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障害者差別解消法と発達障害学生に対する合理的配慮

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障害者差別解消法と発達障害学生に対する合理的配慮
平成 27 年度全国障害学生支援セミナー専門テーマ別セミナー【1】
障害者差別解消法施行後の発達障害学生への支援を考える
(筑波大学障害学生支援室/五味 洋一)
「障害者差別解消法と発達障害学生に対する合理的配慮」というタイトルでお話します。
この時間では、30 分の中で、法律や対応指針等を引用しながら、支援の考え方や、法律で
求められることは何かを整理をする時間としたいと思います。
まず、基本ですが、権利条約があって、そこから障害者差別解消法が制定された流れや背
景。
それから、障害者差別解消法の重要事項を確認することで、実際に支援や体制整備を考え
るとき、どう考えればいいか、悩むところもあります。
法律に照らし合わせながら、重要なキーワード、合理的配慮や差別的取り扱い、過重と言
われる正当な理由、そこら辺について解説します。そしてまとめとなります。
最初の話題です。
背景です。
大本は、国際障害者権利条約で、同じように国内法の上に基づくものです。
日本は 2014 年 1 月に 140 番目として批准しています。
日本では国内法を整備し、その上で、批准という形をとりましたが、権利条約にあわせて、
国内法を整えて、そして法律に基づいて、我々も考えて動いていかないといけない。
来年 4 月から施行です。
参考までに、批准国の状況ですが、2015 年 7 月現在、世界 156 か国が条約を批准していま
す。
背景となっている、障害者権利条約の内容から簡単に紹介します。
まず 24 条、教育のところです。
合理的配慮が障害者に提供されることが確保される、これが権利条約の項目で書かれてい
ます。
次に定義です。
合理的配慮の否定を含むとあります、又、必要かつ適当な変更及び調整であって、過度な
負担を課さないもの、とあります。
この辺は、この後、丁寧に説明していきたいと思います。
こうした権利条約を踏まえ、国内法として障害者差別解消法が作られています。
不当な差別的取り扱いにより、障害者の権利利益を侵害してはならない、差別の禁止の規
定です。
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2 番が合理的配慮の規定です。
意思表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利
利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、
社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的配慮をしなければならない。私立大学の
場合、事業者という扱いになりますので、合理的配慮をすることが「望まれる」、努力義務、
という形になっています。
あわせて、国立大学、行政機関、学内でどう対応するか、対応要領作成が義務付けられて
います。
一方、私立大学の場合は事業者扱いということで「対応指針」です。
指針に基づいて、内容が改正されたり、内容を文部科学省で検討していくことになってい
ます。
私立大学は合理的配慮は努力義務です。
地方公共団体、公立大学では、対応要領は努力義務です。
基本的には「差別禁止」は国立大学でも私立大学でも企業でも変わりありません。
ここから本題です。
実際に差別解消法の指針を作っていく中では重要事項がいくつかあります。
ここでは「障害者」「差別的取扱い」
「合理的配慮」について考えます。
まず、障害者の考え方。
大学等における対象者にはどういう人が含まれるか。
もちろん学生です。これが一番、どなたでもイメージがつく対象です。
それだけではなく、特に国立大学、筑波大学の場合、附属の病院や、附属の学校が 11 校あ
ります。
また、附属の図書館もあります。
付属施設の利用者も障害者の範囲に入り、差別は禁止ですし、国立大学では合理的配慮の
提供が義務になります。
提供するプログラム、例えば、公開の講演、あるいは免許更新講習をやっている大学もあ
ります。
こういったプログラムの参加者も対象になります。
実際、筑波大学でも対応要領の作成を進めています。
附属の施設の関係者にも集まっていただいて、協議を重ねているところです。
対象となる障害者の考え方とは、
障害者基本法……身体障害、知的障害、精神障害者(発達障害を含む。)その他の心身機能
の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相
当な制限を受ける状態にあるもの、です。
もう 1 つ重要な但し書きがあります。
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いわゆる「障害者手帳の所持者には限られない」ということです。
実際に手帳を持つ、ということは障害福祉のサービスを受けるために取ることが多いので
すが、それを今まで必要としてこなかった人は持っていないこともあります。
ここの障害者に何を含むかで、実際に悩むのが、グレーゾーンの方をどうするか、という
ことです。
私たちのところでは受診はしたけれど確定的な診断がつかなかった方は、実際の支援の対
象に入っています。
発達障害の診断は、いろいろな診断基準があって、全てを満たしていないとつかなかった
り、あるいは発達の早期に特徴が表れているというのがあるので、小さい頃の情報がうま
く取れないことがあります。
ドクターのところにいっても確定的な診断がとれない。
このあたりは、筑波大学にコンセンサスがあるわけではなく、私個人の考え方ですが、受
診にいって、いろいろな状況で確定的診断を付けるのは難しくても、明らかに特性があり
本人のニーズがあれば、ある程度、障害学生支援の枠組みで考えていって良いと思ってい
ます。
ただ、受診もしていないケースは少し別かなと思っています。
参考ですが、障害のある教職員はどうするのかというと、これは差別解消法ではなく、改
正障害者雇用促進法で規定されています。国立大学、私立大学などで違ってきます。
次の話題です。
大学等での「差別的取扱い」をどう考えるかです。
法律が禁止する障害者の権利利益の侵害で、対応指針のことです。
障害者に対して、正当な理由なく、障害を理由として、財・サービスや各種機会の提供を
拒否する又は提供に当たって場所・時間帯などを制限する、障害者でない者に対しては付
さない条件を付すことなどによる権利利益の侵害である。
「差別的取り扱い」の例としては、機会と提供の拒否、時間や場所などの制限、条件をつ
ける、といったことがあります。
分かりやすい例として、障害があることを理由に受験を拒否する。または、授業の実行を
拒否する。といったことがあります。
「障害があるから」という理由で拒否することは、機会の提供の拒否になります。
あるいは、この時間帯はどうしてもサービス、サポートがつけられないので、あなたが受
けられる授業はこれだけだというように、受けられる授業を制限することも、場合によっ
ては差別と取られるかもしれません。
又、間接差別の例として、視覚障害者に対して、正当な理由なく、点字による試験をしな
いというものもあります。
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次は「正当な理由」の考え方です。
条文に「具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要」とあります。
明確にここにハッキリとこれが正当な理由だと書けるわけではありません。
個別、状況によって違うわけです。
ただし、あくまでその理由は、総合的、客観的ということが重要です。
要するに、「説明が付くこと」と考えれば良いと思います。
授業の受講の拒否を考えると、障害のある学生が受けたいと言っている。
なんか大変そうだから拒否しよう、ということ、これは明らかに抽象的で、根拠のない拒
否になります。
ただし、例えばその授業受講に必要なスキルがあって、その学生が必要な授業を受けてい
なかったなら、それはやはり「受講はできませんよ」と断る理由になります。
それは障害の有無に関わらず、受講できないので、障害による差別には当たらない。
基本的には、個別に判断するということです。
今後、法律が施行されていくと、この判断で揉めるケースが出てくるかも知れません。
学内で苦情が出たときに、どう対応するか、解決にあたる第三者的組織が必要かも知れま
せん。
合理的配慮についてです。
合理的配慮、私立大学は、努力義務になっていますが、実際にまだ整理が付いていない部
分もあります。
例えば、受験の拒否は差別だから NG ですが、障害があっても受験をしていいですよ、と
いうのは、正しい判断だと思います。
でも差別はしないが、努力義務だから配慮はしない、受けてもいいですが、何のサポート
もしませんよ、ということになる。
そういうケースがあるか分かりませんが、差別の解消のためにはある程度、合理的配慮と
いうのを、授業をどうやったら提供できるか、機会均等にできるかを前向きに考えていか
ないといけない、そういう点では、国立大学でも私立大学でも変わらないと思います。
個人的には、努力義務だから関係ない、ということではなくて、できる範囲で努力する義
務があるわけですから、考えていただきたいと思います。
合理的配慮の中身ですが、いくつかポイントがあります。
意思表明があった場合において負担が過重でない場合……となっています。
確認が必要な概念がいくつかありますので、4 点について、広げて考えます。
1 点目が、「社会的障壁の除去」
合理的配慮で求められるのは、社会的障壁の除去で、そこについてどう考えるか。
本質に関わる問題として、意志の表明に関わる問題もあります。
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まず、社会的障壁についてです。
岡崎先生の講演の中で、発達障害学生の支援を考えるには、特性に配慮した上で考えてい
くべきです、とありました。
もちろん教育機関として、できるだけのことを障害の種別や個人の特性を考えた上で、で
きるだけ考えていきたいと思うのですが、あくまでここで紹介するのは、法律の中で何が
求められているのか、ということです。
社会的障壁とは何か、法律の中では、「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む
上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう」と
書かれています。
実際に発達障害学生の相談に関わると、例えばたくさん課題が出てきます。スケジュール
管理ができず、何から手を付けたらいいか分からない、情報がいっぱいあると、どうまと
めて文章にしていくのかが大変だとか。
本人が何らかのスキルをつけることで、克服することができることもあります。
ただ、スキル、能力の部分、というのは、社会的障壁の除去とは別に考えたほうがいいと
思います。
法律で求められているのは、物理的環境を本人に合わせていくことです。
聴覚障害、視覚障害もそうですが、意思疎通が難しい場合、手話を使う、パソコンテイク
を使う、というのも1つのサポートになりますし、授業で変更可能なルールがあれば、そ
こを変えるなど、周囲を変えていくというのが、社会的障壁の除去です。
例えば、多くのレポートが課されると、タスク管理できない場合、管理を「指導する」、実
際には相談しながら考える。
あるいは、どのように質問をしたら良いかわからずに、指導が受けられず論文が書けない
場合、質問の仕方を一緒に考える。
これはもちろん、出来るだけ私たちもやろうとしていますが、これは合理的配慮で求めら
れる社会的障壁の除去とは切り離して考えたほうがいいかなと思っています。
次に教育の本質について考えます。
実際に法律の対応指針の中で、事業の目的、内容、など、その授業の本質的変更に及ばな
いことに留意、とあります。
授業の本質が何か、ということです。
単位認定の条件の 3 分の 2 以上の出席をしていないが、単位を出す、これは本質を変えて
います。
授業の出席を要件にしているときは、出席をしてアクションすることが必要です。
要件を満たしていないのに……というのは、本質に関わります。
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あるいは、技術の習得を目的とする実習において、明らかに十分に技術を習得していない
のに単位を認める、というのは、授業で身につけること、本質とは外れている評価です。
合理的配慮というのは、基準を下げてしまったり、本質を変えてしまうことではない、と
いうことです。
そこは、合理的配慮に関する支援上で気になっていることです。
次は意志の表明についてです。
合理的配慮の規程の中で、「本人から意思の表明があった場合において」とあります。
意思の表明というのはどういうスタイルがあるのかというのは、いろいろと議論があると
思います。
1 つハッキリしているのは、音声言語によらない表明で、手話、点字、拡大点字等のコミュ
ニケーションの手段があります。
意思疎通の場合、どういうふうに情報をやり取りするのか、多くは音声言語でできますが、
そうではない方も当然いらっしゃいますので、意思疎通のためにはいろんな方法を認めま
しょうということです。
これは、特に疑問もない、当たり前のことかなと思います。
ここでわざわざ書いたのは、意思の表明、自分で支援してほしいという意思を表明する言
葉と似た言葉で意思疎通という言葉があるので、混同しないよう参考までに出します。
本人以外からの意思の表明についてです。
発達障害の方は基本的には、知的障害の重度なら確かに本人が判断して、自分からの意思
表明するのは難しいケースもあるかもしれませんが、大学に入っている発達障害の学生は、
おそらく、多くは自分で判断して、意思を表明する力を持っていると思います。
ただ、中には、障害の状態によっては、そういう判断能力に問題があったり、どうしても
意思の表明ができないケースがあるかもしれません。
その考え方ですが、基本的には、多くの場合は判断能力があると思うので、本人からの意
思表出がありますが、一部のケースで親御さんが代弁という形で、出してくる場合があり
ます。
そうなった場合、本人ではないからダメとつっぱねるのが難しい部分もあります。
でも、やはり本人の意思も大事にしないといけない。
合理的配慮をどうやっているかは、建設的対話の積み重ねで出していくことになるので、
そのようなケースなら、親御さんも対話のメンバーとしてどうするかを考えていく必要が
あります。
実際にどうやっていくか。
学生さんが自分から表明するのを待っていればいいのか。
この考え方はいろいろですが、私としては、このようなサポートがあるとか、こういう機
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関があって相談窓口があると情報発信をしっかりしていくことが必要だと思います。
教員への啓発もあると思います。
すると各教育組織の先生も「発達障害ってこうなんだ」と、「もしかするとあの学生もそう
かもしれない」と気付いて、相談窓口を案内するケースも出てくると思います。
そのような形で障害学生支援の窓口にアクセスしやすいような、プロセスをサポートして
いくという考え方が良いのではと思います。
時々、「あの学生は発達障害だ」と、表現は悪いですが、「洗い出して、見つけ出して」支
援につなげる発想も場合によってはある、と聞きます。
個人的には、障害かどうかは本人にとっては大きな問題ですので、周りから見つけ出すの
は違うと思います。
大学には障害学生支援、保健管理センターも含めた相談窓口もあるので、必ずしも障害学
生とラベリングして、支援につなげないといけないということはないと思います。
こっちから見つけ出す、というより、あくまでも本人が主体的にアクセスしやすくなると
いうように保障することがポイントだと考えています。
ここは、先ほどの「正当な理由」と考え方は似ています。
次は過重な負担の考え方です。
これも総合的、客観的に判断することが必要です。
実際に、全ての授業に手話とパソコンテイクを入れてほしいという要望があったとします。
発達障害ではないが、そういう要望があっても実際には人的や費用の問題で厳しいケース
もあるかもしれません。
発達障害の学生で生活のリズムに困っているので、家に来て、サポートしてほしいという
話もあったりします。
実際にはなかなか難しい部分もあります。
外に出て行く人手も時間もなかったりします。
それらに関しては、本人にある程度、説明する。
「こういう事情でちょっと難しい」と説明して、代替案を提案する。
あくまで、こっちで判断する部分ではありますが、本人の納得をどう得るかが重要です。
最後にまとめです。「指針とすべき考え方」として 6 つ考えられます。
どれも非常に重要かと思います。
①機会の確保
②情報公開
③決定過程
④教育方法等
⑤支援体制
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⑥施設・設備
1 番では、教育の本質部分を保ちながら、どのように授業へのアクセスを保障するか。
3 番で言うと、先ほどの意思表明の話です。
あくまでも本人が主体です。
主体的な意思の表明をどうサポートしていくかは、考えて行くべきだと思います。
その意味では情報公開をして、知らせていくことが重要になっていくと思います。
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