリギリスは,脱皮後,抜け殻を食べてしまうため,セミ
のように殻が残ることはない。
〔図-24〕 発見!
〔図-25〕 シャクガの擬態
〔図-26〕 ノコンギクの筒状花とルーペ観察
■ 夜の訪問者 〔図-30〕
夜行性の哺乳類は用心深いので,なかなか出会うことはない。冬
であれば,朝になって思いがけない多種類・多数の足跡を雪上に見
つけることがある。
〔図-19〕 クルマバッタモドキの幼虫
〔図-27〕 「くさやぶ」でのスケッチ
■ 謝辞
本研究の実現のために尽力くださった,また研究への貴重なアド
バイスを下さった東北芸術工科大学こども芸術教育センター研究員,
職員の皆様(敬称略,順不同:片桐隆嗣,森繁哉,松田道雄,香曽
我部琢,矢島毅昌,蜂谷昌之,柳川郁生,奥山優佳,齋藤志乃,國
井友紀乃,横尾郁美,高橋裕子,遠藤節子,佐藤瑠美,吉田鮎子)
に感謝の意を表します。
本研究遂行のために協力いただいた以下の東北芸術工科大学
学生の皆様(敬称略,順不同)に感謝いたします。
〔図-20〕 クルマバッタモドキ
〔図-21〕 子ども達が集めたドングリ
2006 年度調査
村田和恵
小島隆史
津田絵理奈
佐藤優
斎藤厚美
笹原広幸
郷津香乃
2007 年度調査
渡邊健太郎
堀川恵美子
高橋顕彰
高橋信之介
赤間扶生
舘石亮
小南夢加
幾田涼子
小田葉留奈
高橋大輔
佐藤さくら
2008 年度調査
山田玲香
阿部翔子
佐藤さくら
林奈未
柿沼瑞輝
仲鉢祥子
長谷部志穂
鈴木さゆり
小林みゆき
花野明奈
斎藤絢
佐藤香織
矢口麻智
大塚健
田中敦子
川武當志乃
布施さくら
黒田浩史
斉藤千裕
紺野広昭
佐藤優
大原和裕
鈴木理生
鳥谷部恵里子
五月女仁
安部貴史
池田彩也加
近藤友樹
高橋哲也
新泉和也
宮城加奈子
荻野裕子
濱田真綾
齋藤祐一
小山絵理香
長岡裕美
高橋史考
小石理恵
結城ななせ
菅野彩菜
中條芙美
小野寺智
長谷川幸輝
関口恵里子
原川宙
大泉琢
小泉雄真
吉川史恵
宮田翼
宮城加奈子
吉田祐子
佐藤咲子
石川奈穂
大平由香理
川村沙織
半田有佳子
高橋栄美
石井紀子
〔図-28〕 ササキリの羽化(脱皮)
〔図-29〕 羽化直後のササキリ
このポスターはこども環境学会で発表したものです。
〔図-22〕 コナラ(ドングリ)の实生と落下前の種子
〔図-30〕 今夜もやってきたホンドタヌキ (カップには餌を入れてありません)
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