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2. 宣教師たちのユートピア
越境する美術! ラテンアメリカから考えるグローバル文化 Ⅰ.征服から始まった美術 2. 宣教師たちのユートピア 「われわれはさしあたって、われわれとわれわれの統治する数 百万の人びととを仲介する通訳者となってくれる階級を形成す ることに最善の努力をつくすべきである。それは、その血と肌の 色においてはインド人であるが、趣味、意見、品行、知性におい てはイギリス人であるような人びとからなる階級でなければなら ない。・・・」! マコーレー 『インドにおける教育に関する覚書』 本国� 「支配文化」 教育、強制 憧れ、適応 征服された人びと 植民地 「支配文化」を移植する枠組み 先住民の「集住化政策」 1)西インド諸島で最初の試み:法令が出されるが実行にいたらず 2)1530年代以降、ヌエバ・エスパーニャ副王領で、托鉢修道会が先住民集住 化を推進。第2代副王ルイス・デ・ベラスコ(1550-64年)はこれを奨励し、メキ シコ中部から南部にかけて数多くの先住民の町が建設される(これらはとくに doctorina / misión とよばれる) 3)ペルー副王領では第5代副王フランシスコ・デ・トレド、ヌエバ・エスパーニャ 副王領では第9代副王ガスパル・デ・スニガ・イ・アセベドが大規模な集住化 政策を実施(それぞれ1570-75年;1595-1605年) ふたつの副王領 ヌエバ・エスパーニャ副王領 ペルー副王領 なぜ、集住化/都市化なのか? ! 1,実際的必要: 布教、徴税の効率化! ! 2,思想的背景: 「都市化"文明化」というイデオロギー! 「インディオたちがこのまま離ればなれに住み、洞窟や谷あいに居続 けることが、礼節! #$%&'()をわきまえさせるためにも、また改宗を進め るうえでも不都合であることは、だれしも無視できまい。というのも、 彼らは町で共に住まわせねば、教理を授けられないだけでなく、いつ までも人間になることもできないからだ。この周知のことに、改めて 説明など不要だろう」! 托鉢修道会による布教区建設 新大陸の布教に乗り出した托鉢修道会: フランシスコ会(1524)、ドミニコ会(1526)、アウグスティノ会 (1533) 16世紀末にかけて、ヌエバ・エスパーニャにおける先住民布教を主導 当初の仮設聖堂から、世紀半ばには、石造の本格的修道院建築へ 16世紀末までに、250ものミッションが建設される *+),!-.!/)0&.,1$!2チャルカス聴訴院・聴訴官34!!"#$%&'"()%*(+%&,5!6789! 「宣教の装置」 テンブレケの水道橋 Zempoala, Hidalgo フランシスコ会士 Francisco de Tembleque により、16世紀半ばに設された水道橋 エパソユカン Epazoyucan • 地図 ウエホツィンゴ Huejotzingo 修道院:1540年代末着工、1571年完成 16世紀ヌエバ・エスパーニャの典型的な布教区聖堂 ポサ Posa )0:&$5!')#&%%)!);&.:0)5!#$<)!をともなう修道院建築! =.;)<0&>,!?@#.1!6AABC!6DB!2<.E+,!/'F,-:.G3! 野外礼拝堂 Capilla abierta: アクトパン Actopan 修道院(イダルゴ州) Fray Diego Valades. Retórica cristiana, 1579 テキキ!%+DE'3DEF!様式! (インド・キリスト教!#*&)!65'1-0*)! 様式)! "#$%%$!&'!()*&)*+! ,-./0-10-)*!)2!,0'*3! 450*6'1! 789:! ! 45+16);!8<=!>!8?=!6/! (05&'!@A0B+C;!,0*30!@5)6+;! 4C)5+*6+ Convento dominico de la Navidad de Nuestra Señora, Tepoztlan (Morelos) ワケチュラ修道院 (プエブラ州) Convento de Huaquechula (Puebla) Huejotzingo 主祭壇衝立 c.1586 <12人の宣教師 Los doce franciscanos> Convento de Huejotzingo� ,@G$H"IJKL;!M05-* 十字架の道行き 6N!7O?O エパソユカン修道院回廊壁画 1550年代頃 もしインディオたちが、彼ら自身の手と汗によってなさ なければ、宣教師たちがもつ多くの聖堂や修道院は、だれ が建てたのだろうか。・・・また、もしもその同じイン ディオたちがなさなければ、だれがその教会に、装飾や、そ の他そこに備えられ飾られるすべてのものを整えただろうか (/.,-&.0)!6A9H!I67J7KC!LL5!D7!I?&;:$!D!M!N)#469K) 装飾事業における先住民の関与は、どのような意味をもっ ていたのか?! • 地図 Convento de Tecamachalco! � だれが描いたのか? 作者: フアン・ヘルソン Juan Gersón(テカマチャルコの町の年代 記 Anales de Tecamachalco:1561-62年の項に「Juan Gersón」の教会装 飾への関与を記録)とされてきた! ! Juan Gersón:フランス語圏出身の画家?! ! 年代記の1592年の項に、「Juan Gersón」が鞍をつけての乗馬、スペイ ン風の衣装着用、剣を帯びることを許可された旨の記述! ! さらに、天井画の支持材にアマテ(イチジクに似た植物の樹皮からつ くられるメソアメリカ地域の紙)が用いられていることが判明! ! ! ! ! Juan Gersón は先住民の画家?! ! テカマチャルコ修道院聖堂(プエブラ州)合唱席下天井画 1561-62年 テカマチャルコ修道院合唱席下天井画の図像構成! ! ! 新約聖書・黙示録の主題:17場面! ! !世界の終末と懲罰、「新しいエルサレム」の出現! ! ! 旧約聖書の主題(創世記、エゼキエル書):7場面! ! !神の懲罰、神の意志の発現、「約束の地」、「神の国」! ! 四福音書記者:4区画! ! 黙示録の「四つの生き物」! !! 合唱席下天井装飾(1562年):28面の楕円形・円形の画面からなる 10 黙示録の四騎士! ! 見よ。白い馬であった。それに 乗っている者は弓をもっていた。 彼は冠をあたえられ、勝利のうえ にさらに勝利を得ようとして出て 行った・・・(黙6:2) F4!OP:.:!'46DAJ! 8 キリストと7つ の燭台の幻視 燭台の中央には、 人の子のような方 がおり、足まで届 く衣を着て、胸に は金の帯を締めて おられた。・・・ 口からは鋭い両刃 の剣が出て、顔は 強く照り輝く太陽 のようであった。 (黙6C6H) ジョット《聖痕を受ける聖フランシスコ》! 1296-99年 アッシジ、サン・フランチェスコ! 聖堂上堂 ヨアキムの千年王国思想: 三位一体に対応して、人類の歴史を三つの時代に区分。 第一の時代:父なる神と律法の時代(旧約の時代)。第二の時代(聖 霊の時代):子なるキリストと福音の時代(新約の時代)。だがまも なく第三の時代が、新たな救世主とともに出現、と預言。「世界は一 大修道院と化し、そこで全人類が瞑想に明け暮れる修道士となって神 秘的忘我の境にはいり、一体となって神を賛美する歌をうたう」 (ノーマン・コーン 1972: 104)。 その出現は1260年頃:アブラハムと キリストのあいだが42世代であったことを基準に。 メンディエタ: 「取るに足らぬ私であっても、・・・このように良きキリスト教精神 によって組織され、整えられた5万人のインディオの国を、ほとんど 何の苦もなく統治することができるだろう。それはあたかも一つの国 全体が修道院のようなものなのだ。・・・人びとは行進をし、頌歌や 霊的な歌を歌って神を賛美し、時を過ごす」 先住民社会はこうした装飾事業どのように関与したのか?! ! ! 「フアン・ヘルソン!PE0*!"+51Q*」: テカマチャルコの年代記に言及! ! R画家? 聖堂執事?! ! *名は!P+0*!"+51)*!に由来?(近隣には「トマス・デ・アキノ(トマス・アクイ ナス)の名をもつ先住民首長もいた)! *スペイン風に盛装し、帯剣、騎乗を許されたとの記録も残る! ! ! 先住民が聖堂装飾に関わることの「意味」を示唆!