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ケニアのバラで日本を元気に 「アフリカの花屋」
東 ア フ リ カ・ ケ ニ ア の 農 業 ビ ジ ネ ス 探 訪 「アフリカの花屋 」 代表 萩生田愛さん インタビュー (聞き手・田中真知) 昨年秋のケニア取材で、紅茶とともにケニアの輸出産業の軸をなすバラ生 かというテーマなどを議論しまし 助は先進国の押しつけなのではない ケニアに半年滞在しました。初めて 動 を 行 っ て い る N G O に 参 加 し て、 保健研修、環境問題を対象とした活 ケニアのバラで日本を元気に 産の現場についてリサーチしていたところ、ケニアのバラの輸入販売を最 のアフリカでした。到着して2日目 ですが、水も電気もなく、泊まると きて、なにかの形で関わりたいと思 ただ、その前にまず一人前の社会 ころはコンクリートの小屋で、中は た。その中でアフリカが気になって は ぎ う だ めぐみ 人になりたいと思って、帰国後は製 ベッドと蚊帳だけ。最初は驚きまし 近はじめた日本人ベンチャー起業家がいることを知った。2012年に立 薬会社に就職しました。仕事は楽し たが、翌朝夜明けとともに鳴くニワ には活動を行っている村に入ったの く、上司や友人にも恵まれ、とても トリの声で目が覚めて、ああ贅沢だ いました。 充実した会社生活でした。そんなと なと思いましたね。 に薬を寄付するというプロジェクト その ―― ときには将来こういうこと をしたいという方向性は考えて き会社がWHOと提携してアフリカ ち上げた「アフリカの花屋」の代表・萩生田愛さんである。 1980年代からイギリスやオランダの主導のもとにはじまったバラ生産 は、主にEU諸国に輸出され、いまやケニア経済の屋台骨を支える重要な 輸出産業となっているが、日本にはほとんど輸入されていなかった。初め NGO活動の中でケニアに関わっていた萩生田さんは、ビジネスによる貧 困問題の解決というビジョンのもと、インターネット上でケニア産のバラ の輸入販売を行う「アフリカの花屋」を立ち上げた。起業のきっかけ、事 業展開、ソーシャル・ベンチャーとしての抱負などをうかがった。 いと思っていた自分の会社が、アフ を始めたんです。アフリカと関係な も と、 ど の よ う な き っ か け で ア いたのですか。 私は学校建設のためのコーディネー か、そのきっかけを見つけたかった。 自分がアフリカとどう関われそう す。 喜 怒 哀 楽 を と も に す る こ と で、 に困っているかを知りたかったんで いいえ、まずは現地の人はどうい リカとつながった。それで刺激を受 たのですが、そこで全米の学生が集 る仕事がしたいと思って、2011 フリカに関心を持たれたのです 日本人にはまだすごく遠いとイ ―― メージのあるケニアですが、そ まって世界の問題について議論する そうです。ケニアの田舎で教育と ―― それ でNGOに参加されたので すか。 うことに幸せを感じ、どういうこと けて、自分もアフリカとじかに関わ こから切り花、それもバラをヨー 模 擬 国 連 と い う の が あ っ た ん で す。 年に7年勤めた会社をやめました。 か。 ロッパより距離的にずっと 遠 い そこで世界には1日1ドル以下で暮 援助や ボランティアへの疑問 日本に輸入するとはその思い らしている人たちがいることや、援 私はアメリカの大学に留学してい 切 っ た 発 想 に 驚 き ま し た。 も と 農業経営者 2013 年 11 月号 11 番外編 ケニアでは、ウィークデーは村で て い る の で、 援 助 を も ら う た め に、 しにきます。村人たちもそれを知っ くさんの国際団体がプロジェクトを 貧しい村や困っている村には、た にはバラがないのかい?」といわれ 議そうな顔をされ「バラだよ、日本 何の花ですか?」と聞いたら、不思 す。思わず売り子の男性に「これは 花があるのかと衝撃を受けたんで 模様といい、こんなにゴージャスな 12 農業経営者 2013 年 11 月号 ターをしていたのですが、やはり貧 ロビで映画を観たり、ショッピング をしたりして過ごすという生活でし NGOの活動に携わり、週末はナイ 就学率が低い。子どもが家計を支え た。そのナイロビのアパートの隣に 親に職業がない村ほど子どもたちの るために働かなくてはならないから 花屋さんがありました。花屋といっ 困は大きな問題だと感じました。両 です。逆にいえば、親に職があれば、 てもテントの下で、バケツに切り花 ですが、その中にすごくきれいなバ 子どもは学校へ行ける。雇用機会を ことを痛切に感じました。それと同 ラがあったんです。私は生け花の師 を生けてあるだけの質素なものなん 時に、ボランティアや援助のあり方 範の免状を持っていて、花に関わる つくることがなにより大事だという に疑問が湧いてきたんです。 機会は多かったのですが、こんなバ ラを見たのは初めてでした。 大きさ、 それぞれの団体のやり方に合わせる ま し た( 笑 ) 。 で も、 そ れ ま で 自 分 鮮やかな色、グラデュエーションや んですね。村の人たちが本当に困っ が知っていたバラと同じとは思えな 疑問というと? ―― 村人の方が団体のやり方に合わせ て い る こ と を 解 決 す る の で は な く、 いほど、びっくりしたんです。 それからネットでケニアの切り花産 ラ が あ る な ん て 知 ら な か っ た の で、 はい、ケニアにこんなきれいなバ それ ―― がバラとの出会いだったん ですね。 る。でも、それで一時的に学校は建っ ても、雇用機会が生まれるわけでは ないから、結局、いつまでたっても 村人が自立する力にはならない。で も、どうすればいいのかわかりませ んでした。 ケニアのバラ と の 出 会 い ケニアのバラがたいへん品質がよく 業について調べてみました。 すると、 萩生田 愛 ■プロフィール(はぎうだ・めぐみ) 1981年生まれ。カリフォルニア州立大学を卒業後、製薬会社に 入社。6年間勤務の後、NGOのボランティアとしてケニアへ渡り 半年滞在。そこで大きな珍しい模様のバラと出会う。日本へ帰国 後、2012年10月、ケニアのバラを直輸入して販売するオンライン ストア「アフリカの花屋」を開設。 3 1ボ ランティア時代にはケニア ■ の村で学校建設にあたる。 2「 アフリカの花屋」のモデル となったナイロビの花屋さ ん。 3ケニアの花農家の家族と。 4作業場で働く女性。 4 ■ て、オランダを初めヨーロッパ諸国 いいえ、経営をした経験などない なにもわからないゼロの状態でし ので、どこから始めればいいのか見 とから、ケニアを初め東アフリカが た。でも、あまり深く考えず、自分 に大量に輸出されていることを知り バラ栽培にきわめて適した生育環境 のできる範囲内で前向きに取り組も 当もつかなかったですね。輸送、関 で あ る こ と も 知 り ま し た。 し か し、 うと思い、まずはケニアに住んでい 税、 検 疫、 顧 客 の 開 拓 に つ い て も、 ヨーロッパでは広く知られているケ る友人に小口からでも輸出してくれ の差が大きくて、日照時間が長いこ ニアのバラなのに、日本にはほとん る 生 産 者 を 紹 介 し て も ら い ま し た。 ました。標高が高くて、昼夜の寒暖 ど輸出されていなかった。商社経由 インド系ケニア人で、 年前から一 で日本の市場に卸されてはいるので すが、お店では、産地のわからない です。その生産者の方にサンプルを 家でバラ栽培の農場を営んでいる方 送ってもらうところから始めまし た。 た。そしてNGOとの契約が切れた か。そう思うとわくわくしてきまし ウィンの関係が築けるのではない せ ら れ れ ば、 双 方 に と っ て ウ ィ ン 係ではなく、ビジネスとして成立さ ます。それを援助という依存的な関 仕事があれば、子どもは学校に通え だちや、友だちの友だちという身内 したんです。お客様のほとんどは友 という2日間のイベントで対面販売 木公園で行われた 「アースガーデン」 バラを、昨年の6月末に東京の代々 えずは送ってもらった2500本の 法も思いつかなかったので、とりあ いえ、どうやって売ればいいか方 最初 ―― からネットでの販売だった のですか。 半年後、日本に帰国して、起業の準 売り切るのは難しいし、残った花を 残ってしまった。かぎられた日数で れにもかかわらず半分以上が売れ くよくて大盛況でした。しかし、そ が中心だったのですが、評判はすご ることができるかもしれない。親に 作って、貧困問題の解決の一助とす か。そうすればケニアに雇用機会を ければ日本でも売れるのではない ア産のバラと銘打って付加価値をつ こんなにすてきなのだから、ケニ 状態で売られているんです。 14 備を始めました。 具体 ―― 的にどのように事業化しよ うというプランはあったのです か。 農業経営者 2013 年 11 月号 13 東 ア フ リ カ・ケ ニ ア の 農業ビジネス探訪 ケニアのバラで日本を元気に 番外編 1 ■ 2 ■ (Ⓒnaoko sakuragi) うちに発送します。 が間に入ると、国内でももっと ね」といった感想をよくもらいます。 てくれるので思ったより簡単でし が、わからないことは係の方が教え のことなどなにも知りませんでした ネットショップだと買ったらそれっ や お 歳 暮 と い っ た お 祝 い。 ふ つ う 父の日や母の日、結婚祝い、お中元 はりプレゼントが多いです。 誕生日、 半々でじつに幅広いです。用途はや 14 農業経営者 2013 年 11 月号 処分するのももったいない。それな オープンしました。輸入は月1回で、 流通に時間がかかります。遠い 農場からナイロビの空港までは2 バラというとヨーロッパの花という た。そのあとは日本橋の花屋さんを きりというケースがほとんどだと思 5 ■ 6 ■ ら 在 庫 を 抱 え な く て も い い よ う に、 先行予約の販売方式にしたほうがい する ―― と最短だと農場から日本で の発送まで 時間程度なんです ね! ひょっとしたら国内より いのではないかと思い、仕切り直し をしてウェブサイトを立ち上げ、昨 速いですね。市場や小売店など 集まった注文を農場に発注するとい 逆の迅速さですね。お客さんの、 反応はどうですか。 やはり日本の方が一般的にもって いるバラのイメージとは大きくちが 「こんな大きなバラが存在するなん うので、初めて見た方は驚かれます。 ますが、実際にはどのくらいか て初めて知りました」とか「こんな 時間弱で、ケニアからエミレーツの りされますね。 る、ということに、みなさんびっく んなきれいなバラがつくられてい イメージが強いので、アフリカでこ 時間です。羽田着は夜中の0時 時半には荷物が出てく お客様は個人が中心ですが、高校 ています。 るので、自分で通関や検疫をすませ 生 か ら 年 配 の 方 ま で、 男 女 も ほ ぼ 使わせてもらって、注文に応じてア 4 レンジメント作業をして、その日の て朝の 時には受け取れます。検疫 1 分で、それに間に合うように待機し 1 便でドバイ経由で羽田に着くまでに に元気で鮮やかなバラがあるのです かるんですか。 ケニ ―― アから生鮮品を送るという と時間がかかるイメージがあり 「アフリカの花屋」誕生 アフリカというイメージとは真 年 月にオンラインショップとして 24 う形です。 10 18 7 5色 とりどりのケニアのバラ ■ (マリクレール、カルーセ ル、アアニャ)。 6グ ラデュエーションが美し いマリクレール。 7出 荷前夜の彩り豊かな花束 たち。 (Ⓒnaoko sakuragi) ろにされているというイメージ 境汚染といった問題がないがし 一般 ―― 的にアフリカというと、い までも労働搾取や非効率性、環 くらむのではないかと思います。 と、お客様としても想像力や夢がふ てバラを育てているのかがわかる す。どんな人が、どんな思いを込め ちの写真などを随時掲載していま 上ではケニアの農場や生産者の方た ピーターも多いです。ホームページ 礼のメッセージをくださる方やリ うのですが、うちの場合、感想やお せんね。 根強いですが、そんなことはありま は遅れているというイメージがまだ ていますね。一般的には、アフリカ 支援のための公的制度なども充実し 業なので、スモールファームの自立 も、バラはケニアにとって重要な産 なりちがうんですが、いずれにして もよるので、農場ごとに雰囲気はか それは農場のオーナーのポリシーに の4割を負担しています。もっとも 場には社食もあって、会社が食事代 の労働者が働いているのですが、農 ます。いま全部で1200人くらい 水の浄化システムなども設置してい てきなバラで日本の人たちがハッ ます。そして、なによりケニアのす しでも高めることができればと思い 売を通じて、ケニアの雇用機会を少 きます。あと、やはりバラの輸入販 形にしていくかはこれから考えてい いっている面があるので、どういう えないビジネスモデルだからうまく たい気持ちはありますが、在庫を抱 いう形で展開しています。店を持ち 横浜の赤レンガで対面販売を行うと どき表参道ヒルズと日本橋とたまに いまはネット販売が中心で、とき 産現場を見ても、トレーサビリ 思います。 ピーな気持ちになってくれれば、と インタビューを終えて 8 ■ 9 ■ 8ナイバシャ湖の農場。標 高2000メートル近い高 地に位置し、一年を通じ て涼しい気候に恵まれて いる。 今後の展望や課題は? ―― がありますが、実際に紅茶の生 ティーや品質管理が行き届いて いまだネガティブなイメージで語られがち なアフリカだが、バラの品質や生産の現場ひ とつとってみても、遅れているどころか技術 的にも生産管理の上でも日本より先を行って るのではないかと思わされる現実がある。も ちろんアフリカにはまだまだ闇はあるが、こ うした光の面もあることをもっとアピールし ていく必要があるのではないか。 本誌の昆編集長によれば、「日本のマーケ ットとほとんど競合しない大輪のバラという ニッチな品に目をつけたところも素晴らし い」という。 一部のフェアトレードのように「可哀相だ から買う」のではなく、 「品質がいいから買う」 という当たり前のビジネスが、結果的に現地 の雇用を促し、持続的な産業として発展して いくきっかけとなる。「アフリカの花屋」の 試みは、そんな健全なビジネスモデルのあり 方を示しているように思う。 いるところは少なくないですね。 バラにしてもこれだけ高品質な ものを生産するだけのノーハウ と仕組みがあるわけですよね。 そうだと思います。うちが契約し ている農場でも品質管理や人材育成 にはとても気を遣っています。イス ラエルやフランスから技術者や人材 育成の専門家を呼んで週一で生産者 向けのレクチャーを行ったり、労働 者のモチベーション・コントロール にも積極的に取り組んでいます。女 性の経済的自立を促そうという意識 も高い。環境汚染にも配慮していて、 農業経営者 2013 年 11 月号 15 東 ア フ リ カ・ケ ニ ア の 農業ビジネス探訪 ケニアのバラで日本を元気に 番外編 9作業場ではバラの規格を そろえたり、冷やしたり する。陽気な音楽が流 れ、みな楽しそうに働い ている。 (Ⓒnaoko sakuragi)