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29号1997.03.14発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会

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29号1997.03.14発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会
Kamagava
口
nternationaI
Friendship Association
第29号
1997年 3月 14日 発行
く
発 行〉
鎌ケ谷市国際交流協会
編集 ・広報部
* * * *
」apanese Translation of Essay “
Life in Kamagaya"
(pg 2-3)
Delegation to N.Z,
」apanese Essay by Foreigners.
(pg 3)
* My Hometown;U.K。
KIFA Party (pg 4-5)
(pg 6)
* Miscellaneous information (pg 8)
Reader's Column (pg 7)
i忙
貪労炒
Opens lGracefully,Ends Friendly
キ フ ァパ ー テ イ ー オ ー プ ニ ング は
フル ー トア ンサ ンブル の演奏 で優雅 に
えん そ う
会長 の挨 拶 に も英語 の通 訳 が つ いて
ゆう
が
K・
2
・
口
ミ レー ユ秋 元 さん の 英文翻訳
最優秀作品
紹介
キ フ ァプ ラザ28号 に掲 載 した ミ レー ユ 秋 元 さん の体験 記 の翻 訳募集 に対 し、6通 の応 募 が あ りま した。通 訳 ボ ラ ンテ
ィ アの協 力 を頂 き、広報 部会 で採 点結果 をま とめ、 3名 の 入賞者 が決 定 しま した。30点 満点 で 平均 2775点 を獲 得 した村
松 さん の作 品が 1位 に、25.75点 の森 田 さん の作 品が 2位 に、2550点 の 坂 井 さん の 作 品が 3位 とな りま した。
選 に漏れ た方 々 の作 品 もそれ ぞれ 素晴 らしく、皆 さん翻 訳 を楽 しん でい らっ しゃ る よ うに感 じられ ま した。 各参加 者
の方 には、 よ リー 層腕 を磨 い て頂 く こ とを願 って 、採点 結果 をお送 りしま した。
最優秀作 品
入 賞者
優 秀 作 品
村松 真理 子 様 (38才 )
英語 塾講 師 北 中沢 在住
入 賞者
』
医j睡■
≧詈
舞 よ
纂
;ミ
′うした作業を通 じて、外国の方との相互理
I
鎌 ケ谷 での 5年 の 日々
森 田 幸 様 (57才 )
コンピューター,コ ンサルタント
東鎌 ケ谷在住
坂 井 晃 様 (57才
西道 野 辺在 住
)
び つ く りしま した。 それ まで一度 も地震 に あ った こ とが
1991年 5月 2日 に、 日本 人 の 夫 と当時 3才 だ った娘 の
あ りませ ん で したか ら。 いつ か 大地 震 が くるの で はない
デ ゼ レ・ キ ク コ と ともに、 ドイ ツのデ ュセ ル ドル フよ り
か とち ょっ と′
心配 です が、 今 で は地 震 に も慣 れ ま した。
ま い りま した。飛 行機 が 着 い た ときには荒れ模 様 の 天気
娘 の キ ク コは といい ます と、とて も よい幼稚 園 に入 り、
で した が、 それ だ けに、富 士 山 が 見 えた ときには私 た ち
ア ッ とい うま に 日本 語 を覚 え、音楽 会や お遊戯 会 、運動
を歓迎 してい る よ うで、
嬉 しく思 ったの を覚 えて い ます 。
会や お誕生 日会等 々 が大好 きで した。 た くま しくな って
着 い た のが ゴール デ ン・ ウイ ー クだ つたの で、 お店や 事
務所 も閉ま ってい る ところが多 く、つ い てい ませ ん で し
きて、3才 か らつ づ いていた 喘息 も今 で はほ とん どあ り
ませ ん。 現在 は小 学校 3年 生 で、 学校 へ 行 つて 友達 と遊
た。 郊 外 に住 む こ とにな る と聞いて い ま したの で 、 ヨー
ぶ のが 楽 しく、 日本 人 にな りき つて 自分 の まわ りの生活
ロ ッパ と同 じよ うに 広 大 な野 と森 に点在 す る家 々 を思 い
を満 喫 して い ます 。
浮 か べ てお りま した が、 東京 か ら鎌 ケ谷 まで の列 車 か ら
ただ一 人母親 として主婦 と して、 私 は 毎 日、言葉 の 間
見 えた の は、 ま さに、家 、家 、家 で した。東 京 での標 識
はみ な 、 日本語 と ロー マ 字 で 書 かれ てい ま したの で、一
題 にぶ つ か ってい ま した。 日本 語 を話す こ とも読 む こ と
もほ とん どで きませ ん と、買 い物 を した り、病 院 へ行 っ
人 で もあち らこち らに行 け ま したが、鎌 ケ谷 に来 ま した
た り、旅 行 を しよ うとす るたび に、一苦労 で した。 最初
ら松戸 か らこち ら、 どの標 識 も 日本語 だ けで 、 どの駅 で
の一 ケ月 は とて も大 変 で 、落 ち込 ん だ り、 ホー ム シ ック
降 りれ ば よい のか一 人 では分 か りませ ん で した。 幸 い な
にか か った りも しま した が、 あ き らめませ ん で した。 夫
こ とに、夫 に道案 内 を して も らえま した が。地 図 を持 っ
に して も、海外 で の勤務経験 の方 が 日本 よ りも長 か った
ていて住所 がわ か つていて も、私 た ちの アパ ー トはなか
のです か ら、大 変 だ った はず です 。
なか 見つ か りませ ん で した。 ヨー ロ ッパ で は、通 りの名
よろ よろ と走 る 自転 車 か ら安全 な車 の運転 へ と変 えた
前 と家 の番 号 さえわ かれ ば、行 きた い ところが難 な く見
ころか らは、 よ り快 適 な生活 が始 ま りだ しま した。運 転
つ か ります 。道 を説 明で きませ ん で した か ら、家 か らタ
免 許 を書 き換 えに行 つた ときは残念 な こ とにテ ス トに落
クシー を呼ぶ こ とさえで きず 、ず っ と夫 の助 けに頼 つて
ちて しまい 、講 習 を い くつ か 受 けな けれ ば な りませ ん で
い ま した。 着 い てみ る とも う一 つ 驚 いた こ とは、 アパ ー
した。 交通 ル ール が私 の 国 とは ま るで ちが って い るので
トに暖房 がつ い て い なか った こ とです 。私 の 国 で は、 暖
交通事故 を防 ぐた めには交通知識 を よ く知 っ てお か な け
房 は何 も言 わな くて もは じめか ら付 い て い る ものです 。
れ ば な らな か った のです 。車 を運転 す る よ うにな って 買
こ うして初 めの うちは、 い ち い ち比 べ て見て い ま した。
い 物 も楽 にな り、私 は 日本 語 を学 ぶ た めに KIFAの 夜
一 番怖 か ったの は、 初 めて地 震 に あ った こ とで、本 当 に
間 クラス に通 い は じめ ま した。そ こで、 良 い 師 、 良 い※
K口 ]"
平成 8年 度派遣事 業 2月 4日 に結 団式行われ る
(平 成 9年 2月 9日 ∼15日 )
キラキラと太陽の輝 <ワ カタネヘ
元気い つぱい派遣団
本 年度 の派遣 は従 来 と形 を変 えて 、 KIFA理 事 、理
事所 属団体 よ り推薦 を受 けた方 々 に行 ってい ただ き、本
`
調 印前 に ワカ タネ 市 民 代表 と i旦 去 に行 われ た交流 を ど
″
`
の よ うに発 展 させ た らよい か また どの よ うな交流 が
〃
可能 で あ るか な どを直接 話 し合 うこ とが 目的 で した。
「 日本語講座」
生徒 さん の エ ッセ ー ヽ3
ゞ現
ド
):,p`r`
しか し、 皆様 お忙 しく、決 定 まで時 間 を要 しま した。 幸
皆 さん こんにちは、私は陳 と言 い
い に 下記 13名 の 方 々の 賛 同 を得、 実施 の運 び とな りま し
た。結 団式 には、今 回 の 団長 で ある荒 井会 長 の 「実 りあ
ます。香港か ら日本に来てもう 3年
る研 修 に したい Jと い う決意表 明 に続 いて 、 月野市議 会
理解 を深 め姉妹都 市
藤 沢助 役 よ り 「広 く国際親善 、
議長 、
人 と外 国人 の友 人 が で きま した。 皆 は私 に親切 で、特 に
提携 に尽力 いただ きた い」 とのは なむ け の ご挨 拶 を載 き
ま した。答 礼 として竹 内副 団長 よ り 「交流 の 具体 的 な道
語 を うま くはなせ ませ ん で したが、今 は 多少 はなせ る よ
筋 をつ くって 来 たい 」 とい う力 強 い 言葉 が あ りま した。
分 で はな いので 、 これ か らも つ と 日本語 をはなせ る よ う
派遣 団員名
(敬 称略)
ライ オ ンズ ク ラブ :伊 藤秀継
罐緑
がす ぎました。 この 3年 の間に 日本
颯鰊 欝
日本 語教 室 の先 生 は私 に良 くして くれ ます 。最初 は 日本
うにな りま した。 皆 さん のお か げ です 。私 の 日本 語 は十
に努力 しな けれ ば い けな い と思 ってい ます 。
月 日が経 つ につ れ て 、 日本 の風俗 習慣 に も大 分 なれ ま
した。 日本 に来 た 当時 、な ま もの は食 べ れ ませ ん で した
自治 会連 合協議 会 :鈴 木秀承 ・野 口光行 ・ 山根 庄 作
ロー タ リー クラブ :飯 田泰 巳 ・長 谷川豊 典
が、 今 は好 んで 食 べ ます 。私 の 主人 は 日本 人 です 。 9年
鎌 ケ谷 商 工 会 :大 野 幸 一 ・石 井 一 美 。佐 々木武 二 郎
農業 団体連絡 協議 会 :下 谷喜作
前 お 仕 事 のた め に香港 に 6年 間住 ん でい ま した。広東 語
が うま くな い けれ ども、
KIFA:荒
井茂行 ・ 竹 内明 ・ 岡本 靖子
『
fi,│チ fZZ
i=春錯
顔
t
イ
壕
ば
ぼ 多ヶ かし多χ
ぐ:み タ
:メ
普通 の生活 で いつ も私 と
広 東語 で会 話 を してい ま
した。ね こが 大好 きな私
は、2匹 飼 ってい ます 。
B.B。
とD.D.と い
う名 前 をつ けて、 しあわ
せ に暮 ら して い ます 。
陳
祖彗
(香 港 出身
)
※友 に出会 った のです 。 KIFAの 会員 に もな って 、 K
れ ば、暮 らして い くこ とが、 も っ とず つ と楽 にな ってい
IFA主 催 のい ろい ろな活動 に も楽 しく参加 で きま した。
た はず です 。 10月 に 日本 を去 るに あた つて、 私 の最 後 の
生 け花や 書道 、着 付 け とい った 日本 文化 を紹介 して も ら
い 、「持 ち寄 り」のホー ムパ ーテ ィに も何 度 か招 い て も ら
そ して一 番 の願 い は、新 しく来 る人 た ちが最初 か らKI
部 に伺 うに は、時 間 が足 りませ ん。 い ろい ろな ところで
FAの こ とを矢口る こ とがで きるよ うにお手伝 い を したい、
とい うこ とです 。 こ う した外 国 の 人 た ちに、市役所 が K
IFAの 活 動や鎌 ケ谷 に住 む様 々 な 国籍 の 人 た ち につ い
て英 語 の 文書 を手 渡す こ とで、す ぐに KIFAを 紹介す
私 は KIFAの 友達 と出会 い 、学校 か らの手 紙 を親切 に
る こ とはで きな い の で しょ うか。 新 しく来 た外 国 の人す
説 明 して も らった り、必 要 な情報 をい ろい ろ と教 えて も
べ て を、試 み に一年 間 KIFAの 会員 とす る の はい かが
らい ま した。私 はお返 しに英 語や料理 を教 え、そ のた び
で しょ うか。 KIFAと
に楽 しく過 ご して きま した。 た とえ毎 日の 生活 の 中 で言
の外 国 の 人 た ちに も同 じよ うに役 立 てば、 とて も嬉 しい
葉 の 問題 にぶ つ か つた として も、今 な ら、 も つ とゆつた
です 。
って 、 た くさん の鎌 ケ谷 の 人 た ち と知 り合 い にな りま し
た。 今 で は とて もた くさん の 友達 がいて、そ のお 招 き全
りとか ま えて い られ ます 。電話 で 呼び 出せ る KIFAの
友人 が何人 もい る こ とがわ か って い ます か ら。
まだ答 の 出な い 疑 間 が あ ります 。 なぜ 、私 は も つ と早
くに KIFAと 出会 わなか ったので しょ う。 出会 ってい
KIFAス
ともに過 ご した私 の経 験 が、他
タ ッフの皆様 にお礼 を 申 し上 げ、 ます ます
の ご発展 をお祈 り致 します 。
マタ
アイ マ シ ョウ。
(ル クセ ンブル グか ら来 た )ミ レー ユ ・ ア キ モ ト
KttI・ FuF
総 合福祉 保健 セ ン ター にて 、第
盛 大 に開 催 され ま した。近 隣 の 市
外国人参加 を 含め、
総 勢370名 余 り
わい ま した。美 味 しい ご馳 走 を囲
自己紹 介 が 始 ま り、新 しい出会 い
相手 を得 、お互 い の 国や 生活 につ
した。 語学 の レ ッス ンに もな った
交流 部 会長 の 「small cityだ け
閉会 の挨 拶 が あ り、閉会 後思 い が
は、オ リン ピ ックの 開会式 を思 い
`see you agein /″
一美
しい韓 国 の踊 り
KIFA's 1996 1nternational 17inter party was held in
November 17 with great success. Incltlding foreign pe.
cities, thcre wcrc many foreign countries represented
First, participants startcd by lllaking sclf― introduc
Each table had tasty dishcs. Then each person moved
They cnjoyed talking tO each othcr about their countr
practice their forcign languages a lot.
Sevcral booths representcd their countrics serving
were performanccs on the piano, and folk dances by di
and did thc jan― ken game. They had lots Of fun。
the jan― kcn game?)
(By ti
There was a closing addrcss by Ms.Isizekio She said
alllong thc world, evon tholigh we live in a small city.
poople played the drllllls, and others danced. It remini
wherc cveryone had various feelings.
” し由目
〓後
、
︱
︰介
一
紹
l己
会話 もはず む
名 残惜 しみ つ つ 全員 で合 唱
See you again
月 17日 (日 )12:00∼ 15:00
9回 「KIFA
PARTY」
が
からの参加 もあ り、24カ 国90名 の
D会 場 一杯溢れ る程 のお 客様 で賑
よ うです 。
ビ広 く世 界 と交流 したいJと い う
ナ
ず 始 ま った ドラム演奏 とダ ンス
●健亀囃
一● 静 一■ ■ 畿
を求 め、会 場全 体 に足 を運 ん で話
ヽ
て のお 喋 りを楽 しんだ 3時 間 で
瞳 磯 酪
夕な が ら、それ ぞれ のテー ブル で
ニこ させ ま した。名残惜 しみ つ つ
.鷲
轟
ブルガ リア、イタリア、オース トラリアのフォー クダンス
he Kamagaya Health and Welfare building on
lple living in Kamagaya and in neighboring
﹁
綺一
麗な 女 の人 と お し ゃ べり した く って ﹂
ions to cach other at the surrounding tables.
o another table to talk lo another porson.
es and lives during thc party. Thcy sccmcd to
ea, croquettes, rice winc, and so on. Thcrc
ferent groups. Then evcryonc sang Edelweiss
le way, why did the women havc big pOwcr for
that we hopcd to promote friendship broadly
Unexpectdly, aftcr thc party, some yong
ed of the 01ylllpic games closing ceremony
:
労
へい か い 一﹄
おど さ ん か し ゃ
閉会 後 、 ジ ャズ のリ ズ ム に の って踊 り だ す 参 加 者 も
輌
・
・
・
・
:轟
,M
`
How do you
の 後 は何 を話 した のか な ?
K甲
甲
口
との るだ けで行 けます 。 リバ ブール には沢 山 の 美術館や
私 の 町、 バ ー ク ン ヘ ッ ド
レス リー エ アー
Leslie Ayre
博物 館 が あ り、2つ の有 名 なサ ッカ ー チー ム もあ ります 。
そ して、 もちろん 、 ビー トル ズのふ る さ と、 カー バ ン も
この 町 に あ ります 。 又、建築 学 上 の歴 史 も豊 富 で、 リバ
私は レス リーです。イギ リスのバー クンヘ ッ ドとい う
町 で生まれ ま した。 マー シイ川 をはさんでちょうど反対
ブール の 最 もす ば らしい 代表 的建造 物 はで き上 が るまで
側には港町 として、又、 ビー トルズで有名な誰 で もご存
知の リバ プールがあ ります。私 のふ るさとは、 リバ ブー
す。
ル ほ ど重要ではあ りませんが、世界 で初 めて、馬 に引か
ん でい ます 。時 には 自分 のふ る さ とを懐 か しく思 うこ と
せた路面電車 が使われた町 として有名です。又、 この町
もあ ります が、 大 好物 の梨や 柿 の豊 富 な こ こでの生活 を
に100年 以上 もかか った世界最大 のア ング リカ ン大聖堂 で
私 と妻 の サ マ ンサ は、1994年 の 夏 か らここ鎌 ケ谷 に住
しん で い ます 。 日本 語 をあ ま り覚 え られ な い
の 公 園 が ニ ュー ヨー クの セ ン トラル パ ー ク の モ
のが 唯 一 の悩 み です が、 この先 、 も う少 し
デルにもなってい ます。
バ ー ク ンヘ ッ ドは鎌 ケ谷 とざ つ と同 じ
暇 がで きた ら、それ も変 わ るの で は と思
ってい るの です が
ぐ らい の 人 口で、 同 じよ うに沢 山 の外
国人 が住 ん で、働 いてい ます が、残念
なが らKIFAの
(訳
広幸R部 会
通訳 ボ ラ ンテ ィ ア )
よ うな組 織 は あ りま
せ ん。 1970年 代 まで は港 町 として に ぎ
わい、横浜 へ の 定期 便 が あ りま した。
町 の経 済 は、 ほ とん ど造船 、 工 業 、貿
易 が 中心 にな ってい ま した か らe
バ ー ク ンヘ ッ ドは工 業地 区には あ ります
が、沢山の公園があ り、お も しろい観光地 も近
くにあ ります。 た とえば、 ノース ウェールズの
海辺 の町や、富士 山に比べ る と小 さいですが、
ヒースが満開になる春や夏にはとても美 しい 山々
が あ ります 。 又 、 20kmほ ど離 れ た と ころ に 、紀 元 1世 紀
に 要 塞 と して 口Tマ 軍 が作 っ た チ ェ ス タ ー とい う町 も興
味 深 い 所 です 。 しか し、 な ん と言 っ て も リバ プ ー ル が 一
│こ
つ
に、
、ち
りよ
よつ
では
な マー シイ の フ ェ リー
番近 く、今
有名
川
│││││││││││││││││││││││111111:
│││││││││││││'││││11111,111111
│●
■ltlll=│:│││■
11■ ■│││││●
■■■■│■ ■│■ 111■
My nalnc is I,cslic and l was born in l,lrk()nhcad,
ltivcr Mcrs()y froHl thc City or livc「
■■│
lingland 8 1own jtlst(1()ross lllc
p001, which as cvcryonc knows is ram()us as a
scaport and 「oF thC l'oatlcs. My town, olthollgh nol
as important as I′
iv(〕
│`
I)ool, 11
is faalous as I)cing the First town in thc wo「 ld to us()horsc drawn trams, and ils
r)a rk, was thc modcl「 or Ccntral l)a「 k in New Yolk.
│)irkcnhcad has roLlghly thc samc population as Kamagaya, and liko Kamag(lya has
a lot of forcigncrs living and working in thc arca, but tinfortllnatcly wc do nol
hav(: an organisation likc KI「 A. llntil thc 1970s, my town was a l)lisy scar)Ort,
thcrc was cvcn a rcgtilar shipping scrvice to Yokohama, and becaliso of thiS most
of thc local cconoEly was ccntrcd arollnd shirlbuilding, cngincc ring,
そld fOrCign
1【
t radc.
Dcspitc l,lrkcnhcad bcing in an industrialiscd arca, thcrc arc a lot of parks
and wc arc qtillo closc to sonlc intcrcsting lourist ccntrcs_ 1lor oxanlpl o, thc rc
arc thc mollntains and seasidc towns of North Walcs, which altholitTh small
comparcd to 「 1lj i― san,can bc vcry bcautifll! in thc spl‐ ing and sumlncr whcn thc
hcath()r is in blooml. Another placo of intcrcst is thc City of Chcstcr which
is abollt 20 kllls frolll lny honlc and was follndcd by the Romans as a garrison t()wn
in th(〕 rirst cclntury A l). Howcvcr, I′ ivcrpool is thc n(〕 ar(,st city, jllst a slヽ ort
ridc on the now 「allolls fCrry across thc Mcrscy livcrOool has many art
gallcrics and nltiseuEIs, two famolis soCCer tcallls and or coll「 s()thc Cavcrn, honl()
of th()Bcallcs. It also has a rich architcctural hislo「 y and ono of l′ ivcri)ool's
most signiricant iandmarks is thc Anglican Cathedral which is thc big80St
cathcdral in thc wo「 ld and took R10rC than a hundr()d y()ars to bllild
l havo b()cn living in KamagrFlya Wllh my wif()Salllantha sincc Augusl 1994, and
town, l cnjoy llving hcrc amongct all th(〕
althollgh l somctimcs miss lny hom(〕
nashi and kaki, both or which i likc vcry lltich. My only I)「 ol)iCm is that i hav()
not i)ccn ablc to lcarn much Japancsc, but hopcrtllly that wili changc in thc
fulur()if l g()i nlo「 c fr()c timo
ブラジルで学んだこと
西道野 辺在住
大石
友美
イン ドネシアの留学生、
フィフィとの出会い
ブ ラジル には、次 の よ うな 小話 が あ る。
『一 人 の 乞 食 が、「私 にボー ロ (ケ ー キ の
こ と)を 下 さい 。」 と言 つたので 、皆 が、
「なぜ バ ン とか、お金 を恵 ん でほ しい と
東 中沢在住
和裁 業
中町
文代
昨年 の 5月 、 KIFAの 初 級英 会話講
言わ な いで 、ボ ー ロを くれ と言 うのか 」
と質 問す る と、「だ つて今 日は僕 の誕生 日
座 に入会 。勉 強 してみ た ら、 ア リが リュ
だ もの」と言った とか。』二 年間程家族 で住んだ ことのあ
る リオ・デ ・ ジ ャネイ ロで、私 の周 りにいた、金持 ちも
ック し ょって富 士登 山 と気 付 き愕 然 。最初 の講座 で、興
津先 生 の英 語 が全 然理解 で きず 心 の 中 は真 っ青 、2、
3
貧 しい人 も、又、老人 も中年 も子供 も、家族がケー キを
続いた り、又、友人 たちがお金 を出 し合 って買 つた りし
か月た つ うちに先 生 の ス ピー チ が少 しは理 解 出来 る よ う
て、皆で誕生 日のお茶 のひ とときを楽 しいんでいた。又、
鈴木 さん の紹 介 で、 中本 さん のお 宅 にホ ー ムステ イ して
1
か つ て ポル トガ ル 領 で あ
いた 留学生 、 フ ィ フ ィに よるイ ン ドネ シア料 理 の 講習会
つたブ ラジル に とつて、
が企 画 され ま した。私 の若 い 頃着 た浴 衣 を プ レゼ ン トす
カ ステ ラ類 は正 に本場 で
る為 にデ ニ ーズ で フ ィ フ ィ と会 い 、2時 間程 2人 で楽 し
もある。「誕生 日お めで と
くお喋 りを しま した。 フ ィ フ ィ がか な り日本 語 が 喋 れ た
う」 とい うこ とは、 あな
お陰 です 。フ ィフ ィは、ジ ャカル タ近郊 で、教 師 で あ り、
た が生 まれ て きて 、そ し
地域 の宗教 リー ダー を してい る両親 を持 った 、厳格 な家
て 今 、存在 してい る こ と
庭 に育 ち、男性 の前 で は素肌 は見せ な い とチ ャ ドル をか
ぶ り (同 級 生 にチ ャ ドル な し ミニ ス カ ー トも今 は い る と
豪
「
が うれ しい とい う表現 で
にな り、僅 かの進 歩 を感 じてい た 頃 、 ル ー ム リー ダー の
人だ けの特 別 の 日、そ し
の こ と)、 長 袖 、 ロ ン グス カ ー ト姿 、英 語 日本語 、パ ー ソ
ナ リテ ィ、 の留 学試 験 を突破 した優 等 生 で、テ ニ スが大
て生涯 年 に一度 、必ず お
好 き との こ と。1日 5回 の礼拝 は、忙 しさよ りも慰 安 を
とずれ るす ば ら しい 日な
感 じる と。 4人 の妻 を持 って い た故 ス カル ノ大統領 の話
の で あ る。
か ら、 モ ハ メ ッ ドは布 教 の為 に大 勢 の妻 を持 つた とフ ィ
あ る。誕生 日とは、そ の
フ ィは言 う。今 は 1夫 1婦 市1で 妻 を持 つ 男性 の社 内不倫
東 な どを贈 った りして、 うれ しい び っ く りを、 プ レゼ ン
の発 覚 は失 職 との こ と。通訳 とな って 日本 に来 たい と言
トして い る。喜 ん で くれ た こ とを、私 も又 、楽 しんでい
い 、母 国 に、帰 りた くもあ り、帰 りた くもな しの フ ィ フ
るので あ る。 さす が に、 中学生 時 代 をブ ラジル で過 ご し
ィ との 別れ ぎわ の 会話 。
た娘 は、 バ ー ス デ ー ブ ック とか い うの に (今 で は、市販
で美 しい のが あ る)か な り多 くの 友達 の誕 生 日を書 き込
ん でい る。 特 に親 しい人 には プ レゼ ン トを、又 、葉書や
電話 で 、お めで と うをい うよ うで あ る。 た とえ忙 しく と
も、貧 しく とも、この 誕生 日を大切 にす る とい う習慣 は、
学 ん でい きた い 心 の 豊 か さの一 つ な ので あ る。 特 に、 家
族 の 絆 を強 くす る絶好 の恵み の 時 で もあ る ので は なか ろ
うか。
一
絣
麟
一
国際交流に関 する
あなたの体験、 ご意見 を
お寄せ くだ さい。
ホ スト フ ァミ リー の
中 本さ ん と フ ィフィ
私 は 今 、お くれ ばせ な が ら年お い た母達 に、 バ ラの 花
フ イフイ
:If l come to Japan again, I caH you.
私
:If l meet you again, I can speak
フィフィ
:ガ ンバ ッテ /
私
:(心 の 中 で)負 けた /で もまた会 い たいね。
English vew M/en
投稿規 定 :25文 字 ×30行 以 内。題 名 、住所 、年令 (学 午 )を 明記 の上 、
鎌 ケ谷 市 国際交流協 会 事務 局 (市 役所 3階 企画 課 )ま で。
記 載 され た もの には、謝ネLを お送 り致 します 。
Misce‖ aneous lnforrnation
KIFA会
研修 部会 語学講座
員募集
あなた もKIFAの 会 員 にな りませ んか ?
KIFA―
K・
中
口
無 料 体 験 公 開 講 座
実施
英 語 、 中国語 、 スペ イ ン語 の 5つ の各語 学講座 では、
鎌 ケ谷 国際交流 協会 は、会員 の 皆 さん の 、
会員 の皆 さん に よる、鎌 ケ谷 市 の 国際交流推進 のた めの
初 めて の試 み として 、 12月 第 2週 に、一般 市民 を対象 と
した無 料 体 験公 開講座 を行 い ま した。
これ は毎年応募 の 際 に、各 講座 の 内容や レベ ル な どの
団体 です 。
WOULDN'T YOU LIKE TO
JOIN KIFAP
して頂 い て、 申 し込み の 時 の 参 考 になれ ば とい うこ とか
ら開 かれ た もので す 。
Look what you can experience by joining
the friendly staff at KIFA:
*Attending an
問 い 合 わせ が 多 々 あ るた め、実 際 に クラ ス を見学 、参加
当 日、各講座 で は数 名 か ら10名 ほ どの体 験希 望者 が あ
りま した。 受講 生 と一 緒 に教科 書 を見な が ら、通 常 の授
“international'' party!
業 に加 わ って も らった り、又 ゲー ム を した りしま した。
*1/1aking ne、v friendsl
この体 験 を通 して新 年度 には受講 申 し込 み をす るつ も
*Seeing and talking to foreigners!
*Being apart of internationalizationl
りとの声 も早速 聞 かれ ま した。
Join tOday
Ql.
Al.
どん な事業 が あ るの ?
鎌 ケ谷 市 の個性 を生 か した魅 力溢 れ る交流事業 を
実施 します 。
*海 外派遣 *語 学研修 講座
*講 演 会 、 シ ンポ ジ ウム 、研修 会
*ホ ー ムステ イ 、 ホー ム ビジ ッ ト
*在 住外 国人 との交流 *通 訳 ボ ラ ンテ ィ ア
*会 報発行 他
Q2.
A2.
会員 の メ リッ トは ?
会員にな られ ると、次 のよ うな特 典 が あ ります 。
●イベ ン ト情報 がいち早 く、 しか も会員 一 人一人
に届きます。
ホ語学研修講座 をは じめ、イ ベ ン トに優 先 的 に参
加できます。
●参加費な ども会員割 り引きがあ ります。
5月 18日 (日 )語 学研修講座 開講
英 語 (初 級 2講 座 ・ 中級 1講 座 )
中国語 、 スペ イ ン語 (各 1講 座 )
″
`
詳細 は 広 報 か まがや 4 月 15日 号 に掲 載 予 定
日本語ボランティア講師の登録者研修会を開催
墨を
た っぷ り
つけ て
12月 14日 (土 )、 30名 の 日本語 ボ ラ ンテ ィ ア講 師 の登録
者 が 出席 して、日本 語 講 師 の 岡 田幸雄 先生 を迎 え、「日本
語指 導 ボ ラ ンテ ィア につ い て」の講 義 を して頂 きま した。
大 変 に有意義 な 内容 ば か りで、今後 の活 動 に生 か され る
こ とで しょ う。
この あ と、現在 日本 語 ボ ラ ンテ ィア講 師 で活 躍 してい
る全 メンバ ー の ミー テ ィ ング も開 かれ ま した。
炒 め方 は
こんな感 じ に
●
│1111編 1集1後
│││││・
10月 の スポー ツ フェステ ィバ ル か ら、広報 部 でお手伝
=1議
い させ て頂 くこ とにな りま した。 自分 で は、 記事 を作 る
のが 好 きな の と、語 学 の勉 強 の一つ と思 って い ま したが、
新 聞 と して ま とめあげ るの は とて も大変 。部員 の 協力 と
努力 の 結 実 e一 生懸 命作 りま したの で、読 ん で頂 けた ら
入会 申 し込 み は
KIFA事
(市 役所
ヽ
務 局 まで
3階 企 画課 内
845-1141
内線 550)
幸 い です 。 まだ まだ部会員 が少 な い です 。新 聞作 りを楽
しめ る方 、一緒 に「KIFA Plaza」 を作 りませ ん か。事務局
まで ご一 報 下 さい。
(F.N)
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