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Page 1 Page 2 334 Studie 廿ber deutSCh一j置diSChe Schriftsteーー
現代ドイッ・ユダヤ系作家研究
遠 山 義 孝
目
次
独文レジュメ
・(2)
1 戦後ドイッのユダヤ系作家群像
・(4)
皿 ユダヤ人問題と現代ドイツの精神的状況
・(4)
皿 文学における「ドイツ・ユダヤ共生」復活の試み
・(6)
】〉 ラファエルゼーリヒマンの『ルービンシュタインのオークショソ』
・(9)
334
Abstract
Studie ttber deutsch−ji’ dische Schriftsteller der Gegenwart
Yoshitaka TOYAMA
Es ist bekannt, daB vor Hitler viele bedeutende Schriftsteller im deutschsprachigen Raum
jUdischer Abstammung waren. Sie waren damals‘‘deutsche Staatsbttrger”jUdischen Glaubens. Aber
wahrend des Nazi−Regimes muBten sie sich durch die Selektion als‘‘Juden in Deutschland”
bezeichnen und wurden verfolgt, d.h. sie durften physikalisch llnd seelisch nicht mehr frei schreiben.
Es war das Ende der BIUtezeit jUdischer Schriftsteller und auch der sogenanntell deutsch−jUdischen
Symbiose wurde damit ein Ende gesetzt.
Nach Auschwitz in detitscher Sprache zu schreiben bedeutet deshalb ftir deutsche jUdische
Schriftsteller, die Sprache ihrer ehemaligen Verfolger zu benutzen. Ihre Leser wohnen hauptsachlich
in dem Land, das ihre Eltern oder sie selbst unter Lebensgefahr Verlassen mu3ten, Diese schwierige
Schreibsituation ist in den Werken der jUdischen Autoren in der deutschen Gegenwartsliteratur
wiederzuerkennen. Bei der alteren Genertion, z.B. bei Elias Cannetti und Erich Fried, ist ein
kritischer Umgang mit der deutschen Sprache zu sehen。 Bei der jUngeren Generation, z.B. bei Maxim
Biller und Rafael Seligmalln, wird Vergangenheit wie auch Gegenwart zu interessanten Inhalten, Bi1−
dern und Strukturen sublimiert, die in der Tendenz deutscher Gegenwartsliteratur liegen oder
darUber hinausweisen. Ich habe diesmal von der jUngeren Generation Rafael Seligmann als For−
schungsobjekt gewahlt und insbesondere seinen Roman:‘‘Rubinsteins Versteigerung”textkritisch
analysiert.
Rafael Seligmann wurde 1947 in Israel als Sohn deutscher Juden geboren. Mit zehn Jahren kam
er nach MUnchen. Nach einer Handwerkerlehre und dem Abitur auf dem Zweiten Bildungsweg
studierte er Geschichte und Politik in Mtinchen und Tel Aviv. Seit Ende der 70er Jahre Tatigkeit als
Journalist, u.a, Chefredakteur der‘‘J{idischen Zeitung”.1982 ver6ffbntlichte er eine Studie“ber‘‘ls−
raels Sicherheitspolitik”. Von 1985 bis 1988 war Rafael Seligmann akademischer Rat am
Geschwister−Scho11−lnstitut der Universitat MUnchen;seitdem freier Schriftsteller. Sein zweiter Ro−
man“Die jiddische Malnme”erschien 1990, Seit Jahren eckt er mit seinen provozierenden Thesen
zum Verhaltnis von Juden und Deutschen bei Wohlmeinenden und Beschwichtigern an. Seligmann,
der sich selbst als‘‘deutschen Juden”bezeichnet, sprach sich z.B. in einer scharfen Polemik(SPIE−
GEL 3/1995)gegen das von der Jourllalistin Lea Rosch forcierte zentrale Holocaust−Denkmal in Ber−
lin aus. Der Roman Rubinsteins Versteigerung geh6rt nach Edgar Hilsenrath zu jenen BUchern, die
man auf einen Zug durchlesen kanr1, es stimmt auch in Ton und Rhythmus und alles ist mit Konse一
一 2
335
quenz durchgefahrt. Er glaubt, datl es ein potentieller Bestseller ist. Der Romanheld Jonathan Rubin−
stein ist einundzwanzig Jahre und hat‘‘noch nicht gev6gelt”, sich nicht mal getrallt,‘‘eine Frau an−
zusprechen”. Die j血dischen Madchen laufen“mit einer Rechenmaschine unter dem Rock herum”,
halten“das Banner der vorehelichen Keuschheit”hoch. Die nicht jtidischen Madchen sollen weniger
prUde sein, dafUr haben sie ein anderes Handicap. Man kann nie wissen, ob nicht Vater odef Onkel in
der SS war.“Ist man als Jude in Deutschland zum Wahnsinn verurteiltP”fragt der Abiturient Jona−
than Rubinsteil1, Bei den entwurzelten deutschen Juden und seiner herrschs廿chtigen jiddischen
Mamme五ndet er nicht den n6tigen Halt, um dem Antisemitismus und der GleichgUltigkeit seiner
Klassenkameraden begegnen zu k6nnen. Rubinstein versteigt sich in kollektiven Ha9 auC die Deut−
schen. Die Begegnung mit eirlem israelischen KZ−Uberlebenden sowie die Liebe zu einer‘‘Schikse”,
einer NlchtjUdin, bereiten diesem Hatl ein Ende:“Da hilft kein Ha9. Weil du alle f“r etwas hassen
ma3test, was nur wenige getan haben−allerdings mit der Duldung vieler.”Es dauert eine Weile, bis
er begriffen hat, datS es auBer einer jiddischen Mamme und Antisemitismus noch andere Probleme
auf dieser Welt gibt. Das schwierige deutsch−jttdische Verhaltnis ist nur mit Witz und Selbstironie
ertraglich. Jonathans Blick richtet sich auf die Zukunft. Es bleibt also eine Ho丘hung, datS das Moment
der deutsch−jadischen Symbiose nicht ausgel6scht ist.
3一
336
《個人研究》
現代ドイッ・ユダヤ系作家研究
遠 山 義 孝
1 戦後ドイツのユダヤ系作家群像
ヒトラー出現以前,ユダヤ系作家がドイッ文学の中に大きな位置を占めていたことは周知の事実で
ある。特にオーストリアにおいてはユダヤ系作家が文壇の主導権を握っていたといってもよいであろ
う。しかし1945年以後は,ドイツ・ユダヤ系の作家にとって事情は一変した。ドイツ語はかつて彼
ら自身を迫害した者達のく仇敵〉の言葉になってしまったのである。それでも戦後まで生き残ってド
イツ語で書き続けた作家には,Anna Seghers, Elisabeth Langgasser, Nelly Sachs, Erich Fried,
Friedrich Torberg, Stefan Heym, Paul Celan, Hilde Spiel, Peter Weiss, Wolfgang Hildesheimer,
Grete Weil, Elias Canetti等を挙げることができる。これらの作家はいわゆるホロコースト世代で,
ナチの時代には既に成人していた。これに対して現代のドイッには,少数ながら戦後生まれの全く新
しいドイツ系ユダヤ作家が育ってきている。その代表老としてはRafael SeligmannとMaxim Biller
が挙げられよう。さらに第2次大戦当時子供であったJurek Becker,その他Edgar Hilsenrath, Bar−
bara Honigmann, Irene Dische, Cordelia Edvardson, Mathias Hermann等もこの若き世代,つまり新
世代のユダヤ系作家に加えることが可能である。本研究課題の下に研究者が特に意を注いだ点はアン
チ・セミディズムを乗り越えてのくドイッ・ユダヤ共生〉(Eine’ deutsch−ji’dische Symbiose)の可能
性を探ることであった。そのためには長い歴史に彩られる「ユダヤ人問題」(Judenfrage)を視野に
入れながら,世界的規模で考える必要があった。戦後の現代アメリカ文学においては,一時期シンガ
ー,サリンジャー,マラマッド,ベロー,ロスのようなユダヤ系作家の活躍が目立ったが,ドイッ語
圏においてはむしろ逆で,戦時体験のノンフィクション(記録文学)は無数に生まれたが,感情の発
露を主体とした創作となるとごく少数であった。数少ないドイッ系ユダヤ作家の作品を渉猟し,モチ
ーフ,テーマ,プロットに共通因数的なものがないがどうかを探ったところ,多くの場合,ナチス時
代の過去との関係を扱ったテーマで占められており,戦後生まれの作家の場合もこの点例外でなく,
相変らず過去の重荷を引きずっていた。
皿 ユダヤ人問題と現代ドイツの精神的状況
戦後のドイツ文学が,文学の上で「過去の清算」に取り組んだことは周知の事実である。ドイツが
第2次大戦後,Vergangenheitsbewaltigung(過去の克服), Entnazifizierung(非ナチ化)の名で呼
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現代ドイツ・ユダヤ系作家研究
ばれる政治・社会運動を推進し,過去の非を近隣諸国に謝罪する過程で,文学者もそれに連動して作
品を生みだしたのであった。この間の辛抱強い努力が認められ,ドイッは特にヨーロッパ諸国から
「新生ドイッ」として受け入れられ,それがEU(ヨーロッパ連合)誕生へ向けての一契機ともなっ
たのである。ところが戦後50年を経た1996年にドイツ人とユダヤ人の関係を負の視点から新たに想
起させる二つの事件ともいうべきものが起こった。Judenfrageの根の深さを思わせるものである。
一つは1996年1月,イスラエルのワイツマソ大統領がドイツを訪問し,連邦議会で行った演説であ
る。この演説はドイッ側に賛否両論を呼び起こし,戦後50年を経てもなお重くのしかかる過去の問
題の意味を改めて問いかけたのであった。ワイツマン大統領はドイツの古傷に触れ「ホロコーストを
犠牲者の名において許すことはできない」と率直に語り,ナチスが殺害した人々が生きていたなら,
どれほど多くの書物が,交響曲が,科学的発明が生まれていたことだろうと述べ「犠牲者は2度殺
された。KZ(強制収容所)に連行された子供として,そして成長するはずだった大人として」とナ
チスの行為を断罪した。旧約聖書のアブラハムの記述に始まり,ホロコースト,パレスチナ和平にい
たるユダヤ民族の苦難の歴史を説き,ネオナチの芽を摘むよう求めた演説は出席した議員たちに複雑
な感動を与えたという。翌日の各紙の社説は「魂を刺すような感動的な演説」から,「彼の診断は誤
りだ。現在のドイッには他国同様の汚点はあるが,民主主義,自由主義,冷静さが基調だ」とドイッ
側のいらだちを示すものまで様々であった。ワイツマン大統領はもともと,ユダヤ人はイスラエルに
住むべきだとの信念の持ち主で,出発時にイスラエル放送に対して「なぜホロコーストの国に,なお
4万人ものユダヤ人が住めるのか理解できない」と発言し,ドイツ内外のユダヤ人社会の反発をまね
いていた。これに対してドイッ・ユダヤ人中央協議会のイグナーッ・ブービス会長は,戦後のドイツ
でユダヤ人が新たな繁栄を享受することの方が重要であると反論し,ドイッ社会の反発を回避しよう
と努めた。この事件は戦後半世紀を経て,ドイツとイスラエル(ユダヤ人)との関係がまだ正常化の
途上にあることを内外に印象づけたのであった。
もう一つの出来事はアメリカの政治学者ダニエル・ジョナー・ゴールドハーゲソ(37歳)の著書
『ヒトラーの意を汲んだ執行者たち。ごく普通のドイッ人達とホロコースト』に関するものである。
この書(Daniel Jonah Goldhagen:“Hitler’s willing executioners−Ordinary germans and the
holocaust−)はゴールドハーゲソのハーバード大学での博士論文が基になっているのであるが,出
版されるやいなやアメリカ本国で大きな反響を呼び,ドイッ社会にもドイッ語訳の出ない前から政治
学老や歴史学者等の学会報告を通してかなり詳しく紹介されていた。その内容は一言で言えば「ヒト
ラーはドイツ国民の総意を受けてユダヤ人殺害を実行した」というものであり,それはナチスの蛮行
をドイッ国民全体に周延させるものであった。これまでにもこの種の主張は何度か繰り返されてきた
のであるが,少なくとも現段階ではすべてのドイツ人がナチであったというような考えは否定され,
この点での啓蒙は終わっている筈であった。したがってドイツ社会も始めのうちは静観していたので
あるが,ついにドイツ語訳が1996年8月に出版されると,(Daniel Jonah Goldhagen:“Hitlers willige
Vollstrecker. Ganz gew6hnliche Deutsche und der Holocaust”, Siedler Verlag, Berlil1,1996;730 Seit−
en)マスコミの格好の話題となりドイツ国民に少なからぬ衝撃を与えたのである。当初ドイツ語訳
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の書名は原…著の“executioners”を字義通り「死刑執行人」を意味するHenkerに置き換えた“Hit−
Iers willfahrige Henker”(『ヒトラーの意に従った従刑執行者達』)であったが,結局“Hitlers wil−
1ige Vollstrecker”に落ち着いたところにも出版社の細心の考慮の跡がうかがわれる。“Vollstrek−
ker”にあたる英語は“executors”であり,一種の遺言執行人を指す言葉であり,死刑執行人とは異
なる。語感がかなりおだやかになった理由は,もちろん副題に「ごく普通のドイツ人達とホロコース
ト」とあるためである。
『シュピーゲル』誌もこの問題で「ヒトラーは国民総意の執行者?」という特集記事を組んで
(DER SPIEGEL, Nr.33/12.8.96),アウクシュタイン社主自らが反論を試みた。これは先のエルンス
ト・ノルテらの「歴史家論争」を再び想起させ,第2の「歴史家論争」に発展する勢いである。
皿 文学における「ドイツ・ユダヤ共生」復活の試み
新世代のドイッ・ユダヤ系作家兼ジャーナリストの一人として注目されているのがラファエル・ゼ
ーリヒマン(Rafael Seligmann)である。 Judenfrageに現代的な解答を試みようと奮闘している彼
の姿に,これからのドイッ文学の可能性の一つが体現されているのではなかろうか。まだ日本ではほ
とんど無名の作家であるが,筆者は彼の将来性に大いに期待している。上述のような状況下でドイツ
人とユダヤ人の奥底に潜む深層心理を創作を通して表現するとき,政治の世界ではなしえない共生,
ひいては平和への契機が生まれ出つることであろう。本研究課題は「現代ドイッ・ユダヤ作家研究」
という広範囲のものであるが,成果報告は複数の作家の表面的な紹介ではなく,ゼーリヒマンに的を
絞ってその作品を分析しながら評論を兼ねた報告をする次第である。
ラファエル・ゼーリヒマソはナチスの迫害を逃れパレスチナに移住したドイッ系ユダヤ人の息子と
して,1947年テルアビブに生まれた。両親はラファエルが10歳の時に彼を連れて,ドイッにもどっ
た。その後彼はドイッで成人し,政治学の学位を取得,ジャーナリスト活動,ミュンヘン大学での政
治学講師等をへて,現在は作家兼ジャーナリスト活動に専念している。1989年自伝的小説『ルービ
ンシュタインのオークショソ』で文壇にデビュー,文体の新しさ,題材の特異性によって俄然注目を
浴びることになった(Rafael Seligmann:Rubinsteins Versteigerung. Roman;Eichborn−Verlag,
Frankfurt a.M.1989;232 S.)。1990年『イディッシェ・マメ』を刊行,さらに1991年には,『限定され
た希望一ユダヤ人,ドイツ人,イスラエル人一』という専門書を発刊している。小説は前2作のみ
であるがテーマはいずれもユダヤ人問題である。現在のドイッ(人口8000万)にはユダヤ人は4万
人(内ドイッ国籍3万)しかいないという。ヒトラー以前のドイッ文学,ことにオーストリア文学
において,ユダヤ系作家の大活躍が目立ったことを思うと,そのよき伝統が断絶してしまったことは
残念である。先述のように戦前生まれのユダヤ系文学者も何人かは現役として活躍しているが,戦後
生まれのユダヤ系ドイッ人作家はゼーリヒマンが最初といわれている。彼自身はあの1920年代末ま
で続いた生産的な「ドイッ・ユダヤ共生」の再現を作家活動の目標にすえている。ドイッでは既に国
内在住外国人総数が600万を超え700万に近づいているといわれる。したがってドイッ文化は今後ま
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現代ドイツ・ユダヤ系作家研究
すます多様化していくものと思われる。このような背景のもとで現代ドイッ文学もその方向を模索し
ている状況である。筆者がセーリヒマンの将来を嘱目しているのも,彼の「ドイツ・ユダヤ共生」再
生の企てを新しいドイツ文学の可能性の一つとして考えているからである。
さて彼の小説2作の内容にふれておきたい。まず『ルービソシュタインのオークション』である
が,全体は34章に分かれ,アビトゥーア(高卒資格)取得をめざす高校生ヨナタン・ルービソシュ
タインが主人公である。ヨナタンを通して第2次大戦後の旧西ドイッでのユダヤ人の生活ぶりが描
かれている。それは社会学的視点からみても興味深いものである。一般的にみてユダヤ人の行動はど
んな些細な行動でも反ユダヤ主義者達の態度に影響を与えずにはおかないようである。アメリカでは
反ユダヤ主義というものは,たとえ全てのユダヤ人がアインシュタインのように賢く,エリー・ヴィ
ーゼルのように勇敢で,ウディー・アレンのように滑稽であろうともなくならないであろうといわれ
ている。だからアメリカではユダヤ人は平気で自分自身をごく自然に批判的かつ皮肉に描いたり笑い
飛ばすことができる。だがドイツではこのやり方は難しい。ナチスの過去の罪業のため両方の側にユ
ダヤ人問題になるべく触れたくないという雰囲気があるからである。
そのためドイツ在住ユダヤ人は不安,順応そして偽善的態度をもってドイッ社会に接することにな
る。彼らのコンセンサスは「特別に目だたぬようにせよ! さもないと反ユダヤ主義者を喜ばすこと
になろう!」である。だがゼーリヒマソはこのユダヤ人社会の支配的なコンセンサスに挑戦し,タブ
ー視されていた感情を小説化した。
Kann man als Jude nirgends so leben, wie es einem paBt−ohne verrUckt oder krankhaft normal
sein zu mUssen?(S.112)
ユダヤ人は自分の思いのままにはどこにも住むことができないのか一いつも極端に正常であれ,
ふっうであれと要求されることなしに一?
これが作者の分身であるヨナタン・ルービンシュタインの疑問である。ヨナタンの行動を中心に全編
ごくありふれたユダヤ人家庭の日常生活が活写されている。この種のユダヤ的家族小説はアメリカな
どではごく馴染みのものであるが,ドイツの場合はそうではない。過去の歴史が加わる点が異なる。
だから対話を巧みに駆使して,超然として皮肉を放っゼーリヒマンの叙述方法がこの作品に若さと軽
快感を与えているものの,全体の内容は重い。若者の特権ともいえる恋愛すら過去のしがらみのため
に自由にならない。結局ヨナタンはシクセ(ドイツ娘)を愛するようになるのであるが,彼女の父親
がSSであったことがわかり,この恋愛は破局を迎える。ヨナタンは彼女の告白を聞いて父親のこと
など関係ないというのであるが,彼女が歴史の重みに耐えられないのである。
Werden uns die Deutschen je ihr schlechtes GeWissen verzeihen?(S.22)
ドイツ人たちは我々が彼らに良心の呵責を負わせたことに対して,いつか我々を許すだろうか?
というのがヨナタンのやりきれない気持ちである。彼は「たとえユダヤ教の宗派であろうとも一人の
良きドイツ人」なのである。それが「俺はドイツ・ユダヤ人だ」という叫びとなって現れる。ヒトラ
ーの時代のように「ドイツにおけるユダヤ人」ではない。この作品によりゼーリヒマンは「ミュンヘ
ン市文学賞」を受賞している。
7一
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第2作の『イディッシェ・マメ』(イディッシュ語でユダヤ人の母親の意)は,いつも自分の前に
立ちはだかる強い母親とあまり勤勉でないプレーボーイとの葛藤がテーマである。冒頭の章で主人公
ザムエル・ゴールドマソは,幼時期を思い出して愛するイディッシェ・マメの優しさを懐かしみをこ
めて讃える。ここで読者は主人公同様作者の術中にはまることになる。実際には,ドイッにおけるユ
ダヤの若者にとってマメ(母親)は母系の強い家族的伝統の仮借なき厳格さを意味するコワイ存在な
のである。だから成人してからも主人公はマメの呪縛からの逃走を試みる。その試みはしぜん他の女
性達に向かい,意の向くままに女を追いかける。ミュンヘソとテルアビブの2都市を舞台にザムエ
ルのゴイ(非ユダヤ人),ハーフジュー,アシュケナージム(ドイツ系ユダヤ人),セファルディム(ア
ラブ系ユダヤ人)の女たちとのエロチシズムあふれる恋愛がくりひろげられる。マメから逃れて主人
公は他の女性を求めるのであるが,しかしどの女性の中にもマメの影が宿っている。だからザムエル
のマメからの逃避行は結局のところ成功しない。
これらの恋愛模様の合間に作者は臆することなくユダヤ人社会の集団タブーをさらけだす。父親の
口を通してマメたちとKZ(強制収容所)の看守たちとを比較する場面は苛酷ですらある。「おまえ
は知っているよね。私が若いときにKZに入れられたことを。それはまさに地獄だった。けれども後
のことに比べれば楽だったよ。そこではナチの親衛隊の連中やカポ(監視員)の奴らが我々のマメた
ちの代わりをしてくれた。この比較は厭わしい,なぜなら我々のマメたちは我々の味方だったが,親
衛隊の奴らときたら我々を苦しめ,抹殺しようとしたのだから。しかし一つだけ家に居るときと同じ
だったんだ,彼らは我々にいつも何をせねばならないかを言ってくれたから」
このようなくだりにかつての収容所体験者達はなんと思うだろうか。またこの国のナチスの残党を
喜ばすことになりはしないか。「それ見ろ,ユダヤ人が自分でそう言っているではないか」と。実際,
処女作『ルービンシュタイソ』発刊後,ゼーリヒマンはユダヤ人社会から,ことに年輩のユダヤ人た
ちから「内輪の面汚し」という非難を浴びていた。
が,彼はひるむことなく,戦後世代のユダヤ人としてまたドイッ人として,両方のアイデンティテ
ィに関わる緊張関係を『イディッシェ・マメ』でもウイットとユーモアを交えながら軽い筆致で叙述
した。そして素朴なスピード感あふれる滑稽味が無邪気な人間的な明るさを醸しだすのに成功してい
る。登場する女は,いずれも力強く魅惑的である。男達は,弱く彼女達の意のままであり,いわば彼
らはマメたちの犠牲老でもある。よくいわれるようにユーデントゥム(ユダヤの伝統)を支えてきた
のは評判の高いラビやタルムードの教師達によってではなく,マメたち,つまり母親達なのであっ
た。その代償が父親や息子達の精神的去勢であると作者は主張するのである。またこの作品にはゼー
リヒマンのイスラエル生活体験が随所に反映している。「約束の地」での生活はザムエルにとっても
まごつくことが多い。ザムエルのイスラエルでの立場は複雑である。ドイッにおけるユダヤ人とし
て,またイスラエルにおけるドイッ人として,彼自身がよそ者なのである。彼は現在のイスラエル内
部にも人種差別が存在することを知る。それはマメの策略で結局は結婚させられることになる恋人の
ザラの身の上に投影されている。彼女はセファルディ(アラブ東洋系)のユダヤ人であり,当地のア
シュケナージの男達からは美人だけど結婚だけはご免だと敬遠されていた。しかしザムエルの心の中
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現代ドイツ・ユダヤ系作家研究
にはそのような先入主はなく,ザラとの間に幸せを見いだそうとするところで物語は終わっている。
『イディッシェ・マメ』は,単に面白いだけでなく,ドイツ人とユダヤ人の融合を,アウシュヴィッ
ッを乗り越えて,ユダヤ人の側から説くという点を含めて,実に啓蒙的な小説である。
】V ラファエル・ゼーリヒマンの『ルービンシュタインのオークション』
この章ではrイディッシェ・マメ』の作品論は割愛して,ゼーリヒマンの処女作『ルービソシュタ
インのオークション』のみを取り上げ,その文体の新しさ,生き生きした会話の展開を具体的に提示
し,Stilistikの面から成果報告をする。この小説は第2次大戦後の西ドイッでのユダヤ人の生活ぶり
を描いたものとしては初めてのものと言われており,また小説の時代的背景は1968年頃と推測され
る。
『ルービソシュタイソのオークショソ』の冒頭の章は次のような教室場面から始まる。
“Guten Tag. Mein Name ist Taucher. Einige von Ihnen kennen mich bereits. Ich werde bis auf
weiteres Herrn Faden im Deutschunterricht vertreten.”
Und ob ich dich kenne!
“Meine Herren, das Klassenzimmer ist mir zu militarisch−exakt geordnet. Wir wollen hier aber
nicht exerzieren, sondern diskutieren und voneinander lernen.”
Sie sieht uns direkt an−auch mich.
‘‘Ich m6chte Sie daher bitten, einerl Halbkreis zu bilden.”(S.7)
「こんにちは。タオハーと申します。何人かの人とは顔見知りですね。当分の間私がファーデン
先生にかわってドイッ語の授業をいたします」顔見知りなんてもんじゃない,俺はあんたのこと
をよく知ってるよ!
「みなさん,この教室はあまりにもきちんとしすぎで軍隊って感じね。だけど私たちはここで教
練をするんじゃなくて,討論してお互いから学びあうつもりなんです」
彼女はもろに我々を見つめる一俺の顔もだ。
「ですから皆さん,半円を作ってくれませんか」
誰も躊躇して先生の横に座らない。そこで主人公のヨナタン・ルービンシュタインが手を挙げて先生
の横へ行く。すると彼の手を握って高く掲げる女教師。突然起こる歓声。ここは男子高校なのであ
る。ヨナタンは恥ずかしさもあって,みんながそんなにも彼女の横に座りたいなら「どうぞ」といっ
て,その席を競りにかける。その結果彼は100マルクを手に入れるのであるが,ユダヤの金稼ぎと言
われ,いたたまれなくなって教室を飛び出す。これが物語の導入部分であり,書名『ルービンシュタ
インのオークショソ』のいわれとなっている。上述のようにこの小説は1945年以降ドイッ系ユダヤ
人作家の手になる最初の小説であり,それはユダヤ人社会の支配的なコソセンサス〈特別に目だたぬ
ようにせよ! そうでないと反ユダヤ主義者達を喜ばすことになろう!〉を眼中においていない。自
己をさらけだすことに対するユダヤ人の不安にも,また反ユダヤ主義者達の免罪を望む欲望にも考慮
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342
をはらわない。それゆえ,このテーマに対して書かれた多くの善意の記録物より,ドイツにおけるユ
ダヤ人の生活の現実の姿にはるかに近づいているのである。ゼーリヒマソは34の短い話の中で,全
くありふれたユダヤ人家庭のごくふつうの日常生活,つまりそれは取りも直さず先鋭化された条件の
もどでの家族生活の恐怖なのであるが,を見事に描いている。
ヨナタンの言動がまたすさまじい。実の母親に“Esel”「ろば;とんま」“dumme Nutl「からっぽ
頭」“alte Intrigantin”「すれっからしの女寝技師」“Giftmischerin”「毒盛り女」等々の悪口を浴び
せる。父親のことを“Zwerg und Schlappschwanz”「小人の意気地なし」と呼んだりもする。両親
は二人とも“Versager, Feiglinge, Duckmtiuser”「落ちこぼれ,臆病,猫かぶり」であり,子供に生
活の原則を教える代わりに,つまりどうしたら生きていけるかを教え込むかわりにノイローゼをうえ
つけたという。ヨナタンは経営学を学んで,それから税理士になってものすごく金を稼ぎたいと思っ
ている。だが彼の行動は「一日中,一物(Schmock)以外のことは頭にない」(vgl. TALMUD:Mit
18unter den Traubaldachin, denn wer mit 18 noch unverheiratet ist, wird den ganzen Tag nur an
Stinde denken.「18歳になったら結婚せよ,なぜなら18歳で未婚の者は,一日中罪なこと(セックス)
しか考えないであろうから」)。それなのにデリケートな胃の持ち主で食事は規則的にしなければなら
ない。母親は彼に煮付け鶏肉がいいか,テラーフライシュがいいかを尋ねる。息子がテラーフライシ
ュに決めると,彼女は「鶏肉の方が胃にはいいんだよ」という。すべてこの調子である。母親はかか
あ天下で,父親は時々泣いており,息子は怒りをこらえて,時折ドアにやつあたりする。全体がまさ
にユダヤ的家族小説である。当然のことながら,この小説はミュソヘンのユダヤ人社会に大きな波紋
をまきおこした。誰もが顔見知りの小さな社会で小説のモデル探しが始まっただけではなく,このよ
うな書が一体全体書かれねばならなかったのか,特にドイッで出版されることが当を得ていたかどう
かに議論が集中した。この国の反ユダヤ主義者達に待ってましたとばかりに格好の攻撃材料を提供し
たのではないかということであった。作老がユダヤ人であるということが,事柄を一層複雑にした。
内輪の恥を曝したというのである。自伝的要素を含んだこの小説は,しかしゼーリヒマンにとって
は,自己のそれまで育ってきた生活,つまり自己の歴史とけりをつけるための試みでもあった。両親
がイスラエルからドイツに戻ったとき,彼は10歳であった。イスラエルの公文書において彼の名は
ヨナタン・イザークであった。その後イザークという名前は幽霊の手によるかのように消えてしま
い,ドイツのどんな記録文書にも現れてこない。
Als wir 1957 nach Deutschland zogen, verschwand der Name Yitzhak wie von Geisterhand, er
taucht auf keiner deutschen Urkunde auf.“Man kann dem Jungen doch nicht diesen Namen
zumuten:Isaak, Itzig。 Dann hanseln ihn alle:Jude Itzig, Nase spitzig, Beine heckig, Arschloch
dreckig.”(S.128 f.)
俺たちが1957年にドイツに移住してきた時,そのイツァークという名前は幽霊の手によるかの
ように消えてしまった。ドイツの公的文書にはどこをさがしてもこの名前は見あたらない。〈ま
さか年端もいかない息子にイザー久イッツィヒ(イザークの愛称)などという名前は名乗らせ
られないよ。そうすりゃあきっとみんなユーデ・イッツィヒ(ユダヤ人イッツィヒ),ナーゼ・
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現代ドイツ・ユダヤ系作家研究
シュピッッィヒ(鼻はとんがり)バイネ・ヘッキヒ(脚はもじゃもじゃ),アルシュロッホ・ド
レッキヒ(この糞ったれめ)と難してかれのことをからかうだろうよ〉
母親は,わが子がドイッでそんな名前をしていたらかわいそうだと考えたのであるが,しかし息子が
それによってどっちつかずの生活に陥ることにまでは考えを及ぼさなかった。なるほどユダヤ人とし
ては目だたないようにするのがよいのだろう。かといって彼はドイツ人としてはドイッ社会に受け入
れられなかった。だから彼は,まだ意識下だけではなく表面的にも反ユダヤ的風潮のあるドイツとい
う国で強く自己主張をしなければならないことになる。ヨナタン・ルービソシュタインは,言ってみ
れば生まれつき他の者達と違っていたと言えよう。作者ゼーリヒマンは過去を20年遡って,この小
説の中でアビトゥーア受験生の数カ月にわたる生活を描いた。かつて彼自身がそうであったように,
同級生達との陰にこもった戦い,偏狭な両親との戦い,そして所々他の全ての問題と重なり合う性的
欲求不満との葛藤がテーマになっている。21歳の主人公はまだ性的体験が無く,女に話しかける勇
気も持ち合わせていない。ユダヤ人の娘達は「スカートの下に計算機をつけて」打算的に男とつきあ
い,婚前は処女のままでというユダヤの幟を高く掲げている。ユダヤ人でない娘たち,つまりドイッ
娘たちはセックスのうえでもっとオープンなのであるが,そのかわり他のハンディキャップを負って
いる。つまり彼女たちの「父親かおじがSS(ナチの親衛隊員)であった」かどうかを事前に知るこ
とができないからである。その他ユダヤ人の両親たちは,子供たちが異教徒と結婚することにものす
ごい恐れをいだいており,「シクセ=非ユダヤ娘たち」“Schiksen”と交際することを好まない。そう
いうわけでヨナタン少年は「我々の両親の偏見というゲットーの中」で成長するのである。作者の分
身ルービンシュタインは,「これらの偏見は客観的にみれば実際ばかげたことだが,彼らが数千年に
わたって余りにも多くのことに耐えてきた結果生じてきたのだから,いまさら変えるわけにはいかな
いだろう」と推量する。それならなぜ彼らはドイッに戻ってきたのか。父親は「以前の故郷」が彼を
引きもどしたから帰ってきたというが,ヨナタンはそうは思わない。「あんたは何処をさがしても見
つからないような最大の挫折者だよ」「あんたはイスラエルで食いはぐれたんだ」と実の父に向かっ
ていう。父フリードリヒ・ルービンシュタインは毎日10時間も身を粉にして「ジルバーファーデン
・ウント・エールリヒマン」社の倉庫で働いている。ヨナタンによれば,それは自分自身で金もうけ
をするかわりにユダヤ人仲間の富の形成の手助けをしているのである。母クラーラ・ルービンシュタ
インからすれば,「彼があくせく働いているのは,おまえが食べて,着て,寝ることができるためな
んだよ」ということになる。「そんなこともう聞きあきたよ」とヨナターンは受け応え,「あんたたち
が俺をイスラエルからこのナチの国に連れてきたことにまで感謝せよというのかい?」と悪態をつく
のである。クラーラとフリードリヒのルービンシュタイン夫婦は,息子のこのような怒りの爆発にた
だオロオロするばかり,なすすべを知らない。なぜなら彼らユダヤ人がドイッに定住することの是非
は実に重い問いであり,だから彼らは自分たちが「自分自身や家族をどんな状況下にもたらしたか」
を理解しようとしないし,理解することもできない。むしろ理解するという行為に必死になって逆ら
う,なぜならそれをすれば彼らの終わりを意味するからである。つまりそれはナチの殺人装置を生き
のびたドイッ・ユダヤ系のわずかな生き残りの者達の自発的かつ道徳的な否定(自殺)の告白となる
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恐れがあるからである。現にドイッに住む彼らにとって大切なことは,「シナゴーグにきちんとでか
け,コッシャー料理を食べ,そして息子達が遊びでユダヤ人の娘たちとはセックスをしてはいけな
い」ということだけであった。その他の点では彼らは他のすべてのドイッ人の両親と変わりなかっ
た。すなわち彼らもいつどんな場合でも子供にとっての最善を望んでいた。
ところでこのゼーリヒマンの小説は,いわゆるユダヤ人の公式的立場を表明するところの ‘‘A11−
gemeine JUdische Wochenzeitung”(「一般ユダヤ週間新聞」)紙上で,文学的視点からではなく戦術
的視点から論評されることになった。つまりゼーリヒマンが「この種の『内輪の恥曝し』をすること
によって,ナチの時代(1933年から1945年)の行為の申し開きができるものならいかなる形の免罪
であろうと進んで受け入れるつもりの非ユダヤ系読者層,つまりドイツ人達に取り入ろうとしてい
る」のではないかと疑ったのである。おそらく現在の諸条件のもとでは,一人のユダヤ人受験生(ヨ
ナタン・ルービソシュタ・イソ)の告白さえ歴史の重荷から免れることができない。小説の中で彼に対
してなされる非難はものすごいものである。例えば歴史の授業でdie Endl6sung”(「最終解決」)が
取り扱われる。すると思いもかけないような質問が飛び出す。ユダヤ人問題に対するありきたりの啓
蒙は,かえって事の重大さを相対化させてしまう恐れのある事を物語る一節である。その危険性をヨ
ナタンの強烈な内的独白の中に読み取ることができよう。
Aber was soll ich antworten, wenn ich zum zwanzigsten Mal gefragt werde, ob es nicht doch>nur
vier Millionen<waren, die>daran glauben mutSten〈? Oder ob>die ganze Vergasung nicht ein
ji’discher Schwindel ist, um Geld aus Deutschland zu holen〈?(S.22)
しかし俺は何と答えたらいいのか,20回も「殺された」のは「たったの400万人」だけだったの
ではないか,とかあるいは「ガス室の皆殺しの話はドイッから金を取るためのユダヤ人のでっち
あげじゃないのか」と尋ねられたとしたら?
ヨナタンにとって「この世にはユダヤの母親と反ユダヤ主義の他にもまだ他の諸々の問題がある」こ
とを理解するのには暫く時間がかかるのであるが,しかしこの二つの事柄が何と言っても彼の生活を
支配しているのである。たしかにアメリカの作家フィリップ・ロスのrポートノイの不満』以来,今
ではジューイシュ・マザーが息子達のリビドーにものすごい影響を与えることが知られている。いわ
ゆるマザー・コンプレックスである。ヨナタン・ルービンシュタイソもこの点では例外でない。彼は
「意気地無しのユダヤの息子としてのテスト」に見事に合格したのであるが,それは同時に「恐妻家
のユダヤの夫としての資質を有している証であった」。彼は自分が自分の父親のようになることを早
くも知っているのである。それにしても父親の「絶望への勇気」は大したものだ,「何と言っても彼
は“Esel”(エーゼル)とベットに行くことをなしとげたんだから」とヨナタンはこの点だけは感心
している。またヨナタソは,母親がそのテロ的とも言えるほどの世話をこの先もやき続け,あまつさ
え彼の結婚初夜の晩に側にいて「俺の妻にクレープと紅茶を差し出す」としても驚かないだろうと思
っている。
そのような思いが,厄介なことを引き起こすのである。例えば,口うるさい全能の母のつかの間の
留守を狙って女友達を自分の家にやっとのことで連れ込むことに成功したのに,細心に計画されたセ
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現代ドイツ・ユダヤ系作家研究
ックスの初演は破局に終わるのである:“Nun, da es endlich so weit ist, la3t einen der eigene
Schmock im Stich……”(「ようやくやるところまできたのに,今度は息子が立たないなんて……」)。
ヨナタソはいたたまれなくなって愛読書のカフカの一節を彼女に読ませる。「ひとがインポテソトだ
からこそ,文化というものは生じるのだろうか? ひとは交尾することができないから,読んだり,
書いたりするのだろうか?」。とにかくその因果関係がどうであろうと,ラファエル・ゼーリヒマン
がピリッとさびのきいた処女作を世に送り出したことは確かである。特に超然として皮肉を放つ叙述
方法はこの作品に爽快感を与えている。作者の分身であるヨナタン・ルービンシュタイソは英雄でも
なければ,模範的人物でもない。彼はあのすごく賞賛されるところのドイッとユダヤの共生(Sym−
biose)の新しい人物像といえよう。それは正確な観察力と賢明な考えをもった好感のもてる弱気な
男であり,「遺憾ながらたとえユダヤ教の宗派であろうとも一人の良きドイツ人」なのである。それ
はドイッ人に憎悪を燃やしながらも,心の底では公平にドイツ人に接している主人公の姿にはっきり
と現れている。我々日本人が「過去の清算」に逡巡してきた結果,それが外国人の目にどのように映
っているかが知れるくだりを引用してみよう。これはまた既述のゴールドハーゲンの書『ヒトラーの
意を汲んだ執行者たち。ごく普通のドイッ人達とホロコースト』とも関連する箇所であり,ドイッ在
住のドイッ・ユダヤ人作家の目はゴールドハーゲンとは違って,単純なる普遍化を避け,正鵠を射て
いる。つまり現実の生活を通しての知識・体験が生かされているのである。
Du hast eine weitere Eigenschaft mit deinen deutschen Landsleuten:ihren Masochismus, ihr
schlechtes Gewissen nach der Tat. GewiB, was die Kerle mit den Juden gemacht haben, war ein−
malig. Aber die TUrken haben den Armeniern ahnlich getan, und die Japaner den Chinesen. Doch
keiner hat sich nach vollbrachter Tat so zerknirscht gegeben wie die Deutschen.(S.127)
おまえはドイッ人たちとさらなる特性を共有している。その特性とはかれらのマゾヒズム,つま
りしでかしてしまった行為の後でかれらが感じている良心の呵責である。たしかに連中がユダヤ
人に加えた残虐行為はひどかった。だがトルコ人もアルメニア人たちに,また日本人も中国人に
同様なことをしているのである。しかし起こってしまった罪業の後で,ドイッ人ほど深くその罪
を悔いている国民はどこにも見当たらないのではないか。
ここには作者のドイツ人に対するアンビヴァレンッな心情の発露がある。本来ドイッ・ユダヤの共生
は意識的に目指されて出現するものではなく,このヨナタンの例のように自然の流れの中で生じてく
るものであろう。ドイツ・ユダヤ共生など存在しなかったという見解もあるが,確かにどこまでがユ
ーデントゥム(ユダヤ的属性)で,どこまでがドイッチュトゥム(ドイッ的属性)かなどと区別する
のは,あまり意味があることではないだろう。「共生」という場合,それは既に両者が融合している
状態である。メンデルスゾーソの音楽にしても,ユダヤ音楽の伝統が特別にあったわけではなく,時
にユーデントゥムを取り入れ,そして完成してみればドイッ・ユダヤの共生があったということであ
ろう。ただし歴史的に見れば,商人とか職人などの仕事の上で競合することの多い庶民の段階では,
ドイッ人はユダヤ人をよそ者と感じていたようである。だからネガティヴに走ればアンチセミティズ
ムに,ポジティヴに動けば共生に,という具合で非常に複雑で,この小説の主人公のように,一人の
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人格の中にユダヤ的要素もあればドイツ的要素もあるのである。理想は自然にまじりあうことといえ
よう。それがこの小説の最後尾の“lch bin ein deutscher Jude!”(「俺はドイッ・ユダヤ人だ!」)と
いう叫びとなって出現する。この一文は外面上もイタリック体で強調されており,全体を象徴する
Sentenz(結語)となっている。それはとりもなおさず,ヨナタン・ルービンシュタインの「すべて
ドイツ的なものに対するルサンチマン」克服への試みの結論であり,新たな出発への証でもある。換
言すれば,ドイッに定住することを決めたユダヤ人は,このドイッという国と同化していくのがよろ
しい。ドイッに住んでいるユダヤ人は再びドイッ人意識をもつべきであるという宣言でもある。
振り返ればナチス以前には,ユダヤ系ドイツ人作家がドイッ・オーストリアの文壇の主流を占めて
いた。それはユダヤ人がAssimilation(同化)によって無意識のうちにドイッ人として生活していた
ことと大いに関係がある。彼らが亡命した後,いくらかの亡命文学は生まれたものの,戦後は往時の
隆盛は戻らなかった。なぜならドイツの地に当のユダヤ人がほとんどいなくなってしまったからであ
る。したがって「ドイッ・ユダヤの共生」復活は物理的に現在ドイッに定住しているユダヤ人に期待
する以外に道はない。作家ゼーリヒマンは日頃,ドイッ人もユダヤ人も過去にではなく,現在と未来
に目を向けるよう訴え続けている。『ルービンシュタインのオークション』もこの観点に立ってかつ
この文脈の中で書かれている。だからこそこの小説は読者の心をとらえるのであろう。そしてそれは
同時に,ヒトラー後,つまりアウシュヴィッッの後でもdeutsch−jUdische Symbioseの可能性の火は
消えてはいないことを雄弁に物語っているのである。
(とおやま よしたか)
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