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祭壇側よりみた哲学者たちと革命 : 第一部、バルユエル師の覺書を中心

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祭壇側よりみた哲学者たちと革命 : 第一部、バルユエル師の覺書を中心
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
祭壇側よりみた哲学者たちと革命 : 第一部、バルユエル師の覺書を
中心として
Author(s)
河瀬, 明雄
Citation
社會科學論叢, 7, pp.41-54; 1957
Issue Date
1957-02-28
URL
http://hdl.handle.net/10069/33799
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
明
雄
祭壇側よりみた哲学者たちと革命
第一部、バルユエル師の覺書を中心として
瀬
ても、その判断、結論には夫汝の立場により可成りの隔りのあることが
︵祭壇︶と哲學者・たちとの關係という一問題に限ってこれを考察してみ
し得たフランス大革命と、その必要性を強調した啓蒙主義と密接な關係
從って、專制、封建性、宗教的不寛容の打倒を短時日の中に一介成就
することの必然性を強調したのである。
宗教上の不寛容を攻撃し、これらアンシアγ・レジームの大支柱を打倒
壊したり、教義を攣更しようとする思想はなかったが自由思想の雰園氣.
思想は存しなかったが共和主義的雰圃氣が生じつ、あった如く宗教を破
く、非草平主義者もなく、さりとてフランスには王國を破壊せんとする
て啓蒙主義思想は宗教的寛容を如くに止り、その限りにおいて決してフ
熱讃論者と同一のものと解して、哲學者たちは墾って反宗藪闘宰をその
いことを強く主張する立場から、 一方では哲學者という面構そのものを
任務の中心的なものとなしたとする立場③までに幅廣く亘っているので
ラγス革命申にみられるキリスト教の屡棄に直線的に繋がるものではな
ある。
的にいうならば、
主張し得ない。か、る論は一つの神話であるQしかし同時に、哲學者た
しかしアンシアン・レジームの肚面的抑厘が專制的主権に寄生する弓
た哲學者たちは三皇、攻撃の鉾先をそちらに向けたことは疑うことの出
造身分、及び彼らの依って以って立てる教會・教義にその根嫁を見出し
のを意識させたのである。彼らは革命に引出される知的武器庫を提供し
ろう。確かに現寸に爾者の個六の問題に立ち到ると、これを直線的に解
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
た。﹂と消極的肯定という線で考えるラスキの見解①は當を得たものであ
ちが存在しなかったとしても同様な革命は矢張り起つたであろうとい
うこともまた出來ぬであろう。哲學者たちは、この革命に目標というも
﹁今日、何人たりとも哲學者たちが大革命を惹起したとは眞面目には
があるものと老えられるのは當然であろう。爾者の關係を一般的、概括
が形成されつ、あった、との論②を更に押し進めて、哲民謡たちを含め
つ啓蒙主義思想を懐く人たちは墨って政治上の專制、肚添上の封建性、
考え、實行せんとしたのである。中でも合理主義的、自然法的立場に立
尋−重七八九年の⋮ス 共卿王蓼か書同∴
のみならす、絡ての階前の者が自己の利害を中心にしてその危機打開を
至は塵室が槍討され、やがて徹底的な破壊にまで及んだ力下リック敏會
例えば、大革命の進展に依って次第に憎悪の封象となり、その弱化乃
明することは非常に困難である。
河
き、薫り革命の思想的先達といわれる哲學者たちや啓蒙主義思想家たち
アンシヤン。レジームも末期に到ると、危機細身相を釜汝高めてゆ
O
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
來ぬ戸沢である。
一八世紀.に入って、一般的に藪會の構力が漸次弱化しつ、あったこと
は明らかであり④、膚身自身がその多くの種子を蒔いていたのである◎
即ち、封建的搾取者の立場にあって君主專制を擁護し、改革的な一切の
思想言論に封ずる徹底的反封、更には宗教界内での飽くことのない党派
雲・いなどは知識層をはじめ一般大衆に宗教に封ずる反感、嫌悪の念を植
えつけるに充分であった。それにも拘らす、當時の支配下樺力と結合せ
めにも哲學者たちは、思想という武器だけに限られてはいたが、可能な
る敏會の力は依然として亘大なものであったのである。一って、そのた
手段を賦してこの大敵に立ち三っていたのである。故に客観的にみて、
彼らの採用した方法が常に正しかったわけでは決してないが、宗教裁判
という絶封的な武器を有する藪會に封して、その牙城に迫りつ∼あった
とはいうもの、いまだ完全な勝利を得るに到らないま、、革命という一
大事件の渦中に合流し急韓し、哲學者たちの願つに口的は期待以上の速
さで進展していったとみることが出來るのである。このことは立場を代
えて敏會の側よりみると、革命の進行に件って次汝に實施せられた教會
に封ずる峻嚴な処置は、これ皆革命以前から公然乃至秘密裡に行ってき
た哲學者たちの陰謀の結果であり、且又破壌せられた祭壇の再興を考え
る時に、革命前の王位︵國家︶と祭壇︵教會︶の結合が何者によって切
断されたかと自問し、その答を哲學者たちの共同謀議であったと見倣し
た点からも、彼らが動静者たちと革命との聞に密接な蓮關の存すること
を指摘せんとしたのは當然のことであろう。か∼る点についてバルユエ
註①
口99昌。一伍旨●H9ωぼ殖ω⇔q象。ω凶づ目勢毛9昌α蜀。一一ξoω︵一④ωP︶.同日げΦ
9αq⑦90剛婦①9ωO昌●
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唯物論研究所動、西洋近世哲学史フランス篇、一九五〇Q
匂●︾冒Oαq噂U・Uご嵐90昌q9一〇hdげ一く。鴇ω9◎一〇げロ隔。び崔宏け。博団●<oドH<
α信Hgoooび一巳ω︼Bρ︵節ピロ区Φ日び。珪oq一。。09昌。二く。=oひ島自ou︶
bびびゆ切9厭鴇⊆Φ斜︾び婦Φoq①山Oω一≦O︼βO一HOω”Oロ触ωΦ厭く剛聴唖一渉冨け。一同O
筒師は外に次の書をも刊行しているQ
h9諺自Φ心q一ω一鳩。⊆︿¢昌ロ鴇。幽。ω簿9冨oqo昌。嬬効自r邑①一①寓く。巨Φ昌酔
Oo=oo寓。口ooo一ひの宣ω寓ρ置Po⊆嬉oo信。一一〇9B艮。轡戯Φωo⊆︿o聴9笹。の
9qgo鴇αqひ● OOコB●矯国O日弓叶O炉一N⑫σ∼;り図
三富酔O同。山q9①同σqひ幽O一触9ロ。⑦想①昌甑帥昌け一曽嬉Φく9q鉱Oβ・Ho昌幽ご
一Nり轟俸一〇〇〇轟
バルユェル師は﹁ジヤコビニズム史のための唾壷﹂の前書きにおいて
次のように述べている。
﹁この遺書で、ジヤコバンたちこそ秩序を棄すが如き自由と応急の原
いうことを訴えたいQ奴ら、その首領や患實な信奉者たち、の秘皮を調
理の手解きをし、フランス革命の絡ての大罪、災禍を作った張本人だと
べることによって、私はこの派の者が、犯した大罪の故に恐るべきもの
のであることを知った次第である。諸翠黛の人々もフランスと同じ指命
であることを知り、且又、今膚計画せる無限・普遍さの故に違うしいも
溶したものを探ることによって當時の事情の一端を窺い得るものと老
に閉ぢ込められているのである。たとえばジヤコビニズムがそれを奪い
ル師の臨書⑤を中心に、革命の末期から絡裁許、帝政初期に祭壇側の意
え、これを第一部として以下に論じ、更に第二部において理論的面から
取ってしまっても、諸外國の人汝は充分に奴らの企てを知っているとは
思われない。從って私がジヤコバンたちが隙し通している完全な暗闇か
するキリスト教の啓蒙主義思想批判の跡を研究して、一将この点を明ら
かにしたい。
口の
②
⑤ ④ ③
奴らがその中において形作っているところと全く同じものとなろう。即
私がこの分派や、陰謀のための結党の事實を褒くために採る順序も、
て予防せんがためであるQ
を引出して、この.畳書に充てる所以のものは、出來る限りそれを前以っ
が必要となるQそこで私が最も正確な陰謀姉たちの記録や文書の蒐集に
これらの陰謀の性格及びその重要性を人汝に知らせる場合にその証嫁
ゆくQ
リス、ドイツ、イタリア、イスパニアに、更に総ての取引に振大されて
誓、所及び協同はあたかもそれがフランス全土に櫃がつたように、イギ
が終ったものと信じているが、しかしフラγスにおいて尚革命はジヤコ
バγの最初の試みに過ぎないのだ。ジヤコバン主義の陰謀達成のための
ら三重の陰謀の結党i彼ら自身不幸な結果に外ならぬ三重の分派1
ち
意を用いた結果、私がこ、に要約し得た作品を生み出したのである。こ
の要約自体の中に、現實に即して封象、方法、過程、信奉者たち及び陰
れ、プロテスタγトであれ、アγグリカンであれ、プレスビテリアγで
謀派の同盟などに關し疑問の点を淺さぬよう充分に書き激し得たつもり
第一に、キリス下教の紳、更に一つの例外もなく、 カトリックであ
アムステルダムであれ、或はパリ、ローマであれ総ての祭壇に封ずる不
である。私はブイロゾーフという心構を潜短した者共1これに適切な
あれキリス下僕に封.して、それはジユネーヴの祭壇であれ、“γドγ、
第二に総ての王に封.する不信、謀叛の説鼎者共の陰謀のための結党。
信の論溜者共の陰謀のための結党。
因を哲學者たちの行動に求め、それがジヤコバγに受け継がれるに到っ
これを護んでも分ることは、師がフランス革命の第︼義的、根本的原
する。﹂
名として陰謀の論辮者と私は呼び度い一のことから先づ始めることに
の市民肚禽、総ての財産に封ずる不信、無政府的誌辮の陰謀のための結
る立場に立ってみた哲學者たちの行動とは具体的には何を指すのか師の
第三に、共和主義者共の、総ての宗藪や政府に封ずる、或はまた総て
党。
所論によってみ、ついでその史的意義を考えることにする。
この陰謀の理論的、組織的指導者としてヴオルテール、ダラγベール
⇔
て革命は頂点に達したものと看取しているのであるQ從って、まっか∼
フのものであり、第三のものは、前二者が更にイルユミエと結合したも
それらの陰謀の第一のものは、ブイロゾーフと呼ばれる者共のもので
ある。第二のものは、フリーメーンγの秘密薄曇と結托したブイロゾー
ので、この三者の同盟せるものがジヤづバγなのである。
者の陰謀のための結党を永績せしめたかを調べた。この畳書の結果は人
フレデリツクニ世、及びデイドロの四人が在り、これらを中心に、彼ら
この三重の同盟が、ジヤコバγの名の下に如何に継績で、傳播し、三
人に次のように言うことになろう◎即ち、ある宗敏、ある政府、あなた
の思想、行動の信奉者︵追随者︶がこれを取巻き、あたかも波紋の擾が
〃ヴオルテールは宗教が愈愈をもたらしたすべてのものを憎みし故
の厨している市民三皇のある階麿に、ジヤづバγ主義が勝利を占めるな
に、グラγベールは何ものをも愛することの出∵來ぬ冷酷な心の持主の
るように次第にそのシン。ハを獲得していった。
べてとなり、市民肚會のすべてとなされるのである。あなたの財富、耕
故に、フレデリックは宗教の敵により宗教の何たるかを知らされぎり
らば、それがあなたの宗敏となり、肚會となり、財産となり、政府のす
なるのですそ。あなたはフラγスにおいてすでにジヤコバγによる革命
地、家屋敷から茅屋、更には子供たちまですべてがあなたのものでなく
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
口の
・し故に、三人共皆字母を憎悪した。また第四人目のデイドロは﹁自然
にあるデイドロの方が強く、答弁側を型込しくみせて。聞いている怠
が攻撃し、ダ.ランベールがあたかも弁護しているかの如くに。質問側
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
﹂に回申になり、思想の混迷の中にありて妄想を打建てんとし、彼
学♂ . ・
デイドロによき満足を與え得ないと、いとも謙虚な告白をしてこの議
の装いを與える確信にみちた調子をとり、グラγベールは彼の融學が
者たちがこれに捲き込まれる。デイド冒は自己の要求を押付け、勝利
その他多数の者共が反逆に加澹したが、これら大多藪の者は馬鹿氣
論を絡え、敗北した人の恥しさを装ってこそこぞこそとその場を立去
自ら.神秘を捏造し、その誤れる信仰の下に肺の御民を服せしめんとし
こO
に追随者として或は第﹁二義的人物としてこれに喰うたにすぎぬ①ρ〃
の策略を看破って中止させたが、その時にはすでに度汝繰返えされて
つてゆく。そうしてこの二人の選手は直ぐまた︷緒になり、他のカフ
なくh私はやりますよ。﹂と答えたヴオルテ︸ル。しかしこう腹に決め
ェに入って同じような演技をやり、新たな詐偽を行う。途に警察がこ
た彼は直ちに實行に取りか、ることはせす、常にキリスト藪を必要とす
いたので、若き.ハリツ子はこの悲しむべきレツスγを學んでしまって
いた③Q
覆すことは出亙るものではない。﹂といったのに卑して、躊躇すること
るものの如く、藪會にも出入りし宗教的尊嚴な.態度を装っていた。彼の
このような八百長的演技だけに止まらす、 一七五〇年頃よりヴオルテ
警覗副総官が﹁好き勝手にやってみよ。決してキリスト教を根底から
中には陰謀.的反キリスト教的二大性質﹂1ーキリストに翼する深き憎悪と
ールをその長とした一麿進んだ提携がみられるようになり、特に彼がフ
ェルネーに居を定めてからの時期は陰謀を一皮と磨きのか、つたものと
したのであるQ
最も卑劣な儒善一が一緒に見出される②。
早算の慈悲深い恵みによって生成することの出來た棄子のグランベー
ル、藪學的才能以外は中以下であった彼の不幸はヴオルテールとの選遁
不可解な慣用語を使用するものであるが、彼らもまたこれを用いた。ヴ
オルテールの口から出て、ダラγベールやフレデリックの口へ、更にそ
即ち、一体陰課、謀叛の徒は必ずといってよい程、合言葉や一般には
の傳授を受けた者たちの口にと振がつていった語。それは﹁醜物をやっ
から始まる。ヴオルテール程の才能も決断力も持っていなかったが、た
はユーブイスにたとえることが出來よう。
つけろ国。﹃90。oN一、ぎ楠簾Rδ﹂である。醜物とは勿論キリストであり、
だ一期狡猜であり、爾者の關係はヴオルテールをアガメノγとすれば彼
論弁家たちに迷わされ允フレデリックは宿命韓攣、矛盾に満ちた人物
であり、王という存在が一暦これを強めていった。
やダランベールをはじめとして、ダミラヴイユ、づンドルセ、エルベチ
と筆。
のである④。
ストの教を崇めた著作で名高い信仰篤き人たちに封して匁向っていった
ュウスらに協力を求め、カトリックであれプ耳テスタγトであれ、キリ
キリスト教である。この冠物を葬り去るためにヴオルテールはデイドロ
上記三者と同等の地位にあると自負するデイドロ。熱狂しやすい性
質、混迷にも比すべき思想の困乱、頭謄を縦横に飛躍振動せしめる言葉
たか。
しかし、これらの人たちは包坐せる主張、理論をもつて如何に策動し
﹁怪物︵宗教︶を刺すにためには多くの見えぎる手を持たなければな
らぬQ二物を驚かせ、打て、しかしお前の手は癒せ。人は誰もあなたが
教諭のある種の問題に關して狡猜に會話の.やりとりをした。デイドロ
〃カフェが彼らの不信心の劇場として使用せられたQそこで彼らは宗
0の
織の網を援げるに從って漸く公然細田暦活嚢になっていった⑥。親切、
このようにして始めの中は只管陰蔽することに努めた彼らも次第に組
というのは陰謀者全体の総構として使用された。
あるが、人間の魂の善導、個汝の信仰の問題の解決、更には肚會的慈善
家における役割は非常に大なるものがあり、教旺における論勲は勿論で
音を廣めるように法王から爆ぜられた人達であった。ジエスイト團の國
とさえ呼んでいる⑩が、事魚島らは年少の時から特殊の教育をうけ、福
勢力の攻撃を受けた次第である。フレデリックはこの男盛を法王親衛隊
叶鋤αQoN鋤9じσo暮N鋤づデイドロは℃冨8昌”↓o昌覧9そしてO蝉Ooq
中鋤
で。
もジエスイトはその前衛であった。がそれだけに眞向から反宗教的
やったとは知るまい。⋮⋮L⑤。そのために彼らは特別の粛呈を用いて
このような反宗教的、革命的一蓮の恐るべき蓮動に書して果敢に宗教
相互に文通し合ったQフレデリックは自obqo●グラγベールは禅定。− を防禦し、もって市民肚會の秩序を保持しようとした人たちがいたが、
ーとして用いられたが、彼らが交わした書簡の中においては、 ﹁醜物を
正義、博愛、理性、寛容といった語が彼らを結ぶ表面的、封外的モット
は、上級藪育の分野の意義は非常なものであった。故にこのような有効
な教團組織を屡止することは敏會側にとっては大きな傷手であり、中で
事業といった面に至るまでに及び、殊に大造の存在しない地方において
もキリスト教的感性の中に若き世代を過すような教育制度を墓参せしめ
やっつけろ﹂が本体なのであるから反キリスト教的革命のためには殺数
しかしながら更に實際的には、彼らは幾つかの計画的陰謀を劃策し、
掠奪も意に介していなかったのである⑦Q
それを準行に移すという方法によってキリスト藪を破壊せしめようとし
ることは、肚禽秩序を維持する上からも必須のことである。哲看者たち
廠を作り上げることであった。これが出版せられるや一般丈人の間では
したのである。
はヤγセニストとジェスイ㍗とを咬み合せることによってまんまと成功
治的力を利用することによってジェスイあ團の追放を實現させた⑪。そ
こでは哲學者たちは直接手を下すことなく、或は高等法院によって、或
の隠謀はこの点を注目し、當時の宮廷の支配勢力に忍び込んで、その政
たのである。即ちその第一のものは百科全書の編纂出版である。
熱狂的に敷迎され、人間精神の最高尊崇なるものを包含した一大傑作と
ダラツベール及びデイドロによって企てられたこの事業は表向きの目
的は人智の総てを集大成することにあったが、その内容は不信仰の砲兵
まで祭り上げられたが、一方キリスト教會では、これは書庫の驚くべき
ジェスイト團の追放、破壊はあたかもキリスト藪界という一大牙城の
外濠を埋められたも同然で、その結果やがて他の総てのキリスト敏の團
集積であり、宗教に反抗するための虚像及び現代の全組織化であると非
難した。勿論その細心の内容に入ってみると、宗致に封ずる不信は判然
奪い取るために宗教諸侯や墨磨の細砂に乗出していった⑫。しかも宗藪
邊っている⑬ように、哲學者たちはこうした面から宗教墨黒を抹殺して
的なるものの撲滅には軍隊︵武力︶は必要でなく、〃眞實の碗〃一〇ω
ぴ轟ω傷①冨く曾津伽或は利害の誘惑で澤山であるとヴオテールに書き
体が次汝と打ち崩されていったのである。プロシャ王はその経濟的富を
とは表明されていないで、むしろ儒善のマンおに細れて巧妙に、狡猜
に表現されているので最も鍛えられた眼をもつてしてさえもその眞の意
れるように、人汝を不信仰の世界に導き入れるのである⑧Qこの編纂に
いったQ
圖を見抜くことは難しい。而して不知不識の中に巧妙な操り糸で動かさ
はこの砲兵廠の内をあちこち探し廻るのに夢中となり、そこから反宗教
〃多くの修道櫓尼の所在地近海では人民が迷信に捉えられていて、無
参加した著者たちの大なる目的は一慮満たされ、部下の隙謀の信奉者共
的なものを取出して、世人の心に浸透させていったのである。
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
“の
えたのである⑱。
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
分別になっています。たとえプアナテイズムの害が取除かれたとして
第五に彼らはフラγスアカデミーに陰謀仲間を入込ませていった。一
\
も、人民が現に尊崇しているものには少しも冷淡にならないことは明
てきたのである。故にモンテスキューがその一員となるために彼自ら、
六三五年に創設されたこのアカデミーは、雄弁者、詩人、或は丈塵界に
若い時代の作品を否認しなければならなかった。また度汝拒否せられた
らかです。彼ら人民は修道士たちがやっつけられるか、或はその人数
にあった大臣が、その陰謀にのせられたために宗藪團体は強い塵迫を受
傑出した作家たちの最大の競争の的、名響の座となっていたし、事實そ
けることとなった。即ち一つは二十一才まで宗教的告白の歳を延期する
ヴオルテールは有力な.ハト質ンのお陰で漸くその目的を達し得たし、グ
を減されるかすれば動揺しはじめます⑭。〃
という法令であり、他の一つの法令は市町村における十人以下の修道士
しか存しない修道院の慶応がこれである。第一のものは先にも疑れた若
かぬように心掛けていたのである。しかし一度不信の徒がアカデミーに
の會員にはコルネーユ、ボスエ、ラシース、マジイヨγ、ラ・ブルユイ
き世代の臨海の重要性からみて致命的打撃であり、その結果人民たちの
入るや彼らはこの名巻ある場を陰謀者の集禽所にせんと企みはじめた。
しかしそれには政治的な手段を講ずることが必要であって、ヴオルテ
宗教に諒する尊崇心を低下させ、且宗教的團体の減少を導かんとしたの
デミーに入れるためにヴオルテールやダラγ、、へールは心を陣いて蓮面し
多くの仲南を入学させるために策動が行われ、たとえばデイドロをアカ
エτルら細節たる蓮中が選任せられていたのである。そうして、このア
であり、第二の法令は宗教的財産を掠奪するには全く都合のよいもので
カデミーはキリス杢教に話して不信を懐く人物は當然入會を拒否せられ
あった。また更にブリェンヌの如きは修道院内での不和を煽動し、院長
ているのである⑲。そうした必死の努力にも拘らす途に彼が入ることが
いう名目の下に探用したことを答えている⑮。ルイ十五世、十六世の下
を動揺させ、不満を支援したし、ヴオルテールやグラγベールはこれに
τルもこの点について既に同檬な方法を、改革案とか公の利息のためと
鷹じて修道櫓尼を中傷する藪多くの小冊子を公にした。このような煽動
ミーが不信訪鼎の徒のクラブにまで一攣する程になってゆきつ、あると
出來なかったのは、彼の不信もさることながら、僅かの期間にこのアカデ
の方に多くの便宜を見出し、そこにいる小羊たち︵民衆︶を犠牲にして
プ巨シア王の援助の下に⑰クレーヴに哲學者たちの植民地層建設する
ことを志し、同志たちの三后を奨めたのであるが、彼らの多くはパリー
れが陰謀の第四とみられる哲畢村植民地の建設である⑯。
時にヴルテールは不信仰の宣傳を唯一の目的とする集會を老塾した。そ
陰謀がこのように次第に現實的になり、また掻深しつつ進行している
られたのである。
の下に反キリスト⋮敏的書物が氾濫したのである。そしてこのような有害
ツト形式で、或は小設の形で、或は所謂置生でというようにあらゆる形式
ヴオルテールの生涯の最後の二十年間にヨーロッパは、或は.ハγフレ
手段、即ち反キリスト藪的書物の氾濫によって陰謀を釜山接大させてい
らが輿論を堕落させ、このことがやがて人民たちを背敏徒にする第六の
代り、ヴオルテールがその王位に登り、文化人たちは腐敗させられ、彼
いう事實によるものである。短期日に才能や學問の王座は不敬の王座に
ランベールがそこで奪敬されるようになるまでは、出癖る限り入目を引
的仕事が實際にジヤコバγの斧が宗教を断切る日まで四十年もの下身け
まで、そんな片田舎に引込もうとはせす、ヴオルテールをがっかりさせ
な書物が書店の店頭に飾られ、書架に見出されることはヴオルテールや
ったのであるQ
tが、彼は断念せす熱心にこの蓮動を績けて陰謀の根斜地としょうと考
“の
政府状態を呼びおこすことになるのである。このことは決して祭壇を救
かQそれは宗教的束縛を棄てることではなく、最も恐ろしい束縛即ち無
る。
ダラγペールが采配を振っている陰謀に加捲することに等しいのであ
を成就させることになるのである。我汝は王のため、且その継承者のた
濟することではなく、王位や市民杜會に封.する暴動的面喰⋮者たちの陰謀
めに、哲學者たちの講読に加卜して神に反抗するようなことは取りも直
就申この方面で活躍したのはグランベールであった。陰謀者たちは宇
さす、自分自身の國民の上に恐ろしい災をもたらすものであることを知
宙の建設についての猫自の体系を考案することによって、我身の聖書、
る關心事は追物たちの贋値を下落させることであった⑳。デイドロ、エ
その中でも特に天地創造の物語を否定しようと努めた⑳。またその主た
らせてやらなければならぬ。陰謀者たちが取交わした書簡の中には、こ
を如して畑物︵宗藪︶を嘲笑する方法⑫iで多知の書物が出版さ.れた
後には何時の聞には、哲學者たちの主張が正當化されていったのであ
んだ君主たちは王位を全うし得たであろうか。スエーデγ王グスタフは
見よ、積極的にせよ消極的にせよ何らかの形で哲學者たちと交りを結
をみる⑳。
れら王たちをはじめとして上品部の人為のことが籔多く書かれているの
ルヴエシウス、ドルバッハ或は更にブレデリックにより一右近の限り
る⑳。
以上順を追って考察し、更に陰謀がヨーロツ.ハの國家杜會に如何に振
善良な、王國の幸幅を希うこの王は誘辮者たちの誘惑を退けることに成
とすぐその同じ匁で王位をも薙ぎ倒したのである。ただ一つの例外があ
る。それはイギリス王ジョージ三世であるQ臣下を慈しみ、正義を尊び
ーラγド王ポニアトウスキーは邊位した。陰謀者たちが祭壇を破壊する
衰死し、ルイ十六世はギロチγにかけられ、ルイ十七世は幽閉され、ポ
尚このような陰謀が普遍化していったことの中には特に、その活動面
即ち印刷、出版に負うところが大であって、出版、販費のための書店の
.確保にはヴオルテールを通してフレデリックに一役も二役も買ってもら
がつていったかという点を探ってみると、非常に悲しいことであるが歴
功したのであるが、革命の悲話な災害を阻止し、犠牲を出鉱る限り少く
しょうとする方向に歴皮が動いてきた今日、この王の執った態度は王自
っているのである⑳。
史家たるものは、この悲しみに打克つ勇氣をもつて眞實を語らなければ
身を旧暦立派なものにしている。
ならない。それは反キリスト教的陰謀の進展が、器量の最上暦に屡す
る人汝即ち諸王、帝、大臣、大侯といった人たちによって進められた
ワザール公、マルゼルブらによって託弁者たちが庇護せられた。.殊に
マルゼルブは陰謀者たちのすべての作品の流布に便宜を與えたのであ
ルイの官廷において、アルジヤンソγ伯、ポγパドウール夫人、シヨ
る⑳。しかし彼らはこれだけでは満足せす、次には陰謀に畑島な信奉者
という当掻である。今このことを、これらの人汝に明確に言ってやるこ
になるだけである。彼らは不信の徒の言を賠き、保護し績けてきたし、
とを恐れることは、いつまでも世の實灌者たちを無分別の中に置くこと
都市及び地方の町欧に不信仰を流布するのを放任した。その結果はどう
たのである。このように最上暦が次第に不信仰の徒によって占められて
を大臣のポストに迭り込むことを企ててまつネツケルに肖[羽の矢をだて
地方へとその共鳴者を横大していったのである。
ゆくに從って、文人たちや自構紳父、一般曾に到るまで、また首府から
であろうか。人民の幸幅のために、革命や反乱の災禍から人民を保護す
だ。何故なら、キリスト偏継は王には服從する。しかし一方、背藪には
るために神はた∫王座に在る背教者を叩くことすら控えていられるの
断乎として抵抗する。この背信に更に反抗を加えたならば一体どうなる
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
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“
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
×
×
旧秩序の徹底的破壊者ジヤコバγの行動の基礎理論を呈供したのが哲
學者たちであると老えたバルユェル師は、それもたゴ彼らの個汝の思想
が別汝に影響した面よりも、一つの統一ある活動 陰謀一として革
命勃嚢以前から展開せられて、フリーメーンγと結合し、更にイルユミ
ネの思想を包掻することによって革命を指導したものであることに重覗
したが、この革命の始源的エネルギーを付與した哲知者たちこそ陰謀の
張本人であるとし、その中心人物としてヴオルテールを墨げ、彼を中核
として取巷く仲間の一群を考え、彼らが目的蓮成のために用いた手段を
幾つか敷え上げたのである。實際には十八世紀一般におしな璽べて啓蒙思
想家といわれる人女も、様汝な氣質と異った思想一合理主義的、主知
主義的なものからロマγ主義的傾向の強いもの、懐疑主義的なものから
唯物的傾向のものまで夫六異り、また一個人でもその生涯においては色
あり、人闇關係もある時には交わり、写る時には敵封し合うといった有
色移りかわる場合が少くない一の持主たちの概ね無意識的な集りで
様であったのであって、所定の目標を設定し、その實現に向って一致團
結したのでは決してなかったことは申すまでもないことである。がそれ
らの種汝雑多な事實を捨象として祭壇強弓の一事に絞ってみた時には理
神論的立場から唯物論的無神論的立場までの中に共通一貫した面がみら
れることもまた確かである。しかもそうした主知主義的、合理主義的思想
が啓蒙的運動を展開してゆき、特に上暦知識暦乃至は中産ブルジョアを
中心として次第に一つの時代思潮を形成してゆく過程においては、それ
のは當然のことであったQバルユェル師は旧制度の支持者としてこの面
が大きな力として固い殻を被った當時の祉・會秩序に種汝の形で作用した
る。故に當時の嚴しい槍閲の網の目を潜って自己の信ずるところを一人
を主として哲両者間に取りかわされた書簡を資料として調べたのであ
支配者たちの眼からするととかく穏かならぎるものがあったことは明ら
かであるし、一方的誇張が存することは前記せるところで分る。
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でも多くの心ある人汝に訴えんとした人たちの行進は権力を握っている
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ピO暮●画Φ隔O一生O℃Φ峠⊆ωω①自¢P轟OO“・一N①U
ん。それは突然的事件ではありません。革命は成就しました。それは永
るのである。〃伯爵様、貴殿はそこでは勝利を勇めることは二選ませ
たちは自分たちが世紀末を旺分する大事件を指導したのだと告白してい
い聞ヨーロッパの輝を集めて準備されたものでして、あらゆる方面の援
ピΦけ什。自O傷℃鼠ピ一〇旨PぴΦ目け飾くO一け9二一婦〇 一〇◎覚q一一一〇け 一N①O
ピ。詳●qO<O詳9一辱Oいq.b厭oqO昌け9一一P臼償窪一〇酔一﹃①O
助者をもつているのです〃と彼らの一人アルフオγスは暴動を嫌悪した
様に共和的自由であると考えられる。そうしてヴオルテール自身の中に
って誤ったものになるのであるが、所謂哲徐なのであり、自由もまた同
重要な問題である。彼らのいう理性とは、我汝からすると低い段階に止
ことは出來ぬ〃。とグラγベールに書いている②が、この理性と自由が
しても、〃しかし理性と自由とを愛する〇 一方なくんば他方をも愛する
彼は王を愛したのであって自己の意に反して無理やり引き入れられたと
ヴオルテールは祭壇に封ずる陰謀と同じ役割をこ、で演じてはいない。
人に書き逡っている。この一專をみても已然たるものがあろう。勿論、
ピO茸・山O<O詳9一触Oい︼︶信O一〇ωごLPO⇔⇔一N①O
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匂OωOウげ口”ピO暮●山O<O詳9胃O飾伽鳩b一Φ厳びΦ嬬けNQ◎OO辟・ζ①⑩
[¢け﹃αΦ国隔ひαΦ同一〇飾くO一け9一機ΦP一 H40︿●一NNO
あって反宗藪的自由と反宗藪下卒等のすべての原理がいつのまにか反君
ピ¢O叶●伽O<O詳9一鴨O節司聴伽山O随一〇 ZO︿●一N①O
Ogo台び①鳳一昌O︻同”HO辟け●ΩOO山けF節くO含9凶厭〇一・N・ω●c◎●
これが彼の原理からすると
〃國家は卒等、だが人聞は種汝異なる。〃
O偉ωけP︿Φ目当場O一半Oωqひ似O”ピO暮●伽ΦO離ω院画ρ一〇q9昌・一NNN
主的自由と反君主的不等のすべての原理に含体してしまうのである。
℃o昌冨けO薯ω犀凶峠O一幽①団。一〇〇q昌O“冒①詳伽O勺Oロすr蛍団0︿。ミ①N
ピO暮◎伽O<O犀餌凶畦①飾自燭︾一9BびΦ幅けω0臼9昌・一N①義
〃人間は卒等、だが國家は種汝異なる。〃
となり、この原理は革命中ルイ十六世を王位から引摺り降した際に、人
善人も悪人も同じように。王は六つも持ってるか。その魂、肉体は
人によって謡わたた文句に通するものである。
別あつらえか。
〃人は皆卒等、顔は夫汝違うけど。
る①。
他になにかの性質を、なにかの力を持ってるか。〃
る。即ちキリスト教の紳を破壊した同一人たちが王國をも崩位したので
その中にはます宗教に封ずる陰謀という狡猪な大罪と、 ついで王に樹
キリスト教に封ずる陰謀は必然的に王位に封ずる陰謀に蓮なるのであ
するそれとの二つの結び付きを認めさせるものがあり、その唯一の告白
憎むべきジヤづバγ主義のラプソディを創り出したヴオルテールは王
みんなの五感は自然から與えられたもの。
である。無比論者ラメテリは大革命の勃嚢をみるやすぐに吹のように書
制と共和制との間を彷纏ったのである。一方では幽霊に喜べた統治者を
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
いている。幸臣な時i哲學の勝利1がやってきたと。即ち籠弁論者
あるQその証擦の第一に墾ぐべきものとしてコンドルセの〃試論〃があ
⑳
“の
一い
⑲ ⑱ ⑰
⑳ ⑳ ⑳ ⑳
⑱ ⑳
⑳
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
は博學を誇っているが、フラγス人がそこで教えられることは王の下に
的政治を行うために八専的法律を作るという心配があるから。︵法の精
奪敬することを禁じ得す、他方では君主制を、その下では人間精薄は奴
神第二巻第六章︶というのであるが、フランスにおいて王が法を作ってか
おける奴隷ということであり、あの有名な三権分立を成就するまでは自
ことは可能であると思われる。この童歌︵革命︶は良い立場を盟ハえてく
ら永い歳月を経ているがフランス人民は王が專制君主や暴君のみである
隷歌集であるとみているのである③。がしかし亥第に反君主的傾向を強
れる。彼がなした絡てはみることが翻意ぬ。しかし我汝がみるところの
ということは知らない。フラγス人君王を愛し、王たちを賞め讃えてき
れているところには最早自由はない。何故ならば君主或は元老院は暴君
ものはすべて彼がなしたのであるといっても過言ではない。歴史を書く
たのである。一体人民には暴君や專制君主を愛するということは不可能
由であり得ないと考えているのである。就中立法樺は行政櫻と統合せら
ことの出募る程の優れた観察者ならばヨーロッパを震骸させたこの大革
なことではないか。
めていった。
命の最初の作者が誰であるかを、よく熟考せる人汝に証明することが出
ジヤγ・ジヤツク・ルソーが出てモンテスキューの仕事を成就した。
〃人類がヴオルテールに負うているところの永遠の義務を浄財させる
テールその人である。絶封主義の最も恐ろしい障碍である宗教的、司教
來よう。人民の中に希望を、宮廷の申に不安を接がらせた人こそヴオル
ユーが貴族制に都合のよい結論を引出した髪の原理にのっとって、その
彼はブルジョア・デモクラシーを理論すけた。しかもそれはモγテスキ
土台の上にである。彼は次のように宣言した。〃すべてのものの中で
的棲力を崩壊させたのは彼である。僧侶の束縛を絶ち切らなかったなら
我侭の上にあって結托し、密接に蓮絡し合い、一度一方が動揺すると片
ば、いまだに人面は暴君の束縛の下に苦しんいるであろう。この二つは
方も直ぐ揺れる。人間精神は服從よりも猫立の申にあっては止ることは
が、束縛の中にいる。行政樺は人民にのみ厨すべきである。〃
最も大なるものは自由と平等である。即ち人煙は生れた時は自由である
の二樹を植えつけるために宗教と君主という二大樹木を根元から切倒す
によって構腐せられた同盟を結成するに到った。この同盟は自由と亭等
これらの原理が陰謀者たちによって熱心に支持され、途にコンドルセ
ない。あらゆる点で服從させられているところのものを裁くことの習慣
から解放したのがヴオルテールであった。革命を準備した賢者の思想が
これである。しかしそれを實行ずるのは常に人民である④。〃
これをみても分るようにヴオルテールは直接革命には参加しなかった
ルコ皇帝や蒙古、支那の皇帝ではなく現に我汝の前にいるヨーロツ.ハの
鹿げたことであり、ヴオルテールやグラγベールがいう專制君主とはト
王を嫌わすして絶樹主義を憎むことが出來るなどと飢えるのは全く馬
隷にするために老案された制度にすぎす、これによって人民は徹底的に
鹿﹁にしてしまうもめであるし、〃眞の君主制は慣習を腐敗させ人民を奴
調してエルヴエシウスは君主制の特色は、精群の思惟を堕落させ魂を馬
とは殆んど不可能であるとモγテスキュ.1がいったが、この点を更に強
という目的をもつていたのである。君主制の下では人汝が有徳であるこ
王たちであった。迷信と狂信と〃宗⋮教〃が彼らにとって同一物であった
がその立案者であったのである。
ように、專制君主と〃王〃、暴碧と〃支配者〃は同意語であった。ヴオ
うな論の極には〃最後の坊主の腸で首を締められた最後の王を眺めるの
愚鈍の方向にむけられてしまう〃︵人間について、序︶とするが、このよ
は何と愉快なことよ〃。といったデイドロがいるのである。
ルテールの思想はルイ十五世の廷臣ダルジヤγソγに傳えられ、更にモ
γテスキューへと受け継がれ﹁法の精神﹂となってあらわれた。この書
6の
たち.の永い間のバトロγであったフレデリックの立場である。王位に封
く時に、大きく問題となるのは哲走者たちのよき相談役であり、陰謀家
哲學者たちの反キリスト敏的陰謀がやがては反君主的陰謀に通じてゆ
條件と考えているが故に、教會ど王室との御者の消滅を圖つたジヤコバ
バルユエル師は敏會と王室とが堅く結合せることをもって國家の必須
× × × ×
γ主義には徹底して日工したQ哲學者たちの理論の中にみられる敏會に
ているが、これは﹁一度、宗⋮言及び倫理の間題が哲盲者たちの覗野に入
凝する攻撃が直ちに等しく王室破壊を詮くものであることを彼が指摘し
ずる陰謀が急速に進められるのをみて王は最早自己を隠すことが出回
人物であると宣言するに到ったのである。
るや、その研究は政治分野にまで膨大されていったのは自然のことであ
す、憤然として哲學者たちは輕蔑すべきものであると同時に危言極まる
〃エγサイクロペデイストはすべての政府を改革しようとした。彼ら
僅かにこの点に聴してだけである。從って、國王という特殊の立場にあ
が、バルユェル師が哲編者たちの思想を理論の面から解明しているのは
自講元學者の一派であり、彼らは古代が生み出した絡てのものより禽優
るフレデリツクニ世をキリスト教に封ずる陰謀者の有力な一員とみなす
り、論理的である。﹂というラスキの論をまつまでもない事實である
れていると自惚れている。また犬儒の厚かましさで破廉恥にも頭に浮ん
場合、大きな矛盾をきたすわけであるが、開明的專制君主という二重的
ランベール︶がその統治者となるであろう。エγサイク冒ペデイストは
でくるありとあらゆるパラドックスを認り捌いているのである⑤。
陰謀者たちは、村や田舎に佳んでいる人汝の精神に不信仰や叛、乱の毒
D
価
の目標であったフラγスは共和國になるべきであるとし、⋮幾何廻者︵ダ
更に王は、哲學者たちの言動を放蕩見、厚顔者の仕業として、これら
って王の樹話を引用して、王と哲學者たちとの訣別を當然のこととして
性格を指摘しているが、しかもその限界を師自身是認するばかりか、反
盾フbユけげεB9二一づ・ひ弓oρ償。リ
Oo昌山。まΦ計国のρ乱ωの。幽.⊆昌冨亘09離ぼω8昌ρ藁。自。の喝厭Oσq頴の島。
ピO暮。侮O<o詳9一厭O節自.︾一9βびO鴇け一り臼9昌く一Φ臆一NcDO
い9﹃9<o=9。冒09。⊆8導8自.bお。βωo昌山詣。。b9⇔一口ω
嵐O帰Oβ補O山Φ句帰90昌oOの讐BOα一NbO⇔け一N⑩O
国①ρ⊆宏蓉。寄。島口一〇◎︾oゆ曾粛NO
勺ho日零墨9巴ooqqoの傷。の日。ユω娼9◎巴一〇丹9幽。勺触犀ωωo
たものといえよう。
素を忍びこませる方法をとった。エづノミストと呼ばれる連中は地方の
註①
自らの論が七福であることを誇っているのである。
氣狂い共を狂人病院に途り込むべきであるというのである。
以上のような点は國の司法を委る青春の間でも特に注目せされ、一七
七〇年のある検事論告にも明らかである。
〃圖乏しくて不敬な一派が初雪の聞に浮び上っている。それは哲塩干
という名の儒賢者である。︿思想の自由﹀が彼らの聲である。そしてこ
の叫びは世界の果てまで櫨大されていった。一方の手で王位を揺ひ、他
方の手で祭壇を覆えさんと望んでいる。彼らの目的は信仰を消滅させ、
た。革命は實際に生じている⑥〃。
古き宗藪的、市民的組織の代りに精紳に号する新組織を作ることにあっ
しかしながら一部の人汝の警告にもか、わらす陰謀は釜汝振がり、特
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
農民や町の職人が彼らの職に必要な道右回に不足しているからという口實
⑯
更に櫓侶たちもこうした警告を嚢し、ボールガール師がパリーの禮拝
一.
に一般民衆の中に根を張っていったのである。
堂でなした設教は一種予言者の調子をもつて、哲三者たちの陰謀を嚢い
⑥ ⑤ ④ ③ ②
種の方法、特に農業原理を教えることを提案したQ王は人民を慈しむ心
の下に、 ルイ十五世に無月謝の.學校を建設し、その學校では子弟に種
教にこれを不満として持込んだのである。調査が行われ、この校長の書
學者たちの思想の共鳴者であったため校長を保護したコそこで主任は司
に最も敵封ずる書物を配布したというのである。ところが村の領主が哲
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
から、この計画に賛同し許可を與えられようとされた。しかし幸にもベ
斎がこの種の書物で充されているのが謬見された。校長はこれらの書の
いと答え、更にこれらの書を買うことは難しいことではなく、何処から
大の讃美者であり、児童にはこれ以上に良いものを與えることは出島な
ルタツに前以って相談をされた。ベルタγはエコノミストの眞の目的が
うとする点にあることを見抜いて、王がこれら哲溢者の一派に力を添え
曾侶の手の及ばないところに入っていって民衆の教育を自己の手に奪お
次に同じくベルタγ氏が語った耐暑について書いてみる。
て巧妙な公議を實施していた。彼は定められた日時に書物の息めない職
途られてくるかは知らぬがとにかく莫大な贈物を受取つたと述べた。
リエージュから一里、隣接する村汝に二心ある教師が陰謀の手段とし
給うことに忠告を與えたのである。
〃田舎を廻り歩いて百姓たちに本を責っている行商人について調べて
て、與えられた書物を讃むように指示された。その書物とは曾侶や主灌に
反封を表明したものであった。この讃書痴の一員であった指物大工であ
人や農民たちを集めて、この秘密の毒言で學校の生徒の一人が聲を出し
宅の中にもやってきて書物を買うように奨めました。そこで私.は尋ね
る父親が席上逮捕されたのが端著となって、その近隣一帯が捜索され、
みました。そうした結果善良な人汝の直ぐ傍に似而非哲學者たちがい
ました。一体どんな種類の本を持っているのかね。多分教義に關する
多くの學校長が同じ疑で摘発せられた。捜索は可成遠方にまで及び、學
ることを推測することが出來たのです。これら行商人はまた我汝の城
申しますと、いや、どういたしまして。と答えます。みれば實際彼が
ものか所化書だろうね。村では他のものは讃まれやしないからねQと
部屋まで行われたのである。
校内で休息していに教師の部屋、村長の部屋最後には個人の家庭教師の
以上出來うる限り忠實にバルユエル師の哲二者たちの陰謀に慰する論
來ない力となっていたのであるまいか。
が、そうした行動の無意識的基盤を形成する上で量的には計ることの出
が直接、行動の理論となって革命を導いたものでないことは勿論である
⋮媒介者、黒酒者がどのようなものであったかという事などは、啓蒙思想
思想の普及、傳播が可成深く下暦にまで行届いていった有様、及びその
こうした挿話に類するものが他にも二、三記されているが、啓蒙主義
× × × ×
持っていたのは私たちには關係のないものではありませんか。それは
ヴオルテτル、デイドロその他哲學者たちのものでした。何だつて、
田舎の百姓たちがそんな本を讃むのかね。讃むつたって、どこにそん
なものに支彿う金を持ってるんだい。これに封ずる返事は直ぐに出さ
れました。手前共は所疇書などよりすつと安く費りますんで、ヘイ。
一冊一〇ソル銀貨で出しますがそれで結構たんと利がこぎいます。ま
た別の問に封して、彼らの多くは、このような書を持って歩いても少
しも心配がないとも答えました。見えぬように荷物の中に注して得意
先で最低値で費るようにすればそれでよいのだそうです。〃
司教管垣では、ある主任司祭が小教匪の校長が見童を卑劣な手段で腐敗
たズこのような行商人だけがその流布者ではなかった。アγブラγの
させていると非難した。その理由はこの校長が見童に習慣に惇って宗教
6の
理由によるからである。
中に當時の情況の一端を窺うことの出來る奪い資料が⋮幾多存するという
私見とが混同して誤解を招く逃れが多分にあること、更にはまた重書の
述を紹介したのは、拙い方法では反ってこの畳書の論博とそれに封ずる
師は革命によって既にフランス王は消え、キリスト教自.体も無漸にも破
えしてみると、バルユエル師のいう陰謀の時期と一致するのであるが、
の專制は途に再び回復することが出來なかったQ﹂②し、この点を裏替
宗教とにおいて人民を暗愚ならしめた專制に窮して一撃が加えられ瓢そ
たということは、革命勃獲よりの宗教問題を中心とした諸事件を調べる
壌された後の塵嘘ともいうべきところ位置してこの畳書を書きあらわし
ことによって始めて眞の相が明らかにされうる。
﹁特灌階級は進んで新秩序に服そうとはしなかった。彼らが理論面で
もつてせんとして必死の努力を試みたのは當然であった。か∼る反動が
即ち、畳書の出た一七九七年というと革命はその勃嚢以來、日を追い月
自然灌の哲學に抵抗し、革命的個人主義に代えるに傳統的贋値の宝算を
生れたのは亡命貴族の寒帰であった◎大革命は神の定め給う秩序に封ず
を経るに從って激しくなっていった反転藪的感情及びそれと蓮關して取
法王との和解tを見通す時期にあたり、また直ぐ前にはジヤコバγの
る侵害であると考えることになれたドイツの教慶主義者やイギリスのメ
成就し得なかった諸政策を更に押進めて革命的、共産主義的肚會の實現
られた一連の封王室並びに素意會諸政策が一重行くべきところまで行っ
を圓つたバブーブの陰謀が廊廟して世人を再び驚かしたが、このことは
ソジストに接した亡命貴族たちは、事實十八世紀の唯物論的西夏とあの
ミネが一七八九年忌出面事に果した役割を強調した。﹂①と位置づけら
いて肯定的解答を出し、フラγスのブリー・メーソンとドイツのイルユ
反革命諸勢力にとって、は特にセンセー・シヨナルな事件であった。換言す
ポレオンの擾頭、武力を背景とする支配灌の確立、更には一八〇一年の
れるが、この点を最初に指摘した諸問題を中心に一心深く老察したい。
た後、九四年七月のテルミドールの事件を契機に反動に韓じ、それがナ
成程バルユエル師は十八世紀哲學者たちの論いた理論と大革命との關
ると歴史の大勢は、大革命の期待以上の進展に恐れて、革命によって充分
の一人、バリユェル師はその著﹃ジヤコビニズム史のための訳書﹄にお
係についても述べてはいるが、彼の主眼は理論を実際に蜜現させるため
アジーが指導構を確保するために、急進勢力を排除しようとするや、今
に獲得した自己の政治的、経濟的利釜を最大限に護ろうとするブルジョ
流血、暴戻の革命との間に關係がないかと考え、この疑問に醸して彼ら
に活動した彼ら哲盛者の陰謀︵共同謀議及びその實行︶の面に注がれてお
まで鳴りを潜めていた旧制度下にあって権力の中心であった王灌的、敏
り、彼らの理論もそうした態度から考察され、位置づけられているとい
る諸事業が牽強付會に結び付けられ、圃場者たちの一貫した計画の蝋部
には渦巻いていたのである。バルユエル師はもとより旧勢力の側にあっ
うことが出來よう。だから今日直接的には無關係なものと判然としてい
十八世紀も後天になると、救い難い程に深刻化した旧制度の危様意識
て祭壇の復興を考えたのであるから、バブーブの陰謀置畳には特に大き
をもう一度、 一學に破碑せんとる過激な革新勢力の必死の足掻きがそこ
は上下あらゆる階暦にみられ、旧制度の一大支柱−王室と教會−iの
なショックを受けたものとみることが飾穴るし、また當時の情勢がこの
會的諸勢力がこれに便乗して回復を圖らんとしはじめ、他方それらの壁
腐敗が人心の目に映じた時、即ち旧制度の末期にこの講書は書かれたの
ような陰謀というが如き手段によって攣韓しうる可能を有し、從って世
人も陰謀のもつ力の大なることを充分に知っていたのである。故に陰謀
と見徹されるに到っているのである。
ではない。たしかに﹁その時期︵十八世紀最後の三十年間︶のフランスの
丈化をみると、現送に進歩が行われたことを感ぜすにはおれぬ。政治と
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬︶
Oの
いなる感情的なものを包んで老察されているが、これはバルユェル師個
祭壇側よりみた哲学者たちと革命︵河瀬4
れたものと解することが出盧よう。
そのものに封ずる過敏な反懸が、とりも直さす師の畳書となってあらわ
中に翻弄せられた一面も否定することは出術ないであろう。
人の特殊な立場もさることながら、實に時代の中にあって、その動きの
②出90h巳画匂●ピ9ρの昇鍵ま置・噛
︵OO一一●ρqΦω鉱ω∴O∼2σ・ωOム︶
註①匂90ρqΦωU8さ三富8胃①自。ωUoo鍵ぼ。ω︾o一一識ρ二Φω¢b男鑓口oo
また次に、哲虚者たちの陰謀が祭壇に向けられたが、それは直ちに等
しく王棲への陰謀であると師が断定した点についてであるが、これは先
にも回れたように、師が理想とした︵少くとも實現しうるものと希望し
た︶國家肚會が旧制度の王樺とキリスト教會を二大支柱とするものであ
るから、現實の國家と宗敏の分離というが如きことは全く排斥すべき事
象であった。爾者を再結することが國家︵從って當然その國家は君主制
れに戻るべきであるとし、これを分離せしめたのは哲學者たちの陰謀の
を採るわけであるが︶としては最上のものであり、フラγスは須らくこ
同時に、これを機敏に捉えた彼のプロ。ハγガγデイストとしての面をも
結果によるものとした師の論は、當時の時潮を充分にあらわしていると
八〇一年のナポレオγと法王との聞の協約となってあらわれるが、ナ
良く物語っているものといえよう。やがてこの彼の願いは表面的には一
のではなく、﹁枇會は財産の不亭等なしには存立し得す、財産の不卒等
ポレオγの意圖したものは十八世紀にみられるような爾者の蓮繋に戻す
は宗教,なしには存在せず﹂という猫自の祉會政策に依ったものではある
が、法王側はこれによって失墜した敏禽の信仰上、政治上の威信を再興
するための第一段階と考えたが、こうした爾者の利害、感情の背後に流
れる静かなる大勢は殆んどこ様なものがあったのである。
ルの﹁フラγス考﹂が出て、翼主制への復露を読き、 一八○二年にはボ
從って、バルユエル師の畳書の出た同じ年にはジョゼフ・ド・メスト
ナールが﹁原始立法﹂で理性の限界を指摘したが、それは後に綾くヵ下
にもみてきた如く十八世紀啓蒙哲學に樹する理論的分析乃至反論も、新
りック復興の理論的位置づけの仕事の最初のものであり、師の論には先
理論の建設も展開することなく、專らその實際活動の面、特に革命の陰
謀の計画者としてのそれが表面は資料に忠實ならんとして、その底に大
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