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見る/開く - 岐阜大学機関リポジトリ

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見る/開く - 岐阜大学機関リポジトリ
Title
ヘルマン ・ ヘラー 「基本権と基本義務」 : 翻訳と解題
Author(s)
近藤, 真
Citation
[岐阜大学教養部研究報告] vol.[28] p.[35]-[64]
Issue Date
1992
Rights
Version
岐阜大学教養部法学研究室 (Faculty of General Education,
Gifu University)
URL
http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/47636
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
岐阜大学教養部研究報告第28号 ( 1992)
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-
ヘ ルマ ン ・へ フ
「基本権 と基本義務」
-
翻訳 と解題
近
藤
真
法学研究室
( 1992年LO月14日受理)
H erm ann H ellers。 , Grundrechte und Grundpflichten
: U bersetzung und Erlauterung
M akoto K ON DO
序
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」 ( 1924年) 解題
以下に訳出す るのは, ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー ( 1891~ 1933) の1924年の論文 「基本権 と 基本義
務」 で あ る。 ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー全集 ( Hermann Heller, GesammelteSchriften, Hrsg. von
M . Drath, 0 . Stammer, G. N iemeyer, F . Bolinski, Redaktion Ch. M UIler, 3Bde., Leiden
1971) 第二巻の281~ 317頁 に収録 さ れた も ので あ る。初 出は, TeubnersHandbuchder Staats
-und W irtschaftskundeバL. A bt. (Staatskunde) , 2. Bd., 1. H ., B. G. T eubner, L eipzig 1924,
S. 1~ 23 にお いて で あ る。
ヘルマ ン・ヘ ラ ーに関す る 日本 におけ る業績 は, 専 ら 国家学 の分野に集中 し て きた。 ヘ ラ ー
は, 特に1949年の ドイ ツ連邦共和国のボソ基本法の 「社会的法治国家」 の理念の父 と 呼ばれ
た だ けに, 社会的法治国家思想を め ぐ る重要 な研究対象 と さ れて きた が,
こ れ まで の と こ ろ
政治的法理論の ワイ マ ール共和国にお け る激烈 な対決の中で のヘ ラ ーの国家法理論 にお け る
基本的な コ ンセ プ ト の解 明に全力が注 がれて きた と い っ て よい。 そ の中で 国家学 にお いて は
マル ク ス主義的な階級国家観 と は異な る経済に対す る国家の自立性を承認 し, 組織あ る と こ
ろ権力あ り, とす る多元的国家観に立 っ て ラ ス キ と並 び称せ られ,
ドイ ツ社会民主党内では
左派 のマ ッ ク ス ・ ア ド ラ ー等のハ ノ ー フ ア派の階級国家観 と対決 し, フ ー ゴー ・ ジ ソ ッ ハイ
マ ー等 と共にマルク ス主義 と の絶縁を 迫 る右派の多元的国家観に立つ ホ ーフ ガイ スマ ール派
に属 し た。 憲法論で は, シ ュ ミ ッ ト の政治的決断主義や ス メ ソ ト の統合理論 と い った規範主
義を 失い独裁 に道を 開 く ラ デ ィ カ ル保守派 と対決 し かつ 同時に ケルゼ ンの純粋法学や時代か
ら と り残 さ れつつ あ っ た ア ソ シ ュ ッ ツ,
ト ーマ等の。法実証主義の実体 のな い規範主義 に よ り
分裂的憲法状況 と政治的混乱の前 に社会科学的な歴史認識に支 え られた憲法の統一的で強固
な信念に満ち た解釈 に辿 り着 けない現状維持の無力で保守的な 「理性の共和派」 に厳 し い対
決を 挑んだ。 法 ( 規範) に信念 ( 国家意思) を 求め, 信念に歴史的国民的な文化の基礎 に裏
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近
・藤
真
付け られた法的文化 の根拠 ( 倫理的法原則) を要求 し た ので あ る。 社会的法治国家理念 につ
いて は, 敗戦で噴 き出す社会の民族的宗教的分裂の表面化を ナシ ョ ナ リズ ムに よ っ て克服 し,
政治的安定を 主権的国家に よ り創 出 し ,
ワイ マ ール共和 国を 強化 し, 民主主義を 政治的分野
から経済的分野に押 し広げ, 社会民主主義を実現 し , 自由主義法治国家の上に社会的法治国
家を築 く 。 そ し て国民的文化的社会主義を 実現す る と い う理論的展望を展開 し た ので あ る。
今 日の 日本においてヘ ラ ーの主要な著作 と し ては, 安世舟によ り『国家学』 『現代政治思想
史』 が, 今井弘道 ら に よ り 『国家学の危機』 他が, つ ぎっ ぎに訳出さ れ, 1983年西 ドイ ツで
のヘ ラ ー没後50年記念シ ンポジ ウムによ り, 国際的なヘ ラ ー研究の水準が確認 さ れ, その報
告集 『 ワイ マ ール共和国の憲法状況 と 国家学』 が 日本で も安世舟, 山口利男 らが中心 と な り
全国のヘ ラ ー研究者を 集めて翻訳 さ れ る に至 り,
日本 にお け るヘ ラ ーの時代がい ま本格的に
訪れ よ う と し て い る。 と き あた か も ソ連崩壊で 自由主義 と社会主義のイ デオ ロギー対 決の時
代が去 り, 資本主義の諸矛盾の現実的解決が最大の課題 と な った こ とがヘ ラ ーの理念の今 日
的意義を 余計に感 じ さ せて い る。 今後はヘ ラ ーの 「社会的法治国家」 理念の肉付けが一層進
み, 特 に憲法の分野で は基本権論の解明が期待 さ れて い る。
ヘ ラ ーの論文 「基本権 と基本義務」 は ワイ マ ール憲法の基本権条項の全体的な コ メ ソ タ ー
ルで あ る。 ヘ ラ ーの各論的基本権理解の分析に と っ て価値あ る資料で あ り, 訳出の意義 は高
い も の と 考 え る。 す で に こ こ で は, のち の 『現代政治思想史 ( 1926) 』 で展開 さ れ る 自由主
義, 民主主義, 国民主義そ し て社会主義の諸思想 と い う ヘ ラ ーの考 え る国民的法文化的伝統
に立 っ て,
ワイ マ ール基本権の解釈が再構成 さ れて お り, ワイ マ ール国法学でただ一人の左
翼の憲法学者ヘ ラ ーの ワイ マ ール基本権の初期の解釈を検討す る こ と に よ り, ヘ ラ ーお よび
国法学全体分析の一助 と な ろ う。 この試訳が少 し で も そ の助 け と なれば と考 え る。
[参考文献 ( 順不同) ] 猪木正道 「ペルー
・ソ・ヘラーの 「国家論」 についt 」 原典翻刻叢書ヘルマソ●
ヘ
ラ ー 『国家論』 別冊, みすず書房 ; 河原
宏 「ヘルマ ン ・ヘ ラ ーの社会的法治国家」 理想第302号 ; 山 口利男 「ヘ
ルマ ン ・ヘ ラ ー一虚像 と実像の間」 未来1976年12月号。 同 「ヘルマ ン ・ヘ ラ ーにおける抵抗権の思想」 名大法政
論集第53号。 同 「国家学の危機 と ヘルマ ソ ・ヘ ラ ー」 年報政治学, 岩波書店, 1974年。 同 「ヘル7 ソ ・ヘ ラ ーの
政治教育論」 『政治学 と現代世界』 御茶の水書房, 1983年。 同 「 日本におけ るヘルマ ン ・ヘ ラ ー理論受容の特質
とその社会的政治的背景」 名大教養部紀要第31号。 同訳 ( 安世舟 と共訳) シ ェ フ ォール ト 「ヘルマ ン・ヘ ラ ーシ
ソ ポジ ウム短信」 名大法政論集第102号。 同 「ヘルマ ン・ヘ ラ ー と現代政治」 名大教養部紀要第32号 ; 安世舟 「ヘ
ルマ ン ・ ヘ ラ ーの民主主義論」 明大院紀要第 7集。 同 「『国家学』 訳者解説」 安世舟訳ヘ ラ ー 『国家学』 未来社
1971年。 同 「ヘル7 ソ ・ ヘ ラ ーの国家論」 『政治学』 秋永肇編, 学文社, 1974年。 同 「ヘルマ ン ・ ヘ ラ ーにおけ
る国民国家論再構成の試図(1)」 大東法学第 2 号。 同 「『 ドイ ツ現代政治史』 訳者解説」 安世舟訳ヘ ラ ー 『 ドイ ツ
現代政治史』 御茶の水書房, 1981年。 同 「社会民主主義 と 国家」 『現代民主主義の諸問題』 御茶の水書房, 1982
年。 同 「ヘ ラ ーと ラ ス キ」 『政治学 と現代世界』 御茶の水書房, 1983年。 同 「ヘ ラ ー」 『 ドイ ツ公法の理論』 小林
孝輔編, 一粒社, 1992年。 ミ ュ ラ ー, シ ュ タ ッ フ編 『ワイ マ ール共和国の憲法状況 と 国家学』 安世舟, 山 口利男
編訳, 未来社, 1989年 ; 斎藤
誠「ヘルマ ン・ヘ ラ ー と ヴァ イ マル共和国におけ る民主主義の問題」東北法学1979
年第 2 ± 3 号。 同 「ヘル7 ソ ・ヘ ラ ーにおけ る フ ァ シズ ム論の基本構造」 法学第45巻第 1号, 同 「ヘルマ ン ・ヘ
ラ ーの民主主義論」 『ヴァ イ マル共和国の政治思想』 宮田光雄編, 創文社, 1988年 ; 滝田 薫 「ヘルマ ン・ヘ ラ ー
の国家理論 とそ の社会的背景」 慶応大学法学研究科論文集第 6 号 ; 広沢民生 「民主的な 「社会的法治国家」 への
途」早大法学会誌第26巻。 同「法実証主義 と政治的憲法学の間で」 『現代法の諸領域 と憲法理念』学陽書房, 1983
年 ; 西浦
公 「 ヴァ イ 7 - ル期憲法学の憲法概念」 大阪市大法学雑誌第21巻。 同 「多元主義的憲法理論 の基本的
特質」 大阪市大法学雑誌第30巻 3 ,
4 号。 同 「ヘルマ ン・ヘ ラ ーの抵抗権概念につ いて」 高松高専研究紀要第24
ヘル マ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
37
号 ; 影山 日出弥 「社会的法治国家の憲法的意味」 法学教室第二期第 5巻 ; 秋永肇 「現代政治学 II 」富士書店, 1962
年 ; 金城透 「ヘルマ ン ・ヘ ラ ー 『主権論』 を 中心 と し て」 法学新報第90巻第 9 = 10号 ; 宮井清暢 「ヘルマ ン ・ヘ
ラ ー国家論の構造(1)(2)」 早大法研論集第36, 43号 ; W . シ ュル プタ ー 『社会的法治国家への決断』 今井弘道, 大
野達司訳, 風行社, 1991年 ; 山崎充彦 「へZレマ ン・ヘ ラ ーの国家正当化論につ いて」 同志社法学第208号。 同 Fヘ
ラ ー国家論 におけ る倫理的法原則 につ いて」 同志社法学第221号 ; 翻訳 : 安世 舟訳 『国家学』 未来社1971年。 安
世舟訳 『 ドイ ツ現代政治史』 御茶の水書房, 1981年。 今井弘道, 大野達司, 山崎充彦訳 『国家学 の危機一議会制
か独裁か』 風行社, 1991年。 山崎充彦訳 「 ヴァ イ マ ール憲法におけ る 自由と形 式」, 「独裁は我 々に何を もた らす
のか」 同志社法学第208号。 同訳 「 ドイ ツ憲法改革の 目標 と限界」, 「国民的社会主義」 同志社法学第215号。
翻訳ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」 ( 1924)
I . 歴
史
中世で は中央集権化 さ れた, 内外に対 し主権的なそ し て全構成員を一様 に支配す る 国家は,
知 られて いなかっ た。 し か し, 当時の社会的生活は, 今 日よ り はるかに堅固な形態で す なわ
ち個人が出生お よび職業に よ っ て拘束 さ れた形態で動いて いた 。 自分だ けを支 え とす る 自由
な人格は存在せず, 「人間それ 自体」で はな く , 各人は, 彼を 多 かれ少なかれ保護す るが制限
もす る共同体の一部 と し て存在 し て いた し, かつそ う 自覚 し て いた。 彼は共同体に よ っ て外
面的 に も内面的に も刻印さ れて いた。 ホルバイ ンの 「人間 と踊 る死神の図」 の死神が近寄 る
のは, 人間そのもので はな く , 農民, 市民, また は貴族, 修道院長, 司教 また は法王な どで
あ っ た。 経済生活す ら も生 まれなが ら の身分への帰属に よ っ て 決定 さ れて いた し, ま た ギル
ドお よび ツ ン フ ト に組織 さ れて いた。 それ ら は, 個人が自由に経済的に十分に生活を 楽 しむ
こ と を妨げた。 異 な っ た諸身分は, 異 な っ た法や裁判所の下で 生活 し た。 そ し て全て の人々
は, た と え程度は極めて様 々で あれ, 教会, 国家お よ び身分や ギル ドお よ び ツ ン フ ト の公認
の法律 に よ っ て行動お よび思考の 自由を 制限 さ れて いた。 加 え て, 御上 ( H6here) へ の納税
お よ び奉公を非常 に不平等に負担 さ せ られて いた。 多様な形態 の権威主義 と い う こ の中世的
世界 はルネ ッサ ン ス以来 どん どん と変化 し , かう ます ます広 範 な領域で個人の 自律 と い う
我 々の近代的世界 に転換す る。 宗教的信念, 道徳お よび思考一般の 自律 な ら びに政治 お よ び
経済 にお け る 自由で民主的な 自律 は, 近世 の歴史の一つ の同 じ 運動方向の表現で あ る。 そ の
運動方向が, 17世紀の信仰め争 いにおいて プ ロテ ス タ ン ト 0 自由を要求 し, かつ ラ ラ ソ ス革
命において「 自由と平等」の叫びに表れ, カ ソ トの国家論 と定言的命令を定式化 し, ヘルダー
お よ びペ ス タ ロ ッ チを 通 じ て 「普通人間教育」 を要請 し, かつ 最後 に政治文化 におけ る 「人
お よ び市民の権利」 の憲法上 の承認を も もた ら し た ので あ る。 し か し , こ の最後の も のの成
立は, 政治革命で はな く , 宗教改革 と 「 ドイ ツ人の 自由」 す なわち身分的 自由への決 し て消
え る こ と の無かっ た意識 と に負 う て い る。
中世全体を通 じ て教会 と 国家は, 俗界制覇を争 った。 し か し 「 フ ィ ッ シ ャ ー夫婦につ いて」
のタ ルヘ ソ の示す と お り, 中世的な人間の思考において は教会 はその文化的な意味の大 き さ
か ら, 常に世俗の支配者に優越 した。 13世紀以来教会権力は次第に没落 し はじ め, 絶対主義
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近
藤
真
的国王が, 対外主権を 法王お よ び皇帝に対 し て打 ち た て, 対内主権を 「等族身分」 の勢力に
対 し て打ち た てた。 そ の こ と に よ っ て公民平等への前提条件が創 出さ れた。 こ の闘争 におい
て絶対君主 自身は, と りわけ宗教改革後彼の領内で異な るキ リス ト教信仰が相争 っ て いた場
合には, 臣民の良心を つ かむ教会権力の前で立 ち止 ま る こ と はで きず, また そ のつ も り も な
かった。 「誰それの領地 には彼の宗教」 と い う命題 に対 し て は, 神 また は 「 自然」 に よ っ て人
間に与 え られた生 まれなが ら の良心の 自由が反抗す る。 俗界の権力に対 し て は, 国家 に よ っ
ー
て付与 さ れた ので な いそれゆえ に不可奪で も あ る本来的 な 自由が対置 さ れ, 万人の生 まれな
が ら の不可侵の 「 自然権」 が主張 さ れ る。 イ ン グ ラ ン ドお よびス コ ッ ト ラ ン ドの ローマ法王
派 と独立派 と の宗教闘争において宗教的信仰告 白の自由が 自然権 と し て はじ めて要求 さ れる。
それが最初 に法的に実現 さ れ るのはま さ に こ の闘争 において母国か ら追放 さ れた北 ア メ リ カ
への植民者に ょ っ てで あ る。 彼等は自らの運命を知 り, すで に17世紀に彼等の諸国家で 良心
の自由を 万人 の人権 と し て宣言 し て い る。 かかる 自由の要求は宗教的な領域 に と どま り続け
る訳にはいかない。 と りわけ上昇す る市民層の, 経済的制限, 身分特権, 絶対主義に対す る
社会的闘争お よび彼等の精神的お よび社会的 自律を 導 く べ き社会的闘争の必然性や封建的経
済体制 に対す る工業の闘争か ら, と りわけ ロ ッ ク お よび ブ ラ ッ ク ス ト ンに よ り定式化 さ れた,
個人の生命, 自由お よ び財産の保護のための, 国家権力に越 え られない制限を 課すべ き包括
的な 自然権の理論が生長 し た。 つ ま り 自己完結的, 個人主義的, 原子論的な 自然権 の世界観
が成立 し , そ れはさ ら に第二の意味におけ る 自由す なわち政治的 自律を要求 し た。 かの良心,
意見, 財産な どの 自由は。 絶対君主に支配 さ れた 臣民の側か ら国家に向けた要求で あ っ た。
つ ま り被治者 の自由で あ る。 殆 ど同時に表れ る第二の要求は直接君主原理に立ち 向か う。 自
己を統治 し, 支配に関与す る 自由が登場す る。 第一の 自由は, 市民的, 自由主義的 自由す な
わち 国家か ら の自由を 意味 し, 第二の政治的, 公民的, 民主主義的 自由は, 国家に君臨す る
自由を意味す る。 前者は近代 にのみ固有のも ので あ り, 後者について はすで にアテ ネの民衆
が誇 って いた。 近世の民主主義的要求 も またその源流を宗教改革に有す る。 カル ビンは教え
た。 教会権力 はゲマ イ ソ デにおいて は止む。 そ し て こ の教 えを 清教徒お よび長老派は政治的
共同体す なわ ち イ ン グ ラ ン ドの コ モ ン ウ ェ ルスに適用 し た。 イ ギ リス革命は, 国王を 民主主
義的, 議会主義的に制限 し た。 こ う し た イ ギ リス人は自治を根拠付けた。 し か し, 北 ア メ リ
カヘ移住 した清教徒は, 近世の最初の民主的共和国を厳密に建設 した。 国家に関す る共同決
定の こ の 自由 も また人間の 自然的本質に不可分の も の と し て, す なわち人権 と し て主張 さ れ
る。 [下線部分は原文イ タ`リ ッ ター訳者]
この政治的闘争 において武器的文書を 手に入れ るた めに, イ ギ リス人は, 彼等の伝来の身
分的 自由権を 「権利の章典 ( 1689) 」 で文書確認 した。 北 ア タ リカ の個別国家の新た な 自由権
も同じ く 成文化 さ れ ( バージ ュ ア1776) , 今や近代的意味におけ る最初の成文 「憲法」 の構成
部分を な し て い る。 それは後の大陸の全て の憲法文書の手本 と な る。 1789年に有名な人及び
市民の権利を 宣言 し た革命的な憲法制定者は, ラ フ ァ イ エ ッ ト に よ っ て北 ア メ リ カ の憲法を
教 え られて いた。 ベルギーの1831年の憲法は フ ラ ン スの諸範例に従 った。 そ し て1849年 のフ
ラ ン ク フ ル ト憲法の基本権お よ び1850年のプ ロイ セ ン憲法はベルギ ー憲法を まねて作 られた。
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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II . 基本権 の本質
17お よび18世紀を支配す る 自然権の世界観は, 社会の概念を 思考の上で個人か ら構成 した。
その世界観に と っ て は, た と え歴史的に常に第一の も の と は限 ら ない と し て も, 論理的に第
一 の も のは, 生 まれな が ら に 自由で, 権利 を 授 け ら れた個人で あ っ た。 そ の個人は他人 と と
為 に国家へ と結合 し , また そ の こ と に よ っ て 自然状態を 離脱す る。 絶対主義者 ( ホ ッ ブ ズ,
ル ソ ー) は主張 し た。 こ の契約に よ っ て全て の個人は彼の生来の権利を 君主のために ( ホ ッ
ブズ) , また は全体 のた めに ( ル ソ ー) 捧げた と。 それに対 し て 自由主義理念の代表者 は, 特
定の人権の不可譲性を 主張 し た。
こ の 自然権的観念論 に対 し て我 々の批判的進化論的時代 は, 国家契約思想お よび 自由の自
然状態の歴史的不可能性を 強調す る。 全て の自然権 に と っ て社会組織す なわち 国家は 自然の
ま ま の 自由の制限で あ っ た。 国家は我 々の時代 にはま さ に次のよ う な社会形式 と し て表れ る。
人間が野性の起源か ら文化の千年を経過す る こ と に よ っ て成長 し てその形式へ と入 り こみ,
かつその形式に よ っ て初めて 自由が実現 さ れ る。 それゆえに我 々は今 日で は自由権を も はや
自然権で はな く 文化権 と し て認識 し , も はや生来的に個人 に帰属す る も の と し てで な く 政治
的文化の発展 に よ っ て共同体内の個人 に帰属す る も の と な っ た と認識す る。犬国家の保護力に
ー
よ っ て は じ めて個人の平等 な 自由が保障 さ れ る。 我 々は も はや個人を そ れだ けで価値 あ る も
ー
の と し て承認す る ので な く , 我 々は幾世代 も経た 国家に固有の価値を 帰せ し め るがゆ え に,
人間の諸団体を 考 え る と き個人だ けか ら 出発す る ので な く , 我 々は,
ド イ ツ人の政治的基本
権のみな らず基本義務に も 同等の尊重を認め るので あ る。
か く 書 き込 まれた憲法 の諸章の個別規定 は様 々な法律学的意味を 有す る。 全 く こ の ワイ
マ ール憲法第二編 「基本権 と基本義務」 は 「 ド イ ツ文化の賜物」 (y
) と し てす なわ ち ドイ ッ ライ
ピの綱領的信条的基礎 と し て理解 さ れねばな ら ない。 こ の編の報告者バイ ェ ル レが憲法審議
の際 に表現 し た よ う に 丁我 々の法文化の特定の本質的な真理が憲法の厳粛な箇所で平生の通
常立法に対 し て際立たせ られるだ けの価値あ る も の とみな さ れ る」(2)べ きで あ る。 か く し て こ
れ ら の基本権 のい く つかの も のが事実上 「単 に倫理原則を 内容 と す る にす ぎず, 何 ら権利を
内容 と し ない」(3) こ と にな る。 他の も のは立法者の行為 に対す る原則 にす ぎず, それは個人に
それ 自体 と し て はな お国家に対す る法律的請求権 を 何 ら与 え る も ので な い(4)。 さ ら に別 のも
のは, な るほ ど, 対応す る法律の公布を立法者 に法律上義務付け るが, 同様 に個人に未だそ
の こ と に対す る請求権を 与 え る訳で はな い(5)。 し か し , あ る憲法規定 に よ っ て立法者が法的に
制約 さ れる こ とがあ る とすれば, 立法者が憲法改正の加重 さ れた方法に う った える( 第76条)
場合 にのみ こ の憲法規定 と矛盾す る法律を発布で き る と い う こ と に限 っ ての こ とで あ る。 真
正の基本権及び基本義務は, 国家権力の活動 また は不作為を 求める法律上の請求権を個人に
付与す る も ので あ る(6)。憲法規定が個別事列 にお いて法律上いかに評価 さ れ るべ きか, す なわ
ちそ れがた んに立法者への指示 にす ぎな いのか, また はす で に妥当す る法 また は権利 で あ る
のか ど う か, はっ き り し な い こ と があ り う る。 若干の基本権は 「 ド イ ツ人の」 権利で あ るの
みな らず ,
ド イ ツに滞在す る外国人の権利で も あ る(7)。
40
近
真
藤
m. 分
類
憲法の第二編は, 歴史的展開の経過 において社会の理念お よび利害の闘争か ら成長 し て き
た と こ ろ の ド イ ッ ラ イ ヒ の政治的信条的土台を形成す る。 歴史的に生 じ た対立 の調整 と し て
の基本権は, 抽象的論理的分類には馴染 まない。 我 々が基本権を支配す る理性を認識 し 得 る
のは, 歴史にお け る基本権の足跡を慎重 に追 う こ と に よ っ て のみで あ る。 そ の場合, 我 々は
絶対主義以来 の近代国家の展開の中に連続 し て 4 つの理念す なわち歴史の 4 つの運動方 向が
作用 し て い る こ と を 見出す。 自由主義, 民主主義, 国民主義お よ び社会主義 ( Soziale) の理
念で あ る。 これ ら の先験的で な く 歴史発展 に内在す る諸理念 は, そ の政治的効果 な ら び に経
済的, 芸術的, 宗教的, 学問的効果, 言い換 え る と社会的効果か ら読み取 られ るべ き で あ る。
諸基本権は, これ らの今 日も有効なそ し て基本権に表現を見 る に至 った理念的諸潮流 か ら整
序 さ れるべ きで あ る。
自由主義の理念は, そ の歴史的効果についてすで に上記で簡単に特徴づ けた よ う に, 人間
の 「社交的・非社交的本質」 (8)の基本特色す なわち個人主義的世界市民的傾向に対応す る。 文
化はあ る方向か ら見れば 「人種性 と い う も のが反映物へ と転換す る過程」(9) と し て把握 さ れる
に違いな い。 本源的な集団的観念か ら解放 さ れ, 自律意識を獲得 し た人間が確信す る に至る
こ とは, 自らの明瞭な理性, 清純な感情, 倫理お よび法意識は, 人間の本質に他な らず , 人
間に普遍妥当のも ので あ る と い う こ と で あ る。 それが普遍妥当な道徳律お よ び 自然権 の観念
を 成立 さ せた 。
r .i
・
㎜
自由主義の思想す なわ ち市民的 自由 と た いて いは呼ばれ る個人の国家か ら の 自然的 自由が,
その実現を経験す るのは, 本質的に市民層の政治的経済的上昇に よ っ てで あ る。 市民層 は ド
イ ツで は絶対的警察 また は福祉国家の後見的権力お よび暴力行使 も希で ない権力に抵抗 し,
かつ社会お よび経済の封建的な残滓の除去を要求 した。 市民社会はまず第一にその革命的資
本主義的経済様式を伴 う経済社会 と し て, 保護者面す る絶対主義か らの自由す なわち 重商主
義国家か らの 自由を要求す る。 自由主義思想のきわめて有名な代弁者 ヴィ ルヘル ム・フ ォ ン・
フ ンボル ト の要求内容か らすれば, 国家は共同生活の秩序を 原則的に「諸力の自由な活動」(10)
に委ね るべ きで あ り, かっ 国家は個人の自由を 「諸個人 自体 に対 し て, そ し て外交上 の敵に
対 し て個人を 守 るた めに必要 な限度を越 えて制限 し て はな ら な い。(11)」それは, 国家が単 に法
を定め, 法を 言い渡 し, かつ対外的に保護を与 え るが, 他の全て を諸個人の自由な合意 に委
ねる と い う意味におけ る 自由主義法治国家の理想で あ っ た。 あ とわずかで これ らの国家 の任
務の必要性の否定に もす なわち無政府主義に も至 る, そ う い う理想で あ る。
こ の 自由主義の理念 に よ り あ ら ゆ る人間は人間 と し て法的 に 自由で あ る。 一つ の法的 な奴
隷制度を排除 し て の この 自由な人格が, 人間の状態で あ り, こ の人間の状態 こそが, 人間の
他の権利お よ び義務の全て の基礎 を構成す る。 勿論, 自由主義 は国家か ら の絶対的 自由を要
求す る の で は な く , す で に フ ン ボ ル ト が述 べ た よ う に 「適 法 的 な 自由の安 定 性, 確 実
性」 (12), す なわち警察国家の機関の恣意的命令 また は禁止に対す る法的制限を要求 し た ので
あ る。 自由主義は, 次の よ う な共同社会の意味にお け る法治国家を要求す る。 す なわ ち その
共同社会 にお いて は, 全 て の機関はた だ法律の根拠 に基づ いて のみ市民 に命ず る こ と がで き
る。 つ ま り, いわゆ る行政の法律適合性の原理を 要求す るので あ る。 も し , 行政の法律 への
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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拘束が, 自由の保障を 意味す る と さ れ る な ら, その場合要求 さ れるに違いない こ と は, 行政
どは異 な る機関に立法権力が付与 さ れねばな ら な いが, 裁判権力は可能 なか ぎ り両者 か ら独
立 し て い な く て はな ら な い ( モ ン テ ス キ ュ ーの権力分立論) と い う こ と で あ る。 なぜ な ら全
ての自由権は, 個人を 常に行政お よび裁判の違法な侵害か ら保護す るだ けで, 現行法を ( 加
重 さ れた多数に よれば憲法を も) 変更す る立法者か ら は保護 し ないか らで あ る。 勿論, 近代
国家 の権力は統一的な も の と考 え られ るべ きで あ る。 し か し, そ の 3 つ の諸機能は原則上異
な る諸機関に分配 さ れて お り, そ のた めにあ らゆる市 民は, 自らの人格的 自由を 国家機関が
侵害す る とすれば, 法律がそれを機関に授権す る場合にのみそ し てそ のかぎ りで のみ行な う
よ う求め る請求権を 有す る。
自由主義の理念はそれ 自体 と し て はまだ何 ら特定の国家形態 と も結 び付け られて はいない。
法律適合的行政の原則に厳格 に基づ く 絶対君主制は, 民主主義の理念 と対立す る こ と はあ っ
て も 自由主義の理念 と対立す る も ので はな い。 民主主義の理念 は, 被治者の政治的 自由, 公
民的 自由と も呼ばれる, 国家に君臨す る 自由す なわち被治者の統治への参加を要求す る。 民
主主義 の理念が要求す る こ と は, そ の最 も有名な代弁者ル ソ ー と と も に次のよ う に語 る こ と
で あ る。 す なわち 国家元首 は 「そ れが よ っ て立つ諸個人か ら構成 さ れ る」 (13) と。 民主主義の
理念は, 人民主権において実現 さ れ る。 人民主権 と は君主主義理念 と は反対 に全て の公的権
力を人民か ら引 き出す ので あ っ て, 自分 自身に よ っ て授権 さ れた君主 ( 「神の恩寵」) か ら引
き出す ので はな い。 民主主義 の理念は, 共和国また は少 な く と も議会主義的君主制 を 要求す
る。 そ れ ら において は, 立法権力が間接的にで あれ ( 国民代表 に よ り) また は直接的 にで あ
れ ( 国民投票, 国民請求) , 国民か ら発 し, 同様 に司法権力 ( 陪審員, 陪席判事 また は全面的
裁判官の選挙) お よび行政権力 ( 官吏選挙, 自治, レーテ) が国民か ら発す る。 やは り また
こ の理念の社会的担い手 も,
ド イ ツにおいて はた と えば1848年 まで は市民層で あ っ た。 かれ
らは, 絶対主義に共同支配を要求 し, かつ従来唯一政治的に授権 さ れた貴族身分 と 「平等の
権利」 を持 と う と し た。 市民層が この共同支配を少な く と も原則上は獲得 し た後は, 民主主
義要求は第四階級す なわち プ ロ レタ リ ア ー トへ と移行 し た。
フ ラ ン ス革命は, 自由主義的 自由と な ら んで民主主義的平等お よび世界市民主義的友愛を
旗印に し た が, 同時にナ ポ レオ ンのよ う な人物の国民的帝国主義を 生み出し た。 国民的帝国
主義 の世界覇権欲 は,
ヨ ー ロ ッパの諸国民 と く にス ペ イ ン,
ド イ ツ, イ タ リ アの人 々にそ の
国民的文化 に と っ て の国家の意義を苛酷 に, し か し反論の余地 な く 実証 した。 国民主義の理
念は, 何 よ り も まず 「一国家一民族」 を求め る政治的理念 と し て歴史上最初に現われ, ある
文化共 同体の対外的な政治的 自由 と し て の国民主権を 要求す る に至 る。 国民は, も はや諸個
人の総和 と みな さ れ る ので はな く , そ の 自己主張のた めに国家権力の堅い外皮を 必要 とす る
文化全体 とみな され る。 こ の国民主義の理念は, ベルギー, ノ ル ウェ ー, ギ リシ ア, バルカ
ン半 島の諸国民国家を 創 出 し た。 また こ の理念は,
ド イ ツお よ びイ タ リ アを 統一 し, オ ース
ト リ アハン ガ リー帝国を解体 し , そ し て ポーラ ン ド, チ ェ コお よび南ス ラ ブを 諸国家へ と押
し上げた。 この国民主義の理念は, 19世紀において は 自由主義的個人主義的発展方向に対 し
て, 社交的 ・ 非社交的人間本質の第二 の基本特色 と し て の権威主義的共同体的発展傾 向 と し
て対抗す る。 この理念は, 近代国民国家において, 部分に全体が課す全ての基本義務の倫理
的基礎を構成す る。 この理念の社会的担い手 も ドイ ツにおいて は市民層であ る。 彼等はその
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近
藤
真
際19世紀の前半は, 個別領主 と, 部分的には貴族 と も衝突 し , 後半は労働者階級 と衝突す る
に至 っ た 。
自由主義の理念はあ ら ゆ る個人に形式法上国家か ら の 自由を 与 え, 民主主義の理念は少な
く と も原則的に何人に も平等な公的な法的権力を与 えた が, 20世紀は, 社会革命の恐 るべ き
危険に脅かさ れて い る。 「全て の放任 (laisser aller) 」 す なわち 国家か らの経済の 自由は, 理
性の 自然権 と し て要求 さ れた。 あ らゆる経済主体が, た だ 自由に 自己の利益を追求す るだ け
で 良い, そ うすれば き っ と社会 のシ ン フ ォ ニ ーが予定調和を 保障す る, と考 え られた。 かつ
て理性で あ っ た も のが機械制経済の発展に よ っ て無意味な こ と にな り, かつ 自由 と い う将来
の選択行為 は経済的弱者 に と っ て苦 し み と な っ た。 1789年 か ら1815年 まで に現実社会 の本質
的変更な し に10の様 々な憲法を有 し た フ ラ ンスの実例か ら引 き 出さ れた教訓は, 法律的抽象
的憲法闘争 に よ っ て社会主義的 ( Soziale) 秩序が樹立 さ れる と い う こ と は, 実質的経済的権
力闘争 にお け る よ り も少 し し かな い と い う こ と で あ っ た。 マル ク ス よ り も も っ と 以前 に ロー
レン ツ ・ フ ォ ン ・ シ ュ タ イ ンが ドイ ツで最初 に認識 し た よ う に, 労働者階級は今や必然的に,
「国家権力を 社会の促進 のた めの手段 と し て」 「社会の 自油 の条件 と し て」 みな さ ればな ら
ず, 「国家権力の力に よ っ て労働者階級の社会的地位を も はや従属的で ない も のに, す なわち
労働者階級の構成員を 国民の指導部 ( Kapitale) への参加者 にす る こ と」 (14)がで き る。 この
社会主義的 ( Soziale) 理念は, 政治的民主主義の経済的民主主義への首尾一貫 し た連続的発
展で あ る。 前者は政治的身分を 除去 し, 後者は経済的階級 に立ち 向か う。 この理念の社会的
担い手は, 職人で あ り, そ の最 も直接的な政敵は, 国家の 自由主義的理念す なわち 「夜警国
家理念」 で あ る。 夜警国家の 目的を 「 ブルジ ョ ア ジ ー」 は, 「諸個人の人格的 自由お よ びその
財産の保護」 (15)にお いて のみ認めて いた。 か く し て社会主義的理念は, 次の こ と に よ っ て純
粋法治国家を 民主的社会的福祉国家へ と転換す るで あろ う。 す なわち こ の理念が 「生産の無
政府性」 を経済生活の適正 な秩序 に置 き換 え る よ う に努め, かっ この 目的のために私有財産
を可能 な かぎ り広範 に制限す る と い う こ と に よ っ て で あ る。 「戦時社会主義」に よ っ て強権的
に促進 さ れ, かつ l==i シ ア, オース ト リアお よび ドイ ツの革命 に よ っ てその最初の憲法的表現
を見 るに至 っ た こ の展開の真 っ只中に我 々は立 っ て い る。
IV. 憲法の基本権 と基本義務
上記で形式的原理 と し て説 明 し た これ ら の理念は, 本質的 に形成 さ れた も のを 意味 し , 単
な る イ デオ ロギー的綱領で は決 し て な く , 外界にお け る政治的お よび経済的現実 と 同様精神
的現実 と し て 現われ る社会生活の形式で あ る。 これ ら の理念は, 社会的存在の明 白に区別 し
得 る し歴史的 に も区別 さ れ る内在的諸形式 と し て, そ の担い手の社会的権力に応 じ て, ラ イ
ヒ憲法第二編 に, 多かれ少なかれ し か し全て の場合に認識 し得 るその憲法的表現を発見 した。
互いに争い合 う集団的利害 と諸理念の調整に努め る憲法 は, 政党綱領 と異な り, 論理的請求
権を完全 には享受 し ないで あ ろ う。 少な く と も現行憲法 は, 極めて著 し い対立の時代 に生ま
れ, ま さ に し ばし ば矛盾 し がち な諸基本権の規定のなかに と りわけ明白にそ の必然的な妥協
的性格を表 さ ざ る を え な い(16)。 1789年 の革命 の合 い言葉 は 「 自由, 平等, 友愛」 で あ っ た。
1919年 の憲法 の前 口上は, な る ほ ど1789年 と の歴史的関係を 明白に認識 さ せ る し , 同様 にた
し かに 自由と 人民主権を 強調す るが, 平等の地位 に正義が取 っ て代 り, かつ ドイ ツの統一す
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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なわち 国民主義的理念お よび社会的進歩す なわち社会主義的思想 ( SozialeGedanken) に対
し, 力強 く 信仰告 白す るので あ る(17)。
1. 個人
[第109条] 絶対主義の歴史的行為が達成していた こ とは, 全ての臣民を個人的君主の前で
政治的 に平等化す る こ とで あ っ た。 民主主義 は非人格的な 「一 般意思」 の前の, す なわち法
律の前の, いわば地上の一般意思の前の, 全て の人 々の平等を も告知す る。 「全て の人 々に対
す る平等権」 と い う民主主義 の理念 は女性に も拡張 さ れる。 女 性はす で に以前に男性 と平等
の市民的権利を原則的に享受 し て お り, かつ今や女性の公民的地位 に関 し て も, 勿論 「原則
的」 にす ぎない と し て も, す なわち例外を 許す法律の留保の下 に, 男性 と対等にな っ た。 第
109条 は主 と し て私法 には関わ ら な い。
民主的で公的な法の平等は生来的身分社会秩序の最終的権利 の除去を命 じ, と りわ け以前
の支配的諸侯を含む貴族の公法的優越 の除去を命ず る。 「廃止 さ れるべ き こ と」は, 立法者に
対す る訓令を意味 し, 立法者 は1920年 6 月23日の法律でその訓令に対応 した。 貴族の名前は
な る ほ ど ( オース ト リ アのよ う には) 除去 さ れなかっ たが, ( た と えば 「殿下」 な ど と称号で
呼ぶ こ と の) 法的請求権を確保す る こ と は決 し て なかった。 貴族の名前は今や貴族の母の私
生児 に も与 え られる。 そ し て も はや勲章 も名誉章 も付与 さ れて はな ら ない。 官職を も職業を
も意味 し ない商業顧問官, 枢密院顧問官, 法律顧問官 とい っ た 称号は, な るほ ど他の全ての
従来付与 さ れた社会的な記章 と 同じ く そ の問題該当者によ っ て 使用継続す る こ とが許 さ れる
が, 将来 において はも はや授与 さ れ う べ きで はない。
[第110条] 「国籍」 は, 一連の基本権に と って√およびと りわけ殆 どの基本義務に と って
前提条件をなす法的な根本状態 (地位) である√しかし, 何ら基本権を意味しない。 1913年
7 月22日の現行のライ ヒ国籍法律に基づ き, 正統嫡出の子は父 の国籍を, 非嫡出の子は母の
国籍 を , 既婚婦人は夫の国籍を獲得す る。 官庁の付与によ っ て(a) ラ イ ヒの ドイ ツ人は, 他の
ドイ ツ諸 ラ ン ドにおいて公民 と し て扱われ, (b)外国人はラ イ ヒ において公民化 さ れる。
ラ ン ド と は異な る ラ イ ヒの国籍保有者 は, 滞在 ラ ン ド国籍保有者 と 同じ義務お よび権利 (選
挙権, 官職就任権 [Amterrecht] ) を有す る(ll)。
ノ
[第111条, 第112条] 封建的で ツン フ ト的な経済体制な らびに絶対主義的重商主義は, ラ
ン ド の住民を 領主の土地 に縛 り付 け, 土地の儲けを し ばし ば等族身分 ( 騎士領) に結 びつ け
た。 身分的営業活動は公的 ツ ン フ トへの ( 結局加重 さ れた) 所 属へ と結 びつ け, 臣民 は高い
移住税 ( 追加税, 移住税) のゆ え に国家 に定住 し, かつ 国内で し ば し ば特定地域 に拘束 さ れ
て い る。 自由主義の理念は, 個人を こ れ らの硬直 し た重荷か ら解放す るが, 農民お よ び手工
業者 の共同体の保護か ら も個人を 引 き はなす。
第n 1条, 第112条は, 革命前の法状態 に対 し て何 ら新 し い も のを形成 し ない。 滞在地お よ
び営業地 な ら びに職業の自由な選択 は, 外国人に対 し てで はな く ド イ ツ人にのみ保障 さ れて
い る。 移転の自由は意思無能力者, 未成年者, 既婚婦人に対 し て は制限さ れて い る。 彼等に
つい て は後見人ない し親, 夫の滞在地 を特定 し なければな ら な い。 移転の自由は, 強力な国
民主義的お よび社会的理念が実現 さ れて いればい る ほ ど, 公的義務の履行に よ っ て ( 生活手
段配慮, 住宅欠乏, 救貧的生活保護, 防衛義務の理 由から) 制 限さ れて い る。
古代 お よ び18世紀 にす ら な お知 られ な か っ た移住 の 自由はかつて は防衛義務に よ っ て のみ
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二 近
藤
真
制限さ れて いた。 今 日で は国民的お よび社会的利益のための脱税逃亡の防止のた めに, 納税
義務を伴 う移住 は, そ の税 につ いて の一つ の確実性の達成を義務付け られて い る。 ラ イ ヒ国
籍は, 長期 にわた る外国で の滞在に よ っ て も消失 し ない。
ドイ ツ人は ラ イ ヒを 保護 し なければな らず, かつ ラ イ ヒ に よ っ て ドイ ツ国境の内外で ドイ
ツ人は保護 さ れ る。 ラ イ ヒ に対 し外国で保護を 求め る請求権が 目指 し て い るのは,
ドイ ツ人
に加 え られた不法に対 し て, 外国が, お よび外国に よ り有罪の国籍保有者が, 責任を と ら さ
れる こ と で あ る。 保護 と い う も のは, そ の効力が極度 に ラ イ ヒ の権力 に依存 し て い る も のな
ので あ る。
国家 と 国籍保有者 と の間の忠誠関係の ドイ ツの旧い法思想に関 し て, 大陸で は自国の臣民
の不引渡 し の原則が発展 し た ( イ ギ リ ス は勿論 イ ギ リ ス人を相手国に引 き渡す ! ) 。 こ の原則
をベルサイ ユ講和条約第228条が破 り, それに よ っ て ラ イ ヒは, 告発 さ れた戦争犯罪のゆえに
協商国に ド イ ツ人を 引 き渡す よ う強制 さ れる(W V 第178条参照) 。 1920年 2 月13日に, 「被告
人が適正な罪の償いを 免れる」 効力が引 き出さ れな い と い う留保の下に ドイ ツ最高裁に対す
る訴訟手続 を と る こ と で協商国は満足 し た。
-
[第113条] 異言語の一部国民 ( それゆえに ドイ ツの日常言語を伴 う国民的でない少数派)
の保護の原則 は, た し かに請求権の不確実性のゆえにまだ何 ら基本権を意味 し ない。 そ の原
則はかつ て の ポ ー ラ ン ド立法 に対立す る。
[第114条] 人格の自由の権利は自由主義理念からの全ての諸帰結を, それゆえに本来全て
の 「 自由権」 を 含む よ う に広 く 構成 さ れて い る。 それ と と も に ( ドイ ツ人のみな らず) あ ら
ゆる人間が法的意味にお け る人格す なわち権利 お よ び義務の担 い手で あ り, かつ法的意味に
おける物す なわち奴隷 と し て取 り扱われて はな ら ない と い う こ と が実際に配慮 さ れて い る。
この基本権 は ( 私的で はな く ) 公的権力に対 し てす なわち 国家の行政機関に よ っ て法律に
従わず に行なわれた 自由の制限に対 し て人格的な 自由を保護す る。
し か し, 何 ら恣意的人格を 意味せず, 「一般意思」を 意味す る立法者 に と ぅ て は, 人格の 自
由は所有権 と 同様 「神聖かっ 不可侵」 で あ る。
第 2 項にお いて は, 行政の法律適合性の原理が 自由の制限の特別事例 にす なわち 自由の剥
奪 ( 拘留, 逮捕, 禁固, 保護検束な ど) に適用 さ れ る。
[第n5条] 住居すなわち家の安全は, 人格的自由の領域の一部である。 すなわち憲法上。
-
■
㎜
住居 は法律 に従わず に行なわれた 国家機関のあ ら ゆ る侵害 に対 し て保護 さ れて い る。 法的安
定性の利益のた めに, 法律は, た く さ んの事例 において ( 差 し押 え, 捜索, 刑事訴追, 逃亡
囚人の再逮捕 のた めに) 侵害を承認す る。 住宅難 と の闘いのために個人の家宅権が強制舎営
割 り 当て に よ っ て制 限 さ れ る。
十
[第116条] 「法律による犯罪な く して刑罰な し (nullum crimennullapoenasinelege) 」
の原則は国家機関の法律適合的行為それ故 に刑罰の原理か ら の直接的帰結で あ る。 遡及効を
有す る刑事法律は我 々の法感情 と 矛盾 し, かつ憲法違反 で あ ろ う(19)。
[第117条]
, 郵便
電信 お よ び電話の
は, ① この公的行政部門において任命 され
た機関に ( 公開で あ ろ う と) 彼等に委託 さ れた郵便発送お よび電話 自体の事実お よび内容を
郵送 また は経営制度がそれを 必要 とす る ( 宛名, 電文の判読) 以上 に知 る こ と を 禁 じ , かつ
②私人または官庁になん らかの情報を与える こ とを禁ず る。 刑法によ って保護 された, 国家
ヘルマ ソ ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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行政機関に対す る送 り手お よび受け手 のこ の 自由は, 従来, 刑法的保護お よび破産手続 きの
ためにな ら びに戦争 目的のために制限 さ れた。 革命的人民代表委員会 も また, すで に1918年
9 月18日の命令 に よ っ て, 外国 と の郵便交通 を 監視 さ せた。
私的侵害 に対 し て あ らゆる封書が刑法第299条 に よ っ て保護 さ れて い る。
[第118条] 官憲 (教会, 国家) の許可な し に 自らの思想を表明す る こ とが許される 自由
は, 宗教改革闘争において まず実現さ れ,
ドイ ツにおいては最終的に1848年の革命に よって
初めて実現 さ れた ( シ ラ ーの ド ソ ・ カ ル ロ ス 「旦那, 思想の自由を与 えて く だ さ い」) 。 予防
的検閲 と り わけ プ レスす なわち世論の最重要機関に と っ ての予防的検閲は,
ドイ ツ三月革命
以前の絶対 主義 に よ る教養あ る 自由主義 に ょ っ て最 も嫌われた権力手段で あ っ た。 1813年 に
プ レ スの 自由が約束 さ れた のち に, な お プ ロ イ セ ン の国王は次り よ う に命令 し た。 す なわち
国王の事前 の裁可 お よ び検閲の書面に よ る許可 な し に文書は印刷 も販売 も さ れて はな ら ない
と。予防検閲 が原則的に除去 さ れた後の1848年以後 も官憲はなお予防的に プ レスの自由を ( 許
可義務, 保 証義務に よ っ て) 侵害 し た ( 1874年 の ドイ ッ ラ イ ヒの出版法に至 る まで) 。
意見表明 が,
と りわけプ レスの権力的な お よび し ばし ば危険です ら あ る力能 ( Macht) に
よ っ て な ん らかの法律を 侵す と きそ の 自由はな い。 例外的に, 意見表 明は公的権力に よ る違
法的侵害に対 し て のみな らず, 社会的私的権力 ( 雇主) によ る侵犯に対 し て も基本権上保護
されている。
劇場につ いて も, そ の俳優が 自らの意見を表明 し ないな らば, 決 し て検閲は行なわれない。
あ らゆる意 見表 明の完全な無制限は, ま さ し く 政治的お よび道徳的過渡期 にはきわめて危険
に満 ち てい る。 と く に露骨な営称 已ヽが, 不確定な性格の卑 し い本能だ けに と らわれる と きに
そ う で あ る 。 憲法はこ の認識を次のこ と に よ っ て考慮す る。 す なわち憲法が映画検閲, 卑俗
かつ狼褒取 締 のた めに憲法上の根拠を 与 え る こ と で あ る(20)。
2 . 共 同生 活
この第二編において市民の基本権はその特別の性質において①家族の構成員 と して②集会
お よび結社 の構成員 と して③ 自治の担い手 と して, お よび④公的官吏 と して扱われ, な らび
に⑤政治的共同体に対す るその本質的義務が扱われる。 従来の基本権は, 個別化された個人
の国家関係 に関わ っ た が, 今後の基本権は国家に対す る個人の関係において も社会化 さ れた
個人 に関わ る。
自然権的啓蒙主義は, ル ソ ーも カ ソ ト も常 に 「人間そ のも の」 を, す なわち あ らゆ る家族
的, 等族身 分的, 国民的, 一般社会的共同体 か ら解放 さ れた個人を, 抽象的な原子 と し て全
く 媒介な し に, 中央の国家権力に対置 し, かつ これに組み込んだ。 フ ラ ン ス革命の経過にお
いて ナポ レ オ ン は 自然権の こ の原始的で 中央集権的 な国家理念を , ナポ レ オ ンが市民を 殆 ど
無権利の共 同体 に よ っ て中央の全 き路線において服せ し めたかぎ りで, フ ラ ンスに実現 した。
この フ ラ ン ス国家思想に対 し て ドイ ツ ロマ ン主義が, と りわけヘ ーゲルす なわち ドイ ツ最大
の国家哲学 者が, 次の よ う な重要 な認識 を 招来 さ せた。 す なわち 家族, 経済, 職業 に根 ざす
現実 の人間 は, 多数の団体お よび共同体の媒介に よ っ てす なわち 「市民社会」 の輪に よ っ て,
健全で現実 的な国家に結び付け られて お り, そ の 「有機的な」 構成員は憲法上に も表現 さ れ
るべ きで あ る,
と。 「具体的な国家はそ の特別 の集団において構成 さ れた全体で あ る。(21)」 そ
し て 「生 き た関係は諸部分か ら な る全体 において のみ存在 し, そ の全体の諸部分 自体が特別
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近
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の下位 の集団を構成す るので あ る。(22)」 家族お よ び社 団は, 国家 の二つ の倫理的 な根源で あ
り, 国家の固有の強 さ は共同体 にあ る。
イ ギ リ ス において 国家中央集権主義 は決 し て勝利 し な かっ た。 そ こで は国家官庁の直接的
共働 な し の共同体の特定の政治的任務で あ る行政の古代 ゲルマ ン的思想す なわち 自治が依然
と し て確保 さ れて い る。 自治体 の思想 に おいて 自由主義理念 と民主主義理念が固 く 結 び付け
られて い る よ う に思われ る。 自由主義的結社の 自由は諸個人を と も に結 びつ けそ の団体結成
に よ っ て諸個人は国家生活の特定の領域 に民主的影響力を獲得す る。
[第119~ 122条] は, 自然的共同体の諸形態内部での個人の権利について扱い, かつ共同
体生活の 自然的基礎た る婚姻, 青少年 お よびそ の教育に, 憲法上の保護を約束す る。 婦人の
プ ロ レ タ リ ア化 と りわけ婦人の工場労働 が家庭生活を荒廃 さ せ, かつ子 ど も の教育を 不可能
に した こ と の確認から出発 し て この諸制 度を急進社会主義思想が攻撃 し た。 防御 と し てそ し
てやは り社会的理念 と の妥協 と し て憲法 が規定 し た こ と は婚姻お よび親 の教育はな る ほ ど保
障 さ れて い るが, 上位の国家団体 に よ っ てやは り監督 さ れて も い る と い う こ と で あ る。 これ
ら の諸規定が倫理的諸原則を 含 まぬか ぎ り, さ も な く ば これ ら の諸規定は何 ら現実的 に適用
可能 な権利で はな く , 将来発せ られるべ き法律のための指針を含むにす ぎない。
[第119条] 民法第 4編に含まれた市民 の婚姻に関する諸規定は, それ自体 と しては憲法に
よ っ て変更 さ れて いない。 それゆえ母性 には, それが婚姻に よ る も ので あれ婚姻外 に よ る も
ので あれ関係な く , 国家の保護お よび配 慮の請求権が付与 さ れる。 母性 と婚姻を等置す る,
「共産主義 における難破へ」 と容易に至 る試みを, な るほ ど憲法は全 く 企て なかった が, 発
せ られ るべ き法律に よ り非嫡出子 に も 嫡 出子 と 同様の発達の条件を創 出す る こ と を 約束 し
た(23)。 し か し, 次世代の教育を 国家が監督 し , 引 き受け る こ と がで き る の/はた だ次の場合だ
けで あ る。 す なわち親 また は代理人が彼 らの公法的教育義務を怠 る場合だ けで あ る(24)。
自然的共 同体の諸形態の法的評価への これ ら の諸方針が もた ら し た諸規定は, 違法的公的
干渉 に対 し て, 集会, 結社, 選挙, 共 同請願 の社会的形態にお け る, よ り任意の と りわ け政
治的な個人の活動に保護を与 え る。 我 々はこ こ に再び 自由主義的理念か ら成長 し た真の市民
的権利 を 目のあた り に し て い る。
[第124条] 諸個人の全体は容易に国家全体およびその秩序に脅威 とな り う る。 それゆえに
絶対主義国家は, 集会お よび結社を特別 に注意深 く 監督 し た。 集会の自由は原則的には1898
年 に実施 さ れた が, それは最終的に1908年の帝国結社法 に よ っ て規律 さ れた。 やは り また こ
の法律 のかな り重要 な諸制限 ( な かんず く 政治集会の届出義務, 屋外集会の許可制, 政治集
会お よ び政治結社か らの青少年の排除, 軍人お よび官吏への禁止) が, ワイ マ ール憲法 に よ ら
て除去 さ れて い る。 ( た と え 「教養」 が あ ろ う と) あ らゆ る群衆心理か らみて, あ る最低限の
公共の安全 の保障は, 断念 さ れ るべ きで はな い(25)。 公衆衛生√建築お よび消防警察の規定に
よ る監視を 別 とすれば, 憲法に よ っ て平 穏かつ武器を携帯 し ない集会参加が要請 さ れて い る。
屋外で はそ こ に無制限の大衆が集いかつ公共の安全が極度にそ の事実に よ っ て あ らゆる人に
す なわ ち敵 に も共存が明白に危険に さ ら さ れ う る とすれば, 国家権力は安全措置を と らねば
な らずかつ ま さ し く 危険の急迫を 国家権 力が現認 し う る場合には禁止 も あ り う る。 そ の際に
安全侵害が主催者に よ っ て企て られた か ど う かは ど う で も いい こ と で あ る。 ラ イ ヒ議会 と ラ
ン ド議会の建物の 「保護 さ れ るべ き勢力 圏」 内で は屋外集会一般が行なわれて はな ら ない。
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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[第124条] 升U法上禁止された 目的のために結社の自由が誤用されるのでない限 り, 結社の
自由は, 予防措置一般 に よ っ て制限す る こ と はで き な い。
個人の力に余 る課題 を 自発的に実行す る, 活力あ る共同体の行動に と っ て本質的な前提条
件の一つは, 統一 さ れた多数が, あた か も一人の人間の如 く に, 行動で き る と い う点 にあ る。
かかる人的団体が, そ の機関に よ っ て購買, 貸借, 借金で き る団体人格に転化 し う る こ と に
よ っ て, 団体の変遷す る構成員のあれ これのメ ンバーで な く , 抽象的な団体人格だ けが, 義
務付け られた り権利付与 さ れた り し, そ のた めに こ の人的団体は法秩序 に よ っ て初めて法律
上の一体性が与 え られ, 権利能力が付与 さ れねばな らず, それに よ っ て これ ら の人的団体の
多数は 「法人」 と な る(26)。 それに よ っ て, あ る団体にわ き出る よ う な比較的大 きな社会的 と
りわけ経済的力能を法秩序す なわち 国家が, 完全に 自由裁量に よ っ て付与す る こ とがで き る
( 特許制度) かまた はそ の際に, 団体 の特定のカ テ ゴ リ ーに と っ て権利能力の獲得を 法律上
確定す る一般規範 に国家が拘束 さ れる ( 一般規格規定制度) かまた は最後 に, 全て の種類の
団体に対す る一般お よび平等規範を 国家は定立 し得 る( 平等規範規定制度) 。 第一の制度は絶
対主義国家が守 り, 第二の制度は1908年の帝国結社法が守 り, それに よ っ て政治的, 社会的,
また は宗教的 目的を追求す る結社の権利能力について は実際上 ( カ ト リ ッ ク教団居住地 と社
会主義者に向けて) 行政の許可を要請 し た。 第三の制度は憲法第124条の基礎 と な る。 それに
よれば今や全て の種類の団体は管区裁判所の団体登録官への登録に よ っ て権利能力を 獲得す
る ( 登録団体す なわち e. V.) 。 あ る経済的業務経営を 目的 とす る団体は通商登録所への登録
に よ っ て権利能力を 獲得す る ( 商法典第200条) 。
特別 に結社の自由はベフレサイ ユ条約第177条 に よ って 制限さ れて いる。す なわち いかな る種
類の結社 と い え ど も ( こ と に例 え授業施設 にお け る と い え ど も) それが軍事 に関わ る こ と は,
構成員の年令の如何 に関わ らず禁止 さ れて い る。 それに対応す る1919年 8 月31日の ラ イ ヒ法
律は, 違反す る団体お よ び私的授業施設を解散で脅す。
[第125条] 全ての選挙に選挙の自由の保障が適用される。 さ らにその外に秘密選挙には選
挙の秘密の保障が適用 さ れる。 こ の保護の細かい規定は, 一方で は刑法に他方で は様 々な選
挙法 に, た と えば1920年 4 月27日のラ イ ヒ選挙法(27)に, 委ね られて い る。
十 [第126条] 民主的共同社会に本来自明の請願権は, 歴史的には伝来の, 絶対主義に対する
ー
闘争権 と し て のみ理解 さ れるべ きで あ る。 ドイ ツ人のみな らず外国人 も また, 一人で また は
他人 と共同 し て, 当局 に向けて審級の道が尽 く さ れた場合 には国民代表 に向けて請願 で き る。
当局, 国民代表は, そ の請願訴願を受け入れ, そ し て規定に したがって解決 し なければな ら
ない。
◇[第127条, 官僚制 と 自治] ゲルマンにおいてはゲマイ ソデは公的生活の広い領域 と りわけ
法 と経済を独 自に管理す る。 フ ラ ンスのよ り発展 し た事情において よ うや く ,
ローマ の模範
からすれば国王に従属す る官吏制度 ( 代官, カ ール大帝の領内全権委任者) は, 行政 に打 っ
てつ けで あ っ た。 そ の際 に都市か ら常 に増大す る 自治権が奪われ る と い う事 も なか っ た。 国
王に俸給を受け, 無条件に従属す る職業的官吏制度は, 経済的に先ん じ た イ タ リア ( シチ リ
アの フ リ ー ド リ ッ ヒ 2 世) において最初 に始 ま っ た, まず は新時代の絶対主義 の前提 で あ り,
継続的条件で あ る。 フ ラ ン スのルー ド ヴィ ヒ14世, プ ロイ セ ンの フ リ ー下 リ ッ ヒ大王, オ ー
ス ト リ アの ヨ ゼ フ 2 世 に よ っ て官僚警察的絶対主義は, そ の完成を見た。 悲惨 な30年戦争か
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ら辛 う じ て重苦 し く 回復 し た ドイ ツ市民層の自治に さ ら な る余力な どは殆 ど無かった。 しか
し, 18世紀以来の絶対主義 に対す る市民層の闘争は, 必然的に絶対的支配者の官僚的機関に
対す る特 に都市 ゲマ イ ソ デの闘争の形態を と っ た。 自律の民主的理念は, まず都市 自治の要
請 と し て打ち立て られ る( フ ラ ン ス革命の都市権力) 。 ナポ レオン 1世 はな るほ どフ ラ ン スに
おけ る革命的な ゲマイ ソ デの自立性を 除去 したが, 太古イ ギ リスの自治 ( Selfgovemment)
-
と結合 し た 1789年の理念は。 シ ュ タ イ ン男爵の大胆に企て られた 国家改革のモ デル と な った。
イ ギ リス において 自治が地方政府 ( Local Govemment) を 前提 とす る よ う に, シ ュ タ イ ン も
また 1808年 の彼の都市条令に よ っ て, ひ と まず全 プ ロイ セ ン国家の包括的改造のための礎石
のみを置 く こ と を考 えた。 改革に よ っ て国王の大多数の有給の家臣は, 都市 において のみな
らず, ラ ン ド ( 邦) , ゲマ イ ソ デ ( 市町村) にお いて も, また ゲマ イ ソ デにお け る のみな ら
ず, ク ラ イ ス ( 郡) にお いて も, プ ロ ヴ ィ ソ ツ ( 県) にお いて も被治者か ら な る名 誉職的 自
治機関によって取って替えられねばならなかった。 官僚的絶対主義は, 立憲国家の民主的理
念に近付け られねばな ら なかっ た。 シ ュ タ イ ン と彼の後継者ハルデ ンベルク は。 都市 自治を
越 え る こ と はなかった。 ク ラ イ ス と プ ロ ヴィ ソ ツは, 依然 と し て封建的で官僚的な権力が打
破 さ れて お らず, そ し て ハルデ ンベル ク は, ゲマ イ ソ デの 自治を一度 と し て ラ ソ ト ゲマ イ ソ
デに拡張す る こ と はで き なかった。 し か し経済地理的関係が, と りわけまず第一にプ ロイ セ
ン貴族の権力が, 改革政策を妨害 し た。 こ の権力の精神を示す も のは, 1811年に レープス,
ベ ース コ ウお よびシ ュ トル コ ウと い う ク ラ イ スか ら 出さ れた多数の訴願文書の一つで あ り,
その訴願文書で は, 古 き良 き プ ロイ セ ンが, 新流行のユダヤ国家へ変遷す る こ と を望んで い
る の か と , ハル デ ン ベ ル ク は間わ れ て い る(28)。
自治はゲ ノ ッ セ ソ シ ャ フ ト理論の基本理念で あ る。 今 日の大国家にお いて, そ こ にお いて
は, ゲ ノ ッ セ ソ は, 個人的な 出会い 自体 において, も はや統治 さ れ得 な いので あ るが, 自己
統治の民主的理念は, 通常間接的にのみ, す なわち代議制 の方法 にお いて のみ可能で あ り,
自治の民主的形式は, 原則的 に無給の, 選挙 さ れた, 職業的で な い, 名誉職官吏 に よ っ て,
今 日の分業経済国家で は常 に限定 さ れた範囲で のみ, 実施可能で あ る。 政治的共同体が, 大
き く なればな るほ どそ の課題 は広範で複雑にな り, 専門的有給の職業的官吏が必要 にな る。
し か し, 他方で大国家お よ び経済国家は ( 「官憲国家」 の形態で の) 治者 と被治者の分離を不
可能 に し た。 臣民根性か ら の制約 に よ っ て 尚 も強 く 確信 さ れて よい こ と は, 中央官憲が多様
な諸利害を 直接的利害関係人 よ り も よ く 認識 し かつ管理で き る な ど と い う こ と を 認め る こ と
は今 日の国家のか く も多様 な利益集団の利己感情には決 し て で き ないで あろ う と い う こ とで
あ る。 国家 とそ の任務の広が り と と も に必然的に, そ の市民の自己責任お よび 自主活動が成
長せ ざ るを え な いか, 住民の半分が他の半分を職業的に統治 し かつ管理せ ざ るを え な いか,
の どち ら かで あ る。 現代 の全 て の大国家 と 同様 にそ れゆえ に ド イ ッ ラ イ ヒ も また 困難 な宿命
的 な 問題 の前 に立 っ て い る。 そ の問題 と は, 中央集権化 と ( ラ ン ド 自治, ク ラ イ ス 自治お よ
びゲマ イ ソ デ 自治を含む) 分権化, 職業的官吏制 と名誉職官吏制 と い う二つ の等 し い必然的
なモ メ ン ト を柔軟 に ( 「有機的に」) 均衡 さ せ る と い う こ とで あ る(29)。
か く し て ドイ ツの都市条令 は, プ ロイ セ ンがそ の手本 と な っ た が, 市民 自ら の 自由な活動
に よ っ てレ す なわち市民がゲマ イ ソ デ代表や市会議員を一定の幹部 ( 市参事会, 参事) と と
も に選挙す る と い う こ と に よ っ て市民 に市民 自らの事項 を 管理す る権利を 与 えた。 こ の市民
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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権に よ っ て一方で 「 自らの活動範囲」 が管理 さ れ, 他方で 国家に よ っ て指定 さ れた特定の事
務が, す なわ ち 「委任 さ れた」 活動範 囲が処理 さ れ る。
プ ロイ セ ンで は, ゲマ イ ソ デ選挙は1919年 まで三階級選挙権 に よ っ て行なわれて いた。 新
た な都市条例の1920年の草案が ワイ マ ール憲法第22条に規定 さ れた選挙権の外に用意 さ れた。
す なわち個 々の都市ベ ツ ィ ル ク ( 行政管区) の頂上 に立つ ベ ツ ィ ルク 幹部, 三年毎に選ばれ
る名誉職の市会議員, 12年毎に選ばれ る これ らの市参事会の う ち の一人で あ る。 市参事会の
メ ンバーは, 部分的には無給で あ り, 部分的 には有給で あ る。 後者 に属す る のは, 市長, 市
出納官お よ び技術顧問 ( 建築顧問, 学校顧問, 医療顧問) で あ る(30)。
こ の 自治権 は ラ イ ヒ憲法 に よ っ て ゲマ イ ソ デにのみな らず, ゲマ イ ソ デ組合 に も与 え られ,
プ ロイ セ ンで はそれゆえ に ( 市 と ラ ン ドの) ク ラ イ ス組合お よび プ ロ ヴィ ソ ツ組合に与 え ら
れて い る。 そ の こ と に よ っ て これ ら の団体 には, そ の全人格め 自由への国家の法律に従わな
い侵害に対 し て保護が与 え られて お り, そ の保護は, 個人の人格の自由の保護 と 同様 の性質
と効力を有す る。
根底を揺 り動かす こ の行政改革の意義は, 1918/ 19年の憲法革命の意義に決 し て劣 らない。
行政改革は憲法革命 にそ の実際的意義を初めて あた え, かっ 後者 よ り も, よ り困難 に, よ り
長期 にわた り実施 さ れ るに違いない。 今 日行政民主化の大改革作業はよ うや く 拡張の状態に
あ る。 従来, 最終的に実施 さ れて いた のは, ただ オ ーバーシ ュ レ ージェ ソ のプ ロ ヴィ ソ ツの
自治のみで あ った。ワイ マ ール憲法第127条がゲマ イ ソ デ と ゲマイ ソ デ組合の自治を約束 した
よ う に, プ ロイ セ ン憲法第70条は今一度約束 し, 第72, 73条において プ ロ ヴィ ソ ツの 自治に
実施可能な形態を与 えた。 したがって プ ロ ヴィ ソ ツには自主立法権牡よび自治権が帰属す る。
-
前者 に よ っ て プ ロ ヴィ ソ ツ組合は, 特定の領域で は ( た と えばプ ロイ セ ン憲法第73条 に よ り
混合言語地方への二つ の公用語お よ び学校語の導入につ いて) 自立的 に法律を決定す る権限
が与えられてお り, その法律は全市民および国家官庁を拘束する。 その自治権によってプロ
ヴィ ソ ツは, プ ロ ヴ ィ ソ ツに よ っ て設置 さ れた機関に よ っ て特定分野を 管理す るが, そ の分
野は従来は国家的組織によって管理 さ れていた。 その際に区別さ れるべ き こ とは, ① 「 自治
事項」, す なわち それは, プ ロ ヴィ ソ ツが, 国家に よ る秩序 コ ン ト ロールの及ぶまで は完全に
自律的かつ 自己責任で以て プ ロヴィ ソ ツ固有の事務 と して管理す る も の( た と えば道路工事)
であ るが, そ して②委任事務, すなわちそれは依然 と して国家的事項であるが, しかし, も
はや 「直接的な国家機関」 ( 地方長官, 行政区長官等) に よ っ てで はな く , 大臣の実質的な指
令権お よび責任の下にプ ロヴィ ソ ツに よ っ て設置 さ れた官吏機構お よび官庁機構によ って管
理 さ れる ( と りわけ警察事務は固有の保安警察の例外を伴 う) (31)。
[官吏の権利] 社会民主党のエルフル ト綱領の第 2条は, 完全普通の 「人民による官庁の
選挙」 (32)それ故にあ る種のきわめて一般的な 自治官吏制を要求 し て い る。 と りわけ革命に よ
り また議会主義化 と必然的に結び付け られた立法お よび行政への政党の影響 に よ り, 既得権
の,侵 犯を恐れた職業的官吏層の安心0 た めに, 憲法は官吏の特定の基本権を採用 し た(33)。 そ
れ ら の基本権は発せ られるべ き ラ イ ヒ法律に よ っ て よ り詳細な展開を確保 し なければな らな
い。きわめて急進的な 自治 と職業的官吏制度 との間の実際的調整を形式的一般的官職適格( 第
128条) が規定 し, 国家への官吏の請求権を第129条が規律 し, 官吏の市民的 自由権お よび公
民的 自由権な ら びに基本義務を第130条 が規定 し て い る。 他方第131条 において国家は, その
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機関の義務違反 に よ り生 じ た私人の損害を賠償す る よ う義務付け られて い る。
[第128条] 第128条に従い全ての公民にその給付能力に応 じて差別無 く 帰属す る官職適格
は, 民主的理念の必然的 な直接的帰結で あ り, し た が っ て被統治者 は, 同時に統治者で あ ら
ねばな ら な い。 公的統治を指導す る官吏 ( ラ イ ヒ, ラ ン ドお よび 自治体の官吏) は, 特定の
出身身分 ( 貴族) , 特定の社会階級 ( 市民層, 労働者階級) , 政党, 宗教か ら一方的に選択 さ
れるので はな く , ラ イ ヒ の被治者全体か ら (W V 第110条第 2項) , も っ ぱ ら様 々な給付能力
の観点か らのみ, 選択 さ れる。 特定の官職のた めの給付能力は, 年令に従い (W V 第41条参
照) , 予備教育に従い ( 裁判官, 教師, 医師, 技師等) , 職業に従い (商事裁判官 と し て の商
人た ち) , 最後 に人格的天賦の才に関す る これ らの諸条件を有す る全て のも のの対等性におい
て様 々で あ り得 る。 様 々の同等に資格付け られた も のの間か ら当該国家機関は, 自由に将来
の官吏を選ぶ。 女性に対す る同等の官職適格の約束 も また対応す る資質の条件 と し て のみ理
解 さ れ るべ きで あ る。 いわゆる独身制 ( 女性官吏の結婚退職制) は, この規定に よ っ て除去
さ れた。 なぜ な ら結婚 自体で はな く ただ母親にな る こ, とだ けが官職におけ る給付 と関係があ
り う るか らで あ る。 あ る法律に よ っ て, 女性の本質におけ る よ り小 さ な給付能力が, 特定の
官職 ( 将校, 裁判官等) への就任の許可の際に考慮 さ れ る とすれば, かかる特別規定は女性
官吏に対す る例 外規定 と し て考 え られ るべ きで はない。
[第129条第 1項] 第129条第 1項は, 職業的官吏層の財産権上, 終身雇用の継続的確保に
原則的に賛意を表す。 行政で はな く 法律だ けが この原則の例外 ( た と えばゲマ イ ソ デの官吏,
商事裁判官等) を作 る こ と がで き る。 官吏関係の終了や懲戒 な どの条件 も また, 詳細に至 る
まで法律 に よ っ て規定 さ れて い る( プ ロイ セ ン憲法第79条参照) 。それによ って憲法は一方で 口
シアの レーテ システ ムを遮断 し, 他方で合衆国の素人行政を伴 う猟官制を遮断す る。ア メ リ カ
ー
で は どんな大統領の変化に も300か ら40万の官吏任命が政党員達のために新た に保障 さ れる(34)。
上司の権力 の濫用か ら個 々の官吏を 守 るた めに官吏 にはあ ら ゆ る懲戒罰 に対 し て訴願 の道
お よび ( ラ イ ヒ民法第117条の修正 において) 再審の可能性が開かれて い る。 官吏の人事文書
へめ不利 な記載 は, し ば し ば, 彼ののち の全て の履歴を 決めて し ま う がゆえ に,
ワイ マ ール
憲法は, 本人 に秘密を保持 し た人事文書一般を禁 じ , かつ官吏がかかる文書にあ らか じ め態
度を表明 し得た と きにのみ, 不利 な記載を許 し て い る。 官吏の個 々の基本権を ワイ マ ール憲
法は, 職業軍人に も確約す る。 特 に国防軍の将兵 にはそ の職務関係か ら生ず る財産権上の請
求権の主張のた めの正規の法的手段が帰属す る。
[第130条] 第130条の第一の倫理的原則もまた, 猟官制度を担 う志操に立ち向か う。 雇い
主た る国家権力に照 ら し て また かっ て の国家実例た と えば社会民主党員を 官吏層か ら排除 し
た例に照 ら し て,
ワイ マ ール憲法は明示的に, 官吏 に ( 「信条」 のみな らず) 政治的意見表明
-
の自由お よび 「団体結成の 自由」 (35)が保障 さ れる, と強調 し た。 労働者お よび職員が彼 らの
社会的お よ び経済的利益 を代表す るた めに レ ーテ代表 を構成す る の と類似 し て, 官吏 も また
その特別の立場 と活動にふ さ わ し い官吏委員会 ( 会議所) を持つべ き も の と さ れる。
[第131条] 官吏の人格のなかで市民 と国家自体が対峙す る。 法治国家が, その国家構成員
に一定の権利 の安定性を 与 え る のは, 法治国家の機関がそ れ ら の職務義務 なかんず く 国家 自
身の官吏 に対す る権利保護を保障 し, 官吏の国家機関 と し て の属性において民事法上お よび
刑事法上の訴権を 官吏に与 え る こ と に よ り, 法治国家め機関が第三者に対す る職務義務を侵
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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さ ぬよ う にす るためで あ る。 多 く の場合, 特に官吏が無資産の場合, 彼の単独の責任は全 う
さ れ得ない。 それゆえに官吏 自身の責任 に加えて 国家責任が官吏のために助けを 出す, ない
し直接に国家はひ と り責任を 引 き受け る。 も し官吏がただ私法上た と えば購買の際に国家を
代表す るな らば, あ らゆ る団体 と 同じ く 国家は自ら の代表者に対 し て責任を 負 う ( 民法典89,
31条) , しかし, 自らに託 された公権力を行使する官吏に, それゆえに↓た と えば裁判官, 公
証人, 国家地方警察隊員, 事情 に よ っ て は将校 に も, す なわち憲法上 ドイ ッ ラ イ ヒ と 呼ばれ
る も のには, 第131条に よ っ て国家責任があ り, よ り厳密にいえば次のよ う なかた ちで 国家責
任があ る。 す なわち 国家 また は当該団体 ( そ の団体は損害を 官吏に償わせ る こ と がで き る)
に原則的に責任があ り, それゆえに法律上 の例外は可能で あ る。
[第132~ 134条] 基本義務。 ドイ ツ国家を 自らの活動によって共同統治 しかつ共同管理す
る一般的権利に対応 し て必然的に, こ の自らの国家のた めに全力で活動す る あ らゆる ドイ ツ
人の基本義務が存在す る。 かかる一般的権利 と一般的義務は同じ基準で, 民主主義の倫理的
情熱を なす。 すべて の国家権力が人民か ら発すべ き も の と さ れ る共同社会に人民か ら 自分の
国家に対す る責任を 免除す る権力はない。 し かし, 近代国家の現実政治的力能は自治の中に
あ る。 「個人は, 何 ら かの方法 に よ る彼の義務遂行の中に同時に彼 自身の利益, 彼の満足 また
は計算を発見せねばな ら ない。 そ し て 国家におけ る彼の関係か ら, 彼の権利が成長す る。 そ
れに よ っ て一般的 な事柄 が彼 自身の特 別 の事柄 と な る ので あ る(36)」 対外的 に は国民主権
( N ationalsouveranitat) と し て表現 さ れ る民主主義 の理念か ら ド イ ツ人の基本義務 が発 し ,
国家に各種人的役務を給付 し, 国家を 守 り ( 兵役義務) , 名誉職を 引 き受け, 物的給付 に よ り
国家の実体的存在を可能 に し, 就学義務の遂行に よ り国家の文化的任務に協力 し な く て はな
ら な い。 さ ら に憲法 は, 必要で あれば国家 に強制 さ れ る こ の法的義務 と し て, 次のよ う な本
質的に倫理的な ドイ ツ人の基本義務を あげて い る。 それ らの基本義務に憲法上の刑罰威嚇が
附随す る と い う こ と に関係な く , 以下のそれ らの基本義務は共同体の存続に と っ て基礎的な
意味を有す る。 す なわち子 どもを育て, 精神的に も社会的に も有為な才能を教育す る親の義
務 ( 第120条) , 財産を 同時に共同の至福 に資す る も の と し て利用す る義務 ( 第153条) お よび
第163条に挙げ られた全 ドイ ツ人の労働 の義務で あ る。
近代法治国家は, 陪審席お よび陪審裁判所 に席を 占め さ せ る こ と に よ っ て裁判に市民一般
を関与 さ せ る。 近代法治国家は, 国家お よびゲマ イ ソ デを シ ュ タ ッ ツ ( 市) 議会議員, ク ラ
イ ス代表, プ ロ ヴ ィ ソ ツ代表, 国民代表 と し て市民一般 に管理 さ せ る。 国家生活の こ の領域
の行政を確定す るた めに も, ( 命令で はな く ) 法律に よ って そ の名誉職の引受が一般的義務 と
さ れねばな ら ない ( 第132条) 。 同様に ドイ ツ人一般の基本義務 と は国家お よびゲマ イ ソ デに
対 し て 「人的役務」 を ( 第133条) , よ り厳密にい えば と く に正規の裁判のた めに ( 宣誓義務)
な ら びに安全 目的お よび他の警察 目的のために ( 災害の際の緊急援助, 消防義務, 手仕事,
馬仕事) 給付す る こ と で あ る。
ド イ ツ人の最重要 の基本義務は兵役義務だ った。 そ の兵役義務は, 15万人の傭兵隊の設置
を伴 う ベルサイ ユ講和条約の第173条に よ っ て一般的な義務 と し て は廃止 さ れた。国家 に人的
役務 を提供 し かつ国家にそ の任務の実現のための手段を与 え る市民に よ っ て のみ, 国家は存
続す る。 この公的負担は, 第134条 に従 いすべて の公民に ( 原則的には外国人に も) 等 し く ,
つ ま り様 々な給付能力に従 っ て し か も法律に従 っ て課 さ れ るべ き も ので あ る。 この公的負担
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は, 今 日例外的に 自然給付 ( 舎営割当負担) で あ るが, 通常わが国の貨幣経済に対応 し て い
わゆ る公課で あ る。 公課 と は, 貨幣で行なわれ, ( た と えば裁判所 の) 公的給付に対す る報酬
と し て のいわゆる手数料お よび分担金 と し て取 り立て られるかまた は具体的に規定 さ れた反
対給付な し に租税 と し て支払われるかの どち らかで あ る。
以下 ワイ マ ール憲法 は, 宗教, 教育生活お よ び経済 と い う ドイ ツ国家の三つ の文化的力 に
対す る原則的な権利関係を 規律す る。 ド イ ツ人民の政治生活に対す るそれ ら の強烈 な意義 は
その基礎 と な る法律群における これ らの特別の地位に よ っ て認め られる。 宗教, 精神文化お
よ び経済は, 継続的 な変遷 の効果 と し て 国家を 規定 し, かつ継続的に国家に よ っ て規定 さ れ
る。 た と え文化領域の生活断面において はあれ これの力の強かれ弱かれ一種の優越が明白に
顕れて い よ う と も, これ ら の力の どれ一つ と っ て も人民の政治史 において継続的に意義を 持
ち続 けな い も のはなか っ た。 これ ら の三つ の文化的力の青年時代 には, 政治的な文化 は他の
全て の文化 と 同様 にほぼ完全 に宗教的文化の支配の下にあ る。 その宗教的文化の支配か ら経
済, 芸術お よび世俗的教育が徐 々に 自立 し て ゆ く ので あ る。 経済生活の完全 な発展 と と も に,
文化の発展が進む と, 経済生活の, 国家生活に と っ て の常 に存在す る意義が初めて認識 さ れ,
かつ経済生活は常に変化す る政治的役割を演 じ る。 資本主義的な経済体制の革命的な効果 は,
いわゆ る唯物論的な ( よ り正 し く は経済主義的な) 歴史把握を 生み出 し た。 そ の歴史把握 は,
経済的生産様式を歴史発展の最終的な動か し手 と も主張 し た。
3 . 宗教お よ び教団
当然なが ら, 宗教が経済体制 に反 し て あ るいは経済体制抜 き にで はな く , 経済体制 と結 び
ついてのみ現代の国家生活 において も どれ く ら い強力な役割を演 じ た か, ま さ に宗教が近代
国家を どんなに強 く 深 く 革命 し た か と い う こ と は, 上記略述の 自由権発展史にお ける ほ ど明
瞭に, 認識で き る領域 はな い。 ゲオルダ ・ イ ェ リ ネ ッ ク は次の こ と を 異論の余地 な く 証明 し
た。 「不可譲 の, 生来の, 神聖 な個人の権利を 法律上確定す る と い う思想は, 政治的起源で は
な く , 宗教的起源を有す る。(37)」
国家 と宗教 な い し 僧侶階級 と の密接 な結 びつ き は, そ れを 古代東方専制が示 し た よ う には,
な るほど西洋には依然 と し て知 られていない。 し か し, こ ち らで も教会は, 中世の精神文化
のほぼ唯一の担い手 と な っ た のみな らず, 自らを大土地所有お よび強力な政治的影響力を伴
う世俗の権力団体に組織 し た。 そ の政治的影響力は, 1100か ら恐 ら く 1400を数 え る国家のそ
れよ り も ほ と ん ど圧倒的で あ った。 人間の内面 と い う教会に本質的な領域 に戻せば, 教会は
ま さ し く こ の深みか ら全て の政治的理念お よび運動に荘厳 さ と活動力を他の精神的勢力には
見 られな い く ち い に与 えた。 それゆえ に国家は教会 に注 目し な ければな ら な い(38)。
国家 と教会の関係の全面的発展において は, - あ る文化圏内で は一疑い得な い合法則性が
はっ き り現われる。 そ の原理は, 「二つの共同体り 最初のよ り緊密 な結 びつ きか ら ます ます貫
徹す る区別への恒常的な過程で あ る。 それは精神的な 目には二つの円の観念に よ っ て象徴化
さ れる。 それはまず合同 し, いた る と こ ろで交わ る。 次に円周で接 し て, 最後に完全 に分離
す る。 分離す る傾向を も っ て 円周で接 し て い る と い う のが, おお よそ の今 日の状況で あ る。
今 日も なお, そ し て, 革命があ った に も かかわ らず。(39)」
国家 と教会の一体性はあ り う る し, 歴史上, 教会組織の下への国家組織の包摂お よび従属
( 中世の教会 国家制) と し て実現 さ れて い るか, また は逆 に, 14世紀か ら18世紀半ばにかけ
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
て, まず皇帝教会主義 と し て, 次 に領主教会主義
それの
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地には彼の宗教) と し て発展
し た よ う な 国家教会制 と し て 実現 さ れて い る。
領主に よ る教会支配 ( ヨ ゼ フ 2世, ルー ド ヴィ ッ ヒ14世) に対 し て宗教改革の精神 は矛盾
す るばか りで はなかっ た。 つ ま り, 「天 と地が存在す るかぎ り, 聖界の支配 と世俗の支配を分
け るべ きで あ る。(40)」 そ れだ けで な く 政 治的 に不可能 と な っ て し ま っ た。 す で に選帝大侯 が,
そ し て法律上は1794年のプ ロイ セ ン一般 ラ ン ド法 ( それはそ の境界内で はプ ロテ ス タ ン ト と
カ ト リ ッ ク を 同居 さ せた) が, 同権国家を創 出さ せた後 は, 19世紀を 経て他の ド イ ツ諸国家
が こ のシステ ムに従 っ た。 そ し て, 教会はそれ らの諸国内で は も はや支配 さ れるので はな く ,
ただ世俗の事項において のみ服属 し, 保護監督す る国家の教会高権が留保 さ れた にす ぎない。
その宗教政策システ ムは, 1918年の革命に至 るまで ドイ ッ ラ イ ヒのそれであ った。 こ のシス
テ ムに対 し て最近の政治的可能性す なわち 国家 と教会の分離は, な るほど1849年のラ イ ヒ憲
法に よ っ て宣言 さ れた が, 依然 と し て た だ一層差 し 迫 っ た要請 で あ る にす ぎなかっ た 。 他方
で いわゆ る並列 シ ス テ ムす なわち 国家 と教会が二つ の主権的共 同体 と し て 国際法上同格で あ
る と い う ドイ ツ中央党に よ っ て唱道 さ れた カ ト リ ヅク の理論は, 政治原理 と し て はた だ一時
的な意味 ( 法王 と フ ラ ソ スレ バイェ ルソ, オース ト リア と0 かな り前のコ ン コルダー ト [協
約] さ らに今 日の法王の教権の使節の権利) を有するにす ぎな かった。 諸宗派による国家キ
ー
リス ト教制 の ロマ ン主義思想 も, それがた と えば国際的には神 聖同盟 に よ っ てレ プ ロ イ セ ソ
国家で はシ ュ タ ール, ア イ ヒ ホル ソ,
ビス マルク に よ っ て, 主 張 さ れた 思想で あ る よ う に,
政治的には意味がなかった。 なぜな ら信仰の自由り 法原則 と は一致 し得ないか らで あ る。
個人の信仰の自由お よび礼拝の自由は, 上述のご と く 自由主義理念の原型で あ り, 他の全
て の「生来の」, 国家に よ っ て与 え られた ので ない, それゆえに不可奪の人権の歴史的根源で
あ り, 精神的 自律を基礎 とす る我 々の文化の根本前提であ る。 一般的信仰の自由の必然的帰
結 は, 全て の宗派お よ び教団の国家に よ る同権的取 り扱いで あ り, 国家は, 終始一貫, あ る
特別 の宗教 と一体化す る こ と も, 一つ の教会 に従属す る こ と も 許 さ れず, あ ら ゆ る方法で 「脱
教会化」 し なければな らず, 逆に, 教会 も脱国家化 し なければな らない。 アノ リカ合衆国や
フ ラ ン ス と い う人権 の典型的 な諸国は, 国家 と教会の分離の こ のシ ス テ ムを極めて早 く , 極
めて徹底的に実施 し た こ と は何 ら偶然で はな く , し か し, 同様 に これ らの国々におい てす ら,
分離が純粋に可能で あ るわけで も決 し て ない こ と も偶然で はな い。 全て の権利は伝来 の生 き
た社会的諸権力の表現にす ぎな い。 いかな る力 も宗教以上 に強 く かつ継続的に個人的生活 と
社会的生活には浸透 し ない。 合衆国において もた と えば慣習法上 カ ト リ ッ ク は大統領 になれ
ない し , かつ連邦議会は祈 り に よ っ て開会 さ れるので あ る。
それゆえ ドイ ツで は一千年 の婚姻, 学校, 社会お よび国家に おける宗教的伝統 と宗教的闘
争が無数の宗教的制限を創 出 し, また二つの大教会の関係にお いて し っ か り実現 さ れた権利
状況を 創出した が, 1919年の革命 も また教会 と 国家の分離を 完全には実施 し得なかっ た。 全
体的には今 日の権利状況は国家の教会高権のシステ ムと両組織 の分離のシステ ムの間の中間
段階 と し て特徴づ け る こ と がで き る。
[第135~ 136条] 個人の信仰の自由(41)。 国家は, すでにフ リ ー ド リ ッ ヒ 2世がやろ う と し
た よ う に, ( ド イ ツのあ ら ゆ る公民のみ な らず) 何人 も 自己流 に天国にいけ る よ う に さ せ, 妨
げ られない宗教的活動を彼 に許 し, し かもそれを教会高権の原理に対応 し て あ らゆ る侵害か
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近
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真
ら守 る。 他 の全て がそ う で あ る よ う に, こ の 自由権 も法律の力にそ の限界を有す る。 宗教戒
律また は礼拝が, 国家の命令 ( た と えば兵役義務, 警察規定) に違反す る と, 彼は何 ら の自
由を も享受 し な い。 人間の宗教的活動 は, 国家に対す る彼の関係に と っ て何 ら重要性を 持た
ず, 国家に法的 には利益 も不利益 も も た ら さ な い。 と りわ け官職適格 に関 し て は, 関係 な
い(42)。 自由な宗教的意見表明の権利は, すで に第118条 に よ っ て保障 さ れて い る。 し か し, 何
人も 自らの宗教的信念を秘密にす る権利があるに し て も, 彼の外面的な宗派所属への質問に
彼は次の場合には回答 し な ければな らない。 そ の回答が何 らかの権利 また は義務 ( 教会税)
を決定すべ き も ので あ る と か, 法律に よ り命 じ られた統計 ( た と えば人 口) に役立つべ き も
ので あ る場合で あ る。 ( いかな る生徒, 兵士で あろ う ど) 誰 も ( 自分の教会に よ っ てで あ ろ う
と) 何 らかの礼拝行為を 強制 さ れて はな ら ない。 同様 に, かっ て の宗教的宣誓強制は破棄 さ
れた (W V 第177条参照) 。 他方で何人 も, いかな る宗派に属す る兵士で も, 一般法律の枠内
で 自らの宗教的義務を 果たす 自由を有すべ き も の と さ れ る。 ( 第140条)
[第137~ 141条] 社会的礼拝の自由。 個人的信仰告白の自由がたんに意見表明の一般的自
由の特別の場合 にす ぎず, 論理的法律的理 由に由来す る憲法 にお け る特別の取 り扱 い以上 の
ものを, そ の歴史的な意義のゆえに発見す る よ う に, 教団の団体結成の自由も また, 今 日原
則上一般的結社の自由の特殊 な事例 と い うだ けのこ と で あ る。 宗教的結社は, 権利能力の獲
得に関わる も ので あ ろ う と, 原則上他の全て の結社 と 同様 に扱われる。 その限 りで, 教会の
団体結成 と いえ ど も, 特権を受 けた り, 不利益を受けた りす る こ と はない。 つ ま り, 丁国教会
は存在 し な い」 ので あ る。 そ れ と と も に, それ まで は領主において ( ハ ソ ザ都市 にお いて は
市参事会において) 一体化 さ れた教会に よ る統治権力が除去 さ れた こ と に よ っ て, 極めて重
要な点の一つ にお いて 国家 と教会の分離の原則が実現 さ れて い る。 従来君主に従属す る 国家
官吏によって管理 された教会官庁 (文部省 [Kultusministerium] , 高等宗教法院, 宗教局)
は, き ち ん と法律 に よ っ て廃止 さ れ るべ きで あ る(43)。 国家の宗教高権のシ ス テ ムにお いて ど
の程度国家が教会の体制 に干渉す る こ とが許 さ れるか, よ り正確な規定が必要で あ る。国家は,
今 日, 他の結社を 監督す るの と変わ る と こ ろ な く 教団を 監督す る。 と く に教団にそ の事項す
なわちその管理の任命な どの管理を委ねている。その限 りで分離原則は厳格に実施さ れてい る。
し か し, 他方で上述の理 由か ら分離を最後 まで貫徹す る こ と は不可能で あ った。 国家は,
第137条第 5 項 に従い, 私的結社 に優越す る法的地位を教団に付与 し, 教会高権のシ ステ ムに
おけ る よ う に, 今 日も な お, 教団にかな り の関係 にお い て保護 と助成を 与 えて い る ( 弁護
[Advokatie] の原則) 。 しかし, 国家は, かかる優越的地位を もはや個々の教会に与える( 従
来はただ カ ト リ ッ ク, 古 カ ト リ ッ ク お よびエ ヴァ ソ ゲ リ ッ シ ュの ラツ ト教会にのみ与 えて い
る) ので はな く , 全て の教団に, いやそれだ けで な く , 全て の世界観共 同体 ( た と えば一元
論連盟, 自由思考協会) に保障 し て いる。 この結社の優越す る法的地位は次の点にあ る。 す
なわち この結社が, そ の体制お よび構成員の数に よ っ て のみ, 存続の保障を与 え るかぎ り,
この結社は, 公法団体 と な り う る と い う こ とで あ る。 その こ と に よ っ て 国家はこ の団体結成
の力を 国家 に向け られた も の と し て承認す る。 こ の属性の極めて重要 な帰結 と し て はかか る
教団が, 税金を取 り立て る こ と が許 さ れ, 公的官庁が税金 リ ス ト を この教団に こ の 目的のた
めに利用で き る よ う に し てや り, かつ国家は, こ の税金の取 り立て のた めに こ の教団に行政
強制力 (世俗の腕 [dasbracchium saeculare] ) を付与す るレ と く に二つの大キ リス ト教会
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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のよ く 実現 さ れ受容 さ れた権利関係 に干渉す る こ と の決 し て な い よ う に, ラ イ ヒ憲法 は ラ ン
ド立法の詳細な規律に委ねた。 それに よ っ て こ の関係は詳 し く 規定 さ れる。 教団への公共団
体的性質の付与に よ っ て, た と えば 日曜 日の法律的保護お よび国家に承認 さ れた祝祭 日 ( 第
139条) に よ っ て, 分離原則は同様 に破壊 さ れ る。
教会高権 のシ ステ ムにおいて妥当す る弁護の原則に従 っ て, 国家は大キ リス ト教会 に物質
的支柱を も 保障 し た。 文部予算において エ ヴァ ソ ゲ リ ッ シ ュの教会統括官庁に対す る経費,
聖職者に対 す る俸給 と年金, 教会建築 に対す る補助金 な どが承認 さ れた。 し か も, 分離原則
に対応 し て 全て のこれ らの給付は, ラ イ ヒ法律の原則の枠内で の ラ ン ド立法に よ って解決 さ
れるべ きで ある。 す なわち 国家はそ の給付を 中止 し, かつ教会に損害賠償す る ( 第139条) 。
ラ イ ヒが対応す る法律を発す る まで, 従来の国家給付は続 く ( 第173条) 。 ラ イ ヒ は宗教的団
体結成にそ れ ら全て の結社権を保障 し , かつそれ と と も に宗教改革以来非常に し ばし ば行な
われ最後 に1865年のフ ラ ンス国家が行 な った教会財産の没収を拒否す る。 最後に分離原則は
国家が, 軍 隊において, 病院, 捕虜収容所お よびそ の他の公共施設におけ る牧師活動で の教
会の関与を も ぽや国家の経費 と はみな さ ないが, こ の活動に入 った個 々の教団には何 ら の邪
魔立て も し ない と い う関係において も , 実施 さ れて い る ( 第141条) 。
4 . 学校 お よび教育
( 革命的 な) 憲法制定におけ る精神生活お よび国民教育に関す る原則の採用は, 精神 と力
を 対立物 と 考え る習慣を 持ち, 非政治的 に思考す る も のには 目立つ こ と かも し れない。シ ラ ー
の言葉がは っ き り さ せ る。 す なわち 「誰が精神を形成す るのか, 彼に最終的に支配権が生 じ
なければな らない。」そ して社会闘争に よ っ て解放 さ れる精神発展はない とい う こ とを ま さ に
こ の憲法規定が実証 した。 こ の憲法規定は特 に困難 な事情の下で諸政党の妥協に よ っ て成立
し た も ので ある。 教育 と教育組織は, 中世 において はほぼ専 ら教会に よ っ て担われかつ支配
さ れたが, ルネ ッサ ン ス国家の成立, 人文主義 の成立お よ び市民的文化の発展 と と も に, ま
す ます世俗 の, す なわち都市の,
と りわ け教会 の上 に同権的 に立つ 国家の影響下 に入 っ た。
すで に1540年 ブ ラ ンデン ブルク 家の ヨ ア ヒ ム 2 世は, それを 「キ リス ト教お よび善良め政策
を 保持す る ために, 青年がそれを 学校 で教 え られる こ と が必要で あ る」 と宣言 し た。 し か し,
全て の精神 は, 絶えず, その社会的制約か ら の解放を 求め, ついで 自らを 囲む共同体を 固め
た り, 破壊 した りす る, 完全な 自由に恋い焦がれる。 精神は, 自由を欲 し, かつ教会組織の
権力や教義 に縛 られ る ご と く , 近代国家のまた は一政党の権力政策 目的に無条件に従 う こ と
を欲す る こ とは決 し て ない。 これに反 し て, 政治的, 国民的 また は宗教的共同体が, 危険に
瀕 し ていた とすれば, かの共同体の自己保存本能は, 誰かあ る人か ら成 り立つ精神に反 し て
も, 防御のために立ち上がる。 精神 と社会組織のこの破壊的お よび創造的対抗の中には, 一
方で教会 と 国家の, そ し て他方で は教会 と学校 の間の困難 な問題 が伏在 し て い る。 学校 に対
す る歴史的権利お よ び今 日的権利 のた めに教会 は闘い, 国家は教会 と こ の権利を争 う のみな
らず, そ れを こ えて学校お よび教育に対 し て制限的に干渉す る こ と が 自らの責務で あ る とす
るか, また は自らの責務で ある と信 じ てい る。 しかし, 生け る精神は, 両者の国家に も教会
に も権利 を 主張七 よ う と し , かつ 自由に望む共 同体を共 に構成 し よ う とす る にす ぎな い。
精神的人格の自由の自由主義的理念 は, こ こではそれに よ って二つの主要な戦線すなわち
教会 お よ び国家に対 し て闘 う。 教会が, 学問お よび教育に影響力を 持つべ きか否か, お よび
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いかな る影響力を 持つべ きか と い う問題 は今 日の主権国家において 国家 と教会の対立の問題
で あ り, かつ それ 自体 と し て も上述の分離問題 に属す る。 国家は教会か ら まずそ のかつ ての
義務お よび最後には教育お よび学校に対す るそ の社会的権利 さ え も奪 った。 し か し, 今 日国
家 自体 は何人 を も 自ら のや り方で天国に送 る こ と がで き るのみな らず, 主要問題 にお いて 自
らのや り方で精神的に生活 さ せ, かつ教 育 さ せ得 る。 それゆえ世俗化 に よ っ て学校の完全な
徹底的な 国家化が実現す るわけで はな く , 政治機構 に対 し て も学校 は自ら の 自由主義的な 自
由権す なわち そ の精神的 自立性を守 る。
自由主義的理念のみな らず, 民主主義 , 国民主義お よ び社会主義的 ( Soziale) 理念 も ま
た, 学校形態 と ドイ ツ学校教育の精神を ラ イ ヒ憲法のなかに形成 した。 こ め形成物の自由主
義的指導思想 は, 世俗化す なわち教会に対す る学校の独立で あ っ た し, 自立性す なわち一方
的国家干渉か ら の学校 の自由な ら びに教 育権の決定的な影響で あ っ た。 つ ま り, 民主主義の
原則は, 一般就学義務 [A11gemeineSchulpflicht] を要求した し, かつ全員に共通の基礎学
校を要求 した 。 そ し て社会主義の理念に対応 し て 国家は物質的援助を, 民主主義的施設に無
一
産者で も接近 で き る こ と に よ っ て, 給付 し な ければな ら ない。 ドイ ツ国民の精神 において青
年の教育は良導 さ れ るべ きで あ る(44)。
[第142, 143条] 第142条は, 国家機関による違法な侵害から芸術, 学問および教授の活動
の自由を保障す る。 この自由性 [Liberalitat] も当然ながら小学校教師と同様, 大学教師に
と っ て も 国家法律 にそ の限界を 有す る。 し か し , 第142条 は, これ ら の諸活動の( た と えば教
会に よ る干渉 に対す る) 保護 と 国家的助 成を も義務付 け る。 青少年教育への配慮は, 世俗的
共同体 ( 今 日で はラ イ ヒかつて は専 ら ラ ン ドお よびゲマ イ ソ デ) の問題で あ る。
教員養成は, 将来において, 学問原理 に従い ラ イ ヒ に統一的に規律 さ れねばな ら ない。 公
立学校 におけ る教師が完全に国家官吏で あ るか ど う か, 彼 らが ( そ の権利お よび義務を有す
るのみな らず y 全て 間接 また は直接 に国家官吏で あ るか ど う かは, 学説 にお いて も裁判 にお
いて も争われて い る し, また第143条第 3 項 に よ っ て決定 さ れな い。 し か し, 通説か らすれば
彼 ら は直接 に国家官吏で あ る。
[第144条] 教会による学校監督にかわ る世俗の学校監督は, なるほど革命以前にすでにた
いて いの ドイ ツ連邦諸国にお け る ( リ ッ ペ ・ デ ト モル ト & ロイ ス直系 にお いて で はな く ) 長
い闘争の結果 と し て ( た と えば1872年の プ l==・イ セ ソ の文化闘争において) 実現 さ れて いた。
し か し , た い て,いの ラ ン ドで 国家は形式 的 にのみ監督を づ けた。 そ の場合国家は, 国家の委
託において, カ ト リ ッ ク聖職者 と エバソ ゲ リ ッ シ ュ聖職者か ら殊 に監督を どん どん と派遣 さ
せた。 今や こ の点で も学校は世俗化 さ れて い る。
[第145条] ( 従来の就学義務は予備校お よび家庭教師の訪問によって も満足させ られ得る。
それゆえにそ れは本来授業の義務があ っ た。) 従来の就学義務の全員に共通の基礎学校す なわ
ち小学校 の最初の 4 学年への通学の 「原則的」 義務への変化は, 民主主義的理念に対応す る。
1920年 4 月28日の ラ イ ヒ法律 に従い, 当該官庁 は, そ の義務教育の代わ り に 「例外的に特別
の場合 にのみ」 個人授業を 認めた(45)。 就学義務を 義務付け られた共同体 に よ っ て, 小学校お
よび続 く 上級学校 において, 従来のよ う な授業のみな らず, 教材 も, 無償で用意すべ き もの
と さ れ る。 原則的に両親 の経済的状態や社会的状態が, こ ど も の特定の学校への受 け入れを
決定せねばな ら ぬ と い う こ と があ っ て はな らず, 中等学校お よ び高等学校 にお いて も公的資
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
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金に よ っ て困窮者に職業教育が可能に さ れねばな ら ない。
[第146条] まった く この条項は学校の宗派性をめ ぐるかな り重大な闘争の帰結であ り, か
つ 「学校妥協」 (46)の痕跡を 至 る所で 明 白に帯 びて い る。 こ の条項 は将来 に立法 に綱領的指針
を示 し た にす ぎない。 し たが っ て基礎学校 は原則的に諸宗派共同の ( 信仰告白か ら 自由なの
で はな い ! ) す なわち ( カ ト リ ッ ク , プ ロテ ス タ ン ト の) 宗派混合学校で あ る と さ れ る。 す
なわち, こ の学校 は教員採用 と生徒入学 の際には宗教的告 白を無視す る。 し か し, 宗派混合
学校 ( それは宗教授業を与 え得 る) の世俗性に対 し て, 中央党は宗派学校, 信仰告 白学校の
可能性を 貫徹 し た。 こ の関係にお いて憲法 はそ れ と世界観学校を 同一視 し た(47)。 す なわち そ
れは何 ら固有 の宗教授業を 与 え る も ので はな いが, それに よ っ て教育権者の自由権は承認 さ
れ, 教育権者が信託 し た者の精神形成への教育権者の影響力を 行使で き る。
[第147条] 学校の民主化の原則 とはいわゆる予備校 とは絶対的に一致せず, それは ( 公的
に も私的に も) 1920年 4 月28日の ラ イ ヒ法律第 2条に よ っ て廃止 さ れ る。 かの民主化原理 と
は相対的に矛盾す るが, 憲法第146条第 2 項 または教育行政の教育学的利益によって 自らを必然
的な も の と し て示す私立小学校 は, 両親 の財産関係に したがった生徒の特別扱いを促進 し ては
な らず, かっ 十分な職業教育お よびその教育力の社会的確保に保障を与 えな ければな ら ない。
[第148条] 第148条は, 全ての種類の学校に共通の若干の教育目標を設定する。 第 1項お
よび第 2 項は, 教員に と っ て今 日すで に義務付ける力を有す る。 そ の際に強調 さ れるべ き こ
と は, 世界市民性 と 自らの う ち に固め られた政治的国民性 と は, な るほ ど非常 に獲得 し がい
があ り, かつ ま った く 相容れない も ので はないが, 今 日の ドイ ツ人民の状況において は併存
は困難 だ と い う こ と で あ る。
[第149条] 次のこ とは自由主義の理念に対応す る。すなわちなるほど宗教授業は学校に と っ
ての義務 ( 宗派か らの自由の例外を伴 う) で あ るが, け っ し て教師や生徒 に と っ て のそれで
はな い。 宗教授業 の教授法上のお よび教育学的な形成は, 国家的学校立法の問題で あ り, 関
係教会の精神で の宗教授業の授与を, 国家は誰にで あろ う と, 教会にで あろ う と, 好 き にや
らせ得 るが, 国家は宗教授業に関 し て も監督をす る。 大学で の神学部の保持が↓国家 と教会
の分離が不完全で あ る こ と を証明す る。
[第150条] 第150条は, 第142条第 2項に挙げられた国家の芸術保護を詳細に敷術した。 そ
れに, 歴史的記念碑お よび天然記念物の保護が並ぶ。 1919年国民のために芸術品の輸出が禁
止 さ れた。
5 . 経済生活
個人主義の発展は, 前 も っ て家族お よび故郷, 教会お よび身分, ギ ル ドお よ び ツ ン フ ト に
根付 く 人間か ら, 形式的権利か らすれば平等で 自由な個人の社会を創 出 し た。 「 し か し, 市民
社会は, この絆から個人を解放 し, 市民社会の構成員相互を疎外 し, かつ彼 らを 自立 した個
人 と し て承認 し, さ ら に市民社会はそ こで市民が生計を立て外的無機的 自然お よび父な る大
地の代わ り に彼 らの財産を補充 し, かつ全て の家族 自体の存続を市民社会への依存 に, した
がっ て偶然性に任せ る。(48)」 この経済だ けに留ま らない徹底的な全社会生活の変単は, やは り
また 19世紀の社会思想を も変革 し た。 職人の抑圧 さ れた経済状態は, こ のための最 も捧猛な
誘因に他 な ら な か っ た。 よ り深い原因は, 容易に動揺 し がち な生産 と い う客観的不安定性で
あ り, それ と結びついた, 労働者の経済的存在 と い う主観的不安定性で あ る。 労働者 は毎 日
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を 「ばんそ こ う」 で繋げる こ と がで き るので あ る。 広 く 営 まれる分業, 労働生産物 と労働の
機械化の分離は, 他方で全て に共通の対立的相互作用の中で, ルネ ッサ ン ス以来発展す る個
人的批判的思考 と共 に成立 し, そ の思考 は経済, 学問, 芸術, 政治, 倫理お よ び宗教 にお け
る, 全て の価値を 例外 な く 問題 に し た。 か く し て全社会の構成部分お よ び権力配分は ぐ らつ
いた。 そ し て はっ き り し た のは, こ の憲法 に と っ て必然的帰結 は, 「国家制度 と並んで独 自の
社会制度が成立すべ き も の と さ れ る(49)」 と い う こ と で あ る。 個人主義的で合理主義的な社会
思想の政治的成果 は, フ ラ ンス革命 と そ の帰結で あ った。 経済的帰結 において は, それは資
本主義 と い う ス ローガンの下に総括 さ れた ま った く 特徴的な形態で表現 さ れる。 政治的革命
主義 に対す る反動 は,
ド イ ツにお いて はヘ ーゲルお よび ロマ ン主義者 に よ っ 七出発す る。 生
活を ね じ 曲げ る主観的悟性に対 し て事物 のなかに存在す る客観的理性が強調 さ れ る。「法は既
` 存の諸関係の言明で あ る」 と シ ュ ラ イ ェ ルマ ッハーは言 った。 し かし , こ こか ら経済的無政
府性に対す る反動, 社会主義的 ( Soziale) 理念お よびそれを政治闘争のために体系化す る社
会主義 ( Sozialismus) も また精神的道具を受け取 る。
マルク ス主義 も, 客観的社会的存在が意識的存在を規定す るので あ っ て逆で はな い, と主
張す る し, かつ こ の客観的社会的存在の比較的動かない起動者 と し て経済を認識す る こ と を
本質 とみなす。 社会はマルク ス主義に と っ て全 く 経済社会であ る。 経済社会が変化すれば,
国家, 法, 宗教お よび人倫の全上部構造が同時に変化す る。 も ち ろ ん社会主義はマルク ス主
義 と は同一視 さ れな い。 いわんや社会主義的 ( Soziale) 理念す なわち 自由主義経済への国家
活動の規制的介入に よ っ て ( 社会政策お よび経済政策に よ っ て) 成立 し た形成物 ( た と えば,
社会的保守的 ビス マルク帝国の偉大な保険事業お よび労働者保護立法) の総体 と見間違 え る
こ と はほ と ん どな い。 社会主義は, む し ろ, 以下の社会把握で あ る。 す なわち私的所有に諸
悪の根源を 見いだ し, かつそれゆえに, 財産の社会化 (Vergesellschaftung) を勝ち と ろ う と
す る社会把握で あ る。 社会主義運動 の現代 の思想は, 専 ら, マル ク ス に支配 さ れて い る(50)。
+ 1918年の革命の担い手は, 同時にマルク ス主義的社会主義の担い手で あ る。 上述の こ と か
らすれば, 即座 に, なぜ こ の憲法において重要 な意味のあ る章 「経済生活」 が表れた のかは
自明で あ る。 こ の章 は, 何 ら以前 の章 には存在 し なかった。 さ ら にまた 自明な こ と には, こ の
章は, 多 く の表 明 さ れて きた社会主義 ( Sozialistische) 思想を 含んで い る。 し か し , 自由主義
お よび民主主義の理念が, 外在で あ り, 社会的現実において支配を創 出し だ のに, 社会主義理
念は, 従来本質的にイ デオ ロギーに留ま っ て いた。それゆえに憲法の最終章の内容は, 以前の全
てに増 し て, 単な る綱領規定お よび何 ら適用 さ れない法にす ぎない命題を含んで いる。し かし,
その章は, 市民層の個人主義的( 資本主義的) 経済理解 と プ ロ レタ リ ア ー ト の獲得 さ れた社会
主義的経済改革の間の全 く 不明瞭であま りにも困難な対立における爆発点を内包 しているので
ある。 さ ら に, こ こで は明確な法で文面化 さ れた明瞭な実例を, まだ誰 も見た こ とがないので
あ る。かかる対立の精神は, 憲法上疑 い も な く 存在す るが, マルク ス主義的階級闘争 と独裁の
精神ではな く , よ り適正な富の分配のための調整および可能なかぎ りの双方合意の精神である。
[第150ぺ154条] か く して次のこ とが説明され得る。 すなわち この章は極めて明瞭にも社
会的対立の未調整の刻印を示す。 明瞭な 自由主義的規定 と並んで, 同様 に明瞭にそれ と対立
す る社会主義 ( Sozialistische) 規定が並立す る。 か く し て第151条が, 社会主義の倫理的 な基
本思想を表 明 し て い るかぎ りで,
ド イ ツの最初 の近代社会主義者で あ る フ ィ ヒ テ はそ れを 次
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
59
の言葉で表現 し た。 「全ての人間活動の 目的は生存 し得 る と い う こ と で あ る。生存す る こ の可
能性を 求め る平等な請求権を , 生 まれなが ら生 き る こ と を 定め られた全て の人が有す る。(51)」
し かし, 以下の命題 と第153, 154条は, ま さ し く 個人主義経済の基本支柱を保障す る。 す な
わち 「諸個人の経済的 自由」, 「商業お よび営業の自由, 契約の自由, 財産権お よび相続権」
で あ る。 「法 はま さ に本質上現存 の諸関係の表明にす ぎな い。」 一憲法が, ボルシ ェ ビキの憲
法のよ う に単な る紙切れに留ま っ て はな ら ない と し て も, 憲法は, 何 ら新た な経済状態を 「作
る」 こ と がで き るはず はな く , 法的に現存の諸関係を支配的倫理す なわち法的観念に対応す
る も のに移 し替 え得 る法律的手がか り を与 え る こ と で満足 し な ければな ら な い。 わが国の憲
法はそ の よ う に対処 し た ので あ る。 つ ま り憲法は第一 に行政 に対 し て 「法律に よ っ て」 現存
経済秩序を追認 し た。 す なわち決 し て将来におけるその存続を も保障 し たわけで な く , それ
どこ ろ か逆 に, 同じ く それ と並んで定め られた綱領 に従 っ て のそ の法律的改造に約束を与 え
た ので あ る。 し か し, 第二 に憲法は, 私的経済か ら共同経済への移行のた めの基礎を なすべ
き枠法律を創 出す る こ と に よ っ て 同様 にまた こ の改造のために憲法的挺子を与 えて い る。
か く し て私有財産の保障か ら直 ち に言明さ れ る こ と は, 私有財産がいつで も損失補償 な し
に ラ イ ヒ法律に よ っ て収用 さ れ得 る と い う こ と で あ る。 私有財産は, 原則的にはも はや 自由
主義的な 自然権のご と き 「不可侵の」 「神聖な権利」 で はな い。 私有財産は, 義務付け られ,
かつ個人的必要充足 と並んで 同時に社会的任務を意味すべ き も の と さ れる。 相続権の保障 と
並んで直 ち に国家的共同体 の相続分を 求め る請求権がそ こ にあ る。 それはそれで社会的で は
あ るがまた完全 には社会的主義で はな い理念で あ り, そ れが こ こ で表現 さ れて い る。
[第155, 156条] 社会主義思想を二つの以下の極めて重要な条項が含んでお り, その条項
は, 二つの最 も重要 な生産手段す なわ ち土地 と土壌お よび経済的企業に対す る国家的共同体
の関係を 原則的に規律す る。 こ の 「社会化 ( Sozialisierung) 条項」 は, 共同経済への実際的
方途を示唆す る。 そ の際に, 第155条は, 将来の立法者に対 し て, 本質的な土地改革の原則を
含 ん で い る。 そ の原 則 を す で に立 法 者 は住 居 不 足 の解 消 のた め の法 律 に よ り, 小協 定
[Kleinpakt] に関して, 団地法によ り, 限嗣相続の除去に関する法律によ り, お よび私的鉱
山収益権の除去 に関す る法律 に よ り, 実現 し た(52)。
私的経済企業の共同所有への移行は, 第156条が枠 と し て使 え る。 第156条は この 目的のた
めに社会化 に以下の法的な形式 と段階を 規定す る。
①私企業の共同所有 ( ラ イ ヒ, ラ ン ド, ゲマイ ソ デ地方連合体所有) への完全 な移行。 そ
れはそ めつ ど ラ イ ヒ また は ラ ン ドの法律を 必要 とす る。 し か し, 必ず し も損失補償を要 し な
い。 ( なぜ な ら ラ イ ヒが企業 を 社会化す るので あ り, 企業 は諸 ラ ン ド, ゲマ イ ソ デまた は公益
団体 に帰属 し て い るのだか らで あ ろ う。(53))
②経済的な企業まな は団体の管理に関 してのみのラ イ ヒ, ラ ン ドまたはゲマイ ソ デの関与。
そ の所有権は国家には移行 し な い。 こ の形態 につ いて は損失補償 も法律 も何 ら い ら な い。 国
有化思想は社会化委員会に よ って も一般的に拒否 さ れた のだ から, 人は石炭お よびカ リ経済
の規律 に際 し て 国家に よ っ て共 同管理 さ れた 自治団体 ( 「 ド イ ツ石炭共同体」) のた めに社会
化の こ の形態を利用 し た。 それ と と も に実現が 目論 まれた こ と は, 従来の私的所有者 に よ っ
て支配 さ れた領域への消費者お よび生産者を共同統治に召喚す る純粋に経済的に内容を も っ
た民主主義への 「 自由」 で はあ るが, 多かれ少なかれ国家強制 に よ っ て実施 さ れた, 商取引
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近
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真
の経済の改造 で あ る。(54)」
二
③ 「他の方法で の」 と りわけ危険回避のための ( 過剰な価格上昇, 停滞, 解雇に対抗す る)
カルテルお よ び ト ラ ス ト制度 に求め られ る介入措置。
④経済的な企業または団体の自治に基づ く 合併- ③で挙げ られた事態の前段階。 この強制
シ ン ジ ケ ー ト はす で に 「 レ ーテ シ ス テ ム」 が予見 し , 前提 し て い る が, 法律 を 必要 とす る。
し か し, 損失補償を要 し な い(55)。
憲法の最後の条文は, 第164条を例外 と し て労働法に捧げ られる(56)。
-
[第157条] 公権力の直接的な介入による人間労働力の保護は, 嫌々ながらのビスマルクが
失脚 し て以後 は, ラ イ ヒ に よ っ てすで に保障 さ れて いた(57)。 分散的で ま と ま りのない労働法
のラ イ ヒ に と っ て統一的な統合が 目論 まれて い る。
[第158条] 精神的労働者の作品の保護を, 今 日で もそれは過小評価 されるのが稀でない
が, ラ イ ヒ は国民的 に も 国際的に も利益のあ る こ と と認めた。
[第159条] 弱者の最 も有効な武器はその団結である。 全経済に と って危険 となるがゆえに
初めて実効的 に雇用を創 出す る団結 の自由のた めに職人は極 めて激 し く 闘 った。 団結の自由
-
は, 革命以前には, 官吏, ラ ン ド労働者, 国家労働者, 鉄道労働者および公務受任者[Dienstboten] には与え られていなかった。 今や憲法が何人にもそ していかなる職業にも経済的団体
結成の 自由を 保障 し, かつ これが第48条の事態において も大統領に よ っ て侵害 さ れえない と
すれば, 憲法 が故意 に団結の 自由 と い。う表現を 避 けた のは, 団結の 自由はス ト ラ イ キの 自由
と等置 さ れ る のが常だ っ た し, 憲法が, た と え全体 に と っ て危機的事情の下で も ス ト ラ イ キ
の自由を全て の人 々に保障 し よ う とす るわけはないか らで あ る。 む し ろ ラ イ ヒ大統領が第48
条第 2項の事態において生活必需品経営に対す る ス ト ラ イ キ禁止令を発す る こ と がで き る。
官吏にス ト ラ イ キ権が帰属す るか ど う かが争われて い るが, 否定 さ れ るのが正 し い。 他には
この自由権は, 何人のために も何人に対抗 し て も保障 さ れて お りー
, かつ ( た と えば一企業 と
一労働者 と の) 対立的協定は違法で あ る。
[第160条] それゆえに同様に, 国家権力に対 してのみな らず, 社会的権力に対 して も, 公
民権の主張は保護 さ れて い る し, かつそ の こ と に よ っ て何 ら重大な経営損害が生 じ ない とす
れば, ( た と えば経営協議員 と し て の) 名誉職の権限行使 も保護 さ れて い る。
[第161条] 革命以前の ドイ ツ社会保険の強力な仕事は, その継続 とその増築を維持すべき
であ り, かっ そ の際被保険者は民主的に共働すべ きで あ る。 ( それは従来で はただ健康保険の
場合 にのみ当て はま っ た だ けで あ っ た。)
[第162条] 労働法の国際化によって初めて内政的進歩が国民的不利益な しで確保されるの
で あ るか ら,
ラ イ ヒ政府 は次はまず ド イ ツの呼び掛 けが新た に諸国民の協議会の も の と な る
に至 る まで後押 し し得 るで あろ う。
[第163条] 労働に対す る倫理的なそれゆえに法的でない義務に対応す るのは, 今 日では非
常に不完全に し か満足 さ れえな い労働を求める権利で あ る。 こ の原則の実現において 国家は,
労働紹介, 雇用創 出お よび失業保障を, そ の任務 と し て引 き受 け る こ と を 開始す る。
[第164条] 第164条の有する 目的は, マルク スの窮乏化理論が, その没落を主張した 自立
的中間層に国家的保護を確保す る こ と で あ る。
[第165条] 最後の条文は, 革命 と憲法の極めて独創的で将来的富を最 も含む思想を有 して
ヘルマ ン ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
61
い る 。 1918年 11月 お よ び そ の 後 の 半 年 間 , 左 翼 に よ っ て 轟 き 渡 っ た 呼 び 掛 け は , 「全 権 力 を 労
兵 レ ーテ に」 で あ っ た が, それは模倣 を誘 っ た ロシ アの例だ け で はなか っ た。 ロシア にお い
ては1905年の革命運動で初めて ソ ビエ ト が成立 し た。 そ し て, 1917年国家装置が完全 に崩壊
し, かつ どんな組織 も ( た と えば労働組合 も) 暫定的で ある に し て も, その任務を引 き受け
る こ とがで きなかった と きに, だから こそ レーテが工場では労働者の緊急組織 と して, また
個々の軍隊では兵士の緊急組織 と して構成さ れた。レーニンの言葉 と行動によればそれは「プ
ロ レ タ リ ア ー ト の独裁の組織形態 に他 な ら な い」 も の と さ れた 。
それは と にか く 政治的ス ローガン以上のも ので あ るのが常で あ り,
レーテ思想は多義的で
あ る。 それがいかに多様 で あ るか, いかに故意に また無意識 に解釈 さ れた かを見れば, そ こ
から明 らかにな る こ と は, それが共産主義か ら ブルジ ョ ア政党 にいた る まで, いかに も非常
に保守的な範囲 ( た と えば ヴェ ス タ ル プ伯爵) まで追随者を 創 出し た と い う こ とで あ る。
社会主義は経済民主主義で あ る。 し か し, 民主主義は共同体 員の共同体指導への共 同決定
にあ り, それゆえにまたそ の共同責任 にあ る。 レーテ思想の核 心部分は次の点にあ る。 す な
わち レ ーテ は 自治機関を 意味すべ き も の と さ れ る と い う こ と , つ ま り, そ の 自治機関 に よ っ
て全就業国民が, 共同体指導に共同関与 し, かつ共同体指導 に責任あ る もの と な る と い う こ
とで あ る。 数の多 さ に よ っ て選ばれた がゆえに, 単 な る外的モ メ ン ト に よ っ て選ばれた 中央
の国家機関 ( 「形式民主主義」) は, そ のた めの能力があ る と はみな さ れな い。 なぜな ら, そ
れは, 一方で は管理 さ れるべ き範囲に, 自ら は入っ てお らず, 他方で こ こで も最後に共同体
の一半が, 官僚 と し て, 他の一半を 管理 し な ければな ら ない か らで あ る(58)。
レーテ に よ る 自治の この思想は, 今や, 担い手お よび管理領 域に応 じ て, 以下の諸形態を
想定す る こ と がで き る。 政治的議会の排 除の下で レーテ に全政 治的経済的指導が委ね られ る
とすれば, 主権的中央機関 と し ての職能身分議会に行 き着 く 。 それは, 国民全体によ っ て選
ばれた も ので あ る よ り は, かな り の ドイ ツの保守層に よ っ て要 求 さ れた も ので あ り, 専 ら職
人, 兵士, 小農民 に よ っ て選 ばれた も ので あ る よ り は, ボル シ ェ ビキに よ っ て設立 さ れた も
ので あろ う。 前者は レーテ思想に よ っ て民主主義一般の除去を めざ し た し, 後者に と っ て独
裁は一つ の期待 さ れた経済的平等のた めの形式民主主義の克服 を意味 し た。 他の, た と えば
社会民主主義お よび極めて不明瞭な方法で は 「社会的有機体 の三構成部分のための同盟」 に
よ っ て主張 さ れた思想過程 は職能身分議会 と それ と並 んで な お も政治的議会を要求 し た し,
それゆえに単に経済だ けを民主的に設立 さ れた レーテ行政に委 ね よ う と し た にす ぎな い。
第165条 において成立 した 「 レーテ シ ス テ ムの係留」 は, 独裁 を それゆえに暴力的階級闘争
思想を拒否 し た。 労働者 と職員の協力 は共同体において企業家 と 同権的に成立すべ き も の と
さ れ る。 そ れは レ ーテ に全て の政治的 お よ び経済的権力を委ね る も ので は少 し も な く , 一つ
の非常 に限定 さ れた領域を 委ねた ので あ る。 し か し , それに も かかわ らず, それは極 めて重
要な領域で あ る。 それはた だ経済に対す る一定の コ ソ ト ロール権お よ び ラ イ ヒ経済協議会 に
よ っ て のみ政治への若干の影響力を 行使すべ き も の と さ れる。
こ の 目的のた めの 「団体的基礎」 す なわち労働者の経営協議 会, 地区労働者協議会お よび
ラ イ ヒ労働者協議会か ら成 る三段 ピ ラ ミ ッ ドが形成 さ れ, そ れ に対応すべ き も の と し て企業
家の 自立的組織が対を成 し て形成 さ れた。 最下層の段階で は経 営協議会が, 労働者の階級的
利益 を代弁す る。 経営協議会の権利は, 1920年 2 月 4 日の参照 さ れ るべ き法律に よ っ て規律
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された(59)。 経営協議会は個別企業家 と賃金お よびそ の他の労働関係について交渉 し, 企業家
と就業規則を 協定す る。 し か し , そ れは常 に 「協約規定がない限 りで」 のみで あ る(60)。 ( 後者
の協約は第165条第 1項第 2 段が, 明示的に承認す る組合 と雇い主団体の両組織の協定に帰属
す る。) 第二段階において は, 領域的な地区労働者協議会が, 組織 さ れた企業家 「お よび他の
関係人民領域」 と と も に地区経済協議会に集合す る。 第三段階は対応 し て構成 さ れた ラ イ ヒ
経済協議会を 構成す る。 こ の構築物 に よ っ てそれはラ イ ヒ立法に留保 さ れて い るが, 従来最
下層の段階のみがすなわち経営協議会のみが, そ し て緊急構築物 と し て暫定 ラ イ ヒ経済協議
会が, 設置 きれた にす ぎない(61)。 政治的課題は経営協議会お よび地区経済協議会一般には帰
属せず , ラ イ ヒ経済協議会には第165条第 4 項の狭い枠内で のみ帰属す るにす ぎない。 ( 完)
註
( 1) Verhandlungender verfassunggebendenDeutschenNationalversammlung ( 以下 VvDN と 略) , Bd.
336 (Anlagen; Nr. 391, Bericht des Verfassungsausschusses), Berlin 1920, DUhringer in der 32・
Sitzung, 28. M a1 1919, S. 370.
( 2 ) Aa0 ., Bd. 328, Beyerle in der Sitzung vom 11. Ju111919, S. 1504 B.
( 3) W V ( ワイ マ ール憲法) 第119条第 1項, 第157条参照。
( 4) W V 第109条第 1項, 第152条第 1項。
( 5) W V 第109条第 5 お よび 6項, 第121条。
( 6 ) いわゆ る公権お よ び公的義務, た と えば W V 第111, 123, 135条。
( 7) た と えば W V 第114, 135条。
( 8 ) lmmanuel K ant, ldeen zu einer allgemeinen Geschichte in weltbUrgerlicher Absicht, in Gesammelte Schriften, H g. K gl. PreuBische A kademie, Bd. 8, Berlin 1912, S. 22.
( 9 ) Jacob Burckhardt, W eltgeschichtliche Betrachtungen, 3. Aufl., Stuttgart 1918 S. 56.
( 10) W ilhelm v. Humboldt√ldeen zu einem Versuch die Granzen der W irksamkeit des Staats zu
bestimmen (1792), in GesammelteSchriften, Hg. Kgl. PreuBischeAkadem19, Bd. 1, Berlin 1903, S.
113.
( 11) Aa0 ., Bd. 1, S. 129.
( 12) Aa0 ., Bd. 1, S. 179.
( 13) Jean-Jacques Rousseau, Du contrat social (1762), liv. 1, ch. 7.
( 14) Lorenz v. Stein, Geschichte der sozialen Bewegung in Frankreich von 1789 bis auf unsere T age
(1850), Neudruck Hg. Salomon, MUnchen 1921, S. 3f.
( 15) Ferdinand Lassalle, Arbeiter-Programm, in Gesammelte Reden und Schriften, Hg. E. Bemstein,
Bd. 2, Berlin 1919, S. 195.
( 16) と りわ け W V 第151条参照。
( 17) 以下につ いて はア ソ シ ュ ッ ツお よびギーゼの コ ソ メ ソ タ ールの関係部分を参照 さ れた い。
( 18) これにつ き Richard Schmidt, EinfUhrung in dieRechswissenschaft, Leipzig 1921, S. 101f.
( 19) Aa0 ., S. 299.
(20) OttoJ6hlinger, PreBfreiheitundPreBpolitik, in Handbuchder Politik, 3., Aun., Bd. 1, Berlin 1920,
S. 189 ff.
( 21) G. W . F. Hegel, Grundlinien der philosophiedesRechts, inW erke, Bd. 8, Hg. E. Gans, Berlin 1833,
§
308, S. 401.
(22) G. W . F. Hegel, VerhandlungeninderVersammlungder LandstandedesK6nigreichsW Urttemberg
in Jahre 1815 und 1816, in Sammtliche W erke, H g. G. L asson, Bd. 7, L eipzig 1913,M einers
Philosophische Bibliothek, Bd. 144, S. 177.
ヘルフ ソ ・ ヘ ラ ー 「基本権 と基本義務」
63
(23) た と えば民法典第1589条第 2項, 第1707第 1項第 H
( 24) VvDN ( 速記録) Bd. 328, Berlin 1920, S. 1597-1613; 1624f., 58. Sitzung, 16. Ju111919; aa0 ., S. 2126;
2134, 70. Sitzung, 30. Ju11 1919 にお け る啓発的 な議論参照。
( 25) Gustave Le Bon, Psychologie der M assen, 3. Aufl., Leipzig 1919, Philosophisch-soziologische
BUcherei, Bd. 2 を 参照せ よ。
( 26) 民法典第21条 ; Richard Schmidt, EinfUhrung ( 註 ( 18) を 見 よ) , S. 231 ff. 参照。
( 27) W V 第22条以下, 第41条については上記参照。
( 28) Heinrich Treitschke, Deutsche Geschichte im neunzehnten Jahrhundert, Bd. 1, 10. Auf1., Leipzig
1918, S. 364.
( 29) W V 第18条参照。
( 30) 1920年11月30日のプ ロイ セ ン 自由国の憲法第71条 GS. S. 543参照。
( 31) 他 に Hugo PreuB, Die Entwicklung der kommunalen Selbstverwaltung in Deutschsland, in
H andbuch der Politik, Bd. 1,3. A ufl., Berlin 1920, S. 266-286; ders. , V om Obrigkeitsstaat zum
V olksstaat, in H andbud
der Politik, 3. A ufl. , Bd. 3, Berlin 192レ
さ ら に Fritz Stier-Somlo,
K ommentar zur V erfassu咆 des F reistaats PreuBen, Berlin 1921, S. 2n ff; と り お け aa0 . , S. 218
ff. 再録 は Gesetzentwurf Uber die Erweiterung der Selbstandigkeitsrechteder Provinzen.
( 32) Protoko11 Uber die Verhandlungen des Parteitages der Sozialdemokratischen Partei Deutschslands, Erfurth 1891, Berlin 1891, S. 5.
( 33) VvDN, Bd. 328, S. 1632 ff., 59. Sitzung, 17. Ju111919.
( 34) これにつ いて はア メ リ カ にお いて も耐 え がた い シ ス テ ム と認識 さ れた。 M ax W eber, Politik alsBeruf
(1919), in Gesammelte politischeSchriften, TUbingen 1920, S. 399 f.; 428 ff.
(35) 下記の W V 第159条を見 よ。
( 36) Hegel, Rechtsphilosophie ( 註 ( 21) を 見 よ) 。 §
261, S. 324 f.
( 37) Georg Jellinek, DieErklarung der M enschen-und BUrgerrechte, 3. Aun., M Unchen, 1919, S. 57.
( 38) 国家 と宗教の対立的な制約性につ いて は, Jacob Burckhardt, W eltgeschichtliche Betrachtungen
(1905), 3. Aun., Stuttgart 1918 S. 106 ff.; さ ら に こ の章 につ いて は W ilhelm Kahl, Staat und Kirche,
in H andbuch der P011tik, Bd. 1, 3. A uf1. , Berlin 1920, S. 126-149.
( 39) Kahl, aa0 ., S. 127 f.
( 40) Martin Luther.
(41) 以下 につ いて は VuDN, Bd. 328, S. 1643 ff., 59. Sitzung, 17. Ju11 1919.
(42) これに よ っ てエバソ ゲ リ ッ シ ュの信仰告 白の教師お よび官吏のみを 許す ハ レ大学規則第 4 条が廃止 さ
れた 。
(43) 分離の意義につ いて は, Naumann, VvDN, Bd. 328, S. 1651, 59. Sitzung, 17. Ju111919; Veidt, aa0 .,
S. 1656f.
( 44) Handbuch der Politik, 3. Aun., Bd. 3, Berlin 1921 にお け る Stutzer, Kerschensteiner, K arstadt,
Ziehen, Freund および Goetz の諸論文参照。
( 45) RGBL. S. 851, §
4.
( 46) VvDN, Bd.329, S. 2161 ff., 71. Sitzung, 31. Ju11 1919 参照。
(47) W V 第174参照。
犬
( 48) Hegel, Rechtsphilosophie ( 註 ( 21) を 見 よ) , §
238, S. 298f.
(49) Sinzheimer 報告, in VvDN, Bd. 336, S. 393, 憲法委員会35. Sitzung, 2. Jun11919 参照。
( 50) W emer Sombart, Sozialismsund soziale Bewegung, 8. Aufl., Jena 1919, S. 60 ff.
( 51) Johann Gottlieb Fichte, Der geschlossene Handelsstaat (1800), in Sammtliche W erke, Hg. I . H.
Fichte, Bd. 3, Berlin 1845, S. 402.
( 52) Handbuch der Politik, 3. Aufl., Bd. 4, Hg. G. AnschUtz, Berlin 1921, 5. HauptstUck. 参照。
(53) W V 第153条第 2項。
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( 54) Robert W ilbrandt, Staats-und Privatbetrieb. Vorteile und Nachteile. -Gemeinwirtschaftlicher
Betrieb, in H andbuch der Politik, ( 註 ( 52) を 見 よ ) , Bd. 4, S. 332.
( 55) そ れにつ い て は W ichard v. M oellendorff の論文 ( Der Aufbau der Gemeinwirtschaft. Denkschrift
des Reichswirtschaftsministerium vom 8. M a1 1919, Jena 1919, S. 16 ff. へ の M oellendorff の 支 持 )
お よ び H andbuch der Politik, aa0 . , Bd. 4 の 第 7 章 参 照 。
( 56) Richard Schmidt, EinfUhrung ( 註 ( 18) を 見 よ) , S. 238 ff.; Handbuch der Politik, aa0 ., Bd. 4 の第
9章参照。
( 57) W ilhelm SchUBler, Bismarks Sturz, 3. Aufl., Leipzig 1922.
(58) 上記原文298頁 [WV 第125, 126, 127条] 以下参照。
( 59) 経営協議会法, RGBL. 1920, S. 147f.
( 60) Aa0 ., §
78 Nr. 2.
( 61) 1920年 5 月 4 日の ラ イ ヒ暫定経済協議会に関す る命令, RGBL. S. 858.
卜
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