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Title
19世紀後半から20世紀前半の都市計画理念がブリュッセル
の緑地形成に及ぼした影響( 内容の要旨 )
Author(s)
平岡, 直樹
Report No.(Doctoral
Degree)
博士(農学) 甲第178号
Issue Date
2000-03-14
Type
博士論文
Version
URL
http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/2519
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
氏
平
名(国籍)
岡
樹
直
学
位
の
種
類
博士(農学)
学
位
記
番
号
農博甲第178号
日
平成12年3月14日
学位授与年月
学 位 授与
科 及
研究
要件
の
(徳
島県)
学位規則第4条第1項該当
連合農学研究科
び専攻
生物環境科学専攻
信州大学
研究指導を受けた大学
学
位
論
文
題
目
19世紀後半から20世紀前半の都市計画理念
がブリュッセルの緑地形成に及ぼした影響
査
委
員
論
文
主査
信
州
大
学
教
授
佐々木
邦
副査
信
州
大
学
教
授
伊
藤
精
副査
岐
阜
大
学
教
授
松
本
康
晴夫
審
副査
静
岡
大
学
教
授
小
嶋
睦
雄
の
内
容
の
要
博
旨
ヨーロッパの小国であるベルギーの首都ブリュッセルは,19世紀後半にはフランスの
オスマン主義と呼ばれている都市計画から強い影響を受け,ZO世紀前半にはイギリスで
生まれた田園都市の影響を強く受けてきた。本研究論文はこの二つの都市計画理念の受容
と変容のなかで,ブリュッセルの都市形成の独自性がどこにあるのか,緑地形成の性格と
その価値の変遷を通じて,明らかにしようとした先駆的研究といえる。このような試みは
ベルギー本国でも不十分にしかなされておらず,解明されていない。
研究方法だが,都市整備当時の歴史的資料と現在に至るまでのブリュッセル都市研究を
分析し,検討するものである。
研究結果として明らかになったことだが,まず,19世紀後半のレオボルド2世主導によ
る都市整備事業は,その手法や場所,規模などから,次の3時期に分けられることが判明
した。
1)
前期(1859∼)旧城壁内を中心として都市改造がなされた。
2)
中期(1873∼)郊外の環状大通り沿いに良好な市街地を計画した。
3)
後期(1895∼1910)東部郊外への市街地の拡張と緑地整備を行った。
この結果をバリの都市改造と比較することより判明したことは,パリでは都市全体のシス
テムを全域で再構成したのに比べ,ブリュッセルでは統一された都市の形の形成にまで及
んでいない。緑地に関しては,パリではその面積により「森一公園-スクウェア」と序列
を持たせながら数においては小規模なスクウェアをたくさん形成し,しかも市内に′†ラ
ー47-
スよく配置したのに対し,ブリュッセルではもっとも小規模なスクウェアの形成がきわめ
て少ないことが判明した。一方ではソワーニュの森ではパリにはない独自の循環路の形成
を確認している。これらなどのことから,ブリュッセルの特徴は,国威発揚や近代化のイ
メージが特に重要視され,模倣されたことが明らかとなった。
19世紀末にイギリスで提唱され
一部で実際に作られた田園都市(gardercity)だが,
第一次世界大戦(1914-1917)後の住宅不足の解決策としてブリュッセルに取り入れら
れた。研究の結果明らかになったことは,労働者の住宅として,都市所有の制限と協同組
合法式が特に注目されたことである。そして,実行された計画は自立した都市である田園
都市ではなく,都市近郊の緑豊かな住宅地でしかない田園郊外(garden
suburb)だっ
たが,本研究により,該当する場所は22カ所に及ぶことが明らかとなった。そしてそれ
らの計画を進める上での中心人物であるヴァン・デル・スワールメンの計画作品や著作か
ら,田園郊外と公園緑地を撥り込んだ市街地形成による衛星都市を都市周辺に配した,独
自の星状都市の考え方に結実していたことが判胡した。
以上の研究成果は本論文で明らかになったことだが,今後この成果が日本における田南
都市の受容と変容などの歴史的研究にだけではなく,これから計画されていく都市計画に,
計画の考え方の基盤の参考例として,貢献していくことが期待される。
審
査
結
果
の
要
旨
本研究論文は,ヨーロッパの小国であるベルギーの首都ブリュッセルにおいて,19世
紀から20世業引こかけて都市計画がどのような理念の下に行われてきたのか,その点を緑
地(オープンスペース)の面から詳細に明らかにしている。
この研究で明らかになったことは,19世紀後半のヨーロッパにおいてオスマン知事に
よる都市大改造で輝くような近代都市に変貌をとげたパリの都市形態を,隣国である小国
ベルギーの為政者レオボルド2世が首都ブリュッセルに取り入れようとしたが,それが部
分的にとどまったことである。それが,あくまでも為政者主導によるもので,ベルギーの
国威発揚や近代化が主要な目的であり,緑地の整備もそれに添った意義が強調されていた
ことが明らかにされた。バリではオスマン知事によれば衛生改善が組織的な緑地整備の第
一の意薮だったのに比べ,はっきりと違いがあることを明らかにしている。
20世紀,しかも第一次世界大戦後になるが,イギリスで生まれた田園都市(9a「den
city)の考え方が,戦後の深刻な住宅不足に悩むベルギーの建築家たちにより着日された。
結果として建設されたのは田圃都市ならぬ郊外住宅地である田園郊外(garden
suburb)だったが,ベルギーでの研究でも,その定義や整理さえ行われてはいなかった。
この研究により,このときに作られた田園郊外は22カ所と判明した。さらに中心人物の
スワールメンの計画作品と著作の分析により,彼が衛星都市を主要都市の周囲に配置する
星状都市構想を持っていたことを,この研究により突き止めている。さらに,田園郊外の
考え方の中には,緑地の確保のほか,建設材料の規格化など,次の近代建築で実現する考
-48-
え方が,すでに育っていたことをもあきらかにしている。
これらに代表される研究成果は,綿密な資料分析と考証,また現地でのいろいろな野外
調査を必要不可欠なものとして生み出されたものであるが,立派に行い,もろもろの成果
を上げていると評価された。
また,この二つの間にはさまれる19世紀末にあらわれたブリュッセル市民による古い
町への郷愁とそれをいかしたまちづくりの提唱の動きの評価や位置づけ,また20世紀の
田園都市の動きの後に活発になる近代建築の動きから,逆に田園都市の動きの新たな位置
づけをはかったことが評価された。
以上について,審査委鼻全員で本論文が岐阜大学大学院達合農学研究科の学位論文とし
て十分価値があるものと認めた。
基礎となる学術論文
1)
ブリュッセルの都市近代化における国王レオボルドニ世の役割
り,公園整備を中心として-。都市計画論文集
2)
一並木のある大通
no.30,301-306,1995
20世紀初頸においてブリュッセルに建設された田園都市の特徴,ランドスケープ
研究,VOI.61no.5,4S5-458,1998
3)
第一次世界大戦後のベルギーにおいて建設された田園郊外の理念,ランドスケープ
研究,VOl.62no.5,477-48Z,1999
4)19世紀後半のブリュッセルにおける並木のある大通り及び公園整備の特徴,都市
計画論文集,nO.34,331-336,1999
-49-
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