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法然上人鍛仰会 - 法然上人鑽仰会

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法然上人鍛仰会 - 法然上人鑽仰会
浄土罰百7 1 ~島 2 号 {毎月 1 回 1 目先行} 平成 1 7写 2
4に今t乞 ‘亀〈主卸
法然上人鍛仰 会
1
'
11日発行昭和 10lj: 5 1'1 20日議 31量鄭便拘U司
叫今土 仰ぐ &00 号
附\一 企萄 (表紙 ラ イブラリ ー ]
滞工
平成元年 9 月号
平成元年 1 0 月号
、夫事工
平成元 年 11 月号
平成元年 1 2月号
滞エ ,r. 1 I 滞エ Lq I 滞工 ,0 I 滞主
平成 2~手 1 月号
平成 2~2 月 号
滞
平成 2~ 6 月号
滞
平成 2 年 1 0 月号
平成 2 年 1 1 月号
法然 上 人鏑仰金
.. ・
平成 2 1:手 4 月号
滞
r
m
平成 2 年 9 月号
滞主
竺エ 川一
滞
平成 2 年 3 月号
河
古
向
平成 2~5 月号
•
平成 2~芋12月号
,
2∞5/2 . 3 月号日次
若者と向き会って
… H ・ H ・・. ...・ H ・-…H・ H ・-…H ・ H ・...……H ・ H ・-・吉田博子
2
今 、 改めて 一葉さんを想う ・・ H ・ H・・・・ H ・ H ・. .
.
.・ H ・...・H ・ .. .・ H ・..伊川浩史
8
第二 闘 ・・… H ・ H・-…….......... . ... . .....・ H ・. .
.森
清鑑
J4
法話コラム ・・ H・ H・. .
.
.
.
.・H ・………...・ H・. •.…...・ H・. .
.
.
.
.・ H ・…. .
.
.・ H・ 大重了時
2
3
会いたい人 篠問正浩② ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・ 関
容子
24
シ ネマ随想 ……… H ・H ・....・ H・..…....・ H・ . .
•.
.
.
.
•.…-……・・……袖山集 翼
36
日本酒 のことぱ日本酒の じ かん ...・ H・ . •.
.・ H ・....・ H・...・ H・ 藤原理加
4
0
J フォーラム ・………...・ H ・ H ・ H ・...・ H ・ H ・.. •.. .・ H ・. .
•..・ H ・.... .・ H ・..……...・ H ・. .
.
•.・ H ・.
4
3
滞土誌上句会 ・…・・・… H・ H・...………一…. .
••.・ H ・......iI.-増田河郎子
4
4
マンガ 『 さ っ ちゃんはネ ッ j・・ H ・ H ・-…・・ H ・ H ・. .
•.
.
.・ H ・.. かまちよしろう
4
7
111儀後記… H ・ M ・-…・…......・ H ・.......... ..……-……・……・………… H ・ H ・..
4
8
熊野古道を行く
轡流十方 ・・…… H ・ H ・...… H ・ H ・-…H ・ H ・-… H・ H ・-…H ・ H ・..……H ・ H ・-
表紙題字=浄土門主
中村康隆貌下
アートテー ィレクシ ョ ン= 近線十四郎
協力=迦陵頻伽合
聴く力をゆたかにもつことが
大人に求められている
諮問料仁
吉田
子
代
ある日のこと、卒業が近づいてきたがまだ進路を決
。
数日前、
A さ
められない、就職活動をする気持ちも湧いてこないと
さん)が話しかけてきました
学生 (A
」 「後
んは両親に就職試験を受けていないことを打ち明けた
父親は 「納得する人生を歩みなさい
輝かせて生きたいと願っています
。
しかし、その
。
一方
で、自分らしく生きるとはどういうことかを見出せな
いでいる人が増えているように思います
従来の日本社会は、同じ言 語 を 話し、同じような体
験をし、同じ文化や価値を持つ横並びの社会・肉質社
。
そうです
。
。
。
そのため、
会でした
この状態が長く続いてきました
悔しないようにじっくり考えて結論を出しなさい」と
世間 一般の考え方、生き方を強いられることもありま
やりたいことを諦めることもありました
しかし現在では、多様化が進行し、従来の同質意識
。
励ましてくれたが、母親は 「学んで来たことを生かし
二
した
。
二 つに分かれている
。
や横並び意識が崩れ始めています 個人主義も進行し
Aさんの父母の意見が
。
。
みんなで何か
アイディアがあっても自分の考えを表明しない傾向が
を創り上げようとしても、方針が決まりにくく、良い
を苦手とする人が増えていることです
若者に向き合っていて思うのは、仲間との共同作業
しんでいるのが若者たちのように思えます
が現状であり、こうした変化を正面から受けて悩み苦
ように、社会の価値観が急速に急激に変化しているの
。
人の意見は 正反対であった 。「後悔しないように納得
と言
ています
事を選ぶのが当然でしょう 」 という返事であった
なさい」「資格を取ったのであれば、それを生かす仕
。
する人生を歩みなさい」と 言 われでも、 「資格を生か
す仕事を選ぴなさい 」
。
親
の 言 うようには頑張れない
われでも、親のどちらの期
待にも添えそうにない
。
やる気はわかず、ますます悩みが深くなっている 卒
をす
業後は生活費程度は家に入れたいと思うが、お金を目
1 タ i
。自分らしく納得できる進路を
的として就職することにも、目的なくフリ
ることにも抵抗がある
蛤選びたいと
焦のの、気持ちが動かない。どうした
るも
出らいいか分からない、という。ことでした
儲若者たちはそれ
れぞ
に自分らしく生きたい、自分を
3
あります
「
仕切りすぎ 」
。
っと良
と言 われることを怖
こうしたらも
他の人と違うこと、その場の空気から外れ
。
っ ても
ることを怖れてしまうようです
くなると思
。
飲み込むことが多くなればなるほど、
れて、ついつい自分の 言葉を飲み込んでしまう傾向が
認められます
自分らしさを失う不安、自分らしさを発榔できない追
コミュニケーション能力というと難しそうに思えま
すが、忘れてならないのは、コミュニケーション
gBBEES 位。ロという諸には 〈85H 共に 〉 がついて
共同作業が始ま
い詰められ感を強めているようです
共感・
いることであり、本来は
〈
gam-zgssgH
っても動きが悪く、誰かに指示されるのを待つ姿が目
結果として、共同作業の質は低く、成功し
共有を成立させる 〉という意味を合んでいることです
。
立 ちます
。
。
それは、成育過程で不快体験や傷つき
つめることを可能にすることなのです
。
人間関係は人
相手の意欲や勇気を引き出し、その人が自らを深く見
することを通して、相手をふれあいで包むことであり、
とだけでは不十分で、聴くこと、共感すること、共有
つまり、コミュニケーションとは、うまく話をするこ
。
っている人が多いと
っかり支えてくれます
。
。
。
の気持ちを大切に受け止めることであり、相手の気持
聞き上手は話し上手というように、聴くとは、相 手
ちをし
られ、理解されていると感じられる時の安心感は私た
人に受け入れ
として豊かに生きていくうえに最も大切なものです
。
っ ていま
。
いうことでしょう
一人で作業することを選ぶ若者を増や
人との関わりから安心感が 生 まれます
。
ション能力を育成することが緊急課題にな
人間関係の希薄化をのりこえること、コミュニケー
しています
く少数あるいは
の体験の少なさが、共同・協働を生 まれにくくし、ご
人と人のふれあいの喜びゃ楽しさ
体験をしてきた人、それを引きず
うに思えます
こうした傾向は従来もありましたが、何かが違うよ
の抱えている問題のように思います
ても大きな喜びは得にくいようです これが今の若者
。
す
4
コミュニケーション能
。
」 と激励するの
「こうしたらいい」と説得
鏡になってくれる人です
。
ちに心を傾けて聴くことです
ク
さらに、浮か
(
返す ) していくこと、それを過して
A さ
Aさんの気持ちを捉え、それを A さんにフィ
。
A さんの考えるスピードに合わせて耳
っと分かるように話して:::」とAさんの気持
ッ
んが自分の気持ちを見つめなおす過程を支えることが
ードバ
び上がる
を傾けてくれる人がいることなのです
ちを受け止め、
うちょ
話してくれたね 」 「なぜそういうふうに思ったの 」「も
まに受け止め、理解してもらうことなのです 。「よく
でもなく、不安な気持ち、迷い、自信のなさをそのま
するのではなく、 「あなたならできる
。
力を高めるには、まず、相手の話を聴く力を高めるこ
とが要になります
なぜ、そのようなことに
。
Aさんは両親に相談したあと、かえ って無力感に襲
。
われるようになっています
なったのでしょ、っ
は、
A さんの
った助 言
。
多くの場合、相談を受けた側は、良いアドバイス・
しかし、 A さんがもら
。
役立つような助 言 をしなければと思います
両親もそうでした
必要なのです
。
。
A さ
っても、指示や命令をされても、結局の
。
回
立ち向かう勇気が出てくるの
。
また、
安心感は
人に受け入れられ、理解されていると
っていることであ
。
Aさんには分かりすぎるくらい分か
です
助言
当 人です
Aさんの気持ちが動くことが
大切であり、自分で自分の気持ちをつかみ、自らの力
り道のように見えても、
ところ最後に結論を出し、動くのはその
をもら
安心することで、困難に
んを支え、心の安定を得ることにつながります
感じることは、安心感をもたらします
。
。 A さんの
A さんが求めて
Aさんは何も出来ない自分を責めるよ
ってしまいました
結果的に、
っている内容でし
。
り、出来ることならそうしたいと思
た
うにな
ここで考えなければならないのは、
d
引
いたものは何であったのかということです
扮悩みは欲
意がわかないことであり、動き出せない自分
。A
酬が問題なので
す
さんのように自分の気持ちが見え
梢 ない、動き出せない時に必要なのは、自分の心を映す
5
。
。
心
Aさんの問題解決力を
で問題解決に向けて歩みだすことが大切なのです
を傾けて聴いてもらうことは、
引き出すことにつながるのです
コミュニケーション能力は、幼い頃の大人とのやり
。
とりを通して学び始め、大人をモデルとして、話す、
聴く、共感する、共有することの基礎が築かれます
聞き返し、「なぜ欲しいのか」 「なぜ、今買わなければ
幼い子どもなりに
。
ならないか」の説明を子どもに求め、子どもの説明に
し っかり心を傾けて聴いて下さい
「なぜ?」を説明しようとするでしょうし、説得でき
。
また、自
なければ買ってもらえないと思えば、幼いなりに自分
の気持ちを整理して話そうとするでしょう
。「あなたは
分の気持ちをわかりやすく伝える力、誤解のないよう
に伝える力をつけていくことになります
と言ったけれど、:: :だから、買わなくてもいいと
思う」と反論されるとなれば、子どもは相手の意見や
i
になっていますが、子どもに問題があるのではなく、
考えをしっかり聴こうとするでしょうし、その姿勢も、
いま、大人の顔色を見て行動する子どもの増加が問題
明らかに子どもを取り巻く大人の側に問題があるので
自分の説明が認め
交渉する力もつくことになります
。
たとえ買ってもらえなくとも、
。
す。日常の子どもとのやりとりを通して、大人は子ど
。
自分の気持ちの抑え方を学ぶことにもつながり
。
安心感も得られ
自分の思いを上手に聴いてもらえ
理解しようと努力されれば、大切にされていると感じ
数倍になると思います
られて買ってもらうことができたならば、その喜びは
。
もにどのような力を育てようとしているのかを見つめ
なおす必要があります
例えば、「あれ買って 」 と子どもにせがまれた時、
。
ることが出来ます
ます
「また今度ね」というあいまいな対応をしたり、「今日
子どもは自分の欲求や 言 い分が
。
ば、混乱している心も整理されます
。
。
日常 のさまざ まなやりとりを通し て子どもに何を育
ます
はだめ 」と頭から抑えることがありますが、こうした
対応では不十分です
通らないという不満を募らせることになります
この場面では、「なぜ?」「どうしてそう思うの」と
6
(H
時には親であることを離れて、子どもや
っ てい
っかり心を聴いて
若者とナナメの関係を築いて、傷つきゃすくな
。
生 涯にとって、人として
る子どもや若者の心を受けとめ、し
下さい
人との関わりは、その人の
。
豊かに生きていくうえで最も大切なものです 多くの
に
。
・
発達心理学
自分らしい 生 き方を求めている若者に自分を
。
幼児教育と発達心理学を研究
、
。
著書
。
『
明治図書 ) 『わかりやすい仏
人間の発達過程』 (
臨床発達心理士
日本教育カウンセリング学会理事、上級カウンセラー
よしだひろこ淑徳短期大学
。
方が若者とナナメの関係を築いて下さることが求めら
ここでいうナナメの関係とは、さまざまな
近年、ヨコの関係
相手を傷っけない
ます
ています
指 示 ・命令・
れます
。
気遣いや利害を離れて、索の自分、駄目な自分、弱い
。
。
教保育内容総論』(
チャイルド社 ) などがある
。
見つめる機会を与え、勇気を 与 えることになると思い
ることにつながる関係をきしています
叱責・説得・助言 ・傭柔が主となる関係ではなく、相
手の気持ちを尊重して聴く関係、共感と共有のある関
係であり、思い悩んでいる若者の心を活性化し、問題
っていく関係のことです
行 解決の力を引き出し、よりよい生き方ができるように
弘す
,
友人関係 ) が危うくな っ ています
む 関わ
M
自らの防衛を解
わせて行動することが増えています
一
。
てようとしているかを考え、自分の欲求や意見を相手
.・ 1 ・
。
き、素値に自分を開 示 できる、飾らない自分を語るこ
。
一
一
一
一
っています
に伝える力、相手の意見をし っかり聴く力、交渉する
これを無駄にしたくはないものです
UJ
自分を索直に開 示 できる関係、偽らない自分を見つめ
。
っ
幼い頃の大人とのやりとり
とができる関係があることがこれまで以 上 に重要にな
。
力を意撤して育てることが長じてからのコミュニケー
ションカにつながります
。
はコミュニケーションを学ぶ上で、貴重な学習をする
機会です
【『冒
ヨコでもタテでもない、ナナメの関係が大切にな
…
一
m ょう気分を害することがないよう気づかい、手
相に合
7
一
、
Zえ
め
さ
ん
う
τ
今、 改めてー獲さんを想、 う
-
私の寺は、東京は本郷の東京大学赤 門 の真
です
。
貯き嫌いはなく、 「おごりがいが無い 」
。
。
執筆で疲れて
。
(『
槌口 一葉と歩く
いつも穏やかで礼
いても、好んで母の手足を採んであげたりと、
や針仕事をしていたそうです
われたほどの小食で、暇さえあれば洗濯
と言
。
正面にあり、昨年登場した新五千円札 の樋口
一葉のゆかりの寺、法真寺であります
既に皆さんご存知の通り樋口 一葉は、明治
ります
。
。
本堂に向か
っ
その時 一葉さんは五畿で、それから
十議までの聞をこの場所で過ごしたのです
って四軒自の転居先で、
。
その頃父親は事
。
て左手、今は駐車場になっている場所にあた
隣りに引っ越してきたのです
明治九年四月、樋口家は私の寺法真 寺 の東
明治・東京 』 小学館)
ったようです
とても親思いの人でした
明治
さない人だ
時代に活躍した女流作家で、貧しい家計を自
。
本名は「奈津 」といい、
。
儀正しく、どんなに辛くても、それを顔に出
った人です
分の筆一本で支え、 二十四歳と八ヶ月という
若きで逝
「
夏子」と自署することもありました
五年に現在日比谷シティーのある場所で生を
。
受け、その後転々と引っ越しを繰り返したの
です
一葉さんの身長は五尺といわれていますか
ら、大体百五十センチ程度で、色白の整った
一葉さんにと
そこは
ったそうで
当時、警視庁警視属に
顔で目元には少しそばかすがあ
。
購入したと 言 われています
なった父規義が、その時のお金五百五十円で
十 三坪の屋敷でした
木造倉庫つきの建坪四十五坪、総蘭積 二 百 三
。
す 。一 重まぶたで極度の近眼のためか、目が
きらきらしていたそうです
若い 一葉さんゆえ決して関心がなかった訳
ではないと思いますが、いつも地味な服を着
但し、
業を拡大し、不動産売買や投資貸し付けで財
。
て、白粉もっけないでいたそうです
を築いていたのです
。
口紅は女のたしなみ程度にはさしていたそう
9
二人の兄、そして両
っていた時期であり、経済的に
その時分は、飾、妹、
親と 一家そろ
。
っ
そんな時期に法真 寺 の若い仰とよ
も家庭的にも 一番恵まれ 、幸 せな時期であ
たのです
『たけ
(一
葉晩 年
、
一葉さんは家の 二 階の窓
現在こ
子 供からすぐ
っ
。
一葉さんにと
っ
。
供えししきみの枝に つもれるもをかしく 」と、
。
この観音さまは明治時
っていますが、お
春の法真寺の情景を描いております
。
の観音 さまは本堂 の横に移
姿は 当 時のままです
。
に 十 七歳でその
った 子 供時代の象徴であ
った」 と語 っていた
たと思います
ては、唯 一幸せだ
大人にな
娘時代と云うものを知らない
春に咲き乱れた法真 寺 の境内の桜は、 「私は
代には柳原 二位の局が、大正 天皇 ご安産のご
。
く境内で遊んだそうで、その若い僧が
ったそうです
祈願にご参詣されていたと 言 われています
。
くらべ』 の真如のモデルともいわれ、 一葉さ
んの初恋の人であ
の回想日記より、和田芳恵氏談 )
)
当時から法真寺には桜の木があり (
現在の
は 二代目ですが
からよくその桜 の木を眺めていたそうです
ら
父を亡くし、その莫大なる借金を抱え、 戸主
父親が事業に失敗し、さ
しんだのです 。「かりに桜木のやどといはば
となって
それで晩年ここを 「桜木の宿 」 と呼んで懐か
ゃ、忘れがたき昔しの家にはいと大いなるそ
山福山町と住居を転々としながら、波湖万丈
の中にその短い生涯を閉じたのです
。
一家を支え、菊坂、台東区竜泉、丸
の木ありき」と、亡くなる直前の明治二十九
一葉さんは
『
詞がきの歌 』 の
そしてまた
年初夏に病床で害いた雑記
。
私の寺では、そのようなご縁を頂いており
中で 言っ ています
『ゆく雲 』 の中で、 「
腰ごろもの観音さま、漏
ますので、毎年 十 一月 二十 三 日の 一葉さんの
畠
れほとけにておはします御周のあたり、ひ ざ
命日には
「文 京 一葉 忌 」 という催しを行い、
のあたり、はらはらと花散りこぼれて、前に
1
0
今、改めて -~獲さんを想 う
(
去年は作家の荻
法要後に毎年幸田弘子先生の朗読や、その年
によ って違う講師の先生方
っております
。
って 頂きたいと常
。
さ ったのだろうなあとしみじみと思うのです
今でこそ自立している女性は大勢います
が、その 当時、しかも若い娘さんが自分の筆
。
私は 一葉さんが 二
一人の女性としても触
つまり明治の偉大な作家
さんとふれあい、感じ取
常思
としてだけではなく、
。
野アンナ先生 ) が講演をしてくださいます
れ合
十四歳という若さでお亡くなりになっている
って頂きたいのです
その後境内では、寮敏祭の方々が旧制高等学
校の按歌を歌われ、また同時に、
のにもかかわらず、更に若く幼い日々を振り
一葉さんゆ
かりの地の史跡を歩いて巡ります 。「文京 一
っ ていま
って慎かしむということは、本当に苦労な
返
。
葉忌」も昨年で 二十 五回目を迎えることがで
きました
一葉きんを諮
一葉さんに関しては、いろいろな学者の方
がそれぞれの思いで
作家としての人 生も非常に短かったにも
小説の師であっ
一葉さ
。
一つで家族を支えなければならないプレッシ
。
って恋心を抱
す
。
だけど 一葉さんは忍ぶ
ったのです
え感じます 。「どうして私の人生はこんな人
た半井桃水への耐え忍ぶ恋などは痛ましささ
恋しかできなか
。
ャーは、本当にきっかっただろうと思います
ト・ダンリ
くのは当たり前です
かかわらず、アメリカなど海外の高校などの
l
またアメリカ
人として生まれたら、年頃にな
。
「世界の文学 」 という講座の中にも、その名
前を見ることが出来るのです
のミシガン大学などでは、ロパ
。
教授が英訳を手がけ、多くの学生さんが 一
l
葉さんの作品を学んでいるのです
った
しかし、礼
生なの?私だけこんな目に遭わなければい
けないの 」 と感じたと思います
私は 一葉さんの文学を過した世界も確かに
すばらしいと思いますが、桜木の宿ゆかりの
儀正しく、消貧に 生き、 親孝行だ
。
寺の住職としては、顕だけではなく、心で 一葉
1
1
んは、その 立 場を受け止めざるを得なかった
のです 。一 葉さんは父親の事業が失敗して、
本当に若い娘さんの時から 「
裟婆世界の無常 」
。
受け止める
あります
。
簡単なよう で実に難しいことで
お釈迦様が 「自分の力の及ばないことに執
。
生まれてく
着をすると苦しみになりますよ
って体験されたわけですが、周りの
を身をも
って、病気に
んなそうでしょう」とお説き下さっています
って、み
そして
なることだって、死んでゆくことだ
ることだ って、年をとることだ
。
。
何時何が起こる
幸 せそうな家族や、同世代の女の子をどんな
目で見ていたのでしょうか
かわからない、それが婆婆世界です
しかし私のような者は、自分でどうすること
。
っ
万円札誰だ
。
どん主〈
まさに食欲の心です
。
顕
って自分や
に
「お金で
。
お金
っけ
。
昔の 一
千 円札誰だ
。
っくり見た
言 われます
ったのは、
って
道理のわからぬ 実
とよく
っけ、とか、前の
ことなど無いのではないでしょうか
は毎日使 ってい ますが、意外とじ
何とも皮肉な話だ 」
一番苦労した 一葉さんがお札にな
昨年 一葉さんが五千円札にな
。
その食 りが叶わなければ怒りとな
ではわかったつもりでも、私の食りの心は、
してしまうのです
も出来ないものに心を奪われ執着の心を起こ
だか
。
今までの生活が 一
。
そこでは全てが壊れゆくものなのです
ら無常と呼ばれるのです
それでもなお明
生 活水準が下がる 一変は分別のある大人
変する、良い方へ 一変するのなら楽だけれど
も、
。
周りに襲いかかります
って耐え難いものです
一葉さん、とてもけなげ
愚かな姿であります
にだ
るく生きようとした
。
っていた
ありのままをありのままに
。
E つ不慨に思います
ある末期ガンに目された患者さんが、 「最
」と仰
ったけれど今は、何とかうまく
初はこの状態から何とか助かりたい、逃げ出
したい、と思
痛とお付き合いしていますよ
。
そのことばと 一葉さんがどういう訳か重な
て思えるのです
12
今 、改めて ー築さ んを怨 う
まるで私たちの心のようです
毎日使
。
様や家族友人に聞まれて楽しみを享受されて
。
とか
西の彼方十万億土の仏の
いることでしょう
世界を超えたところに、阿弥陀様というほと
。
っていて大切なものだけれど、意外に知らな
ったり、
笑
け様がいらっしゃり、お浄 土 は苦しみが無く
。
っ てい
いし、気にも留めていないのです
怒ったり、何時も心は私たちに寄り添
楽しみだけの世界だから
。
。
そこに永
そして阿弥陀
遠の命を受けたものは、退転して生まれ変わ
『
阿弥陀経 』 に脅かれています
「極楽 」 というのだ
るけれども、あまり改めて自分の心を見つめ
と
。
ることが無いというのと同じことではないで
しょうか
り死に変わりはしないのです
様によって阿弥陀様と同じほとけ様に育てて
私は -葉さんゆかりの寺に生まれ育ってき
たので、 一葉さんを近くに感じるのは 当 たり
いただけるのです 。一 葉さんもその浄 土 にい
私は浄土宗の僧侶として
。
なんと尊いご縁を結ばせて頂いたことでしょ
ら っしゃるのです
前なのかもしれませんが、改めて 一葉さんを
一葉さんが何時も近
一人だったら、どんな友人に
見つめ直したとき、もし
くにいる友達の
っ
てゆきたいと思
っています
。
東京本郷・法曹再寺住取
の中に、 一葉さんの声なき声に耳を傾け続け
会い出来る日まで「南無阿弥陀仏」のお念仏
います
。
、内ノ
。一 緒にお酒を飲
なるだろうと時々考えます
笑
だから私は 一葉さんに、あちらでお
我が名を呼べ、必ず救いとるぞ」と阿弥陀
「
。
。
んだらどんな話をしてくれるのだろう、小食
。
そうすると 一葉さんが
様が、この私たち 一人 一人にお約束下さって
。
といわれた 一葉さん、どんな食事が好きなの
だろうか、等々です
もっともっと近くに感じる気がします
った気がしてきます
たり、怒ったりする、街にいる普通の女の子
に還
今 一葉さんは阿弥陀様のお浄 土 で、阿弥陀
1
3
、
泉 岸 和聞 か
藤 代 王子 へ
ら
に
佐野は中世に非常に栄えた商業地帯
った
。
。
4
彼もまた同じく
。二 人の誕の途中
九六四年建立の 三 五卜
。
そのちょっと先に今度は地元の武
傑回右衛門の悲劇的なれ収期を想起させるもの
があ
った
将淡輸』ハ郎兵衛の幕がある
この職場で散
凶忌を奉る宝臨印搭もある
西北沿いに奥家がありその庭に籾井王子(桜
。
達する
。
今はその縁を偲ぶこともままならない しか
。
井王子)の石碑が建っている 平安時代には
。
この辺りから田園地帯になり南東遥
。
で現在とは隔世の感があったに違いない 佐
。
し、この辺りの許道胤設は昔の面影を残して
。
ほどなく樫井川にぶつか
江戸時代の占民家が建ち並び、独特の
か遠くに熊野を 貫く操無山脈が眺望できる
。
橋のふもとに 大 垣 夏の陣樫 井古 戦渇跡 の
。
いる
る
のどかな凶闘の 小 を歩くことしばし、 樫 仲介川
これが、塙団右
瓦 um艇に見とれる
。
慶長 二 O (一六 一
巨大な石碑が建っている
。
衛門の墓である
五)年かの帯名な大坂夏の陣の初戦がここで
私が中学生の時分にさかん
に読んだ講談でお馴染みの、あの豪傑の墓が
ちょうど四月の晴れ晴れとした陽
。
始まった
なじむ占道の別名である
。
。
って程なく、
小東判官の名に
この辺りの占道から
。
備を渡
小東街道の道標が日につく
ったのである
気で広々としたのどかなこの田園風景が職で
彼は控匝方の武将として大披耳の陣
「へ
建った
蝶の中央の丸石になにやら口を
血に染ま
。
に参加、約 二百名の部下と共にここで戦死を
遂げた
。
こんな所に症ったのかと急に当時の思い出が
。
宅に閉まれた基が出現する
に出る手前に突 如 、古道南東側の道治いに住
である
おそらく大きな社が態っていたのであろう
。
野王子跡は古道沿いに石碑が建っているのみ
古道は堺から和泉、 岸 和田 を抜け、 佐 野
下
の字 」 に結んだ人の頗ごとき文様があり、・誕
-大阪 賓 のmae骨骨芭
H副
S
植田
A'帽嶋岡右衛門の.
1
5
大阪湾、和敬浦湾沿いに
熊野市港を 行く
ゆるやかな製造を上がると布下にいささか広
っ ている
。
大な 一岡神社の敷地があり、海会寺跡の大き
な案内板が建
。
この寺の発見と発掘は法隆寺建立
発見された 海会寺 大伽藍の礎石は平然と並
んでいる
。
ここでまた
。
行基が建立したとされているが、彼は帰
。
に匹敵する歴史上の波乱を巻き起こしてい
る
化人を束ねた人物であるらしい
ぞろ、新経と百済の闘争が話題に登場する
。
。
保会
ともあれ、この大
しばし、礎石の上に作
戸王子 があ
った
。
。
石川叫だ
恐らくは当時の屯要な輸送
ったのだろう
後鳥羽院を迎えた旧
紀州の殿様
石畳は
。
っているがいくつかの属すが残り、枠
下段である弱小島があ
けが建
。
。
今ではのどかな田んぼ道だ
。
ての面影を残している
本陣跡もある
いよいよ占道は紀州街道に入る
。
。
が参勤交代で練り歩いた道である 道幅も往
時の面影を残し、四メートルはある
。
江戸時
整備され、その周聞には占宿が建ち並んでい
。
まるで時空を超えた感慨が襲う
る
。
。
朝鮮半白から、はじき出された人々ははるば
代に逆戻りしたようだ
この対化人述の闘争は鎌合時代ま
ってきたのだと凡られる
そしてようやくにして日本文化の源
。
る円本に米て、進んだ文化を提供し、溶け込
。
んでいく
で続く
流が出来上が
ったのかも知れない
寺は法隆寺以前に完成した、彼等のシンボル
であ
。
礎石 の発見は市の文化波及の読点を眼前に努
った
狩とさせるのである
み、空想に耽
海会寺跡を出て田んぼの畦道を進むと、 厩
- これより紀州街道
1
6
熊野合逃を 行く
ほどなく 和泉 鳥 取 にでる
。
。
この地名は狩猟
山中橋を抜けると、
を専門業とし獲物を 皇 族に献上する 一族、鳥
取氏の発生源なのである
そして江 戸 時代
てからは、初代頼 宣 がここを治めた
。
。
械は戦
紀ノ川が蛇行 している様が
。
天守閣の麓に登ると和歌山市を眼
災で消失したが、復興されその面影を良く残
している
下に 一望できる
。
平安・鎌倉時代には和歌浦湾
いくつかの 王子 社を抜け、紀ノ
。
現在はコンビナートなどがで
がせり出ており、現在の和歌山市の大半が州
。
山
。
あ ったらしい
の状態で、ゆえにその 美 しさは 望外のものが
そし
ら
きて全く異なる様相を 呈 している
山中渓か
ほしゃ
石碑の近くに京都 三 十三 間 堂 の通し 矢 で
川を渡り、布施 屋 を過ぎると和佐 王子 跡があ
。
る
って良いかもしれない
。
大
彼こそは過去に和歌山が 生 ん
また、この山中宿
った
二
・
二 メートル
メー
三 十 三 間 堂 の通し矢は、
身長 一メートル九 0 センチ
。
なにしろ
トルしかなく、縁の幅は、
。
って
。
左手に地蔵堂 王 子跡がある
。
町に疫病を入れな
。
。
夕日に映える
った
の旅篭がそのまま残されている山中宿だ そ
の昔、山中渓は古道最大の難所であ
つ であ った
近くに鎌倉時代の関所跡がある
。
と山に挟まれ、深い谷底には山中川が走
いる
て塞の神が祭
。
全国にある佐伯氏はここか
。
い神でこれと懸けて要所を護衛する役目の佐
伯氏が誕生した
ら波及しているのである
っ
。
最 高記 録を達成した著名な 弓 取り、和佐大八
本最後の仇討が
徳川にな
。
八郎は現代で 言 えば大変 気 丈な教 育 ママに鍛
だ最 大 の英雄とい
郎の墓がある
日
古道筋の 庄屋屋 敷の
。
は坂本竜馬が助手をした、
。
行われた舞台でもある
瓦が美しい
日没近くの和歌山城天
この日はこの山中宿を終点に 和敵山場 前の
。
。
縁 (
廊下 ) から 天井 までの高さが僅か 五
えられて育
った
った
もとは、藤 堂高虎が秀吉の
ホテルに宿をと
。
の偉丈夫
っていた
守閣はすでにライティングに彩られ、優 美 な
光を放
命で造り、秀長の居城であ
1
7
。一二
十 三 間堂は、直線的な 美
しかも 一一一0 メートルもある距離を射通さな
くてはならない
。
となると自ら揃いた、非常に
「狭く、低
を誇るが、建築なのだから凹凸の装飾物もあ
る
く、長い」箱型のトンネル・イメージ空間を
。
ということは、矢はほと
。
どこにも触れずに矢を通過させねばならない
ということになる
んどライナー状態で飛ばさなくてはならな
。
の競技環境ゆえに片膝を縁につき射る
い こ
「凄い 」
それで彼は 一万 三 千五十 三本も矢を放ち、八
千百 三 十 三 本を過したというのだから
。
「大矢数 」 と呼ばれるこの競
の 一語である
(
午後六時 ) から翌日の日暮れ
和佐大八郎の記録は、 昼夜
っ通しで矢を放つという・張
技は、暮六つ
。
まで 二十四時間ぶ
快・壮絶なもの
し
分かたず毎分九本、六・六秒に 一本の割りで
。
って、食事・トイレ
弓を射たという驚異的なものなのである
かし、これは平均値であ
などの時間も必要であったと思われるので、
現実にはさらなる速射が要求されたことだろ
ぅ
。
オリンピ
。
った
。
紀州滞 ニ代藩 主 徳
無論、彼の記録は、 二度と
クの競技種目であれば間違い
ッ
なく 金 メダルだ
破られることはなか
川光貞がわざわざ出迎えし、 三 百 石を 与 えた
のも額ける話である 。、
和佐 王 子跡からさらに行くと、武内宿跡
ケノウチスクネの
の井が残されている
あ った
。
ゃ
こうしたことか
。
、
菩 薩 房王
欝芳とした
った
河川仲間同開
i圃圃園田
句
一 邸機一
,
議
一
は‘川川P
円ー早
し
川
Mぱ
曹
.
aF
mw
時以釦
p
t副圃・・
tt圃--Erh引UUHUF
a山
v中宿江戸時代の楕繍
illzl
矢田 a・・・・・・
ら しい眺
。
t
{
彼は五j十代の天 皇 に ,官山hu
h
w
滑
川
川
。
これが 載戸王子 である
変哲も無い森に過ぎないが、いよいよこれよ
っては重要な入り口であ
り本格的な熊野参詣の旅が始まるという、平
安の旅人にと
。
子を経て小高い丘を登ると、いきなり石碑が
説が残る蜘妹池を通り、松代 王 子
腰掛石や神武天皇 が蜘妹を退治したという伝
望を味わいながら、さらに行くと小栗判官の
峠から 右 手眼下に紀ノ川平野のすば
らも、古代文化の息遣いを感じさせる
仕えたとされる重臣である
。
(タケノウチスクネ )神社がある 。 ここはタ 司 Z 混沌 M ・・
2
U
いv
生 誕地とされる所で、誕 生 F 淘 J,
白"l
は刈
h
川
/
8
熊野市.ìI1を rr く
ったのである
。
蔽を 下りて見上げて
身をは川め、おはらいをして人々は難行昔行の
山路を辿
。
大博物学者市万熊楠の命名の山来
その前に、再びクスの大木が並び、参道へと
誘導する
にな ったクスノキとある
彼を知 った中学生
みると確かに今は形だけの鳥居があり、この
の頃、妙な名前だと思ったが、ここに来てみ
。
丘 一帯に 王子社があり、右手 は和歌山の美し
ると、それはいささかも奇異な感じがしない
。
い水辺で人々は心も洗われ、神聖な気持ちに
定家が後鳥羽上皇にしたが
。
い
今現在のク スノキ
って、熊野詣をし
な って山を登り
た際に、すでに樹齢千年を超えるクスノキが
献戸か
ら藤代王子社までの道のりは現代では民家の
あ ったと記しているから、
。
速なる、平凡な、どこにでも見られる坂道に
はそこからさらに八 OO 年は経ていよう
始めたのに相違ない
すぎないが、昔は大層、険しさを予兆させる
何百年も廃れた、
ずれにしても人に比べてなんと長寿命なこと
。
山路であ った に違いない
ややあって悦界が開
ら、まさに御神本に値する 。一 00 メートル
。
この変化の名
もある参道を行くと応手に雌内神社はある
現住は雌白だが、陀 uは藤代だ
。
麗代王子 は 云わずと知 れた五体王
」 からきてい
いずれにせよ、その名は 「フジが多く
。
子のひと つで上皇も他の権力者もここから熊
るという
咲き、しかも花の白さは知なし
たる
前の妙は、占追を歩くと他にもいくらも見吋
。
しかも、この木はこれから先、我々が死
か
。
再び特なお附き森の小を十日泊
。
って行く
鳥居を潜ると左手に小
。
。
熊野巡礼がごく枇近不死鳥のように蝶り返し
して後、数百年も生きて存在し続けるのだか
「熊野占道 」 の舵灯がかけ
てきたために、占道沿いの氏家も協力し、そ
。
れぞれの門の前に
られている
っ切る
坂道をしばし歩くと、路が切れ、竹やぷと
畑を突
は巻いて上が
。
け、古色斉然たる、威厳に満ちた、クスノキ
の大木に圧倒される
社があり、 藤 白 神社 の由来が記されている
- 庄屋鹿取
1
9
野の果無山脈に入る準備をする
。
そうした意
味でも厳戸でおはらいをしたあと、この王子
。
ぷ舞、おかぐら、
の持つ意味がわかる 。一 行は京の都から文化
を運び、ここで披露した
歌を事じ、上虫 一一族郎党が来るということは
った
文化そのものを持ち込むことになり、土 地の
。
社は古風で威厳があり、往時の面
人々にとっては極めて盛大な催し物とな
のである
。
社に向か
。
雌代
って布手
つである
。
影を残しているが、とりわけその凪風の見事
きは他に例えようもない
にはあの悲劇の布川 王 子を事
。
。
占道沿いでは、こうし
またも、文化の担い手である、硯
。
王子を出るといよいよ藤代峠の難所にさしか
かる すこしいくと、右手に看板があり、
「藤代撞発祥の地なり 」 の看板が建 っている
そこから右手に蔽の中を下りて行けば、思屋
谷である
と単の発祥地である
。
藤白神社の衷手を降りると、
たことは驚くに値しないほどごく特通に出く
わすのである
もうひとつ、
。
の
木
大
圃帽
の
役
惜押
代
A'願
神官であり、
った
稲砲が溌刺と
。
鈴木屋敷 がある 鈴木氏は代々藤代王子の神
主の家柄で、全同でいんもその名が多い「、
鈴
木さん 」 の発祥の地でもある
。
生育した状態が 「
却制」 で屯く垂れ下が
状態が 「すずき 」 なのである
しかもこうした縁起を担いで全国にその名が
ったのには、
鈴木 三郎重家は義経
。
く関東に名前が広が
広まった 遠
。
彼は頼朝に追われた義経に
もうひとつ理由がある
。
って安川の館で名持の戦死を遂げているの
の・気楽であった
従
である 。当 地には鎌合時代の鈴木屋敷附があ
り、そこに捕かれている属敷と庭園は今も蛾
20
熊野占À1を tr く
せていなか
った
。
しかし、中大兄皇子にと
っ
ては邪魔な存在で己の野望の前に抹殺に踏み
無論、屋敷はいくどもつくりかえ
しかし、縁側の前の庭
。
。
っている
られてはいるだろう
中大円ん-MFは大化の改新を
切
。
M敷
mは決して大きくは
。
。
。
およそ、経済と権力を持
きれいごとではすまされぬ歴史
。
の 一端を示している
ったらしい
やり遂げるだけあ って 、相当なつわものであ
ったのである
。
。
園はそのままである
なく、鎌合時代の質実剛健さを残している
当時、庭がある家など滅多
。
ここで背の人々の質素な暮らしむきを窺い知
ることができる
水の流れと島と岩と盆
つ者はこうして成り上がっていくのである
。
にあるものではない
この運動法則は現代に至るも変わりがない
屋敷の前に義経の弓掛松の木が立っ
栽風の古木から 人 々の自然との 一体感が感じ
。
さて、現代の藤代路は時折狭く、荒れ果て
られる
。
。
。
っ
藤代峠ま
「よじ登る」
尤も、この詣旅で、彼は体
。
川
間痴ばかり記している趣
江戸時代には相、全長が 一 r
。
ごとに丁石地維を配備した 現代から見れば、
が無くもない
ていた節が見える
調を崩した上、よほど、基礎的な体力が欠け
。
。
ゆえに、上阜の熊野
近在の斤姓は農閑期に狩り出
った
詣も常に秋に挙行されたのである
され路の整備に当
たと見られる
しかし、往時は上虫、交官の輿を
てもいる
皇子は熊野詣 に行き、本宮参
。
ぞれは南本に等しいが 三代
担ぐため、道幅は故低 三 メートルほどはあ
という
。
義経は度々この鈴木邸を訪れている
H
ている
。
。
ことだ
のである
。
前に記した愚発祥の看板からすぐに 有間息
子の菖 がある
お
での十八丁は急な道筋で定家も
。
有問息子
った
詣の後、引き返してきたこの藤代王子のすぐ
時に十九歳であ
と表現している
。
傍で中大兄皇子の陰謀により首を絞められ暗
殺されたのである
。
ったわけではないらしいが、彼
よそ 一三OO 年前の出来事である
には野望があ
の父君は、位は向いが、金と権力は持ち合わ
-鈴木虚島田芭図
21
それは小さな素朴な地蔵で、路沿いの岩崎ハに
その当時は専門の徳川用が#夜し
。
観であ
っただろう
。
ここで M
刊食
。
下りて、地
伊野の名工、川代日行経の傑作であ
。
雌峰与すの石地蔵を拝観する この日本祉大と
っている
立
いわれるにふさわしい行地維は鎌合時代の作
。
ており、彼らはこの地雌ごとに運賃を設・近し、
ともあれ、その地
である
。
美しい線形とやわらかな
。
。
。
光背の衷
地戯とは本来、地獄
に製作者の名と制作日が鮮やかなS 体で刻印
難い救い、柔和さを演出している
地蔵の顔がやや厚めの光背に反射し、名状し
作品をものにした
行経は、ひとつのい特をくりぬいてこの
すばやく算出したという
そこには巨大な宝
十八丁を 一時間半程
。
。
る
ってい
形はところどころに切り通しのようなものも
。
竹林の林が多いがこれが天然植生のもの
。
見え、筆捨松のごとき伝承も数多く残
る
って、峠に到達する
かどうかは分からない
度登
これはト五世紀前半の作だそ
されているのも珍しい
。
飽印慌がある
。
親を悲しませた持による
地蔵信仰は
。
そして、
って
つづく)
った恨突を物結
F が親よりも先に死ぬという
。
その親が立ち直って絶担から脱却したときに
。
いる 。(
救い難い悲劇が多く起こ
る
地蔵はその手を差し伸べ子供を地獄から極楽
へと引き上げる 背の人はそう考えたのであ
。
に向か
平安の御惟、 tq 一行も
確かに、吋時はほとんど和歌浦怖
って救いの下を基し仰ベる仏である
うで、規制快は川内砧太級だという 寂々は地
子供が組より先に托すると管例外なく地獄に
。
雌峰守のお手を畳り、御所ノ芝と呼ばれる小
務ちる
確かに見晴らしこれにすぐるもの
。
さな観覧席に出た ここからは和歌山市が 一
。
遠くに和歌山城が見え、コンビナー
。
望できる
はない
。
ト、紀ノ川の蛇行、そして街がパノラマのよ
うに眼下に広がる
。
この小さな広場に集い、その美しさに見他れ
たという
の入り江で広大な州の美しさは軍首し殿き抗
Mori&Assocíates代表。
環境・廃棄物調査等 。 その他
海外/ 圏内の広告・マ ー ケ
ティング調査。 太極拳楊師 。
A地
'蔵曲師寺の石勉蔵
〈著者プロフィ ー ル 〉
2
2
ボケなど怖くない
「この年にな
っても元気ですし、若い人
達も良くしてくれますので感謝していま
すが、夜中に目覚めて考え出しますと眠
っ てしまう
。
の居る処も、家族の顔さえもまた人への
迷惑も 一切分からなくな
そして世俗の苦労など 全 て無くなるか
らだろうか、不思機とそれなりの穏やか
」
はない
。
。
。
。
。
った、と
。
あの世まで持
って
ボケよどうぞ、と思いなさい 」
く大事にする
いけないんですから
また家の人を優し
それができれば悩むこと
っかりと残しておく
人のことが心配なら、それなりの物をし
。
「安心してボケなさいよ 世話する若い
そして問符の末に繰り返した
その委を見て羨ましいとさえ思
ボケた人達と会い、世の苦労もしない
の内に故後を迎えている
また死の恐怖もなく、殆どの人が悦惚
。
れません 」
。
ってくるようだ
な顔にな
そこで話した
向分
。
「
何を考え出すんですか」
「ボケたらどうしようかと 」
「ボケるのは 三 パーセントほどの人と 言
いますし、あなたのご両親は八十歳すぎ
」
て意識も明瞭で大往 生 でしたから、心配
なさらなくとも
ムの人遥の多くが、ボケるの
ってダメなんです
「
私よりお若いご近所の方のポケを見ま
l
して、急に不安にな
老人ホ
。
。
が怖いと 言 っているそうだから、この人
の心配も無理はない
ボケたら正常の判断ができない
連議
甲『酔..,__.ーーー-3E
関容子
燭~ノヲカ オカ邦彦
会いたい人
そのころ、母が
.
「
篠田の撮
と 言 われたことがあると聞い
あるとき司馬遼太郎さんから、
る映画は暗い 」
たが、その時さはどこから来るのだろうか
「
明るい物を見ていると、じゃあ附くなった
ときはどうするんだ、という不安があるから
。
です。母は五十四歳で亡くなるんですが、そ
のとき私は 二十 二歳でした
廊下があって、その先の教室に
一人で座らな
きゃならない、というのは恐怖でした。他人
」
と話をする方法が見つからない、という恐怖
から、私は吃りの少年になるわけです
。
その吃音が治るのは、前に丹いた母親と 二
人で行った映画館の中
「映画の中では恋愛をするから、それを見て
真似して不良になるといけないからこれから
上る前に、岐阜の柳ケ瀬という町の映聞館に
突然この陛からいなくなっても、今見てるこ
多分そこから暗
はあまり見せられない、というんで、中学に
。
を
の景色は同じに続いていくんだろうか、とい
う恐怖に駆られたんですよ
総て滅んでいくん
母鋭と 二人で行 って泉州市明の『安 三 阻郎 』
。
さに対する興味ができた
久し振りに母親とぼくと こ人で
見たんです
。
だったら、滅びの側に立ったほうが、塊の安
暗い客席に座ったら、外界からま ったく遮断
された感じがした 映画館ていいね、お母さ
」
篠田さんは子供のころ、大きな家の中での
ん、って 言 ったら母親が、正浩、ここは大晦
らぎがある、と思ったんでしょうね
自分の世界は母親さえいてくれれば何でも間
日になると借金取りから逃げてくるところ
なるほど、映画館という装
。
に合う、と思っていた。当時は幼稚園などは
難場所だ
ら隔絶される避
ったのか:::とわかって、 それで吃
ぼくにとっては社会の緊強か
置は、附いている民衆が逃げ込む場所だし、
。
よ、って 言っ た
nを迎えたと
あまりない時代で、社会に対応する訓練もま
。
ったくないままに小学校入学の
い・っ
「
母鋭に連れられて小学校へ行 ったら 、長い
2
5
1960~手 「舵いた渇J U中の篠田正洛Ji・
2
6
会いたい人
りがいっぺんに治りました(笑) 」
篠田さんが中 学生になっても見続けた映画
は、 『若き日の信長 』『あとに続くを借ず 』
歌舞伎や文楽では蔭の存在であり、見えな
いものという約束ごとになっている県子を、
堂々と表聞に出してしまう斬新な手法の映像
i
ンやニューヨーク
・
その後、
に、当時みんなが脱目させられた
。
『
加藤隼戦闘隊
浅利腹太演出による
』など、戦時色の 濃いものば
かりで、恋愛映画はほとんどなく、従って不
スカラ座上演とか、串田和美演出による『夏
・コク
『
蝶々夫人 』 のミラノ・
良少年にもならなかった。
祭浪花鑑』の渋谷
中村座の上演とかで、派手に黒子が 使われる
それにしても、吃音になったのも、治った
のも、そして栂暗になったのも母親のせい:・
の
のを観たとき、私はすぐに篠田さんの映繭の
。
l
.・・というのが何だか可愛らしい。
場面を思い浮かべた
ワイダがドストエフスキ
・
『
悪霊』を舞台化するとき、あの黒子の手法を
「
アンジエイ
伝でめざましい活躍をしたのに、篠田さんは
使わせてくれますか、と 言っ てきたので、ぼ
大学時代、陸上部に入り、名門早稲田の駅
アキレス健を切って 一年で引退した。それか
」
HK に人る和出勉、舞踊家の花 柳芳次郎、国文
篠田さんの早稲田時代、同級にはのちに N
ます、って答えましたけどね
の歌舞伎や文楽にはいくらでも黒子は出てき
くは著作権を主張する気はありません、日本
。
「
のちに作った『心中天網島』は、学生時代
門研究に正面から向き合っていった
らは本来の演劇科の学生らしく、近松門左衛
。
近松門左術門という人が孫悟空の分身術のよ
科には狂 言 師の野村 万作などもいたが、避け
からの研究課題への論文みたいなものですよ
うに、パーツと分身化して大勢の黒子という
て通れない同級 生は詩人の白石かずこだろう
。
存在になっていく:::」
27
「
まあ、最初の恋愛の相手 ですからね
。
彼女の
交友関係で私は寺山修司や谷 川 俊太郎と知り
。
とにかく彼女は在学中から詩集
合っ たわけですから、その意味でも大変な出
会 いだった
『
卵のふる町』は、
「
宵いレタス
を 出 していて、圧倒的な才能の持ち主でした 」
その詩集
」
当時女子学
の淵で 休 んでいると卵がふってくる:::
。
」
ス 」 になる
。
履物の調達もフォ
1
。
サ
l
ムの
ドになると
スの役で、草履取り
打 つのはいきなりやらされまし
l
淑郎や吉田喜車、もう少しあとで 山 闘太 一が
入ってきました
l
入社してすぐに四人編成の助監督チ
「フォ
。
「
カチンコを
た
みたいなものですね(笑)
現場を走り回って司令培みたいな役。セカン
一行で始まる
。
助監時
このとき森英恵さんか
というユニークな
l
。
」
。
。
小津組、木下組、
駅伝で鍛えてまずから使い
の監督について、 一年に十 三 本もついた
かったですね
最初の結 婚 は七年間で破綻した
つらい思いをさせたんじゃないか、とも思う
「
白石を無線して 寺 山と仕事を組むことで、
。
ンバーが決まってますから、ついたことはな
渋谷組なんていうところは、すっかりもうメ
勝手がよかったんでしょう
ことがあります
ャ
代はメロドラマでも何でも プ ログラムピクチ
ら
ずいぶん洋服について学びました
。
ドは衣装小道具の係
。
大学を卒業
」
このとき
。
生は少なかったはずで、大勢のラ イ バルがい
ただろうに、やはり篠田さんはもてる
。
一人にしといちゃ
っただけですよ
「
いや、この人をこのまま
可哀そうだと思
して松竹に入社すると同時に結 婚 しました
その当時、優秀な学生は競って映画界をめ
。
ざし、松竹大船撮影所が五人採用するのに対
して応募者は 三 千人
。
「
結局は八人採用してくれたんですが、それ
でも四百倍近い鏡争事ですからね
の同 期 が、のちに直木賞作家になる高橋治
一期下に大島渚、 山 田洋次、その翌年に G 堂
28
会いたい人
f三店車線とオートパイ J ( 1961 年~.作品} での潰筏指導の綴子
2
9
私はスポーティーな人間で、生活のリズムを
」
。
向こうはそうは思
才能のある人だけに、ぼくが拘束するの
っ てく
きちんと守りたいほうだけど、食卓で持を書
。
いてたりする姿を見ると、気の噂にな
る
は、 地
一 いことに思えてね
つてなかったと思うけど
白石かずこはその後、詩の朗読とジャズの
。
アートの世界で有名な存
・
二人の聞の女の子は、今、
即興演奏など、世界的規模で活躍し、数々の
貨を受けている
ロンドンのモダン
在となり、さらに素敵なことには、父親の 二
l
ル
セダカのヒ
一也も出演し
・
第 一作は昭和 三十
。
度目の結婚で生まれた異母妹とも仲よくつき
l
あっている、ということだ
篠田さんの監督デヴュ
五年の『恋の片道切符 』。ニ
。
ット曲を平尾昌章が歌い、小坂
ている
った
。
大島はのちに
「
掛影所で脚本のコンクールがあ っ て、大島
渚とぼくが 一位を分け合
ー
『
青春残酷物語 』 という映画にしてま
プレー ヤ
ぼくのは、進駐軍に歌 手 を送り込むブ
。
それを
すよ
」
つてなぜ
っ て、ロカビリーでス
ローカーの世界がモデル。し がないバンドマ
ンの手にピストルが渡
ターにな った男のいるステージに向
か引金を引いてしまう、という不条理劇です
この 二つのシナリオが雑誌に載って、それ
。
が武満徹の目に吃まる
『
乾いた湖 』。
(笑 )。それ
「
撮影所に、篠田と大島というヘンなやつが
った
ツカケです 」
いるぞ、って 雷っ てたそうです
が武満と知り合うキ
第 二作は、同じ年に掛
川 田旅館
イズの川岡崎久の奥さ
l
「二十四織の寺山修司と、神楽坂の
という、あきれたボ
。
ったよ う です
。
こ っち
寺山は貧乏詩人だったからそんなところ
んが経営している旅館にこもって脚本書いて
た
でも鱒しくて仕方なか
。
l
っ てる
それでオ
っ て。学 生運動をや
も新人監特で予算がないから新人女優を使お
うということにな
ような女子 学生 の役ですからね
3
0
会いたい人
って、その
一人に岩下志麻が
ディションをして、七、八人だったかな、その
旅館に来てもら
。
。
って
(
笑ご
『
パス通り
。
いたんです あ、この子ですね、って 言 ったら、
寺山も、そうだよ、この子だよ、
この新人は既に NHK のドラマ
。
裏』で人気を得ていたが、映画デヴュ ー はこ
の作品だった
:・・
』 『燃ゆ
その後はたて続けに岩下志麻が主演する
』
『夕日に赤い俺の顔』『わが恋の旅路
る若者たち
「
それでも別に何ともありませんでしたよ
『
あの波の果てまで 』 というメ
笑 )。松竹はぼくの映繭でデヴューした彼女
(
に目をつけて
ロドラマに起用してスターにしていったんで
その後小津さんの『秋刀魚の味』のヒロ
く
「
ぼくがその後、池部良と加賀まりこで掠っ
た 『
乾いた花 』 という作品を、松竹は 一年
らいおクラにしてたんですけど、公開したら
っ て会 社に 言 われて、司馬さん
大ヒットしたんで、篠田、何でも好きなの帰
っていいよ、
の原作の『暗殺』。新選組の清河八郎を丹波哲
郎主演で 撮 りたいと思うと 言 ったら、野郎ば
って推せんしてきた
。
あのこ
かりの配役で色どりがないから岩下に特別出
: ::
言 ってるん
は直接監将に電話
」
って今の岩下が果たして出るかな、と
演させたら
ろと遮
l
ぼくは考えてたんですけどね
。
ってみんなが
するとある晩、大スタ
をかけてくる
「
役が小さいから、
ですけど、私は出まずから、って、そういう
。
す
。
ました
.
ったとき、
ったかな
(つづく )
(笑ご
二人で初めて酒を飲み
あれがいけなか
にロケに行
と酒飲んだりするの大嫌いなんですが、京都
電話でした。ぼくは映画撮ってるときに俳優
」
下が、
インにも抜権されて、原節子のあとは岩
ということになっていくわけなんです
ここでアヴァンギャルドの監督と、メロド
った
ラマの大スターは こ筋道に分かれるはず・:
だ
31
響流+方
。
まじき
事にて候な
いかさまにも、仏をうらむる事なかれ
仏をうらむる 事は、ある
答
どのような理由があ
っ ても
。
信ある物は大罪すら
。
。
。
【
百四十五箇条問答 】
。
信心の桟い人は軽い罪すら滅してはい
自分に信心が欠けていることを恥じるべきです
、
仏さまを恨んだりしてはなりません
、
。
減す、信なき物は小罪だにも減せず、わが信のなき事をはずべし
。
仏さまを恨むなど、しではならないことでしょうね
お答えします
。
信心の篤い人は重い罪ですら滅していただけますが
ただけません
如月の昼下がり
理F流十 Jj
某寺
、
。
うららかな午後
うん
。
。
た仁 王の会話
:・
。
周辺をうろ つく、 破仏法を
う な邪な輩に、長年監視の目を光らせてき
平成十七年二月某目
企てるよ
島
(
阿 ) は阿形像 、{昨 ) は昨形像
。
。
お疲れが出ないようにしてもらわないと・
:
。
。
神主さんや墨女さんももちろんだけど、神さまも
。
景気の動向と参詣者の数は微妙な関係にあるようだけど:・
。
ま
一人が出
「大
勢」なんて 言葉じゃ、そのすご さは表現できないな
トップは今年も東京の明治神宮、警察庁の調べでは 三 が日で 三 百 十万
(
阿) しかし、このお寺にも、お正月にはずいぶん大勢の人が初詣でにやって
きたな
人だ ったらしい よ
。
なにせ、東京都の人口が約千 二百五十万人、ということはその四人に
掛けた計算、驚いちゃうよ
ホント
さぞやお忙しかっただろうね
(
昨)
。
。
。
去年は台 風や集 中 内政
あ、なんにしても神仏に掌を合わせるのは悪いことじゃないから結構だけどね
(
阿)それにしても、人の願い ってものは多栂多 織 だね
。
我々もあら
雨、地銀、大津波と大災害が重なったし、まだ止みそうもない各地の紛争なん
。
かで多くの人が亡くなったから、その冥福を祈ってた人もいたね
ためて後生安楽を祈ろう
3
3
※
そりゃあ、筋違い
。
ってた人
ったような気がす
成就を見守ろう
。
っても、神仏を逆恨みす
ってもんだ
ただし、たとえ願いが叶わなく
。
。
ま
たんに「年頭のイベン
ってた野球選手もいたな
というより、ほとんどがそうした願いだ
(
昨 )景気回復、家庭円満、病気平癒、受験合格など、諸願成就を祈
。
今年の目標と、努力を寄
。
もずいぶんいたね
るけど・:
。
もちろん、本当に切羽 詰
っ てたな
。
ってた人もたくさんいたけどね
ってきたような人もずいぶんいたもの
(
阿)人によって祈りの度合いもずいぶん違
ト」的にや
って「もはや頼みは神仏のみ」 と、真剣に祈
。
(
件 )まあ、どっちがいいかなんてこと、ご本尊さまの前で我々がとやかくい
うつもりもないけど
るのだけはよしてほしいね
。
ゃ っていたらしい
。
ったヤツだろう
っ て言 えば、とんでもないのがいたらしいぞ
境内の露店でニセ札使
。
。
。
そもそも、
。
(
阿)まったく このお寺の宗派を聞いた法然上人も、 「
それは絶対にいかん!」
とおっし
(
昨 ) いかん、
(
阿 )ああ、知ってる
。
の境内で使うとは:・ このお寺にはそのテは来なか
ったけどな
。
セ札なんて造ること自体、とんでもないのに、とともあろうに神聖な神社仏閣
ー
ー
3
4
響流十方
店の人も驚いただろうな
。
。
見
: ・
五百円のたこ焼
。
。
(
昨)パソコンやプリンターの性能が上がるのは結構だが、こんなことに使わ
れたんじゃ、製造側もいい迷惑だ
。
お札やお守りの授与所で使ったのもいたらしい
ニセ札渡した手でお札を受け取って、いったいどんな思いだっ
。
きにニセの一万円札出されて、九千五百円のおつり 大赤字だ!気の毒に
。
(
阿)それだけじゃない
。
あれだけやさしいウチのご本尊さまも、さすがに渋いお顔をされて
上げた度胸だ
。
たのか・:
たよ
官漬だ!
我々で少し懲らしめるか!
うちのご本尊
。
(
昨 )こうなると、「願いが叶わなかったから神仏を恨む」なんて以前の話だ
。
。
はじめから祈るつもりなんかないどころか、詐欺をはたらきにやってきたんだ
からな
。
情たったら:・
。
。
(小村正 孝)
邪な輩が入ってこないように
。
(
阿 )まあ、そのあたりは当該神社の神さまにおまかせしよう
さま
(
昨 ) やさしいからねえ・:
。
阿)さ、そろそろ我々も本来の業務に戻ろう
(
(
昨 )ウン、そうしよう
3
5
袖山 楽員
-7
ドリームワークスアニメーション
TMa
.
n
d1
:2
0
0
4[同制W割地. l LC.
〈 画i!18 > アスミック・エース
。
(かれらの )
.・・..
そめる
。
。
。
宮を
突如発せられる
サメどもの首領・ホオジロザメのド
「サメ警報」と共に市街から一斉に魚影をひ
唯一の気掛りはサメの鶴来
平和と繁栄を享受するリーフシティ全魚の
。
らで「ひょんなこと」の仔細を明かすと:::
ローラにメロメ口というていたらく||ここ
目当 てにアタックを仕掛ける妖艶ミノカ サゴ
ドミニアム最上階に住むセレブに出世
M キ ャラクターとして、アップタウンのコン
。
憎りながら 、「世界に共生を f」と訴える
ケベラのオスカーは、魚たちの大都会「リー
『浄土宗ニ+一世紀境頭宣言 』起草者の一人
フシティ」ダウンタウンの外れにハリセンボ
として、また平成+六年度『浄土宗総合学術
ンのサイクスが経営する、洗車場ならぬ洗鯨
大会』のシンポジウム「共生の実践」のレジ 場に勤務する舌垢清掃の達人で、事務員のエ
ュメを「黒川紀章氏とともに〈共生〉の英訳
ンゼルフィ ッシュ・アンジーとの問にほのか
な愛が芽生えているが、事態は急転する
語として〈シンパイオシス〉を提言したい」
と結んだパネリストとして、自然界の〈共生〉 ひょんなことから、ジョン
・フォード晩年
の珠玉 『リパティ ・バランスを射った男 』のラ
には格段の思い入れがある
だから古くから例示される「相利共生」「片 ンス・スト ッダ lトの如く、オスカーは「シ
ャ l ク ・スレイヤー」に祭り上げられ、リー
利共生」に加えて、汚染問題がらみで脚光を
浴びつつある「浄化共生」の魚界チャンピオ フシティ内あらゆる TV チャンネルの人気 C
ン、ホンソメワケベラをヒーローに選んだ
。
『シャ l ク・テイル 』製作者たちの見織に、
先ずは敬意を表したい
小沢正昭 『
共生の科学』に「寄生虫にやら
:::
れたり、傷を受けた魚がつねにホンソメワケ
ベラの棲家に集まって来る
身体に寄生している寄生虫やカピの菌体を餌
として消化吸収して利用している」と紹介さ
れる、この魚の習性にふさわしくホンソメワ
.
.
.
.
.
.
.
.
.
...
.
.
.
.
.
.
.
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..
..
. ..・ ・・・・・・.
....
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.
.
..
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.
.・・..
.
.
.
.
.
.
.
・・・・・..... ..・...
.
-・・・・・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ン
・リノは
『ゴッドファ
l
はコルレオ
l
。
ザ
』 のドン
1
以って眼すべき
。
・コ
ネ家の長男ソニ
。
弟のレニーはとい
1
ルレオ|ネ問機、後継者問題に悩みがある
兄のフランキ
ーさながら蛮勇にすぎる
えば、なんとヴェジタリアンなのだ
思えば手琢治虫 『ジャングル大帝 』 のレオ
もヴ工ジタりアンだが、父パンジャは息子の
た8
。
出生まえに人間の兇弾に艶れたので、息子の
。
奇癖に悩まされずに済んだ
であろう
さて殊勝にも 「パパを喜ばせるために」フ
ランキーは弟をまともなサメに錬成すべく修
羅場に連れ出し、恰好の標的と選んだオスカ
。
かれの巻き起こした大砂
ーに跳ぴ掛った瞬間、偶然頭上に錨が沈下し
非業の死を遂げる
l
ク
ニ!
・スレイヤ
・ア l
塵が落ち着いた海底からヨ口ヨ口立ち上がる
「シャ
オスカーを目撃したデンキクラゲ
。
とパ|ニーの錯覚から
ー」の虚名が立つ
おめおめ家に帰れぬレニ!と虚名の重荷に
.・...
苦しむオスカ
っ て、レニ
。
。
・ワ
。
。
クス社」のい
l
ズ
先端の針に掛けられたミミズの
l
lだ
。
。
一
し
ー
の聞に「共生」が始まる プ
l
ロレス顔負けの八百長試合によ
川し
崎い寧傘
カーもまた虚名を窓にすることができる
水中に及ぷ
。
アップ そ
の背棄に迫るジョ
CG
処理の成果として見事
表情、体型、身振り等々あらゆる身体的
。
特徴が、絶妙なる
る
キャストの面々、かれら自体がパロディとな
もう一つの特色、豪華絢燭たるヴォイス・
準主役(題名からいえば主役) のレニ
ヴエジタリアンであることを告白するのが、
観念の眼を閉じようとするミミズに、自分が
クローズ
・
に釣糸を垂れる人物」から糸が下方に伸びて
つものトレードマーク「三日月の端を腰掛け
ングからして「ドリーム
つは「パロディ」である そもそもオープニ
お気付きのとおり、このアニメの特色の
かし、こんなイカサマが長続きする筈もない
。
は群を離れて草食生活を続けることが、オス
.
.
..
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.0
.
0
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-・・・・・・・・・・・・・・・・・.. .・.
l
口、スコセ
。
尤も筆者などは、デ
(
・
シ両巨頭が「魚化」された
ッ
に「魚化」される
ニ
サメとハリセンボンの迫真性から、他を推量
。
右の如
・
。
ア
左の如く自も
。
さよりは、崇高なる選択ではないだろうか
-Tイル
・
ミュージカル
、
サメの尻尾は二つに分かれている
ック
きこちたき論鰍はさておいて
ァ ンタスティ
ジ ャッ ク・ ブラッ クほか
するに止まるのだが )
彩なフ
マ ー テ ィ ン ・ スコセ ッ シ
パロディの真骨頂は似ても似つかぬ対象聞
ニメとして海底都市を遊泳するほうが、この
ア ンジェ リナ・ ジョ リ ー
にビミョ!な共通点を察知し、奇想天外なス
テイル
物語にふさわしい鑑賞法なのかもしれない
レネ ー ・セルヴィ ー ガー
長野・+念寺 住聡
ヴォイス・キャスト
たとえば南伸
全国総勿・..系にてi1大ロードショー
。
『不思議
魚たちが名だた
テイル
2OO5~容体み丸の内ルーブルほか
タイルに具象化する点にある
。
りを
m ・nd C
'
2
0
(
)
0
6D<eamW町幅, ししC
坊 『
本人の人々 』が発射する「顔面模写河発」
の一発ごとの抱腹絶倒パワーは、本人のあの
現される落差の克服にある
。
オニギリ預からタマちゃんや梅宮アンナが再
る名優たちに似ているのだ
テ イル
さてパロディ文学の偉大なる古典
ル
の国のアリス 』 の一頁を占める尻尾の型に描
テイ
かれた物語の聾みに習って尻尾を付け加える
そ
ロパート ・ デ ・ ニー ロ
ウ ィ ル・スミス
ならば、協約に基いて「捕食自粛」を醤った
。
サメたちは、レオの仲間たちと共にヴェジタ
リアンの道を進むことになるのだろうか
れは不自然であるに違いないが、草食動物た
る牛の飼料に羊の脳を混入する行為の不自然
.
.
.
..
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-・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・・・・・・・.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・..・・・・.
空轡 Z じの日 ζ の日
較五か本 と本
時間ん濁 ば濁
ちょ っと大きな酒屋さんに行けば、全
国各地の日本酒が簡単に手に入る昨今
しかし先日、この地酒の有難みをし
ってしまいま
地酒という 言 葉が本来持っていた意味
。
も、つい つい忘れがちにな
す
。
という A住臓のご好意に甘え、 いそいそ
と集まった私逮の自の前には、無農薬水
闘ですくすく育てられた養生鴨を使 った
(
熊本県菊池郡澗水町の
鴨肉・鴫団子のみならず秘伝のダシ汁が
また絶品の鴫鍋
仕出し屋 『
菊野麗 』 の養生鴨鍋)をはじ
。
それは、
みじみ味わえる機会を得ました
め、奥織お手製のニ ンニク 味噌 (
十五年
。
さらに、住職の徒弟
が送ってくださったという熊本の地酒
走が並んでいます
のもの)など、ご夫婆の心尽くしのご馳
『天安』
東 京 ・目黒区のとある寺院のご住職 夫 婆
当 日集ま ったメン
Fさんらも、同じクラス
(
住職イチオシの佃島の佃煮屋
もの )と丸ごとキャベツ、イナゴの佃煮
。
が聞いてくださった昨年の忘年会でのこ
とでした
M さんや
。
ご住職夫喪と私は、じつは約 二年前か
、
らの太極拳愛好仲間
1
も、圧巻でした 。「霊 山 」「瑞鷹 」「千 代
パ
で出会
の闘 」「捕の城 」
、そして、日本全国の吟
。「僕の郷里の熊
本から日本 一おいしい鴨鍋と地酒が届き
醸酒の歴史を大きく変えたといわれる
った仲間遠です
ますので、よろしかったらぜひどうぞ 」
4
0
理加
H
熊本酵母
協会
H
9
号酵母
(
香露醇母と
も呼ばれる )Mの誕生蔵としても名高い
たらふくいただいて上機嫌になった皆
ってホントの酔拳
は、なんと食後に太極拳の練習まで始め
これ
てしまいました
。
熊本県酒造研究所の銘酒
だよなあ、でもみんな飲んでよくやるよ
「香蕗 」。テー
ブル上にずらりと並べられたそれら五本
なあ、本当に好きなんだなあと、私だけ
もちろんそれぞれ
本酒は頭で飲むんじゃない、枇で飲むも
いただいた 言 葉を思い出しました 。「日
つて大尊敬する佐賀県の M杜氏さんから
じる皆の姿を眺めていると、ふっと、か
の 一升瓶は次々と栓が開けられ、宴席は
皆で 一本 一本のラベルを 読 み 上 げ、
はまだぬる畑を飲み続けつつ太極拳に興
。
たちまち愉しい利き酒大会ともなりまし
た
。
住職からその酒蔵がある土地の様子を教
わり、そして味わう
味も酒質も追いますが、どの酒も、
のだ 」。そう
「旨い 」 という 言葉を越え
した
。
田) が重要で
拳も枇 ( H丹
ゆる表面的な
。
。 に心地良
いえば、太極
した
そんな素敵な
H
郷
里の地酒
た、温かく優しい味わいを届けてくれま
わ
く酔い、鴨鍋の締めの絶品うどんすきを
4
1
Uミ
全国浄土宗 ,'f年会主催
第 1 岡大別時念仏会開催のお知らせ
令国主許土宗 J'f{J!会
J
l
!'J~長江口除定
聖名十称
私ども全凶浄土宗青年会では、法然上人 800年大迫忌を 6 年後にひか
え、毎年 一 度づっ、全国のみ:山名剃寺院にて大別時念仏会を発願いたし
ました 。
第 1 回の大別時念仏会は、上人ご生誕の地、岡山誕生寺にて開俄させ
ていただきます 。 当日は、「お会式( て 1- 五菩薩練供長 )J の 中で、イ白 f符
・体 、そし て佐内いっぱいに科き渡る、大きな念仏をお称え しようと 計
~fli しております 。 皆様のご参加をお待ちしております 。
イ子停止
守巳
ロ=
-一
開催日時:平成 17年 4 月 17 日
(日)
午後 3 時より 4 時 ま で ( 受付 は 12時30分より )
場 : 浄土宗特別 寺 院
誕生寺
h
r
t
p
:
l
/www.d3.dion.ne.jpr tanjων
岡山県久米 l部久米市町恨 )i808
]R 岡 111 より約 1 時 UIJ
加賀:無料
16 1:1宿泊・ うど ilí 手段な どご希望の方にはご紹介いたします。
申し込み・問い合 わせ: 全浄育専任幹事
しみずみちたか
治水道隆まで
rI程など、昨しい資料をお送りいたします。
携帯屯話
ω0-111 6-047J
メー JレANDω856@ o丘ty.com
FORUM
浄
広場
森深くとどろく神鼓朝の霜
霊〉
〈
って祝詞の戸は聞こえなくても、神鼓
。
社殿の廊のきしむ青から一日が始まる 距
離によ
。
増田
友江
河合富美枝
身の引き締まる思いでい
。
の響きはよく伝わる 霜の朝の澄んだ空気で
。
はなおさらである
るのだろ・っ
〈
佳作〉貸別荘森の芽吹きに点在す
あかときの森ひんやリヒ秩の嫌
ゃぼの声 LT 冬の宮
谷
。
る
。
口笛事』吹きな
顔の半ばまで引き上げる 口笛はその内にこ
がら来たのだが、橋の上の寒さにマフラーを
懐予などして跨 刷・
マフラーの中のロ笛跨線橋
〈
霊〉
金
郁
子
rム
雄
4
4
森
中
田
村
f冨
子
•
•
薗
野
、
。
。
。
隼
。
。
。
。
漬物にする白菜を干す まず縦割りにする
と、それを 一つ 一つ日なたに並べてゆく 切
り口を上にしてゆくのを、 「
縦割りの腹見せ
て」というのは面白い表現である あとはぬ
かと塩かげんである
山本美代子
有蘇多美子
〈
佳作〉庭師来て空ひろびろとして帰る
うすあおきにんげんのむれ除夜の鐘
吉崎美和子
人
もる
その下を電車が音を立ててゆく 風に
つい足早になる
f富
子
中島富士子
藤
〈佳作〉喧嘩独楽真っロハ中に払立せリ
目の中に残る駅伝走岩あリ
ゲーム機に夢中の子供年の市
口
白菜の縦割リの腹みせて干す
- 自 由題
内
山
冬紅葉湾見下ろして足湯かな
寺下
忠至
。
特選
〉
〈
選者=埠田河郎子
泉消えて鎮守の車線は紳ひどリ
ずか露箪に
L
そ
っと話
L
かけ
L郵
れの喧隙叫ーや森抜けて
来便屋
森
森分ける一本の道冬 桜
冬のエ附森も岬も雌ま閉リ ぬ
中
中の島夫 婦 の鳴のめぐリけリ
縁切・ ニOO 五年二月二十日
発表・「浄土 』 二OO 五年五月号
選者 m 田河郎子 (『南風』 主宰 )
応募方法
1
名
佳作各
・
3
名
。
山本 美代子
中 島富 士子
石原
…黄落や途中下車して旅最中
…中折栂参賀の列に父偲ぷ
“お曽少のやのくらL の父母祖父母
マニキュア冬の旅
…中庭の士き母植え L 八重格
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山の音瓜の音澄む炭焼き場
焚火の治人を呼び込む臨言
め葉
指帽子
友江
片桐て い女
石原
河合富美枝
しげ子
中 島富士子
品析が入リマ大きな熊手の決まリけリ 溜江
犬織の名も連ねたる賀状来る
タ障問に・』ぽれ魚撒〈漁夫かな河合冨曽実績
…校庭のトのしくらまんじゅ海の脅
…自由題
…ロ中に芳せ残る蕪汁
信子 …中絡を反ら
明照会館内
氏名を必ずお・き下
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・ いずれの題とも数の制限はありません
. 特選各
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東京都港区芝公園
業・に俳句 (
何句でも可 )と、住所
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月刊 『
浄土』誌上句会係
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浄土路上句会の
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参加作品 ………
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事 件後 丙 犯におびえていた
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そ してマス コミはアメ
刑期を終えた性犯抑必がそんなにい
間までを変質者と見ているのであろう
か
るのであろうか
って刑期を終えた
性犯知者の氏名.住所、顔写真の公表を
リカ、イギリスになら
二度の逮 捕歴を持つ者と 聞 き、もっと早
.
論議しだした
・
現在の保護相続祭のあり方
しかしこれは更正という考え方を全否
定した意見だ
には、保護司のカHだ
B けに額るという 問
りに智也を注ぐべきだろう
崎
・
(HU)
会作り、人間同士が日頼しあえる社会作
刑制 +抗議ではなく、犯却が起きない社
.
題があり般かに改善の必要を感じるが、
響察はどういう人
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泌総できるはずがない
を十人以下にして、 一人に確定したのに
しかし、同時に阪られた地岐に変賞者
.
刑期を終えた人間の人織を無視する行動
た
ニヶ月を士制したという説明を 聞き納得し
以下に絞り込むのに 一ヶ月かかり、それ
が ニOO 人以上であり、それを 一OO 人
そ の後の報道で、その 地 域に住む変質者
い逮 舗 が可能ではないかと岡山われたが、
たことだろうと思う.そしてその犯人が
地械の住民にとっては、さぞやほ
途 繍 された
昨年末、奈良市の女子誘個別殺人犯人が
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正三銭順舗仙園奥行成道信三海彦彦鎗
勝秀掌成良隆銀銭真贋隆得蝿昭雌和
谷国首贋旗康曽原山口島村口田野総綜回
巌大佐佐佐須袖高中中樋疎真宮宮山
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が ニOO 人以上いるという響曲mOBの説
特別会員、維持会員の方 々
明に篤いてしまった
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月刊 (今上 仰ぐ c90()号
棚'-.._ /企画 孝弘ライプラサ ー]
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平成 3 Si手 2 月号
平成 3 S:草 3 月号
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平成 3 S:芋 6 ・ 7 月号平成 3 年 8 ・ 9 月号
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平成 3 Si手1 2月号
平成 3 年 5 月号
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平成 3 1:手 4 月号
平成 4 S:事 1 月号
平成 3~引 O 月号
平成 3 S:手 1 1 月号
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平成 4 Si手 2 月号
平成 4 Si芋 3 月号
平成 4~6 月号
平成 4 年 7 月号
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平成 4 年 4 月号
平成 4 S:手 5 月号
法然上人鏑仰会
※、l'成 3 ~Iミ 1
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J~;ーが欠本となって'.':.ります
お持ちの }jがいらっしゃ
いましたら編集識にご・報 F さいますよう、お願い 11 1 し 1-- げます。
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発行人/奥野総海
舗集人/佐渡良純
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念傍鶴本 | 完全纏刻版
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差出人は法然さん
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2・補版浄土への遜
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当会へお申し込みください。 なお、月 ・E
引j ・浄土 j を除き価絡に送料は含まれ ・E
ておりません。別途実費を申し受けます。 I
法然上人釘仰会
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電話 / 03・[c}'-ý1::J・L*1alフ
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