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名作秘話 2人の素描をもとに描かれた傑作!! 素晴らしい素描は素晴
の違い、関 係といったものを論じ 合 う もので、レオナルドの考 えで は、絵画と彫刻を比較した時、絵 問であるのに対し、 ﹁ 彫刻は単なる 画が古代からの諸学を利用する学 つまりレオナルドにとっては、絵 肉体労働だ﹂ とまで言いきったとか。 画は学であるが、彫刻は肉体労働 道を歩みます。 ﹁ 私は彫刻家﹂と書 今日から語れる こぼれ話 戸惑っていた大作への挑戦 天井画を描く栄誉を不幸と捉えて いたミケランジェロの嘆き ミケランジェロは、実はあの大作システィ ーナ礼拝堂の天井画を描くことになった時 も、ひたすら戸惑っていたという。 そして彫刻家ミケランジェロが天井画を描 く不幸を、肉親にまで訴えていたというから、 そうとう困惑していたに違いない。 さらに天井画に青カビが生えたときには、 的な技だといって、絵画がより優 れた芸術であることを訴えていた のだ。 もしこれを直接聞いたとしたら、 面白く思わないのが、ミケランジェ ﹁ ミケランジェロは、生まれついて ロだったろう。 の彫刻家であり、幼い頃からその ﹃ 髭のある男性頭部︵ チェーザレ・ ボルジャ?﹄ をご紹介します。これ るとレオナルドが、この三方 向 か はひとつの仮説ですが、もしかす 彫刻を意識し、それを二次元の絵 自分を嘆いて「われはその器にあらず、われ 天井の装飾の中心となる のは、 『 創世記』 を題材とし た9つの場面。なかでも 『ア ダムの 創 造』が 有 名 だ。 父なる神 の 指とアダムの 指とが触れ合おうとする場 面は、 映画『 E・T 』 でもヒン トとして使われた。数 限り ない複製や模写が作られ てきた作品。 ミケランジェロ・ヴオナローティ 《最後の審判》 (1536−1541年) フレスコ画・所蔵バチカン システィーナ礼拝堂 は画家にあらず…」といったグチのような詩 を、友人に送ったとまでいうから興味深い。 つまり絵画はミケランジェロにとって専門 分野ではない、という意識をずっと持ってい たのかもしれない。 この作品の完成より20年前に天井画を完成させたミ ケランジェロは、さらに教皇クレメンス7世から祭壇画の 制作を命じられた。そして後継のパウルス3 世の治世 になり、1535年から約5年の歳月をかけて1541年に 完成したのがこの『最後の審判』 だ。 今日から語れる こぼれ話 当時レオナルドは、彫刻に挑もうとして買い入れていた大理石 を教会に保管してもらっていたが、 どうにも彫刻に向かおうとは思 えず、 もてあまして売り飛ばしてしまったという説がある。 それを買い取ったのが、なんとミケランジェロであり、その大理 石で作られたのがかの有名な 「ダビデ像」 だというのだ。 なにやらそんなエピソードを知ると、ミケランジェロはあえてレオ ナルドへの当てつけのようにして、創作意欲を高めたのでは、な どと勘ぐりたくなる。二人の天才の生々しい人間性を感じさせる エピソードだが、改めてそうした視点で接すると、なおさら作品が われわれに身近なものとして感じられるのではないだろうか。 天才たちもわれわれと同じように、嫉妬や羨望や自尊心といっ たものに苦しみ、悩んだのかもしれない。そんな中でも毎日素描 をやることで画家として、芸術家として技術力が向上し、ひいて 若 年のルーベンスがイタリアに滞 在していた 時、ミケランジェロの素描から模写して描いたと 絵画理論や素描を重 視したルネサンス・フィ レンツェ派の、真骨頂 を見てほしい。下手な 油絵なんかより、よほど 面白いのだ いう 「レダと白鳥」 。 最後の審判という大作を完成させた。 二人の稀有な天才同士が互いに意識し合い、それを創作エ ネルギーへと転化してくれたからこそ、われわれは素晴らしい作品 に接することができるのだと感謝すべきかもしれない。 1 名 作ダビデ像完成までのいきさつ ダヴィンチが 大理石を購入 彫刻に挑戦しようとし て、 大理石を購入する。 だが興味や関心も次 第に消えてしまう。 最注目の美術展 2 彫刻に挑戦を あきらめ 大理石を売却 しばらく教会に保管し てもらっていたが、も て余してついに売り払 ってしまう。 3 ミケランジェロが 大理石を買い ダビデ像を制作 売りに出ていた大理石 をミケランジェロが 購 入する。その石からダ ビデ像を作成する。 ピーテル・パウル・ルーベンス 《レダと白鳥》 17世紀初期、油彩、板、64.5×80.5㎝、個人蔵 スパルタ王テュンダレオスの妃レダは、水浴びしているところを ゼウスに見初められ、白鳥に姿を変えたゼウスと交わった。ルー ベンスの作品はまさにその場面を表現している。 天使の顔は、 まさに ﹁ 天使の習作 ﹂ いう話もあるが、それは実現せずに結果的にミケランジェロは、 的 美しさだ。普遍的な美を求めた !? の素 描 と うり二つ。不 思 議で中 性 システィーナ礼拝堂への絵画依頼に関し、ミケランジェロが 天井画を完成させた後、祭壇画の依頼がレオナルドにいったと ミケランジェロの 素 描が 手 本 素晴らしい素描は素晴 らしい名画を生み出す とき、たどり着いた世界だろう。 は理想の美に近づけたということなのだろう。画家にとって素描 とは、それほど重要なものだったということがわかる。 名作秘話 2 人の素描をもとに描かれた傑作 !! 右 端の天 使 の 顔 は、 まさに ﹁ 天 使 の 習 作 ﹂の 素 描 ダビデ像がただの石だった頃 持ち主はレオナルドという話 あのダビデ像は誰のものだったか ミ ケ ラ ン ジェロは ダ ビ デ 像 で レ オ ナ ル ド に 挑 ん だ の か (P14−17の本文原稿のみ学芸員岩瀬慧氏監修) !? 17 ら と ら え た ボルジャ?の 肖 像 は、 みれば、さぞかしゴシップ的な話題とな ったに違いない。 6 画で超えようとした試みではない レオナルドは辱められて、真っ赤にな って怒ったというから、街の人々にして かとも考えられています。つまり が見ているなかで、レオナルドのことを、 あからさまにバカにしたようだ。 素描は、そうした実験的なことや そしてミケランジェロは、周囲の人々 研 究 もできる科 学であることの、 オナルドが出会ってしまった。 証明をしようとしたのかもしれま 間でも話題にされていたのだろう、そん なときたまたま街中でミケランジェロとレ せん﹂︵ 岩瀬さん︶ 話は、それなりにフィレンツェの人々の 会期は2017 年 月だが、今 動は 名人の行 動、言 当時も今も有 !? シップネタだった 庶 民にとってゴ から実に待ち遠しい展覧会だ。 当時レオナルドが彫刻に挑むという 簡の中で自認するほどだったので といってレオナルドは実に嫌っている。 ブロンズを扱う経験が乏しかったた す﹂︵ 岩瀬さん︶ が、あえなく失敗する。 絵画で彫刻を超える試み なってパン屋か何かの仕事みたいだ、 レオナルドがやろうとしたこと 騎馬像 」という彫刻作品を手がけた レオナルドはそうした比 較芸 術 そんな経験からか、彫刻家の仕事 は重い石材を調達したり、粉まみれに 彫刻を超越しようとした点もうか 実際に注文を受けて、 「 スフォルツァ 論争のなかで、自分が画家として が彫刻にトライしなかったはずもない。 めか、実際に再現しようとしたら、無理 な構造になってしまっていたようだ。 つまり二次元の中に三次元を作 レオナルドはついにひとつの彫刻作 品も残さなかったが、好奇心の強い彼 がえる。 ミケランジェロから辱められて、 真っ赤になって怒ったレオナルドの意地 るという試みだ。 フィレンツェ街中でのケンカ 二人のアブナイ接近遭遇 ﹁ 本展でも見ることができる作品 今日から語れる こぼれ話 レオナルド・ダ・ヴィンチ 《岩窟の聖母》 (1483−1486年) パリ、ルーブル美術館 (199㎝×122㎝) 板、油彩画・19世紀にキャンバスへと移植 ほぼ同じ構図、構成で描かれたものが2点存在するが、最初に 描かれたと思われる上の作品は、ルーブル美術館が所蔵。別 のもう一作は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する。 16