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﹁ や る 気 応 援 奨 学 金 ﹂ リ ポ ー ト

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﹁ や る 気 応 援 奨 学 金 ﹂ リ ポ ー ト
国際政治のみならずさまざまなト
次にもこのような機会があれば、
はそれが足りず悔しい思いをした。
らえると実感した。しかし、私に
﹁やる気応援奨学金﹂リポート
貧困削減支援の最前線で活動
異文化・相互理解の難しさも
ピックで、私なりの主張を持って、
性や戦争時代の歴史について色々
識の差である。先生は日比の関係
話す時に常に感じたことは歴史認
語学学校で日本人以外の人々と
供などの活動に参加した。
て子供たちの情緒教育や食事の提
の教育支援を行っているNPOに
学学校で英語を学び、休日は子供
に行かせていただいた。平日は語
援奨学金」でフィリピン・セブ島
私は二〇一四年前期「やる気応
で楽しく一緒に御飯を食べていた
えているか尋ねたところ、それま
学生に、日韓関係についてどう考
また、仲良くなった韓国人の男子
え、進むべきだ」と言ってくれた。
去として、今の関係を前向きに考
ーカスしているように、過去は過
多くのフィリピン人が経済にフォ
はない。今に生きている。現在、
「みんな過去に生きているわけで
本軍の残虐性に疑問を投げつつも、
るということだ。彼女は過去の日
知らぬ人がいない周知の事実であ
人肉を食らったことは、現地では
力で話す行為をやめてしまうと知
らが事実を知らなければ相手は全
これらの経験を踏まえて、こち
もあった。
れた。中には初めて耳にするもの
いたので、彼は多くの話をしてく
前より距離を縮めることが出来て
び日韓関係の話になった時に、以
とを後悔した。しかしその後、再
感じられ、軽い気持ちで聞いたこ
想像していた以上に反日の感情が
は突っぱねられてしまった。私が
ーコメント」と言われ、私の質問
う」と答えたら、「それならば、ノ
もりだが、すべてではないと思
そのNPO法人でサポートする子
に一緒に付いてきてしまうけれど、
う。子供たちはアクティビティー
と聞くと厳密には許されないとい
遊んではいけないのでしょうか」
解出来ず、NPOの方に「一緒に
と、その子は “ Iʼm not supported.”
と言った。私は初めその意味が理
てみんなと遊ばないの?」と聞く
子が数人いた。近寄って「どうし
しんでいると、輪の中に入らない
公園で子供たちとスポーツを楽
注ぎたいと思った。
解を深められるように勉強に力を
麻莉子 (私立中央大学附属高校)
な話をしてくれた。例えば、その
のだが、いきなり「君は歴史のす
り、しっかりとした知識が基礎に
供の定員が決まっており、財源上、
相手の意見にも耳を傾け、相互理
先生の故郷でもあるフィリピン南
べてを知っているの?」と質問さ
あって、初めて対等に対話しても
NPO活動で支援の厳しさ痛感
部ミンダナオ島で、第二次世界大
れた。「自分なりに勉強してきたつ
語学学校で歴史認識の差を知る
戦中に日本兵が村人を襲い、その
法学部国際企業関係法学科四年 大槻
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たりとも嫌な思いをしなかった。
がお世話になっていたNPOの子
にもなっている。彼女は自分の手
を及ぼさないだろうか、など私は
りも高く持っていたが、私が出会
で一から会社を起業し、経営を成
全員に支援することは出来ない。
とどまることがなかった。NPO
うことの出来た人々が大変親切だ
り立たせていた。しかし、二〇一
供たちが大人になった時の就労先
て自己紹介出来るのも、特定の子
については以前から机上の勉強は
ったからである。例えば、タクシ
〇年、彼女はフィリピンで築き上
危機管理の意識は日本にいる時よ
供たちだけだ。支援の仕組みとし
していたので、今回は「自らの体
ーに乗っていると、急にロックを
げてきたすべてを失った。ダイビ
さまざまな考えを巡らせ、それは
ては、日本人サポーターが子供た
験でNPOの運営や実態を知る」
掛けられたので驚いたら、「君が携
お菓子をもらえるのも、輪になっ
ちの学費・制服代・交通費などを
ということが一つの目標になって
れていくのを見ることよりも、そ
継続的に支払い、その仲介をNP
と言われた。タクシーなどでぼっ
れまで二〇年間付き合ってきた人
ングショップの従業員が店と船を
たくりが多いと言われているが、
に裏切られたことのほうが辛かっ
帯をいじっているから危ないと思
その経験もしなかったし、むしろ
た」と彼女は私に話してくれた。
いたが、想像以上に厳しい現実が
負けてくれさえした。NPOの子
ダイビングショップは再スタート
Oが行う。この状況は考えてみれ
供たちに街に出ると告げれば、「リ
を切ることが出来たが、現在でも、
盗み、その額は二〇〇〇万円に上
ュックサックはおなか側に持って
せっけん工房の従業員に失望させ
って鍵を掛けたよ。僕は仕事中に
!携帯はちゃんと奥にしまって
られることが多いという。どんな
あり、日本のNPOの態勢の限界
!」と注意してくれるし、学校の
に一生懸命に接していても、正式
ば当然起こり得ることだが、支援
先生も親切で、街中の人はみんな
な形で辞めていった子はいないと
ったのである。「目の前で船が盗ま
陽気でにこにこと笑い掛けてくれ
いうことだ。その女性たちは前述
六回も強盗にあったことがある」
て、なんてすてきな国なのだろう
したように、日本人のサポーター
を感じる出来事でもあった。
という思いが胸にあふれた。しか
からの学費支援で就学・就職して
を必要としている人々に提供され
るその支援の輪にさえ入れない子
女性の自立支援をする企業
帰国までの滞在期間、私は一度
し、この国のイメージは帰国前日
きたものの、「日本人はお金持ちだ
金を出してほしいと頼めば大学に
に、一人の日本人女性に出会うこ
その方は、ダイビングショップ
行くことが出来るし、こんな所で
から支援してくれて当たり前、お
と手作りせっけんの工房を経営し
働かなくてももっと良い職業に就
とで一八〇度変わった。
ており、そのせっけん工房は、私
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はどんな思いをしているのか、こ
れから大きくなっていく時悪影響
私の得意なチアダンスを歌とダンスが大好きな子供たちに教えて一緒に踊った
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ける」と文句を言って逃げてしま
援され続けた子は、支援されるこ
ぐになってしまった」と話す。支
長や子供が空港に来
ね。ほかの国では村
そこにはあった。
てくれるのに」と言
良い部屋に泊まらせ
て歓迎してくれたり、
だからこそ、彼
い、翌年から支援を
とに慣れてしまう現状が、確かに
女は従業員に厳
ここですべてを書
やめたという。つま
解出来たが、固
ききることは出来な
しく接し、社会
定観念を持って
いが、とにかく支援
りは彼の支援は自己
しまった大人を
の現場の最前線では
はそんなに甘く
育てることは、
私の想像をはるかに
満足に過ぎなかった
幼い子供を育て
超える問題が絶えず
ないと教えてい
るよりもずっと
起こっており、それ
のだ。
難しいことだと
は利己心や偽善をは
るのだろうと理
思った。
ピンに来た際、
ターは、フィリ
る日本人サポー
とが出来た。あ
問題点も知るこ
行う側の立場の
ためにどうにかしなきゃ!と思っ
真剣さもないよ。困っている人の
ぜか尋ねると、「気負いもなければ
いも感じなかったので、それはな
に、それを語る姿からは何の気負
を続ける。絶対に苦しいはずなの
状況は変わらなくても彼女は支援
何時間もお話を伺って、フィリピ
納得出来る意見だった。ほかにも
実するものだと思うので、心から
は長期的に行って初めて成果が結
事」と語ってくれた。支援の現場
らず、現場を知り続けることが大
細くても長く続けること、偉くな
時やめるのも早いかも知れない。
車輪を足でこぎ、その回転の摩擦を利用して金属を研磨
する
「ここでは何の
ている人はきっと早く太く成功す
ンの人々が持つ独特の気難しさと
らんでいた。そんな
VIP待遇もし
ると思うけど、壁にぶち当たった
また、支援を
てくれないんだ
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うのだ。経営者である女性は、彼
女らは「日本人と接する間にてん
将来の夢を絵に描いて発表し合った
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いった国民性を知ったり、逆に彼
から異なる共同体に飛び込んで何
た。今回は五感・六感を駆使して
ことの大切さを改めて実感したが、
が圧倒的に少ないことも痛感した。
それと共に、机上で養うべき知識
政治を知ることが出来、一年前か
これからは両面から勉強していき
この国の文化、歴史、観念、宗教、
市民社会でもどの現場でも、必ず
ら感じていた疑問がするするとほ
か成そうとすれば、ビジネスでも
とが、私たち日本人には理解出来
起こる相互理解の難しさを表して
らが良かれと思ってしてくれるこ
なかったりと、協働していく難し
たい。
私には学力も知識もなかったけ
どけ、初めて一つの国を深く理解
れど、「やる気応援奨学金」に対す
いると思う。それを肌で感じるこ
した日本人女性との出会いで、私
る、頑張りたい、挑戦したい、と
さを知った。共同体に溶け込もう
はフィリピン社会の「部外者」に
いう気持ちは人一倍あったと思う。
することが出来た。しかし、前述
しかすぎないと知ったことをきっ
この気持ちを買って機会を平等に
との出来る経験になった。
一年前、個人的にフィリピンに
かけに、異文化理解はそう簡単な
与え、私たちの未来に投資してく
と努力してきたものの、私はフィ
は、「二〇年以上一緒に住んでいて
ボランティアに行った際には、短
ことではない、すべてを分かりき
れる、こんなにも素晴らしい制度
ないことを痛感した。しかし彼女
リピン人社会の「部外者」にすぎ
もすべてを分かり合うことは出来
期間ということもあり、表面上の
ることは出来ないと痛感した。そ
活動を振り返って
ない。分かり合えた部分だけを共
世界しか見ることが出来ず、もや
性を重んじ、私たちが自分の力で
有していけば良い」と教えてくれ
は出来るし、すべてじゃなくても
成し遂げられるよう、絶妙なとこ
はここにしかない。先生方は自主
分かり合えたことだけ共有してい
ろまで手を差し伸べ、助けてくだ
れでも極限まで人に寄り添うこと
ければ良いということを知ると、
さった。そのおかげでこの留学で
もやした気持ちだけが残る旅だっ
これから私が社会に貢献出来るこ
大きな達成感やさまざまな経験を
上げたい。なお、フィリピン渡航
とは限られているとしても、やら
私は分からないことがあれば、
は、さまざまな場面で危険が伴う
得ることが出来、次の課題も見え
失礼なことであってもとりあえず
リスクがあり、事前の準備調査を
ないよりはましで、より有効な手
直接聞いてしまうし、行動してし
十分に行うと共に、渡航中におい
てきた。支えてくださったすべて
まうが、今回それで思わぬ収穫が
ても高い危機管理意識を持って過
段を考えていけば良いと前向きに
あったり、新しい出会いを広げる
ごす必要があることを申し添えて
の方々にこの場を借りて感謝申し
ことが出来た。体で感じて学ぶこ
おきたい。
考えられるようになった。
とが多かった私は、行動を起こす
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た。これは、自分が今いる共同体
仲良くなった子供たちとは今でも連絡を取り合う
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